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2014-08-01

18年目の始まり。

今日から新しい3年間の任期が始まる。
新しい任期のために思わされていることは、私自身が更に神様と共に歩むこと。神様の近く歩むこと。それによってあふれてくるものを大切にして行くこと。

今日は詩篇の8篇を読んだ。

「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います。 人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。」3-4節

先週はアトランタの教会のファミリーキャンプに行ってきました。
9年ぶりに講師として招かれて、懐かしい皆さんにもお会いしました。
皆さんの祈りに支えられて、神様の導きによって、大切な奉仕を全うさせていただきました。


こんな湖があって、ああ、そういえば、この湖の周りを散策したなあ、と思い出します。
この写真は二日目の朝、朝もやの中なのですが、
昼間は晴れて、夜は満天の星空になりました。

2010-08-19

ジンベエザメに癒される。

今日は、世界最大級、と言われるジョージア水族館でゆっくり過ごす。

この水槽の中には、4匹のジンベエザメが泳いでいる。

静かに流れる時間。








明日からは北上が始まる。

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2010-08-18

石山。

16年ぶりにStone Mountain に来る。

16年前よりも、大きくなっていた。・・・なわけはないか。



歩いて登りたかったが、暑くて、絶対無理。

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2010-08-17

無事到着して、ベトナムのエスプレッソを試す。

今日の午後2時過ぎに無事、アトランタに到着。
「着いたら何を食べようか?」という話の時に、
16年前の記憶をだどって、「ベトナムのフォーだ!」ということになった。
ここかな?と思いだしたり、ネットで調べたりして、
いくつかある中の一つのお店に入って、メニューを見ていたときに、
つい最近、パスター・マックマクドのブログに紹介されていた、
ベトナムのエスプレッソの記事(その話はザリガニの話になっていくのだが・・・)
を読んで、どうしても飲みたくなった。
もう、フォーでお腹いっぱいだったのだけれども、
どうしても我慢できずに、アイス・エスプレッソ・練乳つきを頼んだ。







これでもか!ってくらい、練乳が入っていて、
「甘いんだろうなあ」と思ったのですが、
これが、その甘さがどうしても必要なくらい、エスプレッソが強くて、
これは絶妙のバランス。

うーん、この味はぜひ、我が家でも再現したい。

このベトナムのエスプレッソのためのマシーンを何とかさがそうと心に決めたのでした。
間違っても、勢いで、生きたザリガニを買うようなことは決してしないぞ!と自分に言い聞かせながら・・・。

・・・もうそろそろ、「日々の祈り」も復活しますね。


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2009-09-08

「理想的な教会?」

夜になりました。
順調に気温は下がって、今8時半ですが、20.7度。
曇っているおかげで冷え込みはしませんが、
朝は15度くらいまで下がるでしょう。


今日、自動的に録画されていた昨日のフジサンケイのニュースに
9月3日の記事に書いた、ハジの大学のSwine Fluの話が紹介されていました。
残念ながら(?)ハジは出てきませんでしたが、
ニュース自体はこちらのリンクから見ることができます。
さっき電話で話したら、結構周りにも感染した友だちがいるようです。
心配はしていませんが、元気でやっていて欲しいものです。


ついでに9月3日のニュースのアメリカの公的資金を受けた企業のCEOの平均年俸の話を見ましたが、1300万ドル以上!?だって。ひどーい。預金しても、金利はほとんどないような状態なのにねえ。どういう感覚なんでしょう。フツーの感覚が麻痺しているんでしょうか?


腹が立つ話はこれくらいにして、
神様に取り扱われた話。
修養会の最後の集会は、
「理想的な教会」という題のメッセージ。


普通、このような話だと、
整えられた教会の話になるかと思ったら、
趙先生が話してくださったのは、
「理想的な教会は、病院に病人が行くように、問題を持っている人が行きたくなる、そのような人が受け入れられる教会です」ということでした。
これは自分にとって、開会礼拝の中で自分が話した、「私たちの常識にチャレンジする」神の御業でした。
最近の私は、いろんな出来事を経験してきた中で、
無意識の中で「いい人」の教会を目指していたのかもしれません。


問題を恐れて、問題が起きないようにと一生懸命だったのかもしれません。
教会は霊的な病院である、というメッセージに本当に悔い改めさせられました。


Jim Cymbalaは「祈り会は霊的なERである」と言いました。




神様の救いの御業を見せて頂けるように、
祈りつつ歩んでいきたいと思いました。



趙先生が神様の導きを感じて、
メッセージの後に、牧師夫妻のために祈ろう、と
皆さんを招いてくださいました。
その後、役員のために祈り、お互いのために祈る幸いな一時となりました。
「教会」を感じた一時でした。
感謝します。


さて、日曜日、9月6日の聖書。
エレミヤ2:29-37でした。


「おとめが自分の飾り物を忘れ、花嫁が自分の飾り帯を忘れるだろうか。それなのに、わたしの民がわたしを忘れた日数は数えきれない。」32節。

おとめのたとえ、花嫁のたとえは、
かれらは、本当に「あたりまえ」のように、
自分にとって大切なものを大切にして、忘れない、というたとえですよね。
それに対して、イスラエルの人々は神様を忘れてしまっていると。
それを本当に自分の生活に当てはめてみると、
もしも、神様を忘れてしまっている瞬間があるとするならば、
それは、本当に神様が「自分にとって大切な存在なんだろうか」
本当に自分は神様を大切思っているんだろうか、
それが問われているように思いました。
「神様のことを忘れないようにしなければいけない」ではなくて、
「神様のことを忘れるはずがない」というのが本当なんじゃないかと。
だったら、「忘れないようにがんばろう」「忘れないように気をつけよう」ではなくて、やはり、神様の愛、神様の救いの素晴らしさ、神様に愛され、罪赦され、生かされていることの素晴らしさをもっともっと深く知って、自然に「神様のことを忘れるわけがない」という思いにとらわれるようになることを求めるべきなんじゃないかと思ったのです。
主がどれほど大きな愛を持って、私たちを神の子としてくださったのか、
どれほど大きな犠牲を払って、私たちの罪を赦してくださったのか、
私がもっともっと深く知ることができますように。
私がもっともっと深く味わうことができますように。
主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたの救いを感謝します。
もっともっと深くあなたを知る者とならせてください。

2009-09-03

期待。

今日は昨日よりも朝の気温も高く13度。
昼間は27度までいきました。
今夜はもっと暖かく、10時半を過ぎて、まだ18度あります。


明日も秋と言うよりは夏のような一日となりそうです。


昨日着かれた修養会の講師の先生、
今日もゆっくりお話しをするときが与えられました。
韓国で牧師をされていた先生が、
言葉もわからない日本に伝道に来られた経緯をお伺いして、
本当に感動しました。
ほんとに、文字通り聞きながら涙があふれてきました。


先生と再会してから24時間ですが、この間に神様が私の内側にしてくださっていることを見ると、あさってからの修養会、神様が何か特別なことをしてくださるような気がしてきました。


昨日の夜、先生から、今礼拝に集う方々が230人くらいと伺っていますが、その中で、早朝祈祷会に来られる方々が毎朝30人くらいおられると聞きました。年に2回、「特別早天」をしているそうですが、それは1週間、教会の全員が来られることを願って、持っておられるそうです。実際は130人くらいの方々が毎朝6時にあつまられるそうです。
そんなことを伺いながら、今朝、また新しい気持ちで、6時に教会に行って祈りました。
その中で、悔い改めなければならないことを悔い改め、はっきりと主の前にすべてのことを口に出して告白して、祈りました。いつかこのことも具体的にお話しするときが来たら、分かち合いたいと思います。
その後、祈り終わって外に出たときの空の青いこと。
聖霊さまが働いてくださっているなあと思いながら、一日を始めました。


そんな一日、その日を終えるこの時間も感謝しています。


今日の夕方、ハジの大学からメール。
(「ハジから」じゃなくて「大学から」)
今、学生の中で200人がH1N1(swine flu)だそうです。
今、ジョージア州は一番感染者が多いそうです。


大学では「感染者はできれば家に帰りなさい」と言うことだそうですが、
ウチの子のように車で14時間の子はそれもできません。


それで、感染者用のスペースができたそうです。
「簡易隔離病棟」みたいな感じ?
もちろん、「強制隔離」はしませんよ~みたいな文章もありましたが、
この秋、壊す予定になっていた寮を、学長の決裁で壊すのを延期して、
感染した学生にはそこに移ってもらって、
他の学生への感染を最小限に留めるためだそうです。
ですよねえ。
大学の寮なんて、「感染広まってくださ~い」みたいな、環境ですからねえ。


幸い重症化した学生はいないようですが、
祈らされます。


さて、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ1:11-19でした。


「さあ、あなたは腰に帯を締め、立ち上がって、わたしがあなたに命じることをみな語れ。彼らの顔におびえるな。さもないと、わたしはあなたを彼らの面前で打ち砕く。」17節。

はっきりと語らないと、あなた自身が裁きを受ける、と主はエレミヤに言われました。
これはまたすごいことですね。
本当に主に従うことの大切さを教えられました。

結局のところは主を畏れるのか、人を恐れるのかどっちか、ということでしょう。
主に従っていきたいと思わされました。
主が願われること、主が語りなさいと言われること、
主が導かれることを大胆に語っていくことができますように、
そのように祈らされました。

主よ、
あなたの導きに感謝します。
聖霊様の働きに感謝します。
どうか、あなたの導きに従順な者にしてください。
あなたの語られることを語る者とならせてください。

2009-08-29

光陰矢のごとし

昨日、今日とよく雨が降りました。
今夜、明日とちょっと蒸し暑いかもしれませんが、
明日の夜からぐっと涼しくなります。
いよいよ秋です。

前後しますが、アトランタでは、元NJにおられたご一家のお宅にお世話になりました。
日曜日はそこに若者達も集まり、楽しい一時。


このご一家、NJに来られる前はアトランタにおられて、
たった1年だけNJに住まわれました。
ですから、アトランタで会う方会う方、
「彼らがアトランタに帰ってきてよかった」と
口々に言われます。
こちらは、「アトランタに戻っちゃった」ですが、
確かに、アトランタの方々としては、
「帰ってきてくれた」ですよね。
そんな、みんなに頼りにされ、愛されているご一家です。


今回、そのNJの1年の中で生まれたのが、もうすぐ3歳になる女の子。
「この子を産むためにNJに行ったようなもの・・・」という感じですが、
NJにおられたときにはまだまだ教会ではおとなしく寝ているだけだったような記憶が。


その子が、今回はいろいろお話しをしてくれるし、とても楽しい子に化けてそだっていました。


帰り際には「さびしくなっちゃうから、帰らないで・・・」とサキの手を握って離そうとしないくらい、楽しく遊んでくれました。


お兄ちゃんももうKindergarten。
自分の子供がもう大学生になるのですから、しょうがないのですが、
本当に光陰矢のごとしです。


さて、8月22日の聖書。
22日は第2コリント12:14-21。


「ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。」15節。

これはまたすごいですね。
自分のすべてを人々のために、
そして、ただ、コリントの教会のために、
というよりも、その人々の魂のために。

これは確かにイエスが私たちのためにしてくださったこと。
だから、パウロはそのイエスの愛に応えて、
自分も人々のために、そうしたいと思ったのだろう。

ああ、このコリントの教会への手紙を読んでいると、
パウロの情熱を感じる。
パウロの愛を感じる。
対決するくらい大きな愛。
苦言を呈するくらい大きな信頼。
パウロは本当にコリント教会を愛していたんだなあと思う。

以前、コリントの教会への手紙を読んでいるときには、
「きついなあ」「ひどいなあ、この教会・・・」みたいなことしか思わなかったのですが、
今回読みながら、本当にパウロの大きな愛、
神様に与えられた深い愛を感じました。

私もそのような愛を与えて頂きたいです。

主よ、
感謝します。あなたの大きな愛に感謝します。
私にもこのパウロのような愛と、情熱を与えてください。
問題を持つ人を愛する愛を与えてください。

2009-08-27

父と母と子。

いえ、ウチの話じゃなくて、月曜日のパンダの話。


これがパパパンダ。


これがママパンダ


これが子パンダ。

アトランタの動物園。
Bronx Zooなんかに比べると、
とっても小さい。
そして、人が少ない。
駐車場が小さくて、「えっ」と思うくらい車が少ない。

経営努力が足りないといわれたらそれまでかもしれませんが、
お客さんが少ない分、パンダを見るときにもゆっくり見ることができて、
十分楽しませて頂きました。

今から30年余り前、東京は上野動物園でパンダを見たときは、
すごい人の多さで、遠くから、ちょっと見ただけでした。

今回、30年ぶりにパンダを見て、ゆっくりいろいろ見て、
写真もたくさん撮って、とってもミーハーですが、
楽しかったです。

ウチの親子の方は、というと、
さっき、私からの「業務連絡」的なメールに、ハジから返事が来て、
その最後に、「冷蔵庫のところに手紙置いておいたけど気がついた?」だって。


普通のレターサイズの紙1枚にびっしり文字の詰まった手紙。
私も、家族の中でなかなか面と向かって言いたいことが言えないですが、
あいつもそうなんですねえ。


はい、素直にうれしかったです。


いえ、内容はここでは公表しませんが、
結局、父と子、男二人水入らずのキャンプも実現せず、
NJ最後の夜も荷造り。
旅行中も、なかなかそんな雰囲気にならず、
最後まで、「ゆっくり話す」「一緒に祈る」ということができないでいて、
なんだか「こんなんでいいのかなあ」という気持ちでした。


でも、息子の方はこんなものを置いていっていたんですね。
完全にやられてしまいました・・・。


さて、21日(金)の聖書。
21日は第2コリント12:1-13。


「私が高ぶることがないように・・・」7節。

これですよね。これ。
神様はパウロが高ぶることがないように、
一つの肉体の弱さを準備された、といいます。
そして、それをあえて取り除かれなかったというのです。

それくらい、高ぶりは危険。
高ぶりから守られるためだったら、
弱さや痛み、失敗は祝福でもあるんですね。

私も本当にこの面での弱さを感じます。

その弱さをいつもいつも忘れないで、
高ぶりにとらわれていないか、
自分を振り返ることを忘れないようにと思います。

主よ、
私の心を守ってください。
私が高慢にならないように、守ってください。
どうか、私があなたの僕として、あなたの力を喜ぶことができますように。

15年ぶり。・・・23日(日)

昨日はシャナンドゥー・バレーで泊まりました。
今までの自分たちだと、遅くなってもいいから・・・
と一気にNJ走ってきたのですが、
今回は、「もう休もうか・・・」となってしまいました。
そして、お約束の、一人で朝早く目が覚める・・・と言うパターン。
そこで、久しぶりの本格的な更新。


今日は晴れるみたいですが、
東海上のダニー君の動きがどうなるか、気になるところ。
その動きによっては、明日~あさっては晴れるか、
はたまた強風を伴った冷たい雨になるか、
それとも熱帯性のなま暖かい、にわか雨になるか・・・。
要注目です。


さて、日曜日は15年ぶりにアトランタの郊外、
ノークロス教会の礼拝に出席しました。
牧師は新しい方になっていたのですが、
その日はたまたま、私が行っていたときの宣教師の先生。
15年ぶりにその先生を通して主が語ってくださるメッセージをお伺いしました。


「聖霊の賜物と聖霊の実」の話でした。
先生自身が若い頃にある方に受けた質問がきっかけでした。
「わたしの教会の牧師はすばらしいメッセージをする方でした。
でも、ある時、礼拝に2人の警官が来られました。
私たちは、てっきり、この二人の警官も、私たちの教会の牧師のすばらしいメッセージを聞こうと思ってきたのだと思っていました。実際、その日のメッセージもすばらしいメッセージでした。でも、彼らは牧師のメッセージが終わった後、彼を逮捕して連行して行きました。
彼は自分が犯罪を犯していたことを知っていました。
そして自分が逮捕されることを知っていました。
そんな中で、彼はすばらしいメッセージを語っていました。
どうしてですか?
どうしてそんなことが可能のなのでしょうか?」


その時には、うまく答えられなかった。


でも、今は聖書から、またいろんな経験から、お答えすることができる、と次のようなメッセージをされました。


聖書には「聖霊の賜物」というものと「聖霊の実」という
聖霊様がくださる2種類のものが出てきます。


誰かが、私にプレゼントをしてくれたとします。
たとえば、「ベンツ」。
私がプレゼントしてもらったベンツを運転していたとしても、
そのベンツは私について何も説明出来ません。
私がどんな人間であるかということとは何の関係もありません。
そのベンツには価値があります。
そして、ベンツをくれた友人がどれくらい豊かな人かということもわかります。
そして、その友人がどれくらい私のことを大切に思ってくれているか、もわかります。
でも、私がどういう人間であるかということとは何の関係もないのです。


それが御霊の賜物といわれる、神様からのギフト、
すばらしいメッセージをするとか、
その人が手を置いたら、祈ったら癒されるとかという癒しの賜物とか、
そのようなものの性格です。


しかし、「実」は違います。
「実」は「木」がどんな「木」であるかを表すのです。
「木」だけを見ただけでは、どんな木かわからなくても、
「実」を見たときに、木がどんな木かわかります。
ぶどうの実がなっているときに、「ああ、この木はぶどうの木だ」と。


聖霊の実はそのようなものです。
愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制
そのような実を結ぶことを求めるべきです。


そのような内容のメッセージでした。


先ほどの牧師はすばらしい賜物が与えられていた、
でも、聖霊の実についてはあまりにも無頓着だった。


本当に私のために主が準備してくださったメッセージだと思わされました。


さて、8月19日(水)の聖書。
第2コリント11:1-15。


「私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。」2節。

ああ、このパウロの情熱。
このパウロの熱心さ。
どんな非難の中でも、「知るか!勝手にしろ!」を思わないで、
彼らを愛し、彼らをキリストの花嫁として整えるために、
熱心に力を尽くした。
議論をも恐れず、大胆に悔い改めを迫った。
そして、愛をもって彼らに尽くした。

その情熱を私も持たせて頂きたい。
その同じ情熱をもって人々に仕える者でありたい。

日曜日の礼拝の中で読まれた聖書、ヨハネの10章の「羊が自分のものでない雇い人は、狼がくるのを見ると羊を捨てて逃げ去る」という言葉を思い出させられました。

主よ、
わたしの愛を増してください。
もっともっと人を愛する者とならせてください。
もっともっと熱く人に仕える者とならせてください。
逃げ出さない愛を与えてください。

2009-08-22

受け入れる。

今日は昨日に比べるとずいぶん涼しくなりましたが、
それでもこちらの日差しは暑いです。

NJは雨で大変だったようですが、
大丈夫でしょうか?

明日はこちらは大丈夫そうですが、NJはまだ雷雨の予報です。

今日は午前中入寮で、午後オリエンテーション。
同室者はニック君。ラストネームはちゃんと聞きませんでしたが、
「ジャガー」ではないようです。(笑)

母親はこんなとき、いろいろ手出しをしたいようで、
「こんなのがあったらいい」「これが必要だ」と次々メモ。
これには脱帽。
でも、もっとすごいのはニック君の母君。
夫婦そろって歯科医だそうですが、
「さて、ベッドはどこに置く?あなたたち決めて、そうね、こうしたらどう?」(って、誰が決めるの?)って感じ。

「自分たちで決めるよ」「そうね、そうしたらいいわ」という会話が何度交わされたことか・・・。

お父様は、「向こうの部屋見た?ピアノがあるよ」「トイレ、なかなかきれいだぞ」と、お母さんの気を他に向けようと一生懸命。(私の解釈)

そしておにいちゃんとやたら仲良さなそうな、1-2歳年下らしい、美人さんの妹。彼女が一番お兄ちゃんの気持ちを汲んでいるようでした。

とてもいい感じのご家族。
大学から20分のところにお住まいのようなので、
家の息子もちょくちょくお世話になるでしょう。

そして午後は買い物に行って、
かえってきてしばし祈ってお別れ。

その後、「親としてこれから起こることの覚悟をしておく」セミナーでした。

これがとても面白かったです。
ためになりました。

いくつかのことを覚えているのですが、
とにかく、次に帰ってくるときに、
今までのその子とは変わっている。違っている。
親に対してやたら批判的だったり、
今まで守ってきた家族のルールを否定したり、
そんなことがある。

でも、それは成長し、いい意味で変わって行った結果なのだというのです。

親としてできることは、「受け入れること」。

もちろん、ルールの種類によるのでしょうが、
子供の成長と変化を喜ぶことが大切なようです。

さて、8月18日の聖書。
18日はコリント第2の手紙の10:12-18でした。

「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりするのは、知恵のないことなのです。」12節。

自分たちの中で自分を量ることのおろかさ。
自分たちの中で、比較することのおろかさ。

でも、自分たちはどれだけそれをしているかと思います。
口に出さないだけで、どれだけそれをしているかと思います。

ただただ、神様が褒めてくださればいいのに。
ただただ、神様に忠実に従っていればいいのに。
弱いですね。
目に見える人に褒められたり、
目に見える形で成果が現れて、
人と比べて、いい働きができたり、
そんなものを求めていないだろうかと思います。

でも、主が誇ってくださる。
主が喜んでくださる。
それで、それだけでいいのでは、と思います。

主の前に真実に、
人々も前にも、ただただ、真実さだけをも求めていきたいです。

主よ、
あなたに集中できますように。
あなたの願うことをしていくことができますように。
あなたが誇ってくださることに感謝します。
あなたに褒められるだけで十分、という思いに満たしてください。

2009-08-21

Because so much is riding on your tires.

今日はNJでは夕方、雷雨だったのでしょうか?
気温はずいぶんさがったようですね。
涼しい、という感じではないかもしれませんが・・・。

私たちもドライブ中は守られて、
夕方、目的のアトランタ郊外の知り合いの方のお宅に到着。

今、夜の10時半ですが、
外では雷がごろごろ言っています。
そろそろザーッと降ってくるのでは、と思います。

いよいよ明日が今回のメインイベントです。
朝、大学に行って、入寮。
親子3人で行って、親2人で帰る日です。

昨日の夜、制限速度が時速70マイル(≒112キロ)に上がって、
みんなが寝静まっている中を運転しているときに、
自分自身の責任の大きさを感じていました。

Because so much is riding on your tires.
これは数年前までよく聞いた、タイヤメーカーの宣伝文句です。

とてもいいコピーだと思っていました。

その言葉が心に響いてきました。

大切な存在がこの車に乗っている。
そしてその大切な人たちの安全は自分の運転にかかっている。
(もちろん、タイヤメーカーが言うように、タイヤにもですが・・・)

そのときに、教会のことも考えさせられました。
自分も牧師として、大切な人たちのことを神様から預かっている。
そして、それはその方々の「いのち」、それも「霊的ないのち」「永遠の命」を預かっているのだと・・・。
人によっては「運転手は牧師ではなくて、神様でしょう」という方もおられるとは思いますが、
それには同感しますが、それと共に、やはり神様から任されている、という部分があると思います。

「どうか、あなたがた自信に気をつけ、また、すべての群れに気を配っていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。」(使徒行伝20:28)

霊的な居眠り運転をしてきたのではないかと、
自分の今までの歩みを反省させられました。

どれほど大切なものを任されているのか、もう一度確認させられました。

さて、1週間遅れになった「日々のみことば」から。
(毎日、そのところを読んではいるのですが、なかなかここにアップできません。1週間遅れになってしまいました・・・。)
先週の金曜日、14日は第2コリント8:1-15でした。

「この恵みのわざにも・・・」7節。
「それはあなたがたの益になることだからです。」10節。

献金について書いているところです。
それを「めぐみのわざ」「益になる」といっているところに心が留まりました。

それを義務とか、当然すべきこと、
という程度のこととして、自分で守ってきた部分を感じます。

でも、パウロはこれを、「恵みの業」として、人々に伝えました。
献金をするのは神の恵みなのだと。
それはその人にとって益となるということ。

それは頭では分かっているのですが、
なかなか、自分で「ああ恵みだなあ」と思っているかというと、
どうだろうかと思います。
献金ができるのは確かに嬉しいことです。
そのようなものが与えられていることに、
そのような気持ちも与えられていることに、
感謝が沸いてきます。
でも、それが「神の恵みだ」というのとはもっとすごいんだろうなあと思います。
もっともっと自分の経験として、
「ああ恵みだなあ」という経験をさせていただきたいと思います。

そして、「これはものすごいすばらしい恵みなんですよ!」と喜んで献金のお勧めができるような者になりたいと願います。

主よ、
私がこの恵みの業に富む者となりますように。
そのすばらしさを証しする者となりますように。

2009-04-21

15年ぶりの・・・

今日は思ったよりも暖かくなって、
天気もほぼ守られて、今、夜の11時前ですが、
雷が鳴って、雨が降り出しました。


明日も今日みたいな天気でしょう。
大体一日大丈夫なんですが、
午後から夜にかけて雷雨。


なんて書いていたら、外は雹が降ってきました。


今日、ハジがアトランタから帰ってきました。
そして、夜家族会議をして、
もう、迷いはない、という、本人の気持ちを聞いて、
アトランタの大学に行かせることにしました。


早速デポジットを払ったのですが、
私自身が15年前に修士をもらった大学。
15年ぶりにその宛先を家計簿につけた時に、
さすがに感無量でした。


・・・まあ、この感無量・・・はたぶんこの一回だけで、
次回からは「え?また!?」と思うでしょうけど。(笑)


感想は、
「虫がでかい」「虫が多い」だそうです。
忘れていましたが、そうでしたね。
夏の間は fire antに大騒ぎをしていたことを覚えています。


いい経験をしてくれることを祈ります。


さて、昨日の聖書。
昨日はハバクク2:12-20。


「 まことに、水が海をおおうように、地は、主の栄光を知ることで満たされる。」14節。

この地に主の栄光があふれる。
人々が主の栄光を見る。
それは本当に私たちの希望、私たちの夢。私たちの祈り。

本当にその日が来て欲しいと思う。
神様がご自身のすばらしさを表してくださって、
私たちが一生懸命「神様はね・・・」って言わなくても、
人々が「主はすばらしい」と言うような時が。

ここまで書いて、
でも、主はやはり、私たちの姿を通して、
私たちの言葉を通して、
私たちの生活を通して、
その栄光を表そうとされている、
そのことを思わされました。

ですから、私の祈りは、
あなたの栄光を表す時に、
私の存在も、是非、是非、用いてください。
神様、あなたにとってはその必要はないかもしれませんが、
是非、私をも用いてください。

主よ、
どうか、あなたの栄光を表してください。
できれば、その時に、
私の存在も、そのために用いてください。


2009-04-19

まるで夏。

今日は予想通り25度を突破。
我が家の庭の最高気温は27.2度でした。


これは6月並の気温です。


いやあ、ここまで暖かくなると解放感に満たされます。


なんだか、もう野外礼拝をしたい!
バーベキューをしたい!
JOYJOYキャンプをしたい!
って感じですが、


この天気も今日まで。
明日からはまた10度台前半の天気が続きそうです。
そして、月曜日に至っては、7度だそうで。それも一日雨。
雪にならないのが救いって感じでしょうか?


ハジは今日の午後、一人でアトランタに出発しました。
明日は3歳まで通っていた教会の礼拝に出る予定です。
去年、その教会の牧師をされていたご夫妻にはお会いしたのですが、
礼拝に出るのは15年ぶり。
「ボクのこと知っている人いるかなあ。『覚えている?』って聞かれたらどうしよう?」と心配していましたが、まあ、アメリカの日本語教会は入れ替わりが激しいので、ほとんどおられないと思いますし、3歳のことを覚えていなかったからといって問題になることは何もありませんが・・・。でも、覚えていてくださる方々がおられたら、私たちはホントに心強いです。
いい経験をしてきてくれることを祈ります。


さて、4月14日(火)の聖書。
4/14はヨハネ20:24-31


「私の主。私の神。」28節。


これはトマスの「神の前の畏れ」を表す言葉だと思う。
あの「俺は絶対信じない、イエスの手の釘あとに手を入れてみない限り・・・」と啖呵を切っていたあのとき、あの場所にも、目に見えなくても、確かにイエスはおられて、私の話を聞いておられた、私の話をただ、黙って聞いておられた。それを感じたのではなかっただろうか?
本当だったら、あそこで私は神に撃たれて死んでいても文句は言えないのに、主は私を赦してくださった、そんな思いもあったかもしれない。

復活のイエスにお会いする、
それはうれしいことだけれども、
わくわくすることだけれども、
ただ、それだけですむことはない。
やはり、そこには聖なるものに触れる恐れがある。

明日の礼拝も、そのような聖なる方に触れる時となりますように、
復活の主にお会いする喜びと共に、
「我が主よ、我が神よ」とひれ伏す者たちが起こされますように。
明日、網をおろす勇気を与えてください。
そして、網が一杯になるように、あなたが御業をなしてください。

主よ、
明日の礼拝を祝福してください。
あなたの臨在を経験する時となりますように。
「我が主よ、我が神よ」との信仰告白を与えてください。

2009-01-14

認められること。

昨夜休む時、12時過ぎだったと思いますが、
-1度くらいでしたが、今朝5時過ぎに起きたら、-8度。
その後6時頃に家を出る時にはもっと下がっていました。


2時頃から4時頃にかけてぐーんと下がったみたいです。
今夜から明日の朝にかけてはパウダースノーみたいです。
氷点下10度くらいで雪が降ります。
内陸に行くとそういうこともよくあるのでしょうが、
こちらでは何年かに1回しかありません。
特に今年は降り始めは雪でも、途中で雨やあられになることが多いです。


風で吹き飛ばされて吹きだまりとかができやすい雪みたいです。


その分、道路には積もらないのでは・・・と思いますが、
お気をつけください。


で、この寒波ですが、15年ぶりといわれますが、
その15年前を調べた人がいました。(そりゃいるわな)
15年前1月19日の記録はこちら。 
自分はまだアトランタにいてそれでも華氏でひと桁(-15度くらい)に下がったのですが、
この地図を見ると、確かにそうです。
そのときのNJはというと華氏で-10度(つまり、摂氏だと-23度)くらいですね。


今回はそれには遠く及ばないみたいです。


今週の初めですが、
日本のテレビで、霊長類の知能や心の発達を研究している方の話を見ました。
その中で、3-6歳くらいの子どもは1日に15個ずつ位のスピードで単語を覚えていく、
と言っていました。すごいスピードですよねえ。
大人はどれくらいなんでしょうか?
意識して勉強していれば別でしょうが、
今は1ヶ月に10個とかそれくらい?


で、他の霊長類の場合もある程度言葉を習得する力があるそうですが、
それは「食べ物をもらえる」ということがその動機だそうです。
イルカやアシカのショーもそうですよねえ。


でも、人間の子供の場合は、別に言葉を覚えたから食べさせてもらえるわけではない、


ふつう・・・。


なのにこんなスピードで言葉を覚えていくのはなぜか。
それは「すごーい」と言ってもらえたり、ほめられたり、するからだそうです。


つまり認められること。


この認められることって、人間が生きていく中で、
本当に不可欠なもの。


子供はもちろんだけど、
大人になっても、特に男は・・・?
(だから、男はいつまでも子供と言われる?)


でも、人間の社会、いつもいつも互いの存在を認めていられるか、
いつもいつも自分の存在は認められていると確認できるかというと、
難しい場合もある。


神さまに認められている、
神さまが認めてくださっている、
という事実は何という福音だろうか。


聖書の中にも「認めてくれ!」という声がたくさん聞こえる。
一番大きなのは放蕩息子のたとえ話に出てくるお兄さん。


「親父、自分はこんなに一生懸命やっているのに認めてくれないのか!?」


そんな父親の言葉は、
「何言っているんだ、おまえは認められているんだよ、一生懸命やる前から、おまえは認められている。ほら、片意地張らないで私の胸に飛び込んでくればいいだろう」というものでした。


このニュースをもっともっと伝えたい、そのように思わされた朝でした。


さて、昨日、火曜日の聖書。
昨日はヨハネ4章43-54節。


「その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。」50節。

しるしと奇跡を見ないと信じないだろうと言われた人々。
でも、ここで、彼はイエスの言われたことを信じて帰っていった。
主はその時にすでに奇跡をなさっていたのだ。

イエスの言葉を信じる信仰。
何か起ったことで信じるのではなくて、
何かが起る前に、起らなくても、信じる信仰。
語られたら、そこに従っていく信仰、
それが今求められているのだと思う。

みことばを信じて、歩んでいく者でありたい。
何か出来事が起きて、それでやっと信じるのではなく、
主を信頼して歩んでいこう。
聖書の言葉を信頼して歩んでいこう。

主よ、
あなたの御言葉を信じます。
あなたが語られることは必ずなることを信頼して歩んでいきます。
見ないで信じる信仰を与えてください。

2008-02-25

天国に迎え入れられるために

アトランタ夜の部。



大学も別名「コカコーラ大学」と言われるほど、
コカコーラのWoodruffさんがたくさん献金してくれている
大学なのですが、そこの見学をしていた2人をピックアップして、
夕方にお伺いする予定のお宅へ。



一昨年の秋にアトランタからNJへ引っ越してきて、
その冬に2番目の子が生まれて、
そして、去年の秋にまたアトランタに戻ってしまった、
ご一家がいるのですが、
そのご一家を訪ねました。



ホント、13年ぶりで一番びっくりするのが、
高速道路の広さ。
あのころから、I-85号線とI-75号線が合流するところは、
なんだか片側8車線くらいあったかと記憶しているのですが、
今では、I-85号線の北の方も、片側6車線とかある。

そんなに広いのに、それが渋滞するって言うんだから、まあ、大変なこと。

渋滞をノロノロ走って、目的のお宅に着くと、
そこには、3年前の春のシカゴの修養会や、夏のアトランタの修養会でお会いした若者たちが4人ほど。

みんなで一緒に食事をして、楽しくすごしました。

4歳のお兄ちゃんの方は、NJで仲の良かったのんちは覚えていたようで、
いきなりハグをしていました。
かきごおり先生のことはちょっとわからなかったようですが・・・。

1歳の妹の方は、すたすた歩き回って、私のひざにも来てくれました。

若者たちの話を聞きながら、
一人一人がどのように神様に出会って、ここにいるか、
それを思うとほんとうに不思議な導きがあるなあと思います。
これからも、主が一人一人特別に導いてくださる、だから大丈夫、そう思いました。
そして、祈りたいと思いました。

そして、その一人一人に、それぞれ、
熱く、情熱を持って、神様を語ってくれた人がいた。
4人ともアメリカで神様に出会っているんですよね。

私も誰かのために、そのような者になれたら・・・と思います。




さて、昨日24日の聖書。
昨日はルカによる福音書16:1-13でした。

「不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。」9節。

ここはほんとうに謎のところですよね。
どう解釈していいのか、とても悩むところです。

こういう時には解説が助けになりますね。
「不正の富」は「この世界の富」のこと。
そして、「永遠の住まいに迎える友」というのは神様に以外に考えられない、というのです。

この世の富をもって、主に仕えなさい、と言われているのです。

与えられたものを、自分のためにではなく、
主のために用いる。
そのように生きることを主は期待しておられるのです。

いや、それこそが自分のために用いることになるのだと。

必要に追われて精一杯、と感じてしまう私たちですが、
主がどのように用いることを望んでおられるのか、
求めながら歩きたいと思います。

主よ、
この世の富をもって、
あなたに仕えることをさせてください。
元々あなたのモノです。
元々あなたが与えてくださっているモノです。
それを、あなたが望んでおられるように、
用いることができますように。
主よ、その用い方を教えてください。

アメリカでも発見!

今日も朝は冷え込みました。
-6度くらい。


地面に雪があると、夜は冷え込むことが多いですよね。

でも昼間は、2月下旬の暖かな太陽に恵まれて、
10度近くまで上がりました。


明日の明け方は雪が降るかもしれませんが、
その後は雨。

学校が休みになる心配もありません。


さて、アトランタの午後。

ハジとのんちは大学の説明会へ。

自分が通っていた大学なので、
私は女の子たちの面倒を見ることに・・・。


どこに行きたいか聞いてみると、6歳のサキが
「アトランタに行ったら、キング先生のところ行きたい」
とのたまわるではありませんか。


そう、1月のMLKの日の前に、
学校でいろいろキング牧師のことを習っていたらしくて、
アトランタに行くなら、キング先生の記念館へ・・・と思ったらしい。


「でも、あそこは大変だよ、行くの難しい・・・」と
子供の向学心をくじいて、


パンダを見に動物園に行くか、
コカコーラの博物館へ行くか、
新しくできた水族館に行くか、


と一応提案したのですが、


「雨だから動物園は大変」
「水族館は日本の方がいいなあ」
と無理矢理一番入場料が安い「コカコーラ」に誘導。


で、めでたくこちらも新しくなった、
World of Coca-Cola
に行ってきました。


新しくなったことは知っていたのですが、
住所までは確認せずに、
まあ、カーナビに任せれば大丈夫だから・・・
とカーナビのWorld of Coca-Colaを選んで、
言われるままに行ったのですが、

着いて、隣接する駐車場に車を入れて、
降りてみてから、まてよ・・・なんだか、妙に閑散としている・・・
まさか、移転前の住所に連れて行かれたのか!
と思って、建物の前に行ってみると、
昔行ったことのある建物が、ロゴらしいモノ、何の建物かを表すようなものがすべて取り除かれた姿でそこにそびえているではありませんか。


ヤラレタ。


で、近くのショッピングモールに行って聞いてみると、
ここから歩いて10分のところに移ったよ、と。

まあ、駐車料金も払ったことだし、
雨も上がったし、
10分なら・・・
と思って歩いたら、結構遠い。

たっぷり20分以上かかりました。

で、やっとのところで目的地。


まあ、コカコーラの歴史が学べたり、
世界中のコカコーラ社のドリンクが試せたり・・・。


ちなみに日本のドリンクの中からは、
「ハイシー梅」と「ベジータベータ」が試飲出来るようになっていました。
両方とも妙に味が薄い、と感じましたが、
それは私の舌アメリカのソフトドリンクに慣れてしまったからでしょうか?


でも、それにしても、この「ハイシー梅」で検索をかけると、
アトランタのコカコーラ博物館の訪問記ばっかりヒットするって、
日本ではほんとうにマイナーなんでしょうねえ。
っていうか、日本コカコーラのサイトには「ハイシー梅」も「ベジータベータ」も見あたらないんですけど・・・。

もっと日本を代表するようなドリンクは紹介出来ないんでしょうか。


子供たちは、まあ、それなりに楽しんでいました。


で、
帰る前にトイレによっておこうと、
行ってみたら、あ!アメリカでも発見。



男子小用便器に、男心をくすぐるアイツが・・・。

拡大してみると、

ハエじゃなくて蜂なんですね。

ちなみに、命中しても色は変わりませんでした・・・。

あ、あと、大学の見学、良かったみたいですよ。
(付け足しみたいですが・・・)

僕らが住んでいた寮は取り壊されて、新しい建物のための
工事が始まっていたところでした。
やっぱり時は流れているんですね。

さて、土曜日、23日の聖書。
23日はルカによる福音書15:25-32でした。

「楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」32節。

このお兄さん息子の言葉、
なんだか、親しみを感じてしまうんですね。
そして、今まで言いたくても、ずっと言えなかったことを、
やっと言えて良かったじゃん、と思いました。
でも、それに対して、
お父さんは共感的な言葉を全然言っていない。
「よく言えたね、そういうことが言えるようになるのを待っていたんだよ」
なんて、そんなことは言わない。

そして、「弟がいなくなっていたのに帰ってきたんだから、喜び祝うのは当然だ」と言うのです。

そう、神様にとっては「当然」なのです。

一人の人が悔い改めて帰ってくる時に、
喜んで迎えるのは「当然」なのです。

主の「当然」が、私にとっても「当然」となるように、
反対に私の「当然」を神様に押しつけてしまうことがないように、
主の当然が私の心をどんどん侵略していきますように。

主よ
鈍い者です。
あなたの思いをもっともっとわかる者としてください。

あなたが「当然だ」と思うことを、
私も「当然ですね」と思えるようにしてください。

2008-02-24

日本が好き。

今日は朝はほんとうに冷えて、-8度以下にさがりましたが、
昼間はぐんぐん気温が上がって、0度を軽く突破。
3度くらいまで上がりました。
で、夜になって、今10時半過ぎですが、-2.5度とまあまあです。
今夜もこのままだと-5, 6度でしょう。

明日はまた穏やかな日になりそうですが、
火曜日にはまた天気が大きく崩れそうです。
今回は雨が中心になりそうですが、
最初と最後は雪の可能性もあり、
要注意です。

そして、今週金曜日2月29日と来週の3月5日あたりも注目です。

今年は春になってから寒い日があるパターンでしょうか。

さて、アトランタの朝の巻。

アトランタの朝は、ノークロス日本語教会の
ボブ先生とベティー先生のお宅にお邪魔しました。

真ん中のご夫妻がボブ先生とベティー先生です。

右の親子は13年前大学生だった子と、そのベビー。
国際結婚をして、4歳の女の子もいるそうです。

まあ、大人は再会を楽しみました。

そのボブ+ベティー、
ほんとうに日本が大好き。

この間も書きましたが、
おうちの中に日本のお風呂をはめ込んでしまいました。

記憶の中ではバスタブの中に入れた、と思っていましたが、
今回拝見したら(入るのはできませんでした・・・)、
バスタブの奥に入れたんですね。


こんな感じ・・・


で、バスタブの中で体を洗って、
日本のお風呂に入って暖まることができる・・・という構造です。

ちなみに、今日本のお風呂が入っているところは、
元々、クローゼットだったそうです。

そして、ここには木の桶とかもあります。


もうそこらへんの日本人は全く足元にも及びません。

そして、極めつけは、「火鉢」。



植木入れか、おもちゃ箱かですが、
確かによく見ると火鉢ですね。

これはかなり古い物のようです。

日本が好き。

ほんとうに先生方はそうなんだろうなあと思います。
それがひしひしと伝わってきました。

そして、そこに生きておられる。
そこに人生を与えてくださっている。
その愛を感じました。

このほかに掛け軸や畳もあります。

午後の部と夜の部は明日に・・・。

さて、22日(金)の聖書。
22日はルカ15章11-24節でした。

「息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。」
21-22節。

「自分には資格がない」といった息子。

それを聞き流して、息子として受け入れた父親。

神様と私たちの関係はこれなんだろうなあと思いました。

ほんとうは資格がない。
これはほんとう。
そして、それを自覚していなければならない。
それもほんとう。
でも、その私たちをただただ、「子として」受け入れてくれる神。

そのありがたさを思いました。

子として受け入れられている幸いを感謝しました。

そして、ほんとうは資格がない、ということを忘れない、
そのことも大切だと思いました。

主よ、
あなたが受け入れてくださること、
心から感謝します。
どうか、あなたの恵みと命に生きる者としてください。
そして、いつも、ほんとうは自分にその資格がないことを、
忘れない者でありますように。