2011-02-24

使命だな。

今日も朝は寒かった。
でも、昼間はグンと暖かくなって、
7度くらいまで上がりました。


夜になって雨が降って来て、
明日一日雨のようです。


今夜も明日の夜も雪が混じることがあるかもしれません。


今日は、2週間前にNJに引越して来られた方にお会いしました。
教会の祈り会に来られました。
幸いなひとときでした。


「NJにどれくらい住んでおられるんですか?」と聞かれて、考えるのは、その年に生まれた娘の年。おおお、そんなに長く住んでいるのか〜と、自分で驚く。


でも、その16年前には、自分もホントに大変な思いをしたよなと。
その中で手を差し伸べてくれた方々がおられた。
自分が車がなかった何週間か、ライドをオファーしてくださった方々がいた。
道がよくわからなかったとき、教えてくれた皆さんがいた。
教会で、以前から一緒にいたかのように、受け入れてくれた人たちがいた。


だから、今、自分がここで何ができるか、
何をすべきなのか、を考える時に、
こういうことをもっともっと大切にしていきたいと思う。


「たましいが喜ぶこと」だ。


さて、今日の聖書。
今日はヨハネ第一の手紙3:11-24。


「子供たちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。」18節。

そうだよなあ。
何度も何度もここでつぶやいているけど、
言葉だけじゃなあ。

行いと真実の中で人を大切にしていく、
聖書の言葉を実践して行く。
もちろん、「律法主義」になってはいけない。
でも、その言葉を恐れるが故に、
聖書に書いてある「行いなさい」ということをしようとしないで、
言い訳をして、そこにじっとしている。
一生懸命「これはどんな意味だろう」と研究したり、
黙想したり、暗唱したり、そんなことで、
何か良いことをしたかのような勘違いをすること、
どれほどあるかと思う。

何度も読み返している「仕える喜び」(チャールズ・スウィンドル)にもあるけれども、自分たちは神様の前に「あなたの指示を何度も読み返して、解釈についてディスカッションしたり、暗唱したり、『ああ何てすばらし言葉だ』と感動したり、音楽をつけて歌ったりしてきた」と平気な顔をして言うのだろうか?

それとも、「あなたの指示通り生きて来ました。たくさん失敗もしました。でも、あなたの助けでここまで来ました。あなたが愛してくださったから。あなたが豊かなものを与えてくださったから」と言うのだろうか。

御言葉を行う者となろう。

主よ、
あなたの御言葉に従って、言葉だけではなくて、行動で愛を表す者とならせてください。でも、それを誇るのではなく、神様の愛の中に生かされていることを感謝して歩む者とならせてください。

No comments:

Post a Comment