火曜日に出発して関西に行っておりましたが、
日曜日の夜にようやく東京帰還です。
ほっとするような、「ああ、帰ってきちゃったなあ」という感じがするような、です。
火曜日、関西に着いた日、
泊めて頂いた先生に、昔ながらの銭湯に連れて行って頂きました。
近頃はやりのスーパー銭湯ではなく、
単純な「銭湯」です。
こんな感じの銭湯です。
懐かしいですよね。
番台は入り口の方向いているし、
コーヒー牛乳やジュースを売っているケースは
「自動販売機」に変わってしまっていましたが、
その他は昔ながらの銭湯です。
ほーら、中はこんな感じですよー。
そしてこのお湯と水が出てくる蛇口。
余り鮮明に写ってはおりませんが、左の上の方がお湯。右下の方が水でございます。
上から押すとお湯や水が出ます。
使いながら思い出しました。
決してお湯を先に出してはいけない、ということ。
お湯を先に出すと、結構熱湯っぽいので、
後から水を足す時に、桶にたまっていたお湯が飛び散って、思いっきり熱いです。
だから、必ず水を先に桶に十分張ってから、お湯を足す方がいいのです。
それだけとっても、懐かしさに心がジーンとする銭湯でした。
ジーンとするのは、銭湯の熱いお湯だけではなく、
聖書のみことばもです。
今回は木曜日の聖書。
ヨハネによる福音書7章でした。
心に留ったのは、私の好きな言葉ですが、
「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
37節から38節のイエスの言葉です。
心から生ける川の水が流れ出る。
単純に心から、そのような心の状態を求めています。
私の心から、喜びの川の流れ、いのちの川の流れが、流れ出て、
周りの人々のことを満たしていく、潤していく、
そのような歩みをさせて頂きたいと思います。
そのためには、主からいのちを頂いていくこと、
主から見たしを頂いていくことの大切さを思わされます。
主に満たして頂きたい、
主にいのちの泉を頂きたい、
そのように思います。
自分のうちの泉が枯れる時に、
人々にも通じるのものです。
満たされている時に、
人々にも通じるものです。
いつもいつも主によって満たして頂きたいです。
主よ、
どうかあなたの泉を下さい。
あなたのいのちの水を下さい。
私のうちから水が流れ出て、
周りの人々のことを潤すような、
そのような者にしてください。
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