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2014-08-07

あふれながれるもの。

昨日は雷雨は来ませんでしたが、
涼しくてさわやかな空気が入ってきたようで、
今朝は15度くらいまで気温が下がっています。

そして、雲一つない快晴。



週末にかけて、しばらくさわやかな晴れの日が続きそうです。

昨日の夜からは、JOY JOY Campの中高生スタッフのトレーニング合宿。11人の中高生が参加してくれました。

2012-12-22

かみさまのプレゼント:アドベント聖書日課12/22

今日は時々小雪の舞う風の強い寒い一日でした。
明日も寒さが続きそうです。
そして、クリスマスイブからクリスマスにかけての雪ですが、
降っても大したことはないのですが、
やっぱりホワイトクリスマスは楽しみですからね、
ちょっと注目です。

さて、今日は3日連続のクリスマス集会の初日。
中高生のクリスマス会でした。



歌を歌ったり(教会の歌も、そうじゃないのも)、
みんなでピザを焼いたり、
プレゼント交換をしたり・・・。

楽しく過ごしましたが、その中で、私も聖書の話をしました。
クリスマスと言えば「プレゼント」。
ワクワクしながら、いろいろ悩みながら、プレゼントを考える。
そして、もったいないと思わない。
喜んでくれる顔を思って、楽しみにする。

神様は私たちにイエスさまを与えてくださった時に、
どんな気持ちだったんだろうかと。
ワクワクしながら、喜びにあふれて、私たちのためにイエスを贈ってくださった。

それは私たちと神様との関係を回復するため。

中高生たちに話をしながら、自分の方が胸がいっぱいになってきました。
かみさまありがとう。

「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」ヨハネ3:16

さて、今日のアドベント聖書日課
今日はマルコ14:3-9。

「この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。」8節。

イエスのもたらした喜び・・・今日の箇所で、他の人が「もったいない」と思うことをした、この女の人の愛について、いろいろ考えさせられた。今まで、この女の人の一途さ、一生懸命さ、犠牲を厭わない姿に目が留っていたが、今日は、この聖書の箇所から、この女の人は、単に一生懸命だっただけじゃなくて、イエスを良く見て、イエスにとっての一番ふさわしいことをしたんだなあと思いました。

私も自分のことではなく、相手のことを考えられる愛を持たせていただきたい、そのように思いました。ハイ、教会でも、家庭でも、その他の場所でも・・・。

主よ、
イエスによって救われて、イエスのことをいつも思っていたこの女の人、そのような愛を与えてくださいますように。自分のことで精一杯の私の心にあふれ流れ出る愛を、相手のことを考える愛を与えてください。




2011-08-04

教会のこれからの力。

昨日は久しぶりにまとまった雨でした。
それもしとしとと。
それで、今日はちょっと涼しくなったように思います。
今は夜の11時20分ですが、22度くらいまで下がってきました。


明日もいい天気で暑すぎない夏の天気みたいです。


月曜日は夜遅く戻ってきたのですが、
そこまで、いろいろありました。
トロントの空港ではアメリカヘの入国審査ができてありがたかったのですが、
なぜかまた別室。
荷物の件でブラックリスト入りしているだと思うのですが、
そこについては何も聞かれないで、
ただ、「マッチしないことがあるから・・・」だけで、別室。
まあ、入国は拒否されないだろうから・・・と高をくくっていましたが、1時間も待たされ、その間にお腹が痛くなり、トイレを使わせていただくも、使っている方がなかなか出てこず・・・。冷や汗ダラダラでした。


ま、入国も、腹痛も、問題ありませんでしたが。


あ、そのあと、デトロイト乗り換えだったのですが、
Newark行きの便が、予想通り、雷雨のために遅れに遅れて、
4時間遅れの出発。ウチに着いたはのは夜中の1時半でした。


そして、1日休みながら、キャンプの準備。
昨日からはJOYJOYキャンプの中高生スタッフのトレーニング合宿。
久しぶりに、新人スタッフをたくさん受け入れたので、
その子たちに心構えをしておいてもらおうと、1泊。
楽しくも、心ふれあう、幸いなひとときでした。
特に最後の集まりの中では、みんな聖書の話を真剣に聞き、
イエスを心に受け入れる決心をした子たちも起こされました。


さあ、もう、明日からは全力でスパートをかけます!
来週の火曜日からのJOYJOYキャンプ、最高に楽しくなります。


さて、最近の聖書の中から。
先週の後半あたり、何回か思わされたのですが、
力を持つようになることが神様の祝福であるとは限らないということ。

列王記第二の14−15章あたり、
北王国イスラエルの王たちが、
アッシリア帝国と同盟を結んで勢力を広げるのですが、
最後は結局のところ、アッシリアに飲み込まれてしまう。
本当に外側の勢いとか、そんなものを大切にしたり、
そんなものにふりまわされてはいけないなと思います。

神様ご自身を求め、神様ご自身に力をいただいて歩ませていただきたいと思います。

主よ、
あなたによって力をいただいて歩むものでありますように。
あなたによって満たされて歩むものでありますように。
外側の勢いとか、調子の良さにふりまわされてしまうことがないように。
私の心を守ってください。

2011-06-29

中高生キャンプ最後の夜。

どうなっているんでしょうね。
土曜日から明日までの東海岸の中高生キャンプ(通称ひがきゃん)。
今夜は最後の夜なので、まだまだ、みんな起きているんでしょうね。


うちの上の二人は大学生のスタッフと、キャンパーとして滞在しています。
ウチの教会のイベントとしてやる時には、私も参加するのが基本でしたが、
最近は他の教会と合同でやるので、子弟のいる私はしばらく、「おまかせ」モードです。


おかげで、ウチが静かなこと。
本音を言うと、もうちょっと行っていて欲しい・・・。(笑)


でも、自分も小学生時代から、大学生まで、ずっと教会のキャンプで育ててもらいました。
楽しかったし、本音トークも、大声賛美もいっぱいした。


毎年課題は違ったけど、
なかなか、日頃、向き合えないことにも向き合った。
涙と鼻水で悔い改めの祈りをしたり、
仲間のために本気で祈ったりもした。


だから、ホントに、今夜も尊い夜となりますように。


で、上の二人がいないと、牛乳が減らない。
こちらではガロンサイズ(3.8L)のを買っていますが、
いつもは2日もつかどうか、のが、
何日も冷蔵庫に入っています。


でも、これは最初はびっくりしましたが、
今では、日本に行くたびに、「なんでこんなに小さいの」と思います。


そんなものがいっぱいありますが、
今回、のんちが日本に行く時に、
「物が足りない、と困るから・・・」といろんなものを持っていきました。
JALに電話して、「援助に行くんだけど、荷物をもう1つ持っていってもいい?」と聞くほど、いろんなものを詰め込んでいきました。


その中には、もちろん、「なんだ、日本で調達すればいいじゃん」というものもたくさんあったのですが、その一つがラップ。


でかいの持っていったら、そんなの持って歩けない。
日本のやつはこんなにちっちゃいんです。




すごいですね。
私的には「大は小を兼ねる」という気持ちなんですが、
幅が小さい方がムダが少ないんでしょうね。


さて、今日の聖書。
今日は詩篇111篇。


「主を恐れることは、知恵の初め」10節。

ホントに神様の前に謙虚になる、
それは大切なことだと思う。

そして・・・
自分は知恵をどこに求めているんだろうか?
いろんな知恵を与えてくれる書籍はたくさんある。
でも、その中で、まず、聖書に聞いているだろうか?

そこに知恵の源があると思って読んでいるだろうか?

まず、主の前にへりくだり、
主に聞いて、それに従っていく者でありたい。

主よ、
バカみたいに単純に、
あなたに聞いて、あなたに従っていく者でありますように。
それが一番の知恵であることを忘れることがありませんように。
気の利いたことを言うことを求めるのではなく、
あなたの御言葉に愚直に従う者であらせてください。

2010-03-05

感じることよりも信頼すること。

今日のPurpose Driven Life。
14日目「神が遠く感じられる時」。


これはほんと、キモですね。


聖書の言葉、イザヤ書8章17節。
「主はいま、ヤコブの家に、み顔をかくしておられるとはいえ、わたしはその主を待ち、主を望みまつる。」


Rick Warrenは言います。
「神はあなたが神を感じることよりも、信頼することの方に関心を持っておられます。神を喜ばせるものは感情ではなく、信仰なのです。」
「あなたが信仰を持ってまだ間もない頃には、神はあなたに多くの確証を与えて下さったり、非常に未熟で自己中心的な祈りにも答えてくださることがあります。しかし、あなたの信仰が成長するにつれて、神はあなたをこうした依存状態から自立へ向けて乳離れさせられます。」





感じ、感覚に振り回されるのではなく、
み言葉を信頼すること、み言葉に立つこと。
その大切さを思わされます。

今日の夜の集会で、一人の高校生が証をして下さいましたが、
本当に心を開いて、大切なことを分かち合って下さいました。
そこに、世代を超えて、通じるものを感じていました。

真実な証しは、心に触れます。
主の素晴らしさをあらわします。

さて、昨日、3月4日の聖書。
マタイ21:12−22。

「わたしの家は祈りの家と呼ばれる」13節。

主は私たちに祈りを求めておられる。
つまり、それは、私たちと語り合おうとしておられるのだ。

だいたい、祈りがお勤めや義務になってしまったら、
つまらない。つまらないというか、苦痛だ。

でも、本当は、それは恋人たちが語り合うようなものなんだ。
私たちが主との時を過ごすのは、楽しい一時、甘美な時間なのだ。

だから、一生懸命になるんじゃなくて、
主と共に時間を過ごすことを楽しみたい。
主と共に時間を過ごすことを喜びとしたい。
そこに私たちは招かれている。

主よ、
祈りの時を喜んでくださること、
あなたが祈りに招いていてくださることに感謝します。
明日の祈り会も、そのような楽しいひとときとして下さい。
あなたと時を過ごすこと、あなたの元でやすらぐこと、
それを味わうことが出きますように。

2009-11-28

大きな神様。

今日の夕方は中高生の集り。
どこから話をしようかと思っていたところに、
思い出した一つのビデオ。


日本の方に「中高生のために」と頂いておきながら、
紹介することがなかなかできずにいました。


探したら、YouTubeでも見つけることができるのですが、
今日のDVDは日本語の字幕も入っています。





上のビデオは最初の10分で、
全体は45分くらいですので、5つくらいのパートに分けられているんでしょうか。


本当に感動しました。
神様がどれほど大きな方で、
どれほど、わたしたちのことを愛しておられるか、
本当にパワフルなメッセージだと思いました。


銀河系の中にある星の数を数えるだけで2500年もかかる、
それほど大きな銀河系は、またたくさんある銀河の中のほんの小さな銀河に過ぎない、
神様の大きさはわたしたちが今まで考えてきたこととはレベルの違う大きさなのだということを思わされます。


その大きな大きな神様がわたしたちに目を留めておられる。
明日のNJでの日本語礼拝にも目を留めておられる。


ワクワクしてきます。


さて、11月25日(水)の聖書。
エズラ9:1-8でした。


「しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」2節。

どきっとしますね。
自分が神様に従えないこと、
従えきれないでいること、
それが教会全体に与えているダメージはどれほど大きいか。

もしも、私が個人的なことで、
誰も知り得ないことでも、
また、自分の心の中だけのことで、
誰かに分かち合うほどのことでもない、と思うほどのことでも、
神様に背いていることがあるならば、
それがどれほど教会全体にダメージを与えるか、

そのことを思うと、
本当に神のあわれみなしには立つことができませんし、
主の守りなしには、その罪から守られることもありません。

ただ、真実に主に従う者でありたいと思いました。
祈りのサポートもどれほど必要かと思いました。

主よ、
どうか、私の歩みを守ってください。
私の心を守ってください。
心の奥底まで、きよめられて、
主に従っていくことができますように。

2009-09-27

Happiness。

日付が変わってしまいました。
1時前です。
今、外は雨が降っています。
ちょっとまとまった雨になりそうです。
ずいぶん雨が降っていなかったので、
ちょうどいいかな、という感じです。


今日の午前中まで雨が残りますが、
午後からは回復するようです。


昨日は中高生の集会。
最後の方に来たユキの友だちを含めて、
高校生3人にスタッフ2人。


でも、その中で、高校生の一人が、
「幸せの方程式」を紹介してくれてなかなかおもしろかったです。
BBCの記事に載っているのですが、


それは
Happiness=P+5E+3H。


P stands for Personal Characteristics, including outlook on life, adaptability and resilience.
・・・性格、って訳していいんでしょうか?人生についての見方とか、適応性、立ち直りの早さ。
E stands for Existence and relates to health, financial stability and friendships.
・・・生存、なんでしょうか?健康、経済的安定、友人関係。
Hは Higher Order needs, and covers self-esteem, expectations, ambitions and sense of humour.
・・・もっと高度な必要ですね。セルフエスティームや将来への期待、冒険心やユーモア。


で、4つの質問をされました。これに1-10で答えます。1が全然。10が激しく同意。
1. Are you outgoing, energetic, flexible and open to change?
・・・あなたは外向的で、エネルギーがあり、フレキシブルで、変化に対応出来ますか?

2. Do you have a positive outlook, bounce back quickly from setbacks and feel that you are in control of your life?

・・・あなたはものごとに対して積極的な見方をしていて、挫折から素早く立ち直ることができますか?生活のコントロールができているように感じますか?

3. Are your basic life needs met, in relation to personal health, finance, safety, freedom of choice and sense of community?

・・・あなたの生活のための必要は満たされていますか?健康、経済、安全、選択の自由、コミュニティーの一員であること。

4. Can you call on the support of people close to you, immerse yourself in what you are doing, meet your expectations and engage in activities that give you a sense of purpose?

・・・あなたは親しい人たちからのサポートを求めることができますか?自分のしていることに熱中出来ますか?自分の願ったようにすることができますか?目的意識を持ってできる活動に関わっていますか?


これで、1+2=P、3=E、4=Hだそうです。


ちなみに100点満点で、自分は91点でした。
いやあ、幸せもんですね。


答えが「自分がどう感じるか」ですから、
めちゃくちゃ主観的なことですが、
結局、幸せを感じるかどうか、って本当に主観的。
人がうらやむような生活、絵に描いたような順調な人生で、
それでも、不幸の固まりのような方もあれば、
本当に苦労されているんだろうなあ、という中で、すごく幸せに見える方もいる。


他の人が「あんたこれ、そんなに高くないだろ!」とつっこみを入れたくなるところでも、
本人が激しく同意!、と思っていたら、それは幸せなんですよね。


でも、その高校生の子が言っていたけれども、
この方程式は科学者がみんなで話し合って出したものだけれども、
わたしたちが、神様を計算に入れるときに、
無限の神様を計算に入れるときに、
この方程式を超えていくと。
全く激しく同意!!!


Happiness=God・・・knowing Godですよね。


さて、9月25日(金)の聖書。
エレミヤ10:17-25。


「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」23節。


人の歩みを神様の見ておられるような視点で見る。
神が見ておられるように見る。


わたしたちが神がこう願われていると決めつけるのではなく、
わたしたちの見方を神に押しつけるのではなく、
神が見ておられる見方を受け入れる。


人を、単に表面的なことだけで見ていくのではなくて、
人の魂の状態で見る。
人の言葉だけを聞くのではなくて、
その心の叫びの方に耳を傾ける。


そのような人の知り方をしたいと思う。


神様が導かれる人生、
神様が与えられる人生、
わたしたちがどのように受け止めるのか、
人々にどのように受け止めることを願っていくのか、
本当に表面的なことにばかり目がいくことがありませんように。


神様の見方を教えてもらうことができますように。


神様、
あなたの見方を教えてください。
あなたが私を、そして、人々をどのように見ておられるのか、
その将来に何を見ておられるのか、教えてください。
そして、そのように、私も人を、将来を見ていくことができますように。





2009-07-23

祈りが聞かれる?

ねぶい。
もう日付が変わってしまった。
昨日は、暑かったです。
ホントはそれほどでもなかったのだと思いますが、
涼しさになれたカラダには暑かったです。


でも、夜は涼しいです。
明日もまた涼しくなりそうです。
午後から雨です。


このあと、ちょっと長いですから、「日々のみことば」が目当ての方は、
緑の字をぐーっととばして、黒字のところに飛んでください。


・・・では行きます。


先日のユースのキャンプではこんなことがあったそうです。
ナイトハイクの最中に、
一人の子のめがねのネジが落ちたそうです。
めがねのネジですよ。あの小さなネジ。
そして、真っ暗な中。
みんなで探したけど、見つからなかったそうです。
でも、その時、メッセンジャーの先生が、
「祈ろう!」と言って祈ったそうです。


そして、祈った後に探したら、何とそのネジが見つかった!というのです。


私もよく捜し物をして見つからないときには祈ります。
そして、祈った後、不思議に見つかることが多いのです。
たとえば、祈った後に、どこに置いたか、思い出すとか・・・。


だけど、そのめがねのネジには驚きました。


そんな話を週末に聞いた、一昨日の夕方のこと、
出かける前にシャワーを浴びようと、
ぎりぎりになってからシャワーを浴びました。
そして、シャワーから出て、めがねを掛けようとしたら、
つるが一つ取れてしまいました。
そうです、ネジが落ちてしまったのです。


でも、確かに今日はめがねがちょっと違和感あるなあ、って感じだったのです。


ネジが落ちてもすぐには外れない設計になっているみたいで、
ずっと前に落ちていたんですね。


それで、周りを一生懸命探してもネジはない。


途方に暮れました。
大体、元々、めがねがなかったら、何も見えないですから、
何と言っても、朝一番大変なのが「めがねをさがす」という作業なくらい、
目が悪いですから、途方に暮れるわけですよ。


で、出かける時間は刻々と近づいてくる。
出かけた先で合う予定だった人は、携帯忘れて外回りをしている、というし、
もう絶望的な気持ちでした。
セロテープでも貼って、出かけるか?
と思ったその時に、そのユースキャンプの出来事を思い出して、
お祈りしたのです。


「神様、ユースキャンプでは、
真っ暗なところでネジが見つかるようにしてくださったのですから、
私にもそれを経験させてください」と。


そして祈り終わったときに、思い出したのです。
自分は歴代のめがねを大体後生大事に持っている・・・ということを。


そう、前のめがねのネジがもしかしたら使えるかもしれない!


そして、また、めがねなしに昔のめがねを探す、という絶望的なことはすぐにあきらめて、のんちの助けを求めて、昔のめがねを発見。そして、ネジを見てみたら、何だか同じサイズっぽい。


その後、その昔のめがねを掛けて、精密ドライバーを捜して、
見つけた精密ドライバーで、昔のめがねからネジを外して、
今のめがねにつけてみたら、「おおおお!」と声を挙げたくなるほど、ばっちり。


無事、めがねを掛けて、出発。
いつもはバスを使うところ、教会の車でNYで行くことによって、
時間にも間に合うことができました。


「昔のめがねがあるじゃないか!」そのことを思い出させてくださった神様に感謝。
「車で行けばいいじゃないか!」と気持ちの切り替えを助けてくださった神様に感謝。
神様はすごい!と思っためがねのネジ事件でした。


さて、7月18日(土)の聖書。
ルツ3:14-4:6。


「私には自分のために、その土地を買い戻すことはできません。私自身の相続地をそこなうことになるといけませんから。」6節。

この人が自分の相続地を損なう可能性があるとしたら、
ボアズはどうだったのだろうか?
ボアズは自分の相続地を失う心配はなかったのだろうか?

愛もそうだし、信仰もそう。
リスクを負うもの。

それができないのは信仰でもなければ、愛でもない。

リスクを負うことを恐れないようにしよう。
大胆にリスクを負おう。
それが自分にとって不利なことであっても、
神様に信頼して、従っていくときに、
すべては益に変えられる。
すべては益とされる。

それを信頼してリスクを負う者となろう。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたを信頼してリスクを負うことを恐れない者でありますように。
主が守り、支えてくださることを経験させてください。
これからも、あなたのなさることを見ていくことができますように。

2009-07-10

無事に帰着。

今日もさわやかな気持ちのいい一日でした。
明日はちょっと久しぶりの雨。
ずっと雨が続いたので、まだまだ晴れてくれても大丈夫なんですが、
3日おきの雨、くらいがちょうどいいです。

そんないい天気にも守られて、
ユースのキャンプが無事終わりました。
とてもすばらしい一時だったようです。

神様が続けて一人一人の心に語り続けてくださいますように。

ところで、今日は朝9時に出発してLancasterのキャンプ場まで迎えに出ました。
そして、帰宅は6時半。

全部で9時間半だったのですが、どうしてそんなに時間がかかったのかというと、
子供たちがお互い名残惜しくてなかなか出発出来なかったことと、
もう一つ、ちょっとした出来事が・・・。

この写真、わかります?

問題の部分だけを拡大してみると・・・。


はい、スペアタイヤです。
車の大きさに比べてやたら小さいです。
下は取り替えたタイヤ。


帰り道、7人の子供たちと、
その一人4泊分+寝袋という大荷物を満載して走っていたら、
半分くらい走って、高速道路に入ったところで、
何だか大きな音が・・・。


「ああ、これ、周りの他の車じゃなくて、この車から出ているよねえ・・・」
と言うことで路肩に寄って止ってみたら、後の右側のタイヤがパンクしていました。


早速スペアタイヤを引っ張り出して・・・と思ったら、
これがなかなか出てこない。後ろの方の車体の下に取り付けられているので、
冬の融雪剤等のおかげで、金具がさびているようで動かない。


車の下に潜り込んで何とか外そうとしますが、
ここで、お約束の「マフラーに触れてやけどする」ということもやってしまいます。
親子で・・・ハイ。


ちょうどそんな悪戦苦闘をしている時に、
故障車のヘルプのためにパトロールしている人がやってきて、
助けてくださいました。
本格的な工具で、piece of cakeって感じでやってくださいました。


その方も、そのスペアタイヤを取り出すのには苦労しておられましたが・・・。


「このタイヤじゃ50マイルだね。それ以上出して、このタイヤがダメになっちゃったら、目も当てられないからねえ・・・」とおっさんに言われ(もちろん、英語・・・意訳)、その後2時間はみんな70マイルくらい出すところを、50マイルでちんたらちんたら・・・。でも、祈られていたのでしょう。守られました。無事、うちに着いたときには心から感謝しました。


明日、タイヤ交換、いってきます。


また本題以外のことで長くなってしまいましたね。
でも、本当に守られて感謝。

では、先週土曜日、7/4の聖書。


7/4は哀歌2:11-22。


「あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言して、あなたの繁栄を元どおりにするために、あなたの咎をあばこうともせず、あなたのために、むなしい、人を惑わすことばを預言した。」14節。

誰かの罪を指摘するのは楽なことではない。
できるなら避けたい。というか、逃げたい。

「あなたは私を裁くのか?」と言われ、
「あの人は人を裁いている」と言われ、
雰囲気も難しくなり、人間関係もぎくしゃくする。
空気はぴりぴり、関係はぎすぎす。

もちろん、そういうときばかりではありません。
本当に神様が働いてくださった、勇気を出してはっきりと言って良かった、
そんな場面もありました。

でも、どちらかというと、うまくいかないことが多いです。

でも、たとえそうであったとしても、
たとえうまくいかなかったとしても、
恐れないで、使命を果たす者でありたいと思います。

主よ、
預言者の働きをさせてください。
あなたの使命を果たさせてください。
罪を罪としてはっきりと語る勇気と確信を与えてください。
第一とすべきものを第一とさせてください。










2009-07-07

17年。

今日は午後から雷雨。
でも、たいしたことなかったところも多かったようです。
でも、今頃(夜11時)になって、また雷雲が近づいてきました。


雷雨警報が出ています。


明日はまたスカッと晴れそうです。
いいですね、昼間はそこそこ暑くなって、
でも、朝晩は涼しいって。


このまま猛暑にならないで快適な夏が続いてほしいです。


ずっと、今日だと思っていたのですが、
実は昨日、アメリカに来て17年がたちました。
18年目に突入。


いやあ、いろいろあったような気もするし、
あっという間だったような気もします。
とにかく抱っこして入ったハジが大学行くわけですから、
やっぱりいろいろあったのでしょう。


思いがけず長くなってしまいました。
人生何があるかわかりませんね。


でも、ここまで守られたことに感謝。

今、Lancasterのキャンプ場では、
ユースのキャンプが続いています。
私は今日の昼前に出てきましたが、
熱い先生と、スタッフの皆さんに迎えられて、
本当にこの中高生たちは幸せだと思います。


金曜日まで続きます。
祈って支えてください。


雷が聞こえてきました。
雷雲の本体は北をかすっていきそうです。


一週間分たまってしまいましたね。
さて、先週の水曜日、7月1日の聖書。
7月1日から哀歌です。


哀歌1:1-11を読みました。
「彼女の愛する者は、だれも慰めてくれない。その友もみな彼女を裏切り、彼女の敵となってしまった。」2節。

エルサレムの陥落の様子を嘆いている詩です。
周りの国々を当てにし、頼りにしていたのに、
いざとなったとき、すべての国々が裏切り、敵になったのです。

私も何を頼りにしているだろうかと問われます。
人を頼りにしていることがどれだけあるだろうか。
本当に頼りにすべきなのは神様なのに、
神様だけを頼りにすべきなのに、
それ以外のものを頼りにしていることがどれだけあるでしょうか?

もちろん、人も信じたい。
でも、頼りにするのは、本当に頼りにするのは、

神様。

主を見上げて、歩んで行こうと思いました。

主よ、
あなたを信頼して歩みます。
その中で、あなたが与えてくださる仲間、人々、
信じる心を育ててください。
いつもいつもあなたを中心として歩むことができますように。
17年の歩みを感謝します。
これからの道もあなたが支えてください。

2009-07-05

かぎや~

これはイチゴかい?

ああ、今日も遅くなってしまいましたが、
まあ、1回分は更新しておきましょう。
6月30日(火)の聖書。


出エジプト記の最後40章17-38節


「イスラエル人は、旅路にある間、いつも雲が幕屋から上ったときに旅立った。雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった。」36-37節。

主の導きにどこまでもついていく。
進むべきときに進むのも、勇気がいることがあるだろうけれども、
気がせいているときに、どうしても雲が上らないときは、
どんな思いだっただろうかと思う。

でも、それも含めて、主に従っていく、
そこに私たちは招かれている。

とどまることのほうが勇気がいることがどれほどあるだろうか。
ただ、主に従って歩んでいくものでありたい。

主よ、
私にも見せてください。
雲の柱と火の柱。
そして、進むべきときも、
とどまるべきときも、
見分けることができますように。


明日は中高生をキャンプ場まで連れて行って、
一泊して、火曜日の朝にメッセージ。
その後、お一人、ご訪問して、
夕方には帰ってきます。
中高生はそのまま金曜日まで。
うちの中高生どもも、金曜日まで留守。
ちょっとゆっくりすごせるでしょうか・・・。

2009-01-24

バレーとたこ焼き。


今日は起きた時は3.3度でしたよ。
プラスの3.3度。
正直、ちょっとびっくり。

でも、午後2時頃には氷点下に下がっていて、
その後ぐんぐん寒くなって、
今、夜中の12時前ですが、-9.7度ですよ・・・。

もう、すごすぎ。

そして、ついこの間まで、
「今週は寒いけれども、雪はない」と言っていたのに、
今夜のGFSを見たら、27日の火曜日の夜から28日の水曜日にかけてと
30日の金曜日の夜の2回、雪の可能性が出てきています。
特に火曜日の夜から水曜日は大雪になるかもです。

さて、どうなることか。



今日の午後はJOYJOYシンガーズの練習と、
そのあとは、中高生の集まり。
中高生の中に一人だけ中高年なのに入れてもらって、
バレーボールとたこ焼き。
ボールつながりでしょうか。
両方、がんばりました。

10代の連中にはまだまだ負けていなかったと思いますよ、・・・たぶん。
で、まあまあ、期待通りに体脂肪を燃やせたと思うのですが、
そのあとに、負けないくらいカロリーを摂ってしまいました。


かな~りおいしかったです。


うーん、また体脂肪を燃やせるチャンスを作らなくては・・・。


でも、片づけまで全部終わって、気がついたら、夜の10時。
日本の教会で奉仕していた頃は、これが毎日だったよなー、とか思い出していました。
よくやってたよねえ、と。
でもあのころは自分も20代。
20代スタッフを育てなければ・・・。


さて、昨日、金曜日の聖書。
昨日はヨハネによる福音書7:14-24でした。


「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。」18節。

自分はどうだろうかなあと思わされました。
自分は自分の栄光を求めていることはないだろうかと。

私はだいたい、神さまから遣わされているのだ、ということを
忘れていることはないだろうか、

今日も中高生たちに「君たちに与えられているものは、『大したことはない』と思っていたら、大間違い、それは神さまから君たちに任された豊かなものなのだよ」と話していましたが、いったい自分はそれが本当にわかっているのだろうかと思わされていました。

神さまが賜物を与え、神さまが私たちを遣わしている。
それを謙虚に受け止めて、与えられているものを大切に最大限に使いながら、
主に仕えていく。

自分の栄光ではなくて、主の栄光を求める。
主の栄光を求めていく。
主がほめたたえられることに喜びを見出していく。

ああ、そのような歩みをさせて頂きたいです。

主よ、
私の栄光ではなく、
あなたの栄光を求めて歩ませてください。
そして、あなたのすばらしさに目が開かれる方々が、
どんどん起こされていきますように。

2008-10-25

「捨てる!」

今日はすごい嵐でした。
私はうちにいなかったのですが、
うちの近所500メートル圏くらいは停電もあったようです。


実は今日のストームの水蒸気は数日前は
メキシコのユカタン半島付近にあったもので、
熱帯からのしめった暖かい空気だったんですね。
それが、北からの冷たい空気にぶつかって雷雨になったようです。


明日はミシガンとか、オハイオとかの、
Lake Effect Snow Area(日本の「日本海側」みたいなもん)は、
雪が降るほどの冷たい空気です。


この空気がこっちに来るのは月曜日から火曜日にかけて。
明日は晴れて熱帯からの空気の置きみやげで、
久しぶりに暖かくなりそうです。


先週の日曜日、教会のオフィスの片づけを始めました。
といっても、私はいろいろミーティングがあったので、
「片づけが好き」というとっても貴重な賜物をお持ちの方々に、
お任せして、私は時々、「ちらっ」「ちらっ」と見に行くだけ、
というか、冷やかしに行くだけだったのですが、
まあ、それだけでも、「え、それ捨てちゃうんですか」って声を出したくなるほど。
つくづく、自分は捨てられない人なんだなあと思いました。


何年か前に、Book Off, NYで“「捨てる!」技術”という本 を買ってきて、
読んだのですが、そこには、


「とりあえずとっておく」は禁句、とか、
収納法、整理法で解決しようとしない、とか、
見ないで捨てる、とか、
その場で捨てる、とか、
使い切らなくても捨てる、とか、


うーん、めちゃくちゃ心当たりのある「Don't」と、
あー、これできないよねえ、という「Do」のオンパレード。


でも、今朝、弟子訓練のグループで、
聖書の中で、イエスの弟子になるなら、「自分を捨て・・・」と書いてあるところを、
読んだのですが、その中で教えられたのは、
自分が捨てるのがいたいモノをこそ、捨てることが大切、ということ。
捨てても何ともないモノを捨てるのは、なんでもない。
でも、捨てたら、ちょっと痛い、そういうモノをこそ、
捨てることを神さまは求めておられる。
たとえば、プライドだとか、
自分がこだわっていることだとか、
そういうもの。


でも、それは霊的、精神的なモノだけじゃなくて、
物理的なモノもそうでしょうね。
ちょっと痛みを感じるようなモノを含めて「捨てる!」時に来ているのかな、
と思います。


机の周りも「なんとかしなきゃ」がもう半年くらい続いています。


さあ、思い切って、痛みを伴う「捨てる!」生き方をしたいと思います。


さて、今日の聖書。
25日(土)は詩篇の58篇でした。


「彼らを、流れて行く水のように
  消え去らせてください。」(7節)

今日は「敵」を私たちの究極的な敵であるサタンとして読みました。
サタンが私たちを攻撃してくる。
でも、そこに神さまが介入してくださって、
敵は打ち破られる。

それを本気で求めていくべき時なんだと思いました。

今日、中高生の集会で、「ただ、願っているだけじゃなくて、本気で祈って、本気で求めているか?」
と問いかけましたが、それは子供たちへのメッセージである以上に、
自分に対する問いかけでもありました。

「時間の使い方を上手にしたい」
「もっと本が読めるようになりたい」
「やらなければいけないことを後回しにしないようになりたい」
子供たちの口から出てくる「オレもそうだよ!」と感じないではいられない言葉を聞きながら、
「みんな、本気でそれを神さまに祈って求めているか?」とチャレンジしながら、
自分はどうかな、と思っていました。

サタンに対する勝利を本気で祈っているのか、
サタンが介入してくることに対して、
本気で、「彼の働きを止めてください」と祈っているだろうかと。

ダビデが敵に対する裁きを本気で祈ったように、
私たちもサタンの働きが封じられるように、
本気で祈っていきたいと思いました。

主よ、
どうか、サタンの働きを止めてください。
一人一人がその犠牲にならないように守ってください。
主よ、あなたが守ってください。


明日の日曜日、
ほんとうの礼拝をささげることができますように。
あなたご自身が語ってくださいますように。


2008-09-06

愛とは何?

来ましたねえ。ハンナ。
雨がよく降りました。
あちらこちらで道路が冠水していました。


でも、風はたいしたことはありませんでした。


そして、夜10時半ですが、
もうすっかり峠は越したみたいです。


でも、今日は本当にトロピカルな空気でしたね。
ある方はsoupyと表現しておられました。
まさに、スープの中にいるような一日でした。


その雨の中、教会の中高生の賛美と祈りの集会があったのですが、
そのときに、「愛ってどんなものでしょうか?」「どんなときに愛を感じますか?」という質問がされました。そのとき、私は中高生の答えを聞きながら、いろいろ考えていました。


そして出た答え。


砂浜があって、
波が打ち寄せていて、
肩を並べて海の方を見ている。


「最近どうよ?」
たわいもない話から始まって、
いつしか、それは本音トークになっていく。


いつしか、日は暮れて、空も海も真っ赤に染まっている。
波の打ち寄せる音だけが響いている。
そして、「寒くなってきたね」と、
肩を寄せ合うことが失礼でない相手(妻とか、子どもとか)だったら、
肩を寄せて、さらに話を続ける。


で、その後は、やっぱりたき火でしょう。
復活されたイエスさまが、
たき火をして、弟子たちを迎えられたところを思い出しました。(ヨハネ21章)


究極のQuality Timeかな。
パーコレーターで、コーヒーも入れたい。


ま、まずはちゃんと皿洗いや、
手伝い、庭の手入れ、
身の回りの整理とか、
ちゃんとやっていないと始まらないでしょうが・・・。

さて、水曜日、9月3日の聖書。
水曜日は第2サムエル2章1-11節。


『この後、ダビデは主に伺って言った。「ユダの一つの町へ上って行くべきでしょうか。」すると主は彼に、「上って行け」と仰せられた。ダビデが、「どこへ上るのでしょうか」と聞くと、主は、「ヘブロンへ」と仰せられた。』1節。

神さまがこんなにはっきりと答えてくださることがあるんだろうか、
そう思いました。

そしたら、「日々のみことば」の左側のページには、
「こういうのが例外だと思っていませんか?」
とあるじゃないですか。
「例外じゃないんですか?」と思いましたが・・・。

どうなんでしょう?
神さまはこのダビデに対して、のように、
はっきりとわかるように、
具体的に答えを与えてくださるのでしょうか?

でも、どちらであれ、
その下の方に「あなたは誰かに相談するよりも、まず主に伺っていますか?」
とあることが問われているように思いました。

自分は主に聞いているだろうか?
「はっきり答えてくださることがあるだろうか?」
を考える前に、それを議論する前に、
聞いてみようと思いました。

そして、主の答えに従ってみようと思いました。

主よ、
あなたに聞くことを、
あなたに御心を求めることを、
もっともっとさせてください。
そして、あなたが与えてくださる答えに、
従っていくことができますように。
そこにかけていくことができますように。




2008-07-01

一日が早い・・・。

明日から休暇をいただいていて、
July 4thまで3連休なので、
(ふつうの方は金土日と何もしなくても三連休なんですね・・・)
今日のうちに追いついておこうと思っていたのですが、
あっという間に一日が終わってしまいました。


7月の説教計画を準備していたり、
弟子訓練のテキストを翻訳していたり、
日曜日の説教の準備も・・・と思っていたのですが、
手つかずです。

休み中にちょこちょこ準備していこうと思います。


更新もできる範囲でやっていこうと思います。


夕方、日が傾いてから庭掃除。
ハジに芝刈りと生け垣の刈り込みどっちがいい?と聞いて、
芝刈りを取られたので、刈り込みをしていました。
全然終わらないうちに8時。


ま、それだけ充実していたということで・・・。


天気は暑かったです。
でも、湿度はちょっと下がったかな。


今のdew pointは61度。昨日よりちょっとだけ下がりました。


さて、先週の中高生のキャンプですが、
私自身もいろいろなことを語られました。


今回は講師の李先生がヨセフの生涯から語ってくださいました。
ヨセフは17歳で兄弟たちに売られてエジプトの奴隷となります。
でも、そこで本当に忠実に働いて、
主人に認められます。


でも、彼がいい男だったので、
主人の妻は彼に言い寄ります。
でも彼は断固として拒否。
ある日、二人きりになったときに、強引に彼女は彼に言い寄りますが、
彼に拒否されて、捕まえていた上着を証拠に、
「ヨセフに襲われそうになった」と嘘をつくのです。

ひどいぬれぎぬです。

自分がそんなぬれぎぬを着せられたらどんな気持ちがするだろうか、
どんなに悔しい思いがするだろうかと思います。

その手のぬれぎぬは決して着せられないようにと

細心の注意を払ってきたつもりです。
それと、自分の弱さの中で守られるためにも・・・。


ヨセフもそうだったんだろうと思います。
でも、それでも、着せられた濡れ衣。


主人にもわかってもらえなくて、
今までまじめにやってきたのに、信頼してもらえないのかと、
どんな悔しい思いがしただろうかと思います。


でも、ヨセフは人生を投げなかった。
嘆いて過ごさなかった。


ただ、主の前に真実に歩んだ。


そのような歩みをする者でありたいと思いました。

さて、金曜日(6/27)の聖書。
サムエル記第一29:1-11でした。

「私が何をしたというのでしょうか。」8節。

ダビデはこのとき、嘘をついていました。
うそをついていると、その嘘がばれないように、
また次の嘘をつくようになります。

本当にここのダビデの行動は納得いかないモノがあります。
でも、おそらくそれは自分がダビデを理想化しているのだと思います。

自分がこの状況に置かれたら、
どうだろうかと思うときに、
果たして自分はダビデを批判できるだろうかと思います。

真実に生きたいと思います。
嘘に嘘を重ねるような歩みではなく、
真実な歩みをさせていただきたいです。

主よ、
私の歩みをお守りください。
あなたの前に、また人の前に、
真実な歩みをさせてください。
真実に歩むことができるように、
私の歩みを守ってください。

2008-06-29

無事帰還。

今日、無事帰還しました。
中高生のキャンプは李先生のメッセージには励まされ、
中高生の証には教えられ、
中高生の姿に元気をもらい、

ちょっと、バレーとか、サッカーとか、卓球とか、腕相撲とか、夜更かしとか、
まともに張り合ってしまったので、さすがに疲れました。

2時頃には帰ってきたのですが、
そのまま教会で中高生の集まり。
その後シャワーに帰ってきて、すぐに男の弟子訓練クラススタート。

先ほど一段落して戻りました。

今日は野外礼拝です。

雨も大丈夫だと思います。

「日々のみことば」の更新は今夜・・・できるかな。

2008-05-24

感謝。

今日はスカッと晴れて、
暖かくなりました。

明日はまたスカッと晴れて、
「暑く」なりそうです。

NJ補習校の運動会ですが、かな~り焼けそうです。
関係者の皆さん、くれぐれもお気をつけて・・・。

私も午前中は行くのですが、
昼前には失礼して教会です。

で、問題なのは娘のサキ。
それほど足が早いほうとは思えないのですが、
たまたま、その日の調子のせいか、
リレーの選手に選ばれて、練習していたようです。
でも、プログラムを見ると、一番最後。
どう見ても、教会に行ったら出られません。
で、日曜日に雨が降って、月曜日に延期だったらいいのにな、
と思っていたわけです。

でも、そうもいかないようで、
今日、「パパとママは教会行くけど、
サキは運動会最後まで出るよね」と話したら、
やっぱり一人置いて行かれるのはいくら友達がいても
いやみたいで、「サキも教会行く」と言って聞きません。

先生にお詫びの連絡をして、選手は辞退。

そこまで教会を愛してくれているのはうれしいような、
でも、根性がないみたいで、ちょっと残念なような、

うーん、でも、やっぱり、一緒に礼拝を守れるのはうれしいです。

今日、中高生の集会がありましたが、
その中で、一人の女の子が話をしてくれました。

先週子供たちの前で「感謝をしよう」という劇をしたんだけど、
自分は日頃、どれだけ感謝をしているか、
考えさせられたそうです。

その話を聞きながら、自分もそうだなあと思いました。
一日に何回「ありがとう」を言っているだろうかと。
彼女は数えてみた、と言っていましたが、
私もそうだなあ、数えてみよう、と思いました。

感謝をして、こころから感謝をして、
感謝を言葉に表して、
行動に表して、態度に表して、
伝えていくことの大切さを思いました。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一10章1-16節。

「主の霊があなたの上に激しく下ると、・・・あなたは新しい人に変えられます。」6節。

聖霊様が与えられると新しい者に変えられる。
今日はこの聖書の箇所を読んで、そのまま、いのりました。
私にも聖霊様を激しく下してください。
神さま与えてください。

そのように祈った時に、
「あなたは本当にもっと具体的に祈ったことは、求めたことはあったか?」と語られました。

それで、具体的に祈り始めました。
コリント第1の12章を開いて、
「癒しの力も与えてください、預言も与えてください、霊を見分ける力を与えてください。信仰的な状態を見極める力を与えてください。」そして、「ソロモンのような知恵を与えてください」と祈りました。

どんどん、具体的な求めが出てきました。そして、「ああ、今まで自分はこのように求めたことはなかった」と心の飢え渇きが起ってきました。
その時に、「ああ、自分は聖霊様ご自身をもとめていただろうか、聖霊様の結果をもとめていないだろうか」そして、最後には「いろんな賜物があるけれども、それらを超えて、すべての人が求めるべき、最高のものは何だろうか、それは『愛』だ!と言うところにまで導かれていったのです。愛すること、それが他の何物にまさって神が求めて折られること。その愛を与えてください、愛を下さい、そのように祈りました。

かみさま、
聖霊様を与えてください。
私のうちに満たしてください。
そして、そこから溢れる愛をもって、
人々を愛していくことができますように。

明日の礼拝を祝福してください。

そして、その通りに祈りました。

2008-04-26

同意と信頼

今日こそ、追いつこうと思っていたのに、
こんな時間になってしまいました。

昨日までとうってかわって、
16-7度。まあ、丁度いい季候です。

明日も同じくらい。か、ちょっと低め。
明日の夜から月曜日の夜にかけて、
まとまった雨になりそうです。

久しぶりですね。
これで花粉がどーっと流れてくれるといいのでしょうが、
まだ、残っていると思います。

今度暖かくなるのは来週後半。
そこら辺が花粉のピークになりそうです。

今日は月に一度のユースの日。
中高生が10人あまり集まりました。

そこで、今日は「信じる」ということを語り合いました。
「走れメロス」の話をして、人間の弱さとそれにもかかわらず「信じる」ことの尊さ、
信じながらも、人を見る目を持って欲しいこと・・・(特に彼らの将来の交際相手について、「この人を信じていいんだろうか?」という目を持って欲しい・・・)
そして、神さまについて信じて、そうだそうだ、神さますごい、とファンのように応援することと、神さまをほんとうに信頼して、そこにかけていくことの違い。

特に最後のことはほんとうに大切だと思います。
神さまに「あなたには出来る!」と手をたたいて喜んでいることと、
神さまの背中に乗せていただいて、水の上を歩くこと。
全然違いますよね。

主を信頼して歩む信仰の醍醐味を、もっともっと知りたいし、
もっともっと味わわせて頂きたいです。

昨日の聖書。
昨日は出エジプト記の17章。

「モーセが手を上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を降ろしているときは、アマレクが優勢になった。」11節。

祈りの手を挙げ続けることの大切さを思わされました。

初代教会の指導者たちは、
教会の中のトラブルにも自分たちが対応することをしないで、
他の担当者を決めました。
そして、自分たちは「祈りと御言葉のご用に専念」したのでした。

それくらい、祈りは大切なのです。
祈りの手を挙げ続けることが、大切なことなのです。

それが私にも使命として与えられていると、思わされました。

そして、一人一人のお名前を上げながら、祈りました。
祈りの手を挙げ続ける、
疲れた時はサポートしてもらいながらでも、
とにかく手を挙げ続ける、
その祈りが教会を支えるのだと、思いました。

主よ、
祈ります。
教会の一人一人を守って下さい。
どうか、あなたの支えがありますように。
祈り続けることが、
手を挙げ続けることが出来ますように。

2008-03-31

男と女に造られた・・・。

今日は午後から雨がしとしと。
朝はそれなりに肌寒かったですが、
夕方にはなんだか、春の予感がする暖かい雨になっていました。

今、夜の9時前で、10度くらい。
今夜はこのまま暖かい雨で、
明日は15度を超えそうです。

でも、夕方にはにわか雨か雷雨。
あさってはまた冷たい風が吹いてくるでしょう。

でも、その後の冷え込みは先週のようなことはなく、
氷点下に下がるのは木曜日の朝くらい。

一気に春になるんでしょう。

でも、今日の雨のおかげで、
Yankeesの開幕戦は中止。

月曜日の午後に試合をするなんて、
「私のためにあるんじゃないか!」と、
テレビの前でスタンバって待っていたのに、
残念でした。

明日の夜に順延だそうです。

ま、いっか。

そんなことで、今日はゆっくりと家の中の片づけでもしながら・・・
と思ったのですが、ただ、ゆっくりしてしまいました。

そんな中で、最近、はまりつつあるのが、
「小さないのちを守る会」の水谷先生のぶろぐ

この「小さないのち・・・」は妊娠したんだけど、
産めない、産みたくない、お母さんたちをサポートして、
できる限り中絶を減らそうとされている団体です。

その活動の中にはもちろん、
若者たちが不用意な妊娠をしないようにと、
小手先の避妊ではなくて、結婚を重んじることによって、
若者たちを守ろうという働きもあります。

だから、ブログの中の表現もかなり直接的。

いいですね。

そこでは、男は「スケベ」で「幼稚」で「弱っちい」というのが、
先週、今週、話題になっていますが、

ま、男の立場から申し上げると、これホントですよね。
男の甘えかもしれないけど、認めちゃいます。

開き直ることはないと思いますが、
それがわかると男も女も楽になる。

強がる男性と必要以上に期待する女性。
それはたいへんです。

ステレオタイプはいかんですが、
傾向性を知っておくのは大切。
違いを知っておくのは大切。


私なんか、男兄弟4人で、
中学生までは女の子と話もできませんでしたし、
結婚するまで、女性はみんな天使でしたよ。
いや、今も天使ですが・・・。ハイ。

結婚までそんなことを教えてくれる人もいなかった。
そういうことが書いてある本を薦めてくれる人もいなかった。

ですから、結婚してから、いろんな本を読んだり、
いろんな話を聞いたりして、
「あるある!これ!」とか、

「なんだ、自分だけじゃなかったんだ」と
思ったものです。

この前の土曜日、中高生の集まりで、
この「男と女の違い」の話をみんなでしましたが、
結構、お互い、わかっているんだなあと感心しました。
特に女の子たちが「男の強がり」とか「もろさ」とかわかっているのが、
ちょっとびっくり。

男の子たち自身も結構わかっていました。
でも、それを女の子たちに指摘されると、
男の子たちはやっぱりプライドが傷つくみたい。

おもしろいですね。
神様がこの世に、男と女を造られた、こと。

最近、この手の「男の弱さをわかってほしい」という本や話はよく聞くのですが、
女性の側からの「女の弱さをわかってほしい」という本や話はあまり多くないですね。

それだけ女性が大人なのか、男性に期待しないことにしているのか・・・。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記の4章1-9節。

「ですが、彼らは私を信ぜず、また私の声に耳を傾けないでしょう。『主はあなたに現れなかった』と言うでしょうから。」1節。

エジプトの王宮で当時の世界での最高の学問や、
王家の一員として帝王学を学んだモーセ。

そして、使命感に燃えて、自信満々で
イスラエルの民の解放のために立ち上がったモーセ。
しかし、神様は彼を用いずに、40年間の荒野の訓練を与えられた。
そして、「もう、私の話なんか誰も聞いてくれない」と落ち込むモーセに、
神は「私の力を与えるから、私が共に行って奇跡を起すから」と、
民の指導者として立つことを命じられました。

今の自分、
主が同じことを教えようとしてくださっている、
自分の力や魅力のようなものが全くないのだ、と、
徹底的にわかるまで教えようとしてくださっている。
そして、これから起こることが神様の力以外の何物でもない、
ということを教えようとされている、
そのように思いました。

だから、今朝も、神様の力を求めました。
神様ご自身の力が顕わされますようにと。

主よ、
どうか、私の中に、あなたの力を満たしてください。
でも、急がなくていいです。
モーセに40年かけられたあなたのお考えは私にはわからないと思いますが、
でも、あなたが必要だと思われたら、あなたの力を満たす前に、
私自身が自分自身の力が全く役に立たないことを
徹底的に知ることができますように。

しつこいです。私の中の傲慢さ。
ですから、あなたを本当に信頼するしかない、というところまで、
40年かかっても、教えてください。