2011-10-13

contagiousなクリスチャンになる。

昨日から雨の予報だったのですが、
ほとんど降らずに、夜になってから降ったみたいです。
そして、今日もほとんど降らずに曇りがち。


今夜もこれから降ってくるようです。
そして、暖かかった日々も終わって、
この先は秋らしい日が続くようです。


さて、今日は早速「日々のみことば」から。
昨日の聖書の箇所、使徒行伝24章前半から。


「この男は、まるでペストのような存在で・・・」5節。

これは言われてうれしいことではありませんよね。
「伝染病のような、疫病のようなヤツで・・・」なんて言われて。

でも、考えてみたら、これはすごいことです。
パウロの存在が、当時の権力者たちにとって、脅威になっていた。

今、教会がそんな存在になっているだろうか?
別にわざと嫌われる必要はないかもしれないけれど、
毒にも薬にもならない、社会にとって何の影響も与えないものになっていないだろうか?

そして、何よりも、contagiousな存在だろうか?
昨日も、今朝も、教会に集う方々のことを覚えて、
主に「新しい方を送ってください」と祈らされた。
でも、それ以前に、自分たちが周りの人々を引きつける存在になっているか、
新しい方々を主から任されるような存在になっているか、
問われているように思わされた。

主よ、
私をcontagiousなクリスチャンにしてください。
そのために、まず、私にあなたのメッセージを語ってください。
私があなたに聞いて、それを人々に伝えることができますように。
強力な伝染力を持った存在になりますように。

2011-10-11

聞くこと。

ここ数日暖かい日が続いています。
特に、日曜日、月曜日は30度くらいまで上がって、
暑いくらいでしたね。


でも、そのいい天気も今日まで。
明日の午後からは雨のようです。
そして、また金曜日くらいまでぐずつくようです。


日曜日の夕方から、月曜日にかけて、
グリニッチの教会で3ヶ月ご奉仕をされた黒田先生が導いてくださって、
「米国東海岸アシュラムの集い」がもたれました。


3ヶ月前、こちらに来られてすぐに、
その集まりをしたい、ということをおっしゃっておられたのを伺って、
ぜひ、参加したいと思いました。


名前は聞いていた「アシュラムの集い」。
ただただ、御言葉に聞く、
誰に教えられるのでもない、個人的に聖書を読んで、
それを分かち合うだけの集まり。


教会の集まりではいつも主催者側で、
集う方々に配慮をして過ごしてばかりいる中で、
今回は、自分が養われることだけを求めて参加しました。


ですから、ウチの教会の方々には「こんな集会があるよ」と案内こそすれ、
「一緒に行きましょう」とは誰も誘いませんでした。
申し込まない方に「どうですか?」ということも聞きませんでした。


それが淋しかったとか、誘ってほしかったとか、
そういう方々もおられるかもしれませんが、
それはしょうがありません。
今回は、とにかく自分が一参加者として行きたかったので。


のんちは「行きたい」と言っても、
「それはよかった」と答えることもなく、
「自分が行きたければ、行けば?」という感じ。
「あの人を誘おうかな?」と言って来ても、
「自分が誘いたければ誘えば?」とつれない夫をしていました。


で、どうだったかというと、
あまりに短かったので、「こういう答えが与えられた!」ということはなかったのですが、黒田先生が言っておられたように、「これがスタート」という感じでした。


これから、一昨日、昨日と神様の前に時を過ごしたように、
ただ、自分が養われるために時間を過ごすことを大切にしていきたいと思いました。


黒田先生は、バッチリ、昨日のうちにブログを更新しておられました・・・。
早!


おたすけマンブログ


で、一昨日の夜はキャンプファイアー。






でも、なんだか、ただ、スモアをやっただけでしたねえ。
スモアをやるのにはちょっと火が強すぎましたねえ。
めっちゃ熱かったです。


スモアのためにはもっと小さな火の方が、外はこんがり、中はとろとろの最高の焼きマシュマロができるんだけどなあ、と・・・星空を見ながら思ったのでした・・・。


さて、久しぶりですが、「日々のみことば」から。
9月の後半、日本で読んだところですが、
使徒の働き15章。


「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので・・・」2節。
「激しい論争があって後・・・」7節。


初代教会の人々は、激しい議論、激しい論争をいとわなかった。
そして、聖霊様によって導かれて、正しい決断をした。

自分の姿勢を問われているように思いました。
事なかれ主義になってしまったり、
ただ波風を立てるのが面倒になってしまったり。
「まあまあまあ・・・」で済ませたくなったり。

恐れない心を与えていただきたいと思いました。
そのためにもっともっと主と深い関係を持たせていただきたいと思います。

主よ、
もっともっと確信を持って歩むことができるように。
そのために、もっともっと近くあなたとともに歩むことができますように。
人を恐れないで、主を恐れる心を与えてください。

2011-10-05

生きること。

夕方、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなったというニュースが流れて、
FacebookもTwitterもその話題一色になった。

世界中のブロガーたちも追悼の文章を書いていることだろう。

自分もいろんなことを考えさせられていた。

今日の午前中は、ちょっと久しぶりに、のんちが被災地でのボランティアの経験の報告をする予定があったので、昨日の夜遅くまで、それを準備したり、いろんなことを思い出していた。

なので、おなじ一人の人の死でありながら、
ここまで世界中の人が悲しみ悼む死ってなんだろう、
ということも考えさせられていた。

でも、自分自身も惹き付けられていた。

ま、84年にマックが世に登場した時には、
それともまだ無縁の世界に行きていて、
日本で「ワープロ」とか一家に一台あればいい?
って感じの時だったので、何も知らなかった。
もちろんApple II とかは今見ても「これ何?」だ。

初めてアップル社の製品を手に入れたのは1992年だから、
スティーブはアップル社にはいない時代だ。
その後、進んだ大学は「マックなんて小学生じゃないんだから・・・。PCじゃないと論文書けないだろう!」という偏見の固まりのようなところだったし、その後のマックのマイナー化の波に乗り、ウィンドウズマシンを遍歴して来た。

そしてその次に手にするのは2008年まで下る。

だから、TwitterやFacebookで思い出を語る人々とは
ちょっと思い入れが違うことは確かだ。

でも、自分自身も彼には惹き付けられていた。

特にあの有名なスタンフォード大学でのスピーチは時々思い出しては聞いている。

その中の「もし今日が自分の人生の最後の日だとしたら、今日やろうとしていることを私は本当にやりたいだろうか?」という問いかけを、時々、自分に対して投げかけている。もちろん、クリスチャンである私にとってはそこに、「そして、それが神が私に対して求めておられることだろうか?」という問いかけも含まれるわけだが・・・。

だから、自分にとっては、彼の死は、「自分は生きているだろうか?」というチャレンジを与える。

それは、日本の震災の中で亡くなった方々や、またそこから立ち上がろうとしている方々から問いかけられていることでもあると思わされる。もちろん、神様からも。

「オマエは生かされて、そこに置かれている。オマエは『生きている』か?」と。

青空の中に。

・・・やはり、昼夜逆転中です。

昼間はぼーっとして効率が上がらず、
夜は元気で、寝るのがもったいないです。

ま、寝ますけど。

今までの経験では、がんばりすぎないでやらないとつぶれる、ので、少しずつ日常を取り戻そうと思っています。

この間の日曜日は午前中は近くの牧師不在となった教会の礼拝のメッセージのご奉仕をして、午後にはJCCNJの礼拝のメッセージ。

その午後のメッセージで最後のポイント、「神に聞くことの大切さ」を話しながら、自分はどこまで聞くことをしてきたか、と問われているように思いました。

やはり、じっとしているよりも動いている方が何かしている気分になる。
時間的な余裕なく動いていた方が、自分に価値があるような気持ちになる。

そんな中で、主に聞くことを大切にして、
主の許に休むことを大切にして、
そこから立ち上がって、いくことができるようにと、
自分の価値は、ただ、主に愛されていることの中にある、
そこから立ち上がって行くことができるようにと、
心から願わされます。

今回、ご訪問した方々の中に、
教会も自宅も流されてしまった牧師がおられました。
ご一家で他の場所に会堂を借りて、働きを続けておられます。

仙台市内の「その場所」に連れて行っていただきました。

初めてお会いした先生。
しばらくお話をした後、
遠慮がちに「行きますか?」と聞かれました。
私もお忙しい先生に運転手のようなことをお願いするのは申し訳ないと思いながら、それ以上に見物でもするかのように行くのは申し訳ないと思いながら、「もしよろしければ・・・」とお願いしました。お互いに心の距離感をはかりながら・・・。

「僕も久しぶりに行くんです。台風の後は初めてかな・・・」と言いながら、車の中で、二人きりで少しずつ少しずつ、思いを語ってくださいました。

わかっていました。
映像でいろいろ見ていました。
宮古でも壊滅的な被害を受けた町を訪問していました。
でも、山が海岸まで迫っている宮古と違い、
平野が広がる仙台の海岸部では、
「ここらへんは床上浸水」「ここは一階が水につかった」「ここは二階まで来た」・・・と少しずつ、海に向かって少しずつ被害が大きくなっていき、半壊の建物があちらこちらに残っているのが、リアルに津波の恐ろしさを感じさせられます。何百人も人々が避難した小学校も2階までガラスが割れたまま残っています。

正直に告白しますが、ちょっとだけ、「自分はまだあの余震の続いている中で、妻をこういうところに送っていたのか」と、何もわかっていなかったんだな、と思いました。

・・・そして、その先は草むらの中に家の土台だけが残った土地が広がっていました。

先生はいくつかの思い出を語られた後、言われました。

「私は、ここにお連れしたみなさんにお願いしているのですが、ここで一言、祈ってくださいますか?」

単なる巡礼地や、シンボルのように受け止めてはいけない、
ここには生活があり、宝物があり、思い出が詰まっていたところ、
それがなくなってしまったんだから・・・。
そのように思います。

でも、そのように思うからこそ、青空の中に高く掲げられた十字架こそが、
人々の希望となりますように、と祈らされました。祈っている中で熱い思いがこみ上げて来ました。

連れて来ていただいて、ありがとうございます。


シーサイドバイブルチャペルの内藤牧師と、教会のために、大きな痛みの中にある地区の皆さんのために祈ります。そして、この十字架が多くの人々の希望となりますように。この十字架によって立ち上がる方々が起こされますように。

2011-09-30

「宝のあるところに心もある」

昨日、無事にNJに帰ってきました。
昨夜はよく眠れたのですが、
今夜は9時過ぎあたりから元気になって来ました。
ま、ちょっとした時差ぼけでしょうか。

火曜日には仙台に行ってきました。
最初に伺ったのが、仙台の隣りの利府町にある
オアシスチャペル利府キリスト教会

ここの教会はオアシスライフケアという被災地支援の団体を作り、活動をしておられます。この教会の松田牧師の弟さんが何年か前にNYに来られた時に、縁あって家に泊まってくださって、その彼が震災の直前にTwitterでフォローしてくれていたことがきっかけでつながっていました。そこに起こった震災。4月の初めには、のんちが派遣されて行った病院でその弟さんの奥さんが出産されるなど、特別な神様の導きを感じて、松田牧師と教会の皆さんの働きに注目していました。

そして、立ち上げられた援助団体。
オアシスライフケアのミッションステートメント、


わたしたちの使命は、
宮城県をはじめとする東日本大震災被災地域において
キリスト教精神に基づく慈善活動を行い
 人々の心と人生に「あなたはひとりじゃない」という
メッセージを届けることです。

そして、ビジョン、


この東北の地において 
 今日(いま)の必要が満たされますように 
明日(みらい)の必要が満たされますように 
永遠(とこしえ)の必要が満たされますように

この両方に心から共感しました。
具体的な支援はできないでいましたが、祈りつつ、注目していました。

そして、ニュージャージーの教会の皆さんにお願いして、
9月11日の特別な礼拝では、ささげられた献金をオアシスライフケアの働きのために献金することにしました。礼拝の中では松田牧師がビデオメッセージを私たちの教会のために送ってくださいました。そして、今回の日本訪問では、松田牧師に忙しい中、時間を割いていただいて、ご訪問させていただきました。初対面だったのですが、それを感じさせないほど、胸襟を開いてお交わりをさせていただきました。

やはり、行ってみないと、お会いしてみないとわからない、
その闘い、苦悩がある、でも、その中で、主を信頼して立っておられました。

お会いして、本当に先生はビジョンの人であり、
神様がこの時のために時間をかけて備えて立ててくださっているリーダーであることを感じました。

しかし、それだけではなく、本当に人を愛し、人に仕え、配慮を持って人に寄り添って来られたんだろうな、と思わされる温かさも感じました。

これからも祈って支えていきたいと思います。

そして、今日、改めて思わされたこと、

「宝のあるところに心もある」

イエスの言葉ですが、本当にそうだなと思わされます。
のんちが日本に行っていた時、私の心は日本に向かっていました。
教会の一人一人は、宝物ですから、私の心はそこに向いています。

そして、今回の松田先生ご夫妻との出会いは、私の中で本当に「宝」の経験です。
だから、また、私の心がそこに向いていることを感じます。

今回、日本でお会いした東北の方々の多くが、「忘れないでほしい」ということを訴えておられました。そこに私の心を引き戻すために、与えてくださった宝物の出会いであったことを思わされます。

世界を回っておられる援助団体の方が言われていたことだそうですが、援助団体は次の必要なところに移って行く、そんな中で、現地の人たちと10年、20年、共に歩む人たちが必要だ、その働きを世界の多くのところでは「教会」が担っている、と。教会の使命は大切ですね。私たちはそのような現地の教会をサポートして行くことの必要性を強く感じました。

利府キリスト教会のために、
オアシスライフケアのために、
松田牧師とご一家のために、

神様の守りと支えがありますように。

2011-09-25

集まる力

東京で過ごす月曜日の朝です。

土曜日の朝に新大阪を出て、
関東に戻って来ました。

そして、土曜日の午前中は2回目の帰国された方々の集まり。
関西では今年は何人かで集まるのがむずかしく、
個別に皆さんにお会いするときを持ったのですが、
それはそれで、個人的に状況をお伺いし、
お祈りをさせていただく特別なときとなりました。

でも、それとともに今回思わされたのは、
共に集まる時に起こる、不思議なダイナミズム。

東京と横浜で1回ずつもたれた集まりには、
決して多くはありませんでしたが、10数名ずつの方々が集われて、
語り合う時、祈るときを持ちました。
その中で、私一人でお会いしてお話ししている中では起こらない、
励ましや一体感が与えられていきました。
聖書が共に集まることを勧めているのも、
やはり特別な意味があるのだと思います。
理屈を超えた神の力が働いていることを感じます。

写真はFacebookの方で。
実名で検索してくださればヒットしますので友達になってやってください。
実名をご存じない方は教会のHPから。
jccofnj.org

祈られていることにも心から感謝。

今日も間もなく出発して、一日歩き回ります。
明日は仙台方面です。

2011-09-23

不思議なことたくさん。


ちょっと久しぶりになりました。

先週の函館訪問の後、弘前、東京、名古屋、岐阜、京都、大阪、神戸、下関、福岡とあちらこちらで、個人的にいろんな方々にお会いしてきました。

今回、どうしてもお会いしたかったのですが、どうしてもお会いできなくなってしまった方々もおられます。どうしても連絡がつかない方々も。

その一方で本当に不思議なように、東海/関東を直撃した台風の影響も受けずに、ここまですべてが順調に進んできました。
火曜日の昼過ぎ、名古屋である方にお会いしていた時には、その方のところに「大丈夫?」と電話がかかって来ましたが、まさにその方の住んでおられたあたりには避難勧告が出ていたようです。でも、名古屋駅周辺は全く混乱はありませんでした。そして、その日のうちに大阪に着きましたし、木曜日の夜は再度「大阪→名古屋→大阪」の予定が入っていたのですが、台風が来た水曜日は関西周辺の予定だけで、問題はありませんでした。台風が来るのが一日早くなっても、遅くなっても、予定が大きく狂うところでした。

でも、私の心には「予定通りに行って感謝」と言うことにちょっと抵抗があります。というのは、「想定外」の中に神様の特別な恵みやメッセージがあることを経験してきたからです。

昨年末のEC2010の時に経験したように、ある人はそこに行けて、ある人は行けない。それは決して、行ける人が祈り深かったのでも、行けなかった人の祈りが足りなかったのでもない。主がそのように導かれたのだ、そのように思いました。

予定が狂う中にも主の恵みとメッセージがあり、予定通りに進むことに中にも主の導きがある。
だから、今回の一つ一つの出会いも、神様が特別に導いてくださったもの。

いくつもの不思議な出来事がありました。

具体的に書くようなことではないのですが、どうしても、今、ここで、そして、ある時には「この順番で」(!)会うことができるように主が導いてくださったのだと思います。

土曜日は横浜市金沢区六浦での集会、
水曜日には大森での祈り会。

そして、日曜日、木場の教会の礼拝でお会いできそうな方々との一時も祝福されますように。更に多くの皆さんとお会いできますように。

詳しくはこちら。

2011-09-20

警戒。


火曜日には名古屋から大阪へ。
ちょうど、台風が接近中です。

名古屋で人にお会いしている間に、
その方の携帯に「大丈夫?」と問い合わせが入るほど、
深刻な状況だったようです。

100万人以上に避難勧告というのですから、
大変だったと思いますが、
名古屋市の決断に敬意を表します。

これ以上被害が大きくならないようにと祈りますが、
レーダー画面を見ると、台風の目が紀伊半島の南を北東に進んでいます。
和歌山県南部ではまた激しい雨になっています。
12号の時に大きな被害が出た地域も心配です。



そして、この台風は志摩半島から伊勢湾に入ります。

先週からずっといろいろな皆さんに個人的にお会いするときを持っていますが、
一つ一つの語り合いの中に、主の導きを感じないでいられません。
クリスチャンの方々もおられますし、そうでない方々もたくさんおられます。
一人一人の方々がその語り合いの中で、主を見ることができますように。
主に目を向けるときとなりますように。


皆さんの祈りのサポートに心から感謝します。

2011-09-18

どこを見ている?


日曜日の夜ですが、 
金曜日のこと。

17日(土)朝に書き留めておきました。

昨日も暑い一日。
岩塚先生が青森まで送ってくださって、
車の中でもいろいろなことを分かち合ってくださった。
この6ヶ月の間の働きの中で、どれだけ多くの経済的、物質的サポート、人的サポート(ボランティア)、そして、祈りのサポートを受けたか、を心から感謝しておられた。
でも、そんな中で私自身が思わされたこと。

行政もボランティアも援助団体も、
被災者の立場から見ることがいかにむずかしいことか。

市は県や国の意向に目を向けている。これはかなり断定的に言えるらしい。
援助団体の中には支援者に目を向けているんじゃないかと思うこともある。・・・これからどれだけ献金/募金が集まるか、献金/募金をささげてくださった皆さんが納得するか?ってこと。
そして、ボランティアも「何か結果を出さなければ」という思いが強かったりする。

でも、現地で長い間かかわっておられる皆さんは感じておられるそうです。

20年支援して行こう、と。

その中で自分はこの3日間で何をするのか?
この1週間で何をするのか?
1ヶ月で何をするのか?

そういう視点が必要だと。

多くの人に祈られ、サポートされて、「何か報告すべきことを」という気持ちが強すぎることもあるようです。

いつか書いたような気もするのですが、私自身、この日本の滞在もうっかりすると「教会/役員会に報告することを」(「出張」なんで、しょうがないのですが)という気持ちが強くなりすぎて、日本で出会う方々との一時を大切にすることを忘れないようにしないと、と思わされます。

その後、青函トンネルを通って函館に。
NJの教会の方のご家族と初めてお会いしたのが、3年半前のこの訪問のとき。
私が初対面の方にお会いするのでどんなに緊張して、恐れていたか、皆さん想像できないと思います。でも、それゆえに祈って、御言葉をいただいて、確信を持ってお話をさせていただきました。主はそこからすばらしいことをたくさんしてくださいました。

今回は、去年の春に洗礼を受けられて初めての再会でした。
改めて、主のしてくださった奇跡に感謝。
そして、主が一歩一歩導いてくださることに、導かれている教会の働きに感謝。

2011-09-16

6ヶ月。


今は金曜日の夜@函館です。
朝、書き留めたことをアップ。 

金曜日の朝@宮古です。
ネット環境がないのでアップできるのがいつになるかわかりませんが、忘れないうちに・・・。

昨日の朝の東京は6時前でも「何で〜?」と思うくらい暑かったです。
そして昼頃に着いた宮古も暑い。じっとしていても汗が噴き出して来ます。
前日は雨も降って涼しかったようですが。

そんな中、宮古で牧師をしておられる聖書学院時代の先輩である岩塚先生が、先生や岩手各地また全国、いや、全世界から来られるボランティアの方々の働きを見せてくださいました。

今宮古周辺の20の仮設住宅を州に1回程度ずつ回って、物資を届けて、その時にご様子を伺ったり、テントを張ってカフェを開設して、憩いの場に使ってもらったり、子供たちのためのプログラムを持ったりしているそうです。宮古周辺の67割くらいの仮設にかかわっておられるそうです。

昨日伺ったのは、被害の大きかった田老地区の2つのカフェ。世界から研究者が集まって来て見学する、そして地元の方々にとっても誇りであった、X字型の大堤防。その外側の部分は破壊され、まさかの内側の堤防も乗り越えて40mの津波が押し寄せて来たと言います。そしてすべてを海に引きずり込んで行った。堤防の外は瓦礫も残っていなかったそうです。

6ヶ月。

宮古は片付けが進んでいる方で、瓦礫の分別が進んでいました。

そこから立ち上がりつつある方々と、立ち上がれない方々。

「こういうカフェがないと、互いに話すこともない、という方々もおられる。カフェで『隣りの○○です』と互いに挨拶をする方々もおられる。だから大切な働きだと思う。でも、カフェに来れて、そこで人々と話ができる人はいい。もっと目を向けなければいけないのは、ここにも来れない方々だ。」と先生は言われます。

本当に地域の方々と寄り添い、出会う方々一人一人に声をかけて、共に生きようとする先生の働きに頭が下がりました。

そして、お伺いしました。「何が一番大変でしたか?」と。

「最初の10日間。」

電話もなかなか通じず、経済力もマンパワーもなく、何かしようと思うんだけれども、何もできない。それがきつかった。そんな中で、ガソリンを積んで来てくれた方々がおられたし、トラックいっぱい荷物を積んで来てくれた方々がいた。そして、その多くはアメリカ人の宣教師だった、と。どうやってガソリンを手配したのか、でも、とにかく動いた結果、動けたのでしょうね。

やはり機動力の大切さを感じました。
                                                                                                                               
何かが起こってから動くのではなく、いつでも動けるようにしておくこと。
そして、会議をしていないで、逡巡していないので動くこと。
みんなが行きたかったのだと思います。なんとかしたかった。
海の向こう側で、地球の反対側でもみんなそう思っていました。
ですから、日本の方々はどれほどだったかと思います。
そして、邪魔になってはいけないとか、ガソリンがないからとか、
それで時を待っていた方々も多かった。
その判断が間違っていたとは思えません。

でもやはりその一方で機動力を生かして動いた方々によって助けられた方々がどれだけおられたか。

そして、6ヶ月が経ったこれから・・・。

忘れられてしまうのではないか、と。
夏休み明け、ボランティアの方々が減るのでは、と心配しておられましたが、それでも与えられているそうです。でも、この先どうなるのか、そして、厳しい冬がやって来ます。外に出ることもままならない中で、冷え込む仮設の中で、もっともっと多くの働きが必要とされています。

6ヶ月の間に起こったことを、24時間の滞在の中でどれだけ知ることができるのだろうか、と思います。大切なもの、大切な人を失った方々の痛みに寄り添おう、共に生きて行こうという先生の持っておられる思いと、訪問者である私の思いにはどれだけの違いがあるかと思います。

でも、先生は発信して行くことの大切さをしきりに語っておられました。
今は時の人となって、メディアからも「こういう記事が欲しい」という予断を持って取材を受けているな、と感じるときもある。
インタビューが記事になる時には、自分の意図と違うことが書かれることもある。

でも、そんなリスクがあっても、ちょっと「あれ?」と思うことがあっても、発信して行くことが自分の使命だと。その先生の働きに少しでも共に歩むことができれば、と思います。


2011-09-14

「進みよって、並んで行きなさい」

今日は飛行機では、
「寝るぞ」と意気込んで、
コーヒーを飲まないで「わら」「わら」と連呼して、
水ばっかり飲んでいたのが悪かったのか、
ぜんぜん眠れなくて、頭までいたくなって来て、
例年通り、たくさん映画を見させていただいて、
本も読ませていただいて、
でも、最後の最後、もう寝ない!とコーヒーを頼んだら、
すかっと頭の痛いのもなくなって、
元気いっぱい、東京に着きました。

飛行機も予定より早く着き、入国も、荷物も、税関も、東京までのバスも、
これ以上はないだろう・・・という順調さで、
2時到着予定の飛行機だったのに、3時半にはもう東京の滞在先に入っている、という時間の余裕。

これをムダにするのはもったいないと、
残暑をものともせず、東京駅で引換証をJR−Passに代えて、
明日の朝一番の東北新幹線の席を取って、
10月からの教会学校の教案誌を買って、
大体どこででもメールのやり取り等ができるようにと、
WiMAXのお試しレンタルを借りて来て・・・とずいぶん準備ができました。

そして、夜になってから、
ある人とお会いできるとの連絡がつきました。

今回の日本訪問でも、いろいろな方々に連絡をしてきているのですが、
リクエストがあったり、いつもお会いしている方なので、今年も・・・という気持ちも働くのですが、それ以上に、使徒行伝の8章の後半でピリポがエチオピアの宦官に福音を伝えたときのエピソードが私の心の中にあります。
ピリポはサマリヤで大きな働きをしている最中に、
寂しい道に行くようにと言われます。
そして、そこで「さあ、彼に近づいて一緒に行きなさい」と言われたのです。
その時に、宦官は主を信じるものとされ、洗礼を受けました。

私も今回、
開かれる道、閉ざされる道、いろいろありますし、
月報に載せますし、HPにも載っていますし、
いつでも問い合わせください、と書いていますが、
人が見たら、「どういう基準で連絡しているの?」と
疑問に思われてしまうこともあるかもしれません。
でも、私はただ、主が「近づいて一緒に行きなさい」と
言われる言葉に従っているつもりです。
自分勝手なことを神様の名の下にすることにならないようにと気をつけながらも、
どうしても会わなければいけない、と思う場合には強く押す時さえあります。

一つ一つのお会いする方々との予定が、
神様から出ていること感じています。

祈りつつ、神様が御業をなしてくださることを期待しつつ、歩ませていただきたいです。
明日は牧師夫妻以外の皆さんは皆さん初対面ですね。
主のすばらしさを証する者となれますように。

神様、今回の日本訪問もあなたの御手の中にあります。
すべてを守り、導いてくださいますように。
主よ、あなたが「あの人のところへ行きなさい」と言われる時に、
それに従う勇気と力とを与えてください。


日本時間よる11時17分。

2011-09-12

祈りの中で。

明日の朝、出発して、14日から29日に日本を訪問します。
詳しい日程等は、教会のホームページにあります。

ニュージャージー日本語キリスト教会

ここ数年、毎年日本を訪問させていただいて来ましたが、
本当に主が不思議なことをしてくださって来ました。

そして、その背後に祈りがあり、
私自身もたくさんの不安の中で祈らないではいられない、
そのようなところに追い込まれる経験もしました。

今回も、本当に祈らされています。
主が不思議なことをしてくださることを、
お会いする一人一人に主が語ってくださることを信頼して、
出発します。

まずは、到着して、翌日から岩手県の宮古コミュニティーチャーチを訪問します。
22年ぶりにお会いする先生ご夫妻との再会も楽しみにしています。
宮古は三陸沿岸の町。6ヶ月前の震災でも大きな被害を受けました。
そこで先生ご夫妻、また教会の皆さんは町の人々と共に歩んで来られました。

岩塚先生の働きについては、初期の働きがここに紹介されていますが、
http://jpnews.org/pc/modules/mysection/item.php?itemid=189
本当に先生の語られている姿が目に浮かぶようです。
本当にこのような先生です。
たくさんのことを学ぶことができますように。

お祈りに感謝しつつ。

2011-09-11

神を神とする。

今日は2011年9月11日。
あの日からちょうど10年。


今日はそのことを覚えつつ礼拝を守った。
午前中は依頼されて、プリンストンの教会での礼拝メッセージ。
「あああ、遅れる〜!」と叫びながら、8時半頃家を飛び出して、1時間余りのドライブ。


その車の中で、ラジオを聞いていた。
そこから流れて来たのは、Ground Zeroでもたれているメモリアルサービスの様子。
自分と同じ世代のお父さん、お母さんがたくさん亡くなっていた。
だから、名前を読み上げる中に時々出てくる、子供たちの親へのメッセージ。


「お父さん、ありがとう。愛しているよ。私をこの世に生まれさせてくれてありがとう」
「お父さん、僕の立派になった姿を見てほしかったよ。一緒に遊んでほしかった・・・」


そんな言葉を聞きながら、自分もあのときのことを思い出していた。


「何だこれは?」
「これは絶対に戦争が起こる・・・」
「崩れないでくれ、頼むから崩れないでくれ・・・」


そのあとのことはもうちょっと書けません。


そうやって聞いていたら、よく聞く声が詩篇の46篇を読んでいました。


紙は我らの避けどころ、また力である。
悩めるときのいと近き助けである。
それゆえに、たとい地は変わり、
山は海の真中に移るとも、


我らは恐れない。
・・・


オバマ大統領でした。
耳を疑いました。
一国の指導者が、このような場で聖書を読んでいる・・・。
胸に熱いものがこみ上げて来ました。
本当にうれしかったです。


でも、それとともに昨日読んだ記事が思い出されました。
それは「テロリストはdirty bombをTimes Squareで爆発させようとしているのではないか」という記事でした。


恐ろしいことを考えるヤツがいるものだ、と思いつつ、
アメリカが9.11以来、どれだけクラスター弾や劣化ウラン弾を使って来たのか、
アフガニスタンを空爆し、イラクに戦争を仕掛けてきたか。
それを考えると、この指導者は、この国は、本当にこの聖書のことばに生きようとしているのだろうか?
そのことを考えさせられました。


その詩篇の46篇の中にこのような言葉があります。


「静まって、私こそ神であることを知れ」


アメリカの国も神を利用しようとするのではなく、
本気で神を神として、神に従い、神にひれ伏し、悔い改めて立ち上がろうとしているのか?


神を神とすることの反対は自分を神とすること。
神の名を自分のために利用すること。


「静まって、私こそ神であることを知れ」
そのように言われる方の前に、この国も、指導者も、そして、私自身も本当にひれ伏すことができますように。


今日のプリンストンの礼拝は、
本当に多くの方々が、喜びを持って礼拝をささげている姿に励まされました。
子供たちのためのメッセージも任せていただいて、うれしかった。
もう少し皆さんといろいろ話をしたかったですが、
午後の礼拝のために、とんぼ返り。


そして、JCCNJの礼拝では、
日本の「オアシスライフ・ケア」の松田代表からのメッセージビデオや、
JCCNJの元のメンバーの中上祐子さんが、9.11の時に作られた「Chain Reaction」
が送られて、また、9.11の時にすぐ近くで働いておられた方が、そのあと、クリスチャンなられて、証しをしてくださって、とても幸いな礼拝の一時となりました。


もっともっと多くの方々にこのメッセージを分かち合いたかったな。


主を主と崇めつつ、
主が与えてくださった仲間とつながりつつ、
弱さを覚え、痛みを覚えておられる方につながる、


これからも、その働きをさせていただきと思わされます。


さあ、明日は牧師会のためにフィラデルフィアへ。


でも、明後日からの日本行きの準備・・・やばいかもねえ。
パスポートとグリーンカードと・・・あと何だ?

2011-09-07

主が共におられる。

今日も雨。
昨日の夜はヒヤヒヤする降り方だったけれども、
深夜には峠を越えて、今日も降ったりやんだりで、
降る時にもそれほど強い雨ではないので、大丈夫かな、と思う。


でも、その雨の中心がCentral PAからNY州の方へ流れて行っていることが気になる。
昨日の夜からずっと同じあたりに雨雲がどんどんかかって来ている。


そして、今、夜の11時半頃だけど、ここら辺にも、小さな雲だけど、かなり強い雷雲が南から接近中。一時的に激しい雨が降りそう。


洪水が起こっているところも多いようだ。
その地にある人々が守られますように。
安全が守られ、心が守られますように。


今度の日曜日は、2つの意味で特別な日曜日です。
特別な礼拝を守ることになっています。

一人でも多くの人々に、神様の愛と慰めが届きますように。

さて、最近の「日々のみことば」から。
昨日、火曜日は使徒行伝の9:32-43でした。

「タビタ。起きなさい。」40節。

ペテロが見ていた、感じていたのは何だったのか?
それは復活の主の臨在。
復活の主が共にいてくださること。

イエスを死人の中からよみがえらせた主が共にいてくださること。

その主が今も私と共におられることを感謝した。
そして、昨日から、ずっと、その主が共にいてくださることを何度も何度も思い出す。
不安を感じる場面や、自分の力ではどうにもならないような場面、
人に励ましが必要な場面、誰かと祈っている最中・・・
何度も何度も、「復活の主が共にいてくださるのだ」ということを思わされる。

感謝。

主よ、
あなたが共にいてくださることに感謝します。
復活の力をもって共にいてくださることに感謝します。
どうか、明日も、明後日も、土曜日も、そして、日曜日も、
そして、来週からの日本での歩みの中でも、
一つ一つの場面において、あなたの御力を表してください。

2011-09-06

従うこと。

昨日から雨の予報でしたが、
昨日はなんとか一日もって、
今日の朝、起きたら雨が降っていました。
そして、一日雨。
時々本降りで、50mmくらい降っているようです。
夜になって、ちょっと激しくなって心配しましたが、
11時頃には峠を越えて、小康状態です。


でも、明日いっぱいくらいまで心配です。


ハリケーンの洪水で本当に大きな被害を受けた方々が、
なんとか片付けをしている中で、
やっと片付いたかなあ、と思っておられる中で、
またここで大きな被害が出ると、どんなに大きなダメージがあるかと思います。


なんとか、このまま終わってほしいところです。


そして、いよいよ日本訪問まであと1週間。
「週間予報」の範囲に入って来ました。
9月14日の東京の予想最高気温31度C。
最低気温の予想が 23度C。


うーん、覚悟していかないと・・・。


今日から、子供たちも学校。
下の娘はミドルスクールに入ります。
あのチビが・・・と思いますが、
もう背の高さは、上の娘と変わりません。


スクールバスが来るほど遠くはないので、
上の二人は歩いて通いました。
でも、なんでしょうね、一番下が、あそこまで歩くのか?
と、どうしても思ってしまう。
自分は日本で、二年生くらいから、毎日30分通ってたのに。


今日は雨だったので車で送迎。
ここら辺も、東京だったら「ありえない〜」ってことですけどね。


朝7時10分と、30分に行ってくれます。


親にとっては「朝を有効に使える」ありがたい新学期です。


さて、最近の「日々のみことば」から。
3日土曜日は使徒行伝8:26-40でした。


「 そこで、彼は立って出かけた。」27節。

ピリポはサマリヤで大きな働きをした人です。
その彼が「次のところに進んで行け」と言われた時に、
彼はすぐに従ったのです。

2つのことを思わされました。
一つは聖霊様の声に対する敏感さです。
主が語ってくださっているのに、
それに気がつかないことが自分はあるのではないかと思いました。
その声を、聖霊様の語りかけを、いつも聞ける準備をしていたいと思いました。
その感覚をもっともっと研ぎすまさせていただきたいと思いました。

そして、もう一つは、その聖霊様の語りかけに対する
従順さです。

語られた時に、それに従うこと。
ピリポは、自分にとって恐らく居心地がよかったであろうサマリヤから、誰がいるかもわからないガザへの道に行きなさい、と語られて、それに従いました。

そして、そこでも一人の人との出会いが与えられて、
彼がイエスを信じて洗礼を受けたとたんに、また違うところに導かれて行きました。

聖霊様に対する従順さ、ということを教えられます。

今、日本での予定を決めているところです。
祈りつつ、聖霊様の導きを求めつつ、
一つ一つ決めることができますように。

主よ、
あなたの語りかけに対しての敏感さと従順さを与えてください。
あなたに従って歩む者でありますように。

2011-09-04

神様のリズム。

日本の台風はものすごい大きな爪痕を残しました。
ハリケーン・アイリーンの洪水がひどかったとはいえ、
降った雨量は10インチ=250mm程度。
それでも本当に大雨ですが、
今回の日本の台風の大雨は、1800mmまでいったところがあるというのですから、驚きです。インチだったら70インチですか。
被害に遭われた方々が、「今まで経験したことがない・・・」と言っておられましたが、
本当にそうだろうと思います。歴史上なかったような大雨でした。
大切な方を亡くされた方々に慰めがありますように。
大きな被害に遭われた方々に立ち上がる力が与えられますように。


こちらは、今日は本当に蒸し暑い一日でした。
教会に行くときも、ちょっと遅れ気味で焦っていたせいか、
汗がダラダラ。
そして、教会に着いても、思い通りに行かないことがいくつもあって、
かなり汗がダラダラ+冷や汗。
教会はエアコンががんがんかかっているんですがね。
アメリカ人の教会なんで。


で、今週の大雨ですが、どうでしょうか。
先週の大雨で、水量が増えているので、
ちょっとした雨で川があふれるところもありそうです。


恐れていたLeeとKatiaのダブルパンチはなさそうですが、
Leeの影響はありそうです。


今夜はこれから雨。
明日も雷雨がありそうです。


先週ハリケーンのため、礼拝を一緒に守ることができなかったので、
今日は2週間ぶりにみんなで共に礼拝。
本当に幸いな一時でした。
思うのは、1週間に一回集まるのは、
神様のリズムなんだと。
創造の初めから、神様が定められて、
私たちのうちに組み込まれているリズムなんだと。


毎週の礼拝が喜びにあふれ、祝福に満ちたものとなりますように。


さて、最近の「日々のみことば」から。
金曜日に読んだところ、使徒行伝8:4-25。



「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。」4節。


すごいな。
迫害の中で、
身の危険さえ感じる中で、
神様のすばらしさを語った。

自分はできないなあと思わされている。

あの停電くらいで、ストレス貯めてちゃねえ。

でも、自分の力じゃないんだろうなあ。
神様がそれをさせてくださる。
神様がその力を与えてくださる。

それだけなんだろうな。

主よ、
私もどんな瞬間も、
どんなときもあなたの恵みを伝える器にしてください。
困難の中でも、あなたの福音を伝える者でありますように。

2011-09-03

主の栄光だけを。

台風はやはり四国に上陸となりました。
でも、先日のこちらのハリケーンと同じで、
中心から遠いところでも、大雨が降っています。


「中心がどこに行くか」というのは本当に大切な情報なんですが、
「遠く離れているから大丈夫」じゃないんです。
台風の東側では南風が吹くので、
温かい湿った空気が入って、
大雨になり易いです。


お気をつけ下さい。


今日メキシコでTropical Stormになった「Lee」くんも、
北側、東側で大雨が降っています。
で、先日は「干ばつに見舞われている地域に恵みの雨か」とも思ったのですが、
雨の範囲は西に広がらず、一番干ばつのひどいテキサスには降らなさそうです。


それだけではなく、その湿った空気の一部が、
もう雨はしばらくいらないこの北東部にまで流れて来そうです。
そして、東海上からは、「Katia」ちゃんも、接近/上陸する可能性も出て来ました。
それはホントに悲惨なことになりますので、避けてほしいものです。


さて、ちょっと息抜き。


ウチの女の子たちはホントに動物好き。
先日のハリケーン一過の月曜日も、
停電の中、ウチにいてもしょうがないし、
親子そろって休日なのは、学校の始まる前日で急がしい9/5を除けば、しばらくないかな、ということで、遊びに行こうという話になりました。


私は子供の時に「潮干狩り」に連れて行ってもらってから、
「〜狩り」が結構お気に入りで、行きたいのですが、
イチゴとかモモとかリンゴとかナシとかはアレルギーがあるのでダメ。
ぶどう狩りはこちらにはあまりないので、
「そうだ、シーズン最後のブルーベリー狩りだ」と提案したのですが、


シーン。


ということで、場を盛り上げようと、
年間パスを買った「Bronx Zoo」に行こう!と言ったら、
二人とも「行く行く」だって。


実際行ってみたら、月曜まではハリケーンの影響で休園だったんですけどね。
おまけに、ブルーベリー農園までの道も通行止めだったんですけどね。
結局電気のつかないウチでゆっくりしているのが正解だったみたいです。


ま、そんな子供たち、


アトランタではやっぱりパンダです。


ここは上野みたいな人だかりはできません。
(自分が子供のとき、カンカンとランランを初めて見たとき、ホントに遠くの方で黙々と笹を食べているのをちらっと見ただけでした。すごい人の波で、立ち止まることも許されませんでした)
新学期が始まった8月半ば、ホントにお客さんもいないです。
ぽつぽつ人がやってくる程度で、ほとんど「独り占め」状態です。


2年前に行ったのですが、
それで気に入って、今年も「行く行く」とういので、
行って来ました。


その時のビデオ。
上手にサトウキビの皮をむいて、食べていたのですが、






はい、パンダのLun Lun(メス)と目が合いました。
そしたら、舌をペロリ。
それがおかしくて、笑っていたら、目の前に歩いて来て、
踏ん張るじゃないですか。怒ってたのかな。


パンダのウンコ風景、初めて見ました。ハイ。


ま、それだけなんですがね。


で、気を取り直して、
最近の「日々のみことば」から。


一昨日までの数日間、使徒行伝の7章、ステパノの説教と殉教のところを読みました。


「しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っているイエスとを見て・・・」55節。


ステパノの説教でその場で悔い改める人はいませんでした。
それどころか、人々の反発を買いました。
はらわたが煮えくり返っていたといいます。

そして、ステパノが神の栄光を見て、神の右に立っておられるイエスを見て、
そのことを口に出したら、人々は怒りに満ちて、彼に石を投げつけたのです。

ステパノの態度、言葉は、人に配慮するものではありませんでした。
人を理解して、導いて行くものではありませんでした。

ただただ、主の語らせることを語り、
主を見上げていました。

それが彼を死に追いやりました。

彼は悔い改めた人を見ることはできませんでした。
人の人生が変えられて行くのを見ることはできませんでした。

でも、よかったのです。
彼はただ、主の栄光を見ていたのです。

そして、その姿を見ていたサウロが、必死になって迫害に乗り出したのは、
まるで自分が今まで大切にして来たものが、
このステパノが持っている信仰によって、崩されてしまうのではないかという不安を打ち消すためであったかのようです。

そして、彼は最後はイエスに出会い、悔い改め、福音を伝える者となり、たくさんの人々が彼の働きを通して救われました。

ステパノはそれを自分の目で見ることはできませんでした。

私たちが神様に従う時に、
必ずしも、自分が生きている間にその結果を見ることができないかもしれない、
そのことを覚悟していることの大切さを思わされました。

目先の結果に一喜一憂し易い私たちです。
本当に主の導きに従い、ただ主を見上げて歩ませていただきたいです。

主よ、
あなたの導きを見せてください。
人の反応や、目先の結果で物事を判断してしまうことがありませんように。
ただ、あなたの導かれること、あなたの命じられることをさせてください。

2011-08-31

祈りとみことばの奉仕

今日もいい天気でした。
本当に助かります。
あの大雨の後、天気が悪いと本当につらいですが、
いい天気が続いてくれるのが救いです。


洪水が起こっているところはそれでも、
金曜日とか、土曜日にならないと・・・という報道がなされています。
最低、来週の前半くらいまでは、この天気が続いてくれるといいのですが。


そして、今、人々の目は、
大西洋に新しくできたハリケーン「Katia」(カティアかな、アメリカ人も迷うみたいです)移っています。
でも、ホントに心配なのは、メキシコ湾です。
ここに「Lee」がこの週末に発生します。
そして、メキシコ湾をウロウロします。


ここにには油田がたくさんあって、精製所もたくさんあって、
ハリケーンがここに来ると、ガソリンが高騰します。
カトリーナの時には、本当にびっくりするくらいガソリンが高くなりました。
1ガロン2ドル代前半から3ドル台にジャンプしたんじゃなかったかと思います。
今は3ドル半くらいですから、ジャンプすると5ドルくらいに行っちゃうんでしょうか。


そして、そのLeeからの湿った空気が北上して、
こちらに大雨を降らせる恐れがあります。


なんとかそれて欲しいものです。
テキサスの方は干ばつで大変なので、
なんとか、そちらの方にたくさん雨を降らして欲しいものです。


さて、最近の聖書から、
8月28日日曜日は使徒行伝6:1-15を読みました。


「そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」4節。

「祈りと御言葉の奉仕」に集中することの大切さを思わされるこの聖書箇所ですが、
今まで、ちゃんと読んでいなかったのですが、
「祈りとみことばの奉仕」の「みことば」って何だろうなあ、
御言葉を読んだり学んだりすることだと思われているけど、
語ることなのかなあ、とか、いろいろ考えさせられて、
原語では「ロゴス」かなあ、と思わされて、ギリシャ語を読んでみた。

そしたら、やっぱり「ロゴス」。
「神のことば」なんだろうな、と思いました。

でも、それ以上の発見。

「祈りと御言葉」の奉仕、だとばっかり思っていたのですが、
そうではなくて、
祈り、と「御言葉の奉仕」なんですね。

「祈り」が一つの働きで、それに対応するように、
「御言葉の奉仕」がある。

この御言葉に仕え、この御言葉を味わい、そして、生き、伝えて行く。
その使命をいただいたことの重さを感じさせられました。

神様、
私が、本当に御言葉に仕える働きをする事ができますように。
御言葉に聞き、味わい、そこに生きることができますように。
それをことばにして伝える時に、
あなたのみことばが一人一人の心に届くように、
私が本当にあなたの御言葉に仕える者でありますように。

2011-08-30

準備ができるということ。

昨日、今日と、すごくいい天気が続いています。
湿度も低く、雨がたくさん降ったあと、
家の中の乾燥にも、地面の乾燥にもありがたい天気です。
もうしばらくこのいい天気が続きそうです。

でも、まだまだあふれている川があるとのこと、
ウチの近所の川は日曜日の昼間が一番水位が高く、
夕方には1mくらい引いていましたが、
それらの川が集まるもっと大きな川は、水位が上がるのに時間がかかって、
今、最高水位を記録しているようです。

被害に遭われた方々に慰めと支えがありますように。

電気もインターネットも回復して、
やっと落ち着いて更新できます。

ずっと、このハリケーンを経験している中で、
「ハリケーンが来るぞ」と準備をする事ができる幸いを感じていました。
水を汲んで、懐中電灯や携帯ラジオをわかるところに集めて、
携帯にいっぱい充電して、バスタブに水を溜めて、
もちろん、停電になるとそれなりのストレスはあるのですが、
何が起こっているかもわかりますし、
ある程度の対応もできます。

水があふれそうな川の近くには近づかないように、と思います。

木の下には車は停めないようにと思います。
暑い日には日陰のできる木の下が人気ですが、
こんな天気の時は木の下に停めないのが鉄則です。

そうやって準備ができます。
テレビがつかなくても、大体の状況はわかります。

それがどれほどありがたかったことか、
嵐の中で、のんちと何度も「準備ができるって恵まれているよね」と、語り合っていました。
あの震災の中で、皆さんはどんなに不安で、怖かっただろうかと思います。

情報も錯綜する中で、何を信じたらいいのか、と思われただろうと思います。

情報が与えれている中で、
準備をしっかりすること、
その大切さを思わされます。

さて、「日々のみことば」も分かち合いたいのですが、
ちょっと限界になったみたいなので、また今度。
おやすみなさい。

2011-08-29

停電中。

昨日は、インターネット接続が落ちていたのですが、
その後、夕方6時半頃復旧して、喜んだのもつかの間。
7時頃に停電して、そのまま24時間が過ぎました。

教会にくればすべて動いているのでいいのですが、
とりあえず、今夜はそろそろ帰って、休もうと思っています。

・・・と書いて、帰る前(10時半頃)に、一応確認、と思って誰もいない自宅に電話をしたら、呼び出し音が鳴っている!これは電気が戻った証拠。
ということで、また帰ってから書きます・・・。

・・・と言いながら、帰ってみたら、電気も戻っていて、感謝して喜んだのですが、30分もしないうちに、今度はケーブルが落ちてしまい、「TV+ネット+電話」の三点セットがダメになってしまいました。疲れ果てて、すぐに寝ました。

30日の朝ですが、無事にすべてが復旧しています。
でも、まだまだ復旧に時間がかかるところもあるようです。

復旧のために尽力されている方々に感謝。
まだまだ復旧に時間がかかりそうで、途方にくれておられる方々のために祈ります。

2011-08-28

信仰によって。

ハリケーンは衰弱しながら通過して行きました。
でも、我が家の気圧計でも950mbくらいを記録していたので、
中心気圧だけを見ると、それほど弱くなっていなかったのでは、と思います。
でも、風はそれほど強くありませんでした。


雨は夜ずっと強く降っていたようです。
近くの川はあふれていました。
我が家から教会までまっすぐいける道路は冠水。


我が家のケーブルテレビが落ちて、
同じ会社のサービスである電話とインターネットもダウン。
朝は携帯はつながっていたのですが、
9時半頃にはつながらなくなってしまいました。


なので、情報はラジオだけ。


でも、「おとなしくしていればこのまま過ぎ去るだろう」というところまで来ていたので、ブランチを食べて、10時半頃から、家族で礼拝。


新約聖書のヘブル人への手紙の11章1−16節を読みました。
信仰って何だろう、と思わされるところです。


「信じて従うこと」それに尽きるのかな。
そして「信頼すること」。
だから信仰は気持ちの問題じゃなくて、決断の問題であり、行動することだろうな、と思う。いろんな考えがあるだろうけれども、少なくとも、この聖書の箇所はそう言っている。


ノアのことをずっと思いながら一週間を過ごしていた。
どんなに「ばかげたこと」と言われただろうか?
でも、ノアは神に従って、箱船を造った。
そして、ノアは準備ができていたので、助かった。


今回のハリケーンのことで、「そこまで準備をしなければいけないのか?」とか「避難しなければいけないのか?」とか思った人々もいただろう。
でも、NYCの市長、NJ州の知事を初め、多くのリーダーたちが本当に決然とした態度で「甘く見るな」と言い続けた。


昨日も、テレビを見ていたら、「避難命令」が出ているのに、逃げようとしない人がインタビューに答えていた。「月曜日7時にはオフィスを開けるから」。ウォール街の金融関係者だ。ノアの時にもそんな感じだったと思う。


イエスも「準備をしていなさい」と世の終わりのことを話される時に、ノアの話をされた。「人々はそんなことは起こるはずがない」と思っていた。でも、その日が来た。


同じように、私たちが「神様に会う準備」をする事はどれほど大切なことだろうかと思う。それは、今日かもしれないし、明日かもしれないし、1週間後、1年後、10年後、20年後、50年後かもしれない。


だから、いつでも大丈夫なように準備をしていることだ。
それはノアにとっては箱船であったわけだが、
私たちとってはイエス・キリストの十字架。
私たちの罪の身代わりとして死んでくださったイエスこそ、私たちの救いだ。


そして、16節の「神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。」という言葉に心動かされました。


二人の娘たちを自分がどれほど誇りに思っているか(あ、息子もなんですが、ヤツは目の前にいなかったので)、でも、それを遥かに超えて、私たちを誇りに思ってくださっていると思うと、本当にうれしかったです。


今日の礼拝、みなさんと共に守ることができないのが本当に残念で、晴れ間が出て来た昼前には「大丈夫だったら、集まれる人だけでも・・・」と思わされるくらいで、「どなたかが来られても大丈夫なように」と、昼過ぎから教会に来ていますが、来る途中で、川の水があふれて通行止めになっていた道もあったし、倒れていた木もあったし、ちょうど礼拝の始まるくらいの時間から風が強くなって来て、今、2時半頃ですが、何度か「あ、停電するかも・・・」という「ブチ、ブチ」というのも起こっています。ですから、正しい判断だったんですね。


教会の皆さんのそれぞれの礼拝が祝福されますように。
そして、皆さんの一週間の歩みが守られますように。

2011-08-27

ニュージャージー日本語キリスト教会は8月28日のすべての活動をお休みします。

ニュージャージー日本語キリスト教会は8月28日の教会でのすべての働きを中止します。
聖歌隊練習、The BRAVE, BIG, 成人科クラス、礼拝後の予定等すべてありません。

それぞれのご家庭で礼拝をお守りください。
聖書はどこを開かれても結構ですが、
新約聖書のヘブル人への手紙の11章1-16節を読んで、
思いめぐらし、また家族で守れる方は語り合い、
祈る時を持ってください。

かなりの風雨が予想されています。
このような時には、くれぐれも冒険をなさらないで、
主の許で安らぐ日曜日を送られるようにとお勧めします。

2011-08-26

ハリケーン来るから。

今日はハリケーン接近のニュースで持ち切りです。
明日の夕方から、風雨が強まって、
明後日の夕方まで続きそうです。
もしかしたら、昼頃に峠を越すかもしれませんが、
今日の段階でそれを断定的にいうことはできません。

今回、本当に思わされているのは、
クリスチャンは、このような時に、
「最悪のために備えをすべき」と言われているのでは、ということです。

どこかで、「祈れば、ハリケーンからも守られる」
と思っているのかもしれません。
でも、それは単なる希望的な観測であり、
今までそのようなことがあったから、これからもそうだ、
と思い込んでいるのではないだろうかと思います。

ノアの方舟のところを今度の日曜日に話そうと思っているのですが、
(だいたい、礼拝ができるかどうかも・・・かなりむずかしいかと思いますが)
ノアは神様のメッセージを聞いて、
人々が「そんなことは起こりっこない」という洪水に備えて箱船を作りました。

今回の震災のこともあるからでしょうか。
本当に人々の力になったのは、
最悪を想定して、その中で自分のなすべきことをした人々でした。

今回、私はNYの市長の判断は正しいと思います。
何も起こらなかったら、それは喜ぶべきこと。
最悪を想定して、準備をしておこう、そのように思います。

2011-08-25

ハリケーン接近中。

今日は曇りで時々雷雨。
ちょっと蒸し暑かったです。


先週も結構雨が多かったようで、
庭の芝生にはキノコがニョコニョコ生えています。
これが食べられれば、それで食費が節約できそうなほど。


で、注目は今フロリダ沖を北上しているハリケーン・アイリーンです。
今はカテゴリー3。最大風速50m/s以上の大型ハリケーンが、
このあとノースカロライナの東端に上陸、日曜日には
NYC付近をカテゴリー2または1のハリケーンとして通過して行く予報が出ています。


NYC付近に来る時には、特別に強いハリケーンではなくなっているでしょうが、
何よりも直撃コースは珍しいので大騒ぎです。


大雨も、強風も、高潮も心配なようです。
詳しいことは明日にはわかってくると思います。


さて、今日は早速聖書。
今日は使徒行伝4章32節−5章11節。
「そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。」5章11節。

ここは神を欺こうとしたアナニヤとサッピラが裁かれたところでした。
神を甘く見てはいけない。
これは新約聖書の時代の、
イエスの十字架の赦しが高らかに証しされている時代の、
出来事でした。

どんなに神様の赦しがあるからと言って、
神を甘く見るようなことがあってはならない。
神を欺くかのような、
神の僕を欺くようなことがあってはならない、
そのことを思わされます。

神の前に恐れを感じるから、
罪を自覚しないでは、自分の弱さを自覚しないではいられないから、
初めて神様の愛がわかる。

神の前の恐れをいつもいつも持たせていただきたい。

主よ、
あなたの前の恐れを忘れることがありませんように。
あなたの前に、また人の前に、
真実に歩むことができますように。

2011-08-24

日常へ。

今日もいい天気でした。
でも、夜になっても今夜は涼しい感じはしません。
夜の12時前になっても23度。
明日は蒸し暑く、午後から雷雨になりそうです。


そして、ハリケーン・アイリーンですが、
ちょっと深刻な感じになって来ました。
強い勢力のまま、NYの東を通過し、ボストン方面を直撃しそうです。
ここら辺も日曜日は暴風雨になるかもしれません。
NYで珍しい地震の後は、NYで珍しいハリケーンです。


あまりひどいことにならないといいのですが。


12年前、フロイドが来た時には、もうハリケーンからトロピカルストームに格下げになっていて、強い風は吹かなかったのですが、大雨で電話交換機の施設が浸水して電話が通じなくなりました。


地震とは違って準備のできるハリケーンの襲来。
何があっても動じない、準備をしておかなければ・・・と思います。


さて、ここしばらく、あり得ないくらいたくさんのものが見つからなくて閉口していたのですが、今夜、集中して探したら、次々と見つかりました。トロントの修養会あたりからずっとバタバタしていたので、ゆっくり探すことができなくて、それでなんだか落ち着かない日々を送って来ていたのでホッとしています。でも、片付けはまだまだ・・・。日常へに一歩ずつ近づいているとは思うのですが。


で、もう一つ、2週間ほど前に、お金を払って交換してもらったMacbookのパワーコード。昨日、クレジットカードの「保証期間延長」のプログラムを調べて、電話をしてクレームをしておきました。そしたら、今日Emailが届いて、「承認」されたとのこと。早い!これもうれしかったですね。


明日は我が家でのんちのスモールグループ。片付けは「開かずの間」を作って、なんとか格好はつくかな。


さて、ちょっと飛びましたが今日の聖書。
今日は使徒行伝の4章13-31節。


「みなの者が、この出来事のゆえに神をあがめていたので・・・」21節。

自分の祈りの姿勢を考えさせられるところ。
私の祈りはこの神の栄光ということに集中しているだろうか。
人間的な慰めとか、人間的な成功とか、
表面的にうまく行く、ということを祈っていないだろうか?

誰かの癒しを祈る時に、
主の慰めを祈る時に、
それを通して、主の栄光を求めているだろうか?

また自分の人生の必要のために祈る時に、
家族のために祈る時に、
教会の誰かのために祈る時に、
それを通して、究極的には「神がほめたたえられること」を求めているだろうか?

自分の祈りの態度、祈りの姿勢、生きる姿勢、求めるもの、
すべて問われているなと思います。

神様、
私の人生の出来事、一つ一つを通して、
神様があがめられますように。
祈りをするときに、何よりもあなたがあがめられることを
真剣に求めるものでありますように。


週末のハリケーンで大きな被害が出ることがありませんように。
礼拝も予定通り、共に守ることができますように。
すべてがあなたの栄光のために用いられますように。

2011-08-23

ちょっとびっくり。

今日もさわやかな一日でした。
夜も昨日ほどは冷えずに、夜の11時に19度。
でも、このいい天気も明日まで。
明日は今日ほどはさわやかでなくて、
南風も入って、ちょっと汗ばむほどになりそうです。


そして、週末のハリケーン。
かなり現実味を帯びて来ました。
もうフロリダ上陸の可能性は小さくなって来て、
ノースカロライナに上陸して、NYの近くをほぼハリケーンの力を保ったまま、通過して行く可能性が大きいです。
ちょっと注目です。


今日はここら辺では珍しい「地震」が起こって、
大騒ぎになっています。
NJに来てから私自身が感じた地震は1回もありませんでしたし、
今までも起こっても「局地的」な地震でした。
でも、今回はバージニア州で起こった地震で、
言ってしまえば、東京で起こった地震を大阪で感じているようなもの。
そんなに広い範囲で感じる地震のニュース自体も19年間のアメリカでの生活で初めてだったと思います。


そのとき、家にいましたが、私は「あ、地震だ。珍しい。まだ揺れている、震度2止まりだな」と思っていました。日本で震度4までは何度も経験していましたから。でも、子供たちにとっては初めての地震。「何これ?」と結構慌てていました。


でも、その後の余震は全く感じませんし、
平常に戻っている感じです。
震源地から近いDCの方では被害のあった建物もあるようですが、
けが人もいず、日常が進んでいます。


日本の震災から5ヶ月あまり。
まだまだ日常が戻らないというか、あの震災の前の日常には戻ることはあり得ない、その多くの方々のことを思わされた午後でした。


さて、先週の聖書から。
使徒行伝の1章から読み始めています。


「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、・・・」8節。

イエスが復活されて、弟子たちは「いよいよ・・・」と思っていた。
そんな彼らにイエスは「待ちなさい」と言われた。
そして、聖霊が臨む時に、あなたがたは力を受けて、私の証人になる、と言われた。

聖霊様を待ち望む姿勢、
聖霊様に信頼する姿勢、
問われていると思います。

自分の準備や自分の知恵に頼り易い自分。
そうではなくて、聖霊様の導きに従順で、
聖霊様に信頼して歩ませていただきたいです。

主よ、
私も聖霊様を待ち望みます。
いえ、もう既にこのペンテコステの日以来、
教会に聖霊様が満ちあふれてくださっていることに感謝します。
聖霊様の導きに、信頼して、歩む者でありますように。

2011-08-22

10年。

昨日はすごい雨でしたが、夜のうちにすっかり上がり、
今日はとてもいい天気でした。
カラッとした、気持ちのいい晴れの日。
夜には気温もぐっと下がって来て、
今11時前ですが、18度くらい。
明日の朝は12度くらいまで下がるようです。
秋の気配ですね。


このいい天気は水曜日くらいまでは続きます。
そして、今ハリケーン・アイリーンがドミニカの北を西進しています。
フロリダに接近する恐れが強いですが、
進路によってはこの週末以降、北東部も荒れるかもしれません。


さて、昨日はサキの誕生日。
10歳になりました。


昨日は忙しかったので、今日お祝いをしました。
実は先週、アトランタで寄らせていただいたお宅でも覚えていてくださって、11日に17歳になったユキと、サキの誕生日をサプライズでお祝いしていただいていたのですが、今日は改めて家族で。






10年前、やっぱりJOY JOY Campが8月半ば。
確か「わくわくタウン」だったかな。


と思って調べていたら、リストがあったのでご紹介。





1996 神さまの船に乗ろう
1997 宇宙は広いぞ
1998 タイムマシン
1999 不思議チャレンジ
2000 宝島探検隊
2001 わくわくタウン
2002 めっちゃ好き!地球。
2003 Galaxy Express
2004 おもかじいっぱい、おもしろイッパイ!
2005 カラダだからダ
2006 ジャングルぐるぐる探検隊
2007 ワンダー博士の大冒険
2008 キラリンピック
2009 Heart Rock Café
2010 おどろき!なぞとき。探偵団。
2011 JOY JOY Facotry

そう、やっぱり「わくわくタウン」。
スタッフ的にはかなり毎日の翌日のための準備が大変だったような記憶があるのですが、教会のジムに街ができて、そこで毎日子供たちが課題をもらって買物をするというものでしたね。そして、『ホントはお金じゃ買えないものが大切なんだよ。そしてその中で一番大切なのは神様の愛なんだよ』という話だったと思います。どっかにビデオがあったので見てみようと思いますが・・・。
で、子供たちにはかなりインパクトがあったみたいで、今の高校生や大学生から「あれは楽しかった」という声をよく聞きます。


で、その「わくわくタウン」の年、出産間近になっていたのんちのお腹に向かって、
「まだだぞ、JOY JOYが終わるまでは出てくるなよ」と言っていました。


で、無事、金曜日にJOY JOYが終わって、「待て、日曜日まではダメだ」ともう少し言い聞かせて、日曜日の夜に「いいぞ〜、いつでも来い!」と言ったら、月曜日の午後に破水。


私は日本から来てくれた助っ人の女の子2人をNY観光に連れて来ていて、「帰ってきて、病院に連れて行ってくれる?破水したみたいだから・・・」と電話がかかって来たので、
「了解、すぐ行く」と駆けつけました。


その時に「何か食べ物買って来て!」と言われたのですが、当然自分のことを言われているのだと思って、「大丈夫、今食べたところだから・・・」と答えて、翌朝日本に帰る助っ人2人に上の子2人を任せて、何も買わずに病院へ。


で、あとで判明したのは「出産前に体力が必要だから何か食べたかったから、お願いした」そうで。


自分のことばっかり考えていた自らを恥じたことでした。


で、火曜日の未明に誕生。


あれから10年です。
サキが生まれて、母が日本から助けに来てくれて、
無事日本に送って、出産3週間経って、
のんちも平常の生活に戻ったその翌朝、
9-11の出来事が起こったのでした。


そう、あれからも10年が経とうとしています。


サキの存在を喜び、主に感謝するサキの誕生日が来るたびに「あれから何年」と思わないではいられない、これはずっと続くんだな、そう思うと、正直とても複雑な思いになります。でも、忘れてはいけない。決して忘れない。人が恨みを持ち、憎しみを持ち続ける時に、どれほど恐ろしいことが起こるのか、それを忘れない、そのために与えられている子なのかも、そう思わされます。


さて、このブログの主な趣旨である「日々のみことば」を読んで「日々の祈り」を書くというのを忘れないように、8月2週目の聖書の箇所から。


「王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を裂いた。」11節。

これは8月10日の聖書箇所ですが、
そこを読んだ時に、「自分は聖書のことばを読んで『衣を裂く』ほどの真剣さを持っているだろうか」と問われました。

聖書の基準と自分の生活が全然かけ離れていることに
痛みを覚えたり、衣を裂きたくなるほどの思いになっているだろうか、
もちろん、新約の恵みの中に生きている者であるので、
十字架によって赦されているのだが、
大体、その前に自分はその罪の深刻さがわかっているのだろうか、
もう一度問われたように思いました。

聖書を読んだときに、その基準と自分の歩みのとの間の違いに、衣を裂きたいくらい、罪深さを感じる時に、初めて、イエスの十字架の恵みの大きさ、その愛の大きさがわかるのだと思います。

もっともっと神様の愛を教えていただきたい、そう思います。

主よ、
私の心は聖書のことばを読んだ時に衣を裂くほどに、真剣でしょうか?
御言葉にまっすぐに向き合うことができますように。










2011-08-19

4日間。

またちょっとご無沙汰していましたが、
月曜日の昼頃出発で、息子を大学に送るためにアトランタへ往復して来ました。
向こうでもあまり皆さんにもお会いできず、
ニュージャージーの教会の方々、2家族だけご訪問して、
ちょっとだけ予定より早めに、今朝早く戻りました。

今回の3泊(行き1泊、アトランタ2泊)はキャンプ場でテントを張って自炊。
テントを持ち出すのも実に8年ぶり。サキはテントで寝た記憶がない、というほどの久しぶりのことでした。


準備不足+久しぶりでテントの張り方も忘れていたり、でちょっとバタバタして「ゆっくり祈りながら過ごした」とはいかなかったのですが、でも、非日常の3日半を過ごさせていただきました。

行きはハジと荷物を積んで、途中から、一人減って、荷物もぐっと減って、
帰ったら、「いつの間にかTVのチャンネルがESPNに変わっていた」ということも、
ソファでごろっとしているデカイ奴に「邪魔だ!座れ!」とお小言をいうことも、
・・・またしばらくないんだな、と。

「日々のみことば」についても、JOYJOY Campについても、もっと分かち合いたいのですが、今夜はこれくらいで。またあとでゆっくりと。

2011-08-15

JOY JOY Camp 感謝。

ホントにたくさんたくさん書きたいことがあるのですが、
体力的に、時間的に「何かを書く」というのは
twitterの140文字や、Facebookの「ちょっと」がせいぜいで、
こちらの更新はできないでいましたが、
とても楽しい4日間が終わりました。
そして、昨日の礼拝後、みんなで一気にセットを撤収。


キャンプ中はこんな感じで大活躍のセットでしたが、


みんなで解体。
今回、トンネル迷路用の段ボールはプリンストン日本語教会で再活用されることに。

すっかりきれいにして、お借りしている教会にジムをお返しすることができました。
いつもいつも、気持ちよく、場所を提供してくださるザイオン教会に心から感謝します。
私たちも、早く、自分たちの会堂が与えられて、地域の人々に仕えることができますように。


本当に多くの仲間が与えられて、今年も楽しくJOY JOY Campができたことを、主に感謝。この教会にはたくさんの「プリスキラとアクラ」(使徒行伝18:2-)がおられます。