今年はほんとうに雪が降りませんね。
今夜も雨です。
ちょっと寒くはありますが、
でも、雪が降るような寒さではありません。
助かります。
でも、ちょっと物足りなくもあります。
今日、やはりアメリカは交渉が大切、
泣き寝入りはダメ!と感じることがありました。
子ども達が使っている携帯、娘の方はほとんど使わないくせに、
何だか間違って何かお金がかかることを申し込んでしまったみたいで、
先月から10ドルずつ請求が来ていた。
それを「返してくれ!」と電話をした。
そしたら、「お嬢さんに注意するように言っておいてね」とは言われたけれども、
2ヶ月分、約20ドル、返してもらえた。
自分的には「こっちのミスだから、これから先はキャンセルするとして、
ここまでの分はやっぱ返って来ないんだろうなあ」
と思っておりました。
でも、面倒がらずに言わなきゃダメですね。
そう、昨日は夏に買った150ドルくらいのものについて、
30ドルのmail in rebate(値引き返金)の申し込みをしていたのに、
「認められません」と返事が来たので、
「どうして?」と電話したら、「こちらのミスでした・・・」だって。
まあ、これも泣き寝入りをしないでよかった。
簡単に引き下がったり、
まあ、これくらい面倒だ、なんて言っていないで、
交渉しなきゃダメですね。
さあ、明日はアドベントの朝の祈り会の最終日。
早く寝て、「ぐっすり眠ると、すっきり目覚める」朝を迎えたいと思います。
さて、昨日木曜日の聖書。
昨日はガラテヤ人への手紙5章を読みました。
「 わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。」9節の言葉です。
これは教会の中に入ってくる、不純なものについて警戒するようにとのパウロの言葉です。
ほんとうに小さなもの、
最初は「これくらい・・・」と思うようなものであっても、
それがいつの間にか大きくなって、全体に影響を及ぼしていく。
ユダヤ人の方は今でも過ぎ越の祭りの時には、家の中にパン種が全然ないようにと、
家中を徹底的に掃除するそうですね。
私たちは物理的にパン種があるかどうかは全く問題にしないわけですが、
それくらい厳しく、それくらい敏感に、それくらい注意深く、
それくらいspiritualなことに心を止めていくことの大切さを思わされました。
小さなことでも、見逃さない、
その様な霊的な敏感さを与えて頂きたいと思いました。
主よ、
どうか、あなたの愛してやまない教会をお守り下さい。
最初はそんなに気にならない問題であっても、
それが後では大きくなっていることがあります。
そんなことをしっかり見抜く目を与えて下さい。
きりきりするのではなく、
ほんとうにあなたを信頼する中に、
敏感な感性を与えて下さい。
こんばんわ、ありゅです。
ReplyDeleteアメリカに来て、泣き寝入りしたことがいくつかあります。一番大きな泣き寝入りは、ダイニングテーブルとお揃いで買ったカップボードです。タイルが使われているのですがそのタイルが割れていて、苦情を言って取り替えてもらうはずが、なぜか間違えてダイニングテーブルを持ってやってきたのです。その後、何度連絡をしてもらちがあかず。電話はものすごく待たされ終いには切れてしまったりでようやく繋がっても話が通じず、メールも送りましたが、そのまま返事も来なくて、時が経ってしまったのです。
ダイニングテーブルには5年保障を付けたのに、カップボードにはそれを付け忘れてしまったので、すっかり諦めてしまいました。
夫も英語が苦手なこともあり、そのまま泣き寝入りです。クレームを付けられるだけの英語力が欲しいです。
いやあ、ほんとうに、電話をしても、機械で「何番を押してください」と言われて、人間に繋がるまでやたら時間がかかって、繋がったと思ったらたらい回しにされて・・・みたいなのは、イヤになりますよね。泣き寝入り・・・ありますよね。でも、結構イヤなことは忘れてしまうタイプなのかも・・・。思い出せません。また思い出したら、紹介します。
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