2006-10-02

イエスは私たちの王

今朝はまた朝3時に目が覚めました。
一日おきに「よく眠れた!」「ああ、起きちゃった・・・」が繰り返されています。

でも、今日3時に起きたのは、
何か神さまの目的があるんだろうと思って、
ガバッと起き出したら、やっぱり意味がありました。
詳しくは申し上げられませんが・・・。

いつも「夜中に目が覚めるのは、神さまが『起きなさい』と私たちに誰かのために祈らせるために起こしているんですよ」と言っていますが(本当にそう信じています。不眠症の方には不評ですが、それでも、そう信じています)、今朝は「ああ、本当にそうなんだな」と思いました。

神さま、ありがとう。
起こしてくれて・・・。

でも、今日は夜8時にして、もう眠いです。
午後3時頃からずっと・・・。

朝2時間、夕方2時間のドライブだったのですが、
帰りは30分くらいでギブアップ。カミさんに交代しました。

ですから、今日は更新、いつもより早め。
たぶんまた早めに夢の国に旅立ちます。

今日読んだのはヨハネによる福音書18章でした。
イエスが逮捕されて、裁判を受けるところです。
その中で、イエスが、ローマ帝国から派遣されていた総督ピラトに、
「おまえは王なのだな」と聞かれて、
「そのとおり、わたしは王です」と答えたくだりが、心に留りました。

イエスは王になるためにこの世に来られました。
それは武力で人々を治めるためでもなく、
経済力で人々をまとめるためでもありませんでした。

自分を私たちの罪の身代わりとして与えて、
私たちの罪を赦し、愛によって支配するために、
愛によって私たちを支配するために来られたのです。

今、私はこのイエス・キリストを王としているだろうか、と問われているように感じました。

本当に王にしているだろうかと。

生活の中心をこの方にしているだろうか?

この方を第一にしているだろうか?

昨日の礼拝の中で、献金の感謝の祈りを捧げた方がお祈りされていたように、
お金も、健康も、才能も、時間も、すべて神様のもの、
その様に生きているだろうか?

この方を「王」とすることの意味を、具体的に、
一つ一つ教えて頂きたいと思いました。

一つ一つの場面で、「ああ、私はイエスを王としているだろうか」「この決断は、イエスを王としていることと矛盾しないだろうか」と問うて歩んでいきたいと思いました。

忘れやすい、私です。

一瞬一瞬、イエスさまが王であることを覚えていたいと思いました。

神さま、
イエスさまが私の王でいてくださることを感謝します。
具体的に、私の生活の中で、
何が、「イエスを王とする」ことなのかを、
教えてください。
一つ一つの決断の場面で、
「イエスを王である」という前提で、決断をしていくことができますように。
傀儡の王ではなくて、形だけの王ではなくて、
「王」の権威を語ってわがままをするのではなくて、
あなたを本当の王としてあがめていけますように。

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