2006-09-14

イエスご自身が近づいて

こちらの金曜日の朝ですが、
このHPはNJ時間なので赦してもらいましょう。

木曜日、昼頃、やっと雨が上がりました。
でも、まだまだ寒いです。

台風が沖縄の南にあって、
北に向かって来るみたいです。
来週の火曜日、関西に向かう頃にはもう通り過ぎているかと思いますが、
大きな被害が出ないようにと願います。


台風なんて10年ぶりくらいでしょうか?

木曜日、一番の用事は、
ファミリーキャンプで販売した書籍の売れ残りと代金を持って、
販売を委託してくださったところに持っていくことでした。

そこはJR信濃町から徒歩五分。
東京シテーボーイの私も、この駅で降りるのは初めて。

ちょっと「おのぼりさん」状態でした。


煉瓦館と書いてありましたが、
この裏にはKO大学病院があったり、
明治神宮があったり、
神宮球場があったりするところです。
ヤクルトファンの方はここら辺はもうばっちりなんでしょうね。

現在、阪神が中日を猛追撃中。
元近鉄ファンで、今や応援するチームのない私としては、
やっぱ阪神応援しちゃいます。
来週関西行くし・・・。

今回、その信濃町の用件のあるところに行くと、
何と、ちょうどその時間、「横田早紀江さんを囲んで祈る会」やっているではありませんか。

横田早紀江さんは、北朝鮮に拉致されためぐみさんのお母さんですが、
娘が行方不明になって、まだ、拉致だとわからない、
何がどうなったのかわからない中で、キリストに出会って、
今も敬虔なクリスチャンです。

少なからず関心があり、またちょうど時間も空いていたので、
祈り会に出席して参りました。

今度の日曜日は金正日が拉致を認めてちょうど4年になるそうです。
拉致被害者家族会が発足してから9年。
最初の5年間は、家族会の方から、「問題をわかって欲しい」と講演や記者会見を開いてください、
とお願いして回ったそうです。
でも、北朝鮮が拉致を認めてからの4年間で横田さん達だけで1000回の講演依頼を受けて、
なさってきたそうです。

もう、体力的にも限界、だそうです。

今から30年近く前、13歳だった娘が急に行方不明になって、
「家出じゃないの」なんて言われたりもして、
・・・それが10年前に北朝鮮に拉致されたとわかって、
でも、それから、「亡くなった」と言われたり、
偽の「遺骨」を出されたり、
孫から「北朝鮮に来て」と言われたり、
いろんなことで揺さぶられて・・・。

想像ができません。

どんなに苦しい、悲しい、不安な、年月を過ごしてこられたかと思います。

祈りのサポートの必要を感じました。

何よりも、1日も早く、無事に解放されますように。

神さまがこの時間にこの場所に導かれたことに心から感謝します。

木曜日の聖書。
ルカによる福音書24章。最後の章。復活の章です。

「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。」

15節の言葉です。

エマオへの道を歩いていた2人、
エルサレムを後ろに、
とぼとぼと歩いていた2人。

希望に溢れて、
やる気に満ちていた訳ではありませんでした。

どちらかというと、
失望して、困惑して、肩を落として歩いていたのでした。

イエスはそんな彼らを叱咤激励したのではありませんでした。

共に歩いて行かれたのです。

その中で、彼らの目が開かれて、
彼らが走り出すまで、
ずっと一緒に歩まれたのです。

ありがたいなあ、と思いました。
この方は「成功者」の神ではない。
調子に乗っている者たちの救い主ではない。

落ち込んでとぼとぼと道を歩む者と共に歩み、
でも、どこかで彼らの目を開いて、力を与えて、
走り出すようにしてくださる。

今の私とも、共に歩んでくださる。

それが感謝。

主よ、

あなたが共に歩んでくださること、
元気な時だけではなくて、
確信に溢れた時だけではなくて、
とぼとぼと歩む時にも、
共に歩んでくださることに感謝します。

どうか、私の目も開き、走り出すことができますように。

今日の1日もお守り下さい。

2006-09-13

きょう!

今日はまた昨日よりももう一歩肌寒い日になりました。
日曜日には34度くらいあったそうです。
それが今日は19度。雨がしとしと降っています。

今日は、東村山にある私の出身母体の教団の本部にご挨拶に行って、
お世話になった先生にお会いしてきました。
父の世代の先生で、2年前にはNJにもおいでいただきましたが、
楽しくお話をして、あっという間に2時間がたってしまいました。
昨日連絡して今日お会いできないかとずうずうしいお願いにもかかわらず、
温かく迎えてくださった先生に感謝。

そのあと、ちょっと予定が空いたので、
日本で副牧師をしていたときの若者で、
今は奥さんになった方ですが、ずっと寝たきりの生活をしておられる方を、
ご主人に連れて行っていただいて、病院に訪問しました。

とても喜んで迎えてくださって、
語り合い、お祈りしてきました。

どんなに大きな闘いがあるか、私の知らない部分がたくさんあると思います。
でも、彼女は笑顔を絶やさず、「うれしいねえ」と何度も繰り返しながら、
話をしていました。
日本に着いてまだ24時間。
でも、とてもいいときを過ごさせていただいています。

あと、マツイ君は、12日の復帰戦で4打数4安打だったそうですね。
今日の7時からのNHKニュースでも、
トップはさすがに「ひさひとちゃま」にゆずりましたが、
2番目のニュースでした。
NYではどれくらい騒がれてるんだろうなあ、と思いながら、
日本でのフィーバーぶりにはちょっと驚き。
でも、マツイファンの我が家にとってはちょっといいニュース。

今日の聖書はルカによる福音書23章でした。
イエスの十字架のところです。
今日心に留まったのは34節の

「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

というイエスの十字架上の言葉でした。

「あなたが御国の権威を持ってこられるときには・・・」といっていた、
イエスと一緒に十字架にかけられていた強盗のひとりに対して、
イエスは「あなたはきょう・・・」と言われました。

「いつの日にか」ではなく、「やがての日に」でもなく、

「今日」と言われた。

今までは、「御国の権威を持ってこられるとき」ではなくて、「今日」だと思っていました。

でも、今日は思わされました。

「御国の権威を持ってこられるとき」=「今日」なのではないかと。

イエス様が十字架にかかられたとき、
それこそがイエスが御国の権威を持ってこられるときであり、
パラダイスの門が開かれたときなのではないだろうかと。

主の恵みの注がれる日は「いつか」「やがて」ではなくて、
「今日」なんだ、と思わされました。

与えられている恵みを感謝して、
今すでに与えられているパラダイスのあゆみをこの地上でさせていただきたい、
とそのように思いました。

主よ、
あなたの天国の門が大きく開かれていることに感謝します。
イエス様の十字架によって開かれていることに感謝します。

どうか、あなたの与えてくださっている天国の歩みをこの地上でもすることが出来ますように。

今日の一つ一つの出会いに感謝しつつ。
明日の一日の祝福を大きく期待しつつ。

2006-09-12

勇気

あれから、5年。

月曜日の朝のその時間はNewarkの空港のロビーで
CNNを見ながら、黙祷に心を合わせながら、一つ一つ読み上げられる名前を聞きながら、
過ごしました。

名前を読み上げるだけで3時間。
そして、その名前の一つ一つに特別な、他の人とは違った、人生があった。
そのことを考えるともう私の頭の中がいっぱいいっぱいになります。

そして、生きている私たちの中でもあの出来事のストーリーはひとりひとり特別なもの。

まだ、そのストーリーをここに書けるほどにはなっていない自分があります。
個人的に聞いて下さる方、がおられたら、お話しできるかも、です。

今回、飛行機が上昇していく中で、
5年前のある飛行機の中では、
ほんとうに恐ろしい出来事が起っていたのだ、
ということをも考えていました。

私も「まさか自分の乗った飛行機で・・・」と
思って、乗っていました。
数え切れないほどの飛行機が飛び交う中で、
自分が乗っている飛行機がそんなことにあう確率はものすごく低いものです。

でも、
人生は確率で生きていくモノではありません。

99%大丈夫です、と言われても、
自分がその1%になることもあります。

私たちの人生、いつもいつも危険や困難と隣り合わせであることを、
いつもいつも忘れないでいたいと思います。

普通はそんなこと考えて生きていったら、重くて、暗い歩みになってしまう、でしょう。
でも、神さまがそんな中でも共にいて下さるから、
どんなに大きな試練が襲ってきても、
この方がおられるから大丈夫、と思います。

今日の1日も与えられた特別な1日。
今日本時間で朝の3時ですから、
ちょっと長い1日になりそうですが、
それも神さまの祝福。

感謝して過ごしたいと思います。

火曜日の聖書。
ルカによる福音書22章です。
イエスが逮捕されて裁判を受けます。
その中で、イエスは堂々と自分が神の子であることを語ります。
それが「死」を意味しているのに・・・。
イエスは十字架に向かって進んでいたのです。

その一方で、ペテロは自分がイエスの弟子であることを、
否定してしまいます。

この対比が心に留りました。

イエスの大胆さ、イエスの勇気に心から感謝しました。
それがなかったら、私たちの救いはなかったと。

しかし自分はどうかというと、
やはりペテロかと思います。
逃げる。
失敗したペテロに自分が重なり合います。

でも、そのペテロのためにイエスは祈って下さった。

「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

ペテロは失敗して終わらなかった。
失敗で終わることはなかった。

イエスもゲッセマネの園でお祈りになってから、十字架に進んで行かれた。

私も祈りが与えられていることに感謝。
祈りによって力を与えられて進んでいきたい。

神さま、
あなたに祈れることを感謝します。
祈りによって力を頂いて歩んでいくことができますように。
あなたの力によって歩んでいくことができますように。

今日も、祈ることを教えてください。

わたしがあなた方に与える

日本です。

NJは寒いくらいの朝だったようですが、
こちらもちょっとひんやりする夜です。雨がしとしと降っています。
やっぱり雨男かな。

今火曜日の夜になりました。
NJ時間だと火曜日の朝ですね。

すぽっと月曜日の夜が抜けた感じですね。

今回のフライトは、

映画のストーリーがわからなくなるくらい、
ウトウトしたり、目が覚めたり・・・でした。

いつもはばっちりで、寝ても1時間とか2時間とかで、
機内の映画をぜーんぶ見て、
訳のわからない番組まで見て・・・
(以前、コンチネンタルで、「風雲○○○城」やっていましたね。そこまで見てました。今は変な編集したものをアメリカでもやっていますが・・・)
それでも、時間が余っていたのですが、

今回はさすがに眠くなって、ウトウト。
でも、熟睡はできないので、結構退屈感はありました。

「だ・びんち・コード」もやってたので、見てしまいました。寝てしまいました。

うーん、ちょっと論理の展開が「ずるいっ!」って感じでしたね。
「そういう説もある・・・」「こういうことも考えられる」とか言いながら、
結局はイエスには子供がいたとか、教会は大切な秘密を歴史の中で隠蔽してきたとか、
まあ、しょっちゅう耳にするような珍説ですが、それを「えー、ほんとはそうだったの?」みたいに感じさせるように出してくるんですよね。


サスペンスとしても、何だか、いろいろ複雑に絡み合いすぎてよくわかりませんでした。
ま、いいか。でも、もうちょっといい映画はなかったんでしょうか?

そして日本といえば、「コンビニ」でしょう、やっぱり。


日本に来た!って感じはします。
宿泊先(実家)の徒歩圏内に何軒もあります。
ちょっと用事があって寄ったんですが、
いろんなもの売っています。
あんまりゆっくりは見てなかったんですが、
たとえば、カップ麻婆豆腐とか・・・。
そう、カップ麻婆豆腐・・・調べてみたら、カップ春雨の麻婆豆腐味と言ったらいいのか、
「ロングセラー」と書かれていますが、初めて見ました。

ま、そんな話ばかりで盛り上がってもしょうがないので、

月曜日の聖書。
ルカによる福音書21章を読みました。
その中の15節のこの言葉にものすごい力強さを感じました。

「どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。」

私たちが一生懸命心配して考える言葉よりも、
神さまが与えて下さる、
イエスが与えて下さるその言葉に信頼したらいい、
そのように感じました。

自分の歩み、いつもそうだったと思います。
一生懸命考えて、立派に整えて、お話しすることよりも、

自分が「この御言葉によって語って頂いた」と感じるところ、
主によって自分自身が取り扱われるところ、
そこに力の源を感じます。

そのような語り手でありたい、あり続けたいと思います。

主よ、
どうか、あなたのみことばを語ってください。
私に語ってください。
あなたが語ってくださったことを、
私自身が教えられたことを
分ち合っていくような、

みことばを料理するのではなく、
みことばに料理されるような
語り手でありたいと思いました。

どうかみことばを与えて下さい。

これからの17日間の日本での歩みを祝福して下さい。

一つ一つの出会いを祝福して下さい。


2006-09-11

誰の肖像が刻まれているか

今日もすばらしい日曜日でした。
新しい方々もたくさん来られて、

子ども達もたくさん来て、
JOYJOYキャンプの子達も何人か来て、
とてもにぎやかでした。

いよいよ明日から日本です。
楽しみになってきました。

でも、こちらを3週間近く離れるのはまた心配。
心配以上に、机の周りの整理もできてなくて、
やるべきこともやってなくて、
あとで「あー!」と思うのではないかとかなり心配。
帰ってきた時に、「あー!」と気がついて
その時にはもう遅くなってしまっていることがあるのではないかと、
かなり心配。

でも、出発しちゃったらもうしょうがないから、
ちょっと机の周りを、人に見られても恥ずかしくないくらいにしておこうっと。

今日の聖書の箇所は、
ルカによる福音書20章でした。
24節のイエスの問いかけが、私に対する問いかけになりました。

「これはだれの肖像ですか。」

これが私に対して、
「あなたは誰の肖像を頂いていると思うのですか?」と主が問いかけておられるように感じました。

「神さま、あなたの肖像です」とお答えしました。

神さまの肖像を頂いていることがどれほど光栄なことかと思いました。

だから、次の節に「神のものは神に返しなさい」という言葉も感謝を持って受け取りました。

主よ、
わたしはあなたのものです。
あなたが私の主であって下さることに感謝します。

あなたに私の存在をお返しします。
あなたのご用のためにどうにでも使ってください。

今回の日本訪問にも、あなたが先立っていってくださって、
用いてくださいますように、
あなたの思いのままに用いてくださいますように。

あと少しでDVDの作業がやっと完了。
感謝!

2006-09-09

失われた人を捜す

今日も暑いくらいの日でした。
でも、これも今日まで。
明日からはひんやりしそうです。
月曜日の夜なんか10度くらいに下がりそうです。

日本はどうなんだろう・・・と思って見てみたら、
東京はずっと曇りマーク。
曇りで27-8度は蒸し暑そうですね。
こちらの涼しさに慣れたカラダには、ちょっときつそうです。

そういえば、自分、結構雨男かもしれません。
日本にいた頃、まだ20代の副牧師だったころ、
教会の若者6人と北海道にフェリーと車で行ったことがありました。
「伝道旅行」と名前だけはちょっと真面目にして・・・。

でも、結局のところ、ちょっと旅行で行ったところで、「伝道」ができるわけもなく、
北海道の教会の皆さんにごちそうになり、励まされ、おだてられ、
楽しく旅行させて頂きました。(^_^;)

その時も10日間ほとんど太陽を見ませんでした。
確か7月か8月か、いい時だったんですがね・・・。

うーん、9月の日本、カラッと秋晴れといってほしいものです。

今日は、ずっとJOYJOYキャンプの写真集とスライドショーを作っていて、
1日が過ぎました。というか、まだやっています。

写真集の方は、できあがって、ラベルのプリントも終わって、ケースにも入れました。
スライドショーも今20枚くらいDVDができています。あと50枚。

何とか日本に行く前に仕上げることができそうです。

今日の聖書はルカによる福音書19章でした。
19章の9節のイエスの言葉が心に留りました。

「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」

「捜して」という一言が特に自分に問いかけられました。
自分は失われた人を捜しているだろうか?
ただ、「待っている」だけではないだろうか?
ほんとうに、本気で、「失われた人を捜している」だろうか?

ただ、待っていて、教会に来たい人、
自分の牧会している教会を気に入ってくれる人、
そんな人が現われるのを待っているだけなのではないだろうか、
そんなことを問われました。

あさってから日本。全然実感は湧きません。
でも、とにかく、この言葉は、「待っていないで捜しに出て行きなさい」といわれた言葉のように感じました。
日本に訪問した時に、喜んで会いに来てくださる方々を待っているのではなく、
多少疎まれても、失われた人を探しに行きなさい、
そのように語られました。

神さま、

あなたの私への熱い思い、私たちへの熱い思いを感じました。
私もそんな熱い思いを持って、出ていきたいと思います。
どうか、明日の日曜日の出会いを祝福してください。
そして来週からの3週間の日本での歩みを助けてください。

みことばどおり、失われた人たちを捜し出すような働きをすることができますように。

主よ、私を用いてください。

語ってくださってありがとうございます。

2006-09-08

絶えず祈る

これで追いつきますね。やった!

でも、また来週から日本なので、
更新が不定期になってしまうかもしれません。

日本、楽しみです。
多くの方々にお会いできることが楽しみです。
去年まで3回は7月に訪問していましたので、
暑かったです。

でも、今年は9月。ちょっとは涼しくなっていることを期待しています。

天気予報を見ると、東京では大体最高気温が28度くらい。
最低気温が21度くらい。

まあ、「熱帯夜+真夏日」ではないことを感謝。

今からでも、訪問や集会のご希望があったらお知らせ下さい。

数日前から、tropical stormのFlorenceが騒がれています。
「強いハリケーンになるぞ」「東海岸を襲うぞ」
といわれていましたが、
どちらも外れました。全然強くなりませんし、また東にそれそうです。めでたしめでたし。
でも、明日あたり、とうとうハリケーンになって、バミューダを襲いそうです。

思うんですが、
今年、ハリケーンが発達しませんよね。
この間来た、アーネストも「キューバからフロリダに進む中で発達する」と予想されていましたが、
外れました。
また今回のフローレンスもそうです。

神さまが特別に守って下さっているのでは・・・と思いました。

去年、カトリーナが来た時には、「神なんかいるもんか」みたいな声もありました。
単なる自然現象と割り切ることもむずかしいことです。
でも、このように特別に守られている時には「神」を持ち出す人はいません。
単なる自然現象で片づけられます。

おかしな話です。

今年のハリケーンシーズンを神さまが続けて守って下さるように祈ります。

今日の聖書箇所はルカによる福音書18章でした。
心に留ったのは1節の言葉です。
「 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。」

「いつでも祈る」
「失望してはならない」

本当に大切なことだと思いました。

そして、「まして神はあなた方のことを愛しているのだから祈りなさい」という言葉がありがたく響きました。

私たちは無理矢理神さまを説得したり、
こっちを向いてもらおうと一生懸命になるのではない、
神さまが愛しておられるんだから、祈りなさい、と。

やはりどこかで祈りが陳情になっていないか。
請願になっていないだろうか。

「祈りは会話だ」とよく言われる。

楽しい仲間と会話を楽しむように、
神さまと会話を楽しもう。その懐に飛び込もう。

今日はこれから深夜祈祷会。
主の前に出て、会話を楽しむような祈りの時となりますように。

神さま、
イエスさまの十字架のゆえに、
私もあなたと会話を楽しむことができるような者としてくださったことを感謝します。

今夜の深夜祈祷会も、
そのようにあなたと過ごすことのできる一時としてくださいますように。
いつも祈り、あきらめないで祈り続けることができますように。

感謝する心

今日も汗ばむほどの陽気になりました。
でも、「霧」の予報は外れましたね。
少なくともうちのほうでは、霧は出ませんでした。

ちょっと月曜日から日本に行く、ということをなめてかかっていたようで、
ちょっと今頃になって焦っております。

スライドショーはぼちぼちやっておりますが、
今夜はちょっとがんばらないと・・・。

それから、写真の方も今年はもうCD1枚には収まらないくらいたくさんあって、
それをDVDに焼こうと思って、今日の午後スタートしました。
これが甘かった。

1枚に15分。1時間に4枚ですよね。
子ども達1家に1枚としても、スタッフの分を入れると70枚くらい。
1時間4枚だと70枚焼くのに22時間半かかってしまうではありませんか!?

それでも始めてはみたものの、
3年前のDVD Burner、そのころは200ドルもしたと思うんだけど、
4倍速で、今の8倍速のメディアを焼くと、うまくいきません。

ここで時は金なりと、
大決断をして、あたらしいDVD Burnerを買いに走りました。
一生懸命捜せば安く買えるんでしょうが、
それでも、coupon で10ドル引き、 MIRで30ドル引き、
で、値段的にはまあまあかな。

そして使ってみたら・・・


・・・正解。



3年前よりも値段は半分くらい。

外付けだから、どのコンピューターでも使える。(今までのは家族のコンピューターに内蔵だったから、みんなが寝静まってからorみんなを押しのけてやらなければいけなかった)

そして、何よりも、とにかくスピードが速い。

16倍速まで行けるのですが、
メディアが8倍速なので、
8倍速で焼いています。

でも、古い4倍速の2倍どころではなく、
3倍以上です。
1枚5分以内。
これで、6時間あれば70枚焼けます。
でも、もう2,3日早く始めておくんでしたね。

今日、また1人の人が神さまを信じて歩み始めました。
というか、本人にしてみると、昨日歩み始めたそうです。
今日、私はその話をお伺いして、共に祈りました。

感謝。

昨日の聖書はルカによる福音書17章でした。
その中で心に留ったのは11?19節の話です。
イエスが10人の病気の人を癒やされたのに、
その中で、喜び溢れて、感謝を捧げに帰ってきたのは、
1人だったというところです。

自分も感謝を忘れやすい方だなあと思います。

人に対してもそうだし、
また神さまに対してもそう。

お祈りして、聞かれたら、すごいうれしいのに、
それをほんとうに神さまの前に出て感謝しているだろうか、
日常的に神さまから与えられているものも、
ほんとうに神さまに感謝しているだろうか、
考えさせられました。

祈る時は必死に祈って、
道が開かれたら、自分の力であるかのように受け取ったりする、
そんなことがあると思いました。

感謝しようと思いました。

神様
感謝します。
あなたが私をここで生かしてくださっていることに感謝します。
家族のゆえに感謝します。

教会の仲間のゆえに感謝します。
すばらしい仲間を与えて下さったあなたに感謝します。

ファミリーキャンプを守ってくださってありがとうございます。
祝福を感謝します。

そして、1人の人を信仰に導いてくださったことを感謝します。
これからの歩みを守ってください。

感謝します。

よみがえるよ

最近、夜は弱いはずなんですが、
今夜は目がさえてしまっています。
何でかというと、

JOYJOYキャンプのスライドショーの完成版を、
日本に行く前に作ってしまおうと思っているからです。

ていうか、今やらないと10月になってしまいますから・・・。

最終日に流したスライドショーは4日目までしか入っていなかったので、
最終日の写真も入れて、5日間読んだ聖書の言葉も入れて、
・・・なんて思っています。

そうするといろんなことを思い出して、また後遺症がぶり返してきてしまっています。
テーマソングが頭の中を巡っています。
ついでに2005年の「カラダだからダ」も口ずさんだりしてしまいます。
そうするとその前の年はなんだったっけ?と考え始めて、
1996年までさかのぼってしまいます。

2006 ジャングルぐるぐる探検隊
2005 カラダだからダ
2004 おもかじいっぱい、おもしろいっぱい
2003 ギャラクシーエクスプレス
2002 めっちゃ好き地球
2001 わくわくタウン
2000 宝物探検隊
1999 不思議チャレンジ
1998 タイムマシンに乗ろう
1997 宇宙はでかいぞ
1996 神さまの船に乗ろう

なんかもっといろいろやったような気がするのですが・・・。

私も11回連続でスタッフをしていますが、
中高生達の中にも3人かな?キャンパーからスタッフへ、ずっと11回連続で参加している子がいますよね。すごい!!

とにかく、スライドショーは土曜日までに完成させて、
発送は皆さんにお願いする、ということで・・・。

テーマソングCDもできるんですよね!
きっと。

水曜日の聖書箇所はルカによる福音書の16章でした。
最後の言葉が心に留りました。
「彼らにはモーセと預言者がある」と。

この「モーセと預言者」は聖書のことを指します。
「彼らには聖書があるじゃないか」「奇跡よりも聖書の方が大切」
「聖書を信じられなければ、奇跡が起っても信じられない」
これはイエスの言葉です。

逆を言えば、
私たちは聖書の言葉に集中していていい、
私たちは聖書の言葉を忠実に語っていることが大切、
ということでしょう。

今回のファミリーキャンプの佐藤先生も、
そのことを大切にしている、とお話下さいました。

とにかく、私たちの使命は、
聖書を語ること、聖書を味わうこと、聖書に聞くこと、ですね。

奇をてらうことよりも、
何か人の心を惹こうと考えるよりも、
聖書に感動させられて、
聖書に教えられて、
語る者でありたいと思いました。

主よ、
どうかわたしに御言葉を与えて下さい。
聖書のみことばに守られ、支えられて歩むことができますように。

御言葉を語ってください。
御言葉によって取り扱ってください。

でも今日のところはもう寝ます。

2006-09-07

イエスの魅力

今日は汗ばむくらいの陽気になりましたね。
でも、今夜は冷え込むようです。
12度Cくらい。
それで霧が出るみたいです。
明日の朝はお気をつけて。


ファミリーキャンプの話その5。
今回は子供集会も力を入れました。
1人の子供大好き牧師さんが、
責任を持ってリードしてくださいました。

私は全体の責任があったので、
全く見ることはできなかったのですが、
とても良かったようです。

子ども達に個人的に話をしたり、
お祈りを一緒にしたり、
そんな時もあったみたいです。

お話を聞きながら、
来年は!(ってまたイベントを増やすかなあ。俺。)
教会に来ている子ども達のための、
お泊まりキャンプをこの地域の教会の合同でやりたいと思いました。
2泊かなあ、3泊かなあ、2年生以上とかで。

日本では良くやっていました。
バイブルキャンプ。
私もその中で育って、その中で信仰を持って、育ててもらいました。
JOYJOYキャンプもいいですが、
それは教会の入り口のキャンプ。
たくさんの子ども達、5歳からの子ども達が集まって、
教会は楽しいところだって、知ってもらいたい、
神さまに愛されていること、知ってもらいたい、
そんなキャンプです。
でも、それだけではなくて、
教会に来ている子ども達が、
いつもの教会ではなかなか話せないような話もして、
信仰をもって立ち上がっていくような、キャンプもあったらいいな、と思います。

何でもかんでもはできないのですがね。

火曜日の聖書箇所。
ルカによる福音書の15章です。
教会の中では良く読まれるところです。
100匹の羊の話や
放蕩息子の話も出てきます。

でも、今日は、その話のきっかけになったことに心が留りました。

イエスの周りにはたくさんの「罪人」と呼ばれている人たちが集まっていたのです。
ちょっと道を踏み外したような人たちが・・・。

イエスの話を聞こうとやってきていたのです。

今の教会はどうだろうかと思いました。
イエスのように「罪人」と呼ばれるような人が「話を聞いてみたいなあ」
と思うようなモノを持っているだろうかと。

自分はどうだろうかと思いました。

イエスさまにはその魅力があるのに、
私という人間が、その魅力を見えなくしてはいないだろうかと・・・。

自分のうちにはそれはない。
でも、自分のうちにあるイエスさまにはその魅力がある。
何とか、その魅力が輝き出て、
人々のところに届くようにと願いました。

今年、教会が掲げている聖書の言葉が心に浮かびました。

「私たちはこの宝を、土の器の中に持っている」

この宝を指し示して歩いていきたいと思います。

神さま、
どうかあなたの魅力が、
あなたの輝きが、
あなたの愛が、
私という土の器を通して、
輝き出ますように。

人間的な魅力ではなく、
あなたの魅力によって、
人々があなたの御言葉を聞きに来るように、
あなたの輝きが届きますように。

人間的な魅力では勝負ができないことはわかっています。
ですから、そんなことを気にしたり、
人をうらやんだりする弱さから、私を守ってください。

「自分は教会なんか行ける者ではない」と思っている方々も、
「行ってみようか」と思えるような、魅力を教会に与えて下さい。

2006-09-06

報いを期待しないで

今日から子ども達はそれぞれ学校に行き始めました。
キンダーとミドルとハイスクール。
それぞれ成長したんだなあ・・・
・・・つまり自分はそれなりに年をとってきたんだなあと。

そして、午後は晴れ。
日曜日、月曜日とそれほど外にも出ていなかったので、
何かすごく久しぶりのおてんとさまのような気がします。

ファミリーキャンプの話その4。

とにかく中高生の元気なこと・・・。
最後の夜は半分くらいの子達が「完徹」で「証し会」だったそうです。
「証し会」・・・神さまが自分にどんなすばらしいことをして下さったか、
自分が今どんな思いで歩んでいるかを話す一時です。

今回はもう完全に私は別世界でした。
まあ、「親子」の世代のギャップですからねえ。

いつも若者達と元気にやっている、JCFNのスタッフのせっちゃんも、
とことんまでつきあって下さって、
さすがにお疲れになったようです。
そろそろカルフォルニアに帰られるのでしょうか?
とっても助かりました。ありがとうございます。

でも、ほんとうに中高生達も励まされたみたいです。

彼らは、熱く、まじめに、楽しく、神さまを愛している連中です。

今回も30分、賛美をリードしてくれたのですが、
とても楽しく、とても元気の出る、そしてあたたかい、メッセージに富んだ30分でした。

自分が中高生の時を思い出して、
ほんとうにうらやましい限りです。
そして、これからの彼らの成長が楽しみです。

4ヶ月ぶりくらいの、アスパラガスの収穫。1本。
夏の間はのびるのを伸び放題にしておいて、
秋には少しだけ収穫できます。
これからしばらく、にょきにょきと生えて来るみたいです。

きゅうり・インゲンは終わり。
ナスは何だか、たくさん花は咲くのですが、
実がなり始めると喰われてしまうので、
ろくに食べていません。
ピーマンはたくさんできましたが、
そろそろ終わりかな。

そう、ニュージャージーの秋はほんとうに駆け足です。
9月の11日から28日まで日本ですが、
帰ってくる頃には、もう朝晩の冷え込みは厳しくなっているのでしょう。

このあとちょっといい天気が続くみたいです。

月曜日の聖書箇所。
ルカによる福音書14章でした。

「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」
14節のイエスの言葉です。

報いを期待しないで与えなさい、お返しを期待してはいけません。ということでしょう。
そして、どうせ期待するなら、天国での報いを期待しなさい、ということです。

与える方が幸い。
今度の日曜日の説教のテーマでもあります。
そうですよね、与える方が幸いだって本当に思います。

でも、その一方で枯れてしまうこともある。
だから、いつもいつも神さまから満たされていること、
人に期待するのではなく、神さまに期待すること、
そのことの大切さを思わされます。

でも、ほんとうに「与える」チャンスが与えられているってすごい幸いですよね。

神さま、
あなたが私に多くのものを与えて下さっていること、
あなたが私を愛し、力を満たし、喜びを与えて下さっていることに
こころから感謝します。
どうか、あなたがもっともっと私を喜びで溢れさせて下さって、
周りの人に愛を、時間を、こころを癒やす言葉を、
与えることのできる者にして下さい。

最近、夜がめっきり弱くなったので、
今日はここで終わり。

もうちょっと待ってみましょう

今日1回目の更新。

ファミリーキャンプの話その3。

ファミリーキャンプの前の晩、
講師の佐藤先生を迎えて、牧師研修会と、修養会の祝福のために祈る時とを持ちました。

佐藤先生とお話をさせて頂いて、
とても親しみを感じさせて頂きました。

とてもお忙しい先生で、
とても大きく用いられている先生で、
たくさんのところに招かれ、たくさんの方々に出会っている先生なのですが、
とても、親しみを感じます。

チソンさんのところにも書きましたが、
「この人すごい」と近寄りがたいものを感じさせる方もおられますし、
残念ながら、「君と話しをしてあげているのは特別なんだよ」というオーラを
出しまくる方もおられます。

でも、佐藤先生はほんとうに親しみやすい方です。
そして、図々しいことを書きますが、
「ガンバロースピリットではなく、福音に徹底した教会形成」
という、私と同じことを考えておられて、
それが実を結んでおられるのです。
もっと先生と話したい、話を聞きたい・・・状態です。

ちょっと某元NJの教会におられたログハウス建ててる方みたいに福島に移住しちゃうかも。

日曜日の聖書箇所。
ルカによる福音書13章です。
心に留ったのが8節の言葉です。
「ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。」

これはイエスのたとえ話の中に出てくる農夫が、実を結ばない木を切り倒そうという主人に対して、言う言葉です。

神さまは私たちにこのように手をかけて、時間をかけておられることにこころから感謝しました。

実は、ファミリーキャンプの最後の集会で、
佐藤先生が、そのようなお話をなさいました。
「あなたにどれくらい神さまは手をかけてこられたと思うんですか?」と。
私の心にその言葉が刺さりました。
そして、またこころの奥底にあるものが溶かされていくのを感じました。

私があの家に生まれ、あのような環境で育ち、あのような学校に通い、
先生方に出会い、友人に出会い・・・すべてのことが、私が実を結ぶ歩みをするためだったのだと、
そのことを語られたように感じました。

感謝が湧いてきました。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが私がここに来るまで、
たくさんの手をかけてくださってきたこと、
すばらしいたくさんの出会いを与えて下さったこと、
必要なたくさんの訓練を与えて下さったこと。

あなたに感謝します。
あなたの訓練はまだまだ続くでしょう。
もっと厳しい試練が襲ってくるかもしれません。
その時に、この聖書の言葉を思い出すことができますように。
あなたが助けて下さい。

2006-09-05

心にかかっている

ファミリーキャンプの話、第2号。

チソンさん(著書の紹介)、かわいらしい方だなあ、と思いました。
韓国語がわかったらなあ・・・と思いました。

無知で申し訳ないのですが、
「韓国・朝鮮語」というと日本のニュースに出てくる、
北朝鮮の国営放送のきつい口調のアナウンスが耳に焼き付いているのも、
理由の一つにあるかもしれませんが、
チソンさんのかわいらしい語尾の感じがとても印象深かったです。

どんなにご苦労があるかと思いますが、
そんなことを感じさせない、ほっとさせるものを感じました。

すごいなあ、この方、なんて思わせない、
「友達になりたいなあ」と思わせるモノを持っておられると思いました。

土曜日の聖書。
ファミリーキャンプの日の朝?昼かな、読んだ聖書の言葉です。
「ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。」
ルカの12章28節です。

空の鳥も、野の花も神さまに守られている、神さまに養われている、
神さまによって着飾らせてもらっている。

ならば、あなたがたはもっと大切な存在なんだから、
神さまがすべて必要なものを与えて下さるに決まっているでしょう、というイエスの言葉ですね。

心にかけられている、っていいですよね。
うれしいですよね。

私はあのマリヤが救い主の母になることを知った時に、
歌った歌の、「いと高き方が私のことを心にかけてくださった」
という言葉が大好きです。


時々、そのことが見えなくなってしまうことがあります。
わからなくなってしまうことがあります。

でも、そんな時も神さまの方はわかっていて、
私たち自身よりも私たちに必要なものがわかっていて、
それを与えて下さる方なんですよね。

感謝。

神さま、
時々、見えなくなります。
あなたが見えなくなって、
環境や状況や、人々しか見えなくなります。
そして、そこに不安を感じたり、文句を言ったり
します。(もちろん、感謝もしますが・・・)
でも、そんな時にも、あなたの方では私のことを心にかけて下さっていることに、
心から感謝します。
どうか、そのあなたの眼差しがわかる者としてください。
すべてがあなたの御手の中にあることを信頼していくことができますように。

無事手続き完了

今日1回目の更新です。

ここを読んでお祈りしてくださった方もおられるかもですね。

今朝、9時に学校に行って、
Kindergartenに入る娘の登録をすませてきました。

こんなに手こずるはずではなかったのですが、
先方の手違いと、
こちらの「何とかなるさ」という甘さで、
こんなに時間がかかってしまいました。

結構頭に来ること、イライラすることありましたが、
まあ、うまくいけば、そんなことは忘れてしまうもんです。

明日が学校の初日。
今日、新入生が学校を見に行く日でした。
みんな机に名前が貼ってあって、
「ここに座るんだよ」と教えてもらうのですが、
今日登録が終わり、クラスが決まった娘にはその名前がまだ貼ってなくて、
それだけは、ちょっとかわいそうでした。

でも、とにかく、明日から3人とも学校です。

本格的な秋です。

11日から日本に行きますが、ちょっと残暑がコワイです。

金曜日、出発する日の聖書。
ルカによる福音書11章を読みました。

「だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。」
35節の言葉です。

内側の光、それが暗くならないように・・・。

それがイエスさまの、神さまの私たちに対する願いです。
外側ではなくて、
どう人々に見えるかではなくて、
自分の内側がどうであるか、
それが大切なんだ、それに集中しなさい、とイエスは言われました。

まず、内側に触れて頂きたい、
そのように主に願いました。求めました。

この2泊3日のファミリーキャンプが、
外向きにどのように受け取られるか、
表面的にどのように受け取られるかよりも、
私の内側に主がどのように触れてくださるか、
それを求めていきたいと思わされて、
出発しました。

主よ、
どうか、私の内なる光を守ってください。
誰も知らない、あなたにしか見えないところまで、
守ってください。
そして、内なる光が外側にさえ影響を与えるような
そのような力を見せてくださいますように。

2006-09-04

帰ってきたよ

3泊でのお出かけを終えて帰ってきました。
庭は折れた枝でいっぱいです。

そうです。

「嵐」が今回のファミリーキャンプのキーワードでした。

1日の夕方に着いたのですが、
そのころから雨が降り始めました。
風はその前から猛烈でした。

海沿いのホテルだったので、
ものすごい風でした。

車に乗ろうとドアを開けるのも一苦労。

走り出すと車が揺れる揺れる。

枝が飛んでくるわ、そこら辺に置いてあるものが飛んでくるわ、
こわかったです。

でも、3日、4日と穏やかな天気に守られました。

そして、何よりも、
中身がすばらしかったです。
北はボストンから南はワシントンまで、
16の日本語教会が集まって、
共に神さまを礼拝し、
メッセージに耳を傾け、
互いに語り合いました。

メッセージもわかりやすく、力強く、心に届きました。
証しもパワフルでした。


また、このようなチャンスがあるといいですよね。


「見よ、兄弟が和合して共におるのは、いかに麗しく楽しいことであろう。」
詩篇133:1

ほんとに楽しかったです。
もっともっといろんな方ともっともっといろんな話をしたかったなあ、
と思います。

またゆっくり書きますが、
今日はここまで・・・。

明日から「新約1日1章」も再開です。

明日の午後から冷たい雨です。
今年はもう本格的な秋になっています。

あと、娘の幼稚園の入学手続き、がんばります。

2006-09-01

それでは・・・

やはり出発時間が近づいて来るにつれて、
忙しさが加速度的に進んできていますので、
更新はできませんでした。

3日間、コンピューターなしとまではいきませんが、
更新はできないと思いますので、
次の更新は月曜日。

水曜日からは子ども達の学校、
末娘の学校の入学がトラブっていて、
火曜日が正念場。粘り強い交渉をしなければいけません。

がんばろっと。

では月曜日に。

主の前に座り込んで

テストが失敗に終わった今、
どうしようかなあ、と考えていますが、
一番簡単なのは、明日の昼頃に次の更新、
そして「次の更新は月曜日ですよ」宣言ですよね。

そうするかもしれません。
それが一番簡単。

あとの可能性は写真と英語のみ。ですね。

とにかく楽しみ楽しみです。

主がどんなことをしてくださるか、主がどのように私を取り扱ってくださるか、
楽しみに待ち望んでいます。

今日読んだのはルカによる福音書10章でした。
「良きサマリヤ人」の話と「マルタとマリヤ」の話が続けて出てきます。

その中で、やはりあとの方の「マルタとマリヤ」の話が心に留りました。

忙しく働き回っていたマルタ。
イエスの足元に座り込んでいたマリヤ。

普通だったら、マリヤの方が責められて、
マルタの方がほめられるのだと思います。

でも、イエスはそうなさらなかった。

マリヤが座り込んで御言葉を聞いていたこと、
そのことを喜ばれた。
そして、マルタをも招かれた。
心がいっぱいになってしまうことがある。
心がいろんなことでいっぱいになってしまうことがある。
心が乱れてしまったり、「あの人はどうなんですか?」と人のことが気になってしまうことがある。

だから、主の前にひざまずいて、主の前に座り込んで、出ることの大切さを思わされる。
いつもいつも私と主との関係が中心。
私と神さまの関係が大切。

そこから人との関係が作られていく。

忙しいからこそ、主の前に出る。

言葉だけじゃなくて、ほんとうにそんな歩みをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
どうかあなたとの生きた関係の中に生かしてください。
わたしの言葉が、私の態度が、
どんな瞬間も、
特に私のことを一番知っている家族の中で、
あなたの命に満ちたものとなりますように。
あなたの命の水に満ちたものとなりますように。

2006-08-31

うまくいったね

テストうまくいきました。
文字化けするかなあ、とちょっと心配しましたが、
大丈夫みたいですね。

どういう方法だったかはまた今度ゆっくり書きます。
これで明日からも続けて更新できますね。
長い文章は無理かな、と思いますが・・・。


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2006-08-30

聞け!


今日はやっと雨が止みましたが、
「カラッ」とはいかなかったですね。残念ながら・・・。

明日は今日よりももう少し良くなるでしょう。
でも、南からアーネスト君が接近中。
今日フロリダ南端に上陸して、夜にはフロリダ半島の東海岸に抜けました。

これは夜の12時前のフロリダ州東岸
Melbourneというところにあるレーダーですが、丸いところあたりが中心です。

発達していくと、中心の周りに「eye wall」というのができて、「台風の目」ならぬ、「ハリケーンの目」ができるのですが、今のところは北側に雨雲がありません。

ハリケーンにまで発達することはないと思います。

でも、とにかく雨。

土曜日は雨になりそうです。
そして、北の方にある高気圧が強くて、いく手を阻まれて、
あまり早く進まない可能性があります。
そして、雨がたいしたことなかったとしても、東風が強く吹くと思います。

ですから、ファミリーキャンプは東向きの海岸のホテルなので、
結構荒れ模様かなあ。

でも、天気はわかりません。
心から、東にそれて欲しいと思います。

今日の聖書はルカによる福音書9章です。
9章も長くていろんなことが出てきます。
一つ一つ大切な話なのですが、
今日心に留ったのは、
イエスの姿が輝く姿に変わって、旧約聖書の時代のモーセとエリヤと3人で語り合っている姿が見えた時に、ペテロが訳のわからないことを言ったこと、そして、そこに天から声があって、「彼の言うことを聞きなさい」と言われたことです。

私たちはどれほど「聞いている」でしょうか?

友との語り合いの中でも、どれほど友の心の声に耳を傾けているでしょうか?

そして、何よりも、祈りの中でも、神に聞いているでしょうか?

自分が話すことがいっぱいあって、
そして、時には神さまに押しつけてしまうようなこともあって、
本当にどこまで主に「聞いている」だろうかと思わされました。

「聞け!」と主が言われているように感じました。

旧約聖書の幼いサムエルの言葉を思い出します。

「しもべは聞きます。主よ、お語りください。」

主よ、

私も聞きます。
あなたが「聞け」と言ってくださっているから、感謝します。
あなたがそういってくださらないと、私はずっと自分の話をあなたに聞いてもらっているでしょう。
あなたの導きに聞く者でありますように。あなたの語りかけに聞く者でありますように。

しもべは聞きます。どうかあなたが語ってください。


2006-08-29

神さまの時の流れ

今日はアーネスト君情報。
アーネスト君、今フロリダに上陸寸前です。
でも、勢力は強くなりませんでした。
ハリケーンに戻るどころか、
弱い熱帯低気圧です。

でも、雨はガンガン降っているみたいです。

こちらの雨もたいしたことはありませんでした。


そして!


いよいよ明日から「秋晴れ!」です。きっと。たぶん。

しかし、週末のファミリーキャンプはアーネスト君崩れの低気圧が悪さをするみたいです。


これが3日日曜日の未明の予想図です。

直撃です。土曜日から日曜日の朝にかけて大雨です。

でも、このモデル(GFS)だと日曜日の昼間にはいい天気に戻りそうです。

まだまだわかりません。

久々の野菜ネタを入れますが、
きゅうりはもうぼろぼろになりながら、
今日149本目を実らせてくれました。
ここまで来たら150本!と思い、ぼろぼろになったものをなかなか処分できません。

あと、ピーマンも順調。もうちょっと行くでしょう。

ナスはちょっと大きくなると、リスが食べます。
コイツも獣害がなければ、
何十本も穫れたでしょうね。

今日、無事に講師の先生が到着されました。

何かブラックリストに同姓同名がいるのか・・・この所何回か連続で「別室へどうぞ」だそうです。

でも、今回は1時間半くらいで出てこられたそうで、何よりです。

さあ、あと3日で、ファミリーキャンプです。楽しみ、楽しみ。

今日の聖書はルカによる福音書8章でした。
ここも長い章でいろいろなことが書かれていますが、
その中で最後の話が心に留りました。

娘が死にそうな病気で苦しんでいる、
早くイエスさまに来て欲しい。

でも、その途中で、病で苦しんでいた女性がイエスの衣に後ろからさわって、
癒やされる、という事件が起るのです。

その時、イエスはまず、「自分の中から力が出ていくのを感じた」といいます。
そして、誰がさわったか見回します。
弟子たちは「こんなにたくさんの人がいるのに、みんな押し合いへし合いしているのに・・・」って感じです。
この時のこの娘のお父さんの気持ちはどうだったかと思ったのです。

「早く来て欲しい」「いいじゃないですか、誰だって・・・」「イエスさま、早く!」
そんな思いで見ていたと思います。

そして、病気が癒やされた女性がびくびくしながら出てくると、
その身の上話が始まります。

「どうして?」

と思ったでしょう。どうしてこんな時に?と。

そして、一番恐れていたニュースが飛び込んできます。

「お嬢さんはなくなりました。もう先生に来て頂く必要はありません」

でも、イエスはそれを聞き流して、その娘のところに向かいます。

「ただ信じなさい」

とのメッセージを彼に語りながら・・・。

そして奇跡が起るのです。

私たちの人生にも起りますよね。


どうして・・・ということ。


どうして・・・というタイミングで起ってくること。


どうして今すぐ祈りが聞かれないのだろうか?ということ。


でも、神さまには神さまの時があり、神さまのタイミングがある。


それを「ただ信じなさい」と言われているのではないかと・・・。


主よ、
あなたの時がわからないことがあります。
自分の時にこだわりすぎているのでしょうか?

あなたの時がわかる者にしてください。

いえ、わからなくても、あなたの時を「ただ信じる」ことのできる者としてください。

信じます。



2006-08-28

どれくらい赦されたか

今日もぐずついた天気でした。
でも、ちょっと小康状態。
明日は大雨の予報が出ています。
今夜の11時半ですが、雨の中心はオハイオ州です。
明日の明け方にはこちらの方に広がってきます。
明日の夕方にファミリーキャンプの講師の先生が来られるのですが、
雨のピークかもしれません。

そして、アーネストですが、
今日は本当に弱まりました。
今キューバ東部にあります。
フロリダに向かって進みそうですが、
その間に強くなる予報が出ています。
またハリケーンになるかも・・・だそうです。

そして、昨日の予報がまた変わるのですが、

この熱帯低気圧、下手をすると、この週末こちらの方に影響が出るかもしれません。

こちらが今日の夕方のGFS(
Global Forecast System)の予報。9月3日(日曜日)の未明の予想天気図です。

これは最悪のシナリオですね。

ニュージャ
ージー沿岸にアーネスト崩れの低気圧が進んできています。

何とかこんなことにならないように、
真面目にお祈りしようっと。

折しも、明日は明け方にカトリーナが上陸した1周年の日です。

本当に心が痛みました。

多くの逃げられなかった人々、

ドームに逃げたのはいいけれども、
停電で大変だった人々。

車で逃げればいい、と思っていたけれども、
それは本当に恵まれた人たちだったんですね。

今年はメキシコ湾沿岸はハリケーンもまだなく、穏やかに来ていますが、
このままピークシーズンを過ぎて欲しいものです。

私たちのところでは直接の影響はありませんでしたが、
何といっても、「ガソリン高騰」には驚きました。


これは去年の春から今日までのニュージャージー州のガソリンの値段の推移のグラフです。(クリックすると大きくなります)
左の方の垂直にグラフが上がっているところが、8月30日です。

その日、何の用事だったか、
夜ニューヨークの方に出かけて帰ってきたら、
行く時は2ドル50セントくらいだったガソリンが、
何と3ドル20セント!
何かの間違いだと思いました。

でも、通るスタンド通るスタンドみんな3ドル台。

えー、何が起ったんだろう?と思いました。ちょっとパニックでしたね。

近所に一カ所だけ2ドル60セントくらいのスタンドがあって、すごい行列でした。
夜の11時頃だったと思いますが、「行くしかない!」と
そこに駆けつけたら、

「もうレギュラーはないよー!」だって。

ハイオクでも2ドル70セント台で他の店のレギュラーよりもずっと安くて、
2往復して2台満タンにしました。

(法律で1日に1回しか値段を買えてはいけないみたいですね。違反していたスタンドもたくさんあったようです。このスタンドはたぶんもうすでに1回上げていたのでしょう。で、その日のうちには上げられなくなっていたのだと思います。翌日には周りのスタンドと同じになっていました。2台満タンは正解でした。)

今回のアーネストがメキシコ湾に向かわないとわかって、今日のガソリン先物はずいぶん下がったみたいです。ホッ。

今日はルカによる福音書7章を読みました。
いろんな話が書かれていますが、
最後の話が心に留りました。

罪深い女の人がイエスの足に香油を注いで髪の毛でふいたのを見て、
「この人が神の僕なら、この女がどんな女かわかるはずだ」
と批判的な目で見ていたパリサイ人。

そんな彼に対して、「多く赦された者が多く愛する」といわれたイエスの言葉に考えさせられました。

昨日の礼拝でも少し触れましたが、
「自分の罪深さがわかればわかるほど、神さまの愛がわかる」
「神さまの愛がわかればわかるほど、感謝が沸いてくる」

そう思います。

自分はどうだろうかと思いました。
自分はあんなにも深く深く、自分の罪深さを感じさせられて、
あんなにも大きく、神さまの愛を感じたのに、

またパリサイ人に戻っていないか、
問われているように感じました。

「このパリサイ人のような人間ではないことを感謝します・・・」
と「取税人や遊女をバカにしたパリサイ人」をバカにしている自分はいないだろうかと。

500デナリどころではなくて、
マタイによる福音書にあるように、「一万タラント」(5000回の人生で稼げるお金)
を赦された者であることを、心の奥底に感じることができるように、
もっともっとわかる者とならせて欲しいと思いました。

主よ、
聖霊様の働きを待ち望みます。
あなたの愛をもっともっと深く知ることができますように。
あなたの愛に触れることができますように。

経験させてください。

あなたの愛の深さを味わわせてください。

2006-08-27

聞いて行う

今日はまたすごい雨でした。
私が外に出た時はたまたま小やみになっていた時でしたが、
礼拝中は何度も「ドーッ」と降っていました。

今夜まだ降るみたいです。
今11時半ですが、雨雲は北と南に別れて、
NJ北部は小康状態ですが、またあとで降ってくるでしょう。

そして、明日はちょっとましみたいですが、
あさってはまたかなりの雨。
そして水曜日からずーっと晴れそうです。

さて、ファミリーキャンプ予報の第1弾。
1週間前の予想ですが、大体晴れ。
気温は25度くらい。涼しい3日間になりそうです。
特に、朝晩は涼しいと思います。長袖の準備もお忘れなく。


今日、一瞬アーネスト君がハリケーンになりました。
でも、ハイチにぶつかって、すぐにハリケーンから降格。
明日はキューバにぶつかります。

その後フロリダを北上するでしょう。

幸いそれほど強くならないと思います。
もしかしたら、もう一度ハリケーンになるかもしれませんが、
ならないで終わってしまう可能性もあります。
その後カロライナ沖を東に進んでいくでしょう。


大丈夫です。たぶん。


話は変わりますが、
昔のこととか思い出して、
今の子ども達を見てて思うのですが、

ビデオって今はあるじゃないですか。
子供の頃はなかったですよね。(こういうことを考えること自体オヤジになったんだなあと思います。)

てゆーか、ずっとなかったですよ。
あのころビデオデッキが20万円とかしなかったですか?

今は単体のビデオデッキはお店に2機種かそこらしか置いてません。
それで一台50ドルから70ドルくらい。1/30-1/40の値段ですよね。


大学生くらいになったときに、教会で電気屋さんしておられる方が、
貸してくださったのを覚えています。

だから、子供の頃は、いつでも好きな時に、好きなものは見れなかったですね。
だから、好きな番組をやる時は必ずテレビの前にいなければいけなかった。
そして、必ずチャンネル争いがあった。
がちゃがちゃ回すチャンネルで、ダイヤルが取れたり、バカになったり。
「ほら、ダメになったじゃないか!もう見るな!」と怒鳴られて終わり。

でも、今は、好きな時に好きなものが見れる。
一軒の家に2台、3台テレビがあっても不思議ではない。

チャンネル争いなんてないですよ。

いいのかなあ・・・我慢したり、一つの番組を見るために時間をちゃんと守って帰ってきたり、
約束して、この時間はお兄ちゃん、この時間は弟、と分けたりするということがどんどんなくなってきて・・・。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書6章。
今日の礼拝の中で読んだのも同じ6章から37節。

でも、心に留ったのはその最後の方。
46-49節です。
聖書の言葉を読んでも、そのままの人は、
「砂の上に家を建てた人」
聖書の言葉を実行する人は、
「岩を土台に家を建てた人」
のようだとイエスは言われたのでした。

そう、聖書の言葉を読んだり、
覚えたり、
感動したり、
いい言葉だなあと思ったり、
瞑想したり、

そういうことと、本当にぶつかってみる、ということは別なんですよね。

きょうの礼拝でもお話ししましたが、
「赦しなさい」「裁くのを止めなさい」と言われても、
それを実際に「やってみよう」と思わなければ、
本当の葛藤も経験出来ないでしょうし、
「赦すことの難しさ」もわからないでしょう。
「自分の弱さ」にも気がつかないかもしれません。

そういうことを自分の経験として味わうことこそが、
「地面を深く掘り下げる」ということなんでしょう。

御言葉に従っていく者でありたいと思いました。

主よ、
私は「御言葉について語る者」ではありますが、
「御言葉を行う者」になっているでしょうか?
私は「みことばに従う者」になっているでしょうか?
どうか、御言葉に動かされて、みことばに従う者となれますように。
明日の朝も、そのことを忘れていないように、
1日を守ってくださいますように。
今日教会に来られた1人1人、いらっしゃることのできなかったお一人ひとりに、
守りがありますように。

失望を超えて

ああ、12時を過ぎてしまいました!
ちょっとカミさんのヘルプをしていたら、12時を過ぎました。
日付が変わっちゃうんですよね。
12時前に始めないと・・・。

今日は朝から、ずっと雨が降ったり止んだりで、
肌寒いくらいの日でした。
最高気温も20度くらい。

明日はもっと雷が鳴ったり荒れ模様のようです。

雨だと、洗濯物乾かないですよね。
アメリカだと乾燥機が当たり前なので、関係ないのですが、
日本式で外で干そうと思ったら、この天気は恨めしい限りです。

東京に着たばかりの頃、
まだ大阪万博とかの前ですがね、
パスタメーカーみたいなローラーで水を絞る洗濯機ありましたよね。
脱水機なんかついているのは高級機種だった頃。

うちは内風呂なんかもなくて、(もちろん、露天風呂もなかったですよ・・・)
洗濯機が玄関横の押入に入っていました。
もちろん、そこには水道も排水もないから、
洗濯する時は、親がそれを玄関に出してきて、
排水を外に流しながら、洗濯をしていました。
そして、洗ったものをローラーに入れて、水を絞っていたんですね。

ここなんかを見ると、50年代のものみたいですね。
50年代のヤツにはみんなローラーがついてる。

60年代になるともう二槽式の時代なんですね。脱水槽があるんですね。
となると別に高級機種ではなかったかもしれません
これは70年代になって、我が家に入り、
小学生の私も一番手伝った(手伝わされた・・・)やつです。

ここなんか見ると、昭和40年にはもう全自動ができていた・・・。

もう40年も経つのですね。

まじですかー、って感じです。

今朝、下の娘にせがまれて、
庭の野菜の収穫に行った時・・・もうあんまり穫れないのですが・・・
リスが小さなナスの実をくわえて逃げていきました。
あんまり慌てて逃げていたので、途中で落としました。

拾って、冷蔵庫に入れました。大人げない・・・。

今日の聖書。
今日はルカによる福音書5章を読みました。
5節のシモン・ペテロの言葉が心に留りました。


「私たちは夜通しがんばったけれども、何にも獲れなかったんです」


ああ、自分にもそういう時があるよな、と思いました。

本当に疲れ果てて、何の収穫もなくて・・・という時。

そして、また「どうせ、やったってダメ。もうわかっている」という無力感に捕らわれます。

でも、そんな私たちに主は奇跡をもって応えられます。



自分の無力さと神の全能。



もうひれ伏すしかないですよね。でも、ものすごいうれしいことではないかと思います。
恐ろしいと共に、うれしい、そういうものです。

もっともっと主の奇跡を見せて頂きたい、そう思いました。

主よ、
あなたの全能を感謝します。
あなたには何もできないことはないことを、感謝します。
どうか、自分の頭で考えて、無理なこと、
自分の経験から考えて無理なことも、
主が実現して下さることを、そのあなたの力を見せてくださることを求めます。

私たちの中にある無力感、
あなたがそれを打ち破ってください。
御言葉に従っていく者とならせてください。

2006-08-25

めぐみのことば

今日の朝はものすごい雨でした。
10時半頃にはトルネード警報も出ました。
これはNJの我が家のあたりの情報ですが、
ロングアイランドの方でも、洪水になったとか・・・。

NYの皆さんも大変でしたか?

明日から火曜日くらいまでにかけて、
同じような天気が続くみたいです。
にわか雨や雷雨が降りやすい天気です。

今(夜の12時前)もどんどん雷雲がペンシルベニアからニュージャージーに進んできています。
今夜も何度か雷が鳴るでしょう。

今日、アーネスト君が誕生しました。
カリブ海の南西部です。
週末にかけて発達しながら、メキシコ湾に向かって進むみたいです。
ちょっと心配なコースですね。

デビーちゃんはぼろぼろになりながら大西洋を北西に向かっています。
でも、アメリカに近づく前に北に進路を変えてそれていくようです。



アメリカは交渉文化です。
言われたとおり引き下がってはいけません。
でも、あんまり英語の得意でない(中学校の頃から・・・)私は、結構ストレスです。


そう、とにかく英語は苦手で、高校に入った時に、
みんなの英語のすごさに驚きました。
大学の付属高校だったのですが、付中から上がってくる子達の英語の上手なこと。
「外部生はできる!」という神話を信じて、なめてかかっていた私は、
最初の英語の授業の時に、ろくに予習もしていかず、
いきなり、第1課の文章のリスニングで、
最初に当てられてしまいました。
"What is his name?"
やばい。わからなかった。ちょっとでも教科書に目を通していたら、簡単にわかったのに・・・。
「わかりません」・・・日本語で答えました。

「え、わからないの?」みたいな、先生と同級生達の反応・・・。

次に当てられた子が、難なく答え、授業のあと、「ああ、簡単なのが当たって良かった」だって。

まあ、確かに簡単な質問でしたよね。

カルチャーショックでした。ずっと苦手でしたね。英語。そして今も。

で、話を戻すと、英語の苦手な私も交渉ごとにはストレスをかかえながら、がんばります。

今週は何度もそんなことがありました。

1.5歳の娘がこの秋から行く地元の幼稚園から何の連絡もない・・・。何とリストから漏れているらしい。ちゃんと登録に行ったのに・・・。(住民票のないこの国では向こうから「来年は幼稚園ですよー」なんて言ってくれない。)何度も担当者に連絡を取ろうとするが、何も返事がない。たぶんバケーション。

2.某あま○ン・どっと・コムで携帯を買う。今まで「まだいいよ」と言っていた息子も、10年生になるこの秋からは持ちたいかな・・・ということで・・・そこらの店で買うよりずっと安い。しかし、届いてみると、繋がらない。そこでその販売店の「ドットコム」と電話会社の「○ンギュラー」に何度も何度も電話して、2日間。最後は1時間くらいかかって、やっと開通。う?ん、「時は金なり」かな。それにお店だったら、「このケースもつけてよ・・・」とか交渉もできるから、そっちの方が良かったかも・・・。


3.某スポーツ用品店で、15%OFFのクーポンが使えない、と言われて、「おかしい」と猛抗議。ほとんどケンカ。結局捨てぜりふを吐くようにして(あ、きたない言葉じゃないですよ、念のため)、引き下がる。メールでカスタマーサービスに文句を送りつけるが、無視されている模様。

未だあったのですが、忘れました。

でも、節約生活至上主義の私は、ちょっと「安くなる」と言うことにはムキになりすぎなのかも・・・。「必要は神さまが与えて下さるから・・・」と大きく構えて、ストレス貯めないようにしないといけないですねえ。

で、もっと大切なのは聖書。
「宝のあるところに心もある」ですからね。

今日はルカによる福音書4章を読みました。
22節の言葉「その口から出てくるめぐみのことば」が心に留りました。

イエスの口からは「恵みの言葉」が出てきていたんですね。
「戒め」「攻撃」「愚痴」「賞賛」・・・いろんな言葉がありますが、
「恵みの言葉」とはどういうことなのでしょうか?

その言葉を聞く時に、神さまの恵みを感じるような言葉、ということでしょう。

だから、私たちは安心してイエスの許に行くことができる、
イエスの足元で安らぐことができる。
安心して、休むことができるのです。

自分の口から出るのはどんな言葉かと思います。
どんな言葉だろうかと思います。
人を傷つける言葉ではなく、
ただ表面的に優しいだけの言葉でもなく、
恵みの言葉が出てくる、
そんな歩みをしたいと思います。

主よ、あなたの恵みの言葉のゆえに感謝します。
どうか、私も恵みの言葉が出てくるような歩みをさせて下さい。
あなたの恵みをいっぱいに頂いて、
私の口からも恵みの言葉が出てきますように。

2006-08-24

すいきんちかもくどってんかい

今日は久しぶりの雨。
芝生も喜んでいます。
いや、水をやらなくてもいいので、人間の方が喜んでいます。
月曜日、貯水池の横を通ったら、ずいぶん水が減っていました。
ずっと天気良かったですからね。

でも、今日の夕方に天気予報をチェックしたら、週末にかけて、
ちょっとぐずつくみたいですね。

毎日雷雨の予報が出ています。

芝生も喜ぶことでしょう・・・いや、ずぼらな私のような人でしょうか?
でも、ねえ、芝生をきれいにすることに一生懸命労力を使うのは、私は解せません。
自分のずぼらのいい訳をしてはいけないとは思うのですが、
もっと力やお金を使わなければいけないところがあるんじゃないかな、といつも思っています。


いやあ、冥王星が惑星ではなくなった、というニュース、
とても痛快です。

「すいきんちかもくどってんかい」になるんですねえ。
何か、そっちの方が語呂もいいし、
何よりも冥王星が時々海王星の内側に入って、
「すいきんちかもくどってんめいかい」
になるのがちょっと解せなかったんですよね。

惑星といえば、子供の時に誕生日プレゼントに友達からもらった、
「宇宙のひみつ」みたいな学習マンガに、
太陽と惑星との距離のことが書いてあって、
「すごい!!」と思ったことがあったんですよ。

ちょっとめんどくさいですし、聖書と全然関係ないのですが・・・(今までもそんなことたくさんあったし)、
OKかなと思いつつ書きますね。

地球と太陽の間の距離を1とする(これって「天文単位」ですよね、厳密ではありませんが・・・)。
そうすると太陽と各惑星の距離は、
水星 0.4
金星 0.7
地球 1
火星 1.5
木星 5.2
土星 9.5

そこから0.4を引くと
0, 0.3, 0.6, 1.1, 4.8, 9.1
になります。

それを0.3で割ると、
0, 1, 2, 4-, 16, 31-
と多少の誤差はありますが、大体2のべき乗になりますね。

でも、ちゃんと読んでおられる方は気がつかれたと思いますが、
4と32の間に、8が抜けているんですよ。

でも、あった。

8のところにあるのは「小惑星」帯。
小さな星のかけらがたくさん回っています。

そして、64のところにあるのは「天王星」。
19.2天文単位ですから、0.4を引いて18.8。
それを0.3で割ると63くらいですね。

すごい。と思いました。


でも、海王星には当てはまりません。
そして、冥王星はとても小さく、月よりも小さいのです。
そして、海王星の内側に入ってくるんだからやっかいです。
ここら辺はちょっとがっかりです。

でも、神さまの作った宇宙が法則に従っているのではなくて、
自然界の出来事を見た私たちが法則を考えているんですよね。


だから、本当に思うんです。

今回の決定のことで。

神さまの目から見たら、今回の決定はどういう風に見えてるのかなあ、ってこと。

神さまが作られた、めちゃくちゃ大きな宇宙。
その中の小さな星の中にいる小さな人間達が、
「冥王星を惑星と認めるかどうか」で大騒ぎをしていること。

もちろん、学問の世界では正確な定義がないと議論ができない、
ってことがありますよね。
ですから、異議を唱えるつもりはありませんし、
ばからしいとも思いません。

でも、本当にどう見えているんだろうなあ、と思ったのです。

「宇宙はでかいぞ!」1997年のJOYJOYキャンプのテーマでした。

知れば知るほど、宇宙のでかさ、
神さまの大きさには驚かされます。


また長くなってしまいました。
今日はルカによる福音書3章を読みました。

8節の言葉が心に留りました。バプテスマのヨハネの言葉です。
「『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」

そうですよね。

大きな神さま、
この宇宙を作られた神さまは、
石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができる。

私たちはなんて小さなことで、プライドを持ったり、
威張ったり、人を見下げたり、
そんなことをしているんだろうかと思います。

私たちは本当に小さな存在。
でも、神さまの目から見て、とても大切な存在。
そのことをいつもいつも忘れないで、
謙虚になりつつ、感謝しつつ、歩もうと思います。

主よ、
あなたの造られた世界はなんて大きいのでしょうか?
宇宙の話を聞くたびに、調べるたびに、
本当に不思議な気持ちになります。
圧倒されます。

でも、その宇宙を造られたあなたが、
私のような存在に目を留めておられることに、
もっと驚かされます。

どうか、あなたの愛を信頼して、
あなたの力を信頼して歩む者としてください。

2006-08-23

イエスが現代に生まれたら

今日はルカによる福音書2章を読みました。
イエスの誕生の風景。
飼い葉桶の中に寝かされていたイエス。
ベツレヘムという小さな村。
そして、祝いにやってきたのは羊飼い達。

イエスがこの時代にお生まれになったとしたら、
どんな感じで過ごされたのか、
コンピューターや携帯電話は使われたんだろうか?
車は運転されたんだろうか?

そんなことをこのNYで時間を過ごす中で考えてしまいました。

もちろん、最近はインターネットで教会を探してこられる方もたくさんおられるし、
このようなページを通して、神さまのことを伝えることができればと思って、
教会では10Gもスペースを確保したし・・・。
でも、もっともっとパーソナルな、人と人とが膝を交えて、
頭をつきあわせて、心を合わせて祈りあっていく、そのような地に足をつけた働きが
もっともっと大切なんだろうなあと思います。

ちょっと歩く速さをゆっくりにして、
立ち止まって考えてみたりして、
共にゆっくり祈ったり、語り合ったりして、歩んでいきたいと思いました。

イエスさま、
あなたがふかふかのベッドではなく、
飼い葉桶の中に生まれてくださったこと、
そんな思いを持ってこの地上に来てくださったことに感謝します。
私もそんな歩みができますように。
ゆっくりと地に足をつけた、
人々と歩き方のペースをそろえた歩みができますように。

共に歩む

今日はNYに来ています。
月に一度のNY面談日。
今年になってから始めましたが、
なかなか好評。(手前味噌、自画自賛・・・)

朝の祈祷会はどうしても日本と連絡を取りたいことがあって、
パスさせて頂きましたが、

昼頃に一人の方にお会いしました。
「お年寄り」とは思いませんが、うちの両親くらいかな、という方。
ちょっとNYを歩いたのですが、
「同じ早さで歩く」という感覚を思い出す一時でした。
(たぶん、結婚前のカミさんとのデート以来・・・かな)

City Boyの私は、銀座や新宿・渋谷で鍛え上げていますから、
人混みの中をすいすいと縫うようにして歩いたものです。
スタスタスタと。

それから、小学校の時、教会の2階に住んでいたのですが、
都営住宅が当たったとかで、木場から東陽町に住居だけ移ったんですね。
でも住民票は木場のまま。
そこで、門前仲町駅の方が近い小学校から、
東陽町の駅に近い自宅まで、子供の足で30分くらいかけて通っていました。
中学も、越中島の中学まで、中学生の足で30分くらいかけて通っていました。

その時間を「短縮する」ことにしょっちゅうチャレンジしていました。
小学校高学年で「駅名を覚える」のがやたら男の子の中ではやった頃、
途中の信号とかに一つ一つ名前をつけて、
運転手さんのまねをして、ハンドルを握ったふりをしたり、
車掌さんのまねをして「次は?、?です。お忘れ物ないようにご注意下さい。右のドアが開きま?す」なんて、つぶやきながら歩いたり・・・。
今考えるとかなり怪しい子供に映ったでしょうね。(+坊ちゃん刈り+黒縁めがね)


だから、きっと早足なんです。

今日、ゆっくりと歩調を合わせて、お話をしながら、歩きました。

イエスさまもこんな風に私たちと歩んでくださるんだろうなあ、と思いながら・・・。

朝、聖書を読んだとき同じようなことを考えたのですが、
それはまた夜にでも・・・。

2006-08-22

信頼と冒険

今日も暑かったです。
でも、夜は涼しいです。
明日もそんな天気になりそうです。
天気予報がちょっと退屈です。

デビーちゃんが今日誕生。英語ではDebbyです。

熱帯性低気圧の名前です。

でも、今回もたぶん大丈夫です。
そんなに強くならない+陸地には近づかない。
未だ大西洋のアフリカよりのところにいます。


「都電」って知っていますか?
私はcity boyだったので、よく知っています。
今でもあるんですよね、一本だけ。

でも、私が小学校一年生の時までは、
たくさん走っていました。
少なくとも深川近辺は・・・。

幅の広い通りの真ん中に線路があって、
上に電線が走っていて、
黄色い一両の電車が走っていました。

そして、その線路は「車も走れる」だったんじゃないかな。
信号が赤だったら止まるんですよね。

大人になってサンディエゴに来た時に、
トロリーがそんな感じで印象に残っています。

都電は大人も子供も20円。

それに対して、都バスが大人30円、子供15円。
だから、大人1人、子供2人の場合は「どっちでも60円」だったんですね。
なんか、その記憶ははっきりあります。
弟が未だ幼稚園で無料。
母と兄弟3人乗るときには、「どっちにしようか?」って好きな方を選んでいたように記憶しています。
確か、ひと頃は都電と都バスの両方が走っていたような・・・。

小学校2年生の時、廃止されました。深川の都電。
東京全体ほとんど同時だったんじゃないかな。


渋滞が問題になったんだと思います。
でも絶対、バスより都電の方が好きでした。
あの道の真ん中に停留所があって、そこで乗る感覚が何か冒険しているみたいで
好きでした。
でも、母親、父親の「守り」の中での冒険だったんですね。

そう、信仰は冒険です。
今日読んだのはルカによる福音書1章。
その中で、ザカリヤと天使とのやりとりが心に留りました。

「どうしてそんなことがあるとわかるでしょうか?」
「あなたはわたしの言葉が成就するその時まで口がきけなくなる」

神さまが働いておられる「しるし」は、
時々、願っていないようなことの中に現われたりする。

ここでも、「そんなことがおこるなんてどうしてわかりますか」と言ったザカリヤに、
「わからないなら、しるしをあげよう。あなたが口がきけなくなるというしるし・・・」

でも、それはザカリヤにとって神さまの力を感じ、
神さまに信頼することを経験する時となったのではないだろうか?
口がきけるようになった時のザカリヤの様子から、そのことを感じる。
静かに、だまって、他に何もできない中で、
神さまと語ることに集中したのではないだろうか?

信頼することは、信じることは冒険。

私自身も恐れないでいたいと思う。
それが願っていない方向にむいていったとしても、
神さまが導いてくださるなら、大丈夫だ。
信頼して冒険しよう。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたの御手に頼ります。
あなたの御手に守られて、冒険します。
どうか、あなたがすべてを守り導いてくださいますように。
恐れないで、あなたの最善を信じていけますように。

明日はNYです。
幸いな一日となりますように。

2006-08-21

石を動かす方

今日も「昼間は暑い」「夜は涼しい」という天気が続いています。
本当に助かります。
もう8月も下旬。
12年前にNJに初めて来たのも今頃でした。

夜の涼しさにびっくりしたものです。


早実優勝しましたね。
それもまた壮絶な試合で・・・。

「地元・国分寺では・・・」というニュースを見て、びっくり!

え、今、早実って国分寺なの?

HP見たら、2001年に移転したって。
そりゃ知らないよな。

今きれいですよね国分寺駅。
よく使っていた大学時代はきたなかったです。
階段とか狭くて、めちゃくちゃ混んでいました。


「オイルショック」ネタ以来、「昭和」がマイブームです。


今日は「カラー放送」を思い出していました。

我が家にカラーテレビが入ったのは中一の時。それはそれは感動しました。
ああ、こうゆう風に見えるんだ・・・と。
・・・友達には「僕が生まれた時に、記念にパパが買ったんだ」というヤツもおりました。
・・・小6の時、学校の先生が「カラーテレビの普及率」というのを調べるか何かで、
「まだカラーテレビのないって家のヤツ、手を上げろ!」と授業の中で聞きました。
私は周りを見回して、誰も手を挙げなかったので、挙げませんでした。
「先生、かきごおり君の家、未だありません!」と、ちくるヤツがいなかったのが救いです。
あとで聞いた話では、私と同じ気持ちだったのが何人かいたようです。


話はさかのぼって
幼稚園の頃ですが、
「魔法使いサリーちゃん」の
(確か・・・)左下に「カラー」という字が出ていました。
でも、どこが違うのか、わかりませんでした。(わかる訳がない・・・白黒テレビなんだから・・・)
すごい不思議でした。
・・・これ、画像がないかと、web上を一生懸命捜しましたが、まだ見つかりません。・・・



でもさ、やっぱ今でも不思議です。
カラーテレビで見ている人は、「言われなくたって、カラーだよ」って思うでしょうし、
白黒テレビで見ている人は、「だからどうした」ですよね。


うーん、何のためだったんでしょうね。

もしかしたら、白黒で見ていた人が、「ちくしょう、これカラー番組なんだ、うちもカラーで見てーなあ」と思うようにというテレビメーカーの陰謀販促だったのでしょうかね。


でも、知っていました?
サリーちゃんって、始まった時は白黒だったんだって。
途中でカラー番組になったそうです。


ま、何度も言うけど、そのころの我が家にとっては何の違いもなかったのですが・・・(ちょっとひがんでる?)


今日も、ここまでの話題と何のつながりもなく、新約聖書一日一章。
今日はマルコによる福音書16章を読みました。マルコによる福音書の最後です。

3節の言葉が心に留りました。

イエスの周りにいた何人かの女性達がイエスの墓に行きながら、
話していた内容。

それは・・・

「誰が墓の入り口から石を転がしてくれるか」

・・・でした。

この時代のこの地域の墓は、崖に横穴を掘って、そこに遺体を安置して、
入り口に石を置いておく、という形でした。

ですから、女達は「誰があの墓の入り口の大きな石をどかしてくれるだろうか」
と語り合っていたのです。
でも、その必要はありませんでした。

それはイエス自身が石を動かされる方だからです。

私たちがイエスのために何かをしよう、なんて思うのはおこがましいことです。

私たちがイエスに使って頂くのです。

イエス自身が御業をなさるのです。

主よ、
あなたの御力を信じます。
私があなたのために何かをする、そのように勘違いをします。
石を動かす人、あなたには必要はありません。
あなたが動かしてくださるのです。
あなたが私のために動かしてくださるのです。

主よ、
今日、山を動かしてください。
私の心の中にある山を動かしてください。
教会の一人一人の方々のうちにある山を動かしてください。

自分を取るか、人を取るか

今日は蒸し暑かったです。

12時過ぎていますので日付は21日になっていますが、
気持ちは20日です。

朝から蒸し暑くて、
午後も蒸し暑くて、
今も蒸し暑いです。
ちょっとさっきから外は涼しくなってきたかと思いますが、
まだ23度くらいあります。

今日はこの夏3回目の洗礼式。

7月最初の洗礼式も、

7月半ばの洗礼式も、

感慨深いものがありました。
感謝が溢れました。

そして、今日の洗礼式も・・・



・・・泣きました。



心からの感謝と感動の涙でした。



「見よ、古いものは過ぎ去った、すべてが新しくなったのである」

感謝。

朝9時から夜10時までの日曜日+明日は朝から牧師会。

でも、心地よい疲れです。


日本では朝7時から夜12時までの日曜日だったなあ、

日曜日の朝はグロンサン飲んでスタートしたなあ、

20代だったけど・・・と思い出しておりました。

まだまだ大丈夫。


昨日の日本の新聞の中から、びっくりした記事。

9歳以下の子供を対象にした調査で、

平均一人年間120回、総額43万円のプレゼントをもらっている・・・。

まじですかあ?

あり得ないでしょ。

43万円て、一日平均1200円くらい?

「がんばった」とかに対するご褒美も含むそうですし、
お菓子なんかも入れて、みたいですが、
それでもあり得ないでしょう。

平均でそうだって言うんですから、
多い子はどうなっているんでしょうか?

それも9歳以下の子ですよ・・・。


子供の頃、
家は、教会だったので、
クリスマスはお祝いしましたが、
サンタさんは来ませんでした。

それを疑問にも思ったことはありません。

でも、なぜか一番下の弟のところには来ました。
7つ違いなので、「ずるい」とも思いませんでしたが・・・。


そんな自分の経験から、

・・・うちの子達のところにも、サンタは来ません。

一番上の子が小さかった時には、
「サンタさんはね、お父さんやお母さんがプレゼントを買ってあげられないような、
そんな子達のところに行くんだよ。おまえのためにはお父さんやお母さんが買って上げられるからね。」
そんなことを言っていました。



でも、明日で5歳になる娘にはどう話すか・・・。

一番下の子だけにサンタが来た理由も、自分が親になって、ちょっとわかるような気がしてきました。


父「誕生日何が欲しい?」
娘「猫さんのフォルダー・・・」(1ドルくらいのもの)


・・・なんて経済的だかわいいんだ、とおもいました。(^^)/


今日はマルコによる福音書15章を読みました。
イエスの十字架の場面です。

31節のあざける人々の言葉が心に留りました。

「他人は救ったが、自分は救えない」

いや、自分は救えなかったのではなかった。


・・・自分を救わなかった。

なぜ?

・・・私を救うため。

イエスは選ばれた。
自分を救わないで、私たちを救うということを。

誰にも反論しないで・・・
「ふざけろ、おまえのためだ!」なんて言わないで・・・

私たちを救うことを選ばれた。

感謝。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが自分を救うことを選ばないで、
私を救うことを選んでくださったことを。

こんな悔しいことを言われても、
反論もなさらないで、
ただ、ご自分を与えられたことを。

何も言い返さないで、
ただただ、私たちを救おうとなさったことを。

何一つ恩着せがましいことを言わないで、
十字架にかかってくださったことを。

感謝します。

今日の一日を感謝します。

明日も祝福してください。




2006-08-19

私たちの計画と主の計画

今晩はまた祈り会なので、
今のうちに更新。

昨日、「オイルショック」のおかげでパイロットの夢やぶれたUさんの話を聞いて、

調べてみました。自分はそのころ、何をしていたかを・・・。
小学校4年生。

去年か一昨年かに日本から引き揚げてきた(実家の引っ越しで追い出されてきた)
小学校の卒業アルバム
(出てきましたよ、意外とすぐに・・・カミさん曰く、「わたしんとこは、小学校はなかったよそんなの・・・」)

・・・の最後の「この6年間の日本と世界の動き」みたいなところに、
ありました。ありました。


こんな写真。





やっぱ、オイルショックと言ったらトイレットペーパー。
でも、たぶんそれって直接の記憶じゃなくて、
何年も後で、テレビで「そんなことあったよねえ・・・」って言ってたのが、入っているんだと思います。

それでも、確かに、小学生の頃、
母親の買い物につきあわされて、
一つ品物とちょっとお金と持たされて、
「あんたも一つ買ってちょうだい」とレジの列に並ばされた覚えがあります。
「本日限り・お一人様一点限り」ってヤツだったんでしょうね。
そんな時、4人兄弟は役に立ちますね。
一番下のはそのころ3歳くらいですから、まあしょうがないとしても、
3人小学生がいたら、4つは買えちゃいますからね。


調べてみると・・・って忙しいのに・・・
1バレル3ドルだったんですね、このころ。

それが11ドルになったと。

そりゃパニックになるわ。

今70ドルくらいですが、
これが200ドルになる計算ですからねえ。


歴史の勉強でした・・・。

今日の聖書。
今日はマルコの14章を読みました。
最初の2節に、当時の宗教的指導者がイエスを殺そうと計画しているのが書かれていますが、
その中で彼らはこう言うのです。「祭りの間はいけない」と。
でも、実際、イエスが十字架につけられるのは祭りの時でした。
それも大切な「安息日」の直前。

私たちの計画、私たちの考え。
でも、主には主の計画があり、
主の考えがあり、
主の思いがある。

そして、主の御心だけが堅く立つ。

本当にそのことを思います。
いろんなことを考えすぎるのだと思います。
もっと聞けばいいのに、
もっと求めればいいのに、

自分で考えて、
そして、それだけではなくて、
決めつけて、頑固にそれにこだわる・・・。

主の御心をもっともっと求めていきたいと思いました。
今日はこれから祈り会です。
陳情を並べるのではなく、
主と会話する、
主から聞く、
そのような祈りの時となるようにと願っています。

主よ、
どうかあなたの御心を教えて下さい。
あなたの御心を喜びとし、
あなたに従っていく者としてください。
これから参ります祈り会を祝福して、
あなたに聞く時となりますように。

示されることを

今朝も気持ちのいい朝でした。
でも、昼間はちょっと蒸し暑いです。

今年の8月は最初の2,3日を除いて、とても過ごしやすい8月になっています。

それから、ハリケーンの全然ない8月になっています。
去年はものすごい当たり年で、
今年も多いだろう、そして、北東部が危ない、と言われていました。
もちろん、ハリケーンシーズンはこれからですし、
何があるかわからないのですが、
去年は8月の終わりにカトリーナが来て(KですからABCDEFGHIJKで11個目!)
ガソリンが何時間かの間に70セントくらい上がったのがあったことを考えると、
今年はまだCまで。
ハリケーンとトロピカルストームを合わせて3個しか発生していません。

このままいってくれたら、ガソリンがもっと下がってくれていいと思うのですが・・・。

これから明日にかけて雨です。
今午後4時過ぎですが、
今雨雲が西からNJに入ってきました。

post JOYJOY syndromeですが、

昨日聞いた話では、ある隊員は、自然とJOYJOYTシャツに手が伸びて、
仕事に着ていきそうになったそうです。No. 5の症状が出ているケースは初めてでした。

他に・・・


・家の中で走り回っている子供がいると、
「ジャングルの中で走りってはいけない!」と叫んでしまう。

・食事の時に、「ごーはんだ、ごはんだ、さあ、たべよう」と歌わないで
ご飯を食べることに罪悪感を感じてしまう。


・・・などの症状が出ている隊員がいるようです。


お大事に。

昨日の聖書です。
昨日はマルコによる福音書13章を読みました。
そこには世の終わりに起ることが預言されています。

その中に、クリスチャンが迫害されることも出てきます。
その時の心構えについてイエスがいわれている言葉です。

11節です。

「彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」

「示されること」

自分で「うーん、うーん」と悩んで、考えて出てくる言葉ではなくて、
神様が示してくださること、聖霊様が示してくださること。

あのペンテコステの時のペテロの言葉なんかそうでしょうね。
使徒行伝の2章に出てきます。

私も日曜日のために、このような言葉を与えて頂きたいと思いました。
自分で悩んで、考えて、作り出した言葉ではなくて、
神様が示してくださる言葉。
そのような言葉を語る者とならせて頂きたいです。

主よ、
御言葉を与えて下さい。
聖霊によって示して下さい。
あなたの与えて下さる言葉を語る者としてくださいますように。
日曜日のために、私に言葉を示してください。
また前に立った時、
あなたが私に言葉を与えて下さい。
あなたを信頼します。

遅くなったので・・・

先ほどまで集会でしたので、
更新は明日ゆっくりと・・・。

おやすみなさい。

2006-08-17

すべてを捧げる

今日も快適です。
昼間はちょっと暑いかなあ、と思い温度計を見ると30度くらい。
でも、朝は20度を切ります。
明日も、あさってもいい天気みたいです。
土曜日の夜には雨が降る、と天気予報は言っています。

今日、お借りしている教会の牧師さんとお会いして、
ちょっとお話をするチャンスがありました。
いつもは、そのまま、「じゃ」と別れるのですが、
今日は、「一緒に祈ろう」と先生が言ってくださいました。
考えてみたら、こんな風にその牧師さんと祈るのも初めてだと思います。
先生も闘いを覚えて、心に痛みを感じておられることがあって、
それをお話ししてくださって、共に祈りました。

このようなことがもっともっと必要なんじゃないか、と、そう思いました。

自分が英語で祈ることには慣れていないので、
自分の方から「祈りましょうか」とはなかなか言えないし、
こっちの方が若いし、お借りしている立場なので、
なかなかそのような雰囲気には成らないのですが、
今日は先生の方から声をかけてくださったので、本当によかったと思います。

私も教会の方々にもっともっと、「じゃ、祈りましょうか」と声をかけなければいけませんね。
たまには、「え、どうして?」って顔をする方もおられるでしょうが、そんなことを気にしてはいけませんね。
祈りましょう。
そして、私に突然、「祈りましょう」と声をかけられても、
「何かあったの?」「え、どうして?」みたいな顔をしないで下さい。よろしく。

明日は祈り会です。

多くの方々が来られますように。

今日はマルコによる福音書12章。
まだ、結論は出ていないのですが、考えさせられたことを一つ。
最後の44節。
ここでは、多くの人が神殿に献金をしています。
その中で、一人の未亡人が小さなコインを一つだけ献金しています。
それを見て、イエスは、「彼女が他の誰よりもたくさん捧げた」と言います。
そして、44節では、「この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」と言われています。

この人はこの後、どうしたんだろうか、と思いました。

だって、生活費の最後の一枚のコイン。
そして、未亡人で、誰もあてにはできない。

神様への信頼ってこういうことなのかと思わされました。

良く、日本の尊敬する婦人伝道者が言っておられました。
「エリヤの神は今も生きておられる。エリヤのカラスは今もいる」と。
エリヤという預言者は、ある時はカラスが持ってくる食べ物を食べていた、と聖書には書かれています。

その信仰が自分にはあるだろうか?
いや他に頼るものばっかりたくさん作って、
神様を本気で頼っていないのではないだろうか?

人、お金、経験、才能・・・。

本当にハングリーになって、
どうにもならなくなって、
祈らないではいられない、という状況は、最近自分にあっただろうか?

そんなことを思わされています。

未亡人になって、
最後の一枚までささげたら、
そりゃ神様しか頼れないですよね。

神様、
あなたが豊かに与えて下さっていることに感謝します。
たくさんの人々。
そう、あんなに一生懸命に奉仕して下さる教会のメンバーに恵まれて、
なんて幸せなんだろうと思います。
お金。
そう、財布の中に、銀行にたくさんではなくても、とにかく「ある」ことに感謝します。
明日の食事、どうしようか、
ではないですから・・・。
健康が与えられて、また働けることを感謝します。
家族を感謝します。

でも、そんなたくさんのものが与えられているなかで、
本当にあなたの前に出て真剣に祈る時、
あなたに必死になって「私を祝福して下さい」と言う時があるでしょうか?

主よ、どうか私があなたに近くなるために
必要な導きを与えて下さい。
それが時には、喜ばしいものではないとしても・・・。

主よ、あなたを信頼することを教えて下さい。

2006-08-16

信じて祈る

このところ、めっきり涼しくなりました。
さすがに12度、13度ということは、何度もありませんが、
朝は20度を切るようになってきました。
朝晩は本当に爽やかです。

秋はもうそこまで来ています。

9月の予想は平年並み、ということで、
いい季節になりそうです。

でも、自分は11日から日本だった!

慌てて日本の予報をチェック。
「平年並みか高め」
結構暑く感じるんだろうなあ。

でも、去年まで3年間、梅雨時に行っていましたから、
今年はカラッとしているだけでも助かるでしょう。きっと。

何で天気予報が好きになったのか?
よくわかりません。

本当に好きになったら、きっと「ここが好き」とか言えないのでしょう。


自分が子供の頃は朝と夕方の6時55分からNHKで天気予報をやっていました。
今みたいなコンピューターグラフィックではなくて、
天気図の前におっさんが立って、
その天気図に磁石(多分そう。確認したことはないけど)の付いた「低気圧マーク」(まるい「低」の時の付いたやつ)や「高気圧マーク」「晴れマーク」「晴れ時々曇りマーク」などをペタッ、ペタッと張っていってました。
うちはカラーテレビが入るのがめっちゃおそかったので、
「低」が赤で、「高」が青であるのを知ったのはずいぶん後です。

そして、子供の頃、うちでは、朝6時半から「朝のお祈り」の時間でした。
そんな時、誰かが長いお祈りをして、6時55分を過ぎたりすると、
泣いたものです。

結婚して間もない頃、
カミさんの話をフンフンと聞きながら、
時間になったから、
「あ、ちょっと待って・・・」と言って、テレビをつけて、天気予報を見ていたら、
さすがに怒られました。ん、呆れられたんだったかな。

今はWeather Channelやインターネットがあるので、
時間を気にしなくなりました。


ちょっと寂しい気もします・・・。


で、聖書。いよいよ今日の分です。
今日はマルコによる福音書11章を読みました。

24節の言葉が心に語られました。

「祈って求めるものはすでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

春からのいろいろな働きがこのファミリーキャンプで一段落するなかで、
会堂のことをまた真剣に祈り、求める時に来ているように思います。
会堂のことを考えると、人間業では何も進まないと思います。
神様が導いてくださって、神様が道を開いてくださることによって、
初めて可能になると思います。

だから、祈って求めようと思います。
神様が与えて下さいますように、
一切の必要を満たして下さいますように。
思いっきり伝道出来るところを与えて下さいますように。
日本語を使う方々のコミュニティーセンターの様な用いられ方をする教会を与えて下さいますように。

主が大きなことをして下さいますように、
そして主を信じて、信頼して歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか私たちに会堂を与えて下さい。
一切の必要を満たして下さい。
どうか、私たちを一つにし、
大胆に伝道出来るように導いて下さい。
あなたが与えて下さることを信じます。

百倍返しの神

昨日のメールの嵐のことを考えると不気味なくらい静かな一日です。
一段落したのでしょうか?嵐の前の静けさでしょうか?
与えられた時に感謝して、進んでいきたいと思います。


JOYJOYキャンプの後遺症に悩む方が増えています。


JOYJOYキャンプに参加した子ども達や、スタッフに多発しています。
まれに子ども達の父兄にも出現することがあります。


スタッフの場合、以下のような症状が特徴です。

1. 仕事の途中、または食事の途中などに、ぼーっとJOYJOY Campのことを思い出してしまう。

2. 気が付くとJOYJOY Campのテーマソングを歌っている(クリックすると音楽が流れます、仕事中の方注意)。「さあ、勇気を出して、ぐるぐる探検隊!」あたりのフレーズが良く出てくる。(症状が重い場合は体が勝手に動くこともあります)


3.仕事をしながら、「何でこんなことをしているのだろうか」と思ってしまう。仕事に対する情熱が失せてしまっていることに気が付く。

4. 学校や仕事に「行きたくない、JOYJOYキャンプに行く」とごねる。家を出ても、運転をしていると自然に教会に向かってしまう。

5.朝起きたら、いつの間にかJOYJOYキャンプTシャツを着ている。

6.トイレットペーパーやキッチンペーパーを使い切っても、「JOYJOYで使うかも・・・」と思って、芯を捨てられない。

7.町を車で走っていて、大きな段ボール箱を見つけると、「迷路に使える!」と止まって車に積みそうになる。

8.互いのことを「カツオ」「しもりん」「隊長」としか呼べなくなっている。どうしても本名を思い出せない。

9.ついつい子ども達を驚かせることを考えている自分に気が付く。


わたしの場合は1,2,6,7,8,9が出てきています。
3と4は、仕事が教会の仕事なので、判別ができません。もしかしたら症状が出ているのかもしれません。
幸い、さすがに、まだ5だけは経験したことがありません。



時間と共に症状は緩和していきます。
でも、まれに、時間と共に症状が強くなる場合もあります。

そのような場合は、神様の導きと信じて、
仕事を辞めて、JOYJOYキャンプのフルタイムのスタッフになるか(今のところ、そのようなポジションはありませんが、そのうちできるかもですね)、
毎月のJOYJOYキッズクラブに来るか、

ですね。

スティーブ・ジョブスが
2005年のスタンフォード大学の卒業式で言った言葉です。

「『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?』。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。」

聖書の言葉ではありませんが、
神様が与えて下さる使命感、そこに伴う喜び、そのようなことを考えてみると、正しい判断の仕方なのかなあ、と思います。もちろん、私たちにはそこに、「祈り」が入るわけですが・・・。

昨日、8月15日(火)の聖書です。
昨日はマルコによる福音書10章を読みました。

心に留ったところ、夫婦のことを言っている1?12節からも語られたのですが、
それはあまりにパーソナルなことなので、置いておいて、

30節の、「百倍を受ける」という言葉に心が留りました。

私たちが主のために手放したもの、
その100倍を主は与えて下さる、という約束です。
100倍ですか。
すごいです。
でも、もっとすごいんでしょう。
主が与えてくださるものですから。

そして、それはこの時代にも、
この地上の生涯でも与えられるものだといいます。

もっともっと主に期待していいんですね。
私たちは神様に対してもあんまり期待しないことが多いのではないかと思います。
「あなたの口を広く開けよ」と主は言われました。
大胆に、大きな神様に期待したいと思いました。

主よ、
あなたが与えてくださるものがどれほど大きなものかを教えてくださってありがとうございます。
わたしはあなたに大きく期待します。
どうかわたしの大きな口をあなたの恵みで、いっぱいに満たしてください。
あなたの御業を見せてください。
いつもいつも必要を満たしてください。

2006-08-15

水一杯でも

昨日は夜NYから帰ってきたらヘロヘロでした。
ちょうど家を出る直前に、ヒラメを頂いて、
その後どうしたのかなあ、と思って帰ってきたら、
ちゃんと料理になって待っていました。
うまかったです。

いつか自分で釣りたいなあ、と思っています。ヒラメ。
NJの南の方から船が出ているようです。
今までのなかでいちばん「食べられる」釣果は、小アジ数十匹。
今から20年くらい前、
夏の終わりに牧師の訓練学校の休みが数日あって、
伊豆の新島の牧師さんのところに遊びに行った時でした。

島の埠頭に小アジが集まってきていました。
季節的に最高だったみたいです。
おもしろいように釣れました。
その牧師さんの家の子ども達が小学生で、一緒になって、ガンガン釣りました。
食べきれないほどの小アジ。
でも、とてもおいしかった記憶があります。

つい最近の様なつもりなんですが、
今までの人生の真ん中くらいの出来事なんですね。

結婚してからというもの、ろくに釣れたことがありません。
ですから、全然あてにされないです。

サバも行きたいなあ、と思います。あれって、期間が短いんですよね。
知っている方、教えて下さい。

昨日、月曜日、8月14日はマルコによる福音書9章を読みました。
41節のイエスの言葉が心に残りました。
「あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません」

すごいありがたい言葉ですね。
私たちが出会う一人一人に神様の祝福があるということですね。

時々、「イエスを信じることなく、なくなっていったあの祖母は、どうなるのでしょうか?」と質問を受けることがあります。
もちろん、私たちは「イエスの十字架にのみ救いがある」と信じていますし、それを個人的に受け取ることが大切だと信じています。
でも、この言葉を見ると、神さまは、私たちのことを大切にしてくれた人たち、一人一人のことを決して忘れてはおられない、とわかります。
そして、希望を持つことができます。
もちろん、私たちの使命は、今生きている、周りにいる方々に福音を語ることです。
神の愛を語ることです。
そちらの方にもっともっと力を注ぐべきです。
でも、そのために、もう先に行った方々のことを主に御手にゆだねることができるのは、大きな感謝です。

主よ、
あなたがわたしのことを心にかけて下さって、
それだけではなくて、
わたしにとって大切な方々、一人一人のことをも
心にかけて下さっていること、
心から感謝します。
どうか、私たちが今、私たちの周りに与えられている方々に、
あなたの愛を大胆に語っていくことができるように、助けて下さい。

きょうはここまで、明日こそ、追いつきたいと思います。

福音を恥としない

今日こそ、追いつこうと思っていたのですが、
たまっていたファミリーキャンプの仕事をやっていたら、
あっという間に一日が過ぎてしまいました。
340人くらいの方々が集まる予定のこのキャンプ、
ワシントンからボストンまでの日本語教会の合同企画です。

電話しまくり。
受けたのとかけたの合わせて30本以上。
メールも受けたのと出したの合わせて、70本近く。

まあ、直前にならないとやらない人間ですから・・・私。

ここで、またメールが70本を超える・・・。

きゅうり・・・「もう終わり」宣言を何回したでしょうか?
でも、この3日で、13本穫れました。
一本あたり平均が46本まで来ました。
ここまで来たら、3株で150本も夢じゃない。

あと、今日はピーマン5個穫れました。
一人一個ずつ、焼いて食べました。
ピーマンは「洗わないで」「丸まま」焼くのが一番おいしい、と思います。

「洗っちゃダメ」・・・板前さんに聞いた話。

では、日曜日、8月13日の聖書。
マルコによる福音書8章を読みました。
最後の38節の言葉、
「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしの言葉を恥じるような者なら・・・」
という言葉が心に留りました。

イエスの時代も「姦淫と罪の時代」と呼ばれていたのですね。

私たちの時代もそうでしょう。
テレビを見ても、映画を見ても、
「なんだこりゃ」みたいな話があります。
途中までいい番組だと思ってみていても、
そんな場面が出てきたらがっかりです。

そのような時代のなかで、福音を恥としない、
クリスチャンの生き方を恥としない、
そのような堂々とした生き方を主は求めておられると感じました。

イエスが存在をかけて、
命を張って語ってくださり、与えて下さった福音、救い、
それを恥じるわけがない、と思います。

堂々と、福音を語り、
救われた者として、感謝しながら歩んでいきたいと思いました。

そして、特に若い人々に、そのように生きて欲しいと思いました。

主よ、
わたしも福音を恥としません。
自分の姿は恥ずかしくなることがあります。
それでも牧師か、とか、それでもクリスチャンか、という声が、
自分の外からも、自分の中からも聞こえてくるように感じます。
でも、福音は恥になり得ません。
誇りです。
自慢です。
神様が愛して下さったこと、
そのすばらしさ、大きさに感謝します。
どうか、もっともっとそのすばらしさに目が開かれていくように、
導いて下さい。

2006-08-14

パンくずでも・・・

今朝は涼しかったのですが、
昼間は暑くなってきました。
今夜から明日の朝にかけて雷雨かもしれません。

雨雲はただいま(夕方5時頃)オハイオからペンシルベニアに入ったところ。

先週の木曜日の夕方に降っただけですから、ちょっと降って欲しいところです。

何週間ぶりかの「休日」と思ったのですが、
朝からいろんなたまっていた連絡+今晩のNY-VIPの準備のために、
返上です。
でも、昨日までに比べれば、休日みたいなもんです。
6時頃にNYに出発です。

今年初挑戦のトウモロコシ・・・大失敗でした。
全然ダメ。
ちょっと悔しい。

土か日照か?または、飢えたばかりの頃にリスにほじくり返されたからか。

とにかく写真にもできないくらい惨めなヤツが5,6本。
実がならない株もありました。

できたヤツは味は良かったんですがねえ。
いくつかはJOYJOYキャンプのおかげで収穫が延び延びになっていて、
気が付いたら、もう固くなっていました。

来年はちょっとだけ気合いを入れようかと思います。

8月12日、土曜日に読んだのはマルコによる福音書7章。
24節からのところで、イエスが娘を癒やしてくれと言うツロ・フェニキアの女の人に、
「子ども達のパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
と言われた時に、
「でも、小犬でも、子ども達のパンくずを頂きます。」
と答えた言葉が心をとられました。

この女の人はイエスの力の「パンくず」でも、娘は癒やされると信じていた。

ホンのかけらでも、
ほんの少しでも、
食べこぼしのようなものでも、

娘を癒やす力がある、と信じていました。

自分はどうだろうかと思わされました。

自分は本気で神様の大きな力、イエスの大いなる力を信じているだろうかと思いました。

そして、パンくずほどでも、イエスの力が注がれたら、大きな御業がなされる、
それを感謝しました。

そして、私たちに与えられているのは、
イエスご自身、パンくずどころではなくて、
イエスの存在そのものであることを思い出した時に、
感謝が溢れてきました。

主よ、
感謝します。
パンくずほどのものでも、
あなたの力は人を癒やす力があります。
あなたはそれどころではなくて、
あなたの存在すべてを私に与えて下さる方であることを、
心から感謝します。
あなたが私の人生にもっともっと大きなことをして下さいますように。

2006-08-13

羊へのあわれみ

またまた涼しい夜です。
本当に過ごしやすくなりました。
これくらいの気温の日がもう少し続いてくれたら・・・と思います。

明日からもう少し暑くなるようです。

今日はとてもすばらしい日曜日になりました。
JOYJOYキャンプの子ども達も結構来てくれました。
そして、お父さん、お母さん達と一緒にずっと礼拝後まで残ってくれました。
とてもうれしかったです。
どうか、続けて教会に来られる方々が起こされますように。

今日は早く休もうと思ったのですが、
その前にもう一日分追いついておきたくて、
更新。

8月11日(金)にはマルコによる福音書6章を読みました。
その中で、34節の言葉が心に留りました。

「彼らが羊飼いのない羊のようであるのを深く憐れみ・・・」

イエスの憐れみが私にも向けられていることを感じました。

この日に娘が12歳になりました。
神様の守りに感謝。

そして、この日でJOYJOYキャンプが無事に終わりました。
そのことも神様に大感謝。

そして、私も牧師として、教会の方々を牧会することの大切さを思わされました。
主が助けて下さいますように。

神様、
感謝します。
あなたが私たちの羊飼いであって下さって、
私たちを憐れんでくださっていることを。
そして、私も羊飼いの使命をいただいていると思います。
どうかこの働きに忠実であらせてください。

主がどんなに大きなことをしてくださったか

今朝も気がついたら6時前。
まあ、今日は日曜日。
早く目が覚めるのは気持ちがいい。
そしてゆっくり礼拝に備えられる。

今日はJOYJOY Sunday!
たくさん子ども達やご両親が来られるかな?

今朝の最低気温は11.8度。

秋の朝でした。

今夜はずっと北の方では霜が降りるかも・・・だそうです。
去年の8月の末にはあっちの方でテント張って一泊キャンプしたよなあ。

昨日、カミさんが話してくれた話。
金曜日、買い物に行ったら、
若いお姉ちゃんが腕に入れ墨を入れていたと。

最近、多いんですよね、こっち。
それにやたら「漢字」を入れている人がいる。

そして、そのお姉ちゃんの腕に入っていたのが、


「牛」


だったそうで・・・。

日本ではあり得ませんよね。

私が思うに、このお姉ちゃん、次の三つの中の一つでしょう。

1.テキサス出身で 元カウボーイならぬCowgirlだった。代替案「牛少女」

2. シカゴ・ブルズかバッファロー・ビルズか、オリックス・バファローズあたりの熱狂的ファンで、
「漢字でどう書くの?」って友達にきいたら、友達は「牛」という漢字を教えてくれた。
これは、「熱烈応援猛牛」とすべきですね。

3. うし年生まれ。でも、もしそこまで調べるんだったら、もう一歩がんばって「丑」とすべきだったでしょう。

でも、僕らも英語で、きっと同じような滑稽なことをしているのでしょう。


先週の木曜日、8月10日は、マルコによる福音書5章を読みました。
イエスが悪霊につかれていた人を、悪霊から解放した時に、
正気に戻ったその人が、イエスのお供をしたい、と言い出しました。
その時のイエスの言葉が心に留りました。

「家族の元に帰って、主があなたにどんなに大きなことをして下さったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい」

神様が私の人生にどれほど大きなことをして下さったか、
それを思うと本当に感謝が溢れる。
あのまま、やたらプライドの高い、偽善者をしていたかと思うとぞっとする。
その私を主は捕らえて下さった。
そして、主に愛されていることを感謝することを教えられた。

「自分はいい線行っている」と思っていた。
でも、主はそんな私の醜さを教えて下さった。

そして、そんな私をも愛して下さっていることを教えて下さった。

主よ、
感謝します。
あなたがどんなに私を愛して下さっているかをもう一度教えて下さって、
心から感謝します。
あなたの愛を、あなたの救いをもっともっと大胆に、もっともっと多くの方々に、
伝えることができますように。どうかわたしを用いて下さい。出会いを与えて下さい。

2006-08-12

静まれ!

6時頃のセクションの続き・・・。

返品OKメンタリティーがしっかり身に付いたかきごおり家は、
いろんなものを返品してきました。
ほとんどは開封しないで「やっぱり不要」。
サイズが合わないから(洋服じゃないですよ、最近あったのはエアコン用のフィルター・・・調べてから買えよ)。
あっちの店の方が安かった・・・(差額に10パーセントくらい付けて返金してくれるところもありますよね)。
去年の今頃はアラバマのWalmartで(あっちは本場なので、あっちこっちにある。10ブロックに一軒くらい。ちょっと大げさ、でもたぶんそれに近い)、カメラを買って、ちょっと使って、調子悪くなったので、「すぐ壊れた」と返品。それも事情があって、買った店と違う店に行ったのですが、相手にしてくれました。

たまに、大胆な返品もします。

伝説となっているのは
「まずかったスイカ」

こちらはカミさんがアトランタ時代に作った武勇伝。

1994年春ごろ、親友のつわり対策に、貧乏留学生が奮発して買った
ちょっと季節はずれの種なしスイカ。

まずい。

味がない。

とにかくひどかった。

「どうしてこの季節に種なしスイカ買ったの?」

味見をしたわたくしのあまりの酷評に、カミさん、怒りの矛先を「売っていた店」に向けた。

そして、見事に返金してもらって、意気揚々と帰ってきた。

今のガソリン代だったら、行く方がお金がかかりそうだが、
そのころ、1ガロン80セントくらい。自分のアメリカ生活の中で一番ガソリンが安かった頃。
円相場も1ドル=80円台。
つまり3.6リットルのガソリンが70円くらいで買えた頃。たしか・・・。


どうやって言ったの?と聞いたらのたまわった。
"This is like a Daikon, Please Give me refund"
つわもの・・・。

半分だけしか持っていかなかったので(残り半分は味見して、捨てた、確か・・・)
「残り半分はどうした?」といちゃもんをつけられたらしいが、
その後もいろいろ言ったので、(「自分で食べてみろ」とか言ったつもりらしい、英語で)、相手がめんどくさくなって、
結局全額返してもらったらしい。

後にも先にも、途中まで食べたものが「腐っている」じゃなくて「まずい」という理由だけで、
返品がきいたのは、これだけだったと思う。たぶん。

でも、さすがに、人にきく、
「パーティー用のドレス」「靴」「大型テレビ」「ビデオ」
を必要な時だけ買って、終わったら返品する、
という図々しさはありません。

やっぱねえ、さすがにそれはずるいでしょうって。

で、本題の聖書。
マルコによる福音書4章を読んだのは8月9日(水)でした。

JOYJOYキャンプ中日、先が見えてきて、疲れのピークは過ぎ、
でも、「ああ、そろそろスライドショーの準備を始めなければ・・・」と思っていた頃。

心に留ったのは、39節のイエスの言葉です。
「静まれ、黙れ」

これはイエスが嵐に向かって言われた言葉です。
イエスがこのように言われると嵐はやんだと書かれています。

もちろん、私はこれを自分の問題としては、
心の嵐のこと、心のさざ波のことに重ね合わせて受け取りました。

心が乱れる時があります。
いろんな思い煩いにとりつかれたり、
人の言葉に苦しんだり、不安を感じたり、
そんなこともあります。

そんな時に、イエスに「静まれ、黙れ」と言って頂くことができる幸いを感じました。

主は私の心を静めてくださるお方。
このお方が共にいて下さることが私の力です。

主よ、
あなたが「静まれ、黙れ」と言われた時に、
ガリラヤ湖は静まりました。
私の心もそうです。
いろんな嵐や波が荒れ狂う時に、
あなたが語ってください。
あなたが触れてください。
平安を与えて下さい。

そばに置かれる喜び

午後の1時頃に続いて、
この前の更新を送った頃、3時半頃かな、
今日3回目の睡魔が襲ってきて、
ウトウトしていました。

今日中に追いつくのはきついかもしれません。

朝のうちに、JOYJOYキャンプのために買ったものの中から、
使わなかったものを少し返品してきました。
私がHom* Depo* で買った物と同じものを、
他の方がCostc*で買ってきてくださっていて、
そっちの方が半額くらいだったからです。

もちろん、ものによって、Costc*よりも安いものもあるのでしょうが・・・。

簡単に返せました。


日本じゃあんまりないですよね。
できても、「しょうがないですねえ。今回はお引き取りしますが、今後はもっとちゃんとよく見て買ってください・・・」みたいな、感じですよね。少なくとも15年前は。

アメリカは返品文化です。

その昔、私がまだアトランタにいた頃、
車のワイパーをTargetで勝ったのですが、
ちゃんと調べていなかったので、
2つ買ったワイパー、合いませんでした。(普通、調べるよね)

そこで、初「返品」。

なんて言い訳しようかと一生懸命考えながら列に並んでいました。
もちろん、開けてしまった一つの方はあきらめて、
開封前の一つだけ持って・・・。

ドキドキ。

「あのー、これカミさんが間違えて買っちゃって・・・」(←ウソ)
「もう一つは?」
「え?」(←まさか、ウソを見破られたか?と焦りながら・・・)
「レシートに2つ買ったって書いてあるよ」
「あ、開けてみて、つけようと思ったら合わなかったから・・・」(←急に正直になる)
「どこにあるの?」
「え、車の中に・・・」(←ウソを見破られた子供の気持ち。すべてを話さないといけないなあと思っている)
「持ってきなさい」
「って開けてあるよ」(←英語が伝わらなかったかとちょっと不安を感じながら・・・)
「返金して欲しいんでしょ?持ってきてよ。」
「うん!」(←もう、完璧子供になっていた。)

それまでK*art派だった私が、この出来事の後、Target派に乗り換えたこと、は言うまでもありません。お店の人の態度一つで、サービス一つで、お店の売り上げが大きく変わることを、知って欲しいです。ま、

NJに来た頃、Targetがなくて、がっかりしたこと、
最近できて、うれしかったこと、
行ってみたら、たいしたことなくて、「いつの間にか記憶の中で美化していた」こと、
付け加えておきます。

それからです、我が家に「返品しよっか・・・」メンタリティーが根付いたのは・・・。

つづく・・・

続いて8月8日(火)の聖書。
マルコによる福音書3章を読みました。
イエスが弟子たちを選んだ時、その目的の言葉に心が留りました。

「彼らをみそばに置くため」

イエスの弟子とされた者たちは、
イエスのそばに歩むことを許された者たち。
私もそうなのだと感謝しました。

私たちが、何かをしなければ・・・と始める前に、
まず、イエスのそばに歩ませて頂ける。
イエスと共に歩み、どれほど愛されているのか、
どれほど細やかに私たちのことを心にかけてくださっているのか、
知ることができる、
その恵みを感じました。

イエスさま、
あなたが、私にもお声をかけてくださって、
あなたの弟子としてくださったことに心から感謝します。
それも、まず、みそば近く歩ませて頂けることに心から感謝します。
どうか、あなたのことをもっともっと深く知ることができますように、
あなたの愛をもっともっと知ることができるように、
私に教えてください。

たやすくない救い

一週間、ぼちぼち、野菜の収穫をしていましたが、
きゅうりはまあ、終わりました。

まだ明日以降も何本か穫れるとは思うのですが、
だいぶ枯れてきて、新芽も勢いがありません。
10日前には40度くらいまで上がって、
今朝は13度ですからね。

3株で125本。
一株あたり42本くらい穫れたことになります。
大成功!

インゲンも、忙しい時には捜していられないので、
おばけインゲンがどんどん成っていきます。
今朝は特大サイズばかり23本。
こちらは数えたのだけで、400本を超えました。

ナスはできはじめるとリスが食べます。
ナスの「枝」に登って食うので、
枝が何本も折れました。
まだこれから穫れると思いますが、今のところたった10本。

そして、今朝、遅れていたピーマンを初めて収穫。
うーん、日本のピーマンのサイズを忘れてしまっていますが、
それでも小さいかなあ、と思いつつ、待ちきれずに収穫。

ニュージャージーでは、

秋は駆け足でやってきて、去っていきます。

そして、冬になると

(^^)/

「天気予報の季節」です。

ちょっと気が早い・・・。

で、月曜日の聖書です。

月曜日、8月7日には、
マルコによる福音書2章を読みました。

9節の
「中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」
というイエスの言葉が心に留りました。

「やさしい」という日本語には
「優しい」・・・kind
「易しい」・・・easy
の二つの意味がありますが、この場合、easyの方です。

聞く側にとって、どちらが優しい言葉か、

ではなくて、

語る側にとって、どちらが気軽に語ることができるか?

です。

ですから、答えは「起きて、床を取り上げて歩け」

です。

「あなたの罪は赦された」の方が、
難しい、というか、イエスにとっては難しかったはずです。

神の子キリストにとっては、人の病を癒やすことは存在をかけることではありませんでした。
その御力をもってできることでした。
でも、人の罪を赦すことは、
イエスにとって、自分のいのちをあの十字架の上に投げ出すことが必要だったのです。

そこまでして、私たちの罪を赦そうとしたイエスの熱い思いを感じました。

私も熱い思いでその福音を語っていく使命を思わされています。

主よ、
あなたの熱い思い、
たやすくない、易しくない、存在をかけた言葉を語ってくださったあなたのゆえに感謝します。
どうか、私も、あなたのその思いを受けて、
あなたの愛に満たされて、
熱い思いで出ていく者としてください。

福音を伝えるために

下の方のコメント欄にも書いたのですが、
昨日は11時半頃かな、「明日の朝はちょっと寝坊しよう!」と思いながら、床につきました。
で、気がついたら6時過ぎ。

うーん、オヤジさん体質になってきたのか、
朝、やたらばっちり目が覚めます。

ていうか、起きなきゃいけない時は眠い目をこすりながら起きるのですが、
ちょっと寝坊OKの日にも寝ていられない、という感じになってしまいました。

庭に出てみたら、

ブルッ

温度計を見たら13度でした。

そして、その後一人一人ぽつぽつ起き出して、

10時半頃に大本命、低血圧のD君が起きてきました。

D君、家族から離れて生活していて、
寮が閉まっている時期に、
時々泊まりに来てくれる、我が家の人気者です。

「ターザン」ならぬ「ダーサン」をキャンプ中は演じてくれました。
お疲れ様。

それではたまっていた「新約聖書一日一章」、追いつくためにダッシュのスタートです。

8月6日(日)に読んだのは、
マルコによる福音書1章でした。
その中で心に留ったのは、
38節のイエスの言葉。

「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」

「そのために出て来た」

ちょうど翌日から始まるJOYJOYキャンプに重ね合わせて読みました。

私たちは楽しいキャンプをやりたい、
子ども達の思い出に残る働きをしたい、

そう思いながら、キャンプをしている。

でも、もっと本当の目的は、この「福音を伝える」ということなのだ、

ということをもう一度確認しました。

自分たちも楽しくなきゃダメだ、
子ども達をいっぱい楽しませたい、

でも、それだけで終わらない、
神様の愛が伝わっていく、子ども達の心に伝わっていく、

その祈りをもっと熱くしたいと思いました。

主よ、
JOYJOYキャンプが無事終わりました。
子ども達の心に何が残っているでしょうか?
楽しい思い出がたくさんできたでしょうか?
でも、それだけではなくて、私たちは祈ってきました。
これからも祈ります。
どうか、子ども達の心にあなたの愛が、あなたの福音が届きますように、
そのメッセージが残りますように、
芽を出し、実を結びますように。

2006-08-11

JOYJOYキャンプ無事終了

今日で、JOYJOYキャンプが無事終わりました。
ちょっと寂しいような気もします。
でも、「終わった!」という充実感もあります。

楽しい思い出と、
また教会行きたいな、という気持ちと、
聖書の言葉、
神様に愛されている実感、

子ども達の心の内に残ったらいいな、と思います。

最終日、最後の一時間、家族を招いて、
子ども達の様子を知らせる「発表会、表彰式」を持っていますが、
その中で上映するキャンプ中の写真のスライドショー、
昨日、順調に準備して、15分くらいのものを準備して、
夜の12時頃、DVDに焼くために、エンコードを始めたのですが、
それをコンピューターに任せて、寝たのですが、
朝4時頃に起きて「どうかなあ?」と見たら、
なんと愛用のノートブック君は途中でリスタートした模様。

焦ったのなんのって、
いろいろ試してみましたが、
どれもうまくいかずに、
最後に朝6時にいちかばちか、再度エンコードに挑戦。
それが終わったのが昼頃、
キャンプを抜け出して、家に帰って、DVDに焼いて、教会に戻って、
無事、上映することができました。

でも、その中で、一回は上映をあきらめかけました。
そして、もしも、それが神様のなさることならば、
スライドショーがなくても、エンディングのプログラムを祝福して下さる、
そういう確信が与えられました。

大切なことは何か、一番大切なことは何か、いろいろ考えさせられる朝でした。

何よりも、子ども達の心に、聖書の御言葉が残ることを祈っています。

明日、まとめていろいろ更新!

じゃ。

2006-08-09

JOYJOY3日目まで終わりました!

ふー。

半分以上終わってしまいました。

あと2日です。

みんな調子出てきましたねえ。いい意味でも、?な意味でも。

神様に愛されていること、そして、人々を愛する使命を頂いていること、
何とか子ども達に伝わるようにと願っていますが、
時々、「どこまでわかっているのかなあ」と不安になりますし
また「ああ、ここまで伝わっていたのか」と驚くこともあります。

楽しい中に、神様のことを伝えることができればと思います。

あと最終日のスライドショーの準備+日曜日の説教の準備を今晩中にスタートです。

何か今夜は眠くならないで、調子がいいので、もうひとがんばりです。

3日目のニュースレター

天気は涼しくてよいです。
今夜も気持ちよい風が窓から入ってきます。

この調子で涼しい日が続いて欲しいものです。

2006-08-08

JOYJOY2日目が終わりました

今日は昨日よりはずっと過ごしやすい日です。
JOYJOYキャンプの2日目が終わりました。

みんな乗ってきているなあ、と思います。

だからこそ、子ども達の安全に細心の注意を・・・と思っています。

2日目のニュースレターはこちら

今日は本当に早く休んで、
明日の朝早く起きたいと思いますが、どうなることやら・・・。


JOYJOY2日目の朝です。

昨日の夜も暑かったですね。
でも、今朝は爽やか。
今日は昨日に比べるとぐっと湿度が下がって、
ずいぶん楽になりそうです。

JOYJOYキャンプ初日の様子、皆さんに配ったニュースレターで。

今日こそ遅くとも7時頃には帰ってきたいですね。
目標6時!


2006-08-07

とは思ったものの

その後、夕飯を食ったら、
いやあ、やっぱり睡魔が襲ってきました。
何とか寝る前にシャワーを取りましたが・・・
やっぱり、更新なしに寝ます。

聖書も続けて読んでいるし、
JOYJOYの様子を書きたいところもあるのですが、
この一週間はJOYJOYの子ども達が第一ですので・・・。

明日の朝、早く目が覚めたら、何か書くかも・・・。

でも、狼オヤジになるのはいやなので、わかりません、と言っておきましょう。

今夜は後で更新

昨日はJOYJOYキャンプの準備で
帰ってきたのが10時半頃+今日のお話の準備
でしたので、予告通り(?)更新はお休み。

でも、今日は8時過ぎには帰ってきましたので、
日付が変わる前に更新出来るかな?です。

いやあ、今年もいいキャンプになりそうです。

2006-08-05

いつも共にいて下さるイエス

今日の朝は爽やかでした。
でも昼間はそれなりに暑かったです。
でもまた夜は爽やかです。

明日はもう少し湿度が上がるようです。
そして月曜日は湿度が上がり、その後雷雨と共に涼しくなる、
と予報が出ています。
JOYJOYキャンプが始まりますから、
本当にいい天気であって欲しいものです。

今日は朝の祈り会があって、
その後10時から夜の8時までJOYJOYキャンプの準備でした。
いよいよです。
今日一日でだいぶ進みました。
明日の礼拝後仕上げて、
月曜日65名の元気な子達を迎えます。
だから、今日はゆっくり休みます。

今年のテーマは「ジャングルぐるぐる探検隊」
テーマソングもできて、
教会のジムもジャングルになって、
気分が盛り上がってきました。

今日はマタイによる福音書28章。
マタイによる福音書の最後まで読みました。
イエスの復活の記事です。
復活のイエスが弟子たちに語る言葉の最後が心に留りました。
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」
28章20節の言葉です。

復活されたイエスは今も私と共にいて下さる。
今も、私と共に歩んで下さる。

あさってからのJOYJOYキャンプのために祈らないではおられません。
何回やっても、始まる前は不安です。
でも、主が共にいて下さる。
主が共にいて下さって、支えて下さる。感謝。

今回のJOYJOYキャンプとも主が共にいて下さって、守って下さるようにと願います。

イエスさま、
あなたが私たちと共にて下さること、感謝します。
JOYJOYキャンプとともいて下さる、という約束を感謝します。
どうか私の歩みを支えて下さい。
キャンプを大きく祝福して下さいますように。
そしてこのキャンプを通して、続けて教会に来られる方が起こされますように。

2006-08-04

バカにされたイエス

今日も暑かったですが、
夕方からずいぶん楽になってきました。
湿度がぐっと下がってきているみたいです。

さて、今日からジョイジョイキャンプモードに入っています。
今日は朝から段ボールの引き取りと公園の使用許可証と買い物で時間が過ぎていってしまいました。
これから、今夜寝るまでの間に日曜日の説教の原稿を担当の方に送らなければいけません。
ちょっと焦っておりますが、神様が与えて下さった時間の中で、助けて下さるでしょう。

明日の朝は6時半からハドソン川のほとりで朝の祈り会です。
きっと気持ちのいい朝になるでしょう。

明日以降、キャンプのため、(毎日通うキャンプなのが救いですが)
もしかしたら、毎日更新は無理かもしれません。
ご了承下さい。

時間が限られていてもどうしても書きたいこと、
うーん、アメリカの役場だよなあ、という出来事。

2週間以上前にキャンプのために公園のフィールドを使う許可を申請しようと
電話を入れておきました。
担当者が留守だったので、メッセージを残したのですが、
1週間経っても返事がない。
それで、先週の頭にもう一回電話。
今度は留守番の人が出て、「伝えるから・・・」ということで、
珍しく、その日のうちに返信あり。
それで、申請書を提出。
これが先週の火曜日。

ユースのキャンプをやっている間に許可証が届いていると期待したのですが、
昨日オフィスに行っても何にもない。
で、役場に足を運びました。
「担当者に聞いたら、許可は出せるみたいだから、明日来て」と言われて、
今日行きました。

そしたら、

窓口の人、ちょっと戸惑った顔。


「ない・・・」



先方も申し訳ないと思ったのか、担当者と連絡を取ってくださいました。
それで、担当者が今、手が離せないから、担当者のいるところまで行くか?と言われ、
こっちもそんなに時間ないんだけどなあ、と思いつつ、
月曜日からのキャンプに必要だったので、
今日しかない、と行きましたよ。


そして、言われたところに行ったら、そこに本当に担当者がおられました。


よかった。


でも、その担当者の方、
慌てて書類を出してのたまわった。


「ほら、見て、7月28日にはサインしたのよ。
でも、忙しくてコピーする時間もなくて・・・
申し訳ないけど、役場に戻ってコピーを取ってもらってくれる?」


ここまで来たら、「お安いご用」ですよね。


月曜日からフィールドを使わせて頂けるなら、何でもしますよ。


でも、ちょっとね。そこまでお願いされるとはびっくり。


役場に戻って説明したら、役場の窓口の方、
アメリカの役場の窓口ではありえないくらい、やたら恐縮しておられました。

でも、めでたしめでたし。この30分を返して欲しかったけど。

って書きながら、でも、それって、
役場の方が約束守らなかったんだから、
誰かがその担当者のところに行って、書類を受け取って、
コピーを取って、渡してくれれば、すむんじゃなかったのかなあ、と思い始めてしまいました。
それで、それを私が走り回ってやっていたかと思うと、
うーん、ちょっと悔しいですねえ。
ガソリン代高騰の折、
エアコンもかけないではいられない暑い日、
ちょっと損した気分ですねえ。



夕方の買い物でもちょっとした手続きのために待たされる待たされる。

この国では日本のせっかちの人は生き残れない。そう思います。

今日はマタイによる福音書27章、イエスの十字架の記事を読みました。
イエスが十字架にかけられたとき、
人々はイエスをバカにし続けました。
それをイエスは黙って耐えられました。
でも、今日はイエスが死なれて墓に葬られた後の、
祭司や学者達のイエスに対する言葉に目が留りました。

「あの、人をだます男」
なんてひどい言葉だろうかと思いました。

私がそんなことを言われていたら、どんなに頭に来るだろうかと思わされました。

そして、日曜日の聖書の言葉が心にもう一度浮かんできました。
「あなたが人々から迫害されたり、バカにされたりする時に、喜び踊りなさい」

自分は果たしてできるだろうか?

本当に侮辱された時に、「喜び踊る」ことができるだろうか?

イエスは本当に私たちのためにそれをして下さった。

そのことに感謝すると共に、
もしも、自分が侮辱された時に、この言葉を思い出すことができればと思わされた。

主よ、
私は何とプライドの高い人間なんでしょうか?
侮辱されたら、怒る人間です。怒らないではいられない人間です。
あなたはわたしのためにどんなにバカにされても、
それを黙って受けられました。
そして、「あなた方もそのような仕打ちを受けることがあるかもしれない」を言われました。
助けて下さい。
私が侮辱される時に、あなたの言葉を思い出させて下さい。

2006-08-03

いのちをこえるいのち

今日も暑かったです。
朝の気温が27度。 バリバリ熱帯夜でした。
そして、昼間の気温は37.4度。(うちの温度計)
午後にはにわか雨がありました。思ったほど激しくはありませんでしたが、
とにかく降りました。
そして、それから気温はぐんぐん下がって、今は夜の11時で24.8度です。
熱帯夜ではなくなりましたが、湿度は高いです。
べたーっとしています。

明日は31度くらいで湿度は高めだそうです。
でも夜からは湿度も下がり、
土曜日からはカラッとするそうです。
是非、当たって欲しいです。

今日はまたいつものような生活に戻り、朝と夜に個人的にお話をする方々が来られて、
日曜日の準備をして・・・でも今週は+JOYJOYキャンプの準備があります。
明日は段ボールを集めに回ります。
教会のジムにはJOYJOYキャンプ名物、段ボール迷路が建設されます。
今年はまたすごいのになりそうです。

かなりワクワクしてきました。

最初の日の聖書のお話の担当にもなっているので、
それも考え中・・・

今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の26章を読みました。
今日は最後の晩餐から、ゲッセマネの祈り、そしてユダの裏切り、逮捕、そしてペテロの否認、とたくさんの出来事が出てきます。
その中で心に留った言葉が、イエスが逮捕される時に抵抗しようとした弟子たちに語った言葉です。
「剣を取る者はみな剣で滅びます」

あたっているかどうか確信はないのですが、
9/11以降のアメリカを見ていて、
世界を見ていて、
そしてその中で聖書を読んでいて、
だんだん自分の心の中で「絶対非暴力主義」に傾きつつあります。

たぶん、武力は、「いのち」が一番大切だから、持たなければいけないと思うのだと思います。

攻められたら守れない、だから、強い武力を持たなければいけない、
敵の隠れているところを攻撃しなければいけない、
大量破壊兵器を秘密裏に持っている国はつぶさなければいけない、
そういうことを考えるのは、「いのち」が一番大切なんだ、という世界観に基づいているのだと思います。
もしも、そうでなかったら、恐れる必要なんかないんですから・・・。

でも、「いのち」を守るために持つ武力が、他の国の人々のいのちを踏みつぶしていきます。
自分たちの「いのち」を守るためには、他の国々の人々の「いのち」が犠牲になってもしょうがないのです。市民が犠牲になっても「遺憾の意」くらいで終わってしまいます。
ものすごい矛盾を感じます。

イエスはここで捕まれば、殺される、それはわかっていました。
でも、剣を抜こうとしませんでした。
「いのち」を超える「いのち」を知っていたからです。
そして、自分のいのちが取り去れることが、私たちに「いのち」を与えることを意味していると知っていたからです。

私には難しいことはわかりません。
自分が守るべき、家族、仲間、そのためにいのちを捧げる、という人々の思いもわかります。
自分が守らなければ、誰が守ってくれるんだ?というのもわかります。

でも、私はこの地上のいのちを超える「いのち」を知っています。

そちらを守ることの方に、そちらを語ることの方に使命を感じています。
この地上の肉体のいのちよりも大切なものがあることを語ることに使命を感じています。

イエスがここで剣を取らずに、自分のいのちを与えたことによって、
私たちにいのちを超えるいのちを与えて下さったことに感謝しています。
そして、私自身もそのように、生きるとしても、死ぬにしても、とにかく、この神様の愛が伝わって欲しい、そう思わされています。


イエスさま、
あなたが剣を取らないで、
自分のいのちを私たちに与えて下さったことに感謝します。
それによって私たちに、この世のいのちを超えた「いのち」を与えて下さったことに感謝します。
私もあなたと同じように恐れない心を与えて下さい。
そして、生きる時も、死ぬ時も、あなたのすばらしさを表すものとして用いて下さい。
そのために私を整えて下さい。

2006-08-02

喜びを共にして下さる神

そして、
これが水曜日、そう、今日の分です。
いやあ、暑いです。
言いたかないですが、暑いです。
今は夜の10時を過ぎていますが、
30度以上あります。

明日までこの暑さが続くようです。
月曜日、キャンプに出る時には、この暑さは水曜日まで、と言っていたのですが、
一日延びました。
まあ、是非、明日まで、ということでお願いしたいです。

今日はマタイによる福音書25章を読みました。
この章は、世の終わりまでの間の私たちの生き方、はどんなものが要求されるのか、
ということをイエスがたとえ話を使って、話されたところです。

3つのたとえ話が出てきますが、
その真ん中の話は「タラントのたとえ」と呼ばれるものです。
ある人がしもべ達にある人には5タラント、ある人には2タラント、そしてある人には1タラントを預けて、旅に出るという話です。旅に出る人、それはイエスのことを指しています。そしてそのしもべは、私たちのことを指しています。
5タラント、と2タラントの人はそれぞれそれを元手に商売をして、儲けました。
しかし、1タラントの人は、恐れて、その1タラントがなくならないようにと、
その1タラントを土の中に隠していました。

主人が帰ってきた時に、
最初の2人はほめられたのに、
最後の一人は叱られた、と言うのがイエスの話です。
「与えられたタラント(才能)を、神様のために使いなさい」というのが、イエスの語りたかった主旨だろうと言われています。
その中で、今日は21節の言葉「主人の喜びを共に喜んでくれ」が心に留りました。
日本語としてはおかしな日本語です。直訳調なんでしょう。
でも、その言葉が何だか心に留りました。
神様の喜びを共に喜ぶことができる、
そのように招かれている、
その幸いを覚えました。

神様が喜んでくださる、
それを共有することできる、
それはなんてすばらしいことなんだろうかと思いました。
私たちの喜びを主が喜んでくださるだけではなくて、
主の喜びを、私たちに分ち合ってくださる。
それは本当にうれしいことだと思いました。

あなたが私のために喜んでくださり、
その喜びをも感じることができる幸いを感謝します。
どうか、あなたの喜びを共有することができますように。
私のうちに喜びを満たし、あなたの喜びを教えてください。
人々との交わりをも祝福してくださって、それが神様の愛と守りとによって、
支えられていきますように。


思いがけない時に

そして、これが火曜日の分。
丸一日ユースのキャンプで過ごしました。
夜はキャンプファイヤー。
火って不思議ですよね。
特に、燃え上がった後に小さくなった火。
ずっとずっと見つめていたい気持ちになります。

そして、この日は、特に一対一で中高生達と祈る時を持ちました。
純粋な、熱い思い、そして、まるで大人と話しているかのような、
しっかりした考えを持ち始めた彼らの成長の姿に、
熱いものがこみ上げてくるのを感じました。
12年前にNJに来た時には、9年前にJCCNJの牧師になった時には
考えられなかったような祝福を頂いているなあ、と思いました。

この日、
留守番をしていた娘にきゅうりのカウントをお願いしてあったのですが、
この日の5本で、とうとう100本達成!
先週末に用事があって、○ツワで「特売!」というきゅうりの値段を見て、びっくり。

約1本1ドル!

しっかり元を取りました。

苗からではなくて種から、それも2年前に買った種が残っていたヤツ。

そこにはあまり投資していないのですが、
土や肥料、動物よけの柵、いろいろ考えたら、結構トントンかも。
でも、楽しいです。
とにかく、いろいろ動物にやられても、カリカリしないこと。
ナスなんかはなかなか収穫出来ないでいるのですが、
それでも、「ま、いいか」みたいな気持ちでいようと思っています。
今年は本当に守られています。

ということで「聖書」。
今日はマタイによる福音書24章を読みました。
これはイエスが世の終わりにどんなことが起るかを、話された時の言葉です。
その中で心に留ったのは、44節、「だからあなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」という言葉です。

イエスがもう一度来られる時、それが世の終わりです。
どんな時にイエスが来られても喜んで迎えることができるように準備していなさい、というのがこのイエスの言葉の意味です。

この世の終わりは、誰も経験した人はいないので、どんなのかはわかりません。
でも、人生の終わり、は誰にでも来るのです。

それはある意味、「イエスがもう一度来られる」時ということが出来るのではないかと思います。
ならば、それがいつであっても、喜んでイエスを迎えることができるように、と思います。

今年は9/11に飛行機に乗ります。
日本に行く飛行機です。
いろんな事情を考えて、この日のチケットを取りましたが、
やはり、単なる事情以上の気持ちがあります。

あの日、飛行機に乗り合わせた人々も、
職場に向かっていった人々も、
今日が、自分の人生の最後の日だとはまさか思っていなかったでしょう。

私も、今日も、今日が人生の最後の日だとなんて思っていません。
でも、もしかしたらそうかもしれないんですよね。
日々にそうなんですよね。一瞬一瞬がそうなんですよね。

そして、決して、「今日であっては困る」生き方をしてもいけないし、
反対に、「今日でなければ困る」生き方をしてもいけない。

そのような気持ちを大切にしたいと思いました。

主よ、
私の人生にいつ終止符が打たれようとも、
いつ、あなたが私をお迎えに来て下さったとしても、
喜んで、あなたが来られるのを迎えることができるように、
歩みたいと思います。
どうか、私の心を守り、支えて下さい。
今年の日本帰国の予定も守って下さい。
その飛行機に乗ることを通して、何かが見えるように、なりますように。


あつーい!

暑い時に「暑い!」って言うな!
という乱暴な話がありますが、
そんなことをもものともしない暑さです。
前回の熱波もすごかったですが、
今回もすごいです。

今日、ユースのキャンプから帰ってきました。
キャンプの施設ですが、
一カ所だけエアコンのある部屋があって、
その部屋の存在は「救い」でした。

暑かったですが、
本当にいいキャンプでした。
もっとずっとそこにいたくなるキャンプでした。
来年はきっともっと長くなるでしょう!
いや、「たぶん」、いや「もしかしたら・・・」かな。

9人の新6年生から新12年生までが参加しました。
みんな本当に成長しているなあ、と思います。
どんどん大人の会話ができるようになってきました。
またこれからが楽しみです。

で、まず月曜日の分。
月曜日はマタイによる福音書23章を読みました。
この章はイエスが偽善者達を非難される箇所です。
その中の26節が心に留りました。
「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」
外側ばかり気にする自分。
でも、何よりも気にすべきなのは内側であり、
内側が整えられていく時に、
外側も整えられていく、
出る言葉、行動、態度、
それを何とかコントロールしようとすることがある。
でも、聖書はここの内側に注目しなさい、注意しなさい、
そうするならば、外側は整えられていくのだ、というのです。

何か気持ちが楽になりました。
先ず、内側に注目していこうと思いました。
そして、そこから出てくる、自然に出てくるもので十分だと思いました。
立派でなくてもいい、
やたらにポジティブではなくてもいい、
ただ、心にあるものが出てくるだけでいいと思いました。

主よ、
私の心を守って下さい。
わたしの心をきよめて下さい。
私の心を整えて下さい。
それが自然と外に出てくるような、そんな働き人にして下さい。
今はやりの方法ではないかもしれない。
でも、私はこちらの方に魅力を感じます。
聖霊様によって、聖書の方法によって、私の心を整えて下さい。

2006-07-31

ユースのキャンプ

今日、これからユースのキャンプですので、
次の更新は水曜日の夜です。

暑い日が続きそうです。
熱いキャンプになりますようにお祈り下さい。

ではでは。

2006-07-30

神のものは神に

今日も暑かったですね。
最高気温は33.2度C。
今も8時半ですが、29度くらいあります。

この後熱波の予報が出ています。
明日は今日と同じくらいのようですが、
火曜日と水曜日は37度Cです。

でも、来週、JOYJOYキャンプの頃には30度以下に下がるみたいです。ホッ。
まあ、いつも8月になると秋風が吹き始めるので、今年も平年並みというところでしょうか。

JOYJOYが涼しくなると助かります。

今日、もう眠くなってきています。
早く休んで明日の朝、早起きしようかと思います。

今日の礼拝、だんだん皆さんが日本への里帰りや旅行から帰ってこられて、
戻ってきました。
来週、再来週とどんどん平常に戻ってくるでしょう。

今日の聖書はマタイによる福音書22章でした。
その中の22節の言葉が心に留りました。
「神のものは神に返しなさい」。
この言葉はそのころユダヤを支配していたローマ帝国に税金を納めるかどうかを、
イエスに聞きに来た人々に対して、イエスが語られた言葉です。
民衆はイエスが自分たちをローマ帝国から解放してくれる救い主であることを期待していました。
ですから、ここでイエスが「税金を納めなさい」と言ったら、人々を失望させることになる、
もしも、「納める必要がない」と言ったら、イエスを反逆罪でローマ帝国に訴えようと思っていたようです。
だから、どっちに答えても、イエスをおとしめられる、と思ったようです。
でも、イエスはそのコインの肖像を見て、「皇帝の肖像があるものは皇帝に返しなさい、そして、神の肖像がある自分自身を神に返しなさい」と言われたのでした。
そう、私たちには神の肖像が刻み込まれている。
その神のものである自分自身を神に返す、そのように招かれているのです。
私はまた今日もこれをパーソナルに受け取りました。
私自身に対して、神が「あなたは私のものなんだから、自分のために生きるのではない、わたしのもとにあなたのすべてを持ってきなさい」と言われたように思ったのです。
そのようにしたいと思って祈りました。
昨日、今日と、本当に主が私を近くに引き寄せようとしておられることを感じます。

主よ、
私自身を、私の存在を、
私の時間を、私の趣味を、私のお金を、あなたの喜ばれるように用いたいと思います。
主よ、どうか教えてください。私の存在すべてをあなたにゆだねます。捧げます。
どうかなすべきことを教え、導いてください。
私の夢や希望もあなたの御手にゆだねます。
生き方を教えてください。