昨日は朝が-10.8度、
最高気温が-1.1度で、
火曜日から続く氷点下の日々が4日目。
でも、今日あたりはこれを脱出しそうです。
この後21日くらいと、26日くらいに天気が崩れそうですが、
もう、ここまで寒い日が続いたし、
とにかく一回雪が降ったし、
もう春になってもいいかなあ、と思います。
「おお雪だあ!」という興奮も今年はあんまり感じなくて、
年かも・・・。
日本ではNHKの「受信料」っていうものがありましたが、
アンテナでテレビが見えていましたよね。
でも、ここら辺ではケーブルが主流。
アンテナ立っている家もありますが、
室内アンテナとかでは全然見えません。
学生をやってて、寮に入っていたときは、
学内ケーブルでは日本語放送が見れなくて、
でも、どうしても日本語放送見たくて、
「高性能室内アンテナ」っていう50ドルくらいのヤツを買って、
窓にぴたっと貼り付けて、見てました。
でも、ここではケーブル。
そこに最近参入してきたのが、
ファイバーケーブルのTV。
電話やさんのV社が、ケーブルテレビのC社よりも、格安で参入してきました。
インターネット接続も早くて、安定していて、安い。
どうしようかなあ、と思っていた1月の半ば。
個別訪問のセールスにやってきました。
そんなの普通は相手にしないのですが、
今回は興味があったのと、より安くなる・・・これに弱い・・・、プラス100ドルのギフトカード・・・こういうのにも弱い・・・、最初の1ヶ月は無料、最初の1ヶ月以内の解約はペナルティーなし、ということで、話に乗ってしまいました。
設定には3日くらいかかっていましたが、おおむね満足。
まだ最初の請求書が来ていないので、
どれくらいお得なのか分りませんが、
ま、いいかな、と。
ちなみに電話はV社とは別のIP電話で月々20ドルくらいで済んじゃいます。
・・・V社にまとめる方が高くつく・・・
でも、ウチの場合は自宅内でも携帯の電波がいいので、
そのうち、一人一本ずつの携帯があれば、ウチの電話はいらなくなってしまうのでは・・・
なんて思い始めています。
あ、そうそう、何でも競争があるってのはいいみたいで、
C社のケーブルをキャンセルするときに、
「どうして?」と聞かれて、「乗り換えるんだ」と話したら、
「もっと安くするよ!」と言われました。
「もう遅いよ!」と答えたのですが、
はったりでもいいから、「もっと安くしてくれないと乗り換えちゃうよ」というのはいいかもしれません。
何事でも、交渉ですから、この国は。
昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙の2章でした。
「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」2節の言葉です。
御言葉によって成長する。
これの大切さを思わされました。
いいお話はたくさんあります。
言葉だけではなくて、いろんな暖かい態度や行動によって癒されます。
でも、御言葉には特別な力があります。
そのことを最近何度も何度も教えられています。
自分は口では「御言葉です」と言いながら、
ほんとうにその御言葉の力をどれくらい経験してきたか、
どれくらい信頼してきたか、
もう一度探られるような思いがしました。
私自身、御言葉によって成長する、ということを経験させて頂きたいですし、
教会のお一人一人が御言葉によって成長する、ために何ができるか、を
求めていきたいと思います。
励ましていきたいと思います。
主よ、
あなたの御言葉を感謝します。
御言葉によって私自身、成長させてください。
御言葉によって歩ませてください。
実を結ぶ者とならせてください。
そして、そのような教会形成をすることができますように。
2007-02-17
御言葉によって成長する
2007-02-16
2007-02-15
聖なる者となる
今日はまた寒い一日でした。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
朝は-10度。
昼間の最高気温は-5度。
そして夜の10時でまたまた-9度。
これで氷点下daysは連続3日目です。
シカゴとかは連続19日にもなっているようですが・・・。
明日も寒い一日でしょう。
もう一日は確実に氷点下です。
でも、この寒波ももう出口が見えてきているみたいで、
あと一週間ほどで10度くらいまで上がる日も出てくるようです。
春はもうすぐです。
「証し」の第12章。
私は4人兄弟ですが、
それぞれ個性的ではあります。
その中で、兄貴はさすが長男!というところがあります。
その兄貴、名前は「氷小豆」(仮名)と申しますが、
子供の時から「ボクは牧師になるんだ!」と言っておりました。
そして、何においても一生懸命。
そして、積極的でした。
そしてまとめる力もありました。
うらやましいヤツでした。
というか、次男のかきごおりはそのように思っていました。
いつも兄貴のようになりたい。
いつも兄貴はいいなあ、と思っていました。
算数では負けない自信がありましたが、
リーダーシップや信仰ではかなわないと思っていました。
一生懸命友達を教会に誘ってきたり、
友達に神様の話をしたり、
「子供週報」とかを小学校5年生くらいから作って、
マンガとか書いて、配っちゃう氷小豆君にはかなわないと思っていました。
私の教会では、というか、私の中ではいつの間にか「氷小豆神話」が生まれていました。
「氷小豆はすごい」「氷小豆君はいかにも牧師になったらいい、という感じだよね」
そんな声が聞こえてきました。
それは、「うらやましい」と思うと共に「自分にはできない」という劣等感を持っている次男かきごおりには、「氷小豆君はいいけど、かきごおり君はねえ」という声に聞こえてきてしまうんですね。
ですから、第11章の「君は牧師には向いていない、止めた方がいいよ」というKGKの主事の言葉はいつもいつも自分の心の中にあった声でもあったのです。
「だよね・・・。やっぱ、向いていないよね。兄貴みたいに伝道もできないし、リーダーシップもない。クリエイティブなこともできない、話も下手。赤面症、恥ずかしがり屋・・・、向いてないよねえ」
それから悩みました。
そんな中で参加したのが、またまた「大島泉の家」のキャンプ。
集会の後で祈っていました。
「神様、どうしたらいいんでしょうか?私はあなたが召して下さったと思って牧師になろうと思いました。でも、客観的に見たら向いていないんです。兄貴のようにはできません。でも、止めてもいいんですか?止めた方がいいんですか?・・・」
しばらく祈っている中で、聖書の言葉が心に響いてきました。
「私の力はあなたの弱いところに完全にあらわれる」第2コリント12章9節の言葉です。
「ああ、神様の力だ、イエスの力だ、その力が私の『向いていない』ところに完全にあらわれるのだ。だったらいいじゃないか、だったら、神様の力を見せて頂こう。完全な力を見せて頂こう」そう思いました。迷いは完全に吹っ切れました。人の言葉も怖くなくなりました。ホントは人の言葉ではなくて、自分の劣等感だったのだと思います。でも、それでもいい、自分の弱さは自分が一番知っている。その弱さに神様の力を表して頂こう、と思いました。
そして、今、はっきりと申上げられることは、この聖書の言葉は、単に劣等感に捕らえられている人を励ますための言葉ではなく、事実なのだ、ということです。ほんとうに主は私の弱いところにご自分の力を表して下さってきた、ということです。私の弱い、不十分なところ、よくわかっていないところ、未熟なところにその力を表し続けて下さったのだということを思います。そして、これからも、この方は私を用いて下さるのだ、ということを信頼して言うことができます。
さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙に進んでその第1章です。
「あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。」15節の言葉が心に留りました。
「聖なる者」
何か仙人のようになってしまうような感じがします。
世離れしてしまうような気がします。
それは誤解だろうという気持ちもあります。
でも、誤解ではなくてもいいのかもしれません。
「聖なる者」となりたいと単純に思いました。
聖書に書いてあるんだから。
「聖書にはそう書いてあるけど・・・」という生き方もあります。
でも、私は「聖書にはそう書いてあるから・・・」と生きたいと思いました。
そのように書いてあるんだから、神様に「聖なる者」とされたい、と思いました。
「聖」とは「他のものと区別された、特別な」という意味があると言われます。
神様に焦点を合わせた、
神様のみこころに焦点を合わせた、
神様の言葉に焦点を合わせた歩みをしたいと思います。
昨日の佐藤彰先生の言葉のように、
その背後に神様が見えてくるような、そのような者となりたいと思います。
神様がこの人と共におられる、ということがクリスチャン以外の方にも見えるような、
土の器である私の中にあるキリストという宝が輝き出るような者でありたいと思います。
主よ、
私をきよくしてください。
私を聖なる者として下さい。
あなたのことを指し示す、
あなたのすばらしさを表す者とならせてください。
2007-02-14
祈りの力
今日は朝早く起きたらsleetが降っていました。-7.7度C。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
そして最高気温は-2.2度。一日中氷点下。
予定されていたメトロポリタン美術館の宗教画ツアーも中止になって、
朝9時頃、NYに車で行きました。道は結構シャーベット状で時速30マイル=50kmくらいで走っていました。NYに入ったらきれいになるだろうと思ったら、どうしてどうして、歩道も車道もぐしゃぐしゃ。こんな日はいくらNYでもスノーブーツですね。失敗しました。スニーカーで出かけた自分。日本の「つま先用ホッカイロ」が役に立った一日でした。
1時過ぎからは外は吹雪模様。NYにいると降っているのか、ビルの上から風で飛ばされているのか分りませんが、とにかく横殴りの雪が降っていました。
夕方からいろんな方にお会いして、帰ったら10時半。
帰りはすいすいでした。
雪の中の運転、ひどいのは嫌ですけど、ちょっとシャーベットくらいは緊張感があっていい感じです。
今は夜の11時半で、気温は-9.1度。今夜も鬼のように寒い夜です。
「証し」の第11章。
それから2年。大学の4年生になっていました。
お茶の水の学生キリスト教会館、現在のお茶の水キリスト教センター、略してOCCの2階男子トイレの中。一緒に奉仕していた仲間と連れだって用を足していたところにやってきたのが、KGKの主事。KGKは「キリスト者学生会」の略。KGKの主事の方の中には若い方も多いのですが、この方はすでにこのころ、かなり貫禄がありました。
「かきごおり君、牧師になるんだって、やめたほうがいいよ、向いてないよ。○○君、きみなんかどうかなあ。君、牧師になったらいいよ!」
自分が向いていないことなんて人に言われるまでもありませんでした。自分が一番よく知っていました。でも、ここまではっきり言われたことはずっと押さえていたことを表面に引っ張り出すのに十分な効果を持っていました。
さかのぼること4年半。高校2年生のかきごおり少年は理系に進むか文系に進むか迷っていました。将来どんな仕事をしたいか、と考えたときに、一つ当たり前のように出てきたのは、「天気予報のおじさん」。これは私にとっては非常に自然なことでした。今でこそ、「お姉さん」が多いのですが、そのころの天気予報は大体おじさんでした。それも真面目そうな地味系のおじさんでした。その天気予報のおじさんになりたかったのです。そうすると、ぜったい理系ですよね。気象大学校には入りたいと思っていました。もう一つは、「牧師」。これは親の姿を見て、そのような思いを持ちました。また兄が「牧師になるんだ」とよく言っていましたから、「お兄ちゃんがなるなら、ボクもなる」的な気持ちもありました。でも、もちろん、高校生くらいになると、そんな気持ちでは動けないことなんてさすがに分ってきます。悩みました、祈りました。
そして、高校3年生の履修科目を決めなければいけないその直前に、一つの言葉が、心に響いてきました。それは私が、「もしも伝道者になるなら、この言葉によってだけはいやだなあ」と思っていた言葉です。もっと違う言葉を語って欲しかったです。でも、この言葉が心に与えられました。与えられたら、もうかっこいいとか悪いとか、そんなことはどうでも良くなります。
「収穫は多いが、働き人が少ない。」マタイ9:37の言葉です。
この言葉を心に語られて、自分は牧師になる決心をしました。
そして、少しでも役に立つかと思い、文系の大学、「社会学部」を受けることにしました。
実際はあんまり関係なかったかもしれませんが・・・。
そして、「神様が私を召して下さったんだ」との思いを胸に大学4年になっても、就活もせずにいました。
大学の仲間達は売り手市場のそのころ、4月から、どんどん銀行に、商社に内定が出ていました。
その様子を見ながら、このまま牧師になるための学校に進んでいいのだろうか、そんな迷いを持ちながら過ごしていた春。主事の言葉が心に突き刺さりました。
「だよね・・・」
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙5章でした。
「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」16節の言葉です。
祈ろうと思いました。
祈りは聞かれる。
祈りは私を変える。
祈りは平安を与える。
祈りはひらめきを与える。
祈りは主からの語りかけに耳を澄まさせる。
いろんな出来事の中で、いろんな思いが駆けめぐる心。
でも、私には主がおられる。
祈るときに何が起こるか見せて頂こう。主の奇跡を見せて頂こう。
祈ろう。
今日読んだ、佐藤彰先生の著書から
「あなたが神様の前に出て静まり、祈りの時を持つなら、『ああ、この人の背後には神様を感じる。人生経験は私の三分の一しかなくても、この人は神様から立てられた人だ』ということにもなり得るのです。」(「教会形成の喜び」より)
主よ、祈ります。
どうか私を守り、
家族を守って下さい。
教会を守って下さい。
一人ひとりの心を守って下さい。
そして、何よりも御言葉によって支えられて、
御言葉によって砕かれて、主に従う者たちが起されますように。
2007-02-13
神に従う
今日はまた再び氷点下Day。
最高は未明の-0.2度C。
明け方-5度くらいに冷え込んで、
昼間ちょと上がった後、
夕方からどんどん冷え込んできています。
今は夜の9時半ですが、雪で-7.5度C。
うっすら白くなっています。
この後、温度はもう少し下がった後、
上がっていくでしょう。
そして、明日の朝には雪からIce Stormに変わっているでしょう。
Ice StormはSleetとFreezing Rainがありますが、
Sleetは雨が降ってくる途中で凍った氷の粒。
Freezing Rainは途中で凍らなかった雨が、
地面についたとたんに凍り付くやつです。
これはスケートリンクになります。
木や電線に凍り付きます。
場合によっては気温が氷点下を脱するかもしれません。
そうしたら、今度は雨です。
そして、午後はまた雪に戻るという予報が出ています。
と思って外に出たら、もうすでに雪からSleetになっています。
「証し」の第10章です。
「君はほんとうに傲慢な人間だね」と言われて、
どういう意味か分りませんでした。
自分のような、自分の愚かさ、醜さ、偽善性に落ち込んでいる人間は
「傲慢」なんかじゃない、砕かれているんだ、
と思いました。
でも、そんな気持ちを知っておられたのかどうか分りませんが、
先生は続けました。
「君はまだ自分に期待しているのかね。君はもう、あのキリストの十字架に共につけられているんだよ」と。
その時に、私は初めて分りました。
自分が一生懸命がんばっても、
せいぜい偽善者止まり。
外側を繕うことくらいしかできないからこそ、
そんな人間だからこそ、
イエスは十字架にかからなければならなかった。
自分でがんばって立派な人間になれるなら、
イエスは十字架にかからなくてもよかった。
自分がそんな立派な人間ではないから、
イエスは自分を投げ出されたのだ。
そして、その時に、子供の頃から耳にたこができるくらい何度も何度も聞いていた、
「神の愛」「十字架の愛」が自分に注がれていることが頭ではなく心で分りました。
こんな偽善者にしかなれないような人間のために、
命を投げ出して下さった方がいる。
そこまでして下さった方がいた。
その事実に、ほんとうに愛されている喜びを感じました。
大げさではなくて、
今もその愛が自分を生かしている。自分を動かしている。
そう感じます。
それまでは、人がどう思うかが私を動かしていました。
人の期待に応えるのが自分にとって一番大切なことでした。
こう期待されているから、こうしたい、(逆に、したくない、と意固地になったこともありました)
そのように生きてきました。
でも、この時からは、「ありがたい」「私には何ができるだろうか」という思いが、
私を動かすようになりました。
ここから、「伝道」が楽しくなりました。
さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の4章でした。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」7節です。
単純な言葉ですが、
この言葉が私の心に留りました。
神に従う、
当たり前のことですが、
そのことにしっかり立っていきたいと思いました。
調整型の生き方をしてきたかもしれません。
あちらも立ててこちらも立てて・・・と。
でも、本気で神様を信頼して、
神様に従ってきただろうかと反省させられました。
本気で神様に従っていきたいと思います。
軋轢もあるかもしれない、
批判を受けることもあるかもしれない。
でも、主に信頼して、
主に従って歩んでいこうと思います。
主よ、
どうか私を導いて下さい。
私に語り続けてください。
そして、私が大胆にあなたに従っていくことができますように。
本気で従っていくことができますように。
勇気と愛を与えて下さい。
最高は未明の-0.2度C。
明け方-5度くらいに冷え込んで、
昼間ちょと上がった後、
夕方からどんどん冷え込んできています。
今は夜の9時半ですが、雪で-7.5度C。
うっすら白くなっています。
この後、温度はもう少し下がった後、
上がっていくでしょう。
そして、明日の朝には雪からIce Stormに変わっているでしょう。
Ice StormはSleetとFreezing Rainがありますが、
Sleetは雨が降ってくる途中で凍った氷の粒。
Freezing Rainは途中で凍らなかった雨が、
地面についたとたんに凍り付くやつです。
これはスケートリンクになります。
木や電線に凍り付きます。
場合によっては気温が氷点下を脱するかもしれません。
そうしたら、今度は雨です。
そして、午後はまた雪に戻るという予報が出ています。
と思って外に出たら、もうすでに雪からSleetになっています。
「証し」の第10章です。
「君はほんとうに傲慢な人間だね」と言われて、
どういう意味か分りませんでした。
自分のような、自分の愚かさ、醜さ、偽善性に落ち込んでいる人間は
「傲慢」なんかじゃない、砕かれているんだ、
と思いました。
でも、そんな気持ちを知っておられたのかどうか分りませんが、
先生は続けました。
「君はまだ自分に期待しているのかね。君はもう、あのキリストの十字架に共につけられているんだよ」と。
その時に、私は初めて分りました。
自分が一生懸命がんばっても、
せいぜい偽善者止まり。
外側を繕うことくらいしかできないからこそ、
そんな人間だからこそ、
イエスは十字架にかからなければならなかった。
自分でがんばって立派な人間になれるなら、
イエスは十字架にかからなくてもよかった。
自分がそんな立派な人間ではないから、
イエスは自分を投げ出されたのだ。
そして、その時に、子供の頃から耳にたこができるくらい何度も何度も聞いていた、
「神の愛」「十字架の愛」が自分に注がれていることが頭ではなく心で分りました。
こんな偽善者にしかなれないような人間のために、
命を投げ出して下さった方がいる。
そこまでして下さった方がいた。
その事実に、ほんとうに愛されている喜びを感じました。
大げさではなくて、
今もその愛が自分を生かしている。自分を動かしている。
そう感じます。
それまでは、人がどう思うかが私を動かしていました。
人の期待に応えるのが自分にとって一番大切なことでした。
こう期待されているから、こうしたい、(逆に、したくない、と意固地になったこともありました)
そのように生きてきました。
でも、この時からは、「ありがたい」「私には何ができるだろうか」という思いが、
私を動かすようになりました。
ここから、「伝道」が楽しくなりました。
さて、今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の4章でした。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。」7節です。
単純な言葉ですが、
この言葉が私の心に留りました。
神に従う、
当たり前のことですが、
そのことにしっかり立っていきたいと思いました。
調整型の生き方をしてきたかもしれません。
あちらも立ててこちらも立てて・・・と。
でも、本気で神様を信頼して、
神様に従ってきただろうかと反省させられました。
本気で神様に従っていきたいと思います。
軋轢もあるかもしれない、
批判を受けることもあるかもしれない。
でも、主に信頼して、
主に従って歩んでいこうと思います。
主よ、
どうか私を導いて下さい。
私に語り続けてください。
そして、私が大胆にあなたに従っていくことができますように。
本気で従っていくことができますように。
勇気と愛を与えて下さい。
2007-02-12
BかMか
今日は暖かくなりました。
朝は-6度でしたが、昼間は5度まで上がりました。
でも、今、北の方から冷たい空気が下がってきています。
今夜はまたかなり冷え込むでしょう。
そして、明日の夕方から雪です。
昨日の朝までのBlizzardの声に変わって、
Mixed Precipitationの声が広がっています。
暖かい空気が南や東から入ってきて、
雪がSleetやFreezing Rainに変わるということです。
もっと暖かくなると、「雨」なんですが、
NYCはそうかもしれませんが、ここら辺は微妙みたいです。
まだまだ分らない状況です。
「大したことはない」
「Ice Stormで電線がやられる」
「吹雪でwhiteout!」
いろんな可能性があります。
積雪量も3-5センチから15センチ以上までいろいろありますが、
さすがに30センチ以上を予想するところはないみたいです。
明日にはもうちょっとはっきりすると思うのですが・・・。
今日はまた遅くなったので、
聖書の言葉に行きます。
今日はヤコブの手紙の3章を読みました。
「いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。」12節の言葉です。
結局、表面的なことではなく、
中身なんですよね。
中身がきよめられていないと、
どんなに表面的にいいものを出そうと思っても、
それは出るわけがない。
だから、いつもいつも心の内側に気をつけなさい、ということ。
心の中にあるものが表面に出てくる、
外側に出てくる。
だから、いつもいつも神様の前に歩む、
神様と共に歩む、
心を主に支配して頂く、
それがどれほど大切かと思います。
表面的にかざってもしょうがない。
一時的にだまされる人がいても、
やがて、ばれていく。
「隠れているもので、明らかにされないものはない」
主よ、
心の内側に目を留めます。
きよめてください。
砕いてください。
満たして下さい。
あふれて下さい。
外側はついてくる。
それを単純に信じて、歩ませて下さい。
朝は-6度でしたが、昼間は5度まで上がりました。
でも、今、北の方から冷たい空気が下がってきています。
今夜はまたかなり冷え込むでしょう。
そして、明日の夕方から雪です。
昨日の朝までのBlizzardの声に変わって、
Mixed Precipitationの声が広がっています。
暖かい空気が南や東から入ってきて、
雪がSleetやFreezing Rainに変わるということです。
もっと暖かくなると、「雨」なんですが、
NYCはそうかもしれませんが、ここら辺は微妙みたいです。
まだまだ分らない状況です。
「大したことはない」
「Ice Stormで電線がやられる」
「吹雪でwhiteout!」
いろんな可能性があります。
積雪量も3-5センチから15センチ以上までいろいろありますが、
さすがに30センチ以上を予想するところはないみたいです。
明日にはもうちょっとはっきりすると思うのですが・・・。
今日はまた遅くなったので、
聖書の言葉に行きます。
今日はヤコブの手紙の3章を読みました。
「いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。」12節の言葉です。
結局、表面的なことではなく、
中身なんですよね。
中身がきよめられていないと、
どんなに表面的にいいものを出そうと思っても、
それは出るわけがない。
だから、いつもいつも心の内側に気をつけなさい、ということ。
心の中にあるものが表面に出てくる、
外側に出てくる。
だから、いつもいつも神様の前に歩む、
神様と共に歩む、
心を主に支配して頂く、
それがどれほど大切かと思います。
表面的にかざってもしょうがない。
一時的にだまされる人がいても、
やがて、ばれていく。
「隠れているもので、明らかにされないものはない」
主よ、
心の内側に目を留めます。
きよめてください。
砕いてください。
満たして下さい。
あふれて下さい。
外側はついてくる。
それを単純に信じて、歩ませて下さい。
2007-02-11
行いと共に働く信仰
今日も2日連続でプラスになりました。
朝は-8度くらいまで下がりましたが(ちゃんと記録していない)、
最高気温は1.9度まで上がりました。
今も夜の9時半ですが、まだ-3.3度です。
明日までは比較的穏やかな天気でしょう。
問題は火曜日の午後から水曜日です。
南にそれるという可能性はほとんどなくなってしまったようです。
水曜日の降水確率は100パーセントをつけるところも出てきてしまいました。
問題は、低気圧が昨日の予想よりも内陸を通るという可能性が出てきて、
雪が雨に変わるかもしれないと言うこことです。
変わらなければ、30センチから60センチくらいの大雪、
プラス強風のBlizzardになる可能性もあります。
48時間後の予報ですから、だんだん確率が上がってきます。
1996年1月のBlizzardの時にも、
あれは日曜日の昼頃から降り始めて、月曜日の昼まで24時間降り続いたのですが、
降り始める36時間前までは、「南にそれる」と言っていたのが、
24時間前には「こちらに来るでしょう」
6時間前には「この雪はインチではなくてフィートで測る雪です」と予報を変えてきました。
その日の朝のスーパーマーケットの買い物する人たちの目の色が違ったのを驚いて見ていたのを、
思い出します。
水曜日はメトロポリタン美術館の宗教画ツアーの予定があるので、
大雪はゴメンしたんですが・・・。
accuweather.comのHenryさんのブログを読むと、
「すごいのがくるぞー」と大騒ぎをしています。
さて、どうなることでしょうか?
今日は日曜日でした。
ちょっとお休みだった方もいつもより多かったのかなあ、と思います。
でも、今日の良かったのは、礼拝の後、
時間があったこと、あまり「ミーティング」「ミーティング」に忙殺されないで、
ゆっくりいろんな方とお話ができたこと。
私にとって、ほんとうに大切なことだと思います。
今、教会は自分たちの会堂を持つために動き始めています。
夕方には売りに出ているユダヤ教の会堂を見に行きました。
いいですねえ。
それなりの金額はしますが・・・。
神様が私たちをどこに導こうとされているのかまだ分りませんが、
楽しみです。
でも、それ以上に楽しみなのは、
神様がこのことを通して、どのように私たちを取り扱おうとされているかです。
私たちを御言葉によって取り扱い、整えて下さるかです。
それをもっともっと祈って、もっともっと神様のすばらしさを語り合って、
すばらしい御業を見せて頂きたいと思います。
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章を読みました。
心に留った言葉は、
「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ・・・」という22節の言葉です。
信仰は行いが伴わないと、意味がない。
ほんとうにそう思います。
「信じている」と言うことは簡単です。
でも、それは行動にならないものでは、「信じている」ということにはならないのです。
信じているなら、そのように行動するはずです。
信じているなら、そのような言葉が出てくるはずです。
言葉だけの人間にならないでいたいと思います。
信じているなら、主を信頼しているなら、
聖書の御言葉を信頼しているなら、
そこに自分の人生をかけていく者でありたいと思います。
生活自体が神様の支配の元で守られていくようにと願います。
主よ、
どうか、私の信仰が、
あなたに対する信頼が、
私の人生を、生活を支配するように、
守って下さい。
生きた、ホンモノの信仰に生かしてください。
教会の中にもそれがあふれますように。
朝は-8度くらいまで下がりましたが(ちゃんと記録していない)、
最高気温は1.9度まで上がりました。
今も夜の9時半ですが、まだ-3.3度です。
明日までは比較的穏やかな天気でしょう。
問題は火曜日の午後から水曜日です。
南にそれるという可能性はほとんどなくなってしまったようです。
水曜日の降水確率は100パーセントをつけるところも出てきてしまいました。
問題は、低気圧が昨日の予想よりも内陸を通るという可能性が出てきて、
雪が雨に変わるかもしれないと言うこことです。
変わらなければ、30センチから60センチくらいの大雪、
プラス強風のBlizzardになる可能性もあります。
48時間後の予報ですから、だんだん確率が上がってきます。
1996年1月のBlizzardの時にも、
あれは日曜日の昼頃から降り始めて、月曜日の昼まで24時間降り続いたのですが、
降り始める36時間前までは、「南にそれる」と言っていたのが、
24時間前には「こちらに来るでしょう」
6時間前には「この雪はインチではなくてフィートで測る雪です」と予報を変えてきました。
その日の朝のスーパーマーケットの買い物する人たちの目の色が違ったのを驚いて見ていたのを、
思い出します。
水曜日はメトロポリタン美術館の宗教画ツアーの予定があるので、
大雪はゴメンしたんですが・・・。
accuweather.comのHenryさんのブログを読むと、
「すごいのがくるぞー」と大騒ぎをしています。
さて、どうなることでしょうか?
今日は日曜日でした。
ちょっとお休みだった方もいつもより多かったのかなあ、と思います。
でも、今日の良かったのは、礼拝の後、
時間があったこと、あまり「ミーティング」「ミーティング」に忙殺されないで、
ゆっくりいろんな方とお話ができたこと。
私にとって、ほんとうに大切なことだと思います。
今、教会は自分たちの会堂を持つために動き始めています。
夕方には売りに出ているユダヤ教の会堂を見に行きました。
いいですねえ。
それなりの金額はしますが・・・。
神様が私たちをどこに導こうとされているのかまだ分りませんが、
楽しみです。
でも、それ以上に楽しみなのは、
神様がこのことを通して、どのように私たちを取り扱おうとされているかです。
私たちを御言葉によって取り扱い、整えて下さるかです。
それをもっともっと祈って、もっともっと神様のすばらしさを語り合って、
すばらしい御業を見せて頂きたいと思います。
今日の聖書。
今日はヤコブの手紙の2章を読みました。
心に留った言葉は、
「彼の信仰は彼の行ないとともに働いたのであり、信仰は行ないによって全うされ・・・」という22節の言葉です。
信仰は行いが伴わないと、意味がない。
ほんとうにそう思います。
「信じている」と言うことは簡単です。
でも、それは行動にならないものでは、「信じている」ということにはならないのです。
信じているなら、そのように行動するはずです。
信じているなら、そのような言葉が出てくるはずです。
言葉だけの人間にならないでいたいと思います。
信じているなら、主を信頼しているなら、
聖書の御言葉を信頼しているなら、
そこに自分の人生をかけていく者でありたいと思います。
生活自体が神様の支配の元で守られていくようにと願います。
主よ、
どうか、私の信仰が、
あなたに対する信頼が、
私の人生を、生活を支配するように、
守って下さい。
生きた、ホンモノの信仰に生かしてください。
教会の中にもそれがあふれますように。
2007-02-10
試練をこの上もない喜びとする
今日2回目の更新です。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。
そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。
いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。
さて、「証し」の第9章。
自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。
子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。
「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。
すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。
そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?
いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」
最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」
さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節
何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。
信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。
そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。
とうとう氷点下Daysを脱出しました!
今日の最高気温は何と1.8度まで上がったのです。
でも、今午後6時過ぎですでに-3度まで下がっています。
今夜もまた厳しく冷え込みそうです。
そして、来週のstormですが、
今日の午後になってBlizzardの言葉が踊り始めました。
南にそれるのではなくて、
北に上がってくる確率の方が上がってきたからです。
いろんな天気予報のコンピューターモデルが
そろって、ニュージャージー沖で低気圧が急速に発達する予想を出してきたのです。
日本でも「爆弾低気圧」という呼び方をするようになってきていますが、
こちらでも、the storm system is exploding(低気圧が爆発する)という言い方をします。
まさにそれの可能性があります。13日から14日にかけて・・・。
両日とも教会のプログラムが入っているので、
何とか外れて欲しいのですが・・・。
さて、「証し」の第9章。
自分が偽善者だと気がついたとき、
ほんとうに落ち込みました。
自分をののしり、「おまえは偽善者だ!」と日記に書き殴りました。
子供の時から聖書を読んでいる中で、
こういうタイプの人間にはなりたくないと思っている種類の人々がいました。
それは「律法学者」であり、「パリサイ人」でした。
規則を細かく守りながら、
でも心の中は醜いものでいっぱい、
傲慢で、人を見下げている人々。
イエスも「おまえ達は白く塗った墓だ」と彼らを厳しく非難しました。
「ほんとうに嫌な連中だ!」と私は聖書を読むたびに思っていました。
でも、気がついたら自分がその偽善者になっていた。
すべてがバカらしくなりました。
聖書を読むことも、
お祈りをすることも、
奉仕をすること、
教会に行くこと、
伝道をすること
すべてがバカらしくなりました。
子供の頃から一生懸命やってきて、
それで自分が一番なりたくないような種類の人間になっていたわけですから。
そして、最後は生きていることさえもバカらしくなりました。
この後どうして生きていったらいいか?
「人間なんてみんな偽善者だ」と割り切って生きていくか、
このまま偽善を通して生きるか?
いろんな人に相談しました。
あまり相手にして頂けませんでした。
「若いっていいね」「そんなこと気にしていてはダメだよ」「君は立派だよ」
最後の期待を持って、
あの大島のキャンプ場で、自分の父親くらいの先生に話しました。
先生は私の話をしっかり聞いてくださいました。
そして、言われました。「君はほんとうに傲慢な人間だね」
さて、今日の聖書。
今日は続いてヤコブの手紙に入りました。
ヤコブの手紙の1章。
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」2-4節
何といっても、最初の「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」という言葉があまりにも衝撃的です。試練の中で「これはすごい喜びだ」と思うなんて、そりゃないよ、と思いますが、でも、その後の続く言葉はまた魅力的な言葉です。そこで忍耐が生じる。そして成長させられるのだというのです。
信仰が試されるとき。
それは神様が私たちを試されるこの上もないチャンスなのです。
ものすごく大きなチャンスなのです。
そこで、「忍耐」ということが大切だと言います。
忍耐。できるだろうかと思います。
逃げ出したくなる方です。投げ出したくなる方です。
ほんとうに主のなさることを信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
守って下さい。
忍耐を経験させて下さって、
そこで与えられる訓練、「整えられる」ということを経験させて下さいますように。
次に私に大きな試練がやってくるときに、
またこの言葉を思い出させて下さい。
キリストのはずかしめを身に負う
昨日も氷点下Dayが続きました。
朝が-8.8度C。
最高気温が何と-0.1度C!
これで7日連続。
今朝の最低は-7度。
昼間はもしかしたらやっとプラスになるかもしれません。
そして、Stormの噂ですが、
うーん、南にそれるかも・・・。
13-14日にかけてちょっと降るくらいかなあ、という感じです。
こればっかりは月曜日くらいにならないとはっきり分りません。
少なくとも低気圧が東海岸に来ることは確かなんですが、
どこまで北に上がってくるのかが微妙です。
北からの高気圧に押さえ込まれて、
大雪はフィラデルフィア止まり、というのが、
今のところの予想です。
「証し」の第8章。
それで、20歳の時。
夏でした。
私は時々伊豆大島にあるホーリネス教団のキャンプ場に
ワーカーとして奉仕に行っていました。
この大島泉の家・・・何だか重い、このサイト。
私はここで育てられました。
船に乗っていかなければ行けないというところがまたいいんですよね。
一度行ったらもう終わるまで帰れないし、
他に周りに何もない、真っ暗なところ、
停電したときなんかなーんにも見えませんでした。
それから星がきれい、
海がきれい、
クワガタがたくさんいる・・・
まあいろいろあったのですが、
何よりも良かったのは、そこで持たれたキャンプが、毎回毎回良かった。
教会の規模は今のJCCNJと同じくらいなんですが、
中高生はうちの兄弟とちょこちょこ・・・。
で、このキャンプ場に来て、50人とか、100人とかの仲間の中に入って、
中高生向けのメッセージを聞いて、
共に歌って、共に祈って、
悔い改めに導かれたり、
友達のために祈ったり、
新しくされて帰ってきたものでした。
行き帰りの船の中では前の方に集まって、
みんなで賛美をしました。
そのキャンプ場で大学生になってからは
時々ワーカーをしていたわけです。
ワーカーをしているときには、
一生懸命陰の奉仕をします。
朝は5時半とか5時とかから朝ご飯の準備、
みんなが海に遊びに行っているときにはキャンプファイアーの準備とか、
夕食の準備とか、
汗だくになりながら、泥だらけになりながら、奉仕をしていました。
そんな陰の奉仕に気がついて、
声をかけて下さる方々もおられました。
「君のような人がいるからキャンプができるんだよ、ありがとう」
そして、キャンプが終わって家に帰ったとき、
自分が一人でいるときに、キャンプの裏方で奉仕をしていたときの自分と
まるで違う、心の中に醜いものがたくさん渦巻いている自分に気がついたのです。
その時、私は自分が「偽善者」だということに気がついてしまったのです・・・
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の最後、13章を読みました。
心に留った言葉は、
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」13節の言葉です。
イエスの足跡を踏む。
「そんなこと必要ないでしょう」
2000年前にもサタンはイエスに言った。
今日もサタンは私に言う。
「そんなこと必要ないでしょう」と。
「キリストのはずかしめ」
自分にとってなんだろうかと思います。
「宿営の外に出ること」
私にとって何を意味するのでしょうか?
それはある時には逃げたくなることでしょうし、
地味な働きで、誰にも気がつかれないことかもしれません。
いや、もしかしたらやはり「はずかしめ」ですから、
逆の意味で注目されるのかもしれません。
でも、主がそれを望まれることであれば、
勇気を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
イエスさまの十字架のあとをついて行かせて下さい。
イエスさまが歩まれたように歩ませて下さい。
勇気を与えて下さい。
道を示して下さい。
朝が-8.8度C。
最高気温が何と-0.1度C!
これで7日連続。
今朝の最低は-7度。
昼間はもしかしたらやっとプラスになるかもしれません。
そして、Stormの噂ですが、
うーん、南にそれるかも・・・。
13-14日にかけてちょっと降るくらいかなあ、という感じです。
こればっかりは月曜日くらいにならないとはっきり分りません。
少なくとも低気圧が東海岸に来ることは確かなんですが、
どこまで北に上がってくるのかが微妙です。
北からの高気圧に押さえ込まれて、
大雪はフィラデルフィア止まり、というのが、
今のところの予想です。
「証し」の第8章。
それで、20歳の時。
夏でした。
私は時々伊豆大島にあるホーリネス教団のキャンプ場に
ワーカーとして奉仕に行っていました。
この大島泉の家・・・何だか重い、このサイト。
私はここで育てられました。
船に乗っていかなければ行けないというところがまたいいんですよね。
一度行ったらもう終わるまで帰れないし、
他に周りに何もない、真っ暗なところ、
停電したときなんかなーんにも見えませんでした。
それから星がきれい、
海がきれい、
クワガタがたくさんいる・・・
まあいろいろあったのですが、
何よりも良かったのは、そこで持たれたキャンプが、毎回毎回良かった。
教会の規模は今のJCCNJと同じくらいなんですが、
中高生はうちの兄弟とちょこちょこ・・・。
で、このキャンプ場に来て、50人とか、100人とかの仲間の中に入って、
中高生向けのメッセージを聞いて、
共に歌って、共に祈って、
悔い改めに導かれたり、
友達のために祈ったり、
新しくされて帰ってきたものでした。
行き帰りの船の中では前の方に集まって、
みんなで賛美をしました。
そのキャンプ場で大学生になってからは
時々ワーカーをしていたわけです。
ワーカーをしているときには、
一生懸命陰の奉仕をします。
朝は5時半とか5時とかから朝ご飯の準備、
みんなが海に遊びに行っているときにはキャンプファイアーの準備とか、
夕食の準備とか、
汗だくになりながら、泥だらけになりながら、奉仕をしていました。
そんな陰の奉仕に気がついて、
声をかけて下さる方々もおられました。
「君のような人がいるからキャンプができるんだよ、ありがとう」
そして、キャンプが終わって家に帰ったとき、
自分が一人でいるときに、キャンプの裏方で奉仕をしていたときの自分と
まるで違う、心の中に醜いものがたくさん渦巻いている自分に気がついたのです。
その時、私は自分が「偽善者」だということに気がついてしまったのです・・・
さて、昨日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の最後、13章を読みました。
心に留った言葉は、
「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」13節の言葉です。
イエスの足跡を踏む。
「そんなこと必要ないでしょう」
2000年前にもサタンはイエスに言った。
今日もサタンは私に言う。
「そんなこと必要ないでしょう」と。
「キリストのはずかしめ」
自分にとってなんだろうかと思います。
「宿営の外に出ること」
私にとって何を意味するのでしょうか?
それはある時には逃げたくなることでしょうし、
地味な働きで、誰にも気がつかれないことかもしれません。
いや、もしかしたらやはり「はずかしめ」ですから、
逆の意味で注目されるのかもしれません。
でも、主がそれを望まれることであれば、
勇気を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
イエスさまの十字架のあとをついて行かせて下さい。
イエスさまが歩まれたように歩ませて下さい。
勇気を与えて下さい。
道を示して下さい。
2007-02-09
2007-02-08
ゆりうごかされないもの
氷点下Days 第6日。
今日も朝は-10.5度C。
昼間は-2度まで上がりましたが、それで終わり。
今は夜の10時半ですが-6.5度Cです。
明日の朝も-10度くらいでしょう。
明日はプラスになる可能性があることにはあります。
上がっても1度とかでしょうが・・・。
今週は一週間「寒い」+「晴れ」という天気予報をする人にとっては楽なような、退屈なような天気だったのですが、来週からはそうはいかないようです。何度か雪の可能性があります。
まず最初は13日。これは南にそれて、こっちに来ても、大雪にはならないようです。
その次が16日くらい。その次が19日くらいです。
去年の記録を見てみると、
ちょうど2月の12日に40センチくらいの大雪になっています。
あまり興奮しすぎないように注目していこうと思います。
今日は息子の16回目の誕生日。
年々頼もしくなってくる息子を見て、主に感謝します。
私たちは結婚と同時に「神様のいいと思われる一番早いタイミングで子供を与えて下さい」と祈り始めたのですが、「神様のいいと思われる一番早いタイミング」というのがかなり早かったようで、結婚2ヶ月足らずで妊娠が分かりました。そして、「切迫流産で絶対安静、トイレに行く以外は立ち歩かないように」というお医者さんの話でした。しかし、奉仕に追われ、使命感に燃えていた私は・・・妻に対する思いやりもなく・・・「そんなのできないよね」と聞き流していました。
それを知った教会のある方が厳しくまた愛をもって涙ながらに私を諭して下さいました。その命がどれくらい大切なものか、この時期安静にすることがどれほど大切なことなのか、安静にしていても無理な場合もある、でも、無理をして赤ちゃんがなくなってもしょうがない、というのはおかしいと、ご自分たちの経験を含めて語ってくださいました。そして、その後安定期にはいるまでの2、3ヶ月の間、近所の集会に集っておられる皆さんがおかずを一品ずつ持ち寄って、まとめて運んでくださいました。そんな愛と祈りの中で、この世に迎えられた息子はほんとうに幸せ者だと思います。
これからの息子の人生の中でも、神様が場所場所に良いアドバイスを下さる方々を与えて下さって、人間的に成長させて下さるようにと祈らされます。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙12章を読みました。
その中でいろんな言葉が心に留ったのですが、
最後の方の言葉、
『この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。』(27節)
これが心に深く届きました。
「揺り動かされるものが取り除かれる」
それは決して揺り動かされることがないものが残るため
といいます。
これは直接的には世の終わりのことを指しているのだと思います。
でも、それだけではなくて、私たちの人生の中で、
ほんとうに変わらないものをあきらかにするために、
変わるものが取り去られることがある、ということを語られたように思いました。
変わるものは取り去られてもいい、取り去られた方がいい、
それはほんとうに変わらない、たいせつなものが明らかにされるため。
私も決して変わらない、大切なものを第一に、そこをしっかり見据えながら歩んでいきたいと思いました。
主よ、
どうかほんとうに大切なもの、
ほんとうにかわらないものを見せてください。
そしてそこに焦点を当てて、歩んでいく者とならせてください。
そのために変わってしまうもの、揺り動かされるものが、取り除かれることをも
恐れない、強さを与えて下さい。
今日も朝は-10.5度C。
昼間は-2度まで上がりましたが、それで終わり。
今は夜の10時半ですが-6.5度Cです。
明日の朝も-10度くらいでしょう。
明日はプラスになる可能性があることにはあります。
上がっても1度とかでしょうが・・・。
今週は一週間「寒い」+「晴れ」という天気予報をする人にとっては楽なような、退屈なような天気だったのですが、来週からはそうはいかないようです。何度か雪の可能性があります。
まず最初は13日。これは南にそれて、こっちに来ても、大雪にはならないようです。
その次が16日くらい。その次が19日くらいです。
去年の記録を見てみると、
ちょうど2月の12日に40センチくらいの大雪になっています。
あまり興奮しすぎないように注目していこうと思います。
今日は息子の16回目の誕生日。
年々頼もしくなってくる息子を見て、主に感謝します。
私たちは結婚と同時に「神様のいいと思われる一番早いタイミングで子供を与えて下さい」と祈り始めたのですが、「神様のいいと思われる一番早いタイミング」というのがかなり早かったようで、結婚2ヶ月足らずで妊娠が分かりました。そして、「切迫流産で絶対安静、トイレに行く以外は立ち歩かないように」というお医者さんの話でした。しかし、奉仕に追われ、使命感に燃えていた私は・・・妻に対する思いやりもなく・・・「そんなのできないよね」と聞き流していました。
それを知った教会のある方が厳しくまた愛をもって涙ながらに私を諭して下さいました。その命がどれくらい大切なものか、この時期安静にすることがどれほど大切なことなのか、安静にしていても無理な場合もある、でも、無理をして赤ちゃんがなくなってもしょうがない、というのはおかしいと、ご自分たちの経験を含めて語ってくださいました。そして、その後安定期にはいるまでの2、3ヶ月の間、近所の集会に集っておられる皆さんがおかずを一品ずつ持ち寄って、まとめて運んでくださいました。そんな愛と祈りの中で、この世に迎えられた息子はほんとうに幸せ者だと思います。
これからの息子の人生の中でも、神様が場所場所に良いアドバイスを下さる方々を与えて下さって、人間的に成長させて下さるようにと祈らされます。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙12章を読みました。
その中でいろんな言葉が心に留ったのですが、
最後の方の言葉、
『この「もう一度」ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。』(27節)
これが心に深く届きました。
「揺り動かされるものが取り除かれる」
それは決して揺り動かされることがないものが残るため
といいます。
これは直接的には世の終わりのことを指しているのだと思います。
でも、それだけではなくて、私たちの人生の中で、
ほんとうに変わらないものをあきらかにするために、
変わるものが取り去られることがある、ということを語られたように思いました。
変わるものは取り去られてもいい、取り去られた方がいい、
それはほんとうに変わらない、たいせつなものが明らかにされるため。
私も決して変わらない、大切なものを第一に、そこをしっかり見据えながら歩んでいきたいと思いました。
主よ、
どうかほんとうに大切なもの、
ほんとうにかわらないものを見せてください。
そしてそこに焦点を当てて、歩んでいく者とならせてください。
そのために変わってしまうもの、揺り動かされるものが、取り除かれることをも
恐れない、強さを与えて下さい。
2007-02-07
行き先を知らないで
氷点下Days 第5日目。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。
昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。
明日も氷点下の一日となると思います。
今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・
ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。
夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。
もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。
その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。
そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。
静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。
それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。
いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。
そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。
それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。
主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。
ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。
主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。
主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。
今朝は-10.6度C。
昼間には-3.5度Cまで上がりましたが、
もちろん氷点下脱出にはほど遠い温度。
今は夜の11時半で-8.2度です。
昨夜よりはずっとましですが、
やっぱり明日の朝は-10度以下なんでしょう。
明日も氷点下の一日となると思います。
今日は「証し」の続きを書こうと思っていたのですが、
昨日もいかにも「明日をお楽しみに・・・」という終わり方でしたしねえって教会の人たちはもう耳にたこができるくらい聞いておられるので、この後の展開も皆さんご存じなんですが・・・
ちょっとうれしいことがあったので、おあずけ。
夜にある方からお電話をいただいて、
主が心に触れて下さった、
語ってくださったことを分ち合ってくださいました。
平安が与えられたことを伝えてくださいました。
もちろん、ここに内容を書くようなことではないのですが、(そんなことしたら、誰も電話しなくなるって・・・)ほんとうに良かったなあ、と思いました。
その後、お風呂に入って・・・てあのアメリカの浅いバスタブなので、半身浴。でも、いつかいただいた入浴剤入れて、雑誌持ってゆっくり入っていました。神様に感謝しながら・・・。
そして、そこから上がろうとしたときに、
心に響いてきた言葉がありました。
「静まって、私こそ神であることを知れ」
詩篇の46篇の言葉です。
静まることの大切さ、祈ることの大切さ、主を信頼することの大切さを思わされました。
主は信頼に足る方です。
私たちが焦って八方手を尽くすよりも、
主の御業を待ち望みたいと思います。
それで、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙11章でした。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」18節の言葉です。
いやあ、どんなに不安だったことかと思います。
でも、またそれと共に、こんな大胆なことをするとは、
どれほど確信であふれていたかと思います。
そう、御言葉が語られるときに、
召しが与えられるときに、
それがどんなに突拍子もないことであっても、
それに従うのが平安なのです。
それに従わないのは、
どんなに人間的に見て、賢明なことであったとしても、
どんなに周りの人が肯定してくれても、
不安なのです。
主がそのように語ってくださったら、
そこに進んでいくことです。
行き先を知らなくても。
大体、私たちは自分の明日の命さえ分らない存在です。
ならば、誰も「行き先を知っている」という人はいないはずです。
主の御言葉を待ち望んでいきたいと思います。
主が語ってくださること、
主が私の心に、
一人ひとりの心に語ってくださることを
待ち望んで歩んでいきたいと思います。
主よ、
今日の一日に感謝します。
あなたが与えて下さった一つ一つの出会いに感謝します。
一つ一つのみことばに感謝します。
一人ひとりに語ってくださったことに感謝します。
どうか、あなたの語りかけを私に与えて下さい。
そして、一人ひとりに語ってください。
2007-02-06
大胆に!
今日2回目の更新。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。
今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?
一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。
氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。
久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。
そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。
聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。
そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。
高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。
また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。
20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。
続きは8章で・・・。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。
今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。
最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。
だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。
そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。
主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
私の心を守って下さい。
先ほど教会に行く用事があって、
出かけていました。
寒い!
言いたくはないですが、寒いです。
今、夜の9時過ぎで-9.3度。
今夜はどこまで下がるのでしょうか?
また-13度くらいでしょうか?
一発がーんと冷えて-15度とかよりも、
こうやって、毎晩毎晩-13度は結構きついですねえ。
氷点下DAYS4日目。
週末、氷点下脱出は微妙です。
もしかしたら、このまま氷点下記録を更新し続けて来週に突入することになるかもしれません。
久しぶりの「証し」第7章。
20歳になりました。
いろいろ悩みながらではありましたが、
まあ、真面目に神様を信じて生きていました。
そしていつの間にか、自分の信仰の姿勢に誇りを持つようになっていました。
それが「傲慢」になっていったのです。
聖書も(ほぼ)毎日読んでいました。
お祈りもしていました。
教会も休みませんでした。
友達も誘いました。
献金も思いっきりささげていました。
そんな自分のクリスチャンとしての歩みが自慢でした。
そして、そうできない友人を見下げていました。
高校時代は桶に入っていた、ん?オケに入っていたのですが、
合宿とかが日曜日に重なると悩んでいましたねえ。
オケと合唱で合わせて音楽部(オペラとかやっていましたからねえ)だったのですが、
一回は合宿に行って、日曜日にその場で、人を集めて「日曜礼拝」までやっていましたねえ。
結構集まりましたよ。60人くらいのうち、20人か30人か・・・。
また大学受験の時は
意地でも日曜日にある模擬試験は受けませんでした。
今考えるとなんて嫌なヤツなんだろうと思うのですが、
日曜日に模擬試験に行っていた教会の友人には、
「そこまでして大学行きたいか?」とか毒づいていました。
20歳になった夏、そんな自分の傲慢な気持ちが打ち砕かれるときがやってきました。
私にとっての大きなターニングポイントです。
続きは8章で・・・。
今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙の10章を読みました。
「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。」19節。
今日はこの言葉がとてもうれしかったです。
私たちは恐れることなく、遠慮することもなく、
大胆に神様の懐に飛び込んでいいと。
最近、「罪を忘れない」という気持ちが強すぎたのかもしれません。
神様に申し訳ない、という気持ちになってきていました。
でも、主は私を赦し、私の罪を忘れてくださっている。
だから、大胆に飛び込んでいい。
大胆に主の恵みの中で安らいでいい。
主に信頼していい。
そのように思わされて、何かとてもうれしくなってきました。
主よ、
感謝します。
あなたの懐に大胆に飛び込んでいけることに心から感謝します。
安心して、喜んで飛び込ませて頂きます。
どうか私の歩みを支え、導き、喜びで満たして下さい。
私の心を守って下さい。
心をきよめるイエス
さぶいですねえ。
今朝も-12.5度。
昼間は「今日は暖かくなりましたねえ」という挨拶が交わされるような温度までは上がりましたが、実は-3.5度C。風が穏やかになってきたので、暖かく感じるのでしょう。
でも、我が家のガレージは「冷蔵庫」から「冷凍庫」になってきたみたいで、野菜が軒並み凍結。
今日は2回のアップデートで、「一日一章」も追いつこうと思って、早い時間に更新中。
昨日の夕方から、なぜかコンピューターが立ち上がらない。
焦りますねえ。いかにコンピューターに頼った生活をしているかということですが、
ホント、ろくにデータのバックアップもとっていないし、
やばいなあ、と思っていろいろ格闘。
電源を入れるとBIOSまでは行くのですが、
その後、左上にカーソルが点滅したまま、何も起らない。
しかし、その後、なぜか、F2KeyでBIOSに入ってexitすると立ち上がることを発見。
でも、そんな条件で検索をかけても、何の解決法もひっかかってこない。
とにかく何よりもデータを失うのはコワイ。
3年保証をつけて購入後まだ2年しか経っていないので、
「えい、もう修理に出すか、でもちゃんと『データ消さないでね』とちゃんと言わなきゃなあ」と思いつつ、メーカーのSupportページに行きました(その昔、アメリカで買ったコンピューターに日本語のシステムを入れていたら、修理に出したとき、部品交換と一緒にデータもなくなって帰ってきました)。そうしたら、Tech Supportとチャットをする、というメニューがあったので、「電話より気が楽だ」とチャットしましたよ。Manishaさんという方と。
「ちょっと待って」「ちょっと待って」といろんなことを調べてくださって、「Biosに入って、"USB Emulation"というのをDisableにする」ということを提案してくださった。早速やってみたら、無事一発解決!30分ほどのチャットで解決。
なかなかいいかも。電話だと受話器を耳につけたまま、20分とか待たされると大変だけどね。
さて、まずは月曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙9章でした。
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」14節の言葉です。
イエスが十字架の上で流された血は、
私たちの心をきよめると。
教会ではまず「赦される」と聞きます。
「罪意識」から解放されるのでしょう。
そして、神様から見て「罪のない者」と見て頂けるのです。
でも、それだけで本当にいいのかと思います。
私たちはもっと神に喜ばれる、
人を生かす存在になりたいと思います。
人を傷つけながら(やはり私たちは誰をも傷つけないで、一度も人を傷つけないで生きていくことはできないのかもしれない、と思ったりもしますが・・・)、「私は赦されている」と感謝して生きていくことはできるのでしょうか?やはり、「きよめられたい」と思います。失敗をすることもあるでしょうが、ほんとうに心きよめられていきたいと思います。
主はそのことをしてくださる。
イエスの十字架で流された血にはその力がある。
神の恵みに対して、optimisticに生きていきたいと思います。
神様にはその力がある。
「人にはできないが神にはできる」という言葉を信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
わたしをきよめてください。
私の心を、きよめてください。
あなたにはそれができる、イエスの十字架の血にはその力がある、
というメッセージを感謝します。
どうか、私の心を探り、
あなたに対して、人々に対して純粋な者とならせてください。
今朝も-12.5度。
昼間は「今日は暖かくなりましたねえ」という挨拶が交わされるような温度までは上がりましたが、実は-3.5度C。風が穏やかになってきたので、暖かく感じるのでしょう。
でも、我が家のガレージは「冷蔵庫」から「冷凍庫」になってきたみたいで、野菜が軒並み凍結。
今日は2回のアップデートで、「一日一章」も追いつこうと思って、早い時間に更新中。
昨日の夕方から、なぜかコンピューターが立ち上がらない。
焦りますねえ。いかにコンピューターに頼った生活をしているかということですが、
ホント、ろくにデータのバックアップもとっていないし、
やばいなあ、と思っていろいろ格闘。
電源を入れるとBIOSまでは行くのですが、
その後、左上にカーソルが点滅したまま、何も起らない。
しかし、その後、なぜか、F2KeyでBIOSに入ってexitすると立ち上がることを発見。
でも、そんな条件で検索をかけても、何の解決法もひっかかってこない。
とにかく何よりもデータを失うのはコワイ。
3年保証をつけて購入後まだ2年しか経っていないので、
「えい、もう修理に出すか、でもちゃんと『データ消さないでね』とちゃんと言わなきゃなあ」と思いつつ、メーカーのSupportページに行きました(その昔、アメリカで買ったコンピューターに日本語のシステムを入れていたら、修理に出したとき、部品交換と一緒にデータもなくなって帰ってきました)。そうしたら、Tech Supportとチャットをする、というメニューがあったので、「電話より気が楽だ」とチャットしましたよ。Manishaさんという方と。
「ちょっと待って」「ちょっと待って」といろんなことを調べてくださって、「Biosに入って、"USB Emulation"というのをDisableにする」ということを提案してくださった。早速やってみたら、無事一発解決!30分ほどのチャットで解決。
なかなかいいかも。電話だと受話器を耳につけたまま、20分とか待たされると大変だけどね。
さて、まずは月曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙9章でした。
「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。」14節の言葉です。イエスが十字架の上で流された血は、
私たちの心をきよめると。
教会ではまず「赦される」と聞きます。
「罪意識」から解放されるのでしょう。
そして、神様から見て「罪のない者」と見て頂けるのです。
でも、それだけで本当にいいのかと思います。
私たちはもっと神に喜ばれる、
人を生かす存在になりたいと思います。
人を傷つけながら(やはり私たちは誰をも傷つけないで、一度も人を傷つけないで生きていくことはできないのかもしれない、と思ったりもしますが・・・)、「私は赦されている」と感謝して生きていくことはできるのでしょうか?やはり、「きよめられたい」と思います。失敗をすることもあるでしょうが、ほんとうに心きよめられていきたいと思います。
主はそのことをしてくださる。
イエスの十字架で流された血にはその力がある。
神の恵みに対して、optimisticに生きていきたいと思います。
神様にはその力がある。
「人にはできないが神にはできる」という言葉を信頼して歩んでいきたいと思います。
主よ、
わたしをきよめてください。
私の心を、きよめてください。
あなたにはそれができる、イエスの十字架の血にはその力がある、
というメッセージを感謝します。
どうか、私の心を探り、
あなたに対して、人々に対して純粋な者とならせてください。
2007-02-05
あわれみ
さむいですねえ。
氷点下の日々の第3日目。
朝は予想よりも1度低い-14度C=7度F。
昼間は-7度C。
今は夜の11時半で-11度C。
いやあ、寒い。
シカゴとかミネアポリスとか、もっと寒いみたいですが、
NJとしては、かなり来ているのではないでしょうか?
そして今回は長い!
最初に氷点下を脱出する可能性があるのが、
金曜日の昼間。
それまでは、ずーっと氷点下です。
明日の朝はやはり今朝と同じくらいの-14度くらいでしょうか?
明日の早朝祈祷会、気合いが入りそうです。
今日はVIP-NYの集会でお話をしてきました。
人数は多くはなかったのですが、
お一人一人との出会いに感謝しました。
で、昨日、日曜日の聖書。
ヘブル人への手紙の8章を読みました。
「わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さない」
12節の言葉が心に留りました。
これは旧約聖書のエレミヤ書の言葉の引用です。
私の罪を今日も忘れてくださる方がいる。
自分では忘れられない。
自分の心からは消え去りはしない。
でも、神様は忘れてくださる。
思い出さない、と言ってくださる。
感謝。
私も人の悪を思い出さない者になりたい。
すぐ忘れてしまう者になりたい。
「バカ」と言われたい。
「脳天気」と言われたい。
すぐに忘れてしまいたいと思う。
でも、傷ついている人のことが分る者になりたいと思う。
自分の傷は忘れてしまうのだけれども、
人の傷には敏感な者になりたいと思う。
主よ、
あなたが私の罪を忘れてくださる方であることを、
イエスさまによって完全に赦してくださる方であることを、
感謝します。
私も人の罪を忘れる者となることができますように。
でも、人の痛みに気づく者でありますように。
氷点下の日々の第3日目。
朝は予想よりも1度低い-14度C=7度F。
昼間は-7度C。
今は夜の11時半で-11度C。
いやあ、寒い。
シカゴとかミネアポリスとか、もっと寒いみたいですが、
NJとしては、かなり来ているのではないでしょうか?
そして今回は長い!
最初に氷点下を脱出する可能性があるのが、
金曜日の昼間。
それまでは、ずーっと氷点下です。
明日の朝はやはり今朝と同じくらいの-14度くらいでしょうか?
明日の早朝祈祷会、気合いが入りそうです。
今日はVIP-NYの集会でお話をしてきました。
人数は多くはなかったのですが、
お一人一人との出会いに感謝しました。
で、昨日、日曜日の聖書。
ヘブル人への手紙の8章を読みました。
「わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼らの罪を思い出さない」
12節の言葉が心に留りました。
これは旧約聖書のエレミヤ書の言葉の引用です。
私の罪を今日も忘れてくださる方がいる。
自分では忘れられない。
自分の心からは消え去りはしない。
でも、神様は忘れてくださる。
思い出さない、と言ってくださる。
感謝。
私も人の悪を思い出さない者になりたい。
すぐ忘れてしまう者になりたい。
「バカ」と言われたい。
「脳天気」と言われたい。
すぐに忘れてしまいたいと思う。
でも、傷ついている人のことが分る者になりたいと思う。
自分の傷は忘れてしまうのだけれども、
人の傷には敏感な者になりたいと思う。
主よ、
あなたが私の罪を忘れてくださる方であることを、
イエスさまによって完全に赦してくださる方であることを、
感謝します。
私も人の罪を忘れる者となることができますように。
でも、人の痛みに気づく者でありますように。
2007-02-04
イエスのとりなし
今日は礼拝の日。
主を賛美すること、喜びとすること、力です。
多くの方々と共に礼拝が守れることは喜びです。
年末から1月にかけて、
毎週礼拝に来られる方々大人4人、子供3人が日本に帰られました。
週平均で大人4人減るのは大きいですよね。
「送り出す教会」ではありますが、
やはり痛みがないわけではありません。
まだまだ残っている教会の空間が早く埋まるようにと願います。
礼拝後は、
教会の今後について、
牧師としてのビジョンや思いを分ち合うときが与えられました。
とても、緊張して一週間を過ごしましたが、
終わってホッとしています。
また伝わった手応えも感じています。
・・・ここを読んでおられる教会の方々で「え?」と感じられる方がおられたら、
また教えて下さいね・・・もしも、私が勘違いしているとするとまずいから・・・。
『するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。』(マタイ14:28-29)
そして、土曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の7章。
心に留ったのは
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」25節の言葉です。
イエスさまは今もとりなして下さっている。
私のことをとりなして下さっている。
何度も失敗をして、
何度も自己嫌悪におちいる私をも主はとりなして下さっている。
今も。
ご自身の血潮をもって、
とりなして下さっている。
この方がおられなかったら、
自分は今生きていないかもしれないと思う。
そう「証し」の続きの中で書きたいと思うけれども、
イエスの十字架がなかったら、
今の自分はいなかった。
今もとりなして下さっていることに感謝。
今も見捨てないで覚えていて下さることに感謝。
主イエスよ、感謝します。
私のためにあなたが今もとりなして下さっていることに感謝しています。
どうかこれからもあなたの恵みの中に歩むことができますように。
教会を守り、祝福して下さい。
教会に集う一人ひとりを祝福して下さい。
主を賛美すること、喜びとすること、力です。
多くの方々と共に礼拝が守れることは喜びです。
年末から1月にかけて、
毎週礼拝に来られる方々大人4人、子供3人が日本に帰られました。
週平均で大人4人減るのは大きいですよね。
「送り出す教会」ではありますが、
やはり痛みがないわけではありません。
まだまだ残っている教会の空間が早く埋まるようにと願います。
礼拝後は、
教会の今後について、
牧師としてのビジョンや思いを分ち合うときが与えられました。
とても、緊張して一週間を過ごしましたが、
終わってホッとしています。
また伝わった手応えも感じています。
・・・ここを読んでおられる教会の方々で「え?」と感じられる方がおられたら、
また教えて下さいね・・・もしも、私が勘違いしているとするとまずいから・・・。
『するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。』(マタイ14:28-29)
そして、土曜日の聖書。
昨日はヘブル人への手紙の7章。
心に留ったのは
「したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」25節の言葉です。
イエスさまは今もとりなして下さっている。
私のことをとりなして下さっている。
何度も失敗をして、
何度も自己嫌悪におちいる私をも主はとりなして下さっている。
今も。
ご自身の血潮をもって、
とりなして下さっている。
この方がおられなかったら、
自分は今生きていないかもしれないと思う。
そう「証し」の続きの中で書きたいと思うけれども、
イエスの十字架がなかったら、
今の自分はいなかった。
今もとりなして下さっていることに感謝。
今も見捨てないで覚えていて下さることに感謝。
主イエスよ、感謝します。
私のためにあなたが今もとりなして下さっていることに感謝しています。
どうかこれからもあなたの恵みの中に歩むことができますように。
教会を守り、祝福して下さい。
教会に集う一人ひとりを祝福して下さい。
主への熱心
一日中氷点下の「真冬日」第2日目。
今朝は-9.4度まで下がり、
昼間も-4.1度止まりでした。
今は夜の8時半で-6.8度でした。
明日の朝の予想はズバリ-13度。
寒い一日でしょう。
雪はありません。
天気予報的には「楽勝」の天気が続くようです。
「寒い」+「晴れ」
さて、3日分たまってしまった聖書。
もちろん、その日には読んでいるのですが、
それがまた記憶が薄れてくるんですよねえ。
ヤコブの手紙の1章の言葉、身につまされます。
「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブ1:23
そして、実際に金曜日に読んだのは、
ヘブル人への手紙の6章でした。
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。」10-11節
ユダヤ人クリスチャンの人々の愛、それを主はお忘れにならない。
その熱心さ、その情熱を主はお忘れにならない。
「熱心さ」はあまり肯定的に言われないときもある。
ペテロは熱心だったけれども、人間的な熱心さで、
「あなたにどこまでもついていきます」と言ったときには、
そのイエスに「あなたはわたしを3度知らないと言う」と言われて、
実際にそのような失敗をしてしまいました。
「熱心さ」にはそのようなイメージがあるので、
ネガティブな印象もあるのですが、
この所ではポジティブですね。
自分のがんばりの熱心さじゃなくて、
主の御手の中にある熱心さがあるのだと思います。
そんな情熱があるのだと思います。
そう、わがままな熱さではなくて、
主の導きに従った情熱。
それを味わわせて頂きたい、
そこに生かして頂きたいと思います。
主よ、
どうか、私を熱い者として下さい。
情熱を与えて下さい。
あなたの使命に従う、
わがままな、自己中心的な熱心さではなくて、
あなたの御手の中にある、
あなたの導きに従った熱心さを与えて下さい。
今朝は-9.4度まで下がり、
昼間も-4.1度止まりでした。
今は夜の8時半で-6.8度でした。
明日の朝の予想はズバリ-13度。
寒い一日でしょう。
雪はありません。
天気予報的には「楽勝」の天気が続くようです。
「寒い」+「晴れ」
さて、3日分たまってしまった聖書。
もちろん、その日には読んでいるのですが、
それがまた記憶が薄れてくるんですよねえ。
ヤコブの手紙の1章の言葉、身につまされます。
「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブ1:23
そして、実際に金曜日に読んだのは、
ヘブル人への手紙の6章でした。
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。」10-11節
ユダヤ人クリスチャンの人々の愛、それを主はお忘れにならない。
その熱心さ、その情熱を主はお忘れにならない。
「熱心さ」はあまり肯定的に言われないときもある。
ペテロは熱心だったけれども、人間的な熱心さで、
「あなたにどこまでもついていきます」と言ったときには、
そのイエスに「あなたはわたしを3度知らないと言う」と言われて、
実際にそのような失敗をしてしまいました。
「熱心さ」にはそのようなイメージがあるので、
ネガティブな印象もあるのですが、
この所ではポジティブですね。
自分のがんばりの熱心さじゃなくて、
主の御手の中にある熱心さがあるのだと思います。
そんな情熱があるのだと思います。
そう、わがままな熱さではなくて、
主の導きに従った情熱。
それを味わわせて頂きたい、
そこに生かして頂きたいと思います。
主よ、
どうか、私を熱い者として下さい。
情熱を与えて下さい。
あなたの使命に従う、
わがままな、自己中心的な熱心さではなくて、
あなたの御手の中にある、
あなたの導きに従った熱心さを与えて下さい。
2007-02-03
1週間の氷点下期間に突入
「一日一章」は2連敗。
今日はそろそろ休みます。
ここの御言葉を支えにしておられる方には申し訳ないのですが、
また明日の朝、時間ができたら更新します。
昨日の夜から氷点下に入り、
そのまま来週の金曜日くらいまで0度Cは超えないでしょう。
寒い日が続きます。
皆さんしっかりパッチを履いて
寒さを乗り越えましょう!
今日はそろそろ休みます。
ここの御言葉を支えにしておられる方には申し訳ないのですが、
また明日の朝、時間ができたら更新します。
昨日の夜から氷点下に入り、
そのまま来週の金曜日くらいまで0度Cは超えないでしょう。
寒い日が続きます。
皆さんしっかりパッチを履いて
寒さを乗り越えましょう!
2007-02-02
Groundhog Day
今日はグランドホッグデー。
グランドホッグが自分の影を見るか、見ないかで、
冬があと2週間で終わるか、6週間続くか、わかるという、
そんなこと分るわけないじゃん、という日です。
詳しくは去年の今日の記録へ
ちなみに、今年は「あと2週間」だそうです。
そんなわけないじゃん、と思いつつ、そうだったらいいな、と期待してしまいます。
今日の夜は雪が降って、
うっすら雪化粧しています。
路面がうっすら凍結しています。
さっき帰ってきたばかりですので、
そして、明日の朝は早いので、「一日一章」もお休み。
また明日。
グランドホッグが自分の影を見るか、見ないかで、
冬があと2週間で終わるか、6週間続くか、わかるという、
そんなこと分るわけないじゃん、という日です。
詳しくは去年の今日の記録へ
ちなみに、今年は「あと2週間」だそうです。
そんなわけないじゃん、と思いつつ、そうだったらいいな、と期待してしまいます。
今日の夜は雪が降って、
うっすら雪化粧しています。
路面がうっすら凍結しています。
さっき帰ってきたばかりですので、
そして、明日の朝は早いので、「一日一章」もお休み。
また明日。
2007-02-01
敬虔さ
今日も寒かったですねえ。
昼間はプラスになりましたが、
朝は-4.8度。
今も夜の11時前で-0.5度。
この後雪になるようです。
でも、大したことはないみたいです。
明日も朝と夜に教会の集会があるので、
大したことはないと助かります。
今日はちょっともう遅くなってきたので、
「証し」はお休みして・・・たぶん明日も土曜日も難しいと思うので、
たぶん日曜日か月曜日。
そして、さっそく聖書。
今日はヘブル人への手紙5章。
7節の言葉が心に留りました。
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
イエスの祈りは「敬虔さのゆえに」聞き入れられたという。
敬虔さ、という言葉に今日はものすごい語りかけを感じました。
私には「敬虔さ」があるだろうかと。
主を畏れる思い。
主の前にひざまずく思い。
主を利用するのではなくて、
主を主として、あがめ、そこに従っていく決意。
その主との関係の中に歩んでいきたいと思いました。
主を主としてあがめる歩みをしていきたいと思います。
いろんな物事が周りに起ってくる中で、
それを整理していくだけで、
自分の仕事をこなしていくだけで精一杯のところもあります。
でも、そんな時にも、
何よりも主を主としてしたがっていきたいと思います。
主よ、
あなたが私の主です。神です。
私の人生のリーダーです。
教会のリーダーです。
どうか、あなたの導きの元に謙虚に歩んでいく者としてください。
敬虔さを身につけさせてください。
一つ一つの決断をするときにも、
あなたを見上げつつ、
あなたがどのように願っておられるかに注目しつつ歩ませてください。
昼間はプラスになりましたが、
朝は-4.8度。
今も夜の11時前で-0.5度。
この後雪になるようです。
でも、大したことはないみたいです。
明日も朝と夜に教会の集会があるので、
大したことはないと助かります。
今日はちょっともう遅くなってきたので、
「証し」はお休みして・・・たぶん明日も土曜日も難しいと思うので、
たぶん日曜日か月曜日。
そして、さっそく聖書。
今日はヘブル人への手紙5章。
7節の言葉が心に留りました。
「キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。」
イエスの祈りは「敬虔さのゆえに」聞き入れられたという。
敬虔さ、という言葉に今日はものすごい語りかけを感じました。
私には「敬虔さ」があるだろうかと。
主を畏れる思い。
主の前にひざまずく思い。
主を利用するのではなくて、
主を主として、あがめ、そこに従っていく決意。
その主との関係の中に歩んでいきたいと思いました。
主を主としてあがめる歩みをしていきたいと思います。
いろんな物事が周りに起ってくる中で、
それを整理していくだけで、
自分の仕事をこなしていくだけで精一杯のところもあります。
でも、そんな時にも、
何よりも主を主としてしたがっていきたいと思います。
主よ、
あなたが私の主です。神です。
私の人生のリーダーです。
教会のリーダーです。
どうか、あなたの導きの元に謙虚に歩んでいく者としてください。
敬虔さを身につけさせてください。
一つ一つの決断をするときにも、
あなたを見上げつつ、
あなたがどのように願っておられるかに注目しつつ歩ませてください。
2007-01-31
おりにかなった助け
今日も寒い一日でした。
朝起きたら-6度。
昨夜の雪も、coatingですみました。
昼間も1度くらいかな。
今は夜の10時で、-3.7度です。
そして、明日の朝から金曜日にかけての雪ですが、
やっぱり大したことはないようです。
集会があるので、雪が大したことがないのはうれしいですが、
何だか、今年の冬は寒くなっても雪は降らない、って
ちょっと変な冬ですね。
そして、来週はほんとうに寒いみたいです。
その寒さが抜けたら、いよいよ春近し、って感じですよね。
楽しみです。
さて、
「証し」の第6章。
中高生時代の問題、その2は、
露骨に書くとフィルターソフトを使っている人が
読めなくなってしまうので書きませんが、
男としての誘惑との闘いでした。
いやあ、遅かったのかもしれませんが、
そしてオヤジになったから恥ずかしげもなく書けますが、
中学生になってから、自分の頭はおかしくなってしまったのかと思いました。
難しいですよね、中高生にとって。
どこまで健康的な成長の過程で、どこからが「罪」となるのか、
私の場合は、自分の心の中の葛藤のレベルでしたけれども、
「どこまで行っていいのか」なんてことも中高生向けの雑誌を見ると、
書いてありましたね。早熟の子はそんなことで悩んでいたのかも・・・。
そして、中高生のころは、このような葛藤は
大人になったらなくなるのだと思っていました。
結婚前は結婚したらなくなるのだと思っていました。
でも、そんなことはない、みたいですね。
いつもいつも神様に守られていなければいけないと思います。
時々、こともあろうにその分野で失敗をして
牧師を続けられなくなる同労者がいます。
気をつけなければいけないと思いますし、
神の守りを祈って頂きたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日は早く目が覚めて、
神様からの「祈りなさい」コールだと思って、
早く起きて聖書を読んで祈りました。
その中で与えられた言葉。
「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」14-16節です。
長いですが、その中の特に「おりにかなった助け」という言葉に心が留りました。
主は私のために「おりにかなった助け」タイムリーな助けを与えて下さるというのです。
今、自分に必要な助け、
今、教会に必要な助けを
主は与えて下さることがおできになるのだというのです。
これはとてもうれしいことです。
今朝、私は神様の助けを必要としていました。
神様の答えを必要としていました。
祈っている中で、
平安が与えられました。
ほんとうに必要な助けが与えられたなあと思います。
神様がいつも守って下さるのだという
確信を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
どうか、私に今必要な助けを与えて下さい。
あなたがそれを与えて下さる方であることに心から感謝します。
どうか、あなたの助けを私に与えて下さい。
タイムリーな、まさに今必要な助けを与えて下さい。
朝起きたら-6度。
昨夜の雪も、coatingですみました。
昼間も1度くらいかな。
今は夜の10時で、-3.7度です。
そして、明日の朝から金曜日にかけての雪ですが、
やっぱり大したことはないようです。
集会があるので、雪が大したことがないのはうれしいですが、
何だか、今年の冬は寒くなっても雪は降らない、って
ちょっと変な冬ですね。
そして、来週はほんとうに寒いみたいです。
その寒さが抜けたら、いよいよ春近し、って感じですよね。
楽しみです。
さて、
「証し」の第6章。
中高生時代の問題、その2は、
露骨に書くとフィルターソフトを使っている人が
読めなくなってしまうので書きませんが、
男としての誘惑との闘いでした。
いやあ、遅かったのかもしれませんが、
そしてオヤジになったから恥ずかしげもなく書けますが、
中学生になってから、自分の頭はおかしくなってしまったのかと思いました。
難しいですよね、中高生にとって。
どこまで健康的な成長の過程で、どこからが「罪」となるのか、
私の場合は、自分の心の中の葛藤のレベルでしたけれども、
「どこまで行っていいのか」なんてことも中高生向けの雑誌を見ると、
書いてありましたね。早熟の子はそんなことで悩んでいたのかも・・・。
そして、中高生のころは、このような葛藤は
大人になったらなくなるのだと思っていました。
結婚前は結婚したらなくなるのだと思っていました。
でも、そんなことはない、みたいですね。
いつもいつも神様に守られていなければいけないと思います。
時々、こともあろうにその分野で失敗をして
牧師を続けられなくなる同労者がいます。
気をつけなければいけないと思いますし、
神の守りを祈って頂きたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日は早く目が覚めて、
神様からの「祈りなさい」コールだと思って、
早く起きて聖書を読んで祈りました。
その中で与えられた言葉。
「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」14-16節です。
長いですが、その中の特に「おりにかなった助け」という言葉に心が留りました。
主は私のために「おりにかなった助け」タイムリーな助けを与えて下さるというのです。
今、自分に必要な助け、
今、教会に必要な助けを
主は与えて下さることがおできになるのだというのです。
これはとてもうれしいことです。
今朝、私は神様の助けを必要としていました。
神様の答えを必要としていました。
祈っている中で、
平安が与えられました。
ほんとうに必要な助けが与えられたなあと思います。
神様がいつも守って下さるのだという
確信を持って進んでいきたいと思います。
主よ、
どうか、私に今必要な助けを与えて下さい。
あなたがそれを与えて下さる方であることに心から感謝します。
どうか、あなたの助けを私に与えて下さい。
タイムリーな、まさに今必要な助けを与えて下さい。
2007-01-30
励まし合う
今日の朝は寒かったです。
でも-8度くらい。
昼間は2度くらいまで上がりました。
そして夜は雪が舞っていました。
今、夜の11時半ですが、
ちょうど0度くらいで、小雪が舞っています。
外はうっすら雪化粧です。
そして、問題は木曜日の夜から金曜日の朝。
少なくとも、少しは雪が降るみたいですが、
金曜日の朝には暖かい空気が入ってきて、
雨に変わるかもしれません。
金曜日、さて、学校がDelayed openingになるでしょうか?
「証し」の第、えーと、5章。
中学校の1年生、13歳の時に、洗礼を受けました。
毎年、夏にいろんな教会から同世代の仲間が集まって、
「キャンプ」をしたのですが、
毎年、悔い改めるべき課題を持っていったような気がします。
小学生の頃は、「弟をいじめてしまう自分」がイヤでしょうがなかったのですが、
中学校にはいるとちょっとそれが変わってきます。
楽しいキャンプなのですが、やはり楽しいだけでは終わりません。
自分の心が探られるのです。
相変わらずよくケンカはしたんですが、
それに加えて、2つのことで悩むことになります。
今日はその1つ目。
それは、「ねたみ」でした。
自分はほんとうに無口でした。
恥ずかしがり屋で、いつも誰かにくっついて、
それでみんなの仲間に入れてもらっていました。
男兄弟で育ったので、
女の子にどのように接していいかも分らず、
自分から女の子に声をかけることなんか絶対にできませんでした。
時々、声をかけてくれる子がいると、
それだけでまたカーッと赤くなって、
しどろもどろで答えていました。
だから、自然に女の子に優しくできるヤツとか、
なれなれしく、声をかけられるヤツとか、
かっこいいヤツとか、スポーツのできるヤツとか、
もてるヤツとか、
うらやましかったです。
極めつけは、ある年のバレンタインデー。
親友の水泳選手のヤツと一緒にいました。
そこで、突然女の子に声をかけられるかきごおり君。
「かきごおり君、ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて、「お、おれか?○○じゃなくて・・・」
と舞い上がって、照れながら、一人でその子のところに行くと、
「かきごおり君ちょっとこっちおいでよ、かきごおり君がいつも○○君と一緒にいるから、△△ちゃんが○○君にチョコをあげられないじゃない・・・」
・・・
まあな、言われてみればそうだよな・・・。
今考えるとなんて「配慮の足りない」自分だったかと・・・。
ま、そんな中学生だったのです。
黒ブチめがねに坊主頭(これは校則)だったし・・・。
何とか、自分も勇気を出して誰とでも話せる人間になりたいと思いました。
気軽に誰にでも声をかけられるようになりたいと思いました。
そして、それができるヤツをうらやましく思いました。
そして、それがいつの間にか「ねたみ」や「憎しみ」に変わることもありました。
そんな自分の心を神様に探られて、
悔い改めて出ました。
ちょうどキャンプに来ている仲間に対してそんな思いを持っていた時があって、
その友人のところに行って、悔い改めの祈りをしたこともありました。
貴重な体験だと思います。
宝物のような体験でした。
今でも、あのころの「キャンプ」がどれだけ自分に大切だったか、
よく思い出します。
スタッフの皆さんがどれほどの情熱と体力でぶつかって下さったか、
考えると、ほんとうに感謝の気持ちが湧いてきます。
今の中高生達にも、そのような経験が与えられるようにと祈らないではいられません。
今日の聖書はヘブル人への手紙3章でした。
「『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」13節の言葉が心に留りました。
「互いに励まし合って」と言うことの大切さを思わされました。
私たちの信仰は個人的なものです。
一人ひとりの信仰が大切なのです。
でも、私たちは「惑わされやすい」。
だから、励まし合う、ということが大切なのです。
決してもたれ合うのではありません。
自分の信仰は人を頼りにして守っていくことはできません。
でも、自立した信仰者同士が、
互いに励まし合っていくときに、
強くされ、支えられ、守られていくのです。
お互いに「神様を見上げよう」と神様との関係に立たせてくれるような、
そのような励まし合いが必要なのです。
お互いを見るのではなく、
お互いに神様を見上げるように、
神様の方に心が向くように、
励ましていくような関係。
そのようなお互いでありたいと思います。
そのような関係を支えていく牧師でありたいと思います。
主よ、
どうか、
「励まし合い」、それも「神様を中心とした励まし合い」の
輪を広げて下さい。
そのような関係が教会の中にあふれますように。
それによって支えられ、守られ、強められる教会でありますように。
心を開いて、語り合い、祈り合う時を与えて下さい。
でも-8度くらい。
昼間は2度くらいまで上がりました。
そして夜は雪が舞っていました。
今、夜の11時半ですが、
ちょうど0度くらいで、小雪が舞っています。
外はうっすら雪化粧です。
そして、問題は木曜日の夜から金曜日の朝。
少なくとも、少しは雪が降るみたいですが、
金曜日の朝には暖かい空気が入ってきて、
雨に変わるかもしれません。
金曜日、さて、学校がDelayed openingになるでしょうか?
「証し」の第、えーと、5章。
中学校の1年生、13歳の時に、洗礼を受けました。
毎年、夏にいろんな教会から同世代の仲間が集まって、
「キャンプ」をしたのですが、
毎年、悔い改めるべき課題を持っていったような気がします。
小学生の頃は、「弟をいじめてしまう自分」がイヤでしょうがなかったのですが、
中学校にはいるとちょっとそれが変わってきます。
楽しいキャンプなのですが、やはり楽しいだけでは終わりません。
自分の心が探られるのです。
相変わらずよくケンカはしたんですが、
それに加えて、2つのことで悩むことになります。
今日はその1つ目。
それは、「ねたみ」でした。
自分はほんとうに無口でした。
恥ずかしがり屋で、いつも誰かにくっついて、
それでみんなの仲間に入れてもらっていました。
男兄弟で育ったので、
女の子にどのように接していいかも分らず、
自分から女の子に声をかけることなんか絶対にできませんでした。
時々、声をかけてくれる子がいると、
それだけでまたカーッと赤くなって、
しどろもどろで答えていました。
だから、自然に女の子に優しくできるヤツとか、
なれなれしく、声をかけられるヤツとか、
かっこいいヤツとか、スポーツのできるヤツとか、
もてるヤツとか、
うらやましかったです。
極めつけは、ある年のバレンタインデー。
親友の水泳選手のヤツと一緒にいました。
そこで、突然女の子に声をかけられるかきごおり君。
「かきごおり君、ちょっとちょっと・・・」
と呼ばれて、「お、おれか?○○じゃなくて・・・」
と舞い上がって、照れながら、一人でその子のところに行くと、
「かきごおり君ちょっとこっちおいでよ、かきごおり君がいつも○○君と一緒にいるから、△△ちゃんが○○君にチョコをあげられないじゃない・・・」
・・・
まあな、言われてみればそうだよな・・・。
今考えるとなんて「配慮の足りない」自分だったかと・・・。
ま、そんな中学生だったのです。
黒ブチめがねに坊主頭(これは校則)だったし・・・。
何とか、自分も勇気を出して誰とでも話せる人間になりたいと思いました。
気軽に誰にでも声をかけられるようになりたいと思いました。
そして、それができるヤツをうらやましく思いました。
そして、それがいつの間にか「ねたみ」や「憎しみ」に変わることもありました。
そんな自分の心を神様に探られて、
悔い改めて出ました。
ちょうどキャンプに来ている仲間に対してそんな思いを持っていた時があって、
その友人のところに行って、悔い改めの祈りをしたこともありました。
貴重な体験だと思います。
宝物のような体験でした。
今でも、あのころの「キャンプ」がどれだけ自分に大切だったか、
よく思い出します。
スタッフの皆さんがどれほどの情熱と体力でぶつかって下さったか、
考えると、ほんとうに感謝の気持ちが湧いてきます。
今の中高生達にも、そのような経験が与えられるようにと祈らないではいられません。
今日の聖書はヘブル人への手紙3章でした。
「『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。」13節の言葉が心に留りました。
「互いに励まし合って」と言うことの大切さを思わされました。
私たちの信仰は個人的なものです。
一人ひとりの信仰が大切なのです。
でも、私たちは「惑わされやすい」。
だから、励まし合う、ということが大切なのです。
決してもたれ合うのではありません。
自分の信仰は人を頼りにして守っていくことはできません。
でも、自立した信仰者同士が、
互いに励まし合っていくときに、
強くされ、支えられ、守られていくのです。
お互いに「神様を見上げよう」と神様との関係に立たせてくれるような、
そのような励まし合いが必要なのです。
お互いを見るのではなく、
お互いに神様を見上げるように、
神様の方に心が向くように、
励ましていくような関係。
そのようなお互いでありたいと思います。
そのような関係を支えていく牧師でありたいと思います。
主よ、
どうか、
「励まし合い」、それも「神様を中心とした励まし合い」の
輪を広げて下さい。
そのような関係が教会の中にあふれますように。
それによって支えられ、守られ、強められる教会でありますように。
心を開いて、語り合い、祈り合う時を与えて下さい。
2007-01-29
主の兄弟
今日は寒かったですね。
朝は-6度。
昼間も-2度くらいまでしか上がらなくて、
夜の9時ですが、もう-6度まで下がっています。
ずっと暖かくて、「冬らしくない」とか言っていましたが、
2週間で、「もう十分」という感じです。
明日の夜も小雪。
そして、木曜日の夜から金曜日の朝にかけて10センチくらいの雪になるかもしれません。
来週も寒いみたいです。
早く春になって欲しいです。
花粉症は勘弁して欲しいですが・・・。
月曜日なので、ちょっと息抜き。
実は先週の月曜日、久しぶりに時間ができて、
「買い物行く!」と言って、一人でチャイニーズの食料品店に行きました。
そこに行ったら楽しみなのは、「どんなものが売ってるのかなあ」と見ること。
いろいろ見ました。
何よりも楽しいのは、楽しい日本語の書いてある商品。
今、日本の製品も結構日本語変わっていると思いますが、
どこかのちょっと日本語の分る方が、
「ボクに任せて・・・」と日本語を入れたんじゃないかなあ、
という商品の数々。
読んでると、腰砕けになるくらい力がぬける日本語。
その中で、かきごおり的に「気に入った!」「食べてみたい!」と思ったのが、
これ。

「にぱんのラーメン」???
んー、っと考えて、
「日式拉麺」を読んで、
「ああ、にっぽんのラーメンて、書きたかったのか」
とわかりました。
お昼にいただきました。
4食入って1.99ドルですから、
高くもなく、さりとて「めちゃくちゃ安く」もなく、
「うーん、うまいねえ」って感じでもありませんでしたが、
まあ、いけましたよ。
満足はしました。
もう一回買うか、と言われたら、???
でも、考えてしまいました。
私なんか、英語での会話は苦手だけど、
まあ、書く方がいいかな、と思ったりします。
でも、日本語に置き換えて考えると、
片言の日本語が話せる方がおられた場合、
会話だったら、ちょっと間違っていても、
「ああ、こういう意味なんだろうなあ」と先回りをするし、
分らなかったら確認します。
そしてコミュニケーションを取ろうとします。
でも、印刷されていたり、書かれていたものだったら、
「なんだこりゃ」となってしまいます。
そして、笑える場合は笑いますし、
笑えない場合は、困ってしまいます。
いずれにせよ、コミュニケーションは難しいですよね。
だから、自分ももっともっと勇気を出して、どんどん会話の方をしていったらいいんですよね。
その中で、伝わっていくものがある、それを大切にしたい、と思いました。
今日はヘブル人への手紙の2章を読みました。
心に留った聖書の言葉は、
「主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで・・・」
という11節の言葉です。
私のことを「恥ずかしい」と思わないでいて下さる。
主は私のことを受け入れて下さって、私のことを、
恥ずかしい、とは思われない。
とてもうれしく思いました。
自分の姿を見ると、
イエスさまに「恥ずかしい」と言われてもしかたがないような者です。
でも、その私のことを主は「恥ずかしい」とは思われない。
「兄弟」として迎えて下さる。
あの放蕩息子の兄のように、
「あんなヤツ」と思われても誰が文句を言えるだろうか?
でも、主は、私を「弟分」として受け入れて下さる。
ありがたいです。
イエスさま、
あなたが私を「弟」として受け入れて下さって、
恥としないで、喜んで受け入れて下さることに感謝します。
あなたがお兄さんであることは、私にはものすごい喜びです。
これからもよろしくお願いします。
どうか、こんな弟ですが、かわいがってやって下さい。
一緒に楽しいところに行ったり、心が躍るような、すばらしいことをたくさん経験させて下さい。
朝は-6度。
昼間も-2度くらいまでしか上がらなくて、
夜の9時ですが、もう-6度まで下がっています。
ずっと暖かくて、「冬らしくない」とか言っていましたが、
2週間で、「もう十分」という感じです。
明日の夜も小雪。
そして、木曜日の夜から金曜日の朝にかけて10センチくらいの雪になるかもしれません。
来週も寒いみたいです。
早く春になって欲しいです。
花粉症は勘弁して欲しいですが・・・。
月曜日なので、ちょっと息抜き。
実は先週の月曜日、久しぶりに時間ができて、
「買い物行く!」と言って、一人でチャイニーズの食料品店に行きました。
そこに行ったら楽しみなのは、「どんなものが売ってるのかなあ」と見ること。
いろいろ見ました。
何よりも楽しいのは、楽しい日本語の書いてある商品。
今、日本の製品も結構日本語変わっていると思いますが、
どこかのちょっと日本語の分る方が、
「ボクに任せて・・・」と日本語を入れたんじゃないかなあ、
という商品の数々。
読んでると、腰砕けになるくらい力がぬける日本語。
その中で、かきごおり的に「気に入った!」「食べてみたい!」と思ったのが、
これ。

「にぱんのラーメン」???
んー、っと考えて、
「日式拉麺」を読んで、
「ああ、にっぽんのラーメンて、書きたかったのか」
とわかりました。
お昼にいただきました。
4食入って1.99ドルですから、
高くもなく、さりとて「めちゃくちゃ安く」もなく、
「うーん、うまいねえ」って感じでもありませんでしたが、
まあ、いけましたよ。
満足はしました。
もう一回買うか、と言われたら、???
でも、考えてしまいました。
私なんか、英語での会話は苦手だけど、
まあ、書く方がいいかな、と思ったりします。
でも、日本語に置き換えて考えると、
片言の日本語が話せる方がおられた場合、
会話だったら、ちょっと間違っていても、
「ああ、こういう意味なんだろうなあ」と先回りをするし、
分らなかったら確認します。
そしてコミュニケーションを取ろうとします。
でも、印刷されていたり、書かれていたものだったら、
「なんだこりゃ」となってしまいます。
そして、笑える場合は笑いますし、
笑えない場合は、困ってしまいます。
いずれにせよ、コミュニケーションは難しいですよね。
だから、自分ももっともっと勇気を出して、どんどん会話の方をしていったらいいんですよね。
その中で、伝わっていくものがある、それを大切にしたい、と思いました。
今日はヘブル人への手紙の2章を読みました。
心に留った聖書の言葉は、
「主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで・・・」
という11節の言葉です。
私のことを「恥ずかしい」と思わないでいて下さる。
主は私のことを受け入れて下さって、私のことを、
恥ずかしい、とは思われない。
とてもうれしく思いました。
自分の姿を見ると、
イエスさまに「恥ずかしい」と言われてもしかたがないような者です。
でも、その私のことを主は「恥ずかしい」とは思われない。
「兄弟」として迎えて下さる。
あの放蕩息子の兄のように、
「あんなヤツ」と思われても誰が文句を言えるだろうか?
でも、主は、私を「弟分」として受け入れて下さる。
ありがたいです。
イエスさま、
あなたが私を「弟」として受け入れて下さって、
恥としないで、喜んで受け入れて下さることに感謝します。
あなたがお兄さんであることは、私にはものすごい喜びです。
これからもよろしくお願いします。
どうか、こんな弟ですが、かわいがってやって下さい。
一緒に楽しいところに行ったり、心が躍るような、すばらしいことをたくさん経験させて下さい。
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ハプニング,
天気,
聖書
2007-01-28
キリストは変わることはない
今日は暖かくなりました。
最高気温は6.7度。
でも、夜は雪が降ってちょっと雪化粧。
今も夜の11時ですが、0度で小雪が舞っています。
もうちょっと降るようですが、
まあ大したことはないでしょう。
学校も普通通りあると思います。
「証し」の第4章。
イエスさまの十字架を信じて、罪を悔い改めて、
晴れてクリスチャンになった、小学校二年生の学少年ですが、
その日から、二度と弟をいじめませんでした・・・
なんてことはありませんでした。
ちょっとは優しくできるのですが、
やっぱりちょっと生意気なことを言い出したり、
自分の方の虫の居所が悪いと、
すぐイヤなことを行ってしまうんですねえ、これが。
それで悩みました。
もう自分はダメなんじゃないかと。
せっかく悔い改めたのに何も変わっていないじゃないかと。
こんなんじゃ神様に天国に入れてもらえないと・・・。
そう、小学生の頃の罪意識のほとんどは、
この弟との間のことでした。
なんてイヤな兄貴なんだろうと自分で思っていました。
でも、それでも、イエスを信じたときに神の子とされているのだということを確信したのは次の言葉との出会いからでした。
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネによる福音書1章12節
聖書には「二度と罪を犯さなかったらあなたがたは神の子である」と書かれているのではありませんでした。「イエスを受け入れた者、その名を信じた者」が神の子とされると書いてあるのでした。
だから、私は神の子なんだと分りました。
そう、私たちは完璧にならなくても、
罪を全く犯さない人間にならなくても、
神の子とされているのだ、
ただ、信じるときに、内側は神様が造りかえて下さるのだから、
ただ、信じるときに、神の子とされるのだ、と分りました。
それから、今の子ども達にも、とにかく、悔い改めて、イエスを信じることの大切さを伝えていきたいと思わされています。
そして、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙に入って第1章。
イエスについて書かれているところですが、
その中で心に留った言葉が、
「あなたは変わることがなく・・・」というイエスに対していわれている言葉です。
私は変わってきました。
これからも変わっていくだろうと思います。
時代も変わってきました。
世界の常識も変わってきました。
何が良くて何が悪いことなのかも変わってきました。
でも、イエスは変わることがない。
いつまでも変わることがない。
この聖書の言葉は
いつもいつも新鮮で、私たちを生かしてくれる、
そのことにいつも驚かされています。
主よ、
どうかあなたの御言葉によって、
あなたの語りかけによって、
私を支えて下さい。
私たちの土台となって下さい。
私たちの力の源となって下さい。
この移ろいやすい世の中にあって、いつもいつも変わりない土台であって下さい。
最高気温は6.7度。
でも、夜は雪が降ってちょっと雪化粧。
今も夜の11時ですが、0度で小雪が舞っています。
もうちょっと降るようですが、
まあ大したことはないでしょう。
学校も普通通りあると思います。
「証し」の第4章。
イエスさまの十字架を信じて、罪を悔い改めて、
晴れてクリスチャンになった、小学校二年生の学少年ですが、
その日から、二度と弟をいじめませんでした・・・
なんてことはありませんでした。
ちょっとは優しくできるのですが、
やっぱりちょっと生意気なことを言い出したり、
自分の方の虫の居所が悪いと、
すぐイヤなことを行ってしまうんですねえ、これが。
それで悩みました。
もう自分はダメなんじゃないかと。
せっかく悔い改めたのに何も変わっていないじゃないかと。
こんなんじゃ神様に天国に入れてもらえないと・・・。
そう、小学生の頃の罪意識のほとんどは、
この弟との間のことでした。
なんてイヤな兄貴なんだろうと自分で思っていました。
でも、それでも、イエスを信じたときに神の子とされているのだということを確信したのは次の言葉との出会いからでした。
「しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。」ヨハネによる福音書1章12節
聖書には「二度と罪を犯さなかったらあなたがたは神の子である」と書かれているのではありませんでした。「イエスを受け入れた者、その名を信じた者」が神の子とされると書いてあるのでした。
だから、私は神の子なんだと分りました。
そう、私たちは完璧にならなくても、
罪を全く犯さない人間にならなくても、
神の子とされているのだ、
ただ、信じるときに、内側は神様が造りかえて下さるのだから、
ただ、信じるときに、神の子とされるのだ、と分りました。
それから、今の子ども達にも、とにかく、悔い改めて、イエスを信じることの大切さを伝えていきたいと思わされています。
そして、今日の聖書。
今日はヘブル人への手紙に入って第1章。
イエスについて書かれているところですが、
その中で心に留った言葉が、
「あなたは変わることがなく・・・」というイエスに対していわれている言葉です。
私は変わってきました。
これからも変わっていくだろうと思います。
時代も変わってきました。
世界の常識も変わってきました。
何が良くて何が悪いことなのかも変わってきました。
でも、イエスは変わることがない。
いつまでも変わることがない。
この聖書の言葉は
いつもいつも新鮮で、私たちを生かしてくれる、
そのことにいつも驚かされています。
主よ、
どうかあなたの御言葉によって、
あなたの語りかけによって、
私を支えて下さい。
私たちの土台となって下さい。
私たちの力の源となって下さい。
この移ろいやすい世の中にあって、いつもいつも変わりない土台であって下さい。
2007-01-27
どこに投資するか
今日はずっと暖かくなりました。
朝起きたら-3度まで上がっていて、
一日中曇っていましたが、気温は2.3度まで上がりました。
今、夜の11時半ですが、気温はまだ1.8度もあります。
レーダーには何か降っているエコーが出ていますが、
実際には、家のあたりでは何も降っていません。
上空で何かが降っていても、下に届くまでに蒸発してしまう場合があります。
今も多分そうなのでしょう。
12時45分アップデート・・・外はみぞれが降っています。でも、プラスの1.9度。
明日も、今日同様、どんよりとあまり寒すぎない日でしょう。
月曜日はまた寒くなります。
「証し」の第3章。
私がイエス・キリストを救い主と信じたのは小学校2年生の時でした。
私の記憶によると・・・。
3年生から東村山の聖書学院で持たれていた
2泊3日の「小学生キャンプ」に行けるのですが、
特別にスタッフの一人であった父について、行きました。
夜の集会で、先生がお話をされていたのですが、
内容は何にも覚えていません。
で、最後にみんなが「・・・立って下さい」と言われて、
立ったんですよね。それで私も立ちました。
1年生の弟と一緒に・・・。
それに気がついた父が「どうして立ったんだ?」と聞いたのですが、
「みんなが立ったから、どうしたのかな?と思って」と答えたのだと思います。
でも、その時、私は父の口から、びっくりすることを聞きました。
「罪があったら、天国に行けない」
もうびっくりです。
教会で育って、神様のことを知っていました。
イエスさまのことも知っていました。
天国のことも・・・そして、当然、自分は行けるものだと思っていました。
でも、初めて「罪があったら天国に行けない」というのです。
それは困ったと思いました。
昨日も書いたのですが、
いつも弟をいじめていたからです。
だから、罪があることはよくわかっていました。
その時に、イエスさまが十字架にかかって下さったこと、
ゴメンナサイとお祈りすべきことを知りました。
私は単純に、というか、素直にと言うか、ほんとうに
それしかないと思って、泣きながら、ゴメンナサイと神様にお祈りしました。
1971年7月21日だったかな?
2年生の夏休みの最初の方の出来事でした。
「 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネ第1の手紙1章9節
これが私にとっての「救い」の経験です。
でも、これはほんとうに始まりの始まりでした。
ですから今でも私は信じています。
どんなに幼い罪意識でも、
どんなに小さな罪意識でも、
軽く見てはいけないこと。
ちゃんとイエスさまの十字架の赦しを語ることの大切さ。
決して、「そんなことは気にしなくていい」と言ってはいけないこと。
そして、どんな薄っぺらな罪意識でも、
それを悔い改めたときに、神様に受け入れられること、救われること。
「救いの経験」はその時に与えられること。
そして、それはそれが「始まりの始まり」でだんだん深められていくこと。
さて、今日の聖書です。
今日はピレモンへの手紙です。
「その請求は私にしてください。」18節。
1章だけの短い手紙。
でも、その背後にあるドラマはどれほどのものだったかと思います。
ピレモンの奴隷でありながら、主人を裏切り、主人に損害を与え、
逃げ出したオネシモ。
しかし、彼はその後パウロに出会い、
悔い改めて新しい出発をします。
そのオネシモをピレモンの元に送り返すときに、
その手に持たせたのが、この手紙です。
「私がそれをかぶる」とパウロは言ったのです。
オネシモのために自分の持てるものを差し出したのです。
私はどうだろうかと思いました。
このようにできるだろうかと。
神様が私に託して下さったもの。
それは神様の許しの中で、神様の喜ばれるように使うことを前提に、
私たちに任されているもの。
それをどのように使うのか、問われているように思いました。
何に投資するのか、問われているように感じました。
最近、「次の世代のために何ができるか」と言うことをよく考えます。
自分が先輩達に与えられたように、私も次の世代にのために投資できるだろうかと。
神様から託されているものを、
喜んで与える、喜んでささげるものでありたいと思います。
次の世代のために。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
あなたに対する愛を、
次の世代に対する愛を与えて下さい。
そのために、
いつもいつも、あなたからどんなに大きな愛を与えられているか、
忘れることがありませんように。
どんなに大きな愛を与えられているか、見つめ続けることができますように。
明日の日曜日に祝福を満たして下さい。
朝起きたら-3度まで上がっていて、
一日中曇っていましたが、気温は2.3度まで上がりました。
今、夜の11時半ですが、気温はまだ1.8度もあります。
レーダーには何か降っているエコーが出ていますが、
実際には、家のあたりでは何も降っていません。
上空で何かが降っていても、下に届くまでに蒸発してしまう場合があります。
今も多分そうなのでしょう。
12時45分アップデート・・・外はみぞれが降っています。でも、プラスの1.9度。
明日も、今日同様、どんよりとあまり寒すぎない日でしょう。
月曜日はまた寒くなります。
「証し」の第3章。
私がイエス・キリストを救い主と信じたのは小学校2年生の時でした。
私の記憶によると・・・。
3年生から東村山の聖書学院で持たれていた
2泊3日の「小学生キャンプ」に行けるのですが、
特別にスタッフの一人であった父について、行きました。
夜の集会で、先生がお話をされていたのですが、
内容は何にも覚えていません。
で、最後にみんなが「・・・立って下さい」と言われて、
立ったんですよね。それで私も立ちました。
1年生の弟と一緒に・・・。
それに気がついた父が「どうして立ったんだ?」と聞いたのですが、
「みんなが立ったから、どうしたのかな?と思って」と答えたのだと思います。
でも、その時、私は父の口から、びっくりすることを聞きました。
「罪があったら、天国に行けない」
もうびっくりです。
教会で育って、神様のことを知っていました。
イエスさまのことも知っていました。
天国のことも・・・そして、当然、自分は行けるものだと思っていました。
でも、初めて「罪があったら天国に行けない」というのです。
それは困ったと思いました。
昨日も書いたのですが、
いつも弟をいじめていたからです。
だから、罪があることはよくわかっていました。
その時に、イエスさまが十字架にかかって下さったこと、
ゴメンナサイとお祈りすべきことを知りました。
私は単純に、というか、素直にと言うか、ほんとうに
それしかないと思って、泣きながら、ゴメンナサイと神様にお祈りしました。
1971年7月21日だったかな?
2年生の夏休みの最初の方の出来事でした。
「 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネ第1の手紙1章9節
これが私にとっての「救い」の経験です。
でも、これはほんとうに始まりの始まりでした。
ですから今でも私は信じています。
どんなに幼い罪意識でも、
どんなに小さな罪意識でも、
軽く見てはいけないこと。
ちゃんとイエスさまの十字架の赦しを語ることの大切さ。
決して、「そんなことは気にしなくていい」と言ってはいけないこと。
そして、どんな薄っぺらな罪意識でも、
それを悔い改めたときに、神様に受け入れられること、救われること。
「救いの経験」はその時に与えられること。
そして、それはそれが「始まりの始まり」でだんだん深められていくこと。
さて、今日の聖書です。
今日はピレモンへの手紙です。
「その請求は私にしてください。」18節。
1章だけの短い手紙。
でも、その背後にあるドラマはどれほどのものだったかと思います。
ピレモンの奴隷でありながら、主人を裏切り、主人に損害を与え、
逃げ出したオネシモ。
しかし、彼はその後パウロに出会い、
悔い改めて新しい出発をします。
そのオネシモをピレモンの元に送り返すときに、
その手に持たせたのが、この手紙です。
「私がそれをかぶる」とパウロは言ったのです。
オネシモのために自分の持てるものを差し出したのです。
私はどうだろうかと思いました。
このようにできるだろうかと。
神様が私に託して下さったもの。
それは神様の許しの中で、神様の喜ばれるように使うことを前提に、
私たちに任されているもの。
それをどのように使うのか、問われているように思いました。
何に投資するのか、問われているように感じました。
最近、「次の世代のために何ができるか」と言うことをよく考えます。
自分が先輩達に与えられたように、私も次の世代にのために投資できるだろうかと。
神様から託されているものを、
喜んで与える、喜んでささげるものでありたいと思います。
次の世代のために。
主よ、
私に愛を与えて下さい。
あなたに対する愛を、
次の世代に対する愛を与えて下さい。
そのために、
いつもいつも、あなたからどんなに大きな愛を与えられているか、
忘れることがありませんように。
どんなに大きな愛を与えられているか、見つめ続けることができますように。
明日の日曜日に祝福を満たして下さい。
2007-01-26
良いわざに励む
今日は寒かったですねえ。
朝の気温は-14度C。
そして、昼間も-6度C。おまけに風もありました。
夜になって一度-8度まで下がった気温が、
今は-7度。
あまりこれ以上下がらないようです。
明日あさっては気温がプラスに上がって、
ちょっと楽になるようです。
そして、月曜日の朝には金曜日と同じようにちょっと雪が降って、また寒くなるみたいです。
今日は、「証し」の第2章。
今日の信徒勉強会では「証し」について学んだんですが、
その基準からすると神様を指し示す「証し」というより、
spiritual autobiography(自分の霊的な足跡をたどる作業)なのですが、
でも、その中でも、神様が私の人生にどんなことをして下さったか、
それが伝わったらいいなあ、と思います。
そう、自分の子供時代の中で大きな存在だったのは、
両親もでしたが、
正直言うと、兄弟の存在は大きかったです。
男ばかりの4人兄弟の2番目なのですが、
上の3人は年齢が近かったので、ほんとうに兄と弟の存在が自分にはものすごい、
影響がありました。
2つ上の兄はリーダーシップもあるし、
優しいし、
ちょっと変わっているところもあるけれども、
兄弟のまとめ役。
頼りにしていました。
私も生意気だったと思いますが、
かわいがってもらいました。
そして、兄の後をついていくのが、常になりました。
「お兄ちゃんがいくならボクもいく」
「お兄ちゃんがするなら、ボクもする」
それで交通事故にもあったのですが・・・。
中学でトロンボーンを始めたのも、
牧師になりたいと思い始めたのも(最終的には自分の決断でしたが・・・)、
兄の存在によるものでした。
弟は元気で楽しいヤツでした。
でも、1才違いの兄の私にとっては
また「生意気なヤツ」でもありました。
言葉では勝てない無口で内気な私にとって(ホント)、
どうやって弟を打ちのめしてやるか、
ぐうの音も出ないほどにしてやるか、
それが課題でした。
きつい目つきでにらみつけたり、
手を出したり足を出したり、
とにかくケンカをしたら、泣かさなければいけません。
でも、その後、必ず親に叱られて、自分も泣くことになるのですが・・・。
そう、いつも弟をいじめていたことが、
子供時代の「罪意識」の中心でした。
初めて「君にも罪がある」という話を聞いたときに、
何の抵抗もなくそれを「ほんとうにそうだ」と感じることができたのは、
そういう自分がイヤでしょうがなかったからです。
それが私に「救いの経験」を与えてくれました。
今日の聖書。
今日はテトスへの手紙の3章です。
「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」
8節の言葉です。
今日、日曜日の礼拝説教の準備をしながら、
ほんとうに「福音」の大切さを感じていました。
私たちは良い行いによって救われるのではない。
立派な人間になったら神様に受け入れられるのではない。
私たちは罪人なのに、神様は私たちを愛して下さって、
私たちのためにイエスを与え、
イエスが十字架の上で私たちの罪のために身代わりの死を経験して下さることによって、
私たちが赦される、というその福音です。
良い行いによって救われるのではないのです。
でも、良い行いをするようにと、
私たちは生かされているのです。
ただ、キリストの福音に感謝しながら、
愛されている喜びに満たされながら、
そのパワーを「良い行い」に向けていく、
そのように私たちは使命を与えられているんだと思います。
良い行いによって救われるのではなくて、
救われた喜びによって良い行いをするのです。
私の行いが人々を生かすものとなるようにと願います。
主よ、
御言葉によって生かしてください。
福音によって生かしてください。
喜びを満たして下さい。
あなたが与えて下さった大きな愛に感謝します。
どうか、その大きな愛に感謝して、
感謝と喜びを、「良い行い」に向けていくことができますように。
朝の気温は-14度C。
そして、昼間も-6度C。おまけに風もありました。
夜になって一度-8度まで下がった気温が、
今は-7度。
あまりこれ以上下がらないようです。
明日あさっては気温がプラスに上がって、
ちょっと楽になるようです。
そして、月曜日の朝には金曜日と同じようにちょっと雪が降って、また寒くなるみたいです。
今日は、「証し」の第2章。
今日の信徒勉強会では「証し」について学んだんですが、
その基準からすると神様を指し示す「証し」というより、
spiritual autobiography(自分の霊的な足跡をたどる作業)なのですが、
でも、その中でも、神様が私の人生にどんなことをして下さったか、
それが伝わったらいいなあ、と思います。
そう、自分の子供時代の中で大きな存在だったのは、
両親もでしたが、
正直言うと、兄弟の存在は大きかったです。
男ばかりの4人兄弟の2番目なのですが、
上の3人は年齢が近かったので、ほんとうに兄と弟の存在が自分にはものすごい、
影響がありました。
2つ上の兄はリーダーシップもあるし、
優しいし、
ちょっと変わっているところもあるけれども、
兄弟のまとめ役。
頼りにしていました。
私も生意気だったと思いますが、
かわいがってもらいました。
そして、兄の後をついていくのが、常になりました。
「お兄ちゃんがいくならボクもいく」
「お兄ちゃんがするなら、ボクもする」
それで交通事故にもあったのですが・・・。
中学でトロンボーンを始めたのも、
牧師になりたいと思い始めたのも(最終的には自分の決断でしたが・・・)、
兄の存在によるものでした。
弟は元気で楽しいヤツでした。
でも、1才違いの兄の私にとっては
また「生意気なヤツ」でもありました。
言葉では勝てない無口で内気な私にとって(ホント)、
どうやって弟を打ちのめしてやるか、
ぐうの音も出ないほどにしてやるか、
それが課題でした。
きつい目つきでにらみつけたり、
手を出したり足を出したり、
とにかくケンカをしたら、泣かさなければいけません。
でも、その後、必ず親に叱られて、自分も泣くことになるのですが・・・。
そう、いつも弟をいじめていたことが、
子供時代の「罪意識」の中心でした。
初めて「君にも罪がある」という話を聞いたときに、
何の抵抗もなくそれを「ほんとうにそうだ」と感じることができたのは、
そういう自分がイヤでしょうがなかったからです。
それが私に「救いの経験」を与えてくれました。
今日の聖書。
今日はテトスへの手紙の3章です。
「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」
8節の言葉です。
今日、日曜日の礼拝説教の準備をしながら、
ほんとうに「福音」の大切さを感じていました。
私たちは良い行いによって救われるのではない。
立派な人間になったら神様に受け入れられるのではない。
私たちは罪人なのに、神様は私たちを愛して下さって、
私たちのためにイエスを与え、
イエスが十字架の上で私たちの罪のために身代わりの死を経験して下さることによって、
私たちが赦される、というその福音です。
良い行いによって救われるのではないのです。
でも、良い行いをするようにと、
私たちは生かされているのです。
ただ、キリストの福音に感謝しながら、
愛されている喜びに満たされながら、
そのパワーを「良い行い」に向けていく、
そのように私たちは使命を与えられているんだと思います。
良い行いによって救われるのではなくて、
救われた喜びによって良い行いをするのです。
私の行いが人々を生かすものとなるようにと願います。
主よ、
御言葉によって生かしてください。
福音によって生かしてください。
喜びを満たして下さい。
あなたが与えて下さった大きな愛に感謝します。
どうか、その大きな愛に感謝して、
感謝と喜びを、「良い行い」に向けていくことができますように。
2007-01-25
威厳を保つ
いやあ、今日は寒いですねえ。
家の中にいても、冷たい空気がどこからか忍び込んできてるみたいです。
朝起きたら、外は雪化粧。
1-2センチくらい積っていましたね。
そして、今は夜の12時頃ですが、
外は-10.9度C。
今もまだまだ下がっています。
明日の朝は-13度くらいでしょうか?
大雪は降らないのですが、
時々小雪が舞う日がここ数日あるみたいですね。
昨日の夜、
日曜日に放送されていた「平成教育委員会」見ましたが、
その中で日本語の問題がいろいろ出ていました。
難しいですよね。
ATOK & 一太郎 第2回全国一斉日本語テスト
やってみましたが、
うーん、難しいもんですね。
平均は超えましたが、
言葉を使う仕事をしているのに、
こんなにもいい加減なのかと・・・。
特にマナーとか敬語の使い方とか・・・。
最近どうなのかなと思うのは、
「了解」と「了承」と「承知」の使い方。
「ご了承下さい」という言葉をよく聞きますが、
「承る」という言葉は「謙譲語」なのに、
それを使った「了承する」という言葉は「謙譲語」ではない、ってわけなんでしょうか。
「謙譲語」だと「承知する」?「承知致しました」とか。
でも、個人的には「ご了承下さい」って言葉も、何か、違和感あって、
いろいろ考えて今日も「ご了解下さい」という言葉を使いましたが、
それも、ちょっとおかしいなあ、と思い・・・、
何か難しいですね。
こういうとき、社会経験のなさが露呈してしまいます。
気にしすぎると、よけいおかしくなるけど、
最低限のことは身につけておきたいなあ、と思います。
同世代の中でも平均より下じゃないということは、
特別に無知なのではないかもしれませんが、
「牧師のための日本語講座」とか、どなたかにやって頂こうかな。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙2章でした。
最後の15節が心に留りました。
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」
「権威をもって話す」「軽んじられないように」
どきっとします。
自分の権威ではなくて、
神様が与えて下さった権威、
それをほんとうに分っていない自分がいるような気がしたからです。
主の召しに対する確信、
主が与えて下さったこの教会の牧師としての使命、
そして権威。
それをしっかりと信じて、
信頼して、与えられたメッセージを語ることの責任を感じさせられています。
自分の能力とかを考えると、
権威とは無縁ですが、
主が与えて下さった権威を軽く見ないで、
また、人からも自分という人間ではなくて、
主が与えて下さっている権威を軽く見られることがないように、
堅く立っていくことが大切だと思わされました。
主よ、
あなたの使命、
あなたの与えて下さっている権威を感謝します。
その使命と権威を私自身が、
軽く見てしまうことがありませんように。
「謙虚でありたい」という言葉を、
自分の甘えの隠れ蓑にすることがありませんように。
また、あなたが与えて下さっている権威が
軽く見られているときに、それに甘んじることのない勇気を与えて下さい。
あなたの与えて下さっている権威にもっともっと信頼できますように。
家の中にいても、冷たい空気がどこからか忍び込んできてるみたいです。
朝起きたら、外は雪化粧。
1-2センチくらい積っていましたね。
そして、今は夜の12時頃ですが、
外は-10.9度C。
今もまだまだ下がっています。
明日の朝は-13度くらいでしょうか?
大雪は降らないのですが、
時々小雪が舞う日がここ数日あるみたいですね。
昨日の夜、
日曜日に放送されていた「平成教育委員会」見ましたが、
その中で日本語の問題がいろいろ出ていました。
難しいですよね。
ATOK & 一太郎 第2回全国一斉日本語テスト
やってみましたが、
うーん、難しいもんですね。
平均は超えましたが、
言葉を使う仕事をしているのに、
こんなにもいい加減なのかと・・・。
特にマナーとか敬語の使い方とか・・・。
最近どうなのかなと思うのは、
「了解」と「了承」と「承知」の使い方。
「ご了承下さい」という言葉をよく聞きますが、
「承る」という言葉は「謙譲語」なのに、
それを使った「了承する」という言葉は「謙譲語」ではない、ってわけなんでしょうか。
「謙譲語」だと「承知する」?「承知致しました」とか。
でも、個人的には「ご了承下さい」って言葉も、何か、違和感あって、
いろいろ考えて今日も「ご了解下さい」という言葉を使いましたが、
それも、ちょっとおかしいなあ、と思い・・・、
何か難しいですね。
こういうとき、社会経験のなさが露呈してしまいます。
気にしすぎると、よけいおかしくなるけど、
最低限のことは身につけておきたいなあ、と思います。
同世代の中でも平均より下じゃないということは、
特別に無知なのではないかもしれませんが、
「牧師のための日本語講座」とか、どなたかにやって頂こうかな。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙2章でした。
最後の15節が心に留りました。
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」
「権威をもって話す」「軽んじられないように」
どきっとします。
自分の権威ではなくて、
神様が与えて下さった権威、
それをほんとうに分っていない自分がいるような気がしたからです。
主の召しに対する確信、
主が与えて下さったこの教会の牧師としての使命、
そして権威。
それをしっかりと信じて、
信頼して、与えられたメッセージを語ることの責任を感じさせられています。
自分の能力とかを考えると、
権威とは無縁ですが、
主が与えて下さった権威を軽く見ないで、
また、人からも自分という人間ではなくて、
主が与えて下さっている権威を軽く見られることがないように、
堅く立っていくことが大切だと思わされました。
主よ、
あなたの使命、
あなたの与えて下さっている権威を感謝します。
その使命と権威を私自身が、
軽く見てしまうことがありませんように。
「謙虚でありたい」という言葉を、
自分の甘えの隠れ蓑にすることがありませんように。
また、あなたが与えて下さっている権威が
軽く見られているときに、それに甘んじることのない勇気を与えて下さい。
あなたの与えて下さっている権威にもっともっと信頼できますように。
2007-01-24
言葉と行動
今は夜の11時前。
9時過ぎにNYから無事帰還しました。
今日2回目の更新です。
これで「一日一章」が追いつきます。
気温は0.8度「も」あります。
「も」というのは、
明日あさってはここまで上がることはないだろうからです。
今北の方からどんどん冷たい空気が南に降りてきているみたいで、
今夜から明日にかけてにわか雪が降るみたいです。
軒並み60パーセントの雪の確率が出てきています。
うっすら雪化粧するかもしれません。
で、何日か前に「ああ、消えたー」と落ち込んだのは、
どんなことを書いていたかというと、
「証し」の1章として、
「牧師の家庭に生まれたこと」でした。
「牧師の家庭」に生まれるということは、
日本ではほんとうに特別なことだと思います。
100人に1人のクリスチャンで、
そのうちの牧師のうちなんて。
だから「恵まれている」ことは確かです。
もしも、自分が牧師の家に生まれていなかったらクリスチャンになっていたか?
どうだっただろうか、と思います。
だから、私にとって、そこに生まれたことはとても良かったことなのです。
それなしに今の自分はあり得ません。
でも・・・
まさにそれがゆえにある「痛み」もあると思います。
少なくとも私の場合は。
勘違いしないでください。
別に何か特別なことがあったわけではありません。
やはり恵まれているんだと思います。
でも
「恵まれているんだよ」と言われれば言われるほど、
行き場がなくなってしまうのです。
自分でも自分にそういい聞かせます。
そして、自ら行き場をつぶしていくのです。
何か、「何があったんだろう?」と疑心暗鬼になる方がおられると困るので、
「何も特別なことはなかったんだよ」という意味で、ちょっと書きますと・・・。
何でしょうか、自分で自分にプレッシャーをかけていたのでしょうか、
「牧師の息子だからこうしなければいけない」という気持ちはいつもありました。
学校の友達にも「教会の子供がそんなことをしていいのか?」みたいな、言われ方もしましたしね。
教会も楽しかったです。別に嫌なことがあったわけではないです。
でも、自分たちの休みの日である日曜日は親は一番忙しい日。
自分たちの親ではなくなり、教会のみなさんのものになる日。
祝日も何かいろいろ教会行事が入ったものです。
小学校1年生の時に、
『開校記念日』で、日曜日でも祝日でも何でもない日が休みになったとき、
5月13日。絶対に忘れません。
父が潮干狩りに連れて行ってくれました。
それから、ずっと「また潮干狩りに行きたい」と37年間思い続けています。
というくらいなんです。
だから、特別に何かがあったわけではないのです。
書きながら、「自分の『痛み』ってそんなもんかい、やっぱりホントに恵まれているよなあ」と、また思いました。
うーん、まだ自分の中でどう受け取っていいのか分らないのかもしれません。
これは自分の人生の宿題ですね。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙に入って、1章。
「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。」
16節
どきっとする言葉ですよね。
「言ってることとやってることが違うじゃないですか!」
なんて言葉を聞いたりします。
他人事とは思えない感じがしました。
自分はどんな生き方をしているだろうかと。
もう一つの聖書の言葉を思い出しました。
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブの手紙1章22-24節
神様を神様とする歩み。
それが信仰のキモなんでしょう。
自分を神様にするのではなくて、
神様を神様とする。
明日は今月最後のJOYJOYキッズクラブです。
神様のすばらしさが示されますように。
主よ、
どうか、御言葉を聞くだけ、語るだけのものではなく、
そこに生きる者としてください。
自分を神とするのではなく、
あなたを神として従っていくことができますように。
明日のキッズクラブも祝福して、
たくさんの子ども達との出会いが与えられますように。
9時過ぎにNYから無事帰還しました。
今日2回目の更新です。
これで「一日一章」が追いつきます。
気温は0.8度「も」あります。
「も」というのは、
明日あさってはここまで上がることはないだろうからです。
今北の方からどんどん冷たい空気が南に降りてきているみたいで、
今夜から明日にかけてにわか雪が降るみたいです。
軒並み60パーセントの雪の確率が出てきています。
うっすら雪化粧するかもしれません。
で、何日か前に「ああ、消えたー」と落ち込んだのは、
どんなことを書いていたかというと、
「証し」の1章として、
「牧師の家庭に生まれたこと」でした。
「牧師の家庭」に生まれるということは、
日本ではほんとうに特別なことだと思います。
100人に1人のクリスチャンで、
そのうちの牧師のうちなんて。
だから「恵まれている」ことは確かです。
もしも、自分が牧師の家に生まれていなかったらクリスチャンになっていたか?
どうだっただろうか、と思います。
だから、私にとって、そこに生まれたことはとても良かったことなのです。
それなしに今の自分はあり得ません。
でも・・・
まさにそれがゆえにある「痛み」もあると思います。
少なくとも私の場合は。
勘違いしないでください。
別に何か特別なことがあったわけではありません。
やはり恵まれているんだと思います。
でも
「恵まれているんだよ」と言われれば言われるほど、
行き場がなくなってしまうのです。
自分でも自分にそういい聞かせます。
そして、自ら行き場をつぶしていくのです。
何か、「何があったんだろう?」と疑心暗鬼になる方がおられると困るので、
「何も特別なことはなかったんだよ」という意味で、ちょっと書きますと・・・。
何でしょうか、自分で自分にプレッシャーをかけていたのでしょうか、
「牧師の息子だからこうしなければいけない」という気持ちはいつもありました。
学校の友達にも「教会の子供がそんなことをしていいのか?」みたいな、言われ方もしましたしね。
教会も楽しかったです。別に嫌なことがあったわけではないです。
でも、自分たちの休みの日である日曜日は親は一番忙しい日。
自分たちの親ではなくなり、教会のみなさんのものになる日。
祝日も何かいろいろ教会行事が入ったものです。
小学校1年生の時に、
『開校記念日』で、日曜日でも祝日でも何でもない日が休みになったとき、
5月13日。絶対に忘れません。
父が潮干狩りに連れて行ってくれました。
それから、ずっと「また潮干狩りに行きたい」と37年間思い続けています。
というくらいなんです。
だから、特別に何かがあったわけではないのです。
書きながら、「自分の『痛み』ってそんなもんかい、やっぱりホントに恵まれているよなあ」と、また思いました。
うーん、まだ自分の中でどう受け取っていいのか分らないのかもしれません。
これは自分の人生の宿題ですね。
で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙に入って、1章。
「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。」
16節
どきっとする言葉ですよね。
「言ってることとやってることが違うじゃないですか!」
なんて言葉を聞いたりします。
他人事とは思えない感じがしました。
自分はどんな生き方をしているだろうかと。
もう一つの聖書の言葉を思い出しました。
「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブの手紙1章22-24節
神様を神様とする歩み。
それが信仰のキモなんでしょう。
自分を神様にするのではなくて、
神様を神様とする。
明日は今月最後のJOYJOYキッズクラブです。
神様のすばらしさが示されますように。
主よ、
どうか、御言葉を聞くだけ、語るだけのものではなく、
そこに生きる者としてください。
自分を神とするのではなく、
あなたを神として従っていくことができますように。
明日のキッズクラブも祝福して、
たくさんの子ども達との出会いが与えられますように。
時が良くても悪くても
今日はNYの日です。
昨日の夜よりも今朝の方がちょっと暖かくなったような気がします。
でも、だまされてはいけません。
これから寒くなるみたいですから、
明日は小雪やにわか雪が降るだろうということですから、
そしてあさっては昼間でも-5度以下だそうですから・・・。
月曜日に4年に一度の免許証の更新にLodiにいってきました。
厳しくなったという話も聞きますが、
逆にデジタル化されて、とても早くなったような気もします。
来られたばかりの方々はIDをそろえるのが大変なようですが、
14年もいると、その場で「これある?これは?じゃ、これは?」って聞かれるまま
出していったら、そろってしまいました。
そして、1/8に書いた臓器移植のこと、
ちゃんと書類に書く欄がありました。
そこにチェックを入れると、免許証にOrgan Donerと入ります。
そして写真も「今までの使う?」と聞かれて、Yesと答えたもんだから、
全部で15分くらいでしょうか?
家を出てから帰るまでで45分でした。
4年前は「郵送での更新OK」で
その後、厳しくなって、本人の出頭が必要で、
時間がかかるようになったみたいですが、
ちょうど今回の更新の時には迅速化されていて、ラッキーだったと言えましょう。
2週間後にはいよいよ息子が16歳になってLearner's Permitです。
「もうかい!?」って感じです。
で、昨日の聖書。
昨日はテモテ第2の手紙4章でした。
心に留ったのは
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2節
2つのことを教えられました。
1つ目はいつでも伝道すること。
状況的に伝道に適しているとき、適していないとき、ということがやっぱりあるんですね。
でも、たとえ「適していない」時であったとしても、御言葉を伝える責任があるということ。
「とにかく伝道しなさい」ということ。
励まされました。
そして2つ目は「教えたり、責めたり、戒めたり、勧めたりすることの大切さ」です。
「責めたり、戒めたり」というのはやはりリスクが伴います。
「そんなこと言われたくない」とか「そっちだって・・・」というときもあるでしょう。
「わたしを裁くのか」と言われるかもしれません。
でも、それを恐れていてはいけないんですね。
責められたり、戒められたりすることによって、
主の前に出て、御言葉によって成長するチャンスもあるのに、
それをみすみす奪っているのかもしれません。
愛と誠実さを持って
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
主よ、
御言葉の力を信頼して、
伝道させて下さい。
御言葉の力を信頼して、
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
私自身、御言葉によって整えて下さい。
そして、大胆に語る者とならせてください。
昨日の夜よりも今朝の方がちょっと暖かくなったような気がします。
でも、だまされてはいけません。
これから寒くなるみたいですから、
明日は小雪やにわか雪が降るだろうということですから、
そしてあさっては昼間でも-5度以下だそうですから・・・。
月曜日に4年に一度の免許証の更新にLodiにいってきました。
厳しくなったという話も聞きますが、
逆にデジタル化されて、とても早くなったような気もします。
来られたばかりの方々はIDをそろえるのが大変なようですが、
14年もいると、その場で「これある?これは?じゃ、これは?」って聞かれるまま
出していったら、そろってしまいました。
そして、1/8に書いた臓器移植のこと、
ちゃんと書類に書く欄がありました。
そこにチェックを入れると、免許証にOrgan Donerと入ります。
そして写真も「今までの使う?」と聞かれて、Yesと答えたもんだから、
全部で15分くらいでしょうか?
家を出てから帰るまでで45分でした。
4年前は「郵送での更新OK」で
その後、厳しくなって、本人の出頭が必要で、
時間がかかるようになったみたいですが、
ちょうど今回の更新の時には迅速化されていて、ラッキーだったと言えましょう。
2週間後にはいよいよ息子が16歳になってLearner's Permitです。
「もうかい!?」って感じです。
で、昨日の聖書。
昨日はテモテ第2の手紙4章でした。
心に留ったのは
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2節
2つのことを教えられました。
1つ目はいつでも伝道すること。
状況的に伝道に適しているとき、適していないとき、ということがやっぱりあるんですね。
でも、たとえ「適していない」時であったとしても、御言葉を伝える責任があるということ。
「とにかく伝道しなさい」ということ。
励まされました。
そして2つ目は「教えたり、責めたり、戒めたり、勧めたりすることの大切さ」です。
「責めたり、戒めたり」というのはやはりリスクが伴います。
「そんなこと言われたくない」とか「そっちだって・・・」というときもあるでしょう。
「わたしを裁くのか」と言われるかもしれません。
でも、それを恐れていてはいけないんですね。
責められたり、戒められたりすることによって、
主の前に出て、御言葉によって成長するチャンスもあるのに、
それをみすみす奪っているのかもしれません。
愛と誠実さを持って
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
主よ、
御言葉の力を信頼して、
伝道させて下さい。
御言葉の力を信頼して、
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
私自身、御言葉によって整えて下さい。
そして、大胆に語る者とならせてください。
2007-01-23
神の人を整えるため
今日も寒い日でした。
昨日の夜もちらほら小雪が舞っていましたが、
それだけです。
木曜日もそうみたいです。
Stormではなくて、小雪が舞うくらいみたいです。
そして、金曜日は今年一番の寒さになるようです。
どうやらこのまま雪かきをしないまま、2月を迎えることになりそうです。
今日も早速聖書に行きます。
昨日の聖書はテモテ第2の手紙3章でした。
その中で心に留った言葉は、
「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」17節の言葉です。
「十分に整えられた者」
これはまた大切な言葉ですね。
「奉仕のうちで整えられる」という面があると思います。
「十分に整えられるまで奉仕はできない」というのはまた違うかなあと思います。
でも、ほんとうに用いられるために「整えられる」ということがどれほど大切かと思います。
考えてみれば、
モーセも、情熱に燃えて、地位もあったときには用いられませんでした。
ペテロも、主のためにどこまでも!と情熱だけだったときには失敗だらけでした。
弱さを知り、砕かれたときに、用いられたのです。
主にとっては、この「整えられる」ということがどれほど大切なことかと思いました。
御言葉によって整えられて、用いて頂きたいと思いました。
御言葉がまた一人ひとりを整えてくださるのを見せて頂きたいと思いました。
人が救われることもほんとうに大きな喜びです。
でも、それだけではなくて、
キリストを信じた方が、
みことばに取り扱われて、
悔い改めに導かれて、
主によって整えられて、
主に用いられていくのを見るのは、
どれほど大きな喜びでしょうか?
そのような御業を日々の歩みの中で見せて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたのみことばに感謝します。
どうか、わたしに日々に御言葉を与えて下さい。
ただ「いいなあ」というレベルではなく、
魂を探られるような、魂が砕かれるような、
魂がゆさぶられるような御言葉を与えて下さい。
昨日の夜もちらほら小雪が舞っていましたが、
それだけです。
木曜日もそうみたいです。
Stormではなくて、小雪が舞うくらいみたいです。
そして、金曜日は今年一番の寒さになるようです。
どうやらこのまま雪かきをしないまま、2月を迎えることになりそうです。
今日も早速聖書に行きます。
昨日の聖書はテモテ第2の手紙3章でした。
その中で心に留った言葉は、
「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」17節の言葉です。
「十分に整えられた者」
これはまた大切な言葉ですね。
「奉仕のうちで整えられる」という面があると思います。
「十分に整えられるまで奉仕はできない」というのはまた違うかなあと思います。
でも、ほんとうに用いられるために「整えられる」ということがどれほど大切かと思います。
考えてみれば、
モーセも、情熱に燃えて、地位もあったときには用いられませんでした。
ペテロも、主のためにどこまでも!と情熱だけだったときには失敗だらけでした。
弱さを知り、砕かれたときに、用いられたのです。
主にとっては、この「整えられる」ということがどれほど大切なことかと思いました。
御言葉によって整えられて、用いて頂きたいと思いました。
御言葉がまた一人ひとりを整えてくださるのを見せて頂きたいと思いました。
人が救われることもほんとうに大きな喜びです。
でも、それだけではなくて、
キリストを信じた方が、
みことばに取り扱われて、
悔い改めに導かれて、
主によって整えられて、
主に用いられていくのを見るのは、
どれほど大きな喜びでしょうか?
そのような御業を日々の歩みの中で見せて頂きたいと思いました。
主よ、
あなたのみことばに感謝します。
どうか、わたしに日々に御言葉を与えて下さい。
ただ「いいなあ」というレベルではなく、
魂を探られるような、魂が砕かれるような、
魂がゆさぶられるような御言葉を与えて下さい。
2007-01-22
主にとって有益なもの
ああ、どういう訳か、
結構たくさん書いたものが消えてしまったので、
がっくりきてしまいました。
うーん、それはまた気を取り直して明日書くとして、
今日はさっそく聖書に行きましょう。
昨日の聖書ですね。
昨日はテモテへの第2の手紙の2章を読みました。
その中で心に留ったのが次の聖書の言葉です。
「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」21節。
主にとって有益な者。
そのようになりたいと心から思う。
そのためには不純なもの、主が喜ばれないものを取り除くこと、
主に取り除いて頂くこと、
こだわっていないで、
しがみついていないで、
主の許にお委ねして、
手放してしまうこと。
ほんとうに主に用いられるもの、
主にとって有益な者となりたいと思った。
昨日、教会の総会で今年の方針を語りつつ、
野心とか、野望とか、そんなものとは無縁なことを感じた。
ただ、この主を知って頂きたい。
この主の愛を多くの人に知って頂きたい。
そんな思い。
それだけでいい、と単純に思わされました。
どう思われようとも、そんなことも気になりません。
ただ、一人ひとりが主の前に整えられて、
主の前にへりくだらされて、
喜びのあふれて・・・
自分が何かができた喜びではなくて、
主に愛されている喜びにあふれて歩んでいくことができるように、
それだけを願います。
主よ、
もっともっと私の心を探って下さい。
そして、あなたの喜ばれないものがあったら、
それを示して下さい。
わたしはそれを手放しますから、
教えて下さい。
そして、それをきよめて下さい。
取り除いて下さい。
あなたにとって有益な者とならせてください。
結構たくさん書いたものが消えてしまったので、
がっくりきてしまいました。
うーん、それはまた気を取り直して明日書くとして、
今日はさっそく聖書に行きましょう。
昨日の聖書ですね。
昨日はテモテへの第2の手紙の2章を読みました。
その中で心に留ったのが次の聖書の言葉です。
「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」21節。
主にとって有益な者。
そのようになりたいと心から思う。
そのためには不純なもの、主が喜ばれないものを取り除くこと、
主に取り除いて頂くこと、
こだわっていないで、
しがみついていないで、
主の許にお委ねして、
手放してしまうこと。
ほんとうに主に用いられるもの、
主にとって有益な者となりたいと思った。
昨日、教会の総会で今年の方針を語りつつ、
野心とか、野望とか、そんなものとは無縁なことを感じた。
ただ、この主を知って頂きたい。
この主の愛を多くの人に知って頂きたい。
そんな思い。
それだけでいい、と単純に思わされました。
どう思われようとも、そんなことも気になりません。
ただ、一人ひとりが主の前に整えられて、
主の前にへりくだらされて、
喜びのあふれて・・・
自分が何かができた喜びではなくて、
主に愛されている喜びにあふれて歩んでいくことができるように、
それだけを願います。
主よ、
もっともっと私の心を探って下さい。
そして、あなたの喜ばれないものがあったら、
それを示して下さい。
わたしはそれを手放しますから、
教えて下さい。
そして、それをきよめて下さい。
取り除いて下さい。
あなたにとって有益な者とならせてください。
2007-01-21
福音のために苦しむ
遅くなりましたが、
昨日の分です。
でも、天気予報は今日の分。
今日も一日寒かったのですが、
何と返ってきて天気予報を見たら、
Freezing Rain注意報がでているではないですか!
いつも書きますが、Freezing Rainは一番コワイですから、
明日の朝、気をつけてくださいねえ。
大したことはなくても、つるっと滑ることがあります。
車もそうですが、歩いててもこけることがあります。
いや、こけたこともあります。
「証し」のこと。
ここに来てくださるクリスチャン以外の方々もおられるので、
ちょっと説明すると、
神様が私たちの人生にどんなすばらしいことをしてくださったかを語ることを、
「証し」といいます。「神様の御業を証言する」という感じかな。
で、イ・チソンさんの「証し」についての言葉が心に留っているので、
それを紹介します。本人の許可いただいていませんが、本に載っているので、本の引用という形で・・・。
「信仰の証としてどのような話をすればよいのか悩んでいたとき、『信仰の証-testimony』というのは『わたしが何をした』ということを話すのではなく、『神さまがわたしにこうしてくださいました』と伝えることだと気づきました。だからわたしは人々の前で、これまで神様が示してくれた恵みについて話すことにしました。」(「今日も幸せです」106ページ)
そんな「神様がわたしにこうしてくださいました」という証し、今度書きたいと思います。JCCNJの皆さんには、15分バージョンの「キリストに出会ったときの証し」を書いてもらうことになっています。だから、私自身ももう一度書いてみたいと思います。1-2月の宿題です。
昨日の聖書。
昨日はテモテへの第2の手紙の1章を読みました。
「むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」8節の言葉です。
「福音のために苦しむ」って分るだろうか?
こんな恵まれた環境に生きていて、
「福音のために苦しむ」なんて経験できるのだろうか?
何かぬるま湯の中にいるかのような感じもする。
何でもできて、堂々と語れて、
こんな中で、「福音のために苦しむ」ことはできるのだろうか?
「福音のために苦しむこと」次の課題のような気がする。
楽しい教会生活、楽しい伝道を求めてきたような気がする。
神様に求めながら歩んでいきたいと思う。
主よ、
「福音のために苦しむこと」とは何でしょうか?
教えてください。
そして、それを避けることがないように。
それを手にとって進んでいくことができますように。
昨日の分です。
でも、天気予報は今日の分。
今日も一日寒かったのですが、
何と返ってきて天気予報を見たら、
Freezing Rain注意報がでているではないですか!
いつも書きますが、Freezing Rainは一番コワイですから、
明日の朝、気をつけてくださいねえ。
大したことはなくても、つるっと滑ることがあります。
車もそうですが、歩いててもこけることがあります。
いや、こけたこともあります。
「証し」のこと。
ここに来てくださるクリスチャン以外の方々もおられるので、
ちょっと説明すると、
神様が私たちの人生にどんなすばらしいことをしてくださったかを語ることを、
「証し」といいます。「神様の御業を証言する」という感じかな。
で、イ・チソンさんの「証し」についての言葉が心に留っているので、
それを紹介します。本人の許可いただいていませんが、本に載っているので、本の引用という形で・・・。
「信仰の証としてどのような話をすればよいのか悩んでいたとき、『信仰の証-testimony』というのは『わたしが何をした』ということを話すのではなく、『神さまがわたしにこうしてくださいました』と伝えることだと気づきました。だからわたしは人々の前で、これまで神様が示してくれた恵みについて話すことにしました。」(「今日も幸せです」106ページ)
そんな「神様がわたしにこうしてくださいました」という証し、今度書きたいと思います。JCCNJの皆さんには、15分バージョンの「キリストに出会ったときの証し」を書いてもらうことになっています。だから、私自身ももう一度書いてみたいと思います。1-2月の宿題です。
昨日の聖書。
昨日はテモテへの第2の手紙の1章を読みました。
「むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」8節の言葉です。
「福音のために苦しむ」って分るだろうか?
こんな恵まれた環境に生きていて、
「福音のために苦しむ」なんて経験できるのだろうか?
何かぬるま湯の中にいるかのような感じもする。
何でもできて、堂々と語れて、
こんな中で、「福音のために苦しむ」ことはできるのだろうか?
「福音のために苦しむこと」次の課題のような気がする。
楽しい教会生活、楽しい伝道を求めてきたような気がする。
神様に求めながら歩んでいきたいと思う。
主よ、
「福音のために苦しむこと」とは何でしょうか?
教えてください。
そして、それを避けることがないように。
それを手にとって進んでいくことができますように。
2007-01-20
2007-01-19
満ち足りる心
今日は遅くまで集まりがあったので、
お休みします。
ホントはもう12時回っているので。
明日の朝(たぶん)更新・・・。
ではでは・・・
と思ったのですが、やはりあまり眠くなっていないので、今更新。
今朝は起きたら雪が降っていました。
そして雪化粧。2センチくらい積っていたでしょうか?
今年初めての景色でした。
その後、太陽が出てきて、とてもまぶしかったですが、
とても懐かしいまぶしさでした。
やはり冬はこうでなければ・・・と思いました。
もう午前中にほとんど融けてしまいましたが・・・。
今度の雪のチャンスは月曜日ですが、まあ何もないでしょう。
その次は木曜日、その次は火曜日、そして次の土曜日と続きます。
12月から1月前半、全く雪の気配がなかったのとはほんとうに対照的です。
今は夜の1時半で、-1度。
今、ゴミを出しに外に出たら、小雪が舞っていました。
明日の朝は-4度くらいかな。
そして昼間も氷点下で風も強い、寒い日となるでしょう。
今日の朝も、昨日の夜も、自分のキリストに出会った時の「証し」をするチャンスがありました。
何か、その時の話を始めると、心が震えてきて、
喜びが湧いてきて、押さえることができません。
今でも、それから20年以上経っているのですが、
その喜びが自分を支え、自分を生かしていることを感じます。
今、このページを読んでくださっている方々は教会の方々が多いかと思い、
もう、何度もお話ししていることとは思いますが、
またいつか、何回かのシリーズにして、ここにアップしたいかな、と思います。
そして、今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の6章。
この手紙の最後のところです。
「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」
6節の言葉です。
10年前は私費の留学生でした。
ですから、貯めたお金を、大切に使うこと、できるだけ減らさないことが大切なことでした。
のんちが働いてできたお金と、借りたお金がかなりの部分でした。
時間を見つけて翻訳をしたり、大学の仕事をしたり、補習校の代教をしたり・・・。
自分で作れるものはほんの少しでした。
そして、奨学金が出ても、自費で支払う授業料が半年で数千ドル単位でした。
ですから、毎月の出費はほんとうに少なかったです。
600ドルだったか、700ドルだったかの寮費(アパート代)がめちゃくちゃ高く感じました。
その前、アトランタにいた頃、またその前、サンディエゴにいた頃、もっともっと、
財布は小さかったと思います。「次のステップに進むために」と必死でしたから。
でも、今、定期的な収入のある生活になって、
一度大きくなった財布はなかなか小さくなりません。
そして、また大きくしようと思ったら、いくらでも大きくなります。
「満ち足りる心を伴う敬虔」・・・どんな感じなのかな、と思います。
口語訳では「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」とあります。
与えられていることを感謝して歩む生活、
そして、「ほんとうに必要なものは主が与えて下さる」という信頼の中での生活。
そこに歩んでいきたいと思います。
お休みします。
ホントはもう12時回っているので。
明日の朝(たぶん)更新・・・。
ではでは・・・
と思ったのですが、やはりあまり眠くなっていないので、今更新。
今朝は起きたら雪が降っていました。
そして雪化粧。2センチくらい積っていたでしょうか?
今年初めての景色でした。
その後、太陽が出てきて、とてもまぶしかったですが、
とても懐かしいまぶしさでした。
やはり冬はこうでなければ・・・と思いました。
もう午前中にほとんど融けてしまいましたが・・・。
今度の雪のチャンスは月曜日ですが、まあ何もないでしょう。
その次は木曜日、その次は火曜日、そして次の土曜日と続きます。
12月から1月前半、全く雪の気配がなかったのとはほんとうに対照的です。
今は夜の1時半で、-1度。
今、ゴミを出しに外に出たら、小雪が舞っていました。
明日の朝は-4度くらいかな。
そして昼間も氷点下で風も強い、寒い日となるでしょう。
今日の朝も、昨日の夜も、自分のキリストに出会った時の「証し」をするチャンスがありました。
何か、その時の話を始めると、心が震えてきて、
喜びが湧いてきて、押さえることができません。
今でも、それから20年以上経っているのですが、
その喜びが自分を支え、自分を生かしていることを感じます。
今、このページを読んでくださっている方々は教会の方々が多いかと思い、
もう、何度もお話ししていることとは思いますが、
またいつか、何回かのシリーズにして、ここにアップしたいかな、と思います。
そして、今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の6章。
この手紙の最後のところです。
「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」
6節の言葉です。
10年前は私費の留学生でした。
ですから、貯めたお金を、大切に使うこと、できるだけ減らさないことが大切なことでした。
のんちが働いてできたお金と、借りたお金がかなりの部分でした。
時間を見つけて翻訳をしたり、大学の仕事をしたり、補習校の代教をしたり・・・。
自分で作れるものはほんの少しでした。
そして、奨学金が出ても、自費で支払う授業料が半年で数千ドル単位でした。
ですから、毎月の出費はほんとうに少なかったです。
600ドルだったか、700ドルだったかの寮費(アパート代)がめちゃくちゃ高く感じました。
その前、アトランタにいた頃、またその前、サンディエゴにいた頃、もっともっと、
財布は小さかったと思います。「次のステップに進むために」と必死でしたから。
でも、今、定期的な収入のある生活になって、
一度大きくなった財布はなかなか小さくなりません。
そして、また大きくしようと思ったら、いくらでも大きくなります。
「満ち足りる心を伴う敬虔」・・・どんな感じなのかな、と思います。
口語訳では「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」とあります。
与えられていることを感謝して歩む生活、
そして、「ほんとうに必要なものは主が与えて下さる」という信頼の中での生活。
そこに歩んでいきたいと思います。
2007-01-18
明らかにされる
今日は予想よりも早く、3時頃から小雪が降っていました。
そして予想通り、大したことはありませんでした。
明日の朝まで、大したことがなく終わることと思います。
良かった。
でも、また明日から寒くなります。
風も強いので、寒さ対策は万全に・・・。
今日の朝の祈り会はほんとうに幸いな一時となりました。
御言葉によって支えられたお証を伺うことができて、
「こういう時を待ち望んでいた・・・」と思いました。
ますます、このような交わりが教会の中に広まり、
神様をたたえる賛美があふれますように。
心を開いて祈りの課題を挙げて、祈り合う交わりが広まりますように。
「教会が教会となる」一時でした。
そして今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の5章を読みました。
「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。 同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」24-25節。
怖いような気もしますし、
また慰めでもあります。
「自分のほんとうの姿すべてが明らかになってしまったら、どうなるんだろうか?」
という恐れです。でも、いいんでしょう。それでも憐れみによって生かされているのですから、
憐れみによって、主のしもべとならせていただいているのですから。
それよりも、今日心に感じたのは、
どう思われていても、いい。
ほんとうのことはやがて明らかにされるのだから・・・という慰めです。
自分で騒がなくても、
自己弁護をしなくても、
ほんとうのことはいつか明らかにされるのです。
いや、別に今、誤解されて困っていることがあるわけではないです。念のため・・・。
でも、安心していい。
ほんとうのことはいつか明らかになるんだからと・・・。
そう思うと何も怖くなくなります。
ただただ、主に信頼して、
主が導かれる道を歩んでいきたいと思います。
感謝しつつ。
主よ、
今日もあなたの約束のゆえに感謝します。
あなたの御言葉によって支えられているいくつもの人生のゆえに感謝します。
あなたをたたえる証が教会の中にあふれますように。
また心からの願いを祈り合う祈りが教会の中にあふれますように。
そして予想通り、大したことはありませんでした。
明日の朝まで、大したことがなく終わることと思います。
良かった。
でも、また明日から寒くなります。
風も強いので、寒さ対策は万全に・・・。
今日の朝の祈り会はほんとうに幸いな一時となりました。
御言葉によって支えられたお証を伺うことができて、
「こういう時を待ち望んでいた・・・」と思いました。
ますます、このような交わりが教会の中に広まり、
神様をたたえる賛美があふれますように。
心を開いて祈りの課題を挙げて、祈り合う交わりが広まりますように。
「教会が教会となる」一時でした。
そして今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の5章を読みました。
「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。 同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」24-25節。
怖いような気もしますし、
また慰めでもあります。
「自分のほんとうの姿すべてが明らかになってしまったら、どうなるんだろうか?」
という恐れです。でも、いいんでしょう。それでも憐れみによって生かされているのですから、
憐れみによって、主のしもべとならせていただいているのですから。
それよりも、今日心に感じたのは、
どう思われていても、いい。
ほんとうのことはやがて明らかにされるのだから・・・という慰めです。
自分で騒がなくても、
自己弁護をしなくても、
ほんとうのことはいつか明らかにされるのです。
いや、別に今、誤解されて困っていることがあるわけではないです。念のため・・・。
でも、安心していい。
ほんとうのことはいつか明らかになるんだからと・・・。
そう思うと何も怖くなくなります。
ただただ、主に信頼して、
主が導かれる道を歩んでいきたいと思います。
感謝しつつ。
主よ、
今日もあなたの約束のゆえに感謝します。
あなたの御言葉によって支えられているいくつもの人生のゆえに感謝します。
あなたをたたえる証が教会の中にあふれますように。
また心からの願いを祈り合う祈りが教会の中にあふれますように。
2007-01-17
模範となる
今日の朝は-8.4度C。
ほぼ予報通りでした。
昼間は-1.5度まで上がって、
風も収まって、ずいぶん暖かく感じました。
今、真夜中の12時で、-6.7度C。
明日の朝は今朝以上に冷えそうです。
そして、明日の夜の雪の予報ですが、
大したことはない。ことは確かなようです。
降っても2-3センチ。
たぶんそこまでも行かないでしょう。
来週も、月曜日、木曜日、土曜日あたりにそれぞれチャンスはありますが、
全く何もないかもしれません。
今日はもう遅いので、
早速聖書に行きます。
今日はテモテへの手紙の第1、4章でした。
その中で、「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」という12節の言葉が心に留りました。
ほんとうにそのようにありたいと思いました。
そして、今日一日祈っていて示されたこと。
今教会堂を取得したいと祈っていますが、
その中で、「必要ならば神様が与えて下さる」と信じて、
またそのように語っています。
でも、教会としてそれを信じるようにと励ますならば、
どうして私個人の私生活、というか、家族の生活の中で、
「これくらい蓄えがないといざというときに困る」とか、
「老後のことも考えなければ・・・」なんて考えるのでしょうか?
私を信頼しなさい、と主は言われます。
「神の国と神の義を先ず求めなさい。そうすればそれらのもの(日々の必要)はすべて添えて与えられます」と言われます。
でも、ほんとうに信じているのは、「蓄え」であったり、
第一に求めているのは神の国と神の義ではなく、「日々の必要」の方だったりするのではないかと。
だから、今、本気で主を信頼するとはどういうことなのか、祈っています。
具体的にそのように生きたいと思います。
主よ、
私に愛をもっと与えて下さい。
私にあなたを信頼する思いをもっと与えて下さい。
あなたを何よりも求めて、あなたにチューニングを合わせて歩めますように。
ほぼ予報通りでした。
昼間は-1.5度まで上がって、
風も収まって、ずいぶん暖かく感じました。
今、真夜中の12時で、-6.7度C。
明日の朝は今朝以上に冷えそうです。
そして、明日の夜の雪の予報ですが、
大したことはない。ことは確かなようです。
降っても2-3センチ。
たぶんそこまでも行かないでしょう。
来週も、月曜日、木曜日、土曜日あたりにそれぞれチャンスはありますが、
全く何もないかもしれません。
今日はもう遅いので、
早速聖書に行きます。
今日はテモテへの手紙の第1、4章でした。
その中で、「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」という12節の言葉が心に留りました。
ほんとうにそのようにありたいと思いました。
そして、今日一日祈っていて示されたこと。
今教会堂を取得したいと祈っていますが、
その中で、「必要ならば神様が与えて下さる」と信じて、
またそのように語っています。
でも、教会としてそれを信じるようにと励ますならば、
どうして私個人の私生活、というか、家族の生活の中で、
「これくらい蓄えがないといざというときに困る」とか、
「老後のことも考えなければ・・・」なんて考えるのでしょうか?
私を信頼しなさい、と主は言われます。
「神の国と神の義を先ず求めなさい。そうすればそれらのもの(日々の必要)はすべて添えて与えられます」と言われます。
でも、ほんとうに信じているのは、「蓄え」であったり、
第一に求めているのは神の国と神の義ではなく、「日々の必要」の方だったりするのではないかと。
だから、今、本気で主を信頼するとはどういうことなのか、祈っています。
具体的にそのように生きたいと思います。
主よ、
私に愛をもっと与えて下さい。
私にあなたを信頼する思いをもっと与えて下さい。
あなたを何よりも求めて、あなたにチューニングを合わせて歩めますように。
2007-01-16
temperate, self-controlled, respectable,
今朝起きた時は4度くらい。
でも風があったので十分寒く感じました。
その後、気温はゆっくり下がっていって、
夜になって下げ足を速めています。
今は夜の9時半で-4.3度C。
最低気温は-8度くらいまで下がるようです。
もう少し低くなるかな、と個人的には思っています。
でも、見事に15日を境に寒くなりました。
私は元々1週間以上先の予報は信頼していません。
でも、今回は見事でしたね。
明日は一日中氷点下です。
テキサスのヒューストンも、町の北半分はFreezing Rainです。
南半分も0.5度まで下がってきています。
こちらの金曜日の雪は、降っても学校が休みになるほどではないでしょう。
集会も予定通りできそうです。
最近、不思議なくらい、
「御言葉によって支えられました」「こんなことを神様から教えられました」という声を、
聞くようになりました。
うれしいことです。
日曜日の信仰に導かれた方も・・・。
教会で大きなイベントがあって、多くの方々が喜んで集ってくださる時にも、
皆さんの輝いた顔を拝見するのもうれしいことです。
でも、やはり、何よりもうれしいのは、心が触れ合うようなお話を伺う時、
神様がお一人一人の心に触れてくださったことを知った時。
そういうことのために、私は使命を頂いているのだと思います。
今日の聖書。
今日は第1テモテ3章でした。
今日のところは「監督」の資質と「執事」の資質について書いてあるところです。
「監督」は私たちの教会では「牧師」であり、
「執事」は私たちの教会では「役員」です。
自分が牧師のため、
「監督」の資質について書いてあるところが心に留りました。
特に、2節の「自分を制し、慎み深く、品位があり」の部分です。
日英対訳版を読んでいたのですが、
英語では"temperate, self-controlled, respectable,..."となっています。
ただ、ただ、そのようになりたいと思いました。
それ以上でもなく、それ以下でもなく、
ただ、単純に、品位のある、慎み深い、自分をよく制する者となりたいと思いました。
主よ、
どうか私に品位と慎みと自制とを与えて下さい。
平安と確信の中に慎み深くあることができますように。
あなたと共に歩んでいる平安の中に生きる者であることができますように。
あなたの与えて下さる平安の中に歩むことができますように。
でも風があったので十分寒く感じました。
その後、気温はゆっくり下がっていって、
夜になって下げ足を速めています。
今は夜の9時半で-4.3度C。
最低気温は-8度くらいまで下がるようです。
もう少し低くなるかな、と個人的には思っています。
でも、見事に15日を境に寒くなりました。
私は元々1週間以上先の予報は信頼していません。
でも、今回は見事でしたね。
明日は一日中氷点下です。
テキサスのヒューストンも、町の北半分はFreezing Rainです。
南半分も0.5度まで下がってきています。
こちらの金曜日の雪は、降っても学校が休みになるほどではないでしょう。
集会も予定通りできそうです。
最近、不思議なくらい、
「御言葉によって支えられました」「こんなことを神様から教えられました」という声を、
聞くようになりました。
うれしいことです。
日曜日の信仰に導かれた方も・・・。
教会で大きなイベントがあって、多くの方々が喜んで集ってくださる時にも、
皆さんの輝いた顔を拝見するのもうれしいことです。
でも、やはり、何よりもうれしいのは、心が触れ合うようなお話を伺う時、
神様がお一人一人の心に触れてくださったことを知った時。
そういうことのために、私は使命を頂いているのだと思います。
今日の聖書。
今日は第1テモテ3章でした。
今日のところは「監督」の資質と「執事」の資質について書いてあるところです。
「監督」は私たちの教会では「牧師」であり、
「執事」は私たちの教会では「役員」です。
自分が牧師のため、
「監督」の資質について書いてあるところが心に留りました。
特に、2節の「自分を制し、慎み深く、品位があり」の部分です。
日英対訳版を読んでいたのですが、
英語では"temperate, self-controlled, respectable,..."となっています。
ただ、ただ、そのようになりたいと思いました。
それ以上でもなく、それ以下でもなく、
ただ、単純に、品位のある、慎み深い、自分をよく制する者となりたいと思いました。
主よ、
どうか私に品位と慎みと自制とを与えて下さい。
平安と確信の中に慎み深くあることができますように。
あなたと共に歩んでいる平安の中に生きる者であることができますように。
あなたの与えて下さる平安の中に歩むことができますように。
2007-01-15
内なる飾り
今日も予想通り「ちょっと冷たい雨」でした。
それほど降りませんでしたが、
それでもmistyな一日でした。
今は夜の11時ですが、7度もあります。
でも、今夜半からどんどん温度は下がるでしょう。
あと、風も強くなってかなり寒く感じると思います。
明日からは冬です。
次の雪のチャンスは木曜日の夜から金曜日あたりです。
教会の集会がいろいろあるので、降らないで欲しいですが・・・。
あと、こちらも寒くなりますが、
何とテキサスのヒューストンでも、
ice stormのようです。
ダラスくらいならしょっちゅうあるのですが、
ヒューストンは珍しいと思います。
10年ぶりだそうです。
でも10年に1回あるのか・・・。
今日は地域の日本語牧師会がありました。
同じ使命を持った者たちが、
語り合い、励まし合い、祈り合う一時を持ちました。
いつもいつも元気を与えられます。
そして、いつもいつも「もっと話したい」と思うのですが、
あっという間に時間が過ぎていきます。
感謝。
今日の聖書。
今日は第1テモテ2章を読みました。
この8節の言葉はいつも心に留ります。
「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」
でも、今日はそれだけではなく、それに続く、女性に対する語りかけを自分への語りかけとして受け取りました。
「同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。」9-10節。
子供の頃、自分のルックスってコンプレックスでした。
「ああ、ああゆうかっこいい友達みたいになりたいなあ」とよく思いました。
大人になって、
一人の妻の夫になると、
これがまた、モテ男ではないことが、助かると言えば助かります。
「イケメン牧師」なるものが存在するのかどうか知りませんが、
ルックスのいい牧師に比べると、いらない苦労がなくて助かります(^^)
「誤解されることが少ない(ない?)」「誘惑が少なくて(なくて?)すむ」という意味で・・・。
だからと言うわけではないのですが、
ここで女性に言われていること、すべての人に言われていることかなと思います。
「外見ではなくて、内側を磨きなさい、良い行いを飾りとしなさい」ということ、
ほんとうに自分の内なる人の美しさ、内なる飾りを身につけたいと思いました。
良い行いという美しさを身につけたいと思いました。
ま、外見も最低の身だしなみはしなきゃいけないんでしょうが・・・反省。
主よ、
私の心を守り、
良い行いという美しさを身につけさせて下さい。
そこに目を留め、そこに心を遣う者とならせてください。
「宝があるところに心もある」とあります。
内なる人を自分の「宝」とすることができますように。
それほど降りませんでしたが、
それでもmistyな一日でした。
今は夜の11時ですが、7度もあります。
でも、今夜半からどんどん温度は下がるでしょう。
あと、風も強くなってかなり寒く感じると思います。
明日からは冬です。
次の雪のチャンスは木曜日の夜から金曜日あたりです。
教会の集会がいろいろあるので、降らないで欲しいですが・・・。
あと、こちらも寒くなりますが、
何とテキサスのヒューストンでも、
ice stormのようです。
ダラスくらいならしょっちゅうあるのですが、
ヒューストンは珍しいと思います。
10年ぶりだそうです。
でも10年に1回あるのか・・・。
今日は地域の日本語牧師会がありました。
同じ使命を持った者たちが、
語り合い、励まし合い、祈り合う一時を持ちました。
いつもいつも元気を与えられます。
そして、いつもいつも「もっと話したい」と思うのですが、
あっという間に時間が過ぎていきます。
感謝。
今日の聖書。
今日は第1テモテ2章を読みました。
この8節の言葉はいつも心に留ります。
「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」
でも、今日はそれだけではなく、それに続く、女性に対する語りかけを自分への語りかけとして受け取りました。
「同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。」9-10節。
子供の頃、自分のルックスってコンプレックスでした。
「ああ、ああゆうかっこいい友達みたいになりたいなあ」とよく思いました。
大人になって、
一人の妻の夫になると、
これがまた、モテ男ではないことが、助かると言えば助かります。
「イケメン牧師」なるものが存在するのかどうか知りませんが、
ルックスのいい牧師に比べると、いらない苦労がなくて助かります(^^)
「誤解されることが少ない(ない?)」「誘惑が少なくて(なくて?)すむ」という意味で・・・。
だからと言うわけではないのですが、
ここで女性に言われていること、すべての人に言われていることかなと思います。
「外見ではなくて、内側を磨きなさい、良い行いを飾りとしなさい」ということ、
ほんとうに自分の内なる人の美しさ、内なる飾りを身につけたいと思いました。
良い行いという美しさを身につけたいと思いました。
ま、外見も最低の身だしなみはしなきゃいけないんでしょうが・・・反省。
主よ、
私の心を守り、
良い行いという美しさを身につけさせて下さい。
そこに目を留め、そこに心を遣う者とならせてください。
「宝があるところに心もある」とあります。
内なる人を自分の「宝」とすることができますように。
2007-01-14
私を強くして下さる方
今日は予想通り、「ちょっと冷たい雨」でした。
昼間は7度くらい。今は夜の12時で4度。
明日ももうちょっと暖かくなるかもしれませんが、
「ちょっと冷たい雨」が続きます。
そして、火曜日から本格的な冬になります。
それがずーっと続きます。
ですから、これからしばらくは「降ったら雪」という
パターンになるのでは、と思っています。
まあ、今までの経験では2回くらい雪が降ったら、
「もう充分」って思うんですが、どうなることでしょうか?
今日の礼拝もたくさんの方々と共に礼拝を守ることができました。
そして、礼拝の後に、一人の方がイエスさまを受け入れるお祈りをされました。
ハレルヤ!
これからも教会がたくさんの方々がイエス・キリストに出会う場として用いられますように。
今日の聖書はテモテへの第1の手紙の1章です。
このテモテはパウロのもとで、
一つの教会の指導をしていた人です。
その人にアドバイスを送ったのがこの手紙です。
「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。」12節の言葉です。
主は「私を強くして下さる方」です。
私も根性なしですから、
この方なしでは、マジでここまで来ることもなかったでしょう。
周りの人の顔色ばかり気にして生きてきたでしょう。
でも、今は「私を強くして下さる方」を持っているのが、
ほんとうに大きなことだなあと思わされます。
勇気を持って決断をすることができます。
大胆に進んでいくことができます。
ピリピ人への手紙には、
「私を強くして下さる方によって何事でもすることができる」
と書かれています。
そうだなあ、と思いながら、
この言葉は一つ一つの出来事に出会っていく中で、
「ほんとうだなあ」とほんとうの意味が分ってくるのだと思います。
「私を強くして下さる方」を知っていくことのできる1週間となりますように。
神様、
あなたに感謝します。
あなたが私を強くして下さること、
私に勇気を与えて下さること、
私にチャレンジする力を与えて下さることに感謝します。
でも、言葉だけではなくて、
経験として、「私を強くして下さる方」としてあなたのことを
感じることができる1週間を与えて下さい。
今日、あなたを受け入れて、
新しい歩みを始められた方に、
主の守りがありますように。
昼間は7度くらい。今は夜の12時で4度。
明日ももうちょっと暖かくなるかもしれませんが、
「ちょっと冷たい雨」が続きます。
そして、火曜日から本格的な冬になります。
それがずーっと続きます。
ですから、これからしばらくは「降ったら雪」という
パターンになるのでは、と思っています。
まあ、今までの経験では2回くらい雪が降ったら、
「もう充分」って思うんですが、どうなることでしょうか?
今日の礼拝もたくさんの方々と共に礼拝を守ることができました。
そして、礼拝の後に、一人の方がイエスさまを受け入れるお祈りをされました。
ハレルヤ!
これからも教会がたくさんの方々がイエス・キリストに出会う場として用いられますように。
今日の聖書はテモテへの第1の手紙の1章です。
このテモテはパウロのもとで、
一つの教会の指導をしていた人です。
その人にアドバイスを送ったのがこの手紙です。
「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。」12節の言葉です。
主は「私を強くして下さる方」です。
私も根性なしですから、
この方なしでは、マジでここまで来ることもなかったでしょう。
周りの人の顔色ばかり気にして生きてきたでしょう。
でも、今は「私を強くして下さる方」を持っているのが、
ほんとうに大きなことだなあと思わされます。
勇気を持って決断をすることができます。
大胆に進んでいくことができます。
ピリピ人への手紙には、
「私を強くして下さる方によって何事でもすることができる」
と書かれています。
そうだなあ、と思いながら、
この言葉は一つ一つの出来事に出会っていく中で、
「ほんとうだなあ」とほんとうの意味が分ってくるのだと思います。
「私を強くして下さる方」を知っていくことのできる1週間となりますように。
神様、
あなたに感謝します。
あなたが私を強くして下さること、
私に勇気を与えて下さること、
私にチャレンジする力を与えて下さることに感謝します。
でも、言葉だけではなくて、
経験として、「私を強くして下さる方」としてあなたのことを
感じることができる1週間を与えて下さい。
今日、あなたを受け入れて、
新しい歩みを始められた方に、
主の守りがありますように。
2007-01-13
兄弟として
今日はかきごおり予報は外れて、
「暖かい雨」になりました。
昨日の夜は真夜中に2度くらいになった後、
その後はどんどん温度が上がっていったようで、
今日の昼間は12度を超えていました。
夜になっても、昨日よりも暖かい夜です。
今も7度くらいあります。
北に50キロどころか200キロくらい行った、
Albanyでは氷点下に下がってきていますが、
ちょっと北に上がっただけのCatskillあたりでは
まだ2-3度あるみたいですね。
でも、そこら辺もどんどん冷たい空気が入ってきているようです。
明日は、ズバリ、
「ちょっと冷たい雨」でしょう。
ずばり、と言うわりには「ちょっと」というアバウトな言葉が入りますが、
2-4度くらいで降る冷たい雨ではなくて、6-7度で降る、
絶対、雪やみぞれになり得ない、雨です。
月曜日の夕方、雪に変わるか、ですが、
たぶん、冷たい空気が入ってくる前に雨が上がってしまうのではないか、
と思います。
ですから、今回も雪はなし、ということで。
さて、今日、車の中での息子との会話。
息子の言葉・・・
「なかなか自分で勉強するのは難しいよ。先生にやれと言われると、やる気になるんだけど」
瞬間的な自分の心の中の反応・・・
うーん、「やれと言われたら、やる気になる」というだけでも、ありがたいのかなあ。
まあ、言う人が「親」じゃなくて「先生」というのがミソなのかなあ。
でもなあ、ずっと「自分で考えて決める」ように教えてきたつもりだったんだけどなあ。
でも、自分はどうだろうかと考えた・・・
確かに、自分も他人に言われると「そうだなあ、やんなきゃなあ」と思うし、
やろうと思っていることを言われると、
反抗期の子供のように「カチン」と来たりすることもあるけど、
でも、最終的には、やっぱり「そうだよ、やっぱりやらなければ!」と思う。
気がつかなかったことだったら、「自分では見えてないこともあるんだなあ」と反省する。
言われてやる気になることもたくさんある。言われて見えてくることもたくさんある。
だったら、自分もはっきりと言っていく人間になろうと思いました。
あんまり言わないできたところがあったことを反省させられました。
よかれと思って言ったことに反対の反応が返ってきた時にも、
言わなければいけないと思って言って、きつい反撃が返ってきた時にも、
「言わなければ良かった」なんて、子供みたいに思っていないで、
忍耐を持って祈り、語り続ける者でありたいと思いました。
ですから、皆さん、聖書を読みましょう。
これを読んだら、その場で、日曜日の礼拝のために祈って備えましょう。
で、今日の聖書です。
今日は第2テサロニケの3章です。
「もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。 しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。」14-15節。
これはとても難しいことだと思いました。
問題を起す人がいた時に、
「兄弟」として見るよりも、「敵」として見る方が簡単だからです。
ほんとうに愛が必要だと思いました。
そう、敵としてみてしまう時、その人を愛することよりも、
その人が悔い改めて主に従うことを望むよりも、
自分を守ることの方に重心が置かれてしまうからです。
「あなたが語ろうとしている人々は、あなたが恐れるべき人たちではなく、あなたが愛するべき人たちなのです」というある牧師の他の牧師達への言葉を読んだことがありますが、ほんとうにそれが大切なんだと思います。
結局のところ、愛すること。
恐れるのではなく、愛すること。
逃げるのではなく、愛すること。
主よ、
私を人々への愛で満たして下さい。
恐れではなく、愛でいっぱいにして下さい。
明日の日曜日、
明日の礼拝の中で、
あなたが確かにそこにおられること、
私たちと共にいて下さることを、
示して下さいますように。
「暖かい雨」になりました。
昨日の夜は真夜中に2度くらいになった後、
その後はどんどん温度が上がっていったようで、
今日の昼間は12度を超えていました。
夜になっても、昨日よりも暖かい夜です。
今も7度くらいあります。
北に50キロどころか200キロくらい行った、
Albanyでは氷点下に下がってきていますが、
ちょっと北に上がっただけのCatskillあたりでは
まだ2-3度あるみたいですね。
でも、そこら辺もどんどん冷たい空気が入ってきているようです。
明日は、ズバリ、
「ちょっと冷たい雨」でしょう。
ずばり、と言うわりには「ちょっと」というアバウトな言葉が入りますが、
2-4度くらいで降る冷たい雨ではなくて、6-7度で降る、
絶対、雪やみぞれになり得ない、雨です。
月曜日の夕方、雪に変わるか、ですが、
たぶん、冷たい空気が入ってくる前に雨が上がってしまうのではないか、
と思います。
ですから、今回も雪はなし、ということで。
さて、今日、車の中での息子との会話。
息子の言葉・・・
「なかなか自分で勉強するのは難しいよ。先生にやれと言われると、やる気になるんだけど」
瞬間的な自分の心の中の反応・・・
うーん、「やれと言われたら、やる気になる」というだけでも、ありがたいのかなあ。
まあ、言う人が「親」じゃなくて「先生」というのがミソなのかなあ。
でもなあ、ずっと「自分で考えて決める」ように教えてきたつもりだったんだけどなあ。
でも、自分はどうだろうかと考えた・・・
確かに、自分も他人に言われると「そうだなあ、やんなきゃなあ」と思うし、
やろうと思っていることを言われると、
反抗期の子供のように「カチン」と来たりすることもあるけど、
でも、最終的には、やっぱり「そうだよ、やっぱりやらなければ!」と思う。
気がつかなかったことだったら、「自分では見えてないこともあるんだなあ」と反省する。
言われてやる気になることもたくさんある。言われて見えてくることもたくさんある。
だったら、自分もはっきりと言っていく人間になろうと思いました。
あんまり言わないできたところがあったことを反省させられました。
よかれと思って言ったことに反対の反応が返ってきた時にも、
言わなければいけないと思って言って、きつい反撃が返ってきた時にも、
「言わなければ良かった」なんて、子供みたいに思っていないで、
忍耐を持って祈り、語り続ける者でありたいと思いました。
ですから、皆さん、聖書を読みましょう。
これを読んだら、その場で、日曜日の礼拝のために祈って備えましょう。
で、今日の聖書です。
今日は第2テサロニケの3章です。
「もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。 しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。」14-15節。
これはとても難しいことだと思いました。
問題を起す人がいた時に、
「兄弟」として見るよりも、「敵」として見る方が簡単だからです。
ほんとうに愛が必要だと思いました。
そう、敵としてみてしまう時、その人を愛することよりも、
その人が悔い改めて主に従うことを望むよりも、
自分を守ることの方に重心が置かれてしまうからです。
「あなたが語ろうとしている人々は、あなたが恐れるべき人たちではなく、あなたが愛するべき人たちなのです」というある牧師の他の牧師達への言葉を読んだことがありますが、ほんとうにそれが大切なんだと思います。
結局のところ、愛すること。
恐れるのではなく、愛すること。
逃げるのではなく、愛すること。
主よ、
私を人々への愛で満たして下さい。
恐れではなく、愛でいっぱいにして下さい。
明日の日曜日、
明日の礼拝の中で、
あなたが確かにそこにおられること、
私たちと共にいて下さることを、
示して下さいますように。
2007-01-12
あらゆるよいわざとことば
今日の朝は昨日の夜よりも暖かくなり3度くらい。
昼間もまあまあ暖かかったです。
ちょっと雨もパラパラ降りましたし、
結構どんよりしていましたよね。
明日から月曜日までは雨です。
みぞれや雪が混じることは、どうかな?
今も夜の9時過ぎですが、4.2度です。
これくらいの気温がずっと続くようです。
北から下がってくる寒気がどれくらい強いか、によって、
変わってきます。今のところ、北に50キロくらい上がると、
みぞれ交じりになるようですね。
この時間で、今出されている、明日の朝の最低予想よりも、
温度が下がってきているので、
予想よりも温度が下がって、みぞれ交じりになったり、
ice stormになる可能性もまだありますね。
要注目です。
このice stormはコワイです。
今日の朝はカンザス州では19度Fで雨だったそうです。
19度Fは大体-7度Cです。
普通は雪でしょう、その気温では。
でも、雨が降ったそうです。
相当その冷たい空気の層が薄かったんでしょうね。
地表何百メートルだけ氷点下で、
上の方は暖かかったのでしょう。
冷たい空気は下にたまりますから。
で、地面についた瞬間にsheet iceになります。
アイススケートのリンクができるわけです。
こちらでは、よく、つるーっとすべっている車の映像が出たりしますが、
ほんとうにスケートリンクなんです。
すべるぞすべるぞ、と気をつけながら歩いても、
転ぶんですねえ。
あ、受験生のみなさん、すみません。
今日はこれから教会で深夜祈祷会なので、行ってきます。
で、今のうちに今日の聖書。
今日は第2テサロニケ2章。
今日も最後の祈りの言葉が心に留りました。
「どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」16-17節
「あらゆる良いわざとことばとに進むように」
とありますが、これはまた私自身のための祈りです。
昨日と同じように、「私は何を祈っているだろうか」と考えました。
教会に多くの人々が来られることを祈っています。
でも、そこに集う人々、自分を含めて、私たちが
「よいわざとことば」に進むように祈ってきただろうか、
そのように思わされたのです。
何か、祈りが偏っていなかっただろうか?
祈りの焦点がずれていなかっただろうか?
外側から見て分る成功、人数的な成長の方ばかり見ていなかっただろうか?
そちらの方ばかり祈っていなかっただろうか?
一人ひとりが主にあって整えられていくこと、
一人ひとりが「良いわざとことば」に進んでいくことを祈ってきただろうか?
問われました。
主よ、
教会のために祈ります。
人数が増えることよりも、
ぴったりの会堂が与えられることよりも、
活気にあふれることよりも、
聖書にあるように、
「良いわざとことば」に進むことを祈ります。
一人ひとりをきよめ、整えて下さい
昼間もまあまあ暖かかったです。
ちょっと雨もパラパラ降りましたし、
結構どんよりしていましたよね。
明日から月曜日までは雨です。
みぞれや雪が混じることは、どうかな?
今も夜の9時過ぎですが、4.2度です。
これくらいの気温がずっと続くようです。
北から下がってくる寒気がどれくらい強いか、によって、
変わってきます。今のところ、北に50キロくらい上がると、
みぞれ交じりになるようですね。
この時間で、今出されている、明日の朝の最低予想よりも、
温度が下がってきているので、
予想よりも温度が下がって、みぞれ交じりになったり、
ice stormになる可能性もまだありますね。
要注目です。
このice stormはコワイです。
今日の朝はカンザス州では19度Fで雨だったそうです。
19度Fは大体-7度Cです。
普通は雪でしょう、その気温では。
でも、雨が降ったそうです。
相当その冷たい空気の層が薄かったんでしょうね。
地表何百メートルだけ氷点下で、
上の方は暖かかったのでしょう。
冷たい空気は下にたまりますから。
で、地面についた瞬間にsheet iceになります。
アイススケートのリンクができるわけです。
こちらでは、よく、つるーっとすべっている車の映像が出たりしますが、
ほんとうにスケートリンクなんです。
すべるぞすべるぞ、と気をつけながら歩いても、
転ぶんですねえ。
あ、受験生のみなさん、すみません。
今日はこれから教会で深夜祈祷会なので、行ってきます。
で、今のうちに今日の聖書。
今日は第2テサロニケ2章。
今日も最後の祈りの言葉が心に留りました。
「どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」16-17節
「あらゆる良いわざとことばとに進むように」
とありますが、これはまた私自身のための祈りです。
昨日と同じように、「私は何を祈っているだろうか」と考えました。
教会に多くの人々が来られることを祈っています。
でも、そこに集う人々、自分を含めて、私たちが
「よいわざとことば」に進むように祈ってきただろうか、
そのように思わされたのです。
何か、祈りが偏っていなかっただろうか?
祈りの焦点がずれていなかっただろうか?
外側から見て分る成功、人数的な成長の方ばかり見ていなかっただろうか?
そちらの方ばかり祈っていなかっただろうか?
一人ひとりが主にあって整えられていくこと、
一人ひとりが「良いわざとことば」に進んでいくことを祈ってきただろうか?
問われました。
主よ、
教会のために祈ります。
人数が増えることよりも、
ぴったりの会堂が与えられることよりも、
活気にあふれることよりも、
聖書にあるように、
「良いわざとことば」に進むことを祈ります。
一人ひとりをきよめ、整えて下さい
2007-01-11
何を祈るか
今朝は-5.1度Cまで下がりました。
久しぶりなので、やたら寒く感じます。
でも、このあたりの1月11日の平均の最低気温は
-7度ですから、これでも「平年よりも高い」ということになってしまうわけです。
これが「平年より低い」となるのはいつ頃かというと、
今のところ、来週の半ばから後半になるようです。
今はちょうど0度くらい。明日の朝まで、気温は大体0度くらいのままのようです。
そして、昼間は今日よりは暖かくなるようです。
あと、この週末は雨模様なんですが、
その雨が、2-3日前までは「暖かい雨」の予報だったのですが、
昨日あたりから、「冷たい雨」「みぞれ交じり」「最後(月曜日の夜)は雪に変わる」
なんて、予報まで出てきています。
寒気が前の予想よりも南に降りてくるのが早いようです。
お気をつけて。
今日は新年初めてのキッズクラブ。
20数名の仲間が来てくれました。
工作も、お話もみんな一生懸命。
楽しかったです。
みんなの楽しそうな姿にこっちも元気が出てきます。
来週はまたたくさんになりそうな予感がします・・・。
楽しみです。
で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙第2の1章です。
今日はこの最後の祈りの言葉が心に留りました。
「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。」11節の言葉です。
ここのところよく思うのですが、
聖書の中で、パウロが「祈っていますよ」と言う時に、
それは「病気が治りますように」「仕事がうまくいきますように」「みんな元気で過ごせますように」ということではなくて、「あなたがたの愛が成長しますように」とか「神に喜ばれる者となりますように」とか、そういうことなんですね。
もちろん、困難を覚えている方のために、
病気の方のために、
仕事を探している方、
将来共に歩んでいく伴侶を求めている方、
それぞれ、具体的においのりします。
それは祈ったらいいと思うのです。
でも、それだけを祈って、パウロが祈ったようなことを祈らなかったら、
それは本質的なことを見逃しているのではないかと思ったのです。
もっともっと教会のお一人一人の信仰のために、
信仰の成長のために、お祈りすることが大切なんだと思います。
もっともっと、教会のお一人一人の健康や仕事のことよりも、
その信仰のことを心にかけることの大切さを思わされます。
主よ、
どうか私の心にある一人ひとりの
信仰を守って下さい。
お一人一人の愛と喜びにあふれて歩みことができますように。
闘いの中、苦しみの中におられる方々のためにお祈りします。
その苦しみを取り除いて下さい。
でも、それよりも、何よりも、その苦しみの中でも、
あなたの愛を知り、あなたの使命に歩んでいくことができますように。
久しぶりなので、やたら寒く感じます。
でも、このあたりの1月11日の平均の最低気温は
-7度ですから、これでも「平年よりも高い」ということになってしまうわけです。
これが「平年より低い」となるのはいつ頃かというと、
今のところ、来週の半ばから後半になるようです。
今はちょうど0度くらい。明日の朝まで、気温は大体0度くらいのままのようです。
そして、昼間は今日よりは暖かくなるようです。
あと、この週末は雨模様なんですが、
その雨が、2-3日前までは「暖かい雨」の予報だったのですが、
昨日あたりから、「冷たい雨」「みぞれ交じり」「最後(月曜日の夜)は雪に変わる」
なんて、予報まで出てきています。
寒気が前の予想よりも南に降りてくるのが早いようです。
お気をつけて。
今日は新年初めてのキッズクラブ。
20数名の仲間が来てくれました。
工作も、お話もみんな一生懸命。
楽しかったです。
みんなの楽しそうな姿にこっちも元気が出てきます。
来週はまたたくさんになりそうな予感がします・・・。
楽しみです。
で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙第2の1章です。
今日はこの最後の祈りの言葉が心に留りました。
「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。」11節の言葉です。
ここのところよく思うのですが、
聖書の中で、パウロが「祈っていますよ」と言う時に、
それは「病気が治りますように」「仕事がうまくいきますように」「みんな元気で過ごせますように」ということではなくて、「あなたがたの愛が成長しますように」とか「神に喜ばれる者となりますように」とか、そういうことなんですね。
もちろん、困難を覚えている方のために、
病気の方のために、
仕事を探している方、
将来共に歩んでいく伴侶を求めている方、
それぞれ、具体的においのりします。
それは祈ったらいいと思うのです。
でも、それだけを祈って、パウロが祈ったようなことを祈らなかったら、
それは本質的なことを見逃しているのではないかと思ったのです。
もっともっと教会のお一人一人の信仰のために、
信仰の成長のために、お祈りすることが大切なんだと思います。
もっともっと、教会のお一人一人の健康や仕事のことよりも、
その信仰のことを心にかけることの大切さを思わされます。
主よ、
どうか私の心にある一人ひとりの
信仰を守って下さい。
お一人一人の愛と喜びにあふれて歩みことができますように。
闘いの中、苦しみの中におられる方々のためにお祈りします。
その苦しみを取り除いて下さい。
でも、それよりも、何よりも、その苦しみの中でも、
あなたの愛を知り、あなたの使命に歩んでいくことができますように。
2007-01-10
目を覚ましていなさい
今朝は思ったほど冷えないで-0.4度。
だから朝は楽でした。
帽子がなくても大丈夫。
でも、その後、NYでは雪が舞ったそうで、
夕方からどんどん冷えてきました。
我が家の庭の温度計は
昼間の最高気温は2.6度。
夜の11時で-2.5度C。
明日の朝は-6度くらいまで行くのではないでしょうか?
プチ冬です。
でも、また週末は暖かくなるようです。
そして、雨が降って、その後、
いよいよ来週。
ホンモノの冬がやってくると天気予報の世界では騒がれ始めました。
シベリアの寒気が北極を通ってカナダからアメリカに流れ込むようになる、
というシナリオができつつあるようです。
ですから1月後半から2月は寒くなるみたいですよー。
覚悟しておきましょう。
夜うちに帰って、
手紙を整理していると、
ん?なんだ?という郵便物が一通。
World Visionというクリスチャンの援助団体の手紙です。
4つ折りになっているだけの、封筒も何もない、カード。
私たちの教会でサポートしている国際飢餓対策機構と同じように、
飢えで苦しんでいる人々の自立を助けたり、
子ども達の教育のためのサポートをしたりする団体です。
ですから、別にそこからダイレクトメールが来ても別に不思議ではありません。
でも、どこを見ても、
我が家の住所も、家族の名前も何にもないんです。
よく知らない人の名前が・・・
良くある誤配かなあ、と思いました。
で、どこのうちに届ければいいんだろう?と思って、よくよく宛先を見ると・・・
町の名前はMaleny?
・・・オーストラリア!
消印は・・・2006年10月22日・・・しかもスペイン語!
うーん、差出人は・・・
World Vision "Haïti"
(1個目のiは点が二つ)
・・・ハイチ?(英語っぽく言うと、ヘイティ)
宛先の名前も「かきごおり」とは似ても似つかぬ「バランタイン」さん。
そして、これは決してダイレクトメールではなかったのです。
中にはオーストラリアのバランタインさんから援助を受けて勉強をしているハイチの子供が一生懸命書いた絵が描かれていました。
ジョリーちゃんという子です。
今までの2ヶ月半の間、この郵便はどこをどう渡ってここまで来たのでしょうか?
カリブに浮かぶハイチから、
オーストラリア行きの郵便が、
アメリカのニュージャージーに?
そして、どうして、Paramusの郵便屋さんはこの郵便を「かきごおり」家の郵便物に紛れ込ませたのでしょうか?うーん、謎だ。
でも、一つだけ分っていることがあります。
それは神様が私とバランタインさんをつなげたくて、
この便りを使ったということ。
バランタインさん宛に手紙をつけてお送りしたいと思います。
その手紙はきっとバランタインさんに届くと思います・・・たぶん。
届かなくて、また他の誰かが受け取って、
それを読んで、輪が広がったら、それはそれでまた楽しいかな、と。
不思議な出会いに感謝しつつ。
でも、うちの出した手紙も、そんなことになっていることがあるんだろうなあ、と思うと、
ちょっと心配。
で、今日の聖書。
今日は第一テサロニケ、5章でした。
たくさんいい言葉があるのですが、その中で心に留ったのは、
「目をさまして、慎み深くしていましょう。」6節です。
眠っていると、イエスがもう一度来られる時、慌てるだろう。
でも、目を覚ましていれば、いつイエスが来られても大丈夫、
喜んで迎えられるだろうというのです。
最近よく思わされるspiritualなsensitivityのことだと思いました。
spiritualにsensitiveでありたいと思いました。
何が起っているか分らない、
なんでもいいような気がする・・・というのではなくて、
spiritualに鋭い感性を持つ、というか。
表面的なことに捕らわれない、
深いところを見極める感性を磨きたいと、
磨いて頂きたいと、
教えて頂きたいと、
そのように思いました。
主よ、
どうか、あなたの見方で、回りを見ることができますように。
見極めることができますように。
spiritualなことにsensitiveな者となれますように。
目を覚ましていることができますように。
明日のキッズクラブのためにも祝福を注いで下さい。
だから朝は楽でした。
帽子がなくても大丈夫。
でも、その後、NYでは雪が舞ったそうで、
夕方からどんどん冷えてきました。
我が家の庭の温度計は
昼間の最高気温は2.6度。
夜の11時で-2.5度C。
明日の朝は-6度くらいまで行くのではないでしょうか?
プチ冬です。
でも、また週末は暖かくなるようです。
そして、雨が降って、その後、
いよいよ来週。
ホンモノの冬がやってくると天気予報の世界では騒がれ始めました。
シベリアの寒気が北極を通ってカナダからアメリカに流れ込むようになる、
というシナリオができつつあるようです。
ですから1月後半から2月は寒くなるみたいですよー。
覚悟しておきましょう。
夜うちに帰って、
手紙を整理していると、
ん?なんだ?という郵便物が一通。
World Visionというクリスチャンの援助団体の手紙です。
4つ折りになっているだけの、封筒も何もない、カード。
私たちの教会でサポートしている国際飢餓対策機構と同じように、
飢えで苦しんでいる人々の自立を助けたり、
子ども達の教育のためのサポートをしたりする団体です。
ですから、別にそこからダイレクトメールが来ても別に不思議ではありません。
でも、どこを見ても、
我が家の住所も、家族の名前も何にもないんです。
よく知らない人の名前が・・・
良くある誤配かなあ、と思いました。
で、どこのうちに届ければいいんだろう?と思って、よくよく宛先を見ると・・・
町の名前はMaleny?
・・・オーストラリア!
消印は・・・2006年10月22日・・・しかもスペイン語!
うーん、差出人は・・・
World Vision "Haïti"
(1個目のiは点が二つ)
・・・ハイチ?(英語っぽく言うと、ヘイティ)
宛先の名前も「かきごおり」とは似ても似つかぬ「バランタイン」さん。
そして、これは決してダイレクトメールではなかったのです。
中にはオーストラリアのバランタインさんから援助を受けて勉強をしているハイチの子供が一生懸命書いた絵が描かれていました。
ジョリーちゃんという子です。
今までの2ヶ月半の間、この郵便はどこをどう渡ってここまで来たのでしょうか?
カリブに浮かぶハイチから、
オーストラリア行きの郵便が、
アメリカのニュージャージーに?
そして、どうして、Paramusの郵便屋さんはこの郵便を「かきごおり」家の郵便物に紛れ込ませたのでしょうか?うーん、謎だ。
でも、一つだけ分っていることがあります。
それは神様が私とバランタインさんをつなげたくて、
この便りを使ったということ。
バランタインさん宛に手紙をつけてお送りしたいと思います。
その手紙はきっとバランタインさんに届くと思います・・・たぶん。
届かなくて、また他の誰かが受け取って、
それを読んで、輪が広がったら、それはそれでまた楽しいかな、と。
不思議な出会いに感謝しつつ。
でも、うちの出した手紙も、そんなことになっていることがあるんだろうなあ、と思うと、
ちょっと心配。
で、今日の聖書。
今日は第一テサロニケ、5章でした。
たくさんいい言葉があるのですが、その中で心に留ったのは、
「目をさまして、慎み深くしていましょう。」6節です。
眠っていると、イエスがもう一度来られる時、慌てるだろう。
でも、目を覚ましていれば、いつイエスが来られても大丈夫、
喜んで迎えられるだろうというのです。
最近よく思わされるspiritualなsensitivityのことだと思いました。
spiritualにsensitiveでありたいと思いました。
何が起っているか分らない、
なんでもいいような気がする・・・というのではなくて、
spiritualに鋭い感性を持つ、というか。
表面的なことに捕らわれない、
深いところを見極める感性を磨きたいと、
磨いて頂きたいと、
教えて頂きたいと、
そのように思いました。
主よ、
どうか、あなたの見方で、回りを見ることができますように。
見極めることができますように。
spiritualなことにsensitiveな者となれますように。
目を覚ましていることができますように。
明日のキッズクラブのためにも祝福を注いで下さい。
2007-01-09
神に喜ばれる歩み
今朝は氷点下1度。
昼間も6.6度止まり。
ちょっと冬らしかったです。
でも、小雨も小雪も降らずじまいでした。
今は午後10時過ぎで0.6度C。
明日の朝は-4度くらいまで下がると思います。
明日は1か月ぶりにNYの日なので、
朝が寒いのはちょっとイヤかな。
結局帽子も買ってないし・・・。
ちょっと明日NYで見てみようか。
昨日まで1ガロンで$2.23とかしていたガソリンが、
うちの近所では一斉に$2.19とかになりました。
昨年11月頃だったか、一瞬2ドルを切ったのですが、
その後ちょっと上がって高値安定中だったのが、
最近いい感じで下がってきています。
でも、夕方車でMidland Parkを走っていたら、
何と、$2.05のスタンドが3つ。
すごい!と思いましたが、
急いでいたので、ガソリンは入れられませんでした。
でも、どうしてでしょうかぁ?
7%くらい安いわけで・・・。
ちなみに、
www.newjerseygasprices.com
を見ても、何とNJで一番安いではありませんか。(1月9日夜現在)
いわゆるメジャーなブランドではありませんが、
変なモノ入っていないでしょうし、
うーん、今度入れてみよう。
是非是非、もっともっと下がって欲しいですね。
で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙の第1、4章でした。
心に語られたことは、
1-7節の言葉。
神の喜ばれるような歩みをしなさい、
きよい歩みをしなさい、ということです。
「神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。」7節。
ほんとうに主の守りと主の励ましが必要だと思いました。
このこと一つ取っても、
「あなたがたは私を離れては何もできないのである」
というヨハネによる福音書15章の言葉を思い出させられます。
私自身が自分の身を、また心をきよく保つことができるように、
そして、教会の一人ひとりが守られるように、
祈らされます。
主よ、
今日も、私の身を守って下さい。
そして、教会の一人ひとりの身を守って下さい。
多くの誘惑から守って下さい。
どうか、きよく歩めますように。
過ちに陥っている人がいるならば、
そこから抜け出すことができますように。
昼間も6.6度止まり。
ちょっと冬らしかったです。
でも、小雨も小雪も降らずじまいでした。
今は午後10時過ぎで0.6度C。
明日の朝は-4度くらいまで下がると思います。
明日は1か月ぶりにNYの日なので、
朝が寒いのはちょっとイヤかな。
結局帽子も買ってないし・・・。
ちょっと明日NYで見てみようか。
昨日まで1ガロンで$2.23とかしていたガソリンが、
うちの近所では一斉に$2.19とかになりました。
昨年11月頃だったか、一瞬2ドルを切ったのですが、
その後ちょっと上がって高値安定中だったのが、
最近いい感じで下がってきています。
でも、夕方車でMidland Parkを走っていたら、
何と、$2.05のスタンドが3つ。
すごい!と思いましたが、
急いでいたので、ガソリンは入れられませんでした。
でも、どうしてでしょうかぁ?
7%くらい安いわけで・・・。
ちなみに、
www.newjerseygasprices.com
を見ても、何とNJで一番安いではありませんか。(1月9日夜現在)
いわゆるメジャーなブランドではありませんが、
変なモノ入っていないでしょうし、
うーん、今度入れてみよう。
是非是非、もっともっと下がって欲しいですね。
で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙の第1、4章でした。
心に語られたことは、
1-7節の言葉。
神の喜ばれるような歩みをしなさい、
きよい歩みをしなさい、ということです。
「神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。」7節。
ほんとうに主の守りと主の励ましが必要だと思いました。
このこと一つ取っても、
「あなたがたは私を離れては何もできないのである」
というヨハネによる福音書15章の言葉を思い出させられます。
私自身が自分の身を、また心をきよく保つことができるように、
そして、教会の一人ひとりが守られるように、
祈らされます。
主よ、
今日も、私の身を守って下さい。
そして、教会の一人ひとりの身を守って下さい。
多くの誘惑から守って下さい。
どうか、きよく歩めますように。
過ちに陥っている人がいるならば、
そこから抜け出すことができますように。
2007-01-08
苦難の中で
今日は朝は暖かで9度もありましたが、
昼間は温度は上がらず、
日が暮れてからは、太陽の暖かさもなくなり、風も出て、
「寒い!」って感じになってきました。
それでも夜9時半で3.4度。この季節としては暖かい夜です。
明日の朝もぎりぎり氷点下、くらいでしょう。
そして、明日からあさってにかけては冬らしい感じになりそうです。
小雪も舞うかもしれません。
でも、金曜日からはまた暖かくなって週末は雨。
来週は今度こそは!という感じで、冬になるんじゃないでしょうか?
15日が境目、という年初からの予想は当たりそうです。
新年のメールやお便り、お電話をいくつか頂いている中で、
今日は、数年前に肝臓移植をされた方とお電話でお話ししました。
大変な病でアメリカでの移植を受けて生還されたのですが、
移植後の3年前には日本でお会いすることができました。
その方が生還された背後には、命を失われた方がおられるわけで、
その事実を担って生きることの重さもどんなにかと思いますが、
でも、ほんとうにその方が健康な肝臓を受け取られた時に、
出てくるようになった力。
それはものすごいモノだと思いました。
肝臓ってほんとうに大切なんですね。
でも、その3年前の再会の時、
もしも、自分に何かが起きて、
臓器は大丈夫だけれども、もう命は助かる見込みがない、
ということが起ったら、
ほんとうに役に立てて頂きたいと思ったことを思い出しました。
そして、さっき、改めて運転免許証を見ました。
昔は免許証の裏に提供したい臓器にチェックをする欄があったんですが、
今はないんですね。
でも、私の場合は、しっかり表側の一番下に、
ORGAN DONERと書かれています。
はっきり覚えていないのですが、
免許を取る時にチェックするんでしたっけね。
そうそう今月4年に1度の更新ですから、確認しておこうっと。
そんなことで、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への第1の手紙3章を読みました。
どの言葉というのはないのですが、
苦難の中を通っていたテサロニケの教会の人々が、
大丈夫だろうか、というパウロの心配をよそに、
愛と信仰にあふれて歩んでいたということにほんとうにはげましを頂きました。
私も牧師として歩んでいる中で、
苦難の中におられる方々について、ほんとうにいろんな心配が湧いてきます。
大丈夫だろうかと、神様を見失ってしまうことはないだろうか、
この苦難に飲み込まれてしまうのではないかと心配になる時もあります。
でも、苦難の中で、信仰が深められる、信仰が強められている姿を拝見すると、
そんなお証を伺うと、ほんとうに主は必要な助けを与えて下さるんだなあ、
と思わされます。
でも、やはり祈らされます。
苦しみの中にある人々に一番近くあって下さる主が、
その方に見えますように、と。
私自身の中にも、
戦いの中にある人々の痛みがわかる愛を与えて下さい、と。
主よ、
今日も、苦難の中にある方々を助けて下さい。
その方々とあなたが一番近くにいて下さることに、
お一人一人の目を開いて下さい。
御言葉を語ってください。
御言葉によって生かしてください。
私にも愛を与えて下さい。
あなたが持っておられる愛を、私にも与えて下さい。
昼間は温度は上がらず、
日が暮れてからは、太陽の暖かさもなくなり、風も出て、
「寒い!」って感じになってきました。
それでも夜9時半で3.4度。この季節としては暖かい夜です。
明日の朝もぎりぎり氷点下、くらいでしょう。
そして、明日からあさってにかけては冬らしい感じになりそうです。
小雪も舞うかもしれません。
でも、金曜日からはまた暖かくなって週末は雨。
来週は今度こそは!という感じで、冬になるんじゃないでしょうか?
15日が境目、という年初からの予想は当たりそうです。
新年のメールやお便り、お電話をいくつか頂いている中で、
今日は、数年前に肝臓移植をされた方とお電話でお話ししました。
大変な病でアメリカでの移植を受けて生還されたのですが、
移植後の3年前には日本でお会いすることができました。
その方が生還された背後には、命を失われた方がおられるわけで、
その事実を担って生きることの重さもどんなにかと思いますが、
でも、ほんとうにその方が健康な肝臓を受け取られた時に、
出てくるようになった力。
それはものすごいモノだと思いました。
肝臓ってほんとうに大切なんですね。
でも、その3年前の再会の時、
もしも、自分に何かが起きて、
臓器は大丈夫だけれども、もう命は助かる見込みがない、
ということが起ったら、
ほんとうに役に立てて頂きたいと思ったことを思い出しました。
そして、さっき、改めて運転免許証を見ました。
昔は免許証の裏に提供したい臓器にチェックをする欄があったんですが、
今はないんですね。
でも、私の場合は、しっかり表側の一番下に、
ORGAN DONERと書かれています。
はっきり覚えていないのですが、
免許を取る時にチェックするんでしたっけね。
そうそう今月4年に1度の更新ですから、確認しておこうっと。
そんなことで、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への第1の手紙3章を読みました。
どの言葉というのはないのですが、
苦難の中を通っていたテサロニケの教会の人々が、
大丈夫だろうか、というパウロの心配をよそに、
愛と信仰にあふれて歩んでいたということにほんとうにはげましを頂きました。
私も牧師として歩んでいる中で、
苦難の中におられる方々について、ほんとうにいろんな心配が湧いてきます。
大丈夫だろうかと、神様を見失ってしまうことはないだろうか、
この苦難に飲み込まれてしまうのではないかと心配になる時もあります。
でも、苦難の中で、信仰が深められる、信仰が強められている姿を拝見すると、
そんなお証を伺うと、ほんとうに主は必要な助けを与えて下さるんだなあ、
と思わされます。
でも、やはり祈らされます。
苦しみの中にある人々に一番近くあって下さる主が、
その方に見えますように、と。
私自身の中にも、
戦いの中にある人々の痛みがわかる愛を与えて下さい、と。
主よ、
今日も、苦難の中にある方々を助けて下さい。
その方々とあなたが一番近くにいて下さることに、
お一人一人の目を開いて下さい。
御言葉を語ってください。
御言葉によって生かしてください。
私にも愛を与えて下さい。
あなたが持っておられる愛を、私にも与えて下さい。
2007-01-07
御言葉が人のうちで働く
今日は昨日までに比べるとずいぶん普通になりました。
最高気温は分らないのですが、朝は5度。
今も雨が降っていますが、温度は6度くらいです。
明日からも東京の冬くらいの感じだと思います。
1週間先、2週間先の予報を見ると、
「snow」の文字がちらほら見えるようになってきました。
火曜日の夜はちょっと雪が混じるかもしれません。
今日の礼拝、やっぱり元気になって礼拝にでれるというのはめちゃくちゃうれしいことです。
それ故に、「今日も体調が悪く礼拝にでられません」という方からの連絡には
ほんとうに心から祈らされました。
主の守りと慰めと、そして癒やしがありますように。
今夜は、昨日の夜、日曜日の準備のために祈っていて見なかった、
「のだめ」の最終回の録画を見ました。
いやあ、楽しませて頂きました。
一番よかったのは第8回のブラームスの1番かなあ。
大好きです。
第4楽章にトロンボーンのコラールがあるから、特別です。
そのコラールのテーマが、最後の最後で、
オケ全体で再現されますよね、
それがまたしびれます。
見ながら、自分が高校生の時、オケをやっていた時のことを思い出しました。
オペラのピットオケで、トロンボーンなんか「押さえて押さえて・・・」の連続でしたが、
みんなで一つの音楽を作り上げることの楽しさを、ほんとうに感じました。
でも、思い出してみて、今までで一番音楽を作り上げる楽しさを感じたのは、
今から13年前のクリスマス。
アトランタのノークロス教会で過ごしたタダ一回のクリスマス。
教会のほとんど全員、20人くらいで聖歌隊を作って、音楽をやったこと。
確か、中学生の時は別として、
前にも後にも指揮をしたことはあの時だけだったかなあ。
音楽的には何もないんですが、
でも、ほんとうにみんなで楽しく曲を作り上げていきました。
そして、みんなが音楽をする喜びだけではなく、賛美をする喜びを経験して下さったことです。
賛美する喜び。
JCCNJの皆さんもそこに目が開かれていきますように。
さてさて、今日の聖書。
今朝はテサロニケ人への第1の手紙の2章を読みました。
「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」
13節の言葉が心に留りました。
神の言葉が信じる者たちのうちに働く。
ものすごい励まされました。
神様の言葉が一人ひとりの内側に働いて、
その人のうちで実を結んでいく。
私の使命はそれを語っていくこと、それを伝えていくこと、
御言葉自身に力があって、
御言葉自体が働いて、
人を造りかえ、
人を生かしていく。
それを見せて頂くことができるのはどんなに大きな祝福だろうか?
正直なところ、
今日の礼拝の説教がどのように伝わっていくか、心配だった。
でも、礼拝直後に、どのように語られたかを伝えて下さった方がいた。
ほんとうに感謝した。
私が心配することなんて必要ない、
御言葉自身に力があって、
一人ひとりの心の中で働いていく。
それを信頼してこれからも語っていく者でありたい。
主よ、
御言葉をありがとうございます。
御言葉の力を感謝します。
御言葉の力を信頼します。
御言葉が聞く一人ひとりのうちで働いて、実を結んでいきますように。
私は、ただ、単純に、忠実に、誠実に語る者であることができますように。
最高気温は分らないのですが、朝は5度。
今も雨が降っていますが、温度は6度くらいです。
明日からも東京の冬くらいの感じだと思います。
1週間先、2週間先の予報を見ると、
「snow」の文字がちらほら見えるようになってきました。
火曜日の夜はちょっと雪が混じるかもしれません。
今日の礼拝、やっぱり元気になって礼拝にでれるというのはめちゃくちゃうれしいことです。
それ故に、「今日も体調が悪く礼拝にでられません」という方からの連絡には
ほんとうに心から祈らされました。
主の守りと慰めと、そして癒やしがありますように。
今夜は、昨日の夜、日曜日の準備のために祈っていて見なかった、
「のだめ」の最終回の録画を見ました。
いやあ、楽しませて頂きました。
一番よかったのは第8回のブラームスの1番かなあ。
大好きです。
第4楽章にトロンボーンのコラールがあるから、特別です。
そのコラールのテーマが、最後の最後で、
オケ全体で再現されますよね、
それがまたしびれます。
見ながら、自分が高校生の時、オケをやっていた時のことを思い出しました。
オペラのピットオケで、トロンボーンなんか「押さえて押さえて・・・」の連続でしたが、
みんなで一つの音楽を作り上げることの楽しさを、ほんとうに感じました。
でも、思い出してみて、今までで一番音楽を作り上げる楽しさを感じたのは、
今から13年前のクリスマス。
アトランタのノークロス教会で過ごしたタダ一回のクリスマス。
教会のほとんど全員、20人くらいで聖歌隊を作って、音楽をやったこと。
確か、中学生の時は別として、
前にも後にも指揮をしたことはあの時だけだったかなあ。
音楽的には何もないんですが、
でも、ほんとうにみんなで楽しく曲を作り上げていきました。
そして、みんなが音楽をする喜びだけではなく、賛美をする喜びを経験して下さったことです。
賛美する喜び。
JCCNJの皆さんもそこに目が開かれていきますように。
さてさて、今日の聖書。
今朝はテサロニケ人への第1の手紙の2章を読みました。
「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」
13節の言葉が心に留りました。
神の言葉が信じる者たちのうちに働く。
ものすごい励まされました。
神様の言葉が一人ひとりの内側に働いて、
その人のうちで実を結んでいく。
私の使命はそれを語っていくこと、それを伝えていくこと、
御言葉自身に力があって、
御言葉自体が働いて、
人を造りかえ、
人を生かしていく。
それを見せて頂くことができるのはどんなに大きな祝福だろうか?
正直なところ、
今日の礼拝の説教がどのように伝わっていくか、心配だった。
でも、礼拝直後に、どのように語られたかを伝えて下さった方がいた。
ほんとうに感謝した。
私が心配することなんて必要ない、
御言葉自身に力があって、
一人ひとりの心の中で働いていく。
それを信頼してこれからも語っていく者でありたい。
主よ、
御言葉をありがとうございます。
御言葉の力を感謝します。
御言葉の力を信頼します。
御言葉が聞く一人ひとりのうちで働いて、実を結んでいきますように。
私は、ただ、単純に、忠実に、誠実に語る者であることができますように。
2007-01-06
言葉だけではなく
今日はほんとうに暖かな一日でした。
22度を超えました。
ほんとうに春でした。
チューリップの芽も出ていました。
でも、ここまで暖かいのは今日限り。
明日は10度ちょっと、
月曜日は10度以下、
火曜日には5度くらいだそうです。
でも、それでやっと平年並みです。
明日は気持ちのいい一日でしょう。
一週間、きつかったので、
ここのページもあっさりと終わっておりましたが、
来週からはまたいろいろ手を広げようか・・・などと考えておりますが、
今日は土曜日、とにかく明日の礼拝のために祈っております。
あと、JOYJOYキッズクラブのための工作・・・あっ「ひみつタイム」用なので、
秘密なのですが、それをやっておりました。楽しいですよ。
で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙の第1、1章です。
「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。」5節の言葉です。
単なる言葉ではない、それを超えるものを伴ったことば。
明日の日曜日の礼拝の説教のことを思わされました。
単なる言葉ではなくて、力と聖霊と強い確信を伴ったメッセージを語ることができますように。
でかい声を出さなくてもいい、
講壇を叩かなくてもいい、
主にある平安と確信にあふれて、
大胆に語らせて頂きたいと思います。
聖霊様が、その場で豊かに、力強く、暖かく、激しく、
働いて下さいますようにと願います。
神様、
あなたが明日のJCCNJの礼拝にあふれて下さい。
満ちあふれて下さい。
そして、御言葉がいのちと力を持って、
一人ひとりの心に届きますように。
私を用いて下さい。
22度を超えました。
ほんとうに春でした。
チューリップの芽も出ていました。
でも、ここまで暖かいのは今日限り。
明日は10度ちょっと、
月曜日は10度以下、
火曜日には5度くらいだそうです。
でも、それでやっと平年並みです。
明日は気持ちのいい一日でしょう。
一週間、きつかったので、
ここのページもあっさりと終わっておりましたが、
来週からはまたいろいろ手を広げようか・・・などと考えておりますが、
今日は土曜日、とにかく明日の礼拝のために祈っております。
あと、JOYJOYキッズクラブのための工作・・・あっ「ひみつタイム」用なので、
秘密なのですが、それをやっておりました。楽しいですよ。
で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙の第1、1章です。
「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。」5節の言葉です。
単なる言葉ではない、それを超えるものを伴ったことば。
明日の日曜日の礼拝の説教のことを思わされました。
単なる言葉ではなくて、力と聖霊と強い確信を伴ったメッセージを語ることができますように。
でかい声を出さなくてもいい、
講壇を叩かなくてもいい、
主にある平安と確信にあふれて、
大胆に語らせて頂きたいと思います。
聖霊様が、その場で豊かに、力強く、暖かく、激しく、
働いて下さいますようにと願います。
神様、
あなたが明日のJCCNJの礼拝にあふれて下さい。
満ちあふれて下さい。
そして、御言葉がいのちと力を持って、
一人ひとりの心に届きますように。
私を用いて下さい。
2007-01-05
御言葉を語れますように!
いやあ、今日の集会のうちにガンガン回復して、
やっとほぼ100パーセント宣言。
元気になりました。
お祈りに感謝します。
で、今日はまた暖かかったですね。
朝は7.5度くらいでしたが、
雨の中ぐんぐん温度が上がり、15度を超えました。
NYでは桜が咲いているとニュースで言っています。
今夜の集会では、「ぼけ」の花が咲いたと、ある方が持ってこられました。
「ぼけ(木瓜)」ですが、東京あたりでも2月とか、3月とかですよね。
明日は雨も上がって20度くらいまで上がるでしょうから、
もう、完璧春ですね。
いろんな花が咲くことでしょう。
でも、あさってからは下降線です。
火曜日あたりは冬らしい日になりそうです。
さてさて、今日の聖書です。
今日はコロサイ人への手紙4章でした。
心に留ったのは、まさに集会に行く前に書いたことと同じ言葉。
「また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」
4節の言葉です。
これは私自身の言葉でもあり、祈りでもあります。
「当然語るべき語り方」
ほんとうに確信を持って、
人におもねるのではなく、
主の願われるように、
主が語ってくださったとおりに
人々に語ることができますように。
そして、そのことができるように、
自分が祈るだけではなくて、
多くの人々に祈って頂かなければと思う。
誘惑から守られ、
みことばに養われ、
恐れから解放されて、
主の御言葉を語ることができるように、どうか祈ってください。
主よ、
どうか、私が明日も、あさっても、
大胆にあなたの御言葉を語ることができるように、
守ってください。助けてください。力を与えて下さい。
明日のために、
そして日曜日の礼拝のために、
あなたの守りを与えて下さい。
やっとほぼ100パーセント宣言。
元気になりました。
お祈りに感謝します。
で、今日はまた暖かかったですね。
朝は7.5度くらいでしたが、
雨の中ぐんぐん温度が上がり、15度を超えました。
NYでは桜が咲いているとニュースで言っています。
今夜の集会では、「ぼけ」の花が咲いたと、ある方が持ってこられました。
「ぼけ(木瓜)」ですが、東京あたりでも2月とか、3月とかですよね。
明日は雨も上がって20度くらいまで上がるでしょうから、
もう、完璧春ですね。
いろんな花が咲くことでしょう。
でも、あさってからは下降線です。
火曜日あたりは冬らしい日になりそうです。
さてさて、今日の聖書です。
今日はコロサイ人への手紙4章でした。
心に留ったのは、まさに集会に行く前に書いたことと同じ言葉。
「また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」
4節の言葉です。
これは私自身の言葉でもあり、祈りでもあります。
「当然語るべき語り方」
ほんとうに確信を持って、
人におもねるのではなく、
主の願われるように、
主が語ってくださったとおりに
人々に語ることができますように。
そして、そのことができるように、
自分が祈るだけではなくて、
多くの人々に祈って頂かなければと思う。
誘惑から守られ、
みことばに養われ、
恐れから解放されて、
主の御言葉を語ることができるように、どうか祈ってください。
主よ、
どうか、私が明日も、あさっても、
大胆にあなたの御言葉を語ることができるように、
守ってください。助けてください。力を与えて下さい。
明日のために、
そして日曜日の礼拝のために、
あなたの守りを与えて下さい。
めきめき回復中・・・
今日は30パーセントの低空飛行からの出発で、
現在、夕方の5時で75パーセントまで回復。
これからまた集会です。
めきめき音をたてながら回復しています。
日曜日のためにお祈りしてください。
牧師のために祈る→牧師が霊的に整えられてご用ができる→一人ひとりが主に語られる→教会が安定する・元気が出てくる・・・といい風が吹きます。
もちろん、
牧師がみんなのために祈る→みんなが主によって整えられて支えられる→祈ろう、恵みを分ち合おう、という空気があふれてくる→教会が安定し・元気が出てくる・・・といういい風は私の責任ですね。
ではまた深夜に1日1章はアップということで・・・。
現在、夕方の5時で75パーセントまで回復。
これからまた集会です。
めきめき音をたてながら回復しています。
日曜日のためにお祈りしてください。
牧師のために祈る→牧師が霊的に整えられてご用ができる→一人ひとりが主に語られる→教会が安定する・元気が出てくる・・・といい風が吹きます。
もちろん、
牧師がみんなのために祈る→みんなが主によって整えられて支えられる→祈ろう、恵みを分ち合おう、という空気があふれてくる→教会が安定し・元気が出てくる・・・といういい風は私の責任ですね。
ではまた深夜に1日1章はアップということで・・・。
2007-01-04
天を見上げて
今朝も予想よりもちょっと冷えて-0.6度C。
病み上がりで学校に行く息子を乗せようと思って、
車を見ると真っ白に霜が降りていました。
でも昼間は12.5度まで上がり、春の陽気。
集会でも「このまま春になればいいのに」という声が・・・。
たぶん、そうはいかないでしょうがね。
今、午後8時過ぎで7.5度。
今夜も穏やかな夜です。
そして、今夜は曇ってくるので、気温もこれ以上余り下がらないでしょう。
明日は雨。
暖かな雨でしょう。
土曜日は雨も上がり20度近くまで上がるみたいです。
ガハハ。春ですねえ。
今日はさっそく聖書。
今日のところはコロサイ人への手紙3章でした。
「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」
2節の言葉が心に留りました。
「地上のもの」というときに、さすがに、「経済的なこと」「モノ」に対する執着はありません。
でも、それが、名誉だとか賞賛だとか、そういうものになると、どうかなと思います。
ほんとうにどこまで
「この世で認めてもらえなくても、神様が天国で受け入れて下さればそれでいい」
と思っているだろうか、問われたように思いました。
ただただ、天において与えて下さるモノだけを見上げながら、
この地上で誤解されたり、受け入れられないことがあっても、
ただただ愚直に御言葉をストレートに語っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉を与えて下さい。
そして、あなたの御言葉をストレートに語る者であらせてください。
明日の集会も守り導き、
あなたのことを証しすることができますように。
また、50パーセントくらいに落ちてきてしまっているので、
今日はもう早く休んで、明日に備えます。
お祈り下さい。
病み上がりで学校に行く息子を乗せようと思って、
車を見ると真っ白に霜が降りていました。
でも昼間は12.5度まで上がり、春の陽気。
集会でも「このまま春になればいいのに」という声が・・・。
たぶん、そうはいかないでしょうがね。
今、午後8時過ぎで7.5度。
今夜も穏やかな夜です。
そして、今夜は曇ってくるので、気温もこれ以上余り下がらないでしょう。
明日は雨。
暖かな雨でしょう。
土曜日は雨も上がり20度近くまで上がるみたいです。
ガハハ。春ですねえ。
今日はさっそく聖書。
今日のところはコロサイ人への手紙3章でした。
「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」
2節の言葉が心に留りました。
「地上のもの」というときに、さすがに、「経済的なこと」「モノ」に対する執着はありません。
でも、それが、名誉だとか賞賛だとか、そういうものになると、どうかなと思います。
ほんとうにどこまで
「この世で認めてもらえなくても、神様が天国で受け入れて下さればそれでいい」
と思っているだろうか、問われたように思いました。
ただただ、天において与えて下さるモノだけを見上げながら、
この地上で誤解されたり、受け入れられないことがあっても、
ただただ愚直に御言葉をストレートに語っていきたいと思いました。
主よ、
あなたの御言葉を与えて下さい。
そして、あなたの御言葉をストレートに語る者であらせてください。
明日の集会も守り導き、
あなたのことを証しすることができますように。
また、50パーセントくらいに落ちてきてしまっているので、
今日はもう早く休んで、明日に備えます。
お祈り下さい。
2007-01-03
キリストに繋がる
今朝は-2.9度まで下がりました。
もちろん、今年に入って最低。
でも今晩はもう9時半ですが、気温は6.5度もあります。
昼間も10度を超えました。
明日はもっと暖かくなるでしょう。
そして、その後は雨。暖かい雨。
ですが、その後週末からはだんだん気温は下がり傾向。
そして15日以降はやはり冬らしくなるのでは・・・。
ちょっとおもしろくなりそうです。
元旦礼拝の後、2日間教会の集会はスローペースだったので、
助かりました。
明日からはフルスロットルで走り出します。
午前中は家庭集会、
夕方はキッズクラブのための作戦会議です。
楽しみです。
金曜日も朝と夜に集会。
土曜日も朝の6時半から祈り会です。
あっという間に日曜日になってしまいそうです。
今日の聖書はコロサイ人への手紙の2章です。
心に留ったのは、ちょっと長いですが、
「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。」18-19節
という言葉です。
「幻を見た」という人がいたら、
ああ、その人は信仰深いんだろうなあ、と思うでしょう。
でも、ここを読むと、必ずしもそうではなくて、
そこに安住して、傲慢になって、キリストに繋がることをしなくなってしまうこともあるというのです。
逆を言えば、その様な特別な経験が大切なのではなくて、
キリストに繋がっていく、へりくだって、教えられていくことが大切なのだ、ということなのでしょう。
日々、聖書を読むこと、
祈ること、
それによって生かされていくことの幸いを思わされます。
でも、それだけではないのかなあ、とも思わされます。
たぶん、人を大切にして生きていくこと。
人と共に歩んでいくこと、
その中で教えられることもたくさんあるでしょう。
私たちは仙人ではなくて、
人の中に生かされている者です。
キリストに繋がること・・・
その意味をもっともっと教えて頂きたいと思います。
主よ、
特別なことはなくてもいいです。
ただ、あなたに繋がって生きることをもっともっと経験させてください。
ああ、主に繋がっているなあ、という実感を持って歩ませてください。
明日の集会に、
あさっての集会に、
集う方々にも、「ああ、ここには確かにキリストに繋がるものがある」と
わかるような、そのような香りを満たして下さい。
もちろん、今年に入って最低。
でも今晩はもう9時半ですが、気温は6.5度もあります。
昼間も10度を超えました。
明日はもっと暖かくなるでしょう。
そして、その後は雨。暖かい雨。
ですが、その後週末からはだんだん気温は下がり傾向。
そして15日以降はやはり冬らしくなるのでは・・・。
ちょっとおもしろくなりそうです。
元旦礼拝の後、2日間教会の集会はスローペースだったので、
助かりました。
明日からはフルスロットルで走り出します。
午前中は家庭集会、
夕方はキッズクラブのための作戦会議です。
楽しみです。
金曜日も朝と夜に集会。
土曜日も朝の6時半から祈り会です。
あっという間に日曜日になってしまいそうです。
今日の聖書はコロサイ人への手紙の2章です。
心に留ったのは、ちょっと長いですが、
「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。」18-19節
という言葉です。
「幻を見た」という人がいたら、
ああ、その人は信仰深いんだろうなあ、と思うでしょう。
でも、ここを読むと、必ずしもそうではなくて、
そこに安住して、傲慢になって、キリストに繋がることをしなくなってしまうこともあるというのです。
逆を言えば、その様な特別な経験が大切なのではなくて、
キリストに繋がっていく、へりくだって、教えられていくことが大切なのだ、ということなのでしょう。
日々、聖書を読むこと、
祈ること、
それによって生かされていくことの幸いを思わされます。
でも、それだけではないのかなあ、とも思わされます。
たぶん、人を大切にして生きていくこと。
人と共に歩んでいくこと、
その中で教えられることもたくさんあるでしょう。
私たちは仙人ではなくて、
人の中に生かされている者です。
キリストに繋がること・・・
その意味をもっともっと教えて頂きたいと思います。
主よ、
特別なことはなくてもいいです。
ただ、あなたに繋がって生きることをもっともっと経験させてください。
ああ、主に繋がっているなあ、という実感を持って歩ませてください。
明日の集会に、
あさっての集会に、
集う方々にも、「ああ、ここには確かにキリストに繋がるものがある」と
わかるような、そのような香りを満たして下さい。
2007-01-02
キリストにある成人
朝は80パーセントでしたが、
その後は50に落ちたり、80に戻ったりで、
「もう一晩寝れば、大丈夫かな」という感じです。
おかしくなってから36時間くらいで、
ものを食べようという気持ちになっていますから、
回復の早い方でしょう。ありがたいことです。
今日の最高気温は8.1度。
今、午後8時半で、1.1度まで下がっています。
今夜は氷点下でしょうね。
そして、明日、あさってと春のような日が続くみたいです。
不思議なもので、1月中に寒くないと、何か変ですよね。
2月になってから寒くなったりもするんですが、
そのころにはもう日が長くなってきていて、
「身にしみる」寒さではないように思います。
今、天気予報の世界では、
「いつ頃からアメリカ東部が冬らしくなるか」という話が
盛り上がっていますが、
早くても15日くらいだそうです。
さて、今日の聖書。
今日はコロサイ人への手紙の1章です。
心に響いてきた言葉は、
「それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」28節
です。
聖書の中には「子供のようになりなさい」という言葉があります。
そして、男である私は「永遠の少年」を公言してはばかりません。
ですから、この言葉はものすごく新鮮に響きました。
「キリストにある成人」。
神に対して子供のように信頼しながら、
でも、「キリストの形なるまで成熟していく」ということを
神様は私たちに計画して下さっているのです。
私もその様な円熟した働き人になりたいと思いました。
人を大切にすることにおいて、
配慮をすることにおいて、
成長させて頂きたいと思いました。
そして、それが「すべての人を」というところにも心が留りました。
「この人はこういう人なんだ」と決めつけてしまうのではなくて、
一人ひとりが主にあって円熟させて頂けるように、
祈っていくことの責任をも感じました。
主よ、
私をキリストにあって、
円熟したもの、成熟した者にならせて下さい。
人を大切にし、人に配慮できる者としてください。
無理にではなく、自然にそれができるような愛をあふれさせてください。
そして、教会の一人ひとりの中に、同じことを成就してください。
「すべての者」たちがそれを経験できますように。
今日も、弱さや痛みの中にある人々を助けてください。
その後は50に落ちたり、80に戻ったりで、
「もう一晩寝れば、大丈夫かな」という感じです。
おかしくなってから36時間くらいで、
ものを食べようという気持ちになっていますから、
回復の早い方でしょう。ありがたいことです。
今日の最高気温は8.1度。
今、午後8時半で、1.1度まで下がっています。
今夜は氷点下でしょうね。
そして、明日、あさってと春のような日が続くみたいです。
不思議なもので、1月中に寒くないと、何か変ですよね。
2月になってから寒くなったりもするんですが、
そのころにはもう日が長くなってきていて、
「身にしみる」寒さではないように思います。
今、天気予報の世界では、
「いつ頃からアメリカ東部が冬らしくなるか」という話が
盛り上がっていますが、
早くても15日くらいだそうです。
さて、今日の聖書。
今日はコロサイ人への手紙の1章です。
心に響いてきた言葉は、
「それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」28節
です。
聖書の中には「子供のようになりなさい」という言葉があります。
そして、男である私は「永遠の少年」を公言してはばかりません。
ですから、この言葉はものすごく新鮮に響きました。
「キリストにある成人」。
神に対して子供のように信頼しながら、
でも、「キリストの形なるまで成熟していく」ということを
神様は私たちに計画して下さっているのです。
私もその様な円熟した働き人になりたいと思いました。
人を大切にすることにおいて、
配慮をすることにおいて、
成長させて頂きたいと思いました。
そして、それが「すべての人を」というところにも心が留りました。
「この人はこういう人なんだ」と決めつけてしまうのではなくて、
一人ひとりが主にあって円熟させて頂けるように、
祈っていくことの責任をも感じました。
主よ、
私をキリストにあって、
円熟したもの、成熟した者にならせて下さい。
人を大切にし、人に配慮できる者としてください。
無理にではなく、自然にそれができるような愛をあふれさせてください。
そして、教会の一人ひとりの中に、同じことを成就してください。
「すべての者」たちがそれを経験できますように。
今日も、弱さや痛みの中にある人々を助けてください。
考えも及ばない様な平安
2日の朝になりました。
いやあ、昨日はきつかった・・・。
今朝起きたら80パーセントまで回復しています。
もう、ちょっとペースダウンしながら通常の生活が送れます。
お祈り下さった皆さんに感謝します。
健康が与えられているってほんとうに大きなことなんですね。
病の中におられる方々のことを覚えてもっともっと祈りたいと思いました。
今朝起きたら、気温は6度くらい。
そして、今日は晴れ!
でも、気温は10度以下みたいですね。
暖かいのに慣れてしまっている体にはちょっと寒く感じるかもしれません。
これから数日の予想を見ていると、
大体昼間は10度以上ですね。
去年の1月も「暖かかったぁ」という記憶があるのですが、
これほどではなかったようで・・・
ありがたいことです。スキー場の皆さんには申し訳ないですが・・・。
ということで、今のうちに昨日の分。
昨日はピリピ人への手紙4章でした。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6-7
この言葉は、昨日の朝、ベッドの中で「気持ちわりー」とうめきながら、「このままでは礼拝の講壇に立てるか」と心配していた時に、ここに響いてきた聖書の言葉です。礼拝の中でもご紹介しましたし、また通読の箇所でもあったんですね。
とにかく祈りに導かれました。
「神様、今日の礼拝を守らせてください」と。
そしたら、「大丈夫だ」という思いが与えられました。
もちろん、「そうだ、大丈夫だ!」と起きあがると、
「やっぱりダメだぁ」となるんですが、
「大丈夫、神様何とかしてくださるよ」という思いは最後まで変わりませんでした。
主よ、
あなたの与えて下さった平安のゆえに感謝します。
これから、私が歩んでいく道で、
大きな困難であなたにこのように祈る時があると思います。
どうか、その時に、この御言葉の平安をまた味わわせて下さい。
今日も、体の弱さを感じ、
教会に行きたくても、
行けないでいる方々の心に、あなたの慰めを与えて下さい。
いやあ、昨日はきつかった・・・。
今朝起きたら80パーセントまで回復しています。
もう、ちょっとペースダウンしながら通常の生活が送れます。
お祈り下さった皆さんに感謝します。
健康が与えられているってほんとうに大きなことなんですね。
病の中におられる方々のことを覚えてもっともっと祈りたいと思いました。
今朝起きたら、気温は6度くらい。
そして、今日は晴れ!
でも、気温は10度以下みたいですね。
暖かいのに慣れてしまっている体にはちょっと寒く感じるかもしれません。
これから数日の予想を見ていると、
大体昼間は10度以上ですね。
去年の1月も「暖かかったぁ」という記憶があるのですが、
これほどではなかったようで・・・
ありがたいことです。スキー場の皆さんには申し訳ないですが・・・。
ということで、今のうちに昨日の分。
昨日はピリピ人への手紙4章でした。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6-7
この言葉は、昨日の朝、ベッドの中で「気持ちわりー」とうめきながら、「このままでは礼拝の講壇に立てるか」と心配していた時に、ここに響いてきた聖書の言葉です。礼拝の中でもご紹介しましたし、また通読の箇所でもあったんですね。
とにかく祈りに導かれました。
「神様、今日の礼拝を守らせてください」と。
そしたら、「大丈夫だ」という思いが与えられました。
もちろん、「そうだ、大丈夫だ!」と起きあがると、
「やっぱりダメだぁ」となるんですが、
「大丈夫、神様何とかしてくださるよ」という思いは最後まで変わりませんでした。
主よ、
あなたの与えて下さった平安のゆえに感謝します。
これから、私が歩んでいく道で、
大きな困難であなたにこのように祈る時があると思います。
どうか、その時に、この御言葉の平安をまた味わわせて下さい。
今日も、体の弱さを感じ、
教会に行きたくても、
行けないでいる方々の心に、あなたの慰めを与えて下さい。
2007-01-01
あけましておめでとうございます
新年になりました・・・が、
新年になって4時間後、目が覚めて、
それから上へ下への大騒ぎ。
やっとここに座れるくらいになりました。
「何とか礼拝のご用は穴を空けませんように・・・」と祈っていました。
そう、今年は
「わたしの家は祈りの家」というみことばに立っていこうと思っていたし、
また昨日の聖書の箇所でも、苦しみの中で、
苦しみを呪うのではなくて、
復活の力を知らせて頂くために用いて頂くことを書いたので、
祈らされました。
そして、何とか、説教を終えて、
速攻で帰宅。
吐き気止めでなんとか、収まっています。
一日一章は明日からかな・・・。
今日はピリピ4章でした。
ではでは。
今年もよろしく。
新年になって4時間後、目が覚めて、
それから上へ下への大騒ぎ。
やっとここに座れるくらいになりました。
「何とか礼拝のご用は穴を空けませんように・・・」と祈っていました。
そう、今年は
「わたしの家は祈りの家」というみことばに立っていこうと思っていたし、
また昨日の聖書の箇所でも、苦しみの中で、
苦しみを呪うのではなくて、
復活の力を知らせて頂くために用いて頂くことを書いたので、
祈らされました。
そして、何とか、説教を終えて、
速攻で帰宅。
吐き気止めでなんとか、収まっています。
一日一章は明日からかな・・・。
今日はピリピ4章でした。
ではでは。
今年もよろしく。
2006-12-31
キリストの苦しみにあずかる
今日も、穏やかな日でした。
今、夜の9時ですが、
5度くらいあります。
でも今夜は雨。
新しい年のスタートは雨になりそうです。
今年の1月の分を読み返してみると、
去年の大晦日は雪が降って、
暖かい1月だったようですが、
それでも、何回か雪が降ったりしたようです。
この12月はほんとうに暖かかったです。
そして、この暖かさが1月も続くようです。
助かります。
でも、やっぱりちょっと寂しいところもあります。
冬は冬らしくないと・・・。
1年を振り返ってどんなことがあったかなあ、と思い出していました。
一つ一つの出会いにほんとうに心から感謝。
1月にはまだ出会っていなかった人たちの中からも洗礼を受ける方が起されたり、
もう出会っていたけれども、まだ信仰をもっていなかったけれども、
今はバリバリのクリスチャンの方もあり。
ほんとうに不思議だなあ、と思います。
そして、とてもうれしかったのは、
3人の子ども達が、今回のバケーションの行き帰りの車の中で、
3人並んで座って、じゃれ合っていたこと。
今まで、一人っ子を3人育てているような気分でいました。
ケンカにもならないのですが、
あまり兄弟で遊んだりしている光景もありませんでした。
15歳の男、12歳の女、5歳の女で、みんな見てる方向が違ったんですね。
それでしょうがないと思っていました。
でも、長男が成長したのか、
はたまた、下の2人が成長したのか、
今回は3人がケラケラ笑い合っているのを見て、
とてもうれしかったです。
これはほんとうに感謝。
個人的に自分のことで、ちょっと心配しているのは、
short memoryがひどくなっていることかな。
牧師としてはかなりまずいよな、ってくらい忘れていることがあります。
時には言われて「ああ、そうだった・・・」という時もあるのですが、
時には言われても「え、そうだったっけ?」みたいな時もあります。
脳の中のどこかの引き出しに入っているんだけど・・・
ということもあれば、
え、そんなのあったっけ?ということもあります。
自覚症状がない方がいいのか、ある方がいいのか、
分りませんが、とにかく心配しながら、
受け入れることも必要か、と思いはじめています。
やっぱりもっとメモをとることが大切ですよね。
高校生の頃の記憶力を今でも持っているつもりでいることが大体間違いなのかな?
さて、
今年最後の聖書。
今日はピリピ人への手紙3章を読みました。
「キリストの苦しみにあずかることも知って・・・」10節の言葉です。
苦しむことはあんまり好きではありません、
というか、嫌いです。
苦しいことからは逃げたいし、
目を背けてしまいたいところもあります。
でも、苦しむことも私たちには必要なのだと聖書は繰り返し繰り返し語っているのです。
キリストの復活の力を知るためには
キリストの苦しみをも感じることが必要だと
聖書は語っているのです。
だから、苦しみがやってくる時に、
それによって、
神様が私たちに復活の力を教えてくださるのだろうと思います。
その時にはそんなことを考えている余裕はないのですが・・・。
主よ、
心から感謝します。
一年間を感謝します。
これから歩んでいく道の中で、
想像できないような苦しみに出会うかもしれません。
そんな時、御言葉によって養ってください。
御言葉によって導いてください。
キリストの苦しみをあずかることによって
キリストの復活の力をも知ることができますように。
今、夜の9時ですが、
5度くらいあります。
でも今夜は雨。
新しい年のスタートは雨になりそうです。
今年の1月の分を読み返してみると、
去年の大晦日は雪が降って、
暖かい1月だったようですが、
それでも、何回か雪が降ったりしたようです。
この12月はほんとうに暖かかったです。
そして、この暖かさが1月も続くようです。
助かります。
でも、やっぱりちょっと寂しいところもあります。
冬は冬らしくないと・・・。
1年を振り返ってどんなことがあったかなあ、と思い出していました。
一つ一つの出会いにほんとうに心から感謝。
1月にはまだ出会っていなかった人たちの中からも洗礼を受ける方が起されたり、
もう出会っていたけれども、まだ信仰をもっていなかったけれども、
今はバリバリのクリスチャンの方もあり。
ほんとうに不思議だなあ、と思います。
そして、とてもうれしかったのは、
3人の子ども達が、今回のバケーションの行き帰りの車の中で、
3人並んで座って、じゃれ合っていたこと。
今まで、一人っ子を3人育てているような気分でいました。
ケンカにもならないのですが、
あまり兄弟で遊んだりしている光景もありませんでした。
15歳の男、12歳の女、5歳の女で、みんな見てる方向が違ったんですね。
それでしょうがないと思っていました。
でも、長男が成長したのか、
はたまた、下の2人が成長したのか、
今回は3人がケラケラ笑い合っているのを見て、
とてもうれしかったです。
これはほんとうに感謝。
個人的に自分のことで、ちょっと心配しているのは、
short memoryがひどくなっていることかな。
牧師としてはかなりまずいよな、ってくらい忘れていることがあります。
時には言われて「ああ、そうだった・・・」という時もあるのですが、
時には言われても「え、そうだったっけ?」みたいな時もあります。
脳の中のどこかの引き出しに入っているんだけど・・・
ということもあれば、
え、そんなのあったっけ?ということもあります。
自覚症状がない方がいいのか、ある方がいいのか、
分りませんが、とにかく心配しながら、
受け入れることも必要か、と思いはじめています。
やっぱりもっとメモをとることが大切ですよね。
高校生の頃の記憶力を今でも持っているつもりでいることが大体間違いなのかな?
さて、
今年最後の聖書。
今日はピリピ人への手紙3章を読みました。
「キリストの苦しみにあずかることも知って・・・」10節の言葉です。
苦しむことはあんまり好きではありません、
というか、嫌いです。
苦しいことからは逃げたいし、
目を背けてしまいたいところもあります。
でも、苦しむことも私たちには必要なのだと聖書は繰り返し繰り返し語っているのです。
キリストの復活の力を知るためには
キリストの苦しみをも感じることが必要だと
聖書は語っているのです。
だから、苦しみがやってくる時に、
それによって、
神様が私たちに復活の力を教えてくださるのだろうと思います。
その時にはそんなことを考えている余裕はないのですが・・・。
主よ、
心から感謝します。
一年間を感謝します。
これから歩んでいく道の中で、
想像できないような苦しみに出会うかもしれません。
そんな時、御言葉によって養ってください。
御言葉によって導いてください。
キリストの苦しみをあずかることによって
キリストの復活の力をも知ることができますように。
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