2006-09-20

霊とまこととをもって

「おおかみがきたぞー」の少年にならないように、
ここで更新しておきます。

NJは寒いくらいの夜になるようですね。
10度を切るようです。
今日の大阪は28度だそうです。
半袖でちょうどいい感じですね。
昨年まで3年連続で7月に日本を訪問しておりましたが、
今年は、体力的には9月で正解です。

いろいろ書きたいことはあるのですが、
また今夜ゆっくり・・・ということで。

月曜日の聖書。
ヨハネによる福音書4章を読みました。

「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。」

23節のイエスの言葉です。

自分が神さまの前に出る時の姿勢を考えさせられる一節でした。
「霊とまこと」って何だろうなあ、と思います。
解釈でいろいろ問題があるかとも思いますが、
私は読みながら、自分の心がほんとうに主に向かっているだろうかと言うことだけを考えていました。

「礼拝」

牧師である私にとって、
礼拝は「説教を語る場」でもあります。

その中で、私は心から、真剣に、真実に、
主を礼拝しているだろうかと問われるような気がしました。

会衆の皆さんにとっては
「説教を聞く」ということが、礼拝の中の大切な要素ですが、
それが、「主への礼拝」となっているでしょうか?

今度の日曜日、
私は久しぶりに、メッセージもなく、何の責任もなく、
ただ、ひとりの参加者として礼拝に出席する幸いを経験します。

本当に久しぶりだと思います。
ゲストスピーカーが来られても、
9月3日のように、ファミリーキャンプで、司会や説教に当たっていなくても、
やはり何かの責任を持っていました。

だから、たぶん、8年ぶりくらいの経験だと思います。

本当に心から主を礼拝することを経験させて頂きたいと思います。
その中で、説教のご奉仕をしながら、でも、「礼拝者」としてそこに立つ、ことの
意味を考えてみたいと思います。

こころからの礼拝を主にささげる、
そのような説教者でありたいと思いました。

そして、その姿勢が教会全体に広がっていく、
そのような礼拝を守っていきたいと思います。

主よ、
礼拝の中心はあなたです。
いつもいつもそのように祈ってきました。
でも、今も本当にそうでしょうか?
私はそのように礼拝を守ってきたでしょうか?

どうか、私を「霊とまこととを持って礼拝する真の礼拝者」として下さい。

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