2006-08-29

神さまの時の流れ

今日はアーネスト君情報。
アーネスト君、今フロリダに上陸寸前です。
でも、勢力は強くなりませんでした。
ハリケーンに戻るどころか、
弱い熱帯低気圧です。

でも、雨はガンガン降っているみたいです。

こちらの雨もたいしたことはありませんでした。


そして!


いよいよ明日から「秋晴れ!」です。きっと。たぶん。

しかし、週末のファミリーキャンプはアーネスト君崩れの低気圧が悪さをするみたいです。


これが3日日曜日の未明の予想図です。

直撃です。土曜日から日曜日の朝にかけて大雨です。

でも、このモデル(GFS)だと日曜日の昼間にはいい天気に戻りそうです。

まだまだわかりません。

久々の野菜ネタを入れますが、
きゅうりはもうぼろぼろになりながら、
今日149本目を実らせてくれました。
ここまで来たら150本!と思い、ぼろぼろになったものをなかなか処分できません。

あと、ピーマンも順調。もうちょっと行くでしょう。

ナスはちょっと大きくなると、リスが食べます。
コイツも獣害がなければ、
何十本も穫れたでしょうね。

今日、無事に講師の先生が到着されました。

何かブラックリストに同姓同名がいるのか・・・この所何回か連続で「別室へどうぞ」だそうです。

でも、今回は1時間半くらいで出てこられたそうで、何よりです。

さあ、あと3日で、ファミリーキャンプです。楽しみ、楽しみ。

今日の聖書はルカによる福音書8章でした。
ここも長い章でいろいろなことが書かれていますが、
その中で最後の話が心に留りました。

娘が死にそうな病気で苦しんでいる、
早くイエスさまに来て欲しい。

でも、その途中で、病で苦しんでいた女性がイエスの衣に後ろからさわって、
癒やされる、という事件が起るのです。

その時、イエスはまず、「自分の中から力が出ていくのを感じた」といいます。
そして、誰がさわったか見回します。
弟子たちは「こんなにたくさんの人がいるのに、みんな押し合いへし合いしているのに・・・」って感じです。
この時のこの娘のお父さんの気持ちはどうだったかと思ったのです。

「早く来て欲しい」「いいじゃないですか、誰だって・・・」「イエスさま、早く!」
そんな思いで見ていたと思います。

そして、病気が癒やされた女性がびくびくしながら出てくると、
その身の上話が始まります。

「どうして?」

と思ったでしょう。どうしてこんな時に?と。

そして、一番恐れていたニュースが飛び込んできます。

「お嬢さんはなくなりました。もう先生に来て頂く必要はありません」

でも、イエスはそれを聞き流して、その娘のところに向かいます。

「ただ信じなさい」

とのメッセージを彼に語りながら・・・。

そして奇跡が起るのです。

私たちの人生にも起りますよね。


どうして・・・ということ。


どうして・・・というタイミングで起ってくること。


どうして今すぐ祈りが聞かれないのだろうか?ということ。


でも、神さまには神さまの時があり、神さまのタイミングがある。


それを「ただ信じなさい」と言われているのではないかと・・・。


主よ、
あなたの時がわからないことがあります。
自分の時にこだわりすぎているのでしょうか?

あなたの時がわかる者にしてください。

いえ、わからなくても、あなたの時を「ただ信じる」ことのできる者としてください。

信じます。



2006-08-28

どれくらい赦されたか

今日もぐずついた天気でした。
でも、ちょっと小康状態。
明日は大雨の予報が出ています。
今夜の11時半ですが、雨の中心はオハイオ州です。
明日の明け方にはこちらの方に広がってきます。
明日の夕方にファミリーキャンプの講師の先生が来られるのですが、
雨のピークかもしれません。

そして、アーネストですが、
今日は本当に弱まりました。
今キューバ東部にあります。
フロリダに向かって進みそうですが、
その間に強くなる予報が出ています。
またハリケーンになるかも・・・だそうです。

そして、昨日の予報がまた変わるのですが、

この熱帯低気圧、下手をすると、この週末こちらの方に影響が出るかもしれません。

こちらが今日の夕方のGFS(
Global Forecast System)の予報。9月3日(日曜日)の未明の予想天気図です。

これは最悪のシナリオですね。

ニュージャ
ージー沿岸にアーネスト崩れの低気圧が進んできています。

何とかこんなことにならないように、
真面目にお祈りしようっと。

折しも、明日は明け方にカトリーナが上陸した1周年の日です。

本当に心が痛みました。

多くの逃げられなかった人々、

ドームに逃げたのはいいけれども、
停電で大変だった人々。

車で逃げればいい、と思っていたけれども、
それは本当に恵まれた人たちだったんですね。

今年はメキシコ湾沿岸はハリケーンもまだなく、穏やかに来ていますが、
このままピークシーズンを過ぎて欲しいものです。

私たちのところでは直接の影響はありませんでしたが、
何といっても、「ガソリン高騰」には驚きました。


これは去年の春から今日までのニュージャージー州のガソリンの値段の推移のグラフです。(クリックすると大きくなります)
左の方の垂直にグラフが上がっているところが、8月30日です。

その日、何の用事だったか、
夜ニューヨークの方に出かけて帰ってきたら、
行く時は2ドル50セントくらいだったガソリンが、
何と3ドル20セント!
何かの間違いだと思いました。

でも、通るスタンド通るスタンドみんな3ドル台。

えー、何が起ったんだろう?と思いました。ちょっとパニックでしたね。

近所に一カ所だけ2ドル60セントくらいのスタンドがあって、すごい行列でした。
夜の11時頃だったと思いますが、「行くしかない!」と
そこに駆けつけたら、

「もうレギュラーはないよー!」だって。

ハイオクでも2ドル70セント台で他の店のレギュラーよりもずっと安くて、
2往復して2台満タンにしました。

(法律で1日に1回しか値段を買えてはいけないみたいですね。違反していたスタンドもたくさんあったようです。このスタンドはたぶんもうすでに1回上げていたのでしょう。で、その日のうちには上げられなくなっていたのだと思います。翌日には周りのスタンドと同じになっていました。2台満タンは正解でした。)

今回のアーネストがメキシコ湾に向かわないとわかって、今日のガソリン先物はずいぶん下がったみたいです。ホッ。

今日はルカによる福音書7章を読みました。
いろんな話が書かれていますが、
最後の話が心に留りました。

罪深い女の人がイエスの足に香油を注いで髪の毛でふいたのを見て、
「この人が神の僕なら、この女がどんな女かわかるはずだ」
と批判的な目で見ていたパリサイ人。

そんな彼に対して、「多く赦された者が多く愛する」といわれたイエスの言葉に考えさせられました。

昨日の礼拝でも少し触れましたが、
「自分の罪深さがわかればわかるほど、神さまの愛がわかる」
「神さまの愛がわかればわかるほど、感謝が沸いてくる」

そう思います。

自分はどうだろうかと思いました。
自分はあんなにも深く深く、自分の罪深さを感じさせられて、
あんなにも大きく、神さまの愛を感じたのに、

またパリサイ人に戻っていないか、
問われているように感じました。

「このパリサイ人のような人間ではないことを感謝します・・・」
と「取税人や遊女をバカにしたパリサイ人」をバカにしている自分はいないだろうかと。

500デナリどころではなくて、
マタイによる福音書にあるように、「一万タラント」(5000回の人生で稼げるお金)
を赦された者であることを、心の奥底に感じることができるように、
もっともっとわかる者とならせて欲しいと思いました。

主よ、
聖霊様の働きを待ち望みます。
あなたの愛をもっともっと深く知ることができますように。
あなたの愛に触れることができますように。

経験させてください。

あなたの愛の深さを味わわせてください。

2006-08-27

聞いて行う

今日はまたすごい雨でした。
私が外に出た時はたまたま小やみになっていた時でしたが、
礼拝中は何度も「ドーッ」と降っていました。

今夜まだ降るみたいです。
今11時半ですが、雨雲は北と南に別れて、
NJ北部は小康状態ですが、またあとで降ってくるでしょう。

そして、明日はちょっとましみたいですが、
あさってはまたかなりの雨。
そして水曜日からずーっと晴れそうです。

さて、ファミリーキャンプ予報の第1弾。
1週間前の予想ですが、大体晴れ。
気温は25度くらい。涼しい3日間になりそうです。
特に、朝晩は涼しいと思います。長袖の準備もお忘れなく。


今日、一瞬アーネスト君がハリケーンになりました。
でも、ハイチにぶつかって、すぐにハリケーンから降格。
明日はキューバにぶつかります。

その後フロリダを北上するでしょう。

幸いそれほど強くならないと思います。
もしかしたら、もう一度ハリケーンになるかもしれませんが、
ならないで終わってしまう可能性もあります。
その後カロライナ沖を東に進んでいくでしょう。


大丈夫です。たぶん。


話は変わりますが、
昔のこととか思い出して、
今の子ども達を見てて思うのですが、

ビデオって今はあるじゃないですか。
子供の頃はなかったですよね。(こういうことを考えること自体オヤジになったんだなあと思います。)

てゆーか、ずっとなかったですよ。
あのころビデオデッキが20万円とかしなかったですか?

今は単体のビデオデッキはお店に2機種かそこらしか置いてません。
それで一台50ドルから70ドルくらい。1/30-1/40の値段ですよね。


大学生くらいになったときに、教会で電気屋さんしておられる方が、
貸してくださったのを覚えています。

だから、子供の頃は、いつでも好きな時に、好きなものは見れなかったですね。
だから、好きな番組をやる時は必ずテレビの前にいなければいけなかった。
そして、必ずチャンネル争いがあった。
がちゃがちゃ回すチャンネルで、ダイヤルが取れたり、バカになったり。
「ほら、ダメになったじゃないか!もう見るな!」と怒鳴られて終わり。

でも、今は、好きな時に好きなものが見れる。
一軒の家に2台、3台テレビがあっても不思議ではない。

チャンネル争いなんてないですよ。

いいのかなあ・・・我慢したり、一つの番組を見るために時間をちゃんと守って帰ってきたり、
約束して、この時間はお兄ちゃん、この時間は弟、と分けたりするということがどんどんなくなってきて・・・。


さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書6章。
今日の礼拝の中で読んだのも同じ6章から37節。

でも、心に留ったのはその最後の方。
46-49節です。
聖書の言葉を読んでも、そのままの人は、
「砂の上に家を建てた人」
聖書の言葉を実行する人は、
「岩を土台に家を建てた人」
のようだとイエスは言われたのでした。

そう、聖書の言葉を読んだり、
覚えたり、
感動したり、
いい言葉だなあと思ったり、
瞑想したり、

そういうことと、本当にぶつかってみる、ということは別なんですよね。

きょうの礼拝でもお話ししましたが、
「赦しなさい」「裁くのを止めなさい」と言われても、
それを実際に「やってみよう」と思わなければ、
本当の葛藤も経験出来ないでしょうし、
「赦すことの難しさ」もわからないでしょう。
「自分の弱さ」にも気がつかないかもしれません。

そういうことを自分の経験として味わうことこそが、
「地面を深く掘り下げる」ということなんでしょう。

御言葉に従っていく者でありたいと思いました。

主よ、
私は「御言葉について語る者」ではありますが、
「御言葉を行う者」になっているでしょうか?
私は「みことばに従う者」になっているでしょうか?
どうか、御言葉に動かされて、みことばに従う者となれますように。
明日の朝も、そのことを忘れていないように、
1日を守ってくださいますように。
今日教会に来られた1人1人、いらっしゃることのできなかったお一人ひとりに、
守りがありますように。

失望を超えて

ああ、12時を過ぎてしまいました!
ちょっとカミさんのヘルプをしていたら、12時を過ぎました。
日付が変わっちゃうんですよね。
12時前に始めないと・・・。

今日は朝から、ずっと雨が降ったり止んだりで、
肌寒いくらいの日でした。
最高気温も20度くらい。

明日はもっと雷が鳴ったり荒れ模様のようです。

雨だと、洗濯物乾かないですよね。
アメリカだと乾燥機が当たり前なので、関係ないのですが、
日本式で外で干そうと思ったら、この天気は恨めしい限りです。

東京に着たばかりの頃、
まだ大阪万博とかの前ですがね、
パスタメーカーみたいなローラーで水を絞る洗濯機ありましたよね。
脱水機なんかついているのは高級機種だった頃。

うちは内風呂なんかもなくて、(もちろん、露天風呂もなかったですよ・・・)
洗濯機が玄関横の押入に入っていました。
もちろん、そこには水道も排水もないから、
洗濯する時は、親がそれを玄関に出してきて、
排水を外に流しながら、洗濯をしていました。
そして、洗ったものをローラーに入れて、水を絞っていたんですね。

ここなんかを見ると、50年代のものみたいですね。
50年代のヤツにはみんなローラーがついてる。

60年代になるともう二槽式の時代なんですね。脱水槽があるんですね。
となると別に高級機種ではなかったかもしれません
これは70年代になって、我が家に入り、
小学生の私も一番手伝った(手伝わされた・・・)やつです。

ここなんか見ると、昭和40年にはもう全自動ができていた・・・。

もう40年も経つのですね。

まじですかー、って感じです。

今朝、下の娘にせがまれて、
庭の野菜の収穫に行った時・・・もうあんまり穫れないのですが・・・
リスが小さなナスの実をくわえて逃げていきました。
あんまり慌てて逃げていたので、途中で落としました。

拾って、冷蔵庫に入れました。大人げない・・・。

今日の聖書。
今日はルカによる福音書5章を読みました。
5節のシモン・ペテロの言葉が心に留りました。


「私たちは夜通しがんばったけれども、何にも獲れなかったんです」


ああ、自分にもそういう時があるよな、と思いました。

本当に疲れ果てて、何の収穫もなくて・・・という時。

そして、また「どうせ、やったってダメ。もうわかっている」という無力感に捕らわれます。

でも、そんな私たちに主は奇跡をもって応えられます。



自分の無力さと神の全能。



もうひれ伏すしかないですよね。でも、ものすごいうれしいことではないかと思います。
恐ろしいと共に、うれしい、そういうものです。

もっともっと主の奇跡を見せて頂きたい、そう思いました。

主よ、
あなたの全能を感謝します。
あなたには何もできないことはないことを、感謝します。
どうか、自分の頭で考えて、無理なこと、
自分の経験から考えて無理なことも、
主が実現して下さることを、そのあなたの力を見せてくださることを求めます。

私たちの中にある無力感、
あなたがそれを打ち破ってください。
御言葉に従っていく者とならせてください。

2006-08-25

めぐみのことば

今日の朝はものすごい雨でした。
10時半頃にはトルネード警報も出ました。
これはNJの我が家のあたりの情報ですが、
ロングアイランドの方でも、洪水になったとか・・・。

NYの皆さんも大変でしたか?

明日から火曜日くらいまでにかけて、
同じような天気が続くみたいです。
にわか雨や雷雨が降りやすい天気です。

今(夜の12時前)もどんどん雷雲がペンシルベニアからニュージャージーに進んできています。
今夜も何度か雷が鳴るでしょう。

今日、アーネスト君が誕生しました。
カリブ海の南西部です。
週末にかけて発達しながら、メキシコ湾に向かって進むみたいです。
ちょっと心配なコースですね。

デビーちゃんはぼろぼろになりながら大西洋を北西に向かっています。
でも、アメリカに近づく前に北に進路を変えてそれていくようです。



アメリカは交渉文化です。
言われたとおり引き下がってはいけません。
でも、あんまり英語の得意でない(中学校の頃から・・・)私は、結構ストレスです。


そう、とにかく英語は苦手で、高校に入った時に、
みんなの英語のすごさに驚きました。
大学の付属高校だったのですが、付中から上がってくる子達の英語の上手なこと。
「外部生はできる!」という神話を信じて、なめてかかっていた私は、
最初の英語の授業の時に、ろくに予習もしていかず、
いきなり、第1課の文章のリスニングで、
最初に当てられてしまいました。
"What is his name?"
やばい。わからなかった。ちょっとでも教科書に目を通していたら、簡単にわかったのに・・・。
「わかりません」・・・日本語で答えました。

「え、わからないの?」みたいな、先生と同級生達の反応・・・。

次に当てられた子が、難なく答え、授業のあと、「ああ、簡単なのが当たって良かった」だって。

まあ、確かに簡単な質問でしたよね。

カルチャーショックでした。ずっと苦手でしたね。英語。そして今も。

で、話を戻すと、英語の苦手な私も交渉ごとにはストレスをかかえながら、がんばります。

今週は何度もそんなことがありました。

1.5歳の娘がこの秋から行く地元の幼稚園から何の連絡もない・・・。何とリストから漏れているらしい。ちゃんと登録に行ったのに・・・。(住民票のないこの国では向こうから「来年は幼稚園ですよー」なんて言ってくれない。)何度も担当者に連絡を取ろうとするが、何も返事がない。たぶんバケーション。

2.某あま○ン・どっと・コムで携帯を買う。今まで「まだいいよ」と言っていた息子も、10年生になるこの秋からは持ちたいかな・・・ということで・・・そこらの店で買うよりずっと安い。しかし、届いてみると、繋がらない。そこでその販売店の「ドットコム」と電話会社の「○ンギュラー」に何度も何度も電話して、2日間。最後は1時間くらいかかって、やっと開通。う?ん、「時は金なり」かな。それにお店だったら、「このケースもつけてよ・・・」とか交渉もできるから、そっちの方が良かったかも・・・。


3.某スポーツ用品店で、15%OFFのクーポンが使えない、と言われて、「おかしい」と猛抗議。ほとんどケンカ。結局捨てぜりふを吐くようにして(あ、きたない言葉じゃないですよ、念のため)、引き下がる。メールでカスタマーサービスに文句を送りつけるが、無視されている模様。

未だあったのですが、忘れました。

でも、節約生活至上主義の私は、ちょっと「安くなる」と言うことにはムキになりすぎなのかも・・・。「必要は神さまが与えて下さるから・・・」と大きく構えて、ストレス貯めないようにしないといけないですねえ。

で、もっと大切なのは聖書。
「宝のあるところに心もある」ですからね。

今日はルカによる福音書4章を読みました。
22節の言葉「その口から出てくるめぐみのことば」が心に留りました。

イエスの口からは「恵みの言葉」が出てきていたんですね。
「戒め」「攻撃」「愚痴」「賞賛」・・・いろんな言葉がありますが、
「恵みの言葉」とはどういうことなのでしょうか?

その言葉を聞く時に、神さまの恵みを感じるような言葉、ということでしょう。

だから、私たちは安心してイエスの許に行くことができる、
イエスの足元で安らぐことができる。
安心して、休むことができるのです。

自分の口から出るのはどんな言葉かと思います。
どんな言葉だろうかと思います。
人を傷つける言葉ではなく、
ただ表面的に優しいだけの言葉でもなく、
恵みの言葉が出てくる、
そんな歩みをしたいと思います。

主よ、あなたの恵みの言葉のゆえに感謝します。
どうか、私も恵みの言葉が出てくるような歩みをさせて下さい。
あなたの恵みをいっぱいに頂いて、
私の口からも恵みの言葉が出てきますように。

2006-08-24

すいきんちかもくどってんかい

今日は久しぶりの雨。
芝生も喜んでいます。
いや、水をやらなくてもいいので、人間の方が喜んでいます。
月曜日、貯水池の横を通ったら、ずいぶん水が減っていました。
ずっと天気良かったですからね。

でも、今日の夕方に天気予報をチェックしたら、週末にかけて、
ちょっとぐずつくみたいですね。

毎日雷雨の予報が出ています。

芝生も喜ぶことでしょう・・・いや、ずぼらな私のような人でしょうか?
でも、ねえ、芝生をきれいにすることに一生懸命労力を使うのは、私は解せません。
自分のずぼらのいい訳をしてはいけないとは思うのですが、
もっと力やお金を使わなければいけないところがあるんじゃないかな、といつも思っています。


いやあ、冥王星が惑星ではなくなった、というニュース、
とても痛快です。

「すいきんちかもくどってんかい」になるんですねえ。
何か、そっちの方が語呂もいいし、
何よりも冥王星が時々海王星の内側に入って、
「すいきんちかもくどってんめいかい」
になるのがちょっと解せなかったんですよね。

惑星といえば、子供の時に誕生日プレゼントに友達からもらった、
「宇宙のひみつ」みたいな学習マンガに、
太陽と惑星との距離のことが書いてあって、
「すごい!!」と思ったことがあったんですよ。

ちょっとめんどくさいですし、聖書と全然関係ないのですが・・・(今までもそんなことたくさんあったし)、
OKかなと思いつつ書きますね。

地球と太陽の間の距離を1とする(これって「天文単位」ですよね、厳密ではありませんが・・・)。
そうすると太陽と各惑星の距離は、
水星 0.4
金星 0.7
地球 1
火星 1.5
木星 5.2
土星 9.5

そこから0.4を引くと
0, 0.3, 0.6, 1.1, 4.8, 9.1
になります。

それを0.3で割ると、
0, 1, 2, 4-, 16, 31-
と多少の誤差はありますが、大体2のべき乗になりますね。

でも、ちゃんと読んでおられる方は気がつかれたと思いますが、
4と32の間に、8が抜けているんですよ。

でも、あった。

8のところにあるのは「小惑星」帯。
小さな星のかけらがたくさん回っています。

そして、64のところにあるのは「天王星」。
19.2天文単位ですから、0.4を引いて18.8。
それを0.3で割ると63くらいですね。

すごい。と思いました。


でも、海王星には当てはまりません。
そして、冥王星はとても小さく、月よりも小さいのです。
そして、海王星の内側に入ってくるんだからやっかいです。
ここら辺はちょっとがっかりです。

でも、神さまの作った宇宙が法則に従っているのではなくて、
自然界の出来事を見た私たちが法則を考えているんですよね。


だから、本当に思うんです。

今回の決定のことで。

神さまの目から見たら、今回の決定はどういう風に見えてるのかなあ、ってこと。

神さまが作られた、めちゃくちゃ大きな宇宙。
その中の小さな星の中にいる小さな人間達が、
「冥王星を惑星と認めるかどうか」で大騒ぎをしていること。

もちろん、学問の世界では正確な定義がないと議論ができない、
ってことがありますよね。
ですから、異議を唱えるつもりはありませんし、
ばからしいとも思いません。

でも、本当にどう見えているんだろうなあ、と思ったのです。

「宇宙はでかいぞ!」1997年のJOYJOYキャンプのテーマでした。

知れば知るほど、宇宙のでかさ、
神さまの大きさには驚かされます。


また長くなってしまいました。
今日はルカによる福音書3章を読みました。

8節の言葉が心に留りました。バプテスマのヨハネの言葉です。
「『われわれの先祖はアブラハムだ。』などと心の中で言い始めてはいけません。よく言っておくが、神は、こんな石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。」

そうですよね。

大きな神さま、
この宇宙を作られた神さまは、
石ころからでもアブラハムの子孫を起こすことができる。

私たちはなんて小さなことで、プライドを持ったり、
威張ったり、人を見下げたり、
そんなことをしているんだろうかと思います。

私たちは本当に小さな存在。
でも、神さまの目から見て、とても大切な存在。
そのことをいつもいつも忘れないで、
謙虚になりつつ、感謝しつつ、歩もうと思います。

主よ、
あなたの造られた世界はなんて大きいのでしょうか?
宇宙の話を聞くたびに、調べるたびに、
本当に不思議な気持ちになります。
圧倒されます。

でも、その宇宙を造られたあなたが、
私のような存在に目を留めておられることに、
もっと驚かされます。

どうか、あなたの愛を信頼して、
あなたの力を信頼して歩む者としてください。

2006-08-23

イエスが現代に生まれたら

今日はルカによる福音書2章を読みました。
イエスの誕生の風景。
飼い葉桶の中に寝かされていたイエス。
ベツレヘムという小さな村。
そして、祝いにやってきたのは羊飼い達。

イエスがこの時代にお生まれになったとしたら、
どんな感じで過ごされたのか、
コンピューターや携帯電話は使われたんだろうか?
車は運転されたんだろうか?

そんなことをこのNYで時間を過ごす中で考えてしまいました。

もちろん、最近はインターネットで教会を探してこられる方もたくさんおられるし、
このようなページを通して、神さまのことを伝えることができればと思って、
教会では10Gもスペースを確保したし・・・。
でも、もっともっとパーソナルな、人と人とが膝を交えて、
頭をつきあわせて、心を合わせて祈りあっていく、そのような地に足をつけた働きが
もっともっと大切なんだろうなあと思います。

ちょっと歩く速さをゆっくりにして、
立ち止まって考えてみたりして、
共にゆっくり祈ったり、語り合ったりして、歩んでいきたいと思いました。

イエスさま、
あなたがふかふかのベッドではなく、
飼い葉桶の中に生まれてくださったこと、
そんな思いを持ってこの地上に来てくださったことに感謝します。
私もそんな歩みができますように。
ゆっくりと地に足をつけた、
人々と歩き方のペースをそろえた歩みができますように。

共に歩む

今日はNYに来ています。
月に一度のNY面談日。
今年になってから始めましたが、
なかなか好評。(手前味噌、自画自賛・・・)

朝の祈祷会はどうしても日本と連絡を取りたいことがあって、
パスさせて頂きましたが、

昼頃に一人の方にお会いしました。
「お年寄り」とは思いませんが、うちの両親くらいかな、という方。
ちょっとNYを歩いたのですが、
「同じ早さで歩く」という感覚を思い出す一時でした。
(たぶん、結婚前のカミさんとのデート以来・・・かな)

City Boyの私は、銀座や新宿・渋谷で鍛え上げていますから、
人混みの中をすいすいと縫うようにして歩いたものです。
スタスタスタと。

それから、小学校の時、教会の2階に住んでいたのですが、
都営住宅が当たったとかで、木場から東陽町に住居だけ移ったんですね。
でも住民票は木場のまま。
そこで、門前仲町駅の方が近い小学校から、
東陽町の駅に近い自宅まで、子供の足で30分くらいかけて通っていました。
中学も、越中島の中学まで、中学生の足で30分くらいかけて通っていました。

その時間を「短縮する」ことにしょっちゅうチャレンジしていました。
小学校高学年で「駅名を覚える」のがやたら男の子の中ではやった頃、
途中の信号とかに一つ一つ名前をつけて、
運転手さんのまねをして、ハンドルを握ったふりをしたり、
車掌さんのまねをして「次は?、?です。お忘れ物ないようにご注意下さい。右のドアが開きま?す」なんて、つぶやきながら歩いたり・・・。
今考えるとかなり怪しい子供に映ったでしょうね。(+坊ちゃん刈り+黒縁めがね)


だから、きっと早足なんです。

今日、ゆっくりと歩調を合わせて、お話をしながら、歩きました。

イエスさまもこんな風に私たちと歩んでくださるんだろうなあ、と思いながら・・・。

朝、聖書を読んだとき同じようなことを考えたのですが、
それはまた夜にでも・・・。

2006-08-22

信頼と冒険

今日も暑かったです。
でも、夜は涼しいです。
明日もそんな天気になりそうです。
天気予報がちょっと退屈です。

デビーちゃんが今日誕生。英語ではDebbyです。

熱帯性低気圧の名前です。

でも、今回もたぶん大丈夫です。
そんなに強くならない+陸地には近づかない。
未だ大西洋のアフリカよりのところにいます。


「都電」って知っていますか?
私はcity boyだったので、よく知っています。
今でもあるんですよね、一本だけ。

でも、私が小学校一年生の時までは、
たくさん走っていました。
少なくとも深川近辺は・・・。

幅の広い通りの真ん中に線路があって、
上に電線が走っていて、
黄色い一両の電車が走っていました。

そして、その線路は「車も走れる」だったんじゃないかな。
信号が赤だったら止まるんですよね。

大人になってサンディエゴに来た時に、
トロリーがそんな感じで印象に残っています。

都電は大人も子供も20円。

それに対して、都バスが大人30円、子供15円。
だから、大人1人、子供2人の場合は「どっちでも60円」だったんですね。
なんか、その記憶ははっきりあります。
弟が未だ幼稚園で無料。
母と兄弟3人乗るときには、「どっちにしようか?」って好きな方を選んでいたように記憶しています。
確か、ひと頃は都電と都バスの両方が走っていたような・・・。

小学校2年生の時、廃止されました。深川の都電。
東京全体ほとんど同時だったんじゃないかな。


渋滞が問題になったんだと思います。
でも絶対、バスより都電の方が好きでした。
あの道の真ん中に停留所があって、そこで乗る感覚が何か冒険しているみたいで
好きでした。
でも、母親、父親の「守り」の中での冒険だったんですね。

そう、信仰は冒険です。
今日読んだのはルカによる福音書1章。
その中で、ザカリヤと天使とのやりとりが心に留りました。

「どうしてそんなことがあるとわかるでしょうか?」
「あなたはわたしの言葉が成就するその時まで口がきけなくなる」

神さまが働いておられる「しるし」は、
時々、願っていないようなことの中に現われたりする。

ここでも、「そんなことがおこるなんてどうしてわかりますか」と言ったザカリヤに、
「わからないなら、しるしをあげよう。あなたが口がきけなくなるというしるし・・・」

でも、それはザカリヤにとって神さまの力を感じ、
神さまに信頼することを経験する時となったのではないだろうか?
口がきけるようになった時のザカリヤの様子から、そのことを感じる。
静かに、だまって、他に何もできない中で、
神さまと語ることに集中したのではないだろうか?

信頼することは、信じることは冒険。

私自身も恐れないでいたいと思う。
それが願っていない方向にむいていったとしても、
神さまが導いてくださるなら、大丈夫だ。
信頼して冒険しよう。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたの御手に頼ります。
あなたの御手に守られて、冒険します。
どうか、あなたがすべてを守り導いてくださいますように。
恐れないで、あなたの最善を信じていけますように。

明日はNYです。
幸いな一日となりますように。

2006-08-21

石を動かす方

今日も「昼間は暑い」「夜は涼しい」という天気が続いています。
本当に助かります。
もう8月も下旬。
12年前にNJに初めて来たのも今頃でした。

夜の涼しさにびっくりしたものです。


早実優勝しましたね。
それもまた壮絶な試合で・・・。

「地元・国分寺では・・・」というニュースを見て、びっくり!

え、今、早実って国分寺なの?

HP見たら、2001年に移転したって。
そりゃ知らないよな。

今きれいですよね国分寺駅。
よく使っていた大学時代はきたなかったです。
階段とか狭くて、めちゃくちゃ混んでいました。


「オイルショック」ネタ以来、「昭和」がマイブームです。


今日は「カラー放送」を思い出していました。

我が家にカラーテレビが入ったのは中一の時。それはそれは感動しました。
ああ、こうゆう風に見えるんだ・・・と。
・・・友達には「僕が生まれた時に、記念にパパが買ったんだ」というヤツもおりました。
・・・小6の時、学校の先生が「カラーテレビの普及率」というのを調べるか何かで、
「まだカラーテレビのないって家のヤツ、手を上げろ!」と授業の中で聞きました。
私は周りを見回して、誰も手を挙げなかったので、挙げませんでした。
「先生、かきごおり君の家、未だありません!」と、ちくるヤツがいなかったのが救いです。
あとで聞いた話では、私と同じ気持ちだったのが何人かいたようです。


話はさかのぼって
幼稚園の頃ですが、
「魔法使いサリーちゃん」の
(確か・・・)左下に「カラー」という字が出ていました。
でも、どこが違うのか、わかりませんでした。(わかる訳がない・・・白黒テレビなんだから・・・)
すごい不思議でした。
・・・これ、画像がないかと、web上を一生懸命捜しましたが、まだ見つかりません。・・・



でもさ、やっぱ今でも不思議です。
カラーテレビで見ている人は、「言われなくたって、カラーだよ」って思うでしょうし、
白黒テレビで見ている人は、「だからどうした」ですよね。


うーん、何のためだったんでしょうね。

もしかしたら、白黒で見ていた人が、「ちくしょう、これカラー番組なんだ、うちもカラーで見てーなあ」と思うようにというテレビメーカーの陰謀販促だったのでしょうかね。


でも、知っていました?
サリーちゃんって、始まった時は白黒だったんだって。
途中でカラー番組になったそうです。


ま、何度も言うけど、そのころの我が家にとっては何の違いもなかったのですが・・・(ちょっとひがんでる?)


今日も、ここまでの話題と何のつながりもなく、新約聖書一日一章。
今日はマルコによる福音書16章を読みました。マルコによる福音書の最後です。

3節の言葉が心に留りました。

イエスの周りにいた何人かの女性達がイエスの墓に行きながら、
話していた内容。

それは・・・

「誰が墓の入り口から石を転がしてくれるか」

・・・でした。

この時代のこの地域の墓は、崖に横穴を掘って、そこに遺体を安置して、
入り口に石を置いておく、という形でした。

ですから、女達は「誰があの墓の入り口の大きな石をどかしてくれるだろうか」
と語り合っていたのです。
でも、その必要はありませんでした。

それはイエス自身が石を動かされる方だからです。

私たちがイエスのために何かをしよう、なんて思うのはおこがましいことです。

私たちがイエスに使って頂くのです。

イエス自身が御業をなさるのです。

主よ、
あなたの御力を信じます。
私があなたのために何かをする、そのように勘違いをします。
石を動かす人、あなたには必要はありません。
あなたが動かしてくださるのです。
あなたが私のために動かしてくださるのです。

主よ、
今日、山を動かしてください。
私の心の中にある山を動かしてください。
教会の一人一人の方々のうちにある山を動かしてください。

自分を取るか、人を取るか

今日は蒸し暑かったです。

12時過ぎていますので日付は21日になっていますが、
気持ちは20日です。

朝から蒸し暑くて、
午後も蒸し暑くて、
今も蒸し暑いです。
ちょっとさっきから外は涼しくなってきたかと思いますが、
まだ23度くらいあります。

今日はこの夏3回目の洗礼式。

7月最初の洗礼式も、

7月半ばの洗礼式も、

感慨深いものがありました。
感謝が溢れました。

そして、今日の洗礼式も・・・



・・・泣きました。



心からの感謝と感動の涙でした。



「見よ、古いものは過ぎ去った、すべてが新しくなったのである」

感謝。

朝9時から夜10時までの日曜日+明日は朝から牧師会。

でも、心地よい疲れです。


日本では朝7時から夜12時までの日曜日だったなあ、

日曜日の朝はグロンサン飲んでスタートしたなあ、

20代だったけど・・・と思い出しておりました。

まだまだ大丈夫。


昨日の日本の新聞の中から、びっくりした記事。

9歳以下の子供を対象にした調査で、

平均一人年間120回、総額43万円のプレゼントをもらっている・・・。

まじですかあ?

あり得ないでしょ。

43万円て、一日平均1200円くらい?

「がんばった」とかに対するご褒美も含むそうですし、
お菓子なんかも入れて、みたいですが、
それでもあり得ないでしょう。

平均でそうだって言うんですから、
多い子はどうなっているんでしょうか?

それも9歳以下の子ですよ・・・。


子供の頃、
家は、教会だったので、
クリスマスはお祝いしましたが、
サンタさんは来ませんでした。

それを疑問にも思ったことはありません。

でも、なぜか一番下の弟のところには来ました。
7つ違いなので、「ずるい」とも思いませんでしたが・・・。


そんな自分の経験から、

・・・うちの子達のところにも、サンタは来ません。

一番上の子が小さかった時には、
「サンタさんはね、お父さんやお母さんがプレゼントを買ってあげられないような、
そんな子達のところに行くんだよ。おまえのためにはお父さんやお母さんが買って上げられるからね。」
そんなことを言っていました。



でも、明日で5歳になる娘にはどう話すか・・・。

一番下の子だけにサンタが来た理由も、自分が親になって、ちょっとわかるような気がしてきました。


父「誕生日何が欲しい?」
娘「猫さんのフォルダー・・・」(1ドルくらいのもの)


・・・なんて経済的だかわいいんだ、とおもいました。(^^)/


今日はマルコによる福音書15章を読みました。
イエスの十字架の場面です。

31節のあざける人々の言葉が心に留りました。

「他人は救ったが、自分は救えない」

いや、自分は救えなかったのではなかった。


・・・自分を救わなかった。

なぜ?

・・・私を救うため。

イエスは選ばれた。
自分を救わないで、私たちを救うということを。

誰にも反論しないで・・・
「ふざけろ、おまえのためだ!」なんて言わないで・・・

私たちを救うことを選ばれた。

感謝。

主よ、
あなたに感謝します。
あなたが自分を救うことを選ばないで、
私を救うことを選んでくださったことを。

こんな悔しいことを言われても、
反論もなさらないで、
ただ、ご自分を与えられたことを。

何も言い返さないで、
ただただ、私たちを救おうとなさったことを。

何一つ恩着せがましいことを言わないで、
十字架にかかってくださったことを。

感謝します。

今日の一日を感謝します。

明日も祝福してください。




2006-08-19

私たちの計画と主の計画

今晩はまた祈り会なので、
今のうちに更新。

昨日、「オイルショック」のおかげでパイロットの夢やぶれたUさんの話を聞いて、

調べてみました。自分はそのころ、何をしていたかを・・・。
小学校4年生。

去年か一昨年かに日本から引き揚げてきた(実家の引っ越しで追い出されてきた)
小学校の卒業アルバム
(出てきましたよ、意外とすぐに・・・カミさん曰く、「わたしんとこは、小学校はなかったよそんなの・・・」)

・・・の最後の「この6年間の日本と世界の動き」みたいなところに、
ありました。ありました。


こんな写真。





やっぱ、オイルショックと言ったらトイレットペーパー。
でも、たぶんそれって直接の記憶じゃなくて、
何年も後で、テレビで「そんなことあったよねえ・・・」って言ってたのが、入っているんだと思います。

それでも、確かに、小学生の頃、
母親の買い物につきあわされて、
一つ品物とちょっとお金と持たされて、
「あんたも一つ買ってちょうだい」とレジの列に並ばされた覚えがあります。
「本日限り・お一人様一点限り」ってヤツだったんでしょうね。
そんな時、4人兄弟は役に立ちますね。
一番下のはそのころ3歳くらいですから、まあしょうがないとしても、
3人小学生がいたら、4つは買えちゃいますからね。


調べてみると・・・って忙しいのに・・・
1バレル3ドルだったんですね、このころ。

それが11ドルになったと。

そりゃパニックになるわ。

今70ドルくらいですが、
これが200ドルになる計算ですからねえ。


歴史の勉強でした・・・。

今日の聖書。
今日はマルコの14章を読みました。
最初の2節に、当時の宗教的指導者がイエスを殺そうと計画しているのが書かれていますが、
その中で彼らはこう言うのです。「祭りの間はいけない」と。
でも、実際、イエスが十字架につけられるのは祭りの時でした。
それも大切な「安息日」の直前。

私たちの計画、私たちの考え。
でも、主には主の計画があり、
主の考えがあり、
主の思いがある。

そして、主の御心だけが堅く立つ。

本当にそのことを思います。
いろんなことを考えすぎるのだと思います。
もっと聞けばいいのに、
もっと求めればいいのに、

自分で考えて、
そして、それだけではなくて、
決めつけて、頑固にそれにこだわる・・・。

主の御心をもっともっと求めていきたいと思いました。
今日はこれから祈り会です。
陳情を並べるのではなく、
主と会話する、
主から聞く、
そのような祈りの時となるようにと願っています。

主よ、
どうかあなたの御心を教えて下さい。
あなたの御心を喜びとし、
あなたに従っていく者としてください。
これから参ります祈り会を祝福して、
あなたに聞く時となりますように。

示されることを

今朝も気持ちのいい朝でした。
でも、昼間はちょっと蒸し暑いです。

今年の8月は最初の2,3日を除いて、とても過ごしやすい8月になっています。

それから、ハリケーンの全然ない8月になっています。
去年はものすごい当たり年で、
今年も多いだろう、そして、北東部が危ない、と言われていました。
もちろん、ハリケーンシーズンはこれからですし、
何があるかわからないのですが、
去年は8月の終わりにカトリーナが来て(KですからABCDEFGHIJKで11個目!)
ガソリンが何時間かの間に70セントくらい上がったのがあったことを考えると、
今年はまだCまで。
ハリケーンとトロピカルストームを合わせて3個しか発生していません。

このままいってくれたら、ガソリンがもっと下がってくれていいと思うのですが・・・。

これから明日にかけて雨です。
今午後4時過ぎですが、
今雨雲が西からNJに入ってきました。

post JOYJOY syndromeですが、

昨日聞いた話では、ある隊員は、自然とJOYJOYTシャツに手が伸びて、
仕事に着ていきそうになったそうです。No. 5の症状が出ているケースは初めてでした。

他に・・・


・家の中で走り回っている子供がいると、
「ジャングルの中で走りってはいけない!」と叫んでしまう。

・食事の時に、「ごーはんだ、ごはんだ、さあ、たべよう」と歌わないで
ご飯を食べることに罪悪感を感じてしまう。


・・・などの症状が出ている隊員がいるようです。


お大事に。

昨日の聖書です。
昨日はマルコによる福音書13章を読みました。
そこには世の終わりに起ることが預言されています。

その中に、クリスチャンが迫害されることも出てきます。
その時の心構えについてイエスがいわれている言葉です。

11節です。

「彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」

「示されること」

自分で「うーん、うーん」と悩んで、考えて出てくる言葉ではなくて、
神様が示してくださること、聖霊様が示してくださること。

あのペンテコステの時のペテロの言葉なんかそうでしょうね。
使徒行伝の2章に出てきます。

私も日曜日のために、このような言葉を与えて頂きたいと思いました。
自分で悩んで、考えて、作り出した言葉ではなくて、
神様が示してくださる言葉。
そのような言葉を語る者とならせて頂きたいです。

主よ、
御言葉を与えて下さい。
聖霊によって示して下さい。
あなたの与えて下さる言葉を語る者としてくださいますように。
日曜日のために、私に言葉を示してください。
また前に立った時、
あなたが私に言葉を与えて下さい。
あなたを信頼します。

遅くなったので・・・

先ほどまで集会でしたので、
更新は明日ゆっくりと・・・。

おやすみなさい。

2006-08-17

すべてを捧げる

今日も快適です。
昼間はちょっと暑いかなあ、と思い温度計を見ると30度くらい。
でも、朝は20度を切ります。
明日も、あさってもいい天気みたいです。
土曜日の夜には雨が降る、と天気予報は言っています。

今日、お借りしている教会の牧師さんとお会いして、
ちょっとお話をするチャンスがありました。
いつもは、そのまま、「じゃ」と別れるのですが、
今日は、「一緒に祈ろう」と先生が言ってくださいました。
考えてみたら、こんな風にその牧師さんと祈るのも初めてだと思います。
先生も闘いを覚えて、心に痛みを感じておられることがあって、
それをお話ししてくださって、共に祈りました。

このようなことがもっともっと必要なんじゃないか、と、そう思いました。

自分が英語で祈ることには慣れていないので、
自分の方から「祈りましょうか」とはなかなか言えないし、
こっちの方が若いし、お借りしている立場なので、
なかなかそのような雰囲気には成らないのですが、
今日は先生の方から声をかけてくださったので、本当によかったと思います。

私も教会の方々にもっともっと、「じゃ、祈りましょうか」と声をかけなければいけませんね。
たまには、「え、どうして?」って顔をする方もおられるでしょうが、そんなことを気にしてはいけませんね。
祈りましょう。
そして、私に突然、「祈りましょう」と声をかけられても、
「何かあったの?」「え、どうして?」みたいな顔をしないで下さい。よろしく。

明日は祈り会です。

多くの方々が来られますように。

今日はマルコによる福音書12章。
まだ、結論は出ていないのですが、考えさせられたことを一つ。
最後の44節。
ここでは、多くの人が神殿に献金をしています。
その中で、一人の未亡人が小さなコインを一つだけ献金しています。
それを見て、イエスは、「彼女が他の誰よりもたくさん捧げた」と言います。
そして、44節では、「この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです」と言われています。

この人はこの後、どうしたんだろうか、と思いました。

だって、生活費の最後の一枚のコイン。
そして、未亡人で、誰もあてにはできない。

神様への信頼ってこういうことなのかと思わされました。

良く、日本の尊敬する婦人伝道者が言っておられました。
「エリヤの神は今も生きておられる。エリヤのカラスは今もいる」と。
エリヤという預言者は、ある時はカラスが持ってくる食べ物を食べていた、と聖書には書かれています。

その信仰が自分にはあるだろうか?
いや他に頼るものばっかりたくさん作って、
神様を本気で頼っていないのではないだろうか?

人、お金、経験、才能・・・。

本当にハングリーになって、
どうにもならなくなって、
祈らないではいられない、という状況は、最近自分にあっただろうか?

そんなことを思わされています。

未亡人になって、
最後の一枚までささげたら、
そりゃ神様しか頼れないですよね。

神様、
あなたが豊かに与えて下さっていることに感謝します。
たくさんの人々。
そう、あんなに一生懸命に奉仕して下さる教会のメンバーに恵まれて、
なんて幸せなんだろうと思います。
お金。
そう、財布の中に、銀行にたくさんではなくても、とにかく「ある」ことに感謝します。
明日の食事、どうしようか、
ではないですから・・・。
健康が与えられて、また働けることを感謝します。
家族を感謝します。

でも、そんなたくさんのものが与えられているなかで、
本当にあなたの前に出て真剣に祈る時、
あなたに必死になって「私を祝福して下さい」と言う時があるでしょうか?

主よ、どうか私があなたに近くなるために
必要な導きを与えて下さい。
それが時には、喜ばしいものではないとしても・・・。

主よ、あなたを信頼することを教えて下さい。

2006-08-16

信じて祈る

このところ、めっきり涼しくなりました。
さすがに12度、13度ということは、何度もありませんが、
朝は20度を切るようになってきました。
朝晩は本当に爽やかです。

秋はもうそこまで来ています。

9月の予想は平年並み、ということで、
いい季節になりそうです。

でも、自分は11日から日本だった!

慌てて日本の予報をチェック。
「平年並みか高め」
結構暑く感じるんだろうなあ。

でも、去年まで3年間、梅雨時に行っていましたから、
今年はカラッとしているだけでも助かるでしょう。きっと。

何で天気予報が好きになったのか?
よくわかりません。

本当に好きになったら、きっと「ここが好き」とか言えないのでしょう。


自分が子供の頃は朝と夕方の6時55分からNHKで天気予報をやっていました。
今みたいなコンピューターグラフィックではなくて、
天気図の前におっさんが立って、
その天気図に磁石(多分そう。確認したことはないけど)の付いた「低気圧マーク」(まるい「低」の時の付いたやつ)や「高気圧マーク」「晴れマーク」「晴れ時々曇りマーク」などをペタッ、ペタッと張っていってました。
うちはカラーテレビが入るのがめっちゃおそかったので、
「低」が赤で、「高」が青であるのを知ったのはずいぶん後です。

そして、子供の頃、うちでは、朝6時半から「朝のお祈り」の時間でした。
そんな時、誰かが長いお祈りをして、6時55分を過ぎたりすると、
泣いたものです。

結婚して間もない頃、
カミさんの話をフンフンと聞きながら、
時間になったから、
「あ、ちょっと待って・・・」と言って、テレビをつけて、天気予報を見ていたら、
さすがに怒られました。ん、呆れられたんだったかな。

今はWeather Channelやインターネットがあるので、
時間を気にしなくなりました。


ちょっと寂しい気もします・・・。


で、聖書。いよいよ今日の分です。
今日はマルコによる福音書11章を読みました。

24節の言葉が心に語られました。

「祈って求めるものはすでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

春からのいろいろな働きがこのファミリーキャンプで一段落するなかで、
会堂のことをまた真剣に祈り、求める時に来ているように思います。
会堂のことを考えると、人間業では何も進まないと思います。
神様が導いてくださって、神様が道を開いてくださることによって、
初めて可能になると思います。

だから、祈って求めようと思います。
神様が与えて下さいますように、
一切の必要を満たして下さいますように。
思いっきり伝道出来るところを与えて下さいますように。
日本語を使う方々のコミュニティーセンターの様な用いられ方をする教会を与えて下さいますように。

主が大きなことをして下さいますように、
そして主を信じて、信頼して歩んでいきたいと思います。

主よ、
どうか私たちに会堂を与えて下さい。
一切の必要を満たして下さい。
どうか、私たちを一つにし、
大胆に伝道出来るように導いて下さい。
あなたが与えて下さることを信じます。

百倍返しの神

昨日のメールの嵐のことを考えると不気味なくらい静かな一日です。
一段落したのでしょうか?嵐の前の静けさでしょうか?
与えられた時に感謝して、進んでいきたいと思います。


JOYJOYキャンプの後遺症に悩む方が増えています。


JOYJOYキャンプに参加した子ども達や、スタッフに多発しています。
まれに子ども達の父兄にも出現することがあります。


スタッフの場合、以下のような症状が特徴です。

1. 仕事の途中、または食事の途中などに、ぼーっとJOYJOY Campのことを思い出してしまう。

2. 気が付くとJOYJOY Campのテーマソングを歌っている(クリックすると音楽が流れます、仕事中の方注意)。「さあ、勇気を出して、ぐるぐる探検隊!」あたりのフレーズが良く出てくる。(症状が重い場合は体が勝手に動くこともあります)


3.仕事をしながら、「何でこんなことをしているのだろうか」と思ってしまう。仕事に対する情熱が失せてしまっていることに気が付く。

4. 学校や仕事に「行きたくない、JOYJOYキャンプに行く」とごねる。家を出ても、運転をしていると自然に教会に向かってしまう。

5.朝起きたら、いつの間にかJOYJOYキャンプTシャツを着ている。

6.トイレットペーパーやキッチンペーパーを使い切っても、「JOYJOYで使うかも・・・」と思って、芯を捨てられない。

7.町を車で走っていて、大きな段ボール箱を見つけると、「迷路に使える!」と止まって車に積みそうになる。

8.互いのことを「カツオ」「しもりん」「隊長」としか呼べなくなっている。どうしても本名を思い出せない。

9.ついつい子ども達を驚かせることを考えている自分に気が付く。


わたしの場合は1,2,6,7,8,9が出てきています。
3と4は、仕事が教会の仕事なので、判別ができません。もしかしたら症状が出ているのかもしれません。
幸い、さすがに、まだ5だけは経験したことがありません。



時間と共に症状は緩和していきます。
でも、まれに、時間と共に症状が強くなる場合もあります。

そのような場合は、神様の導きと信じて、
仕事を辞めて、JOYJOYキャンプのフルタイムのスタッフになるか(今のところ、そのようなポジションはありませんが、そのうちできるかもですね)、
毎月のJOYJOYキッズクラブに来るか、

ですね。

スティーブ・ジョブスが
2005年のスタンフォード大学の卒業式で言った言葉です。

「『もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?』。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。」

聖書の言葉ではありませんが、
神様が与えて下さる使命感、そこに伴う喜び、そのようなことを考えてみると、正しい判断の仕方なのかなあ、と思います。もちろん、私たちにはそこに、「祈り」が入るわけですが・・・。

昨日、8月15日(火)の聖書です。
昨日はマルコによる福音書10章を読みました。

心に留ったところ、夫婦のことを言っている1?12節からも語られたのですが、
それはあまりにパーソナルなことなので、置いておいて、

30節の、「百倍を受ける」という言葉に心が留りました。

私たちが主のために手放したもの、
その100倍を主は与えて下さる、という約束です。
100倍ですか。
すごいです。
でも、もっとすごいんでしょう。
主が与えてくださるものですから。

そして、それはこの時代にも、
この地上の生涯でも与えられるものだといいます。

もっともっと主に期待していいんですね。
私たちは神様に対してもあんまり期待しないことが多いのではないかと思います。
「あなたの口を広く開けよ」と主は言われました。
大胆に、大きな神様に期待したいと思いました。

主よ、
あなたが与えてくださるものがどれほど大きなものかを教えてくださってありがとうございます。
わたしはあなたに大きく期待します。
どうかわたしの大きな口をあなたの恵みで、いっぱいに満たしてください。
あなたの御業を見せてください。
いつもいつも必要を満たしてください。

2006-08-15

水一杯でも

昨日は夜NYから帰ってきたらヘロヘロでした。
ちょうど家を出る直前に、ヒラメを頂いて、
その後どうしたのかなあ、と思って帰ってきたら、
ちゃんと料理になって待っていました。
うまかったです。

いつか自分で釣りたいなあ、と思っています。ヒラメ。
NJの南の方から船が出ているようです。
今までのなかでいちばん「食べられる」釣果は、小アジ数十匹。
今から20年くらい前、
夏の終わりに牧師の訓練学校の休みが数日あって、
伊豆の新島の牧師さんのところに遊びに行った時でした。

島の埠頭に小アジが集まってきていました。
季節的に最高だったみたいです。
おもしろいように釣れました。
その牧師さんの家の子ども達が小学生で、一緒になって、ガンガン釣りました。
食べきれないほどの小アジ。
でも、とてもおいしかった記憶があります。

つい最近の様なつもりなんですが、
今までの人生の真ん中くらいの出来事なんですね。

結婚してからというもの、ろくに釣れたことがありません。
ですから、全然あてにされないです。

サバも行きたいなあ、と思います。あれって、期間が短いんですよね。
知っている方、教えて下さい。

昨日、月曜日、8月14日はマルコによる福音書9章を読みました。
41節のイエスの言葉が心に残りました。
「あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません」

すごいありがたい言葉ですね。
私たちが出会う一人一人に神様の祝福があるということですね。

時々、「イエスを信じることなく、なくなっていったあの祖母は、どうなるのでしょうか?」と質問を受けることがあります。
もちろん、私たちは「イエスの十字架にのみ救いがある」と信じていますし、それを個人的に受け取ることが大切だと信じています。
でも、この言葉を見ると、神さまは、私たちのことを大切にしてくれた人たち、一人一人のことを決して忘れてはおられない、とわかります。
そして、希望を持つことができます。
もちろん、私たちの使命は、今生きている、周りにいる方々に福音を語ることです。
神の愛を語ることです。
そちらの方にもっともっと力を注ぐべきです。
でも、そのために、もう先に行った方々のことを主に御手にゆだねることができるのは、大きな感謝です。

主よ、
あなたがわたしのことを心にかけて下さって、
それだけではなくて、
わたしにとって大切な方々、一人一人のことをも
心にかけて下さっていること、
心から感謝します。
どうか、私たちが今、私たちの周りに与えられている方々に、
あなたの愛を大胆に語っていくことができるように、助けて下さい。

きょうはここまで、明日こそ、追いつきたいと思います。

福音を恥としない

今日こそ、追いつこうと思っていたのですが、
たまっていたファミリーキャンプの仕事をやっていたら、
あっという間に一日が過ぎてしまいました。
340人くらいの方々が集まる予定のこのキャンプ、
ワシントンからボストンまでの日本語教会の合同企画です。

電話しまくり。
受けたのとかけたの合わせて30本以上。
メールも受けたのと出したの合わせて、70本近く。

まあ、直前にならないとやらない人間ですから・・・私。

ここで、またメールが70本を超える・・・。

きゅうり・・・「もう終わり」宣言を何回したでしょうか?
でも、この3日で、13本穫れました。
一本あたり平均が46本まで来ました。
ここまで来たら、3株で150本も夢じゃない。

あと、今日はピーマン5個穫れました。
一人一個ずつ、焼いて食べました。
ピーマンは「洗わないで」「丸まま」焼くのが一番おいしい、と思います。

「洗っちゃダメ」・・・板前さんに聞いた話。

では、日曜日、8月13日の聖書。
マルコによる福音書8章を読みました。
最後の38節の言葉、
「このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしの言葉を恥じるような者なら・・・」
という言葉が心に留りました。

イエスの時代も「姦淫と罪の時代」と呼ばれていたのですね。

私たちの時代もそうでしょう。
テレビを見ても、映画を見ても、
「なんだこりゃ」みたいな話があります。
途中までいい番組だと思ってみていても、
そんな場面が出てきたらがっかりです。

そのような時代のなかで、福音を恥としない、
クリスチャンの生き方を恥としない、
そのような堂々とした生き方を主は求めておられると感じました。

イエスが存在をかけて、
命を張って語ってくださり、与えて下さった福音、救い、
それを恥じるわけがない、と思います。

堂々と、福音を語り、
救われた者として、感謝しながら歩んでいきたいと思いました。

そして、特に若い人々に、そのように生きて欲しいと思いました。

主よ、
わたしも福音を恥としません。
自分の姿は恥ずかしくなることがあります。
それでも牧師か、とか、それでもクリスチャンか、という声が、
自分の外からも、自分の中からも聞こえてくるように感じます。
でも、福音は恥になり得ません。
誇りです。
自慢です。
神様が愛して下さったこと、
そのすばらしさ、大きさに感謝します。
どうか、もっともっとそのすばらしさに目が開かれていくように、
導いて下さい。

2006-08-14

パンくずでも・・・

今朝は涼しかったのですが、
昼間は暑くなってきました。
今夜から明日の朝にかけて雷雨かもしれません。

雨雲はただいま(夕方5時頃)オハイオからペンシルベニアに入ったところ。

先週の木曜日の夕方に降っただけですから、ちょっと降って欲しいところです。

何週間ぶりかの「休日」と思ったのですが、
朝からいろんなたまっていた連絡+今晩のNY-VIPの準備のために、
返上です。
でも、昨日までに比べれば、休日みたいなもんです。
6時頃にNYに出発です。

今年初挑戦のトウモロコシ・・・大失敗でした。
全然ダメ。
ちょっと悔しい。

土か日照か?または、飢えたばかりの頃にリスにほじくり返されたからか。

とにかく写真にもできないくらい惨めなヤツが5,6本。
実がならない株もありました。

できたヤツは味は良かったんですがねえ。
いくつかはJOYJOYキャンプのおかげで収穫が延び延びになっていて、
気が付いたら、もう固くなっていました。

来年はちょっとだけ気合いを入れようかと思います。

8月12日、土曜日に読んだのはマルコによる福音書7章。
24節からのところで、イエスが娘を癒やしてくれと言うツロ・フェニキアの女の人に、
「子ども達のパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
と言われた時に、
「でも、小犬でも、子ども達のパンくずを頂きます。」
と答えた言葉が心をとられました。

この女の人はイエスの力の「パンくず」でも、娘は癒やされると信じていた。

ホンのかけらでも、
ほんの少しでも、
食べこぼしのようなものでも、

娘を癒やす力がある、と信じていました。

自分はどうだろうかと思わされました。

自分は本気で神様の大きな力、イエスの大いなる力を信じているだろうかと思いました。

そして、パンくずほどでも、イエスの力が注がれたら、大きな御業がなされる、
それを感謝しました。

そして、私たちに与えられているのは、
イエスご自身、パンくずどころではなくて、
イエスの存在そのものであることを思い出した時に、
感謝が溢れてきました。

主よ、
感謝します。
パンくずほどのものでも、
あなたの力は人を癒やす力があります。
あなたはそれどころではなくて、
あなたの存在すべてを私に与えて下さる方であることを、
心から感謝します。
あなたが私の人生にもっともっと大きなことをして下さいますように。

2006-08-13

羊へのあわれみ

またまた涼しい夜です。
本当に過ごしやすくなりました。
これくらいの気温の日がもう少し続いてくれたら・・・と思います。

明日からもう少し暑くなるようです。

今日はとてもすばらしい日曜日になりました。
JOYJOYキャンプの子ども達も結構来てくれました。
そして、お父さん、お母さん達と一緒にずっと礼拝後まで残ってくれました。
とてもうれしかったです。
どうか、続けて教会に来られる方々が起こされますように。

今日は早く休もうと思ったのですが、
その前にもう一日分追いついておきたくて、
更新。

8月11日(金)にはマルコによる福音書6章を読みました。
その中で、34節の言葉が心に留りました。

「彼らが羊飼いのない羊のようであるのを深く憐れみ・・・」

イエスの憐れみが私にも向けられていることを感じました。

この日に娘が12歳になりました。
神様の守りに感謝。

そして、この日でJOYJOYキャンプが無事に終わりました。
そのことも神様に大感謝。

そして、私も牧師として、教会の方々を牧会することの大切さを思わされました。
主が助けて下さいますように。

神様、
感謝します。
あなたが私たちの羊飼いであって下さって、
私たちを憐れんでくださっていることを。
そして、私も羊飼いの使命をいただいていると思います。
どうかこの働きに忠実であらせてください。

主がどんなに大きなことをしてくださったか

今朝も気がついたら6時前。
まあ、今日は日曜日。
早く目が覚めるのは気持ちがいい。
そしてゆっくり礼拝に備えられる。

今日はJOYJOY Sunday!
たくさん子ども達やご両親が来られるかな?

今朝の最低気温は11.8度。

秋の朝でした。

今夜はずっと北の方では霜が降りるかも・・・だそうです。
去年の8月の末にはあっちの方でテント張って一泊キャンプしたよなあ。

昨日、カミさんが話してくれた話。
金曜日、買い物に行ったら、
若いお姉ちゃんが腕に入れ墨を入れていたと。

最近、多いんですよね、こっち。
それにやたら「漢字」を入れている人がいる。

そして、そのお姉ちゃんの腕に入っていたのが、


「牛」


だったそうで・・・。

日本ではあり得ませんよね。

私が思うに、このお姉ちゃん、次の三つの中の一つでしょう。

1.テキサス出身で 元カウボーイならぬCowgirlだった。代替案「牛少女」

2. シカゴ・ブルズかバッファロー・ビルズか、オリックス・バファローズあたりの熱狂的ファンで、
「漢字でどう書くの?」って友達にきいたら、友達は「牛」という漢字を教えてくれた。
これは、「熱烈応援猛牛」とすべきですね。

3. うし年生まれ。でも、もしそこまで調べるんだったら、もう一歩がんばって「丑」とすべきだったでしょう。

でも、僕らも英語で、きっと同じような滑稽なことをしているのでしょう。


先週の木曜日、8月10日は、マルコによる福音書5章を読みました。
イエスが悪霊につかれていた人を、悪霊から解放した時に、
正気に戻ったその人が、イエスのお供をしたい、と言い出しました。
その時のイエスの言葉が心に留りました。

「家族の元に帰って、主があなたにどんなに大きなことをして下さったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい」

神様が私の人生にどれほど大きなことをして下さったか、
それを思うと本当に感謝が溢れる。
あのまま、やたらプライドの高い、偽善者をしていたかと思うとぞっとする。
その私を主は捕らえて下さった。
そして、主に愛されていることを感謝することを教えられた。

「自分はいい線行っている」と思っていた。
でも、主はそんな私の醜さを教えて下さった。

そして、そんな私をも愛して下さっていることを教えて下さった。

主よ、
感謝します。
あなたがどんなに私を愛して下さっているかをもう一度教えて下さって、
心から感謝します。
あなたの愛を、あなたの救いをもっともっと大胆に、もっともっと多くの方々に、
伝えることができますように。どうかわたしを用いて下さい。出会いを与えて下さい。

2006-08-12

静まれ!

6時頃のセクションの続き・・・。

返品OKメンタリティーがしっかり身に付いたかきごおり家は、
いろんなものを返品してきました。
ほとんどは開封しないで「やっぱり不要」。
サイズが合わないから(洋服じゃないですよ、最近あったのはエアコン用のフィルター・・・調べてから買えよ)。
あっちの店の方が安かった・・・(差額に10パーセントくらい付けて返金してくれるところもありますよね)。
去年の今頃はアラバマのWalmartで(あっちは本場なので、あっちこっちにある。10ブロックに一軒くらい。ちょっと大げさ、でもたぶんそれに近い)、カメラを買って、ちょっと使って、調子悪くなったので、「すぐ壊れた」と返品。それも事情があって、買った店と違う店に行ったのですが、相手にしてくれました。

たまに、大胆な返品もします。

伝説となっているのは
「まずかったスイカ」

こちらはカミさんがアトランタ時代に作った武勇伝。

1994年春ごろ、親友のつわり対策に、貧乏留学生が奮発して買った
ちょっと季節はずれの種なしスイカ。

まずい。

味がない。

とにかくひどかった。

「どうしてこの季節に種なしスイカ買ったの?」

味見をしたわたくしのあまりの酷評に、カミさん、怒りの矛先を「売っていた店」に向けた。

そして、見事に返金してもらって、意気揚々と帰ってきた。

今のガソリン代だったら、行く方がお金がかかりそうだが、
そのころ、1ガロン80セントくらい。自分のアメリカ生活の中で一番ガソリンが安かった頃。
円相場も1ドル=80円台。
つまり3.6リットルのガソリンが70円くらいで買えた頃。たしか・・・。


どうやって言ったの?と聞いたらのたまわった。
"This is like a Daikon, Please Give me refund"
つわもの・・・。

半分だけしか持っていかなかったので(残り半分は味見して、捨てた、確か・・・)
「残り半分はどうした?」といちゃもんをつけられたらしいが、
その後もいろいろ言ったので、(「自分で食べてみろ」とか言ったつもりらしい、英語で)、相手がめんどくさくなって、
結局全額返してもらったらしい。

後にも先にも、途中まで食べたものが「腐っている」じゃなくて「まずい」という理由だけで、
返品がきいたのは、これだけだったと思う。たぶん。

でも、さすがに、人にきく、
「パーティー用のドレス」「靴」「大型テレビ」「ビデオ」
を必要な時だけ買って、終わったら返品する、
という図々しさはありません。

やっぱねえ、さすがにそれはずるいでしょうって。

で、本題の聖書。
マルコによる福音書4章を読んだのは8月9日(水)でした。

JOYJOYキャンプ中日、先が見えてきて、疲れのピークは過ぎ、
でも、「ああ、そろそろスライドショーの準備を始めなければ・・・」と思っていた頃。

心に留ったのは、39節のイエスの言葉です。
「静まれ、黙れ」

これはイエスが嵐に向かって言われた言葉です。
イエスがこのように言われると嵐はやんだと書かれています。

もちろん、私はこれを自分の問題としては、
心の嵐のこと、心のさざ波のことに重ね合わせて受け取りました。

心が乱れる時があります。
いろんな思い煩いにとりつかれたり、
人の言葉に苦しんだり、不安を感じたり、
そんなこともあります。

そんな時に、イエスに「静まれ、黙れ」と言って頂くことができる幸いを感じました。

主は私の心を静めてくださるお方。
このお方が共にいて下さることが私の力です。

主よ、
あなたが「静まれ、黙れ」と言われた時に、
ガリラヤ湖は静まりました。
私の心もそうです。
いろんな嵐や波が荒れ狂う時に、
あなたが語ってください。
あなたが触れてください。
平安を与えて下さい。

そばに置かれる喜び

午後の1時頃に続いて、
この前の更新を送った頃、3時半頃かな、
今日3回目の睡魔が襲ってきて、
ウトウトしていました。

今日中に追いつくのはきついかもしれません。

朝のうちに、JOYJOYキャンプのために買ったものの中から、
使わなかったものを少し返品してきました。
私がHom* Depo* で買った物と同じものを、
他の方がCostc*で買ってきてくださっていて、
そっちの方が半額くらいだったからです。

もちろん、ものによって、Costc*よりも安いものもあるのでしょうが・・・。

簡単に返せました。


日本じゃあんまりないですよね。
できても、「しょうがないですねえ。今回はお引き取りしますが、今後はもっとちゃんとよく見て買ってください・・・」みたいな、感じですよね。少なくとも15年前は。

アメリカは返品文化です。

その昔、私がまだアトランタにいた頃、
車のワイパーをTargetで勝ったのですが、
ちゃんと調べていなかったので、
2つ買ったワイパー、合いませんでした。(普通、調べるよね)

そこで、初「返品」。

なんて言い訳しようかと一生懸命考えながら列に並んでいました。
もちろん、開けてしまった一つの方はあきらめて、
開封前の一つだけ持って・・・。

ドキドキ。

「あのー、これカミさんが間違えて買っちゃって・・・」(←ウソ)
「もう一つは?」
「え?」(←まさか、ウソを見破られたか?と焦りながら・・・)
「レシートに2つ買ったって書いてあるよ」
「あ、開けてみて、つけようと思ったら合わなかったから・・・」(←急に正直になる)
「どこにあるの?」
「え、車の中に・・・」(←ウソを見破られた子供の気持ち。すべてを話さないといけないなあと思っている)
「持ってきなさい」
「って開けてあるよ」(←英語が伝わらなかったかとちょっと不安を感じながら・・・)
「返金して欲しいんでしょ?持ってきてよ。」
「うん!」(←もう、完璧子供になっていた。)

それまでK*art派だった私が、この出来事の後、Target派に乗り換えたこと、は言うまでもありません。お店の人の態度一つで、サービス一つで、お店の売り上げが大きく変わることを、知って欲しいです。ま、

NJに来た頃、Targetがなくて、がっかりしたこと、
最近できて、うれしかったこと、
行ってみたら、たいしたことなくて、「いつの間にか記憶の中で美化していた」こと、
付け加えておきます。

それからです、我が家に「返品しよっか・・・」メンタリティーが根付いたのは・・・。

つづく・・・

続いて8月8日(火)の聖書。
マルコによる福音書3章を読みました。
イエスが弟子たちを選んだ時、その目的の言葉に心が留りました。

「彼らをみそばに置くため」

イエスの弟子とされた者たちは、
イエスのそばに歩むことを許された者たち。
私もそうなのだと感謝しました。

私たちが、何かをしなければ・・・と始める前に、
まず、イエスのそばに歩ませて頂ける。
イエスと共に歩み、どれほど愛されているのか、
どれほど細やかに私たちのことを心にかけてくださっているのか、
知ることができる、
その恵みを感じました。

イエスさま、
あなたが、私にもお声をかけてくださって、
あなたの弟子としてくださったことに心から感謝します。
それも、まず、みそば近く歩ませて頂けることに心から感謝します。
どうか、あなたのことをもっともっと深く知ることができますように、
あなたの愛をもっともっと知ることができるように、
私に教えてください。

たやすくない救い

一週間、ぼちぼち、野菜の収穫をしていましたが、
きゅうりはまあ、終わりました。

まだ明日以降も何本か穫れるとは思うのですが、
だいぶ枯れてきて、新芽も勢いがありません。
10日前には40度くらいまで上がって、
今朝は13度ですからね。

3株で125本。
一株あたり42本くらい穫れたことになります。
大成功!

インゲンも、忙しい時には捜していられないので、
おばけインゲンがどんどん成っていきます。
今朝は特大サイズばかり23本。
こちらは数えたのだけで、400本を超えました。

ナスはできはじめるとリスが食べます。
ナスの「枝」に登って食うので、
枝が何本も折れました。
まだこれから穫れると思いますが、今のところたった10本。

そして、今朝、遅れていたピーマンを初めて収穫。
うーん、日本のピーマンのサイズを忘れてしまっていますが、
それでも小さいかなあ、と思いつつ、待ちきれずに収穫。

ニュージャージーでは、

秋は駆け足でやってきて、去っていきます。

そして、冬になると

(^^)/

「天気予報の季節」です。

ちょっと気が早い・・・。

で、月曜日の聖書です。

月曜日、8月7日には、
マルコによる福音書2章を読みました。

9節の
「中風の人に、『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて、寝床をたたんで歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。」
というイエスの言葉が心に留りました。

「やさしい」という日本語には
「優しい」・・・kind
「易しい」・・・easy
の二つの意味がありますが、この場合、easyの方です。

聞く側にとって、どちらが優しい言葉か、

ではなくて、

語る側にとって、どちらが気軽に語ることができるか?

です。

ですから、答えは「起きて、床を取り上げて歩け」

です。

「あなたの罪は赦された」の方が、
難しい、というか、イエスにとっては難しかったはずです。

神の子キリストにとっては、人の病を癒やすことは存在をかけることではありませんでした。
その御力をもってできることでした。
でも、人の罪を赦すことは、
イエスにとって、自分のいのちをあの十字架の上に投げ出すことが必要だったのです。

そこまでして、私たちの罪を赦そうとしたイエスの熱い思いを感じました。

私も熱い思いでその福音を語っていく使命を思わされています。

主よ、
あなたの熱い思い、
たやすくない、易しくない、存在をかけた言葉を語ってくださったあなたのゆえに感謝します。
どうか、私も、あなたのその思いを受けて、
あなたの愛に満たされて、
熱い思いで出ていく者としてください。

福音を伝えるために

下の方のコメント欄にも書いたのですが、
昨日は11時半頃かな、「明日の朝はちょっと寝坊しよう!」と思いながら、床につきました。
で、気がついたら6時過ぎ。

うーん、オヤジさん体質になってきたのか、
朝、やたらばっちり目が覚めます。

ていうか、起きなきゃいけない時は眠い目をこすりながら起きるのですが、
ちょっと寝坊OKの日にも寝ていられない、という感じになってしまいました。

庭に出てみたら、

ブルッ

温度計を見たら13度でした。

そして、その後一人一人ぽつぽつ起き出して、

10時半頃に大本命、低血圧のD君が起きてきました。

D君、家族から離れて生活していて、
寮が閉まっている時期に、
時々泊まりに来てくれる、我が家の人気者です。

「ターザン」ならぬ「ダーサン」をキャンプ中は演じてくれました。
お疲れ様。

それではたまっていた「新約聖書一日一章」、追いつくためにダッシュのスタートです。

8月6日(日)に読んだのは、
マルコによる福音書1章でした。
その中で心に留ったのは、
38節のイエスの言葉。

「さあ、近くの別の村里へ行こう。そこにも福音を知らせよう。わたしは、そのために出て来たのだから。」

「そのために出て来た」

ちょうど翌日から始まるJOYJOYキャンプに重ね合わせて読みました。

私たちは楽しいキャンプをやりたい、
子ども達の思い出に残る働きをしたい、

そう思いながら、キャンプをしている。

でも、もっと本当の目的は、この「福音を伝える」ということなのだ、

ということをもう一度確認しました。

自分たちも楽しくなきゃダメだ、
子ども達をいっぱい楽しませたい、

でも、それだけで終わらない、
神様の愛が伝わっていく、子ども達の心に伝わっていく、

その祈りをもっと熱くしたいと思いました。

主よ、
JOYJOYキャンプが無事終わりました。
子ども達の心に何が残っているでしょうか?
楽しい思い出がたくさんできたでしょうか?
でも、それだけではなくて、私たちは祈ってきました。
これからも祈ります。
どうか、子ども達の心にあなたの愛が、あなたの福音が届きますように、
そのメッセージが残りますように、
芽を出し、実を結びますように。

2006-08-11

JOYJOYキャンプ無事終了

今日で、JOYJOYキャンプが無事終わりました。
ちょっと寂しいような気もします。
でも、「終わった!」という充実感もあります。

楽しい思い出と、
また教会行きたいな、という気持ちと、
聖書の言葉、
神様に愛されている実感、

子ども達の心の内に残ったらいいな、と思います。

最終日、最後の一時間、家族を招いて、
子ども達の様子を知らせる「発表会、表彰式」を持っていますが、
その中で上映するキャンプ中の写真のスライドショー、
昨日、順調に準備して、15分くらいのものを準備して、
夜の12時頃、DVDに焼くために、エンコードを始めたのですが、
それをコンピューターに任せて、寝たのですが、
朝4時頃に起きて「どうかなあ?」と見たら、
なんと愛用のノートブック君は途中でリスタートした模様。

焦ったのなんのって、
いろいろ試してみましたが、
どれもうまくいかずに、
最後に朝6時にいちかばちか、再度エンコードに挑戦。
それが終わったのが昼頃、
キャンプを抜け出して、家に帰って、DVDに焼いて、教会に戻って、
無事、上映することができました。

でも、その中で、一回は上映をあきらめかけました。
そして、もしも、それが神様のなさることならば、
スライドショーがなくても、エンディングのプログラムを祝福して下さる、
そういう確信が与えられました。

大切なことは何か、一番大切なことは何か、いろいろ考えさせられる朝でした。

何よりも、子ども達の心に、聖書の御言葉が残ることを祈っています。

明日、まとめていろいろ更新!

じゃ。

2006-08-09

JOYJOY3日目まで終わりました!

ふー。

半分以上終わってしまいました。

あと2日です。

みんな調子出てきましたねえ。いい意味でも、?な意味でも。

神様に愛されていること、そして、人々を愛する使命を頂いていること、
何とか子ども達に伝わるようにと願っていますが、
時々、「どこまでわかっているのかなあ」と不安になりますし
また「ああ、ここまで伝わっていたのか」と驚くこともあります。

楽しい中に、神様のことを伝えることができればと思います。

あと最終日のスライドショーの準備+日曜日の説教の準備を今晩中にスタートです。

何か今夜は眠くならないで、調子がいいので、もうひとがんばりです。

3日目のニュースレター

天気は涼しくてよいです。
今夜も気持ちよい風が窓から入ってきます。

この調子で涼しい日が続いて欲しいものです。

2006-08-08

JOYJOY2日目が終わりました

今日は昨日よりはずっと過ごしやすい日です。
JOYJOYキャンプの2日目が終わりました。

みんな乗ってきているなあ、と思います。

だからこそ、子ども達の安全に細心の注意を・・・と思っています。

2日目のニュースレターはこちら

今日は本当に早く休んで、
明日の朝早く起きたいと思いますが、どうなることやら・・・。


JOYJOY2日目の朝です。

昨日の夜も暑かったですね。
でも、今朝は爽やか。
今日は昨日に比べるとぐっと湿度が下がって、
ずいぶん楽になりそうです。

JOYJOYキャンプ初日の様子、皆さんに配ったニュースレターで。

今日こそ遅くとも7時頃には帰ってきたいですね。
目標6時!


2006-08-07

とは思ったものの

その後、夕飯を食ったら、
いやあ、やっぱり睡魔が襲ってきました。
何とか寝る前にシャワーを取りましたが・・・
やっぱり、更新なしに寝ます。

聖書も続けて読んでいるし、
JOYJOYの様子を書きたいところもあるのですが、
この一週間はJOYJOYの子ども達が第一ですので・・・。

明日の朝、早く目が覚めたら、何か書くかも・・・。

でも、狼オヤジになるのはいやなので、わかりません、と言っておきましょう。

今夜は後で更新

昨日はJOYJOYキャンプの準備で
帰ってきたのが10時半頃+今日のお話の準備
でしたので、予告通り(?)更新はお休み。

でも、今日は8時過ぎには帰ってきましたので、
日付が変わる前に更新出来るかな?です。

いやあ、今年もいいキャンプになりそうです。

2006-08-05

いつも共にいて下さるイエス

今日の朝は爽やかでした。
でも昼間はそれなりに暑かったです。
でもまた夜は爽やかです。

明日はもう少し湿度が上がるようです。
そして月曜日は湿度が上がり、その後雷雨と共に涼しくなる、
と予報が出ています。
JOYJOYキャンプが始まりますから、
本当にいい天気であって欲しいものです。

今日は朝の祈り会があって、
その後10時から夜の8時までJOYJOYキャンプの準備でした。
いよいよです。
今日一日でだいぶ進みました。
明日の礼拝後仕上げて、
月曜日65名の元気な子達を迎えます。
だから、今日はゆっくり休みます。

今年のテーマは「ジャングルぐるぐる探検隊」
テーマソングもできて、
教会のジムもジャングルになって、
気分が盛り上がってきました。

今日はマタイによる福音書28章。
マタイによる福音書の最後まで読みました。
イエスの復活の記事です。
復活のイエスが弟子たちに語る言葉の最後が心に留りました。
「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」
28章20節の言葉です。

復活されたイエスは今も私と共にいて下さる。
今も、私と共に歩んで下さる。

あさってからのJOYJOYキャンプのために祈らないではおられません。
何回やっても、始まる前は不安です。
でも、主が共にいて下さる。
主が共にいて下さって、支えて下さる。感謝。

今回のJOYJOYキャンプとも主が共にいて下さって、守って下さるようにと願います。

イエスさま、
あなたが私たちと共にて下さること、感謝します。
JOYJOYキャンプとともいて下さる、という約束を感謝します。
どうか私の歩みを支えて下さい。
キャンプを大きく祝福して下さいますように。
そしてこのキャンプを通して、続けて教会に来られる方が起こされますように。

2006-08-04

バカにされたイエス

今日も暑かったですが、
夕方からずいぶん楽になってきました。
湿度がぐっと下がってきているみたいです。

さて、今日からジョイジョイキャンプモードに入っています。
今日は朝から段ボールの引き取りと公園の使用許可証と買い物で時間が過ぎていってしまいました。
これから、今夜寝るまでの間に日曜日の説教の原稿を担当の方に送らなければいけません。
ちょっと焦っておりますが、神様が与えて下さった時間の中で、助けて下さるでしょう。

明日の朝は6時半からハドソン川のほとりで朝の祈り会です。
きっと気持ちのいい朝になるでしょう。

明日以降、キャンプのため、(毎日通うキャンプなのが救いですが)
もしかしたら、毎日更新は無理かもしれません。
ご了承下さい。

時間が限られていてもどうしても書きたいこと、
うーん、アメリカの役場だよなあ、という出来事。

2週間以上前にキャンプのために公園のフィールドを使う許可を申請しようと
電話を入れておきました。
担当者が留守だったので、メッセージを残したのですが、
1週間経っても返事がない。
それで、先週の頭にもう一回電話。
今度は留守番の人が出て、「伝えるから・・・」ということで、
珍しく、その日のうちに返信あり。
それで、申請書を提出。
これが先週の火曜日。

ユースのキャンプをやっている間に許可証が届いていると期待したのですが、
昨日オフィスに行っても何にもない。
で、役場に足を運びました。
「担当者に聞いたら、許可は出せるみたいだから、明日来て」と言われて、
今日行きました。

そしたら、

窓口の人、ちょっと戸惑った顔。


「ない・・・」



先方も申し訳ないと思ったのか、担当者と連絡を取ってくださいました。
それで、担当者が今、手が離せないから、担当者のいるところまで行くか?と言われ、
こっちもそんなに時間ないんだけどなあ、と思いつつ、
月曜日からのキャンプに必要だったので、
今日しかない、と行きましたよ。


そして、言われたところに行ったら、そこに本当に担当者がおられました。


よかった。


でも、その担当者の方、
慌てて書類を出してのたまわった。


「ほら、見て、7月28日にはサインしたのよ。
でも、忙しくてコピーする時間もなくて・・・
申し訳ないけど、役場に戻ってコピーを取ってもらってくれる?」


ここまで来たら、「お安いご用」ですよね。


月曜日からフィールドを使わせて頂けるなら、何でもしますよ。


でも、ちょっとね。そこまでお願いされるとはびっくり。


役場に戻って説明したら、役場の窓口の方、
アメリカの役場の窓口ではありえないくらい、やたら恐縮しておられました。

でも、めでたしめでたし。この30分を返して欲しかったけど。

って書きながら、でも、それって、
役場の方が約束守らなかったんだから、
誰かがその担当者のところに行って、書類を受け取って、
コピーを取って、渡してくれれば、すむんじゃなかったのかなあ、と思い始めてしまいました。
それで、それを私が走り回ってやっていたかと思うと、
うーん、ちょっと悔しいですねえ。
ガソリン代高騰の折、
エアコンもかけないではいられない暑い日、
ちょっと損した気分ですねえ。



夕方の買い物でもちょっとした手続きのために待たされる待たされる。

この国では日本のせっかちの人は生き残れない。そう思います。

今日はマタイによる福音書27章、イエスの十字架の記事を読みました。
イエスが十字架にかけられたとき、
人々はイエスをバカにし続けました。
それをイエスは黙って耐えられました。
でも、今日はイエスが死なれて墓に葬られた後の、
祭司や学者達のイエスに対する言葉に目が留りました。

「あの、人をだます男」
なんてひどい言葉だろうかと思いました。

私がそんなことを言われていたら、どんなに頭に来るだろうかと思わされました。

そして、日曜日の聖書の言葉が心にもう一度浮かんできました。
「あなたが人々から迫害されたり、バカにされたりする時に、喜び踊りなさい」

自分は果たしてできるだろうか?

本当に侮辱された時に、「喜び踊る」ことができるだろうか?

イエスは本当に私たちのためにそれをして下さった。

そのことに感謝すると共に、
もしも、自分が侮辱された時に、この言葉を思い出すことができればと思わされた。

主よ、
私は何とプライドの高い人間なんでしょうか?
侮辱されたら、怒る人間です。怒らないではいられない人間です。
あなたはわたしのためにどんなにバカにされても、
それを黙って受けられました。
そして、「あなた方もそのような仕打ちを受けることがあるかもしれない」を言われました。
助けて下さい。
私が侮辱される時に、あなたの言葉を思い出させて下さい。

2006-08-03

いのちをこえるいのち

今日も暑かったです。
朝の気温が27度。 バリバリ熱帯夜でした。
そして、昼間の気温は37.4度。(うちの温度計)
午後にはにわか雨がありました。思ったほど激しくはありませんでしたが、
とにかく降りました。
そして、それから気温はぐんぐん下がって、今は夜の11時で24.8度です。
熱帯夜ではなくなりましたが、湿度は高いです。
べたーっとしています。

明日は31度くらいで湿度は高めだそうです。
でも夜からは湿度も下がり、
土曜日からはカラッとするそうです。
是非、当たって欲しいです。

今日はまたいつものような生活に戻り、朝と夜に個人的にお話をする方々が来られて、
日曜日の準備をして・・・でも今週は+JOYJOYキャンプの準備があります。
明日は段ボールを集めに回ります。
教会のジムにはJOYJOYキャンプ名物、段ボール迷路が建設されます。
今年はまたすごいのになりそうです。

かなりワクワクしてきました。

最初の日の聖書のお話の担当にもなっているので、
それも考え中・・・

今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の26章を読みました。
今日は最後の晩餐から、ゲッセマネの祈り、そしてユダの裏切り、逮捕、そしてペテロの否認、とたくさんの出来事が出てきます。
その中で心に留った言葉が、イエスが逮捕される時に抵抗しようとした弟子たちに語った言葉です。
「剣を取る者はみな剣で滅びます」

あたっているかどうか確信はないのですが、
9/11以降のアメリカを見ていて、
世界を見ていて、
そしてその中で聖書を読んでいて、
だんだん自分の心の中で「絶対非暴力主義」に傾きつつあります。

たぶん、武力は、「いのち」が一番大切だから、持たなければいけないと思うのだと思います。

攻められたら守れない、だから、強い武力を持たなければいけない、
敵の隠れているところを攻撃しなければいけない、
大量破壊兵器を秘密裏に持っている国はつぶさなければいけない、
そういうことを考えるのは、「いのち」が一番大切なんだ、という世界観に基づいているのだと思います。
もしも、そうでなかったら、恐れる必要なんかないんですから・・・。

でも、「いのち」を守るために持つ武力が、他の国の人々のいのちを踏みつぶしていきます。
自分たちの「いのち」を守るためには、他の国々の人々の「いのち」が犠牲になってもしょうがないのです。市民が犠牲になっても「遺憾の意」くらいで終わってしまいます。
ものすごい矛盾を感じます。

イエスはここで捕まれば、殺される、それはわかっていました。
でも、剣を抜こうとしませんでした。
「いのち」を超える「いのち」を知っていたからです。
そして、自分のいのちが取り去れることが、私たちに「いのち」を与えることを意味していると知っていたからです。

私には難しいことはわかりません。
自分が守るべき、家族、仲間、そのためにいのちを捧げる、という人々の思いもわかります。
自分が守らなければ、誰が守ってくれるんだ?というのもわかります。

でも、私はこの地上のいのちを超える「いのち」を知っています。

そちらを守ることの方に、そちらを語ることの方に使命を感じています。
この地上の肉体のいのちよりも大切なものがあることを語ることに使命を感じています。

イエスがここで剣を取らずに、自分のいのちを与えたことによって、
私たちにいのちを超えるいのちを与えて下さったことに感謝しています。
そして、私自身もそのように、生きるとしても、死ぬにしても、とにかく、この神様の愛が伝わって欲しい、そう思わされています。


イエスさま、
あなたが剣を取らないで、
自分のいのちを私たちに与えて下さったことに感謝します。
それによって私たちに、この世のいのちを超えた「いのち」を与えて下さったことに感謝します。
私もあなたと同じように恐れない心を与えて下さい。
そして、生きる時も、死ぬ時も、あなたのすばらしさを表すものとして用いて下さい。
そのために私を整えて下さい。

2006-08-02

喜びを共にして下さる神

そして、
これが水曜日、そう、今日の分です。
いやあ、暑いです。
言いたかないですが、暑いです。
今は夜の10時を過ぎていますが、
30度以上あります。

明日までこの暑さが続くようです。
月曜日、キャンプに出る時には、この暑さは水曜日まで、と言っていたのですが、
一日延びました。
まあ、是非、明日まで、ということでお願いしたいです。

今日はマタイによる福音書25章を読みました。
この章は、世の終わりまでの間の私たちの生き方、はどんなものが要求されるのか、
ということをイエスがたとえ話を使って、話されたところです。

3つのたとえ話が出てきますが、
その真ん中の話は「タラントのたとえ」と呼ばれるものです。
ある人がしもべ達にある人には5タラント、ある人には2タラント、そしてある人には1タラントを預けて、旅に出るという話です。旅に出る人、それはイエスのことを指しています。そしてそのしもべは、私たちのことを指しています。
5タラント、と2タラントの人はそれぞれそれを元手に商売をして、儲けました。
しかし、1タラントの人は、恐れて、その1タラントがなくならないようにと、
その1タラントを土の中に隠していました。

主人が帰ってきた時に、
最初の2人はほめられたのに、
最後の一人は叱られた、と言うのがイエスの話です。
「与えられたタラント(才能)を、神様のために使いなさい」というのが、イエスの語りたかった主旨だろうと言われています。
その中で、今日は21節の言葉「主人の喜びを共に喜んでくれ」が心に留りました。
日本語としてはおかしな日本語です。直訳調なんでしょう。
でも、その言葉が何だか心に留りました。
神様の喜びを共に喜ぶことができる、
そのように招かれている、
その幸いを覚えました。

神様が喜んでくださる、
それを共有することできる、
それはなんてすばらしいことなんだろうかと思いました。
私たちの喜びを主が喜んでくださるだけではなくて、
主の喜びを、私たちに分ち合ってくださる。
それは本当にうれしいことだと思いました。

あなたが私のために喜んでくださり、
その喜びをも感じることができる幸いを感謝します。
どうか、あなたの喜びを共有することができますように。
私のうちに喜びを満たし、あなたの喜びを教えてください。
人々との交わりをも祝福してくださって、それが神様の愛と守りとによって、
支えられていきますように。


思いがけない時に

そして、これが火曜日の分。
丸一日ユースのキャンプで過ごしました。
夜はキャンプファイヤー。
火って不思議ですよね。
特に、燃え上がった後に小さくなった火。
ずっとずっと見つめていたい気持ちになります。

そして、この日は、特に一対一で中高生達と祈る時を持ちました。
純粋な、熱い思い、そして、まるで大人と話しているかのような、
しっかりした考えを持ち始めた彼らの成長の姿に、
熱いものがこみ上げてくるのを感じました。
12年前にNJに来た時には、9年前にJCCNJの牧師になった時には
考えられなかったような祝福を頂いているなあ、と思いました。

この日、
留守番をしていた娘にきゅうりのカウントをお願いしてあったのですが、
この日の5本で、とうとう100本達成!
先週末に用事があって、○ツワで「特売!」というきゅうりの値段を見て、びっくり。

約1本1ドル!

しっかり元を取りました。

苗からではなくて種から、それも2年前に買った種が残っていたヤツ。

そこにはあまり投資していないのですが、
土や肥料、動物よけの柵、いろいろ考えたら、結構トントンかも。
でも、楽しいです。
とにかく、いろいろ動物にやられても、カリカリしないこと。
ナスなんかはなかなか収穫出来ないでいるのですが、
それでも、「ま、いいか」みたいな気持ちでいようと思っています。
今年は本当に守られています。

ということで「聖書」。
今日はマタイによる福音書24章を読みました。
これはイエスが世の終わりにどんなことが起るかを、話された時の言葉です。
その中で心に留ったのは、44節、「だからあなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」という言葉です。

イエスがもう一度来られる時、それが世の終わりです。
どんな時にイエスが来られても喜んで迎えることができるように準備していなさい、というのがこのイエスの言葉の意味です。

この世の終わりは、誰も経験した人はいないので、どんなのかはわかりません。
でも、人生の終わり、は誰にでも来るのです。

それはある意味、「イエスがもう一度来られる」時ということが出来るのではないかと思います。
ならば、それがいつであっても、喜んでイエスを迎えることができるように、と思います。

今年は9/11に飛行機に乗ります。
日本に行く飛行機です。
いろんな事情を考えて、この日のチケットを取りましたが、
やはり、単なる事情以上の気持ちがあります。

あの日、飛行機に乗り合わせた人々も、
職場に向かっていった人々も、
今日が、自分の人生の最後の日だとはまさか思っていなかったでしょう。

私も、今日も、今日が人生の最後の日だとなんて思っていません。
でも、もしかしたらそうかもしれないんですよね。
日々にそうなんですよね。一瞬一瞬がそうなんですよね。

そして、決して、「今日であっては困る」生き方をしてもいけないし、
反対に、「今日でなければ困る」生き方をしてもいけない。

そのような気持ちを大切にしたいと思いました。

主よ、
私の人生にいつ終止符が打たれようとも、
いつ、あなたが私をお迎えに来て下さったとしても、
喜んで、あなたが来られるのを迎えることができるように、
歩みたいと思います。
どうか、私の心を守り、支えて下さい。
今年の日本帰国の予定も守って下さい。
その飛行機に乗ることを通して、何かが見えるように、なりますように。


あつーい!

暑い時に「暑い!」って言うな!
という乱暴な話がありますが、
そんなことをもものともしない暑さです。
前回の熱波もすごかったですが、
今回もすごいです。

今日、ユースのキャンプから帰ってきました。
キャンプの施設ですが、
一カ所だけエアコンのある部屋があって、
その部屋の存在は「救い」でした。

暑かったですが、
本当にいいキャンプでした。
もっとずっとそこにいたくなるキャンプでした。
来年はきっともっと長くなるでしょう!
いや、「たぶん」、いや「もしかしたら・・・」かな。

9人の新6年生から新12年生までが参加しました。
みんな本当に成長しているなあ、と思います。
どんどん大人の会話ができるようになってきました。
またこれからが楽しみです。

で、まず月曜日の分。
月曜日はマタイによる福音書23章を読みました。
この章はイエスが偽善者達を非難される箇所です。
その中の26節が心に留りました。
「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」
外側ばかり気にする自分。
でも、何よりも気にすべきなのは内側であり、
内側が整えられていく時に、
外側も整えられていく、
出る言葉、行動、態度、
それを何とかコントロールしようとすることがある。
でも、聖書はここの内側に注目しなさい、注意しなさい、
そうするならば、外側は整えられていくのだ、というのです。

何か気持ちが楽になりました。
先ず、内側に注目していこうと思いました。
そして、そこから出てくる、自然に出てくるもので十分だと思いました。
立派でなくてもいい、
やたらにポジティブではなくてもいい、
ただ、心にあるものが出てくるだけでいいと思いました。

主よ、
私の心を守って下さい。
わたしの心をきよめて下さい。
私の心を整えて下さい。
それが自然と外に出てくるような、そんな働き人にして下さい。
今はやりの方法ではないかもしれない。
でも、私はこちらの方に魅力を感じます。
聖霊様によって、聖書の方法によって、私の心を整えて下さい。

2006-07-31

ユースのキャンプ

今日、これからユースのキャンプですので、
次の更新は水曜日の夜です。

暑い日が続きそうです。
熱いキャンプになりますようにお祈り下さい。

ではでは。

2006-07-30

神のものは神に

今日も暑かったですね。
最高気温は33.2度C。
今も8時半ですが、29度くらいあります。

この後熱波の予報が出ています。
明日は今日と同じくらいのようですが、
火曜日と水曜日は37度Cです。

でも、来週、JOYJOYキャンプの頃には30度以下に下がるみたいです。ホッ。
まあ、いつも8月になると秋風が吹き始めるので、今年も平年並みというところでしょうか。

JOYJOYが涼しくなると助かります。

今日、もう眠くなってきています。
早く休んで明日の朝、早起きしようかと思います。

今日の礼拝、だんだん皆さんが日本への里帰りや旅行から帰ってこられて、
戻ってきました。
来週、再来週とどんどん平常に戻ってくるでしょう。

今日の聖書はマタイによる福音書22章でした。
その中の22節の言葉が心に留りました。
「神のものは神に返しなさい」。
この言葉はそのころユダヤを支配していたローマ帝国に税金を納めるかどうかを、
イエスに聞きに来た人々に対して、イエスが語られた言葉です。
民衆はイエスが自分たちをローマ帝国から解放してくれる救い主であることを期待していました。
ですから、ここでイエスが「税金を納めなさい」と言ったら、人々を失望させることになる、
もしも、「納める必要がない」と言ったら、イエスを反逆罪でローマ帝国に訴えようと思っていたようです。
だから、どっちに答えても、イエスをおとしめられる、と思ったようです。
でも、イエスはそのコインの肖像を見て、「皇帝の肖像があるものは皇帝に返しなさい、そして、神の肖像がある自分自身を神に返しなさい」と言われたのでした。
そう、私たちには神の肖像が刻み込まれている。
その神のものである自分自身を神に返す、そのように招かれているのです。
私はまた今日もこれをパーソナルに受け取りました。
私自身に対して、神が「あなたは私のものなんだから、自分のために生きるのではない、わたしのもとにあなたのすべてを持ってきなさい」と言われたように思ったのです。
そのようにしたいと思って祈りました。
昨日、今日と、本当に主が私を近くに引き寄せようとしておられることを感じます。

主よ、
私自身を、私の存在を、
私の時間を、私の趣味を、私のお金を、あなたの喜ばれるように用いたいと思います。
主よ、どうか教えてください。私の存在すべてをあなたにゆだねます。捧げます。
どうかなすべきことを教え、導いてください。
私の夢や希望もあなたの御手にゆだねます。
生き方を教えてください。

2006-07-29

山は動く

今日も暑かったですね。
うちの温度計は最高が33.9度。
今も25度以上あります。

これから水曜日くらいまで熱波のようです。
特に水曜日はまた100度F、37度Cくらいまで行きそうです。

それに今回の特徴は、夜の温度が下がらない
熱帯夜も何日かあるみたいです。

お体に気をつけて。
無理はしない。
たっぷり休む・・・うーん、中高生のキャンプが月曜日から泊まりがけ3日間。
ちょっと心配。

今日もさっそく聖書。
今日は、イエスさまのこの言葉が私に語られました。
「たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。」
それは今日読んだマタイの21章の21節の言葉です。

この言葉が私に語られたように感じました。
特に、この「山」が、自分の心にあるように思ったのです。
自分の心の中に山があるのではないだろうか、
絶対に動くことがない、と思っていることがあるのではないだろうかと感じました。
本当に、変わらないのでは、もうこれはいつまでもついてくるのではないだろうか、
と感じていることがありました。
でも、今日、この聖書の言葉で、「あなたは、この山も動くことを信じるか?」と語られたように思ったのです。
すぐに、ハイ、信じます。山を動かして下さい。と祈りました。
そして、信じて疑わないことが大切、とあります。
単純に信じていきたいと思いました。
神様が山を動かして下さる、
私の心の中の山も動かして下さる、
そう信じることができました。
自分の力ではなく、神様にはそれができると信じることができました。

主よ、
あなたが私のうちにある「山」をも動かして下さる方であることを、
信じます。
私が信じ続けることができますように、
そしてあなたの御業を見ることができますように。
どうか助けて下さい。
私は弱いのです。
どうか、山を動かして下さい。

2006-07-28

気前のいい神

遅くなりました。
今日は午後になって、
急にYの応援に行く話が出てきて、
慌てて、やらなければいけないことを片づけて、行って参りました。
普通行けない、とってもいい席でしたよ。下さった方に感謝。

試合はWangの好投で完封勝利。
前回も彼でしたね。
今日は全く危なげのない試合でした。

試合は10時前に終わったのですが、
その後の駐車場から出るのが大変。
ウチにつくまで1時間40分以上かかりました。

で、今、夜中の12時前。

今日も蒸し暑くて、午後は雷雨がありましたが、
おかげで少し温度が下がったように思います。
でも、明日以降もっと蒸し暑さがパワーアップするみたいです。

早速、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の20章でした。
心に留ったのは、「私が気前がいいので・・・」という15節の言葉です。
この20章前半のたとえ話は「なんだこりゃ」と思う話ですが、
また私の好きな話でもあります。

日雇いで働いてもらう農園の主人の話です。
朝早く、働いてくれる人を探しに行って、一人一日1デナリで、人を集めます。
でも、9時にも12時にも3時にも5時にも探しに行くのです。
そして、自分の農園で働いてもらうのです。
6時になって、賃金を払う時になって、
夕方きた人たちから始めて、みんな賃金をもらっていきました。
見ていると、何と夕方来た人にも、1デナリ渡しているではありませんか。
朝に来た人は色めきだちます。
「じゃあ、俺たちはどんなにたくさんもらえるだろうか。」と。
でも、実際もらってみると、彼らにも1デナリ。
「不公平だ!」と文句を言った彼らに、
「私は一日1デナリの約束をしたじゃないか、あなた方に何の不当なこともしていないよ、
私はその上で、あの夕方に来た人たちにも同じようにしてやりたいんだ。
私が気前がいいので、ねたましく思うのか?」
と主人が言ったという話です。

神様は気前のいい方。
それが今日はとてもありがたく感じました。
わたしのようなものにも1デナリ準備して下さるんだなあと。

神様には借金があるような私たちです。
自分が働いた分だけ手にしようとしたら、何にももらえることのできないような者です。
神様が気前がいいから、初めて救いを頂くことができるのです。

その気前の良さ、に感謝。
それがなかったら自分は受け入れられなかったんだろうなあ、と思いました。

主よ、
あなたの大きさに感謝します。
あなたを信頼して、あなたの大きさの中にどっぷりつかって、
安心して歩んでいくことができますように。
あなたの気前の良さのゆえに、今の自分がいることを忘れることがありませんように。


2006-07-27

初「ふるさと」体験

「ふるさと」といえば、
「うさぎ追いしかの山・・・」と始まる歌。

でも、何を隠そう、シテーボーイだったかきごおり牧師は、ウサギなんて追っかけたことはなかった。
もちろん小鮒も釣ったことはない。

それどころか、
ずっとあの歌は「うさぎ、おいしい、かの山」とウサギを食ってウマカッタという思い出を歌った歌だとばっかりおもっていた、結構大人になるまで・・・。

でも、あの歌にはジーンと来るから不思議だ。

しかし、今日は、とうとうそれを経験してしまった。
ウサギを追いかけたのである。

この写真を見たらわかりますよね。

今日、何の気なしに庭を見たら、ちょうど何者かによって食い荒らされているあたりに、ぐたっと横になっているウサ公
(もしかしたらウサ子)を発見。

ナスはぼろぼろ、ミニトマトも日に日に株が小さくなってくる、一本だけ路地植えしたモロヘイヤは丸裸。犯人はコイツか!と短絡的に考え逆上した私は庭に出て、思いっきり脅かして差し上げました。

まさにウサギを追いかけたのである。
「ふるさと」体験である。
・・・でも、アメリカで経験してしまったのはまずかったかもしれない。

自分の中で今度から「ふるさと」を聞く(または歌う)時に、ウチの庭の風景が浮かんできてしまうかも・・・ますます日本人ではなくなってしまうかもである。

しかし、このウサ公(子?)は今日ので学習していただいただろうか?
「あそこには近づいてはならない・・・」と。

それから、こちらも今日の夕方、

インゲンを収穫していたら、
おばけを発見。
写真の一番右のヤツ。
普通のモノの4倍くらいあり。
このままほっておいたら、ほんとのお豆が取れるんだろうなあ、と思いながら、収穫。
インゲンは葉っぱの陰に隠れて実がなっていると、わからなくなって、こんなことになることもあります。

今年は今まで230本ほどの収穫あり。
きゅうりも74本まで行きました。
3株で100本も夢ではなくなりました。

ナスは8本。実が大きくなり始めると何者かが持っていきます。コイツも犯人は不明。

今日の午前中は祈り会。
久しぶりの方々が2名来られて、共に祈ることができました。
とても幸いな祈り会でした。感謝。

そして、午後から夜は電話をしたり、デスクワークをしたり、個人的に人にお会いしたり・・・。

あ、その中で、
ある方々とちょっと庭で立ち話。
その時、どこかでゴロゴロと始まり、
風で木がザワザワしてきたなあ、と思ったら、
突然、木の枝が一本折れて、飛んできました。

私の頭に当たったのですが、マジ痛かったです。
小枝だったんですがね。

簡単に手でポキッと折れるような細い枝でも、これだけ痛かったら、
太い枝だったらどうなるかと思いました。
時々、落ちてきた枝で亡くなる方もおられますが、
これはそういうこともあるだろうと思いました。

雷雨の前の「ザワザワ」にはくれぐれもご注意下さい。

今日の聖書はマタイによる福音書19章。
イエスが言われた言葉、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」が心に留りました。
この言葉は弟子たちが、「そしたら誰が救われることができるでしょうか?」と聞いた時に、言われた言葉です。
ここ何週間かの間に洗礼を受けた方、信仰を持つようになられた方、洗礼を受ける決心をされた方々一人一人のことを思い出していました。そして、一人一人皆さんを、「神様が導いてくださった」と思わされました。本当に奇跡だと思いました。人の力ではない、神様の力が注がれているのだと思いました。
ですから、これからもそのことを求めていきたいと思います。
人の知恵や特別な方法ではなくて、
ただただ、神様を信頼して、神様が語ってくださるように、
その心に触れてくださるように、
その心に語ってくださるように、
そのように求めていきたい、と思います。
これからも日々、新しくイエスを救い主として受け入れて歩み始める方々が起こされるようにと、願います。

主よ、
一人一人を導いてくださっていること、
一人一人の心に触れてくださっていることに心から感謝します。
これからのお一人一人の信仰の歩みを導いてください。
そして、あなたの奇跡によって、一人でも多くの方々が、
導かれ、あなたの愛に突き動かされて歩む、信仰の歩みをスタートすることができますように。

2006-07-26

同じしもべ仲間

今日は久しぶりにNYの早朝祈祷会に出席。
3人で心を合わせて教会のこと、教会の方々のこと、
そして、特にNYで働いておられる方々のことを覚えてお祈りしました。

午前中はいろいろな連絡や仕事をNYPublic LibraryのMidtown Branchでしています。
まるでNYにオフィスを持っているかのような気分です。
図書館なので、電話がかかってきても、その場では出られないこと、
たくさんの人がいるので、コンピューターを起きっぱなしにして席を立てないこと、
などはありますが、全然不便とは思わないです。
安上がりなJCCNJ-NY Officeですね。

NJの郊外に住んでいる私にはNYに出てくると、人の多さに圧倒されます。
もっともっとここで伝道したいなあ、と夢は広がります。
そのこともお祈り中です。
神様がどんなビジョンを与えて下さるか、今は「待ち」です。

今朝はマタイによる福音書18章を読みました。
今日のところの最後の方では、「赦しなさい」という話が出てきます。
私の好きな話の一つです。
1万タラント・・・日雇いで働く人が5000回人生をして、稼げるお金・・・の借金を主人に帳消しにしてもらった人が、同じ主人の下で働く人に貸していた100デナリ・・・同じく100日働いて稼げるお金・・・を赦せなかった、そしたら、彼を赦した主人が怒って、彼のことを牢獄に入れてしまった、という話です。

100デナリなんて「はした金」だ、と説明してある本もあります。
でも、待って下さい。100デナリって、すごいお金ですよね。
100日働いて・・・ってことは週休1日で大体4ヶ月。週休2日だと5ヶ月くらい働いて稼げるお金です。
「簡単に赦せる」って人がおられたら、私はマジで借りたい。無利子無期限で・・・。

そんな赦せるもんじゃない。
だから、このお話は意味がある。
だから赦すことに意味がある。

お互い様じゃない。
一方的に向こうに貸しがある。
だから、赦すことに意味がある。

自分が赦されたこと、ものすごい大きな借りを神様から赦されたこと、
そのことに心を向けることです。

それはいつも思うことです。
今日はもう一つ、この100デナリを貸していた人が、
「同じしもべ仲間」と書かれているところに心が留りました。

私たちお互いは「主のしもべ仲間」なのだと。

お互いをとても近く感じました。
私たちは主のしもべ仲間なのだ。

うーん、教会でもっと使おう。この言葉。

主よ、
私にたくさんの「しもべ仲間」を与えて下さっていることに感謝します。
共に歩む喜び、共に労する喜びを与えて下さい。
どうかお互いをあなたに愛されている者、
あなたに受け入れられ、支えられている者として、
感謝して受け入れることができますように。
あなたに愛され、赦されている喜びに満たして下さい。
今日の出会い、今日の働きのために助けを与えて下さい。

2006-07-25

できないことはない

今日は昨日よりも蒸し暑さちょっとアップ。
明日はまたもうちょっとアップするみたいです。

そして、今日もちょっとだけ雨と雷がありましたが、
明日もそうかもしれません。

まあ、先週の暑さと雷を経験したら、ちょっとやそっとのことでは驚きません。
そして、今週はその驚くようなことは起らない予想が出ています。

でも、

天気ではなくて・・・

今日もまた「あいつ」が驚かせてくださいました。

昨日のようなセンセーショナルな遭遇ではなかったのですが、

きょうもまた8時すぎ、
散歩に出た(私たち家族?15歳息子)の4人が、
ウチの玄関をゆっくり横切って行く「あいつ」を目撃。

いやあ、あっちも同じ時間に散歩をするのが日課になっているのか、
そして散歩コースにウチの庭が入っているのか・・・

ぞっとしますねえ。


いつ、
「じゃ、ちょっと買い物行ってくるわ・・・」と出かけた誰かが、
玄関を開けたとたんに、たまたまそこを散歩中の「あいつ」に遭遇して、
びっくりした「あいつ」に一発スプレーを食らう、みたいなことが
起こらないとも限らないじゃないですか。

きっと。


そして、記念写真ですが
さすがに今日も「あいつ」が横切っている玄関からうちに入って、
カメラを持って来ることもできず・・・。
カメラはいつも肌身離さず持っているべし・・・ですね。


今日の午後は一人の方と個人的にお会いして、
その前後はずっとデスクワーク+電話+メール、
結構いろいろあります。

キャンプもあと2週間を切りました。
楽しみ+やらなきゃいけないこと山積み。

明日は月に一度のNY Dayです。

暑くなりそうです。

ん、でも今月こそ、長袖持っていかないと・・・。
バスのエアコンで凍えてしまわないように。


今日の聖書。
今日読んだのはマタイによる福音書17章でした。
ここで弟子たちが癒せなかった子供を主が癒やされた時に、
イエスが言われた言葉が心に刺さりました。
「信仰が薄いからだ。・・・どんなことでもあなた方にできないことはない」と。
「そうなのかな」という思いもあったわけですが、
それ以上に心に語られたのは、
「神様によってあなたにできないことはない、なのに、あなたは自分でできないと思いこんでいる」ということでした。
自分の力を信じるのではない。
主の力をどこまで信じるのか、それが問われているように感じました。
主を信じていきたいと思いました。
そして、いろんなことにぶつかっていきたいと思いました。
計算高くなりたくないと思いました。
「あなたがたにはできないことはない」・・・感謝。
今年のJOYJOYキャンプに対するメッセージとも思いました。

主よ、
どうか私の信仰を増してください。
信仰を与えて下さい。
そして、あなたの奇跡を見ていくことができますように。
あなたの不思議を見ていくことができますように。
信じます。不信仰な私をお赦しください。


2006-07-24

獣害再び、そしてあいつも再び

いやあ、今もまだドキドキしています。


40代のオヤジの「ドキドキ」は
「ちょっと不気味」
または
「発作が心配」

かもしれませんが、
まだ落ち着きません。


ホントに危なかったです。

先ほど、暗くなってきた8時20分頃、下の娘にねだられて、
庭の様子を見に行きました。


そこで、「獣害」発見!


ミニトマトの芽と葉っぱが食われています。
しばらく、獣害がなかったので、良かったなあ、と思っていた矢先。

この食われ方は、タダモノではない、
グランドホッグに違いない・・・と思って、
悔しさの余り写真を撮っていたら、
そこにホタルが何匹か・・・。

そして、今度はホタルの撮影に挑戦。
ただのコンパクトカメラですから、まあ、ちゃんとは撮れないのですが、
光った瞬間をキャッチ。


わからないかもしれませんが、
手前右が食われたミニトマトの茎。
そして真ん中の上の方の黄色い光がホタルの光です。


そして、もうちょっといい写真が撮れないかなと思いつつ。
次のシャッターチャンスをねらっていると・・・
そこにゴソゴソ・・・と歩いてくる何者かの足音が・・・。


ん、グランドホッグのヤツ、こんな時間にのこのことやってきたか・・・
脅かしてやろうと、顔を上げた時、
私の目に飛び込んできたのは、



黒い体に一本だか二本だかの白い筋・・・



そう、そいつはあいつだったんです。
愛読者の皆さんだったらわかりますよね。
あいつ。


だめ、絶対脅かしてはいけない。
脅かし体勢に入っていた自分の体の暴走を何とか食い止め、
次の瞬間にはヤツに背中を向けていました。


山で熊に出会ったら、一発で襲われるタイプです。自分。


でも、焦ったのなんのって、ぶっ飛んで慌てて家の中に駆け込みました。
もう二度とあのスプレーを浴びたくありませんからね。
去年はちゃんと臨戦態勢を整えてから浴びたのですが、
出会い頭の一発はたまったもんじゃありません。

一目散」という言葉がありますが、
それがぴったり当てはまる慌て方でした。

でも今思うと、せっかく手にカメラを持っていたんだから、
記念に一枚くらい撮っておけば良かったなあと悔やまれます。

でも、やっぱり無理だったかな。

家に入って窓から庭を見ると、
向こうも慌てて来た方向に戻っていきます。
去年ワナにかかったのを放したヤツが戻っていったのと
同じ方向に歩いていきました。

ウチの軒下に向かっていかなかったのがせめてもの救い・・・。

深呼吸。

でも、まだ、心臓のドキドキが止まりません。


止まりませんが、聖書の話に進んでいきます。
今日読んだのはマタイによる福音書16章
イエスが弟子たちに聞きます。
「あなたはわたしを誰と呼ぶか?」
それに対するペテロの答えは
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」
でした。
イエスはそれを喜ばれて、自分の使命について語り始められます。
「自分はこれから苦しめられて、殺されるのだ」と。

でも、弟子たちはもちろん、そんなこと受け入れられません。
さっき、イエスに喜ばれたペテロは、今度は
「イエスさま、そんなことがあっていいわけはありません」と言うのです。

その時、ペテロをしかったイエスの言葉が心に留りました。

「あなたは神のことではなく、人のことを考えている」

自分の心が探られるような思いがしました。
本当に自分は神様のことを考えているだろうか、
自分の考え、自分の願い。
それも、神様を計算に入れるのではなくて、
神様の思いを考えるのではなくて、
人の考え、人の顔色、を見て、判断していないだろうか?

いつもいつも神様の御心を求めていくものでありたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたのことを思う者として下さい。
あなたの御心を求める者としてください。
自分の思い、人の顔色、
それよりも、
あなたの御心を求める者としてください。
あなたのお考え、あなたの方法を教えてください。

2006-07-23

それをここに持ってきなさい

今日は一転涼しく、また夕方からは爽やかになりました。
最高気温は26度くらいまで行ったようですが、
今は夜の12時前で20度を切っています。
いいですね。
こういう天気が続いて欲しいものです。
でも、「そうは問屋が卸さない」。
明日までは湿度も低いみたいですが、
あさってからはまた蒸し暑い日が週末にかけて続くようです。

JOYJOYキャンプまであと2週間になって、
キャンプ自体はほとんど建物の中なのであんまり心配していないのですが、
午後上級生の男の子を外に連れ出すので、
雨やめちゃくちゃ暑いのだけは、何とか避けて欲しいです。
大体毎年大丈夫で、ちょうどいいか、「今年は暑いよね」くらいですむのですが、
先週の月火みたいな暑さや
木金土みたいな雨が続くとそれはお手上げです。

これからは天気予報が趣味の世界ではなくって、
マジに見るようになります。

今日の礼拝もたくさんの方々と守ることができました。
初めての方々や久しぶりの方々もおられて、うれしかったです。
そして、何よりもうれしいのは心からの賛美。
ただの音楽じゃないんですよね。賛美なんです。賛美。
賛美しました!もっと賛美したいと思いました。

今日の聖書は昨日の間違いにより本来昨日読むはずだった、
マタイによる福音書14章。
特に18節の「それを、ここに持って来なさい。」という言葉がもう一度語られました。
そう、この言葉は、今から9年前に私がこの教会の牧師として立つ時に与えられた言葉。
ちょうど今から9年前の今頃でしたね、就任式。
早いものです。
自分の手の中にあるものがどれほどちっぽけに思えたでしょうか?
周りの状況がどれほど大変に見えたでしょうか?
そんな中で、主が語ってくださった言葉でした。
弱くていい。小さくていい。情けなくていい。
ただ、この方のところに自分の手の中にあるものを持っていく勇気さえあればいい。
「持ってきなさい」というお方の声に、「ハイ」と言える気持ちさえあればいい。
「こんなもの・・・」と思いつつも、従う単純さだけがあればいい。
そう信じて、従いました。

この7月。本当に主はたくさんの奇跡を見せてくださって、
今、本当にここに生かされている喜びを感じています。

でも、主のなさる奇跡はもっと大きいんだろうと思います。
もっともっとたくさんの方々が神様に出会って、
人生が変えられて、喜びに溢れて歩んで行かれる姿、
それを見たい、見せて頂きたいと思います。
「人々は食べて満腹した」とあります。
その奇跡を見せて頂きたいと祈ります。

主よ、
もう一度、語ってくださってありがとうございます。
あなたの手に、わたしの「5つのパンと2匹の魚」が渡される時、
あなたは人々が満腹するほどまでの大きなことをしてくださると語ってくださいました。
それを信じて、信頼して、ここまで歩んできました。
その中には、「どうして・・・」と思うようなこともありました。
未だに納得いかないことだってあります。
でも、今も信頼しています。
あなたは人々を満腹にしてくださる方だと。
あなたはこの地域に住む方々、出会う方々に豊かに与えて下さる方だと。
どうか、あなたの奇跡をもっと見せてください。
人がイエスに出会って、変えられる奇跡を。
主よ、もっともっとたくさんの御業をなしてください。
もう一度、このパンと魚とをあなたに捧げます。

2006-07-22

いったいどこから

右の方にカレンダーをつけました。
この日付をクリックするとその日の記事に飛びます。
マタイによる福音書1章が7月9日でしたから、
マタイ4章の場合は8+4で7月12日に出てきます。
今のうちはいいのですが、そのうち、計算が面倒になるでしょうから、
聖書のどこの箇所を何月何日に読んだか、読む予定か、
一覧表のリンクも作っておこうと思います。

今日もたくさん雨が降りました。
2日で100ミリくらい降ったのではないでしょうか?
庭に出しっぱなしになっている洗面器は水がいっぱいにたまっています。
ちなみに昨日は38.4mmの降水量。今日も同じかそれ以上降っているでしょう。
でも何だかやっと峠を越したようです。
今、夜の10時半ですが、これからはもう余り降らないでしょう。
そして明日からあさっては湿度もちょっと下がり、
ちょっと過ごしやすくなると思います。ちょっと。
期待も込めて・・・。

今日はマタイによる福音書15章を読みました。
最後の方にイエスが人々に食べ物を与えようとなさる様子が出てきます。
その時に弟子たちは、「こんなへんぴなところで、いったいどこから食べ物を調達するんですか」
というのです。
自分もそんなタイプだなと思います。
いったい、どこにそんな人材がいるのか、
いったい、どこにそんなお金があるのか、
いったい、どこから・・・と。
自分を見ても、周りを見ても、「無理をしない」ということが先ず頭にきます。
でも、イエスは他の供給源を見ておられた。
手許にあるパンを見ていたのではなかった。
手許にあるパンを用いて、
でも、それを何倍にもする力のある方であった。

私も自分の手の中にあるもの、
自分の周りにあるもの、
それを見るのではなくて、
神様を見ていこうと思った。
神様の奇跡を見せて頂きたいと思った。
「いったいどこから・・・」
それは神様から!
私たちの手の中にある小さなものも、
主の御手の中におちいる時には、
大きく用いて頂ける!
それを信頼していこうと思う。それを信じていこうと思う。

主よ、
あなたの御手にあれば、
私のこの手の中にある少しのものも、
ちいさなものも、
人々の心を、魂を満たすために用いられることを、信じます。
あなたの奇跡をなして下さい。
明日も、明日の礼拝でもあなたの奇跡を見せてください。

2006-07-21

大喜びで・・・

今日は朝も夕方もすごい雨でした。
そして今また夜11時50分ですが、
雷雲が南から上がってきています。
そして、温度は高くはないのですが、
蒸し暑いです。
今も23度くらい何ですが、とにかく湿度が飽和状態。
空気が肌にねっとりまつわりつく感じです。

明日も今日と同じような天気になりそうです。

大雨にご注意。

今日はさっそく聖書の話。
マタイによる福音書13章を読みました。
ここには「神の国のたとえ」がまとめて出てきます。
その中で今日心に残ったのは、その44節の宝物の話です。
ある人が畑を耕していて、宝物を見つけたら、
大喜びで全財産を投げ出して、その畑を買って、
宝物を手に入れる、という話です。
これは2通りの読み方があります。
一つは、この宝物は「福音」すなわち、
キリストの十字架の救いを表していて、
見つけた人は私たちです。
私たちはこの福音を見つけた時に、
すべてを犠牲にしても惜しくはない。
そして、それを「いやいや」ではなくて、
「大喜びで」するのです。
それくらい「神の国」「福音」には価値があるのです。

もう一つの読み方は、
この宝物は「私たち」です。
私たちのために、私たちをご自分の物とされるために、
イエスはすべてを犠牲にされた。
それも大喜びで・・・。

どちらもそうだなあ、と思います。
でも、今日は、この2つ目の読み方をして、感謝しました。
私たちのために大喜びですべてを投げ出してくださったイエスに感謝しました。

主よ、
あなたが私を宝物としてくださることに感謝します。
あなたが私のために、すべてを投げ出してくださったことに感謝します。
私も福音のために、すべてを投げ出していきたいです。
私の心の中をご覧になって、私がまだ投げ出していないもの、教えてください。

2006-07-20

ただただ単純に語る

今日は午前中は風もあり、
気温も低く涼しいスタートでしたが、
午後は蒸し暑く、夜になってますますむっとしてきたように感じます。
最高気温は30.7度。
今も24度ありますが、それ以上に湿度が高いと思います。
明日から、日曜日までは雷雨もあり、ムシムシした天気、
月曜日からやっとカラッとするみたいです。

今日の夜9時頃、
カミさんが、みんなに見せたいものがあると、
散歩に誘いました。

何々?人面木かなにか?
と聞いたら、「いい線行ってるねえ」とほめられて、
連れて来られたのがこの木のところ。
「人面木」は多分、自然にできた模様が人間の顔みたいになっているんでしょうが、これはまさに、
「人面木キット」
木に釘を打って、そこに引っかけるようになっているので、
鼻水とよだれのように樹液が出てきて、ますますアブナイ感じですね。
写真を撮っていたら、この家の奥さんが、窓から、
「もう一セットあるから、持っていく?」と聞いてくださいました。
もちろん、「いいんですかあ?」(もちろん英語なので、Yes, thank you!と答えましたが、気持ちは「いいんですかぁ?」でした)と頂いてしまいました。

このところ毎日、4、5本ずつきゅうりが穫れていたのですが、今日はお休み。明日は多分2本。
ちょっと暑さで参ってしまったようです。ずいぶん枯れてきてしまいました。
3株で60本は行くと思うのですが、その後はどうかな。

今日の聖書はマタイによる福音書12章でした。
その中に人々がイエスに「何か奇跡を見せてくれ」と言います。
その要求に対して、イエスは、「メッセージを聞いて信じないならば、奇跡を見てもしょうがない」と言われます。
そして、旧約聖書の中でヨナという人がニネベという町の人々に、
メッセージを語った時に、彼らがそれに聞き従ったことを例に挙げています。
彼らは特に奇跡を見たわけではない。
でも、ヨナの警告のメッセージを聞いた時に、
自分の人生を方向転換をして、神に従って歩み始めた様子が書かれています。
ここを読んで、
自分の使命もこれだなあ、と思いました。
何か物珍しいことをするわけではない。
人が喜ぶような話をするわけでもない。
ただただ、聖書に書かれていることを愚直に語っていく、
それが自分の使命であり、
それが本当に大切なことであり、
それによって神の許に帰っていく人々がいることを、
思わされました。
人の影響を受けることも気をつけなければいけないと思いました。
今いろんな目新しい方法がはやってきています。
でも、そんなことに振り回されない、
単純な福音を語ること、
十字架の救いを語ること、の大切さを教えられます。

主よ、
ヨナが単純に警告の言葉を語った時に、
人々はあなたの元に帰っていきました。
私もそのような単純な者でありたいと思います。
神様が語れと言われたことを、単純に語る者でありたいと思います。
どうか、先ず私自身に語ってください。
そして、あなたによって語られたことを、
分ち合う者としてください。
日曜日のために、メッセージを与えて下さい。
あなたのメッセンジャーとして語らせてください。

2006-07-19

負いやすいくびき

今日も結構暑くなっています。
湿度もそんなに低くありません。
期待していた分だけ、暑く感じます。
最高気温は31.8度C。
それとも、昨日までエアコンがフル回転状態だったのが、
今日はそれほどでもないので、
湿度の分だけ家の中が暑く感じるのでしょうか?

今日、娘達がつけた巣箱に小鳥のヒナを発見。
わかります?巣箱の中の口ふたつ?
娘達大喜び。


去年のクリスマスに6年生の娘に「何が欲しい?」と聞いたら、
×ポッドとか、携×電話とかではなく、
「小鳥の巣箱」・・・と。
なんて経済的かわいいんでしょう!と喜んで買ってあげた巣箱、
カミさんと妹と一緒に色を塗って、パパと木に縛り付けておきました。
その後、しばらく「来ないねえ」と言っていたのですが、
春になってから、枯れ草が運び込まれている様子。
「巣を作ったみたいだよ・・・」
でも、親鳥の姿もヒナの姿もなく、「どうしたのかねえ」みたいな感じでした。
それが7月になってから、「ヒナ誕生!」ですから大喜び。
ヒナがしきりに口を開けて待っている様子、
親鳥が一生懸命エサを運ぶ姿、
人間社会とだぶります。ハイ。

それと共に私たちが神様に求める時に、
このように求めていいんだと思いました。
「あなたの口を広く開けよ、私はそれを満たそう。」詩篇91:10

今日の聖書はマタイによる福音書11章でした。
その最後にこんな言葉があります。
「私が与えるくびきは負いやすく、わたしが与える荷は軽い」
イエスは私たちいろんなストレスで重い荷を負って苦労している者たちに、
「わたしの所に来て休みなさい」と招かれます。
でも、それと共に、「私が与える荷を負いなさい」と言われるのです。
どっちなんだと思いますが、
両方なんでしょう。
イエスの下に休む歩みは、
イエスの与える荷を負って歩む歩み。
それは私のために特別に作られた、
カスタムメードの使命。
他の誰かではなく、私のために準備された荷物がある。
でも、それを負う歩みは、
負いやすい、軽い荷なのだと・・・。
喜びを感じる、平安を感じる荷なのだと・・・。

主よ、
あなたが私のために特別な使命を与えて下さっていることに、
心から感謝します。
その荷を喜んで負いたいと思います。
どうか、あなたが守り支えて下さい。
道を外れそうになる時に、教えて下さい。
逃げたくなる時に、「おまえ、違うよ」と語ってください。
あなたの与えて下さる荷なら、負うことができます。
私のためによく考えて、与えて下さる荷だから。

主のために

これは7月18日の分。
更新遅れました。
何でかというと、停電。
昨日の夜はすごい雷でした。
雨自体はそんなにたくさんではなかったのだと思いますが、
とにかく風と雷で、10時半頃停電してしまいました。
何時に復旧したかは不明。

ちょうどYがMに追いついたところ、
その後向こうも雨で中断になった頃でした。
「今日見に行った人は盛り上がっただろうなあ、でもこの雨で大変だろうなあ・・・、延長戦は明日に響くだろうなあ」と思っていた矢先、ぶちっと切れました。
「もう早く寝なさい」という神様からのメッセージだったのかも・・・。
その後すぐ家族みんなで寝てしまいました。

YがMに11回までやって勝ったことも、朝になってから知りました・・・、

昨日はその雨まではめちゃくちゃ暑かったです。
連日の37度台。
でも、今日からは何とか涼しくなるみたいです。
これは天気予報当たって欲しいです。

昨日は朝教会でお祈りの日。
午前中も、午後も個人的にお話をしました。
そして、一人の方に昨日の御言葉「あなたの罪は赦された」の祈りをする幸いを経験しました。
そして夜にも「洗礼を受ける決心をしました!」ともう一人の方からメールを頂いて、
本当に心から感謝をしました。

昨日はマタイによる福音書10章を読みました。
その中で、39節の言葉が心に留りました。
「自分のいのちを自分のものにする者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」という言葉です。
「自分のいのちを自分のものとしていないだろうか」と問われたように思ったのです。
本当に自分は自分の命を主のために捧げているだろうか、
結局は自分のために使っているのではないだろうか・・・と。
求めていきたいと思いました。
もっともっと主のために生きるとは、主のために自分のいのちを与えるとはどういうことなのかを、
求めていきたいと思いました。
一つ、ヒントはイエスがこの後に語っていること、
人のためにすることはイエスのためにすること・・・。
人に仕えること、それを求めていこうと思いました。

主よ、
あなたに私のいのちを与えることを教えて下さい。
自分のために生きるのではなく、
あなたのために生きることができますように。
人に仕えることができますように。
仕えることを教えて下さい。

2006-07-17

あなたの罪はゆるされた

今日は暑かったです。
かきごおり家の温度計は37.2度まで上がりました。
下の娘とプールに行ったのですが、
お子ちゃまプールだったので、プールの水も生ぬるいくらいでした。

今真夜中12時ですが、外の気温は27.7度。
熱帯夜になるかもですね。

明日ももう一日37度まで上がって、
その後、30度くらいの日に戻るようです。

夜はYの応援に行ってきました。(多分3年ぶり)
対戦相手のMが今年は迫力がなくて、ちょっと楽勝パターンでしたね。
両チーム合わせて7つのエラーが飛び出す始末でしたが、
とにかく最終回が盛り上がったので楽しかったです。
バットが一本スタンドに飛び込みましたが、
今度はわたしのところではありませんでした。上の方だったしね。
でも、ホント、あの大きなスタンドを見ると、あの3年前バットが飛んできた、
ことのすごさを思わされます。
今度はイチローのがいいかな。

今日は午前中ちょっと打ち合わせがあって、
夕方、プールから帰ってきたら、
サプライズゲストが来られていました。
明日もいくつか人にお会いするお約束があります。
幸いな働きをさせて頂いています。

今日の聖書はマタイによる福音書9章。
その2節には「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦されたのだ」という言葉があります。
日曜日の洗礼式で、2回、この言葉を語る幸いを経験させて頂きました。
本来、このパリサイ派の人々が言うように、そんなことは私たちが言えることではありません。
神様以外に言うことのできる人はいない。
でも、イエスが十字架の上で私たちの罪を背負って下さったがゆえに、
そのように語ることができる幸いを今日も感じました。
本当はそんなこと言えない。
でも、言うことが許されている、
いや、私たちはこの言葉を語る責任、使命がある。
その幸いを思いました。
責任の重さも思わされました。

主よ、
私にも、この言葉を語らせてくださっている幸いを感謝します。
これからも多くの方々に、この赦しの福音を語ることができますように。
赦しの宣言を語ることができますように、
私を用いてください。
多くの方々があなたによって救いにあずかることができますように。

2006-07-16

私をきよめることができます

今日は暑かったです。
35度。でもずっと教会にいたので、よくわかりませんでした。
教会エアコン効き過ぎ。
日本人が使う時は調整して上げておくのですが、
教会を持っているアメリカ人の教会が71度F=22度Cに設定しているので、
「もったいない!」とか言いながら、「寒い!」と言いながら、78度Fとかに上げて回っています。
日本では28度Cですよね。ということは82度Fくらい。
それはちょっと暑いかな・・・。

明日は36度位の予報。
うちの温度計は大体予報の2-5度上だから、40度も夢ではありません。

今日のメインイベントは「洗礼式」。
良かったですよ。
二人の方が洗礼を受けられました。
感謝。
その様子をご覧になって、
「私も受けたい・・・」と来られた方もおられました。
そのような祝福に溢れた一日でした。

そんな心地よい一日の後、
今日からの帰り道。
今日は車2台で教会に行ったのですが、
途中で、前を走るカミさん運転の車のタイヤがフラットになっているのを発見。
停めて、その場でタイヤ交換。
真っ昼間ではなかったのが救い。
でも今回は高校生を乗せていなかったので、
一人でやりました。
大汗をかきました。
何か、最近多いなあ。前回は4月だから、3ヶ月で2回!

9時頃眠かったのですが10時頃から復活。
でも、まあ、早く休もうと思います。
基本は月曜日が休日なのですが、明日の午後は娘達とプールの約束。
夜は久しぶりのYの応援。旅行会社のプロモーションでいただいた券ですが、
とても高いところです。(値段じゃなくて物理的な高さが・・・)

今日の聖書。
マタイによる福音書8章を読みました。
その2節の病気を治してもらう人の言葉が心に留りました。
「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」
この信仰をもちたいと思いました。
それととも自分が本気で主の前に出ているかが問われているように感じました。
何か甘えの気持ちがあるのではないか、
逃げの気持ちはないだろうかと思わされました。
そして、この祈りを捧げたいと思いました。

主よ、
どうかわたしをきよめてください。
私の心の奥底までも、聖霊様の炎で焼き尽くしてください。
あなたにはそれができると信じます。
不信仰な私を、助けてください。
甘えている心を、焼き尽くしてください。

2006-07-15

御心を行う

今日は思いの外雲が多く、ちょっと雨なんかも降って、
意外と暑くない・・・(決して涼しいとは申し上げませんが・・・)日です。
30度くらい。朝は20度以下にまで下がっていて、気持ちよいくらいでした。
でも、この雲が抜けると、気温の高さと湿度の高さがどーんと上がって、
酷暑になるでしょう。

明日は34度くらい。
月曜日は36-37度。こちらで使う華氏では100度の予想です。
体温並みです。

無理は禁物ですよー。

昨夜は「深夜祈祷会」だったので家に帰ってきたのが12時15分くらい、
それで寝たのが1時過ぎだったと思いますが、
何だか最近、おじいさんになってきたのか、
ゆっくり休もうと思っても、6時前に目が覚めることがあります。
今朝もそうでした。
ですから、もう夜に仕事をするのは止めて、朝型人間になろうと思います。
午前中に一日にすべきことの6割を終わらせるべし・・・
今月の「ハーベストタイム」の中川先生のコラムからの一文。
よって、更新もこれから深夜よりも、昼間や夕方が増えていくでしょう。
夜、眠くなるから・・・。

でも、おかげで今日は朝の聖書+祈り+デスクワークが快調にはかどっています。

しかーし、ちょうどここで、カミさんからの指摘が入り、
明日の礼拝の中での子供向けの話、なぜか1ヶ月先を準備していることに気づく。
夕方の6時前。これから教会で祈り会で、帰ってくるのは9時頃、
ということは、やっぱり眠い目をこすりながら子供のお話を考えることに・・・
でも、明日の子供向けお話の内容は「なんて明日にふさわしいんだ!」というところ。
うーん、神様はすごい!
カミさんもすごい!うん、前の日に指摘してもらって良かった。
当日だったらパニックだった・・・。
感謝。


今日の聖書。
マタイによる福音書の7章。
山上の説教の最後の部分です。
------------------------------------ここからが集会の後、午後10時過ぎ。
その中で、イエスのこの言葉が心に留りました。
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」(7:21)
御心を行う。
その後には、「私は伝道しましたよ、私は奇跡も行いました・・・」みたいな人々が出てくる。
でも、そうであっても、「御心を行わないならば・・・」とイエスは言われている。
そうなってくると「御心って何?」ってなりますよね、当然。
で、箇条書きで「これですよ」って言える部分もあると思います。
少なくとも、5章から7章までに出てくること、とかね。
でも、「伝道もしている」「イエスの名によって奇跡もしている」って言ったらすごい人じゃないですか。
それに、「御心」って私たちはすぐ「伝道」って思いますよね。
そんな人でも、「御心を行っていない」可能性があるわけですよね。

だから、「これが神の御心だ!」って箇条書きにすることよりも、
「主よ、あなたの御心を教えて下さい」と祈ることの方が大切だと思う。

ヨハネによる福音書の10章2節から4節。
「門からはいる者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」
羊飼いの声を知っている・・・そのような神様との関係、キリストとの関係を持っていくことの大切さを思わされます。

明日はまたまた洗礼式です!
大きな喜びです。

主よ、
あなたの御心を教えて下さい。
自分のわがままな願いではなく、
自分中心の思いではなく、
また人の顔色を見て、人を喜ばすことではなく、
あなたの御心に従っていくことのできる者としてください。

2006-07-14

神か富か

暑いですねえ。
今日の我が家の最高気温は34.3度。
朝は爽やかに19度だったのですが、強い日差しでぐんぐん温度が上がって、暑い一日となりました。

でも、これはまだ序の口とのこと。
月曜日にかけて、どんどん暑くなるようです。

最近、夜がめっぽう弱くなったので、
そして、今日は10時から「深夜祈祷会」なので、
今のうちに更新です。

こちらの写真は何かというと、
コーンです。
コーンの雄花です。
背丈は1メートルあるかなあ、
という低さなんですが、

もう雄花が咲き始めました。
ちょっとたたくと花粉が風に乗って飛びます。

そして、ちょっと遅れて、雌花も咲き始めました。
おなじみコーンのひげが伸びてきています。
これがめしべなのかな。
そして、この一本一本とコーンの一粒一粒が対応するみたいです。
つまりこの一本一本に花粉がつくことによって、
コーンの一粒一粒が実っていくみたいです。

きゅうりは今日はお休み。
明日も1本だけみたいです。

いんげんももう峠を越えてしまったのでしょうか。

昨日、今日を合わせても10本です。

今日の午前中も個人的にお会いする方がいて、
午後は日曜日の礼拝の準備です。
明日の午後はこの地区のクリスチャンの合同の集まりがあって、夕方には教会の祈り会。

集会が少ないと、個人的にいろんな方にお会いするチャンスはあるのですが、
その分、そういうアポイントを調整しないと、なかなかお会い出来ないという面もあります。
明日、あさっての週末に、皆さんにお会い出来るのは楽しみです。

中東情勢、心配です。
世界はどのようになっていくのでしょうか。
「平和」だと思っているのは思いこみで、今私たちはとても危ないところにいるのかもしれません。

今日の聖書。
今日はマタイによる福音書6章でした。
今日心に留った言葉は、
6章の24節の、「神と富との両方を主人とすることはできない」という言葉です。
子供の頃から、「いかにして少ないおかずでご飯を食べるか」を考えて食事をしてきた私は、
大人になってからは「いかにして決まった収入の中で、少しでも貯めていけるか」を考えるようになりました。特に留学生だった頃は切実な問題でした。
神様を愛しているのか、
お金を愛しているのか、
聞かれたら、もちろん、速攻で「神様」と答えるでしょう。
でも、自分がそのような生き方を具体的にしているだろうか、
そのことが問われているように思いました。
バカのように神様を信頼して、
単純に「神様が必ず必要は与えて下さるから、神様のことしか考えていない」
そんな生き方をしたいと思いました。

神様、
あなたが今までもいつも必要を満たしてきて下さいました。
これからも守って下さい。
単純に、バカのように、あなたの御心だけを求めていく者でいられますように。
他のもので心が占められてしまうことがありませんように。

2006-07-13

ありもしないことで・・・

今日は昨日から一転、いい天気になりました。
暑さも30度くらいで、まあまあ、我慢出来ないほどではありませんでした。

今夜も昨日の夜の蒸し暑さに比べるとずっといいみたいです。
20度くらいには下がってくれるようです。
でも、明日からはガンガン温度が上がって行くみたいです。
暑い日が続きそうです。


そして今日は雨上がりを待っていたかのように蝶が舞っています。
かわいいモンシロチョウ。
でも、その幼虫はあのあおむしちゃんですよね。

しっかり、ブロッコリーの葉っぱにたくさんの卵を産んでいます。
ほとんどは葉っぱの裏なのですが、これは表側。
この話を思い出して、あおむしちゃんが蝶になるのを子ども達に見せようかとも、
ちょっとは思ったのですが、
やっぱり、もうすでに、リスやグランドホッグやチップモンクに
いろんなものを食べられているわたしはこれを見逃すわけにはいきません。
情が移る前に、つぶして回りました。

悪く思わんでくれよ・・・、と思いながら、
それ以上に、「これを仕事にしている農家の方々は大変だろうなあ」と思いながら・・・。

今日はまた普段の生活に戻り、
朝は個人的にお会いする方がいて、
午後はデスクワークや電話。
そして、またこの後、お会いする方があります。
夏は集会が減るので、本当に個人的にお話をする時を大切にしたいと思います。

そして今日の聖書。
今日はマタイによる福音書5章。
「山上の説教」と呼ばれるのがこの5-7章。
その一番最初の部分です。
その中で、イエスが言われたこの言葉が心に留りました。
「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。」5章11節の言葉です。
その中の特に「ありもしないことで悪口雑言を言われた時に・・・」という部分。
ありもしないことで何か言われたら自分はどうなるだろうかと思いました。
怒るだろう、嘆くだろう、やっていることを投げ出して、「勝手にしろ!」と言うのではないかと・・・。
でも、そんな時が来たら、「幸いだ!」とイエスは言われるのです。
喜びなさい、と続きます。
できるかなあ、と思います。
取り越し苦労で、そんなことが自分の人生に起らないようにと願います。
でも、たとえそれが起ったとしても、恐れる必要はないんだな、
と思いました。
主に従っていく時に、そういう目に遭うこともある、
その時には喜べと、もしも主に従っていくならば、
どんなことがあっても「喜べるのだ」と言われたような気がしました。
素直にイエスさまが言われたように、喜べる者でありたいと思います。

主よ、
あなたに従います。
あなたの福音を単純に愚直に語らせてください。
そして、もしも、ありもしないことで非難されるようなことがあったら、
それをも喜ぶことができるようにわたしを支えて下さい。