2013-04-16

幼子のような信仰

昨日、今日と暖かな、穏やかな日が続いています。
明日も暖かい日になりそうです。

昨日はあまりの悲しさと怒りに、日常的なことを書く気にはなれなかったのですが、
実は、昨日は休日で、前々から作りたいと思っていた、肉まんに挑戦。
これがなかなかうまくて、でも、もうちょっといろいろトライしてみたくて、ちょっとやる気になっています。

で、昨日、豚ひき肉を買ったついでに、庭にニラが生えて来たから、ギョウザでも作ろうと思っていたスーパーでの買い物の帰りに、ラジオから流れて来た、悲しいニュース。

到底、ギョウザまではできずに、今日の宿題に。

ちょうどのんちが夕方まで仕事だったので、
娘たちに手伝ってもらって、作りました。
夜は集会があったので、帰って来てから、
自分の分の皮を延ばして、包んで、かりっと焼き上がり。
(留守番の子供たちは勝手に食べてて、のんちは、さすがにこの時間にそれほど食べれず、1個だけ。残りは全部食べました。15個くらい!


どんどん生えてくるニラは
どんどん食べて差し上げましょう。

さて、昨日15日の「日々のみことば」。
昨日はサムエル記上の17章。
ダビデが巨人ゴリアテを倒すところです。

「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです」33節。

サウルは戦いの厳しさを知っていました。
だからこそ、ダビデが戦いに出て行けるとは思っていませんでした。

でも、ダビデは戦いの厳しさを知らなかった代わりに、
神様の力を知っていました。
羊飼いをしながら、神様の力を経験していました。

私たちが戦いの厳しさを知っていることはしばしば、私たちの目を神様にではなく、問題の大きさ、戦いの厳しさに向けてしまいます。
そして、神様の大きさを見えないようにしてしまうのです。

戦いの厳しさを知っているかどうか、よりも、神様の大きさを知っているかどうかの方がずっとずっと強いのです。

私ももしかしたら、サウルのようになっているのかもしれません。

戦いの厳しさを知っている中で、
神様の力を見失っている、そういうことにならないように、
ダビデのような幼子のような心で、出て行くことができますように。

神様、
あなたの力を信頼します。
あなたの御業を見せてください。
あなたのみ力を表してください。

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