2012-02-01

聖書読め!

2月になりました。
今日も暖かい、春のような日でした。
18度Cくらいまで上がりました。
なので、明日はグラウンドホッグデーで、春の到来を占うイベントがあるのですが、まあ、どっちでもいいよねえ、という気分で、盛り上がりません。
やっぱ、冬が締まらないと、春が楽しみ!感がありません。
でも、日本の大雪のニュースを見ると、
ホントに大変だと思います。
与えられている時を生かして用いなければ・・・。


TwitterやFacebookでも大騒ぎしているのですが、


今朝の夢は強烈でした。
初めて会う方なんだけど、先輩牧師から、自分の態度、配慮のなさをこっぴどく叱られた。そして、その先輩、帰りがけに「ハバクク書(聖書の中の一書)を読め!いいか、ハバククだぞ!」と何度も叫んでいた。


ものすごいインパクトの中で、目が覚めた。
夢の中で、聖書の箇所を指定されたのは初めてだった。 
正直、アウグスティヌスが、回心する時に、「取りて読め!」との子供たちの歌を神の言葉と受け取って、聖書を開いて、聖書の言葉にとらえられて、クリスチャンになったことを思い出して、おお、俺にもそう言うのが来たのか、と思った。


それだけでも、十分心に残ったのだけれども、朝5時に目が覚めて、何の気なしにTwitterを見ていたら、日本の某牧師が「ハバクク2章の準備をしましょう」とツイートしていた。


これが「マタイ」「ヨハネ」「ローマ」あたりだったら、そんなにびっくりしないんだけど、なんと言っても「ハバクク」ですからねえ。


 はい、早速しっかり読みました。 どんなことを思ったかは、今日はもう遅いので、また明日にでも。


さて、今日の聖書から。
今日はルカ5:12−26でした。


「しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた」16節。

人々はイエスに期待していました。
期待してイエスの回りに集まっていました。
でも、イエスはその期待に自分のみを任せませんでした。

父なる神様とともに過ごす時間を大切にしておられました。

「よく」という言葉がすごいな、と思います。

自分の姿勢が問われたような気がしました。
いつでも退いて祈る時を大切にしたいと思いました。

主よ、
あなたとの時間を大切にさせてください。
もっともっとあなたと親しく歩めますように。

2012-01-31

神様がおられるから。

ホントに暖かくなりました。
そして、暖かい夜となりました。
夜の10時半で、7.1度C。
明日ももう一日暖かくなりそうです。


さて、今日は早速「日々のみことば」から。
今日はルカ5:1-11を読みました。


「こわがらなくてよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」10節。

ペテロがイエスに従うところです。
読むたびに違ったこと、いろんなことを思わされるところですが、
今日はこの言葉が心に留まりました。

ペテロが何を恐れたかと言うと、
自分が一晩一生懸命やって捕れなかった魚、
それがイエスの言う通りにしたら、たくさんとれたからです。

そのイエスが今度は「恐れるな、あなたは今度は魚ではなくて、人間を神様の元に連れてくるようになる」と。

これはすごいこと。
イエスは「しっかりしなさい、私があなたを選んだのだから」と言われたのではない。
「これからも、私に従いなさい。私があなたにこれからも、このようなことを人の救いにおいてみせてあげるから。」と。

私の人生にも主が同じことをしてくださるかと思うと、
わくわくしてくる。
主を信頼して歩んでいこうと思う。

主よ、
あなたのみ業を見させてください。
あなたを信頼して、従っていきます。
導いてください。


2012-01-30

この世の天国と、あの世の天国。

なんだかずっと暖かい。
奇妙なくらい。
今、夜の10時半で1.2度C。
8時頃は0度くらいだったから、気温は上がって来ている。
明日は13度Cまで上がるなんて、予報が出てきている。
もう2月になるけれども、ホントにこのまま春になるかもしれません。
ま、あんまり期待させると、失望させるかもしれないので、
ほどほどにしておきますが。

さて、先日の天国を見上げた日から、
いろんな方々の天に旅立っていかれた日を思い出していました。
冬が多いんですね。
今日も、一人の信仰の先輩であり、主の僕である方のことを思い出していました。


ああ、天国にはいろんな方々が行って、
とってもにぎやかになっているんだろうなあと思いました。

主を信じる者にとって、
死ぬことは本当に心配はありません。
主のもとに行くのですから。

でも、それと反対に、「生きること」がだんだん難しくなっていくのかなあと思います。
日本でも、高齢化社会の問題がこの先深刻になっていくでしょうし、このアメリカで歳を取っていくことにも、不安な気持ちがあります。

聖書を読んでいて、いつも思うのですが、「いつ主が迎えに来ても大丈夫なように準備をしておく」ことと共に、「それがずっと先でも大丈夫なように準備をしておく」事も大切だと、聖書は語っているな、と思います。

わたしたちが神様がおられるから、どんな中でも大丈夫、なのは確かなのですが、それとともに、生きることに、この地上で歩むことに、もっともっと夢が持てるように、そのような環境を作っていく、特にこの地に住む人々に、それを作っていく、それが、この先10年くらい、自分に課せられた課題なんじゃないか、ここ数日、思い始めています。

さて、最近の「日々のみことば」から。
先週の土曜日、ルカの4章1-13節を読みました。

「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。」6節。

イエスがサタンの誘惑にあったところです。
サタンはイエスに「私がすべてのこの世の権力を任されているから、あなたが私を拝むならば・・・」と言いました。
でも、これって嘘ですよね。
もしかしたら、自分もその手の嘘に結構ハマっているのかもしれません。

「お金はサタンの手の中にある」
「この世の地位や権力はサタンの手の中にある」

ウソです。

すべては主の支配の中にあります。
もちろん、地位やお金を神様以上にすると、
それは罪です。偶像礼拝です。
でも、地位を得ることも、権力を手にすることも、経済的な必要も、主の御手の中にあり、主が与えてくださることなのです。

経済的な祝福を得るためには、神様を捨てなければならない。
そう思うなら、間違いです。
ただ、神様を第一とすること。

神様を第一として、与えられる祝福の中に生きる。
大きく期待して、主のみ業を見せていただきたい。

主よ、
あなたがすべてを支配しておられることを、忘れることがありませんように。
サタンのウソにハマってしまうことがありませんように。
あなたを第一として歩めますように。