途中で車で走るのが危ないと判断して、
教会に行くのは断念。
ですから、今朝、気持ちよく起きて、
外は雨が降っていて、暖かくて、
そして霧が出ていなかったこと、
とてもうれしかったです。
注目はあさっての朝。
明日の夕方からまた雨ですが、
夜遅くから、明け方にかけて、
雪が混じったり、雪に変わったりします。
ちょっと注目です。
さて、もう10年以上前になりますが、
あるご一家が帰国される時に、
パン焼き機というか、ホームベーカリーというか、
そういう機械を「使えると思うけど・・・」というノリで、
無償で置いて行ってくださいました。(日本のメーカー)
感謝!だったのですが・・・。
でも、取扱説明書もないし、
どうやって作ったらいいかわからないし、
まあ、ものぐさな性格が災いして、
そのまま、ランドリールームの片隅に置いてありました。
で、時代は進んで、今年の5月頃。
この「断捨離」ブームの中で、
3年使わなかったものはもう捨てよう、というスローガンのもと、
処分しようかとも思ったのですが、
考えてみたら、今どき、ほとんどのマニュアルはインターネットで探せる、
ということを思い出して、見つけ出して、
10年間のホコリを払って、試しに作ってみたら、
ちゃんと作れるじゃないですか、
そして、これがまたすごくおいしい。
・・・ということで、10年の眠りから目覚めて、
ほぼ毎日、活躍してくれています。
おかげで、おいしいパンをいつも頂いています。
・・・改めて感謝。
でも、こういうことがあると、なかなか、またモノを捨てるのが難しくなりますね。(笑)
さて、今日の「ひびみこ」から。
今日はエゼキエル書21:1−17
「剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。・・・」9節。
今日の聖書箇所はあまりに恐ろしい、
厳しい裁きのところです。
こういうところを読むたびに思います。
「ここで何を自分は学べばいいんだろうか?」
「主はここから私に何を語ろうとしているんだろうか?」
そして、牧師としての私は、「教会の人たちはここからどんなことを感じるんだろうか?」と。
今朝もそう思いました。
でも、すぐに思わされました。
この怒りは、イエスの上に注がれたんだと。
この厳しい裁きは、十字架のイエスの上に下されたのだと。
私はすぐに十字架の深刻さ、
罪の恐ろしさを、軽く考えてしまいます。
本当はどんなに大きなことなのか、どんなに大きなことなのか。
本当ならば、私が受けなければいけない裁きが、
このイエスの上に下されたことを、忘れることがありませんように。
主よ、
罪の恐ろしさを忘れてしまいやすい、
軽く考えてしまいやすい私です。
どうか、いつもいつもそのことを思い出させてください。
No comments:
Post a Comment