2006-10-01

一つになる

3週間ぶりのJCCNJでの礼拝。
やはり「帰ってきた!」という感じです。
心から主を賛美しました。

今日のメインイベントは、

洗礼式。

1人のご婦人が洗礼を受けられました。

祈られてきた、1人のクリスチャンの方のお母様。

喜びの中での受洗となりました。

その前の一つの集まりで数年前に洗礼を受けられたある方がおっしゃってたこと。
「私が洗礼を受けて変わったことが一つあります。それは次に洗礼を受ける方が起った時に、
それがとてもうれしかったことです。それは私にとって、驚きでした。」
感動しながら、その一つ一つ言葉を選んでお話になる言葉を聞いていました。

神さまのなさる奇跡ですね。

今日、洗礼を受けられた方は、
住んでおられるところがちょっと遠いので、
いつもいつもご一緒に聖書を読んだり、
礼拝を守ったりできないことが、
ちょっと残念+心配でもありますが、
「主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。」(使徒29:32)の思いで、
祈っていきたいと思います。

みことばが守り、導き、支えて下さいますように。

今日の聖書は、ヨハネによる福音書17章です。
最後の晩餐の中で、イエスが祈られた祈りです。
神に弟子たちの守りを祈られた言葉が書かれています。

その中で、今日、私の心に響いてきたのは、
20節の言葉です。

「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。」

ここで、イエスが祈られたのは、弟子たちのためだけではなくて、
私たちのためでもありました。
いつも聖書を読む時には、弟子たちへの言葉は私たちへの言葉として受け取ります。
でも、このイエスの言葉は、直接的に、私たちのために祈られた言葉なのです。
感動を覚えました。

イエスさまが私たちのことも心にかけて祈って下さった。
私たちのことも心にかけておられる、ことが本当によくわかりました。
そして、その祈りは「彼らが一つになることです」という祈りです。

「一つになる」

そして、私たちが一つになった時に、周りの人々にたいする影響を持つことができるというのです。

どうすれば一つになれるのでしょうか?

それを思いめぐらしました。

それは誰かが大きな声を出して、
他の人がその人を恐れて黙ってしまうことによる一致ではないはずです。
余りお互い言いたいことを言わないで、「いいでしょう」という一致でもないはずです。

神さまの前にへりくだる一致。
神さまの前にひれ伏す一致。
それを求めていきたいと思いました。

自分の願い、自分の夢、自分のビジョンがすべて砕かれて、
神さまの御心を求めていく中での一致。

主がそれを与えて下さることを祈っていきたいと思いました。

主よ、
あなたが私のことを、私たちのことを心にかけて下さっていることに感謝します。
どうか、あなたが祈られた一致を、私たちに与えて下さい。
あなたの前にへりくだった一致を与えて下さい。

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