2011-02-22

何を守るのか?

夜の11時になろうかというところで、
もう一回更新です。


外の気温はなんと-5.6度C。
5時間ほどで6度も下がりました。


明日の朝はどこまで冷えるんでしょう。
でも、明日が今回の寒さの底。
明日の日中から少しづつ緩んできます。


次のstorm、金曜日は・・・うーん、雨だろうな。


リビアの民主化への叫びに対して、
カダフィが今夜の段階でも、
自分の立場を捨てないでいるそうだ。
最後の一軒まで回って反体制分子を粛正するようにと
呼びかけているという。


彼は何を考えているんだろうか?


60代後半になって、
自分が今までして来たことを否定されることが
どれほどの恐怖であるかということは想像に難くない。


自分の人生を否定されるような感覚があるのだろうか?


それとも、チュニジアの大統領だったか、
ものすごい蓄財をしていたそうだが、
やはりそんなところがあるんだろうか。


客観的に外側から見ると、
早く身を引けばいいのにと思うのだが・・・。


彼は何を守ろうとしているのか?



中国や北朝鮮、その体制を守ろうとする人々は何を守ろうとしているのだろうか?
管理をして、情報統制をして、脅かして、何をしようとしているのだろうか?


翻って、自分の姿を見ると、
自分は何を守ろうとしているのだろうか?


イエスがいのちを投げ出して買い取ってくださった教会。
その教会を守っているつもりで、何を守ろうと思っているのだろうか?
一人一人の魂を、一人一人の存在を守ろうとしているだろうか?


さて、昨日の聖書。
昨日は第1ヨハネ2:1-11。


「光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。」9節。

古い命令なんだけど、新しい命令。
表面上は古い命令なんだけど、
イエスの十字架の恵みによって、
聖霊様の力によって、
私たちのために取りなしてくださるイエスによって、
新しい意味を持った命令になった。

自分でがんばるのではなく、
私の内側に力が注がれている故に、
守ることのできる命令。
神の光によって、憎んでもおかしくない相手を愛することができる。

ただ、ただ、神様の助けと癒しと支えを祈らされる。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
聖霊様が与えられていることに感謝します。
愛することができますように。
私の中には愛はありません。
あなたの恵みによって、愛することができる者とならせてください。

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