Showing posts with label 動物. Show all posts
Showing posts with label 動物. Show all posts

2013-07-10

蛍とスカンク。

雷雨も、今までのところ大したことはなくて、
夜になっても蒸し暑いです。
今、夜の11時半ですが、まだ27度あります。

隣のペンシルベニア州を雷雲が移動中ですが、
だんだん弱くなって来ているので、
NJに入る頃には消えてなくなってしまうかもしれません。

明日もまた雷雨の予報です。

そして、明日の夜からはちょっと涼しくなりそうです。

今年は17年ゼミがなぜか不発に終わりましたが、
ここ2ー3週間、夕方になると蛍が庭を飛び交います。

2013-03-01

鹿よりも速く・・・は無理だった。

日付が変わってしまったので、昨日のことですが、
昨日は朝は暖かくて、思ったよりも穏やかに晴れていました。
でも、昼頃から曇って、肌寒くなってきて、
そして、夜になって冷えて来ています。

今は1時過ぎで1.8度C。朝は氷点下です。

さて、日付が変わる前の11時前、また5Kに行ってきました。
そしたら、4K地点あたりで、鹿の群れに遭遇。
6-7頭いたようです。
向こうも驚いたようで逃げていったので、
追いかけました・・・。

でも、どうしても追いつかず。
くらかったこともあり、見失ってしまいました。
もちろん、写真も撮れず・・・。

新しい目標・・・鹿に追いつく・・・。無理かな。

さて、昨日の「日々のみことば」。
昨日は出エジプト記の9章。

「それゆえ、いま、人をやって、あなたの家畜と、あなたが野にもっているすべてのものを、のがれさせなさい。」19節。

これは、イスラエルの人々ではなくて、
エジプトのパロに対する言葉だった。

大きな雹が降るから、家畜を避難させなさいと。
パロ自身や家来の多くは、今までも、神様の力を見ていただろうけど、
そこに従おうとしなかった。

神様の力を見ることと、従うこととは違うんだ。

神様のすごさを知っていても、
そのように生きなかったら何の意味もない。
そのように行動しなかったら何の意味もない。

神様のみ力を信じるだけではなくて、そのように行動する者になろう。

神様、
わたしはあなたが力ある方であることを知っています。
でもそのことを信じる者として、生きているでしょうか、歩んでいるでしょうか?
そのような者として歩めますように。

2013-02-27

こちらも春を待っている、かな。

昨日の夜から今朝にかけての雨は、
かなり強い風を伴った嵐でしたが、無事に何事もなく、通り過ぎてくれました。
そして、夕方からはちょっと晴れ間も。

今は夜の9時半ですが、4度C。
ちょっと晴れてきたので、温度が下がって、今夜はこのあと、霧が出ますね。
明日の朝は要注意。

すかっと晴れるのは金曜日になるようです。
そして、晴れると朝晩冷え込む、というパターンのようです。

春への足取りは一歩一歩です。

で、今日はNYCに行く日だったのですが、
バスを待っていてこんなのを発見。



みのむしですね。
子供の頃は、よく見つけて、むいたりしました。
で、懐かしかったので、ちょっと調べたら、知らなかったことがたくさん。

みのむしは、ガの一種の幼虫、そこまでは知っていましたが、
雌は成虫になっても、羽もなく足もなく、蓑から外に出ないそうですね。
そして、雄の方はこっちは口がないというか、何か物を摂ることができない口だそうで、成虫になったら、とにかく雌を探して(雌はフェロモンで誘うんでしょうね)、交尾して死んでいく、だそうです。
雌もその蓑の中で産卵、そして、そのまま死んで渇いてしまうとか、下に落ちるとか、幾つか記述がありましたが、そんな一生だそうで。春を待っているんだかどうか・・・。

でも、神様の作ったこの世界、いろいろまだまだびっくりすることがありそうです。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日は出エジプト記の8章でした。

「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。」10節。

この出エジプト記のメッセージはずっと、神様が神様であり、支配者であることを私たちが知ることの大切さ、なんだろうと思う。

昨日のナイル川、今日のカエル。
エジプトの神々に対する挑戦、
エジプトも神様の支配の下にあるんだというメッセージ。

私の日々の生活の中に当てはめると何だろう?

神に対抗して神になろうとしているもの、
私自身が神以上に大切にしたり、頼っているもの。

昨日は「人」だと思っていた。

今日は「才能」かな。
「人」もそうだけど「才能」も神様が与えてくださったもの。
そして、誰も「私には何もありません」なんて言ってはいけないもの。

神様が与えてくださったもの、でも、いつの間にか、神様よりも大切になったり、神様よりも頼りにしたり。

でも、何よりも神様を大切に、神様に従っていけますように。
もっともっと祈りの時を大切にして、神様と共に時間を過ごすことが喜びとなりますように。

神様、
何よりもあなたを頼りにして歩めますように。
今週の一日一日を守り支えてください。

さあ、今夜はまだ早いから、3日ぶりに走ってきます。

2011-09-03

主の栄光だけを。

台風はやはり四国に上陸となりました。
でも、先日のこちらのハリケーンと同じで、
中心から遠いところでも、大雨が降っています。


「中心がどこに行くか」というのは本当に大切な情報なんですが、
「遠く離れているから大丈夫」じゃないんです。
台風の東側では南風が吹くので、
温かい湿った空気が入って、
大雨になり易いです。


お気をつけ下さい。


今日メキシコでTropical Stormになった「Lee」くんも、
北側、東側で大雨が降っています。
で、先日は「干ばつに見舞われている地域に恵みの雨か」とも思ったのですが、
雨の範囲は西に広がらず、一番干ばつのひどいテキサスには降らなさそうです。


それだけではなく、その湿った空気の一部が、
もう雨はしばらくいらないこの北東部にまで流れて来そうです。
そして、東海上からは、「Katia」ちゃんも、接近/上陸する可能性も出て来ました。
それはホントに悲惨なことになりますので、避けてほしいものです。


さて、ちょっと息抜き。


ウチの女の子たちはホントに動物好き。
先日のハリケーン一過の月曜日も、
停電の中、ウチにいてもしょうがないし、
親子そろって休日なのは、学校の始まる前日で急がしい9/5を除けば、しばらくないかな、ということで、遊びに行こうという話になりました。


私は子供の時に「潮干狩り」に連れて行ってもらってから、
「〜狩り」が結構お気に入りで、行きたいのですが、
イチゴとかモモとかリンゴとかナシとかはアレルギーがあるのでダメ。
ぶどう狩りはこちらにはあまりないので、
「そうだ、シーズン最後のブルーベリー狩りだ」と提案したのですが、


シーン。


ということで、場を盛り上げようと、
年間パスを買った「Bronx Zoo」に行こう!と言ったら、
二人とも「行く行く」だって。


実際行ってみたら、月曜まではハリケーンの影響で休園だったんですけどね。
おまけに、ブルーベリー農園までの道も通行止めだったんですけどね。
結局電気のつかないウチでゆっくりしているのが正解だったみたいです。


ま、そんな子供たち、


アトランタではやっぱりパンダです。


ここは上野みたいな人だかりはできません。
(自分が子供のとき、カンカンとランランを初めて見たとき、ホントに遠くの方で黙々と笹を食べているのをちらっと見ただけでした。すごい人の波で、立ち止まることも許されませんでした)
新学期が始まった8月半ば、ホントにお客さんもいないです。
ぽつぽつ人がやってくる程度で、ほとんど「独り占め」状態です。


2年前に行ったのですが、
それで気に入って、今年も「行く行く」とういので、
行って来ました。


その時のビデオ。
上手にサトウキビの皮をむいて、食べていたのですが、






はい、パンダのLun Lun(メス)と目が合いました。
そしたら、舌をペロリ。
それがおかしくて、笑っていたら、目の前に歩いて来て、
踏ん張るじゃないですか。怒ってたのかな。


パンダのウンコ風景、初めて見ました。ハイ。


ま、それだけなんですがね。


で、気を取り直して、
最近の「日々のみことば」から。


一昨日までの数日間、使徒行伝の7章、ステパノの説教と殉教のところを読みました。


「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っているイエスとを見て・・・」55節。


ステパノの説教でその場で悔い改める人はいませんでした。
それどころか、人々の反発を買いました。
はらわたが煮えくり返っていたといいます。

そして、ステパノが神の栄光を見て、神の右に立っておられるイエスを見て、
そのことを口に出したら、人々は怒りに満ちて、彼に石を投げつけたのです。

ステパノの態度、言葉は、人に配慮するものではありませんでした。
人を理解して、導いて行くものではありませんでした。

ただただ、主の語らせることを語り、
主を見上げていました。

それが彼を死に追いやりました。

彼は悔い改めた人を見ることはできませんでした。
人の人生が変えられて行くのを見ることはできませんでした。

でも、よかったのです。
彼はただ、主の栄光を見ていたのです。

そして、その姿を見ていたサウロが、必死になって迫害に乗り出したのは、
まるで自分が今まで大切にして来たものが、
このステパノが持っている信仰によって、崩されてしまうのではないかという不安を打ち消すためであったかのようです。

そして、彼は最後はイエスに出会い、悔い改め、福音を伝える者となり、たくさんの人々が彼の働きを通して救われました。

ステパノはそれを自分の目で見ることはできませんでした。

私たちが神様に従う時に、
必ずしも、自分が生きている間にその結果を見ることができないかもしれない、
そのことを覚悟していることの大切さを思わされました。

目先の結果に一喜一憂し易い私たちです。
本当に主の導きに従い、ただ主を見上げて歩ませていただきたいです。

主よ、
あなたの導きを見せてください。
人の反応や、目先の結果で物事を判断してしまうことがありませんように。
ただ、あなたの導かれること、あなたの命じられることをさせてください。

2011-07-26

あと2年あるけど・・・。

暑ーい日が続きましたが、
日曜日あたりからマシになって、
昨日は雨も降って、楽になりました。
今日は33度くらいまで上がりましたが、
一度40度を経験しているので、
「ま、普通はこうだよね・・・」位の感覚です。


夜になって雷雨があり、気温ももう22度くらいまで下がってきています。


湿度があるので、ちょっと蒸し暑い感じもしますが・・・。


明日はスッキリ晴れそうです。


さて、おとといは、元ヤクザで今は牧師をしている井上先生ご夫妻をお迎えしてとても幸いな時を持ちました。特に、礼拝のあと、夜、BBQをしながら、時間と体力のある皆さん、うちに来ていただいて、楽しく話をしていたのですが、この時間に先生の人柄とイエスさまのことばかり考えておられる姿にみんな励まされていました。


私はというと・・・もちろん、野菜や肉を焼いていたりしたわけですが、
あと、夜、暗くなった頃に、こどもたちがセミの幼虫を発見。




で、観察してしまいました・・・。




背中がぱくっと割れて・・・




見る見る割れ目が大きくなって、




パコッと出てきました。



そして、全身出てきたかと思うと、



だんだん羽が伸びてきました。



あ、でも観察はここで終わり。
そのうちにちゃんと羽が伸びて、
飛んで行ってしまったみたいですよ。


セミの羽化・・・久しぶりに見ました。
そう、久しぶり。


実は今から15年前。1996年6月。
それはそれはたくさんたくさんセミが発生。
夕方になると、幼虫が列をなして羽化する場所を探しに行きます。
踏みつけないように歩くのが大変なくらい。


そして、あちらこちらで羽化を始めます。
中には適当な木が見つからないで、芝生の中や、歩道の上で羽化を始めるヤツもあらわれます。


ですから、最初は「すげえ」と感動していたセミの羽化も、
もう、あっちでもこっちでもですから、珍しくも何ともないわけです。


そして、数日のうちに、木の根元には積もるくらいのセミの抜け殻。


これは何でかわかりませんが、
日本にはない現象ですね。


その名も17年ゼミ。17年に1回大発生します。
つまり、17年間幼虫で地下で過ごし、
地上にあらわれてきます。
ですから、大発生は2年後です。
乞うご期待。


あ、それはウチの近所の場合です。
場所によって大発生の年は変わります。


こちらには年によってどこの地域で大発生するか、地図を見ることができます。
ちなみに今年は17年ゼミではなく、13年ゼミだそうです。南部が中心。
来年はバージニア州の山の中、
再来年が、ここら辺からずっと東海岸NCくらいまでです。


さて、最近の聖書から。
ここのところ、列王記第二を続けて読んでいます。
日曜日に読んだ12章からの言葉。


「ヨアシュは、祭司エホヤダが彼を教えた間はいつも、主の目にかなうことを行なった。」2節。

ヨアシュがエホヤダがいなくなったら、もう主に従わなくなったその信仰の中途半端さを非難するのか、それとも、私たちにとって、このヨアシュにとってのエホヤダのように、信仰を支えてくれる人の存在の大切さを覚えるのか・・・。

私は特に後者の方、信仰を支えてくれる人の存在の大切さを思わされています。

もちろん、自分も誰かにとってそのような存在になりたいと思います。

でも、それとともに、自分にもそのような存在がどれほど必要か思わされます。

昨日の牧師会にはハワイに長くおられた黒田先生ご夫妻がおいで下さり、若い(?)私たちに大切なアドバイスをたくさんくださいました。

先生のブログはこちら。

本当に明るく楽しい先生方でした。
そして、先生方のお話を伺いながら、
本当に私も楽しく伝道したいと思わされました。

最近、自分にちょっと欠けてしまっているものを、
先生のうちに感じました。

先生は昨日の牧師会を「励まし会」と書いておられますが、本当に励まされました!

そのように励まし手が自分にとってどれほど大切かと思います。

主よ、
あなたが私に励まし手を与えてくださっていることに感謝します。
信仰の目をしっかり主に向けて行くために、必要な助けを与えてくださっていることに感謝します。
これからも、助けてください。必要な支え手を与えてください。
私も誰かにとって、励ましとなる者となれますように。

2011-04-14

今、必要なもの。

昨日までの2日間のぐずついた天気が今日はすっきりと晴れて、
気持ちのいい一日となりました。


子どもたち、一週間で外に連れ出すのが、
火曜日の映画だけだったし、
昨日はちゃんとふたりで留守番した、ということで、
今日はお休みをいただいて、Bronxに行ってきました。


はい、Bronx といえば・・・


はい、家のお嬢たちは動物大好きですから、


はい、ハジに会ってきました!
3人で、「あ、ハジだ、ハジ〜!!」と
はしゃいできました。



のんちがいなくて、ちょっとなんか足りない、という3人の生活ですが、
ハジと会えて、なんだか元気が出てきました。


あ、なんで、彼がハジかというのが不思議に思う方もおられるでしょうね。
ハジは、上手なんですよ、彼らのまねが。
それで、教会の子どもたちの間では、
「ああ、ハジ、早く帰ってきて、ゴリラのまねやってくれないかなあ」という声が上がっています。




Bronxといえば・・・夜の部もあり、
5ドルのチケットも売っていたのですが、
今年はちょっと寒いと思ったので(そうでもないようですが)、
ま、もう少し夜が暖かくなったら、ということで、
今夜はテレビ観戦です。




のんちは、木曜日の夕方に無事に石巻に着きました。
今頃は初日の働きに出ていると思います。
初日はまず、入浴の支援だそうです。
介護系の働きでしょうか。


石巻まで連れてきてくださったのが、石巻在住の方。
20メートル級の水と瓦礫の壁に襲われた、石巻では、
その方が個人的に知っている方の間だけでも、
本当に本当に、過酷な、とてもとても悲しい話があって、
それを、運転しながら、してくださったそうです。
私もちょっと聞きましたが、
とてもとてもここに書けるようなものではありません。


そこには、神学校で勉強するような神義論(神が全能の愛の神ならば、どうしてこの世にこんなに悲惨なことがあるんだろうか、という問いに聖書から答える議論)やキリスト教弁証論(キリスト教が科学的に、論理的にどれだけplausibleかを主張する議論)が、どうしようもない全く安っぽいものに見えてしまう現実があります。そんなのはコリント人への第一の手紙の13章の最初にある「やかましいどらや、うるさいシンバル」以外の何物でもありません。


ただただ、どれくらいの時間がかかるか、わかりません、でも、その中で、一人一人の心に「立ち上がろう」という思いが与えられるという奇跡を祈るのみです。


そして、ただ黙ってその痛みに寄り添う人たちがどれほど必要かと思います。


のんちが新しい働きの地で、主のしもべとして用いられるように祈ります。


「神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである」ヨハネ第一の手紙4章12節。


議論の中には神はいません。
愛する実践の中におられるのです。




さて、今日の聖書。
マルコ13:28-37。


「だから、目をさましていなさい。」35節。

ん〜、眠っていたかな、自分。
ホントにいつ何が起こっても動じないような、
いつ、世の終わりが来ても、大丈夫なような思いだったかな、というと、
やっぱり、そこまで準備はできていなかったように思う。

でも、やはり今回の震災で、心の備えの大切さを思わされた。
また日常の中での働きの大切さも思い出させられた。

また、原発のことも、考えの甘さを思い知らされた。
権力者を無批判的に信頼することの愚かさ、
無関心であることが罪であることも。
自分の考えをしっかり持って行くことの大切さも。
そして、必要以上に便利、快適な生活を追い求める貪欲さを悔い改めるべきことも。

目を覚まそう。

主よ、
目を覚まさせてくださってありがとうございます。
二度と眠りこけてしまうことがないように守ってください。
しっかり見るべきものを見ることができますように。
言うべきことを言うことができますように。

2010-09-13

友と同労者と先輩と。

もうすっかり秋ですね。
「もう夏は終わってしまったんですか?」なんて
寂しそうに言う方もおられますが、
今年の夏は十分暑かったです。
日本ほどじゃないですが、
かなり暑かったです。


で、もう秋です。
30度を超える日は来年の5月くらいまではもうないのでは・・・と思います。


明日は、晴れ。
明日の夜はぐっと冷えますから、
お風邪などお召しになりませんように。


先週末は、シカゴから、
はちこさんとぼぼるさんと2人のお子さんたちがおいでになりました。
前回、2年前はあちらは4人の子供たち、こっちも3人の子供たち+KO-NY高校に行っていた男の子で8人の子供たちで、8人の子供たちと4人の大人でそれぞれ盛り上がったのですが、今回は、互いに2人ずつ。時の流れを感じないではいられませんでした。


でも、大人は、面と向かってゆっくりお話をするのは2回目、とは思えないほど、語り合いい、祈り合い、幸いな時を過ごすことができました。本当に良き友が与えられたと感謝。


そんな一時を過ごしていると、同労者親友のK先生から電話。


「鹿にぶつかってしまった!」


え〜!?


ですよね。
ご存じの方も多いかと思いますが、(かな?)
ぼぼるさんはこの2年余りで2回も鹿との衝突を経験されていて、
今回も祈りながらの運転です。


1回目。


2回目。


うーん、こうやって改めて写真を拝見してみると、2回目は、ほんと、すごかったんですね。


話は戻って、K先生の鹿との衝突。
立派な角をした大きな鹿で、
角がヘッドライトに突き刺さって、
体が助手席側のドアにぶつかってきたそうです。
そして、助手席のドアは開かなくなって・・・と、
本当に動揺されているようでした。


一言祈って電話を切ったのですが、
その経験で、先生は目がさめるような気持ちになったそうです。
暗い中、気がつかないで走っていて、
突然どかっとぶつかって気がつく、
私たちの心の状態もそういう時があるのではないかと。


この経験はwake up callだったそうです。
そして、神の前に引き出されて守った礼拝は、
先生ご自身にとっても、
礼拝に出られた方々にとっても、
本当に素晴らしい礼拝になったそうです。


そんな話を、今日の牧師会のあと、分かち合ってくださって、
共に祈る時を持たせていただきました。
私自身も神様の前に引き出されるような気持ちでした。


こんな素晴らしい同労者を与えられていることに本当に感謝。


ちなみに、今日、牧師会にその車に乗ってこられたので、ご紹介。






うーん、はちこさんとぼぼるさんの車の写真を見たあとだと、
「え、これだけ?」って感じもしますが、
ものすごい衝撃だったそうです。


今頃、ちょうど、はちこ&ぼぼるご一家はシカゴまでの道をひた走っている最中でしょう。
無事に戻られることを祈りつつ。


そして、夜はNYでのVIP-NYの集会。
こちらでメッセージをされたのは元気なL先生。
この先生のパワーにはいつも励まされ、圧倒されています。


牧師としては私の方が長いのかもしれませんが、
人生の先輩で、またいろいろな経験をしてこられた先輩です。


「解放されることの大切さ」をお話してくださいました。


一つまた祈りの課題を示されています。


主が多くの方々を私の周りに置き、
私を恵もうとされていることに、喜びが与えられます。


長くなりました。
最近の「日々のみことば」から。


先週の金曜日は第1列王記3:16−28を読みました。
ソロモン王の知恵を紹介するエピソードです。
一人の子供を、「自分の子だ」と主張してやまない二人の女性に対して、
ソロモンは言います。「その子を切って二つに分けなさい」と。


その時のそのうちの一人の女性の様子を表す言葉です。


「すると、生きている子の母親は、自分の子を哀れに思って胸が熱くなり、王に申し立てて言った。『わが君。どうか、その生きている子をあの女にあげてください。決してその子を殺さないでください』」26節。


この聖書のポイントはソロモンの知恵ですから、
そのポイントとは外れるのですが、
この愛の母親の姿に、
私は本当にこのような愛で人々を愛しているだろうかと、
そのことを探られたのです。

教会を愛し、教会の人々を愛し、
その他、出会う一人ひとりをこの母親の胸が焦げるような愛で、
愛しているだろうか?

何か本人の祝福にならないことがあっても、「まあ、しょうがない」と思ったりしていないだろうか?

本当にその人が永遠の命をいただくために胸を焦がしているだろうか?

がっかりしたり、傷ついたりするのが怖くて、嫌で、
最初から諦めたり、対面するところから逃げていることはないだろうか?

愛することを教えていただきたい。
愛することを経験させてもらいたい。

主よ、
愛することを教えてください。
あなたが与えてくださった、周りの方々を、
愛することを教えてください。
逃げないで、愛することができますように。

2010-08-21

ハミングバード。

日付が変わってしまいましたが、
昨日はNJに戻る途中にノース・カロライナの方のお宅にお寄りしました。
そのお宅のベランダにはハミングバードが来る、ということで、
何度かビデオ撮影を試みるのですが、
やっと撮れたのがこちら。

人間の反応の方がおもしろい・・・。

何でもそうかもしれませんが。


2010-06-08

いたわり合う・・・。

今日はまた涼しく気持ちのいい天気でした。
でも、明日は午後から雨。
夜も降り続き、
ちょっとまとまった雨になりそうです。


先週から、ハジにSummer Jobが与えられて、
毎日働いています。
大きなスポーツ用品店。
勤務時間は日によって違うのですが、
今週は夜、倉庫の整理をしているようです。


昨日の夜も10時前に自分で車を運転して、5分くらいのところにある職場に出かけていきました。そして、今朝7時半頃帰ってきて・・・いきなり話しだしました。


「昨日、Highwayを通るのがいやで、裏から回ったんだけどさ・・・」
ここまで聞いたら、親は「ああ、チケット切られたんだなあ」と思うものですが、それはハズレで、こんな話でした。


車で走っていたら、道の真中に動物が群れをなしていた。
車で近づいていったら、逃げていくと思ったけれども、逃げない。
そして、よく見たら、それは「スカンク」の群れ。
そんなもん、群れを作るか?と思うのですが、
そうだったそうです。
そして、危なく轢くところまで行って、止まったけれども、
よく見たら、一匹轢かれてしまっていて、
その一匹を囲んで、「おい大丈夫か?」ってみんなで聞いているみたいだった(ハジのことばそのまま・・・)。
そして、とてもかわいそうだったそうです。


でも、スカンクもいたわり合うんですね。
知りませんでした。
「負けられないな」と思いました。


でも、本当に間一髪で轢かなかったみたいですが、
ほんとに臭かったそうです。
パパがスカンクと対決したときに言っていた、『痛い』と言うのがわかる」強さだったそうです。


そのハジ、そろそろ今夜も出勤です。


さて、今日の聖書。
今日は第2テモテ3章1−9節。


「そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語をする者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者・・・」2−5節。

ここに出てくる世の終わりの人々の姿、
それを読みながら、自分は果たしてどうだろうかと、いろいろ思わされた。

これは自分とは関係ない、なんて果たして言えるだろうか?と。
というか、一つひとつの言葉に引っかかってしまった。

「自分を愛する者」
やっぱ最後は自分がかわいい、みたいなところは自分にはないだろうか?

「金を愛する者」
うーん、肯定はしたくないけれども、結構振り回されるよなあ。

「大言壮語をする者」
調子のいいことを言って、いつの間にか忘れていると言うことがどれだけあるか?

なんて考え始めると止まらない。

でも、一つ一つ整えていただきたいと思わされた。
こんなの人間なんだからしょうがない、と終わらせないで、
一つ一つ主に取り扱っていただきたいと思う。

主よ、
私の心を探ってくださりありがとうございます。
一つ一つ、あなたが私の心のなかの問題を取り扱って下さり、
あなたの用いやすい器となることができますように。


整えて下さい。


さて、明日は朝からNY。
そして、夕方にはゲストの先生が来られる。
楽しみ。

先生を迎えての集会はこちら。
沢山の皆さんが来られますように!

2009-11-04

棲んでた。

今日はマツイデーですね。
ここまで3打席で6打点。
明日の家庭集会のためにタマネギ炒めながら、しびれてました。

さて、今朝のMy初霜予告は見事に外れました。
最低気温は2.8度。霜を見ることはできませんでした。


でも、今朝は、朝が1時間遅くなって初めてスカッと晴れたので、
朝6時がここまで明るくなっていると初めて知りました。
薄暮って言うんでしょうか?
ん?「暮」っていうのは夕方?
・・・調べる・・・ですね。


では朝の薄明るくなってくるのは・・・
薄明?・・・あった。
でも、これは日没後にも使うんですね。
黎明?・・・これかな?


6時45分に教会を出る時にはすっかり朝になっています。


今夜はこれから少し雨が降るようですが・・・
どうなるでしょうか?


さて、昨日屋根裏で探した生物ですが、
やはり、リスでした。
今日、また「ガサゴソ」と音がしたので、
すかさず屋根裏に上って懐中電灯で照らしたら、
しっぽが見えました。
昨日、窓から中をのぞいていたリスかどうかは、
しっぽだけではわかりませんが、
昨日の表情からするときっとそうです。


メインの入り口の他にもう一つ、ここがあやしい・・・というところがあるので、
明日、外に出たのところを見計らって、そこもふさいでしまうことにします。


さて、10月29日(木)の聖書。
ピレモン17-25。


「私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。」21節。

「従順」ですね。
これは私もものすごい試されることです。
自分は大人になってから、「従順」に生きたことがあっただろうか、
それを具体的に実行したことがあっただろうかと、
思わされます。

神様に対して、また上の秩序に対して・・・。

神様に対する従順も難しい課題ですが、
人に対する従順は更に難しい課題です。

心から従うこと、
喜んで従うこと、
それを経験すると共に、
その時に与えられる恵みを経験したいです。

主よ、
私のために準備してある従順の訓練に、
正面からぶつかっていくことができますように。
あなたに従い、また権威に従う者でありますように。

2009-11-03

何が棲みついているのか。

今朝は寒かったです。
最低気温は測っていませんが、
3度くらいだったでしょうか?


そして、昼間はまあまあ暖かかったのですが、
午後から風も出てきて、冷えてきました。
今夜は霜が降りると思います。
もうホントの初霜かどうかはわかりませんが、
My初霜になりそうです。


しばらく前から課題になっていたのですが、
家の屋根裏には何かが棲んでいます。
がさごそがさごそ音がします。
どうやら生き物みたいです。


で、今日、屋根裏に上りました。
昼間、たぶん外に出ていたので、もぬけの殻でした。


そして、屋根裏の壁に動物の入れそうな穴を発見。
周りには動物の毛が落ちているし、
周りを壊したような跡もあるし、
怪しい。
それで、とりあえずパテで穴を埋めて様子を見ることに・・・。


その後、ガサゴソ言わなくなってので、
どうやら作戦は成功だったようだ。
その後、鍵のかかったデッキの窓には、恨めしそうに家の中をのぞくリスの姿が。


・・・きっと犯人はコイツだと思う。


網戸に手を掛けたまま、こっちを見ています。
目が訴えているんですよね。
「僕の入り口、なくなちゃったんだよね・・・ここから入っちゃダメ?」って。
思わず、「いいよ、入りなよ」と言いたくなってしまいました。


でも、ここはぐっと心を鬼にして、
「君は新しい道を自分で切り開いて行かなきゃダメだよ」と
励まして送り出してあげました。


これでよかったんですよね・・・。きっと。


でも、ここら辺はもう、住宅地なんですが、
いろんな動物がいます。
前の牧師館には、
アライグマが棲みつきました。
ここでも、オポッサムやスカンクがわなにかかったことがあります。
野菜を荒らすグランドホッグは何匹捕まえたことか・・・。


鹿は何度か見ましたし、
熊が迷い込んできてニュースになったこともあります。


元々彼らの棲んでいたところに、
わたしたちが間借りしているんですよね。
謙虚でありたいと思います。


さて、10月27日(火)の聖書。
エレミヤ25:30-38。


「聞け。牧者たちの叫び、群れのあるじたちの泣き声を。」36節。

聖書全体から見ると、
やはりこの聖書の箇所は、
「イエスがおられなかったら、当然私にも与えられる裁き」を語っている。
本来、自分はこのように裁かれてもおかしくなかった。

こういう聖書箇所を読むとつらくなります。
どうして、こんなことが・・・と。
でも、本当はわたしたちはこの裁きを受けても何の文句も言えなかったはず。
いつの間にか、自分がこんな目に遭うはずがないと、
そこまで悪くないと、勝手に思い込んでいるのかもしれません。

いつの間にか、イエスを十字架から引き下ろし、
自分が神に認められる者だと、傲慢になっているのかもしれません。

主の憐れみをもう一度覚えたいと思います。

主よ、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
もう一度教えてくださってありがとうございます。
あなたの恵みの中に生きる者でありますように。
恵みに感謝して生きる者でありますように。

2009-08-27

父と母と子。

いえ、ウチの話じゃなくて、月曜日のパンダの話。


これがパパパンダ。


これがママパンダ


これが子パンダ。

アトランタの動物園。
Bronx Zooなんかに比べると、
とっても小さい。
そして、人が少ない。
駐車場が小さくて、「えっ」と思うくらい車が少ない。

経営努力が足りないといわれたらそれまでかもしれませんが、
お客さんが少ない分、パンダを見るときにもゆっくり見ることができて、
十分楽しませて頂きました。

今から30年余り前、東京は上野動物園でパンダを見たときは、
すごい人の多さで、遠くから、ちょっと見ただけでした。

今回、30年ぶりにパンダを見て、ゆっくりいろいろ見て、
写真もたくさん撮って、とってもミーハーですが、
楽しかったです。

ウチの親子の方は、というと、
さっき、私からの「業務連絡」的なメールに、ハジから返事が来て、
その最後に、「冷蔵庫のところに手紙置いておいたけど気がついた?」だって。


普通のレターサイズの紙1枚にびっしり文字の詰まった手紙。
私も、家族の中でなかなか面と向かって言いたいことが言えないですが、
あいつもそうなんですねえ。


はい、素直にうれしかったです。


いえ、内容はここでは公表しませんが、
結局、父と子、男二人水入らずのキャンプも実現せず、
NJ最後の夜も荷造り。
旅行中も、なかなかそんな雰囲気にならず、
最後まで、「ゆっくり話す」「一緒に祈る」ということができないでいて、
なんだか「こんなんでいいのかなあ」という気持ちでした。


でも、息子の方はこんなものを置いていっていたんですね。
完全にやられてしまいました・・・。


さて、21日(金)の聖書。
21日は第2コリント12:1-13。


「私が高ぶることがないように・・・」7節。

これですよね。これ。
神様はパウロが高ぶることがないように、
一つの肉体の弱さを準備された、といいます。
そして、それをあえて取り除かれなかったというのです。

それくらい、高ぶりは危険。
高ぶりから守られるためだったら、
弱さや痛み、失敗は祝福でもあるんですね。

私も本当にこの面での弱さを感じます。

その弱さをいつもいつも忘れないで、
高ぶりにとらわれていないか、
自分を振り返ることを忘れないようにと思います。

主よ、
私の心を守ってください。
私が高慢にならないように、守ってください。
どうか、私があなたの僕として、あなたの力を喜ぶことができますように。