2007-09-28

ジャカルタに台風接近?

涼しくなることを期待した昨日の夜でしたが、
ばっちり天気予報は外れ、
雨が降らずに今朝になりました。

そして、今朝パラパラ、
夕方に、ザッと降って、雨は終わりました。
大したことはありませんでした。

9月は平年の半分以下しか雨が降っていません。

でも、夜になって本当に涼しくなってきました。
今、夜の11時で、16度。
夜中の1時ごろで15度。

明日は一日晴れて、最高気温は20度くらい。
最高の天気になりそうです。
我らがYankeesは今日もまさかの逆転負けで、
とうとうRed Soxに優勝を持って行かれましたが、
まあ、4-5月の悲惨さを考えれば、よくここまでがんばりました。

そして、何とかプレーオフ進出。
でも、4-5月に絶好調だった、同じNYのMetsは大変なことになっていますね。
今日も負けて、とうとうプレーオフ出場も果てしなく難しくなりました。

優勝を信じて楽しみにしていたちびっ子ファンを見ると、
ちょっとかわいそうになります。

まあ、私も子供の頃、絶対優勝しない近鉄ファンで、ほんと寂しかったですからね。
中学、高校くらいになったら、結構いい線行くようになって、
強いチームを応援することの喜びも覚えました。

1989年の優勝のときの新聞は今もとってあります。

さて、スポーツつながりで・・・

昨日の夜、読んでいた「キャプテン翼」というマンガに、
ちょっと「えっ」と思う記述が・・・。
え、まあ、このマンガ、サッカーのプレーを見ていると、
「ありえな~い」のばっかりなんですがね。
今回はそんなんじゃなくて、お天気系。


ジャカルタに台風17号が接近?
赤道には台風は行きません。
シンガポールとか、絶対に台風はないでしょう
ジャカルタも・・・と思うのですが、
シンガポールが北緯1度なのに対して、ジャカルタは南緯6度。
ちょっと微妙ですが、
少なくとも台風17号は行かないでしょう。
南半球の場合、「台風」ではなくて「サイクロン」ですから・・・
さてさて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書7章でした。
38節もすばらしい言葉なのですが、
今日は30節の言葉が心に留まりました。
「イエスの時が、まだ来ていなかったからである」
時がある。
そのことを思わされました。
私たちの歩みにはいつも時がある。
神様の与えてくださる時がある。
それを信頼していくことの大切さを思わされます。
そして、イエスにとっての「時」とは、
あの十字架の時だった・・・。
時をどのように見ておられたか、と思わされました。
そして、私も時を見る目を与えてほしいと思いました。
もしも見えない時には、
神様を信頼して時を待つ勇気と平安がほしいと思いました。
主よ、
あなたが時を支配しておられることに、
心から感謝します。
あなたを信頼します。
どうか、時を見る目を与えてください。
見えないときも、あなたを信頼できますように。

2007-09-27

Love Language

暑いですねえ。
いやあ、今日も30度。
朝から20度くらいありました。
なんだか1ヶ月気候が戻ってしまったかのようです。

雷雨で涼しくなるという予報で、
楽しみにしているのですが、
まだ、雨雲はペンシルベニア州からニュージャージー州に入ってきていません。涼しくなったら気持ちよく眠れるのに・・・と思いながらいるのですが、この調子では、ここまで来るのは明日の明け方になってしまうかもしれません。

でも、とにかく、明日からは最高気温が20度くらい。
最低気温が10度くらいとなりそうです。
助かります。

掃除機の部品が届くのを心待ちにしている今日この頃ですが、
今日も、それは届かず、でも郵便受けには、ちょっとした包みが・・・。

何かなあ、と思い差出人を見ると、
「はは~ん、あれだなあ・・・そうだ、ほら、やったあ!」
中身は「愛を伝える5つの方法」という本。

訳者の方がNJに住んでおられる知り合いだったので、
送ってくださったのでした。

原書はThe Five Love Languagesという本で、
去年だったかな、英語で取り寄せて読んでみたのですが、
なるほど、と言うことがたくさん出てきて、
日本語で出ないかなあ、そしたら、教会で勉強会をしたり、
いろんなことができるのになぁ、と思っていた矢先、
千恵さんが訳しておられることを知って、
楽しみにしていたのでした。

その5つのLove Languageとは、
その人が愛を感じるポイントで、
「肯定的な言葉」
「クオリティ・タイム」
「贈り物」
「サービス行為」
「身体的なタッチ」
です。

それが一人一人違う。でも、みんなふつう、自分が思うことは他の人もそう思うと勝手に思いこんでいる。だから、たとえば、夫婦でそのLove Languageがすれ違ってしまうから、生まれる誤解がたくさんあるそうです。

なるほどと思います。

たとえば、私のLove Languageはどうやら「クオリティ・タイム」と「身体的タッチ」のようですが、
カミさんは「肯定的な言葉」かな。または「サービス行為」。たぶん。違っていたらゴメン。ていうか、ちょっとヤバイかも・・・。でも一応正解という前提で話を進めますね。

よく、結婚したばかりで、西武球場のお膝元、所沢に住んでいた時は、
(ちなみに近鉄ファンの私は野茂クンの投げる日をねらって、見に行きました)
カミさんは「ゴキブリが出るのが嫌だから」と、食べた食器はすぐ洗う、のが主義だったのですが、クオリティ・タイマーの私は「そんなのいいから、一緒にテレビを見よう」というノリだったのです。あのとき、一緒に洗うよ、と言っていれば、または、「休んでなよ、ボクが洗うから」と言っていれば、せめて、「ありがとう」と言っていれば、ちょっとは私の株は上がっていたでしょうが・・・。

と思って、さっきは洗い物もしましたが・・・ダメかな。

ま、とにかく、互いの違いを知って、認めて、そして、互いに相手のLove Languageを学ぶことが大切なんだそうです。

また日本語でじっくり学ばせて頂きましょう。

千恵さん、ありがとう!

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書第6章。

「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」
27節の言葉です。

なくなる食物も大切です。
大切で、う~ん、切実です。
心がそちらに奪われる時も、今までの歩みの中で何回もありました。
なくて、心配で、どうしたらいいんだろうか、神様は与えてくださるとおっしゃっているのになぁ、という切実さです。

でも、それだけじゃなくて、
いや、それ以上に大切な食物があるって、
そちらの方に目を向けなさい、そちらを大切にしなさい、
そちらを一生懸命求めなさい、と主は言われたのでした。

まあ、確かに、食べるものがあれば、それでいいという、そんな存在ではないことはわかっているのですが、やはり、うっかりすると、大切なモノを見失ってしまうことがあります。

永遠のいのちに至る食物、神様の救い、それを本当に大切にしていきたいです。

そして、それを本当に多くの人々に伝えていく者でありたいと思います。大胆に宣言していく者でありたいと思います。

主よ、
あなたが与えてくださる最高のもの、
永遠のいのちに至る食物のすばらしさを、もっともっと深く経験させてください。他のものに心を奪われてしまうことがないように、私の心にいつもいつも経験させてください。
そして、そのすばらしさを大胆に伝える者とならせてください。

2007-09-26

すべては神様のおかげ?

今日はあつい!
言いたくないですが、暑いです。
朝19度。
最高気温は32度。
たぶんNYの方がちょっとましだったと思います。

そして、今、夜の9時半ですが、
まだ25度あります。
家の中は27度です。

明日には雷雨になって、
その後涼しくなるようです。

寒いのも嫌ですが・・・(日によっては足が冷えて冷えて、もうパッチの季節かと思います)、
暑いのも嫌です。気温に関しては適応範囲がめちゃくちゃ狭いです。

今日、弟のブログを見ていると、
こんな記事が出ていました。

牧師の息子で「直道」はうちの教会にもいますが、
もちろん、別人です。
でも、このヘルムートくんもよく知っています。
自分が大学生の頃、中学生でした。
その彼が、テレビのディレクターか・・・と感無量。
10年ぶりに親に会うなんて、親もいろいろ苦労しただろうなあと。

もうちょっと詳しく知りたいなあと、
そこで、「金スマ」「ヘルムート直道」で検索をかけました。
そしたら、出てくる出てくる。

とても多くの方々の心にとまった企画だったようですね。

何とか映像を手に入れたいです。

ある記事の中で、
彼が、「何でも神様のおかげにする親に反発して・・・」という表現がありましたが、
そうだろうなあ、と思いました。

でも、大人になってみると、本当なんですよね。
先日の礼拝でもお話ししましたが、
すべては神様が与えてくださっている。
自分で何かやっているつもりになっていても、
ホントはすべて神様が与えてくださっている。

たぶん、それは言われるとちょっとカチンと来る。
俺はこんなにがんばっているんだと。
だから、自分で気がつく時が必要なんだと思いました。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネの5章。

「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
8節。

「直りたいのか?」というイエスの問いかけに対して、
「誰も入れてくれないんです」と、
ストレートに答えることができなくて、
半分いじけているのではないかという返事をする
この人に対して、イエスは、
スパッと「さあ、起きて歩きなさい」と言われたのです。

このことばが私に対しても、
なんだかいろいろ言い訳をしたくなる私に対しても、
語りかけているように感じました。

なんだかんだ言っていないで、
さあ、立って歩きなさい、と。

だから、勇気を出して行動をしたいと思います。
勇気を出して、踏み出したいと思います。

主が助けてくださることを信じて。
その力は主から来ることを信頼して。

主よ、
いろいろぐずぐず言う私に、
必要なことばをかけてくださってありがとうございます。
これから踏み出して行く、一歩一歩をどうか、
守り、祝福してください。
力の源があなたにあることを、
忘れることがありませんように。

2007-09-25

必要な時に必要なことが言えるか

今日も暑かったですね。
30度を超えました。

今、夜の11時前でまだ23度以上あります。
明日の朝は今朝までのように10度くらいまで下がることもなく、
18度くらいでしょうか。
明日の昼間は30度を超えるようです。

でも、それがピークで、木曜日は雷雨があって、
金曜日からはまた涼しくなるようです。

でも、例年の10月のはじめのように、
ぐっと冷え込むこともないようです。

これくらいがちょうどいいかな。

今日の午前中は
服部雄一著「ひきこもりと家族トラウマ」を読んで、
午後の集会では、
「境界線(バウンダリー)」を読んだのですが、
いろいろ考えさせられました。

両方に共通する問題・・・。

「本当の気持ちを言えない」ときに生まれてくる問題です。

傍若無人に何でも思ったことを口に出すのがいいとは思わないのですが、
思ったことが言えない関係、
特に「NO」が言えない関係は病んでいると思います。

言わせない人の問題か、言わない人の問題か・・・。

でも、私も思いました。
自分が「NO」が言えなかった経験はよく覚えている、
でも、自分が誰かに「NO」と言わせなかった経験は、
覚えていない、というか、
それよりも、そんなことに気がついていないのではないか、と。

だから、自分が気がついているよりも、
もっともっとたくさんたくさん、人にNOと言わせないようにしてきたのではないだろうかと。
そして、それが問題であること以上に、それに気がつかないで来てしまったことが問題であったのではないだろうかと。

自分の姿に気がつくのが成長の第一歩。
人が自分の領域に許可なく踏み込んできた時に、はっきりとNOといえる強さと共に、自分が無意識に人の領域に踏み込んでしまった時に、それに気がつく敏感さ、そして、それを認める勇気と謙虚さを与えてほしいと思いました。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書4章です。

とても好きな聖書箇所ですが、
また新しい気持ちで読みました。

「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」
23節です。

今日は、ここの最後のところの、
「父はこのような人々を礼拝者として求めておられます。」
ということばが特に心にとまりました。

神様は待っていてくださる。
私たちが礼拝をささげるのを、
形ではなくて、真実な礼拝をささげることを
待っていてくださる。

日々の祈りもそのような時となるように、
また日曜日の礼拝もそのような時となるように、
また10月から始めようとしている、平日の礼拝もそのような時となるように、
また日々の生活自体が、主への礼拝となるように、
いのります。

こっくりさんを呼ぶように、
霊媒師が死者を呼ぶように、
私たちの方が神様に「来てください」と呼ぶのではなくて、
神様の方が私たちを待っていてくださる。

感謝。

主よ、
あなたが待っていてくださることに感謝します。
日々の生活が、あなたと共に歩む日々でありますように。
どうか、礼拝の喜び、あなたがともにいてくださることを喜ぶ喜び、
それをもっともっと教えてください。

明日の1日もあなたへの礼拝となりますように。

明日は朝早く出て1日NYです。
一つ一つの出会いを主が祝福してくださいますように。

2007-09-24

私たちが受け継いだ信仰・・・

今日もまた暑くなりました。
朝は12度だったんですがね。
昼間は日に当たっていると汗ばむ陽気。

今は夜の10時で、16.4度。
明日の朝はまた10度近くまで下がるでしょう。
そして、昼間は30度近く。

いやあ、この寒暖の差はきついですね。

今日は2ヶ月に1回の地区の牧師会。
フィラデルフィアに行ってきました。

そこである先生から聞いた話。
先生が、ヨーロッパに研修旅行に行かれた時、
イタリアでカタコンベに案内されたそうです。


それは迫害にあっていた最初の時代のクリスチャンたちが、
身を隠して、礼拝をしていた、地下のトンネルだそうです。
そこでガイドさんが話してくださったこと。

そこでの合図が今もよく車のバンパーステッカーなどに使われている「お魚マーク」。
「イエス・キリスト・神の子・救い主」の頭文字を取ると「魚」ということばになったことから、このマークが「自分はクリスチャンです」という暗号になったわけです。今はもちろん、暗号でも何でもないわけですが・・・。

当時の兵隊たちがそこに捜索にはいると、中でたいまつが消えてしまうこともあったそうです。
そして、何にも見えない中で、出口もわからないで、何日かたつうちに衰弱していく兵士たち、そのタイミングを見計らって、クリスチャンたちは、衰弱した兵士に水を与え、食物を与えて、世話をします。そのようにして、兵士たちに自分たちの伝えたいこと、自分たちの神様からもらった愛を伝えていったそうです。そして、軍事力も経済力もなかった教会が、何百年もかけてローマ帝国の中に静かに浸透していったそうです。

迫害の中で命がけで、「イエスは神の子、私の救い主です」ということを伝えていった信仰の先輩たちがおられたから、今の私たちがいるのに、今の私たちはいったい本当に同じ信仰を受け継いでいるのだろうかと思います。今のアメリカや日本の教会は「comfortableなこと」「世の中で認められること」を求めすぎているのではないかと思いました

「あなたこそ、いける神の子キリストです」という信仰告白の上に教会は建っている、と昨日の転入会式でお話ししましたが、そこに本気で生きていく教会を建て上げる責任を感じます。

さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書第3章。

「人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
3節のイエスのことばです。

最近、「新しく生まれる」ということに語られることが多いです。
新しい発見を与えられているように思います。

私たちはキリストを信じて、神の子とされた時に、
新しい父を持ち、新しい家族の中に生まれた。
新しいアイデンティティーを与えられて、
新しい者とされた、
そのことの大きさを思わされます。

今まで、自分は自分を生んで育ててくれた家族のことにこだわりすぎていたように思います。
もちろん、ありがたいことなのですが、
「新しく生まれた」ということは、何よりも、
神を「父」として新しく生まれたということなんですよね。

そっちの方が土台で、
そっちの方を土台として、
自分のこの世の家族との関係を捉え直していく、
そういうことなんですよね。

新しいアイデンティティー、感謝します。

主よ、
あなたが私を、キリストにあって、
新しく生まれさせてくださってありがとうございます。
あなたの子供とされていることを感謝します。
あなたに受け入れられ、子供とされていることを、
もっともっと味わわせてください。
その意味をもっと深くわからせてください。
新しいアイデンティティーを感謝します。

2007-09-23

アメリカに住むということ

今日はすかっと晴れたいい天気でした。
気候的にもちょうどいい秋の1日でした。
日本でいう秋分の日が、こちらでは秋の始まり。

火曜日と水曜日は夏を思わせるような暑さが来そうですが、
そのほかは過ごしやすい日が続くようです。

さて、今日は早く休もうかとしているところに、
息子の宿題、親への質問。
なんだか、直前にならないとエンジンがかからないのは親譲りのようで、
昨日もたっぷり時間があったはずなのに、
何もしてなくて、今頃になって、質問攻め。
移民の歴史なんだか、いろいろ自分の経験を話してほしいという。

「いつアメリカに来たか?」
「何のために来たか?」
「偏見を感じたことはあるか?」
「文化の違いで悩んだことは何か?」
「20世紀初めの移民とはどこが違うと思うか?」

なんだか、難しい質問ばかり。
素直に感じたことを話したら、
「パパの答えは複雑すぎ・・・」だって。

まあ、いろんな経験をしてきていますから・・・。

こちらに15年住んでいますが、
好きなところ、気になって、なかなか受け入れられないところ、
いろいろあります。
でも、そんないろんなことを平気で言えることこそ、
この国のいいところなんだろうと思います。

実は今日の礼拝後、教会でもある方とそういう話になりました。

アトランタの神学校で勉強していた時の話。
アメリカの学生たちに、日本でのキリスト教の受け入れられている
状況を説明してほしいと頼まれて、話したのですが、
「理論的に理路整然としているから信じられるわけではない」
「原爆を落とした国がキリスト教国であるということが受けいられにくい」
そんな話をありのまましていました。

その中の学生の何人かが、
「そういうことを言っている、日本の文化をまず変えなければいけない」
と言い出したのには、びっくりしました。

もちろん、そうではなくて、日本の状況を本当に理解してくださる方もおられると思います。
特に、そのような状況を理解してくださる多くの宣教師の方々によって、
神様に導かれた方々もたくさんおられることでしょう。

でも、本当にわかってほしいなあと感じます。
私たちの使命は、この国に住む日本語を使う方に、神様のことを伝えることと共に、この国の方々に、自分たちの立っているところ以外の違った視点に立つことも大切なんだという、そのことを知って頂くことでもあるのかと思います。自己の視点の相対化、つまり自分のものの見方が絶対的ではないんだということを知って頂くことなのかもしれない、そう思わされます。

さてさて、難しい話になってしまいましたね。
今日はヨハネによる福音書2章を読みました。

「あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」
10節のことばです。

主は最高の葡萄酒を取っておかれる。
最高の喜びを今も準備しておられる。

人間の力では作り出すことができない、
最高の喜びを、主は私たちのために取っておられる。

今までの喜びを遙かに超えた最高級の喜びを私たちのために、
取っておいてくださる。

それを本当に喜びに感じました。

ただ、2章読んだだけですが、
箴言から新約聖書に来ると、
「ああ、恵みの世界だなあ」と思わされます。

教会がそのような喜びにあふれますように。
私たちの日々の歩みが、そのような喜びにあふれたモノとなりますように。

主よ、
あなたが今の私のために
今まで取っておいてくださった、
最高の喜びを感謝します。
他のためには使わないで、
今まで取っておいてくださったことに感謝します。
どうか、あの水をくんだ僕たちのように、
単純にあなたのなされることを信頼して、
従っていくことができますように。

2007-09-22

直して使うか、新しいのを買うか

今日は昼頃に想定外の雨。
いやあ、全く予想もしていなかった天気は
ちょっと久しぶりでした。

その後、雨は上がって、温度も決して高くないのですが、
なんだか湿度が高くてもやもやしています。
今、夜の11時ですが、19.5度です。

明日の朝にはすかっと晴れて、湿度も下がってさわやかになると思います。
温度は高めですが、湿度が低いので余り暑く感じないと思います。

つい、この間ですが、
掃除機の先っぽが折れました。

アメリカの掃除機はでかいのが多くて、取り回しが大変なんですが、
どうしてもカミさんはそれが嫌で、軽い掃除機を探して使っています。
日本式の軽い掃除機はいいのですが、
なんだか、一生懸命掃除をするせいか、
バキッと折れてしまったんですねえ。

切断面はこんな感じ。
さすがに強力接着剤でもどうにもならず、
買わなきゃなぁ、という話をしていました。


ところが、今日、一生懸命部品を探してみると、
売っているサイトあり。

onlinevacuumparts.com
って、そのまんま、っていう名前のサイトで、壊れた部品を売っていることを発見。
9ドル。
安い。
でも、minimum orderが10ドル・・・。
まあ、いい、ねじ一つでも足せばいい。
と思って、買おうかなあと思って、送料を調べたら12.5ドル。
うーん、送料の方が高い・・・。

でも、分解して、直すのは嫌いではない、っていうか、好きなんで、
(本当に直せるかどうかは別・・・)
とにかく分解・・・。



何とか行けそうなんで、部品を注文することにしました。

なんだか、わくわくしてきました。
直って寿命が後何年か延びれば、それはものすごいお得。

問題は部品がいつ届くかで、
・・・それまで掃除機使えない。

さて、今日から新約聖書のヨハネによる福音書。
しばらく旧約聖書を読んでいて、
ちょっと新約聖書から読みたいなあ、と思っていました。
それに新約聖書しか持っていないから、一緒に読めない、
と思っていた方もおられるかと思い、
この書物を選びました。

今日は1章。

「はじめにことばがあった・・・」で始まるイエスの生涯が書かれている書物。

今日はその序文ともいうべき最初の部分の中から、
心にとまったのは、

「この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

13節のことばです。

コリント人への第2の手紙の5章17節に、
「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った、見よ、すべては新しくなったのである」ということばがありますが、まさにそれを連想させることばです。

キリストを信じる時に、私たちは新しい者にされる。
新しいアイデンティティーを与えられて、
何人とか、人種とか、民族とか、
何々家の長男とか、次男とか、
男とか、女とか、
そういうことを超えて、
「私」というものが確立する。
神の子としての他の誰かと違う、
他の誰かの付属物でも、
「~さんの息子」でもない、
私という存在を取り戻すことができる、
そんなことを思わされました。

神から生まれたもの。
新しい存在。
古い自分には死んで新しい自分に生きるのです。

そのことを今日はとてもうれしく思わされました。
うれしく感じました。

自分もいろいろ背負って生きてきたんだと思います。
それらすべて、もう関係ない。
自分のアイデンティティーは
ただ、「神から生まれた者」なんだと。

主よ、
あなたの子供であることを、
あなたの者であることを感謝します。
他の何者でもなく、
他の誰かのもの、所有物でもなく、
ただ、あなたから生まれた者であることを感謝します。
あなたの与えられた使命に生きたいと思います。
どうか、導いてください。
これからヨハネによる福音書を1日に1章ずつ
読んでいく中で、
新しく私の目を開いてくださいますように。

2007-09-21

箴言読了

9月21日が終わりました。
今日もこの時期としては暑い一日でした。
最高気温は29度。
今は夜の12時ですが、17度。
夜はさすがにしのぎやすいです。

明日、もう一日こんな天気が続くようです。

アメリカでは不思議なことに秋分の日が秋の始まり。
ですから、明日まで夏なんです。
だから、明日までは暑い日があってもいいんだそうです・・・ラジオのニュースによると・・・。

その後も、気温は高めですが、湿度がぐんと下がるそうです。
心から秋を歓迎します。

今日は先に聖書の言葉。
箴言の31章でした。

「麗しさはいつわり。  
美しさはむなしい。  
しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」
30節。

ハイ。わかりました。
という感じです。
主を恐れる妻を与えられた自分は幸いだと思いました。

でも、それと共に、女性だけではなく、
自分はどうだろうかと思わされました。

他のすべてをおいても、
神様を恐れる者であるだろうかと。

本当に主をおそれる者でありたいと思います。
何よりも主をおそれる者でありたいと思います。

今日で箴言を読み終わりましたが、
その最初は「主を恐れることは知識のはじめである」と始まり、
最後は「主を恐れる女はほめたたえられる」と終わります。

主を恐れることがどれほど大切なことか、
それが繰り返し書かれているんですね。

自分が恐れていることは何なのか、
自分は本当に主を恐れているのか、
そして、主を恐れるとは具体的に、どんなことなのか、
実際的に、どんな生き方なのか、
考えさせられています。

これから、教えて頂きたいと思いました。
もっともっと主を近くに感じ、
主を恐れることの深い意味を教えて頂きたいと思いました。

主よ、
あなたを恐れることの大切さを教えられて感謝します。
そのことを一つ一つの経験の中で、
もっともっとわからせてください。

明日からは久しぶりに新約を読みたいと思いました。
ヨハネによる福音書を1日1章(またはそれ以下)でゆっくり読んでいきたいと思います。

2007-09-20

死をもって償う

今日は暑かったです。
午後からは半袖で十分。

キッズクラブは西日のはいる部屋で、
子供が25人来たので、
暑かったです。
これももう今週限りでしょうが・・・。

最高気温は28.6度。
今、夜の10時で20度あります。

明日は30度くらいまで行くでしょう。

天気は引き続き、晴れ。

メキシコ湾の低気圧は、まだTropical Stormになっていませんが、
引き続き要注意です。

今日の朝のニュースで、
山口県かどこかで若いお母さんと赤ちゃんが少年に殺された事件の、
裁判の様子を取り扱っていました。

遺族の方々の、「死をもって償うべき」という思い、
今までは、余りそのようなことを感じたことはなかったのですが、
今回はさすがに「当然だなあ」と思わされました。
もちろん、それが償いにはならないことも確かですが・・・。

それはやはりその元少年が、
罪の重さをわかっていないように感じてしまうからです。

でも、その後、祈り会で、
ローマ人への手紙1:32
「彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、・・・」
というところを読んで、自分は本当に深い深い罪を犯してきたのだということを思わされました。それなのにまさに自分は「罪の重さがわかっていない」。
その元少年と違って、人を殺めたことはない。でも、それは自分が恵まれているから、守られているから・・・。でも、やっぱり自分は同じくらい罪深い、やはり、自分も死に値する罪深さを持っている。それもこの地上の死刑ではなくて、永遠の死を経験すべき罪を持っている。でも、それをイエスが私の身代わりに負ってくださったことによって、自分も赦されているんだと思わされました。

その元少年、やはり社会正義に照らして、死刑が妥当なんだと思います。

でも、自分もまた「自分の罪の重さがわかっていない」ということももっともっと知らなければいけないと思わされました。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の30章。
いよいよ終盤です。

今日心にとまったのは、
「確かに、私は人間の中でも最も愚かで、  
私には人間の悟りがない。
私はまだ知恵も学ばず、  
聖なる方の知識も知らない。」
2-3節です。

この知者の謙虚さ、それを感じます。
実際、知っている人ほど、自分は何も知らないのだと知っているのだと思います。
逆に知っていない人ほど、自分は何かを知っているのだと思いこんでしまうんですよね。
本当にもっともっと主の知識、神様の世界を教えて頂きたいと思います。
目を開いて頂いて、神様がどんな道を開いてくださっているのかを知りたいと思います。
そして、耳を開いて頂いて、神様がどこに導こうとされているかを知りたいと思います。

主よ、
どうか私の目を開いて、
あなたの導きを、あなたの守りを見せてください。
私の耳を開いて、
あなたのみ声を聞かせてください。

幼子のように

さて、19日2回目の更新。
実はもう12時すぎていますが、
まあ、まだ12時半なので、気持ちは19日ということで・・・。

アメリカでお天気的に、今注意しなければいけないところはメキシコ湾。
この週末にTropical Stormが発生して、ハリケーンに発達するかもしれません。
今もまだ海水温が30度近くあるようです。
2年前のカトリーナのようになることはないと思いますが、
要注意です。

今日は午後に近くの老人ホームに入っておられる方を訪問しました。
お名前を日系人会から紹介されて、初対面だったのですが、
とても歓迎されました。

94歳のおばあちゃん。
ニコニコ笑顔で、
香港の中国語(広東語?)、台湾語、日本語、英語がしゃべれるそうですが、
もちろん、私は日本語で会話。

子供の人数と年齢を7-8回繰り返して話さなければいけませんでしたが、
それが苦にならないのが、初めての訪問だったせいもあるかもしれませんが、
何よりもおばあちゃんのうれしそうなお顔のせいでした。

クリスチャンの方ですが、
お祈りをしましょう・・・と言うと、
それまで耳が遠くて大変だったのですが、
お祈りの最後に「イエスさまのお名前によって・・・」と言うと、
大きな声で「アーメン」と唱えてくださいました。

車いすの生活なのですが、
帰り際には「ホント来てくださってうれしかった」と
何回もハグをされました。

このおばあちゃんの姿を見ながら、
「幼子のようだなあ」「会ってて楽しいなあ」と思いました。
ちょっとはまりそうです。
この近所のいろんな老人ホームに「日本人は入っていませんか?」って聞いて回ろうかなあと思いました。

こんな歳の取り方、いいな、と思いました。
呆けて、何を言うかわからない時に、「ありがたいねえ」「感謝だよ」とばかり言っているお年寄りになりたいなあ、と思いました。(やっぱり内側が大切?)

さて、今日の聖書。
今日は箴言の29章です。

「人を恐れるとわなにかかる。  
しかし主に信頼する者は守られる。」
25節の言葉です。

完全な愛は恐れを取り除く・・・。
人を恐れる時に、その人を愛していない。

そして、神を信頼していない。

ホントに愛が必要だと思います。
愛に満たされたいと思います。

愛にあふれた者になりたいと思います。

そのためには主に信頼することも大切なことなんでしょうね。
主を信頼する中で、人を信頼する。
主への信頼がいつも土台。
主を信頼するから、
人を恐れないで、人を愛することができる。

だから、やっぱり人を見るのではなくて、
神を見ることなんだろうと思います。

神様ご自身を見上げて、
神様ご自身がなしてくださる御業を期待して、
大胆に歩んでいきたいと思います。

主よ、
愛することを教えてください。
恐れから解放してください。
あなたの愛で満たされますように。
そしてその愛で人を愛することができますように。

2007-09-19

一番考えるべきこと

今日は19日。
朝は9度でしたが、
昼間はずいぶん暖かくなりました。
24.8度。

そして、今、夜の12時前ですが、15度あります。
明日の朝は10度は切らないでしょう。

そして、明日の昼間は確実に25度を超えます。
たぶん、28度くらい。
ちょっと汗ばむかも・・・。

最近、夫も妻も、心も体も純潔を守るということで、
いろんなことを考えます。
そして、昨日、おとといあたり気がついたことがあるんですが、

私は、妻は夫の前で、一番きれいで色っぽくて、あでやかで、かつ清楚であってほしいと思うんです。(欲張りすぎ?)
うちのカミさんはもちろんのこと、皆さんが、ご自分の夫の前で一番そうあってほしいと思うんです。
自分の夫に対してはそうでもないのに、他の人に対して、そのような姿を見せるのはやっぱり嫌だなと思うわけです。

でも、反対に自分のことを考えたら、どうかなあと思ったわけです。
自分のカミさんに対して、一番その期待に応えているか、というと、そうではないかも・・・と思わされるのです。逆に甘えて、勝手なことを言って、(まあ、自分のカミさん以上に他の人に甘えたり、勝手なことを言ったらまた問題ですが・・・)わがままをやっているのではないかと思ったのです。

人の話は聞くのに、妻の話は聞かない・・・。

それはまずいな・・・と。

そして、やっぱり自分は自己中心的なのかな・・・と。

妻に「夫に対して最高の姿を見せてほしい」と願うならば、自分も妻に対してそのようにすべきだなあと思いました。そして反省。それが実生活に生きているかというと・・・うーん、これからですね。発展途上人。乞うご期待。(いいのかなあ、そんなことを宣言して・・・)

さて、昨日の聖書。
昨日は箴言の28章。

「人を責める者は、  
へつらいを言う者より後に、恵みを得る。」
23節。

この訳はわかりにくいので、対訳になっているNIVを見る。

"He who rebukes a man will in the end gain more favor
than he who has a flattering tongue."

その場では「責める人」は喜ばれないで、
「へつらう人」が歓迎されるけれども、
最終的には、「へつらう人」よりも「責める人」の方が、
喜ばれるのだということでしょう。

でも、本当に祈って祈って、「責める」ことは
「へつらう」ことの何倍ものエネルギーがいることかと思います。
自分の目の中に梁がないかと何度も思わされて、
言わない方がいいのかと何度も考えさせられて、
でも、どうしても主がそのように導かれていると思わされて、
そして、初めて言葉になります。

そして、多くの場合、それはすぐには受け入れられない。
煙たがれ、反発を買い、批判をされる。

でもいいのかな、と思います。

強い者でありたいと思います。
めげない者でありたいと思います。
慎重な者でありたいと思います。
逃げない者でありたいと思います。

主よ、
あなたの守りを与えてください。
勇気と愛を与えてください。
へつらう者になることがありませんように。

2007-09-18

また明日・・・

久しぶりですが、
今日はもう、眠いので、また明日改めて・・・。

2007-09-17

心を向けるところ

今日の朝は7度まで下がりました。
ホントに涼しい一日で、
最高気温も20度くらい。

秋らしい一日でした。
夏のズボンに夏の靴下では、ちょっと足が冷えるかなあ、
と、オヤジっぽいことを感じるくらい涼しいです。

今週の後半には27度くらいまで上がる日もあるようですが、
これだけ涼しい日があると、
そういう日も待ち遠しいくらいです。

日本からのお客さん、
今日は一人でNYに行かれたのですが、
そこで、通りがかりの日本人観光客に、
「ヤンキースのチケット安く買える方法知っていますか?」
と聞かれたそうです。

うちの客人も、実は、日本では巨人ファンで、
ヤンキースに行こうかなあ、と日本で旅行社に聞くと、
送迎込みながら、3万円以上すると言われたそうです。
(どこの席でしょうかねえ・・・)
観光客相手で成り立つ商売といえば言えると思いますが、
誰もがそれを買えるとは思いません。

そこで、使ったことはないのですが、
よく宣伝しているStubhub.comで見てみました。
なんと、試合直前まで買えるではありませんか。
チケットが余っている人が、売りに出すサイトです。

その中の一番安いのは1セントまであります。

もちろん手数料を取られますので、それなりの値段になるのですが、
それでも、べらぼうに高いわけでもなく、
直前に買って、球場のそばの引き渡し所で受け取って入れる、
ということであるようなので、これはいいかも・・・と思いました。

今夜、予定が入っていたので、
お連れできませんでしたが、
一ヶ月以上なかったマツイ君の一発も出た日ですし、
勝ちムードですが、ハラハラさせられる展開で、
いやあ、惜しかったですねえ。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の27章でした。

「あなたの羊の様子をよく知り、  
群れに心を留めておけ。」
23節です。
この聖書の箇所が特別に牧師に対して書かれたわけではないでしょう。
でも、教会の方々のことを言っているように思いました。

元々楽観的で、あんまり心配しない人間なんで、
別の言い方をすると、人の心の動きに鈍感で、
失敗をすることが多いです。

だから、主からの忠告として聞こえました。
心をどこに向けているか、
鈍感であったとしても、
自分の心を人々の心に向けていれば、
見えてくるものがもっともっとあるのだろうと思いました。

もっともっと人を心にとめて、
主からの示しもいただいて、
人を大切にしていけますようにと祈ります。

知ろうという努力も、
心に留めるという気持ちも、
大切だと思いました。
忠告を与えてくださった主に感謝します。

主よ、
あなたの忠告に感謝します。
人々を愛し、人々を知り、
人々の霊的な状態を心に留める者となれますように。

2007-09-16

子供たちの心に何を残すか

今日は気持ちのよい一日でした。
最高気温も20度くらい。
教会でも窓を開けると気持ちのいい風が入ってきました。

今はまたBrrrrrrです。
今、夜の10時半ですが、10.8度Cまで下がってきています。
今朝は8度くらいでしたが、
明日の朝は6度くらいまで下がるようです。
ほんと、風邪に注意です。

今日は日曜日、
礼拝の日でした。

第3週の日曜日だったので、
月に一回の子供たちのためのお話を礼拝の中でしました。

マタイ7章の
「自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。」という言葉を話したいと思いつつ、でも子供たちにどのように伝えたら伝わるかいろいろ考えて、カニの親子の話をしました。

カニのお父さん、お母さんがこどもたちに「何でまっすぐ歩けないで、横に歩いているの?」と指摘するのですが、やっぱりお父さん、お母さんも横にしか歩けなかったという話です。
そして、イエスさまも・・・と話をして、子供たちも大喜びだったのですが、あとで、6歳の娘に聞いてみると、その心に残っているのは、イエスさまの話ではなくて、やっぱりカニの話。まあ、想像できたのですが、なかなか大切なポイントを子供たちに伝えるのは、難しいものです・・・。

でも、とにかく、子供の心に楽しい空気や、暗唱聖句がとどまってくれるといいなあ、と思いました。いつもいつも、チャレンジャーです。

さて今日の聖書。
今日は箴言の26章でした。

「自分を知恵のある者と思っている人を見ただろう。  
彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」

12節の言葉です。

いやあ、キツイ言葉ですね。
そうそう、こういう人いる・・・なんて言っているうちに、
「それはあなただよ」と主から言われそうな言葉です。

何かを知っていると思っている者は、
知らなければならないことさえ知っていないのです、
という言葉も聖書にありましたが、
わかったようなつもりになっていることは、
本当に危険なんだろうなあと思いました。

いつもいつも、本当の自分の姿を知らせて頂きながら、
歩んでいきたいと思いました。

主よ、
どうか、私を傲慢な思いから守ってくださいますように。
自分の真相を知らされた時に、
そこから目をそらさない勇気を与えてください。
御言葉によって、いつもいつも教えてください。

2007-09-15

祈る若者たち

今日は午後から本当に涼しい気持ちいい日になりました。
青空も広がって、空気も澄んでいます。

夜になって本当に冷えてきています。
今、夜中の1時半ですが、
11.7度C。
明け方には7度くらいまで下がるかもしれません。
ぶるぶるですね。
英語ではBrrrrrrrr

明日も晴れて、でも涼しい、一日でしょう。

今日の午後はユースのメンバーが、
祈り会を持ちました。
いろいろ事情があって来れないメンバーがいる中で、
7人集まりました。
常連の中の半分以上ですからすごい割合です。

そのうちの5人はその後の大人の祈り会にも続けて出席。

彼らの純粋さ+熱さは本当に尊いと思いました。

そして、そんな若い子たちが他の楽しいことに負けないくらい、
この祈りの時を大切にしていることに、
将来が楽しみになります。

そんなまじめっぽいことは大人に任せておいて、
自分たちは楽しいことをたくさんしよう、と思うのではないかと思ったりするのですが、
祈っている内容を聞いても、どうしてどうして、真剣で熱いんですよね。

日本である教会に行った時に、
若者たちが、中学生に声をかけて、「祈ろうか」と言っているのが、
ものすごい新鮮に感じたことがありました。

「祈ろうか」なんて声をかけるのは、
牧師くらいなもんだと思っていたそのころの私には、
自分と同世代の若者たちがそのようにしているのを見て、
正直、カッコイイと思いました。

そして、そのようにして育ったかれらが、また20代になった時、
また、次の世代の中高生に、同じように声をかけるんですよね。

彼らのこれからを楽しみにしながら、
でも、彼らを取り巻く状況の厳しさ、誘惑の多さのゆえに、
祈らなければなあ、と思います。

さてさて、今日の聖書。
今日は箴言の25章。

「主があなたに報いてくださる。」
22節の言葉です。

これは敵に仕返しをするのではなくて、
善を持って応える事を勧めている中で、
出てくる言葉です。

でも、それを超えて、大切な言葉ではないかと思いました。
主が報いてくださる。
誰が見ていなくても、
誰が気がつかなくても、
主が報いてくださる。

真実を尽くしてもなお、誤解されたままであったとしても、
主が報いてくださる。

それでいいのではないかと思わされます。

そこをしっかり見つめながら、
状況に振り回されないで歩んでいく者でありたいと思いました。

主よ、
どうか、私の心を守ってください。
いつもいつもあなたを見つめながら歩む者でありますように。
あなたが与えてくださる報いだけをあてにして、
期待して歩む者でありますように。

状況に振り回されない強さを与えてください。

2007-09-14

昨日の続き

今日は昨日までよりちょっと湿度が上がって、
でも、どんよりした日だったので、温度が低くて、
やはり涼しい一日でした。

夜になってから、ちょっと蒸しているかなあ、という感じです。
夜の12時で20度あります。

今夜はこのまま、一時雨という天気で、
明日の朝までそんな感じですが、
その後ぐっと冷え込んでくるようです。
またお風邪に注意。

さっきまで教会での祈り会に行っていたのですが、
9時半頃家を出る時には5-1で負けていて、
大輔君の前に後一本が出なかったYankeesでしたが、
帰ってきたら、なんと8-7で宿敵Red Soxに勝っているではありませんか。

すごーい。

祈っている間に逆転勝ちしていたなんて、
ちょっと気持ちがいいです。
(別にそんなこと祈ってたわけではないですよ~)

さて、昨日の性的誘惑の話の続きですが、
何年も前に読んだ、ジョン・ホワイトの本で、
イエスが言われた有名な言葉、
「情欲を抱いて女を見る者は心の中で姦淫を犯しているのです」
という言葉は、
グラビアやビーチの美女を見ている人の問題というよりも、
隣の奥さんをそのような目で見ている人の方の問題なのです、
と書かれていたことを思い出しました。

つまり、何の関係もない人をそのような目で見ることよりも、
身近な誰かをそのような目で見ることをイエスはさして言われたのではないか、
ということでした。

もう20年近く前にその文章を初めて読んだ時にはよくわかりませんでしたが、
今は彼の言葉にagreeです。
どこの誰かわからない人をどのように見るかと言うことよりも、
(その面においてもきよくありたいと思いますが)
身近なお互いの間で、きよい心で歩むことの大切さを思います。

本当に神様の前に心の中までのpurityが守られるようにと祈ります。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の24章でした。

「もしあなたが苦難の日に気落ちしたら、  
あなたの力は弱い。」
10節の言葉です。

苦難の中で、しっかり神様を見つめていく強さがほしいと思いました。
苦難が終わってから、「あの苦難も意味があったよな」とわかるのではなくて、
苦難の中でも、力を与えられて歩みたいと思いました。

苦難の中で、自分の力の弱さは本当に味わわされます。
その中で、主の力をいただいて、
弱いところに表される神様の力をいただいて、
歩んでいきたいと思いました。

苦難の中でこそ、
強さを知りたいと思います。
主の強さを。

主よ、
どうか守ってください。
苦難の中でも、あなたを見上げて歩む者でありますように。
苦難が終わってから、立ち直るのではなく、
苦難の中で堅く立って動かされないものを持っていきたいです。
与えてください。
守ってください。

2007-09-13

男性の弱さ・女性の弱さ

今日も気持ちのいい一日でした。
朝は10度は切りませんでしたが11度くらい。

一日半袖でいたら、
夕方には左手に神経痛が走るくらい、
涼しかったです。(どんなたとえだい?)

でも、そんな中でもキッズクラブで走り回ったら、
めちゃくちゃ汗をかきました。
楽しかったです。
子供たちもみんな結構喜んでいた、と思います。

今、夜の11時半ですが、15.6度。
明日の朝も今朝と同じくらいまで下がりそうです。

明日の夜は、メキシコ湾で発生したフンボルトくんが、
ハリケーンにまで発達して、
今朝、テキサスに持ち込んだmoistureが、
一部こちらの方にまで上がってきて、
雨になるようです。

今夜は大西洋上にイングリッドちゃんが発生しました。
まだベビーです。

昨日は一日、本当にいろんなことを思わされた日だったのですが、
最後は家に帰ってみると、Amazonで頼んだ本が届いていました。

そのうちの一つが、
"Every Man's Battle"
Amazonでは、153件ものReviewが出ているくらいですから、
かなり売れているんでしょうねえ。
引き込まれるように読み進んでいます。

男性の性的な誘惑との闘いについての本です。
ご婦人方にはなかなか理解不可能なのかもしれませんが、
この闘いは半端なものではありません。

著者によると、
正確な統計かどうかはわかりませんが、
だいたい、10パーセントの人がそんなものとは無縁(生まれつき無関心)で、
10パーセントの人が専門家の介入か必要なほどにaddictになっていて、
残りの80パーセントの人が、その中間で悩んでいる・・・。

そして、クリスチャンであるお互いは、
そこでなかなか勝利できないでいることに落ち込み、罪責感を感じて、
人にも言えず、自分だけが苦しんでいるものと勘違いをしてしまっている。
・・・ですよね。

祈り合い、励まし合っていくような場の必要性を感じます。

ちなみに、もちろん女性版もあり、
こちらは最近日本語版も出ました。

「あなたはどこに愛を探していますか」です。

こちらは夏に日本から来る方に買ってきて頂きました。

男性は視覚的な魅力に惹きつけられるのに対して、
(イエスが「右目が罪を犯すなら・・・」と言われたのもよくわかります)
女性は感情的な部分、人格的な部分に魅力を感じる、ということがよく言われますが、
もしかしたら、女性が夫以外の人に人格的に惹かれてしまった時には、
表面的なところに惹かれてふらふらしてしまう男性の場合に比べて、
問題はもっと深刻なのかもしれません。

もちろん、こういうのはステレオタイプになってはいけないと思いますが・・・。

いずれにせよ、
「私は実際の不倫はしていないからいいでしょう・・・」と思っていることに、
警鐘を鳴らして、もっと豊かな夫婦関係を築くようにと招いてくれている本です。


さて、
今日の聖書。

今日は箴言の23章でした。

「あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。  
ただ主をいつも恐れていよ。」
17節です。

詩篇の中にも繰り返し、
成功する罪人をうらやましがったり、
自分の姿を見て嘆いたりしてはいけない、
ということが出てきます。

ここでもそういうことだろうと思いました。
ただ、自分は主との関係で生きていくことが大切なこと、
主が導かれるところに歩んでいって、
主が与えてくださるものを感謝して頂いて、
歩んでいくことの大切さを思います。

他の人がどんなでもいい、
それに振り回されない、強さ、確かさを
いつもいつも自分の中に持っていたいと思います。
主が与えてくださっている使命に立って歩んでいきたいと思いました。

主よ、
感謝します。
あなたとの関係に生かして頂けることを
心から感謝します。
どうか、周りに振り回されない確かさを与えてください。
あなたが私に与えてくださっている人生を
しっかりと選び取って立ち上がっていくことができますように。

2007-09-12

総理、大丈夫?

今日は涼しくなりました!
朝は16度。
昼間も20度台前半、
そして湿度も低い!

快適な一日でした。
夜になったら寒くて窓を閉めるくらいです。

夜の11時過ぎですが、
15度を切りました。

明日の朝は10度を切るかもしれません。

このまま秋らしい日が続くようです。

昨日なぜか寝付きが悪く、
3時半頃まで寝られませんでした。
で、そのころにコンピューターを開くと、

「安倍総理辞任」のニュース・・・。

日本では、何で今頃・・・???という反応みたいですが、
わたしもそうでした。

理解に苦しみます。

でも、その一方で、もういっぱいいっぱいだったんだろうなあと思います。
去年の今頃日本で渋谷に出た時に、
晋三さんが街頭演説をしておられて、
ものすごい人でした。
ものすごい人気でした。
でも、その期待に応えられずに、
ボロボロになっていたんでしょうね。

あの自殺した大臣もいましたが、
そんなことになる前に無理をしない、
というのは本当は賢明なのではないでしょうか。

「なんでこんな人を首相にしていたんだ」
「無責任」
「理解不能」
といわれてもしょうがないタイミングですが、
命には代えられないわけで・・・。
早速病院に入られたようですね。
わたしは正しい優先順位だと思います。

まあ、我々凡人の知らないような陰の事情があるのかもしれませんが・・・。

さて、今日の聖書。
箴言の22章を読みました。

「あなたが主に拠り頼むことができるように、  
私はきょう、特にあなたに教える。
私はあなたのために、  
勧告と知識についての三十句を書いたではないか。
これはあなたに真理のことばの確かさを教え、  
あなたを遣わした者に  
真理のことばを持ち帰らせるためである。」
19-21節です。

特に「私はきょう、特にあなたを教える」という言葉が心にとまりました。
主は「特に」教えてくださることがある。
それも、「今日」特に教えてくださることがある。

今日は朝から夜までいろんな方や、
いろんな本を通しても、
いろいろなことを教えられました。

その中で一番心に残っていることば、
ある他の教会の方の言葉ですが、

「弟子訓練の中で一番大切なのは、
それを通して、自分を明け渡すことではないかと思います」

本当にそうだと思いました。
また目が開かれるような思いがしました。

知的な学びよりも、何よりも、
霊的な導きを通して、
ただ洗礼を受けただけではない、
「自分を明け渡すことを経験していく」ことが、
どれほど大切なことかと思わされました。

主よ、
私自身、あなたに自分を明け渡して、
従っているでしょうか?
私は本当にあなたに従っているでしょうか?

教えてください。
私を訓練して、明け渡すことを
また新しい経験として知ることができますように。

2007-09-11

6年

今日は雨の一日でした。
でも、夜には雨も上がり、
涼しくなってきました。

夜の11時過ぎで、21度。
湿度がまだまだ高いので、
「さわやか」とはいえませんが、
涼しい風が入ってきます。

明日からは本格的にさわやかになってくると思います。

明後日の朝は10度Cを切る予報が出ています。
風邪をひいておられる方も多いようですね。
お気をつけて。

あの日から6年。
忘れてはいけないという思いと、
余り思い出したくない思いと。

去年はどのように過ごしていたのか、と思って、
去年のページを見たら、
ちょうどNewarkの空港でその時間を迎えていました。

今年は家で静かに過ごしていました。
テロそのものも本当に痛みでしたが、
それと共に、吹き荒れたナショナリズムも痛みでした。
それまで9年間住んで、わかっていたつもりの
アメリカが、変わってしまったようにも感じました。

変わってしまったのか、
表面に出てなかったものが出てきただけなのか・・・。
あの日、
「戦争が始まるな・・・」と当たり前のように感じたのは、
心のどこかで、後者の方だと思っていたからなのかもしれません。

そして、今、イラクにたくさんの若者が派遣されながら、
またイラクではたくさんの人々が命を落としながら、
こちらでは、何もないかのような日常が動いていることが、
いいことなのか、どうか、わからないでいます。

あの日から1ヶ月後に発売になったiPodが
世界全体で累計で1億1千万台を突破したそうです。
やっぱり平和なんでしょうか。

でも、あの日の朝までの平和が「見せかけの平和」であったように、
今のNJでの日常の平和も「見せかけ」なのかもしれない、
そんな風に思ってしまいます。

もう一度、一人一人の心から始まる
本当の平和を求める歩みを再出発したいと思いました。
まず最初に、自分の心の中に平和があふれますように、
どんな波風の中でも、びくともしない、平和を与えてください、
そのように祈ります。
そして、平和を広げていくものでありたいと思います。


さて、今日の聖書。
今日は箴言21章でした。

「主の前では、  
どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。
馬は戦いの日のために備えられる。  
しかし救いは主による。」
30-31節。

最初に31節の方に目がとまりました。
そして、思いました。
「結局、馬は備えるべきなんだろうか、備えなくてもいいんだろうか?」と。

備えるだろうなあ、といつも思わされます。

でも、30節を見ると、
そんなのは役に立たない、と言われているようにも見えます。

そこで、今読んでいる聖書が対訳なので、
NIVの訳を読んでみました。

"There is no wisdom, so insight, no plan that can succeed against the LORD."

against the LORD
なんですね。

主に敵対する知恵、英知、計画は役に立たない、のですね。

だから、主を信頼して、
主を計算に入れた知恵、計画は必要なんですよね。

でも、どこまで行っても、
勝利を与えるのは神様。

主に祈り、主に求め、信頼して歩んでいきたいと思いました。

明日は早くでて、一日NYです。

主よ、
あなたが知恵を与えてください。
自分勝手な、独りよがりな知恵ではなく、
あなたからいただく、あなたに支えられた知恵を与えてください。

明日の一日をお守りください。
一つ一つの出会いが祝福されますように。

2007-09-10

御名をあがめさせてくださって、感謝。

今日も蒸し暑い一日でした。
暑さは大したことがなくて、
26度くらいまででしたが、
湿度が80パーセントとかで、
とにかくベタベタ。
にわか雨もありました。
でも涼しくはなってくれなくて、
湿度が上がっただけ、って感じ。

今は夜の10時半ですが、23度くらい。
でも、湿度が高くて、家の中は熱気が残っています。

明日の夜あたりまでは相変わらず湿度が高い状態が続きそうです。
そして、天気予報を見ると、明日の夜12時頃からどんどんdew pointが下がってきて、 過ごしやすくなるでしょう。

その後、しばらくは過ごしやすい天気が続いて、いよいよ「秋本番!」かな?

昨日の礼拝メッセージは、
主の祈りの言葉「御名をあがめさせたまえ」をからでした。
第1ポイントで、「御名があがめられるように、あなたの御力を表してください」との祈りをお話ししましたが、早速、昨日の礼拝後、一人の方が「洗礼を受けたい」と申し出てこられて、心から主の御名をあがめました。

というか、昨日の説教を思い出しながら、
ああ、本当に主が応えてくださったなあ、と今日になって、改めて主をあがめました。

私たちはすぐ感謝を忘れてしまいがちですよね。

心から感謝しつつ。
またこれからの準備の中で、さらに心の目が開かれていきますように。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の20章。

「なまけ者は冬には耕さない。  
それゆえ、刈り入れ時に求めても、何もない。」
4節の言葉。

冬って自分にとって何を指しているのかと思います。
何も収穫がないように見える時、
何も育っていないかのように見える時、
何をしても無駄のように感じる時・・・。

そんなときにも「耕すこと」
それはまた何かと思います。

「自分自身を見つめて、学ぶこと」
「地道な努力をすること、こつこつと働くこと」
「すぐに成果が出ることを期待しないで、順序正しく、できることをすること」

どれも苦手なことなんだと感じます。
すぐに形が見えたり、
結果が表れることを求めるところがあります。
でも、そうじゃなくていい。

いや、そうじゃないことが大切。

カンフル剤を入れて、がーっと盛り上がって、
でも、それが切れたら、落ちて、
こりゃまずい、とカンフル剤を入れて・・・
とやっていたら、体がボロボロになってしまいますよね。

こつこつと冬に畑を耕す者にになろうと思いました。

主よ、
感謝します。
あなたをあがめます。
洗礼を受ける決心をされた方の故に心から感謝します。
そのためにも冬に畑を耕しておられた方々の存在があったことを
知っています。

私自身も、そのような働きをさせてください。
こつこつと冬に畑を耕す者となれますように。



2007-09-09

茶髪王子

今日も暑いです。

昼間は何度だったか知りませんが、
朝だけちょっと涼しくて、
昼間暑くて、
夜はまた蒸し暑いです。

今は、真夜中の12時ですが、
やはり25度あります。

明日の後半から涼しくなってくるようですが、
助けてほしいです。


ガブリエルちゃんは、
弱いTropical Stormのまま、ノースキャロライナに上陸しました。

大騒ぎをした割には、
大したことはなかったようです。

まあ、よいことだったのですが・・・。


今日の礼拝は、
残念ながら体調を崩されたりして、
来られなかった方々も結構おいでだったのですが、
ミシガンから、びっくり、突然のゲストが来られて、とてもうれしかったです。

実は先週は週の半ばにも、ミシガンから他の突然のゲストが来られました。
みんながうらやましがるから、余り言わないできましたが、
出張で来られていたときにちょっと立ち寄ってくださいました。

私はちょっと出かけていて、来られたときはいなかったのですが、
「ピンポンダッシュ」とまでは行かないですが、
「ピンポン押して隠れる」って登場の仕方だったそうです。
まるで少年。


実はその日の3時頃、
突然、学校に行っているはずの息子から電話。
「ねえ、髪の毛染めていい?」

私が40歳過ぎから始めたことを(ちょっと意味が違うが・・・)、
16歳の分際で、ありえない、
日本の高校だったら、「黒くしてこい!」みたいな感じだと思い、
即答できっぱり「やめなさい!」と返事。

でも、その話を聞いたのんちは、「え~、どんな頭して帰ってくるかな~」
・・・ちょっと楽しみにしてるみたい。

結局その日はふつうの頭で帰宅。

どうやらサッカー部のみんなで金髪に染めた(脱色した?)みたいで、
あと息子を入れて2人くらいだけだったみたいな話。

しかーし、

翌日また3時頃。
「ねえ、いい?」
どうやら、もう一人の子も茶髪にする決意をしたらしい。

もう、ちょっとわくわくしていたのんちの反応もあったので、


「勝手にしなさい!」


と答えました。





結果・・・


                     

              ・・・素直に、勝手にして帰ってきました。

しっかり眉毛黒いじゃん。

まあ、しっかりサッカーで活躍してもらわないと・・・。

今日、初めてこの頭で教会に行って、
「みんな、結構似合っているって言ってたよ」とご機嫌。
オイオイ・・・。

さてさて、今日の聖書。

今日は箴言の19章でした。

「人の心には多くの計画がある。  しかし主のはかりごとだけが成る。」
21節の言葉です。

最近祈ってきたことに対する、主の答えだと思いました。
人の思いはいろいろある、でも、私は主のなさることを見ていこうと。
肩の力がぐーっと抜けていくのを感じました。

いろんなことを考えたり心配することはない。
主のなさろうとすることが実現するのだから。

誰かの考えが通るとか、通らないとか、
そういうことしか見えないのが私たちだけれども、
本当は主の御心がなされているのだ。

これからも、いろんな考えのある中で、
神様の御心がなっていく、
ものすごい安心感がありました。

本当に主の最善を信じて、
委ねていきたいと思いました。

主よ、
いろんな考えがあります。
どうしてそう考えるんだろうと、互いに不思議になるときがあります。
でも、最終的にはあなたの御心がなるんですよね。

すべてはあなたの御手の中にあるんですよね。
だから、安心してあなたに従っていきます。
あなたに委ねます。

あなたの与えてくださるこの不思議な平安の故に、
心から感謝します。






2007-09-08

明日は教会!

今日はほん・・・・・っとうに暑い日でした。
昼間の最高は34度。
もう9月の8日になるのにですよ・・・。

今、夜の12時ですが、26度近くあります。

湿度も高いです。

明日も引き続き蒸し暑い日になりそうです。
いやあ、キツイです。

雷雨もあるかも・・・という予報です。

そして、ガブリエルちゃんその後。
今日は昨日の「sub」が取れて、
正真正銘のtropical stormになりました。
でも、発達する暇もなく、
明日、North Calorinaに上陸する見込みです。

そして急に東にハンドルを切って、
NJの遙か南東を通っていくようです。

ですから、たいした影響はないみたいです。
でも、火曜日くらいまでは湿気が高くて、
にわか雨が降りやすい日が続くようです。

早く秋に帰ってきてほしい・・・。

さて、今日はもう遅いので、
あっさりと聖書の言葉へ。

箴言の18章でした。
「人の心は病苦をも忍ぶ。  
しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」
14節の言葉です。

もう一度、心の大切さを思わされます。
病で苦しむときに、
何とか、ここから解放されたいと思います。
そのように祈ります。

でも、その病の中で、心が支えられるならば、
それは力です。

でも、心が弱くなってしまったら、
それはどうすることができるでしょうか?
心が強くされますようにと祈らされます。
自分のためにも、
また人のためにも、
心が強くされますようにと祈ります。

主よ、
どうか、私の心を守ってください。
どうか、一人一人の心を守ってください。
今、困難で苦しんでいる方の心に、
あなたの力を与えてください。
それが救いですから。
それが何よりも力ですから。

もちろん、主よ、
私は癒しを祈ります。
また問題の解決を祈ります。
でも、それに勝って、
あなたの守りが心に与えられますように。

2007-09-07

scam

今日は蒸し暑かったです。
32度まで上がりました。

そして、夜になっても蒸し暑いです。
もうすぐ、真夜中の12時になるのですが、
25度あります。

明日も蒸し暑いでしょう。
というか、しばらく蒸し暑いでしょう。

そして、とうとうガブリエルちゃん(しつこいようですが、「エ」にアクセント)が誕生しました。
ふつうのTropical Stormではなくて、
Subtropical Stormといって、
「半分熱帯性」低気圧ってことでしょうね。

この後ハリケーンに発達する可能性もあります。

しばらく蒸し暑く、
雨も降りやすい日が続くと思います。

今日のタイトルの「scam」ですが、
Emailの普及と共に広がっているのですが、
詐欺の一種。
もちろん、電話や郵便でもあります。
ちなみに今回は郵便。

でも、今回のは正確には「詐欺」じゃないんでしょうね。
ちゃんとよく読めば説明してあるから・・・。

今週の初めに、こんな手紙が教会に来ていました。
(興味のある人は、クリックしてもいいですよ。40代でも読める字の大きさになります)



ちょっと読むと、インターネットのドメインの登録が切れるから、
9月10日までに払ってくださいねえ、という請求書のように見えます。

このドメインというのは、JCCNJで言えば、
jccofnj.orgのこと。

この名前をうちの教会にください、と申し込んでお金を払っているわけです。

ちなみに元々、jccnj.orgがほしかったのですが、
こちらは先にJewish Community Center of Central NJだかに取られてしまって、
・・・jcccnjにすればいいのにねえ・・・
泣く泣くjccofnj.orgにしたわけです。

でも、本題に戻って、この手紙ですが、
よく読めば、search engineに登録するのに64ドルとか言っているわけですよね。

そんなのGoogleとかYahooとか、みんなタダで、勝手に出てくるわけで、
お金払うもんじゃないわけですよ。

よく読めば、jccofnj.orgを使うためにお金を請求されているのではないのですが、
最初の黄色いところに、

http://www.jccofnj.org/ will expire on Sept 10, 2007 Act Today

なんて書いてあるから、どきどきしちゃうわけですよね。

念のため、教会のそっちの方の担当の方に問い合わせようと思い、
「でも、待てよ、Googleで検索してみよう」と気がついて、
検索したら、一発で出てきました。
やっぱりscam。

それも、教会を集中的にねらっているみたいですね。
「だまされやすい」「お人好し」「世間知らず」と思われているんでしょうか。

裏にも私なんか絶対読めないような小さな字で、いろいろたくさん書いてあるんです。
もちろん、面倒+見えない・・・だから、読みたくない。
てゆーか、読めない。

で、年間64ドルだったら、面倒だから、払っちゃえ。
「あなたのHPを探すのが大変になっちゃいますよ」なんて言われたら、
やっぱり、ちゃんとやっとかなきゃ・・・
担当者に確認するほどでもないし、
事後報告でいいでしょう。

ということになってしまうんでしょうか。

それも、丁寧に「2年分119ドル」の欄に勝手にチェックまでしてある・・・

さて、今日の聖書。
今日は箴言の17章でした。

「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。」
9節の言葉です。

先日の信徒勉強会で学んだ、
「破れ口に立つモーセ」を思い出しました。
背く民のために、
神様の前に立って、とりなしをしたモーセ。
自分の永遠の命さえかけて、
人々を赦してください、と祈りました。

自分はそのようにしてきただろうかと、
問われたような気がしました。

破れ口に立ってとりなすものを、
主は求めておられると聖書は語っています。

そのような愛を持ったものになりたいと思いました。
そのような生き方へと招かれているように思いました。
無責任な、「なんでもいいよ」という赦しではなく、
責任を持ちつつ、とりなしをしていく、
そのような者でありたいと思いました。

主よ、

イエスさまが私の罪を覆ってくださったことに感謝します。
どうか、私にも破れ口に立つ愛を与えてください。
なすべきことを教えてください。

愛することを教えてください。

2007-09-06

ガス冷蔵庫

今日は昨日に比べると温度も湿度も高いです。
昼間はそれほど感じませんでしたが、
夜になっても、温度が余り下がりません。

夜10時半になっても23度あります。

日本の台風は大変だったみたいですね。
風も大変だったでしょうが、
それよりも雨がひどかったようです。

こちらのガブリエルちゃんですが、
まだ、影も形もありません、というと言いすぎですが、
まだまだです。

今日になってから、各天気予報はガブリエルちゃんのことは、
トーンダウンしました。

もしかしたら、何もなかったかのように週末が過ぎるかもしれません。
それはまた感謝すべきことです。

今日、家庭集会の後、
皆さんで話しているときに思い出したのですが、

「ガス冷蔵庫」ってありましたよね。

その場にはどなたも知っておられる方がいなくて、
自分の記憶を疑ってしまったのですが、
確かに、子供の頃に、「冷蔵庫の下の窓から種火がついてるかどうか確認して・・・」
と言われて、のぞき込んだ記憶があるんです。

小学生の頃ですから、
昭和40年代の後半の方だと思います。
教会の冷蔵庫はガス冷蔵庫でした。

「え~、そんなのあるの?」
「氷を入れておくやつじゃなくて・・・?」(そこまで古くはない!)
「氷の次が、電気だよ」
そんな声に、最近自分の記憶に自信を失っている私としては、
「そんなことはない、絶対にあった!」
とは言い切れないでいました。

でも、さっき調べたら、ちゃんとあるじゃないですか、
ガス冷蔵庫。

東京ガスのサイトにちゃんと紹介されています。

今でも、キャンピングカー用、船舶用とかあるみたいですね。

自分の記憶も捨てたもんじゃない、と思いつつ、
そうやって、昔のことをやたら思い出して、
最近のことを何でもすぐに忘れてしまうことこそが、
結構アブナイかもしれませんが。

さて、今日の聖書。
今日は箴言の16章。

いろんな言葉が心にとまったのですが、
一番、心に響いたのは、

「人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。  
しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。
あなたのしようとすることを主にゆだねよ。
そうすれば、あなたの計画はゆるがない。 」

2-3節の言葉です。

今の自分の祈りの課題に対する答えのように思いました。
「主にゆだねる、信頼する」歩みをさせて頂きたいと思いました。
自分の計画、自分の考え、それをまた自分で一生懸命やっていこうというのではなくて、
主の御手にゆだねて、主の御手を信頼して、
歩んでいきたいと思いました。

自分が純粋だと思うことも、
主の前に持ち出して、
主に判断していただいて、
きよめていただいて、
へりくだって歩んでいきたいと思います。

主よ、
私の計画もあなたにゆだねます。
あなたが導いてください。
あなたの御心をなしてください。
あなたの御心が私の願いと違う道であったとしても、
それを受け入れることのできる心を与えてください。

あなたを信頼します。

2007-09-05

Back to School の日の夕方の文房具屋・・・。

今日はぐっと涼しくなって、
20度台前半。
今夜も気持ちのよい夜です。
10時半ですが、20度を切っています。

明日は今日よりはちょっと暑くなって、
湿度も上がって、27度くらい。
夜もそれほどさわやかではないと思います。
そして、週末にかけて、熱帯低気圧が上がって来るみたいです。
ガブリエル(女性の名前、エにアクセントがある)という名前になる予定です。

日本の台風、東京直撃コースですね。
雨も風もかなり強そうです。
昨日の「それほど強くない」は全面撤回です。
お気をつけて・・・。


今日から子供たちも学校。
11年生、8年生、1年生の3人は、
高校、中学校、小学校、と別々の学校に行ってくれます。
出る時間も、7時20分、8時、8時45分とバラバラ。
朝が長いです。

昨日書いたように、
小学校1年生になっても特別なことはありません。
ふつうに授業が始まって、
ふつうに宿題が出て、
なんか「宿題がある」ってのが、
ちょっと鼻高々のようで、
喜んでやっておりました。

そして、8年生の娘の先生から「必要なものリスト」が出て、
7時頃に買いに行ったのですが、
いつも行く、文房具屋に車を乗り入れてびっくり。
奥の方にある駐車場に入るために、行列ができていました。
手前の方にある駐車場に止めて、
奥の方にある入り口まで歩いていきましたが、
店に入って2度びっくり。
レジに並ぶ行列の長いこと長いこと。
After Thanksgiving Day Saleのときのおもちゃ屋さんのようでした。

50人以上並んでいたと思います。

先週、すでにほとんど買い物をしていたので、
それほどたくさんはなかったのですが、
1時間以上かかってしまいました。

いや、アメリカの親、11年間ずっとやっているんですがねえ。
ここまですごいのは初めて・・・。

まあ、学校の初日で、学校の先生に、
「必要なものリスト」をもらって、
買い物に行く親子が多いんでしょうねえ。
1ヶ月くらい前から
「Back to School Sale!」ってやっているんですけどね・・・。

さてさて、
今日の聖書。

今日は箴言の15章。
本当に半分まで来ました。

「訓戒を無視する者は  
自分のいのちをないがしろにする。  
叱責を聞き入れる者は思慮を得る。」
32節です。

今回の箴言の通読では、
j兄のコメントのように、私の心理状態が出てしまっているのかもしれませんが、
「叱責」「訓練」「戒め」のような言葉が心によくとまります。

本当に聞く耳を持ちたいと思います。

主の叱責も、
人の叱責も、
聞く耳を持っていたいと思います。

その一方で、人の声を聞いて、
八方美人でいることがいいことだとは思えない自分がいます。

本当のところ、正直言って、
もしもできるならば、人の言うとおりに動く方が、
楽なんだと思います。
責任がないから・・・。

それを神様が求めておられるとは思いません。
叱責、助言、忠告、それを受け止めつつ、
自分の神様に従っていく道を求めていきたいと思いました。

聞く耳は決して失わないでいたいと思います。
でも、神様が導いておられることに対しては、
大胆に歩んでいく者でありたいと思います。
責任のある歩みをしていきたいと思います。

主よ、
どうか歩く道を導いてください。
あなたと共に歩んでいる、
あなたの導きに従って歩んでいる、
平安を与えてください。
叱責が必要ならば、あなたが与えてください。

その中で、その平安の中で、
人の言葉を聞く耳を持ち続けることができますように。

どうか、教えてください。
経験させてください。

2007-09-04

ハリケーンその後

日本にも台風が近づいているようですね。
それほど強い台風ではないと思いますが、
東京直撃でしょうか?

おととい書いたフェリックスは
今日、ニカラグアに上陸しました。
今ホンジュラスを通過中ですが、
もうハリケーンからTropical Stormに変わりました。
台風も、ハリケーンも、上陸すると、海水からの水蒸気の補給が絶たれるので、
急速に衰弱します。
でも、大雨は心配です。
貧しい国々で、山間部に大雨が降ると、
やはり崖崩れの被害が広がることが多いです。

それから太平洋側のにもハリケーンが来ています。

それから、大西洋側に、明日、あさってあたりに熱帯低気圧が発生するようです。
そして、週末にかけて、東海岸を襲いそうです。
お天気的には、注目です。

今日は結構温度が上がりました。
でも、夜になって、また涼しくなってきました。
今9時半で21度です。
明日の朝は13度くらいまで冷え込むようです。

子供たちは明日から学校です。

下の娘はピカピカの一年生ですが、
別に日本のように入学式があるわけでもなく、
また去年のKindergartenと同じ校舎なので、
全く特別なことはありません。
明日から9時に行ったら3時まで帰ってこない日が続きます。
Kindergartenと違って、宿題もあります。

楽しみです。(誰が?)

こちらは朝6時半の祈祷会からフル回転でした。
でも、これがやっぱりいいですね。
いろんな方にお会いして、語り合ったり、祈ったり、
元気が出てくる一日でした。

今日の聖書は、箴言の14章。

「牛がいなければ飼葉おけはきれいだ。  
しかし牛の力によって収穫は多くなる。」
4節の言葉です。

いろんなことを考えさせられる言葉でした。
でも、最終的には、
「面倒を恐れて、逃げていると、何もできないんだよ」
と主から言われているように思いました。

飼い葉桶をきれいにしておきたい一心で、
牛を飼うのをやめてしまうような、
愚かなことにならないようにと思います。

Messyなことを恐れないで、
面倒がらないで、大胆に進んでいくべきことを思わされました。

子供たちの学校が始まるせいか、
秋に向けて、いろんなことが楽しみになってきました。
主に従って、伝道牧会を「楽しむ」ことをさせていただきたいと思いました。

主よ、
私が恐れに支配されるのではなく、
事なかれ主義に陥ることもなく、
あなたが求めておられる「収穫」のために、
Messyなことも恐れないで歩む者となれますように。

大胆に歩ませてください。

2007-09-03

愛することの意味

今日も気持ちよかったのですが、
午後は少し暑くなったでしょうか。
ちょうど30度くらいまで上がりました。

Labor Dayで、全国的にはお休みでしたが、
私にとっては通常通りの月曜日の休日。
そして、息子は朝早くからサッカーの練習。
夕方に、2ヶ月ぶりに、皮から餃子を作って、
娘たちに協力してもらって、
ちょっと休日っぽい時間を過ごしました。

今日は早速聖書。
箴言の13章を読みました。

「むちを控える者はその子を憎む者である。  
子を愛する者はつとめてこれを懲らしめる。」
24節の言葉です。

愛するってどういうことなんだろうと思います。

甘やかすことでもなく、
何とかうまくやっていくことでもなく、
何でも我慢して受け入れることでもなく・・・。

でも、いろいろ言うことが本当に愛なんでしょうか。
ぎゃあぎゃあうるさいのも愛かどうか。
相手の問題を「相手のためだ」と指摘してばかりでもどうかと。

でも、箴言を読んでいると、
黙っていることが必ずしも正しいことではないことが出てきますよね。
それも繰り返し繰り返し。
愛の反対は恐れなんで、
恐れに支配されて黙っているのを、戒めているんでしょうか。

難しいなあと思います。

試行錯誤なんだろうと思います。
愛することは学んでいくことなんだろうと思います。
これからも失敗ばかりするんだと思います。
でも、失敗しながらでも、一歩一歩学んでいきたいと思います。

愛することをもっともっと教えてください。

主よ、
愛することは何でしょうか?
愛することを教えてください。
学ばせてください。
恐れることから解放してください。

愛する力も、エネルギーも与えてください。

フラビアちゃんのビデオ

昨日教会でも流していたのですが、
日本国際飢餓対策機構を通しての、
私たちの教会の里子で、ウガンダに住んでいる
フラビアちゃんのところを、
息子が教会からの歌とアルバムのプレゼントを持って、
訪問したときの様子です。

うまくいくかな。

うまくいかないようですので、
リンクを張っておきます。

フラビアちゃんのところを訪問するハジ

電気もないところですし、
カメラについていたビデオ機能で撮ったヤツですが、
とっても見づらいのですが、どんな感じだったかはわかるかと。

2007-09-02

神様を父と呼ぶこと

遅くなりました。
今日は涼しい一日でした。

そして夜はまた涼しくなりました。

今は夜の12時ですが、
17度まで下がっています。

今カリブ海にはハリケーン・フェリックスがあって、西に進んでいます。

昨日ハリケーンになったばかりなのですが、
たった1日で5段階の最強、カテゴリー5のハリケーンに発達しました。

その強さもすごいのですが、
結構注目なのが、このハリケーン、北緯13度というかなり南を通っていること。

だいたい、ハリケーンとか、台風とか、北緯10度以下にはできません。
15-20度くらいのところが多いです。
赤道直下にはできません。


ですから、シンガポールとか、台風は縁がないと思います。

ある時、「低気圧」の雲の巻き方が、南半球と北半球とが反対なんだから、
もしも、台風が赤道を横切ることがあったら、どうなるんだろうか、と考えたことがあります。
でも、それはあり得ないんですね。
説明は面倒くさいのでしませんが、
この下の図は、1985年から2005年までの台風、ハリケーン、サイクロンの進路を、
まとめたものですが、もちろん、赤道を横切った台風、ハリケーン、サイクロンはないのですが、
きれいにボルネオ島あたり以南は全く通っていませんよね。
ボルネオ島の北の端が北緯7度くらいですから、そこら辺が限界なのでしょう。

今、フェリックスが通っているベネズエラ北岸あたりも、本当に南の限界だとわかります。


日本はいかに世界の中でも台風常襲国かとわかりますね。

それから、南米の沿岸は東側も、西側もほとんど発生していないのはどうしてなんでしょう。
これはまた調べたいと思います。

フェリックスによって、大きな被害がないことを祈りつつ。

今日は礼拝の中で、
祈りの話、そして、その最初に神を「父」と呼ぶことについて、語りました。

私たちが神を父と呼ぶためにはどれほどの犠牲が払われたか、
そのことを思わされました。

「アバ」という言葉が「父よ」という言葉の、とても親しみを込めた、
信頼を込めた言葉なんだ、ということでしたが、
日本語だと「パパ」なんだろうと思います。

17年前に、最初の子供が与えられたときに、
経験したことはいつか書きました。

愛に満ちた厳しい言葉と、多くの方々の支えと祈りによって、
息子は無事に生まれたのですが、
今日、説教で、「アバ」という言葉が、赤ちゃんでもいいやすい言葉であり、
元々幼児語だったようだ、ということもお話ししながら、
最初に「パパ」と言わせようと、一生懸命になったことを思い出しました。

そして、そのもくろみは、無事成功。

1歳の頃には、「世界で一番かっこいい人は?」と聞くと、
「パパ」と答えるようになっていました。

あ、やばいやばい、「親ばかサイト」になってしまう。

で、何が言いたいかというと、

神様は、私たちが「お父さん」と「父よ」と呼びかけるときに、
どんなに喜んでくださるか、ということです。

神様は一人子イエスの十字架という、大きな大きな犠牲を払ってまで、
私たちに神の子供としての特権を与えてくださったのです。

そこまでしてくださるのですから、
私たちが、「お父さま」「父よ」と祈るとき、どんなに喜んでくださるかと思います。
神様がどれほどエキサイトしてくださるか、ということです。
そのエキサイトしてくださる神様に感謝して・・・。

「罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」ルカ15:7

さて、今日の聖書。
今日は箴言の12章でした。

「しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」
18節の言葉です。

人を癒す言葉、
そのような言葉を持つ者になりたいと思いました。
ほんと、そのように思います。

今日は本当にそのように思いました。

そのような言葉を与えてくださいと、
祈らされます。

主よ、
どうか、あなたの言葉を与えてください。
人を癒す、あなたの言葉を与えてください。
聖霊様が臨んでください。
聖霊様によって私を癒し、
また、私の唇に癒しの言葉を与えてください。