2009-10-06

人を受け入れること。

今朝は寒かったです。
というか、昼間暖かい分だけ、朝の冷え込みが身にしみるというか、
朝は7.5度、昼間は20.2度。
今夜はこれから雨みたいです。
明日も雨。


でも、気温はほどほどに暖かいようです。


日本は強い台風が上陸しそうです。
特に南東の風がもろに当る紀伊半島東側は
大雨や高潮、暴風みんな心配です。
那智勝浦に帰られたご一家もあり、
「自然が豊かで海の幸山の幸いろいろいいじゃないですか」とお送りしたのですが、
このような時にはまた慣れない地で大変だと思います。


伊勢湾台風との比較があちらこちらでされていますが、
確かに伊勢湾台風は猛烈な台風だったようで、
今回の台風はそこまでは行かないと思いますが、
大きな被害にならないように祈らされます。


先日の英語の礼拝。
メッセージでは直接の言及はなかったと思うのですが、
聖書朗読の中で「夫婦についての教え」の聖書箇所が2カ所読まれました。


それを聞いている中で、


結構「自分の心の中だけにいる妻」「自分の心の中の理想の夫」に恋をしている、という段階ってあるよなあ、と思わされていました。つまり、相手を自分の心の中で理想化して、その心の中の相手と結婚してしまって、ホントの相手をそのまま受け入れられない、という感覚。


だいたいの場合は、結婚前とか、最初の何ヶ月かかもしれませんが、ホントのその人に向き合うことができなくて、心の中で感じている、というか、勝手に思い込んでいる「この人はこういう人だから好き」とか、そういうものに恋をしてしまう。本当のその人を受け入れられない。本当はそれからが本番なのに・・・。
不倫などを繰り返す人は、たぶん、そういう幻想を一生追い続けているんでしょうか。自分の心の中で理想化した愛人を好きになって、それこそが「夫婦という制度に縛られたところにはない本当の愛」だなんてトンデモな勘違いをしている。あ、たぶんもちろん、単なる肉欲に振り回されているレベルのお方もおられるとは思いますが・・・。


本当はホントの相手を受け入れていく。「え~?こんな人だったの?」みたいな人を愛していく、受け入れていく、そこに結婚の醍醐味があるはず、そこからが夫婦になっていく歩みを始めるはずなんですが、やはりエネルギーはいりますからね。神様と「制度」そして「誓い」の助けが必要なんだと思います。


(あ、でも、これは決して夫婦関係だけじゃなくて、すべての人間関係にあてはまるのかも・・・。牧師である私も、教会の方々との関係の中で、「この人はこういう方だ」と勝手に思い込んで、その方の心の叫びを聞こうとしないで、私の心の中のその方と対話しているだけなのに、その方自身と対話しているつもりになって満足している・・・みたいな)


結婚してからも、魅力的な人はいくらでも現われてくるでしょうし、相性の合う人もいるかもしれない。自分の「愛」なんて、そんなもの(っていうか、素晴らしいもんなんですが、感情的な「愛」って感覚)に土台をおいていたら、とっかえひっかえ・・・となってしまうと思います。でも、私は妻との間に、誰も入り込ませない、それを神と人との前に誓って、そこから出発する。その大切さを思わされています。


私自身の、教会の皆さんの、一つ一つの結婚が祝福されますように。


さて、今日の聖書。
今日はエレミヤ15:10-21。


「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ、私にはあなたの名がつけられているからです。」16節。

そう、御言葉が与えられるって嬉しいですよね。
本当に自分に語られた、という経験。

それは楽しいし、喜び。
もっともっとそれを求めていきたいと思いました。
毎日毎日、語られて、ここに書くことが与えられることは
喜びです。
でも、もっともっと強烈に、
「私にこの言葉が与えられて、支えられている」という思い。
それを求めていきたいと思いました。

それは私にも神様の名前が付けられているから。
私の魂に神様の形が刻みつけられているから。
私は神様によってしか満たされない空洞を心に持っているから。

主よ、
あなたがいてくださるからありがとうございます。
あなたが私に語ってくださるからありがとうございます。
どうか、御言葉を語ってください。
しもべは聞きます。
どうか、私の心を御言葉によって揺り動かし、
あなたに従って生きる者としてください。

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