2007-01-27

どこに投資するか

今日はずっと暖かくなりました。
朝起きたら-3度まで上がっていて、
一日中曇っていましたが、気温は2.3度まで上がりました。
今、夜の11時半ですが、気温はまだ1.8度もあります。
レーダーには何か降っているエコーが出ていますが、
実際には、家のあたりでは何も降っていません。
上空で何かが降っていても、下に届くまでに蒸発してしまう場合があります。

今も多分そうなのでしょう。

12時45分アップデート・・・外はみぞれが降っています。でも、プラスの1.9度。

明日も、今日同様、どんよりとあまり寒すぎない日でしょう。
月曜日はまた寒くなります。

「証し」の第3章。
私がイエス・キリストを救い主と信じたのは小学校2年生の時でした。
私の記憶によると・・・。

3年生から東村山の聖書学院で持たれていた
2泊3日の「小学生キャンプ」に行けるのですが、
特別にスタッフの一人であった父について、行きました。
夜の集会で、先生がお話をされていたのですが、
内容は何にも覚えていません。
で、最後にみんなが「・・・立って下さい」と言われて、
立ったんですよね。それで私も立ちました。
1年生の弟と一緒に・・・。

それに気がついた父が「どうして立ったんだ?」と聞いたのですが、
「みんなが立ったから、どうしたのかな?と思って」と答えたのだと思います。
でも、その時、私は父の口から、びっくりすることを聞きました。

「罪があったら、天国に行けない」
もうびっくりです。
教会で育って、神様のことを知っていました。
イエスさまのことも知っていました。
天国のことも・・・そして、当然、自分は行けるものだと思っていました。
でも、初めて「罪があったら天国に行けない」というのです。
それは困ったと思いました。
昨日も書いたのですが、
いつも弟をいじめていたからです。
だから、罪があることはよくわかっていました。

その時に、イエスさまが十字架にかかって下さったこと、
ゴメンナサイとお祈りすべきことを知りました。

私は単純に、というか、素直にと言うか、ほんとうに
それしかないと思って、泣きながら、ゴメンナサイと神様にお祈りしました。

1971年7月21日だったかな?
2年生の夏休みの最初の方の出来事でした。

「 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」ヨハネ第1の手紙1章9節

これが私にとっての「救い」の経験です。
でも、これはほんとうに始まりの始まりでした。

ですから今でも私は信じています。
どんなに幼い罪意識でも、
どんなに小さな罪意識でも、
軽く見てはいけないこと。

ちゃんとイエスさまの十字架の赦しを語ることの大切さ。
決して、「そんなことは気にしなくていい」と言ってはいけないこと。

そして、どんな薄っぺらな罪意識でも、
それを悔い改めたときに、神様に受け入れられること、救われること。
「救いの経験」はその時に与えられること。

そして、それはそれが「始まりの始まり」でだんだん深められていくこと。

さて、今日の聖書です。
今日はピレモンへの手紙です。

「その請求は私にしてください。」18節。

1章だけの短い手紙。
でも、その背後にあるドラマはどれほどのものだったかと思います。
ピレモンの奴隷でありながら、主人を裏切り、主人に損害を与え、
逃げ出したオネシモ。
しかし、彼はその後パウロに出会い、
悔い改めて新しい出発をします。

そのオネシモをピレモンの元に送り返すときに、
その手に持たせたのが、この手紙です。

「私がそれをかぶる」とパウロは言ったのです。
オネシモのために自分の持てるものを差し出したのです。

私はどうだろうかと思いました。
このようにできるだろうかと。

神様が私に託して下さったもの。
それは神様の許しの中で、神様の喜ばれるように使うことを前提に、
私たちに任されているもの。
それをどのように使うのか、問われているように思いました。

何に投資するのか、問われているように感じました。

最近、「次の世代のために何ができるか」と言うことをよく考えます。
自分が先輩達に与えられたように、私も次の世代にのために投資できるだろうかと。

神様から託されているものを、
喜んで与える、喜んでささげるものでありたいと思います。
次の世代のために。

主よ、
私に愛を与えて下さい。
あなたに対する愛を、
次の世代に対する愛を与えて下さい。

そのために、
いつもいつも、あなたからどんなに大きな愛を与えられているか、
忘れることがありませんように。
どんなに大きな愛を与えられているか、見つめ続けることができますように。

明日の日曜日に祝福を満たして下さい。

2007-01-26

良いわざに励む

今日は寒かったですねえ。
朝の気温は-14度C。
そして、昼間も-6度C。おまけに風もありました。
夜になって一度-8度まで下がった気温が、
今は-7度。
あまりこれ以上下がらないようです。

明日あさっては気温がプラスに上がって、
ちょっと楽になるようです。

そして、月曜日の朝には金曜日と同じようにちょっと雪が降って、また寒くなるみたいです。

今日は、「証し」の第2章。

今日の信徒勉強会では「証し」について学んだんですが、
その基準からすると神様を指し示す「証し」というより、
spiritual autobiography(自分の霊的な足跡をたどる作業)なのですが、
でも、その中でも、神様が私の人生にどんなことをして下さったか、
それが伝わったらいいなあ、と思います。

そう、自分の子供時代の中で大きな存在だったのは、
両親もでしたが、
正直言うと、兄弟の存在は大きかったです。
男ばかりの4人兄弟の2番目なのですが、
上の3人は年齢が近かったので、ほんとうに兄と弟の存在が自分にはものすごい、
影響がありました。

2つ上の兄はリーダーシップもあるし、
優しいし、
ちょっと変わっているところもあるけれども、
兄弟のまとめ役。
頼りにしていました。
私も生意気だったと思いますが、
かわいがってもらいました。
そして、兄の後をついていくのが、常になりました。
「お兄ちゃんがいくならボクもいく」
「お兄ちゃんがするなら、ボクもする」
それで交通事故にもあったのですが・・・。
中学でトロンボーンを始めたのも、
牧師になりたいと思い始めたのも(最終的には自分の決断でしたが・・・)、
兄の存在によるものでした。

弟は元気で楽しいヤツでした。
でも、1才違いの兄の私にとっては
また「生意気なヤツ」でもありました。
言葉では勝てない無口で内気な私にとって(ホント)、
どうやって弟を打ちのめしてやるか、
ぐうの音も出ないほどにしてやるか、
それが課題でした。

きつい目つきでにらみつけたり、
手を出したり足を出したり、
とにかくケンカをしたら、泣かさなければいけません。

でも、その後、必ず親に叱られて、自分も泣くことになるのですが・・・。

そう、いつも弟をいじめていたことが、
子供時代の「罪意識」の中心でした。
初めて「君にも罪がある」という話を聞いたときに、
何の抵抗もなくそれを「ほんとうにそうだ」と感じることができたのは、
そういう自分がイヤでしょうがなかったからです。

それが私に「救いの経験」を与えてくれました。

今日の聖書。
今日はテトスへの手紙の3章です。
「神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。」
8節の言葉です。

今日、日曜日の礼拝説教の準備をしながら、
ほんとうに「福音」の大切さを感じていました。

私たちは良い行いによって救われるのではない。
立派な人間になったら神様に受け入れられるのではない。
私たちは罪人なのに、神様は私たちを愛して下さって、
私たちのためにイエスを与え、
イエスが十字架の上で私たちの罪のために身代わりの死を経験して下さることによって、
私たちが赦される、というその福音です。

良い行いによって救われるのではないのです。
でも、良い行いをするようにと、
私たちは生かされているのです。

ただ、キリストの福音に感謝しながら、
愛されている喜びに満たされながら、
そのパワーを「良い行い」に向けていく、
そのように私たちは使命を与えられているんだと思います。

良い行いによって救われるのではなくて、
救われた喜びによって良い行いをするのです。

私の行いが人々を生かすものとなるようにと願います。

主よ、
御言葉によって生かしてください。
福音によって生かしてください。
喜びを満たして下さい。
あなたが与えて下さった大きな愛に感謝します。
どうか、その大きな愛に感謝して、
感謝と喜びを、「良い行い」に向けていくことができますように。

2007-01-25

威厳を保つ

いやあ、今日は寒いですねえ。
家の中にいても、冷たい空気がどこからか忍び込んできてるみたいです。
朝起きたら、外は雪化粧。
1-2センチくらい積っていましたね。

そして、今は夜の12時頃ですが、
外は-10.9度C。
今もまだまだ下がっています。
明日の朝は-13度くらいでしょうか?

大雪は降らないのですが、
時々小雪が舞う日がここ数日あるみたいですね。

昨日の夜、
日曜日に放送されていた「平成教育委員会」見ましたが、
その中で日本語の問題がいろいろ出ていました。
難しいですよね。

ATOK & 一太郎 第2回全国一斉日本語テスト

やってみましたが、
うーん、難しいもんですね。
平均は超えましたが、
言葉を使う仕事をしているのに、
こんなにもいい加減なのかと・・・。
特にマナーとか敬語の使い方とか・・・。

最近どうなのかなと思うのは、
「了解」と「了承」と「承知」の使い方。

「ご了承下さい」という言葉をよく聞きますが、
「承る」という言葉は「謙譲語」なのに、
それを使った「了承する」という言葉は「謙譲語」ではない、ってわけなんでしょうか。
「謙譲語」だと「承知する」?「承知致しました」とか。

でも、個人的には「ご了承下さい」って言葉も、何か、違和感あって、
いろいろ考えて今日も「ご了解下さい」という言葉を使いましたが、
それも、ちょっとおかしいなあ、と思い・・・、
何か難しいですね。
こういうとき、社会経験のなさが露呈してしまいます。
気にしすぎると、よけいおかしくなるけど、
最低限のことは身につけておきたいなあ、と思います。

同世代の中でも平均より下じゃないということは、
特別に無知なのではないかもしれませんが、
「牧師のための日本語講座」とか、どなたかにやって頂こうかな。

で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙2章でした。

最後の15節が心に留りました。
「あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。」

「権威をもって話す」「軽んじられないように」
どきっとします。
自分の権威ではなくて、
神様が与えて下さった権威、
それをほんとうに分っていない自分がいるような気がしたからです。

主の召しに対する確信、
主が与えて下さったこの教会の牧師としての使命、
そして権威。
それをしっかりと信じて、
信頼して、与えられたメッセージを語ることの責任を感じさせられています。

自分の能力とかを考えると、
権威とは無縁ですが、
主が与えて下さった権威を軽く見ないで、
また、人からも自分という人間ではなくて、
主が与えて下さっている権威を軽く見られることがないように、
堅く立っていくことが大切だと思わされました。

主よ、
あなたの使命、
あなたの与えて下さっている権威を感謝します。
その使命と権威を私自身が、
軽く見てしまうことがありませんように。
「謙虚でありたい」という言葉を、
自分の甘えの隠れ蓑にすることがありませんように。
また、あなたが与えて下さっている権威が
軽く見られているときに、それに甘んじることのない勇気を与えて下さい。
あなたの与えて下さっている権威にもっともっと信頼できますように。

2007-01-24

言葉と行動

今は夜の11時前。
9時過ぎにNYから無事帰還しました。
今日2回目の更新です。
これで「一日一章」が追いつきます。

気温は0.8度「も」あります。
「も」というのは、
明日あさってはここまで上がることはないだろうからです。

今北の方からどんどん冷たい空気が南に降りてきているみたいで、
今夜から明日にかけてにわか雪が降るみたいです。
軒並み60パーセントの雪の確率が出てきています。
うっすら雪化粧するかもしれません。

で、何日か前に「ああ、消えたー」と落ち込んだのは、
どんなことを書いていたかというと、
「証し」の1章として、
「牧師の家庭に生まれたこと」でした。

「牧師の家庭」に生まれるということは、
日本ではほんとうに特別なことだと思います。
100人に1人のクリスチャンで、
そのうちの牧師のうちなんて。

だから「恵まれている」ことは確かです。

もしも、自分が牧師の家に生まれていなかったらクリスチャンになっていたか?
どうだっただろうか、と思います。
だから、私にとって、そこに生まれたことはとても良かったことなのです。
それなしに今の自分はあり得ません。

でも・・・

まさにそれがゆえにある「痛み」もあると思います。
少なくとも私の場合は。
勘違いしないでください。
別に何か特別なことがあったわけではありません。
やはり恵まれているんだと思います。

でも
「恵まれているんだよ」と言われれば言われるほど、
行き場がなくなってしまうのです。
自分でも自分にそういい聞かせます。
そして、自ら行き場をつぶしていくのです。

何か、「何があったんだろう?」と疑心暗鬼になる方がおられると困るので、
「何も特別なことはなかったんだよ」という意味で、ちょっと書きますと・・・。

何でしょうか、自分で自分にプレッシャーをかけていたのでしょうか、
「牧師の息子だからこうしなければいけない」という気持ちはいつもありました。
学校の友達にも「教会の子供がそんなことをしていいのか?」みたいな、言われ方もしましたしね。

教会も楽しかったです。別に嫌なことがあったわけではないです。
でも、自分たちの休みの日である日曜日は親は一番忙しい日。
自分たちの親ではなくなり、教会のみなさんのものになる日。
祝日も何かいろいろ教会行事が入ったものです。

小学校1年生の時に、
『開校記念日』で、日曜日でも祝日でも何でもない日が休みになったとき、
5月13日。絶対に忘れません。
父が潮干狩りに連れて行ってくれました。
それから、ずっと「また潮干狩りに行きたい」と37年間思い続けています。

というくらいなんです。

だから、特別に何かがあったわけではないのです。

書きながら、「自分の『痛み』ってそんなもんかい、やっぱりホントに恵まれているよなあ」と、また思いました。

うーん、まだ自分の中でどう受け取っていいのか分らないのかもしれません。
これは自分の人生の宿題ですね。

で、今日の聖書。
今日はテトスへの手紙に入って、1章。

「彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。」
16節

どきっとする言葉ですよね。
「言ってることとやってることが違うじゃないですか!」
なんて言葉を聞いたりします。

他人事とは思えない感じがしました。
自分はどんな生き方をしているだろうかと。

もう一つの聖書の言葉を思い出しました。

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます。」ヤコブの手紙1章22-24節

神様を神様とする歩み。
それが信仰のキモなんでしょう。

自分を神様にするのではなくて、
神様を神様とする。

明日は今月最後のJOYJOYキッズクラブです。
神様のすばらしさが示されますように。

主よ、
どうか、御言葉を聞くだけ、語るだけのものではなく、
そこに生きる者としてください。
自分を神とするのではなく、
あなたを神として従っていくことができますように。

明日のキッズクラブも祝福して、
たくさんの子ども達との出会いが与えられますように。

時が良くても悪くても

今日はNYの日です。
昨日の夜よりも今朝の方がちょっと暖かくなったような気がします。
でも、だまされてはいけません。
これから寒くなるみたいですから、
明日は小雪やにわか雪が降るだろうということですから、
そしてあさっては昼間でも-5度以下だそうですから・・・。

月曜日に4年に一度の免許証の更新にLodiにいってきました。
厳しくなったという話も聞きますが、
逆にデジタル化されて、とても早くなったような気もします。

来られたばかりの方々はIDをそろえるのが大変なようですが、
14年もいると、その場で「これある?これは?じゃ、これは?」って聞かれるまま
出していったら、そろってしまいました。

そして、1/8に書いた臓器移植のこと、
ちゃんと書類に書く欄がありました。
そこにチェックを入れると、免許証にOrgan Donerと入ります。

そして写真も「今までの使う?」と聞かれて、Yesと答えたもんだから、
全部で15分くらいでしょうか?
家を出てから帰るまでで45分でした。

4年前は「郵送での更新OK」で
その後、厳しくなって、本人の出頭が必要で、
時間がかかるようになったみたいですが、
ちょうど今回の更新の時には迅速化されていて、ラッキーだったと言えましょう。

2週間後にはいよいよ息子が16歳になってLearner's Permitです。
「もうかい!?」って感じです。

で、昨日の聖書。
昨日はテモテ第2の手紙4章でした。

心に留ったのは
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」2節

2つのことを教えられました。
1つ目はいつでも伝道すること。
状況的に伝道に適しているとき、適していないとき、ということがやっぱりあるんですね。
でも、たとえ「適していない」時であったとしても、御言葉を伝える責任があるということ。
「とにかく伝道しなさい」ということ。
励まされました。

そして2つ目は「教えたり、責めたり、戒めたり、勧めたりすることの大切さ」です。
「責めたり、戒めたり」というのはやはりリスクが伴います。
「そんなこと言われたくない」とか「そっちだって・・・」というときもあるでしょう。
「わたしを裁くのか」と言われるかもしれません。
でも、それを恐れていてはいけないんですね。
責められたり、戒められたりすることによって、
主の前に出て、御言葉によって成長するチャンスもあるのに、
それをみすみす奪っているのかもしれません。

愛と誠実さを持って
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。

主よ、
御言葉の力を信頼して、
伝道させて下さい。
御言葉の力を信頼して、
「教え、責め、戒め、勧める」ことができますように。
私自身、御言葉によって整えて下さい。
そして、大胆に語る者とならせてください。

2007-01-23

神の人を整えるため

今日も寒い日でした。
昨日の夜もちらほら小雪が舞っていましたが、
それだけです。

木曜日もそうみたいです。
Stormではなくて、小雪が舞うくらいみたいです。
そして、金曜日は今年一番の寒さになるようです。

どうやらこのまま雪かきをしないまま、2月を迎えることになりそうです。

今日も早速聖書に行きます。
昨日の聖書はテモテ第2の手紙3章でした。
その中で心に留った言葉は、

「それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」17節の言葉です。

「十分に整えられた者」
これはまた大切な言葉ですね。
「奉仕のうちで整えられる」という面があると思います。
「十分に整えられるまで奉仕はできない」というのはまた違うかなあと思います。
でも、ほんとうに用いられるために「整えられる」ということがどれほど大切かと思います。

考えてみれば、
モーセも、情熱に燃えて、地位もあったときには用いられませんでした。
ペテロも、主のためにどこまでも!と情熱だけだったときには失敗だらけでした。

弱さを知り、砕かれたときに、用いられたのです。
主にとっては、この「整えられる」ということがどれほど大切なことかと思いました。

御言葉によって整えられて、用いて頂きたいと思いました。
御言葉がまた一人ひとりを整えてくださるのを見せて頂きたいと思いました。

人が救われることもほんとうに大きな喜びです。
でも、それだけではなくて、
キリストを信じた方が、
みことばに取り扱われて、
悔い改めに導かれて、
主によって整えられて、
主に用いられていくのを見るのは、
どれほど大きな喜びでしょうか?

そのような御業を日々の歩みの中で見せて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたのみことばに感謝します。
どうか、わたしに日々に御言葉を与えて下さい。
ただ「いいなあ」というレベルではなく、
魂を探られるような、魂が砕かれるような、
魂がゆさぶられるような御言葉を与えて下さい。

2007-01-22

主にとって有益なもの

ああ、どういう訳か、
結構たくさん書いたものが消えてしまったので、
がっくりきてしまいました。

うーん、それはまた気を取り直して明日書くとして、
今日はさっそく聖書に行きましょう。

昨日の聖書ですね。
昨日はテモテへの第2の手紙の2章を読みました。
その中で心に留ったのが次の聖書の言葉です。

「だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」21節。

主にとって有益な者。
そのようになりたいと心から思う。
そのためには不純なもの、主が喜ばれないものを取り除くこと、
主に取り除いて頂くこと、
こだわっていないで、
しがみついていないで、
主の許にお委ねして、
手放してしまうこと。

ほんとうに主に用いられるもの、
主にとって有益な者となりたいと思った。

昨日、教会の総会で今年の方針を語りつつ、
野心とか、野望とか、そんなものとは無縁なことを感じた。
ただ、この主を知って頂きたい。
この主の愛を多くの人に知って頂きたい。
そんな思い。

それだけでいい、と単純に思わされました。

どう思われようとも、そんなことも気になりません。
ただ、一人ひとりが主の前に整えられて、
主の前にへりくだらされて、
喜びのあふれて・・・
自分が何かができた喜びではなくて、
主に愛されている喜びにあふれて歩んでいくことができるように、
それだけを願います。

主よ、
もっともっと私の心を探って下さい。
そして、あなたの喜ばれないものがあったら、
それを示して下さい。
わたしはそれを手放しますから、
教えて下さい。
そして、それをきよめて下さい。
取り除いて下さい。
あなたにとって有益な者とならせてください。

2007-01-21

福音のために苦しむ

遅くなりましたが、
昨日の分です。

でも、天気予報は今日の分。
今日も一日寒かったのですが、
何と返ってきて天気予報を見たら、
Freezing Rain注意報がでているではないですか!

いつも書きますが、Freezing Rainは一番コワイですから、
明日の朝、気をつけてくださいねえ。
大したことはなくても、つるっと滑ることがあります。
車もそうですが、歩いててもこけることがあります。
いや、こけたこともあります。

「証し」のこと。
ここに来てくださるクリスチャン以外の方々もおられるので、
ちょっと説明すると、
神様が私たちの人生にどんなすばらしいことをしてくださったかを語ることを、
「証し」といいます。「神様の御業を証言する」という感じかな。

で、イ・チソンさんの「証し」についての言葉が心に留っているので、
それを紹介します。本人の許可いただいていませんが、本に載っているので、本の引用という形で・・・。

「信仰の証としてどのような話をすればよいのか悩んでいたとき、『信仰の証-testimony』というのは『わたしが何をした』ということを話すのではなく、『神さまがわたしにこうしてくださいました』と伝えることだと気づきました。だからわたしは人々の前で、これまで神様が示してくれた恵みについて話すことにしました。」(「今日も幸せです」106ページ)

そんな「神様がわたしにこうしてくださいました」という証し、今度書きたいと思います。JCCNJの皆さんには、15分バージョンの「キリストに出会ったときの証し」を書いてもらうことになっています。だから、私自身ももう一度書いてみたいと思います。1-2月の宿題です。

昨日の聖書。
昨日はテモテへの第2の手紙の1章を読みました。
「むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。」8節の言葉です。

「福音のために苦しむ」って分るだろうか?
こんな恵まれた環境に生きていて、
「福音のために苦しむ」なんて経験できるのだろうか?

何かぬるま湯の中にいるかのような感じもする。
何でもできて、堂々と語れて、
こんな中で、「福音のために苦しむ」ことはできるのだろうか?

「福音のために苦しむこと」次の課題のような気がする。
楽しい教会生活、楽しい伝道を求めてきたような気がする。
神様に求めながら歩んでいきたいと思う。

主よ、
「福音のために苦しむこと」とは何でしょうか?
教えてください。
そして、それを避けることがないように。
それを手にとって進んでいくことができますように。

2007-01-20

今日はホントにお休み

今日はまだ12時前ですが、思いっきり眠いので、
更新はあした・・・かな?

めっちゃ寒い夜です。

ではでは。

2007-01-19

満ち足りる心

今日は遅くまで集まりがあったので、
お休みします。
ホントはもう12時回っているので。

明日の朝(たぶん)更新・・・。

ではでは・・・

と思ったのですが、やはりあまり眠くなっていないので、今更新。

今朝は起きたら雪が降っていました。
そして雪化粧。2センチくらい積っていたでしょうか?
今年初めての景色でした。
その後、太陽が出てきて、とてもまぶしかったですが、
とても懐かしいまぶしさでした。
やはり冬はこうでなければ・・・と思いました。
もう午前中にほとんど融けてしまいましたが・・・。

今度の雪のチャンスは月曜日ですが、まあ何もないでしょう。
その次は木曜日、その次は火曜日、そして次の土曜日と続きます。
12月から1月前半、全く雪の気配がなかったのとはほんとうに対照的です。

今は夜の1時半で、-1度。
今、ゴミを出しに外に出たら、小雪が舞っていました。
明日の朝は-4度くらいかな。
そして昼間も氷点下で風も強い、寒い日となるでしょう。

今日の朝も、昨日の夜も、自分のキリストに出会った時の「証し」をするチャンスがありました。
何か、その時の話を始めると、心が震えてきて、
喜びが湧いてきて、押さえることができません。
今でも、それから20年以上経っているのですが、
その喜びが自分を支え、自分を生かしていることを感じます。

今、このページを読んでくださっている方々は教会の方々が多いかと思い、
もう、何度もお話ししていることとは思いますが、
またいつか、何回かのシリーズにして、ここにアップしたいかな、と思います。

そして、今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の6章。
この手紙の最後のところです。

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」
6節の言葉です。

10年前は私費の留学生でした。
ですから、貯めたお金を、大切に使うこと、できるだけ減らさないことが大切なことでした。
のんちが働いてできたお金と、借りたお金がかなりの部分でした。
時間を見つけて翻訳をしたり、大学の仕事をしたり、補習校の代教をしたり・・・。
自分で作れるものはほんの少しでした。
そして、奨学金が出ても、自費で支払う授業料が半年で数千ドル単位でした。
ですから、毎月の出費はほんとうに少なかったです。
600ドルだったか、700ドルだったかの寮費(アパート代)がめちゃくちゃ高く感じました。
その前、アトランタにいた頃、またその前、サンディエゴにいた頃、もっともっと、
財布は小さかったと思います。「次のステップに進むために」と必死でしたから。

でも、今、定期的な収入のある生活になって、
一度大きくなった財布はなかなか小さくなりません。
そして、また大きくしようと思ったら、いくらでも大きくなります。

「満ち足りる心を伴う敬虔」・・・どんな感じなのかな、と思います。
口語訳では「信心があって足ることを知るのは、大きな利得である」とあります。

与えられていることを感謝して歩む生活、
そして、「ほんとうに必要なものは主が与えて下さる」という信頼の中での生活。

そこに歩んでいきたいと思います。


2007-01-18

明らかにされる

今日は予想よりも早く、3時頃から小雪が降っていました。
そして予想通り、大したことはありませんでした。
明日の朝まで、大したことがなく終わることと思います。

良かった。

でも、また明日から寒くなります。
風も強いので、寒さ対策は万全に・・・。

今日の朝の祈り会はほんとうに幸いな一時となりました。
御言葉によって支えられたお証を伺うことができて、
「こういう時を待ち望んでいた・・・」と思いました。
ますます、このような交わりが教会の中に広まり、
神様をたたえる賛美があふれますように。

心を開いて祈りの課題を挙げて、祈り合う交わりが広まりますように。

「教会が教会となる」一時でした。

そして今日の聖書。
今日はテモテへの第1の手紙の5章を読みました。

「ある人たちの罪は、それがさばきを受ける前から、だれの目にも明らかですが、ある人たちの罪は、あとで明らかになります。 同じように、良い行ないは、だれの目にも明らかですが、そうでないばあいでも、いつまでも隠れたままでいることはありません。」24-25節。

怖いような気もしますし、
また慰めでもあります。

「自分のほんとうの姿すべてが明らかになってしまったら、どうなるんだろうか?」
という恐れです。でも、いいんでしょう。それでも憐れみによって生かされているのですから、
憐れみによって、主のしもべとならせていただいているのですから。

それよりも、今日心に感じたのは、
どう思われていても、いい。
ほんとうのことはやがて明らかにされるのだから・・・という慰めです。

自分で騒がなくても、
自己弁護をしなくても、
ほんとうのことはいつか明らかにされるのです。
いや、別に今、誤解されて困っていることがあるわけではないです。念のため・・・。

でも、安心していい。
ほんとうのことはいつか明らかになるんだからと・・・。
そう思うと何も怖くなくなります。
ただただ、主に信頼して、
主が導かれる道を歩んでいきたいと思います。

感謝しつつ。

主よ、
今日もあなたの約束のゆえに感謝します。
あなたの御言葉によって支えられているいくつもの人生のゆえに感謝します。
あなたをたたえる証が教会の中にあふれますように。
また心からの願いを祈り合う祈りが教会の中にあふれますように。

2007-01-17

模範となる

今日の朝は-8.4度C。
ほぼ予報通りでした。
昼間は-1.5度まで上がって、
風も収まって、ずいぶん暖かく感じました。

今、真夜中の12時で、-6.7度C。
明日の朝は今朝以上に冷えそうです。

そして、明日の夜の雪の予報ですが、
大したことはない。ことは確かなようです。
降っても2-3センチ。
たぶんそこまでも行かないでしょう。

来週も、月曜日、木曜日、土曜日あたりにそれぞれチャンスはありますが、
全く何もないかもしれません。

今日はもう遅いので、
早速聖書に行きます。

今日はテモテへの手紙の第1、4章でした。
その中で、「ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。」という12節の言葉が心に留りました。

ほんとうにそのようにありたいと思いました。
そして、今日一日祈っていて示されたこと。

今教会堂を取得したいと祈っていますが、
その中で、「必要ならば神様が与えて下さる」と信じて、
またそのように語っています。

でも、教会としてそれを信じるようにと励ますならば、
どうして私個人の私生活、というか、家族の生活の中で、
「これくらい蓄えがないといざというときに困る」とか、
「老後のことも考えなければ・・・」なんて考えるのでしょうか?

私を信頼しなさい、と主は言われます。
「神の国と神の義を先ず求めなさい。そうすればそれらのもの(日々の必要)はすべて添えて与えられます」と言われます。

でも、ほんとうに信じているのは、「蓄え」であったり、
第一に求めているのは神の国と神の義ではなく、「日々の必要」の方だったりするのではないかと。

だから、今、本気で主を信頼するとはどういうことなのか、祈っています。
具体的にそのように生きたいと思います。

主よ、
私に愛をもっと与えて下さい。
私にあなたを信頼する思いをもっと与えて下さい。
あなたを何よりも求めて、あなたにチューニングを合わせて歩めますように。

2007-01-16

temperate, self-controlled, respectable,

今朝起きた時は4度くらい。
でも風があったので十分寒く感じました。

その後、気温はゆっくり下がっていって、
夜になって下げ足を速めています。
今は夜の9時半で-4.3度C。
最低気温は-8度くらいまで下がるようです。
もう少し低くなるかな、と個人的には思っています。

でも、見事に15日を境に寒くなりました。
私は元々1週間以上先の予報は信頼していません。
でも、今回は見事でしたね。

明日は一日中氷点下です。

テキサスのヒューストンも、町の北半分はFreezing Rainです。
南半分も0.5度まで下がってきています。

こちらの金曜日の雪は、降っても学校が休みになるほどではないでしょう。
集会も予定通りできそうです。

最近、不思議なくらい、
「御言葉によって支えられました」「こんなことを神様から教えられました」という声を、
聞くようになりました。
うれしいことです。
日曜日の信仰に導かれた方も・・・。

教会で大きなイベントがあって、多くの方々が喜んで集ってくださる時にも、
皆さんの輝いた顔を拝見するのもうれしいことです。

でも、やはり、何よりもうれしいのは、心が触れ合うようなお話を伺う時、
神様がお一人一人の心に触れてくださったことを知った時。

そういうことのために、私は使命を頂いているのだと思います。

今日の聖書。
今日は第1テモテ3章でした。
今日のところは「監督」の資質と「執事」の資質について書いてあるところです。
「監督」は私たちの教会では「牧師」であり、
「執事」は私たちの教会では「役員」です。

自分が牧師のため、
「監督」の資質について書いてあるところが心に留りました。
特に、2節の「自分を制し、慎み深く、品位があり」の部分です。
日英対訳版を読んでいたのですが、
英語では"temperate, self-controlled, respectable,..."となっています。

ただ、ただ、そのようになりたいと思いました。
それ以上でもなく、それ以下でもなく、
ただ、単純に、品位のある、慎み深い、自分をよく制する者となりたいと思いました。

主よ、
どうか私に品位と慎みと自制とを与えて下さい。
平安と確信の中に慎み深くあることができますように。
あなたと共に歩んでいる平安の中に生きる者であることができますように。
あなたの与えて下さる平安の中に歩むことができますように。

2007-01-15

内なる飾り

今日も予想通り「ちょっと冷たい雨」でした。
それほど降りませんでしたが、
それでもmistyな一日でした。

今は夜の11時ですが、7度もあります。
でも、今夜半からどんどん温度は下がるでしょう。
あと、風も強くなってかなり寒く感じると思います。

明日からは冬です。
次の雪のチャンスは木曜日の夜から金曜日あたりです。

教会の集会がいろいろあるので、降らないで欲しいですが・・・。

あと、こちらも寒くなりますが、
何とテキサスのヒューストンでも、
ice stormのようです。
ダラスくらいならしょっちゅうあるのですが、
ヒューストンは珍しいと思います。
10年ぶりだそうです。
でも10年に1回あるのか・・・。

今日は地域の日本語牧師会がありました。
同じ使命を持った者たちが、
語り合い、励まし合い、祈り合う一時を持ちました。
いつもいつも元気を与えられます。

そして、いつもいつも「もっと話したい」と思うのですが、
あっという間に時間が過ぎていきます。

感謝。

今日の聖書。
今日は第1テモテ2章を読みました。

この8節の言葉はいつも心に留ります。
「男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。」

でも、今日はそれだけではなく、それに続く、女性に対する語りかけを自分への語りかけとして受け取りました。
「同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。」9-10節。

子供の頃、自分のルックスってコンプレックスでした。
「ああ、ああゆうかっこいい友達みたいになりたいなあ」とよく思いました。

大人になって、
一人の妻の夫になると、
これがまた、モテ男ではないことが、助かると言えば助かります。
「イケメン牧師」なるものが存在するのかどうか知りませんが、
ルックスのいい牧師に比べると、いらない苦労がなくて助かります(^^)
「誤解されることが少ない(ない?)」「誘惑が少なくて(なくて?)すむ」という意味で・・・。

だからと言うわけではないのですが、
ここで女性に言われていること、すべての人に言われていることかなと思います。

「外見ではなくて、内側を磨きなさい、良い行いを飾りとしなさい」ということ、

ほんとうに自分の内なる人の美しさ、内なる飾りを身につけたいと思いました。
良い行いという美しさを身につけたいと思いました。

ま、外見も最低の身だしなみはしなきゃいけないんでしょうが・・・反省。

主よ、
私の心を守り、
良い行いという美しさを身につけさせて下さい。
そこに目を留め、そこに心を遣う者とならせてください。
「宝があるところに心もある」とあります。
内なる人を自分の「宝」とすることができますように。

2007-01-14

私を強くして下さる方

今日は予想通り、「ちょっと冷たい雨」でした。
昼間は7度くらい。今は夜の12時で4度。

明日ももうちょっと暖かくなるかもしれませんが、
「ちょっと冷たい雨」が続きます。
そして、火曜日から本格的な冬になります。
それがずーっと続きます。

ですから、これからしばらくは「降ったら雪」という
パターンになるのでは、と思っています。

まあ、今までの経験では2回くらい雪が降ったら、
「もう充分」って思うんですが、どうなることでしょうか?

今日の礼拝もたくさんの方々と共に礼拝を守ることができました。
そして、礼拝の後に、一人の方がイエスさまを受け入れるお祈りをされました。
ハレルヤ!

これからも教会がたくさんの方々がイエス・キリストに出会う場として用いられますように。

今日の聖書はテモテへの第1の手紙の1章です。
このテモテはパウロのもとで、
一つの教会の指導をしていた人です。
その人にアドバイスを送ったのがこの手紙です。

「私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。」12節の言葉です。

主は「私を強くして下さる方」です。
私も根性なしですから、
この方なしでは、マジでここまで来ることもなかったでしょう。
周りの人の顔色ばかり気にして生きてきたでしょう。

でも、今は「私を強くして下さる方」を持っているのが、
ほんとうに大きなことだなあと思わされます。

勇気を持って決断をすることができます。
大胆に進んでいくことができます。

ピリピ人への手紙には、
「私を強くして下さる方によって何事でもすることができる」
と書かれています。

そうだなあ、と思いながら、
この言葉は一つ一つの出来事に出会っていく中で、
「ほんとうだなあ」とほんとうの意味が分ってくるのだと思います。

「私を強くして下さる方」を知っていくことのできる1週間となりますように。

神様、
あなたに感謝します。
あなたが私を強くして下さること、
私に勇気を与えて下さること、
私にチャレンジする力を与えて下さることに感謝します。
でも、言葉だけではなくて、
経験として、「私を強くして下さる方」としてあなたのことを
感じることができる1週間を与えて下さい。

今日、あなたを受け入れて、
新しい歩みを始められた方に、
主の守りがありますように。

2007-01-13

兄弟として

今日はかきごおり予報は外れて、
「暖かい雨」になりました。

昨日の夜は真夜中に2度くらいになった後、

その後はどんどん温度が上がっていったようで、

今日の昼間は12度を超えていました。



夜になっても、昨日よりも暖かい夜です。
今も7度くらいあります。

北に50キロどころか200キロくらい行った、

Albanyでは氷点下に下がってきていますが、

ちょっと北に上がっただけのCatskillあたりでは
まだ2-3度あるみたいですね。

でも、そこら辺もどんどん冷たい空気が入ってきているようです。


明日は、ズバリ、
「ちょっと冷たい雨」でしょう。

ずばり、と言うわりには「ちょっと」というアバウトな言葉が入りますが、

2-4度くらいで降る冷たい雨ではなくて、6-7度で降る、

絶対、雪やみぞれになり得ない、雨です。


月曜日の夕方、雪に変わるか、ですが、

たぶん、冷たい空気が入ってくる前に雨が上がってしまうのではないか、

と思います。


ですから、今回も雪はなし、ということで。


さて、今日、車の中での息子との会話。


息子の言葉・・・

「なかなか自分で勉強するのは難しいよ。先生にやれと言われると、やる気になるんだけど」


瞬間的な自分の心の中の反応・・・

うーん、「やれと言われたら、やる気になる」というだけでも、ありがたいのかなあ。

まあ、言う人が「親」じゃなくて「先生」というのがミソなのかなあ。

でもなあ、ずっと「自分で考えて決める」ように教えてきたつもりだったんだけどなあ。


でも、自分はどうだろうかと考えた・・・

確かに、自分も他人に言われると「そうだなあ、やんなきゃなあ」と思うし、

やろうと思っていることを言われると、

反抗期の子供のように「カチン」と来たりすることもあるけど、

でも、最終的には、やっぱり「そうだよ、やっぱりやらなければ!」と思う。

気がつかなかったことだったら、「自分では見えてないこともあるんだなあ」と反省する。

言われてやる気になることもたくさんある。言われて見えてくることもたくさんある。


だったら、自分もはっきりと言っていく人間になろうと思いました。

あんまり言わないできたところがあったことを反省させられました。

よかれと思って言ったことに反対の反応が返ってきた時にも、

言わなければいけないと思って言って、きつい反撃が返ってきた時にも、

「言わなければ良かった」なんて、子供みたいに思っていないで、

忍耐を持って祈り、語り続ける者でありたいと思いました。


ですから、皆さん、聖書を読みましょう。

これを読んだら、その場で、日曜日の礼拝のために祈って備えましょう。


で、今日の聖書です。

今日は第2テサロニケの3章です。


「もし、この手紙に書いた私たちの指示に従わない者があれば、そのような人には、特に注意を払い、交際しないようにしなさい。彼が恥じ入るようになるためです。 しかし、その人を敵とはみなさず、兄弟として戒めなさい。」14-15節。


これはとても難しいことだと思いました。
問題を起す人がいた時に、
「兄弟」として見るよりも、「敵」として見る方が簡単だからです。
ほんとうに愛が必要だと思いました。
そう、敵としてみてしまう時、その人を愛することよりも、
その人が悔い改めて主に従うことを望むよりも、
自分を守ることの方に重心が置かれてしまうからです。

「あなたが語ろうとしている人々は、あなたが恐れるべき人たちではなく、あなたが愛するべき人たちなのです」というある牧師の他の牧師達への言葉を読んだことがありますが、ほんとうにそれが大切なんだと思います。

結局のところ、愛すること。

恐れるのではなく、愛すること。
逃げるのではなく、愛すること。

主よ、
私を人々への愛で満たして下さい。
恐れではなく、愛でいっぱいにして下さい。

明日の日曜日、
明日の礼拝の中で、
あなたが確かにそこにおられること、
私たちと共にいて下さることを、
示して下さいますように。

2007-01-12

あらゆるよいわざとことば

今日の朝は昨日の夜よりも暖かくなり3度くらい。
昼間もまあまあ暖かかったです。
ちょっと雨もパラパラ降りましたし、
結構どんよりしていましたよね。

明日から月曜日までは雨です。
みぞれや雪が混じることは、どうかな?
今も夜の9時過ぎですが、4.2度です。
これくらいの気温がずっと続くようです。

北から下がってくる寒気がどれくらい強いか、によって、
変わってきます。今のところ、北に50キロくらい上がると、
みぞれ交じりになるようですね。

この時間で、今出されている、明日の朝の最低予想よりも、
温度が下がってきているので、
予想よりも温度が下がって、みぞれ交じりになったり、
ice stormになる可能性もまだありますね。
要注目です。

このice stormはコワイです。
今日の朝はカンザス州では19度Fで雨だったそうです。
19度Fは大体-7度Cです。
普通は雪でしょう、その気温では。
でも、雨が降ったそうです。
相当その冷たい空気の層が薄かったんでしょうね。
地表何百メートルだけ氷点下で、
上の方は暖かかったのでしょう。
冷たい空気は下にたまりますから。

で、地面についた瞬間にsheet iceになります。
アイススケートのリンクができるわけです。

こちらでは、よく、つるーっとすべっている車の映像が出たりしますが、
ほんとうにスケートリンクなんです。

すべるぞすべるぞ、と気をつけながら歩いても、
転ぶんですねえ。

あ、受験生のみなさん、すみません。

今日はこれから教会で深夜祈祷会なので、行ってきます。

で、今のうちに今日の聖書。
今日は第2テサロニケ2章。
今日も最後の祈りの言葉が心に留りました。

「どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。」16-17節

「あらゆる良いわざとことばとに進むように」

とありますが、これはまた私自身のための祈りです。
昨日と同じように、「私は何を祈っているだろうか」と考えました。
教会に多くの人々が来られることを祈っています。

でも、そこに集う人々、自分を含めて、私たちが
「よいわざとことば」に進むように祈ってきただろうか、
そのように思わされたのです。

何か、祈りが偏っていなかっただろうか?
祈りの焦点がずれていなかっただろうか?
外側から見て分る成功、人数的な成長の方ばかり見ていなかっただろうか?
そちらの方ばかり祈っていなかっただろうか?
一人ひとりが主にあって整えられていくこと、
一人ひとりが「良いわざとことば」に進んでいくことを祈ってきただろうか?
問われました。

主よ、
教会のために祈ります。
人数が増えることよりも、
ぴったりの会堂が与えられることよりも、
活気にあふれることよりも、
聖書にあるように、
「良いわざとことば」に進むことを祈ります。
一人ひとりをきよめ、整えて下さい


2007-01-11

何を祈るか

今朝は-5.1度Cまで下がりました。
久しぶりなので、やたら寒く感じます。
でも、このあたりの1月11日の平均の最低気温は
-7度ですから、これでも「平年よりも高い」ということになってしまうわけです。

これが「平年より低い」となるのはいつ頃かというと、
今のところ、来週の半ばから後半になるようです。

今はちょうど0度くらい。明日の朝まで、気温は大体0度くらいのままのようです。
そして、昼間は今日よりは暖かくなるようです。

あと、この週末は雨模様なんですが、
その雨が、2-3日前までは「暖かい雨」の予報だったのですが、
昨日あたりから、「冷たい雨」「みぞれ交じり」「最後(月曜日の夜)は雪に変わる」
なんて、予報まで出てきています。
寒気が前の予想よりも南に降りてくるのが早いようです。

お気をつけて。

今日は新年初めてのキッズクラブ。
20数名の仲間が来てくれました。
工作も、お話もみんな一生懸命。
楽しかったです。
みんなの楽しそうな姿にこっちも元気が出てきます。

来週はまたたくさんになりそうな予感がします・・・。
楽しみです。

で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙第2の1章です。

今日はこの最後の祈りの言葉が心に留りました。
「そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。」11節の言葉です。

ここのところよく思うのですが、
聖書の中で、パウロが「祈っていますよ」と言う時に、
それは「病気が治りますように」「仕事がうまくいきますように」「みんな元気で過ごせますように」ということではなくて、「あなたがたの愛が成長しますように」とか「神に喜ばれる者となりますように」とか、そういうことなんですね。

もちろん、困難を覚えている方のために、
病気の方のために、
仕事を探している方、
将来共に歩んでいく伴侶を求めている方、
それぞれ、具体的においのりします。
それは祈ったらいいと思うのです。

でも、それだけを祈って、パウロが祈ったようなことを祈らなかったら、
それは本質的なことを見逃しているのではないかと思ったのです。

もっともっと教会のお一人一人の信仰のために、
信仰の成長のために、お祈りすることが大切なんだと思います。
もっともっと、教会のお一人一人の健康や仕事のことよりも、
その信仰のことを心にかけることの大切さを思わされます。

主よ、
どうか私の心にある一人ひとりの
信仰を守って下さい。
お一人一人の愛と喜びにあふれて歩みことができますように。
闘いの中、苦しみの中におられる方々のためにお祈りします。
その苦しみを取り除いて下さい。
でも、それよりも、何よりも、その苦しみの中でも、
あなたの愛を知り、あなたの使命に歩んでいくことができますように。

2007-01-10

目を覚ましていなさい

今朝は思ったほど冷えないで-0.4度。
だから朝は楽でした。
帽子がなくても大丈夫。

でも、その後、NYでは雪が舞ったそうで、
夕方からどんどん冷えてきました。

我が家の庭の温度計は
昼間の最高気温は2.6度。
夜の11時で-2.5度C。
明日の朝は-6度くらいまで行くのではないでしょうか?

プチ冬です。
でも、また週末は暖かくなるようです。
そして、雨が降って、その後、
いよいよ来週。
ホンモノの冬がやってくると天気予報の世界では騒がれ始めました。

シベリアの寒気が北極を通ってカナダからアメリカに流れ込むようになる、
というシナリオができつつあるようです。
ですから1月後半から2月は寒くなるみたいですよー。
覚悟しておきましょう。

夜うちに帰って、
手紙を整理していると、
ん?なんだ?という郵便物が一通。

World Visionというクリスチャンの援助団体の手紙です。
4つ折りになっているだけの、封筒も何もない、カード。
私たちの教会でサポートしている国際飢餓対策機構と同じように、
飢えで苦しんでいる人々の自立を助けたり、
子ども達の教育のためのサポートをしたりする団体です。
ですから、別にそこからダイレクトメールが来ても別に不思議ではありません。

でも、どこを見ても、
我が家の住所も、家族の名前も何にもないんです。
よく知らない人の名前が・・・
良くある誤配かなあ、と思いました。

で、どこのうちに届ければいいんだろう?と思って、よくよく宛先を見ると・・・

町の名前はMaleny?

・・・オーストラリア!

消印は・・・2006年10月22日・・・しかもスペイン語!

うーん、差出人は・・・

World Vision "Ha
ïti"
(1個目のiは点が二つ)

・・・ハイチ?(英語っぽく言うと、ヘイティ)

宛先の名前も「かきごおり」とは似ても似つかぬ「バランタイン」さん。

そして、これは決してダイレクトメールではなかったのです。
中にはオーストラリアのバランタインさんから援助を受けて勉強をしているハイチの子供が一生懸命書いた絵が描かれていました。
ジョリーちゃんという子です。

今までの2ヶ月半の間、この郵便はどこをどう渡ってここまで来たのでしょうか?
カリブに浮かぶハイチから、
オーストラリア行きの郵便が、
アメリカのニュージャージーに?

そして、どうして、Paramusの郵便屋さんはこの郵便を「かきごおり」家の郵便物に紛れ込ませたのでしょうか?うーん、謎だ。

でも、一つだけ分っていることがあります。
それは神様が私とバランタインさんをつなげたくて、
この便りを使ったということ。

バランタインさん宛に手紙をつけてお送りしたいと思います。
その手紙はきっとバランタインさんに届くと思います・・・たぶん。
届かなくて、また他の誰かが受け取って、
それを読んで、輪が広がったら、それはそれでまた楽しいかな、と。

不思議な出会いに感謝しつつ。

でも、うちの出した手紙も、そんなことになっていることがあるんだろうなあ、と思うと、
ちょっと心配。

で、今日の聖書。
今日は第一テサロニケ、5章でした。
たくさんいい言葉があるのですが、その中で心に留ったのは、
「目をさまして、慎み深くしていましょう。」6節です。

眠っていると、イエスがもう一度来られる時、慌てるだろう。
でも、目を覚ましていれば、いつイエスが来られても大丈夫、
喜んで迎えられるだろうというのです。

最近よく思わされるspiritualなsensitivityのことだと思いました。
spiritualにsensitiveでありたいと思いました。
何が起っているか分らない、
なんでもいいような気がする・・・というのではなくて、
spiritualに鋭い感性を持つ、というか。

表面的なことに捕らわれない、
深いところを見極める感性を磨きたいと、
磨いて頂きたいと、
教えて頂きたいと、
そのように思いました。

主よ、
どうか、あなたの見方で、回りを見ることができますように。
見極めることができますように。
spiritualなことにsensitiveな者となれますように。
目を覚ましていることができますように。

明日のキッズクラブのためにも祝福を注いで下さい。

2007-01-09

神に喜ばれる歩み

今朝は氷点下1度。
昼間も6.6度止まり。
ちょっと冬らしかったです。
でも、小雨も小雪も降らずじまいでした。

今は午後10時過ぎで0.6度C。
明日の朝は-4度くらいまで下がると思います。
明日は1か月ぶりにNYの日なので、
朝が寒いのはちょっとイヤかな。
結局帽子も買ってないし・・・。
ちょっと明日NYで見てみようか。

昨日まで1ガロンで$2.23とかしていたガソリンが、
うちの近所では一斉に$2.19とかになりました。
昨年11月頃だったか、一瞬2ドルを切ったのですが、
その後ちょっと上がって高値安定中だったのが、
最近いい感じで下がってきています。
でも、夕方車でMidland Parkを走っていたら、
何と、$2.05のスタンドが3つ。
すごい!と思いましたが、
急いでいたので、ガソリンは入れられませんでした。
でも、どうしてでしょうかぁ?
7%くらい安いわけで・・・。
ちなみに、
www.newjerseygasprices.com
を見ても、何とNJで一番安いではありませんか。(1月9日夜現在)
いわゆるメジャーなブランドではありませんが、
変なモノ入っていないでしょうし、
うーん、今度入れてみよう。
是非是非、もっともっと下がって欲しいですね。

で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙の第1、4章でした。
心に語られたことは、
1-7節の言葉。
神の喜ばれるような歩みをしなさい、
きよい歩みをしなさい、ということです。

「神が私たちを召されたのは、汚れを行なわせるためではなく、聖潔を得させるためです。」7節。

ほんとうに主の守りと主の励ましが必要だと思いました。
このこと一つ取っても、
「あなたがたは私を離れては何もできないのである」
というヨハネによる福音書15章の言葉を思い出させられます。

私自身が自分の身を、また心をきよく保つことができるように、
そして、教会の一人ひとりが守られるように、
祈らされます。

主よ、
今日も、私の身を守って下さい。
そして、教会の一人ひとりの身を守って下さい。
多くの誘惑から守って下さい。
どうか、きよく歩めますように。
過ちに陥っている人がいるならば、
そこから抜け出すことができますように。



2007-01-08

苦難の中で

今日は朝は暖かで9度もありましたが、
昼間は温度は上がらず、
日が暮れてからは、太陽の暖かさもなくなり、風も出て、
「寒い!」って感じになってきました。

それでも夜9時半で3.4度。この季節としては暖かい夜です。
明日の朝もぎりぎり氷点下、くらいでしょう。
そして、明日からあさってにかけては冬らしい感じになりそうです。
小雪も舞うかもしれません。

でも、金曜日からはまた暖かくなって週末は雨。
来週は今度こそは!という感じで、冬になるんじゃないでしょうか?
15日が境目、という年初からの予想は当たりそうです。

新年のメールやお便り、お電話をいくつか頂いている中で、
今日は、数年前に肝臓移植をされた方とお電話でお話ししました。

大変な病でアメリカでの移植を受けて生還されたのですが、
移植後の3年前には日本でお会いすることができました。
その方が生還された背後には、命を失われた方がおられるわけで、
その事実を担って生きることの重さもどんなにかと思いますが、
でも、ほんとうにその方が健康な肝臓を受け取られた時に、
出てくるようになった力。
それはものすごいモノだと思いました。
肝臓ってほんとうに大切なんですね。

でも、その3年前の再会の時、
もしも、自分に何かが起きて、
臓器は大丈夫だけれども、もう命は助かる見込みがない、
ということが起ったら、
ほんとうに役に立てて頂きたいと思ったことを思い出しました。

そして、さっき、改めて運転免許証を見ました。
昔は免許証の裏に提供したい臓器にチェックをする欄があったんですが、
今はないんですね。
でも、私の場合は、しっかり表側の一番下に、
ORGAN DONERと書かれています。
はっきり覚えていないのですが、
免許を取る時にチェックするんでしたっけね。
そうそう今月4年に1度の更新ですから、確認しておこうっと。

そんなことで、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への第1の手紙3章を読みました。

どの言葉というのはないのですが、
苦難の中を通っていたテサロニケの教会の人々が、
大丈夫だろうか、というパウロの心配をよそに、
愛と信仰にあふれて歩んでいたということにほんとうにはげましを頂きました。

私も牧師として歩んでいる中で、
苦難の中におられる方々について、ほんとうにいろんな心配が湧いてきます。
大丈夫だろうかと、神様を見失ってしまうことはないだろうか、
この苦難に飲み込まれてしまうのではないかと心配になる時もあります。
でも、苦難の中で、信仰が深められる、信仰が強められている姿を拝見すると、
そんなお証を伺うと、ほんとうに主は必要な助けを与えて下さるんだなあ、
と思わされます。

でも、やはり祈らされます。
苦しみの中にある人々に一番近くあって下さる主が、
その方に見えますように、と。

私自身の中にも、
戦いの中にある人々の痛みがわかる愛を与えて下さい、と。

主よ、
今日も、苦難の中にある方々を助けて下さい。
その方々とあなたが一番近くにいて下さることに、
お一人一人の目を開いて下さい。
御言葉を語ってください。
御言葉によって生かしてください。
私にも愛を与えて下さい。
あなたが持っておられる愛を、私にも与えて下さい。

2007-01-07

御言葉が人のうちで働く

今日は昨日までに比べるとずいぶん普通になりました。
最高気温は分らないのですが、朝は5度。
今も雨が降っていますが、温度は6度くらいです。

明日からも東京の冬くらいの感じだと思います。

1週間先、2週間先の予報を見ると、
「snow」の文字がちらほら見えるようになってきました。
火曜日の夜はちょっと雪が混じるかもしれません。

今日の礼拝、やっぱり元気になって礼拝にでれるというのはめちゃくちゃうれしいことです。
それ故に、「今日も体調が悪く礼拝にでられません」という方からの連絡には
ほんとうに心から祈らされました。
主の守りと慰めと、そして癒やしがありますように。

今夜は、昨日の夜、日曜日の準備のために祈っていて見なかった、
「のだめ」の最終回の録画を見ました。
いやあ、楽しませて頂きました。

一番よかったのは第8回のブラームスの1番かなあ。
大好きです。
第4楽章にトロンボーンのコラールがあるから、特別です。
そのコラールのテーマが、最後の最後で、
オケ全体で再現されますよね、
それがまたしびれます。

見ながら、自分が高校生の時、オケをやっていた時のことを思い出しました。
オペラのピットオケで、トロンボーンなんか「押さえて押さえて・・・」の連続でしたが、
みんなで一つの音楽を作り上げることの楽しさを、ほんとうに感じました。

でも、思い出してみて、今までで一番音楽を作り上げる楽しさを感じたのは、
今から13年前のクリスマス。
アトランタのノークロス教会で過ごしたタダ一回のクリスマス。
教会のほとんど全員、20人くらいで聖歌隊を作って、音楽をやったこと。
確か、中学生の時は別として、
前にも後にも指揮をしたことはあの時だけだったかなあ。
音楽的には何もないんですが、
でも、ほんとうにみんなで楽しく曲を作り上げていきました。
そして、みんなが音楽をする喜びだけではなく、賛美をする喜びを経験して下さったことです。

賛美する喜び。
JCCNJの皆さんもそこに目が開かれていきますように。

さてさて、今日の聖書。
今朝はテサロニケ人への第1の手紙の2章を読みました。

「この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。」
13節の言葉が心に留りました。

神の言葉が信じる者たちのうちに働く。
ものすごい励まされました。
神様の言葉が一人ひとりの内側に働いて、
その人のうちで実を結んでいく。

私の使命はそれを語っていくこと、それを伝えていくこと、
御言葉自身に力があって、
御言葉自体が働いて、
人を造りかえ、
人を生かしていく。

それを見せて頂くことができるのはどんなに大きな祝福だろうか?

正直なところ、
今日の礼拝の説教がどのように伝わっていくか、心配だった。
でも、礼拝直後に、どのように語られたかを伝えて下さった方がいた。
ほんとうに感謝した。
私が心配することなんて必要ない、
御言葉自身に力があって、
一人ひとりの心の中で働いていく。

それを信頼してこれからも語っていく者でありたい。

主よ、
御言葉をありがとうございます。
御言葉の力を感謝します。
御言葉の力を信頼します。
御言葉が聞く一人ひとりのうちで働いて、実を結んでいきますように。
私は、ただ、単純に、忠実に、誠実に語る者であることができますように。

2007-01-06

言葉だけではなく

今日はほんとうに暖かな一日でした。
22度を超えました。
ほんとうに春でした。
チューリップの芽も出ていました。

でも、ここまで暖かいのは今日限り。
明日は10度ちょっと、
月曜日は10度以下、
火曜日には5度くらいだそうです。

でも、それでやっと平年並みです。

明日は気持ちのいい一日でしょう。

一週間、きつかったので、
ここのページもあっさりと終わっておりましたが、
来週からはまたいろいろ手を広げようか・・・などと考えておりますが、

今日は土曜日、とにかく明日の礼拝のために祈っております。

あと、JOYJOYキッズクラブのための工作・・・あっ「ひみつタイム」用なので、
秘密なのですが、それをやっておりました。楽しいですよ。

で、今日の聖書。
今日はテサロニケ人への手紙の第1、1章です。

「私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。」5節の言葉です。

単なる言葉ではない、それを超えるものを伴ったことば。
明日の日曜日の礼拝の説教のことを思わされました。
単なる言葉ではなくて、力と聖霊と強い確信を伴ったメッセージを語ることができますように。

でかい声を出さなくてもいい、
講壇を叩かなくてもいい、
主にある平安と確信にあふれて、
大胆に語らせて頂きたいと思います。
聖霊様が、その場で豊かに、力強く、暖かく、激しく、
働いて下さいますようにと願います。

神様、
あなたが明日のJCCNJの礼拝にあふれて下さい。
満ちあふれて下さい。
そして、御言葉がいのちと力を持って、
一人ひとりの心に届きますように。
私を用いて下さい。




2007-01-05

御言葉を語れますように!

いやあ、今日の集会のうちにガンガン回復して、
やっとほぼ100パーセント宣言。

元気になりました。
お祈りに感謝します。

で、今日はまた暖かかったですね。
朝は7.5度くらいでしたが、
雨の中ぐんぐん温度が上がり、15度を超えました。
NYでは桜が咲いているとニュースで言っています。

今夜の集会では、「ぼけ」の花が咲いたと、ある方が持ってこられました。
「ぼけ(木瓜)」ですが、東京あたりでも2月とか、3月とかですよね。
明日は雨も上がって20度くらいまで上がるでしょうから、
もう、完璧春ですね。
いろんな花が咲くことでしょう。

でも、あさってからは下降線です。
火曜日あたりは冬らしい日になりそうです。

さてさて、今日の聖書です。
今日はコロサイ人への手紙4章でした。
心に留ったのは、まさに集会に行く前に書いたことと同じ言葉。
「また、私がこの奥義を、当然語るべき語り方で、はっきり語れるように、祈ってください。」
4節の言葉です。

これは私自身の言葉でもあり、祈りでもあります。
「当然語るべき語り方」
ほんとうに確信を持って、
人におもねるのではなく、
主の願われるように、
主が語ってくださったとおりに
人々に語ることができますように。

そして、そのことができるように、
自分が祈るだけではなくて、
多くの人々に祈って頂かなければと思う。

誘惑から守られ、
みことばに養われ、
恐れから解放されて、
主の御言葉を語ることができるように、どうか祈ってください。

主よ、
どうか、私が明日も、あさっても、
大胆にあなたの御言葉を語ることができるように、
守ってください。助けてください。力を与えて下さい。
明日のために、
そして日曜日の礼拝のために、
あなたの守りを与えて下さい。

めきめき回復中・・・

今日は30パーセントの低空飛行からの出発で、
現在、夕方の5時で75パーセントまで回復。
これからまた集会です。

めきめき音をたてながら回復しています。

日曜日のためにお祈りしてください。

牧師のために祈る→牧師が霊的に整えられてご用ができる→一人ひとりが主に語られる→教会が安定する・元気が出てくる・・・といい風が吹きます。

もちろん、
牧師がみんなのために祈る→みんなが主によって整えられて支えられる→祈ろう、恵みを分ち合おう、という空気があふれてくる→教会が安定し・元気が出てくる・・・といういい風は私の責任ですね。

ではまた深夜に1日1章はアップということで・・・。

2007-01-04

天を見上げて

今朝も予想よりもちょっと冷えて-0.6度C。
病み上がりで学校に行く息子を乗せようと思って、
車を見ると真っ白に霜が降りていました。

でも昼間は12.5度まで上がり、春の陽気。
集会でも「このまま春になればいいのに」という声が・・・。

たぶん、そうはいかないでしょうがね。

今、午後8時過ぎで7.5度。
今夜も穏やかな夜です。
そして、今夜は曇ってくるので、気温もこれ以上余り下がらないでしょう。

明日は雨。
暖かな雨でしょう。
土曜日は雨も上がり20度近くまで上がるみたいです。
ガハハ。春ですねえ。

今日はさっそく聖書。
今日のところはコロサイ人への手紙3章でした。
「あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。」
2節の言葉が心に留りました。

「地上のもの」というときに、さすがに、「経済的なこと」「モノ」に対する執着はありません。
でも、それが、名誉だとか賞賛だとか、そういうものになると、どうかなと思います。

ほんとうにどこまで
「この世で認めてもらえなくても、神様が天国で受け入れて下さればそれでいい」
と思っているだろうか、問われたように思いました。

ただただ、天において与えて下さるモノだけを見上げながら、
この地上で誤解されたり、受け入れられないことがあっても、
ただただ愚直に御言葉をストレートに語っていきたいと思いました。

主よ、
あなたの御言葉を与えて下さい。
そして、あなたの御言葉をストレートに語る者であらせてください。
明日の集会も守り導き、
あなたのことを証しすることができますように。

また、50パーセントくらいに落ちてきてしまっているので、
今日はもう早く休んで、明日に備えます。
お祈り下さい。

2007-01-03

キリストに繋がる

今朝は-2.9度まで下がりました。
もちろん、今年に入って最低。
でも今晩はもう9時半ですが、気温は6.5度もあります。
昼間も10度を超えました。

明日はもっと暖かくなるでしょう。
そして、その後は雨。暖かい雨。
ですが、その後週末からはだんだん気温は下がり傾向。
そして15日以降はやはり冬らしくなるのでは・・・。

ちょっとおもしろくなりそうです。

元旦礼拝の後、2日間教会の集会はスローペースだったので、
助かりました。
明日からはフルスロットルで走り出します。

午前中は家庭集会、
夕方はキッズクラブのための作戦会議です。
楽しみです。

金曜日も朝と夜に集会。
土曜日も朝の6時半から祈り会です。

あっという間に日曜日になってしまいそうです。

今日の聖書はコロサイ人への手紙の2章です。

心に留ったのは、ちょっと長いですが、

「あなたがたは、ことさらに自己卑下をしようとしたり、御使い礼拝をしようとする者に、ほうびをだまし取られてはなりません。彼らは幻を見たことに安住して、肉の思いによっていたずらに誇り、かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。」18-19節

という言葉です。

「幻を見た」という人がいたら、
ああ、その人は信仰深いんだろうなあ、と思うでしょう。
でも、ここを読むと、必ずしもそうではなくて、
そこに安住して、傲慢になって、キリストに繋がることをしなくなってしまうこともあるというのです。

逆を言えば、その様な特別な経験が大切なのではなくて、
キリストに繋がっていく、へりくだって、教えられていくことが大切なのだ、ということなのでしょう。

日々、聖書を読むこと、
祈ること、
それによって生かされていくことの幸いを思わされます。

でも、それだけではないのかなあ、とも思わされます。
たぶん、人を大切にして生きていくこと。
人と共に歩んでいくこと、
その中で教えられることもたくさんあるでしょう。
私たちは仙人ではなくて、
人の中に生かされている者です。

キリストに繋がること・・・
その意味をもっともっと教えて頂きたいと思います。

主よ、
特別なことはなくてもいいです。
ただ、あなたに繋がって生きることをもっともっと経験させてください。
ああ、主に繋がっているなあ、という実感を持って歩ませてください。
明日の集会に、
あさっての集会に、
集う方々にも、「ああ、ここには確かにキリストに繋がるものがある」と
わかるような、そのような香りを満たして下さい。

2007-01-02

キリストにある成人

朝は80パーセントでしたが、
その後は50に落ちたり、80に戻ったりで、
「もう一晩寝れば、大丈夫かな」という感じです。

おかしくなってから36時間くらいで、
ものを食べようという気持ちになっていますから、
回復の早い方でしょう。ありがたいことです。

今日の最高気温は8.1度。
今、午後8時半で、1.1度まで下がっています。
今夜は氷点下でしょうね。

そして、明日、あさってと春のような日が続くみたいです。
不思議なもので、1月中に寒くないと、何か変ですよね。
2月になってから寒くなったりもするんですが、
そのころにはもう日が長くなってきていて、
「身にしみる」寒さではないように思います。

今、天気予報の世界では、
「いつ頃からアメリカ東部が冬らしくなるか」という話が
盛り上がっていますが、
早くても15日くらいだそうです。

さて、今日の聖書。
今日はコロサイ人への手紙の1章です。

心に響いてきた言葉は、
「それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。」28節
です。

聖書の中には「子供のようになりなさい」という言葉があります。
そして、男である私は「永遠の少年」を公言してはばかりません。

ですから、この言葉はものすごく新鮮に響きました。
「キリストにある成人」。
神に対して子供のように信頼しながら、
でも、「キリストの形なるまで成熟していく」ということを
神様は私たちに計画して下さっているのです。

私もその様な円熟した働き人になりたいと思いました。
人を大切にすることにおいて、
配慮をすることにおいて、
成長させて頂きたいと思いました。

そして、それが「すべての人を」というところにも心が留りました。
「この人はこういう人なんだ」と決めつけてしまうのではなくて、
一人ひとりが主にあって円熟させて頂けるように、
祈っていくことの責任をも感じました。

主よ、
私をキリストにあって、
円熟したもの、成熟した者にならせて下さい。
人を大切にし、人に配慮できる者としてください。
無理にではなく、自然にそれができるような愛をあふれさせてください。
そして、教会の一人ひとりの中に、同じことを成就してください。
「すべての者」たちがそれを経験できますように。

今日も、弱さや痛みの中にある人々を助けてください。

考えも及ばない様な平安

2日の朝になりました。
いやあ、昨日はきつかった・・・。

今朝起きたら80パーセントまで回復しています。
もう、ちょっとペースダウンしながら通常の生活が送れます。

お祈り下さった皆さんに感謝します。

健康が与えられているってほんとうに大きなことなんですね。
病の中におられる方々のことを覚えてもっともっと祈りたいと思いました。

今朝起きたら、気温は6度くらい。
そして、今日は晴れ!
でも、気温は10度以下みたいですね。
暖かいのに慣れてしまっている体にはちょっと寒く感じるかもしれません。

これから数日の予想を見ていると、
大体昼間は10度以上ですね。
去年の1月も「暖かかったぁ」という記憶があるのですが、
これほどではなかったようで・・・
ありがたいことです。スキー場の皆さんには申し訳ないですが・・・。

ということで、今のうちに昨日の分。
昨日はピリピ人への手紙4章でした。

「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」ピリピ4:6-7

この言葉は、昨日の朝、ベッドの中で「気持ちわりー」とうめきながら、「このままでは礼拝の講壇に立てるか」と心配していた時に、ここに響いてきた聖書の言葉です。礼拝の中でもご紹介しましたし、また通読の箇所でもあったんですね。

とにかく祈りに導かれました。
「神様、今日の礼拝を守らせてください」と。
そしたら、「大丈夫だ」という思いが与えられました。
もちろん、「そうだ、大丈夫だ!」と起きあがると、
「やっぱりダメだぁ」となるんですが、
「大丈夫、神様何とかしてくださるよ」という思いは最後まで変わりませんでした。

主よ、
あなたの与えて下さった平安のゆえに感謝します。
これから、私が歩んでいく道で、
大きな困難であなたにこのように祈る時があると思います。
どうか、その時に、この御言葉の平安をまた味わわせて下さい。

今日も、体の弱さを感じ、
教会に行きたくても、
行けないでいる方々の心に、あなたの慰めを与えて下さい。

2007-01-01

あけましておめでとうございます

新年になりました・・・が、
新年になって4時間後、目が覚めて、
それから上へ下への大騒ぎ。

やっとここに座れるくらいになりました。

「何とか礼拝のご用は穴を空けませんように・・・」と祈っていました。
そう、今年は

「わたしの家は祈りの家」というみことばに立っていこうと思っていたし、
また昨日の聖書の箇所でも、苦しみの中で、
苦しみを呪うのではなくて、
復活の力を知らせて頂くために用いて頂くことを書いたので、

祈らされました。

そして、何とか、説教を終えて、
速攻で帰宅。

吐き気止めでなんとか、収まっています。

一日一章は明日からかな・・・。
今日はピリピ4章でした。

ではでは。
今年もよろしく。

2006-12-31

キリストの苦しみにあずかる

今日も、穏やかな日でした。
今、夜の9時ですが、
5度くらいあります。
でも今夜は雨。
新しい年のスタートは雨になりそうです。

今年の1月の分を読み返してみると、
去年の大晦日は雪が降って、
暖かい1月だったようですが、
それでも、何回か雪が降ったりしたようです。

この12月はほんとうに暖かかったです。
そして、この暖かさが1月も続くようです。

助かります。

でも、やっぱりちょっと寂しいところもあります。
冬は冬らしくないと・・・。

1年を振り返ってどんなことがあったかなあ、と思い出していました。
一つ一つの出会いにほんとうに心から感謝。
1月にはまだ出会っていなかった人たちの中からも洗礼を受ける方が起されたり、
もう出会っていたけれども、まだ信仰をもっていなかったけれども、
今はバリバリのクリスチャンの方もあり。

ほんとうに不思議だなあ、と思います。

そして、とてもうれしかったのは、
3人の子ども達が、今回のバケーションの行き帰りの車の中で、
3人並んで座って、じゃれ合っていたこと。

今まで、一人っ子を3人育てているような気分でいました。
ケンカにもならないのですが、
あまり兄弟で遊んだりしている光景もありませんでした。

15歳の男、12歳の女、5歳の女で、みんな見てる方向が違ったんですね。
それでしょうがないと思っていました。

でも、長男が成長したのか、
はたまた、下の2人が成長したのか、
今回は3人がケラケラ笑い合っているのを見て、
とてもうれしかったです。
これはほんとうに感謝。

個人的に自分のことで、ちょっと心配しているのは、
short memoryがひどくなっていることかな。
牧師としてはかなりまずいよな、ってくらい忘れていることがあります。

時には言われて「ああ、そうだった・・・」という時もあるのですが、
時には言われても「え、そうだったっけ?」みたいな時もあります。

脳の中のどこかの引き出しに入っているんだけど・・・
ということもあれば、
え、そんなのあったっけ?ということもあります。

自覚症状がない方がいいのか、ある方がいいのか、
分りませんが、とにかく心配しながら、
受け入れることも必要か、と思いはじめています。

やっぱりもっとメモをとることが大切ですよね。
高校生の頃の記憶力を今でも持っているつもりでいることが大体間違いなのかな?

さて、
今年最後の聖書。

今日はピリピ人への手紙3章を読みました。

「キリストの苦しみにあずかることも知って・・・」10節の言葉です。
苦しむことはあんまり好きではありません、
というか、嫌いです。
苦しいことからは逃げたいし、
目を背けてしまいたいところもあります。

でも、苦しむことも私たちには必要なのだと聖書は繰り返し繰り返し語っているのです。

キリストの復活の力を知るためには
キリストの苦しみをも感じることが必要だと
聖書は語っているのです。

だから、苦しみがやってくる時に、
それによって、
神様が私たちに復活の力を教えてくださるのだろうと思います。

その時にはそんなことを考えている余裕はないのですが・・・。

主よ、
心から感謝します。
一年間を感謝します。
これから歩んでいく道の中で、
想像できないような苦しみに出会うかもしれません。
そんな時、御言葉によって養ってください。
御言葉によって導いてください。

キリストの苦しみをあずかることによって
キリストの復活の力をも知ることができますように。

2006-12-30

自分のことばかりではなく

無事、今日、帰NJ致しました。
帰りは現地を金曜日の夜7時半に出発して、
また交代で運転/仮眠をしながら、今日の午後2時半頃到着。

最短で15時間、という話を聞いたので、
どうかなあ、と思ったのですが、行きより1時間長い19時間でした。

バージニアで濃霧でちょっと時間がかかり、
またNJに入ってからは渋滞で1時間よけいにかかってしまいました。

でも、まあまあかな。

帰ってきたNJはまた穏やかなこと。
助かります。
雪景色を見る前に新年です。
そして、2週間ほど先まで見ても、
雪はなさそうです。

明日は大晦日+最後の日曜日です。

教会の礼拝で一年が終わるなんて、なんてすばらしいことでしょうか!


で、今日の聖書。
今日はピリピ人への手紙2章です。

「自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」4節
「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」21節

自分のことで精一杯になることがある。
人の顔色が気になる時も、
それは人のことを気にしているのではなく、
結局のところ、自分のことを気にしている。
「『自分は』この人の気分を害していないだろうか?」と。

自分のことではなく、
人のことを考えられる者に、

自分のことではなく、
キリストのことを求められる者に、

ならせて頂きたいと思いました。

それほど深く、
神の愛の中に生きて、
それほど深く愛されている喜びにあふれて、
そのあふれた喜びによって、

人を愛し、
キリストを求めていく者でありたいと思います。

主よ、
愛することを教えてください。
愛することを学ばせてください。
あなたに愛されている喜びに満たし、
人を愛することができる者としてください。

2006-12-29

1週間の御言葉

昨日、元旦礼拝の説教の原稿をお送りしましたので、
今日は早く目が覚めて、時間がありますので、
毎日語られてきた聖書の言葉を、
アップします。

22日(金) 
「しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。」ガラテヤ6:14

23日(土)
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」エペソ1:23

24日(日)
「敵意は十字架によって葬り去られました。」エペソ2:16

25日(月)
「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」エペソ3:16

26日(火)
「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」エペソ4:32

27日(水)
「明るみに引き出されるものは、みな、光によって明らかにされます。」エペソ5:13

28日(木)
「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。」エペソ6:5

ここはフレッシュなのでコメントを入れておきましょう。
自分は「奴隷」という身分ではありませんが、
教会に仕える者として、
自分自身の仕える姿勢を主に問われたような思いがしています。
「キリストに従うように」「恐れおののいて」教会に仕えているだろうか?
自分の思い、自分のわがままに支配されていないだろうか?
日々に自分に問いつつ、いつも主の御旨を問いながら、
歩んでいくことの大切さを思わされました。

29日(金)
「つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。」ピリピ1:18

そして、これは今日、今しがた読んだ言葉です。
どんな理由であれ、「キリストが宣べ伝えられている」ということに感謝しているパウロ。
党派心や見栄でキリストを伝える人がいたことは決して「うれしい」ことではなく、
「痛み」であったと思います。
でも、とにかくキリストが伝えられていることが彼にとって喜びだった。
私もそこに目を向けたいと思います。
問題点に目を向けたらいくらでもそれが気になるでしょう。
「しみもきずもない」者へと主は私たちを造りかえる約束をしておられるのですから、
それを目指して、それを求めていくべきでしょう。
でも、どのようなことでも、主が伝えられていく、
そのことに目を留めて、感謝して伝道していく者でありたいと思います。

主よ、
新しい年、
私自身、あなたに整えて頂きたいと思います。
また教会を、そこに集うお一人一人をあなたのきよさに
お招き頂きたいと思います。
そして、何よりも、イエスの御名をもっともっと
大胆に伝えていく者たちとして下さい。

2006-12-25

メリークリスマス

昨日のクリスマスの礼拝・キャンドルライトサービスはたくさんの方々がおいで下さって、
礼拝堂はいっぱいでした。
お名前が分っているだけ、中高生以上だけで119名。
子供も最後まで出席していましたし、
お名前の分らなかった方々を含むと150人前後だったでしょうか。
細かい人数にこだわるつもりはありませんし、
どのようにお一人一人の心に映ったかは、
これから分ってくることかとは思いますが、
たくさんの方々とキリストの降誕をお祝いできたことは先ず感謝したいことです。

そして、プライベートなことですが、
昨日の夜9時出発で、
南の方に車で走って、
今日の午後3時頃、無事目的地に着きました。

「途中でめげたら、それはそれでいいから・・・」なんて話していたのですが、
途中で泊まることもなく、交代で仮眠をとりながら、意外と楽に来れました。
最後の最後、大雨で前の車が見えないくらいだったり、
最後の最後、めちゃくちゃ眠くなったりしましたが、
無事につけたことは、神様に感謝!です。

現地の知り合いの方々に歓迎され、
最初の夜がスタートしました。

あと、ただただ、ゆっくり過ごしたいと思います。
元旦の礼拝の説教がまだ出来ていないことが心に引っかかっていますが・・・。

早く目が覚めた朝に集中して祈って準備する時が与えられることでしょう。

一日一章はまたしてもお休みです。
こちらはたぶん、帰宅してから、「一気にアップ」でしょう。
悪しからず。

2006-12-24

いよいよクリスマス

昨日は更新できませんでした。
ユースのクリスマス会があって、
結構たくさん、夜まで楽しんでおりました。
「わんこそば」って、
何が楽しくて、あんなにせわしなく食べなきゃいけないの?
ゆっくり食べた方が楽しくていおいしいのに・・・。

といいながら、
熱くなって一生懸命食べていました。
楽しかったです。

で、今日は午後1時半からキャンドルライトサービスです。
たくさんの方々とご一緒にクリスマスをお祝いできますように。

また、明日から1週間の休暇に入ります。
優先順位のトップに家族との時間が入りますので、
更新できない・・・かもです。

2006-12-22

12月ですが、雨の夜です

今年はほんとうに雪が降りませんね。
今夜も雨です。
ちょっと寒くはありますが、
でも、雪が降るような寒さではありません。

助かります。
でも、ちょっと物足りなくもあります。

今日、やはりアメリカは交渉が大切、
泣き寝入りはダメ!と感じることがありました。

子ども達が使っている携帯、娘の方はほとんど使わないくせに、
何だか間違って何かお金がかかることを申し込んでしまったみたいで、
先月から10ドルずつ請求が来ていた。
それを「返してくれ!」と電話をした。
そしたら、「お嬢さんに注意するように言っておいてね」とは言われたけれども、
2ヶ月分、約20ドル、返してもらえた。
自分的には「こっちのミスだから、これから先はキャンセルするとして、
ここまでの分はやっぱ返って来ないんだろうなあ」
と思っておりました。

でも、面倒がらずに言わなきゃダメですね。

そう、昨日は夏に買った150ドルくらいのものについて、
30ドルのmail in rebate(値引き返金)の申し込みをしていたのに、
「認められません」と返事が来たので、
「どうして?」と電話したら、「こちらのミスでした・・・」だって。

まあ、これも泣き寝入りをしないでよかった。

簡単に引き下がったり、
まあ、これくらい面倒だ、なんて言っていないで、
交渉しなきゃダメですね。

さあ、明日はアドベントの朝の祈り会の最終日。
早く寝て、「ぐっすり眠ると、すっきり目覚める」朝を迎えたいと思います。

さて、昨日木曜日の聖書。
昨日はガラテヤ人への手紙5章を読みました。

「 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。」9節の言葉です。

これは教会の中に入ってくる、不純なものについて警戒するようにとのパウロの言葉です。
ほんとうに小さなもの、
最初は「これくらい・・・」と思うようなものであっても、
それがいつの間にか大きくなって、全体に影響を及ぼしていく。

ユダヤ人の方は今でも過ぎ越の祭りの時には、家の中にパン種が全然ないようにと、
家中を徹底的に掃除するそうですね。

私たちは物理的にパン種があるかどうかは全く問題にしないわけですが、
それくらい厳しく、それくらい敏感に、それくらい注意深く、
それくらいspiritualなことに心を止めていくことの大切さを思わされました。

小さなことでも、見逃さない、
その様な霊的な敏感さを与えて頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、あなたの愛してやまない教会をお守り下さい。
最初はそんなに気にならない問題であっても、
それが後では大きくなっていることがあります。
そんなことをしっかり見抜く目を与えて下さい。
きりきりするのではなく、
ほんとうにあなたを信頼する中に、
敏感な感性を与えて下さい。


2006-12-21

神の子の特権

昨日の夜もあれから温度は下がらなかったようです。
そして、今夜も夜の12時前でやっぱり0度。
今夜もこれ以上あまり下がらないと思います。

ほんとうに過ごしやすい冬です。

昨日はデンバーでは大雪だったようですが、
今年は今のところ、低気圧の通り道が西の方なので、
こちら側は「暖かい南風」が入ることが多くて、
雪はまだちらほら舞っただけです。

今日で今年のJOYJOYキッズクラブは終わりました。
全部で150人くらいの子ども達との出会いがありました。
そして、今年のクリスマスにはそこからもたくさんの仲間が来てくれました。
その「つながり」みたいなものがとてもうれしいです。

でもまだまだ、この地域に住む子ども達の数からするとほんの一部です。

もっともっといいプログラムをして、
たくさんの仲間が自分の集まりとして
楽しみにしてくれることを願います。

それからもっともっとスタッフが与えられて、
多くの場所で出来たらいいなと思います。

さて、
一日遅れの一日一章が続いていますが、
どうしても更新が遅いと一章分で精一杯です。
今日は今日で今日の所を読んでいるのですが、
なかなか更新が追いつきません。

で、昨日、水曜日の聖書はガラテヤ人への手紙4章でした。

「あなたがたは子であるゆえに、神は『アバ、父』と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。」6節の言葉です。

私たちは神様のことを、
「おとうさま」「おとうさん」「おとうちゃん」「とうちゃん」と呼べる者とされたのです。
ほんとうはそんなことを言うことなんて考えられなかったのに、
それが言えるような者へとして下さったのです。

そんなに簡単なことではないのです。
神様の大きな犠牲と愛があったのです。

そして、不思議と呼べるようにして下さる。
安心して信頼できるようにして下さるのです。

安心して泣くことが出来て、
安心してぶつかることが出来て、
安心してその腕に抱かれることが出来る。

自分はその様にしているだろうか。
自分は神様の胸に安らいでいるだろうか。

主よ、
あなたの胸に安らぐことが出来ること、
あなたに受け入れられていることに感謝します。
どうか、あなたから与えられる力で、
あなたへの信頼を胸に、
冒険をすることができる者となれますように。
あなたにもっと素直に、もっと近く、もっといつも、
語って、聞くことのできる者とならせてください。

2006-12-20

キリストがのろわれてくださった

今朝はまたちょっと冷えて-2.3度。
今晩も今のところ0度ですが、どこまで冷えるでしょうか?
あんまり冷えない予想が出ていますが・・・。

さて、
今度の日曜日はクリスマスイブ。
いつもはクリスマスイブは夜6時とか、6時半とかにキャンドルライトサービスをするのですが、
今年は日曜日とぶつかったので、いつもの礼拝の時間に、
キャンドルライトサービスをしてしまおうということに・・・。
午後1時半からです。
ちょっと真っ暗というわけにならないので、雰囲気は出ないかもしれませんが、
NJ・NY地区在住の皆さん、是非、お出かけ下さい。

明日は今年最後のKids Club。
たくさんのみんなが集まることが出来ますように・・・。

昨日、火曜日の聖書。
ガラテヤ人への手紙3章を読みました。

心に留ったのが、
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって・・・」という13節の言葉です。

「キリストが私たちの罪のために十字架に死なれた」とは、よく言われますが、
「のろわれた者となった」という表現は余りなくて、
どきっとします。
でも、ほんとうにそれほど深刻な、それほど深い、
それほど大きなことだったんだと思います。

主が呪われて下さった。

それによって、自分が呪われないで済む。
ほんとうにそれを甘んじて受けられた、
いや、自分から進んで受けられたイエスの熱い思いを思わされます。
そんな熱い愛で愛されていることに感謝と喜びを感じます。
そこまでして頂いたことが、うれしいとと共にかたじけないと思います。

この愛されていることの大きさ、喜びをいつもいつも心に感じていたいと思います。
また、自分の罪の深刻さを忘れないでいたいと思います。

主よ、
感謝します。
あなたの愛に感謝します。
あなたの情熱に感謝します。
いつも喜びを与え続けて下さい。
いつも感謝を忘れないように、思い出させて下さい。
罪の深刻さを忘れることがないように、示し続けて下さい。

あなたに感謝します。

2006-12-19

恵みを感謝して

ということで、Brooklyn Tabernacleのクリスマスプログラムに行ってきました。
15分前くらいに会場に入ったのですが、もう2階席、3階席までいっぱいでした。
4000人入るみたいですが、いっぱいでした。

内容は・・・2回目で、たぶん、前回は2年前だと思うのですが、
ずいぶん、エンターテインメント的な要素が強くなったなあ、と思いました。
みんなを楽しませようという方向性に行っているように感じました。

中高生の息子と娘はげらげら笑いながら見ていましたが、
私は英語の問題、文化の問題で、笑いきれなかったので、
その部分がちょっと長かったように感じました。

Brooklyn Tabernacleは、
祈りと御言葉と神への賛美でぐんぐん押してくる、という感じだったので、
ちょっとその点では物足りなく感じましたが、
新しい方々へのメッセージを考えるとああゆうアプローチになるんでしょう。

実際JCCNJも似た様なアプローチじゃん(ってレベルは違いますが)、
と言われそうですが、
私にとってのBTの魅力は、そういう「人を楽しませよう」みたいなこととはまた違った
spiritualな深さだと思ってきたので、これから、そっちの路線に行ってしまうのは、
残念なような気がしています。・・・って勝手なこと言っていますが・・・。

それでも、現代の街角の場面で、ダンスが始まった時には、
ああ、これがこのNYの文化なんだよなあ、と思いました。
今まで、この地に教会がありながら、このようなものが用いられてこなかったことの方がおかしい、
この教会も今次のステップに行こうとしているんだ、と楽しみにもなりました。

今日は8度止まり。
そして、今夜は真夜中12時で0度くらい。
明日の朝は-2度くらい。

でも、この「涼しさ」も明日までで、
木曜日はまた暖かくなるようですね。

年内は雪もないんじゃないかと思います。
助かるような、寂しいような。

で、月曜日の聖書。
昨日、月曜日はガラテヤ人への手紙2章でした。

「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」21節の言葉です。

この章というか、この手紙は、よい行いをすることによって、私たちが神様の前に正しい者と言われるわけではない、信仰によって、キリストの十字架によって、私たちは初めて神の前に正しい者と言って頂けるのだ、ということが書かれています。

そのことが、ここでも、「私は神の恵みを無にしません」という言葉で表されています。
もしも、「一生懸命よい行いをすれば救われる」のであれば、イエスは十字架にかかる必要がなかったのだ、というのです。

そう、ほんとうに、そう思います。
自分ががんばって何とか、神に喜ばれる歩みをすることが出来るなら、
神の前に正しい者だと言えるなら、
神の恵みは必要なかった、
キリストの十字架は必要なかったのです。

自分の罪深さが分った時に、
神の愛が分った、
その時のことを思い出しました。

主によって生かされていることを心から感謝します。

神様、
あなたの愛に感謝します。
あなたの愛に感謝して、
その喜びに支配されて、
歩む者としてください。




Brooklyn Tabernacleのクリスマス最終日

あ、書くの忘れましたが、
火曜日19日はBrooklyn Tabernacleのクリスマスプログラムの最終日。
いってきます。

「一日一章」追いつくのは明日以降ということで・・・。

2006-12-18

目を留めておられる神

今日も暖かかったですが、
これもおしまい。
今は夜の11時ですが、6度くらい。
明日の朝は0度くらいまで下がるでしょう。
昼間も10度以下。
ちょっと東京の冬かな、って感じですね。

今日はさっそく聖書。
でも、一日遅れなので、昨日の箇所。
昨日はガラテヤ人への手紙1章を読みました。

心に留ったのは、
「生まれたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方」という15節の言葉です。

そうなんだなあ、と思いました。
わたしも神様に目を留めて頂いて、
恵みをもって召してくださったのだと。
自分が気がつかなかった、
自分が気がつくはずがなかった頃から、
神様はわたしに目を留めてくださっている。
そして、使命を与え、その使命のために一つ一つの備えを与えて下さっていたのだと。

今の子ども達にも、若者達にも、
主はひとりひとりにぴったりの使命を与えて下さっている。
ぴったりの使命のために必要な準備を与えて下さっている。

時にはきつい経験をするかもしれない。
悲しい経験をするかもしれない。
でも、それも主が私たちひとりひとりに与えて下さっている
使命のための準備なのだ。

主よ、
どうかあなたの与えて下さっている使命のために、
わたしを整えて下さい。
わたしの内なる人を強くし、
あなたの与えて下さっている使命を全うすることのできる者としてください。

2006-12-17

自分を吟味する

今朝は寒く感じました。
久しぶりの氷点下。
-1.5度でした。

でも、今日は予報通り暖かくなって、
今日曜日のちょうど真夜中ですが、
まだ8度もあります。

でも、この暖かさも明日まで。
その後は、「めちゃくちゃ寒い」ということはないようですが、
まあ、普通に冷え込みそうです。

今日は洗礼式でした!
8歳の女の子が洗礼を受けました。
わたしが洗礼を授けた方の中では最年少です。
ほんとうに喜びでした。
教会のみんなが泣いていました。
本人もお祈りしながら、
またお祈りし終わった後も、
わんわん泣いていましたが・・・。
主にあって喜びの涙を経験できるのはすばらしいですね。

これからの歩みのためにお祈りしています。

さて、土曜日の聖書。
土曜日はコリント第2の手紙13章でした。

「 あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。」
5節の言葉が心に留りました。

余り「自分を吟味する」ということが好きな人間ではありません。
それによって、がんじがらめになったことがあるからです。
そして、神様によってそこから解放された経験があるからです。

あんまり「自分は大丈夫だろうか」ということを考えることよりも、
「神様はすばらしい」と言っていたい方です。

でも、そんなところも卒業できたのかもしれません。
「自分自身をためし、吟味しなさい」という言葉を、
素直にそうだなあと受け入れることが出来ました。

自分を吟味する・・・。
そして、自分のほんとうの姿を見せて頂く、
そんなところにすすんでいくところに、やっと来たのかもしれません。
自分を守らなくてもいい。
自己弁護しなくてもいい。

自分を吟味して、悔い改めるべきところ、
気がつかされた時には、
神様の前にひれ伏して、
赦して頂き、いやして頂き、
力を頂いて立ち上がる、
そんな歩みを続けていきたいと思います。

主よ、
どうかわたしを支えて下さい。
今まで、「自己吟味」にアレルギーがあったように思います。
どうか、これからの歩みの中で、自分を吟味する勇気を与えて下さい。
そして、ありのまま、悔い改めて、あなたに力を頂いて、
歩んでいく者としてくださいますように。

一日遅れの「一日一章」ですね。明日には追いつけますように。

神の力におおわれる

あー、また日付が変わってしまいました。
でも、明日の朝は教会での祈り会がないので、
ちょっと気持ち的にゆとり・・・。

で、2日分溜めないで、今夜のうちにアップしておきます。

で、土曜日の天気。
ちょっと冷えますねえ。
ずっと暖かかったので、やたら寒く感じます。
今、夜の12時過ぎ・・・。
で気温が0.3度。
ほぼ1週間ぶりの氷点下に下がりそうです。

でも、明日、あさってと暖かくなるみたいです。
そして、火曜日からは「現実に戻る」んだそうです。
(じゃあ、今は何だ?)

で、今ずっとクリスマス以降の天気をにらみ続けています。
久しぶりの1週間丸まるバケーションなので、
「とにかく雪はやめてよね」モードです。
いつもはsnow loverなのですが、こんな時はモードが変わります。
結構身勝手。
それで、天気はどうかというと、
ちょっと雪の可能性がある日がいくつか・・・。
まあ、まだ1週間以上先のことですから、どうなるか分かりませんが。

で、金曜日の聖書。
金曜日はコリント人への第2の手紙の12章を読みました。
よく読むところです。

その中で心に留った言葉は、
「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」
という9節の言葉です。

「キリストの力がわたしをおおう」。
いい言葉ですね。

自分が弱さを覚える時に、
そこを神様の力がおおって下さる。
恩師がよく言っておられたことを思い出します。

「穴の開いたバケツで水はくめない。でも、穴の開いたバケツの中を水でいっぱいにすることは出来る。バケツを水の中につければいいんだ」

そう、穴が開いているからこそ、水は中に入ってくる。
弱さが用いられるのだ。

神様の愛の中にどっぷりとつかって歩めること、
それに換えられる幸せはない。

主よ、
自分の弱さゆえに神様の愛の中で歩めることに感謝します。
あなたの愛に、あなたの力におおわれていることを心から感謝します。
あなたに愛されていること、
あなたと共に歩めることをもっともっといっぱいに感じて、
日々の生活を送れるように守って下さい。

もう眠いのでもう一日分はまた明日。





2006-12-15

今日はまたお休み

今日は先ほどまで集会があったので、
もう休みます。
また明日の朝は、午前中までに日曜日の説教の仕上げをしなければいけないので、
たぶん、午後または夜の更新になります。

では、また明日。

2006-12-14

キリストのしもべ

今日も予告通り、暖かい日になりました。
明日も暖かいです。

このままずっといって欲しいと思いますが、
さすがに20日過ぎくらいから、ちゃんと冬になるみたいです。
先週のように-8度Cまで下がるかどうかは別として、
朝晩は氷点下くらいにはなるみたいですね。

今日のキッズクラブはまたたくさんの仲間が来てくれました。
楽しい一時を持ちました。
定着したメンバーも結構いて、いいですね。
「クラブ」って名前をつけたのにも、
そんな気持ちを表しました。
「いつもの仲間が集まる」みたいな。
もちろん、新しい仲間がどんどん増えるのを楽しみにしていますが、
いつものメンバーが「行っても行かなくてもいいや」じゃなくて、
「絶対毎月行く!」と思うような集会をやっていきたいと思っています。

サンタクロースのこと、ちょっと考えるところがあると昨日書きましたが、
Operation Santaに興味をもったのは、
長男が小さい時に、自分は、
「サンタさんはね。お父さんやお母さんがプレゼントを買えないお友達のところに来るんだよ。うちはお父さんやお母さんが買って上げられるから、来ないんだ」と話していたからです。

なんで、そんな説明をしていたかというと、
自分が子供の頃、サンタさんが来る、という経験がなかったので、
自分の子供に、自分が買ったプレゼントを「サンタさんからだよ」と言うことに、
なんかしっくり来ないものを感じていたからです。

子供がどのように受け取るか、想像が出来なかったので、
ちょっと恐れがあったというのが本当のところでしょう。

自分に、「懐かしい、暖かい思い出」として、サンタさんからのプレゼントを待ちわびた、
という経験があれば、「自分の子供にも味わって欲しいなあ」と思うでしょうし、
何歳くらいで、「もう、来なくなっちゃったね」と言ったらいいのか、見当がついたと思います。

でも、そんな経験はなかったので、
最初に書いたように説明して、「うちはお父さん、お母さんが買ってあげるからね」
と、お父さんお母さんからの・・・ということをはっきりさせてプレゼントをしていました。

まあ、問題は息子にいろいろ友達が出来て、
友達の家に遊びに行くようになって、
いろんなおもちゃをたくさん持っている友達から、
「サンタさんにこれもらったんだ!」という話を聞くようになって、
話のつじつまが合わなくなってしまったことでした・・・。

で、後からの言い訳になりますが、サンタクロースのモデルになった、
3-4世紀に今のトルコにいた聖ニコラスが貧しい子ども達に施しを与えた、
という逸話に照らし合わせても、自分の説明はあながち間違っていたわけでもないと思っています。

でも、現実の社会では、
やっぱり、私が息子に言ったこととは反対に、
「経済的に余裕のある家の方にサンタさんが来て、貧しい子には来ない」
という、とんでもない矛盾があるように思うんです。
そう、そうすると、私は「嘘つき」になってしまうのです。

だから、私も自分がサンタさんになれないかと思ったのです。
決して特別豊かではないけれども、
何にも子供に買ってあげられないなんてことはない、
そんな家庭を営んでいる者のひとりとして、
自分の子供のためにではなくて、
何かの事情があって、お父さん、お母さんからプレゼントを
受け取ることが出来ないような子ども達のために、サンタさんになれないかと思ったのです。

そして、おもちゃのあふれている今の子ども達にも知って欲しいのです。

「受けるよりも、与える方が幸いである」というイエスの言葉を。

さて、ちょっと長くなりましたが、ここら辺で今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙の11章を読みました。

その中のパウロの熱い言葉が心に留りました。
「だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。」29節。

これはまたすごい言葉だと思いました。
パウロは「自分はキリストのしもべだ」と言い切って、
その中で、「自分はこんなことを経験してきた」と書く中で、
このように語っています。

キリストのしもべは、イエスさまが感じられたように、
人々の痛みを、自分の痛みとする、
人がつまずく時に、自分自身が痛みを覚える、
誰かが信仰的に弱くなった時に、
自分自身の内に弱さを感じないではいられない。

自分はキリストのしもべだろうかと思いました。
愛の足りない者だと思いました。
自分はこのパウロのように、

「彼らはキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうなのです。」23節

と言えるだろうか?
その様に思いました。

主よ、
パウロの言葉に圧倒されました。
私もあなたのしもべです。
人の痛みを感じる敏感さを与えて下さい。
人が弱さを覚えておられる時に、
そのことを聞かなくても、感じ取れるほどの感性を与えて下さい。
その様な人に対する愛を与えて下さい。

2006-12-13

神の標準

なんだか、笑ってしまうほど暖かいですね。
今日は雨でしたが、なんか暖かな雨でした。
明日も、気温が何度かなんてどうでもいいほどの、
「あたたかい」日でしょう。

今夜も「暖かい」夜です。
単に温度計見に行くのが面倒なだけなのですが・・・
それほど投げやりになるほど、暖かいです。

皆さんのお祈りに感謝します。
無事、英語→日本語の通訳の仕事を終えて、
かえってきました。

守られました。
ちょっと聞き逃した言葉があって、よくわからなかったセンテンスが3つほどありましたが、
あとは、大丈夫でした、というか、とても、わかりやすい英語でした。
シンプルなメッセージでした。

ちょっと紹介すると、

聖霊はいろんなものにたとえられるけれども、
一つは水、一つは油、そして、何よりも火。

そして、その中で火のイメージが一番大切だといわれました。

1.火は表面に触れるだけではなく、その中に働いて造りかえてしまう。
たとえばピアノに水をかけても「濡れたピアノ」
油を注いでも、「あぶらまみれのピアノ」
で、内容的な変化はありません。
でも、ピアノに火をつけたら、ピアノがピアノでなくなってしまう。木の表面ではなくて、
内側をも変えていく。
聖霊様は私たちの内側をも変えていく

2.火は私たちの行く道を導く
暗闇の中で、火があれば、どのように進んでいったらいいか分かる。
それと同じように、火は、私たちを導く。
あなたは何かを決断する時に、神様の導きを求めているだろうか?

3. 火は燃え広がっていく
聖霊の働きはあなたから始まって、周りに広がっていく

そんなお話でした。
心燃やされる夜でした。

今日はNYDayだったのですが、
夕方ちょっと時間が出来たので、
以前からちょっと興味があった、
マンハッタンの中央郵便局のOperation Santa
のところに立ち寄りました。
でも、ちょうど4時半まで。
タッチの差で閉まってしまったところでした。
残念。

このプログラム、貧しい子ども達からのサンタさんへのお願いを、
かなえてあげようというプログラム。
テレビのニュースとかで見て、いつか参加したいなあ、と思ってきました。

「サンタ」のあり方、
子ども達にどのように伝えるか、についてはちょっと思うところもあり、
またいろんなことを考えていきたいと思っています。
また、ここでもそんなこと分ち合っていきたいと思っています。

でも、今日は、その郵便局に立ち寄れる唯一のチャンスだったかも・・・。

HPを見ると、
「近所の郵便局でも取り扱っているかもしれないから、聞いてみて」ということですので、
ちょっと聞いてみようかな。

で、今日の聖書。
今日はコリント第2の手紙10章を読みました。

今日は英語で紹介。

「 I beg you that when I come I may not have to be as bold as I expect to be toward some people who think that we live by the standards of this world.」2節の言葉です。

直訳すると、
「私は請います。私があなたがたのところに行く時に、私が今考えているほどの強さで接しなくても済むようにと。私たちが世間のスタンダードによって生きていると思っている人々に対して」
ということになります。

どういうことかというと、
「私たちが世間のスタンダードに従って歩んでいると勘違いしている人々に対して、こっちが強く出なければならないかと思うと気が重いなあ」ということですよね。

「世間のスタンダードに従って」という言葉が心に留ったのです。

パウロはもちろん、「私は世間のスタンダードに従って生きてはいないよ」と言っているわけです。

では何に従っていたかというと、やっぱり神の基準であり、神の導きに従っていたわけです。
自分の生きている基準はなんだろうかと思わされました。
自分は何を基準に歩んでいるだろうかと。

世間のスタンダード。
それに縛られていると、しんどいです。
傍若無人に生きようということではありません。

神様が与えて下さっているスタンダード。
それは世間のスタンダードよりも魅力的で、
世間のスタンダードよりも私たちを生かしてくれるもので、
世間のスタンダードよりも周りを生かしていくれるものです。

神様の基準、そして、神様の私への個人的な導き、
見せて頂きたいと思わされます。

主よ、
私は何を基準に生きているでしょうか?
世間のスタンダードは、ある時には楽に見えます。
でも、あなたのスタンダードを知りたいです。
そして、あなたが私のために特別に持っておられる計画を知りたいです。
どうか、あなたの喜ばれる道を歩む者としてください。
聖霊様、
あなたが私を燃やしてくださり、
教会を燃やしてください。

2006-12-12

与えられる

今朝は0度どころか、温度が上がって、5度もありました。
昼間もまあまあ、といったところでしょうか?
暖かくて助かります。
今夜は冷え込みませんが、雨が降り出すみたいです。

大した雨ではないようですが、
明日はNYに行く日なので、ちょっとイヤですねえ。

そう、今月から第2週と第4週の水曜日はNYです。
今月の第4週は休暇なので、今月は1回だけですが・・・。

今晩は久しぶりにBrooklyn Tabernacleの祈り会に行ってきました。
30分遅れて着いたので、ちょっと気持ち的に入り切れませんでしたが、
それでも、ほんとうに「祈ろう」と思わされます。

「私の家は祈りの家と唱えられるべきである」

ほんとうに教会が教会となるために、必要なのはそれだと思いました。

最近読んでいる本に、
「自分が整えられるために、自分の時間の50パーセントを用いなさい」ということが書かれていました。
自分はそれが出来ていないと思います。
もっと人の話を聞かなければ、もっと人のところに出ていかなければ、という気持ちに振り回されて、自分が整えられるために十分な時間を取っていないなあ、と思います。

でも整えられないで出ていっても、
出会った人に何をお渡しできるかと言ったら、何もないですよね。
逆に悪い影響を与えてしまうことだってあるでしょう。
だから、ほんとうに自分が整えられて、備えられていくこと、
大切なことだと思います。
それが一番時間を有効に使うことなんだろうと思えてきました。
ですから、今日、時を作って祈り会に行けたことはほんとうによかったなあと思います。

明日はその教会のJim Symbara牧師が、NJ初代教会という韓国教会でメッセージをされます。
英語から韓国語への通訳の方は講壇に上がって、先生の横で通訳されるようですが、
私が英語から日本語への通訳をすることになりました。
2階のブースに入って、ラジオでヘッドフォンをしている人に飛ばすヤツです。

お祈り下さり、応援して下さい。
横にいて、困った時に助けてくれる人も欲しいのですが・・・。
息子に聞いたら、「明日はバスケの試合を見に行く日だ」と振られてしまいました。
お祈り下さい。

今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙9章を読みました。

「蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。」10-11節。

今日のところも献金のところ。
献金のことで恐れを覚えるとすると、
やはり「大丈夫なんだろうか」「食べていけるのだろうか」という心配でしょう。

きつきつでやっているのに、
ささげたら、やっていけない・・・
そう思うことがどれほどあるでしょうか?

でも、与えて下さる方、備えて下さる方、
その方がおられる、それを信頼したら、こわくなくなるのです。

大丈夫。
神様はひとりひとりに与えられたものの90パーセントで生活できるように、
与えて下さっているのです。
いや、実際のところ、もっと豊かに与えて下さっているのでしょう。

神様が必要なものは必ず与えて下さる、
と信じたら、楽になるものです。

今日の集会のテキストにありました。
「信頼と冒険は支え合って前に進んでいく」と。

「一歩信頼したら、一歩冒険できるようになる。
一歩冒険したら、もう一歩信頼できるようになる」

やっぱり冒険しないと分からないことありますよね。
主を信頼して、もう一歩冒険してみたいと思いました。

明日の通訳も「冒険」です。(^^;)

主よ、
あなたがすべての必要を満たして下さる方であることを信頼しています。
どうか、わたしがあなたをまた一歩信頼して、また一歩冒険できますように。
あなたと共に歩ませて下さい。
「必要を満たして下さらないじゃないか・・・」という思いに囚われておられる方がおられたら、
どうか、あなたが語ってくださいますように。触れてくださいますように。
感謝します。
明日、あなたが助けてください。

2006-12-11

参加する

今朝の最低気温!
-0.5度でした。やったね。「0度か-1度」と予想したのが、
ぴったり中間で当たるなんて。
でも、とにかく暖かく感じました。
一度寒いのを経験してしまうと、ほんと、0度くらい、何てことないです。

昼間も14度まで上がって、何だかいいですね。
今夜も今は10時半で3.7度。
明日の朝も0度くらいでしょう。
でも、昼間は今日ほど上がらないと思います。
「東風が入る」というパターンです。

今日はこの地区の日本語牧師のミーティングがありました。
場所は、家から30分の韓国教会。
そこで日本語での働きもしておられます。

その教会に行ったのは2回目ですが、すごい。
立派な建物です。
そして、機能的な建物です。
10年がかりのプロジェクトだったそうですが、
今度はいつか、ここまで来るのにどんな経緯があったのか、
どんな問題を乗り越えてきたのか、
どんな祝福を神様が与えて下さったのか、
教えて頂く時があればいいなあと思わされました。

さて、今日もあっさりと、聖書の話に行きます。

で、今日はコリント人への第2の手紙の8章を読みました。
献金のことについて書かれているところです。

「彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。」3-4節。

特に、この「聖徒たちを支える交わりの恵みにあずかりたい」という言葉、
すごくいい言葉だと思いました。
義務ではなくて、そこに参加する恵みを知っていること、
オプションなんだけど、絶対参加した方が得!ってことを知っていること、
すばらしいことだと思います。

私自身、そんな経験をいくつかしてきましたが、
ほんとうは結構まだまだ、そんなチャンスがたくさんあって、
何回もその恵みにあずかることをみすみす逃しているのではないかと思いました。

主の許で休むこと、
主の許で癒されること、
それが私たちの原点なんだと思います。
それが一番大切なことなんだと思います。
だから、それをスキップして、
「神様のためにこれをした、これも犠牲にした」と思うのは、
危険だと思います。
自分の手柄だと思ってしまうから。

でも、ほんとうに主によって赦され、癒された感謝で、
この「支える交わりの恵みにあずかる」ことは、
とっても幸いなことだと思います。
もっともっと、その様な経験をしていきたいと思います。
神様のご計画に参加することが出来るなんて、なんてすばらしいことかと思います。

主よ、
あなたの与えて下さった大きな大きな愛に感謝します。
私もあなたのご計画に参加させて下さい。
大きな大きなご計画の一部に入れて下さい。
それがきついことかもしれません。
でも、それを喜んで負っていく者とならせてください。


2006-12-10

悔い改めに至る悲しみ

今朝は1度くらい。
一度-8度を経験してしまうと、0度前後は「冷え込み」ではなくなりますね。
昼間も12度まで上がりました。
穏やかな一日でした。

今夜は今、夜の10過ぎで3.2度。まあ、0度か-1度に下がるでしょう。

車のフロントガラスに霜が降りるでしょうから、
6時に家を出て教会の早朝祈祷会に来られる方は、
外に出してある車には、ご注意。

今日は「JOYJOYクリスマス」・・・たくさんのお友達が来て下さいました。
ベビーは除いて、小学生以下の子ども達が60名余り。
中高生や大人、ベビーを加えると、うーんと、130人から150人くらいはおられたでしょうか?
いや、もっとかな、大盛況でした。

それで、今年は、何といっても、中高生の劇がすごくよかったです。
息子が脚本・監督で、娘も出演していたので、
ちょっと親バカの部分もあるんですが、
「これは、子ども達にも、大人にもいい」
「伝えたいメッセージ、これなんだよなあ」
「出演している中高生が心からそう思って演技しているからいい」
っていろんなことを感じていました。

特にその中心メッセージ、
「神様が私たちのために最高のクリスマスプレゼント・・・イエスさまを与えて下さった」
「それがうれしいから、私たちも愛を伝えていこう」
には深く共感しました。

もちろん、まだまだこれから成長していく余地のあるもの。
もっともっといいものを作っていって欲しいと思いました。

そこで、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙7章。

「あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。」8-9節。

これはパウロが前の手紙で、かなりきついことを書いたことに関して、
その反応を見て、彼がまた語っていることです。

パウロも、一時的には「あんなことを書いて、まずかったかなあ」と思ったということに、
ちょっと慰めを感じます。
私もそういう相手の反応で「まずかったかな」と思ってしまうことが多いからです。

でも、その後、コリントの人々は、「悔い改め」に導かれました。
その御業をも信頼することの大切さを思わされました。

このことを指摘しても関係が悪くなるだけで、
逆効果だろうなあ、と勝手に決めてしまって、
そのうち解決するだろうと、そのままにしてしまうこともあります。
でも、ほんとうにそれでよかったのだろうか?と思うこともあります。

でも、ほんとうにその方を信頼して、愛して、指摘する時も必要なのだろうと思います。
「神様の御心に沿うた悲しみ」を信頼していくことの大切さを感じます。
そのための愛と勇気を与えて欲しいと思います。
「愛と勇気」・・・アンパンマンの歌みたいですね。
でも、ほんとうにそれが必要だと思います。

主よ、
今日のJOYJOYクリスマスを守り、祝福してくださったことに感謝します。
どうか、子ども達、お父さん、お母さん達の心に、あなたの御言葉が留まりますように。
続けて教会に来る子ども達をもっともっと起してください。
私に「愛と勇気」を与えて下さい。
本気で教会を愛し、教会に集う方々を愛する者としてください。

2006-12-09

キリストの僕

今朝は-5度まで冷えましたが、
風も収まり、
昨日の朝の寒さを経験したら、
今日のは「楽勝」でした。

昼間は4度くらいまで上がりました。
明日はもっと暖かくなって10度くらいまで行くようです。

今年の冬は暖冬傾向は確かなようで、
少なくとも、この先2週間は暖かい日が続くようです。
スキー関係の方には申し訳ありませんが、
感謝感謝です。

今朝の祈り会は、
始まってからの最高の5名。
来週はもっともっと広がってくれるように、
ガンガン声をかけていこうと思います。
今週、木曜日から3日連続で来られた方が、
今日の夕方から1週間の出張に出られたので、
ホント、その分、多くの新しい参加者が起されるように祈っています。

で、今日も、聖書の御言葉。
今日はコリント人への第2の手紙の6章を読みました。

「 私たちは、この務めがそしられないために、どんなことにも人につまずきを与えないようにと、あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。」3-4節

この言葉を読んだ時に、
自分がどれだけの人々をつまずかせてきたか、
いろいろ思いめぐらされました。
ものすごい悔恨の思いを持ちながら、思い出します。
振り返ります。
イエスさまはすばらしいのに、
神様はすばらしいのに、
自分はその邪魔をどれだけしてきたことか。
そのすばらしさが伝わらないように妨げになったことがどれだけあったことかと。

そのことを思う時に、
「神のしもべ」という言葉が心に語られました。
神の僕として招かれている。
自分の願望や、自己実現や、そんなことを考えていたとは思わないのですが、
でも、いつの間にか、そのようなものが忍び込んできて、
神様の僕に徹し切れていないのでは・・・と思わされました。
「私のしもべになってくれるか?」と語られたように思いました。

徹底的に神の僕になりたいと思いました。
今日は土曜日の夜、
他のことには使わない、
時を聖別して、
神様のことだけ、
翌日の礼拝のことだけを思って、
祈って過ごす習慣を持とうと思っています。
備えて過ごす習慣を持とうと思っています。

主よ、
あなたのしもべとならせてください。
あなたの招きを感謝します。
自分がどう思われるか、
自分が何が出来るか、
自分の夢はどうなるのか、
そんなことではなくて、
あなたのすばらしさが人々に伝わる、
人々があなたを知って感動していく、
その様な場面に、私を出会わせてください。
あなたのしもべとならせてください。
徹底的にあなたのしもべとならせてください。
そのために必要な訓練、試練を、与えて下さい。

2006-12-08

キリストの愛に取り囲まれて

今朝は寒かったですねえ。
最低気温が-8.5度Cで、その上、風がありましたから・・・
ホント寒かったです。
昼間の最高気温も0度なんかに全然ならない-2.0度C止まり。
この冬初めての「真冬日」でした。

今も、夜の9時頃で-3.8度C。
明日の朝も、今朝並に冷えそうです。

明日の昼間から、寒さもゆるんで来るみたいです。

日本ほどじゃないとは思いますが、
アメリカでも、「今年はこれが流行り!」というのがあります。

今年のクリスマス、話題になっているのが、
「TMXエルモ」だそうです。
どれどれ・・・と捜しても、在庫はありません。
でも、はっきり言って、これはすごい。
こちらにデモビデオがありますから見て下さい。

ウチにもTickle me Elmoはありますが、
10年前に発売されたものらしいです。
ただ、笑いながら、からだを震わすだけです。
その単純さからすると、ものすごい進化です。

10年前も定価30ドルのものが、最高1500ドルで取引されたみたいですが、
今回も定価40ドルのものですが、2倍以上の値段で取引されています。

で、何でここで書こうかと思ったかというと、
「企業努力」にプチ感動したからです。
10年前と同じことをやっていてはいけない、
10年前を知っている人がびっくりするようなことを企業はやっているんだ、
教会はどうだろうかと。

別に奇をてらう必要もないですし、
古いものが悪いとは思いません。

でも、それくらいの情熱をもって、
人々に神様のことを伝えていこうという意気込みが必要だなあ、
と思いました。

で、今日も聖書を熱く!
今日読んだのはコリント人への第2の手紙の5章。
よく読むところです。

その中で今日心に届いたのが、
「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。」
という14節の言葉です。

キリストの愛が私たちを取り囲んでいる。
最近、思わされています。
ちょうど星が昼間もそこにあるのに、
夜にならないと見えないように、
神様も、私たちが苦難や痛みの中を歩かないと、
なかなか、そこにおられるのに気がつかない。
でもまた、そういう時はなかなか目を上に上げて、星を見ようと思わない、
自分の問題、痛みばかりに目がいってしまう。

星は、私たちが見えていようと見えていまいと、
目を上げていようと、下をうつむいていようと、
いつでもそこで輝いている、いや、ものすごい高温で燃え続けているのに・・・。

神様も、私たちが気がつこうが気がつくまいが、
そこに確かにおられる。
そして、神様の方に目を向けていようが、向けていまいが、
そこにおられる。
いつもいつも熱い思いで私たちに語りかけ、私たちを愛し続けて下さっている。

私たちが気がつこうが気がつきまいが、
確かに私たちをキリストの愛が取り囲んでいる。

それに、気がつけたことに、心から感謝。

主よ、
どうか誰よりも熱い思いで、あなたのことを伝える者としてください。
一つのおもちゃの開発に情熱を傾ける人々に負けない情熱を私に与えて下さい。
私が気がついている時も、気がついていない時も、
あなたの愛が私を取り囲んでいることに感謝します。
いつもいつも、その愛を感じて歩んでいくことが出来ますように。

2006-12-07

イエスのいのち

いやあ、寒くなってきました。
今朝は5度もありましたし、
昼間は13度まで上がったのですが、
今、夜の11時ですが、-3.4度まで下がっています。
明日の朝には何度まで下がるのでしょうか?
夕方の6時頃には5度もありましたからこの5時間で8度も下がったことになります。
明日の朝まであと8時間。
-7度くらいまでは行くでしょう。

で、明日の昼間も0度くらいまで止まりで、
また明日の夜も冷え込みます。

お風邪などお召しになりませんように。

昨日の朝の祈り会の1人にうってかわって、
今朝は4人。
1人もいいし、
2人もまたいいのですが、
どんどん輪が広がっていって欲しいと思います。

今日のJOYJOYキッズクラブは20人くらいの子ども達が集まりました。
部屋の大きさからするとちょうどいいですが、
先月が多かったから、ちょっと寂しかったかな。
でも、楽しい一時でした。
スタッフのゆとりがあって、子ども達やお母さん達とも個人的にお話が出来て、
よかったです。

今度の日曜日はJOYJOYクリスマス。
こちらはたくさんの子ども達に集まって欲しいです。

楽しみ楽しみ。

で、今日の聖書。
今日はコリント人への第2の手紙4章を読みました。

今日も一つの言葉に絞るのは難しいのですが、
「私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。」11節の言葉。

そして、
「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」16節の言葉。

そして、
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」18節の言葉。

自分のいのち、自分の力ではなくて、
イエスのいのちが自分の体の中に宿る。
自分の力、自分のがんばり、自分の能力、それらすべても神様が与えてくださったものでもあるのですが、それが通用すると思うと、神様を頼らない自分がいます。
祈らなくても大丈夫、
神様の力をもらわなくても大丈夫、
最後の最後にはお願いしますけどね、でも、大体のことは自分で出来ます・・・。
そんな歩みをしているように思います。

だから、それらが取り去られて、初めて、
「ああ、自分には神様の力が必要なんだ、神様の命が必要なんだ」と思うんですよね。
だから、自分の力ではどうしようもない、という時にこそ、
神様の恵みを頂くチャンス。深い深い恵みを知るチャンス。
神様の真実を知るチャンスなのです。

イエスの命が私のうちにあふれている、
その様に心から告白することが出来るまでに、
神様と共に歩んでいきたいと思いました。

主よ、
あなたのいのちを私のうちに満たして下さい。
どうか、あなたのいのちを満たして下さい。
私の力ではなく、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
心の底から、そう感じることが出来るように。

2006-12-06

聖霊の働き

今朝は-6度まで下がりました。
もちろん、ダントツで、この冬最低。
でも、昼間は昨日とうってかわって、暖かくなりました。
最高は10.7度。2日間の寒さを考えると、とても楽でした。

そして、今夜は冷え込まないのですが、
明日の夜、明後日の夜と記録更新と行きそうですが、
またその後は、「今年の冬は楽だねえ・・・」という天気が続きそうです。

そう、今年の冬はきっと楽でしょう。

さて、
この間の日曜日からアドベントですね。
教会に来られた方にはお渡ししたのですが、
教会では、アドベントの期間中、
一緒に聖書を読んで、祈りながら過ごします。

そのテキストをアップロードしました。
こちらです。
是非ご覧下さい。
あ、右の方にもリンクを貼っておきますね。

それで、日曜日を除く毎朝6時半から祈り会を持っているのですが、
今朝は皆さんの都合が合わずに、ひとりで祈りました。

でも、それは神様が与えて下さった特別な時だと思いました。
今日の聖書箇所と関係があるので、それを交えながら・・・。

今日の聖書はコリント人への第2の手紙3章でした。
ずーっとびんびん来ていたのですが、
特に、
「主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」(17-18節)の言葉が心に留りました。言葉が心に留ったと言うよりも、「聖霊の働きがどれくらい大切か」を語られたように感じました。

最近、自分の心が"how to"の方に向きすぎていたのだと思います。

どのように人々に自分の考えを伝えていったらいいか、
どのように人々の声に耳を傾けていったらいいか、
どのようにしたら、人々は教会に来るようになるか、
どうしたら教会の人々はやる気になって、喜んで主に仕えるようになるか、
どうしたら、ひとりひとりが主に用いられる器として整えられるか、

そんなことを考えながら来たように思います。

でも、本気で聖霊様の働きを期待して、祈ってきただろうかと思わされたのです。

そして、それが今、他の誰にでもなく、自分に必要なことを感じさせられたのです。
聖霊様の働きを祈りました。
いえ、もっと正確に言うと、
聖霊様の働きを感じながら、祈りに導かれました。
「この幸せな時を大切にしたい」と思いながら祈りました。
祈りの時がsweetなものだと、よく恩師は言われていましたが、
そのことをほんとうに感じました。

そして、今日は教会のオフィスにある教会のメンバーのボックス一つ一つに手を置いて祈りました。

ひとりひとりの具体的な必要を覚えて、
知っている限りのひとりひとりの抱えておられる問題をも覚えて、
お祈りしました。

やはり、自分はこのために生かされている。
教会の中心はやはりこれなのだと思わされました。

主よ、
あなたが共にいて下さることに感謝します。
私を祈りに招いて下さったことに感謝します。
忙しさの中で、あなたを見失うことがないように。
いつもいつもあなたと共に時間を過ごす喜びを経験し続けさせて下さい。
そして、それが教会の中にあふれますように。
その様な祈りの空気が教会の中に満ちますように。


明日の集会、そして、JOYJOYキッズクラブを祝福して下さい。

2006-12-05

キリストのかおり

今朝は-3.3度まで下がりました。
昼間も3度くらいまでしか上がらず、
午後6時にはもう氷点下です。
10時半には-3.1度です。
明日の朝は今朝の記録をあっさり更新か!

明日、あさっては日中はちょっと暖かくなるみたいです。
そして、金曜日はめちゃ寒くなるようです。
昼間でも氷点下みたいです。
そして小雪も舞うかも。

明日、ミツワの20%OFFですね。
NJではありませんが、他のところにあるミツワでの20%OFF必勝法が紹介されています。
まあ、みなさんもう、その様にされている方も多いとは思いますが。
今回はなぜか平日ですから、また難しいですよね。

今日の聖書はコリント人への第2の手紙の2章でした。
その中で心に留ったのは
「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。」という15節の言葉です。

「キリストのかおり」を放つ、というと、
私などは、清楚な、慎ましい、その様な姿を想像してしまうのですが、
最近思わされるのは、
「キリストのかおり」はキリストがそうであられたように、

痛みを覚えている方、
傷ついている方、
苦しんでいる方を惹きつけてやまない
「かおり」なのではないだろうかということです。

調子のよい時はいい、
でも、ほんとうにつらい時、
落ち込んだ時、
苦しんでいる時に、
行けなくなってしまう教会だったら、
それは「キリストのかおり」を放っている
ということは出来るだろうか?

「キリストのからだ」だということができるだろうか?

イエスさまのようになりたいと思います。
イエスさまのように、
その様な人々と共に歩む者となりたいと思います。
イエスさまのように、その様な方々が、
「こんな時だから教会に行かないではいられない」
と思えるような、思わないではいられないような、
そんなかおりを放つ者となりたいと思います。

主よ、
どうかあなたのかおりを放つ者としてください。
あなたが持っておられた雰囲気、空気を、
私にも与えて下さい。
あなたにもっともっと近くならせてください。
そのために必要なもの、
必要な経験、
あなたが私に与えて下さい。

2006-12-04

主を頼る

今朝の雪は1でした。
朝、6時過ぎに家を出る時には晴れていたので、
ああ、0かな。と思いましたが、
9時頃、ちらほらと降っていました。
ですから「かきごおりスケール」で今朝は1でした。

それで、今日はその後も気温が上がらず、昼間でも3度くらいまでしか行きませんでした。
そして、夜の10時現在、-2.1度C。あっさりこの冬最低を更新です。
たぶん-4度くらいは行くでしょう。

それから、「のりたま」の件ですが、
まず、
「のり」と「たまご」は入っていないとウソになるので、
さすがに入っているようです。
あと、「塩」も入っているのは想像できますよね。

さて、あとふりかけですから「ごま」が入っているのもまあ順当、と言うところで、

「砂糖」も入っていますね。
でも、「はちみつ」は入っていません。
「はちみつ」が入っているのは、「ヒデキ、カンゲキ!」の○ーモントカレーでしょう。

あ、話はそれますが、
○ウスの「印度カレー」好きだったんですが、
今も、売っているようですが、
あんまり見ません。
こっちのミツワでも、日本のヨーカドーでも見ませんねえ。
どうしてなんでしょうか?

話を戻しますが、
あと、「のりたま」には「鶏肉」も入っているんですねえ。
「親子ふりかけ」ですねえ。

ここまでで6コ。あと4つです。

あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、バナナ、アロエ、粉ミルク

の中から4つ。
さすがに「バナナ」は入っていません。
「アロエ」も入っていないんです。
「カカオ」も入っていませんねえ、おかしじゃないんだから・・・。

さて、

あんこ、抹茶、イースト
片栗粉、昆布、粉ミルク

この中で入っていないのが2つ。
入っているのが4つ。

「えー」ですよね。

かきごおり的に入っていそうなモノは、
昆布と抹茶かな。
あとはねえ・・・って感じですが、

正解は

「あんこ」「抹茶」「イースト」「粉ミルク」だそうです。

一番、え?と思うのは「あんこ」ですよねえ。
まあ、正確には「こしあん」なんですが、
ちゃんと袋に書いてあります。
「お菓子じゃないんだから・・・」と思いました。でも、
「のりたま」だけではなく、このメーカーのふりかけにはかなりの確率で、
「こしあん」が入っています。

ちゃんと丸美屋食品のFAQのページにも書かれています。
それに結構同じことを感じる人がいるみたいで、
電話で問い合わせた人もいるんですねえ。

でも、これ、ねらったんでしょうねえ。
単に「小豆粉末」って書いたっていいのだろうと思います。
でも、そこで敢えて「こしあん」と書いているんですから・・・。

甘いあんこが入っているかと思うじゃん。
「えー」って思うじゃん。
まんまとはまっているんだよねえ。自分。

でも、何のために入っているのか、
入っているのと入っていないのではどういう風に風味が違うのか、
ナゾです。



それはそうと、「アンパンマン」の中身って、「つぶあん」なんだってね。



ま、どうでもいいけど。


さあ、ここから本題の聖書です。
今日はコリント人への第2の手紙に進んで1章です。

「これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(9節)

パウロが自分の経験した苦しみをこのように理解しています。
その苦しみを通して、パウロが経験したのは、自分の力ではどうにもならない、
神様の力を頼るしかない、ということでした。
そして、その神様は「死者をもよみがえらせる神」なのです。
この神様を信頼することができるのです。

私たちは、他に頼ることができるものがあると、どうしても、
それを頼ってしまいます。
人を頼り、お金を頼り、健康を頼り、能力を頼り・・・。

でも、それらが取り去られる時に、
ああ、神様しか頼るモノがないんだということを知る時に、
初めて私たちは真剣に神を求めるのではないでしょうか?

本気で神様を頼る時が来ていると思います。
私個人もそうですし、
教会もそうです。

私たちは神様の力が現われる教会を作り上げていきたい、
いや、神様に作り上げて頂きたいと思います。

私たちの力ではなく、
私たちの知恵ではなく、
そういうものが無にされたところに働く神の力を見たいのです。

主よ、
あなたの御力を見せてください。
あなたの御業を拝させてください。
私は何を頼っているでしょうか?
あなたを頼る者としてください。
教会の中にもその様な空気が充満しますように。

2006-12-03

広い門が開かれている

今日の日曜日、
風邪でお休みの方々も多かったのですが、
それでも、今日もたくさんの方々と礼拝が守れて感謝しました。
今日来られなかった方々にも神様の慰めが届きますように。

明日から日曜日を除く毎日朝6時半から祈り会です。

ですから、出来るだけ11時には休んで、早く起きて、備えたいです。
「起きてすぐ出てきましたー」みたいな感じより、
早く起きて備えたいです。

で、明日の朝の雪ですが、
今朝のスケールで1にダウングレードします。
たぶん、降ってもちらほらでしょう。

子ども達はSnow Dayを期待していましたが、
あり得ません。
ちゃんと、学校あります。

そして、今のところ、しばらく雪の予報もありません。
まあ、突然、「あさって雪」とか言い出すのが、
この季節の予報の難しさを表しているのですが、
そんなもんです。

ここで、がらっと話題を変えますが、
丸美屋の「のりたま」知ってます?
次の中で入っているものは何でしょうか?
NJの教会には、食べたものの中に入っているモノを見事に当ててしまう、
元「○の素」の社員の方がおられますが、
皆さんはどうでしょうか?

砂糖、はちみつ、塩、ゴマ、あんこ、カカオ、抹茶、イースト
片栗粉、鶏肉、卵、昆布、海苔、バナナ、アロエ、粉ミルク

このうち10種類は入っています。

つまりウソが6つ。

答えは明日の夜。
ウチにある、またはミツワの近くに住んでいる、という方は調べてみて下さい。

さて、今日の聖書。
今日はコリント人への第1の手紙16章でした。

手紙の最後のパウロの挨拶ですが、
「働きのための広い門が私のために開かれており」という9節の言葉が心に留りました。
神様が私たちの働きのために広い門を開かれている、ということを、
今もこの地にあって歩んでいて、感じます。
それを感謝して受け取って、そこで働きをすることの幸いを感じます。
これも特別なことなのです。

あるところでは迫害もあります。
そしてそこでは、迫害の中で熱い思いを持って主に仕えておられる方々もおられるといいます。
でも、今、迫害もなく、「広い門が開かれている」ということも、またすばらしいことです。(パウロの場合はここに「反対者も多い」と続くのですが・・・)
その開かれた門の広さ、大きさを敏感に感じ取って、
そこに大胆に働いていくことの大切さを思わされます。

もっともっと、開かれている門の大きさにふさわしい働きをさせて頂きたいと思います。

神様、
あなたがこの地にあって、大きく働きのための門を開いていて下さることに心から感謝します。
どうか、その開かれた大きな門から大胆に入っていって、
福音を、あなたの愛を伝える者としてください。
どうか、もっともっと大きく門を開いてください。
それを活用する知恵と、力と、情熱と、働き人を与えて下さい。

今日からアドベント

昨日の夜は11時にメシ喰って、
12時過ぎには寝たので、お腹がめちゃもたれています。
やっぱダメだよねえ、そんなことしちゃ。もうオヤジなんだから。

と情けない話から入っておきながら、
急にシャキッとした話題になりますが、
今日から教会はアドベントに入ります。
アドベントはキリストの誕生を祝うクリスマスを待ち望み、
「私はもう一度来る」と約束されたイエスの「再臨」を待ち望む、
クリスマスまでの4回の日曜日。
今年は24日が日曜日なので、今日から4回の日曜日、
3週間続きます。

教会によっては一年を通して毎朝「早朝祈祷会」を持っています。
(韓国系の教会はアメリカでも朝5時半からやっているんだそうです・・・)
私たちの教会はここ数年、毎年このアドベントの時だけ6時半から、
早朝祈祷会をしています。
今年は5時半にしようかな・・・とちょっと思ったのですが、
やはり6時半にしました。
明日からです。
祈りは教会の原動力。
神様の前に出て一日を始めるとその一日は全く違う一日になります。
教会まで来れない方も、これを機会に朝6時半(もっと早い方も多いでしょうが)、
祈りの時としましょう。

で、お天気ですが、
金曜日は21度Cまで上がりました。
いやあ気持ち悪いくらいでした。
でも、昨日からは冬になって、
今朝はこの冬2番目の-0.9度Cまで下がりました。

明日の朝は、雪が舞っているでしょう。
大したことはありません。
早朝祈祷会に影響はありません。たぶん・・・。

で、昨日の聖書。
昨日はコリント人への第1の手紙の15章でした。
最後の言葉が心に留りました。

「あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。」(58節)

どんな労苦も無駄になることはない。
何という慰めでしょうか?何という励ましでしょうか?
昨日の一日の働きも、
今日語られるメッセージも、
人目に触れることのない隠れた働きも、
決して無駄に終わることはない。

ちょっと疲れてしまった時に、
ちょっとした言葉に捕らわれて、
ちょっと襲ってくる不信仰、
それを吹き飛ばすのはやはり御言葉の力だなあと思いました。

決して無駄はない。
そう、私たちがここに生かされていること自体、
ここに人々との出会いが与えられていること自体、
神様にあっては意味のあることなのだ、と思います。
自分にはまだ見えてこないことも、意味があるんだと。

神様、
ありがとうございます。
あなたの守りと支えに感謝します。
御言葉による励ましに感謝します。
今日の一日のひとりひとりの働きを守り祝福して下さい。
あなたにとっては無駄なことは何もないということを、
信頼して歩ませて下さい。