今、一仕事終わって、ホッと一息。
でも、なぜかまだまだ元気なので、ここで更新。
今日は朝6時半頃出て、一日NY Cityでした。
NYの真ん中の図書館で勉強しながら、
時々、人にお会いしに出動。
電話がかかってきたり、かけたり。
まあ、図書館を簡易オフィスとして使わせて頂いております。
もちろん、無料。
コンピューターを持ち込めば、インターネット使い放題。
でも、重いのを持ち運ぶのが億劫になって、
最近は携帯一つです。
今日はとても不思議な気持ちがしました。
自分がNYのど真ん中で、
日本語を使う牧師のひとりとして、
そこにいること自体が。
もっともっと大きなフィールドがそこにあるような気がしています。
こんなことを書くと、教会の人たちは・・・「また仕事を増やす気か?」と思われるかもしれないので、
ほどほどにしておきますが、何かまたわくわく病になってしまったみたいです。
午後3時頃から雨がパラパラ降り出しました。
最初はNYでもちょっとsleet(あられ?みぞれ?)が混ざっていました。
で、今3度Cくらいで雨が降っています。
明日は、雨には止んで頂かないといけないのですが、
天気予報は絶望的な予報を出しています。
どうする?揚げTurkey。
「ガレージでやるんですか?」というメールを頂いたが、
ググってみると、「ガレージでやるのも危ない」「家を燃やしてしまった人もいる」
と出てくるんですよね。
ちゃんと見張っていれば、大丈夫だとは思うのですが・・・
でも、万が一、教会の財産、灰にしちゃったら、ヤバイですよね。
「何があったんですか?」って聞かれて、
「いやあ、ガレージでTurkey揚げてたら・・・」なんて言えないですよね。
まあ、おそらく傘をさして、外でやるのでしょう。
その前に、奇跡的に、昼頃雨が上がる、という奇跡を祈っていきましょう。
今日の聖書。
今日はコリント第1の手紙の4章を読みました。
心に留った言葉は、
「ののしられるときには、慰めのことばをかけます。」
13節の言葉です。
すげえ、の一言です。
マジすげえです。
ののしられた時に、自分だったらどうするでしょうか?
「泣く」「愚痴る」「避ける」「逃げる」「ののしり返す」・・・
でも、「慰めの言葉」は思いつかなかったです。
降参です。
その様な心境になるのはいつのことなのでしょうか?
「人を変えようと思わないで、分かろうとしなさい」
いつもいつも自分に言い聞かせている言葉です。
そういうことなのかな、と思いました。
「彼が私をののしらなければいけない精神状態にあるのはどうしてなんだろうか」
と相手のことを思う気持ちがあれば、「慰めの言葉」が出てくるのでしょうか?
いずれにせよ、「自分を守る」という必要がない人の言葉ですよね。
「自分を守る」ことをしなくても、大丈夫な、ゆとりのある人の言葉ですよね。
主から、いっぱい愛をもらって、主と共に歩んでいることを確信した時に、
出てくる言葉ですよね。
主に満たして頂きたいです。
主よ、
私にも、パウロのように言わせてください。
ののしられた時には、慰めの言葉をかけられるくらいに、
私の心を大きく大きく育ててください。
あなたの愛でいっぱいに満たし、
愛されている喜びで満たしてください。
人から認められること、愛されることばかり求めるのではなく、
あなたに愛されている喜びあふれて、
人をあいすることが出来ますように。
人を理解することが出来ますように。
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