2006-08-03

いのちをこえるいのち

今日も暑かったです。
朝の気温が27度。 バリバリ熱帯夜でした。
そして、昼間の気温は37.4度。(うちの温度計)
午後にはにわか雨がありました。思ったほど激しくはありませんでしたが、
とにかく降りました。
そして、それから気温はぐんぐん下がって、今は夜の11時で24.8度です。
熱帯夜ではなくなりましたが、湿度は高いです。
べたーっとしています。

明日は31度くらいで湿度は高めだそうです。
でも夜からは湿度も下がり、
土曜日からはカラッとするそうです。
是非、当たって欲しいです。

今日はまたいつものような生活に戻り、朝と夜に個人的にお話をする方々が来られて、
日曜日の準備をして・・・でも今週は+JOYJOYキャンプの準備があります。
明日は段ボールを集めに回ります。
教会のジムにはJOYJOYキャンプ名物、段ボール迷路が建設されます。
今年はまたすごいのになりそうです。

かなりワクワクしてきました。

最初の日の聖書のお話の担当にもなっているので、
それも考え中・・・

今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の26章を読みました。
今日は最後の晩餐から、ゲッセマネの祈り、そしてユダの裏切り、逮捕、そしてペテロの否認、とたくさんの出来事が出てきます。
その中で心に留った言葉が、イエスが逮捕される時に抵抗しようとした弟子たちに語った言葉です。
「剣を取る者はみな剣で滅びます」

あたっているかどうか確信はないのですが、
9/11以降のアメリカを見ていて、
世界を見ていて、
そしてその中で聖書を読んでいて、
だんだん自分の心の中で「絶対非暴力主義」に傾きつつあります。

たぶん、武力は、「いのち」が一番大切だから、持たなければいけないと思うのだと思います。

攻められたら守れない、だから、強い武力を持たなければいけない、
敵の隠れているところを攻撃しなければいけない、
大量破壊兵器を秘密裏に持っている国はつぶさなければいけない、
そういうことを考えるのは、「いのち」が一番大切なんだ、という世界観に基づいているのだと思います。
もしも、そうでなかったら、恐れる必要なんかないんですから・・・。

でも、「いのち」を守るために持つ武力が、他の国の人々のいのちを踏みつぶしていきます。
自分たちの「いのち」を守るためには、他の国々の人々の「いのち」が犠牲になってもしょうがないのです。市民が犠牲になっても「遺憾の意」くらいで終わってしまいます。
ものすごい矛盾を感じます。

イエスはここで捕まれば、殺される、それはわかっていました。
でも、剣を抜こうとしませんでした。
「いのち」を超える「いのち」を知っていたからです。
そして、自分のいのちが取り去れることが、私たちに「いのち」を与えることを意味していると知っていたからです。

私には難しいことはわかりません。
自分が守るべき、家族、仲間、そのためにいのちを捧げる、という人々の思いもわかります。
自分が守らなければ、誰が守ってくれるんだ?というのもわかります。

でも、私はこの地上のいのちを超える「いのち」を知っています。

そちらを守ることの方に、そちらを語ることの方に使命を感じています。
この地上の肉体のいのちよりも大切なものがあることを語ることに使命を感じています。

イエスがここで剣を取らずに、自分のいのちを与えたことによって、
私たちにいのちを超えるいのちを与えて下さったことに感謝しています。
そして、私自身もそのように、生きるとしても、死ぬにしても、とにかく、この神様の愛が伝わって欲しい、そう思わされています。


イエスさま、
あなたが剣を取らないで、
自分のいのちを私たちに与えて下さったことに感謝します。
それによって私たちに、この世のいのちを超えた「いのち」を与えて下さったことに感謝します。
私もあなたと同じように恐れない心を与えて下さい。
そして、生きる時も、死ぬ時も、あなたのすばらしさを表すものとして用いて下さい。
そのために私を整えて下さい。

2006-08-02

喜びを共にして下さる神

そして、
これが水曜日、そう、今日の分です。
いやあ、暑いです。
言いたかないですが、暑いです。
今は夜の10時を過ぎていますが、
30度以上あります。

明日までこの暑さが続くようです。
月曜日、キャンプに出る時には、この暑さは水曜日まで、と言っていたのですが、
一日延びました。
まあ、是非、明日まで、ということでお願いしたいです。

今日はマタイによる福音書25章を読みました。
この章は、世の終わりまでの間の私たちの生き方、はどんなものが要求されるのか、
ということをイエスがたとえ話を使って、話されたところです。

3つのたとえ話が出てきますが、
その真ん中の話は「タラントのたとえ」と呼ばれるものです。
ある人がしもべ達にある人には5タラント、ある人には2タラント、そしてある人には1タラントを預けて、旅に出るという話です。旅に出る人、それはイエスのことを指しています。そしてそのしもべは、私たちのことを指しています。
5タラント、と2タラントの人はそれぞれそれを元手に商売をして、儲けました。
しかし、1タラントの人は、恐れて、その1タラントがなくならないようにと、
その1タラントを土の中に隠していました。

主人が帰ってきた時に、
最初の2人はほめられたのに、
最後の一人は叱られた、と言うのがイエスの話です。
「与えられたタラント(才能)を、神様のために使いなさい」というのが、イエスの語りたかった主旨だろうと言われています。
その中で、今日は21節の言葉「主人の喜びを共に喜んでくれ」が心に留りました。
日本語としてはおかしな日本語です。直訳調なんでしょう。
でも、その言葉が何だか心に留りました。
神様の喜びを共に喜ぶことができる、
そのように招かれている、
その幸いを覚えました。

神様が喜んでくださる、
それを共有することできる、
それはなんてすばらしいことなんだろうかと思いました。
私たちの喜びを主が喜んでくださるだけではなくて、
主の喜びを、私たちに分ち合ってくださる。
それは本当にうれしいことだと思いました。

あなたが私のために喜んでくださり、
その喜びをも感じることができる幸いを感謝します。
どうか、あなたの喜びを共有することができますように。
私のうちに喜びを満たし、あなたの喜びを教えてください。
人々との交わりをも祝福してくださって、それが神様の愛と守りとによって、
支えられていきますように。


思いがけない時に

そして、これが火曜日の分。
丸一日ユースのキャンプで過ごしました。
夜はキャンプファイヤー。
火って不思議ですよね。
特に、燃え上がった後に小さくなった火。
ずっとずっと見つめていたい気持ちになります。

そして、この日は、特に一対一で中高生達と祈る時を持ちました。
純粋な、熱い思い、そして、まるで大人と話しているかのような、
しっかりした考えを持ち始めた彼らの成長の姿に、
熱いものがこみ上げてくるのを感じました。
12年前にNJに来た時には、9年前にJCCNJの牧師になった時には
考えられなかったような祝福を頂いているなあ、と思いました。

この日、
留守番をしていた娘にきゅうりのカウントをお願いしてあったのですが、
この日の5本で、とうとう100本達成!
先週末に用事があって、○ツワで「特売!」というきゅうりの値段を見て、びっくり。

約1本1ドル!

しっかり元を取りました。

苗からではなくて種から、それも2年前に買った種が残っていたヤツ。

そこにはあまり投資していないのですが、
土や肥料、動物よけの柵、いろいろ考えたら、結構トントンかも。
でも、楽しいです。
とにかく、いろいろ動物にやられても、カリカリしないこと。
ナスなんかはなかなか収穫出来ないでいるのですが、
それでも、「ま、いいか」みたいな気持ちでいようと思っています。
今年は本当に守られています。

ということで「聖書」。
今日はマタイによる福音書24章を読みました。
これはイエスが世の終わりにどんなことが起るかを、話された時の言葉です。
その中で心に留ったのは、44節、「だからあなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから」という言葉です。

イエスがもう一度来られる時、それが世の終わりです。
どんな時にイエスが来られても喜んで迎えることができるように準備していなさい、というのがこのイエスの言葉の意味です。

この世の終わりは、誰も経験した人はいないので、どんなのかはわかりません。
でも、人生の終わり、は誰にでも来るのです。

それはある意味、「イエスがもう一度来られる」時ということが出来るのではないかと思います。
ならば、それがいつであっても、喜んでイエスを迎えることができるように、と思います。

今年は9/11に飛行機に乗ります。
日本に行く飛行機です。
いろんな事情を考えて、この日のチケットを取りましたが、
やはり、単なる事情以上の気持ちがあります。

あの日、飛行機に乗り合わせた人々も、
職場に向かっていった人々も、
今日が、自分の人生の最後の日だとはまさか思っていなかったでしょう。

私も、今日も、今日が人生の最後の日だとなんて思っていません。
でも、もしかしたらそうかもしれないんですよね。
日々にそうなんですよね。一瞬一瞬がそうなんですよね。

そして、決して、「今日であっては困る」生き方をしてもいけないし、
反対に、「今日でなければ困る」生き方をしてもいけない。

そのような気持ちを大切にしたいと思いました。

主よ、
私の人生にいつ終止符が打たれようとも、
いつ、あなたが私をお迎えに来て下さったとしても、
喜んで、あなたが来られるのを迎えることができるように、
歩みたいと思います。
どうか、私の心を守り、支えて下さい。
今年の日本帰国の予定も守って下さい。
その飛行機に乗ることを通して、何かが見えるように、なりますように。


あつーい!

暑い時に「暑い!」って言うな!
という乱暴な話がありますが、
そんなことをもものともしない暑さです。
前回の熱波もすごかったですが、
今回もすごいです。

今日、ユースのキャンプから帰ってきました。
キャンプの施設ですが、
一カ所だけエアコンのある部屋があって、
その部屋の存在は「救い」でした。

暑かったですが、
本当にいいキャンプでした。
もっとずっとそこにいたくなるキャンプでした。
来年はきっともっと長くなるでしょう!
いや、「たぶん」、いや「もしかしたら・・・」かな。

9人の新6年生から新12年生までが参加しました。
みんな本当に成長しているなあ、と思います。
どんどん大人の会話ができるようになってきました。
またこれからが楽しみです。

で、まず月曜日の分。
月曜日はマタイによる福音書23章を読みました。
この章はイエスが偽善者達を非難される箇所です。
その中の26節が心に留りました。
「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」
外側ばかり気にする自分。
でも、何よりも気にすべきなのは内側であり、
内側が整えられていく時に、
外側も整えられていく、
出る言葉、行動、態度、
それを何とかコントロールしようとすることがある。
でも、聖書はここの内側に注目しなさい、注意しなさい、
そうするならば、外側は整えられていくのだ、というのです。

何か気持ちが楽になりました。
先ず、内側に注目していこうと思いました。
そして、そこから出てくる、自然に出てくるもので十分だと思いました。
立派でなくてもいい、
やたらにポジティブではなくてもいい、
ただ、心にあるものが出てくるだけでいいと思いました。

主よ、
私の心を守って下さい。
わたしの心をきよめて下さい。
私の心を整えて下さい。
それが自然と外に出てくるような、そんな働き人にして下さい。
今はやりの方法ではないかもしれない。
でも、私はこちらの方に魅力を感じます。
聖霊様によって、聖書の方法によって、私の心を整えて下さい。

2006-07-31

ユースのキャンプ

今日、これからユースのキャンプですので、
次の更新は水曜日の夜です。

暑い日が続きそうです。
熱いキャンプになりますようにお祈り下さい。

ではでは。

2006-07-30

神のものは神に

今日も暑かったですね。
最高気温は33.2度C。
今も8時半ですが、29度くらいあります。

この後熱波の予報が出ています。
明日は今日と同じくらいのようですが、
火曜日と水曜日は37度Cです。

でも、来週、JOYJOYキャンプの頃には30度以下に下がるみたいです。ホッ。
まあ、いつも8月になると秋風が吹き始めるので、今年も平年並みというところでしょうか。

JOYJOYが涼しくなると助かります。

今日、もう眠くなってきています。
早く休んで明日の朝、早起きしようかと思います。

今日の礼拝、だんだん皆さんが日本への里帰りや旅行から帰ってこられて、
戻ってきました。
来週、再来週とどんどん平常に戻ってくるでしょう。

今日の聖書はマタイによる福音書22章でした。
その中の22節の言葉が心に留りました。
「神のものは神に返しなさい」。
この言葉はそのころユダヤを支配していたローマ帝国に税金を納めるかどうかを、
イエスに聞きに来た人々に対して、イエスが語られた言葉です。
民衆はイエスが自分たちをローマ帝国から解放してくれる救い主であることを期待していました。
ですから、ここでイエスが「税金を納めなさい」と言ったら、人々を失望させることになる、
もしも、「納める必要がない」と言ったら、イエスを反逆罪でローマ帝国に訴えようと思っていたようです。
だから、どっちに答えても、イエスをおとしめられる、と思ったようです。
でも、イエスはそのコインの肖像を見て、「皇帝の肖像があるものは皇帝に返しなさい、そして、神の肖像がある自分自身を神に返しなさい」と言われたのでした。
そう、私たちには神の肖像が刻み込まれている。
その神のものである自分自身を神に返す、そのように招かれているのです。
私はまた今日もこれをパーソナルに受け取りました。
私自身に対して、神が「あなたは私のものなんだから、自分のために生きるのではない、わたしのもとにあなたのすべてを持ってきなさい」と言われたように思ったのです。
そのようにしたいと思って祈りました。
昨日、今日と、本当に主が私を近くに引き寄せようとしておられることを感じます。

主よ、
私自身を、私の存在を、
私の時間を、私の趣味を、私のお金を、あなたの喜ばれるように用いたいと思います。
主よ、どうか教えてください。私の存在すべてをあなたにゆだねます。捧げます。
どうかなすべきことを教え、導いてください。
私の夢や希望もあなたの御手にゆだねます。
生き方を教えてください。

2006-07-29

山は動く

今日も暑かったですね。
うちの温度計は最高が33.9度。
今も25度以上あります。

これから水曜日くらいまで熱波のようです。
特に水曜日はまた100度F、37度Cくらいまで行きそうです。

それに今回の特徴は、夜の温度が下がらない
熱帯夜も何日かあるみたいです。

お体に気をつけて。
無理はしない。
たっぷり休む・・・うーん、中高生のキャンプが月曜日から泊まりがけ3日間。
ちょっと心配。

今日もさっそく聖書。
今日は、イエスさまのこの言葉が私に語られました。
「たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。」
それは今日読んだマタイの21章の21節の言葉です。

この言葉が私に語られたように感じました。
特に、この「山」が、自分の心にあるように思ったのです。
自分の心の中に山があるのではないだろうか、
絶対に動くことがない、と思っていることがあるのではないだろうかと感じました。
本当に、変わらないのでは、もうこれはいつまでもついてくるのではないだろうか、
と感じていることがありました。
でも、今日、この聖書の言葉で、「あなたは、この山も動くことを信じるか?」と語られたように思ったのです。
すぐに、ハイ、信じます。山を動かして下さい。と祈りました。
そして、信じて疑わないことが大切、とあります。
単純に信じていきたいと思いました。
神様が山を動かして下さる、
私の心の中の山も動かして下さる、
そう信じることができました。
自分の力ではなく、神様にはそれができると信じることができました。

主よ、
あなたが私のうちにある「山」をも動かして下さる方であることを、
信じます。
私が信じ続けることができますように、
そしてあなたの御業を見ることができますように。
どうか助けて下さい。
私は弱いのです。
どうか、山を動かして下さい。

2006-07-28

気前のいい神

遅くなりました。
今日は午後になって、
急にYの応援に行く話が出てきて、
慌てて、やらなければいけないことを片づけて、行って参りました。
普通行けない、とってもいい席でしたよ。下さった方に感謝。

試合はWangの好投で完封勝利。
前回も彼でしたね。
今日は全く危なげのない試合でした。

試合は10時前に終わったのですが、
その後の駐車場から出るのが大変。
ウチにつくまで1時間40分以上かかりました。

で、今、夜中の12時前。

今日も蒸し暑くて、午後は雷雨がありましたが、
おかげで少し温度が下がったように思います。
でも、明日以降もっと蒸し暑さがパワーアップするみたいです。

早速、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書の20章でした。
心に留ったのは、「私が気前がいいので・・・」という15節の言葉です。
この20章前半のたとえ話は「なんだこりゃ」と思う話ですが、
また私の好きな話でもあります。

日雇いで働いてもらう農園の主人の話です。
朝早く、働いてくれる人を探しに行って、一人一日1デナリで、人を集めます。
でも、9時にも12時にも3時にも5時にも探しに行くのです。
そして、自分の農園で働いてもらうのです。
6時になって、賃金を払う時になって、
夕方きた人たちから始めて、みんな賃金をもらっていきました。
見ていると、何と夕方来た人にも、1デナリ渡しているではありませんか。
朝に来た人は色めきだちます。
「じゃあ、俺たちはどんなにたくさんもらえるだろうか。」と。
でも、実際もらってみると、彼らにも1デナリ。
「不公平だ!」と文句を言った彼らに、
「私は一日1デナリの約束をしたじゃないか、あなた方に何の不当なこともしていないよ、
私はその上で、あの夕方に来た人たちにも同じようにしてやりたいんだ。
私が気前がいいので、ねたましく思うのか?」
と主人が言ったという話です。

神様は気前のいい方。
それが今日はとてもありがたく感じました。
わたしのようなものにも1デナリ準備して下さるんだなあと。

神様には借金があるような私たちです。
自分が働いた分だけ手にしようとしたら、何にももらえることのできないような者です。
神様が気前がいいから、初めて救いを頂くことができるのです。

その気前の良さ、に感謝。
それがなかったら自分は受け入れられなかったんだろうなあ、と思いました。

主よ、
あなたの大きさに感謝します。
あなたを信頼して、あなたの大きさの中にどっぷりつかって、
安心して歩んでいくことができますように。
あなたの気前の良さのゆえに、今の自分がいることを忘れることがありませんように。


2006-07-27

初「ふるさと」体験

「ふるさと」といえば、
「うさぎ追いしかの山・・・」と始まる歌。

でも、何を隠そう、シテーボーイだったかきごおり牧師は、ウサギなんて追っかけたことはなかった。
もちろん小鮒も釣ったことはない。

それどころか、
ずっとあの歌は「うさぎ、おいしい、かの山」とウサギを食ってウマカッタという思い出を歌った歌だとばっかりおもっていた、結構大人になるまで・・・。

でも、あの歌にはジーンと来るから不思議だ。

しかし、今日は、とうとうそれを経験してしまった。
ウサギを追いかけたのである。

この写真を見たらわかりますよね。

今日、何の気なしに庭を見たら、ちょうど何者かによって食い荒らされているあたりに、ぐたっと横になっているウサ公
(もしかしたらウサ子)を発見。

ナスはぼろぼろ、ミニトマトも日に日に株が小さくなってくる、一本だけ路地植えしたモロヘイヤは丸裸。犯人はコイツか!と短絡的に考え逆上した私は庭に出て、思いっきり脅かして差し上げました。

まさにウサギを追いかけたのである。
「ふるさと」体験である。
・・・でも、アメリカで経験してしまったのはまずかったかもしれない。

自分の中で今度から「ふるさと」を聞く(または歌う)時に、ウチの庭の風景が浮かんできてしまうかも・・・ますます日本人ではなくなってしまうかもである。

しかし、このウサ公(子?)は今日ので学習していただいただろうか?
「あそこには近づいてはならない・・・」と。

それから、こちらも今日の夕方、

インゲンを収穫していたら、
おばけを発見。
写真の一番右のヤツ。
普通のモノの4倍くらいあり。
このままほっておいたら、ほんとのお豆が取れるんだろうなあ、と思いながら、収穫。
インゲンは葉っぱの陰に隠れて実がなっていると、わからなくなって、こんなことになることもあります。

今年は今まで230本ほどの収穫あり。
きゅうりも74本まで行きました。
3株で100本も夢ではなくなりました。

ナスは8本。実が大きくなり始めると何者かが持っていきます。コイツも犯人は不明。

今日の午前中は祈り会。
久しぶりの方々が2名来られて、共に祈ることができました。
とても幸いな祈り会でした。感謝。

そして、午後から夜は電話をしたり、デスクワークをしたり、個人的に人にお会いしたり・・・。

あ、その中で、
ある方々とちょっと庭で立ち話。
その時、どこかでゴロゴロと始まり、
風で木がザワザワしてきたなあ、と思ったら、
突然、木の枝が一本折れて、飛んできました。

私の頭に当たったのですが、マジ痛かったです。
小枝だったんですがね。

簡単に手でポキッと折れるような細い枝でも、これだけ痛かったら、
太い枝だったらどうなるかと思いました。
時々、落ちてきた枝で亡くなる方もおられますが、
これはそういうこともあるだろうと思いました。

雷雨の前の「ザワザワ」にはくれぐれもご注意下さい。

今日の聖書はマタイによる福音書19章。
イエスが言われた言葉、「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」が心に留りました。
この言葉は弟子たちが、「そしたら誰が救われることができるでしょうか?」と聞いた時に、言われた言葉です。
ここ何週間かの間に洗礼を受けた方、信仰を持つようになられた方、洗礼を受ける決心をされた方々一人一人のことを思い出していました。そして、一人一人皆さんを、「神様が導いてくださった」と思わされました。本当に奇跡だと思いました。人の力ではない、神様の力が注がれているのだと思いました。
ですから、これからもそのことを求めていきたいと思います。
人の知恵や特別な方法ではなくて、
ただただ、神様を信頼して、神様が語ってくださるように、
その心に触れてくださるように、
その心に語ってくださるように、
そのように求めていきたい、と思います。
これからも日々、新しくイエスを救い主として受け入れて歩み始める方々が起こされるようにと、願います。

主よ、
一人一人を導いてくださっていること、
一人一人の心に触れてくださっていることに心から感謝します。
これからのお一人一人の信仰の歩みを導いてください。
そして、あなたの奇跡によって、一人でも多くの方々が、
導かれ、あなたの愛に突き動かされて歩む、信仰の歩みをスタートすることができますように。

2006-07-26

同じしもべ仲間

今日は久しぶりにNYの早朝祈祷会に出席。
3人で心を合わせて教会のこと、教会の方々のこと、
そして、特にNYで働いておられる方々のことを覚えてお祈りしました。

午前中はいろいろな連絡や仕事をNYPublic LibraryのMidtown Branchでしています。
まるでNYにオフィスを持っているかのような気分です。
図書館なので、電話がかかってきても、その場では出られないこと、
たくさんの人がいるので、コンピューターを起きっぱなしにして席を立てないこと、
などはありますが、全然不便とは思わないです。
安上がりなJCCNJ-NY Officeですね。

NJの郊外に住んでいる私にはNYに出てくると、人の多さに圧倒されます。
もっともっとここで伝道したいなあ、と夢は広がります。
そのこともお祈り中です。
神様がどんなビジョンを与えて下さるか、今は「待ち」です。

今朝はマタイによる福音書18章を読みました。
今日のところの最後の方では、「赦しなさい」という話が出てきます。
私の好きな話の一つです。
1万タラント・・・日雇いで働く人が5000回人生をして、稼げるお金・・・の借金を主人に帳消しにしてもらった人が、同じ主人の下で働く人に貸していた100デナリ・・・同じく100日働いて稼げるお金・・・を赦せなかった、そしたら、彼を赦した主人が怒って、彼のことを牢獄に入れてしまった、という話です。

100デナリなんて「はした金」だ、と説明してある本もあります。
でも、待って下さい。100デナリって、すごいお金ですよね。
100日働いて・・・ってことは週休1日で大体4ヶ月。週休2日だと5ヶ月くらい働いて稼げるお金です。
「簡単に赦せる」って人がおられたら、私はマジで借りたい。無利子無期限で・・・。

そんな赦せるもんじゃない。
だから、このお話は意味がある。
だから赦すことに意味がある。

お互い様じゃない。
一方的に向こうに貸しがある。
だから、赦すことに意味がある。

自分が赦されたこと、ものすごい大きな借りを神様から赦されたこと、
そのことに心を向けることです。

それはいつも思うことです。
今日はもう一つ、この100デナリを貸していた人が、
「同じしもべ仲間」と書かれているところに心が留りました。

私たちお互いは「主のしもべ仲間」なのだと。

お互いをとても近く感じました。
私たちは主のしもべ仲間なのだ。

うーん、教会でもっと使おう。この言葉。

主よ、
私にたくさんの「しもべ仲間」を与えて下さっていることに感謝します。
共に歩む喜び、共に労する喜びを与えて下さい。
どうかお互いをあなたに愛されている者、
あなたに受け入れられ、支えられている者として、
感謝して受け入れることができますように。
あなたに愛され、赦されている喜びに満たして下さい。
今日の出会い、今日の働きのために助けを与えて下さい。

2006-07-25

できないことはない

今日は昨日よりも蒸し暑さちょっとアップ。
明日はまたもうちょっとアップするみたいです。

そして、今日もちょっとだけ雨と雷がありましたが、
明日もそうかもしれません。

まあ、先週の暑さと雷を経験したら、ちょっとやそっとのことでは驚きません。
そして、今週はその驚くようなことは起らない予想が出ています。

でも、

天気ではなくて・・・

今日もまた「あいつ」が驚かせてくださいました。

昨日のようなセンセーショナルな遭遇ではなかったのですが、

きょうもまた8時すぎ、
散歩に出た(私たち家族?15歳息子)の4人が、
ウチの玄関をゆっくり横切って行く「あいつ」を目撃。

いやあ、あっちも同じ時間に散歩をするのが日課になっているのか、
そして散歩コースにウチの庭が入っているのか・・・

ぞっとしますねえ。


いつ、
「じゃ、ちょっと買い物行ってくるわ・・・」と出かけた誰かが、
玄関を開けたとたんに、たまたまそこを散歩中の「あいつ」に遭遇して、
びっくりした「あいつ」に一発スプレーを食らう、みたいなことが
起こらないとも限らないじゃないですか。

きっと。


そして、記念写真ですが
さすがに今日も「あいつ」が横切っている玄関からうちに入って、
カメラを持って来ることもできず・・・。
カメラはいつも肌身離さず持っているべし・・・ですね。


今日の午後は一人の方と個人的にお会いして、
その前後はずっとデスクワーク+電話+メール、
結構いろいろあります。

キャンプもあと2週間を切りました。
楽しみ+やらなきゃいけないこと山積み。

明日は月に一度のNY Dayです。

暑くなりそうです。

ん、でも今月こそ、長袖持っていかないと・・・。
バスのエアコンで凍えてしまわないように。


今日の聖書。
今日読んだのはマタイによる福音書17章でした。
ここで弟子たちが癒せなかった子供を主が癒やされた時に、
イエスが言われた言葉が心に刺さりました。
「信仰が薄いからだ。・・・どんなことでもあなた方にできないことはない」と。
「そうなのかな」という思いもあったわけですが、
それ以上に心に語られたのは、
「神様によってあなたにできないことはない、なのに、あなたは自分でできないと思いこんでいる」ということでした。
自分の力を信じるのではない。
主の力をどこまで信じるのか、それが問われているように感じました。
主を信じていきたいと思いました。
そして、いろんなことにぶつかっていきたいと思いました。
計算高くなりたくないと思いました。
「あなたがたにはできないことはない」・・・感謝。
今年のJOYJOYキャンプに対するメッセージとも思いました。

主よ、
どうか私の信仰を増してください。
信仰を与えて下さい。
そして、あなたの奇跡を見ていくことができますように。
あなたの不思議を見ていくことができますように。
信じます。不信仰な私をお赦しください。


2006-07-24

獣害再び、そしてあいつも再び

いやあ、今もまだドキドキしています。


40代のオヤジの「ドキドキ」は
「ちょっと不気味」
または
「発作が心配」

かもしれませんが、
まだ落ち着きません。


ホントに危なかったです。

先ほど、暗くなってきた8時20分頃、下の娘にねだられて、
庭の様子を見に行きました。


そこで、「獣害」発見!


ミニトマトの芽と葉っぱが食われています。
しばらく、獣害がなかったので、良かったなあ、と思っていた矢先。

この食われ方は、タダモノではない、
グランドホッグに違いない・・・と思って、
悔しさの余り写真を撮っていたら、
そこにホタルが何匹か・・・。

そして、今度はホタルの撮影に挑戦。
ただのコンパクトカメラですから、まあ、ちゃんとは撮れないのですが、
光った瞬間をキャッチ。


わからないかもしれませんが、
手前右が食われたミニトマトの茎。
そして真ん中の上の方の黄色い光がホタルの光です。


そして、もうちょっといい写真が撮れないかなと思いつつ。
次のシャッターチャンスをねらっていると・・・
そこにゴソゴソ・・・と歩いてくる何者かの足音が・・・。


ん、グランドホッグのヤツ、こんな時間にのこのことやってきたか・・・
脅かしてやろうと、顔を上げた時、
私の目に飛び込んできたのは、



黒い体に一本だか二本だかの白い筋・・・



そう、そいつはあいつだったんです。
愛読者の皆さんだったらわかりますよね。
あいつ。


だめ、絶対脅かしてはいけない。
脅かし体勢に入っていた自分の体の暴走を何とか食い止め、
次の瞬間にはヤツに背中を向けていました。


山で熊に出会ったら、一発で襲われるタイプです。自分。


でも、焦ったのなんのって、ぶっ飛んで慌てて家の中に駆け込みました。
もう二度とあのスプレーを浴びたくありませんからね。
去年はちゃんと臨戦態勢を整えてから浴びたのですが、
出会い頭の一発はたまったもんじゃありません。

一目散」という言葉がありますが、
それがぴったり当てはまる慌て方でした。

でも今思うと、せっかく手にカメラを持っていたんだから、
記念に一枚くらい撮っておけば良かったなあと悔やまれます。

でも、やっぱり無理だったかな。

家に入って窓から庭を見ると、
向こうも慌てて来た方向に戻っていきます。
去年ワナにかかったのを放したヤツが戻っていったのと
同じ方向に歩いていきました。

ウチの軒下に向かっていかなかったのがせめてもの救い・・・。

深呼吸。

でも、まだ、心臓のドキドキが止まりません。


止まりませんが、聖書の話に進んでいきます。
今日読んだのはマタイによる福音書16章
イエスが弟子たちに聞きます。
「あなたはわたしを誰と呼ぶか?」
それに対するペテロの答えは
「あなたこそ、生ける神の子キリストです」
でした。
イエスはそれを喜ばれて、自分の使命について語り始められます。
「自分はこれから苦しめられて、殺されるのだ」と。

でも、弟子たちはもちろん、そんなこと受け入れられません。
さっき、イエスに喜ばれたペテロは、今度は
「イエスさま、そんなことがあっていいわけはありません」と言うのです。

その時、ペテロをしかったイエスの言葉が心に留りました。

「あなたは神のことではなく、人のことを考えている」

自分の心が探られるような思いがしました。
本当に自分は神様のことを考えているだろうか、
自分の考え、自分の願い。
それも、神様を計算に入れるのではなくて、
神様の思いを考えるのではなくて、
人の考え、人の顔色、を見て、判断していないだろうか?

いつもいつも神様の御心を求めていくものでありたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたのことを思う者として下さい。
あなたの御心を求める者としてください。
自分の思い、人の顔色、
それよりも、
あなたの御心を求める者としてください。
あなたのお考え、あなたの方法を教えてください。

2006-07-23

それをここに持ってきなさい

今日は一転涼しく、また夕方からは爽やかになりました。
最高気温は26度くらいまで行ったようですが、
今は夜の12時前で20度を切っています。
いいですね。
こういう天気が続いて欲しいものです。
でも、「そうは問屋が卸さない」。
明日までは湿度も低いみたいですが、
あさってからはまた蒸し暑い日が週末にかけて続くようです。

JOYJOYキャンプまであと2週間になって、
キャンプ自体はほとんど建物の中なのであんまり心配していないのですが、
午後上級生の男の子を外に連れ出すので、
雨やめちゃくちゃ暑いのだけは、何とか避けて欲しいです。
大体毎年大丈夫で、ちょうどいいか、「今年は暑いよね」くらいですむのですが、
先週の月火みたいな暑さや
木金土みたいな雨が続くとそれはお手上げです。

これからは天気予報が趣味の世界ではなくって、
マジに見るようになります。

今日の礼拝もたくさんの方々と守ることができました。
初めての方々や久しぶりの方々もおられて、うれしかったです。
そして、何よりもうれしいのは心からの賛美。
ただの音楽じゃないんですよね。賛美なんです。賛美。
賛美しました!もっと賛美したいと思いました。

今日の聖書は昨日の間違いにより本来昨日読むはずだった、
マタイによる福音書14章。
特に18節の「それを、ここに持って来なさい。」という言葉がもう一度語られました。
そう、この言葉は、今から9年前に私がこの教会の牧師として立つ時に与えられた言葉。
ちょうど今から9年前の今頃でしたね、就任式。
早いものです。
自分の手の中にあるものがどれほどちっぽけに思えたでしょうか?
周りの状況がどれほど大変に見えたでしょうか?
そんな中で、主が語ってくださった言葉でした。
弱くていい。小さくていい。情けなくていい。
ただ、この方のところに自分の手の中にあるものを持っていく勇気さえあればいい。
「持ってきなさい」というお方の声に、「ハイ」と言える気持ちさえあればいい。
「こんなもの・・・」と思いつつも、従う単純さだけがあればいい。
そう信じて、従いました。

この7月。本当に主はたくさんの奇跡を見せてくださって、
今、本当にここに生かされている喜びを感じています。

でも、主のなさる奇跡はもっと大きいんだろうと思います。
もっともっとたくさんの方々が神様に出会って、
人生が変えられて、喜びに溢れて歩んで行かれる姿、
それを見たい、見せて頂きたいと思います。
「人々は食べて満腹した」とあります。
その奇跡を見せて頂きたいと祈ります。

主よ、
もう一度、語ってくださってありがとうございます。
あなたの手に、わたしの「5つのパンと2匹の魚」が渡される時、
あなたは人々が満腹するほどまでの大きなことをしてくださると語ってくださいました。
それを信じて、信頼して、ここまで歩んできました。
その中には、「どうして・・・」と思うようなこともありました。
未だに納得いかないことだってあります。
でも、今も信頼しています。
あなたは人々を満腹にしてくださる方だと。
あなたはこの地域に住む方々、出会う方々に豊かに与えて下さる方だと。
どうか、あなたの奇跡をもっと見せてください。
人がイエスに出会って、変えられる奇跡を。
主よ、もっともっとたくさんの御業をなしてください。
もう一度、このパンと魚とをあなたに捧げます。

2006-07-22

いったいどこから

右の方にカレンダーをつけました。
この日付をクリックするとその日の記事に飛びます。
マタイによる福音書1章が7月9日でしたから、
マタイ4章の場合は8+4で7月12日に出てきます。
今のうちはいいのですが、そのうち、計算が面倒になるでしょうから、
聖書のどこの箇所を何月何日に読んだか、読む予定か、
一覧表のリンクも作っておこうと思います。

今日もたくさん雨が降りました。
2日で100ミリくらい降ったのではないでしょうか?
庭に出しっぱなしになっている洗面器は水がいっぱいにたまっています。
ちなみに昨日は38.4mmの降水量。今日も同じかそれ以上降っているでしょう。
でも何だかやっと峠を越したようです。
今、夜の10時半ですが、これからはもう余り降らないでしょう。
そして明日からあさっては湿度もちょっと下がり、
ちょっと過ごしやすくなると思います。ちょっと。
期待も込めて・・・。

今日はマタイによる福音書15章を読みました。
最後の方にイエスが人々に食べ物を与えようとなさる様子が出てきます。
その時に弟子たちは、「こんなへんぴなところで、いったいどこから食べ物を調達するんですか」
というのです。
自分もそんなタイプだなと思います。
いったい、どこにそんな人材がいるのか、
いったい、どこにそんなお金があるのか、
いったい、どこから・・・と。
自分を見ても、周りを見ても、「無理をしない」ということが先ず頭にきます。
でも、イエスは他の供給源を見ておられた。
手許にあるパンを見ていたのではなかった。
手許にあるパンを用いて、
でも、それを何倍にもする力のある方であった。

私も自分の手の中にあるもの、
自分の周りにあるもの、
それを見るのではなくて、
神様を見ていこうと思った。
神様の奇跡を見せて頂きたいと思った。
「いったいどこから・・・」
それは神様から!
私たちの手の中にある小さなものも、
主の御手の中におちいる時には、
大きく用いて頂ける!
それを信頼していこうと思う。それを信じていこうと思う。

主よ、
あなたの御手にあれば、
私のこの手の中にある少しのものも、
ちいさなものも、
人々の心を、魂を満たすために用いられることを、信じます。
あなたの奇跡をなして下さい。
明日も、明日の礼拝でもあなたの奇跡を見せてください。

2006-07-21

大喜びで・・・

今日は朝も夕方もすごい雨でした。
そして今また夜11時50分ですが、
雷雲が南から上がってきています。
そして、温度は高くはないのですが、
蒸し暑いです。
今も23度くらい何ですが、とにかく湿度が飽和状態。
空気が肌にねっとりまつわりつく感じです。

明日も今日と同じような天気になりそうです。

大雨にご注意。

今日はさっそく聖書の話。
マタイによる福音書13章を読みました。
ここには「神の国のたとえ」がまとめて出てきます。
その中で今日心に残ったのは、その44節の宝物の話です。
ある人が畑を耕していて、宝物を見つけたら、
大喜びで全財産を投げ出して、その畑を買って、
宝物を手に入れる、という話です。
これは2通りの読み方があります。
一つは、この宝物は「福音」すなわち、
キリストの十字架の救いを表していて、
見つけた人は私たちです。
私たちはこの福音を見つけた時に、
すべてを犠牲にしても惜しくはない。
そして、それを「いやいや」ではなくて、
「大喜びで」するのです。
それくらい「神の国」「福音」には価値があるのです。

もう一つの読み方は、
この宝物は「私たち」です。
私たちのために、私たちをご自分の物とされるために、
イエスはすべてを犠牲にされた。
それも大喜びで・・・。

どちらもそうだなあ、と思います。
でも、今日は、この2つ目の読み方をして、感謝しました。
私たちのために大喜びですべてを投げ出してくださったイエスに感謝しました。

主よ、
あなたが私を宝物としてくださることに感謝します。
あなたが私のために、すべてを投げ出してくださったことに感謝します。
私も福音のために、すべてを投げ出していきたいです。
私の心の中をご覧になって、私がまだ投げ出していないもの、教えてください。

2006-07-20

ただただ単純に語る

今日は午前中は風もあり、
気温も低く涼しいスタートでしたが、
午後は蒸し暑く、夜になってますますむっとしてきたように感じます。
最高気温は30.7度。
今も24度ありますが、それ以上に湿度が高いと思います。
明日から、日曜日までは雷雨もあり、ムシムシした天気、
月曜日からやっとカラッとするみたいです。

今日の夜9時頃、
カミさんが、みんなに見せたいものがあると、
散歩に誘いました。

何々?人面木かなにか?
と聞いたら、「いい線行ってるねえ」とほめられて、
連れて来られたのがこの木のところ。
「人面木」は多分、自然にできた模様が人間の顔みたいになっているんでしょうが、これはまさに、
「人面木キット」
木に釘を打って、そこに引っかけるようになっているので、
鼻水とよだれのように樹液が出てきて、ますますアブナイ感じですね。
写真を撮っていたら、この家の奥さんが、窓から、
「もう一セットあるから、持っていく?」と聞いてくださいました。
もちろん、「いいんですかあ?」(もちろん英語なので、Yes, thank you!と答えましたが、気持ちは「いいんですかぁ?」でした)と頂いてしまいました。

このところ毎日、4、5本ずつきゅうりが穫れていたのですが、今日はお休み。明日は多分2本。
ちょっと暑さで参ってしまったようです。ずいぶん枯れてきてしまいました。
3株で60本は行くと思うのですが、その後はどうかな。

今日の聖書はマタイによる福音書12章でした。
その中に人々がイエスに「何か奇跡を見せてくれ」と言います。
その要求に対して、イエスは、「メッセージを聞いて信じないならば、奇跡を見てもしょうがない」と言われます。
そして、旧約聖書の中でヨナという人がニネベという町の人々に、
メッセージを語った時に、彼らがそれに聞き従ったことを例に挙げています。
彼らは特に奇跡を見たわけではない。
でも、ヨナの警告のメッセージを聞いた時に、
自分の人生を方向転換をして、神に従って歩み始めた様子が書かれています。
ここを読んで、
自分の使命もこれだなあ、と思いました。
何か物珍しいことをするわけではない。
人が喜ぶような話をするわけでもない。
ただただ、聖書に書かれていることを愚直に語っていく、
それが自分の使命であり、
それが本当に大切なことであり、
それによって神の許に帰っていく人々がいることを、
思わされました。
人の影響を受けることも気をつけなければいけないと思いました。
今いろんな目新しい方法がはやってきています。
でも、そんなことに振り回されない、
単純な福音を語ること、
十字架の救いを語ること、の大切さを教えられます。

主よ、
ヨナが単純に警告の言葉を語った時に、
人々はあなたの元に帰っていきました。
私もそのような単純な者でありたいと思います。
神様が語れと言われたことを、単純に語る者でありたいと思います。
どうか、先ず私自身に語ってください。
そして、あなたによって語られたことを、
分ち合う者としてください。
日曜日のために、メッセージを与えて下さい。
あなたのメッセンジャーとして語らせてください。

2006-07-19

負いやすいくびき

今日も結構暑くなっています。
湿度もそんなに低くありません。
期待していた分だけ、暑く感じます。
最高気温は31.8度C。
それとも、昨日までエアコンがフル回転状態だったのが、
今日はそれほどでもないので、
湿度の分だけ家の中が暑く感じるのでしょうか?

今日、娘達がつけた巣箱に小鳥のヒナを発見。
わかります?巣箱の中の口ふたつ?
娘達大喜び。


去年のクリスマスに6年生の娘に「何が欲しい?」と聞いたら、
×ポッドとか、携×電話とかではなく、
「小鳥の巣箱」・・・と。
なんて経済的かわいいんでしょう!と喜んで買ってあげた巣箱、
カミさんと妹と一緒に色を塗って、パパと木に縛り付けておきました。
その後、しばらく「来ないねえ」と言っていたのですが、
春になってから、枯れ草が運び込まれている様子。
「巣を作ったみたいだよ・・・」
でも、親鳥の姿もヒナの姿もなく、「どうしたのかねえ」みたいな感じでした。
それが7月になってから、「ヒナ誕生!」ですから大喜び。
ヒナがしきりに口を開けて待っている様子、
親鳥が一生懸命エサを運ぶ姿、
人間社会とだぶります。ハイ。

それと共に私たちが神様に求める時に、
このように求めていいんだと思いました。
「あなたの口を広く開けよ、私はそれを満たそう。」詩篇91:10

今日の聖書はマタイによる福音書11章でした。
その最後にこんな言葉があります。
「私が与えるくびきは負いやすく、わたしが与える荷は軽い」
イエスは私たちいろんなストレスで重い荷を負って苦労している者たちに、
「わたしの所に来て休みなさい」と招かれます。
でも、それと共に、「私が与える荷を負いなさい」と言われるのです。
どっちなんだと思いますが、
両方なんでしょう。
イエスの下に休む歩みは、
イエスの与える荷を負って歩む歩み。
それは私のために特別に作られた、
カスタムメードの使命。
他の誰かではなく、私のために準備された荷物がある。
でも、それを負う歩みは、
負いやすい、軽い荷なのだと・・・。
喜びを感じる、平安を感じる荷なのだと・・・。

主よ、
あなたが私のために特別な使命を与えて下さっていることに、
心から感謝します。
その荷を喜んで負いたいと思います。
どうか、あなたが守り支えて下さい。
道を外れそうになる時に、教えて下さい。
逃げたくなる時に、「おまえ、違うよ」と語ってください。
あなたの与えて下さる荷なら、負うことができます。
私のためによく考えて、与えて下さる荷だから。

主のために

これは7月18日の分。
更新遅れました。
何でかというと、停電。
昨日の夜はすごい雷でした。
雨自体はそんなにたくさんではなかったのだと思いますが、
とにかく風と雷で、10時半頃停電してしまいました。
何時に復旧したかは不明。

ちょうどYがMに追いついたところ、
その後向こうも雨で中断になった頃でした。
「今日見に行った人は盛り上がっただろうなあ、でもこの雨で大変だろうなあ・・・、延長戦は明日に響くだろうなあ」と思っていた矢先、ぶちっと切れました。
「もう早く寝なさい」という神様からのメッセージだったのかも・・・。
その後すぐ家族みんなで寝てしまいました。

YがMに11回までやって勝ったことも、朝になってから知りました・・・、

昨日はその雨まではめちゃくちゃ暑かったです。
連日の37度台。
でも、今日からは何とか涼しくなるみたいです。
これは天気予報当たって欲しいです。

昨日は朝教会でお祈りの日。
午前中も、午後も個人的にお話をしました。
そして、一人の方に昨日の御言葉「あなたの罪は赦された」の祈りをする幸いを経験しました。
そして夜にも「洗礼を受ける決心をしました!」ともう一人の方からメールを頂いて、
本当に心から感謝をしました。

昨日はマタイによる福音書10章を読みました。
その中で、39節の言葉が心に留りました。
「自分のいのちを自分のものにする者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします」という言葉です。
「自分のいのちを自分のものとしていないだろうか」と問われたように思ったのです。
本当に自分は自分の命を主のために捧げているだろうか、
結局は自分のために使っているのではないだろうか・・・と。
求めていきたいと思いました。
もっともっと主のために生きるとは、主のために自分のいのちを与えるとはどういうことなのかを、
求めていきたいと思いました。
一つ、ヒントはイエスがこの後に語っていること、
人のためにすることはイエスのためにすること・・・。
人に仕えること、それを求めていこうと思いました。

主よ、
あなたに私のいのちを与えることを教えて下さい。
自分のために生きるのではなく、
あなたのために生きることができますように。
人に仕えることができますように。
仕えることを教えて下さい。

2006-07-17

あなたの罪はゆるされた

今日は暑かったです。
かきごおり家の温度計は37.2度まで上がりました。
下の娘とプールに行ったのですが、
お子ちゃまプールだったので、プールの水も生ぬるいくらいでした。

今真夜中12時ですが、外の気温は27.7度。
熱帯夜になるかもですね。

明日ももう一日37度まで上がって、
その後、30度くらいの日に戻るようです。

夜はYの応援に行ってきました。(多分3年ぶり)
対戦相手のMが今年は迫力がなくて、ちょっと楽勝パターンでしたね。
両チーム合わせて7つのエラーが飛び出す始末でしたが、
とにかく最終回が盛り上がったので楽しかったです。
バットが一本スタンドに飛び込みましたが、
今度はわたしのところではありませんでした。上の方だったしね。
でも、ホント、あの大きなスタンドを見ると、あの3年前バットが飛んできた、
ことのすごさを思わされます。
今度はイチローのがいいかな。

今日は午前中ちょっと打ち合わせがあって、
夕方、プールから帰ってきたら、
サプライズゲストが来られていました。
明日もいくつか人にお会いするお約束があります。
幸いな働きをさせて頂いています。

今日の聖書はマタイによる福音書9章。
その2節には「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦されたのだ」という言葉があります。
日曜日の洗礼式で、2回、この言葉を語る幸いを経験させて頂きました。
本来、このパリサイ派の人々が言うように、そんなことは私たちが言えることではありません。
神様以外に言うことのできる人はいない。
でも、イエスが十字架の上で私たちの罪を背負って下さったがゆえに、
そのように語ることができる幸いを今日も感じました。
本当はそんなこと言えない。
でも、言うことが許されている、
いや、私たちはこの言葉を語る責任、使命がある。
その幸いを思いました。
責任の重さも思わされました。

主よ、
私にも、この言葉を語らせてくださっている幸いを感謝します。
これからも多くの方々に、この赦しの福音を語ることができますように。
赦しの宣言を語ることができますように、
私を用いてください。
多くの方々があなたによって救いにあずかることができますように。

2006-07-16

私をきよめることができます

今日は暑かったです。
35度。でもずっと教会にいたので、よくわかりませんでした。
教会エアコン効き過ぎ。
日本人が使う時は調整して上げておくのですが、
教会を持っているアメリカ人の教会が71度F=22度Cに設定しているので、
「もったいない!」とか言いながら、「寒い!」と言いながら、78度Fとかに上げて回っています。
日本では28度Cですよね。ということは82度Fくらい。
それはちょっと暑いかな・・・。

明日は36度位の予報。
うちの温度計は大体予報の2-5度上だから、40度も夢ではありません。

今日のメインイベントは「洗礼式」。
良かったですよ。
二人の方が洗礼を受けられました。
感謝。
その様子をご覧になって、
「私も受けたい・・・」と来られた方もおられました。
そのような祝福に溢れた一日でした。

そんな心地よい一日の後、
今日からの帰り道。
今日は車2台で教会に行ったのですが、
途中で、前を走るカミさん運転の車のタイヤがフラットになっているのを発見。
停めて、その場でタイヤ交換。
真っ昼間ではなかったのが救い。
でも今回は高校生を乗せていなかったので、
一人でやりました。
大汗をかきました。
何か、最近多いなあ。前回は4月だから、3ヶ月で2回!

9時頃眠かったのですが10時頃から復活。
でも、まあ、早く休もうと思います。
基本は月曜日が休日なのですが、明日の午後は娘達とプールの約束。
夜は久しぶりのYの応援。旅行会社のプロモーションでいただいた券ですが、
とても高いところです。(値段じゃなくて物理的な高さが・・・)

今日の聖書。
マタイによる福音書8章を読みました。
その2節の病気を治してもらう人の言葉が心に留りました。
「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」
この信仰をもちたいと思いました。
それととも自分が本気で主の前に出ているかが問われているように感じました。
何か甘えの気持ちがあるのではないか、
逃げの気持ちはないだろうかと思わされました。
そして、この祈りを捧げたいと思いました。

主よ、
どうかわたしをきよめてください。
私の心の奥底までも、聖霊様の炎で焼き尽くしてください。
あなたにはそれができると信じます。
不信仰な私を、助けてください。
甘えている心を、焼き尽くしてください。

2006-07-15

御心を行う

今日は思いの外雲が多く、ちょっと雨なんかも降って、
意外と暑くない・・・(決して涼しいとは申し上げませんが・・・)日です。
30度くらい。朝は20度以下にまで下がっていて、気持ちよいくらいでした。
でも、この雲が抜けると、気温の高さと湿度の高さがどーんと上がって、
酷暑になるでしょう。

明日は34度くらい。
月曜日は36-37度。こちらで使う華氏では100度の予想です。
体温並みです。

無理は禁物ですよー。

昨夜は「深夜祈祷会」だったので家に帰ってきたのが12時15分くらい、
それで寝たのが1時過ぎだったと思いますが、
何だか最近、おじいさんになってきたのか、
ゆっくり休もうと思っても、6時前に目が覚めることがあります。
今朝もそうでした。
ですから、もう夜に仕事をするのは止めて、朝型人間になろうと思います。
午前中に一日にすべきことの6割を終わらせるべし・・・
今月の「ハーベストタイム」の中川先生のコラムからの一文。
よって、更新もこれから深夜よりも、昼間や夕方が増えていくでしょう。
夜、眠くなるから・・・。

でも、おかげで今日は朝の聖書+祈り+デスクワークが快調にはかどっています。

しかーし、ちょうどここで、カミさんからの指摘が入り、
明日の礼拝の中での子供向けの話、なぜか1ヶ月先を準備していることに気づく。
夕方の6時前。これから教会で祈り会で、帰ってくるのは9時頃、
ということは、やっぱり眠い目をこすりながら子供のお話を考えることに・・・
でも、明日の子供向けお話の内容は「なんて明日にふさわしいんだ!」というところ。
うーん、神様はすごい!
カミさんもすごい!うん、前の日に指摘してもらって良かった。
当日だったらパニックだった・・・。
感謝。


今日の聖書。
マタイによる福音書の7章。
山上の説教の最後の部分です。
------------------------------------ここからが集会の後、午後10時過ぎ。
その中で、イエスのこの言葉が心に留りました。
「わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。」(7:21)
御心を行う。
その後には、「私は伝道しましたよ、私は奇跡も行いました・・・」みたいな人々が出てくる。
でも、そうであっても、「御心を行わないならば・・・」とイエスは言われている。
そうなってくると「御心って何?」ってなりますよね、当然。
で、箇条書きで「これですよ」って言える部分もあると思います。
少なくとも、5章から7章までに出てくること、とかね。
でも、「伝道もしている」「イエスの名によって奇跡もしている」って言ったらすごい人じゃないですか。
それに、「御心」って私たちはすぐ「伝道」って思いますよね。
そんな人でも、「御心を行っていない」可能性があるわけですよね。

だから、「これが神の御心だ!」って箇条書きにすることよりも、
「主よ、あなたの御心を教えて下さい」と祈ることの方が大切だと思う。

ヨハネによる福音書の10章2節から4節。
「門からはいる者は、その羊の牧者です。門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」
羊飼いの声を知っている・・・そのような神様との関係、キリストとの関係を持っていくことの大切さを思わされます。

明日はまたまた洗礼式です!
大きな喜びです。

主よ、
あなたの御心を教えて下さい。
自分のわがままな願いではなく、
自分中心の思いではなく、
また人の顔色を見て、人を喜ばすことではなく、
あなたの御心に従っていくことのできる者としてください。

2006-07-14

神か富か

暑いですねえ。
今日の我が家の最高気温は34.3度。
朝は爽やかに19度だったのですが、強い日差しでぐんぐん温度が上がって、暑い一日となりました。

でも、これはまだ序の口とのこと。
月曜日にかけて、どんどん暑くなるようです。

最近、夜がめっぽう弱くなったので、
そして、今日は10時から「深夜祈祷会」なので、
今のうちに更新です。

こちらの写真は何かというと、
コーンです。
コーンの雄花です。
背丈は1メートルあるかなあ、
という低さなんですが、

もう雄花が咲き始めました。
ちょっとたたくと花粉が風に乗って飛びます。

そして、ちょっと遅れて、雌花も咲き始めました。
おなじみコーンのひげが伸びてきています。
これがめしべなのかな。
そして、この一本一本とコーンの一粒一粒が対応するみたいです。
つまりこの一本一本に花粉がつくことによって、
コーンの一粒一粒が実っていくみたいです。

きゅうりは今日はお休み。
明日も1本だけみたいです。

いんげんももう峠を越えてしまったのでしょうか。

昨日、今日を合わせても10本です。

今日の午前中も個人的にお会いする方がいて、
午後は日曜日の礼拝の準備です。
明日の午後はこの地区のクリスチャンの合同の集まりがあって、夕方には教会の祈り会。

集会が少ないと、個人的にいろんな方にお会いするチャンスはあるのですが、
その分、そういうアポイントを調整しないと、なかなかお会い出来ないという面もあります。
明日、あさっての週末に、皆さんにお会い出来るのは楽しみです。

中東情勢、心配です。
世界はどのようになっていくのでしょうか。
「平和」だと思っているのは思いこみで、今私たちはとても危ないところにいるのかもしれません。

今日の聖書。
今日はマタイによる福音書6章でした。
今日心に留った言葉は、
6章の24節の、「神と富との両方を主人とすることはできない」という言葉です。
子供の頃から、「いかにして少ないおかずでご飯を食べるか」を考えて食事をしてきた私は、
大人になってからは「いかにして決まった収入の中で、少しでも貯めていけるか」を考えるようになりました。特に留学生だった頃は切実な問題でした。
神様を愛しているのか、
お金を愛しているのか、
聞かれたら、もちろん、速攻で「神様」と答えるでしょう。
でも、自分がそのような生き方を具体的にしているだろうか、
そのことが問われているように思いました。
バカのように神様を信頼して、
単純に「神様が必ず必要は与えて下さるから、神様のことしか考えていない」
そんな生き方をしたいと思いました。

神様、
あなたが今までもいつも必要を満たしてきて下さいました。
これからも守って下さい。
単純に、バカのように、あなたの御心だけを求めていく者でいられますように。
他のもので心が占められてしまうことがありませんように。

2006-07-13

ありもしないことで・・・

今日は昨日から一転、いい天気になりました。
暑さも30度くらいで、まあまあ、我慢出来ないほどではありませんでした。

今夜も昨日の夜の蒸し暑さに比べるとずっといいみたいです。
20度くらいには下がってくれるようです。
でも、明日からはガンガン温度が上がって行くみたいです。
暑い日が続きそうです。


そして今日は雨上がりを待っていたかのように蝶が舞っています。
かわいいモンシロチョウ。
でも、その幼虫はあのあおむしちゃんですよね。

しっかり、ブロッコリーの葉っぱにたくさんの卵を産んでいます。
ほとんどは葉っぱの裏なのですが、これは表側。
この話を思い出して、あおむしちゃんが蝶になるのを子ども達に見せようかとも、
ちょっとは思ったのですが、
やっぱり、もうすでに、リスやグランドホッグやチップモンクに
いろんなものを食べられているわたしはこれを見逃すわけにはいきません。
情が移る前に、つぶして回りました。

悪く思わんでくれよ・・・、と思いながら、
それ以上に、「これを仕事にしている農家の方々は大変だろうなあ」と思いながら・・・。

今日はまた普段の生活に戻り、
朝は個人的にお会いする方がいて、
午後はデスクワークや電話。
そして、またこの後、お会いする方があります。
夏は集会が減るので、本当に個人的にお話をする時を大切にしたいと思います。

そして今日の聖書。
今日はマタイによる福音書5章。
「山上の説教」と呼ばれるのがこの5-7章。
その一番最初の部分です。
その中で、イエスが言われたこの言葉が心に留りました。
「わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。」5章11節の言葉です。
その中の特に「ありもしないことで悪口雑言を言われた時に・・・」という部分。
ありもしないことで何か言われたら自分はどうなるだろうかと思いました。
怒るだろう、嘆くだろう、やっていることを投げ出して、「勝手にしろ!」と言うのではないかと・・・。
でも、そんな時が来たら、「幸いだ!」とイエスは言われるのです。
喜びなさい、と続きます。
できるかなあ、と思います。
取り越し苦労で、そんなことが自分の人生に起らないようにと願います。
でも、たとえそれが起ったとしても、恐れる必要はないんだな、
と思いました。
主に従っていく時に、そういう目に遭うこともある、
その時には喜べと、もしも主に従っていくならば、
どんなことがあっても「喜べるのだ」と言われたような気がしました。
素直にイエスさまが言われたように、喜べる者でありたいと思います。

主よ、
あなたに従います。
あなたの福音を単純に愚直に語らせてください。
そして、もしも、ありもしないことで非難されるようなことがあったら、
それをも喜ぶことができるようにわたしを支えて下さい。

2006-07-12

人間を取る漁師にしてあげよう

そして、続いて水曜日の分。
今日はすごい嵐でした。
出先から帰ってくる途中。
ものすごい雨でした。
I-87のWoodbury CommonsのあるあたりからMahwahの間。

土砂降りで、雷が鳴っていました。
その雷雲が東に進んでいった時に、Westchesterでは竜巻を発生させたようです。
帰ってからニュースを見たら騒いでいました。
いつもなら、Taconic State PkwyからSaw Mill River Pkwyに入るのですが、
今年はよく大雨でこの2つのPkwyが通行止めになっているという交通情報を聞くので、
途中から西に走ってI-87に回りました。
結果的には正解でした。
Saw Millは5時間に渡って通行止めだったようです。


そして蒸し暑い!
山の上のキャンプ場から、平地に戻ってくると、とにかく暑い。
今夜もさっきまたすごい雷雨が来ましたが、夜中、何回か雷が鳴りそうです。

明日もまだ蒸し暑いようです。そしてもうちょっと雷雨。
そして週末にかけて、雷雨はなくなるようですが、暑くなるようです。
ふー。


そして、2日間、家を空けて帰ってきたら、
きゅうりが大きくなっていました。
最大24センチ。家にいたら、20センチ近くなったら、どんどん取ってしまうので、
こんなに大きくなることはありません。それも8本。
それにナスも1本。インゲンは16本。

しかーし。
ナスをリスが食べてるんですね。
これは犯行現場をばっちり目撃。
おしりが食われたナスの実や、ちぎれて落ちているナスの実。
そして、根元が掘り起こされている株。
うーん、どうして家はこんなに動物たちがねらってくるんでしょうか・・・。
人がいないとわかると、我が物顔ですからね。
明日からは存在感をガンガン出していこうと思っております。

そして、今日は人に対しても
そのような情熱と、愛情をもって、そして、
守っていくんだぞ、という熱い思いを持って、
歩んでいきたいと思いました。
祈りつつ。

そして、今日の聖書。
今日はマタイによる福音書4章。
その最後の方の、イエスが、弟子たちを招かれた言葉に心が留りました、
と言うよりも、主が私に語ってくださいました。
「あなたがたを人間を取る漁師にしてあげよう」というイエスの言葉です。
この言葉が私の心に語られました。
主が「してあげよう」と言ってくださる。
私をそのようにしてくださる。
それを信頼してしたがっていきたいと思いました。
そして、人をイエスのもとに連れて行く存在となりたいと思いました。
多くの方々との出会いを与えられていることに感謝しました。
また必要な訓練があれば、それを神様から与えて頂きたいと思いました。
そして、そこから逃げない勇気を与えて下さい、と祈りました。

すべて、主が「あなたを人間を取る漁師にしてあげよう」
と言ってくださるのであって、
「あなたは人間を取る漁師になるように努力しなさい」と言われたのではないことが、
心に響きました。

主よ、
私を御言葉通り、
人々をイエスさま、あなたのところにお連れする働き人として、
お用い下さい。
そのために必要な訓練があれば、あなたが与えて下さい。
御言葉通り、わたしをそのような者としてくださることに感謝します。

聖霊の火

無事に帰って参りました。
月曜日の午後から、

教会のメンバーのある方が主催するキャンプの訪問。
教会のキャンプではなくて、一般のキャンプ。

山の上にこんな湖があります。
透き通った水で、たくさんの魚がいます。
そこで生き生きと子ども達が楽しく過ごしています。

火曜日の夜には子ども達に、
「君は愛されるために生まれた」のメッセージを語らせて頂きました。
子ども達の反応に励まされました。

生き生きとしている子ども達の姿を見ると、元気が出ます。

そんな中で、ゆっくり祈る時、今度は教会のJOYJOYキャンプについて思いめぐらす時、
与えられました。
コンピューターも持ち込まず。携帯も通じない・・・。
いいところです。でも、何とか連絡を取ろうとされた方、ごめんなさい。

火曜日の聖書。
マタイによる福音書3章を読みました。
3章はバプテスマのヨハネというイエスの先駆者ともいうべき人が、
イエスのことを紹介するところです。
そこに、「私は、水によってバプテスマを授けるが、この方は聖霊と火とによってバプテスマを授ける」
というヨハネの言葉があります。
イエスは「聖霊と火とによってバプテスマを授ける」方。
火をもってきよめ尽くす、不純なものを燃やし尽くす方です。
そのような御業を私のうちにしてください、と祈りました。
求める者に聖霊をくださらないことがあろうか、その聖書の言葉も思い出しました。
イエスの弟子たちを造りかえた聖霊様。
勇気と力を与えた聖霊様が、私をも満たし、不純なものを焼き尽くし、
きよめてくださいますように。

神様、
私を聖霊様によって満たしてください。
そして、不純なものを焼き尽くしてください。
そして、あなたの喜ばれることが、私の喜びとなっていきますように。

2006-07-10

怒った王様、喜ぶ博士たち

昨日、やっぱり雷雨でしたねえ。
結構降ったみたいでもあります。
私はほとんど寝ておりました。
記憶の片隅に、何か鳴ってたよなあ・・・って感じ。

今日も明日もあさっても、
昨日の夜みたいに雷雨の可能性あり。
そして蒸し暑いでしょう。

今朝もきゅうり2本、インゲン9本収穫。
この後も好調でしょう。
トウモロコシも雄花の穂が出てきました。
雌花の方はまったく影も形もありません。
でも楽しみ楽しみ。

今日の聖書はマタイによる福音書2章です。
イエスの誕生の時に、東の国から博士達がやってきたところ。
博士達が、首都エルサレムで「ユダヤ人の王様としてお生まれになった方はどこにおられますか?」
と聞くのですが、その時の王様の反応を聖書は「恐れ怒った」と記しています。
この後イエスを見つけて喜ぶ博士達とは対照的です。

自分だったらどうだっただろうかなあ、と思います。

時々、「聞いていなかった」と怒られたり、
反対に自分が怒ったりすることがありますよね。

どんな気持ちなのかなあ、と考えました。

1.自分に責任があるのに、自分の知らないところで話が進んでいた。
これは怒らないとまずいですよね。
そして、このケースが一番多いのかなあ、いや一番少ないのか・・・。

2.別に「責任」って問題じゃないんだけど、
仲間だと思っていたのに、何でも分ち合っていると思っていたのに、自分だけ知らなかった。
蚊帳の外に置かれたような、取り残されたような気持ち・・・。
さびしい、がっかり。
これが一番多いかなあ。

3.別に「責任」って感じじゃないんだけど、
「一言言ってくれればよかったのに・・・」の強いやつ。
プライドとか、かな。

ヘロデ王はこれらをもっと超えて、自分の存在の危機さえも感じたんでしょう。
自分が王様なのに、東の国から来た博士達が、「ユダヤ人の王様としてお生まれになった方はどこに?」なんて聞くわけですから・・・。

自分を守らなければいけなかったヘロデ王様。
それに対照的に、自分では自分を守れずに、
神の守りで支えられなければいけなかった赤ん坊イエス・・・こちらも王様。

自分で自分を守らなければいけない、とがんばるのは止めようと思いました。
もっともっとリラックスして、肩の力を抜いて
神様に力を頂いて歩みたいと思いました。

主よ、
あなたの守りに感謝します。
あなたの守りなしには、今の私もないことを知っています。
これからも、肩の力を抜いて、
ただただ、あなたの愛に満たされて、
喜びに溢れて歩ませて下さい。

2006-07-09

日曜日を終えて

日曜日が終わりました。
礼拝の時間とサッカーの時間は同じだったんですね。
イタリアが勝ったということと、
ジダンが途中退場になったことだけ、ニュースで知りました。
ジダンはちょっと残念でしたね。


頭に来たからといってやってはいけないことがある、
というのもそうだと思うし、
頭に来てたらしょうがないよねえ、というのも、
私自身そういうところもある・・・ので、何とも言い難い。
でも、どの道でも、プロはプロとして高いレベルのプロ意識って大切だと思う。
自分を甘やかそうとするといくらでもできるから・・・。

礼拝は夏なので、いつもよりかなり少なめ。
でも、今週が一番の谷でしょう。

これからどんどん帰ってこられます。
礼拝後はJOYJOYキャンプの打ち合わせ。
だんだん具体的になってきました。
イメージが出てくるといいですね。
楽しみになってきました。
ジャングルぐるぐる探検隊。さあ、どんな探検が待っているか・・・。
あと4週間。

今朝はこれを含めてきゅうり4本収穫。
明日もいくつか行くかな。
インゲンはさすがに昨日20本の反動で3本のみ。
明日の午後からまる2日間、コンピューターのない生活。
それもまあ、いいかも・・・と。

明日の聖書のところだけ更新して、
火曜日の分は水曜日にまとめて・・・ということで。

あと、お天気情報を一つ。
今ペンシルベニアからNJに雷雲が進んできています。
もしかしたら、弱まってしまうかもしれませんが、
もしかしたら、夜中の1時頃から雷雨かもしれません。

それから、たった今、
ピッツバーグの教会の先生から、
先週の日曜日にNJで洗礼を受けられた方が、
そちらに引っ越して、すぐの日曜日に教会に来られたとのメールを頂きました。
うれしいですねえ。
祈りつつ。

一人一人のストーリー

最近、夜に、ほとんど日記のようにアップしておりましたが、
今日は朝。
朝は気持ちがいいですよね。20度くらい。
庭に出たら、ナスが育ってきていました。
グランドホッグにぼろぼろにされなかった数少ない株ですが・・・。
本当はもっとつやつやしているんですが、なかなか質感が出ません。
今週の後半にはいただけそうです。

今日は昨日よりもまた1ランク蒸し暑さがアップしそうです。
雷雨も20-30パーセントの確率で出しているところが多いです。
この先どんどん暑くなるようですね。
夏らしくなります(^^)/

今日から新約聖書を一日一章ずつ読んでいきます。
いろんな訳で聖書は発行されていますが、
今回は新改訳で読んでいこうと思います。
子供の頃のこと余りよく覚えていないのですが、
新改訳で通読するのは初めてかも。
小学校2年生か3年生の時に買ってもらった聖書がまだ使えます。

今日はマタイによる福音書1章です。
今日は読みながら、その最初に出てくる系図に心が留りました。
名前が羅列してあるだけだけれども、
その一つ一つの名前にはそれぞれのストーリーがある。
そのことを思いめぐらしていました。

最後に夫婦で映画を見に行ったのが、
確か、"Titanic"。
そのストーリーには「なんかねー」と思いましたが、
それと共に主人公達のストーリーだけではなくて、
たくさんの人が海に投げ出されていく、
その「たくさんの人たち」にも同じようにストーリーがあるんだなあ、
ってことを考えながら見ていました。

私にも、もちろんある。
そして、今日出会う一人一人にも、
今日初めて出会って、初めて言葉を交わす方にも、
その方だけのストーリーがある。
それを大切に受け止めたいと思いました。

そして、私という人間が受け止めるのはほんの一部に過ぎないけれども、
神様は一人一人のストーリーを受け止めて下さる
そのことを感謝しました。
今日の聖書の一番最後の方に、
「神は私たちとともにおられる」という言葉があります。
神様は私たちと共にいて下さる方。
ヨセフの悩みも、知っておられて、「安心して彼女を妻として迎えなさい」と語ってくださった方。
今日の私の歩みの中にも語ってくださることを待ち望みつつ。

神様、
あなたが私の人生も知っていてくださることに感謝します。
私も今日出会う誰かの人生の声に耳を傾けることができますように。
共に歩むことができますように。
今日の礼拝も祝福してください。

2006-07-08

約束された勝利

今日も暑かったですが、暑すぎず、気持ちのいい一日でした。
朝は18度、昼は30度。ちょうどいい夏の日です。
今日はキュウリもお休み。インゲンは20本収穫。

今日は記念すべき聖書全巻読了の日。
何回目か忘れましたが、188日は、自己最速かな。
一気に朗読すると100時間だそうです。
ということは黙読だったらもっと早いでしょうから、
読むだけだったら一日3時間かければ1ヶ月もいらないということでしょう。
いつかそれもやってみたいなあ、と思います。

でも今回、得たモノはどうかなあ、と思いました。
「全体像をつかむ」ほど早くもなかったし、
もう少し丁寧に読みたい気持ちも残ったし。
ということで、明日、7月10日から「新約聖書一日一章」を始めます。
260日かかりますから、来年3月頃までですね。
楽しみです。

そして、今日は黙示録の17-22章を読みました。
心に留った言葉は17:14 です。
「この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」
私たちにはもう勝利が約束されている。
悪魔の力は私たちに挑戦してくる。
憎しみや、怒りをかき立てようとしてくる時もある。
また誘惑を仕掛けてくる時もある。
けれども、「小羊」であるキリストはサタンに勝利している。
そして、私たちもこの方と共にいるならば、勝利を与えられているのだ。
勝利が約束されているのだ。
勝敗が決まっているのは、スポーツを見ている時はスリルがない。
でも、この闘いにはスリルはいらない。
圧倒的な勝利で十分。
それが約束されているのだから、恐れる必要はない、と思った。
ただ、主と共に歩むこと、それだけを心がけていこうと思った。

神様、
あなたと共に歩んでいきます。
どうかわたしを守って下さい。
あなたの力による勝利を経験させて下さい。
明日の日曜日、礼拝を祝福して下さい。
一人一人を励まして送って下さい。
そして、あなたのすばらしさを見ることができますように。


2006-07-07

忍耐

おととい、昨日と記念日が二つ続いて、
ちょっと気合いが入ったのが2日続いたので、
今日はいつものペースに戻って・・・。

今日も気持ちのいい一日でした。
朝は15度くらいまで下がって、肌寒いくらい・・・。
でも、昼間は日差しの強さが痛いくらいでした。
湿度が下がると、温度が同じでも楽ですねえ。
最高気温28.6度。

こんな天気がもうしばらく続きそうです。
さすがに15度というのはあまりないと思いますが・・・。
今、夜の12時前ですが、もう20度まで下がっています。

このいい天気で野菜君達も元気です。
今朝もインゲン13本、キュウリ2本収穫。インゲンは通算100本突破(^^)/
キュウリはちょっとこのあとスローダウンしそうですが、
インゲンはまだまだいきます。
ナスもこれからです。

今日の朝は久しぶりに集会がありました。
いいですねえ、やっぱり。
そして、今月日本に帰られる方もあり・・・。
いろいろ考えさせられました。
もっともっといろんな出会いの場があったらいいなあと、
心が触れ合うような場があったらいいなあと、思いました。

あんまり忙しくなってはいけないと思うのですが、
この地域に長く住んでいる者として、
新しく来られる方々に対して、何かすべきことがあるのでは・・・と。

そして、今日の聖書。
今日は黙示録の11-16章を読みました。
その中で心に留った言葉。
「ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。」13章10節。
忍耐ですよね。これが自分にどれだけ必要かということを思いました。
今は平和な時代から、不安な時代になりつつある時です。
いえ、もうすでに不安な時代に突入していますが、
そんな中でも、みんな「平和」な時代だと思いたい、
その名残を楽しんでいる時代かなあ、と思います。
でも、これからどんなことが起ってくるか・・・。
今日もテロリストがNYのトンネルを標的に動いていたことが報道されていました。
当局はそれをもっと前から知っていたのでしょう。
私たちは知らなかっただけ。
もしもその動きを捕らえることができなかったら・・・と考えるとぞっとします。
こんな時代だから、
だから、忍耐と信仰が大切。
本当にそう思います。
自分の子ども達の時代はもっとそうでしょう。
忍耐が大切。不安な時代の中で、何を信じていったらいいのか、という時代の中で、
見つめるべきものを見つめて、
振り回されないでいたいと思いました。

神様、
私に忍耐を与えて下さい。
私に信仰を与えて下さい。
そして、これからもっと不安が広がっていくでしょう、この時代の中で、
大切なものから、目を離さないでいることができますように。

2006-07-06

アメリカ上陸記念日

スカンク記念日の翌日、今日は我が家のアメリカ上陸記念日です。
今から14年前の今日、私たち夫婦と1歳の息子の3人で、サンノゼの空港に降り立ちました。
そのまま飛行機を乗り継いでサンディエゴへ。
空から下を見ると赤茶けた山々。
大変なところに来てしまった、と思いました。
ただただ、青く澄み切った空の下で、
サンディエゴでたくさんの方々のご好意に支えられました。
何かお返しを、と思う私たちは、
「いいんだよ、また君が新しくアメリカに渡ってきた人たちに同じことをしてくれれば・・・」
という言葉を何度聞いたことでしょうか?

時々"Remember San Diego" と夫婦で話します。
あの時、私たちは私費の留学生。
これだけあれば、ずいぶん暮らせると、たくさんの方々の援助でためたお金を持って、
こちらに来たつもりだったのですが、車、コンピューター・・・と大きな出費が続く中で、
何とか次の学校に進もう、そのためには節約しよう、と目標を持ってがんばりました。
1ヶ月の食費は100ドル?150ドル、電気代節約のために、昼間の暑い時間は私は図書館、
カミさんと息子はショッピングモール(もちろん、何も買ってはいけない・・・ジュースもお昼も持参)。
もともとエアコンのない家だったですが・・・。
そして夜は、一つだけ電球の代わりにつける蛍光灯(消費電力が3分の1以下)を買って、
それを使い回し。ご飯の時にはダイニングで、夕食が終わったらテレビの部屋で・・・。
電気代、ずいぶん安くすみました。電気とガスを合わせて20ドルくらい。
何か必死でしたね。でも、楽しかったです。たった半年のSan Diegoの生活。

それから・・・
2,3年で帰る・・・と言っていたのに、もうこんなに経ってしまいました。

「いいんだよ、また君が新しくアメリカに渡ってきた人たちに同じことをしてくれれば・・・」

その約束、今守っているかなあ。と思わされます。

「受けるより、与える方が幸いである」使徒行伝20:35

昨日もお二人、今日もお二人の方に個人的にお会いしてお話しし、お祈りしました。
明日は久しぶりの家庭集会です。楽しみです。
そして、日曜日の礼拝の準備もいよいよ追い込みにかかります。

キュウリは今日は2本。インゲンは14本でした。
キュウリは20本到達です。グランドホッグに食べられなければ、これくらい穫れるんですねえ。
夕方は裏の芝刈り。雨も降るし暖かいし、ガンガン伸び放題です。

今日の聖書。
今日はヨハネの黙示録6-10章を読みました。
心に留った言葉は、6章16節です。
『山と岩に向かって、「わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ」と言った。』

あまり読んでいて気持ちのよくなる言葉ではありません。
でも、本当は私もこの言葉を言わなければいけない人間なんだと思いました。
神の怒りをまともに受けたら、生きていけない、そのような存在なんだと思いました。
でも、イエス・キリストの十字架によって、
イエス・キリストが私の身代わりになって死んで下さったことによって、
赦された、その事実に心から感謝しました。
自分が何かいい人間ではない、神から認められる人間ではない、
それは自分が一番よく知っています。
他人が知らない部分も自分は知っています。

だから、ただ、イエスが私を覆って下さることのゆえに
私は歩んでいける、神に祈れる、そのことを感謝しました。

主よ、
あなたに感謝します。
私も人のことをとやかく言うことのできる存在ではないことを教えて下さってありがとうございます。
イエスさま、あなたの十字架の血潮で私を覆って下さっていることを心から感謝します。
どうか、明日も、あなたの守りの中で生かしてください。




2006-07-05

スカンク記念日

Happy Skunk Day!

って、別に全米のホリデーではありません。
去年の今日、スカンクとの対決をした記念日です。

それは、去年の春、グランドホッグにキュウリの苗を食べられるところから始まります。
2月のGroundhog Dayの時にも書きましたが、
野菜の苗を食い尽くすグランドホッグ対策に、おり式のワナ(こういうの)を買って

グランドホッグを次々に捕まえては遠いところに放しに行っていました。
グランドホッグは昼行性。昼間だけでいいんです。
でも、ものぐさな私は夜もそのままワナの入り口を開けっ放しにしていました。
ある朝起きてみると、何だか得体の知れない動物がかかっていました。
オポッサムです。たぶん。

そんなこともあり、去年の7月5日の朝、ワナに何かがかかっていることに気がついた時にも、
「またか・・・」程度の気持ちでした。
しかーし、かかっていたのはスカンクだったんですねえ。

途方に暮れました。
スカンクは、見つけても近づいてはいけませんよね。
間違ってスプレーされると大変ですから・・・。
でも、ワナから外に出すためにはワナの扉を開けなければいけないわけです。
逃がさなければ、ガンガン悪臭を放たれる。
でも、逃がすために近づくと自分がもろにスプレーをかけられる・・
・。

ジレンマ。

しばらくの間、どうしようかと考えあぐねていました。
そして名案が浮かびました。

スカンクは夜行性。
昼間は寝ているはず。


寝ている間にワナの扉を開けておけば、
夜になって目を覚ましたスカンクは「あ、俺はここで何をしているんだ?」とのそのそ外に出るだろう、と考えたのです。
そして待ちました。
そして・・・朝10時頃に、スカンクが寝たのです。

「やった!」

その時を待っていた私は、抜き足差し足忍び足でワナに近づきます。

3歩ほど近づいた時、スカンクがぱっと顔を上げて、そのままさっと臨戦態勢。
絵が描ければその時の様子を描きたいのですが・・・。
そのような仕草の瞬間の写真があったら、リンクを貼るのですが、それもなく・・・。
(そりゃそうですよね、臨戦態勢の写真なんか撮っているゆとりはないですよね。)
言葉で説明するのは難しいのですが、
しっぽを上げて、ケツの穴と顔の両方をこっちに向けてキッとにらみつけているんですよ。

「来るか!来たら一発お見舞いしたやるぞ!」って勢いでした。
そりゃコワイのコワクナイのって、慌てて逃げました。

なんて言ったって、あのスカンクのスプレーを浴びた日には、
しばらくにおいが抜けないと言うじゃないですか。

翌々日から日本に行くというその時。

迷いましたが、このままにしていくこともできずに意を決して、また寝た頃を見計らって、
今度は決死の覚悟で、捨てていい長袖シャツ、捨てていい長ズボン、捨てていい靴、を身につけて、
そして紙袋を頭にかぶって、ワナに近づきました。
さっと目を覚ましたスカンクがまた臨戦態勢。
こちらは覚悟を決めているので、それにひるまず射程距離内に侵入。
敵はスプレーをガンガン浴びせかけてきます。
そりゃ向こうも必死。でも、こっちも必死。
スカンクスプレーまみれになりながら、

ワナに手をかけます。
向こうもこちらのひるまない様子にパニック状態。
キーキー叫びながら、もう空っぽになっているらしいスプレー液を絞り出すように、かけてきます。
そして、こっちもパニック状態って別にパニックしなくてもよかったんですけどね。
でもパニックで、かぶっていた紙袋は外れ、顔と頭は無防備の中、

やっとの事でワナの扉を開けたのでした。
それでも、しばらく奴はおびえてワナの奥の方でふるえていましたが、
奥の方をたたいたらまたびっくりして、扉の外に逃げていきました。
はー。

気がついたらめがねには3滴の黄色い液体が・・・。
これが例のスプレー液か・・・ときれいに洗い流しました。
今考えれば、ちゃんと写真を撮っておくんだったと思います。


身につけていたものは肌着や靴を含めてすべて処分。
あそこまでまともに浴びると何だか、臭いんだか何だかわからなくなります。
とにかくシャワーを浴びて、Baking Soda振りかけて頭を洗って・・・。
後で帰ってきたカミさんからは「大丈夫じゃない・・・」と言われて、ほっとしました。

長い文章、おつきあい下さってありがとうございます。

それからは、必ず夕方、暗くなる前にワナの扉を閉じるようにしました。


同じ失敗をしたらしゃれになりませんよね。

業者の人はどのようにして捕まえるんでしょうか?

スカンクにはくれぐれもお気をつけ下さい。
ちなみに、スカンクは夜行性。
昼間うろうろしているスカンクがいたら狂犬病かもしれません。
そっちの方もくれぐれもご注意。

<学んだこと>
スカンクも生きることに必死。
スカンクの視点に立てば、私が大男に見えただろう。怖かっただろう。
こっちも怖かったけど。
自分の視点だけではなくて、他者の視点に立って物事を見直してみることがどんなに大切か。

そして、今年の今日は・・・平和でした。

グランドホッグの食害にもあわず、今日もキュウリが4本穫れました。
一人一本!

インゲンも17本。ナスの実も少しずつ大きくなってきました。

今日もまだ蒸し暑いです。
でも、温度は下がってきました。
今夜は涼しくなって、明日はカナダの方から乾いた空気が入って、涼しいでしょう。
きっと。

週末までいい天気みたいです。
ちょっとほっとしています。

さて、本題の聖書。
今日からヨハネの黙示録に入りました。
今日読んだのは1-5章。
その中で心に語られたのは、2章9節の言葉です。
「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。」
本当はあなたは豊かなのだ、と主がいわれている。
胸を張って歩みたい。
私は豊かさを知っている、と。
主にあって豊かに歩ませて頂いていることに感謝しよう。
もっともっと主の与えてくださっているものに感謝しよう。

主よ、
あなたが日々必要なものを与えて下さっていることに感謝します。
あなたが与えて下さった豊かなものに目を留めて歩んでいく者でありますように。
日々に必要な霊的な力を与えて下さい。

2006-07-04

光の中を歩む

今日はJuly 4th。
アメリカの独立記念日でした。
蒸し暑い一日でした。
寝苦しい夜を過ごして、
蒸し暑い日で、
夜はまたむっとしています。
日本の夏を思い出します。
時々、夜中に抜け出してコンビニに行って、
涼んで、デザートを買って帰って、また寝たものです。
コンビニに散歩に行けないのが、ちょっと残念。

今日の夜は家族で散歩に出ました。
そしたら、あちらこちらで花火の音
「ああ、いろんな町で花火大会なんだねえ」と話ながら歩いたのですが、
何か、そんな遠くではなくて、近所で上がっているような音。
そう、あちらこちらの家で、花火をやっているんですねえ。
NJでは違法です。
まだ、違法のようです。
「まだ」というのは、多くの州で解禁されてきているみたいなので・・・。

カルフォルニア、ジョージア、ニュージャージー、と移ってきましたが、
どの州でも花火はできませんでした。
手持ち花火を含めて禁止でした。
夏に日本に帰ると、「花火ができるね」と話していました。
また、ジョージアの周りの州との州境の向こう側には必ず花火やさんがありました。
州を超えると、花火を買うことができるので・・・。
でも、やっぱり州内に持ち込んだり、州内で打ち上げてはいけなかったんですよね。

でも最近はカルフォルニアもジョージアも制限付きですが、いいみたいですね。
ここに、PDFですが、どの州でどうなっているか、去年の6月現在の状況が出ています。
禁止の州はかなり少数派なんですね。
乾燥している州だったらわかるのですが、
こちらの方は蒸し暑いので、いいんじゃないかなあ、なんて思うのですが、
解禁になったら、夏の夜は若い子達が花火ばっかりやっていて、うるさいかも・・・。

でも、子ども達と花火をして楽しみたいなあ、と思います。
子供が小さい今のうちくらいしかできないので・・・。

今日の雷雨は騒いでいたほどではありませんでした。
明日も雨の予報ですが、どうなることでしょうか?
あさってからは晴れて湿度も下がって、爽やかな日が何日か続くようです。

きょうもいんげん10本、キュウリ4本収穫
今は息子がいないので、キュウリちょうど一人一本ずつ丸かじりでした。
明日もちょうど4本穫る予定。これからもこの調子でいってほしいものです。

今日はお休みなので、ゆっくりサッカーを見ました。
イタリアの選手の「倒された時の反応」が大げさで、
紳士的なドイツの方を密かに応援していたのですが、
まあ試合の流れから言って、イタリアで順当でしょう。
あれでイタリア勝たないとかわいそうなくらい。
119分目に入った1点目のゴールは、とにかく、beautiful! でした。

夜には北朝鮮の残念なニュース。
このあと世界はどう動くのでしょうか?
聖書には世の終わりには戦争と戦争の噂を聞く、とありますから、
争いがあるのはしょうがないのでしょうか?
平和的な解決を祈りつつ。

今日の聖書はヨハネの手紙第1-第3とユダの手紙でした。
心に留った言葉は第1の手紙の1章7節。
「しかし、神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。」
光の中を歩む。
それは暗闇の中を歩く、の反対だから、
「ウソがない歩み」「ごまかさない」と言うことの大切さを思わされた。
罪があっても、それを光の許に持っていく。
ちょうど9節にあるように、「罪を告白するならば・・・」とあるように、
神の前に持っていく。
そのような歩みをしていきたいと思いました。
そして、いつも主の前に歩んでいきたいと思いました。
神様との交わりの中に生きていきたいと思いました。
それだけではなく、「互いに」ということが神様と私たちが互いにではなくて、
私たち同士が「互いに」と読むこともできますよね。
そのような関係を皆さんと持っていきたいと思いました。
互いに光の中を歩んでいく中で、本当の交わりを与えられて、
歩んでいくことができる。
そのように歩みたいと思いました。

主よ、
私をあなたの光の中で歩ませて下さい。
あなたから逃げることなく、
あなたの光の中に歩みたいです。
どうかあなたとの交わりの中に、
そして、人々との交わりの中に私を導いて下さい。



2006-07-03

群れを牧しなさい

今日も暑かったですね。
娘にねだられ、今年2回目のプール。
まだpoison ivyのかぶれの痕が生々しいので、
ちょっと他の方に不快な思いをさせないかと、
申し訳ない思いを持ちつつ、でも、楽しんできました。

よく、日本ではプールに行くためにスタイルを整える、
というような話を聞きますが、
私はプールに行って運動すればいい、と思っています。
でも、いかんせん4歳児のお供。
数段上手を行くような体格のお父さん達に混じって、ちゃぽちゃぽやっています。

今朝はインゲン10本、キュウリ3本、
やっと複数本収穫出来るようになってきました。
いい天気が数日続いているおかげです。
この調子で行ってもらいたいものです。
今日は33度くらいまで上がりました。
夜になっても蒸し暑い状態が続いています。
そして、明日は蒸し暑く、雷雨あり。
花火はどうなんでしょうかねえ。昨日見たので、私的には気にしていないのですが、
NYの花火を楽しみにしている方々は心配なところでしょう。

今日もまた眠いので、こんなもんにして、聖書にいきます。

今日読んだのはペテロの手紙第1と第2全体です。
これを読んでおられる方々のことよりも、自分のことだけを考えて、
自分自身が感じたことをご紹介すると、
第1の5章の2-3節が心に留りました。
「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って、自ら進んで世話をしなさい。卑しい利得のためにではなく献身的にしなさい。ゆだねられている人々に対して、権威を振り回してもいけません。むしろ、群れの模範になりなさい。」
やはり自分に語られているように感じました。
自分は本当に喜んで奉仕をしているか、自分自身を振り返りました。
確かに、強制ではありません。喜びです。
でも、本当に「牧師としての仕事をこなしている」レベルなのか、
「神の羊の群れを牧している」というレベルなのか、問われているように感じました。
一人一人をもっともっと愛して、
一人一人の必要を覚えて祈り、導いていく、
決して期待に応えることが第一ではないのだけれども、
一人一人に必要なことを主に求め、祈り、
そして、御言葉を語っていく、神様を指し示していく、
その働きをさせて頂きたいと思いました。
「雇われ牧師になって欲しくない」・・・何年も前に聞いたある方の言葉が、
今、大切なメッセージとして、心に響いてきます。

主よ、
私に愛を与えて下さい。
一人一人の本当の必要を知る愛を与えて下さい。
その人自身が感じているよりも、もっと正しく本当の必要を知ることができるような愛を与えて下さい。
そして、あなたを指し示すものとしてください。
大牧者であるあなたの許にお連れすることができますように。


2006-07-02

御言葉を行う人になりなさい

今日のトップニュースは何といっても洗礼式です。
一人の男性が洗礼を受けられました。
喜びです。
祈りの中で「あなたに負けました・・・」と祈ったその言葉、
心に深く響きました。

神に負ける時にこそ、私たちは勝利を頂くのです。

とにかく一番の喜びです。一人の人が悔い改めて新しい歩みを始められる時に、
天国では大きな喜びがある、その喜びを経験させて頂きました。

午前中はグリニッチの教会で礼拝説教でした。
礼拝のあと、10人くらいで丸くなって、
礼拝のテーマについて、
自分自身が問われたことについて、
心の中にあることを語り合うのですが、
とてもいい一時でした。
私たちの教会でも、あったらいいなあと思いました。
深いところで一つになることができるのではないだろうかと思いました。

7月4日は独立記念日。
今日は私たちの町の花火大会がありました。
昨日あたりから、毎日のようにあちらこちらの町で花火大会があります。

今年はキャンプに泊まりがけで行っている息子を除いて
4人で見に行きました。
去年は会場からちょっと離れてみたのですが、
今回は花火を打ち上げているところから200メートルも離れていない直近で見ました。
ド迫力でした。
花火の技術は日本がトップで、
アメリカに来たばかりの頃、14年前は、かなりバカにしていました。
「西武園の花火の方がいいよ」なんてね・・・。

でも、年々よくなっていきます。
町の花火大会なのですが、
なかなかいいです。
迫力があります。きれいですし、何十連発、何百連発みたいなのもありました。

町の花火と言えば、印象に残っているのは、
北海道の地方都市の花火大会。
今から20年前ですが、夏2ヶ月を北海道で過ごしました。
牧師の訓練学校の夏の実践トレーニングの一環で、2ヶ月間、アメリカ人で英語を教えながら、
神様のことを伝えたい、という若者と一緒に生活をしながら、過ごしました。
そんな夏のある夜、町の花火大会がありました。夏の一大イベントです。
それが何かとてものんびりしていて、
「次は『牡丹』、提供はかきごおり洋品店」とアナウンスが入って、ドーンと一発上がって、
しばらくしてから、またアナウンスで、
「続きましては『菊』、提供はかきごおり商店」ドーン、と続くんですね。
河原で場所取りも不要。
いい思い出です。

今日は雨が心配でしたが、
パラパラ降っただけ。
とにかく蒸し暑い一日でした。
明日も30%位で予報が出ていますが、
まあ、降らないでしょう。
そしてまた蒸し暑い一日です。
庭の水やりが必要です。

今日の聖書はヤコブの手紙1-5章全体を読みました。
今日心に留ったのは「御言葉を行う人になりなさい」という1:22の言葉です。
読むだけじゃね。
読んで、ここに「この言葉が心に残りました」だけじゃね。
神様からガツンとやられたような感じです。
みことばはそこに従ってこそ、意味がある、
従った時にこそ、主は更に語ってくださる。
従った時にこそ、自分の姿が見えてくる。
23節に、読むだけだと、自分の顔を鏡で見る人と同じだ・・・という。
そのココロは・・・離れたらすぐ忘れるってことでしょう。
聖書を横に置いたとたんに、椅子から立ち上がったとたんに、
忘れてしまうのだという。
本当に御言葉に従ってみよう。
従って生きてみよう。
そして、主が語ってくださること、
味わわせてくださること、それを経験しようと思う。

神様、
御言葉に従います。
どうか、あなたが語ってください。
御言葉に生きます。バカみたいに、単純に、御言葉に歩んでいきます。
あなたの奇跡を見せてください。

2006-07-01

罪から離れよう

今日は暑くなりました。
でも、恐れていたほどは湿度が上がらなかったですね。
この時期にしてはすごしやすい日でした。

今日インゲンをいくつか収穫。
つるなしとつるありの2種類を植えているのですが、
つるなしのほうが早く実ができて、でも、いっぺんに終わってしまいそうです。
つるありのほうは、つるが伸びでそのあちらこちらに次々と花が咲いています。
つるなし、つるあり両方で30本くらい収穫しましたが、
つるありは始まったばかり・・・。これから次々と実をつけてくれそうです。

30本程度では料理にはなりません。
どんどんなってくれるといいのですが・・・。

今日の朝はハドソン川沿いの公園で早朝祈祷会でした。
例年より人数は少なかったですが、
明日洗礼を受ける予定の方がこられたので、
みんな励まされる集まりでした。

そう、明日は今年2回目の洗礼式です。
祝福を祈ります。
朝はグリニッチの教会に行ってまいります。

今日はへブル人への手紙の残り、9?13章を読みました。
心に留まった言葉は10章26節
「もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。」
厳しい言葉です。
わかっているのに、神の愛を知っているのに、
キリストの十字架上の犠牲を知っているのに、
故意に罪を犯し続けるならば、そこにはあがないの血潮は残っていないのだと言う。
ドキッとしました。
自分自身の心に刻み付けておかなければ、と思いました。
そして、人々にも語っていかなければと思いました。
神様を甘く見ること、
「どうせ許してくださるんだから何をしてもいいんだ」
と甘く見ることの恐ろしさを思わされました。

神様、
私を罪から守ってください。
イエスの十字架の犠牲の大きさ、
神の愛の大きさを深く深く、
知っていく者でありますように。
明日の日曜日、特に洗礼式を祝福してください。

イエスのとりなし

今夜の雨は意外でした。
天気予報もほとんど雨は予想していなかったようです。
でも、結果は雷と土砂降り。
昼間カラッと晴れたので、雨は恵みの雨でしたが、
天気予報の奥の深さを感じた夜でした。

明日は今日よりワンランク蒸し暑さアップ。
30度は楽々突破でしょう。
朝はちょっと涼しいでしょうが・・・。
明日の朝は6時半からハドソン川沿いの公園で祈り会。
気持ちいいですよお!
ジャケットは忘れずに。

今日は午後、人にお会いして、
夜は集会でした。
夏は集会のペースがスローになりますが、
集まった人たちは熱い!
今日はいつにも増して熱い語り合いの時となりました。
「クリスチャンとは何か?」みたいなことになると、私もついつい熱く語ってしまうんですよね。
「神に愛されていることに、キリストが自分のために十字架にかかって下さったことに、
感謝して生きる、うれしくて、楽しくて、生きる、それだよ」みたいに・・・。
よかったです。

今日の聖書。
今日はヘブライ人への手紙1-8章を読みました。
そう、今日でちょうど今年も折り返し地点。
半年で読み通すのは無理でしたが、
あと10日くらいで読み通せそうです。
そしたら、今度は新約聖書を一日一章でゆっくり読んでいきたいと思います。

今日心に留ったのは7章25節。
「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」
イエスは今も生きておられる。
そして今もとりなしをして下さっている。
自分も、本当に主のとりなしがなかったら、
憐れみがなかったら、神の前に出ることなんかできない存在だ。
だから、今も祈って下さっていること、
今も私のことを心にかけてくださっていることを、
心から感謝した。

それも「完全に救う」ことが出来る、ということ。
「何とか救う」ではなく、
「完全に救う」方であること、
心から感謝。

イエスさま、
あなたのとりなしに感謝します。
あなたが私のために今も心を注ぎ、
十字架の血潮をもってとりなして下さっていることに感謝します。
そして、「完全に救う」方であるから感謝します。
私を今日も守って下さい。
あらゆる誘惑から守って下さい。



2006-06-29

よい行いに熱心に

「あいつ」がやってきました。今年も・・・。
今年はもう大丈夫かと思っていたのですが、
もうすぐ7月というこの時期に

まあ、考えてみれば、いつも被害が出始めるのが、このころなんですね。

まだ姿を見たわけではありませんが、
今日の夕方、気がついたらガンガン食われていました。

被害その1。
ブロッコリー丸裸。




被害その2。
ナスぼろぼろ。

種から育てて、やっと最初の花がついたところだったのに。

被害その3。
ピーマン壊滅。

こちらも種からで、いくつかつぼみが大きくなってきたなあ、という矢先。

来ましたねえ。
いよいよ臨戦態勢です。
でも、今年はあまり熱くならないようにと、自分に言い聞かせています。

たかが野菜です。
ヨナ書にもあります。人の心の状態よりも、植物が枯れたことに腹を立ててしまう預言者。

今年はもっと人の心に目を向けなければ・・・。

きょうもずいぶん晴れました。
そして蒸し暑い一日でした。
でも夜は涼しくなってきたように思います。
そして、今11時半ですが、外では雷がゴロゴロ言っています。

場所によってはFloodが大変なようですが、
私たちのところは守られています。

明日は今日までに比べるとずっとカラッとするでしょう。
気温は30度くらいかな。
これは今日までと同じくらい。
ちょっと一息というところでしょうか。

poison ivyのかぶれも、峠は越しました。
これからは少しずつよくなっていくことでしょう。

今日はたまっていた仕事(デスクワーク)+各種連絡+2人の方にお会いする
ということであっという間に一日が過ぎていきましたが、
それでも、先週までに比べると、ずっと落ち着いています。
結構抜けていた仕事もあり、かなり迷惑をかけているなあ、と反省。
これからの2ヶ月。祈りと御言葉に集中して、
人とのふれあいに集中して歩みたいと思います。

で、今日の聖書。
6月ももう明日まで。
今日はテトスへの手紙、ピレモンへの手紙を読みました。
今日、心に留ったのは、テトスへの手紙の2章14節。
「キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。」
その中の、「よい行いに熱心な民」という言葉が特に語られました。
「福音」つまり、赦されること、愛されていること、そこに集中することを使命と感じています。
そんな私に主は、「イエスがあなたのために十字架にかかったのは、その愛に感謝して、あなたがよい行いに導かれるためなのだ」と語られたのです。
「よい行いに熱心」・・・おまけではなくて、
余力があったらではなくて、
「熱心」によい行いをする者とならせて頂きたいと思いました。
でも、「よい行い」をしていると思っている時は、結構傲慢になっている時。
だから、感謝に溢れて、ただただ、イエスが私のために命を捨てて下さったことを、感謝して受け取る中で、自然に熱い思いで主が喜ばれることをしていくことのできるものでありたい。
そう思いました。

主よ、
私に熱い思いを与えて下さい。
もっともっとあなたに愛されている感謝に溢れて、
喜びに溢れて熱い思いで、人に仕えていくことができますように。
あなたの喜ばれることを選んでいくことができますように。
人々の救いのために私を用いて下さい。

日々救われる方々が与えられますように。
明日の出会いも、集会も祝福して下さい。

2006-06-28

言葉にも行動にも信仰にも純潔にも

さきほどNYから無事に帰ってきました。
今日も一つ一つの出来事に感謝。

でも蒸し暑いですねえ。
昨日の夜はすごい雨で、
今日は雨も上がって蒸し暑くて、
本当に日本の梅雨のようです。

今朝もキュウリ一本。
なんだか、やっぱり日照不足でしょうか、
水はたっぷり降るんですが、
今ひとつ収穫がふえません。

今日も一人の方が、
お話をしている間に、
イエスさまを心に受け入れるお祈りをされました。
感謝。
このところ、毎週のようにそのような方が起こされて、
不思議ですよね。
なぜか、そういう波がやってくるような時があります。
特別なことがあるわけではないのですが・・・。
神様の時なのか、私の知らないところでの、皆さんの特別な祈りなのか・・・。
でも、本当に感謝です。

今日の聖書。
今日はテモテへの手紙の第1と第2全部を読みました。
その中で心に留ったのが、
「言葉、行動、愛、信仰、純潔の点で、信じる人々の模範となりなさい。」という言葉です。
この前に「あなたは年が若いがゆえに軽んじられてはいけません」とあって、
数年前まではその前半の方が心に留っていたのですが、
今は「あ、これは自分には当てはまらない」と思うようになってしまいました。
でも、その分、後半が心に留ります。
一つ一つのことについて、祈らされました。
最終的には神様を指し示していくだけです。
人の優しさとか、気遣いで満足しているわけにはいきません。
でも、自分が言葉において、人々の模範となっているだろうか?
行動においてどうだろうか、
愛において、
信仰においてどうだろうか。
純潔においてどうだろうか、
一つ一つのこと祈らないではいられませんでした。
助けて下さい、きよめて下さいと。

神様、
わたしの言葉をきよめて下さい。
あなたが私の口にその時々にふさわしい言葉を与えて下さい。
そして、行動をお守り下さい。
愛に土台した行動を取らせてください。
愛を与えて下さい。
人々を愛し、人々に心から仕える愛を与えて下さい。
信仰を増して下さい。
信仰に堅く立たせて下さい。
純潔を守って下さい。
実際の行為としての純潔だけではなく、心の中の純潔も守って下さい。

明日もあなたの守りの中で人々との出会いをお守り下さい。

2006-06-27

きよい生活

今日はゆっくり起きて、
楽しく過ごして、
夕方に帰ってきました。
泊まったところが、冬はスキー場というところで、
ホテルの裏がすぐゲレンデです。

そこで、夏はリフトに乗って登って、
そりのコースのようなところを夏用のそりに乗って滑っております。
なかなかスピードが出るんだけど、安定感があって、
楽しかったです。
場所はタングルウッド音楽祭をやるところや、
ノーマン・ロックウェルの美術館のちょっと北に行ったところです。
今回みたいなプロモーションがあったら、また行きたいなあ、というところです。

心配していたよりも天気はよくて、
暑いくらいでした。

ただ、西の方、ペンシルベニアとかはものすごい大雨のようですね。

今晩これから雨が降って、明日は時々雨、の予報です。
でも、こういう時の予報は難しいです。
外れるかもしれません。

明日は月一のNYDayです。

今日の聖書。
大体、こういうお出かけ先では、
私が一人で早く目が覚めます。
ですから、ゆっくり聖書を読む時間があったりします。
今朝も例外ではありませんでした。

今日はテサロニケの信徒への手紙第1と第2両方を読みました。
心に留った言葉は、第1の手紙の4章7節です。
「神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。」
という言葉です。
きよい生活。
そのために私たちは招かれた。
ここでは、はっきりと性的なことが書かれている。
人々はそんなこと気にしないかもしれない、
でも、あなたがたはその点できよい生活をするように招かれたのだ、
と語られています。
言葉の重さを感じました。
生涯守ってください、と祈らされました。
誘惑もあることを知っています。
失敗をした仲間や先輩がいることも知っています。

自分もそのような誘惑が本格的にやってきたら、
大変な闘いだと思います。
今までそのような本格的な誘惑がなかったから守られてきたのかもしれません。
だから、守ってください、としか祈りようがない、そんな思いです。
そして、教会の一人一人も守ってください、そのように祈らされます。

主よ、
きよい生活を送らせて下さい。
私の心をきよめ、私の生活の一つ一つの側面をお守り下さい。
目を守り、足を守ってください。
そして、誘惑が襲ってきた時に、
あなたが御使いを送って、私を守って下さい。
これからも私を守って下さい。
教会の一人一人を守って下さい。


赦すということ

これは昨日、26日の分。

牧師会も今合同修養会があるので、
どうしても「打ち合わせ」的要素が強くなってしまいます。

でも、本来、もっと祈り合い的な要素があればいいなあ、と思わされています。

昨日はある先生がご自分の話をしてくださって、
もちろん具体的なことは何もなかったのですが、
ご自分の霊的な、内面的な葛藤の話、
その中で神様が語ってくださったことを分ち合ってくださって、
とても心に触れる内容でした。

牧師は自分で自分を追い込むこともあり、
周りの期待に応えてしまうこともあり、
どうしても、いつもいつも霊的なスーパーマンでいなければならないと思ってしまいがちです。

でも、やっぱり弱く小さな、神様の助けなしには生きていけない存在です。
それなのに、「神様の助け」さえも見失ってしまって、
ただ、表面的に仕事をこなしていく、というところに、
陥ってしまうことさえあるのです。

そして、お互いに「こんなことで悩んでいるのは自分だけだよな」と思っている。
だから、誰か一人が、心を開いたら、お互い心が触れ合うような関係に一気になっていくように思います。
弱さを認めること・・・これは勇気がいることですが、
心がつながるための第一のステップですよね。

昨日の集まりに感謝。

そして昨日の聖書。
昨日はコロサイの信徒への手紙1-4章全体を読みました。
心に留ったのは、3章13節の言葉。
「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」
「責めるべきこと」なんだから、「責めるべき」なんだと思います。
そうですよね。でも、ここではそれを「赦しなさい」という。
日本語おかしいというか、矛盾というか、
「責めるべきこと」は責めるべきことです。
でも、それを赦しなさい、と聖書は言うのです。

三浦綾子さんの秘書をされていた方から伺った話。
「あなたが取り返しのつかないことをしてしまった時は、赦すから、私の秘書として働いてくださらない?」と言われたそうです。
取り返しのつくことは「赦す」ということではない。ただ、取り返せばいいだけだ。「赦す」ことができるのは、相手が取り返しのつかないことをしてしまった時なのだというのです。

なるほどー。と思いました。
「取り返しのつかないことをしてしまった」という時に、赦すっていうことは大変なことですよね。
でも、三浦さんの言われるように、私たちは、「赦す」ということをしているつもりで、「赦したんだから・・・」と恩着せがましく言ったりしますが、本当はそんなのは「赦す」というほどのことでもないからなんでしょうね。
本当にいくら何でもこれだけは赦せない、ということをこそ、「赦す」と言うことに価値があるのだ、と思いました。

神様、
赦すことを教えてください。
赦す、ということをあまりにも簡単に語っているように思いました。
赦すことがどんなに大変なことなのか、
赦す、ということがどんなに真剣なものなのか、
主よ、教えてください。

2006-06-26

とりあえず足跡

今日は車で動いたので、
コンピューター持参。
宿泊先のロビーは無線LANがOKなので、
ちょっとだけ・・・。

牧師会はとてもよかったです。
詳しくはあしたにでも・・・。

それから、
ちょっと遅くなって5時頃出発。
それで8時頃にキャンプ場に息子をドロップして、
9時頃にマサチューセッツ州のホテルに投宿。

どうかなあ、と思ったのですが、よかったです。
One Bedroom、キッチン付きのスイートで75ドルの特別料金。
Travel Zooという週に一回、「お得情報メール」を送ってくるサービスで、
初めてそれに応答して、予約を入れました。
キッチン付きがいいのは「レストランに行かなくていい」こと。
こちらで、宿泊先で、行き当たりばったりでレストランに行くと、あんまり満足出来なくて、家族で60ドルから100ドル行ってしまいます。
だから、自分で食材持っていって、キッチン付きでちょっと料理すれば、それが浮くんですよね。

カミさんは料理しなくていい・・・とはいかないのはちょっと申し訳ないのですが、
彼女も、こっちのレストランにはあんまり満足出来ないので・・・。

とりあえず、足跡だけ。

2006-06-25

神に打ち明けなさい

今日も蒸し暑くて、
時々土砂降りが降る一日でした。
右手のpoison ivyの水ぶくれはひどくなる一方。
いやあ、暑さで長袖を嫌がったつけが、こんなに大きくなるなんて・・・です。

今日は一日包帯をしていたので、
この蒸し暑さが身にしみました。

明日は雨は今日ほどではないようですが、
蒸し暑さは継続でしょう。

この天気の出口・・・あんまりはっきりと見えてきませーん。

とりあえず、木曜日くらいからちょっとよくなるかな。

今日の収穫はキュウリ1本、インゲン4本。
なんか、「ぼちぼち」ですね。いっぺんに何十本も穫れないんでしょうか?
天気がよくなったらぐんぐん、なんでしょうか?

明日の午前中は地区の日本語の牧師の集まり。
午後から息子をキャンプ場に連れて行って、
遠いので、そのままどこかにお泊まり。
火曜日は一日休暇です。

ですから、明日の更新はもしかしたら、ないかも・・・です。

日曜日。
心からの礼拝を捧げました。
神様の前に「キリストの弟子として下さい」という祈りを捧げました。
今日も多くの方々と共に礼拝出来たことが大感謝。
夕方はJOYJOYキャンプのミーティング、その後、読書会。
今日も長ーい一日でした。
でも、快い疲れ。

さてさて、今日の聖書。
今日はピリピの信徒への手紙1-4章、全体を読みました。
「喜びの手紙」と言われる、牢獄の中から書かれた手紙。
パウロはピリピで伝道をしていた時も、
投獄されて一晩過ごしている中で、
「賛美を歌っていた」と書かれています。
困難の中、苦しみの中での賛美。
すごいなあ、と思います。
そして、自分はそのような状況の中で、賛美ができるだろうか、と思わされました。
心に留った言葉は
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」です。
これは4章の6節の昔から好きだった御言葉です。
でも、初めて新共同訳で読んで、この「打ち明けなさい」という言葉がとても心に響きました。
「いろいろ思い煩っていないで・・・神様に打ち明けなさい」と言われたように思いました。
そして、これに続く言葉は、
「そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」
平安、平和。
思い煩いに苦しんでいる時に、神様に祈ったら与えられる平安。
それはすごいうれしいもの。
今心の中にあることを主に打ち明けなさい、と言われているように感じた。

主よ、
あなたに祈ります。
どうかあなたがお約束通りに平安を与えて下さい。
平安の中に生かしてください。
私の心の中を全部あなたに見て頂いて、
あなたにゆだねます。
どうか、お約束通りに、平安を満たしてください。

妻を愛しなさい

また12時を過ぎてしまいました。
ですから、「今日」というのは25日日曜日ではなくて、24日のことです・・・。

今日はやっと雨が降りました。
でも降りすぎ+肌寒いけど蒸し暑い(どっちだ?)
みたいな一日でした。
最高も24度くらい。今は21度くらいまで下がったかな。
停滞前線が東海岸をボストンからずっと高速道路の95号線に沿って走っていて、
その上を低気圧が次から次から進んでくるんですね。
そして、フロリダ沖の湿った空気がガンガン流れ込むという、
日本の梅雨そっくりの天気のパターンです。
ずっと雨です。
明日も時々土砂降り。

poison ivyその後。
水ぶくれがひどくなって、破れてじゅくじゅくしているパターンです。
気がついて、気をつけて処理をしてこうだから、
気がつかないで、ばんばん切っていたら、どうなっていたことでしょうか?
あーこわい。

あ、それから、ありゅさんのリクエストのスカンクの話ですが、
じゃあ、
ちょうど一周年の私のスカンク記念日、7月5日にポストすることにします。
あのスカンクのにおいってのも独特ですよね。
あれから1年経った私には郷愁を誘うものになりました。
「ああ、そんなこともあったよなあ・・・」と。
あれは夏の暑い日・・・この続きは7月5日です。お楽しみに。

他のものでは何に似ている、と言うことのできないにおいですね。
ゴムが電気で焼けるような、でも、有機的な、強烈なにおいです。
何年か住んでおられても、かいだことがない、という幸運な方もおられます。
今度出没したら、またお知らせしますね。

今日はもう遅いので、
聖書のこと書いて寝ます。
今日はエフェソの信徒への手紙を読みました。1-6章全体。
その中でやはり心に留るのが、
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。」
という5章25節の言葉。
これはもう、そのまま降参。
どうしたらいいんだろうなあ、と。
自分を与える愛し方。
自分は楽をしながら、
何でもやってもらいながら、
「愛してるよ」ってたってねえ。
何でも自分の考えを通しながら、
時々、質問されたことに「何だよ、面倒だな」という態度で答えておきながら、
「愛しているよ」ってほざいたってねえ。
だから、反省。
イエスさまの愛をもっと知りたい。
そして、愛することを教えて欲しい、経験させて欲しい。
もっともっと経験させて欲しいと思いました。

神様、
単純に祈ります。
妻を愛することを教えて下さい。
何が本当の愛なのか、
どうすることが「キリストが教会を愛し自分を与えるほど愛した」ことと同じ愛なんでしょうか?
主よ、教えて下さい。

2006-06-23

具体的に従う

今日も天気予報外れましたねえ。
うちのほうでは、ほとんど雨は降りませんでした。
いつ降ってもおかしくない状況なんですが、
何でか降りません。
でも、今頃になって降りそうです。
そして、明日は一日雨でしょう。そして温度は今日よりずっと下がる見込み。
今度こそ。

最近の夫婦の会話。
妻「芝生に水やらなくていいの?」
夫「大丈夫、雨降るから」
妻「みんなやってるよ」
夫「今水やる奴はちゃんと天気予報見てないんだよ」

数時間後、

妻「降らないねえ、芝生大丈夫かなあ」
夫「大丈夫、これから降るから」

すかっと晴れて34度まで上がる。

妻「芝生大丈夫かなあ」
夫「大丈夫だよ、今晩から月曜日までずっと雨だからね・・・」

最初に戻る。

ってな感じです。

明日はこれが繰り返さないようにと祈りながら・・・。

火曜日に垣根をそろえていたら、
poison ivyっぽいもの発見。
手袋をする。長ズボンに履き替える。ビニール袋で覆うように刈る。
でも、あまりに暑かったので、長袖は着ませんでした。
その不徹底さがやっぱり命取りでしたねえ。
右手の手首がみみず腫れから水ぶくれに進行中。
2週間くらいかゆみが続くらしい。
去年のスカンクといい、今年のpoison ivyといい・・・。もう怖いもんなしですね。

もう、これからは見つけたらすぐわかりますよ。poison ivy。
刈るよりも除草剤ですね。
それから長袖長ズボン手袋で完全防備に限る。

今日は一日教会のコピーマシンの修理のために人が来ると言うことで、
教会で待機+お祈り+夜の集会の準備+日曜日の説教の準備+月報の原稿の準備
で時間がすぎていきました。

でも、ゆっくり日曜日の準備ができて、幸いでした。
明日の夕方は夏休み前最後のyouth groupの集まりです。

今日の聖書は
ガラテヤの信徒への手紙全体。
心に留った聖書の言葉は
「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」という5:13の言葉です。
この最後の「愛によって互いに仕えなさい」という言葉、
「御言葉に具体的に従う」ということを実際に実践してみることの大切さを思わされました。
ただ、読んでいい言葉だなあ、と思うだけ、
自分は何てこれが欠けているんだろうか?と落ち込んでいるだけでは、
御言葉を読んでもしょうがない、そう思いました。
「愛によって互いに仕える」そのことを具体的に表していきたいと思いました。

主よ、
愛をもって仕える者としてください。
あなたの愛に満たして、
具体的に愛を表す者としてください。
ただ、そうしたいなあ、と思っているだけではなくて、
具体的に表すことのできる者としてください。

仕えることを教えてください。



2006-06-22

落胆しない!

今日の天気予報は思いっきり外れましたね。
朝、ちょっとパラパラと雨が降りましたが、
その後はずっとカーンと晴れて、
暑くなりました。34度まで行きました。
蒸し暑かったです。

今、夜の11時半ですが、雨雲がペンシルベニアからニュージャージーに入ってきたところです。
1時頃、雷が鳴るかも・・・。

明日から月曜日くらいまで、雨です。
そして土日はあまり気温も上がらないのでは・・・という予報です。

キュウリ1本。娘にせがまれて、まだ早いかなあ、と思いつつ収穫。

今日の午後は夏休み前の最後のJOYJOYキッズクラブ。
もう日本に一時帰国している子達もいるのかなあ、ちょっと少なめでした。
ん?それともサッカーの日本-ブラジル戦と重なったから?
そっちよりキッズクラブの方がたのしかったよ、きっと。
でも、日本もアメリカも終わってしまいましたね。残念。
悔しかったねえ。
私も夏のJOYJOYキャンプの午後のサッカーのために
ちょっと体を鍛えておこう!
ま、それはいいとして、今日は12,3人だったでしょうか。
でも、ひとまず夏休み前の働きが終わって、
ちょっとほっとしたような、また、寂しいような・・・ですね。

去年の5月から始めたプログラムですが、
楽しくて止められません。
子ども達が楽しみにしてくれているし、
お母さん達(時々お父さん達)とのつながりもできます。

もっともっと広がりのある働きとなったらいいなあ、と思います。
10月から再開です。

今日の聖書は、コリントの信徒への手紙第二、1-13章、全体を読みました。
その中で心に留ったのは、4章の1節の言葉です。
「こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。」
この「落胆しません」という言葉に励まされました。
元気が出ました。
それは「こんな大きな成果が出ました」とか、
「こんなに大きな教会になりました」とか、
そんなことによって元気になるのではなくて、
「神様から使命を頂いているから・・・」
なのです。
神の憐れみによって、神の一方的な恵みによって、
この使命を与えられて、
生かされているんだから、
こんなすばらしい働きのために生かされているのだから、
「落胆しない」のです。

この働き自体のすばらしさゆえに「落胆しない」のです。
神の愛を伝える、神の愛を語るというこの働きのすばらしさゆえに
「落胆しない」のです。

主よ、
私もこの働きのために生かされていることを、感謝します。
明日も、あなたに愛されている喜び、
あなたに生かされている喜びに溢れさせてください。
あなたご自身が私に語ってくださいますように。


2006-06-21

静まる

NYから帰ってきました。
今日も13人の方々が集まって、御言葉から聞きました。
この集会初めて、という方々も2人。
感謝。

それから、今日は4歳の娘のナーサリースクールの卒業式。
ちょうど時間が重なったので、カミさんにビデオを頼んでおきました。
そして、今まで親ばかビデオ鑑賞会でした。
見ながら、ここまで来たか、と思うと、感謝感激雨霰。
いよいよ9月からはpublicのkinderのクラスです。
近所なんですが、9時に行って3時に帰ってきます。
町によっては3時間で終わってしまう、と言うところも多いのですが、
私たちの町は6時間。しっかり遊びと勉強をしてくれます。
近すぎてスクールバスではないのがちょっと残念。

ここまでが11時半。

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ここからはNYに行く前。

今日はちょっと爽やか、ちょっと暑い。
でも、昨日までに比べるとずっと楽です。
今朝は16度、午後は31度でした。
夏至ですよ夏至。
一年の中で昼間が一番長い日。
家のあたりでは、5時25分に日が昇って、8時32分に日が沈みます。
ということは、昼間の時間が15時間、夜が9時間です。
これから少しずつ、昼間の時間が短くなります。
でも暑さはまだまだこれからです。
ですから、こちらでは今日はthe first day of summerです。
夏が今日から始まるんです。

ここでは平均すると、一番暑いのが7月の10日から終わりまで。
8月になると、だんだん涼しい日が出てきます。

今日はこれからNYに行って参ります。
NYから帰ってくる頃も、まだ明るさが残っているでしょうか?

明日はまた蒸し暑さが戻って、
朝から雷雨の可能性ありだそうです。

明日は夏の休みの前の最後のJOYJOYキッズクラブです。
めいっぱい楽しくなりますように。

今日は朝、個人的に学びをされている方が来られました。
感謝に溢れて歩んでいる姿にこちらが励まされます。
午後はどなたから電話が来てもいいようにスタンバイしながら、勉強。
今日の夜の集会の準備、日曜日の準備。明日と金曜日の準備・・・。
ニュースレターと週報の準備・・・。
でも、どちらかというと、「静まる」時を持ちました。
「準備」「準備」と追いまくられるのは何か違うような気がして、
とにかく「静まろう」と思いました。
何かをしなければいけない、のではなくて、
とにかく、ゆっくりと聖書を読んで、祈りました。
明日は我が家で祈り会があるので、机の周りの整理も・・・と思っていたのですが、
それも後回し・・・。

というのも、今日読んだ聖書の言葉が心に留ったからです。

今日はコリントの信徒への手紙第1の1-16章、全体を読みました。
その中で一番心に留ったのは、
1章の27節です。
「ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。」
というパウロの言葉です。
自分はいわゆる学校の「お勉強」は器用にこなす方でした。
・・・実生活に役に立っていない!とカミさんにはよく言われますが・・・。
でも、「霊的なもの」はそれとは全く無関係です。
いろんな話をつなぎ合わせて、最もらしく話すことはできても、
それが人を造りかえる神からの語りかけとして伝わっていくかどうかは別問題です。
本当に祈りながら、「神様、霊的な力を与えてください」「霊的な深さを与えてください」
と祈らないではいられませんでした。
ただ、主が与えてくださるもの、主が満たしてくださる豊かさ、
それをいただきたいと思いました。

神様、
今日の与えられた「時間」のゆえに感謝します。
あなたの前に静まるときが与えられたことに感謝します。
どうか、あなたのいのちに満たして、私を遣わしてください。
これから向かうNYの集会も、あなたの臨在を満たして、
集われる一人一人があなたに触れて頂くことができますように。

2006-06-20

主のために生きる

今日は昨日よりずっと過ごしやすい一日でした。
朝は20度くらいありましたが、
最高気温は31度。
そして雨がパラパラっと降って、
夕方からはぐっと湿度が下がったように感じました。
そして、今は22度まで下がっています。
明日の明け方はひんやりするでしょう。

明日の最高も30度を超えますが、
今日までに比べればカラッとしているでしょう。
予報が変わったのがこの週末。
蒸し暑いのではなくて、
涼しいくらいで雨が降る、梅雨みたいな空になりそうです。

この週末はプールはダメですね。

今朝キュウリ2本収穫。
このあとちょっとお休みで、
週末あたりから、本格的に穫れるかな。
サヤインゲンもこの週末あたりからどんどん穫れそうです。

今日の朝は教会での祈りの一時。
また一人での祈りの時となりました。
今回は皆さんのためにも祈ったのですが、
それよりも前に、「自分のために」祈ることの大切さを思わされました。
教会の牧師として自分が立てられている。
それは、自分がどう考えようと、
人がどう考えようと、
牧師の霊的なレベルが守られていないと、
支えられていないと、
それが教会全体に影響する、一人一人の霊的な状態に影響するのだ、と思わされたのです。
それで、主が私の心を守りささえて下さるようにと祈りました。
そして、教会の一人一人の今日の一日のために祈りました。

午後はお母さん達が集まっておられる集会。
「聞く」と言うことを学んでいます。
今日は「心の触れ合うような時を大切にする」という話。
表面的な人間関係、当たり障りのない会話。
それを超えて、深いところで触れ合うような関係は、
夫婦でも、友人との関係でも、
なかなか持てないねえ、という感じです。
受け入れることの大切さ、それができないジレンマ。
そんなことも語り合い、神様の助けを祈りました。
いい集まりです。

夜は個人的に学びをする方が来られて、
また幸いなときが持てました。
一人の人がイエスを救い主として受け入れて、歩み始められるのは、
本当に大きな喜びです。
感謝。

実は先週の水曜日も、
ある方がキリストと共に新しく歩み始められました。
そのときに共にそこにいることができたこと、とても、うれしい経験でした。
感謝。

明日はNJで面談日で、夜はNYで集会です。
すばらしい一日となりますように。

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙9-16章を読みました。
その中で心に留った御言葉。
「私たちは生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」
14章8節の言葉です。

今日の朝、教会で祈るときに、テレビ番組で、金曜日の朝、フジテレビの日本語放送に続いて8時から放映されているハーベストタイムのニュースレターを読んでいました。
その中に紹介されていた、南米エクアドルで今から50年前に現地の人に殺された宣教師の話が心に残りました。
その宣教師たちは銃を持っていたのにそれを使わないことに決めていたそうです。
それは「私たちには天国に行く準備ができているが、彼らにはまだその準備ができていないから」という理由だったそうです。
考えてみればそうです。
自分の身を守ろうとして現地の人を撃ってしまったら、
自分はその人々に神の愛を語ろうとしているのに、
その人々が神の話を聞く前に殺してしまうことになる。
自分たちは殺されても、天国に行く準備はできている、だから、いい。
だから、殺されても、殺すことはすまい、
そう決めたのでしょう。
でも、自分だったらそう出来るだろうかと思いました。
自分を守るために、家族を守るために、襲ってくる人を殺すことはないだろうかと、
考えてしまいました。
でも、そうなんですね。何か、とても素直に納得してしまいました。
私たちは天国があるから、大丈夫なんですよね。

その話には続きがあって、殺された宣教師の家族が、その現地の人々を赦し、
神の愛を伝える働きを続けて、その人々にキリストを紹介し、彼らもクリスチャンになったそうです。

生きることも、死ぬことも主のため。
そのような歩みが自分にはできるだろうか?
させて頂きたい、と思いました。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
でも、私はあなたの愛を表すことができるでしょうか?
私が生きていることはあなたの愛を表しているでしょうか?
私がこの世を去るときに、あなたの愛を表せるでしょうか?
どうか助けてください。
そのように生かしてください。
そのように用いてください。


2006-06-19

何に支配されているか

今日も暑かったです。
そして、夕方、6時半頃から、雨が降りました。
もっと早く降るかと思って期待していたのですが、
結構遅かったですね。
洗濯物干せましたね。

最高気温は34度。でも、今は夜の9時半で、
雨のおかげで23度まで下がっています。
湿度は高いし、これ以上あまり下がらないようですが・・・。

明日も蒸し暑い一日になりそうです。そして、また夕立があるかも。
その後は涼しくなって、水曜日一日カラッとするみたいです。
でも、木曜日からはまた蒸し暑く、雷雨の可能性あり。
それが来週の半ばまで続く予想が出ています。

今日、キュウリの初収穫。
ちょっと小さめで15センチでしたが、
おいしかったです。ミソつけて食べました。
でかい子達が帰ってくる前に3人で食べてしまいました。
これから一日に何本も穫れたら、みんなで食べます。
さてどうなることやら。

今日は昼前の1時間半くらい、個人的にお会いする方がおられて、
聖書の学びをしました。
今日も、幸いな一時でした。
もっともっとこのような学びをする方が与えられたら、と思います。

で、聖書。
今日はローマの信徒への手紙の1-8章を読みました。
この手紙はパウロが書いたもので、
自分の信仰を組織的に書いたものだとよく言われます。
確かに、8章までは実際的なことよりも、
私たちの信仰の内容が書かれています。
その中で一番心に留ったのは、
8章の5節の言葉で、
「肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。」
という言葉です。
自分の心の中はいま何が支配しているだろうか、
何のことを考えているだろうか?
それを探られ、問われたような気がします。
「霊に属すること」を考えているだろうか?
教会のことでも、
「人間の考え」に、「義理や人情」「気遣い」に縛られていないだろうか?
「人の顔色」に縛られていないだろうか?
と思いました。
もちろん、これ以上気を遣わなかったらどうなるか?
という意見の方もおられるかも・・・。
でも、大切なのは、一人一人が主につながること。
本当に神様が何を喜ばれるのか、
本当に一人一人が主にあって成長していくためには何が必要なのかを、
本気で考えているだろうか?
なんとなく、和気藹々と、楽しくやっていけばいいと思っていないだろうかと、
問われました。

気を遣った「和」と、「主にある一致」とどちらを求めているだろうか?
主の前にへりくだった一致を本当に求めているだろうか?
口では「主の前にひれ伏す一致」と言いながら、
実際のところは、「気持ちよく奉仕する」ことが出来るようにと考える中で、
一人一人が
悩みながら神様の前に出るチャンスを奪っていないだろうか?

「霊のことを考える」そのような者でありたい、と思った。

神様のことで、心がいっぱいになるようなそのような者でありたいと思いました。

主よ、
私の心を探ってくださってありがとうございます。
どうか、あなたの愛の中で、
あなたとの関係の中で、
一つ一つのことを決断していく者としてください。
人間的な力に振り回されることがありませんように。

2006-06-18

ローマでも

今日は暑かったですね。
我が家の温度計で、最高気温が36.3度でした。
体温ですよ。
その中で、やめればいいのに、ソフトボールなどをやりましたから、
結構疲れました。

教会のピクニックから帰ったのが4時半頃。
それから、暑さと日差しでほてった体をさましに、
町のプールに行って来ました。
5月の末から週末だけ開いていて、
今日はまさにプール日和。
とは言っても4歳の娘と二人で行ったので、
ほとんどお子ちゃま用のじゃぶじゃぶ池みたいなところで、
娘と遊んでおりました。

来週、学校が終わったら毎日開くようになります。
それで9月の初めの週末まで。
5人家族では確か240ドルくらい?
日本に比べると高いですよね。
子供の頃、時々行った越中島プール。
今でも一回2時間で300円。
10回行っても3000円です。
5人でも15000円。

ちなみに結婚してからご近所だった西武園ゆうえんち。
ここの年間パスが家族4人で30000円です。
それで夏はプール、冬はスケート、あと遊園地も乗り放題。
東武動物公園、という全然関係なさそうなところにも入れてしまう。

それに比べてプールだけ、2ヶ月だけ、
天気がよくて暑い日だけで240ドルはねえ。
波のプールも、流れるプールもない。
でも、ファミリーパスを買わなければ、
パスを持っている誰かにゲストにして頂かなければいけないので、
それも何かなあ。
1回5ドルとして、元を取るためには、
1人10回くらい行かなければ・・・。
運動不足解消のためにちょっとがんばろうかな。

ちなみに明日は暑くなり、
午後から夜にかけて雷雨の予報です。
それもかなり激しい雷雨になるかもしれません。
午後は洗濯物を外に干すのはやめた方がいいでしょう。

そのあとは、ちょっと暑さが一休みのようです。

今日は教会の野外礼拝(ピクニック)でした。
130人くらい集まられたかな。
サッカーの試合の時間と重なったのにもかかわらず、
たくさんの方々が来られました。
いえ、サッカーを見ているよりも、
今日の野外礼拝の方が絶対よかったです。
初めての方、
久しぶりの方、
いろんな方々が来られて楽しかったです。
おいしかったです。
準備してくださった方々、
焼いてくださった方々に心から感謝!

今日の聖書。
今日は使徒言行録19-28章を読みました。
心に留ったのは、
パウロにイエスがいわれた言葉、
「勇気を出せ、エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証をしなければならない」
という23:11の言葉です。
この言葉がどれくらいパウロの励ましになったか、勇気を与える力だったか、と思わされます。
わたしにとっても励ましになりました。
わたしにとっての「ローマ」がどこなのか、
ピンとは来ませんが、
どんな反応があったとしても、
主は私たちが主の証をすることを望んでおられることを感じました。
わたしももっともっといろんなところで、
主の証をしていきたいと思いました。

神様、
パウロを用いられたあなたが、
わたしをも用いてくださることに感謝します。
おそれながら、感謝します。
あなたの証がいつもいつも口からあふれ出てくるような、
そんな歩みを与えてください。