2006-12-04

主を頼る

今朝の雪は1でした。
朝、6時過ぎに家を出る時には晴れていたので、
ああ、0かな。と思いましたが、
9時頃、ちらほらと降っていました。
ですから「かきごおりスケール」で今朝は1でした。

それで、今日はその後も気温が上がらず、昼間でも3度くらいまでしか行きませんでした。
そして、夜の10時現在、-2.1度C。あっさりこの冬最低を更新です。
たぶん-4度くらいは行くでしょう。

それから、「のりたま」の件ですが、
まず、
「のり」と「たまご」は入っていないとウソになるので、
さすがに入っているようです。
あと、「塩」も入っているのは想像できますよね。

さて、あとふりかけですから「ごま」が入っているのもまあ順当、と言うところで、

「砂糖」も入っていますね。
でも、「はちみつ」は入っていません。
「はちみつ」が入っているのは、「ヒデキ、カンゲキ!」の○ーモントカレーでしょう。

あ、話はそれますが、
○ウスの「印度カレー」好きだったんですが、
今も、売っているようですが、
あんまり見ません。
こっちのミツワでも、日本のヨーカドーでも見ませんねえ。
どうしてなんでしょうか?

話を戻しますが、
あと、「のりたま」には「鶏肉」も入っているんですねえ。
「親子ふりかけ」ですねえ。

ここまでで6コ。あと4つです。

あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、バナナ、アロエ、粉ミルク

の中から4つ。
さすがに「バナナ」は入っていません。
「アロエ」も入っていないんです。
「カカオ」も入っていませんねえ、おかしじゃないんだから・・・。

さて、

あんこ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、粉ミルク

この中で入っていないのが2つ。
入っているのが4つ。

「えー」ですよね。

かきごおり的に入っていそうなモノは、
昆布と抹茶かな。
あとはねえ・・・って感じですが、

正解は

「あんこ」「抹茶」「イースト」「粉ミルク」だそうです。

一番、え?と思うのは「あんこ」ですよねえ。
まあ、正確には「こしあん」なんですが、
ちゃんと袋に書いてあります。
「お菓子じゃないんだから・・・」と思いました。でも、
「のりたま」だけではなく、このメーカーのふりかけにはかなりの確率で、
「こしあん」が入っています。

ちゃんと丸美屋食品のFAQのページにも書かれています。
それに結構同じことを感じる人がいるみたいで、
電話で問い合わせた人もいるんですねえ。

でも、これ、ねらったんでしょうねえ。
単に「小豆粉末」って書いたっていいのだろうと思います。
でも、そこで敢えて「こしあん」と書いているんですから・・・。

甘いあんこが入っているかと思うじゃん。
「えー」って思うじゃん。
まんまとはまっているんだよねえ。自分。

でも、何のために入っているのか、
入っているのと入っていないのではどういう風に風味が違うのか、
ナゾです。



それはそうと、「アンパンマン」の中身って、「つぶあん」なんだってね。



ま、どうでもいいけど。


さあ、ここから本題の聖書です。
今日はコリント人への第2の手紙に進んで1章です。

「これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(9節)

パウロが自分の経験した苦しみをこのように理解しています。
その苦しみを通して、パウロが経験したのは、自分の力ではどうにもならない、
神様の力を頼るしかない、ということでした。
そして、その神様は「死者をもよみがえらせる神」なのです。
この神様を信頼することができるのです。

私たちは、他に頼ることができるものがあると、どうしても、
それを頼ってしまいます。
人を頼り、お金を頼り、健康を頼り、能力を頼り・・・。

でも、それらが取り去られる時に、
ああ、神様しか頼るモノがないんだということを知る時に、
初めて私たちは真剣に神を求めるのではないでしょうか?

本気で神様を頼る時が来ていると思います。
私個人もそうですし、
教会もそうです。

私たちは神様の力が現われる教会を作り上げていきたい、
いや、神様に作り上げて頂きたいと思います。

私たちの力ではなく、
私たちの知恵ではなく、
そういうものが無にされたところに働く神の力を見たいのです。

主よ、
あなたの御力を見せてください。
あなたの御業を拝させてください。
私は何を頼っているでしょうか?
あなたを頼る者としてください。
教会の中にもその様な空気が充満しますように。

2006-12-03

広い門が開かれている

今日の日曜日、
風邪でお休みの方々も多かったのですが、
それでも、今日もたくさんの方々と礼拝が守れて感謝しました。
今日来られなかった方々にも神様の慰めが届きますように。

明日から日曜日を除く毎日朝6時半から祈り会です。

ですから、出来るだけ11時には休んで、早く起きて、備えたいです。
「起きてすぐ出てきましたー」みたいな感じより、
早く起きて備えたいです。

で、明日の朝の雪ですが、
今朝のスケールで1にダウングレードします。
たぶん、降ってもちらほらでしょう。

子ども達はSnow Dayを期待していましたが、
あり得ません。
ちゃんと、学校あります。

そして、今のところ、しばらく雪の予報もありません。
まあ、突然、「あさって雪」とか言い出すのが、
この季節の予報の難しさを表しているのですが、
そんなもんです。

ここで、がらっと話題を変えますが、
丸美屋の「のりたま」知ってます?
次の中で入っているものは何でしょうか?
NJの教会には、食べたものの中に入っているモノを見事に当ててしまう、
元「○の素」の社員の方がおられますが、
皆さんはどうでしょうか?

砂糖、はちみつ、塩、ゴマ、あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、鶏肉、卵、昆布、海苔、バナナ、アロエ、粉ミルク

このうち10種類は入っています。

つまりウソが6つ。

答えは明日の夜。
ウチにある、またはミツワの近くに住んでいる、という方は調べてみて下さい。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙16章でした。

手紙の最後のパウロの挨拶ですが、
「働きのための広い門が私のために開かれており」という9節の言葉が心に留りました。
神様が私たちの働きのために広い門を開かれている、ということを、
今もこの地にあって歩んでいて、感じます。
それを感謝して受け取って、そこで働きをすることの幸いを感じます。
これも特別なことなのです。

あるところでは迫害もあります。
そしてそこでは、迫害の中で熱い思いを持って主に仕えておられる方々もおられるといいます。
でも、今、迫害もなく、「広い門が開かれている」ということも、またすばらしいことです。(パウロの場合はここに「反対者も多い」と続くのですが・・・)
その開かれた門の広さ、大きさを敏感に感じ取って、
そこに大胆に働いていくことの大切さを思わされます。

もっともっと、開かれている門の大きさにふさわしい働きをさせて頂きたいと思います。

神様、
あなたがこの地にあって、大きく働きのための門を開いていて下さることに心から感謝します。
どうか、その開かれた大きな門から大胆に入っていって、
福音を、あなたの愛を伝える者としてください。
どうか、もっともっと大きく門を開いてください。
それを活用する知恵と、力と、情熱と、働き人を与えて下さい。

今日からアドベント

昨日の夜は11時にメシ喰って、
12時過ぎには寝たので、お腹がめちゃもたれています。
やっぱダメだよねえ、そんなことしちゃ。もうオヤジなんだから。

と情けない話から入っておきながら、
急にシャキッとした話題になりますが、
今日から教会はアドベントに入ります。
アドベントはキリストの誕生を祝うクリスマスを待ち望み、
「私はもう一度来る」と約束されたイエスの「再臨」を待ち望む、
クリスマスまでの4回の日曜日。
今年は24日が日曜日なので、今日から4回の日曜日、
3週間続きます。

教会によっては一年を通して毎朝「早朝祈祷会」を持っています。
(韓国系の教会はアメリカでも朝5時半からやっているんだそうです・・・)
私たちの教会はここ数年、毎年このアドベントの時だけ6時半から、
早朝祈祷会をしています。
今年は5時半にしようかな・・・とちょっと思ったのですが、
やはり6時半にしました。
明日からです。
祈りは教会の原動力。
神様の前に出て一日を始めるとその一日は全く違う一日になります。
教会まで来れない方も、これを機会に朝6時半(もっと早い方も多いでしょうが)、
祈りの時としましょう。

で、お天気ですが、
金曜日は21度Cまで上がりました。
いやあ気持ち悪いくらいでした。
でも、昨日からは冬になって、
今朝はこの冬2番目の-0.9度Cまで下がりました。

明日の朝は、雪が舞っているでしょう。
大したことはありません。
早朝祈祷会に影響はありません。たぶん・・・。

で、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙の15章でした。
最後の言葉が心に留りました。

「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(58節)

どんな労苦も無駄になることはない。
何という慰めでしょうか?何という励ましでしょうか?
昨日の一日の働きも、
今日語られるメッセージも、
人目に触れることのない隠れた働きも、
決して無駄に終わることはない。

ちょっと疲れてしまった時に、
ちょっとした言葉に捕らわれて、
ちょっと襲ってくる不信仰、
それを吹き飛ばすのはやはり御言葉の力だなあと思いました。

決して無駄はない。
そう、私たちがここに生かされていること自体、
ここに人々との出会いが与えられていること自体、
神様にあっては意味のあることなのだ、と思います。
自分にはまだ見えてこないことも、意味があるんだと。

神様、
ありがとうございます。
あなたの守りと支えに感謝します。
御言葉による励ましに感謝します。
今日の一日のひとりひとりの働きを守り祝福して下さい。
あなたにとっては無駄なことは何もないということを、
信頼して歩ませて下さい。

2006-12-02

罪が示されて

いやあ、今日はあっという間に時間が過ぎていきました。
夜の11時半。
昨日の分だけでも更新しておかないと・・・
でも、とにかく早く休んで早く起きたいので、とにかく昨日の分だけ。

昨日の分だけ、と言いながら、しっかり、あさって、月曜日の雪の予想をチェック。
たぶん、「降ってもたいしたことはない」ということです。
低気圧は発達しながら、東海岸を進むのですが、
ちょっと沖合を離れて進むことになりそうで、
主力は海上。
雪は降っても大したことはないでしょう。

この際、個人的なスケールを考えました。
「小雪がちらほら」を1として、
「1996年1月のBlizzard」を10とすると・・・
インプレッションですが、
今年の2月の礼拝を中止にしたのは7かな。
数年前のPresident Dayの大雪は8。

今回は2か3くらいでしょう。

まあ、ちょっと残念なような、ほっとしたような・・・。

で、昨日の聖書。
昨日読んだのは、第1コリント14章。
その中で心に留ったのは、

「しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によって罪を示されます。みなにさばかれ、心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。」という24-25節の言葉です。

これはすごいなあと思いましたし、
これが教会なんだろうと思いました。

そこに入ってきた時に、初めての方々が、
心に罪が示されて、悔い改めに導かれるような、その様な雰囲気があふれているところ。
「自分には関係ない」
「何言っているかわからない」
そういう印象を与えるのではなくて、
また、何か単に「居心地のいいところ」というところではなくて、
心が探られて、
罪が示されて、
「わたしはどうすればいいのですか」という問いが出てくるような、その様なspiritualな空気が流れているような、その様な礼拝、そのような教会を目指していきたいと思いました。

そのためにはやはり神様にいつも聞いて、
神様に祈って、教会のひとりひとりが心が探られて、
きよめられて、神様のspiritで満たされることが必要なのではないだろうかと思いました。

私から、その様にして下さい。
その様に私を整えて下さい。

主よ、
あなたを求めます。
「教会運営」とか「リーダーシップ」について学ぶことも大切だと思います。
でも、それ以上に、あなたのspiritに満たされることが私には必要だと思います。
どうかあなたがあふれて下さい。
私のうちに満ちあふれて下さい。
明日の礼拝にあふれて下さい。
そして、人々の心を探り、触れて下さい。
新しくあなたを信じて歩み始める方々も起されますように。

2006-12-01

ちょっとお休み

今日は先ほど集会から帰ってきて、
明日はまた早いので、
更新はまた明日ゆっくりとします。
今夜の嵐は大騒ぎしたほどではありませんでしたが、
(もうちょっと西の方ではすごかったのかな?)
今夜はこれから冷え込んで来るみたいです。

ではでは。

2006-11-30

愛は期待する

今日はほんとうに暖かかったですね。
予想通り20度C突破!
ウチの温度計で20.2度まで行きました。
明日も暖かいようですが、
雨が降り、また雷雨になるようです。
そして明日の夜半から急に冷え込んで、
あさってからはちゃんと冬になるみたいです。

今夜はオクラホマ、カンザス、ミズーリ、イリノイあたりは大雪です。

NJは月曜日に注目ですが、
まだまだ分かりません。
何にもないかもしれませんし、小雪が舞うかもしれませんし、大雪かもしれません。
4日後の天気の予想なんて、そんなもんです。

昨日の夜、
トイレの電気がつかない。
うーん、いつものように電球が切れたのかなあ、と振ってみても、
「カラカラ」という音はしない。他の電球に換えてもつかない。
うーん、たぶんスイッチだ。
ということで、スイッチを買いにお店に。
取り替えるためには、電気を落とさなければいけない・・・。

そんなこと夜中に出来るか!
ということで、今朝まで待って、今朝取り替えました。
取り替え自体は簡単だったのですが、
スイッチに電気が来ていると感電して、びりびりして、コワイです。

そう、小学校の1年生の時だったかな。
風車で遊んでいて、その風車が金属のヤツだったんだけど、
その手に持つところをコンセントに差込んだらどうなるんだろうか、って、
思って、「どうしようかな、どうしようかな」って迷ったことがありました。

迷ってどうしたかというと、「えいっ」と思い切って差込んだんですねえ。(バカ)


ボン


と音がして、家中の電気が切れました。
ブレーカーかヒューズか分かりませんが、飛んだんですね。
そういう「安全装置」がなかったら、私は今この世にはおりませんです。

もちろん、それから両親にめちゃくちゃ怒られました。
2度とこんなことしてはいけない、死んじゃうよ、と。

でも、たとえ、両親が怒らなかったとしても、
「死んじゃうよ」と脅かされなかったとしても、
絶対2度とあんなことしません。

めっちゃこわかったです。

ですから、電気の怖さはもう身にしみて分かっています。たぶん。

でも、アメリカでこんなことがあって、子供がけがをしたり、亡くなったりしたら、
コンセントに穴が開いているのが悪いとコンセントを作った会社が訴えられたり、
風車の持つところが金属なのが悪いと、風車メーカーが訴えられたり、
こんなおもちゃを与える学校が悪いと、学校が訴えられたりするんでしょうか。
まさかね。

まあ、そんなことはいいでしょう。
そう、話を今朝の作業の話に戻して・・・

スイッチに来ている電気を止めなければいけません。

でも、わからない・・・。

いろいろ書いてあるんですが、「bedrooms」っていうブレーカーを切っても、落ちない。
あっちこっち消しまくって、でも、なかなか見つかりませんでした。

だって、配電盤はガレージで、一つスイッチ切るたびに、「さあ、トイレの電気は切れたかな」と
調べに行かなければいけなかったんですから。
それも、電球は元々つかないので、スイッチに繋がっている電線にテスターを当てて、
チェックしなければいけなかったんですから。
何往復したことか。
配線をする方には必ず「どのブレーカーでどの部屋の電気が落ちる」かを正確に書いてもらいたいです。

でも、やっとの事でブレーカーが見つかり
(そこには、なんと「地下の倉庫」とラベルが付いていました!)
電気を切って、作業をして、無事に完了。
当たり前のことなんですが、電気がついた時には、何かうれしいですよね。
家族のいない時間帯に作業をしたのですが、
夕食の時には、「ねえ、トイレの電気つくようになったよ!」とアピールしないではいられませんでした。(家のことを何かした時には、ほめて欲しいと、やたらに家族にアピールする典型的な「夫」。)

今日の聖書。
今日は「愛の賛歌」と呼ばれる、コリント人への手紙13章でした。

4節からの一つ一つの言葉がぐさぐさ来るのですが、
その中で、7節の「すべてを期待する」という言葉が、心に暖かく響きました。
愛は期待する。

自分は何を期待しているでしょうか?

神様の御業を期待する。
神様が助けて下さることを期待する。

そんな感じで、神様がいいことをして下さることを期待することが多いと思います。

でも、今日はそれに加えて、

「人に期待する」
ということを考えさせられました。

人を信じること、
人の神様に向かう姿勢を信じること、
人に神様が語ってくださるのだ、と信じること、

自分には必要なこと、
自分に必要な「愛」であることを感じました。

神様、
わたしはあなたを信じます。
あなたが人の中にしてくださる大きな御業を。
人に語ってくださって、人の人生を大きく変えてくださること。
人があなたを求めて、
あなたに語って頂いて、答えを頂いて立ち上がること。
期待します。愛をもって。

2006-11-29

神はお一人

今日はまたどんよりとした日でした。
でも、寒いまではいかないありがたい日でした。
朝から10度くらいあったし、
昼間は15度くらいいきました。

明日は!
20度突破も夢ではありません。
何か、JOYJOYキッズクラブの日は
なんだか、暖かい日が多いですね。
明日は気をつけて、パッチを履かないで行こうと思います。

そして、金曜日!
雨です。
16日の予報では60センチの雪だったわけですが、
それはさすがに外れました。
でも、50ミリくらいの雨が予想されています。
1ミリの雨がちょうど10センチくらいの雪になりますから、
雨か雪かの違いということで許してもらいましょう。
(その違いが大きいのですが・・・)

そして次の注目が日曜日の夜から月曜日。
あちらこちらで「snowstorm」の文字が躍り始めました。
大体、今仕事で天気予報やっている皆さんの精神構造は、
私と似ていますから、
ちょっとでも可能性があると、
「お、おおっ」と盛り上がってしまうんでしょうねえ。

さあ、もう目が離せません!

でも、その一方で、今、物忘れのひどさに落ち込んでいます。
今日も、言われても「そうだったかなー、確かにそんな気もするけど・・・」
程度にしか思い出せないことがあって、悲しかったです。

つい2週間くらい前の話なんですが、
すっかり忘れておりました。
言われて、「あーっ」と焦るのもイヤですが、
言われて、「そうでしたっけ・・・」ってのはまた怖いですねえ。

月曜日、出かけた時も、郵便局に寄ってから・・・
と思って、その時間も計算して家を出たのに、
郵便局の手前でハイウェイに乗ってしまっている自分に気がついて、
がっかりしたところでした。
それは、「あーっ」っと思ったケースですが・・・。

今月はJOYJOYキッズクラブで、
「私たちのことは神様が造ってくださったんだよ」という話をしているのですが、
この忘れっぽくなってきて、
頭の中のどの引き出しに記憶が入っているのか、
それさえも分からなくなってしまってきているのは、
なかなか受け入れがたいです。

でも、神様は私をこのように造ってくださったんですよね。
こんな間抜けなヤツに。
感謝します。

今日の聖書はコリント人への第1の手紙の12章。
ここはよく読むところです。
わかりやすいところでもあります。

その中で心に留った言葉は、
「働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。」という6節の言葉。

私たちはキリストのからだで、
手足、いろんな器官で、お互い違う、
でも、その私たちのウチに働いてくださる神様はお一人なんだと。

ちょうど私たちの手足がすべて脳の命令で動いているように、
私たちも神様の導きによって、
神様からひとりひとりが力を頂いて、
ひとりひとりが恵みを頂いて、
御言葉を頂いて歩んでいくことがほんとうに大切なことなんだと思いました。

そうやって、それぞれの器官は脳と直接繋がっているんだけれども、
右手が痛い時は左手が右手の働きをしたり、
かばったりする、それがキリストのからだなんだと思います。

教会も、私たちお互いも、その様な歩みをさせて頂きたいと思いました。

イエスさま、
あなたがわたしたちの頭でいてくださることに感謝します。
ひとりひとりの導き手でいてくださることに感謝します。
どうか、あなたの導きをひとりひとりが頂きながら、
でも、お互いに「われ関せず」ではなくて、
支え合い、かばい合っていくことが出来ますように。
その様な愛を、あなたご自身から頂いて、
与えていくことが出来ますように。

私たちをほんとうのキリストのからだとしてください。





2006-11-28

disciplined by the Lord

今日は予想通り、昨日までよりも肌寒かったですね。
今日の朝、「まあ大丈夫か」とパッチを履かないで過ごしていたら、
カラダが冷える冷える。
午後からはちゃんとパッチを履いて、セーターを着込んで挽回しました。
最高気温は15度Cくらいまで上がったのですが、
太陽が出なかったからでしょう。
肌寒く感じました。

明日も今日みたいな天気。
あさってはもう一回暖かくなって、
金曜日は雨。
そして土曜日からは冬です。

お風邪などお召しになりませんように。

夜、車を運転しながらラジオを聞いていたら、
明日の夜、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーの点灯式なんですね。
もうそんな時期になるんですね。
NJに住んで13回目のクリスマス。
あのツリーも毎年まではいかなくても、
2年に1回以上は見に行っています。
やっぱり、見事ですから・・・。
今年はこの暖かさのせいか、
Thanksgiving Dayの翌日に買い物に行かなかったせいか、
なんだか、クリスマスがやってくる、という感じがしません。

もう、JOYJOYクリスマスまではあと2週間を切ったわけだし、
いろいろ準備始めないと・・・。

今日の聖書はコリント人への第1の手紙の11章でした。
心に留った言葉は英語の方で、
32節の「we are being disciplined」という言葉です。
日本語だと、「訓練される」「弟子として整えられる」という意味です。

主によって訓練される、整えられる。
それはきついことです。
逃げ出したくなることもあります。

今までの経験の中で一番きつかったことを思い出してみると、
「自分が神様にもっともっと用いられるための訓練だったから、ああいうことがもう一回あってもいい」とはどうしても言えません。
いつだったか、「神様に整えられるために試練をも厭いません」と祈ったことがありましたが、それは間違いだったのかなあ、と思うこともあります。

でも、その様なきついことを通して、
神様は確かに、私をご自身の近くに引き寄せて下さったと思います。

次に試練が襲ってきた時には、
やっぱり「早く抜け出したい」と思うだろうと思います。
だから、今、ほんとうに心に留めておきたいと思います。

その様な時は、神様が私をご自身の近くに引き寄せて下さる時だと。
祈りに導き、神様の御思いを分ち合って下さる時だと。

主よ、
今、試みの中にある方々を守って下さい。
共にあって下さい。
支えて下さい。
私が次に試練に合う時には、
あなたの御手をその中に認めることが出来ますように。
あなたの招きの手を認めることが出来ますように。

2006-11-27

何とかして幾人かを

今日はほんとうに暖かくなりました。
18度くらいまで上がりました。
明日は、東風が入ってくるので、
今日ほどは行かないようですが、
それでも、15度くらいまで上がるでしょう。

今日は先週亡くなられた方の葬儀に参列してきました。
ご高齢だったのですが、Heart Attackで急に亡くなられたとのこと。
印象に残ったのはお嬢さんがお父さんの思い出を語られたところ。
お父様はunconditional loveを与えてくれた。
だから、私は天のお父様のunconditional loveを素直に受け入れることが出来た。
と仰っていました。
英語の方で、私たちの教会には年に1度か2度来られる程度でしたので、
その信仰を余り深く知ることはできませんでしたが、
思い出を語られる皆さんの言葉の中に、
故人の人柄と信仰を感じさせられました。

最近、いろんなことから、人の生き死にについて、考えさせられ、
また当然、自分の問題としても考えさせられています。

ほんとうにいろんなことを考えているんですが、
やっぱり自分の今の願いは、次の世代を担っていく子ども達に、
出来るだけたくさんの子ども達に、聖書のメッセージを伝えたい、
そう思っています。
そのために出来ることを一日一日していくこと、それを考えています。

そして、しょうもない話に聞こえるかもしれないのですが、
もしも、今、自分が神様に召されて、この世を去るとしたら、
自分が主人公である「葬儀」という場では、
私のことを知っている子ども達はもちろん、
初めての子達も、たくさん来てもらって、
思いっきり子ども達のためのプログラムを取り入れて欲しいのです。
簡素にとは思います。棺桶とかは一番安いヤツがいいです。
でも、プログラムは思いっきり楽しく派手にして欲しいです。
これは、その場では自分で指示を出せないので、
今のうちにみんなに言っておかなければいけないと思っているんですが、
子供のためのメッセージを葬儀ではして欲しい、
そして、思いっきり、この世で神様の愛を感じながら生きることのすばらしさを、
そして、天国の希望を語って欲しい、と思います。
故人は天国でイエスにお会いして喜んでいるのだということをはっきりと伝えて欲しいです。
子ども達にもわかる歌をたくさん入れて、
踊りも入れてくださったらいいと思います。

自分が主人公の集まりはそんなにないから、
そんなわがままを是非許してください。
自己顕示欲強すぎ?
でも自分のためじゃなくて、神様のためだから、許してやってください。

これ読んだ方、覚えててくださいね。
もしかしたら、今日明日かもしれないけど、
もしかしたら、何十年も後になってからかもしれないし、
実際自分が死に直面したら、こんなことも言っていられないかもしれないので、
覚えててください。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙9章を読みました。

「それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(22節)

よく知っている言葉ですが、
今日また大きなインパクトで私の心に響いてきました。
何とかして幾人かを救うために、いろんなことをしてきたパウロ。
力を尽くしてきたパウロ。
自分もその様に歩みたいと思いました。
これからも人が救いに導かれることを祈り求めていきたいと思いました。
もっともっとそのために出来ることをしていきたいと思いました。

そのための方法をもっともっと真剣にいろいろ考えていきたいと思います。
そのことで頭がいっぱい、みたいな日々を送りしたいと思います。

主よ、
あなたの愛を知ることができた幸いを感謝します。
どうか、あなたの愛を伝える方法をもっともっと教えてください。
もっともっとどのようにしたらいいか、考える力を与えて下さい。
知恵を与えて下さい。
そして、ひとりでも多くの方にあなたの愛を伝えることが出来ますように。
私自身をあなたの愛で満たして下さい。


2006-11-26

知識と愛

日曜日が終わりました。
今朝は0.4度。
最高気温は15度くらいいきました。
まだしばらく暖かい日が続くようです。
助かりますね。

21日の記事にある、メールをくれた大学時代の友人が
教会に行ってくれたそうです。

その様子を教えてくれました。
こちら
それから
こちら
またまたうれしかったですねえ。

是非、続けて通って頂きたいです。
お祈りしております。

さてさて、
今日はコリント人への第1の手紙8章を読みました。

「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」(1節

いい言葉だなあと思いますが、
またどきっとする言葉でもあります。
自分が知っていると思うことは、傲慢へと自分を導き、
それは愛の道とは反するのだと・・・。

自分が分かっていると思っているならば、
分かっているはずのことも分かっていないことを知らなければいけないと・・・。

自分はどうだろうかと思います。
ほんとうに愛があるだろうかと。

もっと愛を教えて欲しいと思います。
自分が知ったようにならないように守って頂きたいと思います。

主よ、
どうか私を傲慢の罪から守り、
愛に満たされて歩むことが出来ますように。
この地に福音を伝える者として、
私を用いて下さい。

2006-11-25

夫によって妻によって

今朝は-0.7度C。
我ながら、正確な予想!と思いましたねえ。
で、昼間はそこそこ暖かかったです。
でも、夕方から冷えてきて、
今11時ですが、3.4度C。
明日の朝の最低気温は0度くらいでしょう。

昼間はもっと暖かくなるようです。

で、ここまで書いたところで、Firefoxがクラッシュしてしまって、
強制終了。

でも、このFirefoxのありがたいところ、
自動的に、強制終了したところから再開してくれます。

さすがに保存していなかった文章は消えてしまいましたが、
題名だけは残っていました。

少しずつでも保存しておくべきでしたね。
Internet Explorerよりも軽くて優秀。
細かいところは分かりませんが・・・。

今日はあっさりと一日一章に進んでいきましょう。
今日読んだのはコリント人への第1の手紙の7章。

難解なところです。
時代背景からか、パウロの世の終わりが近いという切迫感からか、
「結婚していない人は結婚しないままの方がいい」などという言葉まで出てきます。

そんな中で、心に留った言葉は、
「信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められている」という14節の言葉です。

時々、「夫を置いてクリスチャンにはなれない」「妻と一緒じゃないと・・・」と洗礼を受けられるのをためらわれる方々もあります。でも、ここを読むと、たとえどちらかでも信仰をもつことはその家庭にとって祝福となるのだということがわかります。

そして、それはクリスチャン同士の夫婦でも言えるのではないでしょうか?
妻の存在が、夫の存在が、自分を支え、自分の信仰をサポートしていると。

だから、結婚している者たちにとって、
自分の信仰は自分のものだけではなくて、
相手のためのものでもあると。

そういえば、それは家族全体にも広げられるし、
もっと大きな社会全体にも広げられる。

自分の存在が、自分の信仰が、この社会にとって、神の祝福の流れ入るポイントになるんだと。

そのような存在とされていることを感謝すると共に、
身が引き締まるような思いがします。

神様、
どうか、あなたの豊かな祝福を、
私という存在を通して、私たちの夫婦に、
家庭に、そしてこの社会に流し込んで下さい。
そのような者とされていることを感謝します。
もっともっと豊かに流し込んで下さい。

2006-11-24

だまされてもいい

今日はほんとうに気持ちよく晴れて、
暖かい日になりました。
でも、穏やかに晴れた夜のですので、
けっこう冷え込むでしょう。
明日の朝の最低気温の予想はズバリ-1度C(かきごおり家の庭)。

でも昼間はまた暖かくなり、そのままずっとしばらく穏やかな日が続くみたいです。
たぶん、1週間くらい。ありがたいですね。

今日は夕方、成分献血に行ってきました。
5年前、9/11の時に、ラジオで「○○では献血を求めています」と近所の
血液センターの案内を流していたので、すぐに出かけてみると、
もう長蛇の列。
そこで車から降ろされることもなく、
名前と血液型だけ聞かれて、帰されました。

それから何ヶ月かに1回、
「また献血できますか?」
と電話がかかってきます。

春、花粉の季節は薬を飲むのでパス。
夏、JOYJOYの頃は、体力に自信がないのでパス。

ですから、今頃はいいんですね。

それでいつからか、「血がいいから、成分献血はどう?」と、
血小板の献血をしています。
日本にいる時から、血が濃くて、比重を測る液体に入れると、
すぐに「どぼーん」と沈むので、濃いのは分かっているのですが、
それがどうして成分献血に向いているのかは分かりません。
英語を誤解しているのかもしれません。

いずれにせよ、血小板を差し上げています。

でも、ちょっと「どうしようかな」と思うのが、
あの血が帰ってくる時の感触。
片腕献血なので、しばらく血が採られて、
血小板だけ集められて、また戻ってくるわけですが、
その血を戻す時に、何とも言えず「重ーい」感じがします。
そして、時々針がじょうずに入っていないと、
痛いです。
一回は完璧に静脈を外れていたようで、
パンパンに腫れて即刻中止。

今日もちょっとあれ?って場面もありましたが、
慣れている人が直して下さって、無事1時間半で終了。

プロモーションで、レストランのお食事券10ドル分頂きました。
時々プロモーションでいろんなものをくれます。
今までもらったのはぬいぐるみとホットドッグ。

今日はお仕事が休みの方が多かったのか、いろんな世代の人々が来ていましたが、
いつもは私のお休みの月曜日の朝に行っているので、
おじいちゃんやおばあちゃんがたくさんです。
すごい!と思います。
今日は車いすのおばあちゃんも献血に来られていました。
こんないい方、やっぱり自分が上に立って見ているのかもしれませんが、
あのおばあちゃんがやっているのなら、もっとがんばろう、と思いました。

いつか自分や家族、友人が人からもらうこともあるだろうし、
こんなモンが役に立つなら・・・ありがたいことです。

今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙6章を読みました。

「そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。」7節の言葉です。

教会の中で訴え合う人々に対してパウロが語った言葉です。

ほんとうにそうですよね。
負けるのは悔しいし、
誤解されっぱなしもイヤだと思います。

でも、訴え合うこと自体が敗北。
だまされていてもいいじゃないかと・・・。

出来るかな、と思います。
ほんとうに誤解されて、だまされて、ひどい目にあって、
それでもいい、と言えるだろうかと思います。

それでもいいと言えるほど、
神様から、「わたしは知っているからね」と言われるほど、
神様と共に、神様に近く歩んでいきたいと思いました。

神様、
私はまだ人に認められるとうれしい人間です。
人から誤解されたり、おとしめられたりすると、悔しく感じます。
どうか、あなたが私のことをどれほど大切に思って下さっているか、
どんなに誤解されているように感じる時にも、
あなたはわたしを知っていて下さることを確信できるように、
いつもいつもあなたと近く歩ませて下さい。

高慢にならないように

昨日は一日冷たい雨でした。
4度Cくらいで、「大雨」ではありませんでしたが、
結構降りました。
そして、今日はばっちり晴れています。
そして、ぽかぽかしています。
この先1週間くらい暖かいようです。
そのあと、冬になるみたいです。

アメリカで初めて迎えたThanksgivingのことを思い出します。
San Diegoの日系人協会のご婦人がお嬢さんとお二人で迎えるThanksgivingに、
私たち家族を招いてくださいました。まだ息子が1歳半くらいの時でした。
にぎやかなことは何もありませんでしたが、暖かな一時でした。

それから14年。
友人と2,3家族でお祝いしたり、
ひとりで暮らしておられる方々と過ごしたり、
誰かに招かれて、遊びに行ったり、
突然、当日に「何か物足りないなあ・・・」と集合をかけたり、
あと、教会の行事が入ったり。

なんでかわかりませんが、
かきごおり的には「家族水入らず」ってのが
ちょっと物足りないような気がして、
ここ何年か、「どなたでもどうぞ」スタンスでやっています。

付き合ってくださった皆さんに感謝しつつ。

昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙の5章を読みました。

心に響いたと言うよりは、
ちょっと、引っかかった言葉。
「あなたがたの高慢は、よくないことです。
あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、
粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか。」
6節の言葉です。

ちょっとしたこと、に見えることも、それを放っておくと、
全体にもものすごい影響があるということですよね。

重かったです。
自分の心の中のこともそうです。
本当に小さな思いでも、
自分の生活全体に影響を与えてしまうことがあります。

また教会のことでもそうです。
ちょっとしたことを見逃していると、
全体にも影響してしまうと・・・。

自分はあまりカリカリしたくない人間です。(みんなそうか?)
でも、本当に「これはまずい」と思うことは、
本当にはっきりとした態度をとらなければいけないことを、
そういうことを放っておくと、大変になるんだということを、
思わされました。

主よ、
私に勇気を与えてください。
大切な時にははっきりとした態度で、
対決をすることができるように。
自分に対しても、
また周りの人々に対しても・・・。
そして、一つ一つの問題が、
「放っておけない問題」なのかどうか、
見極める鋭さを与えてください。


2006-11-23

奇跡は起らず・・・

そう、今日の午後雨が上がるという奇跡は起りませんでした。
いや、反対に、さあ、作業を始めるぞ、という1時頃から本降りになって、
ずっと雨が降り続いていました。

最初は傘でやってたんですが、
「やっぱ、これはまずいよなあ」ということになって、
テントを引っ張り出してきて、
テントを張って、その下で揚げました。

ずっと雨でした。

たくさんの方々がおいで下さいました。
50人+かな。
JOYJOY関係の方々も何人か・・・。
初めてお会いするお父さん達も数名。

楽しい一時を過ごしました。
もっと遊びたかったなあ。

ということで、眠いので、
今日の更新はここまで。

また明日、一日一章と共にいろいろと・・・。

ではでは。

Happy Thanksgiving!

今日もここに来てくださった方々に、
神様の祝福がありますように!

また夜に更新します。

ののしられた時は・・・

今、一仕事終わって、ホッと一息。
でも、なぜかまだまだ元気なので、ここで更新。

今日は朝6時半頃出て、一日NY Cityでした。
NYの真ん中の図書館で勉強しながら、
時々、人にお会いしに出動。
電話がかかってきたり、かけたり。

まあ、図書館を簡易オフィスとして使わせて頂いております。
もちろん、無料。
コンピューターを持ち込めば、インターネット使い放題。

でも、重いのを持ち運ぶのが億劫になって、
最近は携帯一つです。

今日はとても不思議な気持ちがしました。
自分がNYのど真ん中で、
日本語を使う牧師のひとりとして、
そこにいること自体が。

もっともっと大きなフィールドがそこにあるような気がしています。

こんなことを書くと、教会の人たちは・・・「また仕事を増やす気か?」と思われるかもしれないので、
ほどほどにしておきますが、何かまたわくわく病になってしまったみたいです。

午後3時頃から雨がパラパラ降り出しました。
最初はNYでもちょっとsleet(あられ?みぞれ?)が混ざっていました。

で、今3度Cくらいで雨が降っています。
明日は、雨には止んで頂かないといけないのですが、
天気予報は絶望的な予報を出しています。

どうする?揚げTurkey。

「ガレージでやるんですか?」というメールを頂いたが、
ググってみると、「ガレージでやるのも危ない」「家を燃やしてしまった人もいる」
と出てくるんですよね。
ちゃんと見張っていれば、大丈夫だとは思うのですが・・・

でも、万が一、教会の財産、灰にしちゃったら、ヤバイですよね。
「何があったんですか?」って聞かれて、
「いやあ、ガレージでTurkey揚げてたら・・・」なんて言えないですよね。

まあ、おそらく傘をさして、外でやるのでしょう。

その前に、奇跡的に、昼頃雨が上がる、という奇跡を祈っていきましょう。

今日の聖書。
今日はコリント第1の手紙の4章を読みました。

心に留った言葉は、
「ののしられるときには、慰めのことばをかけます。」
13節の言葉です。

すげえ、の一言です。
マジすげえです。

ののしられた時に、自分だったらどうするでしょうか?
「泣く」「愚痴る」「避ける」「逃げる」「ののしり返す」・・・
でも、「慰めの言葉」は思いつかなかったです。
降参です。

その様な心境になるのはいつのことなのでしょうか?
「人を変えようと思わないで、分かろうとしなさい」
いつもいつも自分に言い聞かせている言葉です。

そういうことなのかな、と思いました。
「彼が私をののしらなければいけない精神状態にあるのはどうしてなんだろうか」
と相手のことを思う気持ちがあれば、「慰めの言葉」が出てくるのでしょうか?

いずれにせよ、「自分を守る」という必要がない人の言葉ですよね。
「自分を守る」ことをしなくても、大丈夫な、ゆとりのある人の言葉ですよね。

主から、いっぱい愛をもらって、主と共に歩んでいることを確信した時に、
出てくる言葉ですよね。

主に満たして頂きたいです。

主よ、
私にも、パウロのように言わせてください。
ののしられた時には、慰めの言葉をかけられるくらいに、
私の心を大きく大きく育ててください。
あなたの愛でいっぱいに満たし、
愛されている喜びで満たしてください。
人から認められること、愛されることばかり求めるのではなく、
あなたに愛されている喜びあふれて、
人をあいすることが出来ますように。
人を理解することが出来ますように。

2006-11-22

NY Day

でした。

肌寒い一日でした。
これからやることがあるので、
たぶん更新は夜中か、明日の朝。

ではでは。

2006-11-21

試された時に残るもの

今朝の気温は-1.5度C。
予想よりもちょっと冷え込みましたね。
また車のフロントガラスの霜もばっちり降りてました。

明日の朝はもうちょっと寒いかも・・・。
今、夜の10時で1度C。
たぶん、-3度くらいまで下がるのでは・・・。
明日の朝は早く起きてバスでNYに行くので、寒いのはゴメンしたいのですが・・・。

あと、今日の午後から、
天気予報が一斉にThanksgiving Dayの「風と雨」の予想を出し始めました。
えーって感じです。
思いっきり外れて欲しいです。

実はとてもうれしいことがありました。
今もこのページを見てくれているかもしれませんが、
24年前、大学入学した時の友人からメールが来ました。

大学入学の時、一緒にオリエンテーションを受けた仲間のひとり。
でも、その後、サークルも違えば、専門のゼミも違う、
いつの間にか疎遠になっていた友人でした。


その彼からの突然のメール。
「覚えていますか?」と。
もちろん、覚えていました。

教会に行ってみようかなあ、と思って、
私のことを思い出してくれて、
名前で検索したそうです。

そして、ニュージャージーに同じ名前の牧師がいることを突き止めて、
教会のサイトに行ったら、あの顔が出てきた、と、
メール下さったわけです。

うれしいですねえ。
インターネットのおかげ。
こうやってネット上の再会が出来るわけですから・・・。
彼の方も、ネット上に顔写真が露出されているので、
「あ、変わってないじゃん!」という感じでした。

あと、20年以上経って、
「あいつクリスチャンだったよなあ」と思い出してもらえたこと。
その時に、特に何もなくても、
後になってからでも、
その時の自分の存在が用いられた、ということ。
とてもうれしかったです。

その友人のご一家のためにお祈りしていきたいと思いました。

今日の聖書。
コリント第1の手紙3章を読みました。

「この火がその力で各人の働きの真価をためす」
との言葉が心に留りました。
これは13節です。

教会の土台はイエス・キリスト、それは何の問題もない。
他には土台となるものはない。

でも、その上に何をもって建物を建てるかが問題。
それが火の中を通る時に、その真価が問われるという。
調子のいい時、すべてが順調の時、環境が恵まれている時、
順調に成長する教会でも、
嵐が来る時に、耐えられる教会を形成しているだろうか?

嵐の中で、しっかりと立っていける教会を育てているだろうか?
闘いの中で、落ち込むようなこと起ってくる中で、苦しみながらも、
「助けてください!」と主に求める教会を、クリスチャンを育てているだろうか?

問われているように思った。

主よ、
恵まれている、私たちの状況を感謝します。
でも、ほんとうに嵐の中でも、火の中でも、
耐えうる教会を育てているでしょうか?
主よ、嵐の中に堅く立つ教会を育てさせてください。
逆風の中で、あなたを見上げ続ける者たちの教会としてください。
ホンモノの教会を建て上げて下さい。

2006-11-20

神の力によって

今朝の最低気温は1.3度C。
うーん、やっぱり予想よりも高かったですねえ。
もう少しでしたね。

でも、今日は昼間もずっと曇っていて、
気温は6度くらいまで上がったのですが、
体感的にはもっと寒く感じました。

今、夜の9時半で4度C。
最低気温の予想はズバリ-1度。
明日の朝、ガレージに入っていない車は霜に注意ですよ。
私も7時に教会ですから、ちょっと早めにでて霜がついてたら、
ガリガリしなければいけません。
湿度が結構低いので、余りたくさんつくことはないと思いますが・・・。

明日、あさって、と過ぎたら、もうThanksgiving Dayですね。
そして心はもうその翌日へ・・・。

一年で一番お店が本気で安売りをする日です。
日本でいうと、初売りの日かな。
今は1月2日になっているのでしょうか?
日本にいる時にはアイワールドとかで、
新年に、すごい特売の品がありましたよね。
そのノリです。

Black Fridayと呼ばれています。
初めに聞いた時には、「なんだそれ?」と思いました。
だって、株が暴落した日とかを
Black Monday(1987)、Black Thursday(1929)と呼ぶのに、
なんで、こんな買い物でごった返す日を、
Black Fridayと呼ぶのかなあと。

諸説あるようですが、まあ、「黒字」の金曜日という意味なんでしょう。
この日からクリスマスまでの間の売り上げが一年を決めるそうですから。

朝6時頃からお店が開いていたりします。
ほんとうに欲しいものがある時は、本気になる価値がある日ですよね。


今、欲しいものは・・・

うーんと・・・


教会堂。


朝早く並んだら安く買える、というモンでもないので、
朝早く目が覚めたら・・・

お祈りします。

サンクスギビングの日の新聞に広告が入ってきますが、
今ではこんなサイトもあります。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙2章です。

「そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」4-5節

この言葉が心に留りました。
ひとりひとりの信仰が人間の知恵によって支えられているのではなく、
神の力によって支えられるために、聖霊様の働きを頂いていく、
その様な働きをしているだろうかと、思わされました。

自分の働きはどうだろうかと。

聖霊様に働いて頂いているだろうかと。

聖霊様に頼った、働きをしたいと思わされました。
プログラムを一生懸命考えることや、
人々の気をひくことを考えるよりも、
聖霊様を本気で求めた、神様の力を本気で求めた働きをしたいと思います。

そのためにもっともっと祈る時、
もっともっとみことばに聞く時、
自分には必要だと思いました。

神様、
どうか、私に触れてください。
私の心を、聖霊様によって満たし、
新しい力に満たして、用いてください。
人の知恵ではなく、あなたの力を土台とした
教会を建て上げさせて下さい。

2006-11-19

十字架につけられたキリスト

今日は、
ほんとうにたくさんの方々が教会の礼拝に来られました。
Thanksgivingの礼拝でした。
中高生以上だけで100人近く。
子ども達を入れると140人くらいかな。

それだけで元気をもらえます。

礼拝も元気に、そして、真剣に。

私たちが感謝すべきことの一番は、
やはり、「イエス・キリストを与えられたこと」。
そして、これは誰にでも与えられていることです。

あとのパーティーも盛りだくさん。
まあ、教会の皆さんも、芸達者な方々も多く、
自分を捨て切る方々も多く、
いつも脱帽させられます。

子ども達がまたたくさんというのもうれしいです。
JOYJOY Kids Clubの仲間も、
JOYJOY Campの仲間も、
今までにないくらいたくさん来てくれました。

神様、今日の一日のたくさんの方々との出会いをありがとうございます!

もっともっと真剣に、楽しく、また熱くメッセージを語る者でありたいと思います。

今朝の温度は5度。
「ブログの発表ほど寒くない!」と苦情を頂いておりますが、
まあ、暖かいのはいいじゃないですか?
暖房費も安く済むし・・・。
寒いかなあ、と思って厚着をした方には申し訳ありませんが・・・。
自分自身も必要以上にパッチを履いて、「暑いですねえ」と挨拶していますし。

今、夜の11時過ぎで、5.2度Cです。
ズバリ、明日の朝のParamusのかきごおり家の庭の温度は
(って、それが誰かの役に立つか?)
0度と読みました。
これは夜何時頃から晴れてくるか、で決まるのですが、
一日どんよりしてた空が、今ちょうど晴れつつあるからです。
晴れると、温度は下がります。
昼間は晴れると太陽の熱で温度が上がることが多いのですが、
夜は逆に晴れると温度が下がり、
曇っていると、ちょうど毛布を掛けて寝た時のように、熱がこもるのです。

ですから、これから晴れるので、どんどん温度が下がって、0度。
もしかしたら、氷点下に下がるかもしれません。

そして、今、かきごおり的に注目しているのが、
Thanksgiving Dayの天気。

火曜日くらいにカロライナ沖に低気圧が発生して、
北に上がってくるようです。
それがどれくらい陸地に近く上がってくるか、
どれくらいの速度で上がってくるかによって、
木曜日の天気がどうなるか、微妙なところです。

何で注目しているかというと、
Turkeyを揚げたいからです。
丸揚げ。
ここ4年くらいやっています。
いいのは1パウンドあたり3-4分なので、
手頃な大きさのを選ぶと40分くらいでできあがるからです。
あと、香ばしいかな。

問題は、そんな危ないこと、
外でしかできない。
寒い日はいや。
風の強い日も困る。
でも一番大変なのは、雨。
小雨で、傘をさしながらやったこともありますが、
油に水が入ったら、大騒ぎですからねえ。

今年は「室内用電気ターキーフライヤー」も出てきていますから、
そんなの買ったら、いいのかもしれませんが、
まあ、あれも、そんなこといいながら、外でやるのがいいわけで・・・。
雨にならないことだけを祈りつつ。

さて、長くなりましたが、
今日の聖書。

今日はコリント人への第1の手紙に入りました。1章です。
その中で、やはり心に留ったのはこの言葉でした。

「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」(22-23節)

十字架につけられたキリスト。
人々に語っているキリストではなく、
奇跡を行うキリストではなく、
復活のキリストでもなく、

「十字架のキリスト」を宣べ伝える。
あの十字架の敗北に見えるような、
惨めな、十字架のキリストを宣べ伝える。

そこには神の愛があふれているから。
それによって私たちが赦されたから。
そこまで私たちのことを愛してくださったから・・・。

「そこが分からないのです」という方もおられたりする。
だからといって避けないで、
大胆に語っていくことの大切さを思わされます。

いつもいつもバカの一つ覚えのように、
十字架にかけられたキリストを語り続ける、
そのような者であり続けたいと思います。

私たちのために、
神様はそこまでしてくださったのですから・・・。

主よ、
どうか、あなたの愛を語らせてください。
キリストの十字架をただただ、単純に語る者とならせてください。
他の気の利く話は出来なくてもいいです、
特別な人の気をひく話は下手でもいいです。
ただ、十字架の話をした時に、
それが人の心に伝わるような、説教者になりたいです。
どうか、その様な者にしてください。

福音によって立たせられる

朝の更新は無理でした。
時間に追われまくりました。

日曜日の夜です。
帰ったのは8時を過ぎておりまして、
10時を過ぎて落ち着いて、
さあ、かこうかなあーという感じです。

日曜日のことは後で書くとして、
とりあえず18日のこと。

やっぱり夜の流星群は見れませんでしたね。
12時頃に夜空を見上げてみましたが、
ばっちり曇っておりました。
そして、ちょっと検索してみても、
何か「見えた!」というのは余り見かけませんね。

次は12月半ばのふたご座流星群ですね。
寒そうですが、木の葉っぱが落ちて、
夜空が広く見えていますし、空気が澄んでいますし、
こちらは余り短い時間に集中するタイプではないようですので、
ちょっと屋根にでも登ってみようかなあ、なんて思っております。

土曜日はユース(中高生)の集まり。
20数人が集まって、楽しく過ごしました。
前半、メッセージをしましたが、
みんな一生懸命聞いてくれました。

彼らの成長は楽しみです。
大学で大体あっちこっちに別れていってしまうんだけれども、
それでも、彼らが教会にいてくれるのは大きな力ですし、
励ましです。

そして、必ずしも教会にその恩恵が返ってこなくてもいい、
実際多くの方々が日本に帰って行かれるわけですから、
中高生になっても教会に続けてくる子ばかりでもないのですが、
子ども達に、何度も何度も繰り返して、
教会って楽しいところだし、大切なメッセージが聞けるんだ、
ということを子ども達にも、お父さん、お母さんにも、
伝えていくことが使命だと思わされています。

で、昨日の聖書。
昨日はローマ人への手紙の16章を読みました。

その中で心に留ったのが、
昨日、ちょっと書いた、最後の言葉です。

「世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方・・・」(25-26節)

私たちが堅く立っていくことができるのは、
「神様の力」だし、
「今や現されて、あらゆる人々に知らされた奥義の啓示」だというのです。
それは、「福音」つまり、「あなたの罪のためにキリストが十字架で死なれた。信じる者は救われる」というメッセージです。

毎週毎週講壇に立っている身には、
「何か目新しいことを言わなければいけないのでは・・・」
という気持ちになることがあります。
でも、聖書は単純ですよね。
「この福音によって、私たちは堅く立たせられているのだ」というのです。

特別なことではない。
ただ、いつもいつもキリストの十字架を語ること、
十字架の救いを語ることを大切にしていきたいと思います。
ひとりひとりがそこに堅く立つことができるようにと祈りながら・・・。

神様、
福音を感謝します。
私自身、福音のすばらしさを経験することが出来たこと、
頭だけではなくて、心の奥底まで、それを経験することが出来たことに感謝します。
どうか、この福音をこれからも大胆に語り続けることのできる者でありますように。

2006-11-18

うーん、お休み

今日はちょっと眠いし、
やることもまだあるので、お休み。
あしたの朝にアップできるかも・・・。
出来なければ夜。

ではおやすみなさい。

あ、御言葉だけは書いておこうかな。

「世々にわたって長い間隠されていたが、今や現されて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方・・・」
ローマ16章25-26節

ではでは。

2006-11-17

忍耐と励ましの神

今日もまだ暖かでした。
でも、今晩から冷えてくるのでしょう。
今、夜の11時ですが、
8.4度Cまで下がってきました。
明日の朝は3-4度くらいまで下がると思います。

そして昼間は10度くらいの予報がでています。

明日の夜は「しし座流星群」の日です。
何かと言えば、「1時間に何十個も流れ星が見える夜」です。
ピークの時間帯、東海岸は夜中です。夜中の11時半から12時半。
自転の関係で、ほんとうは明け方が最高にいいみたいなんですが、
そのベストポジションはアフリカの西海岸とかだそうです。

それから、天気は雲が多いみたいなんで、
もしかしたらアウトかもしれません。

今日の朝は祈り会。
10人の方々が集まりました。
常連の方でお休みの方々もおられたので、
もっともっと多くなる可能性もありますね。

4グループで祈ったのですが、
うちのグループは熱かったですよお。
もっともっと熱い祈りが捧げられて、
月曜日に書いたように「リバイバル」が起りますように。

明日の夜も祈り会。
PPHと言って、Praise & Prayer Hourです。
熱い祈りを捧げるためにみんなで集まりましょう。

今日の聖書は
ローマ人への手紙の15章です。
この手紙も、もうあと1章を残すのみとなりました。
今日私が語られたのは、
「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。」という5節の言葉です。

この章には、「忍耐と励ましの神」「望みの神」「平和の神」と、神様が私たちに与えてくださるモノが、神様のご性質として記されています。

その中の最初のところが心に留ったのです。
この方は私に忍耐と励ましとを与えて下さる方。
そして、それによって、「みんなが一つになる」ことができる、というのです。

逆に言うと、私たちが一つになるためには、
忍耐と励ましが必要で、
それを神様が与えて下さるのだ、ということだと思います。

私に必要なものはそれだと思います。
忍耐と励まし。
それは神様にとっては「まさにわたしがあなたに与えようとしているモノじゃないか」
というものなのです。

求めていこうと思いました。
この方と共にいたいと思いました。
今日もこの方がおられることに心から感謝します。

神様、
どうか、私と共にいて、
私に忍耐を与えて下さい。
私に忍耐力が与えられますように。
また、私を励まして下さい。
すぐにめげたりしないように、励ましを下さい。
そして、いつもいつも語り続けてください。
あなたと共に歩ませてください。

2006-11-16

神が立たせる

今日はまた暖かな日でした。
家でデスクワークをしている時はいいのですが、
今日はキッズクラブがありました。
さすがにその時に、厚手の長袖のシャツに、

下にはパッチを履いたまま行ったのは大失敗でした。

今日は、今までの新記録で50人くらいの元気な子達が集まりました。
3箇所でやっているKids Clubの中で、一番小さい場所。
こんな暖かな日に、
そこに大人を入れたら70人くらいの人が集まったんですから、
それは暑いの暑くないのって、
だらだら汗をかいてしまいました。

Tシャツ一枚の人が今日はたくさんいましたが、
それが正解。

でも、みんな楽しそうで、ほんとうにうれしいです。
もっともっといいプログラムを、もっともっと大切なメッセージを、

と思わされます。

この暖かさも今日でお別れ。

明日からは昼間は8-13度、朝は0度前後の日が続きそうです。

これを見て下さい。


色が付いているところは雨が降るところです。
そして、赤と青の線が温度です。
ちょうどNY Cityのあたりを青い線が通っているのが分かるでしょうか?
これが気温0度の線です。
NJ側は0度以下です。
つまり「雪」です。
これがあたったら、これはモンスタースノーになります。
60センチくらい積ります。

でも、たぶんあたりません。
なぜなら、これはGFS(
Global Forecast System)の12月1日の予想。つまり2週間後の予想だからです。
あり得ません。2週間後の低気圧の位置や気温があたるわけがありません。
大体、今までの経験で、雪が降るかどうか分かるのは大体24-48時間前です。

でも、楽しみに見ていくことにしましょう。

では、今日の聖書。
今日はローマ人への手紙14章を読みました。

心に留ったのは、
「このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」という
4節の言葉です。

人のことを裁くなよ、という文脈の中でパウロが言っている言葉です。
人のことをとやかく言うな、
その人もあなたと同じように、神の僕なんだ。
そして、神はその人を立たせることもできるんだ、と言っているのです。

その人を立たせるのは神なんだ。

そのことをもう一度思わされました。
神様の御業に信頼して、その人が他の誰からでもなく、
神様から語られて、教えられて、立ち上がっていく、
そのことを信頼して歩んでいくことが大切なんだと、
語られました。

人のあたたかい言葉も、人の助けもありがたいでしょう。
また、人の批判も受ける勇気も必要でしょう。

でも、その人自身が神様に立たせて頂いているんだ、という土台が
どれくらい大切かと思います。

何年も前にある信徒さんが言われた言葉。
いつも牧師としての働きについて、土台となっている言葉です。

「牧師の働きは、私たちが牧師に頼って、牧師に慰められて行くということではなくて、
私たちが神様の方を向くことできるように助けることではないでしょうか?」

神様の代わりになってはいけない。
神様をいつもいつも指し示す働きをさせて頂きたいと思います。
立たせて下さるのは神様ご自身ですから。

主よ、
今日のみことばに感謝します。
もう一度、私の働きが何かを教えて下さいました。
人を立たせ、支えるのはあなたです。
あなたを信頼して、
あなたを指し示す働きをさせて下さい。
主にあるお一人ひとりが、あなたを見上げて歩むことできますように。

2006-11-15

夜明けは近い

まだ昼間ですが、夜はNYですので、
帰ってきてから、元気があるかどうか分からないので、
今のうちにアップしておきます。

昨日の夜1時頃、
カミさんに起こされる。
って、目がさえていて寝付けなかったので、
別に起こされた感じではなかったのですが・・・。

「バスタブの蛇口からお湯が止らなくて、だんだんひどくなる」
確かに水が流れる音がしています。
・・・ちょっと前に自分で修理した(つもりになっていた)ヤツだ!
そう、10月7日
やはり「分解して戻した」だけじゃダメだったんですね。

そして、今回はもっと奥まで分解。
今度は・・・元に戻らない・・・。

元に戻らない=家中の水が使えない。

バスタブの水を止めるバルブが見あたらないので、
結局家全体の水を止めるバルブを閉めていたのです。
トイレも使えなければ(各1回はタンクの水で流せるけど・・・)、
手も洗えない。


ダメだ、これは、きっと部品交換が必要だろうと、
HomeDepot.comで24時間営業の店を探す。
ところがここで店を探すと、
「営業時間は店に直接電話して聞いて」と書かれている。
間違い電話をしないように注意しながら、
夜の1時半頃近くのHomeDepotにしらみつぶしに電話をする。

やっぱり24時間営業のHomeDepotなんて、そんな店、ない。
Lowesも調べるが、やっぱり10時頃には閉まっている。

朝は一番早く開く店が5時。
でも、ちょっと遠いので、近くのHomeDepotの6時開店に行こう、
と決心してベッドに入ったのが2時過ぎ。

5時半には起き出して、HomeDepot行きましたよ。
もちろん最初にさがしたのはトイレ。
スカッとして、部品を買って、帰ってきて、
無事修理終了。

部品代4個買って、4ドル。
使ったのは1個だけ。3個は次回のために保管。
(いざというときに保管場所を覚えているかどうかも問題なんですが・・・)
1ドルで直っちゃいました。
出張頼んだら100ドルはくだらないでしょうね。真夜中に。
感謝、感謝。

今度は1ヶ月じゃなくて5年くらいもってもらいたいモノです。

朝は近くの教会の日本人向けの文化クラスでバイブルレッスン15分。

Thanksgivingが近いということで、
「感謝」についてお話ししました。

イエスの生涯の中で、ある時10人の病気の人がイエスに癒やしを求めました。
イエスは「祭司のところに行って病気かどうか確かめてもらいなさい」と言いました。
当時、その病気の診断をするのは特別に祭司の仕事だったのです。

彼らはそれを聞いて、イエスの言うとおり歩き始めたところ、
途中で病気が治ってしまったそうです。
その時10人の中の1人だけが、イエスのところに帰ってきて、
「感謝」の気持ちを言葉と態度にしました。

そんな話です。

私たちは1つの感謝していることがあるとすると、
その10倍の10個の感謝すべきことがある。

その様に聖書は語っているのでしょう。

2個の人はホントは20個。
3個思いつく人は、その10倍の30個。

そして、その感謝は気持ちを言葉にして伝えなければ意味がない、
そう思います。

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙の13章を読みました。

心に留ったのは、
「あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。」という11節の言葉です。

この「救い」とは「世の終わり」のことです。
この手紙を書いたパウロはこの「世の終わり」のことを、
「救い」として受け取っていました。

イエスさまがもう一度来てくださる。
この世が完成されて、永遠の神の支配が確立する。
それを聖書は「救いの完成」と読んでいます。

それがもっともっと近づいてきている、と。
この手紙が書かれてから1900年以上が経ちました。
この手紙が書かれた時よりも、
もっと近くなっているんですよね。

だから、いつ、それが来たとしても、
喜んでお迎えできるように、心の備えをしていたいと思います。

そのために、やっておきたいこと、
やっぱりそれは伝道です。
この神様のことをひとりでも多くの人に知ってもらいたい。
ひとりでも多くの方々に経験して欲しい。
その様に思います。

主よ、
どうか私をあなたの僕として用いてください。
もっともっとすべての時間をあなたの福音を伝えるために用いさせてください。
ひとりでも多くの方々に、この福音を伝えさせてください。
子ども達も、大人の人々にも・・・
今夜の集会もあなたが用いてください。

2006-11-14

絶えず祈る

今日も曇り。
雨はほとんど降らずに、午後は少し晴れ間もでました。
明日はまたもう少しいいみたいです。
でも、木曜日は雨。
そしてその後寒くなるみたいです。

今日は家の前の道路の落ち葉を集める作業に来ていました。
それで、朝のうちに落ち葉集め。
ほとんどカミさんがやりましたが、
とにかくだいぶ片づきました。
一軒家は毎年、これが大変です。

午後は集会。
たくさんの方々が集まりました。
「聞く」というテーマで学びを続けていますが、
うーん、本当に私たちは「聞く」のに徹するのは難しいですよね。
すぐアドバイスしたくなる。
特に殿方はそうですよ。
要注意。

「話の聞けない男と地図の読めない女」って本がベストセラーになったでしょ。

ホント話聞けないんだよね。ボクら。

賛成反対の判断を控えて、
とにかく受け止める。

そこから広がる世界があることを、
もっともっと自分でも経験して、
もっともっとたくさんの方々に知って欲しいと思いました。

で、今日の聖書。
ローマ人への手紙の12章を読みました。

心に留ったのは
「絶えず祈りに励みなさい」という12節の言葉です。

いつもいつも、
「この教会は祈りによって築き上げられていく教会です」
と語っていると、
時々、「祈ってばかりでは・・・」という声が聞こえてきます。

でも、聖書からまたサポートをもらいました。
「絶えず祈りに励む」ということが聖書の命令であることを
もう一度語られました。

「そんなんで・・・」と言いたい人には言ってもらいましょう。
でも、私はこの聖書の言葉をまともに受け取って、
とにかく主に祈って、主がなさることに信頼して、
歩んでいきたいと思います。

もちろん、その前にある「勤勉で怠らず」「主に仕えなさい」
という言葉も無視しないように心がけながら・・・。

あの榎本先生の息子は「オヤジはよく祈る牧師だった」と言っていたらしいが、

うちの子達は、自分のことをなんだと思うんだろうか?
「天気予報ばかり」なんて思われているかもしれない。

祈ろう。

主よ、
もう一度祈りに招いて下さってありがとうございます。
祈ります。
主よ、お応えください。
あのエリヤの祈りに応えられたように、
私の祈りに応えてください。



2006-11-13

主の御心を知る?

今日も一日雨が降ったり止んだり。
結局大雨にはならないで、
しとしとと土曜日から続いています。

木曜日まで雨マークがとれません。

明日は今日より少し良くなるみたいですが、
雨が降りやすい天気のようです。

おかげで冷え込みは弱く、助かります。

今日の夜はNYでサックスを吹く説教者の方が来られて、
集会があったので、いってきました。
そこでいろんな方々に会えたのも幸いでした。

特にヨーロッパのギリシャとかの聖書に出てくる場所を回るクリスチャンのツアーに行って来られて、
今日帰ってこられたご夫妻と2週間ぶりにお会いして、
興奮冷めやらない様子で、すばらしい旅をされてきた様子を(ちょっとだけですが・・・)
伺えたのはよかったです。

聖書に出てくるところではありませんが、
ツアーの中で、ルーマニアに行って、
そこで熱く燃えているクリスチャンの方々の集会に出られたのは
とてもよかったそうです。

ちょっとお話を聞いただけで、その熱さが感染するようなそんな感じがしました。

「リバイバル」
信仰復興運動と訳しますが、
クリスチャンが悔い改めに導かれて、燃やされて、
それが周りの人々にもどんどん広がっていく、
その状態をそう呼びます。

私たちの教会の中にも、
私自身の信仰の中にも、
家庭の中にも、
リバイバルが起こされますように祈ります。

先ず私から・・・。

今日の聖書はローマ人への手紙11章でした。
心に留ったのは、
「だれが主のみこころを知ったのですか。」
という34節の言葉です。

直接的には「神の御心は測りがたい」ということだと思います。
でも、聖書の中に「神の御心を教えてもらう特権」をもらった人たちがいる。
アブラハムがそう。
モーセがそう。
そして、このパウロもそうなんだろう。

そして、イザヤ55章には、「御言葉が雨が地に降るように与えられる」とある。

私もその神様との親しさをもっともっと味わっていきたいと思う。

神様の御思いを分ち合って頂きたいと思う。
自分の考えを神様に押しつけるのではなくて、
私が神様の思いを受け取って生きていけるようになりたいと思う。

主よ、
あなたの招きに感謝します。
もっともっとあなたのことを知りたい、
あなたの御思いを知りたいという思いを与えられたこと、
感謝します。
どうか、もっともっとあなたと親しく歩んでいくことができますように。

2006-11-12

宣べ伝える者

日曜日の夜です。
今8時前です。
日曜日のこの時間にこんなに余裕があるなんて、
なかなかないことです。
ちょっと寂しいかも。
でも、感謝。

今日はそれほど「大雨」にはなりませんでしたが、
なんだか、「これから」みたいです。
今のところ雨の中心はもっと南の方です。
この雨がこちらの方に上がってくるのだと思います。
そして、明日、明日の夜と雨が続きそうです。

今日の礼拝後の「信徒勉強会」は、
「献金」のことについて学びました。
センセーショナルに語る必要はないけれども、
地道に聖書の語ることを伝えていくことの必要を感じました。

自分自身、葛藤がある時があります。
でも、将来もすべて神様が何とかして下さる、
御言葉をバカみたいに信じて、
「神様を第一としていく時に神様は必要なものをすべて与えて下さる」
そのことを単純に信じて歩んでいきたいと思います。

そして、痛みを負って私たちのためにすべてを与えて下さった主のために、
痛みを負うことを惜しまない歩みをしたいと思います。
そこに与えられる喜びを証していきたいと思います。

------------------ここからは11時頃----------------------------------

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙の10章を読みました。

今日心に留ったのは、
「宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。」
という14節の言葉です。

そう、聞くことのできない人々がいる。
このメッセージを聞くことのできない方々がたくさんいる。
その方々に伝えていきたいと思う。

語り伝える働きをもっともっとしていきたいと思う。
どんな働きがあるのか、
どんなことができるのか、
いつもいつも考えていたい。

いつもいつも
このメッセージを運ぶ働きをしたいと思う。
神様の愛を伝えていく、生き方をしたいと思う。

「言っていることとやっていることが違うじゃないか」
と言われないように・・・。
その様な生き方をしていきたいと思う。

主よ、
私を用いて下さい。
言葉も、行動も、態度も、
みんなあなたを指し示すような者へとして下さい。
私の内側を造りかえ、
内側からあふれ出るようなあなたのメッセージの運び手として下さい。

2006-11-11

主の栄光のために


久しぶりの野菜ネタです。
ブロッコリー、春まきと夏蒔きがあるのですが、
春まきで夏に花が咲いたのは余りかっこよくできませんでした。
そして、最後はグランドホッグに食い荒らされて、無惨なことになりました。

その時に、今ひとつ成長がよろしくなかったモノを、
あまり大きくない植木鉢に入れてデッキのテーブルの上に置いておきました。
これだとさすがのグランドホッグも何もできません。
そのままほおって置いて、余り気にもしていなかったのですが、
夏蒔きのように秋に収穫、となりました。
これ結構立派に見えるかもしれませんが、
ピンポン球よりも大きいのですが、野球のボールより小さいです。

さっき茹でて食べました。
緑色が鮮やかに出て、おいしかったです。

いいかも、夏蒔きのブロッコリー。
他の植物が霜にあたって枯れてしまう中で、コイツは大丈夫です。

あと6日に書いたタッチパッドへの挑戦。
何とか慣れようと思ったのですが、
1週間ももたずに降参。
また、マウスに戻ってしまいました。

何でみんなタッチパッドになってしまったんでしょう。
スペースの問題なんでしょうかね、トラックボールがダメなのは。
あのスティックポイントもよかったのになぁ。

さて、今日の聖書。
今日はローマ人への手紙の9章です。

「それも、神が栄光のためにあらかじめ用意しておられたあわれみの器に対して、その豊かな栄光を知らせてくださるためになのです。」(23節)

私たちは神様の栄光のための器。
私たちを通して、主は栄光を表そうとされている。
私たちの努力や願いではなく、
主の憐れみによって・・・(16節)

神様、
あなたはどのような方法で私を通して、
私たちを通して、
教会のひとりひとりを通して、
あなたの栄光を表そうとしておられるのですか?
私の思いを超えているのだと思います。
私の考えを超えているのだと思います。
でも、どうか、教えてください。
あのモーセに教えられたように、
またイザヤに教えられたように、
あなたがどのようにあなたのご栄光を表そうとしておられるのか、
私にも教えてください。
あなたの栄光を表す器としてくださっていること自体に、
まず感謝します。

どんな苦しみや痛みの中にも、
あなたのご栄光が表されることを信じる信仰を与えて下さい。

御霊によって

朝になりました。
かなり遅い朝ですが・・・。

今日までは暖かい様です。
明日は雨。それもかなりまとまった雨になりそうです。
たくさん落ち葉がたまっていますから、
スリップや水たまりには要注意です。

Thanksgivingのころには、
お約束通り寒くなるようですね。
Accuweather.comのThanksgiving明けの金曜日の
夜の予報にはs-wordが入っていました。
いよいよ、その季節です。
わくわく、です。

木曜日の夜のニュースでは
Rutgers(ニュージャージーの州立大)のフットボールチームが、
大健闘しているのが話題になっていましたね。
弱小チームが今全米ランクで15位。
そして木曜日の夜の対戦相手が全米3位のLouisville。
前半が終わって25対7で負けていたのに、
後半の猛追い上げ。
なかなかフットボールをゆっくり見ることはできないのですが
この日は、夜出かけた帰りに車の中で、ラジオのニュースで
「同点に追いついた」という速報を聞いて、ちょっと興奮。
そして、夜のニュースで逆転勝ちを見て、
ちょっとこの後(3試合かな)注目してしまうかもしれません。

さて、昨日の聖書。
昨日はローマ人への手紙8章を読みました。
よく読むところで、好きな言葉がたくさんあるのですが、
昨日は新しく目に留った言葉がありました。

「しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。」
13節の言葉です。

昨日のことなので、もっとフレッシュな時にメモしておけばよかったと後悔しているのですが、
いつも「殺す?」と何だかストンと来ない言葉なのですが、
昨日は「そうだよなあ」と思わされたのです。
「からだのおこない」というのは、その前に出てくる「肉の思い」ということだと思います。
「肉の思い」それは自己中心であり、神様を必要としない思いです。
その思いは「聖霊によって」つぶされなければいけない、
そして、その聖霊様を受け入れて、自己中心を処理して頂くのは私たち自身の責任なんだ、
と思わされたのです。

5節には「御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。」とあります。

自分の心が今何によって占められているか?
聖霊様に満たされて歩んでいきたい。
聖霊様私を満たしてくださいと思わされました。

主よ、
昨日も支えて下さってありがとうございます。
出会ったお一人ひとりに今も語ってくださいますように。
私が個人的にお会いしてお話しすること以上に、
あなたご自身がお一人ひとりの心に語り、
ひとりひとりの心に触れてくださいますように。

また、朝に更新

今、1時前ですが、
夜集会が2つあったので、
もう休んで、朝にでも更新します。

ではでは。

2006-11-09

キリストと結ばれて

今日は本当に暖かい日でした。
20度超えました。
でも、一度パッチを履くことになれてしまったら、
もう多少暖かくても、
やっぱりパッチが快適です。
オヤジですから・・・。

明日も今日ほどではありませんが、mildな日になりそうです。
mildでもパッチは必要です。

今日は午前中、キッズクラブの準備をしていて、
4時からキッズクラブ、
今中高生が誰かの送別会をしています。
「タコ八」で遊んでます。
この後、ちょっと彼らにお話をして、
そして、その後、夜はまた人に会う約束があります。
遅くなるかも・・・です。

ですから今日は早めにアップ。

今日のキッズクラブは学校が休みだったのが悪かったのか、
ちょっと前回よりも少なかったですね。
たぶん20人くらい。

でも、みんな楽しみにしてきてくれるので、
とても励まされます。

そして、今日の朝、何を話そうかなあ、と準備していたことを
話しました。
神様がこの世界を造られたこと、
そして、みんなを造られたこと、
お母さんのお腹の中で、大切に大切に守られて、
神様がそのお腹の中で私たちを形作って下さって、
それによって私たちが生まれたこと。

子供たちにはどのように伝わったか、
分かりませんが、
何度も何度も同じメッセージ、
神様の愛と守りの中にいること、
神様に頂いた人生であることを、
語り続けること、

そして、イエスの十字架の愛を伝えることを、

していきたいと思います。

今日の朝はローマ人への手紙の7章を読みました。
ここの後半は、パウロが「自分はしたいと思うよいことはできなくて、
したくないと思う悪いことをしてしまう」と独白しているところです。

それに自分自身の思いが重なるところでもありますが、
今日はそれ以上にもっと前の方にある、

「それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。」
という4節の言葉が心に留りました。

私たちはキリストと結ばれた存在。
この言葉をずっと味わっている中に、
ものすごいありがたい、という思いが湧いてきました。

私たちはキリストの花嫁。
人間の夫婦でも、本当に幸せを感じる時があります。
一つとされた幸いを感じる時があります。

それが、イエスと一つにされている、という幸い。
そして、実を結ぶ人生、それも自分のためにではなく、
主のために実を結ぶことができる人生を与えられている。

もっともっとイエスに結ばれたことの幸いを味わっていきたいと思います。

主よ、
私をあなたのものとしてくださったことに心から感謝します。
どうかもっともっとその幸いを味わい生きるものとしてください。
今日も教会のお一人ひとりが、そのことを経験できますように。
神様と共に歩む幸いに生きる方々が起こされていきますように。

2006-11-08

神の奴隷

今日は一日よく雨が降りました。
場所によっては川があふれたようですが、
家の周辺は、大丈夫です。

明日は穏やかな暖かい日になりそうです。

20度以上に上がりそうだという予報も出ています。

土曜日までは暖かいようですが、
その後はまた坂道を転げ落ちるみたいです。

今日は集会はありませんでしたが
何人かの方々とお会いしたり、またお電話でおはなししたり・・・。
一人ひとりのかかえておられる問題、それぞれ大きな闘いです。
主が答えを与えて下さいますように。

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙6章でした。
朝早く、5時頃には目が覚めたので、ゆっくり読み、祈りました。
こういう時が自分には必要なんだと思います。

心に留ったのは、
「 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。」
という22節の言葉です。

「神の奴隷」という言葉が目をひきました。
私は「神の奴隷」。
「神の僕」という言葉よりも強烈に響きます。

自分の人生全体を主におささげしようと思います。
自分の夢も、自分のビジョンも、自分の時間も・・・主の御手に。

主が用いたいという方法で、
用いたいという場所で用いて頂きたいと思いました。

それが一番の喜びです。
自分の願いとは違うかもしれない。
でも、それでいい。
いや、それがいい。
主が導かれるところであるならば、
主が用いて下さるところであるならば。
主がご計画しておられるところであるならば。

本当に本気でそう思う。

主よ、
私はあなたの奴隷です。
罪の支配から解放されて、あなたのものとされたのは、
大きな喜びです。
あなたのものですから、
あなたの願うところで、あなたが願うようにお用い下さい。
あなたのために用いて下さい。

2006-11-07

困難から生まれるもの

今朝は予想通り暖かい朝でした。
今夜も暖かいのですが、
雨です。
明日はちょっとまとまった雨になりそうです。
洪水注意報発令中。

今日は選挙の日です。
こんな日は開票速報見る、とかいう宿題があるんじゃないかなあ、
と思うんですが、子ども達は、
高校生も、中学生も、
はやばやと、寝る体勢に入っています。

早寝早起きはいいのですが、
大丈夫なんかなあ、この子達、と心配。

New Jerseyの上院選挙の共和党候補は、
NJで行っていた元学長の息子。
この元学長、元州知事。とても人気があったようです。
っていうことで、親の七光りかどうかは、
余りこちらの新聞も読んでいないので分かりませんが、
期待の星だったようですね。
元学長の息子ということで、密かに注目していました。
共和党は応援していませんでしたが、
この息子氏はちょっと応援していました。

負けちゃいましたがね。

でも、考えさせられました。
そんなもんなのかもしれませんね、
人の心は・・・。
考え方が同じかどうか、以上に、
ちょっと自分と関係があるだけで、
それも自分が行ってた学校の学長さんの息子だというだけで、
応援したくなってしまう・・・。

反対に、考え方自体には共感できるけれども、
ちょっとした言葉や、行動で、イヤになってしまう。

そうなんだろうな、と思います。

決して姑息にではなく、
真実を尽くして、接していくことの大切さを思わされます。

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙5章を読みました。

「患難をも喜んでいる」という3-4節が心に留りました。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」

困難がある時に、
わたしたちは逃げたくなります。
それを無理矢理にでも打ち壊そうと思います。
でも、それはわたしたちに忍耐を与え、
練られた品性を与えてくれるというのです。

この「練られた品性」はとても魅力的です。
あこがれます。

この「練られた品性」を与えて欲しいと思います。
でも、それは「患難」を通して与えられるかと思うと、
ちょっと恐いような気もします。

でも、この練られた品性が欲しいと思います。
困難をも喜ぶものとなりたいです。

主よ、
困難の中で、
忍耐を学べますように。
そして、私が練られた品性を自分のものとすることができますように。
主よ、あなたが練ってください。
困難から逃げない勇気をお与えて下さい。

2006-11-06

望み得ないのに

そして、こちらが今日、6日の分。

今朝は-0.8度。
この秋3度目のマイナスです。
この秋最低タイ記録。

でも、この先、しばらく、この記録は破れないでしょう。
どちらかというと例年よりも暖かな11月になるみたいです。
少なくともこの先2週間くらいは、冷え込みは弱そうです。

明日の朝も4度くらい。
朝7時に教会に行って祈り会があるので、
車の窓を「ガリガリ」やらなくていいのは助かります。

10月22日に書いた、
日本語でメールの送受信ができる携帯、
Nokia の6682ですが、
ですが、その後、普段使っているメールアドレスに、
Gmailからメールが来ると、これでは読めない、ことを発見。
「文字化け」するんですねえ。
うちに帰って、コンピューターで開くとちゃんと読めるんですが、
外出先、これ一本でOKとまではなかなか行きません。

でも、
今度はGmailを携帯から
直接読んだり、
書いたりする
ソフトがでました。
だから、もう、
Gmailをメインのアドレスにした方がいいのかも。
ホント便利だから。
これが、携帯の画面。




さて、今日の聖書です。
今日はローマ人への手紙4章。

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。」
18節の言葉です。

今、教会では自分たちの会堂を持つことを、語り合ったり、
祈り合ったりしています。

その中で、「現実性」ということが時々話になります。

この聖書の言葉はどうなるんだろうかと、思います。

わたしたちは、いや、私は本気で聖書を信じているんだろうかと・・・。

そして、思いました。
本気で信じようと。
聖書の言葉を本気で信じて、
そこに自分の存在を、
自分のたった一回の人生をかけていこうと思いました。

そのかけに一緒に乗ってくれる人たちと一緒に歩んでいきたいと思いました。

だから、ここにも書き、
またこれからもアピールしていこうと思います。

1人で考えていなくていい。
聖書の言葉をマジで信じて、
キリストバカになって歩んでいく仲間達が与えられるように、
そのために人生使い切っちゃう同志が与えられるように、
祈っていこう。

主よ、
「信仰」って何かと考える時を与えて下さってありがとうございます。
「信仰告白に同意すること」
「人を愛して生きていくこと」
「人に仕えて生きていくこと」
でも、それだけではなくて、
「望み得ないのに望みつつ信じる」
「神の全能と神の最善を信じる」
「人生を神様にかける」
そういうことですよね。
ハンパだった私を赦してください。
マジで信じて歩んでいきます。
あなたの御業を見せてください。
「みんなの協力による成功」ではなく、
「神の奇跡」を見せてください。

誇るものはなくていい

回復しました。
昨日、5日の分です。

昨日の日曜日、朝も午後もミーティングが続いたので、
ちょっときつかったですが、
礼拝は幸いな時となりました。
多くの方々が集まられました。

礼拝後皆さんとゆっくりお話ができなかったのが残念でしたが・・・。

このところ、いつも使っているマウスが調子が悪いので、
思い切って、「タッチパッド」(フラットパッド?)に慣れてやろうと思うのですが、
なかなか慣れません。
マウスを持ち歩くのも、何だか「せっかくノートブックなのに・・・」というのもあり、
少しでも「節約生活」をしようということもあり、
挑戦中。

触ったつもりがないのに触ったことになってしまったり、
触っているのに、読みとってくれなかったり、
感度を調節するのですが、まだまだダメですねえ。

14年前、アメリカに来た時は、MacのPowerbookを買いました。
来たばっかりの時は、ちょっと貯めたお金があったので、思い切って買いました。
あのころで1500ドルとか?もっとかな?
「トラックボール」というのが真ん中についていて、とても使いやすかったです。
そして2代目、3代目と、Toshibaで、「スティックポイント」?だったか
何だったか、あんまり最近見ない、短い棒みたいなのがキーボードの真ん中にあって、
それも使いやすかったです。
最近見ない、と言うことは、たぶん、「使いにくい!」って人が多かったのでしょう。
今回買う時も、その棒がついているヤツがいいなあ、と思ったのですが、
余りないんですね。結局、その他のところを見て、「お買い得かな」というのを選んだら、
「タッチパッド」のヤツだったんですね。まあ、そのうち慣れるだろう、と思って・・・。
でも、それから間もなく2年。ずっとマウスを繋いできていたんです。

ま、何事も挑戦。
勝手に触ったと判断されるのがイヤで、
「タップ」といって、パッドを叩いたら、「クリック」したと同じことになる機能は、
OFFにしてしまいました。
それでずいぶんよくなりました。
でも、まだ「ドラッグ」はダメです。

まあ、焦らず、ボチボチ慣れていこうと思います。

ということで、昨日の聖書。
ローマ人への手紙3章を読みました。
わたしたちが罪人であって、自分の力で救われることはできない。そこで、神様が救いの道を開いて下さった、というところです。

27節の言葉が心に留りました。
「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。」

自分の誇りはどこにあるんだろうなあ?
自分は何を誇りとしているんだろうか?

でも、それは取り除かれたのだというのです。
「自分はこんなにやっている」とか、
「自分にはこれがある」とか、
「こんな実績がある」とか。

そういうものは取り除かれた、というのです。

でも、人は誇りを持たずに生きていくことはできるのでしょうか?

私の結論は、「神の愛を知った時に、『私にはこれがある』という誇りがなくても、
『こんなわたしが愛されている』という安心感に支えられて、生きていくことができる」
でした。

そう思います。

誇る必要がなくなる、

極端に自信がない人で、
自分の過去の業績とか、才能を得意げに話す人に閉口することがありますが、
ちょうどそれと反対に、愛されている故の安定感で、
何も誇りにする必要がなくなるのではないかと思います。

いずれにしても誇るものはないんです。
「取り除かれた」のですから・・・。

主よ、
ただただ、あなたに感謝します。
あなたが私に「誇る必要のない」歩みを与えて下さっていることを。
あなたに出会わなければ、私は自分を誇らないでは生きていけなかったんだと思います。
あなたに会えてよかった。
ありがとうございます。

2006-11-05

今日はお休みです。

うーん、今日はちょっとお休みかな。
「たっぷり眠ると、すっきり目覚める! 」
を期待して、早く休みます。

ではでは。

2006-11-04

悔い改めに導く慈愛

今朝は-0.8度C。
この秋最低を更新。
昼間も寒かったですね。
8度くらいでした。
でも、今日くらいの日が「今日は暖かいねえ」と言う日が来るんですよね。
冬がコワイ待ち遠しいです。

今朝は6時半から朝の祈り会。
共に祈りました。
教会のために、教会が一つになって歩んでいくことができるように。
またわたしたちが信仰をもって踏み出すことができるように。

昨日から、あのペテロが水の上を歩いてイエスのところに行くところの箇所が心に留っています。
マタイによる福音書14章22-33節のところです。
ペテロはイエスに「水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言いました。

それは、「絶対にしなければならないこと」ではありませんでした。
そして、他の弟子たちは舟の中に残っていました。

ペテロは少し歩けました。
でも、風を見て恐くなりました。
そして沈みかけました。
ペテロは叫びました。「イエスさま、助けてください」と。
イエスさまは手を伸ばして、ペテロを助けました。
そして言われました。「なぜ疑ったのか、信仰の薄い者よ」と。

かっこ悪いです。

そんなことしないで他の弟子たちのように、
舟の中にいるオプションもあったのです。

でも、ペテロは水の上に踏み出しました。
イエスも「おいでなさい」と言われました。

そして、水の上を歩くことも、
風を見て恐れを感じたら、おぼれるんだということも、
またおぼれそうな者をも主はしっかり捕まえて下さるんだということも、
体験できたのはペテロだけでした。

他の弟子たちの経験できなかったことを経験できました。
イエスさまを見つめながら歩くとはどういうことか、
イエスさまを信頼して歩くとはどういうことかを経験できたのは、
ペテロだけでした。

私はペテロのように経験したい、と思いました。

さて、今日の聖書です。
今日はローマ人への手紙の2章です。
「神の慈愛があなたを悔い改めに導く」(4節)

神の怒りではなく、
神の裁きではなく、
神の愛がわたしたちを悔い改めに導くのです。

そうだなあ、と思います。
神様の愛が分かれば分かるほど、
自分の罪深さが分かります。
自分の弱さ、小ささが分かります。
そして、「悔い改めよう」という思いにされます。

神様の愛はなんて大きいのかと思います。

神様、
あなたの大きな愛に感謝します。
あなたの愛のゆえに悔い改めることができることも感謝します。
どうか、あなたの愛を持ち運ぶ器として用いて下さい。

明日の日曜日の一日を祝福して下さい。
1人1人を励まして教会に送り、
明日、ここで神様を信じてスタートする方々が起こされますように。

2006-11-03

神の力

今朝は、それほど冷えなくて、
最低は1.5度C。
でも今夜はマイナス2度くらいと言う予想が出ています。
今、夜の12時で2.4度。

今日の朝の集まりで、
「わたしたちの負うべき十字架は何だろうか」と語り合いました。
マタイの16章にはこんな言葉があります。

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」

悪魔はイエスに「十字架にかかるなんて止めてしまえ」と誘惑し続けました。

そして、今もわたしたちに「十字架を負うなんて止めてしまえ」とささやき続けています。

そのワナにまんまとはまっていることがどれほど多いことでしょうか?

つらい道、苦しい道、損をするように見える道。
それを避けようとする気持ちがどれほど強いか。

自分の十字架って何だろうか?
ちょっと宿題をもらったような気がしています。

今日の聖書はローマ人への手紙1章です。
このローマ人への手紙は、
パウロがまだ見ぬローマの教会の人々に書いた手紙です。

個人的な連絡よりも、自分の信じている教え、
福音のメッセージを記している手紙です。

その最初。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」
16節の言葉です。

この福音の力。

その力を知らされていることの幸いを覚えました。
人が造りかえられていく、
造りかえられてしまう、
その力のすごさを感謝しました。

もっともっとその様な御業を見せて頂きたいと思いました。

神様、
福音の力を感謝します。
私も造りかえられました。
どうか、さらに多くの人々があなたによって変えられていくのを、
これからも見せてください。
その様なあなたの御業を見せてください。
人が救われる喜びをもっともっと味わわせてください。

2006-11-02

神様の方法

冷えてきましたね。
今夜は0度Cくらいまで下がるようです。
夜12時で2度くらいです。

今朝は教会の方のお見舞いに急遽行くことになり、
教会の集会はのんち(カミさんの実名)と皆さんに任せて、
NYに行ってきました。
そのお見舞いした方が守られたことも感謝しましたが、
それと共に、私が留守の間の集まりが、
とてもよかったみたいで、それも大感謝でした。

1ヶ月に1回の集まりで、
祈って準備してこられた方々には、
申し訳ないなあ、と思っていたのですが、
その時にはその時の神様の祝福があるんですね。
いや、神様がその様に導いて下さったのかもしれません。
集会が終わって、一緒にお昼ご飯、という頃に着いたのですが、
たくさんの方々が集まっておられました。

そんな中で、今日は道が激混みだったので、
長い時間、渋滞の中で、祈り考える時が与えられました。
自分の優先順位を考えさせられる時となりました。
いろんなプロジェクトも、特別な集会も大切なんですが、
そんな中でも、いつもいつも人と共に歩むことの大切さを思わされました。

そして今日の聖書。
今日は使徒の働きの最後、28章を読みました。
そして、ローマに着いてからのパウロの姿に心が留りました。

「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(30-31節)

ローマ行きを熱望していたパウロ。
その彼に神は「囚人」としての立場でそこに送り込まれた。
でも、彼はまたそこで、何の妨げもなく、
大胆に福音を語ることができたという。

何だか、不思議な話。
でも、神様にはそれがおできになる。
22章だったか、ヤコブが「これこれこうすれば、ユダヤ人から反発を買わない」とアドバイスをしていたのに、それに従ってもやはり捕まってしまう。
それは神様が彼をローマに送り込む方法だったのだ。

神様の方法。
自分らの考えを超えているのだろうと思う。

「 わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。??主の御告げ。?? 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55章8-9節)

わたしたちのちっぽけな頭で考えるよりも数段大きな神様の考え、
わたしたちが想像できないようなことを神様は準備しておられるのだと思う。

そこを信頼して歩んでいきたい。

神様、
あなたの御業をなして下さい。
あなたの方法でなして下さい。
わたしたちのちっぽけな考えの中にあなたを閉じこめることがありませんように。
大胆に、大きくあなたに期待できますように。


2006-11-01

この人達をあなたに与える

今日も暖かい一日でした。
今まだ10度以上あります。
でも、これも今日で終わり。
今夜これから雨が降って、
明日からはまた寒くなるようです。

今日の朝のフジテレビ系のニュースの中で、
日本人のオペラ歌手の方が、
メトでデビューされることをやっていました。
何とモーツアルトの「魔笛」の夜の女王だって。
びっくり。
すごーい!

高校の時に、ウィーンの国立歌劇場だったかな、
多分そうだと思うけど、日本にきた時に、
「魔笛」やったと思うんだよね。確か。

その時、夜の女王がとっても特徴のある人で、
最高音のFを出す時に、右側に吐き捨てるように音を出していたのが
おもしろかったのを思い出しました。

Fって普通の歌に出てくる一番高い音の1オクターブ上のFですからねえ。
すごいことです。

これからもがんばって頂きたいです。

今日、1人の子が涙ながらにお祈りをして、
イエスさまを信じました。
感謝しました。
イエスさまが子ども達をどれくらい愛したか、
そのことを思い出しました。
今もどれくらい愛しているか。
そのことを思います。

そして、その子ども達のほとんどは大人になります。
子供のままで神様のところに召されていく子もいます。
どちらも、子供の時に神様の愛を知っているって、どんなにすばらしいことかと思いました。

一人の方の手術のために
教会のみんなで祈りました。
教会が一つの体であることを感じました。

さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの27章でした。

24節の
「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。
そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」
が心に留りました。

嵐の中でも、
危機の中でも、
神様が守って下さる、
あなたには使命がある、
この船のみんな、あなたに与えているよ、
と語って下さった。
その確信がどれほど彼を支えただろうかと思いました。

囚人でありながら、
いつの間にかリーダーになっていたパウロ。

本当に主がリーダーとしてお立てになる時に、
もう肩書きなんかいらないんだなあ、と思いました。

神様の約束、
神様のみことばが欲しい、
そう思います。

今度の日曜日の説教題。
「ただ、お言葉を下さい」です。

神様、ただ、お言葉を下さい。

神様、
あなたのみことばを待ち望みます。
あなたのお言葉を与えて下さい。

どうか、あなたのお言葉を信じる信仰を与えて下さい。
嵐の中でも、暴風雨の中でも、
あなたが共にいて下さるという平安を私に下さい。

主よ、明日の集会を祝福し、
新しい出会いをも与えて下さい。
また心が触れ合うような一時を与えて下さい。


2006-10-31

私のようになって欲しい

今夜はとても穏やかな、とてもとても穏やかなHalloweenです。
大きなお兄ちゃん達が、ちょこっと変装して、枕カバーを持って、
「おかしくれー」みたいな感じで来るのには、結構閉口しますが、
まあ、ほほえましいです。

今朝は3度くらいまで下がりましたが、
今夜はかなり暖かいようです。

行事をこなしたり、
プロジェクトに取り組んだり、

ということと、

人と共に歩むこと、
それも、弱さや痛みを持った人と共に歩むこと、

これが両立するんだろうかと、
昨日から考え、祈らされています。

いろんな動きにわくわくする中で、
静まること、祈ること、忘れないでいよう、と思います。

「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」
(イザヤ書30章15節)

祈りの中で、神様が語ってくださること、
それを聞いていきたいと思います。

頭はキリスト。神様。
手と足が話し合って決めるのではなくて、
手も足も頭からの指令を頂いて、共に働いていくんですよね。

主よ、導いてください。
いつも教会が教会であり続けることができますように。

今日は使徒の働きの26章を読みました。

「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」

29節のパウロの言葉です。
囚人となって「申し開き」を命じられた時にも、
彼は「証し」をしました。
そして、大胆にも、王様や総督に「私のようになって欲しい」と言いました。

私も心の中ではその様に思っています。
本当にそうだと思います。
だから、大胆に証をしていこうと思いました。
毎日毎日、誰かにこの神様の愛を伝えよう、
とにかくそのことを神様に求めていこう、と思いました。

「今日、信仰をもって歩み出す方が起こされますように」と
祈って毎日を始めようと思いました。

神様、
私を今日も、あなたの証し人としてください。
あなたの証をする者とならせてください。
「私のようになって欲しい」と言える者とならせてください。
大胆さを与えて下さい。
「よかったらどうぞ」じゃなくて、
「これは本当にすばらしいんだから、あなたにもそうなって欲しい」と
心の底から思っていることを、ちゃんと伝えることができますように。
人に聞くよりも、あなたに聞くことができますように。

2006-10-30

人間の大きさ

今朝は3度くらい。
でも、昼間は本当に暖かい日になりました。
17度くらい。

明日はもっと暖かくなるみたいです。
今は夜の12時頃ですが、5度くらい。
結構寒いですが、明日は20度を超えるそうです。

今日の夜ちょっと外に出てきましたが、
今夜はハローウィンの前の晩、Cabbage Nightと言って、
悪ガキどもが、いろいろいたずらをする夜です。
まあ、家の近所はかわいいもんですが、
よくあるのはトイレットペーパーを電線や木の枝に引っかける、
というヤツです。
とてもきたない。

西海岸や南部ではハローウィンはあんまり盛んではありませんでした。
特にクリスチャンの間では、「そんなの・・・」って感じでした。
教会によっては、ハローウィンに行かなくてもいいように、
教会で「コスチュームパーティー」をしていました。

というのはその意味。
Halloweenというのは元々カトリックの祝日であるAll Hallows Dayつまり「聖人の日」の前の夜に、
明日になったら「聖人の日」で、自由にいろんなことができない、という悪い霊が、その日が来ないうちに、好き勝手なことができる、という、「うーん」と考えてしまうお祭りなんですね。

ちょうど、Lentの断食の前にバカ騒ぎができるカーニバルと同じように、
大切な日の前に悪ふざけをしておこうということなのでしょう。

だから、NJへ来てびっくりです。

子ども達はかわいいからいいですけどね、
グロテスクなのはゴメンです。

前の家に住んでいた時は、卵を家にぶつけられて、掃除が大変でした。
せめて、もっともっとちゃんと取り締まりをして、健康的なお祭りになったらいいのに、と思います。

ちなみに5歳の娘はプリンセスに変身します。Sleeping Beautyです。
黒髪のSleeping Beautyです。
本人はとっても楽しみにしています。

ん、いや変身ではなく、隠された真の姿を現す、かな?

さて、聖書の言葉。
今日は使徒の働きの25章を読みました。

「ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェスト」(9)
「アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た」(13)
「アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて」(23)

これらの言葉を読んでいるととても滑稽に感じます。
フェストはユダヤの人々の歓心を買おうと思いました。
ユダヤの王であったアグリッパはフェストに敬意を表しました。
アグリッパは「大いに威儀を整えて」現われました。

でも、ここで一番自分をしっかり持って語っているのは、
パウロです。
囚人であったパウロです。

どんな状況の中にあっても、
手足に鎖が繋がれていたとしても、
この中で一番強いのはパウロです。
一番偉大なのはパウロです。

彼はいつもいつも、人々ではなくて、
神を見上げていました。

私もそのような者でありたいと思いました。
人々にこびへつらうのではなく、
神様にいつも聞いていく、
その姿勢をいつもいつも持っていたいと思いました。

人が自分のことをどう見ているかではなく、
神様が私に何をして欲しいと願っておられるかを求めていくこと、
そのことの大切さを思います。

主よ、
このパウロの強さを私に与えて下さい。
いつもいつもあなたを見上げていけますように。
人を見るのではなく、
あなたを見ることができますように。
あなたに聞くことができますように。

2006-10-29

神の時

今日は本当に風の強い一日でした。
でも、幸いここら辺は停電もなく守られました。
ロングアイランドの方が一番被害が大きかったようです。

今夜は冷え込みますが、
明日から3日間は暖かい日が続きそうです。

明日は庭掃除をがんばらなければならないでしょう。

今日の礼拝、
初めての方はおられませんでしたし、
いつもより少し少なめでしたが、
旅行で寄られた方々もおられて、
幸いでした。

礼拝後、
また教会の将来について語り合い、祈り合う時が与えられました。

わたしたちのグループは5人という小さなグループだったのですが、
とてもよい語り合いの時でした。
話の方向は、「どんな教会を目指していくか」「教会はこれから何ができるか」
という前向きな話で、とてもわくわくする内容でした。

20年後を見据えて、
子ども達に対してできること、
またシニア世代の方々のためにできること、
自分たちの会堂を持ったら、どんなことができるだろうか、
そんなことを語り合いました。
11月号の月報にも書きましたが、「地の塩」の使命を果たすためにどんなことができるかと。

将来のための投資なんでしょうね。
自分たちの目先のことばかり考えないことが大切なんだと思います。

どちらかというとアメリカの教会の方がその傾向が強いのでしょうか、
大きな教会も小さな教会を必要以上に「助けない」ようです。
わたしたちが会堂をお借りしているルーテル教団(ミズーリ派)も
本来、新しくスタートする教会を立ち上げる時に、3-5年での自立を励ましているそうです。
そうしないと、体質として「援助を期待する」教会になってしまうからです。
だから、それは日本的に言うと「冷たい」と思うかもしれませんが、
本当はものすごい神様を信頼した上での、「愛」なんでしょうね。

それと共に、昨日から考えさせられていること。
教会は「キリストのからだ」で、頭はキリスト。
だから、わたしたちが語り合うことも大切ですが、
1人1人が神様から聞いていく、
手も足も口も耳も、頭であるお方からの導きを待ち望んでいく、
その姿勢の大切さを思わされます。

ちょっとわくわくしすぎでしょうか?
いいですよね。
わくわくしてて。

わくわくついでに
今日の礼拝のメッセージで
「みことばは従うことが大切」
と語りながら、
神様からの大きなチャレンジを感じました。

行わないならば、忘れてしまう・・・まさに私の姿です。

みことばに従うこと、
それは神様からの訓練を受けること。

神様を土台とすること。

わたし自身の土台としているものは何なのか?
健康?安定した収入?才能?家族?

私の家族の土台としているものは何なのか?
やっぱり健康?安定した収入?

わたしたちの教会が土台としているものは何なのか?
???

本当に神様を土台としているだろうか?
本気で土台にしているだろうか?

みことばを行う人になろうと思いました。

そこで、今日の聖書。
今日は使徒の働き24章を読みました。

今日は最後の「2年経った後」という言葉が心に留りました。

昨日の聖書箇所では、「あなたはローマでも私の証をする」と言われたのに、
今日のところでは2年間も牢の中で放っておかれたのです。
「ここから出されて、ローマに送られるのは、主が私をローマに遣わしてくださるのはいつだろうか」
とずっと待っていたことでしょう。
その中で、この2年間は本当に長かったと思います。

でも、神様には神様の時がある。
だから、わたしたちには忍耐も必要。
そう思わされました。
神様の視点で見たらどうなんだろうか、
そのことをいつも思いながら歩みたいと思いました。

もちろん、わたしたちは神様の視点を持つことはできないし、
できたと思った瞬間に、傲慢になっているんでしょうね。

でも、自分の視点だけでものを決めないこと、
神様がどのように見ておられるか、思うこと、
そして何よりも、神様の時を信頼して待つことでしょう。

「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」(ヘブル10:36)

主よ、
私が2年待たされたらどう思うでしょうか?
私はそんなに待てるでしょうか?
あなたが約束してくださったこと、
どうして実現しないのだろうかと、
あなたが私の使命として与えて下さっていること、
どうして発揮できないのかと、イライラしたり、
焦ったり。
でも、あなたの時があるんですよね。
その時を信頼します。
あなたのお考えを信頼します。

2006-10-28

ローマでも

今日の大嵐は、恐れていたほどではありませんでしたね。
家も全く停電しませんでした。

でも、まだまだ油断はできません。
昼間収まっていた風が夜になってから強くなってきました。
明日が一番風が強いみたいです。

明日は寒くて風の強い日
(体感温度で5度くらい)になりそうですが、
月曜日、火曜日は穏やかで暖かい日になりそうです。

ちょうどハロウィーンのころが暖かいみたいで、
子ども達にはよかったですね。

さて、今夜、Daylight Saving Timeが終わります。
今夜は1時間余分にあるので、助かります。
春はこの1時間早くするのがとてもきついのですが、
1時間おそくするのはとってもいいです。
なんか、自然と「早起き」できちゃうんですから、うれしいです。
日本に行って以来、朝がちょっときついまま1ヶ月経ってしまったので、
これを機会に早起きマンに戻りたく思っています。

でも、夕方がもう5時にはとっぷりと日が暮れるのが、
ちょっと寂しいかな。

ちなみに、今日ずっとニュースで言っていましたが、
このDaylight Saving Timeの期間が来年から長くなるんですね。

今までは4月の第1日曜日から10月の最後の日曜日だったのが、
3月の第2日曜日から11月の第1日曜日というちょっと覚えにくいパターンになります。

ほとんど1ヶ月長くなるんですよね。
サマータイムじゃないのが11月から2月まで+ちょっとの4ヶ月余り、1年の約3分の1です。
サマータイムを「サマータイム」と呼ぶのを止めて、
反対に11月から2月を「冬時間」とか「寝坊時間」とか呼べばいいのに。

今日の聖書は使徒の働きの23章でした。
いよいよ神様がパウロに語りかけます。

「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、
ローマでもあかしをしなければならない。」(11節)

ローマ行き!
パウロがずっとずっと願っていたことでした。
でも、彼が囚人として行くのだということを、
誰が想像していたでしょうか?

おとといのあのヤコブのことをまた思い出します。
「今大変だから、人々に誤解をされないように、私の言うとおりにしなさい」
とヤコブはパウロに言います。

でも、それも空しく、逆にその手が裏目に出て、
パウロは投獄されてしまいます。
でも、神様には神様のご計画がありました。
神様には神様のお考えがありました。

パウロは逮捕されることによって、
そうでなければなかなか話を聞いてくれないような人々にも証をすることができました。


そして、パウロは囚人となってローマに行って、
人々に証をすることができたのです。

すべて神様のお考えでした。

わたしたちには納得がいかないこと。
でも、主はそれをも用いてくださって、
すばらしいことをしてくださるのです。

私はどこに遣わされていくのだろうか?
私は今ここに遣わされて、語ることを使命として与えられている。

だったら、もっともっと大胆に、もっともっと多くの人々に、
神様のことを伝える働きを、
お証をする働きをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
今日の一日を感謝します。
明日の朝、早く、よき目覚めを与えて下さい。
そして、明日の礼拝において、
多くの方々にあなたのことを指し示す働きをさせて下さい。
多くの人々に、あなたのことを伝えることができますように。
証をすることができますように。
出ていった先々で、あなたを伝える者としてください。

2006-10-27

「行きなさい!」

今朝はかきごおり家の温度計で初マイナス。
-0.7度Cでした。

家のガレージは高さの問題でミニバンが入らないので、物置になっています。
で、車はDrivewayということで、
今朝は車のフロントガラスはばっちり凍っておりました。

学校への道、フロントガラスの氷をばっちり取っておかないとダメです。
長男の高校への道も、
長女の中学への道も、
次女の小学校(って幼稚園だけど)への道も、
みんなばっちり朝日が前から当たります。


朝、慌てて子ども達を送っていこうと思うとパニックになる、
そういう季節が始まったんですね。

今夜から明日にかけて大嵐みたいです。
雨と風に注意が必要。
特に風がすごいみたいです。

今から10年くらい前、
まだJCCNJの牧師になる前、
やっぱり10月の土曜日でしたねえ。
教会で役員会をしていたら、大嵐で、停電して、
それでもやってましたね。
途中まで、廊下の非常灯がついていて、
その明かりで。
そのあと、ろうそくの明かりで・・・。

帰り道、あちらこちら木が倒れていて、
道があちらこちら通行止めになっていました。

そんなことにならないようにと祈りながら・・・
でも、皆さん停電の備えはばっちりやっておいてください。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの22章です。

今日はパウロの証しの言葉の中で、
21節の神様の言葉が心に留りました。

「行きなさい!」

このパウロと神様とのやりとり、会話になっていません。

神様が
「急いで、早くエルサレムを離れなさい。」と言われたのに対して、
パウロは
「人々は私がクリスチャンにどんなひどいことをしていたのか知っています」
と答えます。「そんな私が生まれかわった証しをしたら、人々は聞くのではないでしょうか」と
言おうと思ったのではないかと思います。

でも、神様はそのパウロこの言葉に何か答えを与えようとはなさいませんでした。

ただ、「行きなさい!」と言われました。
そして、異邦人への伝道という使命を与えられました。

時々、わたしたちと神様との関係は「会話」ではないなあ、と思います。

神様が命じられること、
それが与えられたら、もう何もいらない。

何か疑問に対する答えが与えられなくてもいい。

疑問が全く晴れなくてもいい。

ただ、主に語って頂ければ、それでいい。

そう思いました。

わたしたちの考えを遙かに超えた方が、言われるならば、
もうそれだけで十分だと思います。

それが、「みことばが与えられる」ということだと思いました。

主よ、
あなたのみことばに感謝します。
あなたが語ってくだされば、それで十分です。
丁寧に疑問に一つ一つ応えてくださらなくても、
ただ、あなたが語ってくださったという確信が与えられたら、
それで十分です。

みことばを行う者へと、
みことばに従う者へとしてください。
聞くだけの者になるのではなく、
「ああ、いい言葉だなあ」で終わるのではなく、
真剣にそのみことばに人生をかけていく、
その様な歩みをさせてください。

2006-10-26

誰の言うとおりに?

今日はキッズクラブの日でした。
Leonia。
うーん、もっとたくさんの仲間に来て欲しかったなあ。
14人?
もっともっとPRして、もっともっといいプログラムをして、
でも1人1人を大切にして、
でももっともっとたくさんのみんなに神さまの愛を伝えたいです。

夕方には教会用の売り物情報を得て、見てきました。

いよいよ山が動くでしょうか?楽しみです。

今朝は3度くらい。
明日の朝は0度くらいまで下がるみたいです。
今、夜の11時過ぎで、もう3.4度Cまで下がっています。
今夜が今朝よりも冷えるのは、
何といっても天気がいいからです。
雲があるとちょうど毛布を掛けた時のように、
熱がこもります。
晴れると、どんどん熱が放射されていきます。
で、冷え込むのです。
明日の朝は、初氷点下になるかもです。

そして土曜日には大雨です。
ご注意を。

あ、それから今晩、日本は明日になっていますが、
両親と初テレビ電話をしてみました。
母の誕生日だったもんで・・・。
お互いコンピューターがあれば、
Webカメラ買って、Skypeを入れて、簡単なんですね。
子供のころは「21世紀になったらテレビ電話ができてて・・・」みたいな話が、
「将来の予想」みたいな記事にありましたけど、
ホント、当たり前の時代がやってくるのでしょう。

今日は眠い+仕事がまだある
・・・もう寝てしまうかもしれませんが・・・のであっさりと
聖書の話に入ります。

今日は使徒の働き21章を読みました。
ここでパウロが人々に誤解されているから、
それを解くためにと、ヤコブはパウロに一つの方法を勧めます。
でも、それに従ったのにもかかわらず、パウロは誤解されて、やっぱり拘束されてしまいます。

もちろん、ヤコブは善意で、また一生懸命考えて、
手を打ったのでしょう。
でも、神さまには神さまのお考えがありました。
それはパウロを囚人としてローマに送り込む、というお考えでした。

「ですから、わたしたちの言うとおりにしてください」というヤコブの言葉(23節)
が心に留りました。

わたしたちはいろいろな考えを巡らし、
よかれと思うことをします。

でも、神さまには神さまのお考えがあるんですよね。

だからといって、「なるようになるさ」みたいなのも無責任でしょうか?

うーん、自分の考え、自分の計画、
それを押し通そうとするのではなくて、
大きな大きな神さまの御手の中で、
一つ一つの決断をしていく、
そのような歩みをしたいと思いました。

主よ、
どうかあなたの御手の中で、
安心して歩む者としてください。
どんな困難の中でも、
願っていたのと反対方向に導かれていっても、
あなたの御手の中にいるなら、安心です。
あなたの守りの中で歩む者としてください。

何でも自分で決めているような気にならないように、
あなたの御手の中にあることを覚えながら、
歩む者としてください。

2006-10-25

受けるより与える

今日は月に1度のNYDAYです。
9月は日本に行っていましたので、
2ヶ月ぶりです。
前回は8月で、半袖でいいんだけど、

バスの中が寒いので、ジャケット必要、ってかんじだったのですが、
今朝はオーバー着て出かけました。

けさのNYでびっくり!
おじさんたちがビルの壁から落ちそう!
と一瞬焦りました。


やられました。
そして、こんなところで紹介したら、広告を考えた人の思うつぼではないですか!
・・・と分かっていながら、はまってしまっています。

悔しい!

うまい!


今日のNYでは、何人かの方々と個人的にお話しして、
お祈りする時が与えられました。
感謝。

みんながんばっていますよね。
NYのみなさん。
今日はバスターミナルがダイヤの乱れで混んでいて、
30分くらい行列に並びました。

やっぱりNJに帰ってくるとちょっとホッとします。

知り合いの若い男の子がこちらから日本に帰って、
とんでもない場面に出くわした話。

こちら。

いやあ、ひどいですねえ。
もちろんこんな人ばかりではないでしょうが、
こわいですねえ。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの20章を読みました。
その中で心に留ったのが、

「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(34-35節)

パウロがエペソの教会の長老達に
教会を頼むよ、と挨拶をした時の言葉です。

ここには書けないような
チャレンジしてみたいことも考え、祈りました。

それと共に
「受けるより与える方が幸い」
このことを本当にそのとおりだと感じました。

与えることの喜び。
そのことをもっともっと経験したいと思わされました。

主よ、
もっともっと与えることの喜びを教えてください。
思い切って与えることの祝福を教えてください。
大胆に与え、
大きく満たされますように。
信仰を与えて下さり、
あなたへの信頼を与えて下さい。

2006-10-24

人々が恐れる聖霊の働き

今日は、30年前に油壺の海岸で洗礼を受けた記念日です。
洗礼槽のなかった教会だったので、
いつもは頭に水をたらす滴礼だったのですが(JCCNJもこれです)、
年に一回、野外礼拝を持って、そこで全身水に入る浸礼をしていました。

私はその時、雨の中だったのですが、決行された野外礼拝の後、
海で洗礼を受けました。

それで、今、Google Earthで湘南にある油壺海岸を捜してみました。


でも、さすがにAburatsubo, Japanでは出てこないので、

いろいろ捜しました。

朝日新聞の地図では、「油壺」が町の名前ではないので、
出てこないし、
Googleで「油壺海岸」で検索すると、
やたら「写真撮影会」ばかり出てきます。
そういう名所なのでしょうか?

でも、「油壺マリンパーク」のサイトで地図を見つけて、場所が分かりました。


東京湾の地図で、右が千葉県、房総半島で、上が東京、左下が神奈川県の三浦半島ですが、
その先っぽの西側、そこに油壺があります。


拡大すると下の写真になります。

下向きの湾が油壺湾で、右向きの黄色の矢印のところに油壺マリンパークがあります。

もっと拡大することもできますが、そうやってみると、
不思議な感じがします。
自分がここで30年前に洗礼を受けたんだなあと。

このGoogle Earthすごいですよね。

自分の住んでいる家、住んでいた家、行っていた学校、みんな見れるんですよね。


左下の左向き矢印が2年前までの深川キリスト教会。
右上の上向きの矢印が移転して名前も変わった木場深川キリスト教会。

もうこれ以上アップしませんが、
幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、大学、聖書学院も一通り見てしまいました。
一番難しかったのが、高校かな。あっちの方、土地勘がないので・・・。
渋谷駅を見つけて、東横線らしい線路を見つけて、駅を見つけて、どうやって歩いたかな、
と20数年前の記憶をたどって見つけました。

30年間、神さまが守り導いてくださったことを心から感謝して・・・。

(どうでもいいことですが、この東京の首都高速、やたら車が少ないです。
たまたまお盆休みだったのか・・・。
ん、それとも日曜日?実家の近所のイトーヨーカドーのパーキングはいっぱいです。)

今日の集会もたくさんの方々が来られて、
またいろいろなお話ができて、
また伺うこともできて、
よかったです。

ここでは「聞く」ということを学んでいます。
本を読みながら、「聞く」ということを学んでいます。
今日はその中で、「寄り添う」気持ちで聞くことを考えさせられました。
神さまが私たちに寄り添ってくださっている。
そのことを感謝すると共に、
また自分が人の言葉に耳を傾ける時に、
その様な思いで聞くことができるだろうかと。
聞く耳を持つものでありたいと思います。

明日は一日NYの日です。
幸いな日となりますように。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの19章。

聖霊様が豊かにエペソの教会に働いておられる様子が書かれています。

特に、その後半13-20節くらいのところが心に留り、いろいろ考えさせられました。

聖霊様が働かれる中で、人々の中に恐れの念が生じて、
18-19節にはこのように出てきます。

「そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」

そういう徹底的な悔い改め、
神の前の畏れ、
それが聖霊様の働きの結果なんですね。

聖霊様が私のうちに働いておられることは確かです。
でも、このような顕著な働きを私たちは見ることができるだろうかと思いました。

もっともっとご自由に、
もっともっと明らかに働いて頂けるように、
聖霊様を求めていきたいと思いました。
もっともっと聖霊様の大きな御業を見たいと思いました。

聖霊様、
あなたにもっともっとご自由にお働き頂きたいと思います。
どうか、私を満たし、教会を満たし、
私たちを生かしてください。
そして、人々があなたを畏れ、
悔い改めに導かれ、
愛に満たされて、出ていくことができますように。
主よ、
今日お会いした1人1人に、
あなたの豊かな祝福がありますように、
明日の一日を豊かに祝福してくださいますように。
30年間の守りに感謝します。
これからもあなたが導き手でいてください。

2006-10-23

黙っているな!

今日も、もう日付が変わりそうです。

11時頃、15歳の息子がやってきて、
将来のこととか、いろいろ話して、一緒にお祈りしました。
成長したなあと、思いました。
ここまで守られたことを神さまに感謝すると共に、
もっともっと祈って支えていかなければいけないなあと思います。

そう、先日、自分の子供の時の交通事故を思い出す時がありました。
5歳の4月10日かな?とにかく、1年保育の幼稚園の入園式の午後。
それも、その幼稚園、始まった最初の年。
今年37年目を迎えた「江東区立平久幼稚園」の歴史の、記念すべき第一日目に、
交通事故に遭ったのでした。(先生達ごめんなさい)

自分は車が来ると分かっていました。
でも、思い切って飛び出しました。

分かっていたのに、飛び出さないではいられなかったのです。
一緒に遊んでいた兄弟や、近所の仲間がみんな向こう側に渡ってしまったからです。

東京の下町。
材木問屋の町。
道路のあちらこちらには材木屋さんのトラックが止っています。
トラックが走っています。

その中で自分たちは遊んでいました。
材木置き場で「かくれんぼ」や「たかおに」をしました。

今では考えられませんが・・・。

その1台のトラックの陰に私はいました。
ちょうど、もう1台のトラックが遊んでいる子ども達にクラクションを鳴らしながら、
走ってきていました。

どうしよう・・・。

みんなが道の向こう側に渡って、車が通りすぎるのを待っていました。
ひとり、こちら側に残り、「車が来る」と分かっている中で、
「どうしよう、どうしよう・・・みんな行っちゃった・・・どうしよう・・・えい、行っちゃえ!」
そう思って、飛び出しました。

今、自分が運転する立場になって考えると、とても怖いです。
子供の考えること、コワイです。

トラックのおじさんも止りきれなくて、
自分は轢かれました。
でも、幸い、足だけでした。
たぶん、車にぶつかる瞬間に足を投げ出すように転んだんでしょう。

歩こうとしました。
でも、どうにも痛くて歩けませんでした。
骨折していたのです。

でも、そのことを思い出すと、
自分は今、何か目的があって、生かされているんだということを、
はっきりと感じます。

同じように交通事故に遭って、
亡くなった子ども達もいます。

なのに、車が来ると分かっていて飛び出した自分が生きている。

どうして、私が生かされて、
他の子が亡くなったのか、それは分かりません。
どうして神さまがそれを許されたのか分かりません。

でも、分かっていることがあります。
私は生かされた。そこには何か特別な意味がある、ということです。

自分が40代になって、
社会的にも一番中心的な役割を果たす世代になっていますが、
もう、これからは、次の世代のことを考えながら歩んでいくんですね。

それがまたまた楽しみにもなってきました。

今朝はそこそこ暖かかったのですが、
だんだん寒くなってきて、
今は5度Cです。

今夜はまた2度くらいまで下がるでしょう。

今日の聖書は使徒の働きの18章です。
パウロがコリントに進んでいくところです。

コリントの町で、神さまがパウロに言われた言葉、
この言葉が私にも語られました。

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」(9節)

単純に、この言葉が私に語られたように感じました。
「語り続けなさい」「黙っているな」と。

だから、これからも語り続けたいと思います。
この地で、語り続けたいと思います。

神さまの愛を、できるだけたくさんの方々に、伝えたい。
できるだけたくさんの方々に出会いたい。

NJに赴任したのに、
JCCNJを知らないで駐在期間を過ごしてしまう、という方が1人もいなくなるまで、
大胆に、広く、語っていきたいと思います。

主よ、
今日の一日を感謝します。
どうか、あなたのみことばを語り続ける、
あなたの愛を語り続ける者としてください。

黙っていないで、
語ることができますように。
そのために、あなたがいつもいつも私にみことばをお与え下さい。

2006-10-22

「世界中を騒がせてきた者たち」

今日の日曜日、
また皆さんと共に礼拝を守れて、感謝でした。
また、今日はカルフォルニアのノブ先生もご夫妻で来られて、
お二人で賛美して下さいました。
感謝。

それから、今日は礼拝後、特に会議とかもなかったので、
皆さんとお話をするチャンスもあって、よかったです。

会議も悪くはないのですが、
こうやってゆっくり日曜日の礼拝後を過ごせるのは、
とても大切なことだなあ、と思います。

日曜日の夜なので、ちょっとゆっくり書きますが、
8月31日に文字化けした投稿がありましたが、
あれは確かに携帯メールを使ったものでした。

アメリカでは携帯で日本語のメールをやりとりするのは、
結構無理があります。
普通の携帯はもちろん日本語は読めませんし、
書けません。

私のように10年以上前にこちらに来た者たちにとっては、何てことないのですが、
最近、駐在とかでこちらに来られた方々にとっては、
携帯メールでコミュニケーションができないのが、ストレスになっているかもしれないですね。
(それがいいのか悪いのかは別にして・・・)

有料サービスはあるんでしょうが、
そのためだけにまたお金を払うのはねえ・・・ということで調べてもいません。

で、元々Palm使いなので、Treoなんかもいいんだと思うのですが、
それも調べたのですが、TreoをAmazon.comをとおしてCingularで使うと、
本体にちょっとお金がかかるのに加えて、
最低で月々40ドルの料金が通話代にプラスで必要になります。

で、最終的に選んだのが、

Nokiaの6682

なぜかというと、8月の段階では、Amazon.comで、新規契約の場合、1セント。
というか、10ドルリベートが送られてくるので、-9.99ドル。
(今はもう取り扱ってないみたいです)

月々通話料に20ドル足せば、データ通信は無制限。
追加オプションなしでアドレス帳とかもコンピューターと同期できる。
そして、これはSymbian OSを使っているので、
50ドルくらいで日本語化ソフトを買うと、
日本語でメールを受けたり、送ったりできる。

という代物なんですね。

一番安いFamily Planで4台で通話料金は80ドル=1台20ドルで、
550分なんですが、絶対、使わないです、そこまで。
夜はタダだし、同じ会社の携帯同士はタダだし。

でも、まあ、考えてみれば、
他の携帯に日本語メール打っても、
読める訳ないですから、
日本の皆さんみたいに、
携帯メールでコミュニケーションというわけにはいかないのですが・・・。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの17章。

6節の言葉が心に留りました。

「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。」

これはパウロとクリスチャン達を人々が非難して語った言葉ですが、
その言葉にいろいろ考えさせられました。

私たちはその様に言われることがあるだろうかと。
余りにも「ふつう」になりすぎて、
余りにも妥協的になりすぎて、
また逆に余りにも世の中との接点がなさ過ぎて、
「世界中を騒がせてきた者たち」
なんて言われなくなっているのではないだろうかと・・・。

そんな風に言われるのを意識的に避けようとしているのかもしれません。

もっともっと世の中にインパクトを与えるような、
「あそこでは何が起っているんだろうか」と思われるような、
大きな主の働きを見せて頂きたいと思いました。

また、それと共に、私たちが、
福音をオブラートに包まないで、
ストレートに多くの人々に語っていく使命を感じさせられました。

主よ、
私たちは生ぬるくないでしょうか?
本当に真剣に福音に生きているでしょうか?
本当に純粋に福音に生きているでしょうか?
大胆に歩ませて下さい。
人にどう言われるかを恐れないで、
あなたのメッセージを語る者としてください。
社会に何の影響も与えないような者ではなく、
世の光、地の塩として、歩む者としてください。