今日は19日。
朝は9度でしたが、
昼間はずいぶん暖かくなりました。
24.8度。
そして、今、夜の12時前ですが、15度あります。
明日の朝は10度は切らないでしょう。
そして、明日の昼間は確実に25度を超えます。
たぶん、28度くらい。
ちょっと汗ばむかも・・・。
最近、夫も妻も、心も体も純潔を守るということで、
いろんなことを考えます。
そして、昨日、おとといあたり気がついたことがあるんですが、
私は、妻は夫の前で、一番きれいで色っぽくて、あでやかで、かつ清楚であってほしいと思うんです。(欲張りすぎ?)
うちのカミさんはもちろんのこと、皆さんが、ご自分の夫の前で一番そうあってほしいと思うんです。
自分の夫に対してはそうでもないのに、他の人に対して、そのような姿を見せるのはやっぱり嫌だなと思うわけです。
でも、反対に自分のことを考えたら、どうかなあと思ったわけです。
自分のカミさんに対して、一番その期待に応えているか、というと、そうではないかも・・・と思わされるのです。逆に甘えて、勝手なことを言って、(まあ、自分のカミさん以上に他の人に甘えたり、勝手なことを言ったらまた問題ですが・・・)わがままをやっているのではないかと思ったのです。
人の話は聞くのに、妻の話は聞かない・・・。
それはまずいな・・・と。
そして、やっぱり自分は自己中心的なのかな・・・と。
妻に「夫に対して最高の姿を見せてほしい」と願うならば、自分も妻に対してそのようにすべきだなあと思いました。そして反省。それが実生活に生きているかというと・・・うーん、これからですね。発展途上人。乞うご期待。(いいのかなあ、そんなことを宣言して・・・)
さて、昨日の聖書。
昨日は箴言の28章。
「人を責める者は、
へつらいを言う者より後に、恵みを得る。」
23節。
この訳はわかりにくいので、対訳になっているNIVを見る。
"He who rebukes a man will in the end gain more favor
than he who has a flattering tongue."
その場では「責める人」は喜ばれないで、
「へつらう人」が歓迎されるけれども、
最終的には、「へつらう人」よりも「責める人」の方が、
喜ばれるのだということでしょう。
でも、本当に祈って祈って、「責める」ことは
「へつらう」ことの何倍ものエネルギーがいることかと思います。
自分の目の中に梁がないかと何度も思わされて、
言わない方がいいのかと何度も考えさせられて、
でも、どうしても主がそのように導かれていると思わされて、
そして、初めて言葉になります。
そして、多くの場合、それはすぐには受け入れられない。
煙たがれ、反発を買い、批判をされる。
でもいいのかな、と思います。
強い者でありたいと思います。
めげない者でありたいと思います。
慎重な者でありたいと思います。
逃げない者でありたいと思います。
主よ、
あなたの守りを与えてください。
勇気と愛を与えてください。
へつらう者になることがありませんように。
かきごおり先生、
ReplyDelete>そして、多くの場合、それはすぐには受け入れられない。煙たがれ、反発を買い、批判をされる。
↑イザヤ書53章へと導かれました。
J兄
かきごおり先生
ReplyDeleteいよいよ、当地は、明日が暑さの峠らしいです
お彼岸ですから、涼しくならなきゃおかしいですね
夫婦も十何年も寝食を共にしていると
良くも悪くも空気のようで
居て当たり前状態ですね
我が家には、コウノトリがやってこなかったので
それこそ、繕うこともなく、常に体当たり状態で
収拾不可能かも(>_<")
>私は、妻は夫の前で、一番きれいで色っぽくて、あでやかで、かつ清楚であってほしいと思うんです
先生、ロマンチストですね~~~(*^_^*)
箴言
私は、21節です
人間って弱い
本当に弱い
悪いものを振り払う勇気と強さを与えてくださいと祈ります
j兄、
ReplyDeleteホント、イエスさまは私たちの模範であり、私たちのためにそこまでしてくださった、んですよね。
それから、書き忘れたのですが、18日に思っていたことは、「じゃあ、私は『へつらいの言葉』と、『責める言葉』と両方が自分の前に出されたら、どちらを選ぶだろうか、本当に責める言葉を感謝して受け取ることができるだろうか」ということでした。受け取れる人間になりたいです。
旧ジャージーさんへ、
「暑さ寒さも彼岸まで」ですよね。胃やあ、今年の日本は本当にいつまでも暑かったようで、お見舞い申し上げます。
>先生、ロマンチストですね~
そんなんじゃないことは確かです。証人もいますし・・・。
でも、本当に自分は弱いと思うので、いつも妻にしっかりと捕まえてもらっていないと、という感じで、そう思うのです。って、甘えなんでしょうか、結局?
>箴言、私は、21節です
一切れのパンで裏切る、ということ、自分が裏切られるかもしれないという風に読むか、自分もそんな弱さを持っている、と読むか、全然違ってきますよね。いつもいつも自分の弱さを忘れないでいたいと思います。