2011-11-07

逃げるのか?自由なのか?

あの季節外れの雪での停電から1週間。
うちは1週間前の月曜日の夕方に電気が戻ったのですが、
その後、いろんな方々にお会いしている中で、
火曜日まで、水曜日まで、木曜日まで・・・金曜日でもまだ・・・
など、もっともっと大変な方々がおられたようです。
庭の枝が落ちて、窓ガラスを突き破って、


3日間でもほんとうに大変だったのに・・・。


その後、天気が落ち着いているのは本当に助かります。
冷え込む朝はあったのですが、
毎日いい天気で、今日はすっかり乾いたところで、落ち葉集め。
あの雪が嘘のような平和な冬支度の一日です。


さて、昨日の礼拝で、
神様との関係で満たされる中で、
他のものから自由になる、
いろんなこだわりや、人からどう評価されるかとか、
仕事が認められることなどから・・・
振り回されないで済む、
支配されないで済む。
そんなことを語らせていただいた。


本当にそうだと思う。
そこで与えられる勝利も何度も経験して来た。


詩篇37篇の言葉。
「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。
・・・・・・
主を信頼して善を行え。」


でも、今日一つの出来事の中で、
自分が直面しなければならない問題から逃げるために、
神様を利用している場面はないだろうかと思わされた。


結局は恐れて、直面したくなくて、
「神様との関係・・・」というところに逃避していないだろうか?


本当は自分が愛がないだけなのに、
問題をちゃんと見据えて、解決のために自分のできることはないだろうか、と求めなければいけないのに、逃げていることはないだろうかと。


熟成中・・・だな。


さて、ここ数日の聖書から。
実は、「日々のみことば」誌を読んでいる方はご存知だと思いますが、
11月に入ってから、なんと「エゼキエル書」を読んでいます。
難解なところもたくさんありますが、本当に教えられることの多い書物です。


そんな1週間の中から。


「彼らが聞いても、聞かなくても、あなたはわたしのことばを彼らに語れ」2章7節。

本当に大切なことですね。
「聞いてくれそうなこと」を語りたい、
という誘惑もあります。

「聞かれないなら語りたくない」
と思う気持ちもあると思います。

でも、人のことばではなく、神様が聖書を通して、
どのように語ってくださっているのか、
それを忠実に語ることのできる者になりたいと思います。

そのためにはやはり神様との関係をもっともっと豊かに。
もっともっと、日々の祈りの中で力を頂いて、
聖書から語っていただいて、その語られたことを分かち合うことが
必要なんだと思います。

主よ、
あなたのみ言葉を語ってください。
わたしの心に、あなたのみ思いを教えてください。
そして、大胆に語ることのできる者となれますように。


そして、勇気をもって、あなたにゆだねるべきことと、
あなたからわたしにゆだねられて、勇気をもって直面すべきこととを
見分ける力を与えてください。

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