とうとうRed Soxに優勝を持って行かれましたが、
まあ、4-5月の悲惨さを考えれば、よくここまでがんばりました。


訳者の方がNJに住んでおられる知り合いだったので、
送ってくださったのでした。
原書はThe Five Love Languagesという本で、
去年だったかな、英語で取り寄せて読んでみたのですが、
なるほど、と言うことがたくさん出てきて、
日本語で出ないかなあ、そしたら、教会で勉強会をしたり、
いろんなことができるのになぁ、と思っていた矢先、
千恵さんが訳しておられることを知って、
楽しみにしていたのでした。
その5つのLove Languageとは、
その人が愛を感じるポイントで、
「肯定的な言葉」
「クオリティ・タイム」
「贈り物」
「サービス行為」
「身体的なタッチ」
です。
それが一人一人違う。でも、みんなふつう、自分が思うことは他の人もそう思うと勝手に思いこんでいる。だから、たとえば、夫婦でそのLove Languageがすれ違ってしまうから、生まれる誤解がたくさんあるそうです。
なるほどと思います。
たとえば、私のLove Languageはどうやら「クオリティ・タイム」と「身体的タッチ」のようですが、
カミさんは「肯定的な言葉」かな。または「サービス行為」。たぶん。違っていたらゴメン。ていうか、ちょっとヤバイかも・・・。でも一応正解という前提で話を進めますね。
よく、結婚したばかりで、西武球場のお膝元、所沢に住んでいた時は、
(ちなみに近鉄ファンの私は野茂クンの投げる日をねらって、見に行きました)
カミさんは「ゴキブリが出るのが嫌だから」と、食べた食器はすぐ洗う、のが主義だったのですが、クオリティ・タイマーの私は「そんなのいいから、一緒にテレビを見よう」というノリだったのです。あのとき、一緒に洗うよ、と言っていれば、または、「休んでなよ、ボクが洗うから」と言っていれば、せめて、「ありがとう」と言っていれば、ちょっとは私の株は上がっていたでしょうが・・・。
と思って、さっきは洗い物もしましたが・・・ダメかな。
ま、とにかく、互いの違いを知って、認めて、そして、互いに相手のLove Languageを学ぶことが大切なんだそうです。
また日本語でじっくり学ばせて頂きましょう。
千恵さん、ありがとう!
さて、今日の聖書。
今日はヨハネによる福音書第6章。
「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」
27節の言葉です。
なくなる食物も大切です。
大切で、う~ん、切実です。
心がそちらに奪われる時も、今までの歩みの中で何回もありました。
なくて、心配で、どうしたらいいんだろうか、神様は与えてくださるとおっしゃっているのになぁ、という切実さです。
でも、それだけじゃなくて、
いや、それ以上に大切な食物があるって、
そちらの方に目を向けなさい、そちらを大切にしなさい、
そちらを一生懸命求めなさい、と主は言われたのでした。
まあ、確かに、食べるものがあれば、それでいいという、そんな存在ではないことはわかっているのですが、やはり、うっかりすると、大切なモノを見失ってしまうことがあります。
永遠のいのちに至る食物、神様の救い、それを本当に大切にしていきたいです。
そして、それを本当に多くの人々に伝えていく者でありたいと思います。大胆に宣言していく者でありたいと思います。
主よ、
あなたが与えてくださる最高のもの、
永遠のいのちに至る食物のすばらしさを、もっともっと深く経験させてください。他のものに心を奪われてしまうことがないように、私の心にいつもいつも経験させてください。
そして、そのすばらしさを大胆に伝える者とならせてください。
・・・素直に、勝手にして帰ってきました。
しっかり眉毛黒いじゃん。
まあ、しっかりサッカーで活躍してもらわないと・・・。
今日、初めてこの頭で教会に行って、
「みんな、結構似合っているって言ってたよ」とご機嫌。
オイオイ・・・。
さてさて、今日の聖書。
今日は箴言の19章でした。
「人の心には多くの計画がある。 しかし主のはかりごとだけが成る。」
21節の言葉です。
最近祈ってきたことに対する、主の答えだと思いました。
人の思いはいろいろある、でも、私は主のなさることを見ていこうと。
肩の力がぐーっと抜けていくのを感じました。
いろんなことを考えたり心配することはない。
主のなさろうとすることが実現するのだから。
誰かの考えが通るとか、通らないとか、
そういうことしか見えないのが私たちだけれども、
本当は主の御心がなされているのだ。
これからも、いろんな考えのある中で、
神様の御心がなっていく、
ものすごい安心感がありました。
本当に主の最善を信じて、
委ねていきたいと思いました。
主よ、
いろんな考えがあります。
どうしてそう考えるんだろうと、互いに不思議になるときがあります。
でも、最終的にはあなたの御心がなるんですよね。
すべてはあなたの御手の中にあるんですよね。
だから、安心してあなたに従っていきます。
あなたに委ねます。
あなたの与えてくださるこの不思議な平安の故に、
心から感謝します。
ちょっと読むと、インターネットのドメインの登録が切れるから、このドメインというのは、JCCNJで言えば、
jccofnj.orgのこと。
この名前をうちの教会にください、と申し込んでお金を払っているわけです。
ちなみに元々、jccnj.orgがほしかったのですが、
こちらは先にJewish Community Center of Central NJだかに取られてしまって、
・・・jcccnjにすればいいのにねえ・・・
泣く泣くjccofnj.orgにしたわけです。
でも、本題に戻って、この手紙ですが、
よく読めば、search engineに登録するのに64ドルとか言っているわけですよね。
そんなのGoogleとかYahooとか、みんなタダで、勝手に出てくるわけで、
お金払うもんじゃないわけですよ。
よく読めば、jccofnj.orgを使うためにお金を請求されているのではないのですが、
最初の黄色いところに、
http://www.jccofnj.org/ will expire on Sept 10, 2007 Act Today
なんて書いてあるから、どきどきしちゃうわけですよね。
念のため、教会のそっちの方の担当の方に問い合わせようと思い、
「でも、待てよ、Googleで検索してみよう」と気がついて、
検索したら、一発で出てきました。
やっぱりscam。
それも、教会を集中的にねらっているみたいですね。
「だまされやすい」「お人好し」「世間知らず」と思われているんでしょうか。
裏にも私なんか絶対読めないような小さな字で、いろいろたくさん書いてあるんです。
もちろん、面倒+見えない・・・だから、読みたくない。
てゆーか、読めない。
で、年間64ドルだったら、面倒だから、払っちゃえ。
「あなたのHPを探すのが大変になっちゃいますよ」なんて言われたら、
やっぱり、ちゃんとやっとかなきゃ・・・
担当者に確認するほどでもないし、
事後報告でいいでしょう。
ということになってしまうんでしょうか。
それも、丁寧に「2年分119ドル」の欄に勝手にチェックまでしてある・・・
さて、今日の聖書。
今日は箴言の17章でした。
「そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。」
9節の言葉です。
先日の信徒勉強会で学んだ、
「破れ口に立つモーセ」を思い出しました。
背く民のために、
神様の前に立って、とりなしをしたモーセ。
自分の永遠の命さえかけて、
人々を赦してください、と祈りました。
自分はそのようにしてきただろうかと、
問われたような気がしました。
破れ口に立ってとりなすものを、
主は求めておられると聖書は語っています。
そのような愛を持ったものになりたいと思いました。
そのような生き方へと招かれているように思いました。
無責任な、「なんでもいいよ」という赦しではなく、
責任を持ちつつ、とりなしをしていく、
そのような者でありたいと思いました。
主よ、
イエスさまが私の罪を覆ってくださったことに感謝します。
どうか、私にも破れ口に立つ愛を与えてください。
なすべきことを教えてください。
愛することを教えてください。
今は夜の12時ですが、
17度まで下がっています。
今カリブ海にはハリケーン・フェリックスがあって、西に進んでいます。
昨日ハリケーンになったばかりなのですが、
たった1日で5段階の最強、カテゴリー5のハリケーンに発達しました。
その強さもすごいのですが、
結構注目なのが、このハリケーン、北緯13度というかなり南を通っていること。
だいたい、ハリケーンとか、台風とか、北緯10度以下にはできません。
15-20度くらいのところが多いです。
赤道直下にはできません。
ですから、シンガポールとか、台風は縁がないと思います。

日本はいかに世界の中でも台風常襲国かとわかりますね。
それから、南米の沿岸は東側も、西側もほとんど発生していないのはどうしてなんでしょう。
これはまた調べたいと思います。
フェリックスによって、大きな被害がないことを祈りつつ。
今日は礼拝の中で、
祈りの話、そして、その最初に神を「父」と呼ぶことについて、語りました。
私たちが神を父と呼ぶためにはどれほどの犠牲が払われたか、
そのことを思わされました。
「アバ」という言葉が「父よ」という言葉の、とても親しみを込めた、
信頼を込めた言葉なんだ、ということでしたが、
日本語だと「パパ」なんだろうと思います。
17年前に、最初の子供が与えられたときに、
経験したことはいつか書きました。
愛に満ちた厳しい言葉と、多くの方々の支えと祈りによって、
息子は無事に生まれたのですが、
今日、説教で、「アバ」という言葉が、赤ちゃんでもいいやすい言葉であり、
元々幼児語だったようだ、ということもお話ししながら、
最初に「パパ」と言わせようと、一生懸命になったことを思い出しました。
そして、そのもくろみは、無事成功。
1歳の頃には、「世界で一番かっこいい人は?」と聞くと、
「パパ」と答えるようになっていました。
あ、やばいやばい、「親ばかサイト」になってしまう。
で、何が言いたいかというと、
神様は、私たちが「お父さん」と「父よ」と呼びかけるときに、
どんなに喜んでくださるか、ということです。
神様は一人子イエスの十字架という、大きな大きな犠牲を払ってまで、
私たちに神の子供としての特権を与えてくださったのです。
そこまでしてくださるのですから、
私たちが、「お父さま」「父よ」と祈るとき、どんなに喜んでくださるかと思います。
神様がどれほどエキサイトしてくださるか、ということです。
そのエキサイトしてくださる神様に感謝して・・・。
「罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」ルカ15:7
さて、今日の聖書。
今日は箴言の12章でした。
「しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」
18節の言葉です。
人を癒す言葉、
そのような言葉を持つ者になりたいと思いました。
ほんと、そのように思います。
今日は本当にそのように思いました。
そのような言葉を与えてくださいと、
祈らされます。
主よ、
どうか、あなたの言葉を与えてください。
人を癒す、あなたの言葉を与えてください。
聖霊様が臨んでください。
聖霊様によって私を癒し、
また、私の唇に癒しの言葉を与えてください。