今日も快適です。
昼間はちょっと暑いかなあ、と思い温度計を見ると30度くらい。
でも、朝は20度を切ります。
明日も、あさってもいい天気みたいです。
土曜日の夜には雨が降る、と天気予報は言っています。
今日、お借りしている教会の牧師さんとお会いして、
ちょっとお話をするチャンスがありました。
いつもは、そのまま、「じゃ」と別れるのですが、
今日は、「一緒に祈ろう」と先生が言ってくださいました。
考えてみたら、こんな風にその牧師さんと祈るのも初めてだと思います。
先生も闘いを覚えて、心に痛みを感じておられることがあって、
それをお話ししてくださって、共に祈りました。
このようなことがもっともっと必要なんじゃないか、と、そう思いました。
自分が英語で祈ることには慣れていないので、
自分の方から「祈りましょうか」とはなかなか言えないし、
こっちの方が若いし、お借りしている立場なので、
なかなかそのような雰囲気には成らないのですが、
今日は先生の方から声をかけてくださったので、本当によかったと思います。
私も教会の方々にもっともっと、「じゃ、祈りましょうか」と声をかけなければいけませんね。
たまには、「え、どうして?」って顔をする方もおられるでしょうが、そんなことを気にしてはいけませんね。
祈りましょう。
そして、私に突然、「祈りましょう」と声をかけられても、
「何かあったの?」「え、どうして?」みたいな顔をしないで下さい。よろしく。
明日は祈り会です。
多くの方々が来られますように。
今日はマルコによる福音書12章。
まだ、結論は出ていないのですが、考えさせられたことを一つ。
最後の44節。
ここでは、多くの人が神殿に献金をしています。
その中で、一人の未亡人が小さなコインを一つだけ献金しています。
それを見て、イエスは、「彼女が他の誰よりもたくさん捧げた」と言います。
そして、44節では、「この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」と言われています。
この人はこの後、どうしたんだろうか、と思いました。
だって、生活費の最後の一枚のコイン。
そして、未亡人で、誰もあてにはできない。
神様への信頼ってこういうことなのかと思わされました。
良く、日本の尊敬する婦人伝道者が言っておられました。
「エリヤの神は今も生きておられる。エリヤのカラスは今もいる」と。
エリヤという預言者は、ある時はカラスが持ってくる食べ物を食べていた、と聖書には書かれています。
その信仰が自分にはあるだろうか?
いや他に頼るものばっかりたくさん作って、
神様を本気で頼っていないのではないだろうか?
人、お金、経験、才能・・・。
本当にハングリーになって、
どうにもならなくなって、
祈らないではいられない、という状況は、最近自分にあっただろうか?
そんなことを思わされています。
未亡人になって、
最後の一枚までささげたら、
そりゃ神様しか頼れないですよね。
神様、
あなたが豊かに与えて下さっていることに感謝します。
たくさんの人々。
そう、あんなに一生懸命に奉仕して下さる教会のメンバーに恵まれて、
なんて幸せなんだろうと思います。
お金。
そう、財布の中に、銀行にたくさんではなくても、とにかく「ある」ことに感謝します。
明日の食事、どうしようか、
ではないですから・・・。
健康が与えられて、また働けることを感謝します。
家族を感謝します。
でも、そんなたくさんのものが与えられているなかで、
本当にあなたの前に出て真剣に祈る時、
あなたに必死になって「私を祝福して下さい」と言う時があるでしょうか?
主よ、どうか私があなたに近くなるために
必要な導きを与えて下さい。
それが時には、喜ばしいものではないとしても・・・。
主よ、あなたを信頼することを教えて下さい。
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