2006-10-07
聖霊が注がれる
でも、今日は何か気分がいいです。
というのは、日本から帰ってきてからずっと気になっていた、
バスルームの蛇口からポタポタと流れ出るお湯。
どんなに締めても止らなかったんです。
そして、自分で直そうと思っても、ねじ山が潰れたり、
中の構造がどうなっているか今ひとつ分からなかったりで、
時間がかかっていたのですが、
今日、ねじ山が壊れたヤツを何とか壊して、
分解して、元に戻してみたら、何と水漏れが止ったではありませんか。
うーん、不思議。
どうしてか分かりません。
どうして水漏れしていたのか、
どうしてそれが止ったのか、
分かりません。
でも、とにかくよかった。
いろんなモノ分解するのは好きですが、
分解して、元に戻らなかったら、どうするんだろうと思いますよね、
特に水回り。
だって、
分解して元通りにならなかったら、元栓開けられないし、
元栓を止めたら家中の水が出ないし、
お客さんもいるのにどうしよおおおお!
と恐る恐るでした。
めでたしめでたし。
今朝の祈り会、よかったですよ、人数は少なかったですが・・・。
教会堂が与えられるように祈りました。
天の窓が開かれて、すべての必要が満たされますように。
私たちの神さまは全能の神さまですから・・・。
ということで、今日の聖書箇所。
今日は使徒の働きの2章を読みました。
ペンテコステのところ、聖霊様が教会に注がれたところです。
その中で、
18節の言葉が心に留りました。
「その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。」
聖霊様が私たちに注がれている。
私たちには聖霊様が与えられていることは確か。
でも、本当に「注がれている」ということができるんだろうか。
満たされていると言うことができるのだろうか。
もっともっと求めることを主は望んでおられるのではないだろうか?
「注がれているんだからいいんだよ」という態度は違うのではないだろうかと思った。
もっともっと主よ、注いでください、と思わされた。
ただ、このペンテコステの時に起ったようなすばらしい神の業が起るようにと願った。
主よ、
どうか聖霊様を与えて下さい。
注いで下さい。
満たして下さい。
そしてあなたのことを語らないでいられない者としてください。
今夜の休みを祝福し、
明日、喜びに満たして、礼拝を守らせてください。
祈りに専念する
この週末から来週前半くらいはまあ、
こんな感じか、もうちょっと暖かいようですが、
来週後半からぐーんと寒くなるみたいです。
まあ、もう再来週は10月後半ですから・・・。
今から13年前かな。93年の10月はアトランタにいましたが、
そのハローウィンにはアトランタで小雪が舞っていましたから・・・。
昨日の午前中の集会のあと、
何でか熊の話になって、
北海道に行った時の「熊に注意」の看板のことを思い出しました。
今から15年前。
日本の教会で副牧師をしていた時。
主任牧師の先生に許可をもらって、
若者達を連れて車で北海道の教会を回る旅に行きました。
観光と「伝道」をかねて・・・と思ったのですが、
実際のところ、北海道の教会の皆さんに励まされる旅でした。
熊の看板があったのは支笏湖のそばの「苔の洞門」
写真がどっかにあると思うのですが・・・
家の中を捜すよりwebを捜した方が早いので・・・
これです。
これ、下の方の「それでも熊に出会ったら・・・」っての、
けっこうインパクトありました。
だって、「これはダメです」「これをすると襲われる」って感じで、
じゃあ、いったいどうしたらいいの?と思いますよね。
「死んだふり」も「木に登る」ってのもダメなんですよね。
まあ、総合的に読むと、
「目を離さないで、背中を見せないで、熊が興味を持ちそうなモノを落としながら後ずさりする」
ってことでしょうか?
でも、最後の文章を読んでも、「時間が稼げます」で終わっているところがコワイ。
昨日は「蜂蜜持っていったらいいんじゃない?」という話もありましたが、
熊に出会ってから、カバンの中を捜して、蜂蜜を見つけて、そのふたを開けて・・・ってやってられるかなあ、と思います。
まあ、熊に出会うって、大変なことなんですよね。やっぱり。
お気をつけください。
NJで出る熊はヒグマほどこわくはないんでしょうが・・・。
金曜日の聖書。
「使徒の働き」に入って第1章。
口語訳では「使徒行伝」、新共同訳では「使徒言行録」
でも、今回は新改訳で読んでいるので、「使徒の働き」です。
1章の14節の言葉が心に留りました。
「この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、
みな心を合わせ、祈りに専念していた。」
「祈りに専念する」
ってすごいですよね。
そのことだけやっていた。
自分はやったことあるだろうかと、振り返らされた。
いろんなことに追われて、
祈る時がまた貧しくなっていないだろうかと。
今読んでいる本のように、
「祈れないほど急がしい?」
ってか。
今日は明日の礼拝のために祈りながら、説教の準備をしていますが、
そういうことを抜きにして、祈る時、必要だと思います。
「祈りに専念する時」必要だと思います。
神さま、
また祈りに招いてくださってありがとうございます。
祈ることに専念する時が自分には必要だと思います。
どうか今晩の祈りを、
明日の朝の祈りを豊かな一時としてください。
あなたにお会いした喜びと感謝に溢れて、
明日の礼拝で皆さんにお会いすることができますように。
終わっちゃいましたね
ものすごいメンバーだったんですがね。
2戦目で逆転されてから、全然打てなくて。
勝負の世界はわからないもんです。
でも、勝ち負けだけではなくて、
エキサイトする瞬間が全然なかったのが、残念だったかな。
まあ、寝不足とかにならなくていいんですが・・・。
あとで、昨日の分と今日の分、更新します。(^_^)
2006-10-06
2006-10-05
主の栄光をあらわす生き死に
負けちゃったみたいですね。
明日も集会中ですね。
まあ、いいか。
朝の集会はたくさんの方々が来られて、
また歌とお話もとてもよかったです。
その後も、皆さんゆっくり過ごされました。
感謝。
明日の朝は歌手の方は他の教会に行かれます。
私の方は自分の教会の集会です。
それもまた楽しみです。
今日はさっそく聖書の言葉。
ヨハネによる福音書21章を読みました。
ヨハネによる福音書の最後の章です。
そこに、ヨハネ自身の注釈がイエスの言葉に付けられています。
「これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった。」
19節の言葉です。
イエスが、ペテロがやがて手を縛られて、行きたくないところに連れて行かれるだろう、
とのイエスの言葉に対して、ヨハネが書いた言葉です。
「神の栄光を表す死に方」と言うことを考えさせられました。
今週の月曜日はペンシルベニア州のアーミッシュの村で、
学校に押し入った男に5人の女の子が殺されるという痛ましい事件が起りました。
手足を縛られて、黒板の前に並ばされて、
処刑をするように撃たれていった女の子達、
想像するだけで、本当に心が痛みます。
自分の子供がもしもそんな目にあったらと思うと、
また自分自身がもしもそんな目にあったらと思うと、
恐ろしくて、体が震えます。
でも、犠牲者の家族はアーミッシュの信仰の中で、
神の御手を信じました。
犯人への憎しみを口にしませんでした。
犯人の家族が弔問に来ることをも、拒みませんでした。
納棺の時に、遺体を前にして、犠牲者のおじいさんが、
「決して、これによって、犯人への憎しみに支配されてはいけない」と語ったそうです。
また、犯人、彼にも熱心なクリスチャンの妻がおりました。
3人の子ども達もいたと言います。
彼らはどんな思いで過ごしているでしょうか?
でも、そこにもサポーターが与えられて、共に祈る仲間や牧師が与えられているそうです。
昨日の夜のCNNのLarry King Liveで、
犠牲者、加害者を取り巻く多くの人々が、インタビューを受けていました。
当然憎しみを感じていいところで、
憎しみを感じても、誰にも非難されないところで、
あえて憎しみに支配されないで生きる彼らに、
心からの尊敬を覚えました。
私は「神の栄光を表す死に方」をできるだろうかと思いました。
私の死によって、人々の心が神さまに向くような、その様な死を経験したいと思いました。
もちろん、それは私自身が見ることはできないのですが・・・。
自分にはどうにもできないことですが・・・。
だから、神さまに助けて頂きたいと思いました。
主よ、
どうかわたしがあなたの守りによって、
あなたの助けによって、
「神の栄光を表す死に方」をすることができますように。
神さま、私を助けてください。
そして、生きている時にも、
もっと神さまの栄光を表すような生き方ができますように。
2006-10-04
なぜ泣いているのか
まあ、お天気牧師的に言えば、正解。
今11時ですが、我が家の方では雷が鳴って、激しく雨が降っています。
やってたら、終わるのは夜の2時とかになっていたことでしょう。
明日の夜の方がゆっくり見れるし・・・(自己中心)・・・
いや、待て、Back to School Night、最後の1人のが残ってた!帰るの10時前だ・・・。
でも、まあ、10時から見るくらいがちょうどいいか。
今日の夜はゴスペルシンガーの方が、NYの日系人会のホールで歌って下さいました。
声の調子は悪いようでしたが、
その歌と語りの中にとても力強いメッセージが込められていて、
集われた方は一握りだったのですが、後で伺うと、お1人1人にとってタイムリーな集まりだったようです。
感謝。
だから、結局人数ではないんですよね。
もちろん、いつもいつもたくさんの方々に来て頂きたいけれども、
おいでになれた1人1人にとってそれがいい時になれば、それがいいことなんですよね。
神さまがその様にして下さったんだと思いました。
朝の集まりにはたくさんの方が来られていましたが、
出かけにいろいろ作業をしていたので、遅刻。失礼しました。
次回からは「パンクチュアルかきごおり」をめざしてがんばります。
今日の聖書。
ヨハネによる福音書20章です。
今日、心に留ったのは、泣いていたマグダラのマリヤに、天使達と、復活したイエスが語った言葉、
「なぜ泣いているのですか」という13節と15節の言葉です。
私たちは、いかに「泣かなくていい」場面なのに、目がふさがれているがゆえに、泣いていることがあるでしょうか?
本当は神さまの御手が、広げられて、私たちが守られているのに、
不安を感じて、慌てていることがないでしょうか?
泣かなくていい。主はその様に言われます。
大丈夫だよ、と言われます。
でも、私たちの目はふさがれている。
私たちの耳は鈍感になっている。
神さまの存在が見えない、
神さまのみ声が聞こえないんですね。
「なぜ泣いているのか」
今も、私たちに語られていると思いました。
私自身に語られていると思いました。
神さま、
あなたが今も共にいて、
「なぜ泣いているのか」と聞いて下さる方であり、
「泣かなくてもいいんだよ」と語ってくださる方であることに感謝します。
私の心の目を開いて、物事の本質が見えるようにしてください。
私の心の耳を開いて、あなたのみことばが分かる者にしてください。
明日の集会の上にも、祝福をいっぱい満たしてください。
2006-10-03
家族とされて
今朝までぐっすり休みました。
うーん、一日おきですねえ。
今日はお約束の野球を最後の方だけ見て、
その後、明日の朝の集まりの準備をしながら、一冊の本を読みふけって、
遅くなってしまいました。
明日の朝の集まりは、他の教会のプログラムなのですが、
どちらかというと「聖書を読む」ということが目的ではなくて、
文化クラスの最初の15分間、聖書の話をする、というプログラムなので、
いろいろ作戦を考えさせられます。
「ああ、15分遅れていくくらいがちょうどいい」なんて絶対に思われないようにと、
ちょっと意地になっているかも・・・。
なんか、「常識にくさびを打ち込む」みたいな話ができればいいなあ、と思います。
私たちは「これが常識だ」と思っていることがいろいろあります。
でも、こうやって、日本で育って30年くらい経って、アメリカに住んで14年くらい。
ん?足し算するとちょっと多すぎですねえ。でも、まあ、それくらい。
日本では「これ常識」というものが、アメリカではとんでもない話だったりしますよね。
最近一番戸惑うのが、
「つまらないものですが・・・」と贈り物をする日本の習慣。
こちらでは絶対変ですよね。
「何で私につまらないものなんかくれるの!?」ですよね。
逆に「すごいいいのなんだよ!開けて開けて!」って感じ。
自分の場合、完全にアメリカナイズされている訳ではないんですが、
日本式にもものすごい抵抗があります。
でも、やっぱり日本ではそう言っちゃうんですよね。
もちろん、タメ口の親友とかだったら別ですが・・・。
まあ、その手のことなら、「郷に入りては郷に従え」なんでしょうが、
「絶対」だと思っていたことが、異文化に触れることによって「絶対」じゃなくなっちゃうんですよね。
聖書に触れても、そんなことが起る、それをお話しできればと思います。
だから、もう少し作戦を考えてから休もうと思っています。
今日の聖書はヨハネによる福音書19章でした。
イエスが十字架にかけられる場面です。
その中で、今日心に留ったのは、26-27節の十字架の上からのイエスの言葉です。
ヨハネに対して言った「子よ、これがあなたの母です」
マリヤに対していった「おかあさん、これがあなたの息子です」
言葉です。
十字架の上で、イエスは弟子のヨハネに「お母さんを頼むよ」、母親に「これがあなたの息子だからね」と言われたのです。それは一見、「自分が死んでしまうから、お母さんを頼むよ」という言葉に見えますが、それ以上の意味を持っている言葉です。
私たちは十字架の下で、周りの人々を「この人を頼むよ」とイエスから言われているのです。
十字架の元で一つの家族にされて、
お互いの存在を任されているのです。
自分はどこまでそれを本気に受け止めているだろうか、
それをどこまで真剣に受け止めているだろうかと思います。
「個人主義」「プライバシー」・・・それは尊重したいと思います。
でも、その上で、お互いを「神さまから任された存在」として、
一つの家族とされた存在として、
受け止めているだろうかと思ったのです。
教会ではお互いのことを「兄弟姉妹」と呼びます。
○○兄弟、××姉妹と呼んだりします。
でも、それは単なる「夫の方か妻の方か」を言い分けるための便宜上の呼び方になったりすることもあります。
「田中さん」がご夫妻で教会に来られているとしましょう。
そのご主人の方を指す時に「田中兄が・・・」と言って、
奥さんの方を指す時に「田中さん、田中姉の方がさ・・・」
と言ったりします。
でも、本当にお互いを兄弟姉妹として、言葉だけではなくて、受け止めているだろうかと。
家族として、受け入れているだろうかと。
愛することを、敬うことを、尊敬することを、信頼することを
教えて頂きたいと思いました。
神さま、
あなたが私の人生に与えて下さった、
私に与えて下さった、兄弟姉妹を心から感謝します。
どうか、私がその兄弟姉妹を本当に主にある家族の1人1人として、
受け入れ、愛し、尊敬していくことができますように、
本当に、痛みを覚える人がおられたら、
その痛みを、自分の痛みとして感じることのできる者にして下さい。
明日の朝の集まりを祝福して下さい。
2006-10-02
イエスは私たちの王
一日おきに「よく眠れた!」「ああ、起きちゃった・・・」が繰り返されています。
でも、今日3時に起きたのは、
何か神さまの目的があるんだろうと思って、
ガバッと起き出したら、やっぱり意味がありました。
詳しくは申し上げられませんが・・・。
いつも「夜中に目が覚めるのは、神さまが『起きなさい』と私たちに誰かのために祈らせるために起こしているんですよ」と言っていますが(本当にそう信じています。不眠症の方には不評ですが、それでも、そう信じています)、今朝は「ああ、本当にそうなんだな」と思いました。
神さま、ありがとう。
起こしてくれて・・・。
でも、今日は夜8時にして、もう眠いです。
午後3時頃からずっと・・・。
朝2時間、夕方2時間のドライブだったのですが、
帰りは30分くらいでギブアップ。カミさんに交代しました。
ですから、今日は更新、いつもより早め。
たぶんまた早めに夢の国に旅立ちます。
今日読んだのはヨハネによる福音書18章でした。
イエスが逮捕されて、裁判を受けるところです。
その中で、イエスが、ローマ帝国から派遣されていた総督ピラトに、
「おまえは王なのだな」と聞かれて、
「そのとおり、わたしは王です」と答えたくだりが、心に留りました。
イエスは王になるためにこの世に来られました。
それは武力で人々を治めるためでもなく、
経済力で人々をまとめるためでもありませんでした。
自分を私たちの罪の身代わりとして与えて、
私たちの罪を赦し、愛によって支配するために、
愛によって私たちを支配するために来られたのです。
今、私はこのイエス・キリストを王としているだろうか、と問われているように感じました。
本当に王にしているだろうかと。
生活の中心をこの方にしているだろうか?
この方を第一にしているだろうか?
昨日の礼拝の中で、献金の感謝の祈りを捧げた方がお祈りされていたように、
お金も、健康も、才能も、時間も、すべて神様のもの、
その様に生きているだろうか?
この方を「王」とすることの意味を、具体的に、
一つ一つ教えて頂きたいと思いました。
一つ一つの場面で、「ああ、私はイエスを王としているだろうか」「この決断は、イエスを王としていることと矛盾しないだろうか」と問うて歩んでいきたいと思いました。
忘れやすい、私です。
一瞬一瞬、イエスさまが王であることを覚えていたいと思いました。
神さま、
イエスさまが私の王でいてくださることを感謝します。
具体的に、私の生活の中で、
何が、「イエスを王とする」ことなのかを、
教えてください。
一つ一つの決断の場面で、
「イエスを王である」という前提で、決断をしていくことができますように。
傀儡の王ではなくて、形だけの王ではなくて、
「王」の権威を語ってわがままをするのではなくて、
あなたを本当の王としてあがめていけますように。
2006-10-01
一つになる
やはり「帰ってきた!」という感じです。
心から主を賛美しました。
今日のメインイベントは、
洗礼式。
1人のご婦人が洗礼を受けられました。
祈られてきた、1人のクリスチャンの方のお母様。
喜びの中での受洗となりました。
その前の一つの集まりで数年前に洗礼を受けられたある方がおっしゃってたこと。
「私が洗礼を受けて変わったことが一つあります。それは次に洗礼を受ける方が起った時に、
それがとてもうれしかったことです。それは私にとって、驚きでした。」
感動しながら、その一つ一つ言葉を選んでお話になる言葉を聞いていました。
神さまのなさる奇跡ですね。
今日、洗礼を受けられた方は、
住んでおられるところがちょっと遠いので、
いつもいつもご一緒に聖書を読んだり、
礼拝を守ったりできないことが、
ちょっと残念+心配でもありますが、
「主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。」(使徒29:32)の思いで、
祈っていきたいと思います。
みことばが守り、導き、支えて下さいますように。
今日の聖書は、ヨハネによる福音書17章です。
最後の晩餐の中で、イエスが祈られた祈りです。
神に弟子たちの守りを祈られた言葉が書かれています。
その中で、今日、私の心に響いてきたのは、
20節の言葉です。
「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」
ここで、イエスが祈られたのは、弟子たちのためだけではなくて、
私たちのためでもありました。
いつも聖書を読む時には、弟子たちへの言葉は私たちへの言葉として受け取ります。
でも、このイエスの言葉は、直接的に、私たちのために祈られた言葉なのです。
感動を覚えました。
イエスさまが私たちのことも心にかけて祈って下さった。
私たちのことも心にかけておられる、ことが本当によくわかりました。
そして、その祈りは「彼らが一つになることです」という祈りです。
「一つになる」
そして、私たちが一つになった時に、周りの人々にたいする影響を持つことができるというのです。
どうすれば一つになれるのでしょうか?
それを思いめぐらしました。
それは誰かが大きな声を出して、
他の人がその人を恐れて黙ってしまうことによる一致ではないはずです。
余りお互い言いたいことを言わないで、「いいでしょう」という一致でもないはずです。
神さまの前にへりくだる一致。
神さまの前にひれ伏す一致。
それを求めていきたいと思いました。
自分の願い、自分の夢、自分のビジョンがすべて砕かれて、
神さまの御心を求めていく中での一致。
主がそれを与えて下さることを祈っていきたいと思いました。
主よ、
あなたが私のことを、私たちのことを心にかけて下さっていることに感謝します。
どうか、あなたが祈られた一致を、私たちに与えて下さい。
あなたの前にへりくだった一致を与えて下さい。
2006-09-30
勇敢でありなさい
ものすごい勢いで9月が駆け抜けていきました。
このまま、気がついたら、「ああ、もうクリスマスか!」なんてことになっているかと思って、
恐くなります。
ちなみに今年は「クリスマス・イブ」が日曜日。
さて、どんなプログラムになるのでしょう・・・。早く英語の先生と打ち合わせしとかなきゃ。
昨日の夜は、「時差ぼけなんて関係ない!」と豪語していたのですが、
その後夜の1時半にに寝たのに、目が覚めたのは午前3時。
そして、午後やたら眠い。
うーん、完璧昼夜逆転ではありませんか・・・。
今朝はとても寒くなりました。
予想の7度Cをさらに下回って、家の温度計では5.5度Cまで下がりました。
どんよりと曇って途中から小雨も降る一日でした。
うーん、雨男かな。
明日の日曜日も雨の予報が出ています。
それもかなり本降りのようです。
昨日、かなり気合いが入って長くなってしまったので、
今日はあっさりと・・・
今日の聖書はヨハネによる福音書16章でした。
「最後の晩餐」でのイエスの話のまとめの部分です。
「私が去っていっても、別の助け主、すなわち、聖霊を送るから、心配するな」という話です。
その中で、今日一番心に響いたのが、
最後の聖書の言葉です。
「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」33節。
この「勇敢でありなさい」という言葉に励まされました。
私は本当に小心者だと思います。
臆病だと思います。
だから、このような言葉が必要なんだろうと思います。
「勇敢でありなさい」
恐れなくていい。
おもいわずらわなくていい。
勇敢に進んで行きなさい。
その様に語られたように感じました。
いろんな苦しいことや、
悩むこともあるかもしれない、
でも、そんな中でも、「私はもう勝っているから」という方がおられるから、
そうなんだよね。
もう勝負はついている。
だから、心配しなくていい。
大胆に進んでいこうと思います。
主よ、
あなたと共に過ごす時の幸いを感じます。
いろんなことで心が乱れます。
あなたの御声をいつもいつも聞きながら、
進んでいくことができますように。
他の雑音に捕らわれてしまうことがありませんように。
みことばにいつもいつも聞いていくことができますように。
2006-09-29
友と呼ばれて
昨日は12時に寝て気がついたら9時でした。ちょっと寝坊。
でも、おかげで時差ぼけは軽くて済みそうです。
日本にいた時には、「NJに帰るのかぁ」って感じでしたが、
今は、もう2週間あまりの日本での滞在の現実感が薄れ始めています。
「2日前には日本にいたんだよねえ・・・」という感じです。
日本では、コンビニだけじゃなくて、100円ショップも行きなよ・・・と言われたのですが、
一歩も足を踏み入れられずに終わってしまいました。
ちょっとだけ、残念。
コンビニは初日に行ってから、なかなか行く用事もチャンスもなかったのですが、
最終日の前の日、ちょっとだけ立ち寄りました。
そしてちょっと捜したのが、男物のパンツ。
そう、パンツ。
英語のpantsではなくて、日本語の「パンツ」。
やっぱりちゃんとありましたよ。
そう、確か日本のコンビニにはあるよなあ、と思っていました。
実は・・・
9月2-4日のファミリーキャンプ、1日早く行っていたのですが、着く前に気がついたことがありました。
英語のpants、日本語の「ズボン」の替えを持ってこなかったことに・・・。
ヤバイ、3泊だもんなあ・・・すぐ食べ物こぼすしなあと思いつつ、ホテルに向かいました。
そして、カバンを開けて、「やっぱりないよなあ・・・」と思いつつ調べて、
もっとすごいことに気がつきました。
日本語の「パンツ」の替えを忘れたのです!
これはヤバイ!
話には、「2日目には裏返して、3日目には前後ろを逆さまにして、4日目には・・・」と言いますが、
さすがにそれは無理でしょう・・・。
・・・
うーん、やっぱり、さすがにね。(おい、考えるな!)
救いは何もない砂漠のど真ん中、ではなかったことです。
車で10分走れば、ショッピングモールがある。
でも、2日の午後のプログラムが始まってしまったら、もう買い物になんか出る暇がない。
でも午前中も牧師の研修会があるし・・・
と思って思いついたのが、
普通のグローサリーストア(スーパーマーケット)にも、
ちょっとは置いてあるだろう・・・。
大体7時頃から開くだろうから・・・。
と朝早く行ってみました。
でも、ない。
靴下止まりです。
靴下はあるんだけどなあ・・・。
下着も、お店によっては、なぜか、女ものならあります。
・・・・
でも、それもヤバイよなあ・・・。(だから、考えるな!って)
てゆうか、それは「履かない」よりももっとヤバイでしょう。
帰り道に目に留ったのは「7イレブン」。
開いてる。一応アメリカでも7時には開くみたいです。ハイ。
ちょっと期待して、入る。・・・だって、確か日本の「7イレブン」にはあったから・・・「パンツ」。
入ってすぐ、「あ、こりゃダメだ」と気がつく。
典型的なアメリカの「7イレブン」より、さらにモノがない。
なぜか軍手はあるが、「パンツ」はない。
ソーダマシンはでかいのがどーんとあるのですが、
肝心の「パンツ」はないんですねえ。
ちょっとでも期待した自分の愚かさを感じました。
結局、牧師研修会をちょっと中座して、10時から開く店で買ってきました。「パンツ」と「pants」。
うーん、最近、ちょっと忘れ物がひどすぎるかな。
でも、そんな時、日本のコンビニがこっちにあったら・・・とマジ思います。
今度近所に「日本のコンビニがオープン!」とかあったから、
今度調べてみよう。ちゃんと「パンツ」があるかどうか・・・。
今日の聖書はヨハネによる福音書15章でした。
最後の晩餐の中のイエスの言葉が続きます。
今日のところは「私はまことのぶどうの木、あなたがたはその枝です」というところです。
その中で、イエスの次の言葉が心に留り、祈らされました。
「わたしはあなたがたを友と呼びました。」
15節の言葉です。
イエスさまが私のことを「友」と呼んでいてくださる。
友と呼んで親しく過ごそうとしておられる。
それなのに、私は神さまとの時をどれくらい楽しみにして毎日を送っているだろうか?
祈りの生活がもっともっと豊かなモノになるようにという熱い思いが与えられた。
もっともっと親しく神さまと時を過ごしたい。
もっともっと豊かな時を過ごしたい。
その様に思いました。
そして祈りました。
あなたとの交わりの時を、
あなたに祈る時を、もっとゆっくり、もっと豊かに持たせてください、と。
日本で教会図書用に買ってきた、
「祈れないほど忙しい?」という本、
まず、皆さんに回す前に最初に自分から読みたいと思い、読み始めました。
自分にこそ、本当にそれが必要だと思いました。
主よ、
私を祈りに導いてください。
あなたがせっかく「友」と呼んでくださったのですから、
あなたと共に時間を過ごさせてください。
あなたと共に歩む喜びに溢れさせてください。
霊的なものに、あなたの愛に、あなたの導きに私の焦点を合わせていくことができますように。
2006-09-28
ほんの一握りの人にでも
半分くらいまで来ました。
NJ時間で木曜日の朝の9時半頃です。
今日は祈り会の日ですね。
皆さんが集まって祈って下さっていることに心から感謝します。
木場深川教会でも木曜日の朝に祈り会をしてから出てきました。
TCATまで車で10分くらいのところに実家(=教会)があるので、
4時過ぎの飛行機に乗るためには、11時半頃出ればいいのです。
そこで、「10時からの祈り会でメッセージをして行きなさい」ということになった訳です。
10人くらいのご婦人方が集まっておられました。共に祈りました。
その輪に加えて頂けることはうれしいことです。
またご奉仕をさせて頂くこともうれしいことです。
教会の原動力は祈り。
何度も語ってきました。
でも、自分の祈りの生活はまだまだ貧しいなあと思います。
今回も日本に来て、皆さんにお会いしたり、お電話でお話しする中で、
「祈っていますよ」「祈りますからね」と言わないではいられない、
決して単なるご挨拶ではなくて、祈りたいと思わされる状況があります。
日々の祈りの中で、お一人ひとりのことを祈り続けたい。おぼえ続けたい、そのように思います。
今日のNJでの祈り会の祝福を祈りつつ。
やっと追いつきました。
木曜日、今日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書14章です。
ここも最後の晩餐でのイエスの言葉が書かれているところです。
その中で、弟子のひとりが言った言葉が目に留りました。
22節です。
「主よ。あなたは、私たちにはご自分を現わそうとしながら、世には現わそうとなさらないのは、どういうわけですか。」
どうしてなんだろう?と思いました。
イエスはたくさんの人々に語られました。
でも、弟子たちには特別に語られました。
特別にご自身の深い思いを分ち合われました。
それがイエスの方法だったのだと思います。
私もそのようにさせて頂きたいなあ、と思いました。
一度にたくさんの方々に語ることも大切な働きだと思います。
たくさんの方々が神の愛を知り、イエスを「主」として従っていく歩みに導かれたらいいと思います。
でも、それと共に、ホンの一握りの人々だけかもしれない、でも、本当に深い深い神さまの愛を分ち合っていく、
そのような伝え方ができて、その聞いた人々がまたホンの一握りの人々かもしれない、でも、本当に深く深く、神さまの愛を分ち合っていく、
それが広がっていったらいいなあ、と思います。
有名な話です。
王様が3人の娘に何でも欲しいものを言いなさい、と言われました。
上の2人はたくさん求めました。何だったか忘れました。
でも、一番下の娘は1日目にはコインを1枚、2日目には2枚、3日目には4枚と毎日倍々に増やしていって、それを1ヶ月間続けて欲しいと言いました。
王様は、「何だそんなんでいいのか?」と思いました。
でも、1ヶ月経った時に、姫はコインを何枚もらっていたんでしょう?ちょっとエクセルで計算してみますね。
1073741823枚
10億7374万1823枚です!
すごい!
そのコインが1円玉でも10億円ですよ。
10円玉だったら100億円。
100円玉だったら1000億円です。
ネズミ講が禁止されているのは当然。
チェーンメールをやってはいけないのも当然ですね。
でも、すごいですね。
だから、一遍にたくさんの方々に語れなくてもいい。
確実に何人かの方々に伝えていけば・・・。そう思います。
そしてその何人かの方々が同じように、何人かの方々に語りたい!と思うように導かれていく。それが大切なんだなあ、と思います。
主よ、
どうかわたしを用いて下さい。
派手な働きはできなくてもいいです。
ホンの幾人かでも、確かに福音を伝えることができますように。
そしてそのひとりひとりが確かに福音を伝える器に整えられていきますように。
愛すること
今アラスカ上空にさしかかったところです。
アラスカと言えば思い出すことがあります。
今から11年前かな。
学生でNJに住んでいました。
このころはほとんど毎年、日本に帰ってアルバイトをして学費と生活費を稼いでいました。
といっても、国家資格を持っているカミさんの方がすぐ決まって、
私の方は日曜日の新聞に折り込まれる求人情報から短期バイトを探したり、
お中元バイトをしたりしていました。
翻訳の仕事もちょっと・・・。
そんなんだったので、
一度、なるたけ安く帰ろうと、Korean Airのソウル経由便というのを使いました。
直行便より、ひとり100ドルくらい安くて、4人で400ドルくらい。バカにできません。
でも、1歳と4歳を連れて、さすがにきつかったですね。
九州の方とか、成田経由もソウル経由も変わらないでしょうが、
どうせ成田に行くのに、何でソウル経由?って感じでした。
行きは、JFK→ソウル→成田だったのですが、
帰りは、成田→ソウル→アンカレッジ→JFKだったんです。
それで、アンカレッジの空港内でぶらぶらした、それが唯一のアラスカ経験です。
これからはオーロラの季節でいいんでしょうが・・・いつか見てみたいです。オーロラ。
本題はこれから・・・
この時、チケットを買ったのが、
新聞に載っていた無名の旅行会社。
それもクレジットカードは取り扱わない、と言います。
あやしい。
そんなの絶対にやめたほうがいい・・・と今では思います。
でも、このころ、やっぱり400ドルに目がくらんでしまったんですね。
3000ドルか2600ドルかって感じなんですが、2600ドルを取ってしまったんです。
チェックを送ったのですが、
チケットが待てど暮らせど送ってこない。
電話をすると、「明日送るから・・・」
3日経っても送ってこないから、もう一度電話すると「明日送るから・・・」
そば屋の出前状態・・・(おそば屋さんゴメンナサイ、本気ではないですよ。慣用句です。)
もうそれからは毎日電話しましたよ。「今日送ったか?」「明日送る・・・」「今日は送っただろうねえ」「明日送るから・・・」
これ以上待ったらヤバイ、というか、もう飛行機まで何日もない・・・
とうとう、「いいから、取りに行くから・・・」とNorth Bruinswickのオフィスまで取りに行きましたヨ。
ところが受け取ったチケットは見たこともない、「手書きのチケット」。
「ホントに大丈夫かい?」と飛行機に乗るまでハラハラしました。
無事に乗れた時、どんなにうれしかったことか。
でも、話はそれでは終わりませんでした。
8月の終わりにNJに帰ってきたのですが、
10月か11月か、警察から手紙が来ました。
「North Buinswickの××旅行会社を営業していた○○は、詐欺容疑で摘発された。オフィスを捜索したところ、あなたの名前が顧客リストにあったけれども、あなたは被害に遭わなかったか?」
ぞっとしましたねえ。
そして、しつこく「まだか」と電話し続けてよかったと思います。
それから、新聞広告は信じません。どんなに安いチケットが出ていても、信じません。
「クレジットカードは取り扱わない」という旅行社は決して使いません。ってゆうか、今は日系しか使っていません。
長くなりました。
水曜日の聖書。
ヨハネによる福音書13章を読みました。
最後の晩餐に入りました。
イエスが弟子たちの足を洗って、そして語られるところです。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
この34-35節のイエスの言葉が心に留りました。
愛し合うこと。
それがイエスの弟子のしるし。
まず、夫婦のことを考えました。
愛することを教えてください。と主に祈りました。
そして、教会の皆さんのことを考えました。
自分のことで精一杯になりやすい自分。
本当に人を愛することを教えてください、と主に祈りました。
そして、NJに住む日本語を使う方々のことを思いました。
もっともっと神さまの愛を伝えたい、出会いの場を与えて欲しいと祈りました。
日本の方々のことを思いました。
祈ること、声をかけること、お便りをすること、お電話をすること、
具体的に何かをすることの大切さを思わされます。
主よ、
愛することを教えてください。
あなたが私を愛してくださったその愛で、
人を愛することができますように。
あなたが愛してくださったような愛し方を私にもさせてください。
自己中心な者です。
自分を与える愛を与えて下さい。
神の御心を求めて
日本での2週間を終えて、
飛行機の中です。
更新はNJに着いてからですが、
できる限り追いついていたい+例によって飛行機の中ではほとんど眠れないので、
今のうちに書いておきます。
今日の成田は混んでました。
今まで経験のない様な混み方。
特に乗った飛行機会社が、10分間隔で、ヒューストン便、グアム便、ニューアーク便と連続していたからでしょうか。
チェックインまでに1時間はたっぷりかかりました。
今回ばかりは「3時間前までに空港へ」というPRはまんざらでたらめでもないなあ、と思いました。
火曜日の聖書。
ヨハネによる福音書12章です。
イエスがいよいよ十字架に向かって進んでいくところです。
「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。」
これは、イエスを心では信じたのに、周りの人々を恐れてそれを公に言い表すことのできなかった役人達のことを指してヨハネが記した言葉です。
神からどう思われるかよりも、人からどう思われるかを第一に考えてしまう私たちの弱さ。甘え。
神さまは目に見える訳でもなく、耳に語りかける訳でもない。
でも、人の言葉は耳に響く、人の顔色はよくわかる。
だから、
「神さまは赦してくださるよ」と勝手に考えて、言い訳をして、
人にどう思われるかの方を優先していないだろうかと思わされた。
神さまを求めながら、
神さまがどう思われているかを聖書に求めながら、
歩んでいきたいと思う。
神様の喜ばれることを求めていきたいと思う。
それも、また「自分勝手」になりやすいことも思わされる。
自分の願いを神さまの御思いに押しつけて、
人の声を聞こうとしない。
人を恐れない勇気を。
そして、自分のわがままに陥らない謙虚さを。
主よ、
助けてください。
私はいつも「自分勝手」と「人の顔色を恐れる」ことの狭間に揺れていないでしょうか?
「人のことを考える」と思っている時も、結局人のことを考えているのではなくて、
「自分がどう思われるか」を第一に考えて、逃げている時があります。
どうか、あなたの御心を純粋に求めるものとしてください。
あなたのみ声を聞かせてください。
2006-09-27
「死」への勝利
24時間後にはNJの地を踏んでる訳です。
今回の日本、2週間余りでしたが、
かなり短く感じました。
お会いできた関係者は60人くらい。
お会いできなかった方々もたくさんおられるので、もっともっと長い期間いたいとも思わされます。
でも、今は電話もメールもいろいろあって、
もっともっと日常的に、日本の方々といつも連絡を取っていたい、
いつも励まし合っていきたいと思わされる2週間でした。
その一方で、日本に来る前に、NJでは、
「最近NJ(NY)に引っ越してきました」という方々が何人かおられました。
そして、私がこちらにいる間にもそういう方々がおられたと連絡が入っています。
帰ったらどんなことが待っているかと思うと、ちょっとこわく、また楽しみ。
書きながら、今、私が与えられているフィールドはNJなんだなあということを、もう一度思わされています。
今日の東京は最高気温の予想が28度C。
NJに着いた日はまだいいようですが、金曜日の夜の気温は7度Cまで下がるようですね。
ガソリンも下がっているようですが、温度も下がっていますね。
さ、覚悟していこうっと!
では、月曜日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書11章でした。
「そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて・・・」
と33節にあります。
この章は、わたしたちにとっての「死」の絶対性、その絶望感、
それに対してイエスが、チャレンジをなさって、
死を打ち破る方としてそこに立っておられることを示しています。
そして、イエスは周りの人たちの「もっと早く来て下さったら・・・」という思いに反して、
「あえて、ゆっくりしていた」と語られます。
そして、人々が嘆き悲しんでいる姿に怒りと動揺をおぼえられるのです。
「罪」が人に対して与えた悲劇、
「死」が人に与えた悲劇、を目の当たりにして、
怒りをおぼえられたのです。
そして死を打ち破る方として、ご自分を表されました。
先日も、キリストを信じる者たちが持っている特権として、
「死への恐れからの解放」ということを感じさせられました。
主が共にいて下さる。
主が迎えて下さる。
その希望のゆえに感謝します。
主よ、
2週間を感謝します。
どうか、あなたが、私と共にいて下さるのと同じように、
日本におられる多くの兄弟姉妹と共にいて下さい。
そして、ひとりひとりを縛っているものから、解放してくださいますように。
私を知っている方
でも、まだ私は半袖で十分です。
歩き回っていると、汗ばむくらいです。
そんな東京ですが、もう、ブーツを履いているご婦人方が時々おられます。
ずっと気になっていたのですが、
今日は雨だったせいもあるのか、
地下鉄に乗った時に、車両の中に3人ものブーツを履いたうら若き女性が・・・。
今年の秋のトレンドは「ブーツ」なのでしょうか?
それとも、東京は「9月になったら、とにかくブーツ!」なんでしょうか?
近所の「イトー○ーカドー」の靴売り場でも、ブーツをtryしている方々が何人もおられました。
それだけではなく、日本の方々、とってもファッショナブルだと思いました。
あ、もちろん、NJの皆さんもとってもすてきですよ。ハイ。
日曜日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書10章でした。
イエスが「わたしはよい羊飼いである」と言われたところです。
その中の一番心に留った言葉、
「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。」
すごくうれしく思います。
わたしのことを知っていて下さる。
困ったなあ、と思ったこともありましたが、
今は、本当にそうか、知っていて下さるのか、と思うと、
ほっとしますし、勇気が出ます。
わたしの弱さを、わたしの愚かさを、知っていて下さる。
知っておられるのに、赦し、生かしてくださっている。
赦されて、許されて、今あるんだなあ、と思います。
そして、私たちもイエスを知る。と。
もっと知りたいと思いました。
もっと近くありたいと思いました。
もっと深く深く、主のことを知りたいと思いました。
主よ、
あなたがわたしのことを知っていてくださることに心から感謝します。
わたしももっともっとあなたのことを知りたいと思います。
主よ、あのアブラハムに、モーセに、ご自分の思いを分ち合われたように、
わたしにも分ち合ってください。
あなたの思いをわたしにも、「腹を割って話す」ように、教えてください。
2006-09-26
見える?
東北の他の地のもお伺いしたくて、いろいろ方法を探ったのですが、
日曜日の夕方と火曜日の朝の集会に挟まれた隙間を使っての訪問だったので、今回は断念。
ご訪問と交わりの一時を持たせて頂きました。
そして、ちょっと街中も案内して頂きました。
そしてこの石碑。

広瀬川にかかる橋のたもとにある殉教者の碑です。
江戸時代のキリシタン弾圧の中で、
2月の川で水責めにあって殉教した信仰の先輩達を記念して建てられたものだそうです。
真ん中がポルトガル人の宣教師、右が農民、左がお侍さんです。
十数名の方々が殉教したそうです。
ちょうど前の晩、横浜での小さな集まりの中で、
「殉教者って私たちは長崎とか、九州の方を想像するけど、江戸でもたくさんの方々が殉教したんですよね。そういうところを巡るツアーに参加してきたんですよ」という話をお伺いしたばかりだったので、かなり感動。
自分だったらどうするかなあ、ということを考えさせられます。
一本筋の通った信仰者でありたいと思いました。
土曜日の聖書箇所。
ヨハネによる福音書9章でした。
心に留ったのはその最後のところ、41節の
「しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」というイエスの言葉でした。
「もうわかっている」という思い、
「自分は大丈夫だ」という思い、
それが問題だとイエスは言われるのです。
自分はどうだろうかと思いました。
自分はわかったつもりになっていないだろうかと思いました。
いつもいつも主に求めて、
いつもいつも主に聞いて、
語って頂いて、感動して、感謝して、
その上で語る者となりたいと思います。
主よ、
あなたの語りかけを求めます。
あなたが私の目を開いて下さることを求めます。
どうかわたしの目を開き、あなたの言葉を語ってください。
私の心にあなたの満たしを与え、
感謝に満たしてお用い下さい。
2006-09-24
自由
これって、日付とか調整できるんですね。
知りませんでした。
今までずっと、投稿を書き始めた時間で、日付が付くと思って、
一生懸命その日のうちにコンピューターに向かっていました。
まあ、これからもそれでいいと思うのですが、
ちょっと時間が過ぎてしまっても、前の日の日付で出るようになるんですね。
9ヶ月も知らないで来ていました。
木曜日の朝には、
奈良に帰国されたご婦人とご一緒に、
明石に帰国されたご婦人をご訪問しました。
奈良と明石は関西でも西から東へとちょっと離れていますが、
大きーく考えると、やはり同じ文化圏。
いやあ、関西のご婦人方が言葉を掛け合うのって、
いいですよね。ほほえましいというか。
NJにおられた頃は、かなり押さえていたんでしょうか。
優しい、暖かい、そして、調子のいい関西弁がコロコロ転がるってかんじ。
テレビで見る芸人さんの関西弁とは違って、
本当にここちよいものでした。
電車に乗っていても、
ご婦人方がお話ししている言葉は、とってもきれい+暖かい、と感じました。
関東の人間(・・・ある関西人には「先生は結構関西のにおいがする・・・」と言われましたが・・・それって、ほめ言葉ですよネ?それとも歓迎のご挨拶?)にとって、
テレビで見たり、聞いたりするアクの強い芸人さんのイメージが強すぎで、
ちょっと誤解している部分もあったかなあ、と思います。
私が関西に行っている間、東京も天気がよかったようですが、
こちらに帰ってきたとたんに、
今夜からまた雨だそうで・・・。
帰る木曜日には晴れるそうで・・・。
やっぱり雨男?
金曜日の聖書箇所は、ヨハネによる福音書8章でした。
32節の言葉が心に留りました。
「真理はあなたがたを自由にします。」
自由っていい言葉です。
でも、難しいことです。
「わがままが通る」ということとはき違えてしまうことになりかねない。
自分も本当に気をつけなければいけないと思っています。
でも、主が与えて下さる自由、それはやはり「解放」ということだと思います。
苦しんでいること、
こだわっていること、
恐れていること、
わかっちゃいるけど止められない罪。
そのようなものから解放されて生きること、
それを主は約束されるのです。
私も自由を与えて欲しいと思います。
主よ、
あなたの自由をお与え下さい。
生き生きとした解放された自由をお与え下さい。
自由の中で生きることができますように、
私を縛っているすべてのものを明らかにして、
それからの解放をお与え下さいますように。
東京到着
日曜日の夜にようやく東京帰還です。
ほっとするような、「ああ、帰ってきちゃったなあ」という感じがするような、です。
火曜日、関西に着いた日、
泊めて頂いた先生に、昔ながらの銭湯に連れて行って頂きました。
近頃はやりのスーパー銭湯ではなく、
単純な「銭湯」です。

こんな感じの銭湯です。
懐かしいですよね。
番台は入り口の方向いているし、
コーヒー牛乳やジュースを売っているケースは
「自動販売機」に変わってしまっていましたが、
その他は昔ながらの銭湯です。

ほーら、中はこんな感じですよー。
そしてこのお湯と水が出てくる蛇口。

余り鮮明に写ってはおりませんが、左の上の方がお湯。右下の方が水でございます。
上から押すとお湯や水が出ます。
使いながら思い出しました。
決してお湯を先に出してはいけない、ということ。
お湯を先に出すと、結構熱湯っぽいので、
後から水を足す時に、桶にたまっていたお湯が飛び散って、思いっきり熱いです。
だから、必ず水を先に桶に十分張ってから、お湯を足す方がいいのです。
それだけとっても、懐かしさに心がジーンとする銭湯でした。
ジーンとするのは、銭湯の熱いお湯だけではなく、
聖書のみことばもです。
今回は木曜日の聖書。
ヨハネによる福音書7章でした。
心に留ったのは、私の好きな言葉ですが、
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
37節から38節のイエスの言葉です。
心から生ける川の水が流れ出る。
単純に心から、そのような心の状態を求めています。
私の心から、喜びの川の流れ、いのちの川の流れが、流れ出て、
周りの人々のことを満たしていく、潤していく、
そのような歩みをさせて頂きたいと思います。
そのためには、主からいのちを頂いていくこと、
主から見たしを頂いていくことの大切さを思わされます。
主に満たして頂きたい、
主にいのちの泉を頂きたい、
そのように思います。
自分のうちの泉が枯れる時に、
人々にも通じるのものです。
満たされている時に、
人々にも通じるものです。
いつもいつも主によって満たして頂きたいです。
主よ、
どうかあなたの泉を下さい。
あなたのいのちの水を下さい。
私のうちから水が流れ出て、
周りの人々のことを潤すような、
そのような者にしてください。
2006-09-23
関東に帰っています
名古屋駅で一人の方にお会いした後、
夕方からは関東。
なんだか、関西の方が、電車に乗っていても、
エキサイティングでしたねえ。
関東の方がみんなおとなしいのか、とも思いましたが、
私が関西に行くと旅行気分になるンでしょうねえ。
電車に乗っていても、
エスカレーターに乗っていても、
見るもの聞くものが新鮮ですから。
明日は朝7時からの礼拝に出席してみます。
あと6時間半?
11時からの普通の礼拝の時間は子供プログラムの見学です。
たのしみたのしみ・・・。
ゆっくり更新は日本時間の日曜日の夜か、月曜日の朝になりそうです。
ではでは。
2006-09-21
いのちのパン
今日は昨日よりもワンランク涼しくなって過ごしやすい日になりそうです。
今年は関西に今までで最長の4泊。
なにを隠そう、大阪生まれで4歳までこちらにいた自分、楽しく過ごしています。
エスカレーターに乗る時に、
「立つ」人は右側、
「歩く」人は左側、
というのもずいぶん慣れました。
東京は逆ですよね。
ついつい左側に立ってしまって、
周りの邪魔になっていることもあります。
時間帯によるのかもしれませんが、
東京よりもエスカレーターで歩く人が少なく感じます。
「関西の人の方がガンガン歩く」と思っておりましたが、
意外とそうでもないですね。
まあ元々「江戸っ子」はせっかちでしたから、東京の方がセカセカしているのでしょうか?
あと、高校の修学旅行の時の経験から、
「関西の人は電車に乗る時に、降りる人を待たない」
というイメージができあがっていたのですが、
どうしてどうして、そんなことはありません。
「△印1?8番のところで2列になってお待ち下さい」とアナウンスが入って、
みんなそこで待っています。
まあ、電車がホームに入ってくると微妙にその列が乱れるのは否定できませんが・・・。(^_^)
そして、みんなが降りるのを待ってから乗ります。
25年くらい前の記憶でイメージを作り上げてしまっていた自分に反省。
水曜日の聖書。
あと一歩で追いつくのですが・・・。
水曜日はヨハネによる福音書6章でした。
イエスが5000人の人々を5つのパンと2つの魚で養われたところです。
その後にイエスは「私はいのちのパンである」と言われました。
そしてこう言われました。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。」
54節の言葉です。
その言葉でつまずいた人々がたくさんいた、と書かれていますが、
まあ、確かにそうだろうなあ、と思います。
この言葉の意味を知らされている私たちは恵まれていると思います。
イエスの十字架の意味を知り、それを信じて、
それを自分の生きる糧として歩んでいる者は、
永遠のいのちを持っている、ということです。
聖餐式でもイエスのみからだであるパンを食べ、イエスの血潮であるぶどうジュースを頂きます。
でも、それだけではなくて、
その十字架の恵みを自分のものとして、
自分に与えられたものとして、
歩んでいくことの大切さを思わされます。
それを自分のうちで消化して、
それによって生きていく。感謝して生きていく。
その力であると思います。
何かをやりとげた達成感や、
目的意識よりも、
イエスの十字架の愛の大きさに感動して、歩んでいく、
それがイエスの肉を食べ、血を飲む、ということの意味です。
自分はどうだろうかと思いました。
やはりどこかで「達成感」で生きていたり、
「使命感」で生きていないだろうかと。
もちろん、それらも主が与えて下さることだろうけれども、
何よりも愛されている喜びに生かされていきたいと思います。
主よ、
あなたに愛されている恵みを感謝します。
イエスさまの十字架の恵みを感謝します。
何よりもそれを生きる糧に歩んでいくことができますように。
今日の一日の一つ一つの出会いを祝福して下さい。
起きて、床を取り上げて歩きなさい。
結構眠いです。でも一言だけ更新。
今日は昼から神戸、明石方面を訪問しました。
明日、もう一度明石です。
関西最終日です。
とてもいい3日間でした。
何か、今まで「何か成果を」みたいな気負いがありましたが、
平常心で、いつものように主の恵みを楽しみ、
主の恵みを伝えたいと思いました。
いつの間にか成果主義になりかけていたように思います。
あと1週間足らず。
一つ一つの出会いが幸いなものとなりますように。
おっ、深夜の1時45分、テレビをつけると、
教育テレビで母校の制服。
理科の研究発表をしています。
僕らの頃はこんなのなかったなあ。
「パイナップルとトタン板と銅版とで電池を作る」ってやつです。
なかなかおもしろくて、寝るのを忘れて見てしまいました。
制服を着た高校生と、肩まる出しの司会者とがかなりミスマッチです。
でも楽しそうですね。
こういう授業をどんどんやって欲しいものです。
火曜日の聖書。
火曜日はヨハネによる福音書5章でした。
「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
8節のイエスの言葉です。
これは「直りたいのか」というイエスの質問に対して、
「私を水に入れてくれる人がいません。自分で入ろうとすると他の人が入ってしまうのです」
(池の水が動いた時にそこにはいると癒やされるという言い伝えがあった)
と泣き言を言ったこの人へのイエスの言葉です。
「さあ、立って歩きなさい」とイエスは言われたのです。
私たちも泣き言を言います。
泣き言を言わせて欲しい、場面もあります。
でも、イエスはそんな私たちに、
さあ。立ち上がりなさい、と言われるのです。
いろいろ事情はあるでしょう。
言い訳をしたくなるときもあります。
でも、それらを全部ご存じで、
「さあ、立って歩きなさい」
と言われるのです。
私にも言われているように思いました。
「さあ、立って歩きなさい」と。
主よ、
私もいろいろ言い訳をしたくなる時があります。
あなたのみことばに感謝します。
立って歩きなさい、と言われた時に、
「いや、神さまできません」なとど言わないで、
従っていくことのできる者としてください。
2006-09-20
霊とまこととをもって
ここで更新しておきます。
NJは寒いくらいの夜になるようですね。
10度を切るようです。
今日の大阪は28度だそうです。
半袖でちょうどいい感じですね。
昨年まで3年連続で7月に日本を訪問しておりましたが、
今年は、体力的には9月で正解です。
いろいろ書きたいことはあるのですが、
また今夜ゆっくり・・・ということで。
月曜日の聖書。
ヨハネによる福音書4章を読みました。
「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。」
23節のイエスの言葉です。
自分が神さまの前に出る時の姿勢を考えさせられる一節でした。
「霊とまこと」って何だろうなあ、と思います。
解釈でいろいろ問題があるかとも思いますが、
私は読みながら、自分の心がほんとうに主に向かっているだろうかと言うことだけを考えていました。
「礼拝」
牧師である私にとって、
礼拝は「説教を語る場」でもあります。
その中で、私は心から、真剣に、真実に、
主を礼拝しているだろうかと問われるような気がしました。
会衆の皆さんにとっては
「説教を聞く」ということが、礼拝の中の大切な要素ですが、
それが、「主への礼拝」となっているでしょうか?
今度の日曜日、
私は久しぶりに、メッセージもなく、何の責任もなく、
ただ、ひとりの参加者として礼拝に出席する幸いを経験します。
本当に久しぶりだと思います。
ゲストスピーカーが来られても、
9月3日のように、ファミリーキャンプで、司会や説教に当たっていなくても、
やはり何かの責任を持っていました。
だから、たぶん、8年ぶりくらいの経験だと思います。
本当に心から主を礼拝することを経験させて頂きたいと思います。
その中で、説教のご奉仕をしながら、でも、「礼拝者」としてそこに立つ、ことの
意味を考えてみたいと思います。
こころからの礼拝を主にささげる、
そのような説教者でありたいと思いました。
そして、その姿勢が教会全体に広がっていく、
そのような礼拝を守っていきたいと思います。
主よ、
礼拝の中心はあなたです。
いつもいつもそのように祈ってきました。
でも、今も本当にそうでしょうか?
私はそのように礼拝を守ってきたでしょうか?
どうか、私を「霊とまこととを持って礼拝する真の礼拝者」として下さい。
関西滞在中・・・
18日、19日と更新することができなかったので、
またちょっとたまってしまいました。
こちらは水曜日の夜。
木曜日の午前中は原稿書きの予定です。
午後から神戸、明石方面出動。
明日の朝、こちらもちょっと更新できるでしょう。
きっと。
ではでは。
2006-09-17
霊から生まれる者
一日一章追いつくために、昨日の夜に続いて更新。
心配されていた台風、確かに大きな被害が出ましたが、
九州以外は直撃を免れました。
土曜日の集会、
帰国後半年、1年半、2年半と3つのレベルの方々がおられて、
帰国後の心の動き、なるほど・・・と思わされました。
第1段階
日本のコンビニやスーパーや100円ショップに感動する。
帰国後の立ち上げのために100円ショップに50回くらい買い物に行ったという例もあり。
興奮して毎日のように買い物に行ってしまう。
24時間営業のスーパーなどもあり、
夜な夜な食品売り場を徘徊してしまう。
300円の社員食堂のランチだって感動する。
こんなに安く、こんなにおいしいものが食べられるなんてと、日本への帰国がうれしい。
第2段階
コンビニ、100円ショップなどに行くことに飽きる。
アメリカの天井の高さ、
空間の広さ、
人間関係のおおらかさなどが妙に懐かしくなる。
一番きつい頃。
第3段階
社宅に住めるのも、あと2,3年、ということもあり、
日本がどうとか、アメリカがどうとか、ということを超えて、
マンションを買わなきゃなあ、とか、
何だかとっても現実的な問題に取り組むようになってくる。
帰国されたたくさんの方々が、
このようなところを通って、
それと共に新しい教会に入っていくために闘いをおぼえて、
歩んでおられることを思うと、
どれほど祈りのサポートが必要かと思わされます。
日曜日の聖書。
ヨハネ3章でした。
6節の言葉が心に留りました。
「肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」
「肉」は自己中心的な生き方、ということがよく言われます。
じゃあ、「霊」とは何だろうか?
正反対だとすると「悔い砕かれた魂」ということができるのでしょうか?
確かに聖霊様の働きは、
「罪を示し、キリストを証しする」ことですから、
その聖霊様によって生まれた者、というのは、
砕かれた、整えられた者、と言うことができるでしょう。
自分はどうだろうか?
自分は自己中心的な歩みをしていないだろうか?
自分中心的な歩みで、人々を傷つけていないだろうか?
人がそのように歩んでいると気になります。
人がそのように傍若無人の歩みをしていると頭にきます。
でも、自分は本当のところどうなんだろうか?と問われました。
聖霊様によって歩みたい。
聖霊様によって砕かれた、御霊の実を結ぶ、
品性のきよめられた、
そのような者となりたいと思いました。
主よ、
私をきよめ、
霊によって生まれた者としてください。
聖霊によって私を取り扱い、
キリストの御姿を映す者としてください。
聖霊によって歩ませてください。
最高のものをとっておかれる主
今までで一番ゆっくりと過ごす夜です。
疲れもとれて、明日からの日々に備えられそうです。
感謝。
自分が4歳の頃から育った木場深川キリスト教会での礼拝でした。
例年、この木場深川キリスト教会での礼拝で、たくさんのNJの関係の方々にもお会いできるのですが、
今年は3連休の中日ということもあるのでしょうか、
ほとんどの方がご都合が悪かったようです。
それでも、ひとりの方がお母様と一緒にご出席下さいました。
お会いするのは4年ぶりくらいでしょうか?
幸いな再会でした。
また夕方にはもう一人の方が面談に来られて、共に祈りました。
今回の訪日のテーマは1週間ほど前の一日一章の言葉、
「私が来たのは、失われた者を捜しだして救うためである」
です。
いつもよりも少なくても、
ひとりでも、
神さまのところに導かれることを祈っています。
明日の夕方はまた東京での集会です。
そして、火曜日の朝出て、関西に向かいます。
土曜日の聖書。
ヨハネによる福音書の2章です。
心に留ったのは、
10節の料理長の言葉です。
「あなたは今まで良いものをとっておかれました」
神さまが準備してくださっているものは最高のものです。
世の常では、最初がいいもので、酔いが回った頃に、悪いものを出していたそうですが、
神さまは最後に最高のものを準備しておられるのです。
何だかわくわくしてきますね。
これから、神さまがどんなにすばらしいものを準備して下さっているかと思うと・・・。
考えてみると、私の人生ももう後半戦。
常識的に考えて、「今までの延長上」にこれからのものがあるのでしょうが、
神さまのなさることはそれを超えている、
最高のものをこれから準備しておられる。
それを大胆に求めて、歩んでいきたいと思いました。
楽しみに歩んでいきたいと思いました。
主よ、
どうかあなたの準備してくださっている最高のものを与えて下さい。
それを楽しみに歩んでいきます。
感謝します。
これから始まろうとしているNJの礼拝の上に、
あなたの祝福をいっぱいに満たして下さい。
2006-09-16
今度こそ、「来て、そして、見なさい」
土曜日の夜、書いています。
NJから来た目で見た東京ウォッチ。
1.電車の中で、携帯メールをプチプチやっている人の数は激減。
・・・去年の7月の来日時は半分以上、6割くらいの皆さんがやっていました。でも、今回はがくんと減って、2割くらい。もっと少ないかもしれません。
2.白いイヤホンがすごい勢い。
・・・これも去年の7月に比べての話ですが、NYでもそうなんでしょうが、白いイヤホンをしている人がホントに多いです。愛ぽっどのせいでしょう。でも、ここまで「みんながしている」とちょっと個性を主張したい人がいるようで、でかいヘッドフォンが復活です。ノイズキャンセレーションの機能がついているヤツでしょうか?とにかく1日歩き回っていると、ちょくちょく見ます。でかいヘッドフォン。
3.地下鉄至れり尽くせり。
・・・地下鉄を使うことが多いのですが、「ここまでやるか」と思うのが、このポスター。

今年初めて見る訳ではないのですが、NYで地下鉄では考えられないことだよなあ、と思い、紹介します。
はっきりと写っていませんが、このポスターの場合、地下鉄東西線の駅の名前が全部左側に書かれていて、それぞれの駅で降りる場合、何両目に乗れば、「乗り換え口」や「出口」にちょうどいいか、書かれているんですね。
特に日本橋駅とかは複雑なので、これは助かります。
でも、その一方で、「そんなの下りてから捜せばいいじゃん」と思ったりもします。
毎日使っている人はそんなのは知っているでしょうし・・・。
さて、土曜日の午後、渋谷で人と会う約束をしました。
渋谷で待ち合わせと言ったら、もちろん、

「ハチ公」
でも、うっかり今回は「ハチ公」とだけ伝えました。
そして着いて、たくさんの人々を前にして気がつきました。
高校時代、「ハチ公」で待ち合わせをする時には、
「ハチ公のしっぽ」とか
「ハチ公の頭」とか、
指定していたことを。
慌てて電話しました。
でも、考えてみたら、
「頭」とか「しっぽ」とか指定していたのは、
この「携帯電話」というものがない時代でしたね。
携帯があれば、大体の約束をしておけば大丈夫ですね。
携帯文化の恩恵に感謝した1日でした。
そして、その後、ハチ公前広場は大変な状況に・・・

犯人は晋三さんでした!
携帯で写真を撮っている人が結構いました。
自分も・・・。
夜は集会。
6人の方々が集まり、楽しい一時を送りました。
さて、金曜日の聖書。
ヨハネによる福音書にはいって、1章。
最後の方の、イエスに出会った人の言葉が心に留りました。
「来て、そして、見なさい。」
私もそれをいいたいと思いました。
とにかく来てご覧よ、と。
ひとりの人が神さまに出会うのは、説明ではなくて、説得ではなくて、
神さまが触れて下さることしかないのだと思います。
とにかく、イエスさまのところに、
教会に来てご覧よ、
そしたらわかるから・・・。
胸を張って教会のみんながそう言えるような、教会となりますように、と祈ります。
明日の日曜日もそのような1日となりますように。
主よ、
あなたのもとに、人々を連れて参ります。
人々をお招きします。
どうか、あなたご自身がひとりひとりに触れて下さいますように。
教会に「とにかく来てご覧よ」と言えるような、
霊的な雰囲気を与えて下さい。
明日の日曜日も、
そのような1日として下さい。
2006-09-15
来て、そして、見なさい
でも、NJ時間ではまだ金曜日ですね。
NJゼロの時間ですね。
みんな楽しくやっているのかなあ、と思いつつ、お祈りしています。
NJにいるとわからない、テレビやインターネットでもわからない今の日本、
ちょっとだけ、ご紹介。
1.電車の中で、・・・
と思いましたが、もう出る時間になってしまいました。
今日はお二人の方にお会いした後、
夕方は家庭集会です。
次の更新のチャンスは今晩遅くです。
ではでは。
2006-09-14
イエスご自身が近づいて
このHPはNJ時間なので赦してもらいましょう。
木曜日、昼頃、やっと雨が上がりました。
でも、まだまだ寒いです。
台風が沖縄の南にあって、
北に向かって来るみたいです。
来週の火曜日、関西に向かう頃にはもう通り過ぎているかと思いますが、
大きな被害が出ないようにと願います。
台風なんて10年ぶりくらいでしょうか?
木曜日、一番の用事は、
ファミリーキャンプで販売した書籍の売れ残りと代金を持って、
販売を委託してくださったところに持っていくことでした。
そこはJR信濃町から徒歩五分。
東京シテーボーイの私も、この駅で降りるのは初めて。
ちょっと「おのぼりさん」状態でした。

煉瓦館と書いてありましたが、
この裏にはKO大学病院があったり、
明治神宮があったり、
神宮球場があったりするところです。
ヤクルトファンの方はここら辺はもうばっちりなんでしょうね。
現在、阪神が中日を猛追撃中。
元近鉄ファンで、今や応援するチームのない私としては、
やっぱ阪神応援しちゃいます。
来週関西行くし・・・。
今回、その信濃町の用件のあるところに行くと、
何と、ちょうどその時間、「横田早紀江さんを囲んで祈る会」やっているではありませんか。
横田早紀江さんは、北朝鮮に拉致されためぐみさんのお母さんですが、
娘が行方不明になって、まだ、拉致だとわからない、
何がどうなったのかわからない中で、キリストに出会って、
今も敬虔なクリスチャンです。
少なからず関心があり、またちょうど時間も空いていたので、
祈り会に出席して参りました。
今度の日曜日は金正日が拉致を認めてちょうど4年になるそうです。
拉致被害者家族会が発足してから9年。
最初の5年間は、家族会の方から、「問題をわかって欲しい」と講演や記者会見を開いてください、
とお願いして回ったそうです。
でも、北朝鮮が拉致を認めてからの4年間で横田さん達だけで1000回の講演依頼を受けて、
なさってきたそうです。
もう、体力的にも限界、だそうです。
今から30年近く前、13歳だった娘が急に行方不明になって、
「家出じゃないの」なんて言われたりもして、
・・・それが10年前に北朝鮮に拉致されたとわかって、
でも、それから、「亡くなった」と言われたり、
偽の「遺骨」を出されたり、
孫から「北朝鮮に来て」と言われたり、
いろんなことで揺さぶられて・・・。
想像ができません。
どんなに苦しい、悲しい、不安な、年月を過ごしてこられたかと思います。
祈りのサポートの必要を感じました。
何よりも、1日も早く、無事に解放されますように。
神さまがこの時間にこの場所に導かれたことに心から感謝します。
木曜日の聖書。
ルカによる福音書24章。最後の章。復活の章です。
「イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。」
15節の言葉です。
エマオへの道を歩いていた2人、
エルサレムを後ろに、
とぼとぼと歩いていた2人。
希望に溢れて、
やる気に満ちていた訳ではありませんでした。
どちらかというと、
失望して、困惑して、肩を落として歩いていたのでした。
イエスはそんな彼らを叱咤激励したのではありませんでした。
共に歩いて行かれたのです。
その中で、彼らの目が開かれて、
彼らが走り出すまで、
ずっと一緒に歩まれたのです。
ありがたいなあ、と思いました。
この方は「成功者」の神ではない。
調子に乗っている者たちの救い主ではない。
落ち込んでとぼとぼと道を歩む者と共に歩み、
でも、どこかで彼らの目を開いて、力を与えて、
走り出すようにしてくださる。
今の私とも、共に歩んでくださる。
それが感謝。
主よ、
あなたが共に歩んでくださること、
元気な時だけではなくて、
確信に溢れた時だけではなくて、
とぼとぼと歩む時にも、
共に歩んでくださることに感謝します。
どうか、私の目も開き、走り出すことができますように。
今日の1日もお守り下さい。
2006-09-13
きょう!
日曜日には34度くらいあったそうです。
それが今日は19度。雨がしとしと降っています。
今日は、東村山にある私の出身母体の教団の本部にご挨拶に行って、
お世話になった先生にお会いしてきました。
父の世代の先生で、2年前にはNJにもおいでいただきましたが、
楽しくお話をして、あっという間に2時間がたってしまいました。
昨日連絡して今日お会いできないかとずうずうしいお願いにもかかわらず、
温かく迎えてくださった先生に感謝。
そのあと、ちょっと予定が空いたので、
日本で副牧師をしていたときの若者で、
今は奥さんになった方ですが、ずっと寝たきりの生活をしておられる方を、
ご主人に連れて行っていただいて、病院に訪問しました。
とても喜んで迎えてくださって、
語り合い、お祈りしてきました。
どんなに大きな闘いがあるか、私の知らない部分がたくさんあると思います。
でも、彼女は笑顔を絶やさず、「うれしいねえ」と何度も繰り返しながら、
話をしていました。
日本に着いてまだ24時間。
でも、とてもいいときを過ごさせていただいています。
あと、マツイ君は、12日の復帰戦で4打数4安打だったそうですね。
今日の7時からのNHKニュースでも、
トップはさすがに「ひさひとちゃま」にゆずりましたが、
2番目のニュースでした。
NYではどれくらい騒がれてるんだろうなあ、と思いながら、
日本でのフィーバーぶりにはちょっと驚き。
でも、マツイファンの我が家にとってはちょっといいニュース。
今日の聖書はルカによる福音書23章でした。
イエスの十字架のところです。
今日心に留まったのは34節の
「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
というイエスの十字架上の言葉でした。
「あなたが御国の権威を持ってこられるときには・・・」といっていた、
イエスと一緒に十字架にかけられていた強盗のひとりに対して、
イエスは「あなたはきょう・・・」と言われました。
「いつの日にか」ではなく、「やがての日に」でもなく、
「今日」と言われた。
今までは、「御国の権威を持ってこられるとき」ではなくて、「今日」だと思っていました。
でも、今日は思わされました。
「御国の権威を持ってこられるとき」=「今日」なのではないかと。
イエス様が十字架にかかられたとき、
それこそがイエスが御国の権威を持ってこられるときであり、
パラダイスの門が開かれたときなのではないだろうかと。
主の恵みの注がれる日は「いつか」「やがて」ではなくて、
「今日」なんだ、と思わされました。
与えられている恵みを感謝して、
今すでに与えられているパラダイスのあゆみをこの地上でさせていただきたい、
とそのように思いました。
主よ、
あなたの天国の門が大きく開かれていることに感謝します。
イエス様の十字架によって開かれていることに感謝します。
どうか、あなたの与えてくださっている天国の歩みをこの地上でもすることが出来ますように。
今日の一つ一つの出会いに感謝しつつ。
明日の一日の祝福を大きく期待しつつ。
2006-09-12
勇気
月曜日の朝のその時間はNewarkの空港のロビーで
CNNを見ながら、黙祷に心を合わせながら、一つ一つ読み上げられる名前を聞きながら、
過ごしました。
名前を読み上げるだけで3時間。
そして、その名前の一つ一つに特別な、他の人とは違った、人生があった。
そのことを考えるともう私の頭の中がいっぱいいっぱいになります。
そして、生きている私たちの中でもあの出来事のストーリーはひとりひとり特別なもの。
まだ、そのストーリーをここに書けるほどにはなっていない自分があります。
個人的に聞いて下さる方、がおられたら、お話しできるかも、です。
今回、飛行機が上昇していく中で、
5年前のある飛行機の中では、
ほんとうに恐ろしい出来事が起っていたのだ、
ということをも考えていました。
私も「まさか自分の乗った飛行機で・・・」と
思って、乗っていました。
数え切れないほどの飛行機が飛び交う中で、
自分が乗っている飛行機がそんなことにあう確率はものすごく低いものです。
でも、
人生は確率で生きていくモノではありません。
99%大丈夫です、と言われても、
自分がその1%になることもあります。
私たちの人生、いつもいつも危険や困難と隣り合わせであることを、
いつもいつも忘れないでいたいと思います。
普通はそんなこと考えて生きていったら、重くて、暗い歩みになってしまう、でしょう。
でも、神さまがそんな中でも共にいて下さるから、
どんなに大きな試練が襲ってきても、
この方がおられるから大丈夫、と思います。
今日の1日も与えられた特別な1日。
今日本時間で朝の3時ですから、
ちょっと長い1日になりそうですが、
それも神さまの祝福。
感謝して過ごしたいと思います。
火曜日の聖書。
ルカによる福音書22章です。
イエスが逮捕されて裁判を受けます。
その中で、イエスは堂々と自分が神の子であることを語ります。
それが「死」を意味しているのに・・・。
イエスは十字架に向かって進んでいたのです。
その一方で、ペテロは自分がイエスの弟子であることを、
否定してしまいます。
この対比が心に留りました。
イエスの大胆さ、イエスの勇気に心から感謝しました。
それがなかったら、私たちの救いはなかったと。
しかし自分はどうかというと、
やはりペテロかと思います。
逃げる。
失敗したペテロに自分が重なり合います。
でも、そのペテロのためにイエスは祈って下さった。
「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
ペテロは失敗して終わらなかった。
失敗で終わることはなかった。
イエスもゲッセマネの園でお祈りになってから、十字架に進んで行かれた。
私も祈りが与えられていることに感謝。
祈りによって力を与えられて進んでいきたい。
神さま、
あなたに祈れることを感謝します。
祈りによって力を頂いて歩んでいくことができますように。
あなたの力によって歩んでいくことができますように。
今日も、祈ることを教えてください。
わたしがあなた方に与える
NJは寒いくらいの朝だったようですが、
こちらもちょっとひんやりする夜です。雨がしとしと降っています。
やっぱり雨男かな。
今火曜日の夜になりました。
NJ時間だと火曜日の朝ですね。
すぽっと月曜日の夜が抜けた感じですね。
今回のフライトは、
映画のストーリーがわからなくなるくらい、
ウトウトしたり、目が覚めたり・・・でした。
いつもはばっちりで、寝ても1時間とか2時間とかで、
機内の映画をぜーんぶ見て、
訳のわからない番組まで見て・・・
(以前、コンチネンタルで、「風雲○○○城」やっていましたね。そこまで見てました。今は変な編集したものをアメリカでもやっていますが・・・)
それでも、時間が余っていたのですが、
今回はさすがに眠くなって、ウトウト。
でも、熟睡はできないので、結構退屈感はありました。
「だ・びんち・コード」もやってたので、見てしまいました。寝てしまいました。
うーん、ちょっと論理の展開が「ずるいっ!」って感じでしたね。
「そういう説もある・・・」「こういうことも考えられる」とか言いながら、
結局はイエスには子供がいたとか、教会は大切な秘密を歴史の中で隠蔽してきたとか、
まあ、しょっちゅう耳にするような珍説ですが、それを「えー、ほんとはそうだったの?」みたいに感じさせるように出してくるんですよね。
サスペンスとしても、何だか、いろいろ複雑に絡み合いすぎてよくわかりませんでした。
ま、いいか。でも、もうちょっといい映画はなかったんでしょうか?
そして日本といえば、「コンビニ」でしょう、やっぱり。

日本に来た!って感じはします。
宿泊先(実家)の徒歩圏内に何軒もあります。
ちょっと用事があって寄ったんですが、
いろんなもの売っています。
あんまりゆっくりは見てなかったんですが、
たとえば、カップ麻婆豆腐とか・・・。
そう、カップ麻婆豆腐・・・調べてみたら、カップ春雨の麻婆豆腐味と言ったらいいのか、
「ロングセラー」と書かれていますが、初めて見ました。
ま、そんな話ばかりで盛り上がってもしょうがないので、
月曜日の聖書。
ルカによる福音書21章を読みました。
その中の15節のこの言葉にものすごい力強さを感じました。
「どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。」
私たちが一生懸命心配して考える言葉よりも、
神さまが与えて下さる、
イエスが与えて下さるその言葉に信頼したらいい、
そのように感じました。
自分の歩み、いつもそうだったと思います。
一生懸命考えて、立派に整えて、お話しすることよりも、
自分が「この御言葉によって語って頂いた」と感じるところ、
主によって自分自身が取り扱われるところ、
そこに力の源を感じます。
そのような語り手でありたい、あり続けたいと思います。
主よ、
どうか、あなたのみことばを語ってください。
私に語ってください。
あなたが語ってくださったことを、
私自身が教えられたことを
分ち合っていくような、
みことばを料理するのではなく、
みことばに料理されるような
語り手でありたいと思いました。
どうかみことばを与えて下さい。
これからの17日間の日本での歩みを祝福して下さい。
一つ一つの出会いを祝福して下さい。
2006-09-11
誰の肖像が刻まれているか
新しい方々もたくさん来られて、
子ども達もたくさん来て、
JOYJOYキャンプの子達も何人か来て、
とてもにぎやかでした。
いよいよ明日から日本です。
楽しみになってきました。
でも、こちらを3週間近く離れるのはまた心配。
心配以上に、机の周りの整理もできてなくて、
やるべきこともやってなくて、
あとで「あー!」と思うのではないかとかなり心配。
帰ってきた時に、「あー!」と気がついて
その時にはもう遅くなってしまっていることがあるのではないかと、
かなり心配。
でも、出発しちゃったらもうしょうがないから、
ちょっと机の周りを、人に見られても恥ずかしくないくらいにしておこうっと。
今日の聖書の箇所は、
ルカによる福音書20章でした。
24節のイエスの問いかけが、私に対する問いかけになりました。
「これはだれの肖像ですか。」
これが私に対して、
「あなたは誰の肖像を頂いていると思うのですか?」と主が問いかけておられるように感じました。
「神さま、あなたの肖像です」とお答えしました。
神さまの肖像を頂いていることがどれほど光栄なことかと思いました。
だから、次の節に「神のものは神に返しなさい」という言葉も感謝を持って受け取りました。
主よ、
わたしはあなたのものです。
あなたが私の主であって下さることに感謝します。
あなたに私の存在をお返しします。
あなたのご用のためにどうにでも使ってください。
今回の日本訪問にも、あなたが先立っていってくださって、
用いてくださいますように、
あなたの思いのままに用いてくださいますように。
あと少しでDVDの作業がやっと完了。
感謝!
2006-09-09
失われた人を捜す
でも、これも今日まで。
明日からはひんやりしそうです。
月曜日の夜なんか10度くらいに下がりそうです。
日本はどうなんだろう・・・と思って見てみたら、
東京はずっと曇りマーク。
曇りで27-8度は蒸し暑そうですね。
こちらの涼しさに慣れたカラダには、ちょっときつそうです。
そういえば、自分、結構雨男かもしれません。
日本にいた頃、まだ20代の副牧師だったころ、
教会の若者6人と北海道にフェリーと車で行ったことがありました。
「伝道旅行」と名前だけはちょっと真面目にして・・・。
でも、結局のところ、ちょっと旅行で行ったところで、「伝道」ができるわけもなく、
北海道の教会の皆さんにごちそうになり、励まされ、おだてられ、
楽しく旅行させて頂きました。(^_^;)
その時も10日間ほとんど太陽を見ませんでした。
確か7月か8月か、いい時だったんですがね・・・。
うーん、9月の日本、カラッと秋晴れといってほしいものです。
今日は、ずっとJOYJOYキャンプの写真集とスライドショーを作っていて、
1日が過ぎました。というか、まだやっています。
写真集の方は、できあがって、ラベルのプリントも終わって、ケースにも入れました。
スライドショーも今20枚くらいDVDができています。あと50枚。
何とか日本に行く前に仕上げることができそうです。
今日の聖書はルカによる福音書19章でした。
19章の9節のイエスの言葉が心に留りました。
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」
「捜して」という一言が特に自分に問いかけられました。
自分は失われた人を捜しているだろうか?
ただ、「待っている」だけではないだろうか?
ほんとうに、本気で、「失われた人を捜している」だろうか?
ただ、待っていて、教会に来たい人、
自分の牧会している教会を気に入ってくれる人、
そんな人が現われるのを待っているだけなのではないだろうか、
そんなことを問われました。
あさってから日本。全然実感は湧きません。
でも、とにかく、この言葉は、「待っていないで捜しに出て行きなさい」といわれた言葉のように感じました。
日本に訪問した時に、喜んで会いに来てくださる方々を待っているのではなく、
多少疎まれても、失われた人を探しに行きなさい、
そのように語られました。
神さま、
あなたの私への熱い思い、私たちへの熱い思いを感じました。
私もそんな熱い思いを持って、出ていきたいと思います。
どうか、明日の日曜日の出会いを祝福してください。
そして来週からの3週間の日本での歩みを助けてください。
みことばどおり、失われた人たちを捜し出すような働きをすることができますように。
主よ、私を用いてください。
語ってくださってありがとうございます。
2006-09-08
絶えず祈る
でも、また来週から日本なので、
更新が不定期になってしまうかもしれません。
日本、楽しみです。
多くの方々にお会いできることが楽しみです。
去年まで3回は7月に訪問していましたので、
暑かったです。
でも、今年は9月。ちょっとは涼しくなっていることを期待しています。
天気予報を見ると、東京では大体最高気温が28度くらい。
最低気温が21度くらい。
まあ、「熱帯夜+真夏日」ではないことを感謝。
今からでも、訪問や集会のご希望があったらお知らせ下さい。
数日前から、tropical stormのFlorenceが騒がれています。
「強いハリケーンになるぞ」「東海岸を襲うぞ」
といわれていましたが、
どちらも外れました。全然強くなりませんし、また東にそれそうです。めでたしめでたし。
でも、明日あたり、とうとうハリケーンになって、バミューダを襲いそうです。
思うんですが、
今年、ハリケーンが発達しませんよね。
この間来た、アーネストも「キューバからフロリダに進む中で発達する」と予想されていましたが、
外れました。
また今回のフローレンスもそうです。
神さまが特別に守って下さっているのでは・・・と思いました。
去年、カトリーナが来た時には、「神なんかいるもんか」みたいな声もありました。
単なる自然現象と割り切ることもむずかしいことです。
でも、このように特別に守られている時には「神」を持ち出す人はいません。
単なる自然現象で片づけられます。
おかしな話です。
今年のハリケーンシーズンを神さまが続けて守って下さるように祈ります。
今日の聖書箇所はルカによる福音書18章でした。
心に留ったのは1節の言葉です。
「 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。」
「いつでも祈る」
「失望してはならない」
本当に大切なことだと思いました。
そして、「まして神はあなた方のことを愛しているのだから祈りなさい」という言葉がありがたく響きました。
私たちは無理矢理神さまを説得したり、
こっちを向いてもらおうと一生懸命になるのではない、
神さまが愛しておられるんだから、祈りなさい、と。
やはりどこかで祈りが陳情になっていないか。
請願になっていないだろうか。
「祈りは会話だ」とよく言われる。
楽しい仲間と会話を楽しむように、
神さまと会話を楽しもう。その懐に飛び込もう。
今日はこれから深夜祈祷会。
主の前に出て、会話を楽しむような祈りの時となりますように。
神さま、
イエスさまの十字架のゆえに、
私もあなたと会話を楽しむことができるような者としてくださったことを感謝します。
今夜の深夜祈祷会も、
そのようにあなたと過ごすことのできる一時としてくださいますように。
いつも祈り、あきらめないで祈り続けることができますように。
感謝する心
でも、「霧」の予報は外れましたね。
少なくともうちのほうでは、霧は出ませんでした。
ちょっと月曜日から日本に行く、ということをなめてかかっていたようで、
ちょっと今頃になって焦っております。
スライドショーはぼちぼちやっておりますが、
今夜はちょっとがんばらないと・・・。
それから、写真の方も今年はもうCD1枚には収まらないくらいたくさんあって、
それをDVDに焼こうと思って、今日の午後スタートしました。
これが甘かった。
1枚に15分。1時間に4枚ですよね。
子ども達1家に1枚としても、スタッフの分を入れると70枚くらい。
1時間4枚だと70枚焼くのに22時間半かかってしまうではありませんか!?
それでも始めてはみたものの、
3年前のDVD Burner、そのころは200ドルもしたと思うんだけど、
4倍速で、今の8倍速のメディアを焼くと、うまくいきません。
ここで時は金なりと、
大決断をして、あたらしいDVD Burnerを買いに走りました。
一生懸命捜せば安く買えるんでしょうが、
それでも、coupon で10ドル引き、 MIRで30ドル引き、
で、値段的にはまあまあかな。
そして使ってみたら・・・
・・・正解。
3年前よりも値段は半分くらい。
外付けだから、どのコンピューターでも使える。(今までのは家族のコンピューターに内蔵だったから、みんなが寝静まってからorみんなを押しのけてやらなければいけなかった)
そして、何よりも、とにかくスピードが速い。
16倍速まで行けるのですが、
メディアが8倍速なので、
8倍速で焼いています。
でも、古い4倍速の2倍どころではなく、
3倍以上です。
1枚5分以内。
これで、6時間あれば70枚焼けます。
でも、もう2,3日早く始めておくんでしたね。
今日、また1人の人が神さまを信じて歩み始めました。
というか、本人にしてみると、昨日歩み始めたそうです。
今日、私はその話をお伺いして、共に祈りました。
感謝。
昨日の聖書はルカによる福音書17章でした。
その中で心に留ったのは11?19節の話です。
イエスが10人の病気の人を癒やされたのに、
その中で、喜び溢れて、感謝を捧げに帰ってきたのは、
1人だったというところです。
自分も感謝を忘れやすい方だなあと思います。
人に対してもそうだし、
また神さまに対してもそう。
お祈りして、聞かれたら、すごいうれしいのに、
それをほんとうに神さまの前に出て感謝しているだろうか、
日常的に神さまから与えられているものも、
ほんとうに神さまに感謝しているだろうか、
考えさせられました。
祈る時は必死に祈って、
道が開かれたら、自分の力であるかのように受け取ったりする、
そんなことがあると思いました。
感謝しようと思いました。
神様
感謝します。
あなたが私をここで生かしてくださっていることに感謝します。
家族のゆえに感謝します。
教会の仲間のゆえに感謝します。
すばらしい仲間を与えて下さったあなたに感謝します。
ファミリーキャンプを守ってくださってありがとうございます。
祝福を感謝します。
そして、1人の人を信仰に導いてくださったことを感謝します。
これからの歩みを守ってください。
感謝します。
よみがえるよ
今夜は目がさえてしまっています。
何でかというと、
JOYJOYキャンプのスライドショーの完成版を、
日本に行く前に作ってしまおうと思っているからです。
ていうか、今やらないと10月になってしまいますから・・・。
最終日に流したスライドショーは4日目までしか入っていなかったので、
最終日の写真も入れて、5日間読んだ聖書の言葉も入れて、
・・・なんて思っています。
そうするといろんなことを思い出して、また後遺症がぶり返してきてしまっています。
テーマソングが頭の中を巡っています。
ついでに2005年の「カラダだからダ」も口ずさんだりしてしまいます。
そうするとその前の年はなんだったっけ?と考え始めて、
1996年までさかのぼってしまいます。
2006 ジャングルぐるぐる探検隊
2005 カラダだからダ
2004 おもかじいっぱい、おもしろいっぱい
2003 ギャラクシーエクスプレス
2002 めっちゃ好き地球
2001 わくわくタウン
2000 宝物探検隊
1999 不思議チャレンジ
1998 タイムマシンに乗ろう
1997 宇宙はでかいぞ
1996 神さまの船に乗ろう
なんかもっといろいろやったような気がするのですが・・・。
私も11回連続でスタッフをしていますが、
中高生達の中にも3人かな?キャンパーからスタッフへ、ずっと11回連続で参加している子がいますよね。すごい!!
とにかく、スライドショーは土曜日までに完成させて、
発送は皆さんにお願いする、ということで・・・。
テーマソングCDもできるんですよね!
きっと。
水曜日の聖書箇所はルカによる福音書の16章でした。
最後の言葉が心に留りました。
「彼らにはモーセと預言者がある」と。
この「モーセと預言者」は聖書のことを指します。
「彼らには聖書があるじゃないか」「奇跡よりも聖書の方が大切」
「聖書を信じられなければ、奇跡が起っても信じられない」
これはイエスの言葉です。
逆を言えば、
私たちは聖書の言葉に集中していていい、
私たちは聖書の言葉を忠実に語っていることが大切、
ということでしょう。
今回のファミリーキャンプの佐藤先生も、
そのことを大切にしている、とお話下さいました。
とにかく、私たちの使命は、
聖書を語ること、聖書を味わうこと、聖書に聞くこと、ですね。
奇をてらうことよりも、
何か人の心を惹こうと考えるよりも、
聖書に感動させられて、
聖書に教えられて、
語る者でありたいと思いました。
主よ、
どうかわたしに御言葉を与えて下さい。
聖書のみことばに守られ、支えられて歩むことができますように。
御言葉を語ってください。
御言葉によって取り扱ってください。
でも今日のところはもう寝ます。
2006-09-07
イエスの魅力
でも、今夜は冷え込むようです。
12度Cくらい。
それで霧が出るみたいです。
明日の朝はお気をつけて。
ファミリーキャンプの話その5。
今回は子供集会も力を入れました。
1人の子供大好き牧師さんが、
責任を持ってリードしてくださいました。
私は全体の責任があったので、
全く見ることはできなかったのですが、
とても良かったようです。
子ども達に個人的に話をしたり、
お祈りを一緒にしたり、
そんな時もあったみたいです。
お話を聞きながら、
来年は!(ってまたイベントを増やすかなあ。俺。)
教会に来ている子ども達のための、
お泊まりキャンプをこの地域の教会の合同でやりたいと思いました。
2泊かなあ、3泊かなあ、2年生以上とかで。
日本では良くやっていました。
バイブルキャンプ。
私もその中で育って、その中で信仰を持って、育ててもらいました。
JOYJOYキャンプもいいですが、
それは教会の入り口のキャンプ。
たくさんの子ども達、5歳からの子ども達が集まって、
教会は楽しいところだって、知ってもらいたい、
神さまに愛されていること、知ってもらいたい、
そんなキャンプです。
でも、それだけではなくて、
教会に来ている子ども達が、
いつもの教会ではなかなか話せないような話もして、
信仰をもって立ち上がっていくような、キャンプもあったらいいな、と思います。
何でもかんでもはできないのですがね。
火曜日の聖書箇所。
ルカによる福音書の15章です。
教会の中では良く読まれるところです。
100匹の羊の話や
放蕩息子の話も出てきます。
でも、今日は、その話のきっかけになったことに心が留りました。
イエスの周りにはたくさんの「罪人」と呼ばれている人たちが集まっていたのです。
ちょっと道を踏み外したような人たちが・・・。
イエスの話を聞こうとやってきていたのです。
今の教会はどうだろうかと思いました。
イエスのように「罪人」と呼ばれるような人が「話を聞いてみたいなあ」
と思うようなモノを持っているだろうかと。
自分はどうだろうかと思いました。
イエスさまにはその魅力があるのに、
私という人間が、その魅力を見えなくしてはいないだろうかと・・・。
自分のうちにはそれはない。
でも、自分のうちにあるイエスさまにはその魅力がある。
何とか、その魅力が輝き出て、
人々のところに届くようにと願いました。
今年、教会が掲げている聖書の言葉が心に浮かびました。
「私たちはこの宝を、土の器の中に持っている」
この宝を指し示して歩いていきたいと思います。
神さま、
どうかあなたの魅力が、
あなたの輝きが、
あなたの愛が、
私という土の器を通して、
輝き出ますように。
人間的な魅力ではなく、
あなたの魅力によって、
人々があなたの御言葉を聞きに来るように、
あなたの輝きが届きますように。
人間的な魅力では勝負ができないことはわかっています。
ですから、そんなことを気にしたり、
人をうらやんだりする弱さから、私を守ってください。
「自分は教会なんか行ける者ではない」と思っている方々も、
「行ってみようか」と思えるような、魅力を教会に与えて下さい。
2006-09-06
報いを期待しないで
キンダーとミドルとハイスクール。
それぞれ成長したんだなあ・・・
・・・つまり自分はそれなりに年をとってきたんだなあと。
そして、午後は晴れ。
日曜日、月曜日とそれほど外にも出ていなかったので、
何かすごく久しぶりのおてんとさまのような気がします。
ファミリーキャンプの話その4。
とにかく中高生の元気なこと・・・。
最後の夜は半分くらいの子達が「完徹」で「証し会」だったそうです。
「証し会」・・・神さまが自分にどんなすばらしいことをして下さったか、
自分が今どんな思いで歩んでいるかを話す一時です。
今回はもう完全に私は別世界でした。
まあ、「親子」の世代のギャップですからねえ。
いつも若者達と元気にやっている、JCFNのスタッフのせっちゃんも、
とことんまでつきあって下さって、
さすがにお疲れになったようです。
そろそろカルフォルニアに帰られるのでしょうか?
とっても助かりました。ありがとうございます。
でも、ほんとうに中高生達も励まされたみたいです。
彼らは、熱く、まじめに、楽しく、神さまを愛している連中です。
今回も30分、賛美をリードしてくれたのですが、
とても楽しく、とても元気の出る、そしてあたたかい、メッセージに富んだ30分でした。
自分が中高生の時を思い出して、
ほんとうにうらやましい限りです。
そして、これからの彼らの成長が楽しみです。
4ヶ月ぶりくらいの、アスパラガスの収穫。1本。
夏の間はのびるのを伸び放題にしておいて、
秋には少しだけ収穫できます。
これからしばらく、にょきにょきと生えて来るみたいです。
きゅうり・インゲンは終わり。
ナスは何だか、たくさん花は咲くのですが、
実がなり始めると喰われてしまうので、
ろくに食べていません。
ピーマンはたくさんできましたが、
そろそろ終わりかな。
そう、ニュージャージーの秋はほんとうに駆け足です。
9月の11日から28日まで日本ですが、
帰ってくる頃には、もう朝晩の冷え込みは厳しくなっているのでしょう。
このあとちょっといい天気が続くみたいです。
月曜日の聖書箇所。
ルカによる福音書14章でした。
「その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです。」
14節のイエスの言葉です。
報いを期待しないで与えなさい、お返しを期待してはいけません。ということでしょう。
そして、どうせ期待するなら、天国での報いを期待しなさい、ということです。
与える方が幸い。
今度の日曜日の説教のテーマでもあります。
そうですよね、与える方が幸いだって本当に思います。
でも、その一方で枯れてしまうこともある。
だから、いつもいつも神さまから満たされていること、
人に期待するのではなく、神さまに期待すること、
そのことの大切さを思わされます。
でも、ほんとうに「与える」チャンスが与えられているってすごい幸いですよね。
神さま、
あなたが私に多くのものを与えて下さっていること、
あなたが私を愛し、力を満たし、喜びを与えて下さっていることに
こころから感謝します。
どうか、あなたがもっともっと私を喜びで溢れさせて下さって、
周りの人に愛を、時間を、こころを癒やす言葉を、
与えることのできる者にして下さい。
最近、夜がめっきり弱くなったので、
今日はここで終わり。
もうちょっと待ってみましょう
ファミリーキャンプの話その3。
ファミリーキャンプの前の晩、
講師の佐藤先生を迎えて、牧師研修会と、修養会の祝福のために祈る時とを持ちました。
佐藤先生とお話をさせて頂いて、
とても親しみを感じさせて頂きました。
とてもお忙しい先生で、
とても大きく用いられている先生で、
たくさんのところに招かれ、たくさんの方々に出会っている先生なのですが、
とても、親しみを感じます。
チソンさんのところにも書きましたが、
「この人すごい」と近寄りがたいものを感じさせる方もおられますし、
残念ながら、「君と話しをしてあげているのは特別なんだよ」というオーラを
出しまくる方もおられます。
でも、佐藤先生はほんとうに親しみやすい方です。
そして、図々しいことを書きますが、
「ガンバロースピリットではなく、福音に徹底した教会形成」
という、私と同じことを考えておられて、
それが実を結んでおられるのです。
もっと先生と話したい、話を聞きたい・・・状態です。
ちょっと某元NJの教会におられたログハウス建ててる方みたいに福島に移住しちゃうかも。
日曜日の聖書箇所。
ルカによる福音書13章です。
心に留ったのが8節の言葉です。
「ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。」
これはイエスのたとえ話の中に出てくる農夫が、実を結ばない木を切り倒そうという主人に対して、言う言葉です。
神さまは私たちにこのように手をかけて、時間をかけておられることにこころから感謝しました。
実は、ファミリーキャンプの最後の集会で、
佐藤先生が、そのようなお話をなさいました。
「あなたにどれくらい神さまは手をかけてこられたと思うんですか?」と。
私の心にその言葉が刺さりました。
そして、またこころの奥底にあるものが溶かされていくのを感じました。
私があの家に生まれ、あのような環境で育ち、あのような学校に通い、
先生方に出会い、友人に出会い・・・すべてのことが、私が実を結ぶ歩みをするためだったのだと、
そのことを語られたように感じました。
感謝が湧いてきました。
主よ、
あなたに感謝します。
あなたが私がここに来るまで、
たくさんの手をかけてくださってきたこと、
すばらしいたくさんの出会いを与えて下さったこと、
必要なたくさんの訓練を与えて下さったこと。
あなたに感謝します。
あなたの訓練はまだまだ続くでしょう。
もっと厳しい試練が襲ってくるかもしれません。
その時に、この聖書の言葉を思い出すことができますように。
あなたが助けて下さい。
2006-09-05
心にかかっている
チソンさん(著書の紹介)、かわいらしい方だなあ、と思いました。
韓国語がわかったらなあ・・・と思いました。
無知で申し訳ないのですが、
「韓国・朝鮮語」というと日本のニュースに出てくる、
北朝鮮の国営放送のきつい口調のアナウンスが耳に焼き付いているのも、
理由の一つにあるかもしれませんが、
チソンさんのかわいらしい語尾の感じがとても印象深かったです。
どんなにご苦労があるかと思いますが、
そんなことを感じさせない、ほっとさせるものを感じました。
すごいなあ、この方、なんて思わせない、
「友達になりたいなあ」と思わせるモノを持っておられると思いました。
土曜日の聖書。
ファミリーキャンプの日の朝?昼かな、読んだ聖書の言葉です。
「ましてあなたがたには、どんなによくしてくださることでしょう。」
ルカの12章28節です。
空の鳥も、野の花も神さまに守られている、神さまに養われている、
神さまによって着飾らせてもらっている。
ならば、あなたがたはもっと大切な存在なんだから、
神さまがすべて必要なものを与えて下さるに決まっているでしょう、というイエスの言葉ですね。
心にかけられている、っていいですよね。
うれしいですよね。
私はあのマリヤが救い主の母になることを知った時に、
歌った歌の、「いと高き方が私のことを心にかけてくださった」
という言葉が大好きです。
時々、そのことが見えなくなってしまうことがあります。
わからなくなってしまうことがあります。
でも、そんな時も神さまの方はわかっていて、
私たち自身よりも私たちに必要なものがわかっていて、
それを与えて下さる方なんですよね。
感謝。
神さま、
時々、見えなくなります。
あなたが見えなくなって、
環境や状況や、人々しか見えなくなります。
そして、そこに不安を感じたり、文句を言ったりします。(もちろん、感謝もしますが・・・)
でも、そんな時にも、あなたの方では私のことを心にかけて下さっていることに、
心から感謝します。
どうか、そのあなたの眼差しがわかる者としてください。
すべてがあなたの御手の中にあることを信頼していくことができますように。
無事手続き完了
ここを読んでお祈りしてくださった方もおられるかもですね。
今朝、9時に学校に行って、
Kindergartenに入る娘の登録をすませてきました。
こんなに手こずるはずではなかったのですが、
先方の手違いと、
こちらの「何とかなるさ」という甘さで、
こんなに時間がかかってしまいました。
結構頭に来ること、イライラすることありましたが、
まあ、うまくいけば、そんなことは忘れてしまうもんです。
明日が学校の初日。
今日、新入生が学校を見に行く日でした。
みんな机に名前が貼ってあって、
「ここに座るんだよ」と教えてもらうのですが、
今日登録が終わり、クラスが決まった娘にはその名前がまだ貼ってなくて、
それだけは、ちょっとかわいそうでした。
でも、とにかく、明日から3人とも学校です。
本格的な秋です。
11日から日本に行きますが、ちょっと残暑がコワイです。
金曜日、出発する日の聖書。
ルカによる福音書11章を読みました。
「だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。」
35節の言葉です。
内側の光、それが暗くならないように・・・。
それがイエスさまの、神さまの私たちに対する願いです。
外側ではなくて、
どう人々に見えるかではなくて、
自分の内側がどうであるか、
それが大切なんだ、それに集中しなさい、とイエスは言われました。
まず、内側に触れて頂きたい、
そのように主に願いました。求めました。
この2泊3日のファミリーキャンプが、
外向きにどのように受け取られるか、
表面的にどのように受け取られるかよりも、
私の内側に主がどのように触れてくださるか、
それを求めていきたいと思わされて、
出発しました。
主よ、
どうか、私の内なる光を守ってください。
誰も知らない、あなたにしか見えないところまで、
守ってください。
そして、内なる光が外側にさえ影響を与えるような
そのような力を見せてくださいますように。
2006-09-04
帰ってきたよ
庭は折れた枝でいっぱいです。
そうです。
「嵐」が今回のファミリーキャンプのキーワードでした。
1日の夕方に着いたのですが、
そのころから雨が降り始めました。
風はその前から猛烈でした。
海沿いのホテルだったので、
ものすごい風でした。
車に乗ろうとドアを開けるのも一苦労。
走り出すと車が揺れる揺れる。
枝が飛んでくるわ、そこら辺に置いてあるものが飛んでくるわ、
こわかったです。
でも、3日、4日と穏やかな天気に守られました。
そして、何よりも、
中身がすばらしかったです。
北はボストンから南はワシントンまで、
16の日本語教会が集まって、
共に神さまを礼拝し、
メッセージに耳を傾け、
互いに語り合いました。
メッセージもわかりやすく、力強く、心に届きました。
証しもパワフルでした。
また、このようなチャンスがあるといいですよね。
「見よ、兄弟が和合して共におるのは、いかに麗しく楽しいことであろう。」
詩篇133:1
ほんとに楽しかったです。
もっともっといろんな方ともっともっといろんな話をしたかったなあ、
と思います。
またゆっくり書きますが、
今日はここまで・・・。
明日から「新約1日1章」も再開です。
明日の午後から冷たい雨です。
今年はもう本格的な秋になっています。
あと、娘の幼稚園の入学手続き、がんばります。
2006-09-01
それでは・・・
忙しさが加速度的に進んできていますので、
更新はできませんでした。
3日間、コンピューターなしとまではいきませんが、
更新はできないと思いますので、
次の更新は月曜日。
水曜日からは子ども達の学校、
末娘の学校の入学がトラブっていて、
火曜日が正念場。粘り強い交渉をしなければいけません。
がんばろっと。
では月曜日に。
主の前に座り込んで
どうしようかなあ、と考えていますが、
一番簡単なのは、明日の昼頃に次の更新、
そして「次の更新は月曜日ですよ」宣言ですよね。
そうするかもしれません。
それが一番簡単。
あとの可能性は写真と英語のみ。ですね。
とにかく楽しみ楽しみです。
主がどんなことをしてくださるか、主がどのように私を取り扱ってくださるか、
楽しみに待ち望んでいます。
今日読んだのはルカによる福音書10章でした。
「良きサマリヤ人」の話と「マルタとマリヤ」の話が続けて出てきます。
その中で、やはりあとの方の「マルタとマリヤ」の話が心に留りました。
忙しく働き回っていたマルタ。
イエスの足元に座り込んでいたマリヤ。
普通だったら、マリヤの方が責められて、
マルタの方がほめられるのだと思います。
でも、イエスはそうなさらなかった。
マリヤが座り込んで御言葉を聞いていたこと、
そのことを喜ばれた。
そして、マルタをも招かれた。
心がいっぱいになってしまうことがある。
心がいろんなことでいっぱいになってしまうことがある。
心が乱れてしまったり、「あの人はどうなんですか?」と人のことが気になってしまうことがある。
だから、主の前にひざまずいて、主の前に座り込んで、出ることの大切さを思わされる。
いつもいつも私と主との関係が中心。
私と神さまの関係が大切。
そこから人との関係が作られていく。
忙しいからこそ、主の前に出る。
言葉だけじゃなくて、ほんとうにそんな歩みをさせて頂きたいと思いました。
主よ、
どうかあなたとの生きた関係の中に生かしてください。
わたしの言葉が、私の態度が、
どんな瞬間も、
特に私のことを一番知っている家族の中で、
あなたの命に満ちたものとなりますように。
あなたの命の水に満ちたものとなりますように。
2006-08-31
うまくいったね
文字化けするかなあ、とちょっと心配しましたが、
大丈夫みたいですね。
どういう方法だったかはまた今度ゆっくり書きます。
これで明日からも続けて更新できますね。
長い文章は無理かな、と思いますが・・・。
2006-08-30
聞け!

今日はやっと雨が止みましたが、
「カラッ」とはいかなかったですね。残念ながら・・・。
明日は今日よりももう少し良くなるでしょう。
でも、南からアーネスト君が接近中。
今日フロリダ南端に上陸して、夜にはフロリダ半島の東海岸に抜けました。
これは夜の12時前のフロリダ州東岸Melbourneというところにあるレーダーですが、丸いところあたりが中心です。
発達していくと、中心の周りに「eye wall」というのができて、「台風の目」ならぬ、「ハリケーンの目」ができるのですが、今のところは北側に雨雲がありません。
ハリケーンにまで発達することはないと思います。
でも、とにかく雨。
土曜日は雨になりそうです。
そして、北の方にある高気圧が強くて、いく手を阻まれて、
あまり早く進まない可能性があります。
そして、雨がたいしたことなかったとしても、東風が強く吹くと思います。
ですから、ファミリーキャンプは東向きの海岸のホテルなので、
結構荒れ模様かなあ。
でも、天気はわかりません。
心から、東にそれて欲しいと思います。
今日の聖書はルカによる福音書9章です。
9章も長くていろんなことが出てきます。
一つ一つ大切な話なのですが、
今日心に留ったのは、
イエスの姿が輝く姿に変わって、旧約聖書の時代のモーセとエリヤと3人で語り合っている姿が見えた時に、ペテロが訳のわからないことを言ったこと、そして、そこに天から声があって、「彼の言うことを聞きなさい」と言われたことです。
私たちはどれほど「聞いている」でしょうか?
友との語り合いの中でも、どれほど友の心の声に耳を傾けているでしょうか?
そして、何よりも、祈りの中でも、神に聞いているでしょうか?
自分が話すことがいっぱいあって、
そして、時には神さまに押しつけてしまうようなこともあって、
本当にどこまで主に「聞いている」だろうかと思わされました。
「聞け!」と主が言われているように感じました。
旧約聖書の幼いサムエルの言葉を思い出します。
「しもべは聞きます。主よ、お語りください。」
主よ、
私も聞きます。
あなたが「聞け」と言ってくださっているから、感謝します。
あなたがそういってくださらないと、私はずっと自分の話をあなたに聞いてもらっているでしょう。
あなたの導きに聞く者でありますように。あなたの語りかけに聞く者でありますように。
しもべは聞きます。どうかあなたが語ってください。
2006-08-29
神さまの時の流れ
アーネスト君、今フロリダに上陸寸前です。
でも、勢力は強くなりませんでした。
ハリケーンに戻るどころか、
弱い熱帯低気圧です。
でも、雨はガンガン降っているみたいです。
こちらの雨もたいしたことはありませんでした。
そして!
いよいよ明日から「秋晴れ!」です。きっと。たぶん。
しかし、週末のファミリーキャンプはアーネスト君崩れの低気圧が悪さをするみたいです。
これが3日日曜日の未明の予想図です。直撃です。土曜日から日曜日の朝にかけて大雨です。
でも、このモデル(GFS)だと日曜日の昼間にはいい天気に戻りそうです。
まだまだわかりません。
久々の野菜ネタを入れますが、
きゅうりはもうぼろぼろになりながら、
今日149本目を実らせてくれました。
ここまで来たら150本!と思い、ぼろぼろになったものをなかなか処分できません。
あと、ピーマンも順調。もうちょっと行くでしょう。
ナスはちょっと大きくなると、リスが食べます。
コイツも獣害がなければ、
何十本も穫れたでしょうね。
今日、無事に講師の先生が到着されました。
何かブラックリストに同姓同名がいるのか・・・この所何回か連続で「別室へどうぞ」だそうです。
でも、今回は1時間半くらいで出てこられたそうで、何よりです。
さあ、あと3日で、ファミリーキャンプです。楽しみ、楽しみ。
今日の聖書はルカによる福音書8章でした。
ここも長い章でいろいろなことが書かれていますが、
その中で最後の話が心に留りました。
娘が死にそうな病気で苦しんでいる、
早くイエスさまに来て欲しい。
でも、その途中で、病で苦しんでいた女性がイエスの衣に後ろからさわって、
癒やされる、という事件が起るのです。
その時、イエスはまず、「自分の中から力が出ていくのを感じた」といいます。
そして、誰がさわったか見回します。
弟子たちは「こんなにたくさんの人がいるのに、みんな押し合いへし合いしているのに・・・」って感じです。
この時のこの娘のお父さんの気持ちはどうだったかと思ったのです。
「早く来て欲しい」「いいじゃないですか、誰だって・・・」「イエスさま、早く!」
そんな思いで見ていたと思います。
そして、病気が癒やされた女性がびくびくしながら出てくると、
その身の上話が始まります。
「どうして?」
と思ったでしょう。どうしてこんな時に?と。
そして、一番恐れていたニュースが飛び込んできます。
「お嬢さんはなくなりました。もう先生に来て頂く必要はありません」
でも、イエスはそれを聞き流して、その娘のところに向かいます。
「ただ信じなさい」
とのメッセージを彼に語りながら・・・。
そして奇跡が起るのです。
私たちの人生にも起りますよね。
どうして・・・ということ。
どうして・・・というタイミングで起ってくること。
どうして今すぐ祈りが聞かれないのだろうか?ということ。
でも、神さまには神さまの時があり、神さまのタイミングがある。
それを「ただ信じなさい」と言われているのではないかと・・・。
主よ、
あなたの時がわからないことがあります。
自分の時にこだわりすぎているのでしょうか?
あなたの時がわかる者にしてください。
いえ、わからなくても、あなたの時を「ただ信じる」ことのできる者としてください。
信じます。
2006-08-28
どれくらい赦されたか
でも、ちょっと小康状態。
明日は大雨の予報が出ています。
今夜の11時半ですが、雨の中心はオハイオ州です。
明日の明け方にはこちらの方に広がってきます。
明日の夕方にファミリーキャンプの講師の先生が来られるのですが、
雨のピークかもしれません。
そして、アーネストですが、
今日は本当に弱まりました。
今キューバ東部にあります。
フロリダに向かって進みそうですが、
その間に強くなる予報が出ています。
またハリケーンになるかも・・・だそうです。
そして、昨日の予報がまた変わるのですが、
この熱帯低気圧、下手をすると、この週末こちらの方に影響が出るかもしれません。
こちらが今日の夕方のGFS(Global Forecast System)の予報。9月3日(日曜日)の未明の予想天気図です。
これは最悪のシナリオですね。ニュージャージー沿岸にアーネスト崩れの低気圧が進んできています。
何とかこんなことにならないように、
真面目にお祈りしようっと。
折しも、明日は明け方にカトリーナが上陸した1周年の日です。
本当に心が痛みました。
多くの逃げられなかった人々、
ドームに逃げたのはいいけれども、
停電で大変だった人々。
車で逃げればいい、と思っていたけれども、
それは本当に恵まれた人たちだったんですね。
今年はメキシコ湾沿岸はハリケーンもまだなく、穏やかに来ていますが、
このままピークシーズンを過ぎて欲しいものです。
私たちのところでは直接の影響はありませんでしたが、
何といっても、「ガソリン高騰」には驚きました。

これは去年の春から今日までのニュージャージー州のガソリンの値段の推移のグラフです。(クリックすると大きくなります)
左の方の垂直にグラフが上がっているところが、8月30日です。
その日、何の用事だったか、
夜ニューヨークの方に出かけて帰ってきたら、
行く時は2ドル50セントくらいだったガソリンが、
何と3ドル20セント!
何かの間違いだと思いました。
でも、通るスタンド通るスタンドみんな3ドル台。
えー、何が起ったんだろう?と思いました。ちょっとパニックでしたね。
近所に一カ所だけ2ドル60セントくらいのスタンドがあって、すごい行列でした。
夜の11時頃だったと思いますが、「行くしかない!」と
そこに駆けつけたら、
「もうレギュラーはないよー!」だって。
ハイオクでも2ドル70セント台で他の店のレギュラーよりもずっと安くて、
2往復して2台満タンにしました。
(法律で1日に1回しか値段を買えてはいけないみたいですね。違反していたスタンドもたくさんあったようです。このスタンドはたぶんもうすでに1回上げていたのでしょう。で、その日のうちには上げられなくなっていたのだと思います。翌日には周りのスタンドと同じになっていました。2台満タンは正解でした。)
今回のアーネストがメキシコ湾に向かわないとわかって、今日のガソリン先物はずいぶん下がったみたいです。ホッ。
今日はルカによる福音書7章を読みました。
いろんな話が書かれていますが、
最後の話が心に留りました。
罪深い女の人がイエスの足に香油を注いで髪の毛でふいたのを見て、
「この人が神の僕なら、この女がどんな女かわかるはずだ」
と批判的な目で見ていたパリサイ人。
そんな彼に対して、「多く赦された者が多く愛する」といわれたイエスの言葉に考えさせられました。
昨日の礼拝でも少し触れましたが、
「自分の罪深さがわかればわかるほど、神さまの愛がわかる」
「神さまの愛がわかればわかるほど、感謝が沸いてくる」
そう思います。
自分はどうだろうかと思いました。
自分はあんなにも深く深く、自分の罪深さを感じさせられて、
あんなにも大きく、神さまの愛を感じたのに、
またパリサイ人に戻っていないか、
問われているように感じました。
「このパリサイ人のような人間ではないことを感謝します・・・」
と「取税人や遊女をバカにしたパリサイ人」をバカにしている自分はいないだろうかと。
500デナリどころではなくて、
マタイによる福音書にあるように、「一万タラント」(5000回の人生で稼げるお金)
を赦された者であることを、心の奥底に感じることができるように、
もっともっとわかる者とならせて欲しいと思いました。
主よ、
聖霊様の働きを待ち望みます。
あなたの愛をもっともっと深く知ることができますように。
あなたの愛に触れることができますように。
経験させてください。
あなたの愛の深さを味わわせてください。
2006-08-27
聞いて行う
私が外に出た時はたまたま小やみになっていた時でしたが、
礼拝中は何度も「ドーッ」と降っていました。
今夜まだ降るみたいです。
今11時半ですが、雨雲は北と南に別れて、
NJ北部は小康状態ですが、またあとで降ってくるでしょう。
そして、明日はちょっとましみたいですが、
あさってはまたかなりの雨。
そして水曜日からずーっと晴れそうです。
さて、ファミリーキャンプ予報の第1弾。
1週間前の予想ですが、大体晴れ。
気温は25度くらい。涼しい3日間になりそうです。
特に、朝晩は涼しいと思います。長袖の準備もお忘れなく。
今日、一瞬アーネスト君がハリケーンになりました。
でも、ハイチにぶつかって、すぐにハリケーンから降格。
明日はキューバにぶつかります。
その後フロリダを北上するでしょう。
幸いそれほど強くならないと思います。
もしかしたら、もう一度ハリケーンになるかもしれませんが、
ならないで終わってしまう可能性もあります。
その後カロライナ沖を東に進んでいくでしょう。
大丈夫です。たぶん。
話は変わりますが、
昔のこととか思い出して、
今の子ども達を見てて思うのですが、
ビデオって今はあるじゃないですか。
子供の頃はなかったですよね。(こういうことを考えること自体オヤジになったんだなあと思います。)
てゆーか、ずっとなかったですよ。
あのころビデオデッキが20万円とかしなかったですか?
今は単体のビデオデッキはお店に2機種かそこらしか置いてません。
それで一台50ドルから70ドルくらい。1/30-1/40の値段ですよね。
大学生くらいになったときに、教会で電気屋さんしておられる方が、
貸してくださったのを覚えています。
だから、子供の頃は、いつでも好きな時に、好きなものは見れなかったですね。
だから、好きな番組をやる時は必ずテレビの前にいなければいけなかった。
そして、必ずチャンネル争いがあった。
がちゃがちゃ回すチャンネルで、ダイヤルが取れたり、バカになったり。
「ほら、ダメになったじゃないか!もう見るな!」と怒鳴られて終わり。
でも、今は、好きな時に好きなものが見れる。
一軒の家に2台、3台テレビがあっても不思議ではない。
チャンネル争いなんてないですよ。
いいのかなあ・・・我慢したり、一つの番組を見るために時間をちゃんと守って帰ってきたり、
約束して、この時間はお兄ちゃん、この時間は弟、と分けたりするということがどんどんなくなってきて・・・。
さて、今日の聖書。
今日はルカによる福音書6章。
今日の礼拝の中で読んだのも同じ6章から37節。
でも、心に留ったのはその最後の方。
46-49節です。
聖書の言葉を読んでも、そのままの人は、
「砂の上に家を建てた人」
聖書の言葉を実行する人は、
「岩を土台に家を建てた人」
のようだとイエスは言われたのでした。
そう、聖書の言葉を読んだり、
覚えたり、
感動したり、
いい言葉だなあと思ったり、
瞑想したり、
そういうことと、本当にぶつかってみる、ということは別なんですよね。
きょうの礼拝でもお話ししましたが、
「赦しなさい」「裁くのを止めなさい」と言われても、
それを実際に「やってみよう」と思わなければ、
本当の葛藤も経験出来ないでしょうし、
「赦すことの難しさ」もわからないでしょう。
「自分の弱さ」にも気がつかないかもしれません。
そういうことを自分の経験として味わうことこそが、
「地面を深く掘り下げる」ということなんでしょう。
御言葉に従っていく者でありたいと思いました。
主よ、
私は「御言葉について語る者」ではありますが、
「御言葉を行う者」になっているでしょうか?
私は「みことばに従う者」になっているでしょうか?
どうか、御言葉に動かされて、みことばに従う者となれますように。
明日の朝も、そのことを忘れていないように、
1日を守ってくださいますように。
今日教会に来られた1人1人、いらっしゃることのできなかったお一人ひとりに、
守りがありますように。
失望を超えて
ちょっとカミさんのヘルプをしていたら、12時を過ぎました。
日付が変わっちゃうんですよね。
12時前に始めないと・・・。
今日は朝から、ずっと雨が降ったり止んだりで、
肌寒いくらいの日でした。
最高気温も20度くらい。
明日はもっと雷が鳴ったり荒れ模様のようです。
雨だと、洗濯物乾かないですよね。
アメリカだと乾燥機が当たり前なので、関係ないのですが、
日本式で外で干そうと思ったら、この天気は恨めしい限りです。
東京に着たばかりの頃、
まだ大阪万博とかの前ですがね、
パスタメーカーみたいなローラーで水を絞る洗濯機ありましたよね。
脱水機なんかついているのは高級機種だった頃。
うちは内風呂なんかもなくて、(もちろん、露天風呂もなかったですよ・・・)
洗濯機が玄関横の押入に入っていました。
もちろん、そこには水道も排水もないから、
洗濯する時は、親がそれを玄関に出してきて、
排水を外に流しながら、洗濯をしていました。
そして、洗ったものをローラーに入れて、水を絞っていたんですね。
ここなんかを見ると、50年代のものみたいですね。
50年代のヤツにはみんなローラーがついてる。
60年代になるともう二槽式の時代なんですね。脱水槽があるんですね。
となると別に高級機種ではなかったかもしれません
これは70年代になって、我が家に入り、
小学生の私も一番手伝った(手伝わされた・・・)やつです。
ここなんか見ると、昭和40年にはもう全自動ができていた・・・。
もう40年も経つのですね。
まじですかー、って感じです。
今朝、下の娘にせがまれて、
庭の野菜の収穫に行った時・・・もうあんまり穫れないのですが・・・
リスが小さなナスの実をくわえて逃げていきました。
あんまり慌てて逃げていたので、途中で落としました。
拾って、冷蔵庫に入れました。大人げない・・・。
今日の聖書。
今日はルカによる福音書5章を読みました。
5節のシモン・ペテロの言葉が心に留りました。
「私たちは夜通しがんばったけれども、何にも獲れなかったんです」
ああ、自分にもそういう時があるよな、と思いました。
本当に疲れ果てて、何の収穫もなくて・・・という時。
そして、また「どうせ、やったってダメ。もうわかっている」という無力感に捕らわれます。
でも、そんな私たちに主は奇跡をもって応えられます。
自分の無力さと神の全能。
もうひれ伏すしかないですよね。でも、ものすごいうれしいことではないかと思います。
恐ろしいと共に、うれしい、そういうものです。
もっともっと主の奇跡を見せて頂きたい、そう思いました。
主よ、
あなたの全能を感謝します。
あなたには何もできないことはないことを、感謝します。
どうか、自分の頭で考えて、無理なこと、
自分の経験から考えて無理なことも、
主が実現して下さることを、そのあなたの力を見せてくださることを求めます。
私たちの中にある無力感、
あなたがそれを打ち破ってください。
御言葉に従っていく者とならせてください。
