2007-01-22

主にとって有益なもの

ああ、どういう訳か、
結構たくさん書いたものが消えてしまったので、
がっくりきてしまいました。

うーん、それはまた気を取り直して明日書くとして、
今日はさっそく聖書に行きましょう。

昨日の聖書ですね。
昨日はテモテへの第2の手紙の2章を読みました。
その中で心に留ったのが次の聖書の言葉です。

「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」21節。

主にとって有益な者。
そのようになりたいと心から思う。
そのためには不純なもの、主が喜ばれないものを取り除くこと、
主に取り除いて頂くこと、
こだわっていないで、
しがみついていないで、
主の許にお委ねして、
手放してしまうこと。

ほんとうに主に用いられるもの、
主にとって有益な者となりたいと思った。

昨日、教会の総会で今年の方針を語りつつ、
野心とか、野望とか、そんなものとは無縁なことを感じた。
ただ、この主を知って頂きたい。
この主の愛を多くの人に知って頂きたい。
そんな思い。

それだけでいい、と単純に思わされました。

どう思われようとも、そんなことも気になりません。
ただ、一人ひとりが主の前に整えられて、
主の前にへりくだらされて、
喜びのあふれて・・・
自分が何かができた喜びではなくて、
主に愛されている喜びにあふれて歩んでいくことができるように、
それだけを願います。

主よ、
もっともっと私の心を探って下さい。
そして、あなたの喜ばれないものがあったら、
それを示して下さい。
わたしはそれを手放しますから、
教えて下さい。
そして、それをきよめて下さい。
取り除いて下さい。
あなたにとって有益な者とならせてください。

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