昨日は夜NYから帰ってきたらヘロヘロでした。
ちょうど家を出る直前に、ヒラメを頂いて、
その後どうしたのかなあ、と思って帰ってきたら、
ちゃんと料理になって待っていました。
うまかったです。
いつか自分で釣りたいなあ、と思っています。ヒラメ。
NJの南の方から船が出ているようです。
今までのなかでいちばん「食べられる」釣果は、小アジ数十匹。
今から20年くらい前、
夏の終わりに牧師の訓練学校の休みが数日あって、
伊豆の新島の牧師さんのところに遊びに行った時でした。
島の埠頭に小アジが集まってきていました。
季節的に最高だったみたいです。
おもしろいように釣れました。
その牧師さんの家の子ども達が小学生で、一緒になって、ガンガン釣りました。
食べきれないほどの小アジ。
でも、とてもおいしかった記憶があります。
つい最近の様なつもりなんですが、
今までの人生の真ん中くらいの出来事なんですね。
結婚してからというもの、ろくに釣れたことがありません。
ですから、全然あてにされないです。
サバも行きたいなあ、と思います。あれって、期間が短いんですよね。
知っている方、教えて下さい。
昨日、月曜日、8月14日はマルコによる福音書9章を読みました。
41節のイエスの言葉が心に残りました。
「あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません」
すごいありがたい言葉ですね。
私たちが出会う一人一人に神様の祝福があるということですね。
時々、「イエスを信じることなく、なくなっていったあの祖母は、どうなるのでしょうか?」と質問を受けることがあります。
もちろん、私たちは「イエスの十字架にのみ救いがある」と信じていますし、それを個人的に受け取ることが大切だと信じています。
でも、この言葉を見ると、神さまは、私たちのことを大切にしてくれた人たち、一人一人のことを決して忘れてはおられない、とわかります。
そして、希望を持つことができます。
もちろん、私たちの使命は、今生きている、周りにいる方々に福音を語ることです。
神の愛を語ることです。
そちらの方にもっともっと力を注ぐべきです。
でも、そのために、もう先に行った方々のことを主に御手にゆだねることができるのは、大きな感謝です。
主よ、
あなたがわたしのことを心にかけて下さって、
それだけではなくて、
わたしにとって大切な方々、一人一人のことをも
心にかけて下さっていること、
心から感謝します。
どうか、私たちが今、私たちの周りに与えられている方々に、
あなたの愛を大胆に語っていくことができるように、助けて下さい。
きょうはここまで、明日こそ、追いつきたいと思います。
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