今日も朝は0度くらいまで下がりましたが、
昼間は10度を少し超えました。
朝は晴れていたのですが、昼間はどんよりでしたね。
ちょっと雨も降りました。
明日もそんな感じかと思います。
土曜日は気温がもう少し上がりそうです。
今日は最後の晩餐の夜。
イエスが弟子たちの足を1つ1つ洗われた夜です。
そして、弟子たちに言われました。
「あなたがたも互いに足を洗い合いなさい」と。
もちろん、文字通り足を洗いあう方々もおられるわけですが、
大切なのは文字通り足を洗うことよりも、「仕える」ことだと思います。
当時のイエスと弟子たちと、わたしたちとでは文化も気候も違います。
当時、その地方ではいつも奴隷/下僕が足を洗っていました。
当時、その地方では埃っぽい道をサンダルをはいて歩いていました。
今、わたしたちは靴を履いて歩いています。
特別なことがない限り、足は自分で洗います。
だから、イエスが弟子たちの足を洗うことと、わたしたちが年に1回儀式のようにして足を洗うこととは全然意味が違います。もちろん、誰かの足下にひざまずく、ということだけでも意味があるとは思いますが・・・。
では、イエスが弟子たちの足を洗ったのを、現代のわたしたちに当てはめるとどういうことをすることなんだろう?と思っていました。
そして、もっと日常が問われるのかな、とも思いました。
自分に当てはめると、家庭の中では家事一般とか、
教会の中では、もっと人の言葉に耳を傾けることとか、もっと声をかけることとか。
陰の奉仕がちっとも苦にならない、自分にとっては、もっともっと直接人に仕えていくことなのかなと思います。
もっと仕えることを学ばせていただきたいです。
さて、火曜日、3/26の「日々のみことば」。
火曜日はヨシュア記の4章。
「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」14節。
ヨシュアはここでエリコ攻撃の準備をしています。
それは神の前に備えることだったと思います。
人々は割礼を受け、過越の祭を祝います。
しかし、何よりも大切な備えは、
神の前に主導権を差し出すこと。
ここで、主の軍勢の将がやって来た時に、
ヨシュアは「我らの味方か?向こうの味方か?」と問いますが、
彼は「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」と答えます。
自分勝手なわたしたちは、「じゃあ、味方なんだな」と思うのですが、
そんなこと一言も言っていないわけです。
この「いや」をある英語の訳では「neither」と訳しています。
「こっちの味方?」NO!
「あっちの味方?」NO!
神様のみこころをなすために来たのです。
わたしたちもこの視点が大切です。
自分の思う通りにならないかもしれない。
でも、主のみこころがなされる時に、それを喜んで受け取る。
それが必要です。
主よ、
あなたを主とします。
あなたのなさることを喜ぶ者とならせてください。
そして、人に仕えることを教えてください。
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