2011-04-11

最悪を想定しても恐れない。

今日はホントに暑かったです。
我が家の庭の最高気温は30.6度C。
今も25度くらいあります。
でも、もう雨が降ってきました。
今夜、にわか雨、時々雷雨で、
明日は最高が12度くらいになるようです。
「現実に引き戻される」って感じですね。


最近、「想定外」という言葉がしょっちゅう使われます。
津波対策の問題でも、東電の原発の問題でも、「ここまで大きな地震が、こんなに大きな津波が」想定外だったということでしょう。
各地域の津波対策の問題よりも、原発の問題でその言葉が使われるときに、「言い訳」感を本当に強く感じます。「これは天災なんだ、どうにもならなかったんだ」と。
対策をとっておられた方々の努力に対しては敬意を表します。でも、「想定外」は、言い訳の言葉にすべきではなくて、「想定できなかった己を恥じる」べきなのではないかと思います。
また、今朝、NHKで柳田邦男さんがおっしゃっていましたが、「M9レベルの地震、内陸数キロまで入ってくる津波は平安時代に記録がある。今回の地震も、歴史的な記録や科学的可能性を超えているのではない。ただ、それを想定して設計するとものすごいコストがかかる。だから、現実、そこまでは対策ができない。コスト対効果の問題だ」と。


1000年に1回あるかどうか、ということのために対策をしていたら、電気代がべらぼうに高くなってしまう、ということだと。


やっぱり意識的に、意図的に「想定外」ということにしていたんですね。


ちなみに、私の昨年のクリスマスのキャンドルサービスのメッセージが「想定外のクリスマス」。またその後にも年末のカルフォルニアでのご奉仕に遅れてしまったことも「想定外の猛吹雪」でした。


人間の計画の限界と、それを超えた神様の前に謙虚になることだと。


想定を超えることが起こるのだと、それを覚悟して行くことも大切だと思います。


政府やマスコミの対応を見ていると、「大丈夫、大丈夫」からだんだん「ヤバいかも・・・」、「逃げてください」と。
原発の事故も最初は「チェルノブイリとは全然違うから」でしたが、最近は「チェルノブイリの例でも、それほどのガンの発症率は上がっていないから」になっています。


人々を不安にさせないように・・・なのでしょうが、重い病気の方に告知をしないで「大丈夫だから」「え、ほんとはどうなの?」と疑心暗鬼になってしまうのと同じかんじがします。


そして、この原発の問題、今日もボヤがあったそうですが(この「ボヤ」という発表も「火事」と言って問題になるのを避けているのでは・・・と疑心暗鬼になってしまいます)、やはり重い病気で苦しんでいる時に、「今度の検査結果はいいものでありますように・・・」と思っているのに、また悪い結果が出た時の気持ちに似たものを感じます。


私も決して人々の不安感をあおったり、どこかの新興宗教のように「世の終わりだ!」と叫ぶつもりはないのですが、でも、そういうことがあっても「想定外だ!」と言わなくてもすむように、心の奥底にある「たましい」の準備をしておくことの大切さを感じています。


聖書にこんな言葉があります。


「彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない」詩篇112:7


この言葉に出会ったのは、今から10年くらい前、
ある大きな病を負いながら歩んでいた一人の牧師のメッセージの中だった。


彼はある夜、この言葉が与えられた。心に響いてきた。
彼は翌日、検査の結果を聞くことになっていた。
直感的に、「ああ、明日の結果は良くないな」と思った。


その夜、妻とふたりで祈った。
よくない結果を聞くのだろう、でも、この聖書の言葉のように、「ゆるがない」心を与えてください、と。


そして、その通り、悪い結果だった。
そして、その御言葉の通り、彼の心は揺るがなかった。
そして、前の夜にこの言葉が与えられていたことに感謝した。


聖書は、わたしたちの命には限りがあることをはっきり語っています。
それはわたしたちの経験とも一致するので、疑う人はいません。
でも、「自分の命に限りがある」ということはなかなか実感が湧きません。


「あなたがたは、明日もわからぬ身なのだ」とヤコブの手紙の4:14にあります。


わかっています。でも、本当にそうだな、あそこで命を落としていたのは私であっても、ちっともおかしくない、と思うのは阪神の時だったり、9-11の時だったり、今回の震災の時だったりします。


もう一つ、
聖書は、この世にも最後が来ることをはっきりと語っています。
でも、それは誰も経験したことがないので、
というか、今まで何千年もこの世界は一度も終わりを経験していないので、「そんなことあるのかな」と思います。逆にときどき「世の終わりが来るぞ!」といい加減な日程を言い出して(もちろん、当人は至極真剣です)、人々の不安をあおる人が現れてはそれが外れると、「そんなバカなことを信じる人がいるなんて・・・」と思います。


いつの間にか、「世の終わりなんてものはないんだ、そんなことを言うヤツは狂信的なヤツなんだ」という気持ちになってしまうのです。


でも、そんな想定外のことに出会ったら、あなたも「想定外で・・・」と言い訳しますか?
勝手に自分で線を引いて「想定外」にしてしまっているだけなのでは?


聖書は世の終わりについて明言しているとともに、そのための「たましい」の準備についてもはっきりと言っています。もっというならば、「何年何月何日に終わりが来る」と言うようなヤツのことを信じるな、そうじゃなくて、いつそれが来たとしても、大丈夫なように準備しておけ!と言うのです。


「想定外のことが起こっても、最悪の想定のことが起こっても、大丈夫な備え、恐れない強さ」持たせていただきましょう。


超長くなりましたが、とても大切なことだと思うので。


のんちは、月曜日はホントに忙しかったようです。
日本時間で夜1時頃にやっと電話で話せた、というところ。
災害援助もやはり人が集まってやっていること。
急性期をすぎて、それなりに人の間に立つことの難しさもあるようです。
一つ喜んでいたのは、避難所には家族同然のペットを連れてきている人もいれば、アレルギーの人もいる。一応ペットがいられるのはこの範囲、という規則はあるけど、なかなか徹底できない。そんな中で「電気が使えない避難所でも使える充電式掃除機」と「粘着テープ式掃除用具」が、昨日のリクエストで今日与えられた、ということ。迅速な対応に感謝していました。何をするにも時間のかかる日本の「話し合い/調整」文化。こんな時は少しでも迅速な対応が求められます。


火曜ももう一日塩釜延長。
その先は調整中だそうです。


さて、今日の聖書。
今日はマルコによる福音書12:35-44


「この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました」43節。

人は金額を見るよね。
ホントに。悲しいくらい。
でも、主が見ておられるのは献身。

私たちにとって、
すべてはかみさまのもの。
教会や、慈善事業に献金するものだけじゃなくて、
すべてが神様のもの。

自分で稼いでいるんだから自分で自由にしていい、というのも、
十分献金しているから、あとは自分で自由にしていいというのもちがう。

自分のために使うのも含めて主が任せてくださったもの。

あ、時間もそう。
すべてが神様のもの。
そう、時間の方が、お金よりも大切だよね。
大切だから、もっともっとその面で神様を第一にするんだよね。

神様、
私の人生はあなたのもの。
神様のご自由に用いてください。
あなたの導きに従順であることができますように。

2011-04-10

1ヶ月。

今日はまだまだひんやりしていますが、
明日は暖かくなる・・・でも今イチすきっとしない、天気のようです。


でも楽しみにしています。


間もなく、あと、数時間であれから1ヶ月。
今も痛みの中にいる方々のために、
行く先が見えないでいる方々のために、
今日も祈ります。


日曜日には休みをもらったのんちですが、
夜も本当にひさしぶりにゆっくりと休めたそうです。感謝。
でも、先日の余震で、月曜日は忙しい一日になりそうです。
火曜日からはどうするか、いろいろ連絡をとってみると言っていました。
お祈りに感謝。


そして、先週は教会に2つの新しい命が与えられました。
彼らに、今日の週報で歓迎メッセージ。



新人君たちへ
ニュージャージー日本語キリスト教会へようこそ!
ぼくたちは、君たちが来てくれるのを君たちの家族がどれほど楽しみに待っていたかをずっと見てきました。生活のリズムもスタイルも、君たちに合わせてちょっと変えたりもしたんだと思います。お母さんたちはそれなりに大変だったけど、ニコニコしながら、話をしてくれました。君たちにはまだ想像できないかもしれないけど、君たちの存在はお父さん、お母さんにとって、かけがえのない、とても大切な存在なんだ。そして、おねえちゃん、お兄ちゃんたちは複雑な思いもちょっとあったかも知れないけど、ほんとに楽しみにしてたんだよ。これからけんかをしたり、かわいさのあまり、「そこまでしないで・・・」ということをするかもしれないけど、それがきょうだいというものだ、君たちも学んでいくと思う。
そして、教会のぼくたちも、楽しみに待っていたんだよ。教会って、神様が一つにしてくれた「家族」なんだ。イエス様を中心とした家族。そこに生まれることができたってのは、本当に君たちは幸せだと思う。最初はやさしいおじさん、おばさん、が、あるときには(13年くらいたってからかな?)うるさいおじさん、おばさん、に見えてしまうこともあるかもしれない。でもね、それも家族なんだってことの一部かな。大人の僕たちも逃げないで、君たちのことを全身で受け止めたいな、と思う。
君たちがやってきた、この世界。そこには、つらいことや悲しいこともあったりする。気持ちがいき違ったり、さびしい思いをすることもある。何もかもいやになってしまったり、逃げ出したくなることだってある。でもね、この世界は神様が大切な大切な一人子を犠牲にしてもおしくないと思われるほどに愛してくださった世界なんだよ。大丈夫。君も神様に愛されているから。これから、たのしいこと、うれしいこと、エキサイティングなこと、たくさん一緒に経験していこう!よろしく!



そう、つらいことも悲しいことも、逃げ出したくなったり、傷ついたりすることだってある。でも、そんな中でも、力をもらって歩むことができるようになる。それが神様の力かな、と思う。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、先にこの世界に生きることを許された僕たちは、その力を経験した者として、君たちにそのことを知ってほしいと思う。


僕たちも先輩たちに受け取ったこのメッセージを、次の時代を支える君たちちゃんと、伝えて行こうと思う。

2011-04-09

はるだよ〜。

はるだよ〜と題に書いておいて、なんですが、
ホントに寒いです。
今朝なんて、危なく氷点下でした。


でも、でもですよ。
月曜日の最高気温の予想が80度Fですよ!
・・・つまり、27度C。ほとんど夏じゃん。


楽しみです・・・。


イースターまではあと2週間ありますが、
今日はJOYJOYイースターでした。
今年はどれくらい来るかな〜とちょっと心配しつつ、お待ちしていましたが、
なんと61人の子どもたちと、家族で100人は軽く超える方々が集まりました。
教会のHP(www.jccofnj.org)から「イベントフォト」で様子が見れます。
みんな大興奮して、楽しんでくれて、とてもよかったです。


そして、聖書の話をしている時のみんなの真剣な顔。
本当に印象に残っています。
この子どもたちに神様の愛と力を伝える使命、
ちゃんと果たさせていただきたいと思わされます。


のんち情報は、
さっき、夜、電話でちらっと話しましたが、
一日休養日があって、なんと日曜日で、教会に行ける〜!と喜んでいました。
知り合いの方がおられる仙台の教会です。


先日の余震で避難所にまたたくさんの方が入って来られて、
診療はできないと思うから・・・ということで、
あと、「のんちさん、一週間働いて疲れているでしょうから休んでください」だそうです。
日曜日にそんなこと言われたら、パワーもらいに教会に行っちゃいますよね。


土曜日までの予定をとりあえず月曜日の夜までは延ばして、
火曜日からのことは引き続き検討祈り打診連絡待ち中、だそうです。
皆さんのお祈りに心から感謝して。


さて、今日の聖書。
今日はマルコによる福音書12:13-27。


「神のものは神に返しなさい」17節。

神の肖像が刻まれた者。
神のかたちとして作られたわたしたち。
だから、わたしたちの存在自身を神様に返しなさいと。

そうだな、自分の何かを神様にささげるのではなくて、
自分の存在自体、それは神様のものなのだから、
当然、神様にお返しするんですよね。

自分の存在を神様にささげるって、どういうことなのかな、具体的に。
先日、誰かの言葉にあったなあ、人生全体を神様のためにささげます、というのよりも、この1時間を神様にささげます、の方が難しいって。具体的じゃないと意味がないんだよね。具体的じゃないと、いくらでも逃げられる。

時間って大きいと思う。
いや、わたしたちにまかされているもののなかで、
一番大切なものは時間だと思うから、
それを神様にささげるっていうことを、具体的にしていくことが大切なんだよな。
自分の時間、すべてがかみさまのもの、そんな歩みをしているだろうか、
そんなことを思わされた。

さあ、早く休もう。日付が変わってしまう。

主よ、
わたしのすべてはあなたのものです。
具体的に、わたしの時間をささげ、財をささげます。
あなたに支配され、あなたに導かれ、
あなたとともに歩む歩みに生かしてください。
わたしのすべてがあなたのものである、ということがどういうことなのか、
知ることのできるような経験を与えてください。
それはちょっと痛いことなんじゃないかと、思います。
でも、必要なものは与えてください。
明日の礼拝があなたご自身の臨在にあふれたものでありますように。

2011-04-08

ちゃんと休む。

はい、今夜はちゃんと休みます。
さっき、のんちと電話が通じました。
普通に通じてよかったです。

あちらは「これからミーティング〜」。
「こっちもこれから集会〜」と答えました。

ま、いつでもつながると確認してホッとして終わり。

ちゃんと夜はねようね。お互い。

じゃ。

あ、補習校の書類、記入してない。
あ、また日本語のお弁当作んなきゃ。

2011-04-07

そこにいてくれること。

今日も午前中は雨。
なんだかなかなか春になりません。


午後からは天気がよくなってきましたが、
冷えています。
今は夜の11時で4.4度C。


土曜日、JOYJOYイースターなんですが、
こっちもちょっとぐずつくみたいです。
皆さんへのメールには「土曜日は天気にも恵まれそう」と書いてしまいましたが・・・。


今日はいろいろありました。


朝、6時前に教会に行こうとしていると、
サキが泣きながら起きてきて、「喉が痛い」と。
でも、今日は高校で学校区合同のコンサートの日。
絶対休みたくない、というので、
なんとか、行かせましたが、
「いつ学校から電話がかかってくるか」びくびくものでした。


その中で、のんちに電話。
この先の予定の調整とか、
今日一日の様子とか、話しながら、
でも、向こうはもう夜の11時半。
もう寝なきゃと、電話を切ろうとしたそのときに、
「あ、地震だ、地震。・・・あ、大きい、・・・大きい・・・」
その後ろでは、ガタガタとモノがぶつかり合う音がしています。


そして、ぶちっと電話が切れてしまいました。
もちろん、かけ直しても通じません。


その間、やっぱり不安でした。
前回の地震でもほとんど被害がなかった病院の中にいるわけですから、特別心配する理由もないのですが、さすがに電話で話している間に「あ、地震、大きい・・・」で切れてしまうっていうのは、きつかったですね。


15分後には「大丈夫。(><)」という携帯からのメールが届いて、ホッとしたのですが、
その15分間は長かったです。


でも、そのときいくつものことを同時に感じました。
まず、あの時には、こういう電話の切れ方の人がどれほどいただろうか、そして、「大丈夫だから」の携帯メールを、15分どころじゃない、何日も何日も待った方がどれほどいただろうか、今もそれを待っている方々がどれだけいるだろうか。どんな思いで待っておられるんだろうかと。心が痛いです。


そして、次の二つのことを感じていました。


1. 特別な大切な人がそこにいるということは、感じ方が全然違うこと。
2. 全然感じ方が違ってもいい、違っていいから、誰かにそこにいてほしいということ。


私はたまたまPCの前にいたので、Twitterで何人もの方々が「祈っています」と声をかけてくださいました。それがどんなにありがたかったことか。


わたしたちは「ホントのところは、その人の痛み、わからないだろうから・・・」と逃げてしまうこともあると思います。でも、そんなこと心配しないでいい、そんなの、当たり前すぎるくらい当たり前だから、「私はあなたのことを思っているし、力になりたい、祈っているし、何でも言ってほしい」と伝えることが大切なんだなと思います。黙って祈ってくださっている方々が何倍もおられることも、その気持ちが、伝えてくださる方々に負けないくらい強いことも、神様はそのような祈りも聞いてくださることも、わかっています。でも、やっぱり伝えてもらうと、ほんとに助かるんだと。


続けて、被災地の方々のために祈ります。
そして、全く状況は違うけど、今日、誰かにそこにいてほしいという思いの中で歩んでおられる方々のために。


あ、あといろいろあった、に続くのは・・・。
午後は日曜日に生まれたばかりのベビーにお会いしてきました。
このような時に、生まれてくる命。
特別な使命が与えられていると思わされます。


そして、夜はそのサキの学校区のコンサート。
楽しかったですが、5時に最初に集合して、
その後、自分だけ帰って、一仕事して、
6時にもう一回行って、夜9時まで。


いやあ、よかったですが、疲れました。
3時間のプログラムって、オペラじゃないんだから・・・。


長くなりました。さて、今日の聖書。
マルコ11:12-26。


「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」17節。

そう、祈りの家なのだ。
教会は、祈るところなのだ。
わたしの生活も祈りで満たされるものとなりますように。

そう、招かれていると思う。
祈りの世界に招かれていると思う。

そして、19節からのところでも、祈りの大切さが説かれる。
信じて祈ること。
信頼して祈ること。

主を信頼して祈る。
信頼しているんだから、信頼して踏み出す。
祈ることは勇気を与えてくれる。
祈ることによって平安と確信が与えられる。

もっともっと祈りの中で答えをいただいて前進して行こう。

主よ、
あなたが祈りの世界に招いてくださっていることに、
祈りに招いてくださっていることを感謝します。
祈りつつ進んで行くことができますように。
日本の国を守り、支えてください。
また、他にも困難の中にある人々のことも、
目を留める注意深さを与えてください。



2011-04-06

今日は昼間は天気がよかったのですが、
夜になって、ちょっと雨模様。
野球も中止になるくらいだったみたいですね。


明日の午前中くらいまで雨のようです。


さて、先日紹介したSan Diegoの高校の日本へのメッセージ、
できたみたいですね。
ちょっと音声のレベルが上がったり下がったりだけど、
熱い思いが伝わってきますね。


ありがとう。



最近、途中まで読んでる本。
いつかも紹介したけど、
お金の使い方の本。


「ためる」「献金する」程度しか考えていなかった自分に「どこに使うか」を考えさせてくれる本。


今までは、「欲しい物を買う」と「我慢してためる」の2種類しかなかったような気がするなあ。


でも、この本を読んでいる中で、消極的に「使わない」のではなくて、何に投資したらいいか、ということを考えさせられて、「つながりを豊かにするため」「人に仕えるため」に使うときに、そこには喜びを感じるという、そういう使い方をしなさい、というのだ。


よし、ここにもっともっと投資しよう。


ハハ、でも、元手が必要だな。


今日ののんち情報、
3月22日に書いたKEN君に会えたそうです。
ちょうど、前の日に出産された奥さんと
生まれた赤ちゃんがのんちがいる病院を退院したばかりで、
自分自身被災者でありながら、ボランティアを受け入れて
被災者の方々のために尽力している彼に、
水曜日の夜に出産後に必要な物ものを渡せたそうです。

ほんと、震災の1週間前に消息が分かって、
震災から3週間後に、同じ病院にいたなんて。

すごすぎ。

この週末から来週のためにまた動き始めています。
主が道を整えてくださるようにお祈りください。

さて、今日の聖書。
マルコ11:1-11。
「主がお入り用なのです」3節。

主が呼ばれたら、それに従うのが一番だよね。
そして、それに対して周りの人々が「どうして」というかもしれない。

でも、「主がお入り用なのです」、それがわかれば、それで十分だ。

ホントにそうだと思う。

主よ、
あなたの御言葉に感謝します。
あなたがわたしを招き、のんちを招き、
教会の一人一人を招いてくださっていることを感謝します。
「主がお入り用なのです」との招きに従うことができますように。

2011-04-05

どんどんつながる。

今日の朝は暖かかったのですが、
午後からちょっと肌寒くなり、
明日の朝には0度くらいまで下がりそうです。
この先一週間、毎日、30-50%の降水確率。
春らしい日はちょっと先になりそうですね。


のんちは、月曜日はなんだかすごいーい長い時間働いたようですが、
それがさすがにまずいと思ったのでしょうか?
火曜日には、避難所のドクターが、午後、少し休みましょう、ということになったそうです。
月曜日は午後から避難所の統合で特別に忙しかったようです。
火曜日からは毎日午後少し休めるようにと考えているようです。


今日の朝は、火曜日に出会った何人かの方々の話をしてくれました。
のんちにしがみついて泣きじゃくった9歳の男の子。
「アメリカから来た看護婦さんは誰?」と探しにきて、「どうして来たの?」と話しかけてきた70歳のおじさん。「来てくれてありがとう」「住所教えて」「親戚が青森でりんご作ってるから、送るからね」と。
ブラジル人の奥さんをもつおじさん。
何人かの方々と、声を潜めて、祈ることができたと言っていた。


たくさんの出会いがあると思う。
一つ一つが真実なものでありますように。
心がふれあうような出会いがありますように。


そして、周りの教会の先生方に連絡を取っている。互いに励まし合うために。
日曜日にお伺いした塩釜聖書バプテスト教会
塩釜ともしびチャペル・・・ここの牧師さんとは木曜日に会うそうだ。
利府オアシスチャペル・・・ここの牧師さんの弟さんはウチに泊まっていただいたことがある。そして、その奥さんは出産のため、なんと、のんちのいる病院に火曜日まで入院していたそうだ。わかったのは水曜日の朝だけど。なんとか、出産後に必要なものを渡したい!そうだ。自分では持って行けないので、取りに来て!だそうだが。


本当に、一つ一つ神様の導きだと思う。
明日は1ヶ月に1回の隣の英語教会での日本語での集まり。
震災のあと初めて会う方々もたくさんおられる。
祈りつつ、主の与えてくださる出会いを思いながら。


「宝のあるところに心もある」
今、心は日本にもNJにも。
あ、アトランタにもね。


今日の聖書。
今日はマルコ10:46-52。


「わたしに何をしてほしいのか」51節。

神様はいつも「わたしに何をしてほしいのか」と聞いてくださっている。
わたしはいつもそのことがわかっているだろうか?
答えることができるだろうか?

心が神様によって満たされること、
喜びにあふれて歩むことができるようになること。
なんだか、「聖書ではね・・・」なんて言わなくても、
神様の愛が伝わるような者とならせていただきたい。

ああ、ちゃんと言わないと、
ちゃんと祈らないと、
そして、そのように生きないと。

主よ、
どうか、あなたの命でわたしを満たしてください。
あなたの願われるように生きることができるように。
喜びにあふれて、歩むことができるように。

2011-04-04

Happy Birthday! のんち。

月曜日の夜。
昨日の夜はベッドの中で、iPhoneで更新しようとしたら、
何度も途中で寝てしまって・・・。
なんだか、何を書いていたんだか・・・。


で、今日は雨だと思っていたのですが、
昼間は暖かくなって、晴れ間も出て、
過ごしやすい一日でした。


今夜はこれから雨。
明日も朝のうち雷雨となるでしょう。
夕方からはグンと冷えそうです。


日本ではもう5日なりましたが、
のんちの誕生日。
キリ番の誕生日だったので、
盛大なパーティーを・・・と思っていたら、
日本に行ってしまって、
もう、それどころではないようです。
さっき、塩釜に入って初めて電話で話をしたのですが、
昨日は新学期を迎えて、学校を開けるために、
避難所をいくつもまとめる日だったようで、
それも、それまでのリーダーが帰るということで、
年の功か、たくさんの新しい方々を迎える避難所のリーダーをまかされたそうで、
午後から大忙しだったみたいです。
ドクターも短い期間でどんどん入れ替わる。
寝たのは夜の2時・・・。
昨日の夜、今までなかった熱の出た子どもがいた。
感染症の広がりが、ちょっと心配・・・だとか。


おつかれさまです。


電話は朝の8時までか、夜の10時から、だそうですから、14時間くらい働いているわけね。今日も守られますように。今日はもう少し休める時間が与えられますように。


でも、塩釜はまだよい方で、石巻や女川、南三陸町、陸前高田、はずっとたいへんなわけですから、本当にこれからの皆さんの健康のために祈らされます。


ま、誕生日は、帰ってきてから、いろいろいっぺんに盛大にやりましょう。


さて、今日の聖書。
今日はマルコ10:32-45。


「みなのしもべになりなさい。」44節。

ま、そのままです。
先日の金曜日のレント集会でも学んだのですが、
主に満たされて、主に認められて、主に愛されて、
だから、人に仕えられる。
そのような歩みをさせていただきたいと思いました。

その道を究めたい、と思います。
しもべ道。

イエス様のように。

主よ、
しもべになること、教えてください。
しもべの喜びを経験させてください。
無理しているのではなく、自然なしもべとなれますように。

2011-04-03

ちから。

今日は午前中は、牧師の不在の教会のメッセージと聖餐式。午後は、NJの教会の礼拝と聖餐式。さすがに、ちょっと疲れを覚えたかな。

でも、そんな時こそ、神様の力を求めて出ることが大切。

のんちも日曜日の教会に行けたようだ。

すごい。

でも本当に命をいただかないと枯れちゃうからな。

2011-04-02

土曜日ですが。

土曜日ですが、夜も11時ですが、

ちょっとだけ更新。



今日の夜、以前教会の集まりに来られていて、

サンディエゴに引越された方からメールでご紹介いただいたのですが、

息子さんが、震災からの復興を祈って、

高校でビデオを撮って、ネットにアップするということがニュースになっていました。

NHKのニュースですよ〜

ホントに励まされます。






米高校生 激励のビデオ撮影




おお、イケメン。
そして、お母さんに似てる。
NBAのネッツにいたJ・キッドともどこかでつながっているという話。



すごい、行動力ですね。
そして15歳にして、高校全体をまとめてしまう力。
ぼくらも、次の世代に負けないようにしないとね。



ということで、15歳という数字の並び方をちょっと変えると、かな〜り近くなる、のんちの話。
東部時間の昨夜から現地に入っていると思うのですが、
今日の昼頃からちょくちょく携帯メールが届くようになってきました。


最後の通信は、日曜日は礼拝に行けるかどうか、聞いてみる・・・という内容。


んー、集団行動の邪魔にならないといいけど、と周りに流されやすい自分は思うのですが、そこは三交代制の駆け出し看護師時代から必死で礼拝を守ってきた筋金入りですから、気合いが違います。


でも、ホントに大切でしょうね。
神様から力をもらうこと、
環境が過酷であればあるほど。





どのような働きをしているかは、まだ何も詳しいことは情報が入っていませんが、どんな働きでも、いつもいつも神様から力をもらって歩んで行くこと、ホントに私達の生命線です。



さて、今日の聖書。


今日はマルコ10:13-22。







「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません」15節。






そう、ホントに単純に主を信頼する。


それが自分には必要だと思う。


安心して主を信頼して、そこに立って行く、


それがどれほど必要だろうか。






子どもを見本にして歩んで行こう。


子どものように、主を信頼して歩んで行こう。






やっぱり、自分の中に、もっとしっかりしないと、


神様に喜ばれないような気持ちがわいてくるんだろうな。






そうじゃなくて、


主のもとに休らう。


そこから、立ち上がって行く、


そのような歩みをさせていただきたい。






主よ、


子どものように、あなたを信頼させてください。


あなたに身を委ねます。


あなたが私を導き、


私はあなたの導きに従って行くことができますように。

2011-04-01

4月になった。

今日は全然雪積もりませんでしたね。ここらへん。
もっと北の方ではかなり積もったみたいですが
ここらへんはほとんど雨。
時々、みぞれが混じる、って感じ。


ま、助かります。


もう、ホントに春ですね。4月ですから。
明日と明後日は晴れ。
その後、またしばらくぐずつくみたいです。
本格的な春はもうちょっと先かな。


サキは明日が補習校の新学期。
お弁当の準備を考えておくのを忘れていました。
現地の学校のお弁当はディナーロールに、
ピーナッツバターでOKなんですが、
日本の学校にはやっぱり日本のお弁当を持って行きたいそうで。


夜10時過ぎに慌てて買い物に行きました。(笑)


こんな調子です。


のんちは今日から被災地です。
いきなり放射能の測定器を渡されて、
使えるようにしておいて、ということだそうで。
機械系めっぽう弱いので、ちょっと心配。
ああ、そばにいないのって、やっぱりなんだかね。
でも、そんなときだからこそ、皆さんのお祈りに感謝。


今日の聖書。
今日から新しい月だからでしょうか。
「日々のみことば」では、マルコによる福音書に戻ります。


「ふたりの者が一心同体になるのです。」8節。

結婚前は「そうなんだ〜」と思っていたのですが、
結婚してからは、「そうなの?」という感じですよね。(って誰に同意を求めている?)

でも、これも多分、自分の実感の問題じゃなくて、神様がどう見ておられるか、ということだよね。神様の目から見たら、もうふたりじゃない、一人なんだと。あなたがどう感じようとも、ふたりは一人なんだよ、と。
多分、たましいの深い部分でつながっているんだと思う。
だから、実感の問題じゃなくて・・・。(そこばっかり強調するとまた変に勘ぐる方がおられるので心配ですが・・・「先生たち大丈夫?」って心配されたりする。心配してないで、祈ってください。笑)

自分は気がつかなくても、
ふたりは一人になっているんだと思う。
そのことを認めて、共に歩んで行く、
そこに招かれているんだろうな。

神様、
私達も一つにしてくださってありがとうございます。
そのことを真剣に受け止めて、それを実体化して行くプロセスをお導きください。
今日からののんちの現地での歩みを守ってください。
教会のこれからの歩みも導いてください。

2011-03-31

またまた出会い。

今夜は雪の予報出ているのですが、
今は降っていませんねえ。
レーダーを見ると、西と東に雨雲が分かれています。
気温も3.3度と微妙。
何にもないかもしれませんね。


お祈りいただいているのんちの日本での歩みですが、
4/2から1週間、看護師ボランティアとして、
塩釜に行くことになりました。
道が開かれたことに感謝。
健康が守られるように、
心も守られるようにお祈りください。


そして、この4月からも日本のホーリネス教団から、
単立のNJ日本語キリスト教会にへの派遣の任命。
感謝します。


こちらは先日から伺っている日本人シニアグループでの聖書の話。
一人のわたしの父の年代の紳士と初めてお会いして、
とてもいいお話をすることができました。
なんだか、すごくうれしい出会いでした。
もっともっと、この地において、出会いを神様に与えていただけますように。


今日の聖書。
今日は民数記15:32-41。


「主のすべての命令を思い起こし・・・自分の心と目に従って歩まないようにするため・・・」39節。

自分の考えではなくて、
主の命令に従う。
本当に大切なこと。
自分の思いのままではない。

でも、新約の時代になって、
私達の心に神の思いが与えられることも約束されている。
それを見極めることが難しい。

でも、神様を見つめているとわかると思う。
自己実現ではなくて、主のみこころを求めて行くこと。

やはり、どこまで行っても、
神様の願われることは何なのかを求めること。

神様
あなたの思いを求めることができますように。
あなたの願われることを知ることができますように。
私達一人一人が神様の与えてくださる使命に生きることができますように。



2011-03-30

出発。

今日はちょっと寒さも緩んで、朝も氷点下にならず、
昼間は10度を超えた。
でも、今夜から雨・・・で、そのあと明日の夜は雪。
20センチくらい積もる可能性もあるらしい。
ありえない・・・。もう4月になるというのに。


夜11時前で7.4度。
どんどん下がってきました。
明日の朝には1度くらいまで下がって、みぞれになるかも。


のんちは東京に移って、
いろいろ手続きをして、携帯を設定して、
携帯メールの挑戦して・・・と悪戦苦闘中。
焦らず、神様が道を開いてくださることを信頼して、祈りながら。
もうちょっとこっちのiPhoneの海外でのデータ通信が安ければ、
携帯メールじゃなくてiPhoneでGmailでいいのですが・・・。
(あ、のんちに連絡される方、Gmailのアドレスで大丈夫ですよ、携帯メールに自動転送されますから・・・)


この後、東部時間の夜の12時から日本ホーリネス教団の任命派遣式です。
Ustreamで中継するらしいので、Ustream出席したいのですが、
夜の12時から、未明の3時まで、というのがきついです。
翌日の普通の歩みに支障がない範囲でと思います。
でも、とにかく新しい年度の出発、新しい派遣です。
新しい気持ちで主に仕え、教会に仕え、人に仕えさせていただきたいと思います。


さて、今日の「日々のみことば」。
民数記15:17-31。
「初物の麦粉で作った輪型のパンを奉納物として供え・・・」20節。

新しい地に入って行って、
最初の作物、最初の産物から主に捧げものをする。
やはり、それは神様を第一とする姿勢だと思う。
やはり神様との関係が整えられることなのだと思う。

他のすべてにまさって、神様との関係を大切にする。
まず、自分がそのような歩みを確かにさせていただこう。

かみさま、
あなたとの関係をもっともっと太いものとすることができますように。
主が共にいてくださることを、味わいながら歩めますように。

2011-03-29

ひと。

のんちは、無事日本に着いて、
成田で、看護学校時代の友人たちに迎えられたそうだ。
卒業のあとずっと(30年くらい?)看護師として、
今や多くの友人が師長、副師長レベル。
いろいろ情報をもらったり、今や貴重品となった水のボトルを買ってもらったり、
たいやきをごちそうになったり、幸いな時を持ったらしい。

そして、日本時間の30日の朝には、
川崎の教会のクリニックの方々から、
「今日の午後から福島のいわき市に行きますが、ご一緒しますか?」と声をかけていただいたそうだ。まだ、日本について24時間も経っておらず、住民票も保険証もないので、残念ながらお断りしたそうだが、本当にありがたい話だ。

こちら、NJのかきごおり家は、夜にはお子さんの大学見学でNYに来られていた友人一家が訪問してくださった。
時間があっという間に過ぎる楽しい話と、最後には一緒に神様の前に出てお祈り。
本当に励まされた。
皆さんが自分の料理を「おいしい、おいしい」と召し上がってくださったことも、とてもうれしかった。ほめ上手!

神様は人を与えてくださっている。本当にそのことを感謝させられる一日だった。

大感謝。

2011-03-27

Callingかな。

寒いです。
今朝も-5度Cくらいまで下がりました。
今夜も、10時半過ぎで、もう氷点下。


明日の朝はまた-5度Cくらいみたいです。
昼間も5度くらいどまりかな。


急なことですが、
まあ、ちょっと前から祈って色々動いているのですが、
のんちが明日から2週間、いや、そうじゃなくて、2ヶ月間、日本に行きます。


どんな道が開かれるのかわかりませんが、
こちらにいても、なかなかわからないので、
とにかく帰って、またいろいろ動くようです。
最善の道が開かれるようにお祈りください。


1週間くらい前に被災地の某赤十字病院に電話をしたときに(のんちも赤十字出身)、(これ自体、脱帽というか無謀と言うか・・・「怒鳴られること覚悟で電話をした・・・」と言っていました)「ホントに来ていただいたらありがたい話。みんな寝る間もなく働いているし、家族の安否だって確認できない。寝るのは廊下。どれだけ助かるかわからない。でも、来ていただいても、身の安全も保証できない。だから、お受けできません・・・」と涙声だったそうだ。いや、もちろん組織の秩序もあるだろう。どこの馬の骨ともわからないオバハンが地球の裏側から電話くれても「じゃあ、来て!」と言われるとは思えない。


でもね、なんとか、一人のスタッフが一晩でも休めれば・・・との思い。


今日、イトイさんのところで紹介されていた
災害援助のナースの方の体験、
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
も読んで、想像できる範囲のもんじゃないんだな、と思います。
なんだか、何かを書くことにも怖れを感じます。


でも、というか、だからというか、一人一人が与えられているところがある、それに応えて行くことが大切。
のんちも神様に呼ばれて行くんだな、だったら、本当にふさわしい働き場が与えられるんだろうな、と思って祈っています。


でも、この手記の最後の方の、
「でもきっと本当の現実は被災地で都心は非現実社会なんだと思います。」

ちょっと考えちゃったな。「・・・かもな」と。
自分も非現実社会に生きているのかもな、と。


こっちは、いつもいつも、「大黒柱」さまに甘ったれているので、
父娘三人でちょっとは自立するようにと。


・・・ちょっと現実に向き合うことにします。


今日は、夕方から10時頃までのんちが買い物に出かけていたので、
その間に、ちょっと気合いが入って、料理などしてしまいました。


で、ちょっと前にサキがテレビで見て、作りたい!としきりに言っていた、シュークリームなどにもちょっと挑戦。




ま、初挑戦にしては、うまくいったでしょう。
おいしゅうございました。
一人4個ずつ、ペロッと食べてしまいました。


先が思いやられる・・・体重の面で・・・かな。


あと、「何でもサポートするから・・・」と口では言っているのですが、
実際、祈ってきたこの一週間余り、ちゃんとサポートしてきたかと言うと、
あんまり胸が張れません。
「日常が大切!日常ちゃんとやっていないと、いざというときに慌ててもダメ、いざというときに『何ができますか?』って聞いてもダメ」ってこと、ホントに自分に言い聞かせています。


でも、やっぱりつながっていたい、そう思います。
ホントに何かわかっているかと言われると、わかっていないんだと思います。
でも、だから、つながっていたい。わかったようなつもりになっちゃダメだから、つながっていたい、そう熱望します。
のんちの存在が、そのつながりのひとつの助けとなりますように。

2011-03-26

日曜日のために。

明日の礼拝に備えて、
今日は(も?)更新はお休みしますが、
一言だけ、Rick Warren師のtweetから。

Pastors:Your sermon must always FIRST be your offering to God,
Only after that can it become a presentation to others.

祈りつつ。
祈ってくださいね。

2011-03-24

足踏み。

昨日は朝雪が降っていましたが、
昼間は雨。


でも、夜の7時半頃でしょうか、
雷を伴って激しいsleetが降って、
あっという間に道路はシャーベット状態。



めちゃくちゃ歩きにくかったです。


そして、帰ってきたら、雪。


一度やんだのですが、今朝がたまた降ったみたいで、
車はしっかり雪に覆われていました。


ま、すぐに融けた春の淡雪でしたが。


でも、これから数日、
春は足踏みです。


今夜の最低気温は-6度くらい。
昼間も10度以下の日が続きそうです。


今、多くの情報はtwitterから入ってきます。
そんなにたくさんの方々をフォローしているわけではないのですが、
なんだか、必要十分みたいな。
何百人フォローしている方々もおられるのですが、
これ以上増えたら、どうやって情報を取捨選択するんだろう、って感じ。
もちろん玉石混淆、かなり怪しい情報も入ってくるので、
これはまた難しいのですが、
そんな中で、昨日、おお、と思ったのはこの情報。


心理学博士からの、震災から心を守るメッセージ(三羽理一郎)


カルフォルニアの先生だそうですから、
やはり物理的距離のある所にいながら、この震災を受け止め、
その距離故に思うことなどもある中で、
日本の方々や、こちらの方々にメッセージを送っておられます。

だから、よけい共感するのでしょうか。

特に以下のくだりは、ずっと私も感じてきたし、語ってきたことです。

ひとつぜひ持って欲しい考え方は、「自分は自分の出来ることをするのが大切である」です。
被災地で救助に当たっている人たちだけが、今ここで重要なのではないのです。
あなた方ひとりひとりが、自分とその周囲をケアし大切にすることで、日本全体の回復・復活に役立ちます。

神様が一人一人を必要な所に生かしてくださっている。
復活のイエスに「私に従ってきなさい」と言われたペテロが、
「この人はどうですか?」と目に入ったヨハネのことを聞いたのに、
イエスは「それが、あなたと何の関わりがある?あなたは私に従いなさい」と言われた。

あなたは神様にどんな使命を与えられているか、
そこに堅く立っていくことの大切さを思わされます。

あと、今度の震災の中で、「聖書学院で共に学んだあの方はどうしておられるかな」と思っていた方のお一人は、宮古の岩塚牧師。
1学年先輩で、とてもお世話になった方。
福島県の海沿いの教会、いわき市だったかな、結婚式にも出させていただきました。聖書学院で共に学んだ仲間の代表みたいな感じでお招きいただいた記憶があります。

今日、情報が出てきたみたいです。いや、しばらく前に情報はちらほら出ていたようですが、今日、こちらに情報が出ていました。
なかなか、安否が確認できなかったみたいですが、
ご無事なようです。

正直、ここ数年ご無沙汰しておりました。
この情報を目にした、というのも神様の導きと信じて、
これを機会に、また、ご連絡してみようと思います。

さて、昨日今日の聖書。
昨日から今日にかけて、民数記の13章を読んだ。

「わたしが・・・与えようとしている・・・地」2節。

12人の人たちがカナンの地を偵察に行ったのは、
神様の命令に従ったことだったのだ。

時々思う。

なんで偵察に行ったんだろうか?
行かなければ、人々は「ダメだ、勝てない、もうやめよう」と言わなかったのではないか、
モーセは失敗したんじゃないかなあと。

でも、そうじゃなかったんだ。
神様が人々を偵察に行かせたのだ。

そして、既に神様はその土地を、彼らに与えると、約束をしておられたのだ。

もう既に与えられている。
なのに、この人々は、状況を見て、恐れた。

「日々のみことば」誌には以下のようにある。

「あなたは、目標達成のために調べたことが、いつの間にか自分の弱さのために消えかかったことがないでしょうか。」

本当に主を信頼するテストを受けいているんだろうと思う。
主を信頼することは何もしないことではない、
主を信頼することは信頼して従うことだ。

さあ、歩み出そう。

主よ、
どうか、あなたの導かれるところに行かせてください。
その道が厳しいならば、そこから逃げるのではなくて、
そこを行くために何が必要なのか、知ることができますように。
あなたを信頼して従って行くことができますように。

2011-03-22

ふとした偶然で・・・。

昨日、はちこさんがFB上で紹介していた
KOKIAの「私にできること」を聞きながら、
「ふとした偶然で今交わった人生」のところで、
震災の1週間前にTwitter上で久しぶりにやり取りをした
KEN(http://twitter.com/KENGKONG213)のことを思い出していた。

ずいぶん前、こんなに有名になる前だけど、
KOKIAは友達のところに来たときに、
NJの家庭集会に一回来てくれたことがあった。
それから、ちょっと気になるアーティストだ。
いや、それがなくても、彼女の歌はいい。

この歌は中越沖地震のときに被災した柏崎のファンのために個人的に送った曲だという。
これはぜひご自分でyoutubeで検索してほしい。

あ、あの時も東電の原発では火災が起き、放射能漏れを起こしている。
3年半で、地震対策を万全にしろと言っても酷な話だろうけど、
何なんだろうなあ、と思う。
まあ、原発のことは本題から外れるから、置いておいて・・・

「遠く離れていても」
「私にも何かできることがあるかな」
などの言葉が、今の自分たちの状況にあまりにも重なって、
KENにメッセージを送らないではいられなかった。

彼は、利府という仙台の北隣の町に住んで、
牧師をしている兄を支えている。

3年くらい前だろうか、
NYに来たときに、ちょっと滞在してくれた。
子供たちのために働きをしたい、というゴツイ若者だった。
それからほとんど互いに連絡も取っていなかったんだけど、
Twitterでちょっと前にフォローしてくれて、
震災の1週間前にはメッセージを送ってくれた。

正直、自分は思い出すまでにはちょっと時間がかかったのだが、
のんちの方はほぼ、完璧に覚えていた。

「超人的に思える妻の記憶力に当惑しているあなたは、これは妻の女性という人格のなせるわざで、『忘れる』ことはできないのだと受け入れるしかありません」という「愛されたい妻と尊敬されたい夫」の一文を思い出さないではいられなかった。

あ、また横道にそれた。

利府の町自体はそれほど家屋の倒壊はなかったそうだ。でも、燃料不足、断水、食料不足が続いているらしい。

そして、何よりも、彼の車は津波で流されてしまったそうだ。
援助のために走り回りたいけど、車もなく、燃料もない。
だから、今は自分が今ある所で、光として輝きたいと。

今日は誕生日だったらしい。
そして、もうすぐ、ベビーも生まれるらしい。

こうやって海を越えて繋がることができたのは、
「ふとした偶然」とも思えるけど、
きっと偶然ではない。

もっともっとそのつながりを太くすることができれば・・・と思う。
祈っている。あのNJでの出会いも、震災の1週間前のtwitter上での再会も、神様の導きだと思うから。

今、夜11時で5.4度C。今夜は気温が下がって、これから雪。
みぞれになったり、雨になったり、しながら、
5センチくらい積もる予報が出ています。


今日の「日々のみことば」より。
民数記12:1-16。


「『主はただモーセとだけ話されたのでしょうか。私たちとも話されたのではないでしょうか。』主はこれを聞かれた。さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙虚であった。」2-3節。

「神はこう言われた」「私はこう示された」というときに、
よっぽど気をつけなければいけないと思う。

だって、神様が言われた、と言えば、わがままだって通せる。
自分の野望だって正当化できる。

だから、本当にこの「謙虚」って大切ですよね。
神様の前に砕かれて、いつでも神様に聞いて行く。
自分の思いではなくて、神様の思いが実現されることを求めて行く。

課題だ。

主よ、
私を謙遜な者とならせてください。
でも、大胆にあなたが語られたことを語ることができますように。

2011-03-20

次の世代のために。

今日は朝はちょっと氷点下。
で、昼間はずいぶん暖かくなりましたが、
夜になって、また冷えてきました。
今は夜の10時で、4.1度C。
これから明日は雨で、朝のうちは雪も混ざるようです。


今朝はまだ起きる前、ベッドの中でメールを見たら、若い男の子たちから、2つのメール。
一つは去年の元旦に信仰に導かれて、3日に洗礼を受けてロンドンに住んでいる子。
そこにはこんなビデオへのリンクが貼られていて、
今の日本のために、少しでも人々を元気づけることができるようにと、
教会の祈り会の様子かな、若い人たちの集まりの様子かな、
映像、という彼のできることで、正しいことをしたい、と思ったということでした。



彼に与えられているものが、神様のためにもっともっと用いられるようにと祈ります。


そして、もう一人は、今年の1月にウチに泊まりにきた、ハジの友達の大学生の子。
あのアトランタの雪のおかげで、飛行機がキャンセルになって、
「わおー、どうしよう・・・」とハジと二人でばたばたしたあの若者。
1月11日の日記。


その彼が、「ハジから聞いているかもしれませんが、バプテスマを受けることになりました」というメールでした。


そして、NJに来ておられたときに神様から背中を押された経験のことも。


ハジから何にも聞いてねえ。
でも、本当にうれしかったです。


次の世代のために・・・ということを切実に感じることの多い、今日この頃。
息子の世代の若者たちの中に起こっていることに本当に心が震える思いです。


大感謝!!!!


今日の週報のコラムにはこんなことを書かせていただきました。


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あの地震から9日がたちました。
今日もまた瓦礫の中から発見された方々がおられたそうです。今も救出を待っておられる方々のために、救出のために尽力されている方々のために、避難生活を送っておられる方々のために、大切な方をなくされ方々のために祈ります。
また、この9日間、不眠不休で福島の原子力発電所の制御のために命をかけて尽力されている方々のために祈ります。
緊急援助、復興援助のための働きが広がりを見せていることを感謝します。瞬発力が与えられている方々がおられます。神様はあなたを用いておられます。スタートダッシュは本当に大切です。あなたのおかげで多くの「何かしたいけど・・・」という人々が、その何かを見つけることができました。「瞬発力はないけど持久力が与えられている方、神様は、日本はあなたの存在をどれだけ必要としていることでしょうか。この先の道のりは本当に長いです。苦難が続きます。注目する人もどんどん減っていくでしょう。あのスマトラの大津波の後の地域のことを私たちのほとんどの者たちが忘れているように。でも、その中で力を発揮するのは持久力のあるあなたのような方々です。若い方々、皆さんの情熱に感謝します。あなたがたの力がなければ、日本の将来はありません。これからの復興の原動力は皆さんの力です。年長の皆さん、あなた方の叡智に感謝します。そのたくましさ、しなやかさ、それはあの戦争の中を通ってきたからでしょうか?戦後の復興を見てきたからでしょうか?あなたがたの知恵を私たちのために使ってください。
一人一人働きが違います。ある特別な人々がHeroとして注目されます。でも、みんな、一人一人役割を担っているのです。自分の与えられたところで与えられた役割を果たしていくこと、そして、日常のコミュニティーの中に生きていくことを大切にしていきましょう。

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本当に一人一人が自分に与えられた人生を生きることができますように!


今朝は、東電の原発のすぐそばにある福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰先生のメッセージを聞きました。今は避難されて、山形県の米沢に教会の50人くらいの方々とともに身を寄せておられます。教会の皆さん、先生ご自身、どんな所を通って来られたか想像できません。本当に暖かい、明るい先生で、私も5年前にお会いしたときに、たくさんアドバイスをいただいて、励まされたのですが、今回も「『福島第一』の名前は原発よりも教会が先だ!」とか、いくつもの笑いを交えながら、お話しされて、本当に励まされたのですが、その中の「私達が礼拝ができるのは当たり前じゃないことを思わされた」という言葉、心に留まりました。そうなんですね。私達が礼拝をできるのはあたりまえじゃない。本当に神様の守りと導きの中で起こること。そして、何よりもイエスの十字架故に与えられていること。


今日の礼拝を心から感謝しました。


さて、今日の聖書。
今日は民数記の11:16-25。


「主の手が短いというのか。」23節。

昨日の11章1節からのと、明日の今日の続きも一緒に読んだ方がいいと思うのですが、多くの人々の必要の前に、モーセは「自分で背負わなければいけない」という思いでつぶれそうになっていました。人々の愚痴をまともに受け取って、「自分にはできない!」とパニックを起こしていました。でも、そのモーセに向かって、神は、「あなたではない、私がするんだよ」と言われたのです。

主を信頼すること。
主がしなさい、と言われたら、「私は感知しない」ではなくて、どこまでも支えてくださること、主ご自身がなさることを、私達は信頼して、ついていけばいいのだということ。それを信じて従うことが大切なこと、思わされます。

主の御業を見せていただきたい、そう思います。

主よ、
あなたの若い男の子たちのうちになしてくださった大きなことの故に心から感謝します。どうか、これからも、次の世代の人々に大切なことを伝える働きをさせてください。あなたのみ手を信頼して歩ませてください。

2011-03-18

一週間。

あれから一週間。
今日も、日本のために、地震で大切な人を失った方々のために、
今も救出を待っておられる方のために(8日目に見つかった方もいた!)、
あの福島の原発で尽力されている方々のために、
祈らされた。

そういえば、「10時半に寝て、5時半に起きる」生活を目指して、
早く寝て、でも、やっぱり5時間で目が覚めて、4時にニュースを知ったんだな、と思い出していました。

あまりのことに信じられない思いで現実感のない所から始まった。
たくさんの方々が命を落としたことを知り、その一つ一つのいのちが、自分と同じいのちで、自分の家族のいのちと同じいのち、なのに、自分がここで生きていることの違和感を感じたり、だから、生かされていることの意味を考えたり。
原発のことがどうなるのか、祈りながら、過ごした一週間。

こちらで、何ができるか、自分を見失わないように、
また牧師として堅く立って行くようにと思いながら、
でも、その気持ちが強すぎて、こわれそうになった日もありました。

でも、その弱さを受け入れたときに、また内側から、神様から力が与えられて、今があります。

この間にいろんなことがありました。
その朝、予報通りのFlood。
近くの川はあふれていました。

でも、その後はいい天気が続いていて、
今日は25度まで上がりました。

そして、一週間の中では、



毎年恒例、玄関脇のクロッカスが花を咲かせたり(年々花が少なくなる?)、
裏に植えたふきに「ふきのとう」が出てきたのに、
リスに食い散らかされたり。

季節は確かに春に向かって動いています。
あさってからはアメリカの暦の上でも、「春」です。
でも、ここまで暖かいのも今日まで。
明日からは平年よりちょっと低め。
昼間の気温が12度くらいになりそうです。

さて、久しぶりに「日々のみことば」から。
おととい、水曜日の読んだところ。

民数記9:15-23。
「 二日でも、一月でも、あるいは一年でも、雲が幕屋の上にとどまって去らなければ、イスラエル人は宿営して旅立たなかった。ただ雲が上ったときだけ旅立った。彼らは主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。彼らはモーセを通して示された主の命令によって、主の戒めを守った。」22-23節。

すぐに動きたいこともあっただろう。
いつまでもとどまっていたい時もあっただろう。
でも、彼らは、ただ雲の動きを通して、神が示されたときに動いた。

とどまれと言われたらとどまり、
行けと言われたら行く。

そこに祝福があり、平安がある。
従うことはつらいことではない。

勇気はいるかもしれない。
でも、そこには平安と喜びがある。

神様、
あなたの導きを信頼します。
あなたが動かしたいように導いてください。
従う中で与えられる喜びを経験させてください。

2011-03-17

内側からの力。

たくさんのNPOが震災の被災者の方々のために動きを進めておられて、
少しずつ基盤が作られつつあるようですが、
私たちの教会で日常的に支援しているのは、
日本国際飢餓対策機構です。

聖書を土台とした援助団体で、
その理念も、会計の明瞭さも、事務費等の経費の少なさ(これは大切。何割も経費や団体の維持費にとられてしまって、現地に届くものが目減りするのは残念。もちろん、団体の維持費がある程度かかるのはわかるし、フルタイムのスタッフの方々の生活がちゃんと支えられることも大切だけど・・・)も、信頼できる働きなのでサポートしています。

ハジがウガンダに行ったのも、この団体のワークキャンプです。

「日頃の働きが大切」ということをこのグループの姿勢から学ばされます。

最新のニュースを見るとアメリカのFood for the Hungryだけではなくて、
Samaritan's Purseという団体からも支援を受けているということです。
働きが広げられて、多くの人々に、またきめ細かく届きますようにと祈ります。
どこかの段階で自分自身ももっと近く関わることができないか、と祈っています。

もしも、このページをご覧くださっているアメリカ在住の方で、
信頼できる窓口がわからなくて・・・というかたがおられたら、
私たちの教会も窓口になりますので、こちらまで。

送付先:
Japanese Christian Church of NJ
120 East Pleasant Ave.
Maywood, NJ 07607

チェックの宛先
Japanese Christian Church of NJ
メモ欄
Earthquake Relief(目的がわかれば表現が違っても大丈夫です)

100% 日本国際飢餓対策機構にお送りします。

もちろん、アメリカのそれぞれの団体に直接献金されても、いく所は同じだと思いますで、直接送った方がいいかな、という方ははぜひ、直接そちらの方へ。

(その他にもたくさん、信頼できる援助団体があります。もちろん、それぞれの判断で。)

昨日の集中祈祷の聖書箇所、本当に励まされた。
自分の中に川があるか?
周りの雰囲気に飲み込まれないで、
堅く立っていくための水の源があるか?

それが大切なんだと。

これから、本当にみんなが心を一つにした時期をすぎて、
いろいろな意見が駆け巡り、
ストレスから意見の相違が気まずい雰囲気を作る時もあるだろう。

それはもちろん避難生活を送っておられる方々が一番厳しいと思う。
でも、他の人たちや、私たちのように海外に歩む者たちには無縁なのか、
というと、決してそうではない。
感じた痛みの大きさや、援助活動の方向性、政治的な立場、など色々な違いで、人の言葉や態度に傷つくこともあるだろう。

だから、そんな中で、自分自身がいのちの川を持っている、神様にあって支えられている、そういう基盤が、どれほど大切かと思う。

使徒行伝27章には、パウロがカイザリヤからローマに囚人として移送される出来事が書かれている。そこに襲ってくる嵐の中で、いつの間にか、人々を支えるのが、船長でもなく、移送の責任者である部隊長ではなく、囚人のパウロになっていた。そのようなことが
この嵐の中でも、起こりますように。

2011-03-16

いのちの水の川。

今朝の6時、夜の9時、夜の11時(すべて米国東部時間・・・日本時間の16日夜7時、17日朝10時、正午)にニュージャージー日本語キリスト教会の集中祈祷を持っています。各自、それぞれの場所で祈りの時を持っています。ともに祈ってくださる方、時間を合わせてください。

今朝、6時から教会で祈ってきました。
詩篇の46篇を読みながら、讃美歌520番、聖歌397番を賛美しながら。

「一つの川がある。」4節。

自分の心に流れ込む川がある。
その川が生命線になって自分を支える。

それは神ご自身。

その柱を持って、軸を持って、
ここの状況に対処して行く。

そして、自分が他の誰かにとって、励ましとなり、支えとなり、慰めとなり、元気の源となりますように生きる。

そこに引き戻されるひとときでした。

今日のこちらの一日が、日本の夜が、守られ支えられますように。

2011-03-15

正しく伝える使命。

前の記事のニュースでの取り扱いですが、
確かにそれをご覧になって「なんとかしたい」という思いをされた方々がいるのですから、それはそれで感謝したいのですが、
NJのニュースの方では、私たちの思いがどこまで伝わっているかなと思います。
記者が来られたのが礼拝が始まってからだったので、
礼拝前に直接お話をすることもできず、
夕方のニュースに間に合わせるために、
礼拝が終わるまではおられず、ほんの短い取材の中で、
私たちの思いはあまり伝わっていないかもな、と思います。
そして、東京から南へ、国外へ避難している外国の方々の話が長くて。
(もちろん、それは無理もないことだとは思いますが・・・)

シカゴのテレビ局の方のポール鈴木宣教師の方が、
思いが伝わるような編集になっていますよね。
キャロルの「自分はこんなときに日本にいて、みんなと共に歩みたい気持ち」というのが、私たちのホントの思いだと思います。

世界の人が注目してくださっています。

そんなときだからこそ、そして、私たちがここに生かされているからこそ、ここに住む人々に私たちの思いを伝える責任があるんだと思わされます。

今朝、教会に行ったら、教会の留守番電話にいくつかのメディアからの電話が入っていました。今日もどこまで対応できるかわかりませんが、なんとか、私たちの思いを正しく伝えることができますように。

世界中の祈り。

昨夜はNYCで集まりがあったのですが、
真剣に皆で祈りました。

今、必死に原発の制御のために命をかけて働いている皆さんに感謝しつつ、祈っています。

昨日は会堂を貸してくださっている教会のパスターが私たちの礼拝においで下さり、愛をもって挨拶をしてくださり、次の日曜日の礼拝の中で日本のために特別献金をささげてくださることを約束してくださいました。

また、ローカルテレビも取材に来られました。
単なる「関心」ではなくて、多くの方々が祈って、力を貸してくださっています。



最後の方では、昨日の教会の礼拝の様子が放送されています。
教会の名前も違っていますし、もう少し長く、詳しく放送してほしかったですが。
でも、このようなニュースを見て、献金を申し出てくださる方がおられます。

こちらのシカゴのローカルニュースでは宣教師のポール鈴木さんご夫妻のことが紹介されています。

http://www.wgntv.com/search/wgntv-skokie-church-japan-relief-march13,0,773041.story

 

ポールは26日に中高生のために集会をしてくださり、
27日には礼拝のメッセージをしてくださいます。

嵐の中で、弟子たちのところに来られて、嵐を鎮められた主が、
エマオへの道を不安と失意の中でとぼとぼと歩んでいた弟子たちを
奮い立たせ、喜びに満たされた主が、
日本の厳しい状況の中にいる方々に慰めと力を与えてくださいますように。

2011-03-14

使命に堅く立つ。

西宮市議会議員の今村岳司さんの日記には考えさせられた。
http://xdl.jp/diary/
3/12, 3/13の記事。

危機の中で必要とされるのは命令式系統のしっかりした組織。
そして、従う気持ちと訓練を受けた人々。
自己実現の気持ちは邪魔。

などなど・・・。

「わたしもできることは・・・」という気持ちはだれでも持つだろうけれども、それを正しい方向に持って行くことがどれほど大切なことか。

今、自分たちにできることは、
与えられたところで、人々の中に生きること。
与えられている使命に生きること。

何か大きなことが起こって「わたしに何かできることはないですか?」と聞いても遅い。
何かが起こったときに、「あの人に相談しよう」「あの人に連絡しよう」「あの教会に行けばいい」という関係を築いているか?

昨日の教会の週報のコラムに書きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーー
日本の地震と津波のニュースには本当に心が痛みます。
救出を待っておられる方々のために、救出のために尽力されている方々のために、避難生活を送っておられる方々のために、大切な方をなくされ方々のために祈ります。
また、福島の原子力発電所の制御のために命をかけて尽力されている方々のために祈ります。
みなさん、遠く離れて「何ができるだろうか」を考えておられると思います。何もできないことに歯がゆさを感じておられるかもしれません。日本の方々も同じように感じておられるようです。
でも、阪神大震災や9-11のときにも経験したことではありますが、復興の歩みは長く続きます。短期間でどっと多くの人々が押し寄せることが助けにはなりません。混乱を招くことになります。9-11の時には献血のためにたくさんの人々がセンターに詰め掛けましたが、その場で集められる血液は限られています。連絡先を聞かれて帰されました。しかし、また今、献血センターはいつもいつも血液不足に悩まされています。長く長く関心を持ち続け、祈り続け、わたしたちはあなたのことを忘れていませんとメッセージを送り続けること、そして、必要とされたときに手を差し伸べることが大切なのだと思わされます。
教会はちょうどレント期間の飢餓献金を始めるところです。わたしたちのサポートしている日本国際飢餓対策機構のスタッフも現地に入って支援の準備を始めておられます。祈って支えていきましょう。
わたしたちが堅く立つことも大切なことです。また、その「何かできないだろうか」という思いを、今、自分の周りで助けや支えを必要としている方々に向けることです。家族を愛し、友人に声をかけることです。神がわたしたちに与えてくださっている愛を、表す機会とさせていただきましょう。続けてお祈りしていきましょう。

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神は高い所にいる哲学者の神unmoved moverではありません。
私たちの現実の中に飛び込んで来られた方です。
スプランクニゾマイ(はらわたをいためる)の神です。
私たちが愛し合っている中にご自身の姿を現してくださる方です。
今日も、与えられた使命に歩みましょう。

2011-03-13

それはわたしの宝だから。

あなたの宝のある所には、心もあるからである。
マタイ6章21節。

実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。
ローマ9章4節。

主よ、日本の方々の13日の夜にも共にいて、光となってください。

日本の方々を誇りに思う。

闘いの中で、痛みの中で、冷静さを失わず、愛をもって
力を尽くしておられる皆さんを同胞として誇りに思います。

愛する者たちよ。神がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し合うべきである。
神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。

ヨハネ第一の手紙4章10-11節