2007-05-24

衰え果てる時

お祈りありがとうございます。
娘もすっかり元気になりました。

今日のキッズクラブの帰りの車の中での父と娘の会話。

「ねえ、パパとママと、○○と、
○○と、○○と(家族の名前を全部言う)、
みんな一緒に死んだ方がいいね・・・」

「え?」

「だって、一人ずつはさびしいじゃん・・・」

「さびしいけどさ、でも、神様は助けてくれるんだよ」

「スーパーマンみたいに?」

「・・・・そうじゃなくって・・・、一人でも、神様のところに行くから大丈夫だよ」

「でもさ、神様は死なないの?」

「神様は死なないよ。」

「ずるいなあ神様。」

「・・・・いやあ、神様死んじゃったら天国はさびしくなっちゃうでしょ・・・」

いろいろ考えているんですね。
最近、時々口にするんですよね。「死」ということ。

4月のカミさんの誕生日には
「ママ、4×歳になったんだ。やだな、もうすぐ死んじゃうの・・・」
・・・オイオイ・・・ちょっと違うんですが・・・。

私も5歳くらいの時、
よく怖い夢を見ました。

だからいろいろ感じる頃なんだろうと思います。
でも、時期的なことだけですませないで、
神さまと共に歩む平安を知って欲しいと思います。

26歳の時、
2回目の交通事故に遭いました。

夜、教会の集会が終わった後、
坂道のてっぺんから後ろ向きで降りてきた車を誘導していました。
でも、愚かなことに、その車の真後ろで「オーライ」とか言っていたのです。

そして、運転しておられた方が、クラッチを切って、
そのまま、ブレーキが踏めないで、「スー」っと加速して降りてきたのです。
「ストップ、ストップ、ブレーキ!」と叫びながら、
車の後ろをたたいたのですが、
運転しておられた方もパニックを起こされて、
そのまま、車は塀に激突。
塀と車の間にはさまれそうだった私ですが、
間一髪、身をひらりとかわして、逃げたつもり。
でも、どこかで頭を打ったらしく、頭には血がべったりでした。

すぐ病院に連れて行かれました。
意識もはっきりしていましたし、
そんなに激しく打った訳ではないことはわかっていましたから、
そんなに心配していませんでした。
実際、レントゲンの結果も、「大丈夫」でした。

でも、帰りに一枚の紙を渡されました。
そこには「頭を打った時には、そのときは大丈夫でも、
あとになって、脳に障害が出たり、命にかかわることもありますので、
以下のような症状が出たら、すぐに病院に連絡して、救急においでください。
・・・・
手足のしびれ、頭の痛み、吐き気、・・・」

人間、弱いもので、それを読んだら、
急に手足がしびれてきたような気がして、
頭が痛くなってきたような気がして、
吐き気がするような気がして・・・。

その時、思いました。
もしも、本当に自分にこのような症状が出てきて、
もしものことがあったら、
その時、死の川波を渡っていくのは、
自分一人なのだ。
どんなに誰かが「大丈夫だよ」と言ってくれても、
「私がここにいるよ」と、手を握ってくれても、
この世を去っていくのは、私一人なのだ、
そう思ったら、怖くて、さびしくて、悲しくて仕方がありませんでした。

「今夜は一人で寝ないように」と言われた私は、
ある方にお世話になりました。
入眠剤までもらって、夜、ベッドに入って、天井の模様をながめていました。
しばらく、悶々としながら、時間を過ごした後、
一つの聖書の言葉が私の心に響いてきました。

「たとい、死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたが私と共におられるからです」
詩篇の23篇の言葉です。

大丈夫だ、もし何かがあっても、
私は一人ではない、私と共に死の向こう側にも共に行ってくださる方がおられる。

そう思った時に、心に大きな平安が与えられました。
そして、
入眠剤なしでも、いつの間にか、眠りについていました。

今日は32度くらいまで行きました。
明日も暑い日になりそうです。
というか、今日よりももう一段暑くなるようです。
夏、到来となるでしょうか?

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の61篇を読みました。

「私の心が衰え果てるとき・・・」
2節の言葉です。

いつでも、「勝利です」と言いたい。
いつでも輝いていたい。
いつでもはつらつとしていたい。
そう思います。

でも、この詩篇を読んで、
この言葉に出会った時に、
「そういうこともあるよね」と思いました。
「心が衰え果てる時・・・」
でも、そんなときに、叫び声を上げることのできる方がおられるのは、
本当に慰めですし、励ましです。

自分の弱さや、「衰え果てる」ことを否定する必要もない、
でも、そんな中でも、私の希望であり、
私の力の源である方がおられる。

その主に今日も目を上げて、
今日も目を向けて歩みたいと思いました。

主よ、
今日の祈り会に感謝します。
共に祈る喜びを与えてくださったことに感謝します。
どうか、ペンテコステの日曜日に、
豊かな聖霊様の満たしを与えてください。
あなたが私の希望です。
どうかあなたの御業をなしてください。

人の力と神の力

日付は変わってしまいましたが、
2回目の更新。

下の娘も、なんとか、食べられるようになったみたいです。
帰ったら、夕食食べていました。
なんか新鮮でした。食べている風景。
まあ、ほっと一息です。って、何にもしていませんが・・・私は。

水曜日はまた気持ちのいい日でした。
木曜日はもうちょっと暑くなるようですね。
30度くらいまで行くみたいです。
先週の金曜日は10度くらいでしたよね。

なんだか、夏だったり冬だったりです。

水曜日の聖書。
水曜日は詩篇の60篇を読みました。

「どうか、敵から私たちを助けてください。
 まことに、人の救いはむなしいものです。」
11節の言葉です。

戦いの中で、神の助けを祈る歌です。
何が私たちの力かが問われているように思いました。

自分は人の助けをどれだけ求めているだろうか。
神の助けをどれだけ求めているだろうか?

日曜日の説教の準備をしながら、
また「祈りの人」になりたいと思いました。
かけ声だけではなく、
祈る人になりたいと思いました。
主は私たちを祈りに招いていてくださる。
祈る人になりたいと思いました。

主よ、
祈ることを教えてください。
祈りに招いてくださってありがとうございます。
人の力ではなく、あなたの力をあてにする者とならせてください。

2007-05-23

神の超越

今日はNYDayです。
こんな時間に時間ができたので、
一回目の更新。
夜、帰ってから元気があれば、やっと「一日一篇」が追いつきます。

今日も野菜の苗を紹介しましょう。
こちらインゲンです。


インゲンには「つるあり」と「つるなし」があります。
これは「つるあり」です。
「つるあり」はものすごい勢いでつるが伸びます。
放っておいたら何メートルまで伸びるんでしょうか?
わからないくらいです。
そして、次々と花が咲いて実がなります。
「つるなし」は30センチくらいで、どんどん花が咲いて実がなります。

長持ちは「つるあり」、
短期決戦は「つるなし」です。

今年も両方苗が育ちました。

「ニンゲン」はどうか?
「短期決戦」「長く次々と・・・」それぞれの持ち味ですね。

私は「つるあり」の方に魅力を感じますが、
いずれにせよ、「実を結ぶ」者となりたいと思います。

「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制・・・」

さて、昨日、火曜日の聖書。
詩篇の59篇でした。

「しかし主よ。あなたは、彼らを笑い、
 すべての国々を、あざけられます。」
8節の言葉です。

困難の中で、敵の攻撃の中で、
詩人は、主の支配を信じます。

主がすべてを超えておられることを見るのです。

本当に主の支配を信じている人は何と幸いなことでしょうか?

自分でじたばたする必要がないのです。
大騒ぎをする必要がないのです。

そのような主への絶対的な信頼を持っていたいと思いました。
主を信頼して、安心して歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたの守りを信頼します。
あなたがすべてを支配の元においておられることを信頼します。
どうか、私の信頼が
嵐の中でも守られますように。

2007-05-22

さばく神が地におられる

下の娘の調子の悪いのが5日目に突入。
でも、夕方からちょっとよくなってきた感じでもあります。

今日もまぶしいくらいのいい天気。
明日もまた今日と同じようないい天気のようです。

今年は野菜ネタが少ないのですが、
いくつかはやはり苗を育てています。

たとえば、これはキュウリ。


日本とアメリカで全然違う野菜の一つです。
去年はそれまで毎年やられていたグランドホッグとの戦いに勝利し、
100本以上収穫しましたが、
今年はどうでしょうか?
苗作りも去年よりもずっと遅れています。
去年は今頃もう定植していますが、
今年はまだ本葉がやっと顔を出したところです。

昨日、月曜日の聖書。
昨日は詩篇の58篇でした。

その最後の言葉。
「まことに、さばく神が、地におられる。」
11節の言葉が心にとまりました。

神様は正しい裁きをしてくださる。
その神様は天で私たちを見下ろしているのではなくて、
この地におられると。

この主に信頼していこうと思いました。
主が正しいことをしてくださるから、
主が正しい裁きをしてくださるから、
そこに委ねていこうと・・・。

だから、真実に、誠実に自分の働きを全うすればいい。
そのように思います。

主よ、
あなたがおられることを、
あなたはいつも正しい方であることを、
信頼します。
すべてをあなたの御手に委ねます。
あなたがすばらしいことをしてくださいますように。

2007-05-21

主の元に身を避ける

今日は朝はちょっとひんやりでしたが、
また昼間は暖かくなりました。
今週は日に日に5月らしい暖かさになるようです。

アスパラガスも、もう食べたくなるようなのが出てこないので、
しばらく収穫を止めて、のばすようにします。
秋口にはまた出てくるかと思います。

良く聞かれるのですが、
あの食べるアスパラガスと、
フラワーアレンジや観葉植物につかうアスパラガスは、
「同じ」です。

先っぽが開いて、ふわふわ~という感じになります。

今日もテレビ観戦ですが、
まあ、安心してみていられる感じです。
我らがマツイ君は今日はダメですが・・・。

あと、娘の腹下しは4日目に突入。
朝のうちは、今日はもう元気になったかなあ、と思ったら、
また午後からダウン。
まあ、焦らないことでしょう。
でもやっぱり痛々しいものです。

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の57篇でした。

「神よ。私をあわれんでください。
 私をあわれんでください。
 私のたましいはあなたに身を避けていますから。
 まことに、滅びが過ぎ去るまで、
 私は御翼の陰に身を避けます。」
1節の言葉です。

この詩の標題が「滅ぼすな」の調べに合わせて、ということで、
あのダビデが未だ王になる前に、
自分のいのちをねらっていた当時の王のサウルを、
討つチャンスがあったのに、
「彼は神に選ばれた王だから・・・」と自ら手を下そうとしなかった事件を
思いながら歌われた詩だと言うことでしょう。

だとすると、
この「神に身を避ける」と言うことの意味の深さを思わされます。
自分が手を下すチャンスがありながら、
「私は主に委ねます」と主を信頼しているのです。

主を信じる、ということの壮絶さを思わされます。

主よ、
私もあなたを信じます。
あなたを信頼します。
あなたがなしてくださることを信頼します。
あなたの義をあらわしてください。

2007-05-20

みことばをほめたたえる

今日は午後から暖かくなりました。
そして、夜、久しぶりのテレビ観戦ですが、
久しぶりにスカッとした試合運びです。
未だ終わっていませんが、このまま勝ってくれることでしょう。

もっともっとこういう横綱相撲を取って欲しいもんです。
もちろん、相撲ではなくて、野球の話題ですが・・・。

あと、先週の週末は私が調子悪かったですが、
今週は一番下の子が同じような感じです。
でも、自分ではないぶんだけ、痛々しいです。

早く元気になって欲しいです。

今日の礼拝はまた幸いな礼拝でした。
教会が教会としてしっかり立っていくことができるようにと、
再出発できるようにと願います。

さてさて、昨日土曜日の聖書です。
昨日は詩篇の56篇を読みました。

「神にあって、私はみことばをほめたたえます。
 主にあって、私はみことばをほめたたえます。」
10節の言葉です。

御言葉をほめたたえる。
それはやはり御言葉の力を知るから。
御言葉がどれだけ力あるものかを知るから。

御言葉がその通りになることを知るから。
御言葉が私たちを探り、
私たちをきよめ、戒め、正しい道に導くことを知っているから。

主よ、
あなたの御言葉をほめたたえます。
御言葉の力の故に感謝します。
これからも、あなたの御言葉に従って歩んでいくことができますように。
あなたの御言葉を聞きながら歩んでいくことができますように。
教会を教会として整え、守り、成長させてください。

2007-05-19

あなたの重荷を主に委ねよ

いやあ、寒いですねえ。
今日は一日10度くらい。
時々雨が降る肌寒い一日でした。

もうすぐメモリアルデー、行楽シーズンの幕開けなのに、
まあ、こう寒いと、まだまだパッチが手放せません。

もうすぐ教会が誕生したペンテコステの日曜日がやってきます。
教会学校では、教会はどうして誕生したかを5月は3回にわたって話します。

「祈っていた人々から始まった」
「聖霊様の力によって生まれた」
「悔い改めた人々によって生まれた」

子供たちへの話ですが、
教会全体でとても大切な学びだと思いました。

もう一度原点に戻って、
教会が祈りと聖霊様と悔い改めによって再生するのを
見せて頂きたいと思います。

今年のペンテコステ、楽しみにしています。

なかなか追いつけませんが、
今日も一日遅れて、昨日の分の更新。

金曜日は詩篇の55篇を読みました。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。
 主は、あなたのことを心配してくださる。
 主は決して、正しい者がゆるがされるようには
 なさらない。」
22節の言葉です。

この詩も、苦しめられている中で歌われた詩です。

6-8節にはこのようにあります。
「ああ、私に鳩のように翼があったなら。
 そうしたら、飛び去って、休むものを。
ああ、私は遠くの方へのがれ去り、
 荒野の中に宿りたい。
あらしとはやてを避けて、
 私ののがれ場に急ぎたい。」

なんだか、この気持ちがよくわかります。
共感できます。

でも、そこには解決はないことがわかっています。
何の解決にもならないことを知っているのです。

ですから、ずっと読みながら、
22節の言葉が出てきた時には、
本当に主が語ってくださったことを感じました。
心から主に感謝しました。

重荷を主におゆだねすればいい。

主が心配してくださっているのだから。

主が助けて守ってくださるから。

主よ、
あなたの語りかけに感謝します。
「わたしにゆだねなさい」と語ってくださってありがとうございます。
あなたが心配してくださっていますから、ありがとうございます。
あなたに委ねます。
あなたの御業を見せてください。

2007-05-18

私を弁護する方

今日はまた寒いくらいの日でした。
朝晩は10度くらい。
昼間、ちょっと暖かくなって15度くらい。

朝6時に出てJFKの空港に行ったら、
雨が降っていました。

でも、帰ってきたら全く降っていなくて、
一日ほとんど降っていないと思います。

明日も今日と同じような感じで、
「降るのかなあ・・・」という一日なりそうです。

さてさて、今日もあと20分ほどですが、
ここで昨日、木曜日の聖書箇所です。
詩篇の54篇でした。

この詩も、敵の攻撃にあって、苦しんでいる中に書かれた詩です。
その中で心にとまったのが、最初の1節の言葉です。

「神よ。御名によって、私をお救いください。
 あなたの権威によって、私を弁護してください。」

主が弁護してくださる。
主ご自身が私を弁護してくださる。

「主だって、私のことなんか、弁護しきれないだろうなあ」と思うところもあります。
主に弁護なんてしてもらう資格がないだろうなあと思います。

でも、主に弁護して頂けたら、どんなにうれしいことかとも思わされました。

ローマ人への手紙8章34節を思い出しました。

「だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである」

今も、主が私のことを弁護してくださっている、
その幸いを思わされます。

そんな資格なんかない。
でも、そうして頂ける幸いを思わされます。

主よ、
今日も私の心を探って、
不純なものを燃やし尽くしてください。
あなたの弁護をいただけるほど、立派な人間ではないことを感じています。
資格なんかないそんな者であるのに、
ただただ、あなたの憐れみによって、弁護して頂けることを感謝します。
そのこと自体に恐れを感じます。
どうか、あなたの弁護を感謝する思いを忘れることがありませんように。


2007-05-17

おそれるべきもの

今日は昨日までとうってかわって、
さわやかな一日となりました。
ちょっと雲が多めでしたが・・・。

明日は時々雨も降る、ぐずついた天気になるようです。
というか、いつ雨が降り出してもおかしくないほど、
周りには雨雲がいっぱいです。

このぐずつき感は、日曜日まで続くようです。

さてさて、今日は時間も遅くなってきているので、
すぐに聖書。

昨日、水曜日の聖書箇所は詩篇の53篇でした。

「見よ。彼らが恐れのないところで、
 いかに恐れたかを。」
5節の言葉です。

恐れのないところで恐れる。
つまり「恐れる必要のないところで恐れる」ということなんでしょう。

そうなんでしょうね。
人間の問題というか、自分の問題というか、
恐れるべきことを恐れないで、
恐れる必要がないことを恐れていることがどれほどあるのだろうかと思わされます。

恐れてはいけないことを恐れていること、
恐れる必要なんかないことを恐れていること、
どれほど多くあるのでしょうか?

恐れるべきことを恐れ、
勇気を持って歩んでいく者でありたいと思いました。

恐れるべきこと、それは神御自身、
神を甘く見てはいけないと思います。

恐れなくていいこと、
見えない将来の道、
人の顔色、
怒っている人の声・・・。

「完全な愛は恐れを取り除く」・・・本当に愛にあふれた者になりたいと思いました。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたの前に歩むことを教えてください。
人を愛することを教えてください。
恐れることから解放してください。
恐れるべき者を恐れ、
恐れるべきでないものを恐れない、
強さを与えてください。

2007-05-16

神こそ我が力

今日も暑かった・・・。
32度くらいまで上がっていました。
そして、午後3時半頃に雷雨。

そのあと、しばらく雨が降って、今はもうやんでいます。
17度くらいまで下がりました。

明日からは涼しい毎日だそうです。

花粉がやっと峠を越そうとしています。
今年はちょっと短くすんだかも知れません。

昨日今日と暑くて、そして雷雨が降ってくれましたから・・・。


犯人はおそらくこの花。
花全体がおしべという恐ろしい花です。

この花をつける木はoak treeです。
そのoak treeがうちの前の通りには町の街路樹として、
たくさん植わっています。

ですから、この花が落ちると、
通りがこんなになります。


この道の隅にたまっているのが、上の花がたくさんからまったやつです。
その中にはもちろん、たくさんの花粉が混じっています。

oak treeの花粉はスギ花粉とは別系列のアレルギー、
シラカバ系の花粉アレルギーを引き起こします。
私の場合、鼻よりも、目に来ます。
昨日の夜、バスを降りて、南風の吹く中、
この街路樹の中を200メートルくらい歩きました。
それで、今日一日、目がかゆくて仕方がありません。

「誰だ!こんな木を街路樹にしたヤツは!」モードです。

ちなみに、秋にはドングリが落ちます。
子供が集めて喜ぶのにはいいのですが、
放っておくと、翌春には芽が出ます。

何を街路樹にするか、もうちょっと考えて欲しいものです・・・。

さて、元気を出して、
火曜日の聖書。
火曜日は詩篇の52篇を読みました


「見よ。彼こそは、神を力とせず、
 おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」
7節の言葉です。

詩篇を貫くテーマでしょうが、結局自分たちが何を頼みとしているかが、
問われているのだと思います。
強がったりしないで、自分の持っているものを頼りにするのではなくて、
主を頼りにすること、
それを主が求めておられることなんですね。

自分も、口で言うのは簡単ですが、
結局のところ、何を頼りとして歩んでいるのか、
何を頼りにして、生きているのか、
問われているのだと思います。

もっともっと主に探って頂きたいと思いました。
本当の自分の姿が主によって知らされて、
それによって整えられてきよめられる必要を感じます。

主よ、
どうか、私を探ってください。
私が本当にあなたを頼りにしているか。
本当にあなたが私の力であってくださっているか、
それを探ってください。
そして、あなたを頼りとすることを教えてください。

2007-05-15

JOYJOY Camp 2007申し込み開始!

JOYJOYキャンプの申し込みが今年も始まりました。
日程は7月30日(月)~8月3日(金)

郵便での受付で、締め切りは6月2日必着。

今年のテーマは「ワンダー博士の大冒険」。

申込書はここをクリックして、プリントアウトしてください。

砕かれた心

今日は本当に暖かくなりました。
何度まで行ったかわかりませんが、
ほんと、暑いくらいでした。

夜になってもなんだか、もやっとしています。
ただ、今日はゲストの先生とNYに行ってきたので、
帰りのバスは寒いくらいで、絶対長袖必要。
この国のエアコンは日本人にはめっちゃきつい。
で、これからの季節は、半袖+羽織るモノ。これ鉄則ですよね。

そんなことで、今日先生をご案内した
○ンパイアステートビルの展望台。

ご案内のために何回目?って感じですが、
初めて気がついた、脱力系の日本語。

NJにお住まいの皆さんは、
もう「ご案内」で何度も行ってご存じのネタかもしれませんが、
こちらの観光地によくある、1セント玉(ペニーという名前がある)をつぶして、
記念にする機械。うちの子たちも大好き。
その説明書の日本語訳。



これ、ちょっと読みにくい(or 判読不能)のですが、
それ以上に理解不能。
ぜったい、翻訳ソフトを使ったに違いないです。

英語がわかる人は英語を読めばいいです。
英語読んだら、何でこうなるのか、日本語も、まあ、想像はつきますから。
でも、わからない人は、日本語読んだらもっとわからない。

最初の「つのトークンおよび1のペニー」という日本語は、
まあ、最初の1が何らかの理由で抜けたんだろうなあ、というのはわかります。
で、予想通り、英語はこう。
"1 token and 1 penny"

「チェンジャーからトークンを得なさい」という日本語も、
まあ、ちょっと高飛車な感じが、かわいかったりするので、
個人的には好みだったりします。

しかし、ステップ1になるともうついていけません。
ここ、写真では最初の2文字が読めないのですが、
実は「設計するべきマッチの矢」。

???

でも、英語を見ると納得です。
"TURN WHEEL, MATCH ARROW TO DESIGN"
なぜか、最初の一文が無視されているのですが、
あとはまあ、そうなるか、というわけです。

ステップ2は、
「1つのトークンおよび1のペニーに置かれる」
何が?ねえ、何が置かれるの?って感じはしますが、
まあ、いいことにしましょう。
英語はもちろん、
"Put in 1 token and 1 penny"

そして、ステップ3は、
「ペニーまでの回転車輪は次に落ちる」となります。
これをまた英語に直すのはかなり難しいです。

"Turn wheel until penny drops below"

まあ、大賞はやはりステップ1でしょうね。
"match arrow to design"=「設計するべきマッチの矢」

あ、それで、もう一つなんですが、
朝書いたのハーゲンダッツの味見。
1軒目では「プリントしたものを持ってこなければダメ」
2軒目では「フリーの分は終わっちゃった、今はプリントがなければダメ」だって!

販促のためにやっているんだと思うんですけど、
そんなのってアリなんでしょうかねえ。
もう二度とハーゲンダッツを食べないぞと思いました。
でも、すぐに思い直して、1ヶ月、いや1週間は食べないぞ、と思いました。
(あ、でも、誰かがごちそうしてくださるときは、もちろん、その限りではありません・・・)

近所だったら、速攻で帰ってプリントしてくるんだけど、
NYでしたから、それもあきらめ。
ボリビアから来られたゲストの先生、ホントがっかりしておられました。
ボリビアではハーゲンダッツ売っていないんだそうです・・・。
帰ってからそんな話を伺って、
タダで試食できなくても、
その場で強引に買って、先生どうぞ、ってすればよかった、と後悔・・・。

さてさて、昨日、月曜日の聖書。
月曜日は詩篇の51篇を読みました。

「たとい私がささげても、
 まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。
 全焼のいけにえを、望まれません。
神へのいけにえは、砕かれた霊。
 砕かれた、悔いた心。
 神よ。あなたは、それをさげすまれません。」
16-17節。

日曜日に続いて、
「神の喜ばれるいけにえ」はなにか?
ということ、
日曜日は「感謝」ということ、
そして、月曜日は「砕かれた心」。

何かを「やっている」ということよりも、
自分の弱さや、自分の足りなさを認めて、
主の前に出ること、
そして、主が私のためにしてくださったことに、
感謝していくこと、
それなんだなあと思わされる。

自分はどうだろうか?
何か主のためにささげたことに
満足していないだろうか?
何か主のためにしたこと、
人々のためにしたことを振り回していないだろうか?

主よ、今、私の心を探ってください。
私の心に自分があなたのためにしたことに、
私があなたにささげたものに、こだわっているところがあるならば、
主よ、そこを砕いてください。
その傲慢を砕いてください。
そこにこだわっていた私の罪を赦し、きよめ、
あなたの恵み深さに、目を留める者としてください。

感謝をささげる

今朝は4時とかに目が覚めずに、
しっかり目覚ましが鳴るまで眠れました。
絶好調です。
感謝。

今日はハーゲンダッツのアイスクリームの新フレーバーが試食タダだそうです。
夕方の4時から8時。
Retreatの講師をされた先生はアイスがお好きなようなので、
ご一緒しようかな。
でも、この2つのニューフレーバー、ちょっと両方甘そうです・・・。
先生が召し上がって失敗したという
「ゴーヤアイス」みたいなことはないでしょうが、


今日は暖かな暑い日になりそうです。
最高の予想が30度超!
でも、夜はやはり10度台に下がるようですので、要注意。

日曜日の聖書の分。
日曜日は詩篇の50篇を読みました。

「感謝のいけにえを神にささげよ。
 あなたの誓いをいと高き方に果たせ。」
14節。

いろんなささげものをささげているから自分は神様に喜ばれている、
と思っていた人々に対しての
メッセージは、
神はすべてのものを支配しているのだ、
大切なささげものは、
「感謝」だと。

自分はいったい感謝をささげているだろうか。
具体的に言えば、何に感謝をささげていると言えるだろうか、
思わされました。

そして、一つ一つ、感謝をしていきました。
心配事ばかりに目がいってしまいやすい者です。
こんなにたくさんの感謝すべきことがあるのに、
それを忘れてしまっていることに気が付きました。
どこに注目しているかによって、
他のものが見えなくなってしまいやすいのだと思いました。

与えられている教会の一人一人の故に
心から感謝しました。

主よ、
感謝します。
あなたがたくさんのよいもので私の歩みを満たしてくださっていることを。
一つ一つの出会いを与えてくださっていることを。
私の目の焦点を、あなたに合わせ続けていくことができますように。
あなたの与えてくださっているよいものに合わせ続けていくことができますように。

2007-05-14

恐れなくてもいい

Retreatが始まるという日の朝から、
おなかを壊して、調子悪かったのですが、
(なぜか、今年3回目。こんなの初めて・・・+元旦とかRetreatとか目立つ時に・・・)
ようやく、夕食からふつうに戻りました・・・たぶん。

でも、明日は朝から教会で祈り会なので、
体力温存のため眠くなる風邪薬を飲んで早く休む予定・・・。

明日は暖かい南風が吹く日となりそうです。

土曜日の聖書。
土曜日は詩篇49篇を読みました。

どうして私は、わざわいの日に、
 恐れなければならないのか。
 私を取り囲んで中傷する者の悪意を。
5節。

あんまり、人の悪意ということを感じたことはありません。
「お人好し」と言われてしまうこともしばしば。
詐欺の被害に遭ってもおかしくないと言われたり・・・。
というか、本当に遭いそうになったり・・・。

でも、イエスも
「へびのように賢く、はとのように素直であれ。」(マタイ10:16)
と言われているので、鋭さも必要なんだろうなと思います。

でも、もしもそういうことがあっても、
すべては主のみ手の中にあるから、
恐れる必要はない。
たとえ悪意が動いていたとしても、
それも恐れる必要はない。

最後の最後には主が正しいことをしてくださるから・・・。

主よ、
私を守ってください。
悪意というものが働く時にも、守ってください。
平安と賢さを与えてください。

神の宮の中で

昨日、3時過ぎに無事に帰着。
その後、荷物の片づけや今日以降のための準備のために
教会に寄って、帰ったのが5時過ぎ。

9時過ぎには休んでしまいました。
で、「これ飲んで寝たら、明日の朝早く目が覚めることもないだろう」
という眠くなるアレルギーの薬を飲んで寝たのですが、
ばっちり目が覚めたら4時。

ま、いいか、と起き出して、更新しています。

Retreat。
やはりよかったです。
体調が今三くらいで、
後半だんだん持ち直してきたところだったので、
あと1泊あれば、もう少しよかったのでしょうし、
もっと皆さんといろいろ個人的にお話ができればよかったと思うのですが、
必要なひとときであったと思います。

4回の集会を通して、
イエスが私たちのために祈ってくださっていること、
そして、何を祈ってくださっているかということについて、
ボリビアで沖縄からの移住者のために宣教しておられる
先生が語ってくださいました。

私個人では、最初の集会で語られた、
「永遠のいのちの豊かさ」をもっともっと味わいたいと思わされました。
ちょっとした嵐でぶっ飛んでしまうような「いのち」ではなくて、
嵐の中でも堅く立っていくことのできるようないのちを
味わっていきたいと思わされました。

2回目の集会はちょっと限界を超えてしまって
部屋に帰って休んでいましたので、
あとで、録音を聞くのを楽しみにしています。

さて、金曜日の聖書。
詩篇の48篇でした。

「神よ。私たちは、あなたの宮の中で、
 あなたの恵みを思い巡らしました。」
9節の言葉です。

一人一人で神様のことを思うこともできるはず。
でも、私たちは特定の場所で、
みんなで集まって主の前に出る、
共に主に祈り、共に主の恵みを思うことも幸いなこと。

新約の時代に生きている私たちにとって、
この「宮」というのは、信仰者の共同体。
人々の集まりとしての教会を指しています。

そこで、共に集まる中で、
励まされ、目が開かれ、悔い改めに導かれ、
成長していく喜びを感じます。

もっともっとそのことを具体的に経験していきたいと思いました。
たくさんの方々が新しく教会に加わることも喜びですが、
それだけではなくて、
教会の中で、共に成長していく喜びを経験できればと思います。

主よ、
新しい朝を感謝します。
修養会の3日間を感謝します。

新しく歩み出していくことができますように。
共に歩む喜びを教会の中に満たしてください。
主によって取り扱われ、
整えられていく喜びを経験させてください。

新しい一週間に主がすばらしいことをしてくださいますように。

2007-05-11

今日からretreat

今日から日曜日までRetreatです。

これは「退く」ことです。
退いて、神様の前に出て祈ることです。

イエスも何度かそのようにされました。

その間、更新はお休みします。
コメントもすぐには反映されないかも知れませんが、
私がコンピューターから離れているので、
あしからず。


2007-05-10

畏れと喜び

今日は暑かったです。
ちょっと蒸し暑くも感じました。
日本から来られている方にとっては、

こちらはからっとしているそうですが・・・。

今夜、雷雨とか言っていましたが、
大したことはないようですね。

明日も一時雨。

花粉症には、花粉を一気に流してしまうような雨が欲しいのですが・・・。

昨日のことですが、
午後、病床訪問で、Roosevelt Islandに行ってきました。

2回目なのですが、
前回は車で行ったので、楽だったのですが、
今回は地下鉄。

「迷わないで行けるかなあ」と思いましたが、
そこはマンハッタンの東を流れるEast Riverに浮かぶ細長い島。

幅が200メートルくらいしかないので、
迷うことはあり得ないくらいのところでした。

暑い中、コンピューターと、聖書と、本を詰めた鞄を持って、
30分はちょっときつかったですが、
無事、目的地に着きました。

しばらくお話をして、帰り道、

なにか、「いいなあ、ここ」と思いました。
ウォーターフロントで、なんか、自分の育った東京の下町と似ているんですよね。


高層アパートがあったり、
川が流れていたり。

高層アパートの中庭では子供たちが遊んでいたりして。

地下鉄に乗って、10分くらいで、ミッドタウンの、
「いかにもNY」って観光地かつビジネス街に出ちゃうんだから、またこれがすごい。

ちょっとあこがれてしまいました。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の47篇を読みました。

「まことに、いと高き方主は、恐れられる方。
 全地の大いなる王。」
2節の言葉です。

神様は恐れられる方。
恐るべき方。

しかしまた、
「神は喜びの叫びの中を、主は角笛の音の中を、
 上って行かれた。」
5節にはあります。

神様は私たちの喜びの叫びの中を通って行かれる方。

畏れと共に喜びがある。

根底にあるのはやはり「畏れ」なんだろうなあと思います。
神様の前に出る権利も、資格もない。
そんな者が、おそれおおくも、
御子の十字架によって、
「神の子」とされている。

何ということかと思います。

そこに喜びがある、そのように思います。
恐れない喜びは、あまりに表面的で、
あまりに自己中心的な、喜びだと。

主よ、
あなたが私たちを受け入れてくださること、
神の子としてくださったことに感謝します。
あなたの前に出る資格もない者であることを、
今日も忘れないように、守ってください。
一瞬たりとも忘れないように、守ってください。


2007-05-09

静まれ

今日はNYの日で、
夜はもう更新の元気がないでしょうから、
NY のPublic Libraryから・・・。

今朝はもっと暖かいかと思って期待しましたが、
10度を切っていました。

そして、今日もすかっと晴れ。

暖かい一日になりそうです。
NYはさすがに花粉もそれほどひどくなく、
助かっています。

昨日、教会の用事で郵便局に行ったら、
rate change 5/14と掲示がしてあるではありませんか。
来週から封書が41セントになるんですね。
知りませんでした。

それからシステムががらっと変わるんですね。

重くなるのはあまり高くならないのですが、
大きな封筒の場合は高くなります。
なんだかUSPSのページを一生懸命読んでしまいましたが、
わかったようなわからないような・・・。
結局、機械化が進んでいるから、
機械に通りやすいのは安いけど、
そうじゃないのは高いですよ、ということかな。
郵便局行って聞かないと・・・です。

今日の聖書。
今日は詩篇の46篇でした。

「それゆえ、われらは恐れない。
 たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。」
2節の言葉です。

これを読みながら思いました。
「本当だろうか」と。
本当にそんなことがあっても自分は恐れないだろうかと。
9/11の時、自分は本当に恐れました。
だったら、天変地異があったら、恐れないだろうか、
恐れるのではないだろうかと思いました。

そして、信仰を守る人もいれば、
いろんな理屈をつけて、
信仰を捨てたり、
骨抜きの信仰を提案する人も出てくるでしょう。

そんな中で自分は堅く立っていけるだろうかと思います。

そんなことを思いながら読んでいた時に、
心にとまったのが、
「やめよ。
 わたしこそ神であることを知れ。」
10節の言葉。

口語訳では
「静まって・・・」ですが、
そう、嵐の中でも天変地異の中でも、
この言葉をいただいていけば大丈夫だと思いました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」です。

本当に静まることが大切だと思わされました。
そして、神を神とすること、
神様が答えを与えてくださること、
神様が解決を与えてくださること、
それを信頼していくことの大切さを思わされました。

恐れてしまうかもしれない。
たじろいでしまうかもしれない。

でも、その中で、「私こそ神であることを知れ」と
主が語ってくださったら、大丈夫だと思いました。

主よ、
今日私に語ってくださってありがとうございます。
「私こそ神であることを知れ」と。

恐れないで、
何ものにも恐れないで進んでいくことができますように。

2007-05-08

喜びと楽しみ

今日は昨日よりぐっと暖かくなりましたが、
明日はまたぐぐっと暖かくなるそうです。

予想は26度。
でも30度近くまであがるかもしれません。

今日、車で走っていたら、
前の車の後ろに、こんなステッカーが貼ってありました。

"God Wants Spiritual Fruits, Not Religious Nuts"

うーん、とうなってしまいました。
まず「うまい!」と。
そして、その後、「自分は大丈夫か、うちの教会は大丈夫か」と。

「神様は御霊の実を求めておられる、宗教的な変人を求めておられるのではない」
という意味なんですが、御霊の実の「実」がfruitsで、変人がnutsで、対応しているのがミソですよね。

本気で御霊の実を求めていきたい、と思いました。
変人になっちゃいけない。

聖霊様を求めていく。
宗教的なふりをするなんて意味がない。

御霊の実を求めよう。

今日の聖書。
今日は詩篇の45篇を読みました。

「喜びと楽しみをもって彼らは導かれ、
 王の宮殿に入って行く。」
15節。

王様のための詩です。

もちろん、私たちは、ここで王様を、
イエス・キリストとして読みます。

イエスがおられるところに、
私たちは喜びと楽しみをもって入っていく。

なぜ?

私のためにすべてを投げ出すほどしてくださったから、
というのがやはり自分の答えだなと思います。

他の何ものでもなく、
主が私のためにすべてを投げ出してくださったが故に、
私の罪を赦すためにそこまでしてくださったが故に、
イエスの元に行くのが楽しみなんだと思いました。

感謝。

もっともっとこの感謝を自分の生活の中心にしていこう。
ここに歩んでいこう。

主よ、
あなたの愛の故に感謝します。
十字架の恵みを覚えて感謝します。
どうか、あなたの愛の中に喜びと楽しみの中に、
歩ませてください。

明日の一つ一つの出会いを祝福してください。


2007-05-07

弓に頼りません

あ、カラーが戻ってきました。
今朝は本当に冷えて、4度まで下がりました。

昼間も21度くらいで、
一度暖かいのを経験すると、
ちょっと肌寒く感じます。
それに、今はあまり外に出られないので、
家の中にいると余計、寒く感じます。

明日から、暖かくなるようです。
水、木は暑いくらいだそうです。

今日は月曜日でお休みをいただいているので、
夜はゆっくりテレビ観戦です。

9回に出てきたYankeesのRivera(HR打たれて負け投手になっちゃいましたがね)も、
明日先発予定のPettitteも熱心なクリスチャンです。

Cardinalsのソウ君もクリスチャンになったと聞きました。

アメリカではチームにチャプレンがいたり、
試合前に共に祈ったりすることもあるといいます。

日本では中学高校で日曜日に練習があったり、試合があったりするので、
スポーツをする→教会に行かなくなる
教会に行く→スポーツはできない
という感じになってしまって、もったいないなあ、と思います。
何とかならないのかと・・・。

自分が初めてグローブを手にした時のことを思い出していました。
2年生くらいだったでしょうか?
それまでは、カラーボールで「手打ち野球」をしていました。
でも、ある日、近所で屋台を引きながらおでん屋をしているおじさんが、
声をかけてくれました。

「練習しよう」

初めてのグローブ。
初めての軟球。
そして、そのおじさんのことはよく知っていましたが、
そんな風に遊ぶのは初めて。

そして、そのおじさんは一生懸命教えてくれました。
投げ方、ゴロの取り方、一つ一つ丁寧に教えてくれました。
空き地ではなくて、うちの前の路地で。
塀にぶつけて、取る練習を何十球もやりました。
でも、なかなかうまくいかなくて、
自分のオヤジに教えてもらっているわけでもないので、
なんだか、今ひとつ一生懸命になれなかった自分がいました。

「うちのヒデはもっと一生懸命やったぞ・・・」

励ましてくださったつもりだったかもしれませんが、
ちょっと気持ちが切れてしまいました。

自分もオヤジに教えてもらいたかった・・・。

親になった時、
下手でもいいから、
最初だけは自分の手で教えてやりたいと思いました。

Marianoはどんな風にして野球を始めたのでしょうか?
そんなことを思いながら、見ていました。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の44篇です。

「私は私の弓にたよりません。
 私の剣も私を救いません。」
6節。

弓に頼らない、剣に頼らない、
それはどういうことだろうかと思う。

気持ちの問題だけなのであろうか?
気持ち的に、あてにしないということなのだろうか?

まさかそうではないだろう。

本当に主を信頼して、
主が働いてくださること、
主が御業をなしてくださることを、
教えて頂きたいと思いました。

本当は何をあてにしているのか、
本当はどうやって事態を打開しようとしているのか、
現実の出来事の中で問われてくるのではないでしょうか?

自分は単純に祈りつつ主を信じて歩む者でありたいと思います。
「エリヤのカラスは今も生きている」と口癖のように言われていた、
信仰の先輩の姿に習いながら歩んでいきたいと思います。

主よ、
あなたを頼ります。
あなたを信頼します。
あなたがすべてを満たし、
すべてを導き、
一人一人に語ってくださいますように。


2007-05-06

光を送ってください

なんだか、今朝から文字に色を入れられません。
で、ベタでいきますが、

今日もさわやかな一日でしたが、
夜はかなり冷え込むようです。

朝の最低の予想が3度。

場所によっては霜も降りるかもです。

花粉症が本格的になってきましたが、
ここ4-5年、フルーツでのどや耳の中がかゆくなるようになりました。
調べてみると、シラカバ系の花粉症の人は、フルーツにも来る場合が多いみたいです。

家の前の通りの街路樹に使われているoak treeもシラカバ系です。

イチゴやリンゴ、ナシやサクランボ、モモ、プラム、軒並みダメです。
フルーツは元々大好きなので、とても悔しいです。
すべて火を通してあるものや、缶詰などは大丈夫ですが、
いつだったか、うっかりストロベリーアイスを食べたら、
かゆくなりましたねえ。凍らしてあるやつは生と同じなんでしょうね。

そして、今朝、生のニンジンを食べていたら、なんだかのどがどんどんかゆくなってきて、
もしかして・・・と思って調べたら、シラカバ系の花粉症は
ニンジンにもアレルギーが出ることがあるようです。

アレルギーって現代病といわれますが、
やっぱシチーボーイだからねえ・・・。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の43篇でした。

「どうか、あなたの光とまことを送り、
 私を導いてください。
あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かって
 それらが、私を連れて行きますように。」
3節です。

主の光が与えられると、
それに導かれて歩むことができる。

そうか、と思いました。
光を見ながら歩んでいたら、
光の方を見ていたら、
神様の喜ばれる方向に進んでいくことができる。
主が導いておられる方向を知ることができる。

大切なのは「光を見ていくこと」
光を見つめていくこと。

いかに正反対に
いろんなことに心をとられて、
正しい判断ができなくなっていることが多いかと思います。
光を見つめていくこと、
主を求めていくこと、
それがいまの自分にとって一番大切なことだと思わされます。

主よ、
どうか私の行く道を導いてください。
あなたの願われるところに行かせてください。
あなたの光を見つめて歩むことができますように。

主を求める

日曜日の朝になりました。
今朝もさわやかな朝です。

個人的には、さすがに朝起きても花粉症が残っている、
というのがきつくなってきました。
日本で「俺花粉症かな?」と思い始めた24歳くらいの頃、
何も考えないで、布団を干して、気持ちよく寝た翌朝、
鼻で息ができなくなったことがありました。

さすがに最近はそこまではしませんが、
うっかり外に長い時間いると、大変なことになってしまいます。

さて、昨日土曜日の聖書。
昨日は詩篇の42篇を読みました。

「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、
 神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
私のたましいは、神を、生ける神を求めて
 渇いています。
 いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。」
1-2節。

カルフォルニアにいたときに、
砂漠の中に「鹿注意」の看板があることがありました。
東海岸にいると、鹿は森の動物、という感じがしますが、
乾燥地帯にも鹿はいて、
「谷川の流れをしたいあえぐ」という言葉がぴったり来るようなことがあるんだろうと思います。

渇きの中で、どうしようもない渇きの中で、
満たしてくださるのは、
私を満たしてくださるのは、
本当に主だろうか、
私は本気で主の満たしを求めているのだろうか、
問われるような気がしました。

他の何ものかで心を満たそうとしていることはないだろうかと。


ただ、主を求めて、
主から答えをもらって、
主に力を満たして頂いて、
歩む者でありたいと思いました。

主よ、あなたを求めます。
あなた以外のもので、
私が満たされることを求めることがありませんように。
あなたに満たして頂けることの、
渇きをいやして頂けることの、
慰めをいただけることの、
解決をいただけることの、
すばらしさを経験させてください。

2007-05-05

眠いので・・・

もう休みます。
朝もかなり早く目が覚めてしまったので、
すぐ、夢の国に行けそうです。

更新は明日の朝。

ではでは。

2007-05-04

誠実

今日も朝は7度くらいまで下がりましたが、
昼間は23度くらいまで上がるさわやかな日でした。

ちょっとこの後も天気がいいようですから、
芝生の種が芽を出すように、
これからはちゃんと水やりをしなければ・・・。

明日はカミさんと私が、神と人との前に誓いをして17周年の記念日。
明日は土曜日で、そんな時間は取れないので、
今夜、出かけてきました。

今日はヒデキ君も、イチロー君も、ケイ君も、ケンジ君もみんな勢揃いの日だったので、
いっちょ激励に行こうかと思いもしたのですが、
遅くなると明日の早朝祈祷会に響くかと思い、止めておきました。
帰ってきて、息子に試合の様子を聞いて、「やめてよかった」という感じです。
両チームボロボロだったみたいですね。
ちらっとテレビを見たら、最後までどうなるかわからない展開だったようですが・・・。

いろいろありますが、主が支えてくださっていることに感謝。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の41篇を読みました。

「誠実を尽くしている私を強くささえ、
 いつまでも、あなたの御顔の前に立たせてください。」
12節です。

この詩人も大きな苦しみの中にいます。
信じていた人々にも裏切られ、
また悪い噂を広げられて、
孤独のどん底にいました。

そんな中で、でも、彼は主に対して誠実でした。
それだけが支えであり、胸を張って主の前に出ることができました。

私も誠実な者でありたいと思いました。
主に対して誠実な者でありたいと思いました。

主よ、
どうか私の歩みを守り、
あなたに対して、人に対して誠実な歩みをさせてください。
あなたはすべてを見ておられます。
そのあなたの前に真実であらせてください。

2007-05-03

自分で自分を見捨てる

今日もさわやかな一日でした。
ここに来て、暑すぎず寒すぎず、
・・・寒がりの私にはちょっと朝晩が寒いんですが・・・
とても気持ちのいい日です。

明日もこの感じが続くようです。

今日もアスパラガスが8本。
まだまだ行きます。

去年は2年目ということで2週間で21本でしたから、
今年は何倍行くでしょうか?
今のところ28本。

それから、今日は昨日までなかった花粉症がいよいよ始まったという感じです。
家の通りの街路樹のoak treeが今満開。
これから2週間くらいが一番きつくなりそうです。

今日の聖書。
今日は詩篇の40篇を読みました。

私の心も私を見捨てました。」
12節の言葉です。

ぞくっとしました。
聖書の中にこんな言葉があったとは、
自分で自分のことを見捨てるなんてことが・・・。

この詩人の苦しみを思いました。
どれほどつらい歩みだったか。
自分はそこまでは行っていないかな、
でも、なんだか、この言葉にものすごい引き込まれるものを感じました。

そのような中で信仰の歩みをしていった人がいる、
ということだけで、励まされます。

信仰の歩みは、
自分の弱さや醜さ、愚かさを認めていく歩みなのかもしれません。
痛みや悲しみ、涙を認めていくことなのかもしれません。

その中で、主を見上げ、主を待ち望んで歩むことなのかもしれません。

主よ、
どうしようもない弱さに、うちひしがれる時、
どうしようもない痛みに、苦しむ時、
どうしようもない不安に、おびえる時、
主よ、
あなたを待ち望むことを思い出させてください。
あなたによって平安をいただくことができますように。

2007-05-02

何を待ち望むか

昨日の夜は雷が鳴っていましたが、
今日の朝には雨もあがって、
午後にはすかっと晴れました。

とても気持ちのいい午後でした。

タンポポがどんどん花を咲かせています。
もう、明日あたりから綿毛が飛んでいくでしょう。

タンポポ抜きをちゃんとやっておかないと、
あっという間に芝生が「タンポポ畑」になってしまいます。

今日の聖書。
今日は詩篇の39篇。

このところ同じような雰囲気の詩が続きますが、
今日も「わたしは黙っています」という詩です。

どうして黙っておられるのかというと、
「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。
 私の望み、それはあなたです。」
7節の言葉。

黙っていたら何を考えているかわからないので、よくないこともありますよね。
ちゃんとコミュニケーションを取らなければいけないことはたくさんあります。
でも、黙っている中で、しっかりと主と向き合っていく時、
沈黙を抜けた時に出てくる言葉、そこには力があると思います。

ただの沈黙ではなくて、
主の前に沈黙すること、
主の前に静まること。

主よ、
あなたの前に静まり、あなたを待ち望みます。
あなたが教えてください。
あなたが語ってください。
言葉を与えてください。

2007-05-01

どこに目を向けるか

今日もいい天気だったのですが、
午後から曇って、夜になって雷が鳴っています。
今夜は雨。

でも、明日はもう回復するようです。
適度な雨は芝生の助けにもなります。

アスパラガスはにょきにょき生え、
20本くらい食べたでしょうか?
今日は細いのが多かったですが・・・。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の38篇。

「私のいのちを求める者はわなを仕掛け、
 私を痛めつけようとする者は私の破滅を告げ、
 一日中、欺きを語っています。
しかし私には聞こえません。

 私は耳の聞こえない者のよう。
 口を開かず、話せない者のよう。
まことに私は、耳が聞こえず、
 口で言い争わない人のようです。
それは、主よ、
 私があなたを待ち望んでいるからです。
 わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように。」
12-15節です。

この詩人の置かれた状況はどんなにひどいものだっただろうか。
この詩を読んでいると、その困難な状況に心が震える。
そんなこと自分は耐えられるだろうかと思う。
自分がこんな状況におかれたらどんなにつらいだろうかと思う。

でも、その中で、彼は神を見ていた。
神を待ち望んでいた。
そして、あることないこと誹謗中傷を、あざける言葉をシャットダウンした。

主を待ち望むこと、
主に目を向けること、
どんなに大切なことかと思う。
どんなに必要なことかと思う。

サタンは私たちの心がいろんなことに乱されることを喜んでいる、
それをねらっている。

だから、本当に誠実に、
ただただ、誠実に主に向かっていることが大切なんだと思う。

主よ、
あなたに目を注ぎます。
あなたを見上げます。
明日もあなたに目を向けて、
ただ、あなたを待ち望みつつ歩みます。
どうか、お守りください。

2007-04-30

主の前に静まる

今日も暖かくなりました。
26度くらいまで行ったでしょうか?
家の中よりも外の方が暖かい日でした。
明日以降はここまでは暖かくならないみたいです。

今日はお休みの日(月曜日)なので、
歯医者に行ってきました。
先日言われた、「磨きすぎで減ってしまったところ」を
埋めてくださいました。

その帰り道、車で走りながら、
不思議な平安がわたしを包みました。

大丈夫。

賛美が口をついて出てきました。
感謝があふれてきました。

嵐があっても、
イエスを見つめて歩んでいけば、
大丈夫。

他の何にも代え難い平安でした。

今日の聖書。
今日は詩篇の37篇を読みました。

「悪を行う者に対して腹を立てるな。
 不正を行う者に対してねたみを起こすな。
彼らは草のようにたちまちしおれ、
 青草のように枯れるのだ。
主に信頼して善を行え。
 地に住み、誠実を養え。」
1-3節。


「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。
 おのれの道の栄える者に対して、
 悪意を遂げようとする人に対して、
 腹を立てるな。
怒ることをやめ、憤りを捨てよ。
 腹を立てるな。それはただ悪への道だ。」
7-8節。

これは9/11の時に、何度も何度も繰り返し、
心に響いてきた言葉です。
卑劣なテロリストたちに対して、
アメリカ中が怒りに震える
の中で

「腹を立てるな」
「主の前に静まれ」
「主に信頼して善を行え」という言葉がどれだけ救いになり、
ガイドラインになり、
励ましになったことでしょうか?

憤る時に、腹を立てる時に、
それは罪につながっていく。
ただ、主の支配を信頼して、
主のなさることを信頼して、
自分のなすべき善をしていくこと。
それが自分の使命なのだと思わされます。

何よりも主の前に出て行くこと、
主の前に静まること、
それが自分にとって必要なことだと思わされます。

ただ、忠実に主の僕として歩むこと、
そこに集中していきたいと思います。

主よ、
あなたのことをずっと見つめて歩ませてください。
嵐の中でも、あなただけを見つめて行かせてください。
波や風に振り回されることがありませんように。

あなたの前に静まります。
あなたを信頼します。
今日、あなたが与えてくださった平安の故に
感謝します。

2007-04-29

いのちの泉

今日の礼拝を感謝。
何よりも礼拝がやはり教会の中心だと、
再確認しました。
もっともっと心からの礼拝をささげることを経験させていただきたいと思いました。

もっともっとお互いの心にふれることができれば、
と思うことも多いのですが、
これは一歩一歩なのだろうと思います。
土足で人の心に踏み込んだりすることがないように、
それだけは心に留めながら、
敬意を持ちながら、
でも、心にふれる働きができればと思います。

昨日の突然送られてきた写真ですが、
まあ、いわゆる「ファンレター」に返事を送る専門業者があるみたいです。
ウェブ上では「ファンの敵」とか書かれてもいますが、
でも、きれい写真ですし、ただでもらったわけだし、
直筆でなかったとしても、
(プリントじゃなくて、本人のサインをコンピューター入力して
機械が書く「サインマシン」てのもあるようですね、そりゃそうでしょう)
心から感謝しております。(バットの方は直筆のサインあるし・・・)

でも、あれ、もう4年も前なんですけどね・・・。
4年前に届いていたら、「え、これだけ?」と思っていたかも、
図々しかったからね。
でも、落ち着いた今頃届くと、なんだかうれしいものです。不思議ですね。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の36篇を読みました。

「いのちの泉はあなたにあり、
 私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。」9節。

いのちの泉は神様にある。
当たり前のことなのですが、
改めて、そのことの大切さを思わされました。
どこまで行っても、
主ご自身がわたしのいのちの泉の源。

いつもいつもこの方に満たされていること、
この方から、力をいただいていくこと、
この方に頼っていくこと、
御言葉によって教えられていくこと、
砕かれていくこと、
そして慰めをいただいていくこと、
それが大切なのだと思いました。

主よ、
あなたを見上げさせてください。
あなたと共に歩ませてください。
あなたから力をいただいて歩む者であり続けられますように。

教会のお一人一人にとっても、
同じように、主がいのちの源であり続けてくださいますように。
主御自身をいのちの泉とされる方々が起こされていきますように。

2007-04-28

「わたしがあなたの救いだ」

今日は、夕方から夜、雨がぱらぱら降りましたが、
思ったよりいい天気になり、結構温度も上がりました。
23度くらいまで上がったでしょうか?

今夜はこのまま雨がぱらつくくらいで、
明日はまた晴れ、
暖かくなるようです。

助かります。

やっと連敗脱出。
よかったですねえ。
ケイ君も本当は今日は先発をはずされていたのに、
先発投手のアクシデントで勝ち投手になったし。

今日は夕方、ユースの集まりがあって、
その後、ちょっと用事があって、
夜の11時頃に帰って、郵便をチェックしたら、
見知らぬところから、写真が送られてきています。
「英語で『写真在中、折らないでね』という意味のことが封筒に書かれているので、
なんだ、このダイレクトメールは?」と思って、封を開けたら、
何とヒデキ君の写真ではありませんか。
それもサイン付き。
もちろん、カミさんが小学生時代に大好きで、
寝言で名前を叫んだという「ヒデキ」ではありません。
Yankeesのヒデキ君。
差出人がNY Yankeesだったら、納得なのですが、
なぜか、CAの写真スタジオ。

でも、もしかしたら、マツイ記念日の出来事の直後にお送りした手紙が、
今頃になって、本人か、周りの人の目にとまったのかな。
しっかりバットのそばに飾っておきました。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の35篇を読みました。

「私のたましいに言ってください。
 『わたしがあなたの救いだ』と。」3節。

主がわたしの救い。
主がそのように言ってくださるとしたら、
何とうれしいことだろうか。

「わたしがあなたの救いなのだ」と主の方が声をかけてくださる。

わたしは何をあてにしているだろうか?
人々の理解だろうか?
サポートだろうか?
主を、主御自身をあてにして、
主御自身の救いを期待していきたいと思う。

主に頼っていきたいと思う。

主よ、
わたしの救いはあなたです。
あなたがわたしを支えてくださいますように。
本気であなたを救いとして見上げていくことができますように。
明日の礼拝もあなたが豊かに祝福してくださいますように。
あなたのすばらしさがほめたたえられますように。

2007-04-27

霊の砕かれた者

今年1月にすごいのやっているので、
今回はそれに比べれば全然大したことないんですが、
なんだかおなかの調子が悪い+微熱。

でも、24時間たって、回復の兆しが見えてきました。
明日は全開でしょう。
夕方は中高生の集まりで、
「神様はいるか!?」という話をする予定。

今日は明け方、すごい雷で目が覚めて、
午前中もずっと雨でしたが、
夕方にはやみました。

明日はどんよりみたいですが、
気温はぐっと上がるみたいです。

今日こそはダイスケくんが、
ボコボコにされるはずだったのですが、
4点止まり。
今のYankeesは4点じゃ勝てません。
逆にボコボコにされて11点も取られました。

7連敗?

次のチャンスこそ、
ちゃんと火だるまにして欲しいものです。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の34篇を読みました。

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、
 霊の砕かれた者を救われる。
正しい者の悩みは多い。
 しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。」
18-19節です。

この詩全体を読んでいて、他の詩を読んでいる時にも時々感じるのですが、
わたしは「自分は正しい」と大手を振って言える人の気持ちがあまりわからない人間なので、
(その割に、カミさんとやり合う時には、そういう態度に出るけど・・・)
あんまり、「自分が正しいから守ってください」という言葉が出てくると、
閉口してしまうのです。

でも、何度も何度も読み返してみて、
そして、表題の出来事、つまり、王様に追われて、
気がおかしくなったかのようにしなければならないようなところに追い込まれた、
ダビデの状況を想像してみて、
「わたしを助けてください、敵を黙らせてください」というのが
だんだん見えてきました。

でも、本当に大切なのはやはり、
自分自身が本当に主の前に砕かれているのか、
人との関係よりも、主との関係において、
本当に砕かれているか、それなんだろうなあ、と思いました。
霊が砕かれているか、
日本的な「謙遜」ではなくて、
本当に主の前に打ち砕かれ、
自分の弱さを見せつけられているか、
いつもいつも自省していたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたの前に歩ませてください。
あなたから語られて、
あなたから取り扱われて、
あなたの守りの中で歩ませてください。

あなたが守ってください。
あなたが救ってください。
たくさんの悩みの中で、
主が守ってください。


2007-04-26

主の目の注がれるところ

今朝、35センチまでのびたアスパラを初収穫。
太いのが2本に細いのが3本。
とても甘かったです。

で、それはよかったのですが、
お昼頃からちょっと体調が悪くなってきて、
キッズクラブまでは何とかやりましたが、
夜の予定はキャンセル。
暖かくなったかな、と思って、パッチをはかなかったのがまずかったのかも。
午後からちゃんと履いて、暖かくしています。
う~ん、本当にオヤジになってしまった。

ちょっとよくなってきたように感じますが、明日のために今夜は早く休みます。

今夜、これからまた雨。
明日も雨で、雷雨があるという予報です。

週末はまた20度を超える暖かい日が続くようです。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の33篇です。

「軍馬も勝利の頼みにはならない。
 その大きな力も救いにならない。
見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。
 その恵みを待ち望む者に。」
17-18節です。

自分はいったい何を頼りにしているだろうか?
軍馬だろうか?
それとも、主だろうか?

主に目を留めていただきたい。
主は力ある方だから。
主は豊かな方だから。

自分たちの力、
自分たちの豊かさ、
そんなものは、主の豊かさに比べたら、
取るに足りない。

だから、主から目を留めていただけるかどうかが問題。
主に目を留めていただけるように、
主を待ち望んで歩もう、そのように思わされました。

主よ、
あなたに目を留めます。
自分たちの力ではなく、
あなたの力を待ち望みます。

自分たちの懐ではなく、
主よ、あなたの豊かさをあてにします。

自分たちの霊的な素質ではなく、
あなたの霊的な豊かさを当てにします。

どうか、あなたの豊かさをもって満たしてください。

2007-04-25

主を信頼する

今日は朝早く出て、夜暗くなるまでNYでした。
アスパラガスはどうなったかわかりません。
明日の朝のお楽しみです。

ちゃんと芝生にはちょうどいい感じで、
しとしと雨が降ってきました。

明日も日中は曇りくらいですが、
夜はまた雨だそうです。

芝生の種にはちょうどいいですが、
水害にならないようにと願います。

今日はNYで3回地下鉄に乗りました。
ずいぶん慣れてきましたが、
日本の地下鉄のことを思い出すと、
NYの地下鉄は不親切です。

まず、日本みたいに、次の駅が書いてない。
最初は良く反対方向の電車に乗ったものです。
uptownとかdowntownとか、
Queens 方面とか Brooklyn方面とか、
今でこそわかりますが、お上りさんだった頃は、どっち方面に乗ったらいいか、
わからなかったですねえ。
時刻表が貼ってない・・・まあ、貼ってあっても、時間通りには来ないんでしょうけどね。
日本みたいに、「次の電車が前の駅を出ました」なんて表示は出ない。
「次はにほんばし~」みたいなアナウンスはないか、または短い。
日本みたいに2回も3回も繰り返さない。時々乗り越しそうになる。
それからAとかCとか、慣れれば何とかなるけど、、
どれが急行とか、わからない。(ちなみにAは急行、Cは各駅)
(未だに4,5,6の中のどれが急行か知らない)

きわめつけは、

「急行が途中で、予定変更で各駅停車になったりすることがある」

というのですよね。

前回のNYの日に、それに当たりました。
ぼーっと聞いているとわかりません。
みんなが降りてホームの反対側の電車に乗り換えたので、
つられて乗り換えましたが、とりあえず正解でした。

あと、ホームに売店がない。とかもあります。

いいのは、ストリートミュージシャンが何かやっている、というのですよね。
時々耳障りなのもありますが、
楽しい気分にさせてくれるのが多いです。

まあ、このあまり洗練されていない感じがいいんでしょうね。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の32篇を読みました。
罪の悔い改めの詩篇ですが、

心にとまったのはその最後のところ。
「主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。」10節の言葉です。

「悔い改め」が不徹底の時は、
やはり「主への信頼」もどこか足りない、
どこかおかしいというか、
どこかどーんと信頼できていないんですよね。

心に一物持っているから・・・。

2節に「その霊に欺きなき者は・・・」とありますが、
本当に安心して主の前に出られる平安、
それが大切だと思います。

そして、自分で自覚していない中にも
傲慢になってしまったり、
偽善的になってしまったりすることもあります。

主に探っていただいて、
示していただいて、
本当に裸で主の前に出られるような者でありたいと思います。

主よ、
あなたを信頼します。
何の保留もつけないで、
すべてをご存じなあなたに信頼します。
どうか、あなたの恵みでわたしを取り囲んでください。
どんな状況も、わたしの喜びに、わたしの平安に、
指一本ふれることができない、そのような心にしてください。

2007-04-24

私の時は主の御手の中に

今日は昨日よりぐっと過ごしやすい日でした。
暑すぎず、寒すぎずで・・・。

最高気温は24.4度。
明日の予想は15-18度くらい。
ちょっと涼しいくらいでしょう。

で、今日、チューリップの花が咲き始めました。
いろんな花が町中に咲いています。

アスパラガスも一番大きいのが30センチくらいまで育ってきたので、
いよいよ初収穫です。


明日からちょっと雨が降りやすいということで、
芝生の種をまきました。
大雨だと流れてしまうかもしれませんが、
ちょうどいいくらいの雨が1週間くらい降ってくれると、
水をまかなくていいので、助かるなあ、と思いますが、
さて、どうなることでしょうか?

今日の聖書。
今日は詩篇の31篇を読みました。

「私の時は、御手の中にあります。」15節の言葉です。

そうなんだよねえ。
自分の時は神様のみ手の中にある。
本当にその通りだと思いました。
自分でいろいろ決めて、
勝手に動こうとしても、
それで決まるわけではない、
自分の決意や、決心が決めるわけではない。

主の御手の中にあることなのだと思わされます。

でも、時を見る目の鋭さ、
主が与えてくださる時を見る敏感さを持っていたいと思います。

主よ、
私の時はあなたの御手の中にあります。
あなたの御思いのままに、
あなたが最高のことをしてくださいますように。

そしてあなたの時を見極める、敏感さを与えてください。

2007-04-23

朝明けの喜び

今日は暑かったですねえ。
かきごおり家庭先の最高気温、なんと31.4度。
もう真夏の暑さです。
でも、夜はすぐに25度以下に下がります。
もし今が夏だと、こんな日は「今夜は涼しくなったねえ」という感じですよね。
でも、4月にこの暑さは早い!

と思って去年の記録を読み返していたのですが、
25度くらいは結構あったみたいですね。
そして、チューリップやアスパラガスや、
15日過ぎにはいろんな春の話題があったんですね。

今年はちょっと遅いようです。

今年はチューリップはもう少しで開花。
アスパラガスももう2,3日で初収穫かな。
3年目なので、結構太いのがにょきにょき生えてきました。

明日は23度くらい止まり。
そして、あさってからはまた数日ぐずついて、
ちょっと肌寒いくらいでしょう。

さっき、「明日、このCredit Card払わなきゃなあ・・・」と思って、
いくつか請求書を見ていたら、なんと一つ期限が「今日」のがあるじゃないですか!

またやってしまった・・・。
夜の10時半じゃあ、当然翌日扱い。

この間のガス欠のことで、「もうぎりぎりまで粘るのはやめよう」と思っていたのですが、
ついつい、「まだ大丈夫」病が出てきてしまうんですね。

まあ、交渉社会のアメリカのことですから、
とにかく交渉。
来月の請求書にlate feeとか付いてたら、
とにかく交渉します。
大体、年に1回は問題なく、「いいですよ~」と気持ちよく免除してくれるので、
大丈夫だと思うのですが・・・。

でも、今まで一回だけ、何か引っ越しで住所不明になっていて、
転居先に請求書がぺらっと来たことがあったのですが、
それがなんと、「取り立て屋」直前だったみたいで、
いつものように、なんだかんだと交渉しようと思って話を始めたら、
電話の向こうで「これくらいの金額、面倒なことにならないようにしたかったら、何も言わないで払いなさいよ」なんて言うじゃないですか。さすがに焦りましたねえ。何も言わないで払いましたよ。そういうこともあるんですよね。

なめちゃいけません。払わなかった自分が悪いんだから。
ハイ。
期限も守ります。ハイ。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の30篇です。

「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」5節の言葉です。

「家をささげる歌」という表題で、どんなことが書いてあるんだろうかと思いました。
そんな気持ちで読んでも、家を建てたいろんな経緯は何も歌っていません。

でも、「夕暮れに涙」「おじ惑った」「嘆きを踊りに」などとの言葉があるので、
やはりいろいろな戦いがあったのだ、悩みがあったのだと思わされます。

会堂取得を祈っている私たちにとって他人事には思えないこの祈り、
いろんなところを通されますが、「朝明けには喜びの叫びがある」!
この約束に励まされます。

会堂は手段にすぎないことを忘れないで、
主を第一とすること、
畏れをもって礼拝すること、
教会が祈りの家となっていくこと、
熱く伝道していくこと、
求めていきたいと思います。

自分たちの会堂が与えられる時に、
そういう意味、つまり教会の中身の充実という意味でも、
「朝明けには喜びの叫びがある」という主の御業を見せていただきたいと思いました。

主よ、
朝明けの喜びの叫びを楽しみに待ち望みます。
どうか涙の谷をすぎる時にも、
朝明けの喜びの叫びを思わせてください。
霊の目を開いて見せてください。

2007-04-22

神による力

今日もまたまた暖かかったです。
27度まで上がりました。
今は夜の8時過ぎで17度。
ダイスケ君が、我らがYankeesに向かって投げています。
ボコボコにされることでしょう。

明日は30度も夢ではありません。

今日の朝は教会学校の先生たちで、
JOYJOYキャンプのテーマを考えました。
一年の中で一番楽しい会議です。

どんなテーマになるか、まだわかりません。
そう、まだ結論は先送りです。
楽しみにお待ちください。

その中で、話題に上ったのが、
「アリジゴク」。
意外と皆さん知らないんですね。
のんちも、「えー、自然にロウト型の地形ができると思っていた」そうです。

1-2センチのすり鉢の下に虫が待っていて、
落ちてくるアリを食べるんです。
ウスバカゲロウの幼虫です。
シチーボーイの私は図鑑でしか読んだことがなくて、
小学生の時に、いなかに遊びに行った時に、
捕まえたくて捕まえたくて、
「そんなのたくさんいるよ」と言われて取ってきて、
東京まで持って帰りました。
はい上がろうとするアリに下から砂をかけて、
はい上がれないようにするんですよね。
コワイですねえ。
なんだか、調べてみると、幼虫の間は肛門がなくて、糞をしないとか。
のんちに話したら「食べたもの全部消化するんだ・・・」なんて看護師っぽいこと言っています。
まあ、たぶん食べるんじゃなくて、体液を吸っているだけなので、糞は出ないんでしょうね。
いろいろ勉強になります。

英語ではantlionなんでしょうか。
こちらにもいるんでしょうね。

あ、別にこれがJOYJOYキャンプのテーマではありませんよ。
ご心配なく。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の29章を読みました。

「主は、ご自身の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」11節。

主は「ご自分の民」に力を与えられる。
主の許に留まることの大切さを思わされる。

そう、イスラエルの人々も、「自分たちは神の民だ」と思っていた。
でも、神から離れていた。
だから、形だけではなくて、
名目だけではなくて、
神の民になること。
その大切さを思わされる。

「光とされたのだから、光の子らしく歩きなさい」ということの大切さを思わされる。

主よ、
あなたの力を与えてください。
あなたの力に満たしてください。
そのためにあなたの民として歩むことができますように。
あなたの民として歩むことを教えてください。

2007-04-21

主が牧者

今日も暖かくなり最高は26度。
いやあ、本当にいいですねえ。
鼻はむずむずしますが・・・。

でも夜は、今11時過ぎで13度ほど。
この温度差には気をつけなければいけません。

ちなみに月曜日の予想は28度。
来週の後半には最高が13度くらいの日もあるようです。
気をつけましょう。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の28篇です。
「どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。」9節。

これも今私の祈りです。
主が羊飼いになってくださること。
一人一人に語りかけ、一人一人を導いてくださること。
一人一人の罪を示し、砕き、
そして赦しの宣言を与え、立たせてくださること。
それが私の祈りです。

そのサポートをするのが自分の役割だと思わされています。
主との関係をしっかり築いていくこと。

そして、また自分自身も主に養っていただく必要を感じます。
弱い者だから。主に養っていただかなければいけないことを感じます。

主よ、
どうか、私を養ってください。
どうか、教会の一人一人を養ってください。
あなたが私たちの牧者であってください。
あなたに目を向けることができますように。
あなたご自身に目を向けることができますように。

待ち望め主を

昨日も暖かかったですが、
今日も暖かくなりました。

どんどんいろんな花が咲いてきています。

昼頃で23度まで行きました。

もう寒くならないでほしいものです。

さてさて、昨日の聖書箇所。
昨日は詩篇の27篇を読みました。

「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。」14節。

主よ、
自分の心が守られますように。
恐れや怒りに支配されることがありませんように。
あなたの御顔を望み見ながら歩む者となりますように。
主の支配を信頼して歩むことができますように。
あなたを待ち望み、勇気を持って歩むことができますように。

2007-04-20

更新は明日

今日は夜集会があったので、
更新はまた明日。

今日は本当に暖かくなりました。

ではでは。

2007-04-19

心を調べてください

今日は午後から晴れてきて、
とてもうれしかったですね。

気温も上がって15度くらいまで来ました。

明日は朝からすっきり晴れて、
気温も20度近くまで行きます。

そして月曜日には25度くらい行くみたいです。
いきなり春全開になるみたいです。

今日の朝の祈り会、
エペソ人への手紙の1章の後半を読みました。
そこで、「心の目を開いてください」という祈りについて考えさせられました。

その中でまた旧約聖書のエリシャが敵の軍隊に包囲された時のことを思い出しました。
エリシャの住んでいる町が敵に包囲された時に、
エリシャのしもべは、あわてふためいたのですが、
エリシャには見えていました。
敵の軍隊よりも多くの天の軍勢が自分を守っていることが・・・。

心の目が開かれる時に、勇気を持って進むことができる、
そのように語らせていただきました。
語りながら、自分に言い聞かせているようでした。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の26篇を読みました。

「主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。」2節。

この祈りは私の祈りです。
純粋な主への思いを持ちたいと願います。
自分の中に不純なものがないかどうか、
自分が神様以外のものを見て、
それに動かされていないだろうかと、思わされます。

ですから、「私を調べてください」と祈らないではいられません。

主よ、
どうか私の心を探ってください。
私の心を調べてください。
私の中に、
不純なものがあるならば、
どうか聖めてください。
私が傲慢であるならば、それを教えてください。
私が何かを恐れているならば、それを取り除いてください。

あなたの道を見せてください。

道を教えられる主

遅くなりました。
日付が変わって昨日のことになりますが、
昨日もまたどんよりとした一日でした。
でも日に日に気温は上がって、
昨日は11度くらいまで行きました。

今日もまたどんよりで、またぱらぱら雨が降るかもしれません。

でも、それも今日まで。
金曜日からはどんどん春らしくなって、
日曜日以降は毎日20度くらいまで上がるようです。
花粉症が心配ですが、まあ、とにかく暖かくなるのは楽しみです。

昨日は日本からのお客さんが来て、
夜のNYの集会に出られました。
20代の若者なのですが、
牧師の息子で、4人男の兄弟だそうで、
「牧師の息子のプレッシャー」を感じていたそうで、
「おなじじゃん」って感じです。

3ヶ月NYに滞在されるそうで、
これからの交わりが楽しみです。

さてさて、
昨日の聖書の言葉、
詩篇の25篇を読みました。

「主を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる。」12節。

吹っ切れたかな。
ちょっと悩んでいたこと。
「主を恐れる人に選ぶべき道が示される」と。

主を恐れて歩むことが大切なんだよね。
他の何かではなく、理屈でもなく、
主を恐れて歩む姿勢が大切。

他に恐れるべきものは何もない、
ただ、主を恐れて、主に従っているという平安を求めて、
祈っていこう。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたの前に、あなたの導きを待ち望みます。
他の何かではなく、あなたを恐れて、
決断をすることができますように、
あなたが教えられることを待ち望むことができますように。

2007-04-17

戦いに力ある主

今日も一日どんよりしていましたが、
雨はほとんど降らず、
薄日も差し込むようになってきました。

一日一日回復に向かっています。
でも、まだ渡れない橋、あふれている川があるようですね。

大変なstormでした。

明日も今日と同じような天気でしょう。
金曜日あたりから天気がぐんぐんよくなって、
土曜日からは15度を超える日が出てくるようです。
やっと・・・ですね。

また繰り返された乱射事件。
歴史はわかるけれども、
今、銃の所持が許されているのはどうしてなんだろうか?
人が怒ったり、恨みに支配されたり、
妬みに焼かれたりすると、ふつうのコントロールがきかなくなるのはわからないのだろうか?

銃規制が問題を解決しないのはわかっている。
けれども、せめて銃をもっと社会から閉め出していれば・・・という場面がたくさんある。

今の時代、「銃を持っていて助かった」というケースはどれくらいあるんだろうか・・・。

8年前のコロンバインの時、私も若かったのだろうか、
銃規制よりも、心の問題だと考えた。
でも、心の問題がそれほど簡単に解決できない大きな問題だということを
たくさんたくさん経験していく中で、
コントロールできるものをコントロールすべきだと思うようになった。
たとえそれが根源的な問題の解決にはならないとしても・・・。

さて、今日の聖書です。
今日は詩篇の24篇です。

「門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる。栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。」7-8節。

この最後の、「戦いに力ある主」という言葉が心にとまりました。
これはこの時代にはやはり「戦争」を指していたのでしょうが、
私にとっては、「信仰の戦い」のことを思わされます。
最近、本当に信仰は戦いだなあ、と思わされます。

だから、戦いに力ある主が私と共にいてくださるのは本当にうれしいことです。
自分の力で戦うのではない、主が私のために戦ってくださる。
それがどれほど心強いことかと思います。

この方を頼って、この方を信頼して、
この方の力をいただいて歩みたいと思います。

主よ、
どうか私を守ってください。
あなたが私の主であってくださることに感謝します。
あなたが私のために戦ってくださることに感謝します。
どうか、私がこの信仰の戦いの中にあっても、
勝利をしていくことができますように。

教会の一人一人も日々の戦いの中で勝利していくことができますように。

2007-04-16

恐れない

今日も一日どんよりしていました。
ものすごい嵐だったみたいですね。
いくつもの記録を塗り替えたようです。
特に雨量はすごかったみたいです。

確かに、昨日は朝からでしたが、
礼拝中も、礼拝後も、役員会の後帰る時も、
帰って家でくつろいでいる時も、
ものすごい降り方でしたから・・・。

明日もまたどんよりとした一日みたいです。
そして肌寒い一日でしょう。

去年のtax returnのfileは今年は明日までなんですね。
私も終わりました。
毎年、「早くやろう」と思うのですが、
なかなか締め切りまではできません。

「締め切り」があるということはなんとありがたいことかと思います。
それがないと、どこまでもどこまでもたまってしまうんですね。

人によって違うと思いますが、
私は締め切り必要派です。
直前になると気合いが入ります。
でも、時々、その直前に初めて、
やっているうちに途中で必要なものが見つかって、
それを手配している間に間に合わなくなってしまうことがあります。

だから、毎回、もっと早く準備しようと思います。

でもこれがまた難しいのが性格なんですよね。

今日できることは今日やる。
明日があるとは思うな。

と思います。

「あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。」ヤコブの手紙4章14節。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の23篇を読みました。

いつも読んでいる詩篇の23篇ですが、
今日また新しい感動を覚えながら読みました。

「私は、乏しいことがありません。」1節
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」4節
「いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。」6節

一つ一つの言葉の豊かさを覚えます。
特に痛みの中で、悩みの中で、この言葉がどれほど慰めであり励ましであるかと思います。
乏しいことない歩み、
死の陰の谷のようなところを歩む時にも、災いを恐れない平安。
そして恵みが私たちを追っかけてくる幸い。

そのような歩みを与えられていることに心から感謝します。

霊的な豊かさを求めていきたいと思います。
調子のいい言葉ではなく、
表面的な楽しさではなく、
どんな戦いの中でも、平安が与えられていく
霊的な豊かさを求めていきたいと思います。

まさに数日前に与えられた、
「主の前にある喜び」
それが私には必要なんだと思わされます。

主よ、
どうか私の歩みをお守りください。
あなたと共に歩めることに感謝します。
もっともっとあなたと共にいることを喜ばせてください。
あなたから来る慰めで満たしてください。支えてください。

悩みを聞かれる主

なんだか目が冴えて、眠れないので、
ここで更新。

夜の2時半。
なんだか雨の音が静かになりました。

昨日1日24時間で116mmの雨。
あちらこちらで川があふれているようです。

昨日の礼拝の中で、子供のためのお話がありました。
そのお話の中で、子供たちから質問が出ました。

「先生は会社行かないの?」
「行かないよ。先生は神様のお話しするのがお仕事なの」
「じゃあ、先生お金はどうするの?」
「その話はまた後でするね・・・」

あとで、ちゃんとしておいた方がよかったかなと思いました。
嘘つきにならないように、今度ちゃんとしたいと思います。

牧師の給与は(日本では牧師謝儀という言葉が一般的です)、
教会にささげられた献金を会計さんがまとめて、
教会の中から選ばれた役員さんが、
予算を組んで、総会での承認を経て、
対外援助を含めて、
様々な教会の働きのために使うのですが、
その中に、「牧師の給与」という項目があります。

そこから出ているのです。ハイ。

さーて、子供たちにはどうやって説明しようかな。

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日は詩篇の22篇を読みました。

「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」24節

悩む者の声を聞いてくださる主。
そんな馬鹿なことで悩むなとは言われない方。
面倒くさがらずに聞いてくださる方。

前半を読むと、神に捨てられているかに見える者が、
後半を読むと、決してそうではなかったことが明らかになる。

主は私の悩みも、私の叫びも聞いてくださる。
そのほとんどが愚かな、レベルの低い悩みだろうと思う。
主から見るならば、「そんなことで心配するな」「そんなことで恐れるな」ということだろうと思う。
でも、主は聞いて下さる。

主よ、
あなたの元に行けることを感謝します。
あなたのところで、平安をいただき、
あなたのところで答えをいただけることに感謝します。
どうか、あなたの御顔を拝させてください。
あなたとのチャンネルをじゃまするすべてのものを取り去り、
あなたのみ声を聞くことができますように。

2007-04-15

すごい雨

もう、峠は越したのでしょうか?
今日は一日すごい雨でした。
明日も今日のような降り方はしないと思いますが、
雨は続くようです。
雪が混じるという予報を相変わらず出している天気予報もあります。

一日一章はまた明日書きます。

ではでは。

2007-04-14

神の御前での喜び

今日はちょっと暖かくなって15度。

久しぶりに穏やかな天気でした。

でも、明日は大雨です。
天気予報もちょっと「100年に1度の嵐」からはトーンダウンして、
「嵐」くらいになっていますし、ここら辺は雪の心配はほとんどないようですが、
とにかく風は強いようです。
雨も明日の夕方には峠を越えるようですが、
まとまった雨になるようです。

そして、月、火、とぐずつくみたいです。

今日は土曜日、明日に備える日です。
祈りつつ早く休みます。

ですから、早速聖書。

今日は詩篇の21篇を読みました。
「御前の喜びで彼を楽しませてくださいます。」6節の言葉。

「御前の喜び」って何だろうと思いました。
神様と共に歩む喜び、
神様の前に歩む喜び、

自分は本当にそれを喜びとしているだろうかと思います。

そして、その喜びに対するあこがれ、求めがどんどん大きくなってきています。

今までずっと、表面的な楽しさや喜びを「主にある交わり」と勘違いしてきたのかもしれません。クリスチャンのお互いが、「神様」という言葉をスパイスのように使いながら、楽しく過ごしていく、そして、時々、大変なことがあると、祈り合う程度のことが「主にある交わり」だと思ってきたのかもしれません。いえ、それだけじゃないと思ってはいましたし、それだけじゃむなしいことも知っていました。でも、本当に神様の前にいることに喜びを感じるような、そんな経験があっただろうかと、思わされたのです。

何もなくても、何か楽しいことがなくても、ただただ、主と共にあることに喜びを感じて、主とともにいることに喜びを感じて、そこに歩んでいく、そこに感謝をしていく、それが大切なんだろうと思います。

「主を喜ぶ」という言葉が聖書にあります。
「主を喜ぶ」ということを本当に経験したいと思います。

主よ、
他の何ものでもなく、
他の何かをくっつける必要もなく、
あなたと共にいることを、喜びとさせてください。
あなたと共にいることの喜びをもっと経験させてください。

明日の礼拝が、そのような喜びを経験する礼拝となりますように。

神の力を信じて

日付が変わっているので、昨日の話。

昨日も肌寒い一日でした。
どんよりとしていたし、風も強かったので、
本当に寒く感じます。

そして、日曜日から火曜日にかけて嵐です。
Nor'easterと言って、東海岸沖に進んでくる猛烈な低気圧です。

北東風が吹いて嵐が来るから、
昔の人は北東からやってくる嵐だと思っていたようです。
実際は南か南西から来るんですが・・・。

今度の問題はそれがものすごい勢いで発達することと、
発達した後、ニューヨーク沖で丸一日半くらい停滞することです。

これが真冬に来たわけではないことは、不幸中の幸い、と言う感じになると思います。
それでも、天気予報によっては雪が混じる予想もでています。

さてさて、どうなることでしょうか?

昨日の夜は深夜祈祷会でさっき(12時半頃)帰ってきたばかりなのですが、
ちょっとしたハプニングがありました。

パンクとかは何回もあったのですが、
今回は「ガス欠」初体験。

今日の午後、Fort Leeの方から帰ってくる時に、
「ガソリン入れなきゃなあ」と思っていました。
そう、もう「ガソリンありませんランプ」がついたのが、
午前中の集会に行く時だったので、
10マイルくらいは楽勝だと思いながら、
どこかで入れよう、と思いながら走っていました。

でも、すっかり忘れてしまって、夜の集会10分前。
「まあ、あと20マイルくらいは走るだろう」といつもの経験から、
軽く考えていました。
結構いつでもガソリンは警告ランプがついてから20マイルくらい走ってから入れるのが当たり前でしたから・・・。

そして、夜の祈祷会が終わって、
カミさんと二人で帰ってくる途中、
あと次の道を曲がれば100メートルくらいで着く、というところで、
なんだか車がガタガタ言い出したんです。
そして、そのまま、エンジン停止。
「ああ、とうとうやった、ガス欠だ!」
22歳で免許を取ってから22年目にして初めての経験でした。

エンジンが止まると、車は惰性で走っても、
ハンドルは重いし、ブレーキがきかない。
坂道だったので、何とか牧師館までは着きましたが、
ドライブウェーに半分入ったところで完全に停止。

「ガレージに芝刈り機用のガソリンがあったよ確か・・・」と思ったのですが、
あいにく、完全に使い切ったところ。
留守番をしながら待っていた息子と、お預かりしている高校生と3人で押して
やっとドライブウェーに入りました。

いやあ、車って、ガソリンがなくなったら、止まるんですね。
ホントに。
そして、こればっかりは、昔のテレビみたいにたたけば動く、っていうものでもなくて、
何回エンジンをかけ直しても、止まっちゃうんですね。
当たり前と言えば当たり前ですが・・・。

いやあ、それにしても、よく、家まで着いたものです。
途中でガス欠だったら、AAAを頼むか、近くのガソリンスタンドで、
タンクを貸してもらうか、ですからね。
夜の12時半では知り合いに頼むってのも難しく・・・。

経験から学んだ教訓:ガソリンはぎりぎりまでこらえず「減ったかな」くらいで入れること。

私たちはいつも聖霊様によって満たしていただいていくことが大切!
心がガス欠だと止まっちゃうよん。
どんなにアクセル踏んでも、どんなにエンジンかけ直しても、
ダメ。
聖霊様に満たしていただかないとダメです、私たちも・・・。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の20篇を読みました。

7節の言葉
「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」

自分の才能、能力、実績、性格のよい部分、それも神様が与えてくださったもの、
教会の人数、財力、実績、性格のよい部分、それも神様が与えてくださったもの、

でも、それが私たちの誇りであってはならない。
神様ご自身、神様ご自身こそが私たちの誇り。
私たちの力。私たちの頼るべきもの。

本気で主を信頼して、
本気で主に祈って、
力を与えていただいて、
奇跡を起こしていただいて、
歩んでいきたいと思う。

自分は本気で「主を誇りとする」歩みをしたいと思った。

主よ、
あなたがわたしの誇りです。
あなたがわたしの力です。
どうか、わたしをあなたが支え、
あなたの力によって生かしてください。
他の何ものか、ではなく、
あなたを信頼して歩む者でありますように。

2007-04-12

傲慢から守られますように

今日は朝から雨。
本降りでした。

でも、天気予報キチガイの世界は、
日曜日から月曜日の天気に関心を移しています。

100年に一回のstormが来るかもしれない、と大騒ぎです。
「potentially historic storm」とか、
「a 100-year storm」とか言う言葉が踊っています。

確かに、昨日から、コンピューターモデルが、
こぞって、ニュージャージー沖に日曜日の夜に猛烈な低気圧が進んできて、
そこで火曜日くらいまで停滞する(正確に言うとloopする)とはじき出しています。
ここら辺は雨で、場合によっては雪が混じる、くらいみたいですが、
ペンシルベニアは50-100センチの大雪。
それもしめった雪なので、木が倒れたり、停電したり、かなり被害がでるかもしれません。
また、雨のところでも雨量が多くなり、河川の氾濫の危険があり、
風が強く、波が荒く、海岸線が変わってしまうほど浸食される危険もあります。

くれぐれもご注意を・・・。

ボストンマラソンの日だそうで、
もろに向かい風みたいですね。
大きな被害が出ないように祈りつつ。

今日のJOYJOYキッズクラブ・・・、
昼頃になって「やべえ」と思いました。
昨日の夕方、教会に行ったら、教会のジムで、
アメリカ人のおばちゃんたちがせっせと「蚤の市」の準備中。
「フリーマーケット」ではなくて「ラメージセール」なので、直訳すると
「がらくた市」ですね。

「ああ、どうも・・・いつですか?明日ですか?」
なんて何にも気がつかないで挨拶していた自分。
「あしたじゃなくて、あさってと土曜日よ」なんて、返事をもらっていたわけで・・・。

それを、今日になって、「何やっているんだ、今日はJOYJOYキッズクラブじゃないか?」とあわてても、後の祭り、最悪は、ほかの小さな部屋でやるか、と思っていました。

そして、今日、3時過ぎに教会に着いてみると、
しっかりきれいに並んでいるんですよね。売り物が・・・。
ガラス製品とかは、いくら「ラメージ」と呼ばれていても、やはり「売り物」なわけで、
心配しました。

でも、なんとか場所をつくって、ジムの片隅でキッズクラブをしました。
今日も20人くらいのみんなが集まってくれました。
楽しかったです。

ホント気をつけなければいけませんね。
今回は何とかできましたが、
コミュニケーションがうまくいっていなくて、
私たちが何か大きなことをしているときに、
アメリカ人の方々が「私たちの予定があったのに・・・」と入ってこられたりすると、
大変なことです。

そして、ここを使わせていただいていること、
当たり前のように思ったりしないことが本当に大切だと思いました。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の19篇を読みました。

「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。」13節。

本当に罪から守られたいと思う。
この傲慢という罪、
他人の中にこれが見えたときには、
本当に恐ろしいと思うし、嫌悪感を感じる。

でも、自分の中にこれがあるときにはなかなか気づかない、気づけない。
だいたい、傲慢なんだから、自分の傲慢さがわかるわけがない。
だから、主に祈るしかないのだろうと思う。
そして、聖霊様はそのことを教えてくださるのだと思う。
「あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください」
これは本当に大切な祈りだと思った。
日々に祈るべき祈りだと思った。

それとともに、今から23年前に、わたしに対して、
「君は本当に傲慢な人間だね」と言ってくださった先生に、
心から感謝したいと思う。

もしも、わたしもそのように言うべき時があるならば、
そのように言うことができる勇気を与えていただきたいと思った。

主よ、
どうか、わたしを守ってください。
傲慢の罪から、わたしを守ってください。
もしも、わたしがそれに捕らわれている時には、
それをわたしに示してください。
聖霊様、その罪をわたしに示してください。

2007-04-11

敵の方が強いから

今日も肌寒い一日でした。
今夜から明日の午前中まで雨です。
ちょっとまとまった雨になりそうです。

それから土日も雨。
雪が混じるかも・・・という予報もでています。
今日の時点で多くのコンピューターモデルが、
ニュージャージー沖に猛烈な低気圧が進んでくる、
という予報を出してきているそうです。
ちょっと心配です。

今日はNYDayだったのですが、
夕方42丁目のタイムズスクエア、
7番街を横切っていました。

42丁目がめちゃくちゃ混んでいて、
一人の婦人警官が7番街から曲がって42丁目に入ろうとする車を規制して、
曲がれないように誘導していました。

そこを無理矢理曲がろうとしたのが、大きなバス。
婦人警官はしきりに「まっすぐ行け」と合図をするのですが、
バスの運ちゃんもなんだかいろいろ叫びながら、強引に曲がろうとします。
でも、そこは婦警さんも譲らずに体を張って、「こっちには曲がれない」と
阻止しようとします。
「あのバスの運ちゃん強引だなあ」と思いながら、見ていましたが、
婦警さんの譲らず、最後はバスの運ちゃんがあきらめて、ハンドルを切り直して、
まっすぐ行きました。

思わず、婦警さんに拍手をしたくなりました。

「ダメなものはダメ」
そう言うことの大切さを最近特に思わされています。

面倒なことを避けるがあまり、
「おかしいなあ」と思うことを許してきた自分の甘さを恥じています。

このケースだと誰が見ても、バスの運ちゃんが「わがまま」で、婦警さんは「しっかりしていた」なんですが、教会の場合はなかなか難しいですよね。牧師がいつも正しいわけではない(それはよくわかります)中で、でも、どう考えてもおかしいことに関しては妥協してはいけない・・・。この婦警さんの強さを持ちたいと思いました。教会を愛し、人々を愛しているが故の強さ、を持ちたいと思いました

今日の聖書。
今日は詩篇の18篇を読みました。

「主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。彼らは私より強かったから。」17節の言葉です。

敵の方が強い。
なんだか、負けず嫌いの男にとってはなかなか認めたくないことです。
反対に言うと、「自分の方が弱い」ってことですから。

今日読んでいた教会のリーダーシップについての本の中で、
「(ルターが勇敢な人として引き合いに出されて)すべての人が生まれつき勇敢なわけではありません。生まれつきルターよりも気の弱い人もいます。大胆か控えめかにかかわらず、神さまは、リーダーが勇気を持ち、恐れに屈しないようにと召しておられます。恐れは現実生活の一部ですから、神さまは、私たちに聖霊をお与えになり、力を満たしてくださるのです。私たちは、その力を働かせて、恐れないようにしなければなりません。」
という文章に出会いました。

自分は弱くても、
主がおられる。
聖霊様に満たされて、
「力と愛と慎みとの霊」に満たされて、
歩むことができればと思います。

だから、いつもいつも聖霊様に満たされること、
それが大切なことなのだと。
自分の勇気を鼓舞することよりも、
「こうしなければいけない」と考えるよりも、
聖霊様に満たされることを求めることの大切さを思わされます。

主よ、
どうか私に聖霊様を与えてください。
聖霊様に満たしてください。
そして、その力によって、正しいことを正しいと、
ダメなことはダメ、と言うことのできる者とならせてください。

明日のキッズクラブもすばらしいときとなりますように。

2007-04-10

神の御姿に満ち足りる

昨日の前半部分、文字化けしていたそうで・・・。
みなさん、これからもそういうことがあったらお知らせしてください。
私のPCでは何の問題もなく、読めていたので、全然気がつきませんでした。
今度は直っているでしょうか?

今朝も氷点下の朝でしたね。

昼間は10度くらいまでは行きました。
春はまだもう少しお預け。

明日も今日と同じくらい。
朝が0度くらいで、昼間が10度くらい。

夜には雨。
それがなんとみぞれ混じりになると予報がでています。
ざあっと20日くらいまでの予想を見ても、
10度を超える日はぽつぽつ、という感じです。

1ヶ月くらい季節が遅れている感じです。

しょうもない話なんですが、
最近、よく口の中を噛みます。
子供の頃から時々あるのですが、
最近は1食に1回とか2回とか・・・。

ですから、ほっぺたの内側がボロボロになり始めています。
もっとひどいのは、「口の中噛んじゃうんじゃないか恐怖症」
とにかく、食事をしながら、怖くてしょうがありません。
自分のしっぽを食べてしまった蛇の話を聞きますが、
絶対あり得ないと思います。
「気がついたらもうほとんど自分を食べていた、なんてあり得ません。
怖くて怖くて、でも、食べるのは好きなので、食べるんですが、
怖いですねえ。

そして、それを忘れた頃に、またガブッとやってしまいます。

忘れて調子よく食べてしまった自分の不注意に、また情けなくなるわけです。

噛み合わせなのか、太りすぎなのか。

体重はあんまり増えてなくて、
逆に減っているくらい何ですが、
肉はおなかの周りと顔につきまくっているようで・・・。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の第17篇。

「目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」15節の言葉です。

この前には、人々が豊かな生活をしている様子、
子供たちに財産を遺してあげている様子が書かれています。

しかし、この詩人にはそんなことはできなかった、
貶められ、攻撃を受け、
「神を避け所とする」生活をしていた。

だから、周りの人々のように、
また自分の敵のように、子供たちに遺すものは何もなかった。
財産といえるようなものは何もなかった。

でも、天国で目ざめるときに、
そこで、主の御姿を見る、それだけで十分、とこの詩人は言うのです。

自分の目はどこに焦点が当たっているだろうかと思います。
主に焦点が当たっているだろうかと思います。
ほかのものではなくて、
ただ、主に焦点を当てて、主を見上げて、
主にお会いする日を楽しみにして、
歩んでいく者でありたいと思います。

主よ、
あなたとお会いする時を楽しみにしています。
あなたの御姿を見るのを、そしてそれで満足することを楽しみにしています。
でも、もう一つ、楽しみにさせてください。
この地上で共に歩んだ、愛する仲間たちと、
あなたのもとで、再会することを。
信仰の先輩たちと、お会いすることを。

2007-04-09

主がわたしの受ける分

今日は昨日よりはちょっと暖かかったですが、
まだまだ春にはなりません。
レンギョウの花はずいぶん咲いてきましたが、
たとえばチューリップはこの1週間、つぼみが同じ大きさです。

最低は-2度くらい。
最高は9度くらい。
明日も同じようなもんでしょう。
なかなか出口が見えません。

今日は朝から、半年ぶりの歯のチェックアップ。
虫歯はなかったのですが、
なんと、強く歯磨きをしすぎるのか、
歯が減ってきてしまっているそうです。
確かに、歯茎と歯の境目くらいに、
溝ができているのを感じます。
歯医者も、日本にいるときは一回行って1000円とか、少ないときは100円とか、だったよなあ、と思いますねえ。チェックアップしないで虫歯になったら、もっと大変なんですが、チェックアップも決して安くはないし、一生懸命歯磨きしてても、「磨きすぎ」でまた治療しなければいけないなんて、困ったもんです。

虫歯になっちゃいかんと、ちょっと気合いを入れて磨きすぎたのでしょうか?
15年くらい前、まだ日本にいるときに、歯医者さんで、
歯と歯茎の間をターゲットにして45度の角度で歯ブラシを当てて、
細かく磨く、と聞いたので、忠実にそれを守り続けているのですが、
まあ、ちょっとやりすぎたのかも・・・。

あと、「かため」の歯ブラシはダメだそうで、
「やわらかめ」にしてくださいね~、とスティーブン先生に優しく言われてしまいました。
でも、早速くださった「やわからめ」の歯ブラシ使ってみましたが、
なんかやっぱり物足りないですねえ。歯を磨いた気がしないってゆーか。
やはり習慣というのは恐ろしい・・・。

あと、夕方から、コンピューターの大掃除。
っていうか、あまりにデータがたまりすぎたのと、いろんなソフトを入れたり捨てたりして、
不安定になって、ちょっとエラーメッセージが多くなってきたので、
工場出荷状態に戻して、必要なものだけを入れて何とか快適な状態を保とうとしています。
「出荷状態に戻す」のも最近のコンピューターは便利にできていて、ボタンを何回か押すだけです。
こんなことをするのは何年ぶりかで、この簡単さにはびっくりです。
とても気持ちのいい状態です。

仕事部屋の方も、それをやらなければいけないのですが・・・。


さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の16篇を読みました。

「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」この2節の言葉は長女の名前の由来となった言葉。いつも心に響く言葉です。

でも、今日はもう一つ。
5節の、「主は私のゆずりの地所、また私の杯です。」

ほかのなにものでもなく、
財産ではなく、
主ご自身が私の神様からいただいた最高のもの。
そう、ほかには何もなかったとしても、
この方をいただいて、神様ご自身をいただいて、
歩めることは何という幸いかと思います。

私の財産は何よりもこの信仰であり、
神様ご自身です。

ほかのものに目が奪われたり、
経済的なものに魅力を感じたり、
表面的な成功(教会の人数とか)に
心が奪われたりしないで、
確かに、主ご自身と共に歩めることを喜びとしていく者でありたいと、
そう思います。

主よ、
あなたが私のゆずりの地所であってくださること、
ほかのものではなくて、あなた自身を私に与えてくださっていることを、
心から感謝します。
どうか私の心がぶれることがありませんように。
いつもいつもあなたを見つめて歩む者とならせてください。


2007-04-08

心の真実を語る人

今日も寒い朝でした。
-2度くらいまで下がりました。
そして昼間も5度止まり。

何だか冬です。
ただ、ちゃんと日が長く、朝も夕方も明るいのは全然気分が違います。

早く暖かくなって欲しいものです。
明日は10度くらいまでは上がるみたいですよ。
朝は氷点下でしょうが・・・。

今日はイースター。
礼拝には、中高生以上で90名を超える方々が来られました。
礼拝後の愛餐会もとても良かったです。
たくさんの方々が来られたこと、お一人一人に感謝。

また、今日は特に、深川二中出身の方がおられたのもうれしかったです。
ちなみに私は深川三中。
(以前、深川六中出身という方も教会にはおられましたが・・・)
私は木場三丁目、彼は冬木。
超ローカルな話ですが、5分圏内です。
学年も一年違い。
でも、小学校も中学校も違うので、
「共通の友人がいる」というところまでは行きませんでしたが・・・。

そうそう、
どこかで書いたかもしれませんが、
NJで、集会に来られていた奥様のご主人が、
高校の同級生、というのがありました。
それも、たまたま、クリスマスカードを頂いて、
ご家族一緒の写真がついていて、
「ああ、こういうご主人なんだあ」と思っておったところに、
たまたま、高校時代の卒業写真集を、息子が宿題のネタか何かに使って、
そこら辺に出しっぱなしにしていたのを見ている時に、
「あー、この顔、この名前、つい、この間見たばっかり・・・」と気がついたわけです。

世界は狭いというか、そういうことがあるもんですねえ、というか、
でも、やはり、一つ一つの出会いが神様から与えられている、ということなんでしょうね。

感謝。

今日の一つ一つの出会いに感謝。

今日の聖書。
今日は詩篇の15篇。

「心の中の真実を語る人」2節。

これは、神様と共に歩む人はどんな人でしょうか、という問いに対する一つの答え。

「心にあることを語る」
何でも思ったことを口にする、ということではないと思いますが、
でも、礼儀を守った上で、ちゃんと言うべきことを言う、
そして、ごまかさない。
そのような態度だと思います。

元々、言うべきことが言えないで苦労した子供時代がありました。
それでいて、外交辞令も言えないで、苦労している部分もあります。

自分の弱さは弱さとして認めた上で、
でも、本当に真実に歩む者でありたいと思います。
勇気を持って語るべきことを語る者でありたいと思います。

そして、すべての言葉が、「恐れ」ではなくて、
「愛」を土台とした、言葉となるようにと願います。
牧師は「霊的なリーダー」であると言います。
「恐れ」に支配されている人は、周りの人も「恐れ」で支配しようとします。
あのイエスが誕生した時代にエルサレムやベツレヘムを支配していたヘロデ大王はその典型です。彼が人々を恐れさせて支配したのは、彼自身が恐れに支配されていた人だったからです。
「愛」に支配されて、愛で人々共に歩んでいく「霊的なリーダー」となることができるようにと願います。そこには愛ゆえの「厳しさ」も必要だと思わされています。

主よ、
どうか、私が真実にものを言う者となることができますように。
単に自分の思ったことを何でも口にする、という意味ではなくて、愛を持って真実に語ることができますように。人の言葉に耳を傾ける広さと、はっきりと語る強さを与えて下さい。


2007-04-07

主が避け所

今日もまた寒い日でした。
朝は6時過ぎに出て教会の祈り会だったのですが、その時点で-3度くらい。
昼間も6度くらいまでしか上がりませんでした。

ちょっと買い物に出た時には肩をすぼめて歩く・・・という冬の力の入り方、でした。

明日はイースターで、あちらこちらの教会で早朝野外礼拝をすると思いますが、
かなり寒いのではと思います。

確か、アトランタのストーンマウンテンのてっぺんでもありますよね。
ちなみに、その付近の明日の最低気温は-3~4度C。
かなりきつそうです。
でも山の上からの日の出を見ながらの礼拝、すばらしいでしょうね。
超教派の礼拝のようです。
ここら辺ではそういうところはないのでしょうか?
NJの西の方の山の上とか・・・。
マンハッタンの方から日が昇ってくるなんて、いいですよね。

イエスさまの復活の日曜日を待ち望みつつ。

明日の礼拝の準備、
通訳の方には申し訳なかったのですが、
本当にいろんなことを思わされて、
今日の昼過ぎまでかかってしまいました。

本当に御言葉と格闘する1週間でした。
というか、月報にも書きましたが、
自分にとって、イエスの復活はどんなものなのかをもう一度問われたこの数週間でした。

イースターはアメリカではお祭りムード一色ですが、
2000年前のイースターの朝は、
涙に暮れている人々に、
good newsが届いた日なんですよね。

明日の礼拝も、
痛みの中にある方々、涙の谷を通っておられる方々に、
慰めと癒し、そして立ち上がる力が与えられるような
礼拝となりますように。

今日の聖書。
今日は詩篇の14篇でした。

「おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。」6節の言葉です。

悩みの中で、考え抜いて、悩み抜いて歩み出したことさえも、
はずかしめられる、ようなことがあるのだという。
屈辱的なこともあるのだろう。
しかし、そんな時にも、主は私の避け所。
主にこそ救いがあり、
主にこそ答えがある。

Jesus is the answer...という歌があった。

今、自分は本当に主にあって答えをもらいたいと思う。
主が導いておられるのはどこなのかを、教えて欲しいと思う。

そして、どこにあっても、
単純に、イエスを証ししていく者でありたいと思う。

他の何ものでもなく、
主を避け所として、
主を慰め主、癒し主として、
そこに解決を頂いて、歩んでいきたいと思う。

主よ、
あなたに解決があることを、
あなた御自身に答えがあることを、
教えてください。
経験させてください。


目の輝き

今日も寒かったです。
朝は0度くらいで、最高気温も5度くらい。
冬に戻ってしまったみたいです。

明日も寒いでしょう、ってゆーか、ずっと寒いでしょう。

そしていつ小雪が舞っても不思議ではないでしょう。
NJの南の方では、積るほど降る予報が出ています。

日本は入学式の日でしょうか?
みんな元気に学校いったでしょうか?
今年帰ったS君もR君も・・・。

今日はGood Friday。十字架の日です。
サンディエゴのO倉先生のページにこんな話が・・・。
人の話を聞ける者でありたいと思います。
そう、「どうしてこんな目に遭うの・・・」ということが私たちの歩みの中には起こってきます。納得いかない、どうしてこうなるか分らないことが・・・そんな私たちのところに来て下さった主に感謝。

今日の夜は教会に集まって聖餐式をしました。
イエスさまの十字架をもう一度覚えて祈る時。
とても幸いな聖餐式でした。

「ふさわしくないままで・・・」という言葉。今日は特にズシンと来ました。本当なら私もふさわしくなかった。私もふさわしくない。でも、あの十字架ゆえに、罪赦され、受け入れられている。そして、特別に聖餐式を導く立場を与えられている。厳粛な思いがしました。

今日の聖書。
今日は詩篇の13篇でした。

「私の目を輝かせてください。」3節。

この言葉が心に響きました。
自分の目は今日は輝いているだろうか?
自分では分らないことかもしれません。
でも、「輝かせて下さい、神様!」という思いがあふれてきています。

10年前、JOYJOYキャンプを始める時に、
「皆さんはご存じですか?子供が子供になる瞬間。その目の輝き。JOYJOYキャンプは子ども達の目の輝きを大切にします・・・」なんて文章を書きました。今読んでみるとちょっとくさいかな、と思いますが、あのころは本気でした。子ども達の目が輝くときって、うれしいですよね。

でも、今自分の目は輝いているだろうかと思います。
子ども達の目の輝きを引き出すためには、
僕らが輝いていないとダメだよな、と思います。

教会の一人ひとりの目が輝くことを期待する前に、
私の目が輝いているだろうかと思います。

いつもいつも主から力を頂いて、
主から命を頂いて、答えを頂いて、
輝いて歩んでいけるようにと思います。
どんな状況の中でも・・・。

主よ、
どうか私の目を輝かせて下さい。
私の内側にあなたの光を満たして下さい。
あなたの命にあふれさせて下さい。

2007-04-06

誰が支配者?

4/5の聖書。
詩篇の12篇を読みました。

「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。」4節。

これは詩人を苦しめる人々の言葉です。

言葉は武器です。
ヒットラーが雄弁であったことはよく言われますが、
妙な説得力を持った人がいると、
その意見にぐーっと人々の気持ちが流れていきます。

私は雄弁な方ではないので、
それほど心配はしていないのですが、
どうしたらわかってもらえるか、どうしたら伝わるか、ではなくて、
どうしたら自分の思った方向にことが進んでいくか、
ということを考え始めたらまずいな、と自戒することがあります。

「誰が我々の支配者なのか」
とうそぶく人々。

自分たちが支配者だと思っているのです。
わたしはどうだろうかと思います。
自分の人生の主人は自分ではない、神様。

神様の支配の元に歩むことがどんなことか、
一つ一つ教えて頂きたいと思わされます。

主よ、
あなたが私の主です。私の王です。
このことが単なる言葉ではなくて、
実際にどんなことを意味しているのか、
一つ一つ教えて下さい。
実生活の中で、あなたを私の王として歩んでいくことを教えて下さい。

感謝

日付が変わってしまいました。
昨日、4/5は予想通り、雪が降りましたね。
ヤンキースの中継をしている時にも雪が舞っているのが映っていました。
今は夜中の12時過ぎですが、
0.6度で小雪が舞っています。

これから1週間、いつ小雪が舞ってもおかしくないような
日が続くでしょう。

朝晩は氷点下、昼間は10度止まりです。

今日は連れ合いのBirthdayだったので、
夜は家族でゆっくり過ごしました。

家族とされたことを主に感謝しつつ。
もっともっと理解することができるように祈りつつ。

詩篇の12篇はまた明日の朝に・・・。

2007-04-04

主に身を避ける

今日は予想通りの冷たい雨。
予想よりも寒く、一日中5-6度の寒さでした。

今朝のニュースでは東京も19年ぶりの4月の雪だったそうですね。
こちらもかなり冷たい空気が入るので、
夏の「夕立」のように、
夕方になると、4月の日差しで暖められた空気が上昇して、
積乱雲を作り、そこから雪やみぞれが降ってくる可能性はあります。

明日からは最高気温が8度くらい。
朝晩は-3度くらいの日が続くみたいです。

今日はいろいろ考えさせられる記事に出会った。
asahi.comに行って、
「アスパラクラブ」の中の「家族」という連載。
ここはメンバーになってログインしないと見れない。

でも、無料でメンバー登録をすればいい。
記事によっては朝日新聞を取っていないと読めないけれども、
この連載は取っていなくても読める。

特に今連載している
「ある少年の更生」。
4回連載のうちの3回まで進んでいる。

傷害事件を起して少年院に行った経験のある末息子と、
会社が倒産して150億円の借金を抱える親父。

その心のすれ違いとふれあいを記事にしている。

特にお父さんがクリスチャンになったことで、
聖書の「放蕩息子」のたとえ話になぞらえて話が展開していくのが興味深いです。

一番のテーマは、
息子達のよい子のところを喜ぶ親と、
その期待に答えようと自分を偽る子ども達。

でも、これって本当にたくさんあるんだろうなあと思います。

牧師としての働きの中でも、
「信徒に期待する牧師とその期待に表面的に答えて、自分を偽る信徒達」
ということはあるのではないかと思います。

本当の心の叫びを聞くこと、
それがどれほど大切なことかと思います。

時々、もっと強いリーダーシップを持つべきなのかと思う時があります。
でも、人を黙らせて、表面的に従っていく人々を作ってもしょうがない、と真剣にそう思います。
聞く耳を持ちつつ、伝えるべきことを伝えていく、本質的なところでは一致を求めながら、広さを認めるそんな働きができればと思いますが、「絵に描いた餅」でしょうか。

さてさて、今日の聖書。
今日は詩篇の11篇。
この詩も、敵に脅かされている中で歌われた詩です。

心に留まったのは
「主に私は身を避ける。」という1節の言葉です。

主の許に答えがある、
今朝、そのように思いました。
いろんな声が聞こえてくる時、
そこに恐れを感じる時にも、
主の許に答えがある。

いつもいつも主に聞いていく、
そこからぶれてしまってはいけないと思います。

他のところに身を寄せるのではなくて、
主の許で安らぎをえて、
主の許で解決を頂く、
そのような者でありたいと思います。

主よ、
どうか私を守って下さい。
いつもいつもあなたの元に身を寄せて、
あなたから守って頂いて、
あなたの語りかけを待ち望んで、
あなたの御言葉によって生かされて歩ませて下さい。

2007-04-03

見ておられる主

今日は、暖かくなりましたね。
朝のうちは昨日と同じような感じでしたが、
9時頃にはもう明るくなって、
晴れてきました。20度くらいまで上がりました。

でも、この後、ちょっと春はお休み。

明日からはまた寒くなります。
あちらこちらの天気予報で「S」の字が躍っています。

東京の場合は一番遅い雪が4月17日(1969年)・・・自分は5歳?

ニューヨークはなかなか見つかりませんが、
確か5月に降った記録もあると聞いたことがあります。

まだ4月の初めですから、何が起こっても驚かないようにしましょう。

日曜日の説教の中でお話しした。
「私は主を愛しているだろうか」
「私は教会を愛しているだろうか」
「私は人々を愛しているだろうか」
「私は家族を愛しているだろうか」

考えさせられます。

大体、メッセージは語った一週間、特に、自分が問われます。

「私は自分の夢のために主を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために教会を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために人々を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために家族を利用しようとしていないだろうか」

余り考えたことがありませんでした。

でも、考えたことのないこと自体が危険なことなのかもしれません。
おそらく、周りを利用しようとする人は自分がそういう傾向があること自体、
気がつかないのでしょうから・・・。

今夜ある方と学びをしている中で、
「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マタイ16:23)
というイエスのペテロをいさめる言葉が、心に深く響きました。

神様が私たちをどう見ておられるのか、
神様が私たちに何を望んでおられるのか、
それをもっともっと求めていきたいと思います。

人々を愛することは、どういうことなのか、
もっともっと教えて頂きたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の第10篇を読みました。

「彼は心の中で言う。『神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ。』」(11節)

「あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。」(14節)

私たちが苦しみに遭う時、
神様が私のことを忘れてしまっている、
神様が私のことを見て下さっていない、
そんな風に思うことがあります。

忘れられる、
見られていない、
それは何と悲しいことでしょうか?

人は忘れることもある。
人に覚えてもらっていない時もある。

私も失礼なことをしてしまう時もある。

でも、主は忘れていることはない。
主はいつも見ていて下さる。
私たちを御手の中に収めるために。
その御手で守るために。

疑わないことにしよう、
忘れないことにしよう、
主が私を心にかけて下さっていることを。
主がJCCNJを愛し、
心にかけて下さっていることを。
教会の一人ひとりを愛し、
心にかけて下さっていることを。

主よ、
感謝します。
あなたが居て下さることに。
あなたが見ていて下さることに。
あなたが御手を延べて守って下さることに。
私があなたの愛を疑うことがないように、私の心を守って下さい。
あなたが私をいつもいつも心にかけて下さっていることを、
忘れないように守って下さい。

人が誇らないように

また日付が変わってしまいました。

昨日(月曜日)はもっと暖かくなるはずだったのですが、
なかなか雲が取れずに、ひんやりした一日になりました。
特に午前中は10度以下。どんよりとして、肌寒かったです。
午後はちょっと日も差して、15度くらいまで行きましたが、
期待していた20度はほど遠かったです。

今日(火曜日)も昨日と同じで、何時頃から晴れてくるかがポイントでしょう。
今日よりは早いと思いますが、
それでも、午前中はどんよりしていると思います。
そして、この次の暖かくなるのは10日以上先のことだと思います。
お体には気をつけて・・・。

2週間ほど前に雪が降りました。
その後Sleetがかなり降ったのですが、
それが悪かったのか、翌日の土曜日、
教会の車のワイパーが、走っている途中で突然動かなくなったのです。

え~、これはまずい、と思いました。
雪の後は、道路の凍結を防ぐために撒いた塩が
フロントガラスについて、真っ白になってしまうので、大変なんです。
ただ、近所だったので何とか帰ってきました。

後で気がついたのですが、
Highなら動くんですよね。
つまり、ぽつぽつと雨が降ってきた時も、
ワイパーをHighにしなきゃいけないわけです。
みんなが間欠ワイパーで時々「カッチャン・・・カッチャン・・・」と使っている時も、
一台だけ、「カシャ、カシャ、カシャ・・・」とものすごい勢いで動かさなければいけない。
すごい勢い、というよりも、「せわしない」という感じですよね。
しかも、High 以外のところに合わせると、その場で止まる・・・。
それもカッコ悪いです。

で、次の週に直してきました。
ついでに助手席側の窓が開かないと言う症状も出ていたので、
直してもらいました。
まだ5年まで延長しておいた保証期間内だったので、タダ。
よかったです。大体、3年保証の車は3年を越えるとあっちこっち、がたが来始めますから。

でも、この間の金曜日に、今度は「窓を開けると閉まらない」という症状が出てきました。
運転しながら、運転席から、助手席側の窓が閉まらない。
今時、窓の開け閉めを手でやる車はかなり少数派でしょうが、
こう言う時は電気仕掛けは困ります。
「開かない」というのよりもたちが悪い。
だいたい、そういう時って、
「あれっ」と思って、スイッチをがちゃがちゃするじゃないですか。
そうすると、開く時は動くわけだから、どんどん窓が大きく開いていくんですよね。

雨が降ってきたらどうする?
焦りました・・・。

幸い、助手席のスイッチでは閉まるので、ホッとしました。
「ああ、よかった・・・」

でも・・・土曜日、
出かけた先で、今度は、運転席側の窓が閉まらない、という症状が出ました。
これはまた焦った。
マジで焦りました。
今度は他のスイッチはないですからね。
運転席側の窓のスイッチは運転席の横にしかないわけですよね、普通。
でも一生懸命あっちこっち探してしまいました。
どこかにスイッチがないだろうか?
もう一つ、どこかにスイッチがあったら、それは動くかもしれない・・・と。

ま、最終的には何回かトライしているうちに、窓が閉まったのですが、
雨の中でそんなトラブルがあったら大変です。
時間ができたらまた修理に持っていきますが、
何だか、窓を開けるのが怖くなってきてしまいました。

ちなみに、「サンルーフ」が閉まらなくなって、
ひどい目にあった、という話も聞いたことがあります。
「オープンカー」なんかも大変でしょうね。電気系統が雨の中トラブったら・・・。

さて、昨日、月曜日の聖書。
詩篇の9篇を読みました。

心に留まった言葉が、
「主よ。立ち上がってください。人間が勝ち誇らないために。」19節の言葉です。

神様の力です。
人の力ではなくて、
神様の力を見せて頂きたいと思っています。
今、私たちの教会は大きな転機を迎えようとしています。
人間の力で、見えてくるものもあります。
何とかなるかなあ、と思います。

でも、なかなか思い通りに行かない。
人間の力ではないんだろうと思います。
神様の力が必要なんだと思います。
そこに目を留めるべきなんだろうと思います。

私たちが誇ることがないために・・・。
自分が何かをしたことや、
「強い信仰」を持っているかのように思うことさえ、
分っているかのように思うことさえ、
誇ることがないために、
主は私たちを「思い通りに行かない」ところに導かれるのだろうと思います。

主が介入して下さいますように。
主が御力を表して下さいますように。

あのモーセと共にあって下さった主が、
その幕屋に雲を満たして、
光を満たして、
「確かにここに私はいるんだよ」と
示して下さった主が、
今日も私たちと共にあって、
「確かに私はここにあなたがたと共にいる」
と、示して下さいますように。

主よ、
どうか、あなたの臨在を表して下さい。
あなたが共にいて下さっていること、
あなたが導いていて下さっていること、
私たちに分るように表して下さい。

2007-04-01

神の力

礼拝から帰ってきました。
この時間に、時間ができるなんて、すごい久しぶりです。
こういう日が必要だなと思います。

雨も今のところ大したことはありませんが、
ちょっとこれから降るようですね。

そして、明日は20度近くまで上がって暖かい日になるでしょう。

その後水曜日からの一週間が寒の戻りで、
氷点下の日もあるみたいです。

予報にはsnowの字もちらほら見えます。

今日は月に一度の聖餐式。
それも「受難週」イエスが十字架にかかったのが、今週の金曜日。
十字架の一週間。
聖餐式のパンとぶどうジュースはイエスのからだと血を表します。
今日もそのイエスの十字架ゆえに神様の前に出れることを
感謝しました。

「ぶどうジュース」・・・教会によってはぶどう酒を使います。
イエスもぶどう酒を使ったんだろうと思います。

なぜ、ぶどうジュースを使う教会が多いのかというと、
「未成年者への配慮」「元アルコール中毒の方への配慮」
が大きいと思います。

あと、アメリカは20世紀前半に「禁酒法」があったくらい、
教会と禁酒運動とのつながりは強いです。

私もそのような伝統の中で育ってきました。

私たちの教会も、教会のプログラムの中はいっさいノンアルコールです。
結婚式を教会でする方で、レセプションも教会でする場合、
ゲストの方々に理解して頂くのは難しいことかもしれません。
でも、そのようにやってきました。

ある牧師さんは、
近所の方々を招いてBBQをしたあとに、こう言われたそうです。
「ノンアルコールであんなに楽しい時を過ごせるなんて新しい発見だった」と。

でも、私たちが建物を借りている教会はドイツ系の教会で、
元々私たちが日本語教会であるような意味での、
ドイツ語教会でした。

その教会は教会行事の中でも、
アルコールが入ることがありました。
確か100周年記念集会に出た時に、レセプションでアルコールが出ていました。
みんな車で来ているのにね・・・。不可解でした。
日本も去年の9月に日本に行った時には、
ちょうど問題になっていて、かなり厳しく取り締まられていましたが、
今はどうなんでしょうか。

運転する人は論外ですが、それ以外は文化と言ってしまえばそれまでですが、聖書の中に、

「酒に酔ってはいけない。それは乱行のもとである。むしろ御霊に満たされて、詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」エペソ5:18-19

とありますから、一滴も飲んではいけない、とは思ってはいませんが、酔うほど飲むべきではなく、何よりも、私たちは「御霊に満たされること」を求めていくべきなんだと思います。

さて、今日は詩篇8篇を読みました。
心に留まったのは、2節の言葉です。
「あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。
それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。」

幼子や乳飲み子の口から出る言葉によって、
神様は力を打ち立てられる。
私たちの弱いところに働いて、
御業をなされる。

子ども達の「あぶあぶ~」という声も主は用いられる。
主の力はどんな中に表されるのか、
私たちの思いを越えていると思う。

大人達のいろいろ考えて理屈をこねて作り上げられたものよりも、
子ども達の、それも乳飲み子のような子ども達の
喃語を主はそのご栄光を表すものとして用いられるのだ。

大きな声を出さなくていい。
理屈をこねなくていい。
素朴な主への声が上がっていくところに、
主の力が表されるのだ。

主よ、
必要な休息を感謝します。
ありのままの主の前の叫び、
嘆き、ホッとした一息、それらがあなたに受け入れられることを心から感謝します。
どうかあなたの命を私の中に満たして下さい。

主の許に身を避ける

昨日は暖かい中で、JOYJOYイースター。
去年がみぞれの中だったことを考えると、
穏やかな日で本当によかったなあと思います。

でも、天気がよかった+日本の春休みシーズンで、土曜補習校が休みだったので、お出かけされた方も多かったのでしょう。参加者は50名と、みぞれの中の去年並、でした。

でも、昨日も元気な子ども達の声が教会に響き渡りました。

初めての子も何人かおられてうれしかったです。

今日は雨のようですね。

でも、まあ、大したことはないでしょう。

昨日は詩篇の7篇を読みました。
心に留まったのは1節の言葉。

「私の神、主よ。私はあなたのもとに身を避けました。」

自分は行き詰まった時、
攻撃を感じた時、
どこに行っているだろうかと思った。
本当に主の許に行っているだろうか?

主の許に身を避けているだろうか?

他のことでストレスを発散したり、
反撃に出たり、
そんなことで解決していないだろうか?

主の許に行く。
きつい時だから、
しんどいところだから、
どう受け取ったらいいか分らないような状況だから、
主の許に行く、
それが大切なことなのだと思わされた。

主よ、
どうか助けてください。
あなたを避け所とします。
あなたの元に隠れます。
あなたのところで平安を頂いて、
進んでいくことができますように。
私の心の目があなたからぶれてしまう時に、
どうか私を守ってください。