2008-05-19

どうやって・・・。

今日は寒い一日でした。
朝起きたら6度。
そして風が強くて、
昼間も15度止まり。

もう5月も半ばまで来ているんですけどね。

今度の日曜日は補習校の運動会。
なんで、日曜日に運動会やるかなあ?
土曜も月曜もあるだろうに。
って自分の都合ですよね。

でも、10年前は土曜日だったんですよ。
長男が2年生の頃まで。
でも、どういった事情か知りませんが、
日曜日に変ってしまったんですね。

でも、雨が降ってくれたら、
月曜日に順延なので、
そうしたら、1日でれるから、いいかな、
ととても身勝手に考えています。

でも、予報はかなり自信を持って「晴れ」みたいです。

昨日、お友達のことを話した後しばらくしてから、
サキが、ふと、「ねえ、天国ってどうやっていくの?」
と聞いてきました。

「イエスさまが迎えに来てくださるんだよ」
「見えるの?」
「そうだね、普通の人には見えないんだけど、天国に連れて行ってもらう人には見えると思うよ」

ひざの上に乗ってきた娘に話しながら、
子供たちがこのことをどのように受け取るのか、
それも、神さまが特別な時を与えてくださっているのかなあと思いました。

こわいことではなくて、
神さまのところにいくんだから、
大丈夫なんだよ、と伝わるといいのですが、
サキよりももっと仲の良かった子たちもいるので、
祈らされます。

おととい、土曜日の聖書。
土曜日はサムエル記第一の4章12-22節。

「栄光がイスラエルから去った」21節。

この聖書の箇所つらいですよね。
エリも、その嫁も神の箱が奪われたことに
大きな痛みを感じたままこの世を去りました。

でも、実際のところ、
それよりもずっと前から、イスラエルの人々の方が、
神さまを捨てていました。

エリの嫁はエリの息子である彼女の夫が、
他の女性、神殿で奉仕している女性と関係を持ったことに、
どんなに傷ついていたことでしょうか。


エリは自分のむすこたちが愚かなことをしていることに、
どれほど心を痛めていたのでしょうか。
もちろん彼は心を痛めるだけではなくて、
何とかして、彼らを悔い改めに導かなければいけなかったのですが・・・。

神の箱が奪われた、というのは、
結果でしかなく、
その前から、イスラエルは神に背いていました。

外側のことではなくて、
内側の問題として、
神さまに従っていく、
イエスさまの後に従っていく者でありますように。

神さま、
今日も痛みの中におられるお一人一人に、
あなたの慰めと守りを与えてください。

外側のことではなくて、
心の底から、
あなたに従う者でありますように。

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