2006-10-29

神の時

今日は本当に風の強い一日でした。
でも、幸いここら辺は停電もなく守られました。
ロングアイランドの方が一番被害が大きかったようです。

今夜は冷え込みますが、
明日から3日間は暖かい日が続きそうです。

明日は庭掃除をがんばらなければならないでしょう。

今日の礼拝、
初めての方はおられませんでしたし、
いつもより少し少なめでしたが、
旅行で寄られた方々もおられて、
幸いでした。

礼拝後、
また教会の将来について語り合い、祈り合う時が与えられました。

わたしたちのグループは5人という小さなグループだったのですが、
とてもよい語り合いの時でした。
話の方向は、「どんな教会を目指していくか」「教会はこれから何ができるか」
という前向きな話で、とてもわくわくする内容でした。

20年後を見据えて、
子ども達に対してできること、
またシニア世代の方々のためにできること、
自分たちの会堂を持ったら、どんなことができるだろうか、
そんなことを語り合いました。
11月号の月報にも書きましたが、「地の塩」の使命を果たすためにどんなことができるかと。

将来のための投資なんでしょうね。
自分たちの目先のことばかり考えないことが大切なんだと思います。

どちらかというとアメリカの教会の方がその傾向が強いのでしょうか、
大きな教会も小さな教会を必要以上に「助けない」ようです。
わたしたちが会堂をお借りしているルーテル教団(ミズーリ派)も
本来、新しくスタートする教会を立ち上げる時に、3-5年での自立を励ましているそうです。
そうしないと、体質として「援助を期待する」教会になってしまうからです。
だから、それは日本的に言うと「冷たい」と思うかもしれませんが、
本当はものすごい神様を信頼した上での、「愛」なんでしょうね。

それと共に、昨日から考えさせられていること。
教会は「キリストのからだ」で、頭はキリスト。
だから、わたしたちが語り合うことも大切ですが、
1人1人が神様から聞いていく、
手も足も口も耳も、頭であるお方からの導きを待ち望んでいく、
その姿勢の大切さを思わされます。

ちょっとわくわくしすぎでしょうか?
いいですよね。
わくわくしてて。

わくわくついでに
今日の礼拝のメッセージで
「みことばは従うことが大切」
と語りながら、
神様からの大きなチャレンジを感じました。

行わないならば、忘れてしまう・・・まさに私の姿です。

みことばに従うこと、
それは神様からの訓練を受けること。

神様を土台とすること。

わたし自身の土台としているものは何なのか?
健康?安定した収入?才能?家族?

私の家族の土台としているものは何なのか?
やっぱり健康?安定した収入?

わたしたちの教会が土台としているものは何なのか?
???

本当に神様を土台としているだろうか?
本気で土台にしているだろうか?

みことばを行う人になろうと思いました。

そこで、今日の聖書。
今日は使徒の働き24章を読みました。

今日は最後の「2年経った後」という言葉が心に留りました。

昨日の聖書箇所では、「あなたはローマでも私の証をする」と言われたのに、
今日のところでは2年間も牢の中で放っておかれたのです。
「ここから出されて、ローマに送られるのは、主が私をローマに遣わしてくださるのはいつだろうか」
とずっと待っていたことでしょう。
その中で、この2年間は本当に長かったと思います。

でも、神様には神様の時がある。
だから、わたしたちには忍耐も必要。
そう思わされました。
神様の視点で見たらどうなんだろうか、
そのことをいつも思いながら歩みたいと思いました。

もちろん、わたしたちは神様の視点を持つことはできないし、
できたと思った瞬間に、傲慢になっているんでしょうね。

でも、自分の視点だけでものを決めないこと、
神様がどのように見ておられるか、思うこと、
そして何よりも、神様の時を信頼して待つことでしょう。

「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」(ヘブル10:36)

主よ、
私が2年待たされたらどう思うでしょうか?
私はそんなに待てるでしょうか?
あなたが約束してくださったこと、
どうして実現しないのだろうかと、
あなたが私の使命として与えて下さっていること、
どうして発揮できないのかと、イライラしたり、
焦ったり。
でも、あなたの時があるんですよね。
その時を信頼します。
あなたのお考えを信頼します。

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