2013-04-18

「力と愛と慎みとの霊」

木曜日の夕方ですが、ちょっと冷えて、小雨が降ってきました。
明日は暖かくなり、夜は雷雨の予報です。
週末はちょっと冷え込み、土曜日の夜と日曜日の夜は遅霜の可能性もあります。

今日の午後、ちょうど車で走っている時に、ボストンの爆弾事件の追悼式でオバマ大統領が、演説をしていました。

その中で、彼が聖書の言葉を引用していたのですが、

「神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」テモテ第二の手紙1:7

という言葉でした。

私たちはこのような卑劣な行為に対して、それを恐れるのではなく、力と愛と慎みの心を持って応えることができる、というとても力強いメッセージでした。

正直、私はラジオでその演説を聴きながら、
来年の4月第3月曜日はボストンで過ごしたいと思いました。
できれば、あのマラソンのゴールラインで人々が情熱と誇りとをもってゴールするのを見たいと。

そして、いつか、そんな日が来たら、自分もそこにランナーとして挑戦できたらとまで思いました。(まあ、それはかなり厳しいでしょうが・・・。)

卑劣な行為に対して、善をもって応える、
恐れではなくて、誇りをもって応える、
そのような強さを持ち続けたいものです。

早く犯人が捕まりますように。

さて、昨日17日の「日々のみことば」。
昨日はサムエル記上24章でした。

「主が油を注がれたわが君に、わたしがこの事をするのを主は禁じられる。」6節。

自分の命を追っているサウルを殺害する最高のチャンスがダビデにやって来た時に、ダビデは、部下たちを制し、サウルに手を下すのを禁じました。

それはサウルが「神に油注がれた者」だったから。
ダビデは神の召しを本当に大切にした人でした。
そして、それは自分の神様からの使命に対しても、力を与えるものでした。
王を王として尊重しない人は、
自分が王として使命をいただいた時に、
人々が従わないことに対して何を文句が言えるだろうか?

私たちは自分のことはよく主張します。
「神様からこのような召しをいただいた」と。
「神様からこのような使命をもらっている」と。
それも試され、正当性が問われなければいけないと思うけれども、
私たちは、誰か他の人の召しに対して無頓着であったり、
それを尊重しないことがどれほどあるだろうかと思う。

主のなさることを重んじ、そこに謙虚に生きていくことができますように。

神様、
あなたの召しを感謝します。
私に、あなたの使命を与えてくださって、そこに生きる喜びを経験させてくださってありがとうございます。私も一人一人の神様からのCallingを尊重できる者とならせてください。

準備万端。


いつでも行けますよって感じですよね。
Oak Treeの花。

さあ、いつ開花宣言となるでしょうか。

さて、16日(火)の「日々のみことば」。
サムエル記上18章でした。

「主がサウルを離れて、ダビデと共におられたので、サウルはダビデを恐れた。 」12節。

サウル王は、自分よりもダビデがほめられることに、ねたみを感じました。
そして、神様がダビデと共におられることに恐れを感じました。

自分も悔い改めることができれば良かったのですが、
悔い改めようとはしなかったのです。
そして、邪魔になったダビデを殺そうとするのです。

なんてことだろうと思います。

自分の神様からの使命、自分が神様にいただいていること、
そこに目を留めるならば、人がどのような用いられ方をしても、
感謝できるだろうに。

それに振り回されないだろうに。

自分自身も、主から与えられている使命に感謝しながら、そこに焦点を当てて歩む者でありたいと思いました。

主よ、
あなたに与えられた使命に忠実なものでありますように。
人を見るのではなくて、あなたを見て歩ませてください。

2013-04-16

幼子のような信仰

昨日、今日と暖かな、穏やかな日が続いています。
明日も暖かい日になりそうです。

昨日はあまりの悲しさと怒りに、日常的なことを書く気にはなれなかったのですが、
実は、昨日は休日で、前々から作りたいと思っていた、肉まんに挑戦。
これがなかなかうまくて、でも、もうちょっといろいろトライしてみたくて、ちょっとやる気になっています。

で、昨日、豚ひき肉を買ったついでに、庭にニラが生えて来たから、ギョウザでも作ろうと思っていたスーパーでの買い物の帰りに、ラジオから流れて来た、悲しいニュース。

到底、ギョウザまではできずに、今日の宿題に。

ちょうどのんちが夕方まで仕事だったので、
娘たちに手伝ってもらって、作りました。
夜は集会があったので、帰って来てから、
自分の分の皮を延ばして、包んで、かりっと焼き上がり。
(留守番の子供たちは勝手に食べてて、のんちは、さすがにこの時間にそれほど食べれず、1個だけ。残りは全部食べました。15個くらい!


どんどん生えてくるニラは
どんどん食べて差し上げましょう。

さて、昨日15日の「日々のみことば」。
昨日はサムエル記上の17章。
ダビデが巨人ゴリアテを倒すところです。

「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」33節。

サウルは戦いの厳しさを知っていました。
だからこそ、ダビデが戦いに出て行けるとは思っていませんでした。

でも、ダビデは戦いの厳しさを知らなかった代わりに、
神様の力を知っていました。
羊飼いをしながら、神様の力を経験していました。

私たちが戦いの厳しさを知っていることはしばしば、私たちの目を神様にではなく、問題の大きさ、戦いの厳しさに向けてしまいます。
そして、神様の大きさを見えないようにしてしまうのです。

戦いの厳しさを知っているかどうか、よりも、神様の大きさを知っているかどうかの方がずっとずっと強いのです。

私ももしかしたら、サウルのようになっているのかもしれません。

戦いの厳しさを知っている中で、
神様の力を見失っている、そういうことにならないように、
ダビデのような幼子のような心で、出て行くことができますように。

神様、
あなたの力を信頼します。
あなたの御業を見せてください。
あなたのみ力を表してください。

2013-04-15

悲しみと怒り。

きょうのボストンマラソンのゴール付近での爆弾事件。
本当に悲しいし、怒りが湧いてくる。
先日、神の霊によって怒りが湧いてくることがある、
というところを聖書で読んだけれども、
本当に怒りが止まらない。
街の人々が愛し、誇りとしているイベント、
そして、世界中から、そこ舞台で走ることを夢見て、
トレーニングを積んで来た人々がやっとそこにたどり着いた、
その場を血に染めるようなことを考え実行する人の存在に怒りが湧いてくる。

今も、大切な人を失った人々のために、
また、不安な夜を過ごしておられる方々のために祈る。

昨日、4月14日の「日々のみことば」から。
昨日はサムエル記上の16章。

「この日からのち、主の霊は、はげしくダビデの上に臨んだ。」13節。

聖霊様は静かに注がれるときもあれば、
激しく注がれる時もある。

激しく注がれるときってどんな感じなんだろうか、
それも味わわせていただきたいように思わされた。
祈れば必ずそれを経験できる、というのではないだろう。
でも、主が許したもうならば、
聖霊様が激しく注がれて、ダビデを用いたように、
怒り狂い、不安にさいなまれるサウルの心に届く働きができたように、
神さまに用いていただきたいと思わされた。

主のみ許しあれば。
反対に、聖霊様の働きを静かな働きだけに閉じ込めてしまうのも不信仰なんだろうと。

神様、
あなたの霊を激しく注いでください。
そして、あなたの御用のために、あなたの栄光のために用いてください。

2013-04-13

命の力。

今朝は4度くらいまで下がっていましたが、
とにかく、一日晴れて18度くらいまで上がりました。
昨日が寒かったので、ほっと一息。
そして、明日も今日と同じくらい。
あさって、月曜日から本格的にぽかぽかになりそうです。


さて、どんどん春になりますが、
ちょっと気分転換に庭に出てみたら、
我が家のほったらかし畑に、
もうニラがガンガン生えて来ています。



来週には食べられそう。
ぎょうざと、ニラ玉と、おひたしと・・・。

そして、その根元をちょっと探してみると、
出てきていました。ちょっと細めのですが、アスパラ君です。


今日はそこまで余裕がありませんでしたが、今度、いつか土をかぶせて「ホワイトアスパラ」というヤツにも挑戦してみようかと思います。

そして、レンギョウはもう満開。


桜もあちらこちらで咲き始めていますね。
来週は「春本番!」です。

でも、この命がずっと、あの寒い冬の間、待っていたかと思うと、感動ですね。
そして、この鮮やかな色の数々。
見事としか言いようがないです。

かみさままじやべえ。

さて、今日の「日々のみことば」。
今日はサムエル記上の13章でした。

「サウルは、サムエルが定めたように、七日のあいだ待ったが、サムエルがギルガルにこなかったので、民は彼を離れて散って行った。」8節。

これ、きついですよね。
7日待ちなさい、と言われて、
待っていたのに、サムエルは現れなかった。

人々がそこに一緒にいてくれたら、
同じように信仰をもっていてくれたら、
サウルも失敗をしなかったと思う。

でも、人々が去っていった。

その中で、なんとかしなければ・・・という焦りがあったのだろうと思う。
勝手にささげものをささげてしまった。
祭司だけがすべきことをやってしまった。

でも、わかるなあ、これ。

本当に、人がどんどん減っている中で、
なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ、と。

でも、大切なのは神様を信頼して動じないこと。
忍耐を持って動じないこと。

神様、
動じない心を与えてください。
単に動じないのではなく、あなたを信頼するからこそ、動じない心を持つことができますように。

2013-04-12

さむかった〜。

こちらの夕方には、関西でまたかなり大きな地震があったというニュースが流れてきましたが、怪我をした方もおられるようです。どんなに怖かっただろうかと思います。
このあと大きな地震もなく収まりますように。

こちらは一日雨で、とても寒い一日でした。

明日にはいい天気になって、来週前半にかけて、また気温も少しずつ上がってきそうです。

今日の「日々のみことば」。
今日はサムエル記上の12章。

「わたしは主が、あなたがたとあなたがたの先祖のために行われたすべての救のわざについて、主の前に、あなたがたと論じよう。」7節。

歴史の中に神様のメッセージが込められている。
自分はどちらかと言うと、あまり振り返ることの好きな方じゃない。
歴史の点数を取るのは嫌いではなかったけれども、
「歴史から学ぶ」というほどの哲学を持ち合わせていなかった。

でも、サムエルは歴史をひもときながら、神様の御業を論じた。

自分の歴史でも、教会の歴史でも、
失敗を含めて、振り返っていく時に、
そこに人間の弱さの中にも働く神の御業を見ることができるのではないだろうか?

うーん、本当は自分の失敗や弱さから目を背けたいから、
見たくないから、振り返るのが嫌なのかもしれないなあ。

もっともっと歴史をしっかりと見る目を持たせていただきたい。

主よ、
サムエルが歴史の中から神の御業を見たように、
私の歩いて来た道の中で、神様の御業をはっきりと見ることができますように。
自分の弱さを認める勇気も、神様の御業を見て行く目も、与えてください。

2013-04-11

切り捨てない。

やっぱり、読んだその日にアップした方がフレッシュなので、
やっと追いつけて、とてもうれしいです。

ということで、今日、4/11の「日々のみことば」。
今日はサムエル記上の11章。

「サウルがこの言葉を聞いた時、神の霊が激しく彼の上に臨んだので、彼の怒りははなはだしく燃えた。」6節。

聖霊様が与えられるときに、
わからないことがわかるようになる、とイエスは言われました。
罪のこと、救いのこと、イエスのこと。
そして、平安が与えられる、ということも。

でも、聖霊様が与えられる時に、愛が与えられる、
勇気と、情熱が与えられる。
困っている人、危機の中にいる人々のために、
何としてでも立ち上がらなければ、という思いが与えられる。

誰かが苦しんでいるのに、切り捨てることなんかできない。
危機に瀕している人々がいるのに、無視することなんかできない。

聖霊様はそのことを行動に移させてくださる力がある。

怒ることがあってもいい。

自分は「福島」のことを思わされた。

切り捨てられてはならない。
義憤が湧いてくるのを抑えることができない。

聖霊様が助けてくださっているのだ。

聖霊様、
あなたは私たちに怒りを与えてくださる方であることも知りました。
にげたり、無関心になっているのでなく、神様によって怒ること、
その情熱を持たせていただきたいと思います。

野の花をもっとよく見てごらん。

昨日、もう週末まで15度以上上がらないでしょう、と言っていたのですが、
しっかり、今日は20度まで行っちゃいましたね。

でも、夜になって冷えてきました。今、10時半ですが、10度ちょうどです。

そして雨が降って来ています。
明日は一日肌寒い雨で、本降りみたいです。

昨日の花の画像ですが、あんまりひどいので、
今日はもう少しよーく見えるように編集し直してみました。



野の花の中に込めた神様の思いをちょっとだけ感じさせられます。

さて、昨日、4/10の「日々のみことば」。
昨日はサムエル記上10章でした。

「その時、主の霊があなたの上にもはげしく下って、あなたは彼らと一緒に預言し、変って新しい人となるでしょう。これらのしるしが、あなたの身に起ったならば、あなたは手当りしだいになんでもしなさい。神があなたと一緒におられるからです。」6-7節

神様の導きの下にあるならば、
とにかくなんでもしなさいと。
手当り次第やってみなさいと。

保守的になって、守りの姿勢になりやすい自分。
思い込みでガンガンやってはいけないと、トラブルを避ける傾向もある。
もっともっと大胆に、主を信頼して、手当たり次第、主のためにさせていただきたいと思わされた。

神様、
大胆さを与えてください。
あなたを信頼して、大胆に歩む者とならせてください。

2013-04-10

「野の花を見てごらん」

微速度撮影というのがある。
コマ撮り撮影、というのか、
タイムラプス、というのか、

今日、花が開くところを10秒おきに撮って、
それをつないでみた。
試しの習作。


自分のカメラ、その10秒間に1枚、というシャッターを切る機能がない。
そのようなことをしてくれるリモコンもない。

ということで、探してみたら、L5 remoteというiPhoneにつける万能リモコンを発見。
http://www.amazon.com/L5-Universal-Control-Players-DirectTV/dp/B003B22U8Y

でも、30ドルは高い!ということで、
eBayで張ることに。
そして、待つこと1週間。多分初めての経験ですが、うまく落札。
18ドルで手に入れることができました。

10秒に1回ずつ自動でシャッター。
その間自分は、庭掃除。

でも、こうやって見ると、植物も命があるんですよね。
生きるために必死。
でも、神様に守られて生きている。

「野の花を見てごらんなさい」とのイエスのメッセージを思い出します。

さて、火曜日の「日々のみことば」。
火曜日はサムエル記上の9章。

「わたしはイスラエルのうちの最も小さい部族のベニヤミンびとであって、わたしの一族はまたベニヤミンのどの一族よりも卑しいものではありませんか。どうしてあなたは、そのようなことをわたしに言われるのですか」21節。

このところ、自分の小ささ、無力さ、未熟さ(もうそんな言葉を使うことが許される年齢ではなくなってしまったが・・・)を思い知らされている。

でも、そこに神様が働いてくださるならば、
それでいいじゃないか。
神様がそれでも用いようとされているならば、それでいいじゃないか。

自分もそうだし、
自分の周りの人々もそう。

神様が用いようとする時に、その人の弱ささえも、
未熟ささえも、主は用いることができる。

神様の自由だ。

だから、神様に用いていただける、用いやすい、オープンな思いが必要だ。
神様がご自由に働いていただけるようなそんな者でありたい。

主よ、
サウルを選ばれたあなたは、私をも用いることができる方です。
あなたの不思議な御業をなしてください。
私の周りの一人一人も、あなたのご自由な方法で、用いてください。

キノコの春。

今日も暑いくらいになりました。
27度C。

でも、夕方には雷雨になって、夜には15度くらいまで下がって来ています。
これから週末まで、ぐずついた天気が続き、この15度を超えることはないと思います。

そんな暖かさに誘われて、キノコがぽこぽこ出てきました。
これはヒラタケですね。菌床で作っているので、はい、ヒラタケです。



合わせてわずか50グラムくらいですが、ホント美味しかったです。
どんどん生えてくれるといいのですが・・・。

さて、月曜日の「日々のみことば」。
サムエル記上の8章。

「われわれも他の国々のようになり、王がわれわれをさばき、われわれを率いて、われわれの戦いにたたかうのである」20節。

他の国々のようになりたい。
それがイスラエルの民の願いだった。

神との関係よりも周りと比べることによって、
周りのようになりたいと願ったのだ。

でも、自分もそのようなことを考えることもあるなあ。
神様と自分との関係だけ見ているといいのに、
周りと比べて、「ああいう風になりたい」と、願う。

そして、自分を見失ってしまう。

本当に神様との関係にしっかり立っていきたいと思う。

主よ、
あなたとの関係に私を生かしてください。
どうか、周りと比べて、それに振り回されることがありませんように。
あなたのみ声を聞いて歩むことができますように。

2013-04-09

歴史から学ぶ。

勢いがついて来たので、4/7日曜日の「日々のみことば」から。
サムエル記上の7章。

「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた。」12節。

先週、現地校でも補習校でも6年生となったサキが、

「Historyは何で勉強しないといけないの?終わったことでしょう。mathは計算のために必要、Englishは読んだり書いたりするのに必要、scienceは天気予報のために必要(あ、これは私の脚色)、だけど、Historyは何のためにやるのかわからない。」

とのたまわった。

どこまで本気かわからないし、「これから、mathやscienceの意味もどんどんわからなくなるぞ〜」と思いながら、「そりゃあなあ、歴史の中には神様からのメッセージが隠れているからなんだぞ」と大真面目に答えてしまいました。

そう、歴史の中には神様のメッセージが込められている。

私もどちらかと言うと、前に向かって歩んでいきたいと思う方で、
あんまり後ろを振り返りたい方ではない。
歴史は好きでしたけど。
歴史小説なんかも好きでしたけど。

でも、教会で過去を振り返ってとか、あんまり好きではなかった。

もっと前に向かっていけばいいじゃん。
過去のよかったこととか、そんなのにしがみついてもしょうがないし。

そんな風に思っていた。

でも、ここでサムエルは「ここまで守ってくださった主」に感謝をささげている。
詩篇の103:2には「主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな」と書かれている。

歴史の中に、自分のここまでの歩みの中に、教会の歩みの中に、
神様の声を聞いていこう。

主よ、
歴史から学びます。
あなたがそこから語ってくださっている声を聞きとることができますように。


占い師とか・・・。

さて、今日2回目の更新は、なんとか追いつくことを目指して、
最初から「日々のみことば」の4/6のところ。先週の土曜日の分。
サムエル記上の6章。

「ペリシテびとは、祭司や占い師を呼んで・・・」2節。

占い師や異教の聖職者も、神を知っていました。
でも、神に従うことはありませんでした。
ここでも、的確なアドバイスを与えることができました。
でも、それでも、自分自身、神の前にひれ伏すことはありません。

今も、占い師や霊能者の言うことが当たることがあります。
彼らはやはり霊的な能力を持っているのでしょう。
明らかに悪霊の働きであることもあります。

でも、神を知っているだけで、
神に従ってはいません。

大切なのは神に従うこと。
神に従う時に、そのような霊的な力を失ってしまう人もいます。
それはそうです。
彼らは悪霊によって、霊的な力を得ていたのですから。

霊的なものに振り回されないで、
神様の導きを求め、
聖書の語る生き方を求め、
神様に従っていくことが、
霊的に、超自然的に何か見えることよりもずっと大切です。

主よ、
霊的な力を求める者であるよりも、
あなたを求める者でありますように。

一気に春を駆け抜けた!

昨日は暖かかったですね。
でも、今日は暑いくらいでした。
昨日は20度を超えましたが、
今日は28度まで行きました。

いやあ、もう春じゃなくて夏です。

先週は氷点下の朝だったのに・・・です。

明日、もう一日25度を超えて、しばらく雨が降ったりやんだり。
気温は15度くらい、春らしい、というか、
こんな暖かい日が続いたあとなので、「肌寒い」と感じる日が続きそうです。

お気をつけて。

昨日の夜のエンパイアステートビル。
ライトアップは何色かなあ、と思ったら、
二つの色がぐるぐる回ってしました。




こんなの初めて見た、ということで、調べてみたら、これは全米大学バスケットボール選手権(?)・・・通称March Madness(3月の大騒ぎ)・・・の決勝戦の2チームのチームカラーだったんですね。そして、勝負か決まった時には、勝ったルイビル大のカラーになったそうです。

今まで、途中で色が変わるということはなかったのかと思いますが、昨年の選挙あたりから、いろいろな使われ方をしているようで、すごいのがこちら。

http://youtu.be/7YbIPDPJISQ

これからもどんどん新しいのが出てくるんでしょうね。楽しみです。ウチの窓から見えるとホントに楽しいでしょうけどね。

さて、先週金曜日、4/5の「日々のみことば」。
サムエル記上の5章。

「その次の朝また早く起きて見ると、ダゴンはまた、主の箱の前に、うつむきに地に倒れていた。そしてダゴンの頭と両手とは切れて離れ、しきいの上にあり、ダゴンはただ胴体だけとなっていた。」4節。

人間を造った神と、人間が造った偶像。
人間を背負う神と、人間に助けてもらう偶像。

対照的だ。

でも、自分もいつの間にか、
神様を、自分が助けているかのような勘違いをしていることがあるかもしれない。
神様が私を守り、支えていてくださるのに。

神様のために一生懸命になっているのかもしれない。
神様に支えられているのに。

神様、
あなたの大きさ、あなたの強さを、忘れて、自分で一生懸命になって、
自分があなたを支えているかのような、あなたを助けているかのような、
勘違いをすることがありませんように。


2013-04-07

明日から更に春に。

昨日、土曜日の朝はやはり0度くらいまで下がりました。
そして、昼間も10度くらいまで。
金曜日が20度近くまで上がったので、
昨日はひんやり感がありました。

でも、今日は暖かかったです。
そして、明日から水曜日までは20-25度まで上がって、
一気に春が進みそうです。

さて、3日ビハインドになりましたが、
木曜日、4/4の「日々のみことば」。
サムエル記の4章。

「シロへ行って主の契約の箱をここへ携えてくることにしよう。そして主をわれわれのうちに迎えて、敵の手から救っていただこう」3節。

イスラエルの民は悔い改めようともしないで、
契約の箱によってお守りみたいな、ご利益を期待しました。
その結果は契約の箱が奪われ、エリと二人の息子たちが命を落とす、ということになったのです。

悔い改めもしないで、ただ、ご利益を求める姿勢は信仰ではありません。

神様への信仰は必ず悔い改めを伴うものです。
この契約の箱のご利益を期待する姿勢は、
単に自分のために神様を利用することに他なりません。
ヨシュアが神の軍勢の将の前に靴を脱いだのとは全く正反対です。
http://njotenki.blogspot.com/2013/03/blog-post_28.html

自分の信仰はどうだろうかと思わされます。
神様を利用するような信仰になっていないだろうか。
神様の前にひれ伏すのではなく
不信仰、自己中心を悔い改めて、主のもとにへりくだって歩ませていただきたいです。

神様、
あなたを利用するような態度から守ってください。
あなたを主としてあなたに従っていくことができますように。

2013-04-05

ありがとう、かみさま。

今日は本当に暖かい一日でした。
朝から5度ありましたし、昨日の予想よりもずっと天気がよくて、
すっかり晴れて、午後には20度近くまで上がりました。
一気に春になった感じです。

でも、今夜はちょっと冷えそうです。
昨日の朝が最後の氷点下の朝のはずだったのですが、
今、夜の10時くらいで7度まで下がって来ているので、
明日の朝も0度くらいまでさがって、もしかしたら、氷点下に下がりそうです。

今日は「愛する妻」(「父の学校」モード)の誕生日。
でも、実は時間のゆとりがある月曜日にもう既にお祝いしておりました。


今回は、上の娘がチーズケーキを焼いてくれました。
写真は下の娘が撮った写真の方が、私が撮ったものよりもよかったので、こちらを。

昨日はスモールグループの時に、パフェを作っていただいて。


なんだか愛されちゃっていますね。

神様がのんちの存在をこの地に与えてくださった日に感謝。

ちなみに、私も今夜マイブームになりつつあるシュークリームなどをちょいと作らせていただきました.3回目ですが、一番よかったかな。カスタードクリームも美味しくできました!最近、夜は気をつけているのですが、さすがに今週はちょっとヤバいかも。来週からはまた平常モードで気をつけます。

さて、一昨日、水曜日の「日々のみことば」。
水曜日3日は、サムエル記上3章。

「しもべは聞きます。お話しください」10節。

主に聞いていくこと、
ちゃんとしているかなあ。
「しもべは聞きます」とちゃんと聞いているかなあ。

もっともっと静まって、聞くことが必要だろうなあ。
時間を取り分けて聞くことが必要だろうなあ。
日常的にも聞くことが必要だろうなあ。
そんなことを思わされました。

そして、口に出して、祈りました。
「私は聞きます、あなたが語ってください。私の話を聞いてもらうことよりも、あなたの声を聞きたいです。あなたの語りかけをいただいて、それに従っていきたいです。どうか、あなたが語ってください」と。

主よ、
どうか、私にお語り下さい。
しもべは聞きます。
あなたの声を聞かせてください。

2013-04-04

神を信頼して歩むかっこよさ。

今日は朝は-3度でしたが、
昼間は暖かくて15度を超えました。
そして、夜12時でも、6度あります。
もう氷点下の朝は終わりました。

明日は曇りがちで、雨も降るかもしれませんが、
大崩れすることはなさそうです。

さて、今日は日本からゲストの先生をお迎えしています。
明日からのNY地区の「父の学校」のために来られた先生が、
我が家に泊まってくださいました。

聖書学院の大先輩。父の世代の方です。
で、こんな写真を持って来てくださいました。



ちょっと暗くて見づらいかもしれませんが、
私の両親が牧師をしていた大阪の教会で、これが集会所だったそうです。

ホント狭い。でも、伝道は建物じゃない。
いのちのあるところに人は集まってくる。
ホンモノがあるところに、人は集まってくる。

真ん中の列の、真ん中に二人並んで座っているのが、私の両親で、
父の膝の上に抱かれているのが、兄。
私は・・・まだ生まれていません。
昭和36年だそうです。
先生は後ろの背の高いお兄ちゃん(でも163センチだそうですが)かと思いますが、
聖書学院の1年生で、夏の間、派遣されていたそうです。
追記:先生にご確認したところ、2列目左端の青年だそうです。

先生ご自身はこのあと、牧師になられて、大きな教会でご奉仕をされていたのだけれども、50歳の時に、牧師職を辞して、何の基盤もない巡回伝道者となられたそうです。「どうして、そういう決断をされたのですか?」とお伺いしたら、そのときのお話をしてくださいました。

詳しいことはうまく説明できませんが、とにかく、先生のお話をお伺いしながら、神様の導きに従われたことを感じました。そして、それがどれほどエキサイティングな人生であるかも。かっこいいなあと思いました。

自分もちょうど2ヶ月後にその先生が決断をして新しい歩みを始められた年齢になります。
考えさせられました。私もただ、神様に従って歩む者でありたいと思います。

さて、火曜日の聖書。
火曜日はサムエル記上の2章。

「またなにゆえ、わたしよりも自分の子らを尊び・・・」29節。

息子たちが神様に従わないで不正をしているのを知りながら、
ちょっと注意するだけで、真剣に彼らを止めようとしなかった祭司エリに対する神の言葉。

神様を大切にするよりも自分の子供たちを大切にして、
はっきりとした態度を示せなかったのだった。

でも、自分も本当にそのようにできるだろうかと思わされた。
神様を第一にして、人よりも神様に従って歩めるだろうかと。

人に対して、はっきりと言うべきことを言えるだろうか。
本当に大切なことだと思う。
恐れない心、大切にすべきことを本当に大切にする強さを持っていきたい。

神様、
本当に、真剣に、真実に、あなたを第一として歩めますように。
妥協しないで、あなたに従うことができますように。
人を恐れない強さを与えてください。

2013-04-03

最後の氷点下の朝かな?

今日も寒かったです。
10度まで行きませんでしたね。
日差しは春なのですが、少し日陰に入ると、寒いです。
それから風も冷たかったです。

今夜は11時半で1.3度。
やはり、明日の朝も氷点下ですね。

でも、明日は暖かくなって、
次の氷点下の朝は、多分10月とか11月とかでしょう。

さて、月曜日の「日々のみことば」。
どんどん飛ばして、月曜日からサムエル記に入りました。
サムエル記上の1章です。

「それゆえ、わたしもこの子を主にささげます。この子は一生のあいだ主にささげたものです」28節。

神様に祈りが聞かれた時に、
ハンナは祈りの中で誓ったことを果たします。

私は神様に祈ったことが答えられた時に、
神様に感謝をささげているだろうか、
神様にお答えしているだろうか、
そのことを思わされました。

そして、月曜日の朝、
1つ1つ数えていきました。
神様がしてくださったこと。
神様が祈りに答えてくださったこと。
そして、私がお答えをしていなかったこと。

感謝が心にあふれてきました。
そのようなときがどれほど必要かと思わされます。

時を作って、主のなさったことを思い出すことの必要性を感じました。

主よ、
あなたがなしてくださった1つ1つのことに感謝します。
あなたのなしてくださったことに感謝してお答えできますように。

2013-04-02

さむっ

昼の時間が長いので、どんなに寒くても大丈夫は大丈夫なんですが、
それにしても、今日の朝は寒くて-3度。
夜も、今まだ10時半ですが、1.7度まで下がっていて、
明日の朝は氷点下確実です。
というか、今朝よりもずっと下がって、-5度くらいまで下がるのでは、という予報が出ています。

あさっての朝まで、冬です。

その後、暖かくなってくれるといいのですが・・・。

さて、今日は早速、日曜日の「日々のみことば」。
日曜日はどーんと飛んで、ヨシュア記の最後の章、24章を読みました。

「それならば、あなたがたのうちにある、異なる神々を除き去り、イスラエルの神、主に、心を傾けなさい」23節。

ここでヨシュアは「あなたがたのうちにある」というのは、物理的に「あなたがたのうちにある」という意味で使ったとは思いますが、ここをわたしたちが読む時には、やはり、「あなたがたの心の中にある」という気持ちで読みますよね。

自分の心の中に、神様以上に大切にしているものはないだろうか、
それを除きさるように、言われているんだろうと思います。

でも、人としての面白さって、大切だと思うし、
何も趣味も持たないのも違うと思うし。

すべてをなくしてしまえば、簡単だし、
それはそれですばらしいんだと思う。

でも、他のものも大切にしながら、神様が与えてくださっているものを感謝していただきながら、でも、それが神様よりも大切にならないように、いつもいつも神様を第一にしていく、そのような歩みをさせていただきたいと思う。

主よ、
私があなた以外のものを「神」にしてしまうことがありませんように。
あなたからいただいているものも、いつの間にかあなた以上に大切になることがありませんように。

2013-04-01

桜の新名所になるかも?

今日は昼間は暖かかったですが、
午後にちょっと雨が降って、それから冷えてきました。
明日とあさって、ちょっと冬に戻るみたいです。

今朝、こんなメールが届いていました。
差出人は私が住んでいるParamusという町の市長(町長?)さんからです。
なんと、日本語です。ちょっと怪しげではありますが、Google Translateよりはちょっとマシなかんじです。

一部伏せながら、大切な部分をほぼコピペします。

パラマス市は、せかいぢゅうからの人々を受け入れています。としょかんには、英語だけではなくて、日本語、韓国語、中国語の本をそろえています。あなたはそれを知っていますか?


わたしたちは、あなたのブログを見ます。あなたが毎年春の中でオーク木の花粉で苦しんでいるを知りました。このオーク木はパラマス市が1960年代に、子供たちがドングリを拾いに楽しみ、リスたちが走り回る町を夢見て植えたものです。その頃にはこんなことになるとは思ってもいませんでした。わたしたちの世代の責任ではないですが、パラマス市をだいひょうして、わたくしがおわびをもうしあげます。そのしるしとして、といっちゃあなんですが、これから1年かけて、××× Roadには、今のオーク木を切って、あなたのそこくの花、桜の木に植え替えることにしました。来年から、あなたは毎年春になると、あなたのそこくにいたときのように、お花見を喜べるでしょう。

あなたに、ひとつのおねがいがあります。それはこのてがみのことを、ブログにかいて、せかいぢゅうのみなさんに、パラマス市の取り組みについて、いい評判をたててください。よろぴく。

最後の「よろぴく」にはさすがにずっこけましたが、「〜といっちゃあなんですが」と妙に馴れ馴れしい文体にちょっと好感が持てないわけでもありません。多分スタッフの中に、カジュアルに日本語の勉強をしている方がおられるのでしょう。

はいはい、依頼の通りブログに書きますよ。今日も読んでくださいましたでしょうか?

でも、何よりもその内容に、おー、すげー、と思いました。
確かに去年のSandyの時には木がバタバタ倒れて、大変でしたからね、そろそろ植え替えた方が最終的なコストは少なくてすむのかもしれません。
今年の花粉シーズンに間に合ってくれるといいのですが、それはさすがにぜいたくと言うもの。この花粉の苦しみも、今年が最後だと思うと、このOak Treeもいとおしく思えて来ます。(いや、それは言い過ぎか?)でも、とにかく来年の春が楽しみです!

ちょっと心配なのは、桜の木を植えてもらったのはいいものの、今度は桜の木の花粉症になったら、どうしようか、ということ。でも、またその時にはまたこのブログを見て、市長さんが柿の木かなにかに植え替えてくださることでしょう!うん、桜の次は柿だ!

(念のために追記しておきますが、これは4月1日付けですから・・・くれぐれも誤解のありませんように。はい。4/3/2013)
(念のために、明記しますが、この上の部分はフィクションであり、来年以降も、我が家の前はきっとOak Treeの名所でしょう。「ひょうたんからこま」ということがあったら、うれしいですが・・・4/18/2013)

では、ちょっと遅れていて、なかなか追いつけませんが、
土曜日の「日々のみことば」から。
土曜日はヨシュア記の9章でした。

そこでイスラエルの人々は彼らの食料品を共に食べ、主のさしずを求めようとはしなかった。 」14節。

8章で神様に聞くことをしていたヨシュアですが、
ここではまた、神様に聞かないで、失敗しています。

でも、これはまたわたしたちの姿だと思います。
1つ失敗を通して学んだら、もう大丈夫、というわけにはいかないですね。
これはハタから見ると、何だろうなあと思いますが、
彼らはすっかり油断してしまったのでしょう。

謙遜にいつもいつも神様に聞きながら歩ませていただきたいです。

神様、
いつもいつもあなたに聞きながら、
あなたのみ声を聞きながら歩ませてください。

2013-03-31

Happy Resurrection Day!


イエスの復活の朝、おめでとうございます。
今朝、あのイエスの墓に行った女性たちのように、夜明け前にと思っていたら、
ちょっと寝過ごして、川沿いに出たら、太陽も昇っていました。
復活のイエスを覚えつつ、祈りつつ、この情景を狙っている周りの熱いカメラマンたちの機材のすごさに恐れを感じつつ、シャッターを切りました。

今日は二つの教会でイースターの礼拝。
どちらも、神様が導いてくださって、幸いな礼拝となりました。
1つ1つの出会いに感謝します。

ずっと前から、お声をかけて来て、初めて来られた方。
今日来られないご予定だったけれども、急に予定が変わって来られた方。
日本やカルフォルニアから旅行で来られていた方々。
みなさんと共に守ることができた礼拝、特別でした。

感謝。

そして、何よりも、イエスがよみがえられた!とのメッセージはものすごいパワフル。
一人一人の歩みがこのメッセージによって、支えられ作り替えられますように!

さて、2日遅れの「日々のみことば」。
金曜日はヨシュア記の8章でした。

「恐れてはならない、おののいてはならない。いくさびとを皆、率い、立って、アイに攻め上りなさい。わたしはアイの王とその民、その町、その地をあなたの手に授ける。」1節。

アイは小さな町で、エリコでの勝利のあと、調子に乗っていたのでしょう。
ヨシュアも1回目は神様の声を聞くことも忘れていたのだと思います。

でも、ここで、もう一度神様に聞いて、立ち上がったヨシュア。
神様が今度は伏兵を置くという作戦を与えられました。

わたしたちは勝手に「これは簡単だから」と神様に求めないこともあるのかと思います。
難しいことだけを神様に求めて。
でも、本当はそんなことなくて、どんなに簡単に見えることでも、神様に聞きながら進んでいくことが大切ですね。

主よ、
あなたのみ声をいつもいつも聞かせてください。
小さなことに見えても、あなたに聞き、あなたに従って歩む者となれますように。

2013-03-30

待ち遠しい・・・。

日本ではもうイースターの礼拝が終わっているんでしょうね。
でも、こちらはまだ土曜日。
イースターの朝が待ち遠しく感じます。

そして、今日も15度くらいまで上がりましたが、
夜にはやはり0度近くまで下がります。

来週前半はちょっと冷えるみたいですが、
再来週にかけて20度を超える日も出てきそうです。
一気に春が進みます。

ってなことで、最近は毎日、どうなったかなあと観察しているのが、
パックのヒラタケ菌床。



2週間前に小さなベビーだったのですが、
やはりこの冷え込みで、あまり大きくならず。
でも、2センチくらいにはなったでしょうか。

ホント、ボチボチです。
昼間の気温が20度くらいになると、ぐっと大きくなるんだと思うのですが・・・。
楽しみに待っています・・・。

さて、木曜日、28日の「日々のみことば」。
ヨシュア記の7章でした。

「立ちなさい。あなたはどうして、そのようにひれ伏しているのか。」10節。

エリコの町よりもずっと小さなアイの町。
エリコで大勝利を収めたイスラエルの人々にとって、
アイの攻略などpiece of cakeだったことでしょう。

でも、彼らは敗れました。

その時に、ヨシュアは神の前に「どうして・・・」とひれ伏して嘆くのです。

でも、ヨシュアがすべきことは、問題を明らかにして取り除くことだったのです。
だから、「立ちなさい」と神は言われたのです。

わたしたちも自分で問題がわかっていながら、
神に嘆いていることがどれだけあるだろうかと思います。

勇気をもって立ち上がること、させていただきたいと思いました。
まず、自分の中の戦いに勝利して、それから出て行かせていただきたいです。

主よ、
どうか、私の内なる戦いに勝利をさせてください。
平安の中に立ち上がっていくことができますように。

イエスの右と左に座る者。

今日は暖かくなりました。15度くらいまで上がったようです。
明日も暖かいようですね。
イースターの朝も朝日を見ることができそうです。

日曜日の夜は雨で、来週の前半は少し寒の戻りがあるようです。

今日はイエスが十字架にかかったGood Friday。
夜には我が家で、レント期間中毎週守って来た学び会の最終回。

今年は「十字架を巡る人々」というテーマで、
十字架に関係のある人々の姿を学んできました。

祭司長/ユダヤの長老たち
ローマから派遣されて来た総督ピラト
イエスを裏切ったユダ
通りかかって無理やり十字架を背負わされたシモン
イエスの弟子ペテロ
ベタニヤの村のマリヤ

そして、今日はイエスの弟子ヨハネでした。

ヨハネは弟子の1人として、イエスによるローマ帝国からの解放を期待していました。
ある日、彼は、兄弟ヤコブと一緒に「あなたが栄光をお受けになる時には、あなたの右と左に座らせてください」と抜け駆けのように、イエスに頼み込みます。

イエスには「それが父なる神が決めることだ」と言われるのですが、
問題はヨハネが「イエスが栄光を受ける」ということをそんなレベルでしか、受け取っていなかったことです。

イエスが「栄光を受ける」と言う時に、それは十字架の中に輝く栄光でした。

「人の子が栄光を受ける時がきた。よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」ヨハネ12:23-24。

ヨハネもやがてそのことに目が開かれていきます。

そして、次のように語ります。

「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。」ヨハネ第一の手紙3:16。

「わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者は、偽り者である。現に見ている兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することはできない。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。」同4:19-21。

今日は、この学びを進めがなら、ここに至って、ヨハネはまさに本当の意味でイエスの隣に座る者になったのではないだろうか?と思われました。

イエスが愛されたように、イエスが仕えられたように、わたしたちも仕えていく、愛していく、それを通してこそ、わたしたちはイエスの隣にいることができるのではないかと。

さて、今週末は引き離されないで追いつけるか・・・ですが、
水曜日27日の「日々のみことば」。

ヨシュア記の6章。
「あなたがたは呼ばわってはならない。あなたがたの声を聞えさせてはならない。また口から言葉を出してはならない。ただ、わたしが呼ばわれと命じる日に、あなたがたは呼ばわらなければならない」。10節。

ここは「黙っている」ということが大切だったんだろうと思う。
声を出したら、「どうして?」「何のために?」ということだっただろう。
神はただ従うことを求められた。

従うことが求められていた。

今、時代はそのようなことには「盲従」とか、「カルト的」とか言って、または「パワハラ」かもしれませんが、ダメ出ししてしまうんでしょうが、結局は「従う」ということを見失っているのだと思います。

私自身そう。

「とにかく従う」ということが苦手。

「納得したら従う」って、ホントは従っていないんでしょうね。

「従う」ということを経験することも大切だと思わされました。
主の最善を信頼して。今はわからなくても、信頼していたら従える、そう思います。

主よ、
従うことを教えてください。
従うことの祝福を経験させてください。

2013-03-28

仕えること。

今日も朝は0度くらいまで下がりましたが、
昼間は10度を少し超えました。
朝は晴れていたのですが、昼間はどんよりでしたね。
ちょっと雨も降りました。

明日もそんな感じかと思います。
土曜日は気温がもう少し上がりそうです。

今日は最後の晩餐の夜。
イエスが弟子たちの足を1つ1つ洗われた夜です。
そして、弟子たちに言われました。

「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と。

もちろん、文字通り足を洗いあう方々もおられるわけですが、
大切なのは文字通り足を洗うことよりも、「仕える」ことだと思います。

当時のイエスと弟子たちと、わたしたちとでは文化も気候も違います。

当時、その地方ではいつも奴隷/下僕が足を洗っていました。
当時、その地方では埃っぽい道をサンダルをはいて歩いていました。

今、わたしたちは靴を履いて歩いています。
特別なことがない限り、足は自分で洗います。

だから、イエスが弟子たちの足を洗うことと、わたしたちが年に1回儀式のようにして足を洗うこととは全然意味が違います。もちろん、誰かの足下にひざまずく、ということだけでも意味があるとは思いますが・・・。

では、イエスが弟子たちの足を洗ったのを、現代のわたしたちに当てはめるとどういうことをすることなんだろう?と思っていました。

そして、もっと日常が問われるのかな、とも思いました。

自分に当てはめると、家庭の中では家事一般とか、
教会の中では、もっと人の言葉に耳を傾けることとか、もっと声をかけることとか。

陰の奉仕がちっとも苦にならない、自分にとっては、もっともっと直接人に仕えていくことなのかなと思います。

もっと仕えることを学ばせていただきたいです。

さて、火曜日、3/26の「日々のみことば」。
火曜日はヨシュア記の4章。

「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」14節。

ヨシュアはここでエリコ攻撃の準備をしています。
それは神の前に備えることだったと思います。
人々は割礼を受け、過越の祭を祝います。

しかし、何よりも大切な備えは、
神の前に主導権を差し出すこと。

ここで、主の軍勢の将がやって来た時に、
ヨシュアは「我らの味方か?向こうの味方か?」と問いますが、
彼は「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」と答えます。

自分勝手なわたしたちは、「じゃあ、味方なんだな」と思うのですが、
そんなこと一言も言っていないわけです。

この「いや」をある英語の訳では「neither」と訳しています。
「こっちの味方?」NO!
「あっちの味方?」NO!

神様のみこころをなすために来たのです。

わたしたちもこの視点が大切です。
自分の思う通りにならないかもしれない。
でも、主のみこころがなされる時に、それを喜んで受け取る。

それが必要です。

主よ、
あなたを主とします。
あなたのなさることを喜ぶ者とならせてください。
そして、人に仕えることを教えてください。

2013-03-27

来た来た来た!

はい、いよいよ春ですよ〜。
って、まだまだ薄着はできないですけどね、
肩をすぼめて歩かなくても大丈夫になりました。

そして、今年も咲きました。

でも、今年はあまりにも春が来るのが遅かったので、飢えたウサギかリスか、鹿かわかりませんが、つぼみが食われまくって、2つと上半分を食いちぎられた下半分1つしか咲いていません。クロッカス。


でも、ホントこれが咲くと、「お、春かな」となります。

これから一気にいろんな花が咲きそうです。

さて、月曜日25日の「日々のみことば」。
月曜日はヨシュア記の4章でした。

「これはあなたがたのうちに、しるしとなるであろう。」6節。

過去のことは過去のこと。
でも、過去に神様がされたことは、今もなさることができる、と信じて歩むことができる。
それは踏み出した時に水がひいたということ。
そのことをなさった神様を子孫にまで伝えていきなさい、と神はイスラエルの民に伝えた。ちょうど、今、ユダヤ人の方々はPassoverを過ごしている。
神様が先祖になさったことを今も、子孫に伝えようとしている。

わたしたちはどうだろうか?
神様がわたしたちの人生にしてくださったこと、わたしたちの歩みの中にしてくださったことを次の世代の人々に伝えようとしているだろうか?

まず、聞くことだ。
先輩たちに聞くこと。
神様がどんなことをしてくださったのか。
そして、わたしたちの経験も合わせて次の世代に伝えていくこと。
今、時代はちょっと前のものは「もう古い」と言うかのような勢いで新しいものを求めている。
でも、もっともっと、歴史の中で、神様がどんなことをしてくださったのか、わたしたちの先輩の世代に、わたしたちの世代にどんなことをしてくださったのか、ちゃんと学んで伝えていきたい、そんなことを思わされた。

神様、
あなたがわたしたちの歴史の中にどんなことをしてくださったのか、
それをしっかり学んで、自分たちの世代にどんなことをしてくださったのか、しっかり消化して、次の世代に伝えていくことができますように。どうか、知恵と実行力を与えてください。

2013-03-26

はい、もう冬は終わりました。

昨日雪が降らなかった段階で、
もう冬のような気持ちにはならなくていいと思いました。

寒い日もあるかもしれません。
冷えこんで-3度とかになる日もあるかもしれません。
薄着で外に出られる日はまだ先でしょう。
でも、日も高くなって来て、昼間の時間も長くなって来て、
冬のような気持ちになることはもうないと思います。

どんどん春らしい場面が出てくると思います。

今は夜の11時半で1.7度。
早速明日の朝は氷点下だと思いますが、
日中は10度くらいまで上がりそうです。

土曜日はJOY JOYイースターでした。
寒い日でしたが、たくさんのみんなが集まってくれました。

教会のHPのアルバムから1枚。


ホントに寒かったんですが、
子供たちはやっぱり外でエッグハントをするのが大好き。
大人は「寒い寒い」と凍えていましたが、
子供たちは元気いっぱいでした。

イエスさまが復活されたことをお祝いするのがイースター。
今年は今度の日曜日、31日です。

教会では、心からイエスの復活をお祝いします。
お近くの方、ぜひお出かけ下さい。

さて、まだなかなか追いつけませんが、
日曜日(24日)の「日々のみことば」。
日曜日はヨシュア記の3章。

「箱をかく者がヨルダンにきて、箱をかく祭司たちの足が水ぎわにひたると同時に、-ヨルダンは刈入れの間中、岸一面にあふれるのであるが、- 上から流れくだる水はとどまって、はるか遠くのザレタンのかたわらにある町アダムのあたりで、うず高く立ち、アラバの海すなわち塩の海の方に流れくだる水は全くせきとめられた」15−16節。

紅海を渡るとき、紅海はモーセが杖を差し伸べると二つに分かれて、
その間を民は進んでいくことができました。

でも、ヨルダン川を渡る時には、
祭司たちはまだ水が流れていた川に踏み出す必要がありました。
川に足を踏み入れるまで、水は止まりませんでした。

わたしたちが歩んでいく時にも、
神様はしばしば、道を大きく開いて、「さあ行きなさい」と導かれます。
しかし、ある時には、まだ道は開かれていないのに、
「さあ行きなさい」と言われます。
そんなときは、まず、足を踏み出した時に、一歩踏み出した時に、
神様が道を開かれるのです。

信仰ですね。
信頼です。

道が開かれるのを待っていないで、
とにかく主が導かれるところへ一歩踏み出す。
その時に開かれていく世界。
それを知っている人は幸いです。

主よ、
一歩踏み出す時に、あなたが開かれる世界があります。
ずっと待っていたら、知ることのできないこと。
どうか、これからの歩みの中で、そのことをもっと経験させてください。

2013-03-25

降らなかったですね。

今日は午前中は雪も雨もほとんど降らず、
午後遅くなってから雨が降ってきました。

今も小雨が降っているようですが、全然大したことなく終わりそうです。

そして、この後はちょっと天気がよくて、
日に日に暖かくなりそうです。
来週までは、寒い日もあったりしそうですが、
4月2週目からは本格的な春になりそう!
やっと出口が見えてきました!

毎年、2月初めのグランドホッグデーにはペンシルバニア州のPunxsutawneyという私にはとっても読めない名前の村のフィル君というグランドホッグが春が2週間後に来るか6週間後に来るか、予言をするんですが、今年は春はすぐに来ると予言したグランドホッグのフィル君がオハイオ州の検事に起訴されてしまいました。先週の出来事。うーん、アメリカ!だね。

でも、今日になって、グランドホッグ語を英語に通訳したグランドホッグクラブの会長が、間違えたという証言が飛び出し、この起訴は取り下げられることになりそうです。

さて、遅れていますが、先週土曜日、23日の「日々のみことば」。
土曜日はヨシュア記の2章でした。

「あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。」11節。

これは、エリコの町のラハブの言葉です。
元々神を信じていなかったというか、偶像礼拝をしていたエリコの町のラハブですが、彼女は家らエルの人々が信じている神が、彼らを荒野の旅の中で守って来られたこと、またヨルダン川がせき止められて渡ることができたこと、その中に、天も地もすべてを支配しておられる神を見たのです。

ならば、神を信じる者が、本気でそのように生きなければ・・・と思わされました。
信じているならば信じている者らしく、それにふさわしく生きなければ、と思いました。

言葉だけではなく、生活自体すべてで、神を神として、神の全能を信頼して、歩んでいこうと思います。

主よ、
あなたが天でも地でも神であられることを信じます。
信頼します。
信じているのならば信じている者らしい生き方をすることができますように。

2013-03-24

春の雪。

NJに住んでいると3月下旬に雪が降ろうと、何もびっくりすることはない。
4月に降ることだって別に珍しことではない。
ホワイトイースターだってある。
自分は5月の雪ってのは経験ないけど、昔からの方で「5月に降ったことがある」と言っていた方もおられた。

ま、5月はさすがにびっくり、ですが、
明日3月25日の雪はあり得るでしょう・・・

自分が大学生くらいの時、
東京でもそんなことあったし・・・と思って調べてみたら、
1986年の3月23日。ちなみに昭和61年。(昭和は西暦との換算が楽だった・・・)
日曜日でしたね。
自分は大学を卒業して聖書学院に入る直前。

教会は東京地区の合同礼拝で青山学院大学の講堂で礼拝を守っていて、
自分は深川の教会でお留守番。
深川は昼まで雨だったのですが、
テレビをつけたら原宿からの中継が雪。

深川に住んで国立(くにたち)の大学に行っていましたから、そりゃあ、ウチで雨でも三鷹あたりで雪に変わることはしょっちゅう経験していましたが、このときは原宿と深川で雨と雪がわかれるのにはさすがにびっくりしましたね。

そんなことしているうちに深川の雨も大きなぼたん雪に変わり、みるみる雪化粧。

この時、多摩地区では本当に大雪になって西武新宿線は追突事故起こしましたよね。

もう27年前(!)のことですが・・・。

ですから、明日の雪も油断はできません・・・。

さて、金曜日の「日々のみことば」。
金曜日はヨシュア記に飛んで第1章。

「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」9節。

これはもう励まされる言葉ですね。
いままでずっとリーダーとして民を導いて来たモーセが死んで、
新しいリーダーとして立てられたヨシュア。
神はヨシュアに「私はモーセと共にいたように、あなたとも共にいる」と語られたのです。

だから勇気を出して、強く、雄々しくあれと。

同じ主が、私たちと共にいてくださることに感謝。

神様、
あなたが共にいてくださることに感謝します。
あなたの励ましに感謝します。勇気をもって歩んでいきます。

うーん、まだまだがまん。

今日は、昼頃に教会に行く時には本当にいい天気。
ああ春なのかなあ・・・と思っていましたが、
また、夕方に帰る時にはどんより、冬の空に戻っていました。

そして、明日は雪の予報。
雪は降るんですが、それほどひどくはならなそうな感じです。
多くても10センチ・・・十分多いか。
でも、もしかしたら、ホントほとんど積もらないかもしれません。

そして、その後も、先週ほどではないですが、寒い日が続きそうです。
ああ、早く春にならないかなあ。
去年は3月中に25度くらいまで上がる日もあったのに・・・。
まだまだがまんのようです。

先週の木曜日はJOY JOYキッズクラブ。
今月はバードフィーダーを作りました。



なんだかよくわからない写真ですが、
松ぼっくりやプリッツェルにバードフィーダーとショートニングを混ぜたものを詰め込んだもの。

我が家の庭では、リスが喜んで食べていました・・・。

みんなのうちではどうだったかなあ。

さて、先週木曜日の「日々のみことば」
民数記の21章でした。

「すべてのかまれた者が仰いで、それを見るならば生きるであろう」8節。

何度も何度もつぶやく民たち。
本当に愚かだなあ、と客観的に見たら思いますが、
自分がそこにいたら、どうだっただろうか、ということも思わされます。

その罪を犯した民が蛇にかまれた時に、彼らを救うために青銅の蛇が上げられました。
そして、その蛇を仰いだ者たちが救われたのです。

そんなこと?と思われるかもしれません。
当時の人々も思ったかもしれません。

でも、それが神様の方法でした。
その青銅の蛇と同じように、イエスはご自身が十字架にかけられることを予言して言いました。

「そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:14-15

わたしたちも理屈は置いておいて、ん?もうちょっといい言い方がないかな、とにかくイエスが罪を負って下さったがゆえに、信じる者は救われる、と聖書は語っているのだから、理屈的にはよくわからなかったとしても、とにかく、イエスの十字架を仰ぐときに、永遠の命が与えられるのだというのだから、そうすればいい。ただ、仰ぐだけでいい。

本当に単純にイエスの言葉を信じて、信頼して歩んでいこう。

主よ、
あなたが十字架にかかってくださって、
わたしたち罪を負って下さってありがとうございます。
どうか、あなたの恵みを単純に信頼して歩む者とならせてください。

またかい?

はい、先週後半も、また数日更新できてません。
 
はい、この週末も、またタイムマネージメントが今ひとつ上手にできず、遅くまで教会で仕事中です。「しなければいけないこと」と「したいこと」との狭間で、いろいろ考えさせられます。

実は金曜日、教会の集まりのあと、テーブルをちょっと無理に動かそうと思って、壊してしまいました。(いえ、ガタが来ていたのは確かなんですが・・・。)土曜日の朝、それを会堂を貸してくださっている教会の方にお話ししたら、「誰か直すから大丈夫だよ」と言っておられたので、ホッとしたのですが、夜9時頃になって、教会に礼拝の準備のために来たら、そのテーブルが壊れたまま、日曜日を迎えるのが気になって仕方がなくなってしまい、ついつい、直してしまいました。「自分は今夜は明日の礼拝の準備することがプライオリティ」とわかっているのですが、気になってしまってとてもとても、準備どころではなかったので・・・ってな調子です。

はい、日曜日の礼拝がまた、楽しみです。
今週も、御言葉が一人一人の心にとどまりますように。
ひとりでも、心の目が開かれて、神様の愛がより深くわかる経験が与えられますように。
主が触れてくださいますように。

はい、次の月曜日も、また雪です。
どうなることやら。
ひょっとしたら、ヤバい雪になるかもです。