2011-06-13

人生の重さ。

今日は曇り時々晴くらい。
昼間も25度止まりで、過ごしやすかったです。
夜になって冷えてきています。
12時前ですが、16度Cです。
そして、これから雨のようです。


明日一日ぐずついて、肌寒い日となりそうです。


先週の金曜日には、
一人のご婦人を訪問させていただきました。
84歳の方なのですが、
その方の人生の歩みをお伺いしながら、
その人生の重さを感じました。
60年前に日本からやってきて、
若くして夫を亡くし、
自分の力で踏ん張って行きていたその人生。
簡単に評価を下したりできないものを感じていました。
もちろん、その方も、私に会うのは聖書の話を聞くためなので、最後には聖書を読んで神様の話をして、お祈りをするのですが、簡単にものを言うことははばかられます。


その経験を通して、自分の聖書の読み方も反省させられました。
例えば、アブラハムが神様から声をかけられて、「自分の故郷を離れて、私が示す地にいきなさい」と言われたのは、75歳の時でした。


また、モーセが神様から声をかけられて、イスラエルのリーダーとしてエジプトでの奴隷状態から解放する働きを任せられたのは80歳でした。


そのような信仰者たちの人生の重さを考えていませんでした。
特にモーセが80歳で指導者に立てられたこと、
40歳の時に一度はリーダーとして自ら立とうと思ったこともありました。
でも、神はそれを許されませんでした。
なのに、ここでリーダーに立て、と言われても・・・という感じだったと思います。


でも、それだけではなくて、本当に語り始めたらきりがなかっただろう40年の日々。その重さに思いを馳せることがどれほど必要かと思います。そこで見えてくる聖書のメッセージ。聖書は真空の中で読むものではないな、と思わされます。


もっともっと聖書を読ませていただきたい、語っていただきたい、そのように思わされます。


さて、土曜日の聖書。
土曜日はテサロニケ人への第1の手紙3:1-13。


「私たちはこのような苦難に会うように定められているのです」3節。

苦しみに会うことは、
それも、信仰を持っているが故の苦しみに会うことは、
もう最初から決まっている、という。

だから驚くな、たじろぐな、
そういうのであろう。

なかなか難しいのだけれども、
織り込み済み、って気持ちは必要なんだと思う。

自分がこれから歩んでいく道、
楽しいことばかり、すべてが順調、なんてことはない。
「神様を信じているのにどうして・・・」という声も聞くけど、
ホントは反対なんだろうな、
神様を信じているから、苦しいこともある。
でも、神様がおられるから、大丈夫。

主よ、
あなたがおられるからありがとうございます。
私たちの歩む道には闘いや痛みもあることを教えてくださってありがとうございます。
どうか、次に苦しみが襲ってきた時に、この聖書のことばを思い出すことができますように。
そして、その苦しみの中であなたの平安に満たされて歩めますように。

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