2006-11-08

神の奴隷

今日は一日よく雨が降りました。
場所によっては川があふれたようですが、
家の周辺は、大丈夫です。

明日は穏やかな暖かい日になりそうです。

20度以上に上がりそうだという予報も出ています。

土曜日までは暖かいようですが、
その後はまた坂道を転げ落ちるみたいです。

今日は集会はありませんでしたが
何人かの方々とお会いしたり、またお電話でおはなししたり・・・。
一人ひとりのかかえておられる問題、それぞれ大きな闘いです。
主が答えを与えて下さいますように。

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙6章でした。
朝早く、5時頃には目が覚めたので、ゆっくり読み、祈りました。
こういう時が自分には必要なんだと思います。

心に留ったのは、
「 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。」
という22節の言葉です。

「神の奴隷」という言葉が目をひきました。
私は「神の奴隷」。
「神の僕」という言葉よりも強烈に響きます。

自分の人生全体を主におささげしようと思います。
自分の夢も、自分のビジョンも、自分の時間も・・・主の御手に。

主が用いたいという方法で、
用いたいという場所で用いて頂きたいと思いました。

それが一番の喜びです。
自分の願いとは違うかもしれない。
でも、それでいい。
いや、それがいい。
主が導かれるところであるならば、
主が用いて下さるところであるならば。
主がご計画しておられるところであるならば。

本当に本気でそう思う。

主よ、
私はあなたの奴隷です。
罪の支配から解放されて、あなたのものとされたのは、
大きな喜びです。
あなたのものですから、
あなたの願うところで、あなたが願うようにお用い下さい。
あなたのために用いて下さい。

2006-11-07

困難から生まれるもの

今朝は予想通り暖かい朝でした。
今夜も暖かいのですが、
雨です。
明日はちょっとまとまった雨になりそうです。
洪水注意報発令中。

今日は選挙の日です。
こんな日は開票速報見る、とかいう宿題があるんじゃないかなあ、
と思うんですが、子ども達は、
高校生も、中学生も、
はやばやと、寝る体勢に入っています。

早寝早起きはいいのですが、
大丈夫なんかなあ、この子達、と心配。

New Jerseyの上院選挙の共和党候補は、
NJで行っていた元学長の息子。
この元学長、元州知事。とても人気があったようです。
っていうことで、親の七光りかどうかは、
余りこちらの新聞も読んでいないので分かりませんが、
期待の星だったようですね。
元学長の息子ということで、密かに注目していました。
共和党は応援していませんでしたが、
この息子氏はちょっと応援していました。

負けちゃいましたがね。

でも、考えさせられました。
そんなもんなのかもしれませんね、
人の心は・・・。
考え方が同じかどうか、以上に、
ちょっと自分と関係があるだけで、
それも自分が行ってた学校の学長さんの息子だというだけで、
応援したくなってしまう・・・。

反対に、考え方自体には共感できるけれども、
ちょっとした言葉や、行動で、イヤになってしまう。

そうなんだろうな、と思います。

決して姑息にではなく、
真実を尽くして、接していくことの大切さを思わされます。

今日の聖書。
今日はローマ人への手紙5章を読みました。

「患難をも喜んでいる」という3-4節が心に留りました。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」

困難がある時に、
わたしたちは逃げたくなります。
それを無理矢理にでも打ち壊そうと思います。
でも、それはわたしたちに忍耐を与え、
練られた品性を与えてくれるというのです。

この「練られた品性」はとても魅力的です。
あこがれます。

この「練られた品性」を与えて欲しいと思います。
でも、それは「患難」を通して与えられるかと思うと、
ちょっと恐いような気もします。

でも、この練られた品性が欲しいと思います。
困難をも喜ぶものとなりたいです。

主よ、
困難の中で、
忍耐を学べますように。
そして、私が練られた品性を自分のものとすることができますように。
主よ、あなたが練ってください。
困難から逃げない勇気をお与えて下さい。

2006-11-06

望み得ないのに

そして、こちらが今日、6日の分。

今朝は-0.8度。
この秋3度目のマイナスです。
この秋最低タイ記録。

でも、この先、しばらく、この記録は破れないでしょう。
どちらかというと例年よりも暖かな11月になるみたいです。
少なくともこの先2週間くらいは、冷え込みは弱そうです。

明日の朝も4度くらい。
朝7時に教会に行って祈り会があるので、
車の窓を「ガリガリ」やらなくていいのは助かります。

10月22日に書いた、
日本語でメールの送受信ができる携帯、
Nokia の6682ですが、
ですが、その後、普段使っているメールアドレスに、
Gmailからメールが来ると、これでは読めない、ことを発見。
「文字化け」するんですねえ。
うちに帰って、コンピューターで開くとちゃんと読めるんですが、
外出先、これ一本でOKとまではなかなか行きません。

でも、
今度はGmailを携帯から
直接読んだり、
書いたりする
ソフトがでました。
だから、もう、
Gmailをメインのアドレスにした方がいいのかも。
ホント便利だから。
これが、携帯の画面。




さて、今日の聖書です。
今日はローマ人への手紙4章。

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。」
18節の言葉です。

今、教会では自分たちの会堂を持つことを、語り合ったり、
祈り合ったりしています。

その中で、「現実性」ということが時々話になります。

この聖書の言葉はどうなるんだろうかと、思います。

わたしたちは、いや、私は本気で聖書を信じているんだろうかと・・・。

そして、思いました。
本気で信じようと。
聖書の言葉を本気で信じて、
そこに自分の存在を、
自分のたった一回の人生をかけていこうと思いました。

そのかけに一緒に乗ってくれる人たちと一緒に歩んでいきたいと思いました。

だから、ここにも書き、
またこれからもアピールしていこうと思います。

1人で考えていなくていい。
聖書の言葉をマジで信じて、
キリストバカになって歩んでいく仲間達が与えられるように、
そのために人生使い切っちゃう同志が与えられるように、
祈っていこう。

主よ、
「信仰」って何かと考える時を与えて下さってありがとうございます。
「信仰告白に同意すること」
「人を愛して生きていくこと」
「人に仕えて生きていくこと」
でも、それだけではなくて、
「望み得ないのに望みつつ信じる」
「神の全能と神の最善を信じる」
「人生を神様にかける」
そういうことですよね。
ハンパだった私を赦してください。
マジで信じて歩んでいきます。
あなたの御業を見せてください。
「みんなの協力による成功」ではなく、
「神の奇跡」を見せてください。

誇るものはなくていい

回復しました。
昨日、5日の分です。

昨日の日曜日、朝も午後もミーティングが続いたので、
ちょっときつかったですが、
礼拝は幸いな時となりました。
多くの方々が集まられました。

礼拝後皆さんとゆっくりお話ができなかったのが残念でしたが・・・。

このところ、いつも使っているマウスが調子が悪いので、
思い切って、「タッチパッド」(フラットパッド?)に慣れてやろうと思うのですが、
なかなか慣れません。
マウスを持ち歩くのも、何だか「せっかくノートブックなのに・・・」というのもあり、
少しでも「節約生活」をしようということもあり、
挑戦中。

触ったつもりがないのに触ったことになってしまったり、
触っているのに、読みとってくれなかったり、
感度を調節するのですが、まだまだダメですねえ。

14年前、アメリカに来た時は、MacのPowerbookを買いました。
来たばっかりの時は、ちょっと貯めたお金があったので、思い切って買いました。
あのころで1500ドルとか?もっとかな?
「トラックボール」というのが真ん中についていて、とても使いやすかったです。
そして2代目、3代目と、Toshibaで、「スティックポイント」?だったか
何だったか、あんまり最近見ない、短い棒みたいなのがキーボードの真ん中にあって、
それも使いやすかったです。
最近見ない、と言うことは、たぶん、「使いにくい!」って人が多かったのでしょう。
今回買う時も、その棒がついているヤツがいいなあ、と思ったのですが、
余りないんですね。結局、その他のところを見て、「お買い得かな」というのを選んだら、
「タッチパッド」のヤツだったんですね。まあ、そのうち慣れるだろう、と思って・・・。
でも、それから間もなく2年。ずっとマウスを繋いできていたんです。

ま、何事も挑戦。
勝手に触ったと判断されるのがイヤで、
「タップ」といって、パッドを叩いたら、「クリック」したと同じことになる機能は、
OFFにしてしまいました。
それでずいぶんよくなりました。
でも、まだ「ドラッグ」はダメです。

まあ、焦らず、ボチボチ慣れていこうと思います。

ということで、昨日の聖書。
ローマ人への手紙3章を読みました。
わたしたちが罪人であって、自分の力で救われることはできない。そこで、神様が救いの道を開いて下さった、というところです。

27節の言葉が心に留りました。
「それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。」

自分の誇りはどこにあるんだろうなあ?
自分は何を誇りとしているんだろうか?

でも、それは取り除かれたのだというのです。
「自分はこんなにやっている」とか、
「自分にはこれがある」とか、
「こんな実績がある」とか。

そういうものは取り除かれた、というのです。

でも、人は誇りを持たずに生きていくことはできるのでしょうか?

私の結論は、「神の愛を知った時に、『私にはこれがある』という誇りがなくても、
『こんなわたしが愛されている』という安心感に支えられて、生きていくことができる」
でした。

そう思います。

誇る必要がなくなる、

極端に自信がない人で、
自分の過去の業績とか、才能を得意げに話す人に閉口することがありますが、
ちょうどそれと反対に、愛されている故の安定感で、
何も誇りにする必要がなくなるのではないかと思います。

いずれにしても誇るものはないんです。
「取り除かれた」のですから・・・。

主よ、
ただただ、あなたに感謝します。
あなたが私に「誇る必要のない」歩みを与えて下さっていることを。
あなたに出会わなければ、私は自分を誇らないでは生きていけなかったんだと思います。
あなたに会えてよかった。
ありがとうございます。

2006-11-05

今日はお休みです。

うーん、今日はちょっとお休みかな。
「たっぷり眠ると、すっきり目覚める! 」
を期待して、早く休みます。

ではでは。

2006-11-04

悔い改めに導く慈愛

今朝は-0.8度C。
この秋最低を更新。
昼間も寒かったですね。
8度くらいでした。
でも、今日くらいの日が「今日は暖かいねえ」と言う日が来るんですよね。
冬がコワイ待ち遠しいです。

今朝は6時半から朝の祈り会。
共に祈りました。
教会のために、教会が一つになって歩んでいくことができるように。
またわたしたちが信仰をもって踏み出すことができるように。

昨日から、あのペテロが水の上を歩いてイエスのところに行くところの箇所が心に留っています。
マタイによる福音書14章22-33節のところです。
ペテロはイエスに「水の上を歩いてあなたのところに行かせてください」と言いました。

それは、「絶対にしなければならないこと」ではありませんでした。
そして、他の弟子たちは舟の中に残っていました。

ペテロは少し歩けました。
でも、風を見て恐くなりました。
そして沈みかけました。
ペテロは叫びました。「イエスさま、助けてください」と。
イエスさまは手を伸ばして、ペテロを助けました。
そして言われました。「なぜ疑ったのか、信仰の薄い者よ」と。

かっこ悪いです。

そんなことしないで他の弟子たちのように、
舟の中にいるオプションもあったのです。

でも、ペテロは水の上に踏み出しました。
イエスも「おいでなさい」と言われました。

そして、水の上を歩くことも、
風を見て恐れを感じたら、おぼれるんだということも、
またおぼれそうな者をも主はしっかり捕まえて下さるんだということも、
体験できたのはペテロだけでした。

他の弟子たちの経験できなかったことを経験できました。
イエスさまを見つめながら歩くとはどういうことか、
イエスさまを信頼して歩くとはどういうことかを経験できたのは、
ペテロだけでした。

私はペテロのように経験したい、と思いました。

さて、今日の聖書です。
今日はローマ人への手紙の2章です。
「神の慈愛があなたを悔い改めに導く」(4節)

神の怒りではなく、
神の裁きではなく、
神の愛がわたしたちを悔い改めに導くのです。

そうだなあ、と思います。
神様の愛が分かれば分かるほど、
自分の罪深さが分かります。
自分の弱さ、小ささが分かります。
そして、「悔い改めよう」という思いにされます。

神様の愛はなんて大きいのかと思います。

神様、
あなたの大きな愛に感謝します。
あなたの愛のゆえに悔い改めることができることも感謝します。
どうか、あなたの愛を持ち運ぶ器として用いて下さい。

明日の日曜日の一日を祝福して下さい。
1人1人を励まして教会に送り、
明日、ここで神様を信じてスタートする方々が起こされますように。

2006-11-03

神の力

今朝は、それほど冷えなくて、
最低は1.5度C。
でも今夜はマイナス2度くらいと言う予想が出ています。
今、夜の12時で2.4度。

今日の朝の集まりで、
「わたしたちの負うべき十字架は何だろうか」と語り合いました。
マタイの16章にはこんな言葉があります。

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」

悪魔はイエスに「十字架にかかるなんて止めてしまえ」と誘惑し続けました。

そして、今もわたしたちに「十字架を負うなんて止めてしまえ」とささやき続けています。

そのワナにまんまとはまっていることがどれほど多いことでしょうか?

つらい道、苦しい道、損をするように見える道。
それを避けようとする気持ちがどれほど強いか。

自分の十字架って何だろうか?
ちょっと宿題をもらったような気がしています。

今日の聖書はローマ人への手紙1章です。
このローマ人への手紙は、
パウロがまだ見ぬローマの教会の人々に書いた手紙です。

個人的な連絡よりも、自分の信じている教え、
福音のメッセージを記している手紙です。

その最初。
「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。」
16節の言葉です。

この福音の力。

その力を知らされていることの幸いを覚えました。
人が造りかえられていく、
造りかえられてしまう、
その力のすごさを感謝しました。

もっともっとその様な御業を見せて頂きたいと思いました。

神様、
福音の力を感謝します。
私も造りかえられました。
どうか、さらに多くの人々があなたによって変えられていくのを、
これからも見せてください。
その様なあなたの御業を見せてください。
人が救われる喜びをもっともっと味わわせてください。

2006-11-02

神様の方法

冷えてきましたね。
今夜は0度Cくらいまで下がるようです。
夜12時で2度くらいです。

今朝は教会の方のお見舞いに急遽行くことになり、
教会の集会はのんち(カミさんの実名)と皆さんに任せて、
NYに行ってきました。
そのお見舞いした方が守られたことも感謝しましたが、
それと共に、私が留守の間の集まりが、
とてもよかったみたいで、それも大感謝でした。

1ヶ月に1回の集まりで、
祈って準備してこられた方々には、
申し訳ないなあ、と思っていたのですが、
その時にはその時の神様の祝福があるんですね。
いや、神様がその様に導いて下さったのかもしれません。
集会が終わって、一緒にお昼ご飯、という頃に着いたのですが、
たくさんの方々が集まっておられました。

そんな中で、今日は道が激混みだったので、
長い時間、渋滞の中で、祈り考える時が与えられました。
自分の優先順位を考えさせられる時となりました。
いろんなプロジェクトも、特別な集会も大切なんですが、
そんな中でも、いつもいつも人と共に歩むことの大切さを思わされました。

そして今日の聖書。
今日は使徒の働きの最後、28章を読みました。
そして、ローマに着いてからのパウロの姿に心が留りました。

「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、 大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(30-31節)

ローマ行きを熱望していたパウロ。
その彼に神は「囚人」としての立場でそこに送り込まれた。
でも、彼はまたそこで、何の妨げもなく、
大胆に福音を語ることができたという。

何だか、不思議な話。
でも、神様にはそれがおできになる。
22章だったか、ヤコブが「これこれこうすれば、ユダヤ人から反発を買わない」とアドバイスをしていたのに、それに従ってもやはり捕まってしまう。
それは神様が彼をローマに送り込む方法だったのだ。

神様の方法。
自分らの考えを超えているのだろうと思う。

「 わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。??主の御告げ。?? 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55章8-9節)

わたしたちのちっぽけな頭で考えるよりも数段大きな神様の考え、
わたしたちが想像できないようなことを神様は準備しておられるのだと思う。

そこを信頼して歩んでいきたい。

神様、
あなたの御業をなして下さい。
あなたの方法でなして下さい。
わたしたちのちっぽけな考えの中にあなたを閉じこめることがありませんように。
大胆に、大きくあなたに期待できますように。


2006-11-01

この人達をあなたに与える

今日も暖かい一日でした。
今まだ10度以上あります。
でも、これも今日で終わり。
今夜これから雨が降って、
明日からはまた寒くなるようです。

今日の朝のフジテレビ系のニュースの中で、
日本人のオペラ歌手の方が、
メトでデビューされることをやっていました。
何とモーツアルトの「魔笛」の夜の女王だって。
びっくり。
すごーい!

高校の時に、ウィーンの国立歌劇場だったかな、
多分そうだと思うけど、日本にきた時に、
「魔笛」やったと思うんだよね。確か。

その時、夜の女王がとっても特徴のある人で、
最高音のFを出す時に、右側に吐き捨てるように音を出していたのが
おもしろかったのを思い出しました。

Fって普通の歌に出てくる一番高い音の1オクターブ上のFですからねえ。
すごいことです。

これからもがんばって頂きたいです。

今日、1人の子が涙ながらにお祈りをして、
イエスさまを信じました。
感謝しました。
イエスさまが子ども達をどれくらい愛したか、
そのことを思い出しました。
今もどれくらい愛しているか。
そのことを思います。

そして、その子ども達のほとんどは大人になります。
子供のままで神様のところに召されていく子もいます。
どちらも、子供の時に神様の愛を知っているって、どんなにすばらしいことかと思いました。

一人の方の手術のために
教会のみんなで祈りました。
教会が一つの体であることを感じました。

さて、今日の聖書。
今日は使徒の働きの27章でした。

24節の
「恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。
そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです。」
が心に留りました。

嵐の中でも、
危機の中でも、
神様が守って下さる、
あなたには使命がある、
この船のみんな、あなたに与えているよ、
と語って下さった。
その確信がどれほど彼を支えただろうかと思いました。

囚人でありながら、
いつの間にかリーダーになっていたパウロ。

本当に主がリーダーとしてお立てになる時に、
もう肩書きなんかいらないんだなあ、と思いました。

神様の約束、
神様のみことばが欲しい、
そう思います。

今度の日曜日の説教題。
「ただ、お言葉を下さい」です。

神様、ただ、お言葉を下さい。

神様、
あなたのみことばを待ち望みます。
あなたのお言葉を与えて下さい。

どうか、あなたのお言葉を信じる信仰を与えて下さい。
嵐の中でも、暴風雨の中でも、
あなたが共にいて下さるという平安を私に下さい。

主よ、明日の集会を祝福し、
新しい出会いをも与えて下さい。
また心が触れ合うような一時を与えて下さい。


2006-10-31

私のようになって欲しい

今夜はとても穏やかな、とてもとても穏やかなHalloweenです。
大きなお兄ちゃん達が、ちょこっと変装して、枕カバーを持って、
「おかしくれー」みたいな感じで来るのには、結構閉口しますが、
まあ、ほほえましいです。

今朝は3度くらいまで下がりましたが、
今夜はかなり暖かいようです。

行事をこなしたり、
プロジェクトに取り組んだり、

ということと、

人と共に歩むこと、
それも、弱さや痛みを持った人と共に歩むこと、

これが両立するんだろうかと、
昨日から考え、祈らされています。

いろんな動きにわくわくする中で、
静まること、祈ること、忘れないでいよう、と思います。

「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」
(イザヤ書30章15節)

祈りの中で、神様が語ってくださること、
それを聞いていきたいと思います。

頭はキリスト。神様。
手と足が話し合って決めるのではなくて、
手も足も頭からの指令を頂いて、共に働いていくんですよね。

主よ、導いてください。
いつも教会が教会であり続けることができますように。

今日は使徒の働きの26章を読みました。

「ことばが少なかろうと、多かろうと、私が神に願うことは、あなたばかりでなく、きょう私の話を聞いている人がみな、この鎖は別として、私のようになってくださることです。」

29節のパウロの言葉です。
囚人となって「申し開き」を命じられた時にも、
彼は「証し」をしました。
そして、大胆にも、王様や総督に「私のようになって欲しい」と言いました。

私も心の中ではその様に思っています。
本当にそうだと思います。
だから、大胆に証をしていこうと思いました。
毎日毎日、誰かにこの神様の愛を伝えよう、
とにかくそのことを神様に求めていこう、と思いました。

「今日、信仰をもって歩み出す方が起こされますように」と
祈って毎日を始めようと思いました。

神様、
私を今日も、あなたの証し人としてください。
あなたの証をする者とならせてください。
「私のようになって欲しい」と言える者とならせてください。
大胆さを与えて下さい。
「よかったらどうぞ」じゃなくて、
「これは本当にすばらしいんだから、あなたにもそうなって欲しい」と
心の底から思っていることを、ちゃんと伝えることができますように。
人に聞くよりも、あなたに聞くことができますように。

2006-10-30

人間の大きさ

今朝は3度くらい。
でも、昼間は本当に暖かい日になりました。
17度くらい。

明日はもっと暖かくなるみたいです。
今は夜の12時頃ですが、5度くらい。
結構寒いですが、明日は20度を超えるそうです。

今日の夜ちょっと外に出てきましたが、
今夜はハローウィンの前の晩、Cabbage Nightと言って、
悪ガキどもが、いろいろいたずらをする夜です。
まあ、家の近所はかわいいもんですが、
よくあるのはトイレットペーパーを電線や木の枝に引っかける、
というヤツです。
とてもきたない。

西海岸や南部ではハローウィンはあんまり盛んではありませんでした。
特にクリスチャンの間では、「そんなの・・・」って感じでした。
教会によっては、ハローウィンに行かなくてもいいように、
教会で「コスチュームパーティー」をしていました。

というのはその意味。
Halloweenというのは元々カトリックの祝日であるAll Hallows Dayつまり「聖人の日」の前の夜に、
明日になったら「聖人の日」で、自由にいろんなことができない、という悪い霊が、その日が来ないうちに、好き勝手なことができる、という、「うーん」と考えてしまうお祭りなんですね。

ちょうど、Lentの断食の前にバカ騒ぎができるカーニバルと同じように、
大切な日の前に悪ふざけをしておこうということなのでしょう。

だから、NJへ来てびっくりです。

子ども達はかわいいからいいですけどね、
グロテスクなのはゴメンです。

前の家に住んでいた時は、卵を家にぶつけられて、掃除が大変でした。
せめて、もっともっとちゃんと取り締まりをして、健康的なお祭りになったらいいのに、と思います。

ちなみに5歳の娘はプリンセスに変身します。Sleeping Beautyです。
黒髪のSleeping Beautyです。
本人はとっても楽しみにしています。

ん、いや変身ではなく、隠された真の姿を現す、かな?

さて、聖書の言葉。
今日は使徒の働きの25章を読みました。

「ユダヤ人の歓心を買おうとしたフェスト」(9)
「アグリッパ王とベルニケが、フェストに敬意を表するためにカイザリヤに来た」(13)
「アグリッパとベルニケは、大いに威儀を整えて」(23)

これらの言葉を読んでいるととても滑稽に感じます。
フェストはユダヤの人々の歓心を買おうと思いました。
ユダヤの王であったアグリッパはフェストに敬意を表しました。
アグリッパは「大いに威儀を整えて」現われました。

でも、ここで一番自分をしっかり持って語っているのは、
パウロです。
囚人であったパウロです。

どんな状況の中にあっても、
手足に鎖が繋がれていたとしても、
この中で一番強いのはパウロです。
一番偉大なのはパウロです。

彼はいつもいつも、人々ではなくて、
神を見上げていました。

私もそのような者でありたいと思いました。
人々にこびへつらうのではなく、
神様にいつも聞いていく、
その姿勢をいつもいつも持っていたいと思いました。

人が自分のことをどう見ているかではなく、
神様が私に何をして欲しいと願っておられるかを求めていくこと、
そのことの大切さを思います。

主よ、
このパウロの強さを私に与えて下さい。
いつもいつもあなたを見上げていけますように。
人を見るのではなく、
あなたを見ることができますように。
あなたに聞くことができますように。

2006-10-29

神の時

今日は本当に風の強い一日でした。
でも、幸いここら辺は停電もなく守られました。
ロングアイランドの方が一番被害が大きかったようです。

今夜は冷え込みますが、
明日から3日間は暖かい日が続きそうです。

明日は庭掃除をがんばらなければならないでしょう。

今日の礼拝、
初めての方はおられませんでしたし、
いつもより少し少なめでしたが、
旅行で寄られた方々もおられて、
幸いでした。

礼拝後、
また教会の将来について語り合い、祈り合う時が与えられました。

わたしたちのグループは5人という小さなグループだったのですが、
とてもよい語り合いの時でした。
話の方向は、「どんな教会を目指していくか」「教会はこれから何ができるか」
という前向きな話で、とてもわくわくする内容でした。

20年後を見据えて、
子ども達に対してできること、
またシニア世代の方々のためにできること、
自分たちの会堂を持ったら、どんなことができるだろうか、
そんなことを語り合いました。
11月号の月報にも書きましたが、「地の塩」の使命を果たすためにどんなことができるかと。

将来のための投資なんでしょうね。
自分たちの目先のことばかり考えないことが大切なんだと思います。

どちらかというとアメリカの教会の方がその傾向が強いのでしょうか、
大きな教会も小さな教会を必要以上に「助けない」ようです。
わたしたちが会堂をお借りしているルーテル教団(ミズーリ派)も
本来、新しくスタートする教会を立ち上げる時に、3-5年での自立を励ましているそうです。
そうしないと、体質として「援助を期待する」教会になってしまうからです。
だから、それは日本的に言うと「冷たい」と思うかもしれませんが、
本当はものすごい神様を信頼した上での、「愛」なんでしょうね。

それと共に、昨日から考えさせられていること。
教会は「キリストのからだ」で、頭はキリスト。
だから、わたしたちが語り合うことも大切ですが、
1人1人が神様から聞いていく、
手も足も口も耳も、頭であるお方からの導きを待ち望んでいく、
その姿勢の大切さを思わされます。

ちょっとわくわくしすぎでしょうか?
いいですよね。
わくわくしてて。

わくわくついでに
今日の礼拝のメッセージで
「みことばは従うことが大切」
と語りながら、
神様からの大きなチャレンジを感じました。

行わないならば、忘れてしまう・・・まさに私の姿です。

みことばに従うこと、
それは神様からの訓練を受けること。

神様を土台とすること。

わたし自身の土台としているものは何なのか?
健康?安定した収入?才能?家族?

私の家族の土台としているものは何なのか?
やっぱり健康?安定した収入?

わたしたちの教会が土台としているものは何なのか?
???

本当に神様を土台としているだろうか?
本気で土台にしているだろうか?

みことばを行う人になろうと思いました。

そこで、今日の聖書。
今日は使徒の働き24章を読みました。

今日は最後の「2年経った後」という言葉が心に留りました。

昨日の聖書箇所では、「あなたはローマでも私の証をする」と言われたのに、
今日のところでは2年間も牢の中で放っておかれたのです。
「ここから出されて、ローマに送られるのは、主が私をローマに遣わしてくださるのはいつだろうか」
とずっと待っていたことでしょう。
その中で、この2年間は本当に長かったと思います。

でも、神様には神様の時がある。
だから、わたしたちには忍耐も必要。
そう思わされました。
神様の視点で見たらどうなんだろうか、
そのことをいつも思いながら歩みたいと思いました。

もちろん、わたしたちは神様の視点を持つことはできないし、
できたと思った瞬間に、傲慢になっているんでしょうね。

でも、自分の視点だけでものを決めないこと、
神様がどのように見ておられるか、思うこと、
そして何よりも、神様の時を信頼して待つことでしょう。

「神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」(ヘブル10:36)

主よ、
私が2年待たされたらどう思うでしょうか?
私はそんなに待てるでしょうか?
あなたが約束してくださったこと、
どうして実現しないのだろうかと、
あなたが私の使命として与えて下さっていること、
どうして発揮できないのかと、イライラしたり、
焦ったり。
でも、あなたの時があるんですよね。
その時を信頼します。
あなたのお考えを信頼します。

2006-10-28

ローマでも

今日の大嵐は、恐れていたほどではありませんでしたね。
家も全く停電しませんでした。

でも、まだまだ油断はできません。
昼間収まっていた風が夜になってから強くなってきました。
明日が一番風が強いみたいです。

明日は寒くて風の強い日
(体感温度で5度くらい)になりそうですが、
月曜日、火曜日は穏やかで暖かい日になりそうです。

ちょうどハロウィーンのころが暖かいみたいで、
子ども達にはよかったですね。

さて、今夜、Daylight Saving Timeが終わります。
今夜は1時間余分にあるので、助かります。
春はこの1時間早くするのがとてもきついのですが、
1時間おそくするのはとってもいいです。
なんか、自然と「早起き」できちゃうんですから、うれしいです。
日本に行って以来、朝がちょっときついまま1ヶ月経ってしまったので、
これを機会に早起きマンに戻りたく思っています。

でも、夕方がもう5時にはとっぷりと日が暮れるのが、
ちょっと寂しいかな。

ちなみに、今日ずっとニュースで言っていましたが、
このDaylight Saving Timeの期間が来年から長くなるんですね。

今までは4月の第1日曜日から10月の最後の日曜日だったのが、
3月の第2日曜日から11月の第1日曜日というちょっと覚えにくいパターンになります。

ほとんど1ヶ月長くなるんですよね。
サマータイムじゃないのが11月から2月まで+ちょっとの4ヶ月余り、1年の約3分の1です。
サマータイムを「サマータイム」と呼ぶのを止めて、
反対に11月から2月を「冬時間」とか「寝坊時間」とか呼べばいいのに。

今日の聖書は使徒の働きの23章でした。
いよいよ神様がパウロに語りかけます。

「勇気を出しなさい。
あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、
ローマでもあかしをしなければならない。」(11節)

ローマ行き!
パウロがずっとずっと願っていたことでした。
でも、彼が囚人として行くのだということを、
誰が想像していたでしょうか?

おとといのあのヤコブのことをまた思い出します。
「今大変だから、人々に誤解をされないように、私の言うとおりにしなさい」
とヤコブはパウロに言います。

でも、それも空しく、逆にその手が裏目に出て、
パウロは投獄されてしまいます。
でも、神様には神様のご計画がありました。
神様には神様のお考えがありました。

パウロは逮捕されることによって、
そうでなければなかなか話を聞いてくれないような人々にも証をすることができました。


そして、パウロは囚人となってローマに行って、
人々に証をすることができたのです。

すべて神様のお考えでした。

わたしたちには納得がいかないこと。
でも、主はそれをも用いてくださって、
すばらしいことをしてくださるのです。

私はどこに遣わされていくのだろうか?
私は今ここに遣わされて、語ることを使命として与えられている。

だったら、もっともっと大胆に、もっともっと多くの人々に、
神様のことを伝える働きを、
お証をする働きをさせて頂きたいと思いました。

主よ、
今日の一日を感謝します。
明日の朝、早く、よき目覚めを与えて下さい。
そして、明日の礼拝において、
多くの方々にあなたのことを指し示す働きをさせて下さい。
多くの人々に、あなたのことを伝えることができますように。
証をすることができますように。
出ていった先々で、あなたを伝える者としてください。

2006-10-27

「行きなさい!」

今朝はかきごおり家の温度計で初マイナス。
-0.7度Cでした。

家のガレージは高さの問題でミニバンが入らないので、物置になっています。
で、車はDrivewayということで、
今朝は車のフロントガラスはばっちり凍っておりました。

学校への道、フロントガラスの氷をばっちり取っておかないとダメです。
長男の高校への道も、
長女の中学への道も、
次女の小学校(って幼稚園だけど)への道も、
みんなばっちり朝日が前から当たります。


朝、慌てて子ども達を送っていこうと思うとパニックになる、
そういう季節が始まったんですね。

今夜から明日にかけて大嵐みたいです。
雨と風に注意が必要。
特に風がすごいみたいです。

今から10年くらい前、
まだJCCNJの牧師になる前、
やっぱり10月の土曜日でしたねえ。
教会で役員会をしていたら、大嵐で、停電して、
それでもやってましたね。
途中まで、廊下の非常灯がついていて、
その明かりで。
そのあと、ろうそくの明かりで・・・。

帰り道、あちらこちら木が倒れていて、
道があちらこちら通行止めになっていました。

そんなことにならないようにと祈りながら・・・
でも、皆さん停電の備えはばっちりやっておいてください。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの22章です。

今日はパウロの証しの言葉の中で、
21節の神様の言葉が心に留りました。

「行きなさい!」

このパウロと神様とのやりとり、会話になっていません。

神様が
「急いで、早くエルサレムを離れなさい。」と言われたのに対して、
パウロは
「人々は私がクリスチャンにどんなひどいことをしていたのか知っています」
と答えます。「そんな私が生まれかわった証しをしたら、人々は聞くのではないでしょうか」と
言おうと思ったのではないかと思います。

でも、神様はそのパウロこの言葉に何か答えを与えようとはなさいませんでした。

ただ、「行きなさい!」と言われました。
そして、異邦人への伝道という使命を与えられました。

時々、わたしたちと神様との関係は「会話」ではないなあ、と思います。

神様が命じられること、
それが与えられたら、もう何もいらない。

何か疑問に対する答えが与えられなくてもいい。

疑問が全く晴れなくてもいい。

ただ、主に語って頂ければ、それでいい。

そう思いました。

わたしたちの考えを遙かに超えた方が、言われるならば、
もうそれだけで十分だと思います。

それが、「みことばが与えられる」ということだと思いました。

主よ、
あなたのみことばに感謝します。
あなたが語ってくだされば、それで十分です。
丁寧に疑問に一つ一つ応えてくださらなくても、
ただ、あなたが語ってくださったという確信が与えられたら、
それで十分です。

みことばを行う者へと、
みことばに従う者へとしてください。
聞くだけの者になるのではなく、
「ああ、いい言葉だなあ」で終わるのではなく、
真剣にそのみことばに人生をかけていく、
その様な歩みをさせてください。

2006-10-26

誰の言うとおりに?

今日はキッズクラブの日でした。
Leonia。
うーん、もっとたくさんの仲間に来て欲しかったなあ。
14人?
もっともっとPRして、もっともっといいプログラムをして、
でも1人1人を大切にして、
でももっともっとたくさんのみんなに神さまの愛を伝えたいです。

夕方には教会用の売り物情報を得て、見てきました。

いよいよ山が動くでしょうか?楽しみです。

今朝は3度くらい。
明日の朝は0度くらいまで下がるみたいです。
今、夜の11時過ぎで、もう3.4度Cまで下がっています。
今夜が今朝よりも冷えるのは、
何といっても天気がいいからです。
雲があるとちょうど毛布を掛けた時のように、
熱がこもります。
晴れると、どんどん熱が放射されていきます。
で、冷え込むのです。
明日の朝は、初氷点下になるかもです。

そして土曜日には大雨です。
ご注意を。

あ、それから今晩、日本は明日になっていますが、
両親と初テレビ電話をしてみました。
母の誕生日だったもんで・・・。
お互いコンピューターがあれば、
Webカメラ買って、Skypeを入れて、簡単なんですね。
子供のころは「21世紀になったらテレビ電話ができてて・・・」みたいな話が、
「将来の予想」みたいな記事にありましたけど、
ホント、当たり前の時代がやってくるのでしょう。

今日は眠い+仕事がまだある
・・・もう寝てしまうかもしれませんが・・・のであっさりと
聖書の話に入ります。

今日は使徒の働き21章を読みました。
ここでパウロが人々に誤解されているから、
それを解くためにと、ヤコブはパウロに一つの方法を勧めます。
でも、それに従ったのにもかかわらず、パウロは誤解されて、やっぱり拘束されてしまいます。

もちろん、ヤコブは善意で、また一生懸命考えて、
手を打ったのでしょう。
でも、神さまには神さまのお考えがありました。
それはパウロを囚人としてローマに送り込む、というお考えでした。

「ですから、わたしたちの言うとおりにしてください」というヤコブの言葉(23節)
が心に留りました。

わたしたちはいろいろな考えを巡らし、
よかれと思うことをします。

でも、神さまには神さまのお考えがあるんですよね。

だからといって、「なるようになるさ」みたいなのも無責任でしょうか?

うーん、自分の考え、自分の計画、
それを押し通そうとするのではなくて、
大きな大きな神さまの御手の中で、
一つ一つの決断をしていく、
そのような歩みをしたいと思いました。

主よ、
どうかあなたの御手の中で、
安心して歩む者としてください。
どんな困難の中でも、
願っていたのと反対方向に導かれていっても、
あなたの御手の中にいるなら、安心です。
あなたの守りの中で歩む者としてください。

何でも自分で決めているような気にならないように、
あなたの御手の中にあることを覚えながら、
歩む者としてください。

2006-10-25

受けるより与える

今日は月に1度のNYDAYです。
9月は日本に行っていましたので、
2ヶ月ぶりです。
前回は8月で、半袖でいいんだけど、

バスの中が寒いので、ジャケット必要、ってかんじだったのですが、
今朝はオーバー着て出かけました。

けさのNYでびっくり!
おじさんたちがビルの壁から落ちそう!
と一瞬焦りました。


やられました。
そして、こんなところで紹介したら、広告を考えた人の思うつぼではないですか!
・・・と分かっていながら、はまってしまっています。

悔しい!

うまい!


今日のNYでは、何人かの方々と個人的にお話しして、
お祈りする時が与えられました。
感謝。

みんながんばっていますよね。
NYのみなさん。
今日はバスターミナルがダイヤの乱れで混んでいて、
30分くらい行列に並びました。

やっぱりNJに帰ってくるとちょっとホッとします。

知り合いの若い男の子がこちらから日本に帰って、
とんでもない場面に出くわした話。

こちら。

いやあ、ひどいですねえ。
もちろんこんな人ばかりではないでしょうが、
こわいですねえ。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの20章を読みました。
その中で心に留ったのが、

「あなたがた自身が知っているとおり、この両手は、私の必要のためにも、私とともにいる人たちのためにも、働いて来ました。このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである。』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」(34-35節)

パウロがエペソの教会の長老達に
教会を頼むよ、と挨拶をした時の言葉です。

ここには書けないような
チャレンジしてみたいことも考え、祈りました。

それと共に
「受けるより与える方が幸い」
このことを本当にそのとおりだと感じました。

与えることの喜び。
そのことをもっともっと経験したいと思わされました。

主よ、
もっともっと与えることの喜びを教えてください。
思い切って与えることの祝福を教えてください。
大胆に与え、
大きく満たされますように。
信仰を与えて下さり、
あなたへの信頼を与えて下さい。

2006-10-24

人々が恐れる聖霊の働き

今日は、30年前に油壺の海岸で洗礼を受けた記念日です。
洗礼槽のなかった教会だったので、
いつもは頭に水をたらす滴礼だったのですが(JCCNJもこれです)、
年に一回、野外礼拝を持って、そこで全身水に入る浸礼をしていました。

私はその時、雨の中だったのですが、決行された野外礼拝の後、
海で洗礼を受けました。

それで、今、Google Earthで湘南にある油壺海岸を捜してみました。


でも、さすがにAburatsubo, Japanでは出てこないので、

いろいろ捜しました。

朝日新聞の地図では、「油壺」が町の名前ではないので、
出てこないし、
Googleで「油壺海岸」で検索すると、
やたら「写真撮影会」ばかり出てきます。
そういう名所なのでしょうか?

でも、「油壺マリンパーク」のサイトで地図を見つけて、場所が分かりました。


東京湾の地図で、右が千葉県、房総半島で、上が東京、左下が神奈川県の三浦半島ですが、
その先っぽの西側、そこに油壺があります。


拡大すると下の写真になります。

下向きの湾が油壺湾で、右向きの黄色の矢印のところに油壺マリンパークがあります。

もっと拡大することもできますが、そうやってみると、
不思議な感じがします。
自分がここで30年前に洗礼を受けたんだなあと。

このGoogle Earthすごいですよね。

自分の住んでいる家、住んでいた家、行っていた学校、みんな見れるんですよね。


左下の左向き矢印が2年前までの深川キリスト教会。
右上の上向きの矢印が移転して名前も変わった木場深川キリスト教会。

もうこれ以上アップしませんが、
幼稚園も、小学校も、中学校も、高校も、大学、聖書学院も一通り見てしまいました。
一番難しかったのが、高校かな。あっちの方、土地勘がないので・・・。
渋谷駅を見つけて、東横線らしい線路を見つけて、駅を見つけて、どうやって歩いたかな、
と20数年前の記憶をたどって見つけました。

30年間、神さまが守り導いてくださったことを心から感謝して・・・。

(どうでもいいことですが、この東京の首都高速、やたら車が少ないです。
たまたまお盆休みだったのか・・・。
ん、それとも日曜日?実家の近所のイトーヨーカドーのパーキングはいっぱいです。)

今日の集会もたくさんの方々が来られて、
またいろいろなお話ができて、
また伺うこともできて、
よかったです。

ここでは「聞く」ということを学んでいます。
本を読みながら、「聞く」ということを学んでいます。
今日はその中で、「寄り添う」気持ちで聞くことを考えさせられました。
神さまが私たちに寄り添ってくださっている。
そのことを感謝すると共に、
また自分が人の言葉に耳を傾ける時に、
その様な思いで聞くことができるだろうかと。
聞く耳を持つものでありたいと思います。

明日は一日NYの日です。
幸いな日となりますように。

今日の聖書。
今日は使徒の働きの19章。

聖霊様が豊かにエペソの教会に働いておられる様子が書かれています。

特に、その後半13-20節くらいのところが心に留り、いろいろ考えさせられました。

聖霊様が働かれる中で、人々の中に恐れの念が生じて、
18-19節にはこのように出てきます。

「そして、信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、自分たちのしていることをさらけ出して告白した。また魔術を行なっていた多くの者が、その書物をかかえて来て、みなの前で焼き捨てた。その値段を合計してみると、銀貨五万枚になった。」

そういう徹底的な悔い改め、
神の前の畏れ、
それが聖霊様の働きの結果なんですね。

聖霊様が私のうちに働いておられることは確かです。
でも、このような顕著な働きを私たちは見ることができるだろうかと思いました。

もっともっとご自由に、
もっともっと明らかに働いて頂けるように、
聖霊様を求めていきたいと思いました。
もっともっと聖霊様の大きな御業を見たいと思いました。

聖霊様、
あなたにもっともっとご自由にお働き頂きたいと思います。
どうか、私を満たし、教会を満たし、
私たちを生かしてください。
そして、人々があなたを畏れ、
悔い改めに導かれ、
愛に満たされて、出ていくことができますように。
主よ、
今日お会いした1人1人に、
あなたの豊かな祝福がありますように、
明日の一日を豊かに祝福してくださいますように。
30年間の守りに感謝します。
これからもあなたが導き手でいてください。

2006-10-23

黙っているな!

今日も、もう日付が変わりそうです。

11時頃、15歳の息子がやってきて、
将来のこととか、いろいろ話して、一緒にお祈りしました。
成長したなあと、思いました。
ここまで守られたことを神さまに感謝すると共に、
もっともっと祈って支えていかなければいけないなあと思います。

そう、先日、自分の子供の時の交通事故を思い出す時がありました。
5歳の4月10日かな?とにかく、1年保育の幼稚園の入園式の午後。
それも、その幼稚園、始まった最初の年。
今年37年目を迎えた「江東区立平久幼稚園」の歴史の、記念すべき第一日目に、
交通事故に遭ったのでした。(先生達ごめんなさい)

自分は車が来ると分かっていました。
でも、思い切って飛び出しました。

分かっていたのに、飛び出さないではいられなかったのです。
一緒に遊んでいた兄弟や、近所の仲間がみんな向こう側に渡ってしまったからです。

東京の下町。
材木問屋の町。
道路のあちらこちらには材木屋さんのトラックが止っています。
トラックが走っています。

その中で自分たちは遊んでいました。
材木置き場で「かくれんぼ」や「たかおに」をしました。

今では考えられませんが・・・。

その1台のトラックの陰に私はいました。
ちょうど、もう1台のトラックが遊んでいる子ども達にクラクションを鳴らしながら、
走ってきていました。

どうしよう・・・。

みんなが道の向こう側に渡って、車が通りすぎるのを待っていました。
ひとり、こちら側に残り、「車が来る」と分かっている中で、
「どうしよう、どうしよう・・・みんな行っちゃった・・・どうしよう・・・えい、行っちゃえ!」
そう思って、飛び出しました。

今、自分が運転する立場になって考えると、とても怖いです。
子供の考えること、コワイです。

トラックのおじさんも止りきれなくて、
自分は轢かれました。
でも、幸い、足だけでした。
たぶん、車にぶつかる瞬間に足を投げ出すように転んだんでしょう。

歩こうとしました。
でも、どうにも痛くて歩けませんでした。
骨折していたのです。

でも、そのことを思い出すと、
自分は今、何か目的があって、生かされているんだということを、
はっきりと感じます。

同じように交通事故に遭って、
亡くなった子ども達もいます。

なのに、車が来ると分かっていて飛び出した自分が生きている。

どうして、私が生かされて、
他の子が亡くなったのか、それは分かりません。
どうして神さまがそれを許されたのか分かりません。

でも、分かっていることがあります。
私は生かされた。そこには何か特別な意味がある、ということです。

自分が40代になって、
社会的にも一番中心的な役割を果たす世代になっていますが、
もう、これからは、次の世代のことを考えながら歩んでいくんですね。

それがまたまた楽しみにもなってきました。

今朝はそこそこ暖かかったのですが、
だんだん寒くなってきて、
今は5度Cです。

今夜はまた2度くらいまで下がるでしょう。

今日の聖書は使徒の働きの18章です。
パウロがコリントに進んでいくところです。

コリントの町で、神さまがパウロに言われた言葉、
この言葉が私にも語られました。

「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」(9節)

単純に、この言葉が私に語られたように感じました。
「語り続けなさい」「黙っているな」と。

だから、これからも語り続けたいと思います。
この地で、語り続けたいと思います。

神さまの愛を、できるだけたくさんの方々に、伝えたい。
できるだけたくさんの方々に出会いたい。

NJに赴任したのに、
JCCNJを知らないで駐在期間を過ごしてしまう、という方が1人もいなくなるまで、
大胆に、広く、語っていきたいと思います。

主よ、
今日の一日を感謝します。
どうか、あなたのみことばを語り続ける、
あなたの愛を語り続ける者としてください。

黙っていないで、
語ることができますように。
そのために、あなたがいつもいつも私にみことばをお与え下さい。

2006-10-22

「世界中を騒がせてきた者たち」

今日の日曜日、
また皆さんと共に礼拝を守れて、感謝でした。
また、今日はカルフォルニアのノブ先生もご夫妻で来られて、
お二人で賛美して下さいました。
感謝。

それから、今日は礼拝後、特に会議とかもなかったので、
皆さんとお話をするチャンスもあって、よかったです。

会議も悪くはないのですが、
こうやってゆっくり日曜日の礼拝後を過ごせるのは、
とても大切なことだなあ、と思います。

日曜日の夜なので、ちょっとゆっくり書きますが、
8月31日に文字化けした投稿がありましたが、
あれは確かに携帯メールを使ったものでした。

アメリカでは携帯で日本語のメールをやりとりするのは、
結構無理があります。
普通の携帯はもちろん日本語は読めませんし、
書けません。

私のように10年以上前にこちらに来た者たちにとっては、何てことないのですが、
最近、駐在とかでこちらに来られた方々にとっては、
携帯メールでコミュニケーションができないのが、ストレスになっているかもしれないですね。
(それがいいのか悪いのかは別にして・・・)

有料サービスはあるんでしょうが、
そのためだけにまたお金を払うのはねえ・・・ということで調べてもいません。

で、元々Palm使いなので、Treoなんかもいいんだと思うのですが、
それも調べたのですが、TreoをAmazon.comをとおしてCingularで使うと、
本体にちょっとお金がかかるのに加えて、
最低で月々40ドルの料金が通話代にプラスで必要になります。

で、最終的に選んだのが、

Nokiaの6682

なぜかというと、8月の段階では、Amazon.comで、新規契約の場合、1セント。
というか、10ドルリベートが送られてくるので、-9.99ドル。
(今はもう取り扱ってないみたいです)

月々通話料に20ドル足せば、データ通信は無制限。
追加オプションなしでアドレス帳とかもコンピューターと同期できる。
そして、これはSymbian OSを使っているので、
50ドルくらいで日本語化ソフトを買うと、
日本語でメールを受けたり、送ったりできる。

という代物なんですね。

一番安いFamily Planで4台で通話料金は80ドル=1台20ドルで、
550分なんですが、絶対、使わないです、そこまで。
夜はタダだし、同じ会社の携帯同士はタダだし。

でも、まあ、考えてみれば、
他の携帯に日本語メール打っても、
読める訳ないですから、
日本の皆さんみたいに、
携帯メールでコミュニケーションというわけにはいかないのですが・・・。

で、今日の聖書。
今日は使徒の働きの17章。

6節の言葉が心に留りました。

「世界中を騒がせて来た者たちが、ここにもはいり込んでいます。」

これはパウロとクリスチャン達を人々が非難して語った言葉ですが、
その言葉にいろいろ考えさせられました。

私たちはその様に言われることがあるだろうかと。
余りにも「ふつう」になりすぎて、
余りにも妥協的になりすぎて、
また逆に余りにも世の中との接点がなさ過ぎて、
「世界中を騒がせてきた者たち」
なんて言われなくなっているのではないだろうかと・・・。

そんな風に言われるのを意識的に避けようとしているのかもしれません。

もっともっと世の中にインパクトを与えるような、
「あそこでは何が起っているんだろうか」と思われるような、
大きな主の働きを見せて頂きたいと思いました。

また、それと共に、私たちが、
福音をオブラートに包まないで、
ストレートに多くの人々に語っていく使命を感じさせられました。

主よ、
私たちは生ぬるくないでしょうか?
本当に真剣に福音に生きているでしょうか?
本当に純粋に福音に生きているでしょうか?
大胆に歩ませて下さい。
人にどう言われるかを恐れないで、
あなたのメッセージを語る者としてください。
社会に何の影響も与えないような者ではなく、
世の光、地の塩として、歩む者としてください。

2006-10-21

神さまの導かれるところ

またまた、ホントは日付が変わってしまっています。
今日は夕方からユースの集まり、教会での祈り会、そして、その後、
NYへの送迎で、時間がバタバタ過ぎていって、
あっという間に12時を回ってしまいました。

でも、今ちょっとホッと一息です。
さっきまで、(家族-5歳の娘+泊まりに来ている17歳の男の子)で、
JOYJOYキャンプのビデオを見ながら、爆笑しておりました。
キャンプの参加者のご父兄とキャンプのスタッフの皆さんには
来週中くらいに、お渡しするかお送りします。

明日の日曜日、また皆さんにお会いできるのが楽しみです。
礼拝が豊かに祝福されますように。

今朝は予想よりも高くて6.5度Cありました。
でも、今夜はもう冷え込んできて、12時半で5.6度まで下がっています。
2度くらいまで下がるでしょう。

明日の夕方には一雨あって、
月曜日からもう一段寒くなるようです。

今日の聖書は、使徒の働き16章でした。
パウロが2回目の伝道旅行に出かけて今度はアドリア海を渡ってヨーロッパに福音を伝えていくところです。

今日心に留ったのは、6-7節のところです。
「それから彼らは、アジヤでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤの地方を通った。 こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。」

福音を伝えようとするのに、
聖霊様がそれを許されなかったということはどういうことだったのだろうかと思います。
どうして、神さまはそんなことをなさったのだろうかと・・・。

そして、それはパウロがマケドニヤに進んでいくためだったことがこの後分かる訳ですが、

後にならなければわからないことですね。
その時には、「どうして、神さまのことを伝えようとしているのに・・・」という感じだと思います。

そして、ピリピに導かれた彼らは、ああ、このためだったんだ、と後になって分かるんですよね。

私たちもそういうことがある。
それでいいんだと思いました。
一つの道が閉ざされる時がある。
もう一つの道も閉ざされて、
何なんだろうか、って感じる様な時。

大体、今自分がここにいることだって、
最初は願ったことではなかったことを思い出します。
大学のカタログを見ながら、
「うーん、とりあえず送っておくけど・・・」
と思ったことを思い出しました。

でも、神さまは私をここに導かれたと、今ははっきり言うことができます。

道が閉ざされる時、

そこに神の御手を覚えることができるようにと祈ります。

主よ、
楽しいたくさんのことも、
あなたの御手の中にあることを信じます。

そして、願った道が閉ざされる時も、
あなたの御手がそこにあると信じます。

どうか、あなたの御手を見たり、感じたり、覚えたりすることのできる、
霊的な敏感さ、それを私に与えて下さい。

あなたの御手を信じ続ける信仰をお与えください。