2007-04-03

見ておられる主

今日は、暖かくなりましたね。
朝のうちは昨日と同じような感じでしたが、
9時頃にはもう明るくなって、
晴れてきました。20度くらいまで上がりました。

でも、この後、ちょっと春はお休み。

明日からはまた寒くなります。
あちらこちらの天気予報で「S」の字が躍っています。

東京の場合は一番遅い雪が4月17日(1969年)・・・自分は5歳?

ニューヨークはなかなか見つかりませんが、
確か5月に降った記録もあると聞いたことがあります。

まだ4月の初めですから、何が起こっても驚かないようにしましょう。

日曜日の説教の中でお話しした。
「私は主を愛しているだろうか」
「私は教会を愛しているだろうか」
「私は人々を愛しているだろうか」
「私は家族を愛しているだろうか」

考えさせられます。

大体、メッセージは語った一週間、特に、自分が問われます。

「私は自分の夢のために主を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために教会を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために人々を利用しようとしていないだろうか」
「私は自分の夢のために家族を利用しようとしていないだろうか」

余り考えたことがありませんでした。

でも、考えたことのないこと自体が危険なことなのかもしれません。
おそらく、周りを利用しようとする人は自分がそういう傾向があること自体、
気がつかないのでしょうから・・・。

今夜ある方と学びをしている中で、
「あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(マタイ16:23)
というイエスのペテロをいさめる言葉が、心に深く響きました。

神様が私たちをどう見ておられるのか、
神様が私たちに何を望んでおられるのか、
それをもっともっと求めていきたいと思います。

人々を愛することは、どういうことなのか、
もっともっと教えて頂きたいと思います。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の第10篇を読みました。

「彼は心の中で言う。『神は忘れている。顔を隠している。彼は決して見はしないのだ。』」(11節)

「あなたは、見ておられました。害毒と苦痛を。彼らを御手の中に収めるためにじっと見つめておられました。」(14節)

私たちが苦しみに遭う時、
神様が私のことを忘れてしまっている、
神様が私のことを見て下さっていない、
そんな風に思うことがあります。

忘れられる、
見られていない、
それは何と悲しいことでしょうか?

人は忘れることもある。
人に覚えてもらっていない時もある。

私も失礼なことをしてしまう時もある。

でも、主は忘れていることはない。
主はいつも見ていて下さる。
私たちを御手の中に収めるために。
その御手で守るために。

疑わないことにしよう、
忘れないことにしよう、
主が私を心にかけて下さっていることを。
主がJCCNJを愛し、
心にかけて下さっていることを。
教会の一人ひとりを愛し、
心にかけて下さっていることを。

主よ、
感謝します。
あなたが居て下さることに。
あなたが見ていて下さることに。
あなたが御手を延べて守って下さることに。
私があなたの愛を疑うことがないように、私の心を守って下さい。
あなたが私をいつもいつも心にかけて下さっていることを、
忘れないように守って下さい。

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