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2012-05-12

神様まじやばくて、すてきだ。

今日はホントにいい天気でした。
今週、ちょっと肌寒い日も多かったのですが、
今日はあたたかく、またカラッと晴れて、気持ちのいい一日でした。
これ、土曜日に用事がなければ、どっかでかけるのになあ・・・な日。
牧師によっては金曜日までにすべての準備を終えて、
土曜日は休日としている、と聞きます。
今の私はちょっと考えられませんが、
人生のどこかでそんな時があったらいいかな、と思います。
特に子供たちのために。(もう遅いかな。)


さて、久しぶりのキノコねたですが、
先日のヒラタケのバケツ、そのまま放っておいても全然生えて来ないので、
横っ腹にいくつか穴を開けました。


そしたら、作戦成功で、1週間ほどで、穴の中にキノコが生えてきて、
それから3日ほどで、こんなに大きくなってきました。



株全体の幅が7センチくらい。
15個くらいの傘が我先にと押し合いへし合いしているのですが、
その中の一番大きいモノが2.5センチくらいです。

こんなことになるんだったら、もっと大きな穴をあけておけば良かった・・・です。
収穫は来週の前半、といったところでしょうか。
この調子でどんどん出てきてくれるといいのですが・・・。

でもね、たくさんあけた穴の中で、よりによって、WARNING!の表示のあるところなんですよね。複雑・・・。

最近、教会で、聖書の教えの基本を学ぶクラスをしているのですが、
その中で、今週は「神」について。
神様はどんな方か。

私は最近、どんどん語彙が減ってきて、
それに、日本語の使い方がそれほど上手じゃなくて、
(あ、もちろん、他の言葉もそうですが・・・)

神様はどんな方か?
と考えると、「すごい」「でかい」「まじすごい」「まじでかい」って感じなんですよね。
どうも、「全能の神」とか、「憐れみの神」とか、そうだと思いますし、正解だと思うのですが、自分的にはどうも、頭の上を通り過ぎていくような感じ。しっくり来ないんですよね。
で、最近、マイブームなのは「神様、まじやばい!」です。50近いオヤジの、それも牧師の言葉っぽくないかもしれないし、感じがうまく伝わらないかもしれないですし、品位も何にもないかもしれないのですが、それが実感。

そして、今回の学びの中で、神様すてきだ、と思わされました。
「すてき」だなんて、女言葉みたいな感じもするのですが、永遠の三位一体の交わりを持っておられる、聖なる神様が、「こっちおいでよ」とわたしたちをその交わりに加えようとしてくださっているなんて、なんて「すてきだ」と思わされたのです。

もちろん、そのためには、イエスの十字架、という大きな大きな代価が払われているわけですけどね。

うれしいな。感謝。

神様、

あなたはなんてやばくて、すてきな方なんでしょう!

2011-02-25

少しずつだな。

今日は午前中雨でした。
午後になって上がって、夕方には夕焼けも。


明日はぐっと寒くなりそうです。
明後日の明け方にはちょっと雪も降るかも。


そして、月曜日はまた雨です。


2月も後半は、一人で祈って主に求める段階を終えて、少しずつコミュニケーションを取って、思わされていることを分かち合う段階に入っています。


元々この段階があまり得意ではなかった自分。
多分、それは自分が語り合っている中で、「何が正しいかわからなくなる」ことがあったからですが、それは実際のところは、「自分の考えがわからなくなる」ことが多かったからだと思います。ですから、今回、日曜日の集会と祈り会以外をすべて休んで、祈る時を持って、自分の中の芯がはっきりする中で、コミュニケーションの楽しさやダイナミズムを感じています。かえって、いろんな方々と話をする中で、自分の考えがまとまって行くのです。そして、どのように伝えればいいのか、自分の内側にある思いをどのように伝えればいいのか、自分の伝える方法の中で、どこの部分が一番弱いのか、伝わらないのか、そこにもヒントが与えられます。この感覚は本当に新鮮で、エキサイティング。


だから、本当に自分の中に芯を持つことが、どれほど大切なことか、principleを持っていることがどれほど大切なことか、思わされています。


特に広がりを持った働きをするために、開かれた働きをするために、芯を持つことの大切さを思わされます。そして、「そのためにはやはり静かに祈る時間が必要、牧師の日常の中では無理」(キッパリ!)というのが、今回の経験で学んだこと!


ま、何事も焦ってはいけませんね。


さて、今日の聖書。
第一ヨハネ4章1-10節。


「愛する者たち、私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。」7節。

この愛する、ということも芯が必要なことですよね。
自分が大切。自分の中にあるものが大切。
「金銀は私にはない、しかしあるものをあげよう」とペテロが言った言葉を思い出します。
そして、それは神から出ている。
その芯は神から出ている。
神に愛されて、神に赦されて、生かされている、それが芯となるのだ。
それゆえに、愛することができる。
愛する力が与えられる。

だからやっぱり、神の愛に注目することが大切。
誰か他の人の愛に注目してばかりいると失望する。
芯を失って行く。
そして、そこにあるのは「恐れ」。
受け入れられるだろうか、喜んでもらえるだろうか、相手は自分をどう思っているか、どんな目で見ているのだろうかという恐れ。

「イエス・キリストから目を離さないでいなさい」ですね!

主よ、
あなたの愛に感謝します。
あなたの与えてくださっている豊かなものに感謝します。
あなたの愛に満たされ、
はっきりと芯を持った生き方に導かれ、
愛することができる者となりますように。

2011-02-09

自分は何者か?

いいオヤジが何を青いことを・・・みたいな、題ですが。
でも、お気づきの方もおられるかもしれませんが、
このページは何ヶ月か前に
「NJお天気牧師 日々の祈り」から
「NJお天気オヤジ 日々の祈りと日々の遊び」に変わりました。


「日々の遊び」はとりあえず置いておいて、「お天気牧師」から「お天気オヤジ」になったのは、自分にとって「牧師である」というアイデンティティーは大切だけど、その前に一人の40代半ばのオヤジであるという事が大切だと思ったからです。「牧師」はなくなって「お天気」は残るってどういうこと?という突っ込みもあるかと思いますが、ま、それはご愛嬌ってことで・・・(何の説明にもなってない?)


よく言われるんですが、男は肩書きがなくなったら何が残る?って。名刺が使えなくなったらどうする?って。「牧師」って一般企業の肩書きよりももうちょっと人格と深く結びついていると思うし、「生涯伝道者」って生きて来た先輩たちから見ると腑抜けに見えるかもしれないけど、でも、自分は何だろう?ということを、「牧師」ということを抜きにしても何かが残るような生き方があるんじゃないかな、いや、そういう生き方をしたいと思うんです。


そうですね、「牧師」を抜きにしても、やはり「キリスト」抜きにはできないなあ。「キリストによって表された神の愛に圧倒されて生きているガキんちょみたいなオヤジ」かな。


今日読んでいたコミュニケーション論の本の中で、名刺を渡す以上の自己紹介をしなさい、という課題を読んで、そんなことを考えています。


また、ゆっくり消化します。このテーマ、なんか書きたくなったらまた書きます。(笑)


今朝は寒かった。
温度計見て来なかったけど、多分、氷点下10度C以下。
昼間もずっと氷点下。
NYCに来ていますが、朝バスを待っている時間、寒かったあ。
そして、今夜も昨夜ほどじゃないですが、寒い夜になりそうです。
天気はずっと晴れですが、冷えます。
でも、この寒波、明後日くらいまでで、そのあとは、しばらく緩んでるみたいですよ。
NJでマイナス二桁はこれがこの冬最後くらいかも・・・。
何てまた大胆な・・・・。


さて、今日の聖書。
今日はアモス書の2:9-16。


「預言者には、命じて、預言するな、と言った。」12節。

預言者、それは神の言葉を預かって語るもの。
だから、自分も今は預言者なんだと思う。
でも、本当に主の言葉を語っているだろうか?

それを阻もうとする力が働くことがある。
主の言葉ではなく、聖書のメッセージではなく、
人の喜ぶメッセージ、人の欲求を満たそうとするメッセージ、
それを語らせようとする力が働くことがある。
それは誰か周りの人が働く時もあれば、
自分の心の中の恐れがそれをさせようとすることもある。

今の自分の課題、
ただ、神様の声を聞くこと。
神様の導きを受け取ること。
自分へのメッセージを聞くこと。

かみさま、
あなたのみ声を聞かせてください。
そして、あなたの言葉を語る預言者とならせてください。


さて、これから祈り会。

2010-07-20

永遠の課題。

今朝の最低気温は21.3度。
これくらいまで下がると朝は過ごしやすいですね。


でも、昼間はまた暑くなるみたいです。
今日はまず雷雨の心配はないみたいです。


あと1週間の夏を前向きにEnjoyするようにしましょう。


さて、金曜日の夜は、
1ヶ月に1回の我が家での夜の集会。
波はあるのですがいろいろな方が来られる楽しい集まりです。


金曜日、ご都合が悪い方がなん人かおられたので、
どなたが来られるかなあ、と思っていましたが、
初めての方も含めて、子供を入れて30人近い方々が来られました。


毎回一つテーマを決めて、思っておられることを分かち合っていただいているのですが、
今回のテーマは「大切にされていると思うとき」。


親子のこととか、職場でのこととかもあるんでしょうが、
どうしても、多くの方々の気持ちは夫婦のことに向くんですね。


そして、これはほんとに永遠の課題で、
(希望を込めて)活発な話が続きました。
なんと、集会が終わっても、しばらく、その話がアチラコチラで・・・。


主によって、一つ一つの夫婦の関係が祝福されますように!


あと、初めて来られた方は1ヶ月前に引っ越してこられた方。
来られる前に住んでいたのが、私の育った町。
超ローカルな話で盛り上がってしまいました。


NJでそんな平和な時間が流れているとき、
シカゴでは、大変なことが起こっていたそうで・・・。


まだまだ続きそうです。タイガー旋風(被害?)。


さて、先週金曜日、16日の聖書から。
ローマ8:18−30でした。


「今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに提示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。」18節。

このことを主が語ってくださったら、
もうそれで十分ですよね。

今どんな痛みの中にあっても、
神様が準備してくださっているものに比べれば取るに足りない。

でも、もしかしたら、私はまだ「いろいろの苦しみ」の意味が分かっていないのかもしれません。一昨日の礼拝の中で、何十年前のイラクでお父さんを連行された方の不安な日々の話のことを思い出して、本当に自分は迫害のこわさや、不安や痛みを分かっていないのかも知れない、そんな中で、「神は迫害の中でも守ってくださる」「神は迫害のようなことの中で素晴らしいことをされる」なんて、簡単に言ってはならないな、と思います。

でも、この言葉は私の言葉ではなくて、主の言葉。
主が準備してくださっているもの、それは、どんな苦しみもちっぽけに見える。

どんな素晴らしい物を準備してくださっているのか、
楽しみに待っていこうと思います。

主よ、
私の今の闘い、痛み、苦しみ、
ほんと、幼稚園のようなものかもしれません。
でも、それなりの痛みがあります。
どうか、そんな中でも、あなたの準備してくださっているもの、
その素晴らしさを見せてくださいますように。
そして、苦難の中でも、主が共にいる喜びに活かしてくださいますように。

2010-04-21

存在を喜ぶ。

今朝も、寒かったです。
なんだか、ほんとに。


今夜はそれほどでもないようですが・・・。


明日は曇りですが、暖かく、雷雨もあるかも。


先日から、「理解されることよりも理解することを」ということを
思わされていますが、今日はまさに「ああ、このためだったのか」と思わされることがありました。
お話をしながら、「理解してもらおうと思うよりも、相手を変えようと思うことよりも、理解しよう」と思いながらお話を伺っていました。「互いに理解する」とか、「心が通じる」という所までは程遠いのですが、ああ、こういう事なんだろうなあ、お話をさせていただいて、一歩前に進んだような気がします。


愛されることを求めるよりも、愛することを学ばせていただきたいです。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ32章の最後、36-44節です。


「彼らをわたしの喜びとし」41節。

新共同訳ではちょっとニュアンスが違うのですが、
「主が私達を喜んでくださる」んですよね。

これはすごいなあと思います。

昔、ローマ人への手紙の5章11節にある「主を喜ぶ」ということばが、「どういう意味?」って感じでわかりませんでした。

「主がこういう事をしてくださったことを喜ぶ」とか、「主がこういう方だからそれを喜ぶ」とか、そうならわかるのですが、「主を喜ぶ」ってわからなかったです。

でも、最近「主の存在自体を喜ぶんだなあ」と分かり始めています。
それはまず、主が私のことを、わたしの存在自体を喜んでくださっている、とわかったから。

主がわたしを喜んでくださっている。
存在自体を。
だから、わたしも主を喜ぶ。

主よ、
今日も守って下さり、
私の心を支えて下さって感謝します。
一瞬一瞬、語ってくださっていますから感謝します。
どうか、あなたに喜ばれている平安の中で、
私達もあなたを喜ぶ者とならせて下さい。

2009-12-07

刷り込みの力。

今朝は寒かったです。
朝は氷点下3度。昼間も4度止まり。


明日もそんな感じでしょう。
そして、明日の夜から雨。
最初は雪も混じるかもしれませんが、
基本的には雨です。


厳格な人、というイメージの強いジャン・カルバンは、
日曜日を祈りと遊びで満たしたといいます。
遊びの大切さ、いつも思わされます。


で、今日は、ちょっとここに埋め込むのは、心理的な抵抗があるくらい、
しょうもない、笑いのネタを。そういうのが嫌いな人はクリックしないでくださいね。
でも、私はかなりはまりました。


http://www.youtube.com/watch?v=-0jCWkM15ag
(結構大きな音が出ますから、仕事中の方や、やっと子どもが寝たばかりの方は要注意、あ、でも、音を消すと意味が無いから、音を出していいタイミングでクリックしてくださいね。)


サッカーの試合の劇的な場面を興奮して中継しているアナウンサーの言葉なんですが、
これ、字幕見ながらだと、ほんとにそう聞こえちゃいますね。
でも、音だけ聞いていると、何度聞いても、日本語には聞こえない。(笑)
だから、この字幕入れた人の才能に関心すると共に、
刷り込みの力って、すごいなあ、と思いました。
音だけだと、全然そう聞こえないのに、字幕が出てくると、
本当にそれっぽく聞こえちゃうんですから・・・。
こういうの、心理学的になんか、専門用語があるんでしょうかね。


時々、「思い込み」でどうにもこうにもコミュニケーションができなくなる場合があります。
どんなに説明しても、丁寧に話しても、先入観を持って聞かれると、全然理解してもらえなかったり、全然話していないことを、「こんなこと言われた」なんて伝わっていたりします。


もちろん、自分もやっているんだろうなあと思います。


コミュニケーションは奥が深い・・・。


さて、11月2日(水)の聖書。
ネヘミヤ3:1-32でした。


「こうして、大祭司エルヤシブは、その兄弟の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。」1節。

多くの人々が城壁の再建のために協力しました。
ある人は魚の門。
ある人は泉の門。
・・・
そして、
ある人たちは「糞の門」という名前の門の担当だったりします。

それぞれがそれぞれの役割をにない、
役割を果たしました。
それぞれの担当が詳しく書かれています。

先日もどなたかが言われていましたが、
私達は、この名前を読み飛ばしてしまうけれども、
ここに自分の家族や自分の先祖の名前がある人は、
一生懸命探すだろうなあと思います。

そこには汗を流し、犠牲を払った人々の歩みが、
ぎゅっと詰まっているのです。

私達も、名前が残らなくてもいい、
本当に主に忠実に、自分の与えられた使命を果たさせていただきたい、
そのように思わされました。

主よ、
一人ひとりが、神様からの使命をいただいて、
それを十分に果たしていくことができますように。
与えられた持ち場立場、引き受けることができますように。