2006-10-27

「行きなさい!」

今朝はかきごおり家の温度計で初マイナス。
-0.7度Cでした。

家のガレージは高さの問題でミニバンが入らないので、物置になっています。
で、車はDrivewayということで、
今朝は車のフロントガラスはばっちり凍っておりました。

学校への道、フロントガラスの氷をばっちり取っておかないとダメです。
長男の高校への道も、
長女の中学への道も、
次女の小学校(って幼稚園だけど)への道も、
みんなばっちり朝日が前から当たります。


朝、慌てて子ども達を送っていこうと思うとパニックになる、
そういう季節が始まったんですね。

今夜から明日にかけて大嵐みたいです。
雨と風に注意が必要。
特に風がすごいみたいです。

今から10年くらい前、
まだJCCNJの牧師になる前、
やっぱり10月の土曜日でしたねえ。
教会で役員会をしていたら、大嵐で、停電して、
それでもやってましたね。
途中まで、廊下の非常灯がついていて、
その明かりで。
そのあと、ろうそくの明かりで・・・。

帰り道、あちらこちら木が倒れていて、
道があちらこちら通行止めになっていました。

そんなことにならないようにと祈りながら・・・
でも、皆さん停電の備えはばっちりやっておいてください。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの22章です。

今日はパウロの証しの言葉の中で、
21節の神様の言葉が心に留りました。

「行きなさい!」

このパウロと神様とのやりとり、会話になっていません。

神様が
「急いで、早くエルサレムを離れなさい。」と言われたのに対して、
パウロは
「人々は私がクリスチャンにどんなひどいことをしていたのか知っています」
と答えます。「そんな私が生まれかわった証しをしたら、人々は聞くのではないでしょうか」と
言おうと思ったのではないかと思います。

でも、神様はそのパウロこの言葉に何か答えを与えようとはなさいませんでした。

ただ、「行きなさい!」と言われました。
そして、異邦人への伝道という使命を与えられました。

時々、わたしたちと神様との関係は「会話」ではないなあ、と思います。

神様が命じられること、
それが与えられたら、もう何もいらない。

何か疑問に対する答えが与えられなくてもいい。

疑問が全く晴れなくてもいい。

ただ、主に語って頂ければ、それでいい。

そう思いました。

わたしたちの考えを遙かに超えた方が、言われるならば、
もうそれだけで十分だと思います。

それが、「みことばが与えられる」ということだと思いました。

主よ、
あなたのみことばに感謝します。
あなたが語ってくだされば、それで十分です。
丁寧に疑問に一つ一つ応えてくださらなくても、
ただ、あなたが語ってくださったという確信が与えられたら、
それで十分です。

みことばを行う者へと、
みことばに従う者へとしてください。
聞くだけの者になるのではなく、
「ああ、いい言葉だなあ」で終わるのではなく、
真剣にそのみことばに人生をかけていく、
その様な歩みをさせてください。

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