2011-12-06

「だんしゃり」も大切だけど。

昨日の朝はとんでもなく深い霧で、
途中で車で走るのが危ないと判断して、
教会に行くのは断念。

ですから、今朝、気持ちよく起きて、
外は雨が降っていて、暖かくて、
そして霧が出ていなかったこと、
とてもうれしかったです。

注目はあさっての朝。
明日の夕方からまた雨ですが、
夜遅くから、明け方にかけて、
雪が混じったり、雪に変わったりします。

ちょっと注目です。

さて、もう10年以上前になりますが、
あるご一家が帰国される時に、
パン焼き機というか、ホームベーカリーというか、
そういう機械を「使えると思うけど・・・」というノリで、
無償で置いて行ってくださいました。(日本のメーカー)
感謝!だったのですが・・・。

でも、取扱説明書もないし、
どうやって作ったらいいかわからないし、
まあ、ものぐさな性格が災いして、
そのまま、ランドリールームの片隅に置いてありました。

で、時代は進んで、今年の5月頃。
この「断捨離」ブームの中で、
3年使わなかったものはもう捨てよう、というスローガンのもと、
処分しようかとも思ったのですが、
考えてみたら、今どき、ほとんどのマニュアルはインターネットで探せる、
ということを思い出して、見つけ出して、
10年間のホコリを払って、試しに作ってみたら、
ちゃんと作れるじゃないですか、
そして、これがまたすごくおいしい。


・・・ということで、10年の眠りから目覚めて、
ほぼ毎日、活躍してくれています。
おかげで、おいしいパンをいつも頂いています。

・・・改めて感謝。

でも、こういうことがあると、なかなか、またモノを捨てるのが難しくなりますね。(笑)

さて、今日の「ひびみこ」から。
今日はエゼキエル書21:1−17

「剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。・・・」9節。

今日の聖書箇所はあまりに恐ろしい、
厳しい裁きのところです。

こういうところを読むたびに思います。
「ここで何を自分は学べばいいんだろうか?」
「主はここから私に何を語ろうとしているんだろうか?」

そして、牧師としての私は、「教会の人たちはここからどんなことを感じるんだろうか?」と。

今朝もそう思いました。
でも、すぐに思わされました。
この怒りは、イエスの上に注がれたんだと。
この厳しい裁きは、十字架のイエスの上に下されたのだと。

私はすぐに十字架の深刻さ、
罪の恐ろしさを、軽く考えてしまいます。
本当はどんなに大きなことなのか、どんなに大きなことなのか。

本当ならば、私が受けなければいけない裁きが、
このイエスの上に下されたことを、忘れることがありませんように。

主よ、
罪の恐ろしさを忘れてしまいやすい、
軽く考えてしまいやすい私です。
どうか、いつもいつもそのことを思い出させてください。

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