2008-05-23

かわいい子には旅をさせろ第2弾。

今日は晴れて暖かくなりました。
でも、教会のオフィスも
牧師館の私の勉強スペースも
共に半地下なので、めっちゃ冷えます。

外は22度くらいだったと思いますが、
ここは何度か知りませんが、とにかく暖かいズボンをはいて、
長袖の厚手のシャツの上に、フリースの長袖を着て、
それでも、足が冷えて、じっとしてられません。

とうとう電気膝掛けで、何とか生き返りました。

未だもうちょっと花粉が怖くて外も余り歩きたくないし、
めちゃくちゃ不健康なオヤジ化しております。

JOYJOYキャンプの申し込みは昨日が2名、今日が1名で、54名。
だいたい、去年並になりました!
申し込みは明日まで。
さて、どうなるでしょうか?

去年のウガンダに続いて、
明日から月曜日まで、2泊3日で息子を一人でシカゴに送ります。
JCFNというクリスチャンの団体の中西部地区の集会です。

去年のウガンダは本人がその気になって、
アルバイトまでして、行ったのですが、
今回はどちらかというと、私の方が行かせたくて、
かなり勧めてしまいました。

待っていたら、たぶん「行く」なんて言い出さないと思ってましたから。
とにかく、親のいないところで、
信仰の仲間や先輩たちから学んだり、
人間関係を広げていったりすることって、
本当に大切なことだと思っていますから・・・。
牧師の息子である私自身の経験から、
なんとか、こういう経験を持って欲しいなあと思っているわけです。

高校時代から、親に反対されても、
教会に行っていたのんちからすると、
「やりすぎ」と言われそうですが、
まあ、ここまでお膳立てをしてあげるのも、
これが最後。(ちょっと決意)

ウガンダの経験があるので
親も本人も全然、緊張感ありません。
ただ、国内線、帰りの便がキャンセルになったら、
大変だなあ、と思います。
翌日学校あるし・・・。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一9:15-27

「主は、サウルが来る前の日に、サムエルの耳を開いて仰せられた。」15節。

サウルを導かれた神さまは、
その前から、サムエルにも語り、道を備えておられたのです。

それから、ここで「サムエルの耳を開かれた」というところも、
目が留りました。

主の導きがわかる目、
主のみ声が聞こえる耳、
それを与えて頂きたいと思います。
そして、そこに確信を頂いて、
進んでいきたいと思います。

主と親しくすごしている中で、
目が開かれ、耳が開かれていくのでしょうか。
本当にそのような経験を与えて頂きたいと思います。

主よ、
ひとつひとつの出会いがあなたの導きであることに感謝します。
どうか、あなたの導きを見る目を、
あなたのみ声を聞く耳を与えてください。
私の目と耳を開いてください。

2008-05-22

あと2日。

さて、きょうも午前中は結構寒かったですね。
雨も降りました。
あと、午前中集会をした教会が寒くて、からだが冷えてしまいました。

でも、午後は暖かくなった+JOYJOYキッズクラブだったので、
半袖で元気にがんばりました。

明日から月曜日までは晴れ。
補習校の運動会はばっちり日曜日ですねえ。

あと2日。JOYJOYキャンプの申し込み。
今日、とうとう定員の50人を突破。
今朝、教会に行ったら、郵便で届いていたのが、5人分。
キャンセルが2人出たので、
51名かな。

でも、今日の郵便は未だ見ていません。
うーんどこまで増えるんだろう。

今日、おそくなりましたが、
その理由の一つは「料理」。
昨日の夜10時頃、Shopriteで、「今夜中に売る!」ということで、
2ドル引きになっていた挽肉を買ったんですが、
昨日はそのまま寝てしまいました。
今日は朝から夜9時頃までずっとあっちこっちに行っていたのですが、
さすがに今日中に料理しないとねえ、ということで、
さっきまで料理していました。

2キロの挽肉、ほとんどのんちが料理したのですが、
私も一品。「韓国風肉みそ」。
エッセの「夕食ばんざい・肉のおかず262」(1993年)の中に入っているヤツです。

10年くらい前に作って、おいしくて、また作りたいと思っていたんです。


なんと、挽肉200グラムにみそ1カップ、砂糖2カップ入れるんですよ。
(日本のカップです・・・念のため)
さすがに「どうしようかな」と迷いましたし、
「ほんとかよ」と何度も何度も確認してしまいました。
砂糖2カップ・・・。
入れた時には「失敗したかも・・・」と思いました。

確かに甘いですが、唐辛子やみそ、山椒、ネギなどもたくさん入っているので、
ぴりっと辛くて、おいしいです。
レシピ欲しい人、こっそり教えますので、ご連絡下さい、って、
まず一度味見してみないと、ですよね。
でも、ホントにめちゃ甘くて、めちゃ辛いです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル記第一9:1-13

「ついこの先におられます。今、急いでください。きょう、町に来られました。」12節。

今日のところは、もう、先に進まないで立ち止まるのが難しいところでしたねえ。
つい先に進んでしまいたくなります。

このサウルが王様にされるために主が導かれた一つ一つのことを読みながら、ああ神さまは今日もわたしたちにこのことをしてくださるんだなあと思いました。

ロバがいなくなったこと、
ここまで探しに来たこと、
この町に預言者がいるのだと気がついたもう1人の若者の存在、
そして、またその町にたまたま預言者のサムエルが来たところだと、
町の人々は言うのです。

本当に一つ一つが不思議ですね。
でも、主はしばしばそのようなことをされる。

一つ一つの出会いが偶然ではない、
そのことを思わされます。
NJに来ることができたこと、
そしてこの教会に出会えたこと、
そして、お一人一人に出会えたことに心から感謝します。

主よ、
あなたの導きの一つ一つに感謝します。
一つ一つの出会いに感謝します。
どうか、これからも導いてください。
あなたの思いのままに導いてください。

そして、いつもいつもあなたの導きに
敏感な者であることができますように。

2008-05-21

あと3日。

今日も朝は冷え込んで、
昼間は晴れてそこそこ暖かくなったのですが、
家の中はひんやりしていました。

メモリアルデーからはプールがオープンになったり、
「夏」が始まるはずなんですが、
全然そんな感じがしません。

明日もまた雨が降りやすく、
結構肌寒いかと思います。

今日、久しぶりにサンディエゴのO倉先生のところに
ご訪問したら、先生、アメリカ人になっちゃったんですね。

そして、「え~、すごい!」とびっくりしたのが、
この記事。

「ヤマアラシのジレンマ」で有名な
ヤマアラシですが、こんなにすごいんですね。
見ているだけで痛々しい。
絶対に近寄ってはいけないですね。
ここら辺にもいるのでしょうか。
スカンクもたいへんですが、
こんなのに遭遇したら、ホント、逃げるしかないですね。

先生の「引き下がることも立派な勇気」には、
心から、本当にそうだなあ、と思わされました。

あと3日、というのは、
JOYJOYキャンプの受付もあと3日・・・ということです。
昨日届いたものまで入れて、48名。
水、木、金、土と4日分ですから、
たぶん定員は超えるでしょう。
なんとか、抽選しなくてもすむことを祈ります。

今日の聖書。
今日はサムエル記第一の8章。

「どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」5節。
「私たちも、ほかのすべての国民のようになり」20節。

この民の願いは、「他の国のように」だったんですね。
それが一番の問題だったと思います。

でも、これは子供の時代ははっきりと、
大人になってからも「流行」につられる時に、
わたしたちの中にいつもあることですね。

「みんなもっている」「みんなやっている」
「ないのは私だけ」「どうして私だけこんな目に?」
「みんながやるなら・・・」

そんな言葉をよく聞きます。
また自分もそういう考えに捕らわれる時もあります。

でも、神さまは一人一人に特別な人生を与えてくださった。
神さまとの関係に生きるように招いてくださっている。

だから、人と違っていい。
周りと違っていい。
それの方がいい。

周りに振り回されない、動じない神さまとの関係による「強さ」を
持っていたいと思います。

神さま、
どうか、あなたの私に対する使命を教えてください。
そして勇気を持ってそれを引き受けて歩む者でありますように。
周りに振り回されない強さを与えてください。

JOYJOYキャンプに来たい子たちがみんな来れますように。


2008-05-20

祈り続けなさい


さて、2回目の更新は今日の聖書。
今日はサムエル記第一7:3-17でした。

「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。」8節。

今日はストレートに、
これが主からの語りかけだと思いました。
祈るのをやめない、
祈り続ける、
それを主は求めて折られるのだと。

これからも祈りが必要な人々、
その方々のために祈り続ける、
途中で祈ることをやめてしまわない、
そのように主が命じられました。

祈っていこうと思います。

神さま、
今日もあなたの招きに感謝します。
あなたが祈り続けなさい、と言ってくださいましたから、
祈り続けます。
どうか、あなたと共に歩ませてください。
祈り続け、支え続けさせてください。

聖なる神

今日はまた寒かったです。
朝起きたら6度。
そして、昨日と違って、今日は冷たい雨。

明日はもうちょっと天気が良くなって、
もうちょっと暖かくなると思います。
でも、本格的な回復は週末のようです。

やっぱり日曜日は晴れのようですね。

さて、昨日の聖書です。
昨日はサムエル記第一6:1-7:2

「だれが、この聖なる神、主の前に立ちえよう。」20節。

神さまのきよさ、
そして、その前の恐れ、
それをいつまでも忘れないでいたいと思う。
いつも覚えていたいと思う。

神の箱の中を除いたのは、決して悪気があったことではなかったと思う。
でも、それは神を恐れない、愚かな行いであった。

愛の神、わたしたちを抱きしめる神、
でも、それはあくまでもイエスの十字架があったからで、
本当はこのきよい、恐るべきお方であることを、
忘れないでいたいと思いました。

そうじゃないと、愛がわからない。
犠牲の大きさがわからない。
イエスの払われた大きな犠牲に心から感謝。

神さま
今日の一日も心から感謝します。
今日も、一人一人をお守り下さい。
今夜も神さまが共にいて下さい。

そして、あなたのきよさをもう一度教えてくださってありがとうございます。
そのあなたがわたしたちを抱きしめてくださることに、感謝します。
その陰に、イエスの十字架があったことを、感謝します。
その払われた犠牲に心から感謝します。

どうか、愛されている喜びに溢れて歩ませてください。

2008-05-19

Watoto

今日の夕食後、
お茶が飲みたいかなあ・・・ということで、
電子レンジでお湯を沸かそうと思って、
コップに水をくんでスイッチを入れたら、
電子レンジの下の方からものすごい煙がもくもく。
電気の線が焼けるようなゴムが焼けるようなにおいで、
すごい臭かったです。

ま、これはもう壊れた、ということで、
ホントは原因を知りたくて分解しようとしたんですが、
特別な工具が必要なようで、断念。

でも、とにかく何事もなくて良かったです。
私の4×年の人生の中で、
家の中であそこまで煙がでたことは初めてでした。

もしも家の中で一人で、
スイッチを入れてそのままその前を離れたら、
火事になっていたかもです。

電子レンジのない生活は考えられないので、
すぐに買いに走りました。
こちらではだいたい100ドル以下ですから。

そういえば、アトランタで何もない時に、
最初に必要になったのがこれでしたね。

私が子供の頃はなかったんですよね。
いやあ、想像出来ません。

そんな「文明の奴隷になっているかな?」という生き方に
チャレンジを与えられるような話ですが、
今、日本にWatoto Children's Choirが来ていますね。

ウガンダのAIDSやゲリラによって親を失った子たちのための
働きの中で生まれたコワイアです。

このビデオ、とっても子供たちの表情がいいです。
その背後にはどれほど過酷な人生があるか、
そんなこと、全く感じさせないものです。

去年の夏、ハジがウガンダに行って、
この団体に触れて、ものすごい大きなインパクトを受けて
帰ってきました。

東京は未だこれからですね。

アメリカには来ないのかなあ、と思ってこちらを見たら、
結構あちらこちらを回るんですね。

今年の11月ごろこちらにも来るみたいです。

Brooklyn Tabernacleとかも予定に入っています。
近所では11月22日(土)のCeder Groveなんかはねらい目でしょうか?
是非、みんなで行きましょう!

さて、昨日、日曜日の聖書。
昨日はサムエル第一5章でした。

「ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。」3節。

イスラエルに裁きを下された主は、
だからと言って決してペリシテの味方ではありませんでした。
ペリシテもまた神の裁きの下に置かれたのです。

神さまはわたしたちの味方とか敵とかというよりも、
すべてを越えておられる。
そこにわたしたちがひれ伏すのだ。

この文章を読んで痛快に思っている自分がいる。
ああ、このペリシテの神は愚かだ、神さまにはなにものもかなわない。

そう思って、痛快に感じている時に、
私は自分を神と同じところに置いている。

でも、本当は、このイスラエルの民やペリシテの民と同じように、
神の前にはひれ伏すべき者であるのだ。

主よ、
私もあなたの裁きの下にあることを思い出させてくださって、
ありがとうございます。
どうか、あなたの下にひれ伏し、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
忘れることがありませんように。

どうやって・・・。

今日は寒い一日でした。
朝起きたら6度。
そして風が強くて、
昼間も15度止まり。

もう5月も半ばまで来ているんですけどね。

今度の日曜日は補習校の運動会。
なんで、日曜日に運動会やるかなあ?
土曜も月曜もあるだろうに。
って自分の都合ですよね。

でも、10年前は土曜日だったんですよ。
長男が2年生の頃まで。
でも、どういった事情か知りませんが、
日曜日に変ってしまったんですね。

でも、雨が降ってくれたら、
月曜日に順延なので、
そうしたら、1日でれるから、いいかな、
ととても身勝手に考えています。

でも、予報はかなり自信を持って「晴れ」みたいです。

昨日、お友達のことを話した後しばらくしてから、
サキが、ふと、「ねえ、天国ってどうやっていくの?」
と聞いてきました。

「イエスさまが迎えに来てくださるんだよ」
「見えるの?」
「そうだね、普通の人には見えないんだけど、天国に連れて行ってもらう人には見えると思うよ」

ひざの上に乗ってきた娘に話しながら、
子供たちがこのことをどのように受け取るのか、
それも、神さまが特別な時を与えてくださっているのかなあと思いました。

こわいことではなくて、
神さまのところにいくんだから、
大丈夫なんだよ、と伝わるといいのですが、
サキよりももっと仲の良かった子たちもいるので、
祈らされます。

おととい、土曜日の聖書。
土曜日はサムエル記第一の4章12-22節。

「栄光がイスラエルから去った」21節。

この聖書の箇所つらいですよね。
エリも、その嫁も神の箱が奪われたことに
大きな痛みを感じたままこの世を去りました。

でも、実際のところ、
それよりもずっと前から、イスラエルの人々の方が、
神さまを捨てていました。

エリの嫁はエリの息子である彼女の夫が、
他の女性、神殿で奉仕している女性と関係を持ったことに、
どんなに傷ついていたことでしょうか。


エリは自分のむすこたちが愚かなことをしていることに、
どれほど心を痛めていたのでしょうか。
もちろん彼は心を痛めるだけではなくて、
何とかして、彼らを悔い改めに導かなければいけなかったのですが・・・。

神の箱が奪われた、というのは、
結果でしかなく、
その前から、イスラエルは神に背いていました。

外側のことではなくて、
内側の問題として、
神さまに従っていく、
イエスさまの後に従っていく者でありますように。

神さま、
今日も痛みの中におられるお一人一人に、
あなたの慰めと守りを与えてください。

外側のことではなくて、
心の底から、
あなたに従う者でありますように。

2008-05-18

いのり。

先日から与えられている、

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」

その言葉が与えられたのは、このためだったのだろうか。

内側から、そのような者に変えてくださいと祈らされたのは、
このためだったのだろうか。

今日、教会から帰ったら、
日本から、教会を挙げて祈っていた、
5歳の女の子が主の許に召された知らせが入っていました。

6歳のサキが泣きました。
わたしたちも泣きました。

どうして、今、主がそのお嬢さんを召されたのか、わかりません。

でも、今日、私は礼拝で、
天国がどんなに素晴らしいところなのか、
お話ししたところでした。

今、主の御許で安らいでおられることを、
思わされています。

ご一家に、何物にも換えられない主の慰めがありますようにと、祈ります。

2008-05-17

利用しない。

土曜日の朝です。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」
ローマ12章15節。

木曜日の祈り会の中で、ローマ人への手紙の12章を読んでいた時に、
「主イエスの十字架の恵みをいただいたわたしたちが、どのように生きるか」
を書いているこの聖書の部分で、

私自身はこの言葉が語られたところでした。

そして、その後の祈りの時に、
「友人に神さまのことを伝えたい、何とか話したい、と思っていたが、
最近は自分自身が、内側から、イエスの香りがあふれてくる者になりたい
と思わされているから祈って欲しい」という方がおられて、

その両方が一つのメッセージのように自分に語りかけられています。
また、今読んでいる一冊の本がからも同じように語られています。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣くことが、
内側からあふれてくるような者にしてください」と
祈らされます。

昨日の聖書。

昨日はサムエル第一4章1-11節。

「シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真ん中に来て、われわれを敵の手から救おう。」3節。

契約の箱があれさえすれば、
それで勝利が得られると思っていたイスラエルの人たち。
彼らは主から遠く離れてしまっていた。

自分たちが神から離れてしまっていることは
棚に上げて、契約の箱さえ持ってくれば勝利出来ると思っていた。

主を利用するのではなく、
主に従っていく、
主に聞いていく、
その姿勢を忘れないようにしたいと思いました。

いざというときにあわててではなくて、
日々の歩みの中で、主に聞いていく者でありたいと思います。

主よ、
どうか、あなたの愛を、私のうちに満たしてください。
いつもいつもあなたと共に歩む者としてください。
今日も、痛みや悲しみの中にある人々と共に歩んでください。
御言葉による慰めと励ましを与えてください。

あなたと共に歩むことを教えてくださいますように。

2008-05-16

ちょっと週末・・・

この週末、ちょっと更新ができないかもしれません、
優先順位の問題で・・・。

でも一緒に聖書を読んでおられる方々もおられるでしょうから、
できる限り時間を見つけて、「日々の祈り」だけでも、更新するようにします。

とりあえず、今日の聖書はまた次の機会に・・・。

2008-05-15

主の言葉を聞く

今日は朝のうち雨がぱらついたりしましたが、
予報よりいい天気で、暖かくなりました。

明日は雨で、肌寒い日になりそうです。

今朝、起きたら6時45分。
とうとう早朝祈祷会を休んでしまいました。
もしも「ああ、今日行こうかなあ」と思って、
来られた方、おられたら、ごめんなさい。

携帯にめざましをセットして、
どこかに置いてしまったようで、
枕元にはありませんでした。
めざましなしに起きれる日も多いのですが、
今日は寝過ごしてしまいました。

そんな今朝早く、
教会の方のご主人が天に召されて行かれました。
アメリカ人のご主人で、結婚50周年を目前にしての、
突然の召天でした。
英語の方なので、わたしたちの教会は、
駐車場までの方でしたが、
まじめな、奥様を大切にする、口数の少ない紳士でした。

何度か、Heart Attackを繰り返しておられたので、
ある程度覚悟はされていたのですが、
昨日は普通に生活をして、
普通に「おやすみ」を言って、
休んで、朝、召されたそうです。

奥様は、平安の中にご主人が召されたことに、
本当に神さまからの慰めをいただいておられましたが、
それでも、連れ合いから引き離されるのは、
どれほどの痛み、悲しみかと思います。

ご本人もお体が弱い中で、どんなに心細いことだろうか、
これからどんな悲しみが襲ってくるかと思います。

今夜、神さまの守りがございますように。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一3章でした。

「お話しください。しもべは聞いております」(10節)

神さまから突然声をかけられたサムエル。
それもまだ「わらべ」といわれる年齢のサムエル。
12歳より下だったのではと言われます。

でも、その最初のメッセージは、
恩師エリの家への裁きの預言でした。
その裁きの預言を与える中で、
エリに伝えるのはあまりにつらい内容でした。

でも、それこそ、サムエルに与えられた試験だったのではと思います。

「僕は聞きます、主よお語り下さい」と言う時でも、
わたしたちは聞きたくないことには耳をふさいでしまうものです。

それを聞いて、そして、それをまた語る、
語りづらいことでも、主からの言葉としてはっきりと語る、
それが預言者の働きでした。

わたしたちもそのような意味で、御言葉を聞くことがどれほど大切かと思います。
耳に心地よいこと、ホッとすることだけを求めて、
それで「恵まれた」というのではないんだと思います。

主から語って頂く者であることができますように。
そのためには、何よりも主を第一とすることができますように。

主よ、
あなたの慰めを、あの、ご主人をあなたの元にお送りした姉妹のうちに与えてください。
主が支えてくださいますように。
主よ、
どうか御言葉を与えてください。
御言葉をそのまま受け取り、
そのまま語る者とならせてください。

2008-05-14

やっぱり外歩くとねえ。

今日は朝晩は冷えましたが、昼間は暖かかったですね。
明日はどんよりで、ちょっと雨も降るかもしれません。

今日はNYだったので、できるだけ外に出ないようにと思っていても、
どうしても外を歩かないわけにはいきません。

2-3日やめていた薬も飲んでいったのですが、
何度かくしゃみが止まらなくなりました。

どうしても外を歩かないわけにはならない仕事の方、
外で仕事をなさる方は、この時期、どれほど大変かと思います。

さて、今日は早速聖書。
今日はサムエル記第一2:22-36

「またあなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじて・・・」29節。

これは神さまから祭司エリへの言葉です。
子供に対して強く言えないエリに対して、
「あなたは私よりも息子たちを重んじている」
と言われたのでした。

自分は何を一番重んじているだろうかと、
問われているような気がしました。

神さまに従うこと、
本気で神さまを第一とすること、
そこに今私は招かれていると思います。
妥協をしないで、神さまに従っていく者でありたいと思います。
人を恐れないで、神さまの導きに従っていく者でありたいと思います。

主よ、
あなたを第一とします。
あなたを重んじます。
あなたの喜ばれることをさせてください。
そして、罪を罪として指摘し、
救いの素晴らしさを語ることができますように。

明日のキッズクラブも主よ、あなたが豊かに祝福してくださいますように。

守り。

さて、月に2回のNYの日なので、
朝からマンハッタンに出ています。
マンハッタンオフィスはミッドタウンにある図書館。
電源も、インターネット接続も無料なので助かります。

難を言えば、話ができないことでしょうか?
面談場所には使えないし、
電話に出るのにも階段に出なければなりません。

あと、飲食および、居眠り禁止でしょうかね。
お弁当を持ってきて、広げたり、
あと、どうしても眠くてしょうがない時でも、
座ったままうとうともここでは許されません。
警備員が回ってきて、「ここは寝るところではありません」と
堅いことを言われます。ごもっともですが・・・。

昨日、ある集会で話をしながら感じたのですが、
わたしたちは結構過去の「よかった」経験を忘れてしまっている、
そして、痛みの経験を覚えている、
そして、その痛みの経験の記憶がわたしたちの行動にかなりの影響を与えてしまっている、
のではないかと・・・。

私の場合は「いろいろ考えて、言いにくいことだけれども、どうしても言った方がいいだろう」と思ってお話ししたことが裏目に出てしまった経験、それを鮮明に覚えていて、本当にお話しして良かったなあ、という経験を忘れてしまっている、ということでした。

もう20年くらい前のことですが、
ある人に「どう思いますか、正直に言ってください」と聞かれて、
そうか、と思い、いつも感じていることを、ストレートに話しました。
もちろん、「愛を持って真実を語る」という気持ちで。
でも、彼は私の言葉を受け入れられなくて、
切れて、自分の正当性を一生懸命に弁護して、
それ以来自分には寄りつかなくなった経験があります。

そういうことはいつまでも心に残ります。
そして、「正しいと思うこともあまり言わない方がいいのかな」と守りの気持ちにさせます。
言った自分が傲慢だったのかもしれない、と罪意識を感じたりします。
(もちろん、実際そういうこともたくさんあると思いますが・・・)

でも、昨日、お話ししながら、自分が勇気を持ってお話をしたら、
それを本当に真剣に受け止めてくれて、
事態が好転した経験はなかったかなあ、と思いだしていました。

そうしたら、思い出したんですね。
すっかり記憶の山の中に埋もれていて、
普段は意識していなかったこと。

高校のオケで、
経験は長いんだけれども、
どうしても楽譜通りに吹けない後輩がいました。
その理由ははっきりしていました。
「練習しない」の一言に尽きました。
そして、できなくても何とも思っていないかのような
彼の態度に怒りを覚えていました。

金管リーダーをしていた私は、ある時、勇気を出して、
個人的に一緒に練習をしようと彼を誘い、
彼に直接、ストレートに彼の問題を指摘して、
もっと練習をすべきこと、
そして、そのために自分も一緒に時間を過ごしたいことを伝えました。
きついことも言ったと思います。

彼は変わりました。
自分がどんなに甘えていたか、
甘く考えていたか、気がついたのでした。
そして、彼は真剣に練習しました。
ある程度の経験があるので、
ちゃんと練習をすれば、楽譜通りに吹くことができたのです。

それが金管全体、いやオケ全体の雰囲気を変えたことは言うまでもありません。

そういう経験を忘れてしまっているんですね。

人間って(自分って?)そういう傾向があるんだと思います。

聖書の言葉を思い出しました。
「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」詩篇103:2

神さまが与えてくださった良い経験、忘れないでいつもいつも思い出して、
神さまを信頼して、歩んでいきたいと思いました。

さて、昨日の聖書。
昨日はサムエル記第一2章11-21節。

「少年サムエルは、主のみもとで成長した。」21節。

「日々のみことば」誌で、
幼子サムエルを取り巻く状況は恐ろしいものだったことが述べられています。
確かに、サムエルにとって直接のロールモデルになるべき
エリの子供たちは、恐ろしい罪を犯していました。
そして、祭司エリは霊的なことのわからない指導者でした。

そして正しいことを自分の子供たちにも強く言えない、
子供たちの性的な罪を聞いても、
彼らがそれを指摘された時に悔い改めなくても、
彼らを免職出来ない指導者でした。

でも、そんな中でも、サムエルは守られました。
そして、神に用いられる人になったのです。

環境がわたしたちに与える影響は本当に大きいものです。

でも、環境よりも大きな方がおられます。

「神さまよりも大きな、力強いものはこの世に一つたりとも存在しない」

もう一度思わされました。

「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」(列王記第一6:16)

神さま、
あなたがどんな環境の中でも、
わたしたちを守ってくださる方であることを感謝します。
どうか、今日も教会の一人一人の歩みを守ってください。
特に子供たちをその取り巻く環境の中で、
守ってください。

また朝にでも・・・

先ほど帰ってきて、もう休むので、
また明日の午前中あたりにNYで更新します。

火曜日はいい天気でした!
風が強かったですが・・・。
明日は外を歩くので、ちょっと花粉症が心配。
ではでは~。

2008-05-12

固定電話はもう不要?

今日の雨は予報で言っていたほどではなくて、
朝7時頃ざあざあ降った後は、ほんのちょっとでしたね。
もっと南の方は大変だったようですが・・・。

風は強かったです。

明日はきれいに晴れますが風の強い日になりそうです。
花粉は風が強い分飛ぶと思いますし、
北の方から運ばれてくると思いますが、
もう峠は越えているでしょう。

今日、何の気なしにテレビをつけたら、
magicJackという製品のPRをやっていました。

40ドルくらいの機械をコンピューターのUSBに差し込むと、
それが電話のジャックになっちゃうというやつ。
コンピューターがブロードバンドのインターネットにつながってさえいれば、
なんと年間19.95ドルでアメリカ国内電話かけ放題。

そんなうまい話には絶対裏がある・・・と思ったのですが、
特に裏があるようでもなく、カスタマーサービスがひどいみたいですが、
それ以外は問題もないようですね。

今、うちはVonageの月14.99ドルで500分まで無料、というプログラムに入っていますが、
magicJackはそれの10分の1でかけ放題。

電話を受け取りたい時間帯はコンピューターを入れっぱなしにしないといけないのが
ちょっと難点ですし、私の場合、すでに教会でPRしているうちの番号がそのままトランスファー出来ないようなので、今、これに乗り換えることはできませんが、将来、検討すべきサービスですね。
また、これに刺激を受けて、Vonageも値下げをしてほしいものです。

でも、考えてみれば、今、5人家族で携帯電話4台。
6歳の娘以外はみんな自分の携帯があるんですよね。
家の中でも問題なくつながりますから、
もう固定電話の存在価値がなくなりつつあります。
今の若者たちはその方向になりつつあるそうですが、
何も若者だけではなくて、家族持ちでも、携帯があれば、
固定電話いらないのかも・・・。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第1の2章1-10節。

「 主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。」2節。

神さま以外に同じような方はおられない。
神さまよりも強いものは何もない。
神さまにどうにもできない問題は何もない。

そのことをもう一度思わされ、祈らされました。
本当にそのことを信じているのか、、
本気でそれを信じて生きているのか、
問われていると思いました。

今朝、「神さまに起されたみたい」と1人の方が共に祈るために来られました。
神さまのなさること、それは素晴らしいと思います。
これからも本当に安心して、信頼して歩んでいこうと思いました。

主よ、
あなたのような方はおられません。
あなたが私の岩です。
私が頼る方です。
どうか、あなたの最善がなされている御手を
見ていくことができますように・
わたし自身そのことに気がつきますように。

2008-05-11

Google Book Search

今日はまた暑いくらいになりました。

でも、それも今日限り。
明日は雨。それもかなりまとまった雨で、
また風も強くなりそうです。
Nor'easterですね。

運転等は気をつけて。
気温も金曜日と同じように、
10度くらいの肌寒い一日になりそうです。

今日の礼拝で、母の日ということで
讃美歌の510番の「お母さんはあなたのために祈っているんだから、神さまの元に帰りなさい」という歌を歌ったのですが、この英語の元歌詞がなかなか見つかりませんでした。
作詞者で検索しても
讃美歌に書かれている英語の歌詞の最初の行で検索しても見つかりません。
でも、教会に行く直前になって、
作曲者の名前をH. L. Gilmourのところ、H. I. Gilmourと入力していたと気がつきました。
・・・最近、細かい字が読めなくて・・・
で、ちゃんと入力して検索をかけたところ、
「おっ」と出てきたのが、Google Book Searchのページ。
そこで見つけました。その検索結果がここ
これはまた便利ですね。
昔の本とかで、図書館に行かないとないような本が、
ここで読めてしまうんですね。
そして、またその本がどこの図書館にあるか出てくるわけです。
ちなみにこの本は一番近くでは、私がドクターコースの勉強で行っていた大学が一番近い・・・
ん?どうして私の居場所がParamus, NJだってわかるんだ?
どっかで登録したっけかな?
それともアクセスしているところを自動的に読んでいるのかな?
恐るべし、Google・・・。

でも、何も図書館行かなくてもいい。
これでいつもその本が読めるんだから・・・。
これはたとえば日本の研究者とかにとっては、朗報ですよね。
アメリカの図書館でないと手に入らない本が日本にいても、簡単に見れるって・・・。

その便利さはここでも同じ。
これからかなりお世話になることになりそうです。

さて、今日の聖書。
今日はサムエル第一の1章19-28節。

「それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」28節。

主の前に誓いをして、祈りを聞いて頂いて、
でも、祈りが聞かれた時に、わたしたちはどれほど、
その誓いを忘れて、自分の好きなようにしたいだろうかと思います。

でも、ハンナはその約束通りにしました。
自分の願いは、ずっとその子をそこに置いていたかっただろうかと思います。
でも、ハンナは主の前の約束を守りました。

私自身、主との約束を守り続ける者でありたいと思いました。
自分の手元に置いておきたいもの、
大切なものだからこそ、主にささげて、
主に従っていく者でありたい思います。

主よ、
今日もあなたを求めます。
わたしたちはすぐに結果がほしいものです。
でも、あなたご自身を求めます。
あなたご自身を求めてあなたご自身と共に歩むことを喜びとさせてください。

そして、大切なもの、たいせつなものだからこそ、
あなたにささげて、歩んでいくことができますように。

あなたを利用するのではなく、あなたに仕えていく者でありますように。

2008-05-10

スペアはあるか?

今日は朝雨が残りましたが、
午後にはだんだん回復。
夕方には晴れてきました。

今夜はこのままスカッと晴れて、
明日も気持ちよく晴れそうです。

今日の夕方は、中高生の祈り会でした。
聖書の御言葉を真剣に分かち合い
祈っている姿の中に、
これからも大丈夫だ、と思わせるものがあります。

そのあと、Shopriteによって買い物をしたのですが、
その駐車場に、車のボンネットを開けて、
その中に買い物袋を入れている人がいます。
我が目を疑いました・・・。

レジ袋溶けるじゃん・・・。
走っているうちに下に落ちたりするでしょ。
あ、でも、温かいスープとかだったら、
エンジンルームの方がいいかも・・・。
そんなことが頭の中でぐるぐる回りました。

でも、次の瞬間に、
有名な小話を思い出しました。

-------------------

昔のWVビートル。
ドライバーが乗って、エンジンをかけようとしますが、
どういうわけか、動きません。
前に回って、ボンネットを開けてびっくり。
なんと、エンジンがありません。
「わー、大変だ!エンジンが盗まれた!」
大あわてで、他に盗まれたものがないかと、
後ろに回ってトランクを開けました。

すると、そこにちゃんとエンジンが鎮座しておられるではありませんか。
(そう、昔のビートルはエンジンが後ろだったんですね)

安心したドライバーが一言。
「ああ、良かった、さすがドイツの車、こんな時のために、スペアのエンジンも積んでるんだ!」

----------------------

で、あのShopriteの駐車場の車も実はエンジンが後ろだったんだ・・・と
思ってうちに帰ってから調べて見たんですが、
今どき、後ろにエンジンがあるのは、ポルシェくらいなんでしょうかね。

じっくりは見ませんでしたが、
あの車、ポルシェの911だったのでしょうか。

でも、ポルシェの911でShopriteで買い物ですか?

似合わねえ・・・。(笑)

わたしたちの人生、スペアがあるものばかりではありません。
家族、友人、周りの人、1人としてスペアはないのです。
そして、何よりも、自分の人生自体がスペアのないものですよね。

やり直しがきくこともたくさんある。

でも、取り返しのつかないこともまたたくさんあります。
大切に大切に、今の時を生かして歩みたいと思います。

さあ、今日の聖書。
今日からはサムエル第一です。1章1-18節。

「私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。」15節。

心を注ぎだして祈る、
どんな感じなんだろうかと思いました。
自分の心の中にあることを、全部、神さまの前に持ち出す。

今、弟子訓練の学びの中で、
お互いの前に自分の心を開くということの大切さを学んでいます。
心を開く時に、聖霊様がそこに働いてくださるというのです。

それもそうだと思いますが、
それと共に、いや、その前提としてでしょうか、
神さまの前に心を注ぎ出すことが、
大切なのではないかと思います。

何もHoldしないで、主の前に心を注ぎ出す。
悲しみや不安や、不満や、痛みや、
すべて主の前に持ち出して、主に知って頂く、
不平ではなく、つぶやきではなく、
自分の心の状態を知って頂く。

そのような「心を注ぎ出す」祈りへと、
主が招いておられるように感じました。

主よ、
あなたの前に私の心を注ぎ出します。
何も心にとどめておかないで、
心の中にしまっておかないで、
あなたに聞いて頂き、
あなたに知って頂き、
平安と確信を持って立ち上がらせてください。
このハンナの、その顔は「もはや以前のようではなかった」
という経験を私にも与えてください。

2008-05-09

人生を投資する。

今日は予報通り、一日雨。
よく降りました。

今、夜の9時過ぎですが、もう峠は越えたようです。
そして、気温も低かったです。
10度。昨日は25度でしたから、一気に15度も下がったことになります。

花粉症も、ずいぶん楽になってきました。
でも、明日、あさってと晴れて、また飛ぶんでしょうね。
こちらももう峠は越していると思いますが・・・。

月曜日の雨ですべてが流れてくれるようにと祈ります。

昨日の「買え買え」攻撃の話。
その後考えたのですが、私の今までの感性の中で、
「投資」という感覚があまり育ってきていなかったなあと思わされたのです。

単なる「節約」は守りの姿勢。
でも、それと共に「投資」という攻めの姿勢が必要なんじゃないかと。
この「投資」というのは、「株」とか「Mutual Fund」というレベルのことだけではありません。
時間の投資、能力の投資、自分への投資、子供への投資、将来への投資、社会への投資・・・。

イエスも大きなお金を任された人のなかで、それで商売をした人と、
恐れて地面の中に隠した人の話をされています。
そして、前者はほめられ、後者は責められるのです。

イエスはこの時、投資すべきものとして
神さまが一人一人に与えた才能のことを言っているんだと、
一般的に解釈されています。

そうだろうと思います。
でも、神さまが与えてくださったすべてなんでしょうね。
時間も、お金も、才能も、人間関係も、情熱も、性格も・・・
すべて「これを用いなさい」と言っておられるんだと思います。

だから、それをどこに投資するかが大切。
「買え買え」攻撃に負けないで、
何に使ったらいいのか、賢さが必要ですよね。

あと、ビジョン。

よく、スーパーなんかの「買え買え」攻撃に対する防御として、
「リストを作ってから、買い物に行きなさい。そしてそれ以外のものは買わない!」
なんてのが紹介されていたりしますが、

これって、ビジョンに通じるところがありますね。
「私はこれを買う!」ってのを決めてから、買い物に行くのは、
お店側に対して、受け身じゃなくて、自分の軸を動かさないで買い物ができる。

それと同じように、
「このように私の人生を投資するんだ」っていうビジョンがあると、
時間やお金や労力、才能を投資する時に、周りに振り回されない。

40代半ばにさしかかって、やっとそのことが実感としてわかってきました。

神さまに感謝。

この方に投資した人生。
ハイリターンが約束されています。
リスクは???
社会の常識からすると高いのかもしれないけど、
神の約束、からすると、リスクは全くないんですよね。

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロ5章でした。

「群れの模範となりなさい。」3節。

ほんとうに、アーメンと、襟を正される言葉です。
そのように歩みたいと思います。
主が歩まれた道を模範として、
私自身が、「神さまに従うってこういうこと・・・」
「神さまと共に歩むってこういうこと・・・」という
模範とならせて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたに従います。
そして、群れの模範とならせてください。
そのように歩みたいと思いますから、
力を与えてください。
日曜日の説教のために、どうか、
あなたがわたしの心に語ってください。

2008-05-08

買え買え攻撃。

今日は朝のうちは雨。
昼頃から曇り空でした。
もっともっと降ってくれると思っていたのですが・・・。

今はまた曇っていますが、
明日は雨のようです。
「洪水注意報」なるものが出ています。

とにかく、花粉をすべて流してくれたら助かります。
私はまだ外に出ないので、
大丈夫な方かもしれません。

どうしても外に出なければいけない仕事とか、
子供たちとか、結構大変だろうと思います。
つらそうな方々が何人もおられました。

今日は夜になってから、
のんちとM's Dayのためのショッピングに行ってきました。
もう、明日は直前の金曜日なので、
日本のMたちに当日届くというのはあり得ないので、
申し訳ないのですが、いい買い物出来ました。

いつもは、「任せたよ」とついていかないのですが、
今日は着いていこうと思いました。
男性にとって、ご婦人の洋服系のショッピングにつき合うことほど、
しんどいものはないと思うのですが、
今日は不思議とそれほど思いませんでしたね。
のんちの方はプレッシャーを感じていたかもしれませんが・・・。

で、ショッピングモールなるところにいったのですが、
まあ、こんなところに行っていたら、
いくらお金があっても余ることはないだろうなあ、
と思いました。

いくらでも「買え買え」っていろんなものが呼びかけているんですから・・・。

お店のディスプレーとか見ていると、
「お、俺も、こういうのをこういう風に着こなすと、チョイ悪系のオヤジに見えるかも・・・」とか、
思っちゃったりしますよね。(笑)

お店だって、どうしたら売り上げが伸びるかって、
一生懸命だし、心理学なんかも総動員で
「買おうと思っていなかったものを買わせるためにどうするか」
って、やっているわけですよね。

それで今は何でもクレジットカードで、
現金を使うことは滅多にないので、
どれくらいお金が残っているかわからない。
で、ついつい、「ま、何とかなるだろう、支払いは給料日の後だし・・・」となっていくんでしょうね。

まあ、国が「これを使いなさい」とお金を配ってでも景気を良くしたい時に、
こんなことを言っては「悪者」になってしまうのかもしれませんが、
本当に必要なものを見極める力が大切だと思いました。

「 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。・・・あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」マタイ6:31-33

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロの4:12-19
「ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行うにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。 」19節。

やっぱり主に委ねるって大切なことですよね。
主にすべてを委ねて善を行え。
本当にわたしたちにとってどんなに大切なことかと思います。

当時の人々は迫害がある中で、
どれほど悔しい思いをしたことか、
どれほど、「神さまどうして」と思ったことかと思います。
でも、聖書の「迫害された時に喜びなさい」と言われた主の言葉を思い出して、
ああ、これは自分が主に従っている時に与えられることなんだなあと、
受け止めて歩んだ、信仰の先輩たちのことを思わされます。

わたしたちはどれほど、周りの人に喜ばれる「キリスト教」を目指しているでしょうか?
どれほど周りの人にウケのいい教会を目指しているでしょうか?

評判は主に委ねて、ただ「善を行う」ことに熱い者でありたいと思いました。

主よ、
あなたにすべてを委ねます。
そして、私のすべきことをします。
すべてを守ってください。
委ねるとは、結果さえも委ねることなんですよね。
自分の願い通りに事が運ばない時にも、
それを受け止める力を下さい。

2008-05-07

神さまの力を信じる。

今日も暖かい一日でした。
そしてスッキリ青空が広がりました。
毎日こればっかりですが、
「これで花粉さえなければ・・・」です。

明日は曇りがちで、にわか雨も降る、
不安定な一日になりそうです。
気温は高め。
25度くらいまで行きそうです。

さて、今日から、友人の牧師に勧められた、
「Praying God's Word」という本を読み始めました。
・・・読みかけの本がどんどん増えています・・・。

その最初から、ちょっといい本だなあという予感。

その緒論にこんな内容のことが書かれています。


悪魔はわたしたちの心の中に、
要塞を持っている。
そして、それは神さまの力を持ってしても、
取り除かれない、破壊されない、要塞だと思いこませようとしている。
わたしたちはどれほどそれにだまされているだろうか?
本当は、神以上に力あるものなど、この世に存在しないのに・・・。


その要塞として、
「偶像礼拝」「不信仰」「プライド」「ウソ」「愛されていないという気持ち」
「拒否されているという気持ち」「依存症」「食べ物に関する問題」
「罪意識」「喪失経験からの絶望感」「赦せない思い」「落ち込み」
「性的な問題」
などが取り扱われているようです。(目次より)

そうですよね、神さまの以上に力あるものは存在しないのに、
自分はこれから解放されない、と決めてしまっていることが、
どれほどたくさんあることでしょうか?
神の解放を求めて祈っていきましょう。

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロの4章1-11節。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」10節。

「神さまの恵みの良い管理者として」という言葉が心に留りました。
そして、その管理者として、自分の賜物は何だろうかと知らなければならないと思いました。
そして、自分を見つめてみると、
「よくわからない・・・」というのが正直なところです。

何かの本に「自分への神さまの賜物が何であるか3つすぐに思いつかないようでは困る」と言うことが書かれていて、「え~?」と思ったことがありましたが、それから全然前進していません。

いったい自分の賜物は何なんでしょうか?

語ることや聞くこと、使命だとは思いますが、
「賜物」?と考えると、それほど確信はありません。

何なんだろうかと思いました。
「管理人」の役割をちゃんと果たしていないなあと思いました。

真剣に神さまに求めて、また信頼出来る周りの人々にも聞いてみようと思います。
「私の賜物は何だろうか?教えて欲しい」と。

主よ、
私は「神の恵みの良き管理人」にはなっていませんね。
あなたが託してくださった賜物が何であるかわかっていません。
どうか、教えてください。
そして、その賜物を、正しく用いて、
あなたの素晴らしさを周りの人々に表していく者にしてください。


2008-05-06

イエスを見つめて

今日もいい天気で、花粉日和でした。

かなーり、キツイです。
夕方、運転していたら、くしゃみ6連発とかありました。
前との車間をしっかり取って、
できる限り目をつぶらないで、くしゃみをする。
安全運転を心がけさせられます。

明日まで晴れ。
きょう、Oakの花が落ち始めていましたから、
明日、かなり落ちてくれるでしょう。
そして、木、金の雨で流れてくれる、
なんてすてきなシナリオでしょう。(きらりと涙目が輝く!)

ほんとうにそうなってくれることを心から祈ります。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の3章13-22節。

「彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。」14-15節。

どんなに動揺しやすい人間かと思わされます。
動揺しないためには、いつもいつも心の中で主をあがめること。
主に焦点を合わせ続けること。

そのことをここ数ヶ月、何度も何度も教えられています。

イエスさまから目を離さないでいなさい・・・
子供たちのために作られた歌ですが、
大人のわたしたちにもほんとうに語られる大切なメッセージだと思います。

いや、大人はいつも子供たちに見習わなければいけない、
そうですね。

イエスさまに目を注いでいれば大丈夫。
いろんなことで動揺されなくていい。

主よ、
感謝します。
あなたに目を注ぎます。
あなたを見つめて歩みます。
どうか動揺させられないで、歩むことができますように。
どうか、主の守りの中で歩むことができますように。
あなたから目を離さないで歩めますように。

2008-05-05

5月5日

今日は5月5日、こどもの日。
それと共に、我ら夫婦にとっては1年に一度の特別な日でもありました。
子供たちにとっても、自分の存在の根拠になる日。

この日が月曜日=私の休日に重なることは数年に1回。
(ま、これは誰でもそうでしょうが・・・)
で、今年は、昼間・・・のんちは用事があっていない。
夜は私が用事があっていない・・・すれ違いだったんですね。
朝8時に見送ったら、夜10時までは会わない。

でも、昼間、家にいる方がこれは有利。

なんだか、久しぶりに朝から、
「どうすれば、疲れて帰ってきたのんちが喜ぶかなあ・・・」で、
考えました。

ピントはずれかもしれませんが、
今日のキーワードは「家事をする」夕食の準備・掃除・洗濯。
・・・この3つをやってから夕方NYに出かける・・・という作戦を練りました。

でも、朝から、トラブル。
・・・シャワーが壊れる。
ああ、このシャワー、この1年で何回目だ!

前回は何と、私が日本に行っていなかった時に水が止らなくなって、
自分で直せば、部品の買い置き(1コ3ドルくらい)があったので、
お金はかからないのに、業者に来てもらったので、
部品はうちの買い置きのを使ったのに、280ドル!
(あ、もう一カ所直してもらったんだったっけ・・・)

今度は違うところなので、部品の買い置きはない・・・。
こんな時はHome Depotですよね。でも・・・ない・・・。
で、店員さんに聞く。

この手の店の店員さんは素人に毛が生えた程度の人が多い中で、
私が聞いた人は「あたり!」だったみたいで、
「あ、この部品はうちにはないなあ、
Davidsonで聞いてみな」って教えてくれました。
Davidson?何それ?という私に

「お店の名前だよ。この反対側、もうちょっと南にレッドロブスターがあって、その隣。」と教えてくれました。

そんなのあったっけ?と運転していったら、
「あ、これか!」という店。
今まで勝手に「ハーレー・ダビットソン」を連想して、
「バイク屋?」と思っていました。

水道関係専門店だったんですね。

そこで、部品を見せたら、
「あ、これね」とカウンターの中のロッカーから見つけ出してくれました。
ここの店員さんはまさに「プロ」。

おかげで5ドルで無事修理完了。
いいお店を教えてもらいました。

修理後のシャワー、今いちの部分もあるのですが、
それが280ドルか5ドルかの違いなんでしょう。
目標はその差を限りなくゼロに近づけること。
DIY Life今後ともがんばります。

買い物行って、料理して、洗濯回して、掃除して、準備万端で、NYへ。

相手が喜ぶのを想像しながら動くって、楽しいですね。
でも、「気をつけなければ・・・」と思ったのは、

あんまり気持ちが先走って、
期待通りの反応がなかった時に、がっかりしないこと・・・。

相手が喜ぶのを見て自分が満足するなら、
結局それは自分のため?

自分のためじゃなくて、
何とか、相手の心に触れることを求めて、動いていくこと、
たとえ、自分が期待していた様な反応がなくても、
「こんなに考えたのに・・・」なんて言わないで、
そんなこと思わないで、次に生かしていくことができるように・・・。

ここまで3時半頃の文章。

で、帰ってきました。今11時前。
喜んでくれましたヨ。

さて、今日の聖書。
今日は第1ペテロ3章1-12節。

「同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。」7節。

今回、本当にそうだなあと思いながら、教えられました。
主が語ってくださったのだと思います。

「妻の方が弱い」なんて性差別だと言われてしまうかもしれませんし、
「あなたは妻によって支えられているでしょ」と言われたら、
まさにその通り、と言わなければいけません。

でも、それと共に、「自分より弱い器」ということも、
ほんとうに意識していかなければいけないと思わされたのです。

それを忘れた乱暴さ、
それを忘れた言葉、
それがどれほど、妻を傷つけ、苦しめてきたか、
そのことを思わされたのです。

だから、そのことを覚えながら、
「尊敬」させて頂きたいと、18年目の今日、思わされました。

主よ、
あなたの与えられた妻のゆえに感謝します。
ここまで守ってくださったことを感謝します。
どうか、わたしたちを守ってください。
どうか、私の心を守ってください。
愛する、ということを、もっと学ばせてください。

2008-05-04

NOと言わない日本人。

今日は朝は雨が残っていましたが、
昼頃には晴れ。

暖かくなってきました。
明日も気持ちよく晴れるみたいです。

朝は7-8度。でも日中は20度を超える予報が出ています。

花粉大量飛散日です。

今日の夜の集会に、
ちょっと前から礼拝に来られているアメリカ人の方が来られました。
日本に学校の先生で行かれていて、
日本語もかなりわかります。

お話の中で、
日本人がNOと言わない、という話題がツボにはまりました。

彼女にとっては、
YESはYES、NOはNOとはっきり言うのが当たり前。

でも、日本に行った時、
みんなNOは言わない。
行く前から「それには注意しなさいよ」と言われていたそうですが、
ほんと、困ったそうですね。

そして、人によってNOの表現が違う。
そして、その表現を読んで「ああ、NOなんだなあ」と受け取らなければいけない。
・・・んだそうです。

「うーん」と難しい顔をするのがNOの人もいれば、
「そうねえ」がNOの人もいる。
「それはちょっと・・・」がNOの人もいる。

彼女、その日本人のNOのまねがとっても上手。

自分は結構もう日本的感覚を忘れているかもしれない、
と話を聞きながら思いました。
NOも言っちゃうし、表現を読むのも「え~、そこまでしないといけないの?」
って感じです。

人生の3分の1以上こっちになっちゃいましたからねえ・・・。

さて、今日の聖書。
今日はペテロ第1の手紙の2章11-25節。

「ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」23節。

イエスは悪口を言われても、侮蔑されても、
言い返さず、神さまに裁きを任しておられました。

これがわたしたちの手本だと言われます。

裁きをするのはわたしたちではなくて、
神さまご自身。

そこに委ねて、わたしたちは自分の道を歩んでいけばいい。
自分の道を歩んでいくことが大切。

そして、わたしたちは「正しく裁く」ことができないんですよね。元々。
だから、主にお任せしていく。
自分の不完全さを認めて、
正しい方に、任せていく。
そして、その方の判断には間違いがない、ということを認めて、
そこに生きていくんでしょうね。

どこまで主を信頼するか、問われているように思いました。

主よ、
あなたを信頼します。
あなたのなさることはいつも最善で、
いつもあなたの裁きは正しいことを認めます。
平安を満たしてください。
私の心をいつもあなたの平安で満たしてください。

2008-05-03

この喜びを伝えるために

今日2回目の更新は、
早速今日の聖書。

今日はペテロ第1の手紙2章1-10節。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」9節。

わたしたちが神に導かれたのは、
神さまのことを伝えるため。

自分が楽しいとか、
自分が快適だとか
安定した生活を送るとか、
そういうことのためではありません。

神さまの素晴らしさを伝えるためです。

伝わっているだろかと思います。

でも、今弟子訓練の中で学んでいるのは、
毎日、一人ずつクリスチャンへと導いていく働きと、
1年で一人、訓練をして、また次の人を導ける人を
育てていく働きと、どちらが大切なのだろうか、いうことで、

イエスは後者を選ばれた、ということです。

前者は毎日毎日一人ずつ、1年で365人を信仰に導きます。
2年目が終わった時には730人の人がキリストの元に導かれています。
後者は1年に1人しか導きません。
でも、その1人はまた、自分と同じように、
次の1年で1人をまた次に誰かを導くことができる人へと導きます。
ですから、2年目には4人になっています。
3年目には8人、4年目には16人になっています。

でも、人数的に、後者が前者を逆転するのは、
いつかというと、13年目です。

つまり、それまでは、その働きの実は、
あまりはっきりとは見えてこないということです。

そんな中で、忠実に人を育てていく、そのことの、
大切さを思わされました。

地味な、誠実な働きをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
どうか、私を用いてください。
あなたのことを伝える者としてください。
そして、その伝えた相手が、
また次の人に伝えたい、と願う人になることができますように。

どうか、用いてください。
ビジョンと確信を与えてください。

Forever Stamp考

昨日も、今日も予想よりも天気がいいので、
GW恒例、Yankees-Mariners戦に行かれた方には、
よかったのでしょうが、

外では、花粉は飛びまくっているので、
結構キツイです。
ちょっとでも外に出る時には気をつけないと、
そのあと1時間くらいくしゃみと目のかゆみで悩まされます。

今夜は雨になりそうです。
明日もどんよりです。

そして、月曜日から晴れます。
一気に花が咲いて、
花粉の季節があと1週間で終わってくれると助かるのですが・・・。

12日から郵便料金が値上げになります。

厳密に言うと下がるケースもあるようですので、
必ずしも「値上げ」とは言えないし、
郵便公社は「Postage Change」だと言い張り、
その「お知らせ」の最初は、「下がる」部分を強調しています。。

でも、やはり普通の手紙は41セントから42セントになるわけですから、
実感は「値上げ」。

それでかきごおり的に気になるのは、
41セントになる時に登場した、Forever Stampの存在。

郵政公社のHPに行くと、普通手にする100枚のロールに加えて、
3000枚、10000枚のロールがあると宣伝しています。

いつまでも使えるわけですから、絶対得、って思いますよね。
郵便料金はこれからも上がっていくでしょうし、
41セントのうちにたくさん買っておけ!と思いますよね。
少なくとも2-3年分は買っておいた方がいい、
いや、42セントどころじゃない、80セントくらいになったら、
価値は2倍だ!20年分くらい買っておこう!なんて思ったりもしませんか。

絶対、郵政公社、それねらってますよね。
だって、今後20年間に使う切手を今買ってくれたら、
それはそれはすごい収入になるじゃないですか・・・。
それを投資に回せるわけですから、そんなうれしい話はありません。
それだけではなくて、絶対、買った切手で使わなくなってしまうのがある・・・。
それを考えると、ものすごい得です。

昔、NTTがテレホンカードなるものを発売し始めた時に、
大学の先生がしきりに、「あれは儲かるよなあ、金利分が浮くんだから・・・」っておっしゃっていました。

まあ、それでも、消費者のわたしたちにとっても、
おいしい話だったら、いいわけです。

10000枚のロールで4100ドル。それなりの軍資金が必要でしょうが、
20年経っても、孫の時代になっても使えるって、すごい、と思いますよね。

でも・・・

たとえば、今、HSBCとかING Directとかの
インターネットバンキングの普通預金の利率は年3パーセントくらい。
月に直すと0.25パーセントくらい。
それで計算すると、41セントの切手をいま買って将来使うのと、
今買わないでそのお金を銀行に預けておいて、
買う直前に下ろして、42セントの切手を買うのと、
どっちが得か、というラインは9ヶ月。

たった、9ヶ月です。

つまり、この先9ヶ月以内に使う切手は来週のうちに、
買っておけ、ということです。

この先預金の金利がどうなるかわからないので、何とも言えませんが、
今年のクリスマスのためには買っておいてもいいけど、
来年のクリスマスのためにForever Stampを買っておくなら、
その分、ING Directに入れておけ・・・という結論になるわけです。

ちなみにわたしが知っている一番前にさかのぼると封書が29セント。
1991年ですから今から17年前。
17年間で13セント上がっているわけですが、
年率に直すと2.2パーセントの上昇。


20年後のことはわかりませんが、

それほど魅力的な投資ではないってことですよね、
Forever Stamp。

でも、私のようにズボラで、未だに34セントの切手を持っていて、
ああ、7セント切手を買ってくれば、(あるかどうかも知りませんが・・・)いいんだ、
ああ、でも今行くのは面倒くさい・・・
なんてしょっちゅう思っている人には、「これさえあれば、いつでも使える」
というForever Stampは、ホントありがたいですよね。

さて、昨日の聖書。
昨日はペテロ第1の手紙1章13-25節。

「あなたがたは、心を引き締め、身を慎み・・・」13節。

神さまの恵みをいただいているから、
素晴らしい救いをいただいているから、
赦されているから、

好き勝手なことをするのではなくて、
心を引き締めて、身を慎んで・・・というのです。

この言葉が語られました。
ああ、私は今、心を引き締める時、身を慎む時。
それは神さまに愛されて、神さまに赦されているから・・・。

そして、続いて、「あなた方も聖なる者となりなさい」と。

尊いイエスの血潮によって救われたのだから、
聖なる者となりなさいと。

福音の素晴らしさをもっと教えて頂きたいと思うと共に、
心から、きよくされたいと思いました。
聖なる者として歩みたいと思いました。

主よ、
私をきよめてください。
あなたの警告に感謝します。
心を引き締めなさいと、
身を慎みなさいと。

どうか、イエスの血潮によって救われた喜びをもっともっと満たし、
喜んであなたに従っていく者とならせてください。


2008-05-02

明日は早天。

毎朝早天が始まってまもなく50日になろうとしています。
が、明日は元々あった月1回の教会全体の第1土曜日の早天です。

早く休もうと思います。

今日の分の更新は明日の午後になります。

では、また明日の朝、教会で!

2008-05-01

燃費との戦い

今朝は冷えました~。

最低は0.3度でした。

もう少しで氷点下だったのに・・・。



昼間は20度くらいまで上がりました。

雨は夕方から・・・。



明日から、月曜日くらいまで、

どんよりとした日が続くようです。



ガソリンの安いNJでも3ドル45セントくらいまで上がってきました。

高いところでは4ドルを越え始めたようですね。

そこで、あちらこちらに、「いかにガソリンを節約するか」という記事が出ています。



で、今日届いたConsumer Reportでも、

何とかして燃費を良くする方法が書かれています。



まあ、大体こう言うのはどこを読んでも同じで、

スピードは55マイル、

急発進や急ブレーキは避ける

どうしても必要じゃなければプレミアムは入れない

(これは燃費ではなく値段ですね)

タイヤ圧をチェックして適正に保つ、



みたいなことが並んでいるのですが、

そのページの右側のコラムに



Myth Bustersという記事があります。



「神話退治」ということですが、

どんな神話があるかというと・・・



1.朝ガソリンを入れた方がいい・・・温度が低い方がガソリンの密度が高い。昼間は温度が上がって、ふくらんでしまうので、同じガソリンでも量が多くなる・・・実際は、タンクから給油されるガソリンの温度は昼も夜も大して変わらない。変わっても体積もそれほど変わらない。



2.エアコンを使ったり、窓を開けたりすると燃費が落ちる・・・エアコンは電気を使うから燃費が下がる、窓を開けると空気抵抗が大きくなるから、燃費が落ちる、・・・どっちがより燃費が悪くなるかなんて議論もあるが、実際は変わるとしても1パーセントくらい



3.エアフィルターの汚れ・・・汚れているとガソリンが無駄になる・・・実際は、今の車はコンピューター制御で、エアフィルターがつまって空気が減ると、燃料をも減らすと言う設計になっていて、燃費は変わらない。ただ、加速は悪くなる。



1.は絶対そんなことあり得ないと思っていました。だって、ガソリンタンクは地下ですから・・・。

3.は意識したことはありませんでした。でも、きれいな方がいいんだろうなあ、とは思っていましたが。でも、コンピューター制御になっているとは・・・。



それで、意外だったのは2.



私もガソリンが残り少なくなって、ああ、やばい、と思ったら、エアコン切ってガソリンを節約したつもりになっていたのですが、あんまり変わらないんですね。な~んだ。

まあ、窓を開けるというのは、風もうるさいし、この季節、花粉も困るので、滅多にやりません。



まあ、あまり気にせずにエアコンをかけたらいいんですね。車の場合。



この雑誌、公平さを失わないようにと、広告も取らずに作られている消費者雑誌で、

何年か前に、赤ちゃん用のカーシートの安全性について、厳しいことを書いて、

「そんなことはない、実験の仕方が現実離れしている」と批判されて、問題になったくらい、

企業に対して厳しいので、この記事も決して石油会社の味方をして書かれたんじゃないようです。

念のため。



さて、今日の聖書。

今日はペテロ第1の手紙1:1-12でした。



「あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」7-8節



今、この前半については、ほんとうにそうだなあと思います。

金よりも尊いものとされるために、試練が与えられているのだと・・・。



でも、その一方でこの後半を、今私は活き活きと感じているだろうかと、思わされました。



イエスにある喜び、

救いの喜び、

今あふれているだろうかと。



「栄えに満ちた喜びにおどっています」ということを、

実感をもって、そうなんです、と語ることができるだろうか。



そう思わされて、ほんとうにもう一度救いの喜びにあふれさせてください、

救いの喜びに突き動かされる歩みをさせてください、

そのように祈りました。



主よ、

聖霊様によって、満たしてください。

そして救いの喜びにあふれて、天国の希望にあふれて、

歩む者とならせてください。

このペテロの言葉「栄えに満ちた喜びに踊っています」という言葉が、

試練の中でも「その通り!」と思えるように、わたしのこころに満ちてください。

2008-04-30

テニスか異種格闘技か。

今日の朝は冷えましたねえ。
1.5度ですよ。
いやあ、寒かったです。
今も底冷えはします。9時半で7.4度。
明日も1度くらいまで下がりそうです。

昼間も14.8度止まり。
でもよく晴れて、風が強く、
花粉日和でした。

で、今日は気をつけて、あまり外には出ませんでした。
だから、花粉症はまあまあOK。

昨日聞いた話。

「恋愛はテニスみたいなもんで、結婚は異種格闘技みたいなもん」

どうやら、水谷先生のご本「ヤンキー牧師の必笑恋愛塾」に書かれているようですが、
すみません、まだ私は読んでいません。
でも、かなりツボにはまりました。

テニスはそれぞれのスペースがあり、
その間にはネットがあり、
共通のルールがあって、
球の打ち合いをする。

恋愛はそんな感じ。
自分のスペースがあって、間にはにはちゃんとネットがあって・・・

でも、結婚は違う。
同じリングの上に上がる。
そして、互いのルールが違う。
猪木とアリの試合のように(古い・・・)
というか、違っていることに気がつけば、
かなりいい。

自分のルールですべて判断しようとするから、
何で相手はここでこんなことをするんだ、と頭に来る。

相手のルールを知らなければいけないし、
学ばなければいけない。

いつまでもテニスをやろうと思っちゃいけない。
いつまでもテニスをやっているつもりじゃいけない。

・・・ですよね。

妙に納得。

水谷先生のオリジナルなのか、
誰か他にそんなことを言い出した人がいるのか、
私は存じ上げませんが、
こういうことを思いつく方ってすごいなあ、と思います。

そのひらめきがすごい。

ちょっと私も考えてみようっと。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の51篇の10-19節。

「神よ。私にきよい心を造り、  ゆるがない霊を私のうちに新しくしてください。」10節。

ほんとうにこの祈りが私の朝の祈りでした。
私のうちに新しい霊を、揺るがない霊を作って下さいと。

ちょっと考え方を変えるとか、
ちょっと気をつけるとか、
ちょっと気分転換をするとか、
そういうレベルではなくて、

主によって新しい霊を私のうちに作って下さい、
そのように祈りました。

そして、今日、ある瞬間に、
「あ、変わっている」と思いました。
主が守って下さっている。
不思議なんだけれども、
主が新しい霊を与えて下さっている、
そのように思いました。

主よ、
あなたが新しい霊を作って下さる、
ということはほんとうですね。
心から感謝します。
今日、ほんとうにそのことを感じました。
一歩一歩守り、ささえ、導いて下さい。

日々、新しい者とならして下さい。
日々、キリストに似た者にならせてください。

ナンバープレートの使い回し

昨日は昼頃まで曇っていたり、
雨が降ったりだったのですが、
2時半頃からどんどん晴れてきて、
夕方にはすっかりいい天気に。

そんな中、ちょっと家の前で作業をしていたら、
花粉症爆発。

素直にマスクをすべきでした・・・。

何の作業かというと、
車のナンバープレートのつけかえ。

今までの車、ブレーキパッドがすり減って、
交換時期。前と後ろとあわせて500ドルくらい?
そのほかにもあちらこちら、言うことを聞かなくなってきていたので、
じゃあ、ここら辺で乗り換えですね・・・と
昨日、個人売買で中古車を購入。

で、登録をしたのですが、
ナンバープレートって、1枚を何台にも使い回すんですね。
同じ名義だったら、違う車にトランスファー出来る。
それもたった4ドル50セントで。
前のナンバーを返して、
新しいナンバーを取ると70ドルくらいしますよね。
ものすごい得をした気分です。
これも知らなかったら、それまでで、
今まで、ナンバーを使い回しても、新しいのをもらっても、
同じ登録料は同じだと思っていましたので、ちょっとびっくり。

リースとかだったら、名義が換わってしまうからダメなのでしょうか?
新車でもそういうこと出来るのでしょうか?
ディーラー通しても出来るのでしょうか?

今まで、
中古→リース→(中断)→中古→リース→(中断)→中古
だったので、あんまり疑問も持たないで来ましたが、
もしかしたら、ものすごい損をしていたのかも・・・。

さて、昨日の聖書。
昨日は詩篇の51篇1-9節でした。

「どうか私の咎を、私から全く洗い去り、  私の罪から、私をきよめてください。」2節。

十戒の最後の戒めは
「あなたの隣人のものを欲しがってはならない」です。

そのことについて、心を探られました。

物質的な「もの」だけではなくて、
人間関係や、能力、環境、そして神さまからの使命などなど・・・
そのようなものも、隣人のものを欲しがってはならない。

自分に与えられたものを受け取りなさい、
わたしがあなたに与えた使命、才能、人間関係、環境・・・
すべて、あなたのための特別なものなのです。

そのように語られました。

ほんとうにきよめて頂きたいと思いました。
主が与えてくださっているものに、
いつもいつも感謝しつつ歩もうと思いました。

神さま、
あなたが与えてくださっているものに感謝します。
そこに目を向けさせてくださってありがとうございます。
自分の人生を受け取り、感謝して前進していく者としてください。

2008-04-29

花粉症爆発!

今日は11時過ぎに帰ってきた
+花粉症が爆発しているので、
明日に備えて休みます。

でも、洗礼の準備の学びだったので、
心地よい疲れです。

ではでは。

2008-04-28

痛恨。

今日は久しぶりの、「一日、雨。」
夕方から、8時頃にかけては結構本降りでした。
でも、もう峠は越えたようです。

明日は曇りで日も差してきますが、
寒いです。
12-3度ですが、
結構風が強くて、肌寒いでしょう。

今朝も暖房が入っていましたが、
明日から、夜は5度以下に下がります。

花粉症も大変でしょうが、
風邪もひかないようにお気をつけて。

さて、最近聞いた話。
NJからマンハッタンに車で入るのには3つのルートがあるのですが、
北から、George Washington Bridge, Lincoln Tunnel, Holland Tunnelです。

それは通行料はどこを通っても8ドルなんですが、
(マンハッタンに入る時だけ)
EZ-Passという自動で料金を払う機械をつけていると、
時間によっては6ドルになります。

でも、更に安い方法があったんです。
「あったんです」と言っても、まだ使ったことがなくて、
使った方から聞いただけなんで、
「更に安い方法があったそうです」ですね。

EZ-Pass の説明のページを見ると、
Plan Code: (PACP) Port Authority Carpool Plan**: Receive a $6.00 discount (pay $2 vs. the $8 cash toll rate) on any Port Authority bridge or tunnel. Minimum of three occupants required and vehicle (with non-commercial plates) must use a staffed "CASH/E-ZPass" lane and come to a complete stop so the collector can verify the number of occupants. Discount is not applicable in “E-ZPass Only” or “E-ZPass Express” lanes.

というのが見つかります。
この記述と、実際に使ったという方の話を総合すると・・・

つまりこのプランに登録をして、3人以上乗った車で、人のいるブースに行って「ほら、3人以上いるよ」と言うと、8ドルまたは6ドルのところ、2ドルで済んじゃうんです。
つまり、1回4-6ドルの節約、になる、というわけじゃないですか。

これは、「値段の間違いを見つけて、ただにしてもらう」とか、
「スーパー袋を持っていって、一つあたり2セント負けてもらう」とか、
そんなレベルの話ではありません。

いつからこういうサービスがあったんでしょうか?
EZ-Passが出来てからもう10年近くたつと思うんですが、
最初からでしょうか?

1年に何回3人以上であの橋を渡ったことでしょうか?
あのトンネルをくぐったことでしょうか?

・・・痛恨の極みです。

先日、テレビを見ていたら、
「神さまは、あなたのお父さんで、あなたに豊かに与えて下さる方だから、ディスカウントなんてしてもらわなくていいんです!たくさん払いなさい!」と言っていたテレビ伝道者がいましたが、どうも、受け入れられません。

「神さまが与えてくださったものを、もっと大切に使う道があったのに、知らないで損をしてしまいました、ごめんなさい」って気分です。

早速登録をして、次に使うチャンスが来るのを楽しみにしています。
2人でもいいところ、「一緒に行かない?」と、何とかもう一人乗せようと、聞いて回ってしまいそうな、そんな気分です。うちの子たちに「6ドルお小遣いあげるから一緒にNY行くか?」と聞いちゃいそうです・・・。

情報感謝します。

また、NJ-NYの節約情報、どしどしお寄せ下さい。
みんなで協力して、無駄を減らしましょう。
あ、あとCarpoolは地球に優しいですからね。
どんどん、乗り合いしてしまいましょう。

さて、今日の聖書。
今日は出エジプト記から詩篇に飛んで、詩篇の50篇。

「世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。」12節。

神さまはわたしたちに助けてもらわなければならない方ではない。
神さまはわたしたちに恵んでもらって働きを進められる方ではない。

反対で、神さまがわたしたちにいつも必要を与えてくださる方、

ただ、感謝をささげることを期待しておられる方。

その神さまがわたしたちの味方であって下さって、
いつもいつも必要について気にかけてくださっているならば、
安心して進んでいったらいい。
大胆に進んでいったらいい。

そのように思いました。

いつもいつも主が豊かな方であることを忘れないでいたいと思います。

主よ、
あなたがいつも豊かな方であることを感謝します。
そのことを忘れないように守ってください。
あなたがわたしたちの必要をいつも満たしてくださる方ですから、感謝します。
どうか、あなたを信頼して歩ませてください。

主をおそれる者たち

今日2回目の更新は、
すぐに昨日の聖書に行きます。

昨日は出エジプト記の18章13-27節。

「 あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し・・・」21節。

このエテロの提言で、
リーダーを選ぶ時の基準がほんとうに興味深いと思いました。
その最初に出てくるのが「神を恐れる人」。

神を恐れる人をこそ、リーダーに立てるようにと。
「力がある」は最初ではないんですね。

力がある人よりも、神を恐れる人。

私自身もそのような者であり続けたいと思います。
自分自身でそう思っているだけではなくて、
客観的にそうであるかどうか、
いつもチェックしてもらうことが大切だと思いました。

そして、教会もそう。
神を恐れる者たちが立たされて、
働きをすることの大切さを思わされます。

主よ、
言葉だけではなくて、
ほんとうに生活の一瞬一瞬、
ほんとうに言葉の一つ一つが、
神さまを恐れているものとなりますように。

私が神を恐れることを
ないがしろにしてしまう時があったら、
信頼関係の中で、諫めて下さる方を、
私の周りに与えて下さい。

40年越しの夢・・・。

先週の月曜日(4/21)の続き。

ありゅさんの、再三の「気になる・・・」発言を受けて、
のんちの40年越しの夢、カミングアウトっ

それは「ラクダに乗る!」でした。

子供のころに夢を見たそうです。
見上げるような大きなラクダに乗っている夢。

それから、ずっとラクダに乗るのが夢だったそうで・・・。

今、子供たちも私ものんちも一緒に休みの日って、
結構ない・・・。

で、先週の月曜日、お手軽なところで、
エジプトのピラミッドに
Bronx Zooに行ってきました。

17歳男と13歳女と6歳女ですから、みんな行きたいところが違う。
とりあえず、「勉強しなきゃ」(ホントかい?)という息子はパスして、
下の二人に聞くと、
「BOOK OFF」「動物園」と期待通り、全然違う答えなんですね。
で、「Bronx Zoo経由BOOK OFF行き」といういことで円満解決。

花粉症の私に、のんちが「マスクすれば?」と聞くのですが、
「アメリカではヤバイでしょう・・・」と私は絶対ムリです。
でものんちは、「どうして?」ってノリなんですね。
「え~、アメリカではしている人いないし、すごい怪しまれるでしょ。」と私。

「そう言えば、前に行った時に、私がマスクしてたら、じろじろ見られたわ・・・」って・・・
そういうヤツなんです。

で、昼ごろ着いて、午後3時半頃に、
そろそろ帰るか?もう行きたいところないか?

と聞いたら、目の前にあった、ラクダに乗る、というヤツに、
サキが「これのりたい!」
それに、私とユキは、「え~」「勝手に乗れば・・・」だったんですが、
のんちは、「実は・・・私ずっと乗りたいと思っていたんだ・・・」だって。

で・・・・

・・・・ご満悦。

でも、乗り心地は悪いんですよね。
これはウンチク君になってしまうのですが、
ラクダは前足と後ろ足を一緒に出すんです。
人間でも右手と右足が一緒に出ちゃうことってありますよね。
そんな感じで、右前足と右後ろ足がいっぺんに出る。

で、結構揺れるんですよね。

・・・二人とも、「もういい。」とのたまわっておりました。

昨日の聖書。またのちほど・・・。

2008-04-27

JOYJOYキャンプ受付開始!

JOYJOY Brainstorming Dayから一週間、
難産の末、今年のJOYJOYキャンプのテーマが決まりました。

「キラリンピック~君はこの夏、輝いている~」


早速、今日から受け付け開始です。
上の画像をクリックしたら、jpegの大きいサイズで出てきますが、
PDFの方がいいと思います。こちらをクリック。

ふ~っと、もう終わったような気になっていますが、
これからですよね。
子供たちがわくわくするような、
キラキラ目を輝かせるようなキャンプを準備したいと思います。

今日は昨日よりもワンランク涼しくなって、13度くらい。

明日は10度そこそこみたいです。

そして、今日も雨は降りましたが、
明日はまとまった雨になりそうです。
雷もあるかもしれないそうです。

火曜日には晴れて、Happy 花粉デーですね。
覚悟のほどを・・・。

久しぶりに9時過ぎには時間が出来たので、
追いつこうと思ったのですが、
やっぱり明日にします。

「明日でもいいことは明日する」主義なんで・・・。(^^)
(何のことかわからない方は右のリンクから今日の礼拝説教聞いて下さい)

今日は昨日の分。
出エジプト記の18章1-12節。

「今こそ私は主があらゆる神々にまさって偉大であることを知りました。」11節。

この言葉を語ったのは、
異教の祭司エテロ。
その彼にさえ、その偉大さを認めさせた神の力。

一生懸命説得する必要はない、
一生懸命説明する必要はない、

その神さまの力をほんとうに私たちが経験していったら、
私たちが経験して、その香りが広がったら、

それで、人々はその神の偉大さを感じないではいられない、
語らないではいられない、のではないかと思う。

だから、そのような御業を経験させて頂きたいと思いました。
わたしたちをそのような神の力が表われる器として用いて頂きたいと思いました。

なんだか、一生懸命説明しても
なかなか伝わらない、
説得しようと思っても、
納得させられない。

納得しても、信じることとは違う。

だから、ほんとうに主の力を、表して頂きたいなあと思いました。

主よ、
あなたの力を今、表して下さい。
あなたの福音の力を
人を救い、造りかえ、
神さまの僕として用いられるような者にならせる、
そのあなたの福音の力を、
私のうちに、教会のうちにあらわしてください。