2009-10-28

銀杏。

今日は一日雨でしたねえ。
夕方止んだのですが、また夜に降ってきました。
でも、明日は大丈夫でしょう。
たぶんいい天気になると思います。


今日はNYの日だったので、
朝から夜までNYに出ていました。
PCを持ち歩くのはちょっとしんどいので、
今日はPCなし・・・。
で、更新が遅くなりました。


今週から来週いっぱいのNYでの原爆展、行ってきたのですが、
また明日にでもゆっくり書きます。


今日の午後は、珍しいことなのですが、
Brooklynに用事があって行ってきました。
そして、駅までの帰り道、
雨の中で、持っていたものをうっかり落として、
ついでにそれを自分で踏んづけるという、
ありがちな、「踏んだり蹴ったり」のへまをやらかしたところが、
なんと、アメリカでは滅多に出会わない、銀杏の木の下。
折しも秋10月末、芳香を放つ銀杏の実が落ちているところ。
思いっきり臭くなりました。


「泣き面に蜂」というか、「弱り目に祟り目」というか、
広いNYで、確率的にあり得ないだろう・・・みたいなことがあるんですよねえ。


雨の日+銀杏+手に持っているものを落とす+自分でそれを踏む
なんて、すごいですよね。
でも、思いっきり飛躍しますが、
だいたい、自分の存在自体が、ものすごい低い確率なのに、
ここに存在していることがすごい。
両親が出会う確率。
そして、両親の中にある二つの自分の元になる遺伝子が合体する確率。
「金八先生」みたいですが、
本当に特別な特別な者として、ここにいることに、心から感謝します。


でも・・・これで、たとえば車で来ていたら、
銀杏の実を拾って帰って、
「ただでは転ばない」という根性を見せたかったのですが、
さすがに、銀杏拾ってNYの地下鉄に乗る勇気もございませんで。


でも、いいことを知りました。
今度行く時は是非、車で、それもビニール袋持参で参りましょう。


さて、昨日うっかりとばした先週の火曜日、20日の聖書。
20日はエレミヤ22:20-30。


「あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。」21節。

すべてが順調に思えたころ、
神に聞くことが少なかった。
今ほど真剣に聞いてはいなかったように思う。

問題が起こって、初めて、神様の声を必死で聞く。
困った時の神頼みは、決して、クリスチャンも無縁ではない。

苦しみにあったことは、私にとってとてもよいことでした。
そのように詩篇の119篇を歌った人は言っています。
本当にそうだなあと思います。

苦しみがなかったら、
こんなに人生に対して真剣だっただろうか?
神様に対して真剣だっただろうか?
周りの人に対して真剣だっただろうか?

だから、これから襲ってくるだろう、もっとシビアな、
もっと重大な苦しみに対しても、
同じように言える者でありたい。

そして、平安がある時にも、
いつもいつも主に聞いて歩んでいく者でありたい。

主よ、
あなたの試練に感謝します。
あなたが与えてくださる苦しみの故に、
私はあなたに対して、
人生に対して、
周りの人に対して、
真剣に歩めるのだと思います。
どうか、いつもいつもあなたの声を聞いて歩む者でありますように。

2009-10-27

縁もゆかりも・・・。

台風一過の青空の東京を後にして、
雨のNJに帰ってきました。
明日も一日雨のようです。
最高気温も10度止まり。
寒いくらいの一日になりそうです。


今回、燃料費が加算されるタイミングの問題で、
ものすごい久しぶりにJALを使いました。
よかったですよ。
Landingも見事でしたし、
サービスも気持ちよかったですし・・・。


そして、機内映画、今は一人一人
タイミングを自分で決めてみることができるのですが、
日本語での選択の幅が広いですね。
行きは眠れなくて、何本も見てしまいました。


その中で、やばかったのが、
「ALWAYS・三丁目の夕日」。
飛行機の中にもかかわらず、
危なく嗚咽を漏らしそうになりました。


いえ、私が知っている東京よりも10年以上古いんで、
「ああ、そうだったよねえ」みたいなのは、
都電くらい(自分の頃は20円だったと思う)です。
「テレビが来る」と大騒ぎしたこともないですし、
ナマの力道山も知りません。
SLが走っていたのはもう地方だけだったような・・・。


でも、DR. コトーでおなじみの吉岡君の
「縁もゆかりも・・・」のセリフにはぐっと来ました。
「やばい、制作者のねらいにはまっている・・・」と思いながら、
声が出るのを押さえるのに必死でした。


主がわたしたちを愛してくださっていること、
受け入れてくださっていること、
それはどれほど大きなことなのかと思います。
わたしたちは神様に造られ、生かされているのですから。


今度「続」も見なきゃ、です。


さて、先週火曜日、21日の聖書。
エレミヤ23:1-8。


「しかし、わたしは、わたしの群れの残りの者を、わたしが追い散らしたすべての国から集め、もとの牧場に帰らせる。彼らは多くの子を生んでふえよう。わたしは彼らの上に牧者たちを立て、彼らを牧させる。彼らは二度と恐れることなく、おののくことなく、失われることもない。」3-4節。

主の与えてくださる回復。
それは恐れることもない、おののくこともない、失われることもない回復。
主の守りの中に入れられて、
支えられ、生かされる回復。
それが与えられていること、
約束されていることがどれほど幸いなことかと思う。

確かに、自分はこれが与えられていると思う。
そのように言うことができる。
主が支えてくださっているから、生きていける、歩んでいける。
いろいろな悩みや痛みの中でも、
立っていくことができる。
その幸いにもっともっと生きていこうと思う。

主よ、
あなたがいてくださるから、
あなたが守ってくださるから、
あなたが支えてくださるから、
ありがとうございます。
そこに立っていくことができますように。
これからもずっと立っていくことができますように。


それを証していく者でありますように。

2009-10-26

台風一過。

昨日は台風が南海上を通ったので、一日雨でしたが、今日はすかっと晴れ
ていい天気になりました。

あと一時間ほどで、飛行機です。

今回は、本当にあっという間の一週間でした。

守ってくださった主に感謝。

かきごおり

2009-10-25

人を愛することと神を愛すること。

いつから通常の更新に戻れるかわかりませんが、
とりあえず、少しずつ追いかけていこうと思います。

土曜日の夜から昨日の昼頃までは雨。
そして、今日も雨です。
南海上を台風20号が駆け抜けていきますので、
時々、雨脚が強くなると思います。


NJも戻る火曜日は雨みたいですね。
そして、翌水曜日は一日NYですが、その日の予報も雨。
一週間守られた分だけ、雨が着いてきそうです。


さて、先週月曜日、19日の聖書。
エレミヤ書22:10-19。


「彼はしいたげられた人、貧しい人の訴えをさばき、そのとき、彼は幸福だった。それが、わたしを知ることではなかったのか。」16節。

人を愛すること、
声を挙げられない人の叫びを聞くこと、
それが神を知ることなのだとエレミヤは言うのです。

わたしたちは神を愛することと人を愛することを、
対立的に受け止めることがあります。
もちろん、人ばかりに目がいって、神様が見えなくなってしまう危険はあるでしょう。
昨日のメッセージのように、
人と話し合うことばかりに時間と精力を使って、
神様と語り合うことをおろそかにしてはいけないと思います。

しかし、ここでは、人を愛することが神を知ることなのだと言われるのです。

やはり人のいないところでは神を知ることはできない、
人との関係を大切にしない中で、神様を経験することはできない。

もっともっと人を愛し、人と関わることを大切にしたいと思いました。

主よ、
人を大切にする者でありますように。
人に仕える者となれますように。
その中であなたとの関係がもっともっと豊かにされますように。

今日の礼拝から。

「人との会議を大切にして、神との会議(祈りの一時)をキャンセルしていないか?」(趙南洙師)

無事終了。

皆さんのお祈りに感謝します。
5日間のセミナーを終えてほっと一息です。

主がここに導いてくださったことを思わされます。

特に、今日の礼拝後、ひとりの方とお茶を飲みながら、
お話ししたこと、伺ったお証し、
伝道者としての歩みにものすごいインパクトを与えるものでした。

NJに戻るのが本当に楽しみです。

2009-10-24

2009-10-23

歓待。

日本は土曜日の夜になりました。
セミナーもあと一日半。
昨夜は、実際にこの教会の皆さんがどのように、「家の教会」を実践され
ているのかを見せていただきました。
本当に「これ教会だなあ」と思わされます。詳しくは、またゆっくり書き
ますが、この4日間、たくさんの皆さんの証しをお伺いして、そして、
ホームステイ、食事などで歓待してくださっている姿に、励まされていま
す。

このセミナーは、日曜日の礼拝でおわります。ともに集まる礼拝がまた喜
びの頂点だそうです。

楽しみです。

JCCNJの礼拝の祝福をも祈りつつ。

2009-10-22

からだの大切さ。

今日はお世話になっているお宅で、
PCをつながせていただいて、
PCで更新。

でも、もう遅いので、やっぱり一言だけ。

去年の合同ファミリーキャンプで、
朝の祈り会の後、体を動かすのを指導して下さった、
エアロビクスのインストラクターの方が、
その後帰国して、今、セミナーをしている教会に集っておられるのですが、
今日は、その方が、休憩時間に10分くらい、2回。
ストレッチの指導をして下さいました。

とても助かりました。

今日は、朝は3時間、午後4時間、夜2時間、
ずーっと講義で、座りっぱなしだったので、
本当に必要だったなあと思います。

で、あと、講師の先生が、
7年前に手術をされた時に祈られた祈り。
「神様、あなたからお預かりした大切なからだを大切にしなくてごめんなさい。」

そうなんですよね。
神様が管理を任せて下さった体。
大切にしなければいけませんね。

ということで、今日もこれで休みます。

皆さんのお祈りに感謝しつつ。

2009-10-21

たふ。

な一日でした。
日本にきたついでに…なんてことは考えられないくらいたふです。学びの
内容は、今日のところは、いままで先生から個人的にうかかってきたこと
だったので、明日からが楽しみです。
明日に備えて、休みます。

2009-10-20

祈られる。

このセミナーのために、主催教会は、先週一週間毎朝6時から、100
人以上の方々が集って、参加者の名前をあげて祈ってくださっていたそう
です。

感謝。

スタート

無事、日本につきました。
空港から、直接会場に行って、さっそく、セミナースタート。
消化するだけで精一杯で、ここで報告はできませんが、ひとつだけ、嬉し
いサブライズ。
駅から教会までの道の中で、意外な知り合いに会える、という印象が与え
られていたのですが、それは、JCCNJの元メンバーで、そのときは
駐在で来られていたのですが、帰国後、お仕事を辞めて神学校に行き、今
は牧師をされている方。
こどもたちもうちと同世代。ともに再会を喜びました。
これもiPhoneからの更新。
一週間ぼちぼち更新するかも、です。あんまり期待しないで見にきてください。

2009-10-19

明日からは集中。


してください・・・ということなので、
もしかしたら、日曜日くらいまで全くアップ出来ないかもしれません。
どんなネット環境になるかも全くわからないので・・・。


と言うことで、とりあえず追いついておきます。


あっと、1年余り前に来られた、レインボーの静さんが、
ラジオ番組に登場。
http://febcjp.seesaa.net/article/129702678.html
(ちなみにこのページの次のページには恩師のコバ先生が登場!)


1年前、レコーディングをしたものを中心にしたCDもいよいよみたいですね。
この「いよいよ」からも長い道のりがあるのだと思いますが・・・。
「お天気の歌」も今度出る「ピアノCD」に入るという話もお伺いしています。
楽しみです。


今日の聖書。
今日はエレミヤ22章1-9節。


「公義と正義を行い・・・」3節。

主が正義を求めておられる。
それは弱い者が、無視されたり、取り残されたりしない正義。

わたしも鈍い人間なので、声を挙げてくれる人の言葉には、
耳を傾けることができても、
上げる声がない、どうしていいのかわからない人々の心の叫びには、
なかなか気がつきません。

自分が言えないのが問題だ、
それもあるでしょう。
でも、言いたくても言えないところがあるのです。

わたしもそうでした。
甘えと言えば甘えかもしれません。
わたしの場合はそうだったでしょうね。

でも、本当に言いたくても言えない。
声を挙げても、小さくて、誰も気がつかない、
声さえ出ない、
そういうところにも目を留めるような正義。

課題としては大きくて難しいですね。
でも、そういうことに目を留めるチャンスを与えてくださった主に感謝。

主よ、
どうか、正義を行わせてください。
弱い小さな声に耳を傾ける正義を行わせてください。
大きな声ばかりに振り回されることがありませんように。

2009-10-18

いよいよ。

今日も肌寒い天気でした。
でも、雨も大したことはなく、
夜には止んでいます。


明日からは天気も回復してそこそこ暖かくなる見たいです。


そして、20-27日の関東は
朝が15度くらい、昼間は20度くらいという、
とんでもなく快適な天気が続く予報が出ています。
傘のいらない1週間になりそうです。


さて、いよいよ明日、日本に出発します。
一昨年に初めて牧師のためのセミナーでお会いして、
大きな励ましを頂いて、今年の3月に個人的にお会いして、
そして、9月に修養会に来ていただいた趙先生が中心になって
導いてくださるセミナーです。


楽しみにしております。


また、与えられた時間、教会のために集中して祈ることができるようにと願っています。


また、その川崎の教会の方々との出会い、
また他の牧師の参加者の方々との出会いも楽しみです。


恒例、飛行機が長い+眠れないのがちょっとしんどいですが・・・。


さて、昨日、10月17日(土)の聖書。
エレミヤ21:1-14。


「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。」8節。

命の道は降伏の道、
死の道は徹底抗戦の道。

でも、エレミヤの時はそうだったけれども、
イザヤとヒゼキヤの時は、「わたしを信頼して堅く立ちなさい」と言われました。
それが命の道でした。

だから、表面的に聖書を読んで、
それを守っているから、神様が喜ばれるわけではないのです。

エレミヤの時代にも、
「神様が守ってくださるから大丈夫」という人々がいました。
でも、彼らは神様に従っていなかったのです。
神様を信じていなかったのです。
でも、いざというときには、「神様がいるから大丈夫」と言っていました。

でも、それは命の道ではなくて死の道だったのです。

だから、本当にわたしたちはいつもいつも神様がどう思われているかを、
探っていくことが大切だと思います。
慎重に慎重に神様の声を聞き分けることができる者でありたいと思いました。

神様、
あなたがわたしの主であって下さるから感謝します。
本当にあなたを主として従っていくことができますように。
あなたを信頼して歩んでいくことができますように。
そして、御心見極めることができますように。
見極める慎重さと、信じて従う大胆さを与えてください。

2009-10-17

賛美を支えるもの。

今日の2回目の更新。


今日はまたJOYJOYシンガーズの練習。
いつもいつもやりたいと思ってきたことがありました。
それは子供たちに神様の愛をつたえること。
JOYJOYシンガーズはただ、歌のグループではありません。
神様の愛を歌う、神様の素晴らしさを歌うグループです。
ですから、子供たちが神様の愛を知って、心からあふれるものを歌って欲しいのです。


歌を歌う楽しさとか、みんなで一つのものを造り上げる喜びとかもあるでしょう。
でも、それがJOYJOYシンガーズの中心的な喜びになって欲しくないのです。
何よりも、神様の愛されている喜びで満たされて、歌って欲しいですし、
神様の素晴らしさを歌う喜びを経験して欲しいのです。


それで、今日はイエスの十字架の紙芝居を子供たちの前でやりました。
一生懸命、子供たちは聞いてくれました。
そして、人々がイエスを葬るところで終わっていたので、
復活の話は次にしようと「この続きはまた今度・・・」と言ったら、
「えー!」と声が挙がりました。
本当に神様の愛に子供たちが感動して、歌うことができますように。


皆さんも是非、祈ってください。


さて、昨日、16日(金)の聖書。
昨日はエレミヤ20:7-18。


「私は、『主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい』と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません。」9節。

この御言葉が心の中で燃える、という感覚わかります。
「語らせてください~!!!」という感じ。
それは自己顕示欲ではなくて、
ただただ、主の素晴らしさ、主の力、主の主権を語りたくて、
主の愛、主の憐れみ、主に従う者の祝福を語りたくて、
しょうがない、という感覚です。

神様があがめられてくだされば、それが一番幸せです。
それが一番の喜びです。

「ハレルヤ」「主は素晴らしい」この言葉を聞くのが喜びです。

でも、そのためには自分が恵まれなければ、
自分が恵みを受けなければなりません。

まず、御言葉を語っていただきたいと思いました。

主よ、
まず、あなたの御言葉による喜びを与えてください。
他のものではなく御言葉による喜びを与えてください。
それを大胆に語っていく者とならせてください。
もう一度、このエレミヤと同じ経験を与えてください。
明日の礼拝の時も、その経験を与えてください。

あさってから日本。

昨日は無断で沈没してしまいましたが、
元気でしております。
でも、昨日は夜集会があって、
そのまま前後不覚になってしまいました。


そして、今日も一日あっという間。
肌寒い日が続いています。
でも、これも明日まで。
月曜日から天気もよくなり、暖かくなりそうです。


でも、その月曜日から、
もっと暖かいところに行きます。


そう、火曜日に到着して、その次の火曜日の朝まで日本です。
でも、今回は主な目的がセミナーへの参加。
いつものように皆さんとお会いする時間はちょっと持てそうにありません。


川崎の教会の信徒の方のところに滞在するようですが、
セミナー中は外出も、外部からの訪問も許されていません。
ちゃんとセミナーに集中しなさい!だそうです。
セミナーが終わった日曜日の午後と、
月曜日の午後ちょっと時間があるかなあという感じです。


さて、10月15日(木)の聖書。
エレミヤ19:14-20:6。


「パシュフルは、預言者エレミヤを打ち、彼を主の宮にある上のベニヤミンの門にある足かせにつないだ。」2節。

人々はエレミヤを足かせでつなぐことはできた。
鎖で縛っておくことはできた。
でも、彼の言葉をつないでおくことはできなかった。

「神の言葉はつながれていない」
これは、投獄されていたパウロの語った言葉。
そこにわたしたちの希望がある。
そこにわたしたちの力がある。
そこにわたしたちの強さがある。

物理的に縛られていても、
わたしたちは自由。
神の言葉はつながれていない。
神に愛され、生かされているその喜びは、
いつもいつも変わらない。

そして、主の言葉自身の力。
主ご自身の力が表れていきますように。
このような物理的には何も制約がないかのような時代にあって、
迫害は何もないような時代にあって、
主の御言葉が隠されてしまうことがありませんように。

主よ、
わたしたちを縛ろうとするものから、守ってください。
物理的な自由が与えられている今こそ、
霊的に不自由になることの危険を感じます。
どうか、あなたの御言葉の光が、わたしたちの生き方を通して輝いていきますように。






2009-10-16

みぞれ降ったぞ。

今朝は初霜はなかったですね。
全然冷え込みませんでした。
でも、その後どんどん気温は下がって、
昼頃の気温は4度くらい。
その後も下がって、雨が降りだして、
夕方から8時頃はみぞれ混じりでした。


今は10時半。3.4度です。


------------------この後いろいろ作業をしていた、あっという間に夜の1時。日付も変わりました。


ここ数日、教会の経済的必要を覚えて、大胆な祈りを捧げていました。
そして、実際その祈りをなんとか「自分の手」で実現するために一生懸命になっている自分がいました。そして、一生懸命計算して「いやあ無理だ」と思う一方で、「その不可能を可能にされる主にお願いしよう」とほとんど脅迫のように神様に祈っていました。


でも、水曜日に祈っている時に、
「神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすればそれらのものはすべて与えられる」との御言葉が与えられました。何度も何度も開いて、覚えているはずなのですが、わたしたちはすぐに神様のみ思いから離れてしまいますね。そして、御言葉を語られて、目が覚まされる・・・。


そう、自分の使命は神様の愛の中に生き、それを素晴らしさを伝えること。


そのほかのことはおまけで付いてくる。


それでいい。


一生懸命伝道と弟子作りをしたいと思わされています。


さて、10月14日(水)の聖書。
エレミヤ19:1-13。


「陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。」11節。

焼いた陶器は砕かれたらもう直らない。
焼く前の陶器が、何度も何度もこね直されるのに対して、
一度焼いてしまった陶器はもう、砕かれたら、直らない。

いつかそういう日が来る。
何度でもやり直せる。
それが希望になる人がいる一方で、
甘えになる人もいる。

自分はどうだろうか?
何度も何度も悔い改めて、
同じ失敗をして、
でも、悔い改めて、
でも、それがまた甘えになって、
いつまでもいつまでも、勝利出来ないでいることはないだろうか?

焼かれた陶器はもう砕かれたら、直らない。

その峻厳さを忘れないようにしたい。

主よ、わたしを守ってください。
いつまでもいつまでも時間があると勘違いしないようにしてください。
真実な悔い改めに生きる者としてください。

2009-10-14

沈没・・・。

今朝の最低は2.2度でした。
家を出る時は3.1度だったので、その後、1度近く下がったんですね。
もしかしたら、今朝初霜だったかもしれません。
でも、明日はきっとホントに確実に初霜だと思います。
今11時過ぎで7度。
今夜は風も弱く、天気もいいので、
はい、きっと初霜。

今日はちょっと疲れがたまっておりまして、
また、明日も朝から集会ですので、
早く休みます。

ではまた明日。

2009-10-13

主が聞いてくださる。

今日は前の更新でかなりエネルギーを使ってしまったので、
今回はあっさりと。

今日の聖書。
今日はエレミヤ18:13-23。


「主よ。私に耳を傾け・・・」19節。

人々はエレミヤの言葉に耳をふさいだ。
彼はどんなに孤独だっただろうか。
エレミヤが神様から召された時に、
神様の言葉を語るんだから、
人々が聞くのは当然だと思っていたかもしれない。
やがて聞いてくれるようになる、と思っていたかもしれない。

でも、彼の同時代人は彼の言葉に耳を傾けようとしなかった。

そんな中で、彼にとって、「神が聞いてくださる」ということは、
命綱だったのではないだろうか?

わたしたちは、普通の生活の中で、
多くの人々が自分の声に耳を傾けてくれる、
多くの人々が聞いてくれる。
でも、その反面、神様に聞いてもらう、ということを忘れてはないだろうか?

人が聞いてくれている中でも、
神様に聞いてもらう。
神様ご自身から答えをもらう。
慰めをもらう、それがどんなに大切なことだろうかと思う。

主よ、
人の慰め、人の支えもありがたいです。
でも、それに頼ってしまって、あなたに聞いていただく、
あなたの慰めと平安を頂くことを忘れてしまうことがありませんように。
あなたの平安によって生きることを見失ってしまうことがありませんように。
主よ、聞いてください。

あんまり怒りたくないですが。

今日は朝は雨でしたが、
だんだん天気がよくなってきました。


でも、夜は冷えるみたいです。
いつ初霜になってもおかしくないそんな朝が続きそうです。


また起こりました。
飲酒運転の悲劇。
日曜日の未明、マンハッタンの西側を走るハイウェイで、
飲酒運転の母親が自分の娘と友達7人を普通の乗用車に乗せて、
80mph(130キロ)という猛スピードでコントロールを失い、
横転事故を起こしました。
定員は6人かなあと思いますが、この車に8人乗っていたわけですから、
シートベルトをしていない子がいたはずで、、
3人の子供たちが投げ出されて、
そのうちの11歳の子が亡くなりました。
45歳のお父さんは男手一つでその子を育てていたそうで、
その夜も警備の仕事をしていて、
夜勤中にその知らせを受けたそうです。
そこにあってテーブルをひっくりかえし、
椅子をいくつか投げないではいられなかったそうです。


その事故を起こした31歳の母親、
前の晩から子供たちを預かり、
子供たちがもう一泊したい、というので、
マンハッタンの元カレの家でその姪っ子(他人じゃん)の誕生日パーティーに参加して、
そこに親たちに着替えをもってきてもらって、ちょっとだけ、顔を出すつもりだったのに
9時半頃から飲み始めて、夜中の1時前(!)に11-14歳の子供たちを7人車に乗せて、ブロンクスの家に向かった、というんですからもう異常。
16歳の彼女の甥っ子も乗らないかと誘われたそうですが、
断って地下鉄で帰って難を逃れたそうです。


生き残った子供たちによると、
乗る時に「事故に遭うのが怖いヤツいる?」と聞いたとか、
「もっとスピードを落として!」と懇願する自分の娘の言葉に、
「これってスピード出し過ぎ?」って他の子供たちに聞いたとか、
子供たちの心を考えると、いたたまれなくなります。


今日も、そのニュースを読みながら
本当に涙が止りませんでした。


何でこんな愚かな事故がなくならないのでしょうか。


そのパーティーにいた他の人たちはどうしてからだを張って止めなかったんでしょうか。


でも、自分がそこにいたらどうだっただろうかと思います。
前に似たような事故が起こった時に、書いたのですが、
今まで、何回か、似たような場面に出会ったことがあります。
でも、自分は「いや、わたしが送りましょうか?」「大丈夫ですか?」「やめた方がいいですよ」くらいで、本当にからだを張ったことがなかった。面倒になることを恐れて、関係が壊れることを恐れて、「何を大騒ぎしているの?」と嘲笑されることを恐れて、本気で対決しなかった。その自分のふがいなさを感じます。
そのことを本当に悔いる気持ちを込めて告白します。


何か出来ることはないだろうかと思います。


このお父さんはこれからの生涯を飲酒運転に対して厳罰を科すという法律を成立させるためにささげると言っておられます。法律もそうですが、もう、このようなことが起こらないように意識改革のために何か出来ることがないだろうかと思わされています。


でも、怒るとエネルギー使いますし、気持ちが落ち着くまで時間がかかるので、嫌です。んー、でも、「エネルギー使うし、気持ちが乱れるから・・・」と、こういうことに怒ることがなくなってしまったらいけないんでしょうね。主よ助けてください。


昨日、10月12日の聖書。
エレミヤ18:1-12。


「粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。」6節。

主の手の中にある者としての畏れ。
そして、主の手の中にある者としての安心感。

最近、この後の方が強くなっている自分がいて、
それはそれで自分では肯定しているのですが、
でも、このエレミヤの預言を読むと、
本当に畏れの心を失ってしまってはいけないなあと思います。

新約聖書にも、
「恐れおののいて救いの達成のために努めなさい」という言葉があります(ピリピ2章12節)。
主が支配しておられる人生、
主の支配の下にある自分。
主の愛に感謝しながら、
その守りによる平安を覚えながら、
主を畏れて、誠実に歩む者でありたいと思います。

主よ、
あなたを畏れる思いをわたしが忘れないように、
あなたの大きな愛に感謝します。
あなたをなめきってしまうことがありませんように。

2009-10-12

どんなティーンになるのか・・・。

今夜は余り冷え込まない、と書いたのですが、
そんなことはなくて、今は夜中の12時前ですが、
6.9度まで下がっています。
この調子だと、明日の朝はまた3-4度でしょうか?


明日も肌寒い一日になりそうです。


今日はColumbus Dayというアメリカ大陸を発見したコロンブスにちなんだ祝日。
子供たちは半ドン(死語?)。
そして、のんちはフルで仕事。
わたしは元々の週休とぶつかって、
いつもと変わらぬ月曜日。


で、昼過ぎ、サキが学校の帰りの車の中で、
「Justice、今日まで40パーセントOFFだよ。」ってまるで主婦のような発言。
続いて「ママが帰ってきたら、買い物行くんだ」だって。
でも、今日は来客の予定があり、のんちが帰ってから、買い物はあり得ない。
その話をすると、
「じゃあ、ママが帰ってくる前!」・・・え、誰が連れて行くわけ?


・・・ということで、行きました。
Justiceという名前のPreteenのための店。
そこで、お店の中を走り回って、
「一つだけだよ」という言葉に従って、何とか一つお気に入りを見つけようと、一生懸命にShoppingをしているサキの姿に、3年後、5年後はどうなるんだろう・・・ってちょっと不安になりました。


でも、選んだ服はとてもセンスがいい。
何とか買ってやりたかったのですが、残念ながら、サイズが「今は何とか大丈夫だけど、来年はもう着れなくなっちゃうね」というのしかなく、あきらめて、30分くらい悩んだあげく、結局1冊のDiary帳に決めました。


でも、ホントにこれ、おしゃれに興味のある子供たちや、子供たちを着せ替え人形のようにしたい親にとっては、もう、たまらないでしょうね。いくらお金があっても足りないんじゃないかと思います。レジを待っている間には、ブーツはUGG、おしりにはアバクロのロゴ、そして、肩にはCOACHのバッグという全身ブランドものでそろえたおこちゃまもおいででした(シャツのタグも確認してやりたかったですが、さすがにそれはできなかったです)。


高いものではなくても、上手に着こなすティーンに育てようとまた一つ静かに心に固く誓ったオヤジでした。


さて、10月11日(日)の聖書。


エレミヤ17:19-27
「わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。」22節。

わたしたちにとって安息日は日曜日。
イエスが復活したことを記念して、復活の主にお会いするために日曜日を特別な日として守っています。

時々、旧約に書いてあることはすべて新約聖書で無効になったかのように主張する方がおられます。
安息日も、十分の一献金もそんなのは旧約聖書の時代のことだと、切り捨てるような話も聞きます。

でも、結局は旧約か、新約かの話は、
義務感か、恵みへの応答としての献身かと言うことでしょうね。
主の恵みに答えて献身するならば、
すべては主のものなのですから、
それは当然、特別な日を特別な日とすることでしょうし、
与えられたものをすべて主のものとして管理をするために、
まず、十分の一を主のもとに持っていくことになってくるでしょう。

時間もお金も全部自分のもので、自分の自由にしていいんだ、
感謝して自発的に決めればいいんだ、というのは、
「悔い改め」という出発点が違うんだと思います。

悔い改めは自分中心の歩みをやめて、
神様を主とした、歩みをはじめること。

でも、決して単なる形の問題にとらわれていくのではなく、
つまりパリサイ人のように「わたしは安息日も守っています。献金もささげています」と「義務」を果たして満足しているところにとらわれるのではなくて、
本当に自分は、恵みを感謝して、神様を第一としているのか、
本気で主を主として歩んでいるのか、問われたような気がしました。

主よ、
生活のすべての側面で、神様を神様とし、
自分の生活のすべてがあなたを中心としたものでありますように。
時間も、思いも、経済的なものも、人間関係や、才能もあなたから任された、あなたご自身のものであることを忘れることがありませんように。

秋本番。

昨日の朝は4度。
そして今日の朝は3度。
昼間でも室内の気温が13度くらいだったので、
今夜また来客があるので、
とうとう暖房を入れました。


今夜は雨で、冷え込みはゆるみそうです。


さて、昨日のプリンストンの礼拝では
(こちらの教会は画像がアップされるんですね、いろんな癖が気になります・・・)、
途中から自分の証をさせていただきました。
証をしながら、「ああ、自分は本当にこのイエスの十字架の愛に捕らえられて、生かされているんだなあ、この渇くことのない命の水の泉は、イエスの十字架の愛なんだ。わたしは確かにこれをもらった。そして、これがわたしを今も生かしている」そのように言える幸いを感じていました。


ここがわたしの原点であり、力だと思います。


これからもそこに生きていきたいと思わされました。


さて、今日1個目の「日々のみことば」の更新。
土曜日からでしたね。
土曜日の聖書。


エレミヤ17:12-18。


「しかし、私は、あなたに従う牧者となることを、避けたことはありません。」16節。

どきっとしました。
わたしはこのように思って、このように考えて歩んできたかを思いめぐらされました。
一つは「神様に従う」ということ、
そして、「牧者として歩む」ということ。

神様に従うことにこだわるよりも、
人の声に動かされることが多かったのではないかと。
牧者として歩むよりも、
烏合の衆の一員になっていることが多かったのではないかと。

本当に主に従う者でありたいと思います。
恐れないで、主の示されること、
導かれることに従っていこうと思います。

この生涯を終える時に、
また主の前に立つ時に、
わたしもエレミヤのように言うことができるようにと思わされました。

主よ、
あなたに従います。
わたしがあなたではなく、人の声に迎合するようになった時には、
あなたが警告を与えてください。
いつもいつもあなたに聞き、あなたに従い、
そして、人々を導いていくことができますように、助けてください。

連敗中。

今日・・・いや、日付が変わったので、
昨日になりますが・・・は祝福された一日でした。

3回のメッセージと役員会、
というフルコースだったのですが、
結構元気です。

ヤンキースは3連勝で、リーグ優勝をかけて、
エンジェルズと闘うことになりました。
西海岸のチームとやると、
夜が遅くなるので、ちょっと嫌なのですが、
余りはまって夜更かしをしないようにと心に誓っています。

でも、とりあえず、更新はまた「連敗」にしておいて、
明日復活を目指します。

2009-10-10

日曜日のための祈り

今日は明日に備えて早く休みます。
次の更新は・・・うーん、明日の朝のプリンストンの礼拝、
JCCNJの2回の礼拝、そして、役員会・・・とありますので、
元気が残っていれば、明日の夜、まあ、たぶんあさってでしょう。

明日の一日があなたを中心とした一日となりますように。
明日も、主があがめられ、
わたしたちの歩みの中で、神様が中心でありますように。

では、皆さんお祈りで支えてください。

2009-10-09

共有するもの。

今日はまたすさまじい試合でしたが、
またまた無事ヤンキースが勝ちましたねえ。


夕方から夜にかけてNYの予定でしたが、
2つの予定のうち1つがキャンセルになったので、
9時には帰宅して途中からTV観戦。
9回のA-Rodといい、11回のTeixeira(読み方がよくわからない、反対に発音を聞いて、綴りを書けといわれても書けない)といいあそこで一発が出るんだから・・・まったくすごい。
まあ、豊かな経済力で、すごい選手をそろえているからねえ。
マツイなんかを含めて、野手もピッチャーもかなりの選手が
「たたき上げ」じゃなくて、どこかで活躍していた選手を引っ張ってきているんだから、ちょっと複雑ですけどね。


自分もあのマツイのバットの縁がなければ、たぶん今でもBRAVESびいきだったかなあと思う・・・。


今日の雨も大したことはありませんでした。
夜になっても今日は冷えません。


そして明日はまだ20度くらいまで上がりそうですが、
明日の夜からは冷え込んできます。
朝は一ケタの日が続きそうです。


今日の朝、ちょっとこちらも縁あって、
Iowaにおられる方に電話をしました。
初めて掛ける電話、というか、アイオワ州に電話すること自体初めてかも・・・。


でも、話しているうちにそちらの方がEvangelicalのborn-againクリスチャン(つまり、聖書を神の言葉として受け取り、自覚的な回心の経験を持っているクリスチャン)だということがわかって、ホントに意気投合。英語だったのですが、最後は電話で共に祈りました。


本当に顔も見たことがない、初めて電話で話す方なのですが、
そして、私の不十分な英語だったのですが、
本当に同じ神を信じて、同じ方向を向いている方との
共有するものの大きさを感じました。


今度の日曜日の午前中は、何年かぶりにプリンストンの教会での礼拝説教。
そこでも皆さんと同じものを共有している幸いを経験出来ますように。
楽しみです。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ17:1-11を読みました。


「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。」5-8節。

人を頼るのか、神を頼るのか、
問われていることを感じました。

人も神様が与えてくださるもの、
でも、いつの間にか、その人の方が神様ご自身よりも大切になってしまう。

お金、仕事、健康、家族、すべてそうですよね。
神様が与えてくださるものであるのに、
神様以上にあてにして、
神様以上に頼りにして、
それが取り去られると、とてもあわてる。

でも、すべては主の御手の中にある。
主が許されなければ何も起こらない。

そう思うと、本当に心配しなくていいんだと思う。

主を見上げて、主を信頼して、
主との関係の中に答えを頂いて、
歩んでいきたいと思う。

主よ、
あなたを信頼します。
他のもの、すべてあなたが与えてくださっているもの、
それをあなたより大切にすることがありませんように。
それをあなたよりもあてにすることがありませんように。
あなたご自身の守りと導きを信頼します。

2009-10-08

あそびといのり

さて、今日も暖かかったですね。
スカッと晴れて、いい天気でした。
夜になってやっぱり冷えてきています。


今夜は10度くらい。
そして、明日はまた雨だそうです。
そして、気温も高め。


日曜日くらいまではまだまだ高めで推移するようです。


今日は10月のJOYJOYキッズクラブ。
25人くらいの元気なみんなが集りました。
楽しかったです。
でも、もっともっと聖書の話をちゃんと気合いを入れてやりたいです。
どうしても、いろいろなプログラムで、時間がいっぱいいっぱいになってしまって、
子供の集中力もそろそろ限界かなあ、みたいな感じもあって、
こちらの準備不足もあって、
終わる直前に、ばたばたと話をする、という感じになってしまいます。


もうちょっと、計画性を立てて、しっかりやりたいです。


でも、その一方で、やっぱり遊びの大切さを思います。
遊びと祈りはわたしたちの生活の中で、とても大切な要素。
それを実践したのがあのカルバンだといいます。


カルバンといえば、固~くて、まじ~め、なイメージがあるのですが、
日曜日の朝は礼拝をして、午後は町の人々と遊びで過ごしたといいます。


どこで遊ぶのよりも楽しく、
どこで聞く話よりも心に残る、
本当に遊びと祈りが一緒になったそんなキッズクラブとなりますように。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ書の16:14-21。



「だから、見よ、わたしは彼らに知らせる。今度こそ彼らに、わたしの手と、わたしの力を知らせる。彼らは、わたしの名が主であることを知る。」21節。

これは直接的には、ユダヤ人達の姿を見て、
異邦人が神の御業を見る、ということらしい。

でも、今朝は、本当に私の人生に起こる預言として語られた。
神様の力を見せていただける。
神様の御業がなされるのを見せていただける。
それを目の当たりにすることができる、
その約束を頂いたように思わされた。
励まされた。

主がどんなに素晴らしいことをなさるのか、
主がどれほど大きなことをなさろうとしているのか、
ただただ、待ち望むのみ。

昨日祈ったことも、
主が素晴らしいことをしてくださることを、
信じました。

主よ、
あなたは私の主です。
あなたがいてくださるから感謝します。
どうか、私の歩みの中に、
私の人生の中に、あなたの御業がなされますように。
あなたの御手にゆだねます。
あなたに信頼し、期待します。
大いなる御業をなしてください。



2009-10-07

とにかく願い事を主の前に。

今日は雨は朝のうちだけだったのですが、
風がすごかったです。
木が倒れたり、電線に枝が引っかかったりで、
あちらこちらで通行止め。


そして、停電もありました。


日本は台風が通過中のようですね。
予想の紀伊半島上陸ではありませんでしたが、
やはり紀伊半島の東側では雨量が300ミリを超えた、とありました。
もうしばらく警戒が必要だと思います。


明日は、また晴れ、
朝は冷えて、昼間は暖かい、例のパターンです。
でも、来週は昼間も寒くなりそうですから、
今のうちにこの陽気をエンジョイしておかないと、です。


今日は無事にヤンキースがプレーオフの初戦に勝ちましたが、
その後、祈りの課題を持っての訪問者。


「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」ピリピ4章6-7節の言葉を開いて、共に祈る時を持ちました。


わたし自身が実行していることなんですが、
まず、とにかく、自分の願いを祈る。
自分の願いがわからない時は、コイントスをして、
表が出たらA、裏が出たらBと決める。
表が出た時に、自分がどう思うか、もしも、「ああ、そうか(ちょっとがっかり)」だったら、自分はBを願っている。もしも、「ああ、よかった(ホッ)」だったら、自分はAを願っている。
そして、自分の心の願いをそのまま、神様に祈る。
というか、文字通り「知っていただく」。


その時に、今まで見えていなかった、自分の心の本質、
見えてくることがある。
ある時には「ああ、自分のわがままだったんだなあ」とわかる。
またある時には「ああ、これは神様が与えてくださった思いなんだ」とわかる。


だから、とにかく、いろいろ考えないで、祈ること。
とにかく、いい子チャンにならないで、自分の願いを神様にぶつけること、
それが本当に大切だと思わされました。


また、朝にはご主人のお母さんが危篤になられて、飛行機で飛ばれた方もおられました。
祈らされます。主がすべてを守ってくださいますように。


さて、今日、10月7日の聖書。
エレミヤ16:1-13。


「あなたがた自身、あなたがたの先祖以上に悪事を働き、しかも、おのおの悪い、かたくなな心のままに歩み、わたしに聞き従わないので・・・」12節。

今朝は「かたくなな心」という言葉に心が留まり、
思いめぐらされました。

かたくなな心って、「頑固」なこと?
神に聞こうとしない心、
神によって御言葉によって、取り扱われようとしない心。
自分は変わらなくていい、という心。
プライド。

自分はどうだろうかとまた思わされました。
自分は「かたくなな心」を持っていないだろうか?
神に教えられ、取り扱われ、
変わることを受け入れているだろうか?

人に言われることを受け入れ、
それに聞く耳を持っているだろうか?

「あんたに言われたくない」みたいな気持ちはないだろうか?

主よ、
私の心はかたくなでしょうか?
かたくなな時はないでしょうか?
主よ、どうか、柔らかい心で、
あなたの御言葉を聞き、また人の言葉を聞くことができますように。

2009-10-06

人を受け入れること。

今朝は寒かったです。
というか、昼間暖かい分だけ、朝の冷え込みが身にしみるというか、
朝は7.5度、昼間は20.2度。
今夜はこれから雨みたいです。
明日も雨。


でも、気温はほどほどに暖かいようです。


日本は強い台風が上陸しそうです。
特に南東の風がもろに当る紀伊半島東側は
大雨や高潮、暴風みんな心配です。
那智勝浦に帰られたご一家もあり、
「自然が豊かで海の幸山の幸いろいろいいじゃないですか」とお送りしたのですが、
このような時にはまた慣れない地で大変だと思います。


伊勢湾台風との比較があちらこちらでされていますが、
確かに伊勢湾台風は猛烈な台風だったようで、
今回の台風はそこまでは行かないと思いますが、
大きな被害にならないように祈らされます。


先日の英語の礼拝。
メッセージでは直接の言及はなかったと思うのですが、
聖書朗読の中で「夫婦についての教え」の聖書箇所が2カ所読まれました。


それを聞いている中で、


結構「自分の心の中だけにいる妻」「自分の心の中の理想の夫」に恋をしている、という段階ってあるよなあ、と思わされていました。つまり、相手を自分の心の中で理想化して、その心の中の相手と結婚してしまって、ホントの相手をそのまま受け入れられない、という感覚。


だいたいの場合は、結婚前とか、最初の何ヶ月かかもしれませんが、ホントのその人に向き合うことができなくて、心の中で感じている、というか、勝手に思い込んでいる「この人はこういう人だから好き」とか、そういうものに恋をしてしまう。本当のその人を受け入れられない。本当はそれからが本番なのに・・・。
不倫などを繰り返す人は、たぶん、そういう幻想を一生追い続けているんでしょうか。自分の心の中で理想化した愛人を好きになって、それこそが「夫婦という制度に縛られたところにはない本当の愛」だなんてトンデモな勘違いをしている。あ、たぶんもちろん、単なる肉欲に振り回されているレベルのお方もおられるとは思いますが・・・。


本当はホントの相手を受け入れていく。「え~?こんな人だったの?」みたいな人を愛していく、受け入れていく、そこに結婚の醍醐味があるはず、そこからが夫婦になっていく歩みを始めるはずなんですが、やはりエネルギーはいりますからね。神様と「制度」そして「誓い」の助けが必要なんだと思います。


(あ、でも、これは決して夫婦関係だけじゃなくて、すべての人間関係にあてはまるのかも・・・。牧師である私も、教会の方々との関係の中で、「この人はこういう方だ」と勝手に思い込んで、その方の心の叫びを聞こうとしないで、私の心の中のその方と対話しているだけなのに、その方自身と対話しているつもりになって満足している・・・みたいな)


結婚してからも、魅力的な人はいくらでも現われてくるでしょうし、相性の合う人もいるかもしれない。自分の「愛」なんて、そんなもの(っていうか、素晴らしいもんなんですが、感情的な「愛」って感覚)に土台をおいていたら、とっかえひっかえ・・・となってしまうと思います。でも、私は妻との間に、誰も入り込ませない、それを神と人との前に誓って、そこから出発する。その大切さを思わされています。


私自身の、教会の皆さんの、一つ一つの結婚が祝福されますように。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ15:10-21。


「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ、私にはあなたの名がつけられているからです。」16節。

そう、御言葉が与えられるって嬉しいですよね。
本当に自分に語られた、という経験。

それは楽しいし、喜び。
もっともっとそれを求めていきたいと思いました。
毎日毎日、語られて、ここに書くことが与えられることは
喜びです。
でも、もっともっと強烈に、
「私にこの言葉が与えられて、支えられている」という思い。
それを求めていきたいと思いました。

それは私にも神様の名前が付けられているから。
私の魂に神様の形が刻みつけられているから。
私は神様によってしか満たされない空洞を心に持っているから。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私に語ってくださるからありがとうございます。
どうか、御言葉を語ってください。
しもべは聞きます。
どうか、私の心を御言葉によって揺り動かし、
あなたに従って生きる者としてください。

2009-10-05

ダメ押し。

今日も朝は10度を切ったのですが、
昼間はまた暖かくなりました。
明日も同じような天気です。


暖かくなりそうです。


さて、今日は私一人が休日で、
子供たちは学校、のんちは仕事の月曜日だったので、
久しぶりにクッキングデーになりました。


最近すっかり定番になった「チキン南蛮」と、
秋になって久しぶりに挑戦の「ビーフカレー」。
いつもはどっちかですが、
今日は来客があったので、2品に挑戦。


喜んでいただきました。


で、今日、夕食に来てくださった方々の中の一人はスペイン語圏から来られた方。
話の中で、今、サキもユキもスペイン語をやっているということで、
ひとしきりスペイン語講座。


私が一生懸命練習していたら、ユキがぼそっと一言。


「でも、まず英語やった方がいいんじゃない?」


・・・だよね~。


昨日の話のダメ押しをされてしまいました。


留学前は一生懸命勉強しましたし、
留学中は、話す方は別としても、
ペーパーを書く時には、必ず先輩や友人が英語を直してくれました。
そして、そうやって、英語を覚えていきました。


でも、今、そうやってチェックしてくれる人がいませんん。
「その言い方おかしい・・・」
「普通はこういう風に言うよ」
と、意見してくれる人が必要だなあと思います。


いや、でも、とにかくもっともっと大胆に、
もっともっと頻繁に英語の世界に入っていこうと思います。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ15:1-9


「たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても・・・」1節。

今日の聖書箇所の中心テーマではないのですが、
モーセとサムエルと「かきごおり」とが・・・と言われたいなあと思いました。

私も時と場合によっては「私はこの人達の中には入れないなあ」感じることがあります。
たとえば、ハイソな方々の会話。あと、スポーツが得意な人たちの同好会。
あと、さっきの「英語が得意な人たち」の間のJOKE。などなど。
元々「絵の上手な人たちの輪」というのもありましたが、
こちらは絵の師匠のおかげで、ずいぶん、そういう気持ちがなくなってきました。

でも、時と場合によってはずうずうしく「この人達の中に入りたい」と思うのです。
それが今日の「モーセとサムエル」。
自分の名前もそこに並んで呼ばれないだろうか、
そのようなとりなし手にならせていただきたい。

そのように思わされたのです。

いやあ、書きながらずうずうしいと思います。
でも、今朝、この聖書を読みながら、本当にそう思わされたのです。

そのために、主ともっともっと親しい関係に入れていただきたいと思いました。
主と共に過ごす時間が祝福されますように、と祈らされました。
心がきよめられますように。
生活がきよめられますように、と祈らされました。

主よ、
モーセとあなたの関係、
サムエルとあなたの関係に、
私も導き入れてください。
そのために必要な訓練、必要な経験
あなたが与えてください。
モーセやサムエルと同じような、とりなし手とならせてください。

2009-10-04

英語ちゃんとしゃべれるように・・・。

今日もまた暖かかったです。
朝は霧も出ていました。
たぶん空気は暖かくてしめっていたのですが、
放射で熱が奪われて、霧になったのでは・・・と思います。


最高は24.2度まで上がりました。
そして、今は15.2度。
明日の朝は10度くらいまで下がる予報が出ています。


そして、明日も晴れで暖かい。
この後もこのパターンみたいですね。
朝晩はソコソコ冷える。
でも、昼間は暖かい。


助かります。


今日の朝は英語の教会の礼拝に出席。
礼拝のプログラムの違いに戸惑いながら、
「これが初めて教会に来る方々の気持ちなんだろうなあ」と思っておりました。
いつも来ている人には全然、普通なんでしょうが、
私のように何年かに1回参加する者にとっては、
わからないことだらけ・・・。


この気持ちを忘れないように・・・と思いました。


そして、その後のパーティーでは突然の指名でスピーチ。
いやあ、そういうこともあるかと思っておりましたが、
準備していませんでした。
で、日本語でお話しして、英語に通訳していただきましたが、
もう16年もいるんですから、
こういう時にちゃんと英語で話せるようにしておかないといけないですね。
先週のルーマニアの先生もちゃんとルーマニア語話せるし、
修養会の韓国人の先生も日本語ばっちりだし、
いろいろ刺激を受けて、ちゃんと英語が話せるようになろう、
とマジで考え始めています。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ14:13-22。


「あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、むなしい占いと、自分の心の偽りごとを、あなたがたに預言しているのだ。」14節。

エレミヤも見抜けなかった、偽預言者の偽りの預言。
自分だったら見抜けるだろうかと思いました。

そのためにはエレミヤも最終的には神様からそれを教えていただいたように、
やっぱり神様との関係の中で、答えを頂いていくことの大切さを思わされます。

霊的な判断はやはり牧師の責任が大きいと思います。
どのように判断するのか、周りの人に大きな影響を与えることなのに、
私自身が神様との関係が確立していなくて、
ちゃんと判断出来なくて、
周りの声に振り回されたり、
他の人の判断に動かされたり、
そんなことにならないようにと、
ちゃんと神様との関係の中に歩ませていただくことの大切さを思います。

主よ、
どうか、私の霊の目を開いてください。
あなたのことを、あなたのなさることを、
見せてください。
そして、正しい判断をすることができますように。

2009-10-03

なまぬるい。

今日は生ぬるい一日だった。
昨日までの冷え込みがウソのよう。
朝から20度近くあって、昼間は21.9度。
今、夜の10時を過ぎても、まだ18度もある。


午後、うちの東側では雷雨もあったよう。
(特にコネチカット方面)
でも、うちのあたりはほとんど何も降らず。
でも、レーダーを見ると、とても「細い」雷雲が西から接近中。
だから、たぶん、今夜、一瞬雷雨だと思う。


明日はまた20度を超えるみたい。
でも、朝晩は冷えそうです。


明日は教会堂を使わせていただいている教会の創立110年礼拝。
2年半ほど前に、このザイオン教会の歴史を調べてアップしたことがありました。


それを再録。


--------------------------------------------
そんなことで、
私たちに会堂を貸して下さっているザイオン教会の歴史を見てました。
1899
年に創立。
1903
年に土地購入。住宅2軒分の敷地。
1904
年に建物完成。・・・ちなみにこれは今お借りしている建物ではなくて、教会の裏の坂道を上がった右側の建物です。土地と建物で2340ドル。そのうち、教団からの無利子の借り入れが620ドル、教会債が500ドル、その他が積み立てですから、計算すると1220ドル。
5
年で、初めての会堂です。この町の2軒分のロットは決して大きくありません。最初は礼拝を守れるだけのスペースだったのでしょう。でも現在、同じことをしようと考えると最低でも60万ドルくらいはかかるんでしょう。

そして少しずつ少しずつ周りの土地を買い足していったようですね。
今から50年くらい前に今の土地の半分を買って移転。
それから10年ほどして、残りの半分を取得。駐車場としたようです。
それからまた10年後、今から30年前ですが、入って右側の部分、ジムとロビー、オフィス、コワイアルーム、キッチンあたりを造ったそうです。それも、78年に計画が始まって完成は82年。いくらかかったかはもう少し調べないと分りませんが、工事が遅れてよけいにかかったお金だけで約40万ドル。

今はかなり人数も減っていますが、10年前は2回の礼拝をしていましたし、200人以上の方々が集っていた教会。その教会が100年かけて造ってきた教会堂、それを何だか当たり前のように使わせて頂いて、もっともっと、感謝すべきだなあと思いました。



-----------------------------------
もしもわたしたちが会堂を持とうと思うと、
やっぱり、今お借りしているところを基準に考えてしまいますよね。


今のように体育館があって、
礼拝堂がきれいで、
駐車場が十分あって・・・。


でも、今、わたしたちのためにこの場を提供してくださっているこの教会も、
最初からこの建物があったわけではない、
本当に多くの汗と涙と経済的な犠牲と献身と、
たくさんの議論と、その中で傷ついた人と、
建築許可を得るためのたくさんの交渉、
ああでもない、こうでもない、という話し合いの時間。
いろんないろんな犠牲の上に、この建物があって、
それをわたしたちは当たり前のように使わせていただいている。
110年と言えば、私の今までの人生の2倍半。
JCCNJの歴史の5倍半。
その年月の中でこの教会のために仕えてこられた方々は何千人規模になると思います。
その方々の愛を軽く見てはいけないですね。


今日の天気のように生ぬるい自分の考え方を反省させられます。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ14:1-12。


「私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。」7節。

わたしたちの救いは、ただただ、恵み。
わたしたちの主に対する忠実さゆえではなく、
神が神であられるがゆえ。
その御名のゆえ。

わたしたちが祈ったから、
わたしたちが献げたから、
わたしたちが忠実だから、
ではなくて、

わたしたちが祈る前から、
わたしたちがささげるべきものが何もない時から、
わたしたちが神様に背を向けておられる時から、
主はわたしたちを愛して、
わたしたちに目を留めて、
救いの御業をしてくださった。

それに感謝して祈る。
それに感謝してささげる。
それに感謝して、従う。

それでいい。

それがいい。

ただただ、恵みの中に歩んでいきたい。

主よ、
あなたの恵みに感謝します。
私の何かではなく、
私の忠実さや一生懸命さではなく、
あなたの恵みがあるから感謝します。
すべての勘違いから守ってください。
恵みの中に歩む者とならせてください。


2009-10-02

主を依り頼む。

さて、いい加減に追いついておきたいので、
もう一日分、更新。

今日の聖書はエレミヤ13章20-27節。


「あなたがわたしを忘れ、偽りに拠り頼んだためだ。」25節。

何度も何度も自分に問いかけられる言葉。
「私はいったい、何を頼りにしているのだろうか?」

信頼できる人?経済力?

もちろん、それも神様が与えてくださっているもの。
でも、自分の傾向として、
いつの間にか、神様ご自身よりも、
神様が与えてくださっているものの方を頼りにしてしまう。

だから、時々、神様ご自身を信頼することを学ぶことができるように、
主がチャンスを与えてくださる。
それは痛い経験だったりする。

本当に、主ご自身を信頼することを教えて頂きたい。
他のものではなく、主が与えてくださったものでもなく、
主ご自身を本気で信頼して歩んでいきたい。

主よ、
もう一度引き戻してくださってありがとうございます。
あなたの与えてくださっているものではなくて、
あなたご自身を信頼することを教えてください。
あなたご自身を信頼します。

週末のためにあなたの導きを待ち望みます。
あなたが御言葉を与え、力を与え、喜びを与えてくださいますように。

暖房・・・どうしようか。

今朝の最低気温は4.4度。
もう、晩秋なみですね。


うちの中は、何とか17度くらいですから、
真冬の暖房が18度に設定してあることを考えると、
まあ、もう少しがんばれるかなあ、というところ。
でも、底冷えします。


夕方、人が増えて、料理で火を使うようになって、
なんとか、20度くらいまで上がってきました。
今夜は余り冷え込まないみたいです。
そして、明日は南風が入って、暖かくなるそうです。


ですから、今回はなんとか暖房なしでしのいだ、って感じでしょうか?


次の波は来週の後半に来そうです。
そこまでは未だ暖房は必要なさそうです。


さて、今日の朝の集会は、「締め切りのある仕事と、ない仕事どっちが好き?」という話。
私は圧倒的に、ある仕事が好きです。
というか、ない仕事は・・・いつまでたってもできない方です。
でも、今日の皆さんの結論は、「締め切りのない仕事なんて、ホントは何もない」ということでした。


・・・ですよね。


わたしたちの人生自体、自分は知らないだけで、必ず終わりが来る。
いつでも、その備えができていないといけない。
イエスはそのように言われています。


だから、いつでも、毎日が締め切りのようなつもりで、
一日一日、「まだ時間がある」なんて考えないで、
準備していかなければいけませんね。


さて、昨日、10月1日の聖書。
昨日はエレミヤの13章12-19節。


「もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。」17節。

今日はこのエレミヤの姿から、エレミヤの愛を感じた。
高ぶっている人々のために泣いたエレミヤ。

自分はこのような愛を持っていただろうかと、思わされた。
自分は彼のように、高ぶる人々のために泣いてきただろうかと。
悩んでこなかったかというと、悩んできたと思う。
何とかならないかと、祈ってきたかというと、祈ってきたと思う。
でも、泣いてきただろうか?

その行く末を案じて、泣いてきただろうか、
その信仰の歩みを心配して泣いてきただろうか?

ああ、自分には愛がないなあと思わされた。

無関心でいたかというと、そうではないだろう。
でも、彼のような愛があったかと言ったら、
愛がなかったんだなあと思う。
逃げてきたのかもしれない。

高ぶる人々のことを心配するだけではなく、
その人々のために祈るだけでもなく、
彼らのために泣くほどの愛をもって愛していけますように。

主よ、
あなたの愛を与えてください。
エレミヤの愛を与えてください。
高ぶる者のために泣ける者とならせてください。

2009-10-01

お迎えする喜びと・・・。

今日は本当に底冷えする一日でした。
最高気温は13.5度。
そして、今、夜の10時半ですが、もう9度まで下がっています。
明日の朝は今朝より冷えるかなあと思います。
ズバリ、5度と見ました。


明日はもうちょっと暖かくなる予報が出ています。


さて、今日の午後から夜に掛けては、
サキのお友達が帰国になるので、
同じ学校やそのほか、近くの方々、
子供たちとお母さん達が大集合。
子供たちは学校が終わってすぐ、
お母さん達も5時頃には集合しました。


子供が22人、大人が10人。(写真を撮った段階で・・・)


ホント愛されていたご家族です。
わたしたちもとても楽しく過ごさせて頂いたご家族。


そして、皆さんが持ち寄ってくださったお食事、
見事だったので写真をぱちり。





で、本当に楽しく過ごさせて頂きました。
というか、今回は奥様方の集まりだったので、
私はおとなしくしておりましたが(たぶん)、
でも嬉しかったです。


そう、人をお迎えするのは本当に大好きです。
まあ、といっても、大体、私はあまり何もしないで、のんちが一生懸命なのですが・・・。


でも、今日の朝は我が家で家庭集会があり、
その中で、イエスをもてなすために一生懸命だったマルタという女の人が、そんな忙しい中、イエスの足下に座り込んで話を聞いていた妹のマリヤを許せなくて、「イエスさま、私ばっかりこんなに一生懸命で、あなたからも、妹に何とか言ってやってください!」と切れてしまう話を読みました。


いろんなことを語り合ったのですが、やはり最終的には、イエスは「聞くこと」を求められたのだ、と、他の何をも置いて、まず、静まること、聞くことを求められたのだと、そこに行き着きました。人をお迎えするのは大好きですが、やはり、その中で、いつもいつも主に聞いていくこと、主に満たされていくこと、それを見失わないようにしないとなあ、と思わされました。


でも、本当に一つ一つの素晴らしい出会いを与えてくださっている主に感謝。


さて、9月30日、昨日の聖書。
昨日はエレミヤ13:1-11でした。


「私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。」7節。

この腐った帯は当時のユダヤ民族の姿を表している。
ということは、やはりわたしたちへの警告なのだ。

私はどうだろうかと、やはり思いめぐらさせられた。

何も役に立たない腐った帯になってはいないだろうかと。
そんなことを言われたら、悲しいでしょうが、
本当にそうなっていないだろうかと、いろんなことを思いめぐらさせられました。

もしも、主からそのように言われたならば、
素直に、悔い改めることができますように、
そして、主の回復と、恵みと、圧倒的な力を頂きたいと、
「あなたの弱いところに表れる」主の力を見せて頂きたいと、
本当に思います。

主よ、
私はこの腐った帯のように、何の役にも立たないものになっていないでしょうか?
主の恵みの流れる器になっていないでしょうか?
主の愛をつたえるものとされていないでしょうか?
どうか、主よ、もしも、私がこの腐った帯のような者になっているなら、
それをはっきりと教えてください。
そして、もしも、そうだったのなら、素直に悔い改める心をお与え下さい。

爽快な朝。

昨日は、前の晩DVD作成に半徹していたので、
もう早い時間から前後不覚で、休んでしまいました。
夜中に起きて更新するつもりが、
目が覚めても起きあがれず、朝まで寝てました。


で、今朝は気分爽快。


幸いな祈りの時を持ちました。
今朝も、一つのことを主にささげるように導かれて、
祈って再出発しました。


弟子訓練のテキストに、
「朝のデボーションの勝負は前の晩についてる」という一文がありましたが、本当にそうだなあと思います。夜でなければできないこともありますが、朝のために生活を整理する必要を感じました。


今朝は5.8度まで下がっています。
今日は天気はいいと思うのですが、気温も上がらず、
15度止まりのようです。
三寒四温の反対の状態なんですが、
言葉はないんでしょうかね。
秋が一歩一歩深まっていくのを感じます。


足が冷えるのは閉口しますが、
私の場合は秋は花粉症がないので、
一年で一番好きな季節です。


さて、火曜日、9月29日の聖書。
エレミヤ12:7-17。


「もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『主は生きておられる』と誓うなら、彼らは、わたしの民のうちに建てられよう。」16節。

聖書の中に何回も出てくる、
この「主は生きておられる」という誓う時に使う言葉。
火曜日は、この言葉について、いろいろ思いめぐらされました。

どうして、彼らはこの言葉で誓ったんだろうか?
神様が生きている限り、私はこれをします!
神様が生きているから、私はこれができます!
神様が生きておられることと同じくらいの確実性で、私はこれをします!

自分的には真ん中の気持ちがあります。
本当のところは、もっと一生懸命いろんな本を引っ張り出してきて、
調べなければいけないのでしょうが、
当時の人々もいろんな気持ちでこの誓いの言葉を使ったでしょうから、
もしかしたら、そんな気持ちで使った信仰者がいたかも、ということで。

主が生きておられるから、
主がおられるから、
だから、わたしは一つの決意を持って進んでいくことができる。
主が導いてくださっていると信じるから、
そこに進んでいくことができる。

主がおられるから、って最近本当にありがたく思います。
宇宙を造られた大きな神様が、私のことを心にかけてくださっているから、
私のためにご自分を与えてくださったと知っているから。
だから、勇気を持って進んでいける、
それを心から感謝します。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私と共に歩んでくださると決意してくださったから、感謝します。
どうか、私が進む道を教えてください。
決断と勇気を持って前進することができますように。

2009-09-30

ビデオ編集中。

今日もまたあっという間に日付が変わってしまいました。
9月の最後の日、30日になっています。
でも、ホントに日が短くなりました。
朝家を出るときはまだ暗いし、
夕方もあっという間に暗くなります。


鳩山首相が温室効果ガス1990年比25パーセント減を表明したのを受けて、
私もマジになって、家中の電気を消して回っているのですが、
あんまり消してばっかりいると、何だか、家の中が暗くてしょうがありません。


それに「現在に比べて」じゃなくて、1990年に比べて、ですから大変です。


1990年なんて、たとえばかきごおり家の電気の使用量は何分の一だったかと思います。


一番少なかったのは文句なしに1992年だったとは思いますがね。
ハジを連れて、留学のためにアメリカに来た年。
ただただ、貯金が減らないようにと必死で、
月の電気料金、10ドルとか、15ドルだったような・・・。


まあ、そこまでは無理だとしても、
本当に無駄のないようにと思わされます。


明日の朝はまた一ケタ。
昼間も気温は上がらず涼しい一日でしょう。


夜は時間ができたので、
ずーっと気になっていた、6月のJOYJOYシンガーズのビデオの編集とDVD作成に取りかかっています。
こんなこともできるようにと、6年前にプチモンスターマシンを自分で組み立てたのですが、今や、格安のノートブックなみの性能で、何だかものすごく時間を掛けて処理をしているようです。
でも、とにかく今夜きっと終わると思うので、そうしたら、次はいよいよJOYJOYキャンプのビデオ編集です。なんとかみんなが「ああ、そんなこともあったなあ」と思うようになる前には完成させようと思います。


さて、月曜日、9月28日の聖書。
エレミヤ11:18-12:6


「主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。それでも、さばきについて、一つのことを私はあなたにお聞きしたいのです。なぜ、悪者の道は栄え、裏切りを働く者が、みな安らかなのですか。」12:1

本当にエレミヤの苦しみはいかばかりだっただろうかと思う。
神様から使命を頂いて、忠実に働いているのに、
忠実に主のメッセージを語っているのに、
何故、自分は苦しむのか、
それに対して裏切るものが安らかで、栄えているのか?

本当にどんなにやるせない思いだっただろうかと思う。
どんなに悔しい思いをしただろうかと思う。

でも、「日々のみことば」の祈りにあるように、
わたしたちは『まだですか』と即答を求めすぎているのではないだろうか?
日曜日にも語れたことですが、
わたしたちは自分の感覚で答えをもらうことを求めている。
答えをもらえて当然だと思っている。

でも、主のご計画はわたしたちの時間の感覚を超えている。
イザヤも700年も先の救いを見せられた。
「いつまでですか?」と聞かないではいられなかった。
今の状態がいつまで続くのか、どこまで忍耐しなければいけないのか、
それを主に聞いたときに、その答えはイザヤの生きている間ではないことが示された。

私もそれくらい長い目で、
私の目ではなくて、主の目で物事を見ることができればと思う。

主を心から信頼して、
必ず、正義をなしてくださると信頼して、
歩んでいきたいと思う。

主よ、
どうか、あなたの御業を見せてください。
私の時間感覚で物事を見ていくのではなくて、
あなたの時間感覚を信頼して、
大きなスパンでものを見て、
そこに参加する喜びに歩ませてください。

2009-09-28

子連れNYC DAY


今日は晴れていい天気でしたが、
夕方から雨。
予報にあったような雷雨もありませんでしたし、
シカゴのように竜巻警報も出ませんでした。


明日からはどんどん秋が深まっていきそうです。
朝は一ケタ、昼間は20度以下の日が続きそうです。
そろそろ暖房も欲しい日が出てきそうですね。


さて、今日は子供たちはユダヤ人の祝日のために休み。
学校は休みだけれども、領事館は開いている、というなかなか貴重な日。
今日しかない、とユキのパスポートをとりにNYCに行っていました。
私も週休の日、のんちは仕事なので、私が二人を連れて行くことになります。


せっかく行くので、子供たちのお目当てはBook Off。
そう、日本の古本屋さんがあるので、そこははずせません。
そして、ZAIYAでおやつタイムをして、
観覧車のあるTimes SquareのToys-R-Usに行って、
帰りは2週間連続のMITSUWAでのんちと待ち合わせ。
フードコートで夕食をすませて、しっかり休日を楽しませて頂きました、
というか、休日で疲れた・・・って感じもありますが・・・。


実は先週の後半、YankeesがRed Soxに2勝1敗だったら、
今日、Yankeesの優勝決定の試合になるかと思って、
チケットを探していたのですが、
「まあ、いいや」と見送っていました。


結果的には正解。


結局3連勝で昨日優勝決定。そして、今日は雨で、試合開始が2時間遅れ。
消化試合に自腹切って、子連れで行って、風邪引いて、子供は寝不足・・・なんてことになりかねないところでした。でも、テレビ見ていると、かなりお客さん入っているみたいです。ご苦労様です。


さて、昨日、日曜日の聖書。
エレミヤ11:9-17。


「ユダの人、エルサレムの住民の間に、謀反がある。」17節。

大河ドラマなんか見ているからかもしれませんが、
「謀反」なんて言葉を見ると、ぎょっとします。
謀反なんて言われたら、大変なことです。
もう、それで、政治生命を絶たれたようなものです。
ダビデ王家が長く続いた国の中で、この言葉はどれほど大きな意味があっただろうかと思います。

それを、その言葉を自分が受けるほどのことを神様に対してしている、と人々はわかっていたのでしょうか?

自分が罪を犯すときに、それをそれほど深刻なものとして、
ちゃんとわかっているでしょうか?

つみのおそろしさ、神を神としないことの恐ろしさを、
軽く見ることがありませんように。

主よ、
あなたに対して、謀反を犯すことがありませんように。
あなたを神としないことがどれほど大きな罪であるか、
忘れることがありませんように。


2009-09-27

信仰って。

今日は一日雨でしたね。
今、夜の10時過ぎで、もう上がっているようですが・・・。
明日は暖かくなるようです。
そして、午後には雷雨も。


明日はユダヤ人の祝日(大贖罪日)なので、
子供たちは学校が休み。
私は教会から頂いている週1日のお休みの日。
ユキのパスポートをピックアップにNYCに出てきます。
雷雨に遭いませんように。


今日はルーマニアで伝道している、
「かわいかったろう」川井勝太郎先生が、
初めてNJの教会をご訪問下さり、メッセージを語ってくださいました。
メッセージの録音はこちら
http://www.jccofnj.org/main/message_mp3/Kawai_K_092709_1b.mp3


ものすごいインパクトがありました。
神様がこの先生を送ってくださったことの中に、
神様がわたしたちの教会に目を留めてくださって、
必要なメッセージを伝えてくださったんだなあ、と思わされました。


共産主義政権の中で迫害されて、苦闘していた教会。
その祈りが応えられて、自由が与えられ、リバイバルを経験する。
わたしたちはこのリバイバルの方に注目しやすいけれども、
その背後に長い間、忍耐を持って祈り続けた教会がある。


主の真実を信頼して祈り続けることの大切さを思わされました。
神様を信頼して祈り続けようと思います。


生ぬるい自分の信仰を建て直させて頂きたいと思いました。


さて、昨日、9月26日(土)の聖書。
エレミヤ11:1-8。


「そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」4節。

神に従えば、神の民となる。
でも、これはやはり旧約の話。
エレミヤがのちに語るようになる新約の世界は、
そして、私が生かされている新約の世界はそれを超えた恵みの世界。

わたしたちが神様に背を向けているときから、
神はわたしたちを愛して、わたしたちのためにひとり子イエスが、
十字架で死んでくださいました。

だから、わたしたちがイエスの恵みを信じるだけで、
その十字架の愛を信じるだけで、
わたしたちは神の民となる。

その恵みに生かされていることに感謝。

土曜日のあさ、オリオン座が夜空にその姿を見せていた。
そのベルトの三つ星の下に縦に短剣のような三つ星がある。
その真ん中がぼやっとしている。
それがオリオン大星雲。
それについていろいろ調べながら、
たとえば、地球からの距離が1600光年だとか、直径が33光年だとか、
ちょっと頭では直感的には理解出来ない宇宙の大きさを感じていた。

つまり、1秒間に地球を7回半回る光が33年かかって、その星雲の端から端まで届く。
今、わたしたちが「オリオン座の短剣の真ん中の星」として、見ている光は、
今から1600年も前、つまり
直江兼続よりも、豊臣秀吉よりも、
いやいや、もっともっと、牛若丸よりも、
いやもっともっと、大化の改新よりも、聖徳太子よりも、
もっともっと前に出た光なんだ、と考えるとホントに気が遠くなる。

でも、その宇宙を造られた神がわたしたちに目を留め、
興味を持ってくださり、そして、わたしたちのところに来てくださった。
そのすごさを、思わされる。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが熱い思いを持ってわたしたちのところに来てくださりますからありがとうございます。
イエスさまの十字架故に、本当は神の民になり得ないものでありながら、
神の民とされることに感謝します。
どうか、その喜びの中に歩ませてください。

Happiness。

日付が変わってしまいました。
1時前です。
今、外は雨が降っています。
ちょっとまとまった雨になりそうです。
ずいぶん雨が降っていなかったので、
ちょうどいいかな、という感じです。


今日の午前中まで雨が残りますが、
午後からは回復するようです。


昨日は中高生の集会。
最後の方に来たユキの友だちを含めて、
高校生3人にスタッフ2人。


でも、その中で、高校生の一人が、
「幸せの方程式」を紹介してくれてなかなかおもしろかったです。
BBCの記事に載っているのですが、


それは
Happiness=P+5E+3H。


P stands for Personal Characteristics, including outlook on life, adaptability and resilience.
・・・性格、って訳していいんでしょうか?人生についての見方とか、適応性、立ち直りの早さ。
E stands for Existence and relates to health, financial stability and friendships.
・・・生存、なんでしょうか?健康、経済的安定、友人関係。
Hは Higher Order needs, and covers self-esteem, expectations, ambitions and sense of humour.
・・・もっと高度な必要ですね。セルフエスティームや将来への期待、冒険心やユーモア。


で、4つの質問をされました。これに1-10で答えます。1が全然。10が激しく同意。
1. Are you outgoing, energetic, flexible and open to change?
・・・あなたは外向的で、エネルギーがあり、フレキシブルで、変化に対応出来ますか?

2. Do you have a positive outlook, bounce back quickly from setbacks and feel that you are in control of your life?

・・・あなたはものごとに対して積極的な見方をしていて、挫折から素早く立ち直ることができますか?生活のコントロールができているように感じますか?

3. Are your basic life needs met, in relation to personal health, finance, safety, freedom of choice and sense of community?

・・・あなたの生活のための必要は満たされていますか?健康、経済、安全、選択の自由、コミュニティーの一員であること。

4. Can you call on the support of people close to you, immerse yourself in what you are doing, meet your expectations and engage in activities that give you a sense of purpose?

・・・あなたは親しい人たちからのサポートを求めることができますか?自分のしていることに熱中出来ますか?自分の願ったようにすることができますか?目的意識を持ってできる活動に関わっていますか?


これで、1+2=P、3=E、4=Hだそうです。


ちなみに100点満点で、自分は91点でした。
いやあ、幸せもんですね。


答えが「自分がどう感じるか」ですから、
めちゃくちゃ主観的なことですが、
結局、幸せを感じるかどうか、って本当に主観的。
人がうらやむような生活、絵に描いたような順調な人生で、
それでも、不幸の固まりのような方もあれば、
本当に苦労されているんだろうなあ、という中で、すごく幸せに見える方もいる。


他の人が「あんたこれ、そんなに高くないだろ!」とつっこみを入れたくなるところでも、
本人が激しく同意!、と思っていたら、それは幸せなんですよね。


でも、その高校生の子が言っていたけれども、
この方程式は科学者がみんなで話し合って出したものだけれども、
わたしたちが、神様を計算に入れるときに、
無限の神様を計算に入れるときに、
この方程式を超えていくと。
全く激しく同意!!!


Happiness=God・・・knowing Godですよね。


さて、9月25日(金)の聖書。
エレミヤ10:17-25。


「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」23節。


人の歩みを神様の見ておられるような視点で見る。
神が見ておられるように見る。


わたしたちが神がこう願われていると決めつけるのではなく、
わたしたちの見方を神に押しつけるのではなく、
神が見ておられる見方を受け入れる。


人を、単に表面的なことだけで見ていくのではなくて、
人の魂の状態で見る。
人の言葉だけを聞くのではなくて、
その心の叫びの方に耳を傾ける。


そのような人の知り方をしたいと思う。


神様が導かれる人生、
神様が与えられる人生、
わたしたちがどのように受け止めるのか、
人々にどのように受け止めることを願っていくのか、
本当に表面的なことにばかり目がいくことがありませんように。


神様の見方を教えてもらうことができますように。


神様、
あなたの見方を教えてください。
あなたが私を、そして、人々をどのように見ておられるのか、
その将来に何を見ておられるのか、教えてください。
そして、そのように、私も人を、将来を見ていくことができますように。