勢いがついて来たので、4/7日曜日の「日々のみことば」から。
サムエル記上の7章。
「その時サムエルは一つの石をとってミヅパとエシャナの間にすえ、『主は今に至るまでわれわれを助けられた』と言って、その名をエベネゼルと名づけた。」12節。
先週、現地校でも補習校でも6年生となったサキが、
「Historyは何で勉強しないといけないの?終わったことでしょう。mathは計算のために必要、Englishは読んだり書いたりするのに必要、scienceは天気予報のために必要(あ、これは私の脚色)、だけど、Historyは何のためにやるのかわからない。」
とのたまわった。
どこまで本気かわからないし、「これから、mathやscienceの意味もどんどんわからなくなるぞ〜」と思いながら、「そりゃあなあ、歴史の中には神様からのメッセージが隠れているからなんだぞ」と大真面目に答えてしまいました。
そう、歴史の中には神様のメッセージが込められている。
私もどちらかと言うと、前に向かって歩んでいきたいと思う方で、
あんまり後ろを振り返りたい方ではない。
歴史は好きでしたけど。
歴史小説なんかも好きでしたけど。
でも、教会で過去を振り返ってとか、あんまり好きではなかった。
もっと前に向かっていけばいいじゃん。
過去のよかったこととか、そんなのにしがみついてもしょうがないし。
そんな風に思っていた。
でも、ここでサムエルは「ここまで守ってくださった主」に感謝をささげている。
詩篇の103:2には「主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな」と書かれている。
歴史の中に、自分のここまでの歩みの中に、教会の歩みの中に、
神様の声を聞いていこう。
主よ、
歴史から学びます。
あなたがそこから語ってくださっている声を聞きとることができますように。
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