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2014-04-18

十字架につけられた王。

今朝も氷点下に下がりました。
3日連続の氷点下の朝。
でも、これがこの春、最後の氷点下の朝になりそうです。

今日の天気予報はこちら。



昨日はJOY JOYキッズクラブ。
たくさんのみんなが来てくれました。

2013-03-24

うーん、まだまだがまん。

今日は、昼頃に教会に行く時には本当にいい天気。
ああ春なのかなあ・・・と思っていましたが、
また、夕方に帰る時にはどんより、冬の空に戻っていました。

そして、明日は雪の予報。
雪は降るんですが、それほどひどくはならなそうな感じです。
多くても10センチ・・・十分多いか。
でも、もしかしたら、ホントほとんど積もらないかもしれません。

そして、その後も、先週ほどではないですが、寒い日が続きそうです。
ああ、早く春にならないかなあ。
去年は3月中に25度くらいまで上がる日もあったのに・・・。
まだまだがまんのようです。

先週の木曜日はJOY JOYキッズクラブ。
今月はバードフィーダーを作りました。



なんだかよくわからない写真ですが、
松ぼっくりやプリッツェルにバードフィーダーとショートニングを混ぜたものを詰め込んだもの。

我が家の庭では、リスが喜んで食べていました・・・。

みんなのうちではどうだったかなあ。

さて、先週木曜日の「日々のみことば」
民数記の21章でした。

「すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」8節。

何度も何度もつぶやく民たち。
本当に愚かだなあ、と客観的に見たら思いますが、
自分がそこにいたら、どうだっただろうか、ということも思わされます。

その罪を犯した民が蛇にかまれた時に、彼らを救うために青銅の蛇が上げられました。
そして、その蛇を仰いだ者たちが救われたのです。

そんなこと?と思われるかもしれません。
当時の人々も思ったかもしれません。

でも、それが神様の方法でした。
その青銅の蛇と同じように、イエスはご自身が十字架にかけられることを予言して言いました。

「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:14-15

わたしたちも理屈は置いておいて、ん?もうちょっといい言い方がないかな、とにかくイエスが罪を負って下さったがゆえに、信じる者は救われる、と聖書は語っているのだから、理屈的にはよくわからなかったとしても、とにかく、イエスの十字架を仰ぐときに、永遠の命が与えられるのだというのだから、そうすればいい。ただ、仰ぐだけでいい。

本当に単純にイエスの言葉を信じて、信頼して歩んでいこう。

主よ、
あなたが十字架にかかってくださって、
わたしたち罪を負って下さってありがとうございます。
どうか、あなたの恵みを単純に信頼して歩む者とならせてください。

2013-02-21

実験系はたのしい。

いやあ、今日もまた寒かったですね。
昼間も0度は超えましたが、2度どまりだったでしょうか。
今は夜の10時半ですが、既に-5度C。
明日の朝はまた-8度Cコースかな。

そして、週末のストームですが、
多分土曜日の明け方の降り始めは雪。土曜日は一日雨。日曜日ちょっと雪になって朝のうちに上がる。という感じかな。

で、やっぱりボストンの西の郊外はまた大雪になるかも。
いやあ、大変でしょうね。
今日はカンザスとかミズーリで大雪みたいです。

さて、今日はキッズクラブの日。
今月は実験系だったんですよね。

クエン酸とベーキングソーダを混ぜて手作り入浴剤を作るというプロジェクト。


つなぎにコーンスターチも混ぜます。
みんな食べられるものばかり。
「クエン酸」と言うのにね。
ぶくぶくができますが、それも二酸化炭素。
ソーダの中に溶けてるのと同じです。


お好みで、着色料と香料を足して、ちょっと水で湿らせて、固めるという作業。
みんな一生懸命。たのしんでいました。

でも、一番たのしいのはお風呂にはいってぶくぶくやるのですね。
実験ぽくて、盛り上がりますよね。

さて、昨日の「日々のみことば」。
昨日から出エジプト記にはいりました。
昨日はその1章。

「助産婦たちは神をおそれたので・・・」21節。

この間の日曜日の礼拝で「恐れるべきものはなに?」という説教を語りました。
私たちはいろんなものを恐れる。
このエジプトの王様はイスラエルの民が増え広がるのを恐れた、と言います。
実際は、自分たちの立場、支配する側の民という立場を失うのを恐れたんでしょうね。

この助産師さんたちも、王様を恐れてもおかしくなかったと思います。

でも、彼女たちは神様を恐れた。
そして、その彼女たちを神様は守った。

自分はいったい何を恐れているのか、
もう一度問われたように思った。
神様を恐れる者でありますように。

神様、
あなたを恐れて、人を恐れない、そして、人を愛する者とならせてください。
自分に対して善意と誠実をもって接してくださる方々にたいしてはもちろんのこと、
そうではないことがあっても愛する愛を与えてください。

2013-02-15

2月のキッズクラブ。

日付が変わって15日になりましたが、もう一気に追いついてしまいましょう。

昨日14日は今月のキッズクラブ in Maywood。

今月は何を作ったかというと、手作り入浴剤。ぶくぶくと泡が出るヤツ。

こういうのね。

http://orangesky.jp/2010/03/handmade_basubomu0304.html

でも、本当にたのしいのは、
これでお風呂に入った時だねえ。

ぶくぶく泡が出て、気持ちいいだよ。

アメリカでは重曹は簡単に手に入るけど、
クエン酸がなかなか見つからない。
今回はAmazonで探して、見つけました。
もう、こんにゃく粉だろうが、クエン酸だろうが、
英語でなんて言うかわかれば、何でも見つかります。

あ、話がそれましたが、
来週の木曜日、21日はLeoniaでのキッズクラブです。
みんな来れるといいなあ。

で、昨日(2/14)の「日々のみことば」。
昨日は創世記の45章。

「それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく、神です。」8節。

これはすごい言葉ですね。

神が私をここに遣わした。だから自分を責めないでほしい、と。

でも、これがヨセフの生涯のすべてを解く鍵だったんですね。
一つ一つの仕打ち、困難、理不尽な扱い、濡れ衣・・・。
本当に辛いことが続く中で、
神が私をここに導いたと。

この日のために。

ああ、そういうことがわかる日が来るといいなあと思う。

でも、本当に心から思うのは、

わかる日が来なくてもいい。

わからなくても、私は神を信頼しているから。

主よ、
あなたを信頼して歩める幸いを感謝します。
わからなくても、私の痛みの意味とか、苦しみの意味とか、理不尽な扱いを受けることの意味とか、わからなくても、あなたの御手の中にあると信じているから、感謝です。

明日も、あなたの御手の中で歩めますから、大丈夫です。感謝。

2013-01-10

信頼。

今日は晴れて暖かい一日でした。
夜になって雲が広がってきたようで、
冷え込みもあまり強くなく、0度くらい。

明日は雨が降りそうです。

で、この週末は暖かいのは決まりなんですが、
来週のいつ頃から寒くなってくるか、
結構後半からかと思っていたのですが、もしかしたら、火曜日あたりからぐっと冷え込むかもしれません。そしたら、しばらく冬らしくなりそうです。

今日は今年初めてのキッズクラブ。Maywoodの教会で。
来てくれた子達は少なかったですが、
でも、楽しみにしてくれる子がいるだけでうれしいです!



今日は御言葉パズル。
そして、それを壁掛けカレンダーに。
こうすれば、少しでも聖書の言葉を覚えてくれるかな、と。

いつも楽しさを追求しながら、でも、なんとか、子供の心に神様の言葉が届くように、そんな思いで、毎月準備しています。来週はLeoniaの教会で。

さて、今日の「日々のみことば」
今日は創世記の10章。

「彼は主の前に力ある狩猟者であった。」 9節


本当に単調な系図の中に、特別な一つの言葉。
「彼は主の前に・・・」これにはいろんな解釈がある。
「神に敵対して」と「神に従って」と正反対の解釈もある。
どちらも可能性はあるだろうと思う。
でも、もう1つ、「神に従っているか、敵対しているかは別として、神様の許しの中で」という可能性もあるらしい。

為政者のしていることをどのように受け取るのか、どうしても、神に反逆していると思う支配者に対して、私たちはどのように対応するのか、例えば、あのドイツのナチスの支配のようなとき、本当にぎりぎりの判断を迫られることもあるだろう。
でも、すべてのことは神様の前の出来事なんだという、信頼、それもまた必要なことだろうと思う。

「悪をなす者のゆえに心を悩ますな。どんなに彼が豊かに成功しているように見えても、必ず、報いを受けるのだ」と詩篇にもある。

本当に主に信頼して、平安の中に歩んでいきたい。

神様、
あなたのご支配を信頼します。
どんな問題の中でも、不条理の中でも、
あなたの支配があることを、信頼しています。
私の心も、教会の歩みも、あなたが守ってください。

2012-12-20

受けるより与える方が:アドベント聖書日課12/20

今日は中西部は暴風雪に襲われたところもあるようですが、
こちらは今日も穏やかな一日でした。
朝はさすがに-3度Cまで下がり、車のフロントガラスをガリガリしましたが、午前中は晴れて、午後には曇り、夕方には雨が降り始めました。

明日も雨のようです。

来週はクリスマスの日にちょっと、
そして、27日はもっと、
雪が降るかもです。

今日はいつもお借りしているMaywoodの教会ではなくて、
LeoniaにあるPresbyterian Churchで、JOY JOY キッズクラブ。

またまた、楽しいひと時でした。



この中、私も入って、競争に参加しましたが、ホント、キツかったです。

そして、工作。キャンディーで作ったリース。


最近、ここのキッズクラブ、毎回のように新しい方が来られます。
どんどん盛り上がって来ています。

いつも礼拝や他の集会にも使わせていただているMaywoodの教会も本当にそうなんですが、このLeoniaの教会も、快く私たちのために場所を提供してくださいます。そして、時々、様子を見て、応援してくれます。

私たちも「自分たちの会堂を与えてください」と祈りつつ、献金を募り、積み立てていますが、もしも、私たちがやがて会堂をもてるようになった時には、それはそれは本当に大切な大切なものだと思うんですよね。ですから、他の方々にお貸しするのには、ちょっと勇気がいるんじゃないかと想像します。多くの祈りと多くの犠牲がささげられて、やっと建て上げられた教会堂、気持ちがこもっていればいるほど、いろいろなこだわりがあるんじゃないかと思います。それを貸していただける、愛に感謝します。

私たちもやがての日、会堂が与えられた時には、そのように「受けるよりは与える方が幸いである」というイエスの言葉の通りにできますように。

さて、今日のアドベント聖書日課。
今日はマタイ13:44-46。

「喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。」44節

イエスを信じる喜びは、すべてを投げ出してもいい、と思えるような喜び。
本当だなあと思う。
これがあればいい、それだけでいい、と、今朝は思った。

そして、なによりも、まず第一に、イエスさまご自身が私たちを手に入れるために、すべてを投げ出してくださったんだなあ、と。もう一度そのことに感謝。

この喜びを原動力に歩ませていただけることに感謝。

主よ、
あなたの与えてくださる喜びのゆえに感謝します。
この喜びに生きる者とならせてください。

2012-10-18

聖霊によって歩む。

ここのところ、昼間はまあまあ暖かく、夜は10度を下回る日が続いています。
一気に紅葉が進んできました。

家の窓からの景色がこんな感じ。


この数日で、一番色の赤い木が一気にてっぺんの方から色が変わってきました。

今夜は暖かいです。
11時で15度C。
これから雨で、明日の朝はちょっと雨が強くなるかもしれません。

今日はレオニアの教会をお借りしてのキッズクラブ。
不思議なもんで、今回、何人かの方々から「行きたいんですけど」「友達連れて行っていいですか」という問い合わせがあって、この会場をお借りして5年くらい経つと思うのですが、この会場、なかなか人が集まらなかったのですが、今日は20人を超えて、最高の人数となりました。

絵本の読み聞かせのときは静かに聞いていました。



自分で作った工作の作品で遊んでいるところ、ちょっとそのままではぶれていたので、雰囲気がわかるようにと、ちょっと加工してみました。楽しそうでしょう。


続けることの大切さを思わされました。
多くなるときもあるし、少なくなるときもある。
だから、いつでもやっている・・・ということが大切なんだろうなあと思います。
特に、このように、人が来て、人が去っていくところで、いつもいつも変わらない働きをしている教会の存在はどれほど大切だろうかと。

これからも、もっともっといいプログラムを持ち続けさせていただきたいと思います。

さて、昨日と今日の聖書から。
昨日はエゼキエル書の36:16-38。

「私の霊をお前達の中に置き・・・」26節。

この間の日曜日、聖霊様の話をさせていただいて、聖霊様に従っていくこと、聖霊様の導きに従順であることの大切さをお話をしましたが、そのことをもう一度確認させられました。

そして、今日の37:1-14。
エゼキエルは枯れた骨の谷の幻を見ます。

「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか」3節。

本当にどこまで聖霊様の御業を信頼できるか問われているように感じた。私たちは「無理だ」「さすがにはこれはダメだろう」と勝手に決めてしまう。でも、神様には枯れた骨を生かす力もあるのだ。骨がつながり、肉がついて、皮が覆って・・・でも、そこには命がなかった。命を与えるのは「風」であり、「霊」。聖霊様の御業だ。

私もこの聖霊様を求め、聖霊様によって力をいただいて、奇跡を見せていただいて歩んでいきたいと思う。

主よ、
どうか、聖霊によって、私を満たし、生かしてください。
聖霊様によって命が与えられる、そんな私としてください。
そして、私のまわりにも、枯れた骨が生きるような人々が起こされていきますように。

2012-01-19

神様に恵まれて。

今日の朝は寒かったです。
-9度Cでした。
それに車の窓には霜がびっしり。
昼間もずっと肌寒くて、
夜には雪も降る予報でしたが、
どうだったのかな?


でも、いずれにせよ、大したことはありません。
で、土曜日の方が何センチかつもる雪になりそうです。


そして、今年の冬の本番は2月になってからだそうで。
まあ、その頃になったら、日が長くなってきますから、ちょっと気が楽なんですがね。


さて、今日はレオニアの教会でのキッズクラブ。
新年だから、カレンダー。
今年は辰年だからドラゴン。
ということで、こんな工作を作りました。






この下のカレンダーの部分は2重になっていて、 毎月、曜日と日付をあわせて毎月使えます。 そして、ドラゴンの方は、首振りドラゴンです。


これです。



 



で、スタッフの準備会の時に、「こどもたちに、この面白さがわかるかい?」という意見もあったのですが、 ま、やってみたら、まさにその通りでした。 お母さんたちにもあまり良くわからなかったみたいで・・・。そんなこんなで、「じゃあ、お父さんに見せてごらん。びっくりするよ!」と言っておきました。(笑)


同じようなトリックで、もっと見事なヤツがここにあります。
これはもう脱帽。カラクリを見ると、「わかった」と思うのですが、
すぐにわからなくなります。





次のもびっくり。
この二つの四角の色が同じだというのですから・・・。




いかに自分の目で見ているものがいい加減なものか、
先入観や周りのものに影響されて、客観的に見えないものなのか、思い知らされます。

さて、今日の聖書。
今日はルカ1:26-38でした。


「おめでとう、恵まれた方。」28節。

これはマリヤへの言葉。
イエスの母となったマリヤへの言葉。
特別に選ばれたから。

でも、それは、また今を生きる自分への言葉。
今を生きる、あなたへの言葉。

神様の恵みによって生かされている。
神によって何かの使命を与えられて生かされている。
そして、その使命を果たした時に、御許に召される。

その使命に忠実に生かしていただきたいと思いました。

またこの日に、天国を思いました。
http://njotenki.blogspot.com/2011/01/blog-post_20.html

「私たちの国籍は天にある」ピリピ3章20節。

主よ、
私の目をあなたに向けます。
あなたがいてくださるから感謝します。
あなたの与えてくださる使命に感謝します。
この使命を果たして、あなたのところに喜んでいけますように。

2010-11-11

葉っぱのフレディを読む。

今日はまたいい天気でした。
朝から晩までスカっと晴れました。


夜、冷えてきています。
今は夜の11時ですが、すでに2.5度。
明日の朝は氷点下ですね。


この秋最低の−0.2度を下回る可能性もあり!


さて、今日はMaywoodのJOYJOYキッズクラブ。
楽しかったです。20人余りの子たちが来てくれました。
そのなかの7割くらいが男の子。


そんな中で、今日は久しぶりに私が絵本の読み聞かせを担当しました。
今月は秋らしく「葉っぱのフレディ」。
子供たちは一生懸命聞いてくれました。


日野原先生が紹介してくださったということもあり、
日本では、クリスチャンの間でもかなり受け入れられている本であり、
またアメリカでも、Cokesburyなど、クリスチャン系の本屋でも売られています。


でも、今回、もう一度読んでみて、
聖書の死生観とどこまで一致するのか、いろいろ考えさせられています。


まあ、一番簡単なのは「聖書とは違う」と一刀両断してしまうことなんですが、それもいいのかな・・・というところもあり。


でも、今回もう一度英語で読んでみて、
それから日本語訳も読んでみて、
ずいぶん印象が違うことが気になりました。


私にとって決定的に違うな、と思わされたのは、


原作の
"Will we return in the Spring?" (春になったら、僕たちはここに戻ってくるの?)
"We may not, but Life will"(多分違うな、でも、いのちは戻ってくる。)
というくだりが、日本語訳では全くなくなってしまっているところです。


"may"と柔らかにですが、「輪廻」が否定されているのが、
日本では受け入れられないと訳者は考えたのでしょうか。


生かされている意味(木の全体像は、フレディが落ちていく時に初めて見える・・・)、みんな違う存在なのだ、死は恐れなくていい、というメッセージなどは、そうだなあと思いますが、やはり神のもとに行くのだという聖書のメッセージがそこに込められているかというと、違うなあと思いました。


今日はその後に「わたしがよみがえりであり、命である」と言われたイエスのことを話してまとめましたが、ちょっとこの後もこのテーマ、考えていきたいと思います。

昨日、今日の聖書。
レビ記15章。


「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」創世記1:27。

聖書の言葉は、今日の箇所ではないけれども、レビ記15章の面倒な一つ一つの戒めを読みながら、なんで、神さまは人間を男と女とに造られたのか、いろいろおもいめぐらしていた。人間に男と女がいるから起こることがこの世にはたくさんある。

人間に男も女もなくて、ただ「人間」だけだったらどんなに楽だろうかと思ったりすることもある。

でも、男と女とに造られたことが、「神のかたちに造られた」ことの意味だという解釈もあるくらいだ。

一つ思わされたことがあった。
女性は子供を産むがゆえに、自分のお腹を痛めるがゆえに、9か月間その一部として共に生きる。でも父親は違う。それをともに歩むけれども、やはり自分の一部ではなく、自己の大切な存在である妻の中に、自分とつながりのある命が宿る。でも、やはり、母親のように、その存在が自分の一部であるということはない。だから、子供との距離感が違う。見方が違う。本当に母の愛は偉大だ。父親である私にはどうにも太刀打ちできないほどの深いものを感じる。脱帽だ。でも、また神はまた違った見方をする父親という存在をもおいておられる。

女性に男性がいることによって、神は違った視点で物を見ることを要求しているのだと思う。
逆もまた真だ。

違った視線で見る人の存在をそこに与えておられるのだと思う。

男と女が造られた神秘。
また一つ一つ知っていきたいと思う。

主よ、
私を男性として作って下ったことに感謝します。
男性として与えられていることを、
積極的に行うものとなれますように。
そして、足りないものを、主に求める者とならせてください。


また、女性がこの世に与えられていることに感謝します。
もっともっと愛し、敬うことを教えてください。

2010-09-23

細長風船ロケット。

今日も暑かったですね。
30度超えました。
明日ももう一日暑いみたいです。


9月下旬にしては記録的な暑さみたいです。
覚悟しておきましょう。


週末にかけて、涼しくなるみたいです。


今日は朝の祈り会のあと、
教会のPCのセッテング・・・
元々は7年選手で、512MBのメモリーと、40GBのHD。
メモリを増設をして1Gにして、
HDは入れ替えで160GB、
メモリはなんてことないのですが、
HDは増設のスペースが無いので、入れ替えをしています。
面倒なのはソフトのインストールと、データの移行。


ソフトももちろん7年前ののもの、
WindowsもXPのSPがついていないバージョン。
何が面倒って、システムアップグレード。
SP2をあてて、その後SP3をあてて、
OfficeもAcrobatも7年前のものを入れて・・・
Webからパッチをダウンロードして・・・。
とっても面倒です。


データ移行も結構面倒でしたね。
日頃、ちゃんとバックアップを取っていないから。


でも、おかげで快適に動くようになりました。


あ、でも、HDが128GBしか認識していなかったので、
もうひと踏ん張りかな。


一度家に帰ってから、午前中は信徒勉強会「ホセア書」。
これは良かったですねえ。元気が出ました。


そして、午後1時半頃帰ってきて、食事をしたら、
JOYJOYキッズクラブ。


いつも力が入るのは、工作です。
今月はこんなの。



会場を貸してくださった教会の婦人牧師さんには、
「これにはなにかSpiritual Lessonがあるの?」と突っ込まれましたが、


はい、全くありません。純粋な遊びです!


ま、純粋な祈りの背後には、純粋な遊びが不可欠、との信念のもと、
楽しく遊んでおります。ハイ。


で、絵本で「おへそはどこかなかえるくん」を読んで、
みんなのおへそは、お母さんの愛のしるしなんだよ、
そのお母さんのおなかの中で、みんなを造ってくれたのは神様なんだよ、
としっかり、神様の話をして、めでたしめでたしで終わりました。


もっともっとたくさんの子供達にこの一時を提供したい、そのように願っています。


そして、夜はユキのBack to School Nightでした。
高校のBTSNは歩く歩く。
8コマ、全部部屋が違って、迷路のような高校の中を歩きまわります。
最近、ちょっとウェストがヤバイので、ちょっといい運動になりました。
でも、本当にユキはいい勉強をさせてもらっているな、と思いました。
ほとんどのクラスが10人以下の小グループクラス。
きめ細かな指導をしてもらっています。
帰ってきてからも、先生の話、クラスの話でちょっと盛り上がりました。


この1年でどう化けるか?ユキ。
ちょっと楽しみです。


さて、今日の聖書。
今日は列王記第一8章33-43節。


「そうすれば、このすべての地の民が御名を知り、・・・あなたを恐れるようになり・・・」43節。

以前から、そうだろうな、と思っていたことが、
最近すごく確信になりつつあるのですが、
聖書にそのようにハッキリ書いてあるかどうかはわからないのですが、

神様は、新しい方、神様を求め始めた方の祈りはストレートによく聞いてくださる。願ったとおりにしてくださることも多い。
でも、ある程度神様との関係ができている方の祈りは、聞いてくださる時に、直球ではなくて、忍耐を求められたり、違った形で聞かれることを経験させられたりすることが多い。

そう思うのです。

だから、この聖書の箇所を読んだときにも、
そうだなあ、外国からイスラエルに来た人の祈りはよく聞いてくださるんだろうなあ、と思いながら、ハッと気がついたことがありました。

それはその結果が「人々が神様を畏れるため」とあることです。

神様が私たちの祈りを聞かれるのは、
私たちがハッピーになるため以上に、
神様の前に私たちが畏れる者となるためです。

祈りが聞かれたときに、どのように反応するかによって、
その祈りがどんなものだったかが分かります。

「よかったよかった」と思うだけなのか、
そこに神への畏れがあるか。

主よ、
祈ります。
聞いてください。
そして、あなたの前に畏れる者でありますように。

2010-05-27

世界の中心で主に声を上げる。

いえ、決してNYが世界の中心だなんて
決めつけているわけではないのですが、
やはり、夕方のTimes Squareに行くと、
「おー」と思わせるものがありますよね。
観光客もビジネスマンも沢山の人々が行き交っていく中、
主に声を上げました。




昨日の夜は、NYでの祈り会の予定でしたが、
場所を提供してくださる方を含めて、
みなさんお仕事だったり、ご用事があったりで、
キャンセルとなってしまい、でも祈りたかったので、
Times Squareのこんなところに座って、




人の流れを見ながら、聖書を開いて祈っていました。


そして、ここにTimes Square Churchという大きな教会が与えられている事のものすごさを思いました。David Wilkerson牧師が今から24年前に42丁目を歩いていて、神様からのCallingを感じて始めた教会ですが、その彼を動かし、多くの人々を救いへと導かれた神様が、私達とも共におられる心強さを思わされました。


昨日は30度を超える暑さ、今日は雷雨。
さて、明日は・・・気温も20度台前半で、
過ごしやすい一日となりそうです。


今日の午後はキッズクラブ。
多くの始めての子どもたち、NJに引っ越してこられたばかりの方々、
たくさん来られました。


JOYJOYキャンプも締め切りまであと2日。
「iPad日本発売か、JOYJOYキャンプ申し込みか」というほどの盛り上がりを見せています。
ここに来て「今から間に合いますか?」という問い合わせも幾つか。
もう郵送では(ほぼ)間に合いません。
そんな中、「直接持っていくから・・・」という申し出も。
今年は今までの最大の申し込みになるかも・・・。


そして、今夜は1週間ぶりのスカイプ会議。
子どもたちのために、何を伝えたらいいのか、
熱い議論が2時間以上も続きました。
大人とは一つ違ったアプローチの必要性も感じさせられ、
どのように語ったらいいのか、考えさせられています。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ51:11−19。


「ヤコブの分け前はこんなものではない。主は万物を造る方。イスラエルは主ご自身の部族。その御名は万軍の主である。」19節。

主こそ、私たちの分け前。
主ご自身を私たちは分け前としていただいている。
それはなんという素晴らしいことだろうか。

主の与えてくださるもの、
主がもってもられるもの、
主が私たちの人生にその歩みをいろんなレベルで共有するようにと与えられる人々。
主の与えてくださる励まし、慰め。

それらも素晴らしいけれども、
主はご自身を私たちに与えられる。

私たちの分け前となってくださる。

だから、この方が私たちの分け前だから、
堅く立っていくことができる。

大胆に歩み始めることができる。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが共にいてくださるから、
あなたご自身が私たちの分け前だから、
心から感謝します。
どうか、あなたと共に歩む喜びの中に生かして下さい。

2010-04-23

理解を超えた大いなること。

今朝も、寒かったんですよねえ。
5度切りましたから。
それがちょっとしんどいかなあ、昼間そこそこ暖かくなるから、
余計、朝「カラダが冷える〜」って感じです。


今夜もまた冷えて、明日は晴れて暖かいでしょう。
でも、明日の夜は雨。そして火曜日くらいまで雨で、
肌寒くなりそうです。


その先もずっと見てみると、もう寒いのはないかなあと思ったのですが、
5月になっても、暖かい日と、肌寒い日が交互にやってきそうです。


あ、今日集会のあったお宅には藤の花が咲いていました。
早いですよねえ。まだ4月です。






昨日は久しぶりのJOYJOYキッズクラブでした。
先月は最近で最大の29人が参加したMaywoodでのキッズクラブでしたが、
今月はなんだか、みなさん花粉症の影響か、風邪が流行っていたのか、
ぐっと少ない12人でした。


でも、毎回子どもたちの一生懸命な姿には励まされます。


先日から読んでいるエレミヤ書。
日曜日からの32章では、「将来への投資」がテーマでした。
それは常識的に見たら、やめた方が良い投資であり、
70年先に返ってくる、ということを考えたら、
自分がいきている間にリターンがあるわけではない投資です。


ただ、神に従った投資であり、
また自分のための投資ではなく、次の世代のための投資です。


やはり、子どもたちのための働きがどれだけ大切だろうかと思わされます。


経済的な意味でも、また労力の面でも、
次の多世代のための投資をもっともっと主に導かれていると感じます。


さて、昨日、今日はエレミヤの33章。
「あなたの知らない、理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう」3節。

「日々のみことば」のところには、
「理解を超えた大いになること」とは「囲いがあって立ち入ることのできない」ところ、
という意味の言葉だと書かれています。

神様の世界は私達が知ることができない。
私達が自分から、そこに立ち入ることができない。
でも、主がそこを開かれるときに、
私たちはそれを知ることができる。


そのために私達に求められているのは、
「私を求めなさい」ということ。

「私たちは本来、神のみ思いを知ることができない」という主の前の恐れと、
「それを主は明らかにしようと、私達が求めるのを待っておられる」という確信と、
両方をもって、主の前に出よう。


主は待っておられる。

主よ、
あなたのみ思いを知らせていただけるなんて、
なんて素晴らしいことでしょうか?
あなたと時間を共にすることにもっと喜びを満たし、
あなたから、み思いを知らせていただける関係を築いていくことができますように。

2010-02-18

JOYJOY KIDS CLUB

久しぶりのJOYJOYキッズクラブ。
今週一週間は、学校が休みのところも多くて、
いつもよりもちょっと少なめ。
でも、最後は15人くらいの元気なみんなが集まりました。





毎回のことですが、
工作はみんな一生懸命。
全然時間が足りません。


最後に神様のことを語ります。
子どもたちの心に届くことを祈りながら。
子どもたちが辛いことや苦しいことに出会った時に、
助け主である方に目をむけることができますように。


さて、2月11日木曜日の聖書。
マタイ15:1-9


「こうしてあながたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。」6節。

人の言い伝えと神の言葉。
たしかに今も、どちらを大切にしているのか、
問われている場面もあるかと思う。

人の都合と、神様の御心、
どちらを大切にしているか、問われている場面もあると思う。

徹底的に、単純にみことばに従って行くものでありたいと思う。
バカのように単純に。
小賢しいことを考えることがありませんように。

主よ、
あなたのみ心を教えてください。
あなたのみ言葉に従うことを教えてください。
人の考えに振り回されることがありませんように。

2009-10-08

あそびといのり

さて、今日も暖かかったですね。
スカッと晴れて、いい天気でした。
夜になってやっぱり冷えてきています。


今夜は10度くらい。
そして、明日はまた雨だそうです。
そして、気温も高め。


日曜日くらいまではまだまだ高めで推移するようです。


今日は10月のJOYJOYキッズクラブ。
25人くらいの元気なみんなが集りました。
楽しかったです。
でも、もっともっと聖書の話をちゃんと気合いを入れてやりたいです。
どうしても、いろいろなプログラムで、時間がいっぱいいっぱいになってしまって、
子供の集中力もそろそろ限界かなあ、みたいな感じもあって、
こちらの準備不足もあって、
終わる直前に、ばたばたと話をする、という感じになってしまいます。


もうちょっと、計画性を立てて、しっかりやりたいです。


でも、その一方で、やっぱり遊びの大切さを思います。
遊びと祈りはわたしたちの生活の中で、とても大切な要素。
それを実践したのがあのカルバンだといいます。


カルバンといえば、固~くて、まじ~め、なイメージがあるのですが、
日曜日の朝は礼拝をして、午後は町の人々と遊びで過ごしたといいます。


どこで遊ぶのよりも楽しく、
どこで聞く話よりも心に残る、
本当に遊びと祈りが一緒になったそんなキッズクラブとなりますように。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書の16:14-21。



「だから、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手と、わたしの力を知らせる。彼らは、わたしの名が主であることを知る。」21節。

これは直接的には、ユダヤ人達の姿を見て、
異邦人が神の御業を見る、ということらしい。

でも、今朝は、本当に私の人生に起こる預言として語られた。
神様の力を見せていただける。
神様の御業がなされるのを見せていただける。
それを目の当たりにすることができる、
その約束を頂いたように思わされた。
励まされた。

主がどんなに素晴らしいことをなさるのか、
主がどれほど大きなことをなさろうとしているのか、
ただただ、待ち望むのみ。

昨日祈ったことも、
主が素晴らしいことをしてくださることを、
信じました。

主よ、
あなたは私の主です。
あなたがいてくださるから感謝します。
どうか、私の歩みの中に、
私の人生の中に、あなたの御業がなされますように。
あなたの御手にゆだねます。
あなたに信頼し、期待します。
大いなる御業をなしてください。



2009-09-10

ずっしりと。

今日もどんよりとしていた。
でも、思ったほど雨は降らず、
夜になってパラパラと始まったところ。


でも、いよいよ今夜から、あしたにかけて、
東海上の低気圧がゆっくりと進んでくるので、
雨と風が強くなりそう。


そして、その影響は土日と続き、
スカッと晴れるのは来週になりそうです。


今日の午後は待ちに待ったJOYJOYキッズクラブ。
始めての子もたくさんで、みんなで30人くらいの元気な仲間が来てくれました。
キャンプに来た子たちもたくさん来てくれました!
そして、学校が始まって、ストレスがたまってきた子たちにとっても、
とてもよい一時だったみたいです。
あとで、あるお母さんがそうおっしゃっていました。
子供たちの心の内に、神様の愛がとどまりますように。


さて、今夜はサキの小学校のBack To School Night
仕事の忙しいお父さん達も、
何とか、時間を作ってかけつけるのがこの夜です。
仕事が終わって、また仕事に戻る人も・・・。


先生達に会って話を聞くのですが、
結構きつかったです。
3年生になって、ReadingやWritingのポイントを
先生が丁寧にお話ししてくださったのですが、
頭がくらくらする内容でした。


日本語の補習校の宿題も大変なことになりつつある今日この頃ですが、
現地の学校も、大変なことになりそうです。
教育パパにはなりたくないのですが、
心を鬼にしなければならないかも・・・。


さて、9月8日(火)の聖書。
火曜日はエレミヤ書3章6-18節。


「背信の女イスラエル。帰れ。──主の御告げ──わたしはあなたがたをしからない。わたしは恵み深いから。──主の御告げ──わたしは、いつまでも怒ってはいない。ただ、あなたは自分の咎を知れ。」12-13節。

神に背く民に対しても、招きをされる主。
しかし、その一方で、「いいよ、いいよ」で赦される方ではない。
「自分の咎(とが)を知れ」と言われる。
私たちはそこら辺を勘違いしていることが多いと思う。

罪を指摘するときには、裁く態度になってしまって、
受け入れようと思うと、罪を曖昧にしてしまう。

本当の愛は罪を曖昧にすることができない。
本気で愛していたら、本気で誰かを大切にしていたら、
その人の成長のために、
その人の癒しのために、
その人の回復のために、
その人が神様との関係に生かされていくために、
ある時にははっきりと対決しなければならない。

それほど熱い愛、
それほど真剣な愛が、
自分の中に燃えているだろうか。
事なかれ主義になって、
自分が傷つくのが怖くて、
相手を心から信頼出来なくて、
ちゃんと対決できないことが多いのではないだろうか?

神様の愛を、イエスの愛を頂きたい、
そのように心から思わされました。

主よ、
どうか、あなたの愛の中に生かしてください。
あなたが愛されたように、愛する者とならせてください。
私の心を恐れから解放し、愛で満たしてください。

2009-05-22

尊敬。

昨日は暑かったですねえ。
30度は楽に超えました。
ちゃんと調べていたわけではありませんが、
とにかく暑かったです。
でも、今朝は13度。
いくら暑くても、朝がさわやか、これがいいです。


今日も暑くなりそうです。


昨日は朝は家庭集会。
午後はJOYJOYキッズクラブ。
たくさんの元気なみんなが集って、
新しい子もきてくれて、
楽しかったです。
でも、やっぱり最近新しいリピーターがたくさんいるのがいいですね。


そして、そのあとは、
「今日しかない!」ということで、
昨年CAに引っ越された、
ずっと教会を支えてこられたご夫妻と会食。
両親の世代のご夫妻ですが、
自分はいつも小生意気なことばかり言ってきたなあ、と思います。
そんな私をいつも暖かく受け止めてくださったことに、
改めて、感謝が湧いてきました。

先日の日曜日にはいつもお座りになっていたところに、
座っておられて、その存在感を覚えました。


一人一人が神様から与えられた方々なんだと思わされました。


さて、水曜日、20日の聖書。
20日は出エジプト記20:18-26。


「あなたはイスラエル人にこう言わなければならない。」22節。

モーセの強さを見ました。
特に日曜日に、召命(Calling)から逃げようとしていたモーセを
子供たちに語ったので、
その同じモーセが、神様から言われて、
本当にストレートに語っている姿。

そこには主の「語りなさい」との言葉がある。

先日、ある「娯楽系」のドラマの中で聞いた言葉。
「大切なものを守るために強くなれる」
それを聞いたときに、
自分にとって大切な教会の一人一人のために、
強くなりたいと思いました。

そして、この聖書の言葉によって、
主によって、その偉大な力によって強くなりたいと思いました。

主よ、
大切にすべきものを大切にさせてください。
あなたにある強さを与えてください。

2009-03-10

キリストのからだ。

水曜日の朝になりました。
メールのチェックはしましたが、
ブログの更新はお預け。


昨日の午後遅くから
雪が降り始めました。
函館は地形の影響でしょうか、
それほどでもないようですが、
場所によっては暴風雪になっているようです。


今日は山形に向けて出発します。
列車が守られますように。

昨日の函館の教会訪問は幸いな一時なりました。


今年のJCCNJの主題聖句は「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」という第1コリント12章27節の言葉なのですが、まさにそのモデルを見せて頂きました。


リーダーが一人一人の賜物を知り、それを的確に指摘して、それをまたひとりひとりがそうだなあと受け取って、自覚している。牧師を始め、すべての人が、スーパーマンになろうとするのではなくて、手になること、足になることを自覚している。できないことはできない、と認める謙虚さを持っている。でも、それでひねくれることもない。サタンがつけいる隙を知っている。ひねくれたり、いじけたりすると、サタンが喜ぶことを知っている。


その場で一つ一つのことを書き留めておきたい、と思うほどでした。


今朝は早く目が覚めてしまったので、(何度も寝ようと思いましたが・・・)
今、NJ時間では火曜日の午後の3時半頃。
ダラスの学生たちは着いたでしょうか?


これからJOYJOYキッズクラブスペシャル。
そのことを祈りなさい、と主に起こされたような気がしています。

昨日、火曜日の聖書。
火曜日はヨハネ10章22-30節。


「だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。」28節。

主の御手の中に入れられたら、
わたしたちは安全。大丈夫。
誰も、わたしたちをイエスから、神さまから奪うことはできない。

大丈夫。
大丈夫。

主が守ってくださるから。
主が支えてくださるから。

恐れるな。
あなたは私のものだ、と言ってくださる。

恐れないで歩んでいこう。
恐れないで前進していこう。
主がわたしたちの神であられるから。

主よ、
あなたの守りを感謝します。
あなたが共にいてくださるから感謝します。
あなたが「これはわたしのものだ」と言ってくださるから感謝します。
平安を感謝します。


今、始まろうとしているキッズクラブに祝福がありますように。

2009-02-13

ろくむし。

日付変わっちゃいましたが、
12日(木曜日)の記録。


いやあ、今日はすごい風でしたねえ。
寒さの面で現実にはまだ引き戻されていないようですが、
とにかく風がすごかったです。


あちらこちらで枝が落ちてきて、3人の亡くなった方がおられたようです。


さて、明日からはホントに現実が待っています。
朝は0度くらい。昼間も5度くらい。
夜はバリバリ氷点下です。


今日はJOYJOYキッズクラブだったのですが、
始まる前、人数がそろうまでの間、「ろくむし」をやりました。


どんな遊びかというと、
こんな遊び。
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/boxbox/rokumushi.html


いまだに「ろくむし、やったよねえ」という方にはお会いしたことはないのですが、
ググルと結構たくさんヒットするので、全国区だったみたいですね。
そして、この手のゲームによくある地方ルールがいっぱい。
私が知っているのは基本ルールだけです。


いやあ、ちょっとやっただけなんですが、
汗をかきました。
パッチはいていて後悔しました。


でも、つくづく思いましたが、
やっぱり体を動かすっていいですね。
自分の中で眠っていた何かが動き出すのを感じました。


帰る時に、ある男の子が「ろくむし、またやりたい」と言っていました。

はい、またやります。
JOYJOYシンガーズでもやろうかな。


からだを動かすのは今の子供たちにホントに必要だから、
JOYJOY体を動かすクラブとか、
もっと思い切って、
JOYJOYろくむしクラブ、みたいな、ニッチな活動もいいかも。


もっとオヤジっぽく、
JOYJOY「俺は子供の頃、こんなことして遊んだぞ」クラブとか。


聖書のメッセージと共に、「遊び」を伝承していくのも大切な使命かも・・・。


さて、昨日(11日)の聖書。
11日は伝道者の書3:16-4:3でした。


「神は彼らを試み、彼らが獣にすぎないことを、彼らが気づくようにされたのだ。」3:18

神さまが与えられる試練にはどんな意味があるか、わからない。
いろんな可能性がある。意味がわからない場合もある。

でも、ある時には、自分の真相が見せつけられる。
普段はもっといい人間だと思っていたのに、
本当はとんでもない自己中心的な、
醜い思いを持った存在かということを見せつけられることもある。

そして、そっちの方が本当であることに愕然とする。

でも、それも、私たちが神さまに出会うための第一歩。
ほんとうの姿を知ることこそ、
ほんものになるための第一歩。

本当の自分を押さえ込むのではなくて、
認めていく中で、主が取り扱ってくださるのです。

主よ、
あなたが与えてくださる試練の中で、
本当の姿を見せつけられること、
とてもきついことです。
でも、それが恵みでもあります。
いつもいつも、つらくても、
自分の本当の姿を直視して、
そこからあなたを見上げていく者とならせてください。


今、
飛行機の事故のニュースが入ってきました。
前回はみんな助かりましたが、
今回は炎に包まれている映像が流れています。
どうか、犠牲になられた方々、家族の皆様に、
慰めと癒しを与えてください。


もう一度、私が今生かされているのは、
当たり前ではないことを、忘れないように守ってください。

2009-02-05

むなしく・・・ない。



今日はホントに寒かったですね。
朝はバリバリ寒くて、車の中で、手がかじかんでたいへんだったんで、
ポケットに入れたまま運転しました。(・・・なわけない。)


いやあ、ホント、「さみ~~~」と叫びながら、走りましたよ。(これはホント)


で、昼間も-5度くらいでしたよねえ。
今、夜の10時前で-9.5度です。


明日の朝も-10度を下回るのは確実です。


でも、寒さも明日の朝が峠。
昼間は0度くらいまで上がり、
土曜日、日曜日と暖かくなります。


さあ、春がやってきます。
・・・ちょっとだけ。


今日はJOYJOYキッズクラブの作戦会議。
今後の働きのためにいろんなことが話し合われました。

何よりも私たちの願いは、
一人でも多くの子供たちとの出会いであり、
神さまの愛を伝えることであり、
子供たちの心が守られることであり、
それはまたお父さんお母さんたちの心が守られることでもあります。


今年もたくさんの出会いが与えられますように。


今まで愛し、支えてくださった皆さんに感謝しつつ、
また新しい広がりが与えられるように願っています。


2月も楽しい、Exitingなキッズクラブとなりますように。


さて、今日の聖書。
今日から伝道者の書という旧約聖書の書物を読みます。
ヨハネによる福音書、続けて読みたかったような気もしますが、
予定表では3月8日までお預けのようです。


で、今日は伝道者の書1章1-11節。


「先にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶されないであろう。」11節。

人がこの世を去った後も、
その人の存在が、周りの人々の心の中に、
そして記憶の中に生き続ける、ということが、
慰めになることがある。

それを慰めにして、支えにして歩む人もいるだろう。

でも、今日の聖書箇所は、
そんな私たちを淋しい気持ちにさせる。

「すべてはむなしい」
「やがては忘れ去られる」

この伝道者の書は最後の結論を知らないで読むと、
ちょっといたたまれなくなる。
「空の空、一切は空である・・・」
読んでいるのがつらくなる。
だから、12章を前提にして読むことにしている。
もしも、12章がなかったら・・・という仮定で・・・。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」12章1節。
「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」12章13節。

もしもこれがなかったら、むなしいし、恐ろしい。

自分の存在が誰かが覚えてくれていたら、
それはありがたい。
でも、それもやがて忘れられていく、
何もなかったかのような日常が続いていく。

でも、神さまが私の創造者として、わたしを造り、
ここに生かしてくださったことを覚えると、
生きる意味があると思う。
そして、この世を去る時はその使命を負えて、
主のもとに召される時。

だから、人生は「空の空」ではない。

主よ、
あなたが与えてくださった時。
感謝します。
この与えられた時を、用いさせて頂きます。
どうか、明日も、あなたが与えてくださった時を、
あなたが願われるように、用いることができますように。

2008-11-03

2つの大切な言葉。

夜になりました。
今は9時すぎですが、10度以上あります。
今夜はあまり冷えないようです。


明日からも気温は高めなのですが、
天気はちょっとどんよりで、水曜日の夜からは雨が降るようです。

1年限定で無料で見れるTV Japanですが、
1ヶ月が経ちました。
やっぱり見ちゃいますよね。
1年後、すぱっとやめるのは難しいかも・・・。
だから、プロモーションなんですよね。


相手の作戦がわかっていながら、それにまんまと引っかかってしまう自分がコワイ。


で、最近ここでやっている「斎藤さん」。
1年くらい前に日本テレビでやったドラマみたいですが、
第4回を見ました。


空気を読んでものを言う、のを期待されることに
最近めちゃくちゃ反発を覚えていましたから、
このドラマは痛快です。
でも、コワイ。
ママたちの陰口もコワイし、「そんなことして気持ちが良かった?」と聞くママさんたちののリーダー格の人の言葉もコワイ。


でも、この第4回。ほんとうに心が動かされました。
「悪いことをした時に、心が痛いでしょ、コワイでしょ、それを忘れないで。」と子どもに教えるところ。


私たちは子供たちがあんまり心が痛む経験をして欲しくなくて、
大切なところを子供たちが通ることを邪魔してきているのではないかと思いました。


私もJOYJOYに来る子供たちに、2つの大切な言葉、という話を時々します。


「ありがとう」


そして、


「ごめんなさい」


これが言える人がほんとうに勇気のある人。


でも、「ごめんなさい」も時にはインフレを起こして、
安っぽい言葉に成り下がってしまう時があります。


悪いことをした時に、
嘘をついた時に、
心が痛くなる、怖くなる、
それを深く深く感じることがなくて、
ただ、「怒られるから」だけで「ごめんなさい」を言う、
そんな子供たちになって欲しくない。
そんな大人になって欲しくない。


そして、何よりも、自分もそんな大人になっていないだろうか、
そう思います。
そして、「悔い改めるなら赦される」というのが単なる甘えになってしまって
「心が痛くなる」ということを経ないで安易に解決していることがないだろうかと、
思わされます。


イエスが十字架にかかるほどの大きな犠牲が払われた、
という事実を忘れないように・・・と思います。


さて、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙1章27節~2章4節。


「あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。」2章2節。

人が集まっている教会が一つになるってどういうことなんでしょうか?

いつの間にか考え方が同じになっている?
小さなところでは違いがあっても、大きなところでは一致できる?
適当に距離をとりながら、上手にやっていく?
誰かが強力なリーダーシップを取って、みんなが「あの人が言うなら」と思って進んでいく?
違った考え方を持った人がいなくなって、同じ考えの人だけが残る?

主の前にひれ伏して、神さまをほんとうに主として歩んでいく、
そこで、「私の夢」「私のビジョン」ではなくて、
主に従う者たちの集まりとして、一つになっていく、
それが主にある一致なんだろうなあと思います。

だから、一人一人が主の前にひれ伏しているか、
心砕かれて、自分が主人じゃなくて、神さまが主人、と言う歩みをしているか、
そこが問われているんだろうと思います。

主よ、
私はあなたを主としているでしょうか?
私が自分を主人とする時があるならば、
あなたがそれを示してください。
教えてください。
そして、あなたを主として歩んでいくことができますように。


そのような者たちの集まりである教会が、
一つになる、という奇跡を見せてください。