2009-10-28

銀杏。

今日は一日雨でしたねえ。
夕方止んだのですが、また夜に降ってきました。
でも、明日は大丈夫でしょう。
たぶんいい天気になると思います。


今日はNYの日だったので、
朝から夜までNYに出ていました。
PCを持ち歩くのはちょっとしんどいので、
今日はPCなし・・・。
で、更新が遅くなりました。


今週から来週いっぱいのNYでの原爆展、行ってきたのですが、
また明日にでもゆっくり書きます。


今日の午後は、珍しいことなのですが、
Brooklynに用事があって行ってきました。
そして、駅までの帰り道、
雨の中で、持っていたものをうっかり落として、
ついでにそれを自分で踏んづけるという、
ありがちな、「踏んだり蹴ったり」のへまをやらかしたところが、
なんと、アメリカでは滅多に出会わない、銀杏の木の下。
折しも秋10月末、芳香を放つ銀杏の実が落ちているところ。
思いっきり臭くなりました。


「泣き面に蜂」というか、「弱り目に祟り目」というか、
広いNYで、確率的にあり得ないだろう・・・みたいなことがあるんですよねえ。


雨の日+銀杏+手に持っているものを落とす+自分でそれを踏む
なんて、すごいですよね。
でも、思いっきり飛躍しますが、
だいたい、自分の存在自体が、ものすごい低い確率なのに、
ここに存在していることがすごい。
両親が出会う確率。
そして、両親の中にある二つの自分の元になる遺伝子が合体する確率。
「金八先生」みたいですが、
本当に特別な特別な者として、ここにいることに、心から感謝します。


でも・・・これで、たとえば車で来ていたら、
銀杏の実を拾って帰って、
「ただでは転ばない」という根性を見せたかったのですが、
さすがに、銀杏拾ってNYの地下鉄に乗る勇気もございませんで。


でも、いいことを知りました。
今度行く時は是非、車で、それもビニール袋持参で参りましょう。


さて、昨日うっかりとばした先週の火曜日、20日の聖書。
20日はエレミヤ22:20-30。


「あなたが繁栄していたときに、わたしはあなたに語りかけたが、あなたは『私は聞かない』と言った。わたしの声に聞き従わないということ、これが、若いころからのあなたの生き方だった。」21節。

すべてが順調に思えたころ、
神に聞くことが少なかった。
今ほど真剣に聞いてはいなかったように思う。

問題が起こって、初めて、神様の声を必死で聞く。
困った時の神頼みは、決して、クリスチャンも無縁ではない。

苦しみにあったことは、私にとってとてもよいことでした。
そのように詩篇の119篇を歌った人は言っています。
本当にそうだなあと思います。

苦しみがなかったら、
こんなに人生に対して真剣だっただろうか?
神様に対して真剣だっただろうか?
周りの人に対して真剣だっただろうか?

だから、これから襲ってくるだろう、もっとシビアな、
もっと重大な苦しみに対しても、
同じように言える者でありたい。

そして、平安がある時にも、
いつもいつも主に聞いて歩んでいく者でありたい。

主よ、
あなたの試練に感謝します。
あなたが与えてくださる苦しみの故に、
私はあなたに対して、
人生に対して、
周りの人に対して、
真剣に歩めるのだと思います。
どうか、いつもいつもあなたの声を聞いて歩む者でありますように。

2 comments:

  1. かきごおり先生、
    災難でしたね!実はうちの目の前にもイチョウの木がありまして、銀杏が拾い放題状態です。でもあまりにも芳香が強くて、ハイ拾えません。あれは食べれるようにするまでの下処理の過程が大変ですよね!

    不完全な者ながらもものすごい確率の中でこの世に生きることを許されていること、感謝です。

    ドサレディ

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  2. ドサレディーさん、

    え、お宅の前で銀杏が拾い放題ですか!
    今度ビニール袋を渡しますので、
    是非是非・・・(笑)。

    できれば下処理もしたものを・・・。

    茶碗蒸しとかにいいんですよねえ。

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