今日は、昨日の夜の雪の心配も思いっきり外れて、
昼間は明るい日差しの中、とても暖かい一日となりました。
そして、明日は一日雨のようです。
その後も、ずっと穏やかみたいですね。
今年の2月は最初はホントにどうなるかと思いましたが、
後半、本当に春の気配がしてきて、
雪融けが進んで、本当に春が待ち遠しい感じです。
今週中にもジョギング再開できそう。
ちょっと前から、「祈りのノート」どうにかならないかと色々考えていました。
しばらく前からルーズリーフをバインダーに入れて使っていたのですが、
コチラのリーフは本当に薄くて、すぐにボロボロになってくる。
それで、「安いのを買うからダメなんだ」と、
Staplesで探してみる。
でも、ダメなんですね、ホントに日本のリーフみたいな厚いのがない。
お店の人に聞いても、「これ使ってみなよ」と言われるのは、
今まで使っていたのと同じヤツ。
そこで気がついた。
「普通の紙に罫線をプリントして穴を開けて自家製ルーズリーフを作ればいい。」そう、普通の紙でも、「Lined Paper」よりもずっと分厚い。
それでワードのテンプレートとか、色々探してみたけど、
一番いいのはコチラからPDFファイルをダウンロードすること。
http://incompetech.com/graphpaper/writing.html
これを両面印刷でプリントして、三つ穴をあけて、
バインダーにファイル。
一家族あたり一ページの今まで書きためた「祈祷課題」を丁寧に写して「新祈祷課題ノート」作成中。
古い祈祷課題を、改めて読み直して、応えられた祈りに付けられた「感謝!」の文字を見ながら、感無量。
祈祷課題をずっと取っておきたい人もいるみたいですが、多分荷物が増えるだけなので、今回はあっさりシュレッダーにかけています。
この新しい祈祷課題ノートにもたくさんの「感謝!」の字が踊りますように!!!
さて、今日の聖書。
今日は第一ヨハネ5:1-12でした。
「生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。」1節。
この「生んでくださった方」はお母さんじゃなくて、「霊的に新しいいのちを与えてくださった神様」です。1節の前半は「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。」ですからね。
その神様を愛するならば、その同じ神様がいのちを与えた、クリスチャンの兄弟姉妹を愛します、ということ。
そうなんだね。
本当に「兄弟姉妹」って言葉だけじゃなくて、ホントに同じ方から生まれた者として、愛するんだね。
私を生んでくださった方が、私を生んだのと同じような思いで、このかたも生んでくださった。この方にも霊的な新しいいのちを与えてくださった。
だから、愛していく。
私が弱さを持っているように、この方も弱さを持っている。
私が愛し受け入れられなければいけないように、この人も愛し受け入れられなければ生きて行くことはできない。
そのように造ってくださったことに、目を向けて、感謝して歩んで行こう。
主よ、
多くの兄弟姉妹を私の人生に与えてくださっていることに、心から感謝します。どうか、愛することを、受け入れることを、大切にすることを、心にかけることを、教えてください。
2011-02-27
2011-02-25
少しずつだな。
今日は午前中雨でした。
午後になって上がって、夕方には夕焼けも。
明日はぐっと寒くなりそうです。
明後日の明け方にはちょっと雪も降るかも。
そして、月曜日はまた雨です。
2月も後半は、一人で祈って主に求める段階を終えて、少しずつコミュニケーションを取って、思わされていることを分かち合う段階に入っています。
元々この段階があまり得意ではなかった自分。
多分、それは自分が語り合っている中で、「何が正しいかわからなくなる」ことがあったからですが、それは実際のところは、「自分の考えがわからなくなる」ことが多かったからだと思います。ですから、今回、日曜日の集会と祈り会以外をすべて休んで、祈る時を持って、自分の中の芯がはっきりする中で、コミュニケーションの楽しさやダイナミズムを感じています。かえって、いろんな方々と話をする中で、自分の考えがまとまって行くのです。そして、どのように伝えればいいのか、自分の内側にある思いをどのように伝えればいいのか、自分の伝える方法の中で、どこの部分が一番弱いのか、伝わらないのか、そこにもヒントが与えられます。この感覚は本当に新鮮で、エキサイティング。
だから、本当に自分の中に芯を持つことが、どれほど大切なことか、principleを持っていることがどれほど大切なことか、思わされています。
特に広がりを持った働きをするために、開かれた働きをするために、芯を持つことの大切さを思わされます。そして、「そのためにはやはり静かに祈る時間が必要、牧師の日常の中では無理」(キッパリ!)というのが、今回の経験で学んだこと!
ま、何事も焦ってはいけませんね。
さて、今日の聖書。
第一ヨハネ4章1-10節。
「愛する者たち、私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。」7節。
この愛する、ということも芯が必要なことですよね。
自分が大切。自分の中にあるものが大切。
「金銀は私にはない、しかしあるものをあげよう」とペテロが言った言葉を思い出します。
そして、それは神から出ている。
その芯は神から出ている。
神に愛されて、神に赦されて、生かされている、それが芯となるのだ。
それゆえに、愛することができる。
愛する力が与えられる。
だからやっぱり、神の愛に注目することが大切。
誰か他の人の愛に注目してばかりいると失望する。
芯を失って行く。
そして、そこにあるのは「恐れ」。
受け入れられるだろうか、喜んでもらえるだろうか、相手は自分をどう思っているか、どんな目で見ているのだろうかという恐れ。
「イエス・キリストから目を離さないでいなさい」ですね!
主よ、
あなたの愛に感謝します。
あなたの与えてくださっている豊かなものに感謝します。
あなたの愛に満たされ、
はっきりと芯を持った生き方に導かれ、
愛することができる者となりますように。
午後になって上がって、夕方には夕焼けも。
明日はぐっと寒くなりそうです。
明後日の明け方にはちょっと雪も降るかも。
そして、月曜日はまた雨です。
2月も後半は、一人で祈って主に求める段階を終えて、少しずつコミュニケーションを取って、思わされていることを分かち合う段階に入っています。
元々この段階があまり得意ではなかった自分。
多分、それは自分が語り合っている中で、「何が正しいかわからなくなる」ことがあったからですが、それは実際のところは、「自分の考えがわからなくなる」ことが多かったからだと思います。ですから、今回、日曜日の集会と祈り会以外をすべて休んで、祈る時を持って、自分の中の芯がはっきりする中で、コミュニケーションの楽しさやダイナミズムを感じています。かえって、いろんな方々と話をする中で、自分の考えがまとまって行くのです。そして、どのように伝えればいいのか、自分の内側にある思いをどのように伝えればいいのか、自分の伝える方法の中で、どこの部分が一番弱いのか、伝わらないのか、そこにもヒントが与えられます。この感覚は本当に新鮮で、エキサイティング。
だから、本当に自分の中に芯を持つことが、どれほど大切なことか、principleを持っていることがどれほど大切なことか、思わされています。
特に広がりを持った働きをするために、開かれた働きをするために、芯を持つことの大切さを思わされます。そして、「そのためにはやはり静かに祈る時間が必要、牧師の日常の中では無理」(キッパリ!)というのが、今回の経験で学んだこと!
ま、何事も焦ってはいけませんね。
さて、今日の聖書。
第一ヨハネ4章1-10節。
「愛する者たち、私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。」7節。
この愛する、ということも芯が必要なことですよね。
自分が大切。自分の中にあるものが大切。
「金銀は私にはない、しかしあるものをあげよう」とペテロが言った言葉を思い出します。
そして、それは神から出ている。
その芯は神から出ている。
神に愛されて、神に赦されて、生かされている、それが芯となるのだ。
それゆえに、愛することができる。
愛する力が与えられる。
だからやっぱり、神の愛に注目することが大切。
誰か他の人の愛に注目してばかりいると失望する。
芯を失って行く。
そして、そこにあるのは「恐れ」。
受け入れられるだろうか、喜んでもらえるだろうか、相手は自分をどう思っているか、どんな目で見ているのだろうかという恐れ。
「イエス・キリストから目を離さないでいなさい」ですね!
主よ、
あなたの愛に感謝します。
あなたの与えてくださっている豊かなものに感謝します。
あなたの愛に満たされ、
はっきりと芯を持った生き方に導かれ、
愛することができる者となりますように。
2011-02-24
使命だな。
今日も朝は寒かった。
でも、昼間はグンと暖かくなって、
7度くらいまで上がりました。
夜になって雨が降って来て、
明日一日雨のようです。
今夜も明日の夜も雪が混じることがあるかもしれません。
今日は、2週間前にNJに引越して来られた方にお会いしました。
教会の祈り会に来られました。
幸いなひとときでした。
「NJにどれくらい住んでおられるんですか?」と聞かれて、考えるのは、その年に生まれた娘の年。おおお、そんなに長く住んでいるのか〜と、自分で驚く。
でも、その16年前には、自分もホントに大変な思いをしたよなと。
その中で手を差し伸べてくれた方々がおられた。
自分が車がなかった何週間か、ライドをオファーしてくださった方々がいた。
道がよくわからなかったとき、教えてくれた皆さんがいた。
教会で、以前から一緒にいたかのように、受け入れてくれた人たちがいた。
だから、今、自分がここで何ができるか、
何をすべきなのか、を考える時に、
こういうことをもっともっと大切にしていきたいと思う。
「たましいが喜ぶこと」だ。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネ第一の手紙3:11-24。
「子供たちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」18節。
そうだよなあ。
何度も何度もここでつぶやいているけど、
言葉だけじゃなあ。
行いと真実の中で人を大切にしていく、
聖書の言葉を実践して行く。
もちろん、「律法主義」になってはいけない。
でも、その言葉を恐れるが故に、
聖書に書いてある「行いなさい」ということをしようとしないで、
言い訳をして、そこにじっとしている。
一生懸命「これはどんな意味だろう」と研究したり、
黙想したり、暗唱したり、そんなことで、
何か良いことをしたかのような勘違いをすること、
どれほどあるかと思う。
何度も読み返している「仕える喜び」(チャールズ・スウィンドル)にもあるけれども、自分たちは神様の前に「あなたの指示を何度も読み返して、解釈についてディスカッションしたり、暗唱したり、『ああ何てすばらし言葉だ』と感動したり、音楽をつけて歌ったりしてきた」と平気な顔をして言うのだろうか?
それとも、「あなたの指示通り生きて来ました。たくさん失敗もしました。でも、あなたの助けでここまで来ました。あなたが愛してくださったから。あなたが豊かなものを与えてくださったから」と言うのだろうか。
御言葉を行う者となろう。
主よ、
あなたの御言葉に従って、言葉だけではなくて、行動で愛を表す者とならせてください。でも、それを誇るのではなく、神様の愛の中に生かされていることを感謝して歩む者とならせてください。
でも、昼間はグンと暖かくなって、
7度くらいまで上がりました。
夜になって雨が降って来て、
明日一日雨のようです。
今夜も明日の夜も雪が混じることがあるかもしれません。
今日は、2週間前にNJに引越して来られた方にお会いしました。
教会の祈り会に来られました。
幸いなひとときでした。
「NJにどれくらい住んでおられるんですか?」と聞かれて、考えるのは、その年に生まれた娘の年。おおお、そんなに長く住んでいるのか〜と、自分で驚く。
でも、その16年前には、自分もホントに大変な思いをしたよなと。
その中で手を差し伸べてくれた方々がおられた。
自分が車がなかった何週間か、ライドをオファーしてくださった方々がいた。
道がよくわからなかったとき、教えてくれた皆さんがいた。
教会で、以前から一緒にいたかのように、受け入れてくれた人たちがいた。
だから、今、自分がここで何ができるか、
何をすべきなのか、を考える時に、
こういうことをもっともっと大切にしていきたいと思う。
「たましいが喜ぶこと」だ。
さて、今日の聖書。
今日はヨハネ第一の手紙3:11-24。
「子供たちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」18節。
そうだよなあ。
何度も何度もここでつぶやいているけど、
言葉だけじゃなあ。
行いと真実の中で人を大切にしていく、
聖書の言葉を実践して行く。
もちろん、「律法主義」になってはいけない。
でも、その言葉を恐れるが故に、
聖書に書いてある「行いなさい」ということをしようとしないで、
言い訳をして、そこにじっとしている。
一生懸命「これはどんな意味だろう」と研究したり、
黙想したり、暗唱したり、そんなことで、
何か良いことをしたかのような勘違いをすること、
どれほどあるかと思う。
何度も読み返している「仕える喜び」(チャールズ・スウィンドル)にもあるけれども、自分たちは神様の前に「あなたの指示を何度も読み返して、解釈についてディスカッションしたり、暗唱したり、『ああ何てすばらし言葉だ』と感動したり、音楽をつけて歌ったりしてきた」と平気な顔をして言うのだろうか?
それとも、「あなたの指示通り生きて来ました。たくさん失敗もしました。でも、あなたの助けでここまで来ました。あなたが愛してくださったから。あなたが豊かなものを与えてくださったから」と言うのだろうか。
御言葉を行う者となろう。
主よ、
あなたの御言葉に従って、言葉だけではなくて、行動で愛を表す者とならせてください。でも、それを誇るのではなく、神様の愛の中に生かされていることを感謝して歩む者とならせてください。
2011-02-23
たましいが喜ぶこと2。
NYCでの一日。
今夜も帰ってから更新は無理だと思うので、
ちょっと一休みして更新。
今朝も寒かったですね。
温度計見て来なかったですが、
多分-10度C近くいったんじゃないかな。
特にバス待ってたから寒く感じた。
なんだか最近ぐっと朝が明るくなって来た。
6:40にはもうすっかり朝。
春は近いんだけど、昼間も結構寒い。
明日の夜から、明後日は冷たい雨みたいです。
ちょっとまとまった雨。
先日の雪をかなり流してしまう雨になりそうです。
先日書いた「たましいが喜ぶこと」
またちょっと考えています。
イエスを信じることは、
イエスに従うことは、
決して「たましいが喜ぶこと」を捨てることではない。
「自分のやりたいこと」を捨てることではあるかもしれないけれど、
「たましいが喜ぶこと」を捨てることではない。
そうではなくて、イエスに従うことは、
「たましいが喜ぶこと」へと導く。
なぜなら、私たちを造られたのは、
一人一人の個性を大切に造られたのは神だからだ。
私を私に造られたのは神だからだ。
私にいのちの息を吹きかけ、生きる者とされたのは神だからだ。
だから神に従うこと、キリストに従うことは、
私たちを「たましいの喜び」に導く。
こんなことを考えるきっかけは、
Twitterでフォローしているある方が、
自分が30年前にトロンボーンを吹いていた高校のオペラで、
照明を担当しておられたことを知ったこと。
http://twitter.com/nj_otenki/status/39546848117006336
あの経験を共有していた人を見つけたのはホントにうれしかった。
30年の昔にタイムトリップした。
ウェーバーの「魔弾の射手」。
序曲の一部は讃美歌の「主よ御手もて」にも使われている。
その著書にこんなことを書いておられるそうだ。
照明を当てていた彼の全身が震えたその時、
確かに、自分もそこにて、たましいを震わせていた。
荒削りの高校生のトロンボーン吹きにとって、
歌手の声を消さないように音を抑えて吹くのは至難の業。
しょっちゅう、怒られていた。
出番だって多くない。
でも、指揮者の「トロンボーン、もっと抑えろ」の指示に従いながら、一つの音楽に参加しているときに、自分のたましいが喜んでいた。
好き勝手に吹いていたら、ぶちこわしだっただろう。
好き勝手なことをしていたのではなかった。
指揮者に従っていても、音を外したりもした。
でも、自分のたましいの喜ぶことをしていた。
神に従うこともそう。
人の顔色を見て生きることとは違う。「なんか違うんだけどなあ」と思いながら、人を喜ばせることだけを考えて生きることとは違う。反応を恐れて生きるのとは違う。
みんなのたましいが喜ぶ、そのような教会となりますように。
さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ第一の手紙2:12-27。
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」16節。
この聖書の言葉を読むと、
やはり、欲に従って生きることを主が喜ばれないことがわかる。
だから好き勝手なことじゃないんだよな。
世から出たものがある。
神を神としない世。
自分を神とする世。
そこに惹かれてはいけない。
そこに調子を合わせてはいけない。
イエスから目を離さないでいることができますように。
主よ、
私の心を守ってください。
肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などに
喜びを見いだすのではなく、
あなたご自身に喜びを見いだす者でありますように。
今夜も帰ってから更新は無理だと思うので、
ちょっと一休みして更新。
今朝も寒かったですね。
温度計見て来なかったですが、
多分-10度C近くいったんじゃないかな。
特にバス待ってたから寒く感じた。
なんだか最近ぐっと朝が明るくなって来た。
6:40にはもうすっかり朝。
春は近いんだけど、昼間も結構寒い。
明日の夜から、明後日は冷たい雨みたいです。
ちょっとまとまった雨。
先日の雪をかなり流してしまう雨になりそうです。
先日書いた「たましいが喜ぶこと」
またちょっと考えています。
イエスを信じることは、
イエスに従うことは、
決して「たましいが喜ぶこと」を捨てることではない。
「自分のやりたいこと」を捨てることではあるかもしれないけれど、
「たましいが喜ぶこと」を捨てることではない。
そうではなくて、イエスに従うことは、
「たましいが喜ぶこと」へと導く。
なぜなら、私たちを造られたのは、
一人一人の個性を大切に造られたのは神だからだ。
私を私に造られたのは神だからだ。
私にいのちの息を吹きかけ、生きる者とされたのは神だからだ。
だから神に従うこと、キリストに従うことは、
私たちを「たましいの喜び」に導く。
こんなことを考えるきっかけは、
Twitterでフォローしているある方が、
自分が30年前にトロンボーンを吹いていた高校のオペラで、
照明を担当しておられたことを知ったこと。
http://twitter.com/nj_otenki/status/39546848117006336
あの経験を共有していた人を見つけたのはホントにうれしかった。
30年の昔にタイムトリップした。
ウェーバーの「魔弾の射手」。
序曲の一部は讃美歌の「主よ御手もて」にも使われている。
その著書にこんなことを書いておられるそうだ。
照明を当てていた彼の全身が震えたその時、
確かに、自分もそこにて、たましいを震わせていた。
荒削りの高校生のトロンボーン吹きにとって、
歌手の声を消さないように音を抑えて吹くのは至難の業。
しょっちゅう、怒られていた。
出番だって多くない。
でも、指揮者の「トロンボーン、もっと抑えろ」の指示に従いながら、一つの音楽に参加しているときに、自分のたましいが喜んでいた。
好き勝手に吹いていたら、ぶちこわしだっただろう。
好き勝手なことをしていたのではなかった。
指揮者に従っていても、音を外したりもした。
でも、自分のたましいの喜ぶことをしていた。
神に従うこともそう。
人の顔色を見て生きることとは違う。「なんか違うんだけどなあ」と思いながら、人を喜ばせることだけを考えて生きることとは違う。反応を恐れて生きるのとは違う。
みんなのたましいが喜ぶ、そのような教会となりますように。
さて、昨日の聖書。
昨日はヨハネ第一の手紙2:12-27。
「すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。」16節。
この聖書の言葉を読むと、
やはり、欲に従って生きることを主が喜ばれないことがわかる。
だから好き勝手なことじゃないんだよな。
世から出たものがある。
神を神としない世。
自分を神とする世。
そこに惹かれてはいけない。
そこに調子を合わせてはいけない。
イエスから目を離さないでいることができますように。
主よ、
私の心を守ってください。
肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などに
喜びを見いだすのではなく、
あなたご自身に喜びを見いだす者でありますように。
2011-02-22
何を守るのか?
夜の11時になろうかというところで、
もう一回更新です。
外の気温はなんと-5.6度C。
5時間ほどで6度も下がりました。
明日の朝はどこまで冷えるんでしょう。
でも、明日が今回の寒さの底。
明日の日中から少しづつ緩んできます。
次のstorm、金曜日は・・・うーん、雨だろうな。
リビアの民主化への叫びに対して、
カダフィが今夜の段階でも、
自分の立場を捨てないでいるそうだ。
最後の一軒まで回って反体制分子を粛正するようにと
呼びかけているという。
彼は何を考えているんだろうか?
60代後半になって、
自分が今までして来たことを否定されることが
どれほどの恐怖であるかということは想像に難くない。
自分の人生を否定されるような感覚があるのだろうか?
それとも、チュニジアの大統領だったか、
ものすごい蓄財をしていたそうだが、
やはりそんなところがあるんだろうか。
客観的に外側から見ると、
早く身を引けばいいのにと思うのだが・・・。
彼は何を守ろうとしているのか?
翻って、自分の姿を見ると、
自分は何を守ろうとしているのだろうか?
イエスがいのちを投げ出して買い取ってくださった教会。
その教会を守っているつもりで、何を守ろうと思っているのだろうか?
一人一人の魂を、一人一人の存在を守ろうとしているだろうか?
さて、昨日の聖書。
昨日は第1ヨハネ2:1-11。
「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。」9節。
古い命令なんだけど、新しい命令。
表面上は古い命令なんだけど、
イエスの十字架の恵みによって、
聖霊様の力によって、
私たちのために取りなしてくださるイエスによって、
新しい意味を持った命令になった。
自分でがんばるのではなく、
私の内側に力が注がれている故に、
守ることのできる命令。
神の光によって、憎んでもおかしくない相手を愛することができる。
ただ、ただ、神様の助けと癒しと支えを祈らされる。
主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
聖霊様が与えられていることに感謝します。
愛することができますように。
私の中には愛はありません。
あなたの恵みによって、愛することができる者とならせてください。
もう一回更新です。
外の気温はなんと-5.6度C。
5時間ほどで6度も下がりました。
明日の朝はどこまで冷えるんでしょう。
でも、明日が今回の寒さの底。
明日の日中から少しづつ緩んできます。
次のstorm、金曜日は・・・うーん、雨だろうな。
リビアの民主化への叫びに対して、
カダフィが今夜の段階でも、
自分の立場を捨てないでいるそうだ。
最後の一軒まで回って反体制分子を粛正するようにと
呼びかけているという。
彼は何を考えているんだろうか?
60代後半になって、
自分が今までして来たことを否定されることが
どれほどの恐怖であるかということは想像に難くない。
自分の人生を否定されるような感覚があるのだろうか?
それとも、チュニジアの大統領だったか、
ものすごい蓄財をしていたそうだが、
やはりそんなところがあるんだろうか。
客観的に外側から見ると、
早く身を引けばいいのにと思うのだが・・・。
彼は何を守ろうとしているのか?
中国や北朝鮮、その体制を守ろうとする人々は何を守ろうとしているのだろうか?
管理をして、情報統制をして、脅かして、何をしようとしているのだろうか?
翻って、自分の姿を見ると、
自分は何を守ろうとしているのだろうか?
イエスがいのちを投げ出して買い取ってくださった教会。
その教会を守っているつもりで、何を守ろうと思っているのだろうか?
一人一人の魂を、一人一人の存在を守ろうとしているだろうか?
さて、昨日の聖書。
昨日は第1ヨハネ2:1-11。
「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。」9節。
古い命令なんだけど、新しい命令。
表面上は古い命令なんだけど、
イエスの十字架の恵みによって、
聖霊様の力によって、
私たちのために取りなしてくださるイエスによって、
新しい意味を持った命令になった。
自分でがんばるのではなく、
私の内側に力が注がれている故に、
守ることのできる命令。
神の光によって、憎んでもおかしくない相手を愛することができる。
ただ、ただ、神様の助けと癒しと支えを祈らされる。
主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
聖霊様が与えられていることに感謝します。
愛することができますように。
私の中には愛はありません。
あなたの恵みによって、愛することができる者とならせてください。
見つけた!
今日2回目の更新。
今日の気温は1度Cくらいまでしか上がらず、一日寒かったですが、昼間は太陽が明るくて、やっぱりもう春だよねえ、って感じです。日が暮れるのも6時前になりました。
今5時40分ですが、気温は0.3度C。
今夜はもう一日-9度Cくらいまで下がるようです。
さて、左のTweetをご覧の方々はご存知だと思うのですが、
昨日の朝、雪かきの最中に車の鍵をなくしました。
車の中に手袋があったので、車を開けて、手袋を取って雪かきを始めたわけで、ポケットに入っているはずの鍵がないのです。正確に言うと、「鍵の束」の中に車の鍵がないのです。
今時の鍵はプログラムがされていて、鍵の形と、チップのコード両方合ってないと、エンジンがスタートしないみたいです。
だから簡単には合鍵が作れない。
盗難防止のシステムなんですね。
教会の車なんですが、中古で買ったときに既に鍵が一つしかなくて、これを紛失したら、どうするんだろうと思っていましたが、それが昨日起こってしまった訳です。
焦りましたねえ。
というか、ディーラーに電話するまで、そんなに慌てていなかったのですが、ディーラーに電話したら、「車を持って来ないとダメ」と言われ、「え、だから話しているように、鍵がないんだけど・・・」「わかってるよ、トーイング(レッカー車で運ぶこと)してもらって持ってくるんだよ」・・・ここで、「やべえええ!」と始まった訳です。
で、「じゃあ、もう一回探して、必要だったらもう一回電話する」と電話を切りました。まずはポケットの中、車の中、etc...探してもないので、もう残った可能性は「雪の中」!雪融けを待っていればいいんでしょうが、そうも行かず、探しましたよ・・・。
下の娘には、「最後に使ったのはどこ?よく思い出してごらん」「他の鍵と一緒にあるんじゃないの?見せて!」などと、言われ、20年後を思わせられるような会話もしました。
この時はさすがに祈りました。「全能の神様、あなたはいつも必要を満たしてくださる方ですよね。どうか、私の目を開いて、見つけさせてください。あなたを信頼します。」と。「多分雪かきした山の中だよなあ」とひとすくいひとすくい、調べて行きました。「これかな?」と思ったら、木の枝だった・・・ということを何回も経験して・・・。
そして、何個か目の山の一番上の雪をすくったときに、「キラ!」っと輝く金属が・・・
再現映像です。こんな感じ。
その場では写真を撮る余裕なんてないですよ。
あ「あ、これかな!!!!」と拾ってみると、まさにその鍵だったのです!
想像できますか?その時の気持ち?
聖書の中のルカによる福音書の15章8-10節を思い出しました。
また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。
正直、自分がこの聖書の箇所を読むたびに、「そんなに大騒ぎしなくても・・・と思っていたのですが、わかりましたよ。大騒ぎしたい気持ち。
わたしも「みんな一緒に喜んでください!」って感じでした。
でも、イエス様のポイントは、「これが一人の人が神の元に返ってくる時の喜びなんだよ」ということですよね。
ああ、自分のことも、神様はこんなに喜んでくださるんだなあと、思いました。感謝。
ちょっとお金がかかっても、早いうちにちゃんとスペアを作っておかないと。万が一、この一つをなくしたらレッカー車だもんね。
さて、日曜日の聖書。
日曜日からはヨハネ第一の手紙。
1章を読みました。
「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」3節。
私たちの交わりは神様との交わりに繋がってくる。
互いに神様との交わりを持って行くときに、互いの関係が深められて行く。
大切なことを語っていると思う。
ただ、気が合うとか、意気投合するとか、わかってくれるとか、共通の話題があるとか、そういうことを超えて、神様と繋がって行くがゆえに繋がってくる関係。
私たちはそこに招かれているんだと思う。
その喜びをもっともっと経験したいと思う。
先日の日曜日に「酒に酔わないで聖霊に満たされなさい」というところを読んだけれども、酒を飲んで楽しく過ごすこととは段違いの喜び、段違いの楽しさ、もっともっと経験させていただきたい。
主よ、
あなたとの交わりの中に生かしてください。
そして、私たちの交わりを祝福してください。
あなたとともにある喜びの中に生かしてください。
今日の気温は1度Cくらいまでしか上がらず、一日寒かったですが、昼間は太陽が明るくて、やっぱりもう春だよねえ、って感じです。日が暮れるのも6時前になりました。
今5時40分ですが、気温は0.3度C。
今夜はもう一日-9度Cくらいまで下がるようです。
さて、左のTweetをご覧の方々はご存知だと思うのですが、
昨日の朝、雪かきの最中に車の鍵をなくしました。
車の中に手袋があったので、車を開けて、手袋を取って雪かきを始めたわけで、ポケットに入っているはずの鍵がないのです。正確に言うと、「鍵の束」の中に車の鍵がないのです。
今時の鍵はプログラムがされていて、鍵の形と、チップのコード両方合ってないと、エンジンがスタートしないみたいです。
だから簡単には合鍵が作れない。
盗難防止のシステムなんですね。
教会の車なんですが、中古で買ったときに既に鍵が一つしかなくて、これを紛失したら、どうするんだろうと思っていましたが、それが昨日起こってしまった訳です。
焦りましたねえ。
というか、ディーラーに電話するまで、そんなに慌てていなかったのですが、ディーラーに電話したら、「車を持って来ないとダメ」と言われ、「え、だから話しているように、鍵がないんだけど・・・」「わかってるよ、トーイング(レッカー車で運ぶこと)してもらって持ってくるんだよ」・・・ここで、「やべえええ!」と始まった訳です。
で、「じゃあ、もう一回探して、必要だったらもう一回電話する」と電話を切りました。まずはポケットの中、車の中、etc...探してもないので、もう残った可能性は「雪の中」!雪融けを待っていればいいんでしょうが、そうも行かず、探しましたよ・・・。
下の娘には、「最後に使ったのはどこ?よく思い出してごらん」「他の鍵と一緒にあるんじゃないの?見せて!」などと、言われ、20年後を思わせられるような会話もしました。
この時はさすがに祈りました。「全能の神様、あなたはいつも必要を満たしてくださる方ですよね。どうか、私の目を開いて、見つけさせてください。あなたを信頼します。」と。「多分雪かきした山の中だよなあ」とひとすくいひとすくい、調べて行きました。「これかな?」と思ったら、木の枝だった・・・ということを何回も経験して・・・。
そして、何個か目の山の一番上の雪をすくったときに、「キラ!」っと輝く金属が・・・
再現映像です。こんな感じ。
その場では写真を撮る余裕なんてないですよ。
あ「あ、これかな!!!!」と拾ってみると、まさにその鍵だったのです!
想像できますか?その時の気持ち?
聖書の中のルカによる福音書の15章8-10節を思い出しました。
また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。そして、見つけたなら、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから』と言うであろう。よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう」。
正直、自分がこの聖書の箇所を読むたびに、「そんなに大騒ぎしなくても・・・と思っていたのですが、わかりましたよ。大騒ぎしたい気持ち。
わたしも「みんな一緒に喜んでください!」って感じでした。
でも、イエス様のポイントは、「これが一人の人が神の元に返ってくる時の喜びなんだよ」ということですよね。
ああ、自分のことも、神様はこんなに喜んでくださるんだなあと、思いました。感謝。
ちょっとお金がかかっても、早いうちにちゃんとスペアを作っておかないと。万が一、この一つをなくしたらレッカー車だもんね。
さて、日曜日の聖書。
日曜日からはヨハネ第一の手紙。
1章を読みました。
「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」3節。
私たちの交わりは神様との交わりに繋がってくる。
互いに神様との交わりを持って行くときに、互いの関係が深められて行く。
大切なことを語っていると思う。
ただ、気が合うとか、意気投合するとか、わかってくれるとか、共通の話題があるとか、そういうことを超えて、神様と繋がって行くがゆえに繋がってくる関係。
私たちはそこに招かれているんだと思う。
その喜びをもっともっと経験したいと思う。
先日の日曜日に「酒に酔わないで聖霊に満たされなさい」というところを読んだけれども、酒を飲んで楽しく過ごすこととは段違いの喜び、段違いの楽しさ、もっともっと経験させていただきたい。
主よ、
あなたとの交わりの中に生かしてください。
そして、私たちの交わりを祝福してください。
あなたとともにある喜びの中に生かしてください。
振り出しには戻らない。
ここ2週間ほどのあたたかな日々のおかげで、雪がどんどん融けて、先週末には、ほぼ2ヶ月ぶりに芝生が見え始め、春ももうすぐ、という感じだったのですが、
昨日の朝の雪で、すっかりもとの風景に戻ってしまいました。5センチ程度と予報されていたのですが、15センチまで降りました。
一気に「雪融け」とならなかったのは残念ですが、
まだ2月。でも、もう2月の下旬。
今朝も-9.5度C、今夜も冷えそうですが、
少しずつ春は近づいてきています。
「振り出しに戻る」とまではいきません。
確実に前進しています。
人生もそうですね。
多少後戻りしたり、「あ〜あ、ふりだしに戻るだ」と思っても、決して戻っていない。進んでいるんですね。
さて、今日は何回か更新することにして、
まず、先週土曜日の聖書。
アモス書の9章でした。アモス書の最後の部分。
「私は彼らを彼らの地に植える」15節。
直接はユダヤ人のバビロン捕囚からの帰還をさしているのかなあと思うのですが、その後の「もう引き抜かれることはない」という言葉を見ると、世の終わりの永遠の世界の救いのことを言っているんだろう、と思わされます。
でも、私たちの日常でも、これは大切なことだと感じます。
私をこの地に植えてくださったのは神様だということ。
私たちの一歩一歩を導いてくださること。
今日の一日にも感謝します。
今日も、私はここに植えられている。
闘いがあり、迷いもあります。
でも、主が私をここに植えてくださったが故に、
ここに生きることの幸いを感じます。
主よ、
あなたが、私をここに植えてくださったこと、
ここに導き、ここに生かしてくださっていることを、
心から感謝します。
これからも、あなたの御手をもって、
私を導いてください。
昨日の朝の雪で、すっかりもとの風景に戻ってしまいました。5センチ程度と予報されていたのですが、15センチまで降りました。
一気に「雪融け」とならなかったのは残念ですが、
まだ2月。でも、もう2月の下旬。
今朝も-9.5度C、今夜も冷えそうですが、
少しずつ春は近づいてきています。
「振り出しに戻る」とまではいきません。
確実に前進しています。
人生もそうですね。
多少後戻りしたり、「あ〜あ、ふりだしに戻るだ」と思っても、決して戻っていない。進んでいるんですね。
さて、今日は何回か更新することにして、
まず、先週土曜日の聖書。
アモス書の9章でした。アモス書の最後の部分。
「私は彼らを彼らの地に植える」15節。
直接はユダヤ人のバビロン捕囚からの帰還をさしているのかなあと思うのですが、その後の「もう引き抜かれることはない」という言葉を見ると、世の終わりの永遠の世界の救いのことを言っているんだろう、と思わされます。
でも、私たちの日常でも、これは大切なことだと感じます。
私をこの地に植えてくださったのは神様だということ。
私たちの一歩一歩を導いてくださること。
今日の一日にも感謝します。
今日も、私はここに植えられている。
闘いがあり、迷いもあります。
でも、主が私をここに植えてくださったが故に、
ここに生きることの幸いを感じます。
主よ、
あなたが、私をここに植えてくださったこと、
ここに導き、ここに生かしてくださっていることを、
心から感謝します。
これからも、あなたの御手をもって、
私を導いてください。
2011-02-19
とりあえず、寒さ情報。
明日に備えて寝ますが、
ここの天気情報を頼りにされているNY/NJ地区の皆さんのために寒さ情報更新。
かなり寒いです。(わかっているか・・・)
今、夜の11時過ぎですが、-5.7度。
そして、月、火の雪ですが、どうやら、
明日の夜が中心になりそうです。
月曜日の明け方には峠を越して、
月曜日の夜から、火曜日にかけては、
ただ、寒い!という天気みたいです。
一度暖かいのを経験してしまった体にはホントに堪えます。
皆さんお風邪など引かれませんように。
ここの天気情報を頼りにされているNY/NJ地区の皆さんのために寒さ情報更新。
かなり寒いです。(わかっているか・・・)
今、夜の11時過ぎですが、-5.7度。
そして、月、火の雪ですが、どうやら、
明日の夜が中心になりそうです。
月曜日の明け方には峠を越して、
月曜日の夜から、火曜日にかけては、
ただ、寒い!という天気みたいです。
一度暖かいのを経験してしまった体にはホントに堪えます。
皆さんお風邪など引かれませんように。
2011-02-18
たましいが喜ぶこと。
今日は暖かかったです。
18度Cまで上がりました。
でも、午後3時頃からはどんどん気温が下がって、
今は夜の8時過ぎですが、
11.4度C。まだまだ十分暖かいですね。
ほぼ、雪も融けて、芝生も所々見えて来ています。
でも、とにかく暖かさも今日までで、
明日からは現実に戻ります。
今夜これからぐんぐん気温が下がって、
明日の朝の予想は0度Cくらい。
で、その後の予報ですが、
日曜日の夜は雪やみぞれ、sleetなど。
月曜日も雨や雪だと思います。
たくさん積もることはないと思いますが、
火曜日も朝のうち雪かな。
今日も午前中は祈り会。
そして、午後は祈り、本を読み、また日曜日の準備をしながら過ごしました。
今、本当に大切にしなければ、と思わされているのは、
自分の「たましい」が喜ぶこと。
それは「自分のことしか考えない」とか「自己中心に生きる」ということとはちょっと違う感覚で、ホントに神様の喜ばれる歩みは、好きなこととは違って、放っておいても、自分の生きたいように生きれば、神様が喜ばれるという訳ではなくて、そういうことじゃなくて、でも、ある意味「十字架を負うような歩み」なんだけど、それでいて、「たましい」の深いところに喜びを感じるというか、「なんだかなあ」というんじゃなくて、深い喜びがあるような、そんなことを大切にしたいと思うんです。
うーん、伝わるかなあ。
無理している時って、「神様に従っている」感もない時があるんです。「ああ、自分は人に気を遣ってこれやっているよな。そして、これ、自分的にもしんどいし、神様も喜んでおられないんじゃないかな」的なこと。
逆に、「神様に従っている」感があることなら、自分的にしんどくても、評判がどうでも、大丈夫。それが「たましいの喜ぶこと」かな。あ、でもその「神様に従っている」感があることも、いつも聖書によってチェックされ、祈ってくれている信頼できる人によって確認されることも大切だと思うけど。
さて、今日の聖書。
今日はアモス8:1-14。
「彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを探し求めて、行き巡る。」12節。
このアモスの預言は、「みことばのききん」について語っている。
つまり、人々が求めても、神の語りかけを頂けない時が来る、という預言だ。
アモスの言葉自体が神からの語りかけを預かって、人々に伝えているのだから、問題は、「やがて御言葉が聞きたくても聞けない時が来る」ということ自体よりも、今、神の言葉を聞けているときに、聞こうとしない姿勢なんだろうと思う。
そうなんだよねえ。
神様は語ろうとしておられるんだよねえ。
なのに、自分はちゃんと聞いているだろうか。
他の何かによって心を満たそうとしていないだろうか。
日曜日のために、御言葉を待ち望みながら、
本当に自分の信仰の姿勢を問われるような思いがしました。
主よ、
あなたのみことばを与えてください。
そして、私があなたの語りかけを聞くことができますように。
その飢え渇きと、敏感さを与えてください。
18度Cまで上がりました。
でも、午後3時頃からはどんどん気温が下がって、
今は夜の8時過ぎですが、
11.4度C。まだまだ十分暖かいですね。
ほぼ、雪も融けて、芝生も所々見えて来ています。
でも、とにかく暖かさも今日までで、
明日からは現実に戻ります。
今夜これからぐんぐん気温が下がって、
明日の朝の予想は0度Cくらい。
で、その後の予報ですが、
日曜日の夜は雪やみぞれ、sleetなど。
月曜日も雨や雪だと思います。
たくさん積もることはないと思いますが、
火曜日も朝のうち雪かな。
今日も午前中は祈り会。
そして、午後は祈り、本を読み、また日曜日の準備をしながら過ごしました。
今、本当に大切にしなければ、と思わされているのは、
自分の「たましい」が喜ぶこと。
それは「自分のことしか考えない」とか「自己中心に生きる」ということとはちょっと違う感覚で、ホントに神様の喜ばれる歩みは、好きなこととは違って、放っておいても、自分の生きたいように生きれば、神様が喜ばれるという訳ではなくて、そういうことじゃなくて、でも、ある意味「十字架を負うような歩み」なんだけど、それでいて、「たましい」の深いところに喜びを感じるというか、「なんだかなあ」というんじゃなくて、深い喜びがあるような、そんなことを大切にしたいと思うんです。
うーん、伝わるかなあ。
無理している時って、「神様に従っている」感もない時があるんです。「ああ、自分は人に気を遣ってこれやっているよな。そして、これ、自分的にもしんどいし、神様も喜んでおられないんじゃないかな」的なこと。
逆に、「神様に従っている」感があることなら、自分的にしんどくても、評判がどうでも、大丈夫。それが「たましいの喜ぶこと」かな。あ、でもその「神様に従っている」感があることも、いつも聖書によってチェックされ、祈ってくれている信頼できる人によって確認されることも大切だと思うけど。
さて、今日の聖書。
今日はアモス8:1-14。
「彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを探し求めて、行き巡る。」12節。
このアモスの預言は、「みことばのききん」について語っている。
つまり、人々が求めても、神の語りかけを頂けない時が来る、という預言だ。
アモスの言葉自体が神からの語りかけを預かって、人々に伝えているのだから、問題は、「やがて御言葉が聞きたくても聞けない時が来る」ということ自体よりも、今、神の言葉を聞けているときに、聞こうとしない姿勢なんだろうと思う。
そうなんだよねえ。
神様は語ろうとしておられるんだよねえ。
なのに、自分はちゃんと聞いているだろうか。
他の何かによって心を満たそうとしていないだろうか。
日曜日のために、御言葉を待ち望みながら、
本当に自分の信仰の姿勢を問われるような思いがしました。
主よ、
あなたのみことばを与えてください。
そして、私があなたの語りかけを聞くことができますように。
その飢え渇きと、敏感さを与えてください。
2011-02-17
巡り巡って。
今日は暖かくなりました。
午前中は曇っててちょっと肌寒かったですが、
午後は晴れて暖かくなりました。
そして、明日はもっと暖かくなりそうです。
でも、土曜日から寒くなって、
来週はずっと肌寒いかな。
月曜日、火曜日はstormが来るかな。
特に火曜日は雪の可能性もあり。
昨日の夕方は、15年くらい前に、同じ大学院で勉強していたんだ、という方にお会いした。どういうわけだか、15年前はお会いしたことがないのだけれども、共通の知り合いもあり、大学院の話もあり、ホント不思議に神様が出会わせてくださったんだと思わされた。
そして、今日の夕方は久しぶりにある方とゆっくりお話しすることができた。3年ぶりか、4年ぶりか。今日も本当に神様が導いてくださったことを感じた。
一つ一つのことに神様の導きを感じる。
だから、自分のすべきことは「何かをする」こと以上に、出会いが与えられたときに、それを喜んで受け止めることのできる心の状態の自分でいること、そっちの方がずっと大切なような気がして来た。
明日はまた違うことを言っているかもしれませんが、今日の自分は「一生懸命走り回って伝道することよりも、神様が出会いを与えてくださったときに、それを喜んで受け止めることのできる心の状態をキープすることの方が大切なんじゃないか」ってつくづく思わされています。もちろん、「あれかこれか」ということではなくて、両方なんでしょうけどね。
でも、本当に自分の力を超えた神様の御業に感謝。
さて、今日の聖書。
今日はアモス書7:10-17。
「今、主のことばを聞け。」16節。
牧者・・・つまり羊飼いで、
神から預言者として召されたアモスは、
祭司から「ここで預言するな」と言われた。
でも、彼は、「神が語れと言われるのだから、私は黙らない」とそれを拒否する。神のメッセージを語る者の責任を思わされた。
そんなことを語るな、そのことを言うな・・・。
そういう声も聞こえてくることもある。
でも、主が語られたことを語るのは私達の使命。
恐れない強さを、
主が語ってくださったと言える主との関係を、
与えていただきたいと思わされた。
主よ、
あなたの御言葉に従うことを教えてください。
あなたに語られたことを語らせてください。
勇気と確信を与えてください。
一つ一つの出会いに感謝します。
明日もあなたの導きを味わわせてください。
午前中は曇っててちょっと肌寒かったですが、
午後は晴れて暖かくなりました。
そして、明日はもっと暖かくなりそうです。
でも、土曜日から寒くなって、
来週はずっと肌寒いかな。
月曜日、火曜日はstormが来るかな。
特に火曜日は雪の可能性もあり。
昨日の夕方は、15年くらい前に、同じ大学院で勉強していたんだ、という方にお会いした。どういうわけだか、15年前はお会いしたことがないのだけれども、共通の知り合いもあり、大学院の話もあり、ホント不思議に神様が出会わせてくださったんだと思わされた。
そして、今日の夕方は久しぶりにある方とゆっくりお話しすることができた。3年ぶりか、4年ぶりか。今日も本当に神様が導いてくださったことを感じた。
一つ一つのことに神様の導きを感じる。
だから、自分のすべきことは「何かをする」こと以上に、出会いが与えられたときに、それを喜んで受け止めることのできる心の状態の自分でいること、そっちの方がずっと大切なような気がして来た。
明日はまた違うことを言っているかもしれませんが、今日の自分は「一生懸命走り回って伝道することよりも、神様が出会いを与えてくださったときに、それを喜んで受け止めることのできる心の状態をキープすることの方が大切なんじゃないか」ってつくづく思わされています。もちろん、「あれかこれか」ということではなくて、両方なんでしょうけどね。
でも、本当に自分の力を超えた神様の御業に感謝。
さて、今日の聖書。
今日はアモス書7:10-17。
「今、主のことばを聞け。」16節。
牧者・・・つまり羊飼いで、
神から預言者として召されたアモスは、
祭司から「ここで預言するな」と言われた。
でも、彼は、「神が語れと言われるのだから、私は黙らない」とそれを拒否する。神のメッセージを語る者の責任を思わされた。
そんなことを語るな、そのことを言うな・・・。
そういう声も聞こえてくることもある。
でも、主が語られたことを語るのは私達の使命。
恐れない強さを、
主が語ってくださったと言える主との関係を、
与えていただきたいと思わされた。
主よ、
あなたの御言葉に従うことを教えてください。
あなたに語られたことを語らせてください。
勇気と確信を与えてください。
一つ一つの出会いに感謝します。
明日もあなたの導きを味わわせてください。
2011-02-16
自立のストーリー。
NYで一日を過ごす日。
今日はこの後、ちょっと予定があって、
夜には祈り会があって、
帰ってからではまたしんどいので、
今のうちに更新。
今朝も寒かったですね。
でも、もう風は収まっていて、
きょうは暖かくなるとわかっていたので、
らくちんでした。
明日、明後日とあたたかな日が続きます。
もちろん、いつまでもは続きませんから、
楽しまないとね。
ミッドタウンにいますが、この後の予定までは歩いて移動。
太陽に当たって、脳内物質のバランスを回復させて、脂肪も燃やす。
大切ですよね。
さて、去年の秋頃に初めて聞いたのですが、
「トイレの神様」が1月末に見た「紅白」のおかげで、
我が家でブレイク中。おそ〜、とか言われそうですが、
まだ、「知らない」という方々が周りにおられるので、
遅ればせながら、埋め込んでおきますね。
約1000万回の再生の中で、20回くらいは、うちの家族。
特に、サキがえらく気に入ったみたい。
一番好きな歌手はJustin Bieberという、
典型的なミーハー娘なんですが、
日本の歌は、こうゆうのが好きみたいで。
去年はアンジェラ・アキでしたからね。
一応「嵐」とかも、知ってはいるのですが・・・。
で、「トイレの神様」の話ですが、
人によって、感じる部分が違うんでしょうが、
私にとっては、「自立」の歌であり、
自分の親や周囲に対する「反発」と「感謝」を思い出させてくれる歌です。
勝手な思い込みだとしても、
「いつの間にかマイ・ストーリーを歌ってくれている。」
そんな気がします。
「どうしてだろう?」と歌われていますが、
絶対、彼女はおばあちゃんのもとを去らなければいけなかった。
出て行かなければならなかった。
「大切なものをなくして行く・・・」と歌っているけど、
確かになくしたものはたくさんあったけど、
何かをなくしてでも得なくてはならないものがあった。
ぶつからなければならなかった。
うまくやっていてはいけなかった。
でも、そこにはやっぱり「悪かったな」と思う思いがある。
だって、育ててくれたんだから。
愛してくれたんだから。
厳しい言葉だって、大切な存在だからこそ与えてくれたんだから。
そして、人の命には限りがある。
だから、「何でもっと優しくできなかったんだろう」
そういう経験をする。
でも、きっといいのだと思います。それで。
神学校にいたころに、
心理学の先生が言っておられました。
「思春期、青年期に、子供たちは親の作った小屋を壊して、自分の家を建てなければいけない。だから、親があんまり立派な家を建ててしまうと、それを壊すのにものすごいエネルギーがいる。反対に親の作った小屋があまりに不安定だと、どうしていいかわからなくなる。」
小屋を壊してよかったんだって。
壊したからこそ、「ありがとう」って思いがわいてくる。
振り返って親としての立場に立つと、
基本的に何でもOKの親ですが、
頑固な部分もしっかり持っていないとな、と思っています。
そして、自分たちが作った小屋を子供たちが壊して、自分の家を建てたときに、
それが痛くても「おめでとう」と言ってやれることができるように。
ということで、そんな親の元で、
この歌、子供たちはどんな気持ちで聞いているんだろうなあ、と思います。
大人の自分たちがわからない、いや、忘れてしまった、
心動かされるポイントがあるんでしょうね。
でも、面白いことに、この2週間、毎週日曜日に、教会から帰ると、みんなでトイレ掃除をするようになりました。これが一番の収穫、かな。あと、「おばあちゃんに会いたいか?」と聞くと、涙目で「うん」とも。
さあ、おばあちゃんたちにはしっかり五目並べを練習してもらっておかないと・・・。
次に会わせてあげられるのは、いつになるかわからないけど。
さて、今日の聖書。
今日はアモス7:1-9。
「神、主よ。どうぞお赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」2節。
アモスのとりなしの姿。
必死になって、神の前に民のために取りなしをした。
預言者の本来の働きは、
神の側に立って、神のメッセージを人々に伝えること。
けれども、ここで、アモスは、
人々の側に立って神にとりなしをするのです。
自分もとりなしの使命が与えられているんだよなあと思わされました。
そう、神様の前に立って、執りなす者とならせていただきたいです。
神様はそのような者を探している、とも言われました。
人々への愛。
人々への関心。
私もとしなしの使命を果たさせていただこう。
主よ、
どうか、今日、この地で歩む人々、
ここに生きる人々のために、守りを与え、
赦し、生かしてくださいますように。
私をもっともっととりなしの祈りの世界に引き入れてください。
今日はこの後、ちょっと予定があって、
夜には祈り会があって、
帰ってからではまたしんどいので、
今のうちに更新。
今朝も寒かったですね。
でも、もう風は収まっていて、
きょうは暖かくなるとわかっていたので、
らくちんでした。
明日、明後日とあたたかな日が続きます。
もちろん、いつまでもは続きませんから、
楽しまないとね。
ミッドタウンにいますが、この後の予定までは歩いて移動。
太陽に当たって、脳内物質のバランスを回復させて、脂肪も燃やす。
大切ですよね。
さて、去年の秋頃に初めて聞いたのですが、
「トイレの神様」が1月末に見た「紅白」のおかげで、
我が家でブレイク中。おそ〜、とか言われそうですが、
まだ、「知らない」という方々が周りにおられるので、
遅ればせながら、埋め込んでおきますね。
約1000万回の再生の中で、20回くらいは、うちの家族。
特に、サキがえらく気に入ったみたい。
一番好きな歌手はJustin Bieberという、
典型的なミーハー娘なんですが、
日本の歌は、こうゆうのが好きみたいで。
去年はアンジェラ・アキでしたからね。
一応「嵐」とかも、知ってはいるのですが・・・。
で、「トイレの神様」の話ですが、
人によって、感じる部分が違うんでしょうが、
私にとっては、「自立」の歌であり、
自分の親や周囲に対する「反発」と「感謝」を思い出させてくれる歌です。
勝手な思い込みだとしても、
「いつの間にかマイ・ストーリーを歌ってくれている。」
そんな気がします。
「どうしてだろう?」と歌われていますが、
絶対、彼女はおばあちゃんのもとを去らなければいけなかった。
出て行かなければならなかった。
「大切なものをなくして行く・・・」と歌っているけど、
確かになくしたものはたくさんあったけど、
何かをなくしてでも得なくてはならないものがあった。
ぶつからなければならなかった。
うまくやっていてはいけなかった。
でも、そこにはやっぱり「悪かったな」と思う思いがある。
だって、育ててくれたんだから。
愛してくれたんだから。
厳しい言葉だって、大切な存在だからこそ与えてくれたんだから。
そして、人の命には限りがある。
だから、「何でもっと優しくできなかったんだろう」
そういう経験をする。
でも、きっといいのだと思います。それで。
神学校にいたころに、
心理学の先生が言っておられました。
「思春期、青年期に、子供たちは親の作った小屋を壊して、自分の家を建てなければいけない。だから、親があんまり立派な家を建ててしまうと、それを壊すのにものすごいエネルギーがいる。反対に親の作った小屋があまりに不安定だと、どうしていいかわからなくなる。」
小屋を壊してよかったんだって。
壊したからこそ、「ありがとう」って思いがわいてくる。
振り返って親としての立場に立つと、
基本的に何でもOKの親ですが、
頑固な部分もしっかり持っていないとな、と思っています。
そして、自分たちが作った小屋を子供たちが壊して、自分の家を建てたときに、
それが痛くても「おめでとう」と言ってやれることができるように。
ということで、そんな親の元で、
この歌、子供たちはどんな気持ちで聞いているんだろうなあ、と思います。
大人の自分たちがわからない、いや、忘れてしまった、
心動かされるポイントがあるんでしょうね。
でも、面白いことに、この2週間、毎週日曜日に、教会から帰ると、みんなでトイレ掃除をするようになりました。これが一番の収穫、かな。あと、「おばあちゃんに会いたいか?」と聞くと、涙目で「うん」とも。
さあ、おばあちゃんたちにはしっかり五目並べを練習してもらっておかないと・・・。
次に会わせてあげられるのは、いつになるかわからないけど。
さて、今日の聖書。
今日はアモス7:1-9。
「神、主よ。どうぞお赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです。」2節。
アモスのとりなしの姿。
必死になって、神の前に民のために取りなしをした。
預言者の本来の働きは、
神の側に立って、神のメッセージを人々に伝えること。
けれども、ここで、アモスは、
人々の側に立って神にとりなしをするのです。
自分もとりなしの使命が与えられているんだよなあと思わされました。
そう、神様の前に立って、執りなす者とならせていただきたいです。
神様はそのような者を探している、とも言われました。
人々への愛。
人々への関心。
私もとしなしの使命を果たさせていただこう。
主よ、
どうか、今日、この地で歩む人々、
ここに生きる人々のために、守りを与え、
赦し、生かしてくださいますように。
私をもっともっととりなしの祈りの世界に引き入れてください。
寒かったねえ。
いやあ、一度暖かいのを経験しちゃうと、
-5度とか、ちょー寒い、って感じになりますね。
12時回ったんで、昨日ですが、昨日の朝は、
「なんでこんなに寒いんだ!!」と怒りながら、運転していましたよ。
昼間もほとんど氷点下。
今は夜の12時半。なんと-4.8度C。
朝には-7度Cくらいまで下がるでしょうね。
でも、午後には暖かくなって、
そのあと、土曜日の夜くらいまでは氷点下にならないみたいです。
金曜日、どこまで暖かくなるか、楽しみですが、
多分15度Cくらいまで。いや、もっとかな。
昨日は個人的に、ホントにすばらしい証しを伺いました。
神様はすばらしい。聖書の言葉には力がある。
もっともっと御言葉を信頼して、神様を信頼して、
ひととき、問題がなかなか解決しないと思っても、
希望を持って、最善をなさる主を信頼して、
歩んで行きたいと思いました。
昨日の聖書。アモス6:1-14でした。
「あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている」3節。
なかなか自分のしていることには気がつかない。
自分では神に従っているつもりだったり、
回復に向かっているつもりだったり、
前進しているつもりだったりしても、
正反対のこともあるんだろう。
だから、本当に謙虚さを忘れないでいたい。
主に従っている、と信じている時こそ、
謙虚さを忘れないでいたい。
私に対するメッセージだと思った。
本当に主の前にへりくだって、
主の導きを求めて、歩んで行きたい。
主よ、
あなたの前の謙虚さを忘れることがありませんように。
自分があなたに従っていると思っているときにこそ、
心をあなたに探っていただくことができますように。
さて、4時半後には起きて、NYC行きのバスだ!
-5度とか、ちょー寒い、って感じになりますね。
12時回ったんで、昨日ですが、昨日の朝は、
「なんでこんなに寒いんだ!!」と怒りながら、運転していましたよ。
昼間もほとんど氷点下。
今は夜の12時半。なんと-4.8度C。
朝には-7度Cくらいまで下がるでしょうね。
でも、午後には暖かくなって、
そのあと、土曜日の夜くらいまでは氷点下にならないみたいです。
金曜日、どこまで暖かくなるか、楽しみですが、
多分15度Cくらいまで。いや、もっとかな。
昨日は個人的に、ホントにすばらしい証しを伺いました。
神様はすばらしい。聖書の言葉には力がある。
もっともっと御言葉を信頼して、神様を信頼して、
ひととき、問題がなかなか解決しないと思っても、
希望を持って、最善をなさる主を信頼して、
歩んで行きたいと思いました。
昨日の聖書。アモス6:1-14でした。
「あなたがたは、わざわいの日を押しのけている、と思っているが、暴虐の時代を近づけている」3節。
なかなか自分のしていることには気がつかない。
自分では神に従っているつもりだったり、
回復に向かっているつもりだったり、
前進しているつもりだったりしても、
正反対のこともあるんだろう。
だから、本当に謙虚さを忘れないでいたい。
主に従っている、と信じている時こそ、
謙虚さを忘れないでいたい。
私に対するメッセージだと思った。
本当に主の前にへりくだって、
主の導きを求めて、歩んで行きたい。
主よ、
あなたの前の謙虚さを忘れることがありませんように。
自分があなたに従っていると思っているときにこそ、
心をあなたに探っていただくことができますように。
さて、4時半後には起きて、NYC行きのバスだ!
2011-02-14
助けられてた。
今日は暖かかったですねえ。
ホント、外に出るのが楽しみ!
ってくらいでした。
14度くらいまで上がりましたね。
雪もずいぶん減って、
もしかしたら、今度の週末には、
地面が6週間ぶりに芝生が見えるかも。
でも、今夜はぐっと冷えて来ています。
今、夜の11時半ですが、2.4度。
明日の朝は-5度くらいでしょうか。
今日の夜は、NYCの教会で、集会がありました。
メッセージをされたのは、今週末に帰られる日本語の先生。
メッセージを聞きながら、16年前のことを思い出していました。
そう、すっかり忘れていたのですが、
アトランタから一人でトラックを運転して、
引越して来た自分。
こちらには一人も知り合いもいなくて、
頼ったのは弟を知っているという牧師さんで、
その知り合いの神学生が同じ大学の構内にいる、
ということで、紹介していただいたのでした。
で、トラックだったんですが、
その頃はカーナビもなく、インターネットも、
文字データが主流の時代。
Mac はSystem 7とか、漢字Talk。
Windowsは3.1でした。
で、アトランタからNJまでのルートをAAAで教えてもらって、
来たんですが、トラックだと言わなかったもんだから、
Gardens State Parkwayを使うルートを教えてもらったんですよね。
で、そこに入ろうと思ったら、「NO Truck」ってあるじゃないですか。
「えー、これトラックかなあ?2トン車だからまあいいか。トラックってのは、車輪が18個あるヤツだよねえ。18 wheelerっていうし。」ととんでもない解釈をして、その有料道路に入ったら、上を通っている橋が低い低い。
ヒヤヒヤしながら、いくつもの橋をくぐって、周りを見回しても、自分と同じサイズの車は全く走っておらず、料金所で「どうしてココ走ってるんだ?」と言われながらも、捕まることもなく、「やっぱり知らないところは大変だなあ」と思いながら、着いた大学で迎えてくれたのが、今日メッセージをしてくださった先生なんですねえ。(説明長っ)その頃、神学生で同じ大学におられたんです。
ホントに心強かったです。
だって、一人でトラックに乗って来たから、
トラックは返さなければいけない、車はない・・・ですからね。
それまで、サンディエゴに来た時は兄がいたし、
アトランタには弟と先輩がいた。
でも、NJはホントに知り合いいませんでしたから。
留学生オフィスも全然手取り足取りではなかったでしたから。
でも、そんなこと思い出していたら、
ホントにここまで、多くの方々の助けで来たなあと思います。
そして、そういう助けに図々しく甘えて来たなあと。
これからも、知り合いの全くない中で、
こっちに来る人たち、若い人たちのために、
私がしてもらったように、できる者になりたいと思います。
あ、それで、集会が終わって帰ろうと思って、
車に戻ったら、なんと消火栓の真ん前に駐車してるじゃん自分。
歩道に積んであったゴミに気を取られて、消火栓に気がつきませんでした。
どこかに駐車違反のチケットが挟んでないか、心配でしたが、
大丈夫だったみたいです。奇跡。ホッ。
なんだか交通違反告白日記みたいになっちゃいましたね。
さて、今日の聖書。
今日はアモス5:18-27。
「公義を水のように、正義をいつも水のながれる川のように、流れさせよ。」24節。
熱心さも、熱心さだけでは、それが的外れだったら、
神は喜ばれない。
神様の願われることを聞くこと、求められることを聞くこと。
私たちの情熱や捧げものや音楽やそういうものではなくて、
神様に聞いて従うこと。
それを主は喜ばれる。
御言葉に従うこと、語られたことに従うこと。
信仰は気持ちの問題ではない、
行動の問題。信頼して、勇気を持って踏み出すこと。
主よ、
あなたの導きに従わせてください。
あなたの願う道に導いてください。
従うことを教えてください。
ホント、外に出るのが楽しみ!
ってくらいでした。
14度くらいまで上がりましたね。
雪もずいぶん減って、
もしかしたら、今度の週末には、
地面が6週間ぶりに芝生が見えるかも。
でも、今夜はぐっと冷えて来ています。
今、夜の11時半ですが、2.4度。
明日の朝は-5度くらいでしょうか。
今日の夜は、NYCの教会で、集会がありました。
メッセージをされたのは、今週末に帰られる日本語の先生。
メッセージを聞きながら、16年前のことを思い出していました。
そう、すっかり忘れていたのですが、
アトランタから一人でトラックを運転して、
引越して来た自分。
こちらには一人も知り合いもいなくて、
頼ったのは弟を知っているという牧師さんで、
その知り合いの神学生が同じ大学の構内にいる、
ということで、紹介していただいたのでした。
で、トラックだったんですが、
その頃はカーナビもなく、インターネットも、
文字データが主流の時代。
Mac はSystem 7とか、漢字Talk。
Windowsは3.1でした。
で、アトランタからNJまでのルートをAAAで教えてもらって、
来たんですが、トラックだと言わなかったもんだから、
Gardens State Parkwayを使うルートを教えてもらったんですよね。
で、そこに入ろうと思ったら、「NO Truck」ってあるじゃないですか。
「えー、これトラックかなあ?2トン車だからまあいいか。トラックってのは、車輪が18個あるヤツだよねえ。18 wheelerっていうし。」ととんでもない解釈をして、その有料道路に入ったら、上を通っている橋が低い低い。
ヒヤヒヤしながら、いくつもの橋をくぐって、周りを見回しても、自分と同じサイズの車は全く走っておらず、料金所で「どうしてココ走ってるんだ?」と言われながらも、捕まることもなく、「やっぱり知らないところは大変だなあ」と思いながら、着いた大学で迎えてくれたのが、今日メッセージをしてくださった先生なんですねえ。(説明長っ)その頃、神学生で同じ大学におられたんです。
ホントに心強かったです。
だって、一人でトラックに乗って来たから、
トラックは返さなければいけない、車はない・・・ですからね。
それまで、サンディエゴに来た時は兄がいたし、
アトランタには弟と先輩がいた。
でも、NJはホントに知り合いいませんでしたから。
留学生オフィスも全然手取り足取りではなかったでしたから。
でも、そんなこと思い出していたら、
ホントにここまで、多くの方々の助けで来たなあと思います。
そして、そういう助けに図々しく甘えて来たなあと。
これからも、知り合いの全くない中で、
こっちに来る人たち、若い人たちのために、
私がしてもらったように、できる者になりたいと思います。
あ、それで、集会が終わって帰ろうと思って、
車に戻ったら、なんと消火栓の真ん前に駐車してるじゃん自分。
歩道に積んであったゴミに気を取られて、消火栓に気がつきませんでした。
どこかに駐車違反のチケットが挟んでないか、心配でしたが、
大丈夫だったみたいです。奇跡。ホッ。
なんだか交通違反告白日記みたいになっちゃいましたね。
さて、今日の聖書。
今日はアモス5:18-27。
「公義を水のように、正義をいつも水のながれる川のように、流れさせよ。」24節。
熱心さも、熱心さだけでは、それが的外れだったら、
神は喜ばれない。
神様の願われることを聞くこと、求められることを聞くこと。
私たちの情熱や捧げものや音楽やそういうものではなくて、
神様に聞いて従うこと。
それを主は喜ばれる。
御言葉に従うこと、語られたことに従うこと。
信仰は気持ちの問題ではない、
行動の問題。信頼して、勇気を持って踏み出すこと。
主よ、
あなたの導きに従わせてください。
あなたの願う道に導いてください。
従うことを教えてください。
2011-02-13
Winter Is Over.
今日は暖かくなりました。
夜の11時になろうとしているのに、
2.7度もあります。
で、ここでまた大胆に預言しますが、
もう今年の冬は終わりました!
雪が降ったり、氷点下になったりは
これからもちょっとはあるかもしれませんが、
もう冬ではありません。
春の雪だったり、春の中に「寒の戻り」がある感じです。
やったね。春だね。
今週の後半はもう15度くらいまで上がるかもですよ。
今日頂いた平安。
本当に神様に従っている平安。
今までの人生の中でなかったような感覚。
主に従うことはこんなことのなのか、とわかる。
人に動かされるのではなくて、
主に動かされる。
逆風が吹いて来ても、
思い通りにならなくても、
主がしてくださることを信頼して歩める。
主の前に畏れつつ。
さて、早速今日の聖書。
アモス書の5:1-17。
「わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。」4-5節。
他のところに答えを求めるな。
他のところに救いを求めるな。
神様に答えがある。
神様にいのちがある。
そこに歩んで行けば大丈夫。
そうなんだなあと思う。
危機に、きついときに、つらいときに、
私たちは神以外のものに目が向く時がある。
神以外のものに救いを求めたくなる時がある。
だからこそ、いつもいつも主に目を向ける。
主よ、あなたを求めます。
あなたにいのちを求めます。
救いを求めます。
夜の11時になろうとしているのに、
2.7度もあります。
で、ここでまた大胆に預言しますが、
もう今年の冬は終わりました!
雪が降ったり、氷点下になったりは
これからもちょっとはあるかもしれませんが、
もう冬ではありません。
春の雪だったり、春の中に「寒の戻り」がある感じです。
やったね。春だね。
今週の後半はもう15度くらいまで上がるかもですよ。
今日頂いた平安。
本当に神様に従っている平安。
今までの人生の中でなかったような感覚。
主に従うことはこんなことのなのか、とわかる。
人に動かされるのではなくて、
主に動かされる。
逆風が吹いて来ても、
思い通りにならなくても、
主がしてくださることを信頼して歩める。
主の前に畏れつつ。
さて、早速今日の聖書。
アモス書の5:1-17。
「わたしを求めて生きよ。ベテルを求めるな。ギルガルに行くな。」4-5節。
他のところに答えを求めるな。
他のところに救いを求めるな。
神様に答えがある。
神様にいのちがある。
そこに歩んで行けば大丈夫。
そうなんだなあと思う。
危機に、きついときに、つらいときに、
私たちは神以外のものに目が向く時がある。
神以外のものに救いを求めたくなる時がある。
だからこそ、いつもいつも主に目を向ける。
主よ、あなたを求めます。
あなたにいのちを求めます。
救いを求めます。
2011-02-10
TV Japan is back!
今朝はちょっと曇っていたおかげか、
それほど冷え込まないで-6度C。
でも、一日氷点下で、今夜は晴れて、今は夜の12時前ですが、-9度Cくらいまで下がっています。明日の朝は、やっぱりマイナス二桁かな。
でも、明日もう一日真冬日の後、ちょっと暖かくなりそうです。
来週にかけて10度を超える日も出てくるのでは・・・と期待しています。
東京は雪のようですね。
結構降る予報が出ていますが・・・。
さて、ウチの近所では、
二つのケーブルテレビ会社がしのぎを削っており、
おかげで、大バーゲン中です。
テレビとインターネットと電話、全部使い放題で、ちょっと前まで、100ドル(=だいたい8000円)位だったのが、今は70−80ドルくらいに落ちて来ています。今日は、それに、無料でTV Japan(一日中日本語放送をしている。普通は月に25ドル)をつけて、DVRをつけて、無料の国際電話をつけるよ、と言われて、あっさり陥落。実は2年半くらい前にTV Japan無料キャンペーンあって、最初は「1年間」と言われたのを、2年間楽しませていただいて、昨年の秋に残念ながらそれが終わりになって、もっと安い会社に変えたのですが、今度はその安い値段でTV JapanやDVRや国際電話がみんなタダにするから帰って来いと。もしも、ライバル会社に契約中途解約のペナルティーを課せられたら350ドルまでは持ってやるとも。それにこの会社、毎週火曜日に映画のチケット2枚タダ。すごいですねえ。そこまでして、お客さんが欲しいんですね。こっちは助かるけど。
ということで、来週後半には24時間日本語放送が帰って来ます。
ま、そんなに見ないんだけど・・・ね。でも、タダだから。
ご近所の皆さん、もしかしたら、そちらでもプロモーションをやっているかもしれません。ぜひ、「ダメもと」で交渉してみてください。何でも交渉した者勝ちの社会ですから・・・。
今日の聖書はアモス書3:1-8。
「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」7節。
神様は、ご自分のなそうとされていることを、私たちに示そうとされている。示して、そして行動される。だったら、やはり、私たちは、神様が何をなそうとされているかを教えていただけるように、その待ち望んで行く、聞いて行く、姿勢を持って行きたい。
神様は語ろうとされているんだから、あのサムエルのように「主をお語りください。しもべは聞きます」という姿勢で聞くのだ。
そして、そんな神様との距離、神様との関係を作らせていただきたい。
神様が語ろうとされたんだけど、いや、語っておられるんだけど、私たちが聞こうとしない、鈍感で気がつかない、そんなことになりませんように。
主よ、
あなたが私たちに語ろうとされているそのことに気がつきました。
だから、私たちのチューニングを合わせて、あなたの語られることに、
耳を傾けることができますように。
それほど冷え込まないで-6度C。
でも、一日氷点下で、今夜は晴れて、今は夜の12時前ですが、-9度Cくらいまで下がっています。明日の朝は、やっぱりマイナス二桁かな。
でも、明日もう一日真冬日の後、ちょっと暖かくなりそうです。
来週にかけて10度を超える日も出てくるのでは・・・と期待しています。
東京は雪のようですね。
結構降る予報が出ていますが・・・。
さて、ウチの近所では、
二つのケーブルテレビ会社がしのぎを削っており、
おかげで、大バーゲン中です。
テレビとインターネットと電話、全部使い放題で、ちょっと前まで、100ドル(=だいたい8000円)位だったのが、今は70−80ドルくらいに落ちて来ています。今日は、それに、無料でTV Japan(一日中日本語放送をしている。普通は月に25ドル)をつけて、DVRをつけて、無料の国際電話をつけるよ、と言われて、あっさり陥落。実は2年半くらい前にTV Japan無料キャンペーンあって、最初は「1年間」と言われたのを、2年間楽しませていただいて、昨年の秋に残念ながらそれが終わりになって、もっと安い会社に変えたのですが、今度はその安い値段でTV JapanやDVRや国際電話がみんなタダにするから帰って来いと。もしも、ライバル会社に契約中途解約のペナルティーを課せられたら350ドルまでは持ってやるとも。それにこの会社、毎週火曜日に映画のチケット2枚タダ。すごいですねえ。そこまでして、お客さんが欲しいんですね。こっちは助かるけど。
ということで、来週後半には24時間日本語放送が帰って来ます。
ま、そんなに見ないんだけど・・・ね。でも、タダだから。
ご近所の皆さん、もしかしたら、そちらでもプロモーションをやっているかもしれません。ぜひ、「ダメもと」で交渉してみてください。何でも交渉した者勝ちの社会ですから・・・。
今日の聖書はアモス書3:1-8。
「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」7節。
神様は、ご自分のなそうとされていることを、私たちに示そうとされている。示して、そして行動される。だったら、やはり、私たちは、神様が何をなそうとされているかを教えていただけるように、その待ち望んで行く、聞いて行く、姿勢を持って行きたい。
神様は語ろうとされているんだから、あのサムエルのように「主をお語りください。しもべは聞きます」という姿勢で聞くのだ。
そして、そんな神様との距離、神様との関係を作らせていただきたい。
神様が語ろうとされたんだけど、いや、語っておられるんだけど、私たちが聞こうとしない、鈍感で気がつかない、そんなことになりませんように。
主よ、
あなたが私たちに語ろうとされているそのことに気がつきました。
だから、私たちのチューニングを合わせて、あなたの語られることに、
耳を傾けることができますように。
2011-02-09
自分は何者か?
いいオヤジが何を青いことを・・・みたいな、題ですが。
でも、お気づきの方もおられるかもしれませんが、
このページは何ヶ月か前に
「NJお天気牧師 日々の祈り」から
「NJお天気オヤジ 日々の祈りと日々の遊び」に変わりました。
「日々の遊び」はとりあえず置いておいて、「お天気牧師」から「お天気オヤジ」になったのは、自分にとって「牧師である」というアイデンティティーは大切だけど、その前に一人の40代半ばのオヤジであるという事が大切だと思ったからです。「牧師」はなくなって「お天気」は残るってどういうこと?という突っ込みもあるかと思いますが、ま、それはご愛嬌ってことで・・・(何の説明にもなってない?)
よく言われるんですが、男は肩書きがなくなったら何が残る?って。名刺が使えなくなったらどうする?って。「牧師」って一般企業の肩書きよりももうちょっと人格と深く結びついていると思うし、「生涯伝道者」って生きて来た先輩たちから見ると腑抜けに見えるかもしれないけど、でも、自分は何だろう?ということを、「牧師」ということを抜きにしても何かが残るような生き方があるんじゃないかな、いや、そういう生き方をしたいと思うんです。
そうですね、「牧師」を抜きにしても、やはり「キリスト」抜きにはできないなあ。「キリストによって表された神の愛に圧倒されて生きているガキんちょみたいなオヤジ」かな。
今日読んでいたコミュニケーション論の本の中で、名刺を渡す以上の自己紹介をしなさい、という課題を読んで、そんなことを考えています。
また、ゆっくり消化します。このテーマ、なんか書きたくなったらまた書きます。(笑)
今朝は寒かった。
温度計見て来なかったけど、多分、氷点下10度C以下。
昼間もずっと氷点下。
NYCに来ていますが、朝バスを待っている時間、寒かったあ。
そして、今夜も昨夜ほどじゃないですが、寒い夜になりそうです。
天気はずっと晴れですが、冷えます。
でも、この寒波、明後日くらいまでで、そのあとは、しばらく緩んでるみたいですよ。
NJでマイナス二桁はこれがこの冬最後くらいかも・・・。
何てまた大胆な・・・・。
さて、今日の聖書。
今日はアモス書の2:9-16。
「預言者には、命じて、預言するな、と言った。」12節。
預言者、それは神の言葉を預かって語るもの。
だから、自分も今は預言者なんだと思う。
でも、本当に主の言葉を語っているだろうか?
それを阻もうとする力が働くことがある。
主の言葉ではなく、聖書のメッセージではなく、
人の喜ぶメッセージ、人の欲求を満たそうとするメッセージ、
それを語らせようとする力が働くことがある。
それは誰か周りの人が働く時もあれば、
自分の心の中の恐れがそれをさせようとすることもある。
今の自分の課題、
ただ、神様の声を聞くこと。
神様の導きを受け取ること。
自分へのメッセージを聞くこと。
かみさま、
あなたのみ声を聞かせてください。
そして、あなたの言葉を語る預言者とならせてください。
さて、これから祈り会。
でも、お気づきの方もおられるかもしれませんが、
このページは何ヶ月か前に
「NJお天気牧師 日々の祈り」から
「NJお天気オヤジ 日々の祈りと日々の遊び」に変わりました。
「日々の遊び」はとりあえず置いておいて、「お天気牧師」から「お天気オヤジ」になったのは、自分にとって「牧師である」というアイデンティティーは大切だけど、その前に一人の40代半ばのオヤジであるという事が大切だと思ったからです。「牧師」はなくなって「お天気」は残るってどういうこと?という突っ込みもあるかと思いますが、ま、それはご愛嬌ってことで・・・(何の説明にもなってない?)
よく言われるんですが、男は肩書きがなくなったら何が残る?って。名刺が使えなくなったらどうする?って。「牧師」って一般企業の肩書きよりももうちょっと人格と深く結びついていると思うし、「生涯伝道者」って生きて来た先輩たちから見ると腑抜けに見えるかもしれないけど、でも、自分は何だろう?ということを、「牧師」ということを抜きにしても何かが残るような生き方があるんじゃないかな、いや、そういう生き方をしたいと思うんです。
そうですね、「牧師」を抜きにしても、やはり「キリスト」抜きにはできないなあ。「キリストによって表された神の愛に圧倒されて生きているガキんちょみたいなオヤジ」かな。
今日読んでいたコミュニケーション論の本の中で、名刺を渡す以上の自己紹介をしなさい、という課題を読んで、そんなことを考えています。
また、ゆっくり消化します。このテーマ、なんか書きたくなったらまた書きます。(笑)
今朝は寒かった。
温度計見て来なかったけど、多分、氷点下10度C以下。
昼間もずっと氷点下。
NYCに来ていますが、朝バスを待っている時間、寒かったあ。
そして、今夜も昨夜ほどじゃないですが、寒い夜になりそうです。
天気はずっと晴れですが、冷えます。
でも、この寒波、明後日くらいまでで、そのあとは、しばらく緩んでるみたいですよ。
NJでマイナス二桁はこれがこの冬最後くらいかも・・・。
何てまた大胆な・・・・。
さて、今日の聖書。
今日はアモス書の2:9-16。
「預言者には、命じて、預言するな、と言った。」12節。
預言者、それは神の言葉を預かって語るもの。
だから、自分も今は預言者なんだと思う。
でも、本当に主の言葉を語っているだろうか?
それを阻もうとする力が働くことがある。
主の言葉ではなく、聖書のメッセージではなく、
人の喜ぶメッセージ、人の欲求を満たそうとするメッセージ、
それを語らせようとする力が働くことがある。
それは誰か周りの人が働く時もあれば、
自分の心の中の恐れがそれをさせようとすることもある。
今の自分の課題、
ただ、神様の声を聞くこと。
神様の導きを受け取ること。
自分へのメッセージを聞くこと。
かみさま、
あなたのみ声を聞かせてください。
そして、あなたの言葉を語る預言者とならせてください。
さて、これから祈り会。
2011-02-08
20年。
さっき書くの忘れてたけど、
今日はハジの20歳の誕生日。
大学に出すときに、もうなんだか責任終えちゃったような気がしていたし、アメリカでは20歳で変わることあるのかなあ?という感じなんですが、まあとにかく、「もうそんなになるのか?」と思います。
思い出すこと、いいこと、楽しかったことが多くて、めんどくさいことは忘れてしまっているのですが、いくつかのバトルも思い出します。
中学生のときかな、夕飯のときにコンピューターから離れられなくて、無視して来たことがあって、「ここで譲っちゃいけない」と思って、必死になって、しつこく、「飯だ、すぐ止めて来い!」と言い続けたこと。その日はもうボロボロだったので、「こんな気持ちじゃ一緒に食べられない!」というのを許して、でも翌日から、メシの時間にはちゃんと一緒に食事ができるようになったな。
あと、「いいからお前が謝れ!」と、ハジにある人に対して理不尽な謝罪をさせたこと。あれは、牧師としての自分の都合を優先させたな。親としてやっちゃいけないことだった。悪かった。
そして、同じ頃だけど、あいつが「マジで神様なんか信じているの?ボクは信じないから!!洗礼なんて受けないから!」とつっぱっていたこと。こっちも負けずに「ああ俺は信じているよ!洗礼なんて頼んで受けてもらうもんじゃないから!」と言い返した・・・んじゃないかな?
どちらかというと、あんまり向き合わないでずるく逃げて来た親かもしれない。
でも、多くの人々に愛されて、支えられて、この日を迎えた。何よりも神様に感謝。20年共に歩むことが許されたこのその時間に心から感謝。
今日はハジの20歳の誕生日。
大学に出すときに、もうなんだか責任終えちゃったような気がしていたし、アメリカでは20歳で変わることあるのかなあ?という感じなんですが、まあとにかく、「もうそんなになるのか?」と思います。
思い出すこと、いいこと、楽しかったことが多くて、めんどくさいことは忘れてしまっているのですが、いくつかのバトルも思い出します。
中学生のときかな、夕飯のときにコンピューターから離れられなくて、無視して来たことがあって、「ここで譲っちゃいけない」と思って、必死になって、しつこく、「飯だ、すぐ止めて来い!」と言い続けたこと。その日はもうボロボロだったので、「こんな気持ちじゃ一緒に食べられない!」というのを許して、でも翌日から、メシの時間にはちゃんと一緒に食事ができるようになったな。
あと、「いいからお前が謝れ!」と、ハジにある人に対して理不尽な謝罪をさせたこと。あれは、牧師としての自分の都合を優先させたな。親としてやっちゃいけないことだった。悪かった。
そして、同じ頃だけど、あいつが「マジで神様なんか信じているの?ボクは信じないから!!洗礼なんて受けないから!」とつっぱっていたこと。こっちも負けずに「ああ俺は信じているよ!洗礼なんて頼んで受けてもらうもんじゃないから!」と言い返した・・・んじゃないかな?
どちらかというと、あんまり向き合わないでずるく逃げて来た親かもしれない。
でも、多くの人々に愛されて、支えられて、この日を迎えた。何よりも神様に感謝。20年共に歩むことが許されたこのその時間に心から感謝。
気づくことから始まるから。
今日はNJは雨だったようですが、
Poconoは雪が降っていました。
5センチくらい積もっていたかな。
午後にはNJに戻って来たのですが、
だいぶ冷えて来ました。
今は夜の9時過ぎですが、
-7.3度C。
明日の朝はまたマイナス二桁コースですね。
この寒さ、3日ほど続いて、
でも、来週はぐっと春めいて来そうです。
乞うご期待!
一泊二日のリトリート。
いろんなことを語り合い、祈り合いました。
何かが解決したというよりも、
気がつかされたいくつもの心の動き。
理屈ではわかっているのに、
心が変に反応してしまうことなど、
あるんですよね。
解決は神様の手の中にあるとして、
自分で「あ、自分はこういう反応してしまうんだよね」
と、それに気がついていると、ちょっと違うこともあるんじゃないかな。
そして、そういう自分の心の反応に
大切な決断が振り回されないこと、
それを思わされています。
神様との関係の中で、物事を見て行くことができるように、
主に従って行くことができるようにと思わされた2日間でした。
相棒の先生にはホントに感謝!
さて、今日の聖書。
今日はアモス書の2章1−8節。
「ユダの犯した三つのそむきの罪・・・」4節。
「イスラエルの犯した三つのそむきの罪・・・」6節。
1章から、イスラエルの周辺の国々の罪について語って来たアモス。
でも、ここでついに、ユダとイスラエルについても、罪を指摘して、裁きを語る。
どんな思いで語ったんだろうなあ。
人の罪にはすぐ気がつく。
でも、自分のことはなかなかわからない。
いや、わかって苦しんでいる人もいるだろう。
それは、もう救いに近い。
でも、わからないことが問題。
自分は大丈夫だと。
それが一番問題なのに、人の罪には気がつき、
自分の問題には気がつかない。
そして、ここでアモスがイスラエルについて取り扱っている問題は、「弱い者を守る使命」を果たしていない、という罪だった。
教会もどうだろうか?
強い人の教会になってしまっていないだろうか?
神様、
私たちはなかなか自分の問題には気がつかない者です。
どうか示してください。
教会はどうでしょうか?
強い人の教会になっていないでしょうか?
「いい人」の教会になっていないでしょうか?
気がつかせてください。
Poconoは雪が降っていました。
5センチくらい積もっていたかな。
午後にはNJに戻って来たのですが、
だいぶ冷えて来ました。
今は夜の9時過ぎですが、
-7.3度C。
明日の朝はまたマイナス二桁コースですね。
この寒さ、3日ほど続いて、
でも、来週はぐっと春めいて来そうです。
乞うご期待!
一泊二日のリトリート。
いろんなことを語り合い、祈り合いました。
何かが解決したというよりも、
気がつかされたいくつもの心の動き。
理屈ではわかっているのに、
心が変に反応してしまうことなど、
あるんですよね。
解決は神様の手の中にあるとして、
自分で「あ、自分はこういう反応してしまうんだよね」
と、それに気がついていると、ちょっと違うこともあるんじゃないかな。
そして、そういう自分の心の反応に
大切な決断が振り回されないこと、
それを思わされています。
神様との関係の中で、物事を見て行くことができるように、
主に従って行くことができるようにと思わされた2日間でした。
相棒の先生にはホントに感謝!
さて、今日の聖書。
今日はアモス書の2章1−8節。
「ユダの犯した三つのそむきの罪・・・」4節。
「イスラエルの犯した三つのそむきの罪・・・」6節。
1章から、イスラエルの周辺の国々の罪について語って来たアモス。
でも、ここでついに、ユダとイスラエルについても、罪を指摘して、裁きを語る。
どんな思いで語ったんだろうなあ。
人の罪にはすぐ気がつく。
でも、自分のことはなかなかわからない。
いや、わかって苦しんでいる人もいるだろう。
それは、もう救いに近い。
でも、わからないことが問題。
自分は大丈夫だと。
それが一番問題なのに、人の罪には気がつき、
自分の問題には気がつかない。
そして、ここでアモスがイスラエルについて取り扱っている問題は、「弱い者を守る使命」を果たしていない、という罪だった。
教会もどうだろうか?
強い人の教会になってしまっていないだろうか?
神様、
私たちはなかなか自分の問題には気がつかない者です。
どうか示してください。
教会はどうでしょうか?
強い人の教会になっていないでしょうか?
「いい人」の教会になっていないでしょうか?
気がつかせてください。
2011-02-07
2011-02-06
助けられて。
昨日の昼前に氷点下を脱出してから、
さっきまで、今日の夕方まで、24時間以上ずっとプラスの気温でした。
ちょっと寒波も緩んだ感じ。
でも、この後、明日の夜はまた雨から雪で、
大したことはないのですが、
その後はかなり寒くなるみたいです。
水、木、金、と氷点下の日々が続きそうです。
明日の夕方から、明後日の午後まで
Poconoにある、クリスチャンのリトリートセンターに、
personal retreatに行って行きます。
ここは、夏以外の時期、平日は牧師の個人的なリトリートのために、
無料で施設を使わせてくださいます。
今回ぜひ、そのようなプログラムをと思っていたところに、
もう一人の牧師と意気投合して、二人で、リトリートをして来ます。
彼はいつも、私のために祈り、励ましてくれる同労者です。
共に祈れる仲間が与えられていることに感謝します。
ここから2時間ほどの山の中。
こっちでは大したことがない雪が、
向こうでは積もるんだろうなあと思います。
でも、またそれも楽しみかな。
あと、アトランタの教会では、
ハジのために20歳の誕生日パーティーをしてくれたみたいです。
多くの方々に励まされて、支えられて、助けられて、
明後日、誕生日を迎えます。
こちらからも親バカメッセージと、
親バカスライドショーを送りました。
ハジの子供の頃からの写真を準備しながら、そして、自分のリトリートのことを思いながら、皆さんが愛によって受け入れてくださり、祈ってくださり、励ましてくださっていることに心から感謝しました。
さて、今日の聖書。
今日からアモス書です。
1章1−8節。
「主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される」2節。
アモス書は、神の裁きを語っている書物だと言われますが、
「日々のみことば」誌を読むと、
繁栄している人々の姿の中に、
神の祝福を見るのではなくて、
罪の中にある人々の姿を見るのです。
今日の礼拝の中で祈ってくださった方も、
そのような祈りをささげておられました。
すべてが順調に進んでいるような中で、
神様を見失ってしまうことがある・・・と。
苦しみの中の方が、神様に近くあるのではないかと。
自分も、本当に気をつけたいと思いました。
主よ、
物事が順調に進むときに、
気をつけさせてください。
あなたを見失うことがありませんように。
あなたに祈ることをやめることがありませんように。
明日のリトリートを祝福してください。
幸いなひとときとなりますように。
さっきまで、今日の夕方まで、24時間以上ずっとプラスの気温でした。
ちょっと寒波も緩んだ感じ。
でも、この後、明日の夜はまた雨から雪で、
大したことはないのですが、
その後はかなり寒くなるみたいです。
水、木、金、と氷点下の日々が続きそうです。
明日の夕方から、明後日の午後まで
Poconoにある、クリスチャンのリトリートセンターに、
personal retreatに行って行きます。
ここは、夏以外の時期、平日は牧師の個人的なリトリートのために、
無料で施設を使わせてくださいます。
今回ぜひ、そのようなプログラムをと思っていたところに、
もう一人の牧師と意気投合して、二人で、リトリートをして来ます。
彼はいつも、私のために祈り、励ましてくれる同労者です。
共に祈れる仲間が与えられていることに感謝します。
ここから2時間ほどの山の中。
こっちでは大したことがない雪が、
向こうでは積もるんだろうなあと思います。
でも、またそれも楽しみかな。
あと、アトランタの教会では、
ハジのために20歳の誕生日パーティーをしてくれたみたいです。
多くの方々に励まされて、支えられて、助けられて、
明後日、誕生日を迎えます。
こちらからも親バカメッセージと、
親バカスライドショーを送りました。
ハジの子供の頃からの写真を準備しながら、そして、自分のリトリートのことを思いながら、皆さんが愛によって受け入れてくださり、祈ってくださり、励ましてくださっていることに心から感謝しました。
さて、今日の聖書。
今日からアモス書です。
1章1−8節。
「主はシオンから叫び、エルサレムから声を出される」2節。
アモス書は、神の裁きを語っている書物だと言われますが、
「日々のみことば」誌を読むと、
繁栄している人々の姿の中に、
神の祝福を見るのではなくて、
罪の中にある人々の姿を見るのです。
今日の礼拝の中で祈ってくださった方も、
そのような祈りをささげておられました。
すべてが順調に進んでいるような中で、
神様を見失ってしまうことがある・・・と。
苦しみの中の方が、神様に近くあるのではないかと。
自分も、本当に気をつけたいと思いました。
主よ、
物事が順調に進むときに、
気をつけさせてください。
あなたを見失うことがありませんように。
あなたに祈ることをやめることがありませんように。
明日のリトリートを祝福してください。
幸いなひとときとなりますように。
2011-02-03
天の賛美。
久しぶりに月と明けの明星のランデブー。
でも、実はこの写真は先週末。
今は月は夕方、木星と一緒に輝いています。

今朝は予想通り、-5度C。
昼間は0度をちょっと超えたようで、
太陽の熱もあり、ちょっと雪解けが進みました。
今夜は冷えています。
今11時で-6.8度C。
明日の朝は-10度C以下に下がるようです。
そして、焦点はあさって土曜日の雪。
明け方から降り始めて、昼頃に一度雨に変わって、
でも、また夕方から雪。
5−10センチくらいの積雪が予想されています。
まあ、今年の冬の天気に慣れている私たちにとっては「全然大丈夫」だと思います。
まだ3日目ですが、
集会をお休みにして、祈るときを持っていますが、
ホントに幸いを感じさせていただいています。
どうして、今までこれをして来なかったんだろうか?とまで思います。
本当に帰るべきところに帰って来たというか。
「なくてはならないものは多くはない」と言われたイエスの言葉を思い出させられた。
ここ何年か、25年前に通った自動車教習所でクランクやS字走行をさせられたときに、「お前は車を運転しているんじゃない、車に振り回されている!」と怒鳴られたことを思い出すくらい、自分の生活をコントロールできないでいました。
特に牧会について、また礼拝や他の集会の準備について、いつも何かに追われていたように思います。
そして、教会の方向性とか、大切な軸とか、そういうことについてしっかりと確信を持って進んで行くということができないでいました。
それは誰かがそのように要求したというよりも、
自分があえてそのようにしていたんでしょうね。
悔い改めます。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇103:14-22。
「しかし、主の恵みはとこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にある。」17節。
神は賛美されるにふさわしい方。
永遠に恵みを注いでくださる方。
月から地球までは光が1.3秒で届くのですが、
金星と地球が今どんな関係にあるのかわかりませんが、
太陽の向こう側に行っているときなど最大で15分くらいかかるときもあるでしょうね。
でも、その光が何億年、何十億年、百億年以上も旅をして、地球に届くというものもある。その光が百億年ずっとずっと神様を賛美して来た、賛美していたと思うとすごいですよね。
その歴史の一番最後のほんのちょっとのところに人間が造られて、今、自分がそこに生きている。50年なのか、60年なのか、70年なのか、80、90年なのか、時が与えられて、その神への賛美をちょっとシェアさせていただいている。
私ももっともっと賛美したいと思う。
この月よりも、この金星よりも、
100億年かけて地球に届く光を放つ銀河よりも、
すべての光を飲み込んでしまうブラックホールよりも、
神様を賛美したいと思う。
神様、
あなたへの賛美をこの宇宙の星々とシェアできることを感謝します。
この歴史の一こまに、私の存在を置いてくださったことに感謝します。
どうか、私の使命を果たすことができますように。
あなたの願っておられるように生きることができますように。
でも、実はこの写真は先週末。
今は月は夕方、木星と一緒に輝いています。
今朝は予想通り、-5度C。
昼間は0度をちょっと超えたようで、
太陽の熱もあり、ちょっと雪解けが進みました。
今夜は冷えています。
今11時で-6.8度C。
明日の朝は-10度C以下に下がるようです。
そして、焦点はあさって土曜日の雪。
明け方から降り始めて、昼頃に一度雨に変わって、
でも、また夕方から雪。
5−10センチくらいの積雪が予想されています。
まあ、今年の冬の天気に慣れている私たちにとっては「全然大丈夫」だと思います。
まだ3日目ですが、
集会をお休みにして、祈るときを持っていますが、
ホントに幸いを感じさせていただいています。
どうして、今までこれをして来なかったんだろうか?とまで思います。
本当に帰るべきところに帰って来たというか。
「なくてはならないものは多くはない」と言われたイエスの言葉を思い出させられた。
ここ何年か、25年前に通った自動車教習所でクランクやS字走行をさせられたときに、「お前は車を運転しているんじゃない、車に振り回されている!」と怒鳴られたことを思い出すくらい、自分の生活をコントロールできないでいました。
特に牧会について、また礼拝や他の集会の準備について、いつも何かに追われていたように思います。
そして、教会の方向性とか、大切な軸とか、そういうことについてしっかりと確信を持って進んで行くということができないでいました。
それは誰かがそのように要求したというよりも、
自分があえてそのようにしていたんでしょうね。
悔い改めます。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇103:14-22。
「しかし、主の恵みはとこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にある。」17節。
神は賛美されるにふさわしい方。
永遠に恵みを注いでくださる方。
月から地球までは光が1.3秒で届くのですが、
金星と地球が今どんな関係にあるのかわかりませんが、
太陽の向こう側に行っているときなど最大で15分くらいかかるときもあるでしょうね。
でも、その光が何億年、何十億年、百億年以上も旅をして、地球に届くというものもある。その光が百億年ずっとずっと神様を賛美して来た、賛美していたと思うとすごいですよね。
その歴史の一番最後のほんのちょっとのところに人間が造られて、今、自分がそこに生きている。50年なのか、60年なのか、70年なのか、80、90年なのか、時が与えられて、その神への賛美をちょっとシェアさせていただいている。
私ももっともっと賛美したいと思う。
この月よりも、この金星よりも、
100億年かけて地球に届く光を放つ銀河よりも、
すべての光を飲み込んでしまうブラックホールよりも、
神様を賛美したいと思う。
神様、
あなたへの賛美をこの宇宙の星々とシェアできることを感謝します。
この歴史の一こまに、私の存在を置いてくださったことに感謝します。
どうか、私の使命を果たすことができますように。
あなたの願っておられるように生きることができますように。
2011-02-02
静まって。
今朝起きたらやっぱりfreezing rain。
バスが止まっていたので、もう今日の朝のNYでの祈り会はパスかな、と思ったのですが、「やっぱり車で行こう!」と決心して、朝の6時過ぎから、車の氷はがし。
気温が-1.6度Cまで上がって来ていたので、思っていたよりも簡単にはがせて、早速NYCへ。
途中、対向車線からシャーベットの山が飛んで来て、前が見えなくなってひやっとしましたが、その他は特に大きな問題もなく、7時半前にはNYに着いていました。
感謝、感謝。
昼間は暖かくなっていましたが、夜は風もでて気温も下がり、寒くなって来ています。
今は夜の11時45分ですが、まだプラスの0.7度C。
でも、この後冷えて、明日の朝は-5度くらいかな。
そして、次の天気イベントは、土曜日の雪。
うーん、降ることはほぼ確実ですが、
どこまで雨になるか、どれだけ積もるかですね。
大したことはないと思いますが・・・。
この同じ低気圧の影響で、
明日はHousetonでも雪だそうですよ。
積雪もあるかも。
昨日から、日曜日と祈り会以外のすべての集会を休んで、
教会のこれからの歩みのために祈っていますが、
この2日間でわかったことは、
これは私自身が主の前に整えられることが必要で、
御言葉によって取り扱われることが必要だと言うこと。
まさに「リトリート」です。
戦いのさなか、一度退却して、体勢を整えて次の戦いのために備える、
そんなときです。
NJでの牧会の歩みの中でどんどんスケジュールに振り回されるようになって来ているように感じています。
だから、今日、詩篇46:10の「静まって、私こそ神であることを知れ」という言葉のThe Messageという訳の言葉、
“Step out of the traffic! Take a long,
loving look at me, your High God,
above politics, above everything.”
に出会ったときには、ああ、私のためのメッセージだなと思いました。
trafficからstep outしなさいと。
この祈りのときを通して、焦点がしっかり合った働きをさせていただけるようになりたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇103:1-13。
「主の御計らいを何一つ忘れてはならない」2節。
私はこの3節の「主はすべての病を癒し」という言葉に引っかかってしまうんですよね。
すべてを癒すことはおできになるけれども、神様はしばしば癒しの御業をなされない。
今日も一人の方が召されたことをお伺いしました。
「主はすべての病を癒し・・・」ということはどういうことなんだろうかと思います。
いや、こう聖書に書いてあるのに、癒されない人もいることは何なんだろうかと思います。
だから、新改訳で「主の良くしてくださったこと」と訳されている言葉が、「主のお計らい」と訳されていることに、心が留ったのです。
すべては主の御計らいの中にある。
私たちがそれを「良きこと」と思えないようなことの中にも、
主の御計らいがある。
だから、それに心を向けているならば、受け入れられるのかな。
未だに納得いっていない「人の死」がいくつもある。
癒されなかった人たちがいる。
本当に栄光の中に、「主に召されたんだなあ」という場合もある。
すばらしいと思う。主をほめたたえたい。
でも、どうしても、どうしても、納得できない場合もやっぱりある。
ある人は信仰が強ければ癒されると言うかもしれない。
でも、そんなことはなかった、十分強かった、そう言える。
もっと祈れば・・・と言うかもしれない。
とんでもない、必死に祈った!
でも癒されなかった。
何年経っても納得いっていない。
でも、それは多分、一生「納得」がいかないんだろうな。
でもいい。私よりも大きな方の御計らいの中にあるのだから。
このちっぽけな頭で納得できなければおかしいなんて、それはとんでもない、傲慢なんだから。
主よ、
私のこれからの歩みの中でも、
たくさんの癒しの御業をなしてください。
どんな病をも癒すことのできるあなたを信頼します。
だから、癒さないであなたのもとに召されるとき、
それが私の納得いかないことであったとしても、
あなたを信頼することが、できますように。
バスが止まっていたので、もう今日の朝のNYでの祈り会はパスかな、と思ったのですが、「やっぱり車で行こう!」と決心して、朝の6時過ぎから、車の氷はがし。
気温が-1.6度Cまで上がって来ていたので、思っていたよりも簡単にはがせて、早速NYCへ。
途中、対向車線からシャーベットの山が飛んで来て、前が見えなくなってひやっとしましたが、その他は特に大きな問題もなく、7時半前にはNYに着いていました。
感謝、感謝。
昼間は暖かくなっていましたが、夜は風もでて気温も下がり、寒くなって来ています。
今は夜の11時45分ですが、まだプラスの0.7度C。
でも、この後冷えて、明日の朝は-5度くらいかな。
そして、次の天気イベントは、土曜日の雪。
うーん、降ることはほぼ確実ですが、
どこまで雨になるか、どれだけ積もるかですね。
大したことはないと思いますが・・・。
この同じ低気圧の影響で、
明日はHousetonでも雪だそうですよ。
積雪もあるかも。
昨日から、日曜日と祈り会以外のすべての集会を休んで、
教会のこれからの歩みのために祈っていますが、
この2日間でわかったことは、
これは私自身が主の前に整えられることが必要で、
御言葉によって取り扱われることが必要だと言うこと。
まさに「リトリート」です。
戦いのさなか、一度退却して、体勢を整えて次の戦いのために備える、
そんなときです。
NJでの牧会の歩みの中でどんどんスケジュールに振り回されるようになって来ているように感じています。
だから、今日、詩篇46:10の「静まって、私こそ神であることを知れ」という言葉のThe Messageという訳の言葉、
“Step out of the traffic! Take a long,
loving look at me, your High God,
above politics, above everything.”
に出会ったときには、ああ、私のためのメッセージだなと思いました。
trafficからstep outしなさいと。
この祈りのときを通して、焦点がしっかり合った働きをさせていただけるようになりたいと思います。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇103:1-13。
「主の御計らいを何一つ忘れてはならない」2節。
私はこの3節の「主はすべての病を癒し」という言葉に引っかかってしまうんですよね。
すべてを癒すことはおできになるけれども、神様はしばしば癒しの御業をなされない。
今日も一人の方が召されたことをお伺いしました。
「主はすべての病を癒し・・・」ということはどういうことなんだろうかと思います。
いや、こう聖書に書いてあるのに、癒されない人もいることは何なんだろうかと思います。
だから、新改訳で「主の良くしてくださったこと」と訳されている言葉が、「主のお計らい」と訳されていることに、心が留ったのです。
すべては主の御計らいの中にある。
私たちがそれを「良きこと」と思えないようなことの中にも、
主の御計らいがある。
だから、それに心を向けているならば、受け入れられるのかな。
未だに納得いっていない「人の死」がいくつもある。
癒されなかった人たちがいる。
本当に栄光の中に、「主に召されたんだなあ」という場合もある。
すばらしいと思う。主をほめたたえたい。
でも、どうしても、どうしても、納得できない場合もやっぱりある。
ある人は信仰が強ければ癒されると言うかもしれない。
でも、そんなことはなかった、十分強かった、そう言える。
もっと祈れば・・・と言うかもしれない。
とんでもない、必死に祈った!
でも癒されなかった。
何年経っても納得いっていない。
でも、それは多分、一生「納得」がいかないんだろうな。
でもいい。私よりも大きな方の御計らいの中にあるのだから。
このちっぽけな頭で納得できなければおかしいなんて、それはとんでもない、傲慢なんだから。
主よ、
私のこれからの歩みの中でも、
たくさんの癒しの御業をなしてください。
どんな病をも癒すことのできるあなたを信頼します。
だから、癒さないであなたのもとに召されるとき、
それが私の納得いかないことであったとしても、
あなたを信頼することが、できますように。
2011-02-01
自然の力の前に。
今日は割合早くfreezing rainになって、
午後早い時間には小康状態に。
今もまだやんでいる。
でも、次の雨雲がペンシルベニアの東部まで広がって来ている。
だから、真夜中の12時頃には雨が降り出すだろう。
でも、気温は一日−4度Cくらいで固まったまま。
確実にfreezing rainになります。
かなり降るんじゃないかな。
今のところ、明日は子供たちの学校は2時間遅れスタート。
でも、もしかしたら、朝5時に電話が来て、休校になるかも。
あと、停電も心配。
重くなった木の枝が電線を切ります。
明日、起きたら、電気が生きていることを祈りながら。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇102篇の後半、12-28節。
「あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえます。」25-26節
最近、ホントに自然界や、天気や、宇宙やそれから日本で噴火している火山、そんなものに目が向きます。そして、その前に自分の小ささを思われます。
どんなに天気の予報のためにコンピューターモデルが正確に計算するようになっても、不確定要素はたくさんあって、実際にどんなことが起こるかは、私たちの考えを超えています。
そして、この宇宙の大きさ!
宇宙を旅をして120億年かけて届く光。
なんだか、私たちの考えを完璧に超えています。
そんな大きな自然、そんな大きな宇宙。
しかし、それも、やがて滅んで行く。変わって行く。
でも、いつまでも変わらない、いつも同じ方がおられる。
その宇宙を、自然を造られた神様だ。
その神様、変わらない神様を見つめて、
信頼して、歩んで行けるとは、なんという幸いだろうか。
神様、
あなたはいつも変わらない方であること、
それは喜びです。
それは平安を与えるものです。
あなたを信頼します。
そして、私自身も動かされない者となりますように。
午後早い時間には小康状態に。
今もまだやんでいる。
でも、次の雨雲がペンシルベニアの東部まで広がって来ている。
だから、真夜中の12時頃には雨が降り出すだろう。
でも、気温は一日−4度Cくらいで固まったまま。
確実にfreezing rainになります。
かなり降るんじゃないかな。
今のところ、明日は子供たちの学校は2時間遅れスタート。
でも、もしかしたら、朝5時に電話が来て、休校になるかも。
あと、停電も心配。
重くなった木の枝が電線を切ります。
明日、起きたら、電気が生きていることを祈りながら。
さて、今日の聖書。
今日は詩篇102篇の後半、12-28節。
「あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。これらのものは滅びるでしょう。しかし、あなたはながらえます。」25-26節
最近、ホントに自然界や、天気や、宇宙やそれから日本で噴火している火山、そんなものに目が向きます。そして、その前に自分の小ささを思われます。
どんなに天気の予報のためにコンピューターモデルが正確に計算するようになっても、不確定要素はたくさんあって、実際にどんなことが起こるかは、私たちの考えを超えています。
そして、この宇宙の大きさ!
宇宙を旅をして120億年かけて届く光。
なんだか、私たちの考えを完璧に超えています。
そんな大きな自然、そんな大きな宇宙。
しかし、それも、やがて滅んで行く。変わって行く。
でも、いつまでも変わらない、いつも同じ方がおられる。
その宇宙を、自然を造られた神様だ。
その神様、変わらない神様を見つめて、
信頼して、歩んで行けるとは、なんという幸いだろうか。
神様、
あなたはいつも変わらない方であること、
それは喜びです。
それは平安を与えるものです。
あなたを信頼します。
そして、私自身も動かされない者となりますように。
Update。
今日は雪よりもsleetやfreezing rainが中心みたいです。
午後には一度峠を越えそうです。
そして、夜から明日の明け方にかけて、
freezing rainが激しく降りそうです。
明日の午後には気温も上がって峠を越えそうですが、
今夜から明日の朝は注意が必要です。
あと、もう一つ。
昨日の詩篇102篇は前半だけだったんですね。
後半は神への信頼に満ちた賛美がわき上がっています。
それについては、また後ほど。
午後には一度峠を越えそうです。
そして、夜から明日の明け方にかけて、
freezing rainが激しく降りそうです。
明日の午後には気温も上がって峠を越えそうですが、
今夜から明日の朝は注意が必要です。
あと、もう一つ。
昨日の詩篇102篇は前半だけだったんですね。
後半は神への信頼に満ちた賛美がわき上がっています。
それについては、また後ほど。
2011-01-31
守りか攻めか。
先週の水曜日のstormは
「外れたらゴメン」という気持ちで大胆な予想をした。
そして、ほとんどの天気予報よりも正確だった。
でも、今回は明らかに「守り」の姿勢にはいっていることがわかる。
無難な予想をしている自分がいる。
これって、だけどすべての面について言えるんだろうなあと思う。
趣味の天気予報でもそうなんだから、
本当の使命である牧師としての働きではどんなに守りの姿勢にはいってしまいやすいだろうかと思う。
主を信頼して大胆な歩みをすることができるか、問われていると思う。
明日から2月。
2月は初めての試みで、すべての集会を休んで、
いつも追われている、走り回っている生活を見直して、
とにかく、祈って主の導きを求める。
この1ヶ月の祈りの中で、
守りの姿勢ではなくて、主にあって大胆に歩むための備えができますように。
今日の聖書。
「日々のみことば」では、マルコによる福音書を少し休んで、
昨日と今日は詩篇から、
今日は詩篇の102篇。
「私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。」2節。
この詩篇はなんだか、救いがないというか、
最後まで嘆きで終わっている。
ものすごい励まされるとか、
そういう詩でもない。
でも、読んでいる中で、
「ああ、自分もこんな風に感じていることがあるなあ」
と思わされて行く。
そして、この2節の言葉に目が留った。
この詩人は本当に苦しい中で、
とにかく主に嘆いた。
とにかく主に心を向けた。
それでいいんだろうな。
今日も、私が神様に叫ぶことができますように。
今日も、教会に連なる一人一人が神に声を上げることができますように。
主よ、
あなたに目を向けます。
あなたに声を上げます。
どうか、あなたが応えてください。
あなたとともに歩むことを教えてください。
はっきりとした答えがないときにも、
そこでも、あなたを信頼して歩めますように。
あ、最後に大胆な予想。
明日の朝、起きたら10センチは雪が積もっている。
そして、昼までが一つの山かな。
午後はsleetや雨。
そして、本番は火曜日の夜から水曜日の朝。
先週と同じで、夜になってから雪に変わって結構積もるかな。
さて、どうなるか。
「外れたらゴメン」という気持ちで大胆な予想をした。
そして、ほとんどの天気予報よりも正確だった。
でも、今回は明らかに「守り」の姿勢にはいっていることがわかる。
無難な予想をしている自分がいる。
これって、だけどすべての面について言えるんだろうなあと思う。
趣味の天気予報でもそうなんだから、
本当の使命である牧師としての働きではどんなに守りの姿勢にはいってしまいやすいだろうかと思う。
主を信頼して大胆な歩みをすることができるか、問われていると思う。
明日から2月。
2月は初めての試みで、すべての集会を休んで、
いつも追われている、走り回っている生活を見直して、
とにかく、祈って主の導きを求める。
この1ヶ月の祈りの中で、
守りの姿勢ではなくて、主にあって大胆に歩むための備えができますように。
今日の聖書。
「日々のみことば」では、マルコによる福音書を少し休んで、
昨日と今日は詩篇から、
今日は詩篇の102篇。
「私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。」2節。
この詩篇はなんだか、救いがないというか、
最後まで嘆きで終わっている。
ものすごい励まされるとか、
そういう詩でもない。
でも、読んでいる中で、
「ああ、自分もこんな風に感じていることがあるなあ」
と思わされて行く。
そして、この2節の言葉に目が留った。
この詩人は本当に苦しい中で、
とにかく主に嘆いた。
とにかく主に心を向けた。
それでいいんだろうな。
今日も、私が神様に叫ぶことができますように。
今日も、教会に連なる一人一人が神に声を上げることができますように。
主よ、
あなたに目を向けます。
あなたに声を上げます。
どうか、あなたが応えてください。
あなたとともに歩むことを教えてください。
はっきりとした答えがないときにも、
そこでも、あなたを信頼して歩めますように。
あ、最後に大胆な予想。
明日の朝、起きたら10センチは雪が積もっている。
そして、昼までが一つの山かな。
午後はsleetや雨。
そして、本番は火曜日の夜から水曜日の朝。
先週と同じで、夜になってから雪に変わって結構積もるかな。
さて、どうなるか。
Storm for the Record Book
先週のstormをかなり的確にあててからというもの、
ちょっと「今度のはどうですか?」と聞かれることも増え、
使命を感じちゃったり、プレッシャーを感じちゃったり、
正直、明日からのstormの予報は結構緊張しています。(笑)
でも、今回のstormはNY/NJではそれほどでもないかもしれませんが、
全米的に見るとhistoric stormになる可能性があります。
特に中西部やNYの北の方は大きな影響を受けそうです。
NJ/PAは ice stormの可能性が騒がれています。
freezing rainはスリップの危険とともに、
木が倒れたり、電線が切れたり、停電のおそれがあります。
明日、NJ北部は15センチくらいの雪。そして、sleetも降りそうです。
その先のことはわかりません。
降水の中心は水曜日なのですが、それが雪だったら30センチ、でもsleetかな、と思っています。
なんだか、プレッシャーで真面目な文章になってしまいました。^^;
ま、とりあえず・・・。
ちょっと「今度のはどうですか?」と聞かれることも増え、
使命を感じちゃったり、プレッシャーを感じちゃったり、
正直、明日からのstormの予報は結構緊張しています。(笑)
でも、今回のstormはNY/NJではそれほどでもないかもしれませんが、
全米的に見るとhistoric stormになる可能性があります。
特に中西部やNYの北の方は大きな影響を受けそうです。
NJ/PAは ice stormの可能性が騒がれています。
freezing rainはスリップの危険とともに、
木が倒れたり、電線が切れたり、停電のおそれがあります。
明日、NJ北部は15センチくらいの雪。そして、sleetも降りそうです。
その先のことはわかりません。
降水の中心は水曜日なのですが、それが雪だったら30センチ、でもsleetかな、と思っています。
なんだか、プレッシャーで真面目な文章になってしまいました。^^;
ま、とりあえず・・・。
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