2009-11-28

久々の・・・。

27日の夜は
NYフィルでした。






何年ぶりでしょうか・・・。


ムーティ指揮のNYフィルにお招き下さった方がいて、
のんちと3人で、NYフィルというか、ムーティというか、
楽しんできました。
もう、彼はかっこいい。「千秋先輩」よりずっといい。(笑)


ずっと思い出そうとしていていて、
やっとだんだん思い出してきたのですが、
ムーティを聞きに行くのも久しぶり。
そう、日本に彼が来た時、たぶんフィラ管を連れてきた時に、
奮発して聞きに行ったと思うんですよね。


そう、あれは、確か高校生の時。
アルバイトしてお金を貯めて、
行ったような気がする。
チャイコの6番「悲愴」。
華やかでした。そう、華があるって感じ。
重厚さとか、重々しさと言うよりは、華。
今日もそう思いました。


たぶん、日本人の感覚からすると、
ベートーベンはムーティじゃないんでしょうね。
でも、今日は3番。「英雄」。
元々ナポレオンを頭に描きながら作曲したのでしょうから、
華のある彼の指揮はまたそれでいいのだと思います。


そして、音楽もそうなんですが、
前をまっすぐ見据えて、
少し上を向いて歩く、姿勢の良さが、
とてもいい印象です。


今度シカゴの首席になるんですね。


でも、ナマプロオケも本当に久しぶり。
本当に楽しませて頂きました。
感謝。


ちょっとクラッシックがマイブーム(死語?まだ大丈夫?)になりそうです。

さて、11月24日(火)の聖書。
エズラ8:21-36。


「そこで、私はその所、アハワ川のほとりで断食を布告した。それは、私たちの神の前でへりくだり、私たちのために、私たちの子どもたちと、私たちのすべての持ち物のために、道中の無事を神に願い求めるためであった。私は道中の敵から私たちを助ける部隊と騎兵たちを王に求めるのを恥じたからである。」21-22節。

すごいですよね。
王に助けを求めることを恥じて、
神に助けをもとめて、へりくだって出た人々。

王の助けをもらうことが何で恥なのか。
どうして、そこまで神に頼れるのか。

本当に彼らの真実と、強さを感じます。

でも、彼らは王の助けを断ったが故に、
真剣に断食して祈りました。

それくらい、神に真剣に求めることの大切さを思わされます。

わたしたちは人に甘えて、
神に求めないことがどれだけあるでしょうか?

本当に主に求め、主から与えられて歩んでいく者でありますように。

主よ、
わたしたちはどれだけ人に甘えて、
あなたに真剣に求めていないことが、あるでしょうか?
あなたに求め、あなたが与えてくださることを、
見ていくものでありますように。

2009-11-27

敗北宣言。

はい、金曜日の昼前です。
今日の「雨のち雪」の予報ははずれです。
気象庁のスーパーコンピューターも、
AccuWeatherのHenryさんも、
お天気オヤジ・かきごおりも、
常識派に敗北しました。


今日は「曇りのち曇り」みたいです。


あとで、「日々のみことば」も更新しますが、
今は、「月報の原稿」と「礼拝説教」の準備中です。

2009-11-26

感謝、感謝。

トンネルの中で15分ほど待たされましたが、小さな事故があつたようで、その後は順調。

4時からのディナーは、
サンクスギビングとしては、
最高の40人。
たのしくすごしました。

感謝。


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Lincoln tunnel

中で完璧に止まってしまった。
3:10pm
すでに10分くらいこのまま。


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Thanksgivivgといえば。

Tのつくものですよね。




そう、「たこ」。
たこやき準備中。
1.5kgのをゆでました。

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2009-11-25

「自分でちゃんと言え!」

今日は一日どんよりとしていて、
午後からは霧雨が降り始めました。


この霧雨、英語ではdrizzle。
うまく発音出来ませんが、
なんだか、それっぽい音ですよね。
霧雨って、drizzle, drezzleって音で降ってきますから・・・(笑)


明日は雨も上がり、ソコソコ暖かくなりそうです。
そして、あさっては、「雨のち雪」・・・きっとね。
まだ、どの天気予報も私の説を採用していません。ハイ。
みんな後悔すると思う・・・。


今日の午後からは、明日のThanksgivingのために、
郷里に戻る人も多かったのでは・・・。
夜にNYから帰るバスはガラガラでした。


今回、たった3日なので、ハジは帰ってこないで、
アトランタの教会の牧師さんのお宅でお世話になることになりました。
同世代のお子さん達もいて、本当によくして頂いているようです。
クリスマスから新年の休暇は帰ってきます。
12月15日です。あと3週間。
ま、素直に「楽しみにしている」と認めておきましょう。


さて、感謝の第2回目。


今日は「自分でちゃんと言え!」事件。


小学校1年生と2年生の時の先生には、
本当にお世話になりました。
おじいちゃんの先生で、
鞭を持っていて、
忘れ物をしても、
宿題をしてこなくても、
漢字テストで間違えても、
音のするおならをしても、
おしりを鞭で打たれます。


ですから、いつも緊張感がありました。
そして、とても、楽しいクラスでした。


とても面倒見のいい先生でした。


ある日、学校に行こうと思って、教科書をそろえていたのですが、
どうしても音楽の教科書が見つかりません。
時間が来て、結局見つけられじまい、
母が「音楽の教科書が見つかりません。よろしくお願いします。」と連絡帳に書いてくれました。


それを持って、学校に行きました。
連絡帳を見た先生、音楽の時間に「この『よろしくお願いします』ってどういうことだ?おまえはどうして欲しいんだ?何をよろしくなんだ?」と聞いてこられました。


私は立たされて、なんて答えたらいいのかわからなくて、
べそかきながら、一時間、立っていました。


授業が終わったときに、
先生は「バカだなあ、『隣の人に見せてもらえるようにしてください』だろう?」とおっしゃいました。
「な~んだ」と思ったのですが、それまで、自分は「何でも親が言ってくれる、連絡帳に書いてくれる」と思っていたんでしょうね。自分のことは、自分で言わなければいけない、ということを先生は教えてくださったのです。


大人になっても大切なことだと思います。
誰かが気を回してくれる・・・気を配ってくれる・・・のを待っていることがどれほどあるでしょうか?
そして、誰も気を回してくれないと、「なんだ!」と怒ってしまったり、「愛がない」とか裁いてしまったり・・・。
その最たるものは例の「KY」ってヤツですよね。
空気を読め、なんて甘えです。
「以心伝心」「あうんの呼吸」も、私の嫌いな言葉です。
そんなことあり得ない。言わなくてもわかってくれ、なんて、甘えです。
まだ、日本の社会はそんなのが甘えが通用するのかと、びっくりします。
まあ、「言ってくれないとわからない」というも「甘え」なんじゃないか、っていう考えもあるんでしょうが、やっぱり「自分のことは自分で言え」というのは、この先生に教わった大切なことだと思っています。


自分のことは自分でちゃんと言う。
気を回してもらうことを待っていない。
大切なことを教えてくださった先生に本当に感謝しています。


さて、11月23日(月)の聖書。
エズラ記8:1-20。


「私たちの神の恵みの御手が私たちの上にあったので、彼らはイスラエルの子、レビの子、マフリの子孫のうちから思慮深い人、シェレベヤと、その子たち、およびその兄弟たち十八名を私たちのところに連れて来た。」18節。

この日も、「神の御手がわたしたちの上にある」シリーズですね。
この時は、神の御手があったので、
出会いが与えられている、ということでしょうか?

神様の与えてくださる出会い、
それを受け止めることの大切さを思わされます。
明日のThanksgiving Dayのディナーにも、
いろいろな方々が来られます。
私も初めての方もおられると思います。

その出会いの中に、
神様の御手があるのだと思うと、それだけでワクワクします。

主が与えてくださる出会いを、
思いっきり受け止めることができるようにと願います。

主よ、
一つ一つの出会いの中に、あなたの御手を信じます。
どうか、明日のそれぞれのThanksgivingの一時の中で、
その出会いが祝福されますように。
また、教会の一人一人が、その場その場で「祝福の基」となりますように。

Thanksgiving・・・。

今日(火曜日)は朝ちょっと雨がぱらついていましたが、
子供が学校に行く頃にはもう晴れてきていました。
晴れると、やっぱり暖かいですね。
でも、そういえるのも後2日。
その後はぐっと冬らしくなって来るみたいです。


金曜日の予報はかきごおり的には変わっていません。
「雨のち雪」。たぶんね。でも気温は高めなので、
やっぱり積もるような雪じゃないと読んでいます。はい。


さて、あさってというか、もう日付が変わっているので、
明日なんですが、木曜日はThanksgiving Dayです。
我が家も4時から「どなたでもどうぞ」のディナーです。
だんだん人数も増えてきました。
ホントにどなたでもどうぞですから、
このブログの読者の方でも、是非どうぞ。
お問い合わせは、左のコラムのcomplete profileから、その中のEmailをクリックして、メールください。


そんなことで、先週あたりから、
「感謝したいこと」をいろいろ考えています。
今年は今年一年ではなくて、
子供の頃のことから一つ一つ思い出しています。


照れくさいのですが、
今日から、いくつか、感謝を込めて紹介していこうと思います。


今日は「トロンボーン買ってくれ3階立てこもり事件」。
と思ったら、もうこれも2年半くらい前に一度書いているんですね。


コピペして、ちょっとペンを入れます。


中学でブラスバンドに入ってトロンボーンを始めました。
最初はどうでもよかったのですが、
やはり2年生、3年生と進んでいくうちに、
「マイ楽器」を買ってもらう仲間が増えてきました。
ドラムのヤツ、トランペットのヤツ、ホルンのヤツ、
そして、フルートの子、クラリネットの子。
伝統・・・っていうか、歴史が長いというだけなんですが・・・
がある学校だったので、
学校の楽器は古い。
でも、実績はないので、部には新しい楽器を買うお金はない。
学校の楽器は凹んでいたり、さびて、使っていると緑青が手につくような、
そんな楽器でした。


今考えると、そんな楽器でも使い込むといいのかもしれませんが、
そのころは「マイ楽器」を買ってもらったみんなのピカピカの楽器がうらやましくてしかたありませんでした。

カタログを見ては「欲しいなあ」とため息をつく毎日でした。
そして、ある時、親に言いました。
トロンボーンが欲しい、と。
「無理だ」と言われました。
泣きました。

そして、教会の3階に立てこもりました。
確か、日曜日の午後。

あんまりいじけて出てこないので、
部屋に親父がやってきて
「いくらくらいなんだ?」と聞いてくれました。

それで嬉しくなって、かな~り期待してこう言いました。

「一番安いので5万円・・・でも、ボクが欲しいのは10万円」
それを聞いて親父は「バカ!」の一言を残して部屋を出て行ってしまいました。

泣きました。
思いっきり泣きました。

そして、あきらめました。
無理だと思っていました。

うちは、よその家とは違うんだ、
小学校の時にオレに向かって、
「貧乏人には用がない」といったヤツがいたよなあ、
ホントにその通りだ。
オレは買ってもらえないんだ。
しょうがないんだと・・・。

でも、数ヶ月後、
親父に「中古の楽器があるけど見てみるか?」と聞かれました。
「バカ!」とだけしか言わなかった父ですが、

宣教師の先生に聞いてくれたみたいです。

そして出会ったのがマイトロンボーン1号。
親父が2万5千円で買ってくれたのです。



今考えてみると、
自分も中学生の子供に1000ドルのモノが欲しい!といわれたら、
「バカ!」と言うだろうなあ、
と確信を持って言ってしまいます。


感謝。


さて、11月22日(日)の聖書。
エズラ7:11-28。


「私の神、主の御手が私の上にあったので、私は奮い立って、私といっしょに上るイスラエル人のかしらたちを集めることができた。」28節。


ここら辺は何日か続いて、
「神の御手が私の上にあったので」シリーズですね。
神の御手があると、
元気が出てくる。


神様はそういう方。
神様の御手があるから、「元気が出ない」とか、
神様の御手があるから、「もうだめだと思う」ということはないと思う。


神様の御手がある、という確信は、
勇気を与え、元気を与える。


今、主の御手が私の上に置かれている。
そのように確かに言うことができる。


だから、安心して、勇気を出して前進していくことができる。
ありがとう。神様。


主よ、
あなたの御手が私の上に置かれていることに感謝します。
そのことを覚えると、そのことを知ると、
元気が出てきます。
どうか、私の歩みを守り導き、
愛と勇気にあふれさせて下さい。
これからも、いつもいつもあなたの御手を見ていくことができますように。



2009-11-23

主の御手が・・・。

さて、夜になりました。
雨が少し降っているようです。
この後、一週間ずっと余りスッキリしない天気のようです。


夜のコンピューターモデルでも、
金曜日の午後から夜は雪の予想ですが、
まだ、どこの天気予報を見ても、
雪を打ち出していませんね。


NY周辺のお天気キチガイたちは、
気象庁モデルに「いいぞJMA!」「行け!行け!」と声援を送っています。(もちろん英語・・・)


AccuweatherのHenryさんのページ


はい、先週の水曜日ですが、NYに行った時に、
タイムズスクエアのあたりでこんな看板に出会いました。
(赤信号でとまっている時ですよ、念のため・・・)



iPhone(一世代前)のカメラなので、
たぶん、拡大しても解読できないかも知れませんが、
真ん中の街灯のところに付いている看板読めますか?


根性のある方は解読して頂きたいのですが、
意味的には、「アイドリング3分で2000ドルですよ~」という警告です。
(英語忘れました・・・)


すごいですねえ。
2000ドルですよ。
絶対文句言う人いるでしょうね。
というか、これって請求された人いるんでしょうかね。
かなり脅かしみたいな感じです。


でも、こうでもしなければ、みんな規則を守らない、
というのは、本当にわたしたちが「お金に支配されている」ってことなんでしょうね。
私自身「本当に私の生活は神様に支配されているのだろうか?お金に支配されてはいないだろうか?」と考えさせられます。


交通違反で捕まっても、
罰金を払わされなければ、
なかなか懲りない。
それって、なにが自分の心を支配しているんだろうか?
「車を運転する者の責任感」ではなくて、
「お金」なのかなあと・・・。


「神の国と神の義とをまず求めなさい、そうすればすべての必要なものは満たされます」とのイエスの言葉を本気で信じていきたいです。


でも、この警告、いいことだと思います。
無駄な渋滞、無駄な大気汚染が、
だんだん好きになってきたNYCから駆逐されることを願います。


さて、11月21日(土)の聖書。
エズラ7章1-10節。


「彼の神の恵みの御手が確かに彼の上にあった。」9節。

主の御手が彼の上にある。
結婚の決断に導かれた聖書の言葉を思い出します。

主の御手がある。
主の守りがある。
だったら、恐れることも、逃げることも必要ない。
主は豊かに祝福して下さるから。
そして、多くの人々が、自分の人生を通して、
この結婚を通して、主のもとに導かれるから。

そのことをもう一度確認させて頂きました。
その使命をもう一度受け取って真剣に求めていきたいと思いました。

土曜日に読んだので、日曜日の祝福も祈りました。
今日、これを読みながら、日曜日だけではなくて、
一日一日の祝福を祈ります。

主よ、
あなたの御手が、わたしたち夫婦の上にあることを感謝します。
そして、教会の上にもあることを感謝します。
どうか、約束通りに御言葉を成就して下さい。
信頼しています。

祝福の基。

今日は何だか肌寒い。
暗くて、今にも雨が降りそう。
でも、気温は10度近くあるんですね。


今週の金曜日のsnowstormですが、
うーん、まだわからないのですが、
私は「木曜日の夜から雨で、金曜日の昼頃雪に変わる」かなあ、
と思い始めています。
コンピューターモデルは「ずっと雨」というのもあり、
「大雪」(実は日本の気象庁の全地球モデル)というのもあります。


わかりません。


4日後の天気が簡単にわかってたまるものですか!


でも、その夜メータ指揮のNYフィルにお誘い頂いていて、
たのしみにしているので、「大雪」はやめて欲しい・・・。


さて、今日は落葉かき(何回戦か忘れた・・・)。
今日集めに来るか、と思っていたのですが、
結局来ませんでした。


落葉かきながら祈っていました。
今日は、私は休日を頂いていますが、
今日も、多くの方々はお仕事に行かれているわけで、
時々、職場の人間関係や、仕事自体の内容に、
困難を覚えておられるお話をいろんな方々からお伺いして、
ずっと「守られますように」と祈っていました。


でも、今日はもっと積極的に祈ろうと思わされました。
ただ、いろいろな闘いから「守られますように」だけではなくて、
教会の一人一人がそれぞれの職場で、また会社全体で、
「祝福の基」となるように。
創世記の12章のところで、
アブラムに神様が約束して下さったこと、
今もわたしたちへの約束です。


「あなたは祝福の基となる」
(ハジの名前はここからとった。英語でも日本語でも「ハジ」だけど、ホントは「はじめ」で、漢字は「基」。)


今週はアメリカ在住の皆さんは、たぶん皆さん半分くらいしか仕事に行かない方が多いと思いますが、その中で、お一人一人が神様の祝福が流れ出す拠点になりますように、そのように祈らされました。


あなたがいるから、職場に笑顔があふれ、あなたがいるから、みんな気持ちよく仕事ができる、そんな歩みが、あなたの力ではなくて、神様の奇跡によって、実現しますように!


さて、11月20日(金)の聖書。
エズラ記6:13-22。


「これは、主が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。」22節。

この働きの背後におられる主を感じました。
あのエステル記の中で、
ハマンがモルデカイをおとしめようと一生懸命だったのに、
神は王様に眠れない夜を与え、
それで、モルデカイの手柄に報償を与えることを、思いつかせたのでした。

主が働かれるところに、
主が御業をなされるところに、
人間の思いを超えたことが起こる。
神を知らない人さえも主は用いて、
御業をなされる。

もっともっと神様の御業を
私の人生の中でも、
教会の歩みの中でも見せて頂きたいです。

主よ、
あなたがわたしたちの思いを超えて働かれることを、
もっともっと経験させて下さい。
あなたの勝利を見せて下さい。

2009-11-22

鬼のように。

今日もいい天気で、
朝晩はソコソコ冷えましたが、
昼はまあまあ暖かい、
11月にしてはいいかな、という天気でした。


というか、お天気オヤジ的には「つまらない」天気なんですが、
でも、助かります。


明日から水曜日までは大崩はしませんが、
時々霧雨や雨が降る、日が続きそうです。


木曜日の夜から金曜日は・・・???です。


また、明日あたり見えてくるかなと思います。


今日はたくさんの皆さんが教会においで下さいました。
礼拝も聖霊様が自由に働かれているのを感じていました。
いや、いつもそうなのかも知れません、わかりません。
祈って備えた礼拝でした。
求めて、期待して備えた礼拝でした。
でも、大切なのは、わたしたちの目がその働きに開かれつつあることだと思います。
わたしたちのチューニングが聖霊様の語りかけに合ってきているのだと思います。
私ももっともっと形から解放されて、
人の反応を恐れないで、聖霊様の導きに信頼して、
従っていこうと、思わされました。


礼拝後の愛餐会も楽しく、またにぎやかな一時でした。
JOYJOYシンガーズも、久しぶりの舞台+中高生がいない中での初めての舞台。
でも、本番はみんな集中して、心から一生懸命歌います。
楽しい一時でした。


でも、今日の礼拝で思わされたのですが、
やはりThanksgivingは表面的に楽しそうに見える人たちのためにあるのではなくて、
痛みや悲しみの中を通っておられる方々にとっても、慰めと解放を与えるモノとなるようにと祈ります。


そのような奇跡が毎週見られる教会となりますように。
これからクリスマスまでの間が慰めと癒しの満ちあふれる季節となりますように。


さて、11月19日(木)の聖書。
エズラ6:1-12でした。


「また、その必要とする物、すなわち、天の神にささげる全焼のいけにえのための子牛、雄羊、子羊、また、小麦、塩、ぶどう酒、油を、エルサレムにいる祭司たちの求めに応じて、毎日怠りなく彼らに与えよ。」9節。

タテナイがダリヨス王に訴えたことによって、
反対に必要なものが満たされていった。
これは本当に不思議なことだと思う。
神様のなさる不思議。

人間の計算の通用しない世界。
計算してやろうと思っても決してできないこと。

神様の自由な導きなんだろうと思います。
大きな祝福なのだと思います。

ただ、ただ、この主を信頼して、
この神様を信頼して、大胆に歩んで行かせて頂きたいです。

主よ、
すべての必要を満たしてくださるあなたに信頼します。
それも、あなたの不思議な方法で満たしてくださいますから感謝します。
あなたを信頼します。
どうか、あなたの御業を見せてください。
見てから信じるのではなく、見ないで信じる信仰をお与え下さい。

2009-11-21

主の目が注がれる。

11月の下旬にしては楽ですが、
それなりに寒いですね。
朝は3-4度、昼間は13-4度です。


明日も午後からの雨もなくなって、
いい天気みたいです。


月曜日からはちょっとぐずつき気味のようです。
Thanksgivingのsnowstormはうーん、ちょっと可能性は小さいみたいです。


さて、明日は1時半から、Thanksgivingの礼拝です。
そして、礼拝の後は、愛餐会です。





是非是非、近くの皆さん、おいで下さい。
楽しいです。


祈って準備しています。
礼拝も、愛餐会もとても、素晴らしい一時となりますように。


さて、11月18日(水)の聖書。
エズラ5:6-17。


「しかし、バビロンの王クロスの第一年に、クロス王はこの神の宮を再建するよう命令を下しました。クロス王はまた、ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取って、バビロンの神殿に運んで来た神の宮の金、銀の器具を、バビロンの神殿から取り出し、自分が総督に任命したシェシュバツァルという名の者にそれを渡しました。」13-14節。

これは、ユダヤ人の抗弁。
クロス王がこの命令を出したのです、
自分たちのしていることは正当なことなのです、
という弁論をしているのですが、
このような抗弁も、
5節にあったように、主の目が注がれていたが故に、
初めて意味があった。

人間の理論立った主張も、
ただ、神の守り、神の助けなしには何の力もない。
それを本当に感じさせられる。

明日の礼拝も人間の知恵の言葉ではなくて、
祈りと御言葉に支えられたメッセージを語ることができますように。
礼拝堂に入った瞬間に、神様の臨在が初めての方にも感じられるように、
主が豊かに働いてくださいますように。

主よ、
あなたを待ち望みます。
人間の知恵や理論も、
正当な主張も、
ただ、あなたの守りと助けがなければ、
何の力もありません。
あなたの導きを待ち望みます。
あなたが明日の礼拝も豊かに祝福してくださいますように。

御言葉によって立ち上がる。

今日も遅くなったのですが、というか、
もう土曜日の午前1時なのですが、
とにかく1回分更新。

外は5度です。
寒くなってきました。霜も降りるかも知れません。
今日(土曜日)は晴れて、いい天気の一日になりそうです。


日曜日から月曜日は雨。
そして、来週は寒くなりそうです。
Thanksgivingのsnowstormは、
「びみょう~」です。


可能性はあります。
いくつかのコンピュータモデルが、
ここら辺は雨か雪。
もう少し西の方で雪の予報を出してきています。
もう少し時間が必要みたいです。


さて、11月17日(火)の聖書。
エズラ5章1-5節。


「さて、預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの、ふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に、彼らとともにおられるイスラエルの神の名によって預言した。そこで、シェアルティエルの子ゼルバベルと、エホツァダクの子ヨシュアは立ち上がり、エルサレムにある神の宮を建て始めた。」1-2節。

民を立ち上がらせるのは神の言葉。
そしてそれを伝えるのは預言者の仕事。

人々が立ち上がるのは効果的なアジテーションではなく、
上手に人々をその気にさせることでもなく、
神の御言葉が語られること。
神の御言葉が語られる時に、
人々の心は奮い立たせられて、
立ち上がる人々が起こされる。

私にもその使命が与えられていると思わされています。
主が語られたことをストレートに伝えていく。
その責任を果たさせて頂けますように。

主よ、
あなたの与えてくださった使命と責任の大きさを思わされます。
あなたの言葉が人々を奮い立たせるのですから、
間違いなく、ストレートに語っていく者とならせてください。
そして、それ以前に、あなたのみ声を謙虚に聞いていく者とならせてください。

2009-11-19

また沈没。

はい、今日も一日、全て感謝。


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2009-11-18

どうして?

さて、10時過ぎに帰ってきましたが、
まだちょっと元気があるので、
もう一日分更新。


おととい、月曜日の聖書。
11月16日(月)はエズラ記4:11-24。


「彼らは急いでエルサレムのユダヤ人のところに行って、武力をもって彼らの働きをやめさせた。」23節。

日曜日のところとセットみたいなんですが、
神が御心によって始められたことが、
人々がそれに従ったにもかかわらず、
このように中断させられることを、
どうして神は許されたのか、疑問です。

神様が御心によって始められて、
人々がそれに応答して、従って、
だったら、万事順調にいく、と普通思うじゃないですか。

どうして、神は反対する者たちの働きを邪魔されなかったのでしょうか?

どうして、その企てを止めさせなかったのでしょうか?

わかりません。
納得いきません。

でも、納得いかないことがわたしたちの歩みの中にはたくさんある。
だから、わたしたちに必要なのは、「本当に自分は神に従ってきただろうか?」と自省する心と、
本当に従っているならば、ただ、神を信頼して、忍耐することだと思う。

自分に今本当に必要なのは忍耐だと思う。

主を信頼して忍耐する。
そこに立っていきたい。

主よ、
あなたを信頼申し上げます。
あなたの御手を信頼して、
忍耐します。
どうか私の心を守ってください。
いつもいつもあなたに従っていくことができますように。
忍耐ができなくて、あなたに従うことを止めてしまうことがありませんように。

主に従う道。

今日から3夜連続で夜が遅いので、
もしかしたら、更新の元気がないこともありかと思い、
追いつくことも目指して、水曜日の午後に更新。

今朝は結構冷えて、
少し霜が降りていました。
昼間になってどんよりして、
肌寒いです。


明日は曇りのち雨の予報が出ています。


さて、11月15日(日)の聖書。
エズラ4:1-10。


「私たちの神のために宮を建てることについて、あなたがたと私たちとは何の関係もない。」3節。

協力したいという人々が出てきた時に、
リーダー達は、それを受け入れなかった。
それは冷たい言葉のような感じがする。

でも、彼らは拒否された時に本性を現わした。
彼らは神殿の建設を邪魔しにかかったのだ。
それも、役人を買収してまで、邪魔をしたという。

わたしたちも協力したい、と言う人々が居る時に、
どうしてもそれに頼りたくなるし、
その人々とのよい関係を持っていきたいと思う。
でも、本当に注意すべきことだと思う。
その「協力」の本当の目的をしっかりと見極める目を持たなければならない。
冷たいと思われようと、「納得いかない」と言われようとも・・・。

そして、注意していたが故に、
14年間の中断を余儀なくされる。
どんなにつらかっただろうか?
自分たちの判断が間違っていたのではないかと思ったこともあっただろう。

でも、そういうことがあったとしても、主に従う。

主に従うことの厳しさと、
その判断について、やはり流されない強さと、
何かがあっても動じない強さを与えて欲しいと思いました。

主よ、
どうか、私の目をきよめてください。
正しい判断をすることができますように。
あなたにまっすぐ従っていく者とならせてください。

2009-11-17

NYはやっぱり楽しい。

10時半になりましたが、
もう一つ更新。
気温は更に下がって、3.4度です。


先ほどの宝探しはNJの話題ですが、
広い意味でNYと考えると、
ホント、NYはいろいろ楽しい。







こういうの1回でいいから出会ってみたい。
でも、もっとすごいのはこちら。





知らなかったら、「自分も何かやらなきゃいけないのかなあ」と
一緒になって踊ってしまうかも知れない・・・自分・・・。


さて、まだまだ追いつきません。
先週の土曜日、14日の聖書。
エズラ3章でした。


「こうして、主の宮の礎が据えられたので、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫んだ。」11節。

人々の喜びに心が向きました。
どんなに大きな喜びだっただろうか?

ただ、基礎が据えられただけだったのに、
それでも彼らにとっては大きな喜びでした。

苦難の中を通ってきました。
涙の谷を過ぎてきました。
荒野を旅してきました。

だから、彼らの喜びはどれほどだっただろうかと思います。

わたしたちの喜びは、苦難を通る時に、
ホンモノになるんだろうなあと思います。

だから、苦難も喜びになります。
苦難自体も、希望への土台になります。
苦難がない方がいいに決まっている、ということはないのです。

ものごとがトントン拍子に行く時に、
「神様は祝福してくださっている」と勘違いすることがあります。
神様の祝福は試練という包み紙に包まれてやってくる。
本当にそうだと思います。

だから、感謝します。

主よ、
あなたが与えられる試練にはいつもいつも意味があることを思います。
どうか、あなたの祝福を見せてくださって、
試練の意味がわかりますように。
でも、わからなくても、あなたを信頼していくことができますように。

宝探し。

夜になりました。
9時半を回ったところですが、
外は4度まで下がってきています。
明日の朝は久々の冷え込みとなるでしょう。


さて、いま、わたしたちの住んでいるニュージャージー州のバーゲン郡は
「宝探し」の真っ最中です。


家よりもちょっと北西に行った、Wyckoffという町の宝石屋さんが、
今週、開店30周年を記念して、合計200万円以上の価値のある宝石を、
隠していくそうです。


ニュースの記事(英文・・・こちらに袋の写真もありますから、近くの人は見ておいた方がいいかも)。


おもしろいですねえ。太っ腹ですね。


最初に見つけた人が「Diamond」さん、だなんて、これ本名なのかなあ。
それとも、匿名さん?
このダイヤモンドさん、車で走っている時に、白い袋を見つけたときには、
急ブレーキをかけて、孫がフロントガラスに頭をぶつけそうになったってんだから、また、これはすごいですね。神を知る喜びもそれと同じようなものだと、イエスは言われました。


「天国は、ある人が畑の中で見つけた宝のようなものです。 見つけた人は、もう大喜びで、だれにも知らせず、全財産をはたいてその畑を買い、宝を手に入れるに違いありません。」マタイ13:44。


宝石が見つからなかったという皆さんも、
見つかった!という貴重な経験をされた皆さんも、
次の日曜日は、教会でThanksgivingの礼拝と愛餐会です。
是非、もう一つの宝を見つけに、おいで下さい!
神様は宝石屋さんよりも太っ腹ですよ~。


さて、11月13日(金)の聖書。
エズラ記2章。


「一族のかしらのある者たちは、エルサレムにある主の宮に着いたとき、それをもとの所に建てるために、神の宮のために自分から進んでささげ物をした。」68節。

進んでささげものを持ってきた人々。
それがいいんでしょうね。
変なプレッシャーではなくて、
義務感ではなくて、
心からのささげものを持ってくる人々。

それが用いられるためには、
また紆余曲折あったわけですが、
それはまた「主にささげたもの」。
時間が経ったとしても、
願ったようなことにならなかったとしても、
そういうことも主にゆだねて、
とにかく進んで持ってきた人々。

主の御業はそれによって進んでいくのだと思います。
大きく主に用いられることを期待して、
1ブロックすべてを買った信仰の先輩達の遺産に
支えられている教会の存在も聞きます。

もちろん、モノを生かす人が必要で、
ノムさんが言っていたように、
「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」ということで、
その信仰の先輩達も、人を育てたのでしょうが、
「人を育ててくださる主」を信頼して、
自分のできることをしていくことがまた必要なんでしょうね。

主よ、
ささげる喜び、進んでささげる喜びに生かしてください。
その祝福をいっぱいに頂くことができますように。

「何が一番大事?」

火曜日の夕方、教会で新しいコピーマシン納品の待機中。


今日は昨日に比べるとぐっと冷えて、
とてもひんやりする一日です。
それでも10度以上はあるのですから、
昨日までが本当に暖かかったということですよね。


来週の後半、ちょうどサンクスギビングの日か、翌日頃、
Snowstormの可能性が出てきました。
はい、まだまだ先なので、毎日予報が変わるのですが、
さて、どうなるか、注目です。


日曜日には久しぶりの会堂候補物件見学でした。
教会が21年前に始まってから、ここまでずっと
現地の英語の教会の教会堂を借りてきています。
貸してくださっている教会に、ある程度の感謝献金をささげていますが、
本当に愛されて、支えられてきました。
大切な会堂を貸してくださるという、この援助なしにはここまでの歩みはあり得なかったでしょう。
Zion教会の祝福を祈ります。


でも、日曜日の朝のことなのですが、自分は今までどれほど、Zion教会の祝福を本気で祈ってきたか、近年どんどん集う方々が少なくなってきているZion教会の祝福をどれほど本気で祈ってきたか?ということについて悔い改めさせられました。「やがて、この会堂を買ってくれ、と言ってくるのではないか・・・」などという声が聞こえてきても、それに対して、はっきりと「そうではなくて、祝福を祈るべきでしょう!」と大きな声で明言してこなかった、いや、自分の中にも少しもそんな気持ちがなかったかと言えば、やはりなかったとは言い切れない、自分の愚かさも悔い改めさせられました。


そして、日本語教会の会堂のためにも、ずっと祈られてきましたし、
たくさんのささげものがささげられてきました。
この地に来られて、ここで礼拝をささげられた何百人という方々が、
どれほど祈り、どれほどささげものを積み立てられてきたか?


それでも、日本よりも教会として使う建物の基準
(駐車場の広さとか、前の道路の幅とか・・・)
がとても厳しい、この国で、その基準を満たす土地や建物を見つけたり、
許可を取ったりするのはとても大変なことです。


でも、主が導いてくださるならば、
すべては守られるでしょう。道が開かれるでしょう。


だからこそ、わたしたちが今目を留めるのが、
「神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば、それらのもの(必要なもの一切)は添えて与えられるであろう」というイエスの言葉であると思います。


神様が与えてくださるオマケの方に目を留めるのではなくて、
何よりも、「神の国と神の義」を求める。
神の愛が私たちの心を支配するように、
神の恵みがわたしたちの心にあふれるように。
感謝があふれるように。
わたしたちのお互いの関係の中に、神の愛があふれるように、
そして、神様に救われた喜びがあふれるように。
主に従う歩みをしていくことができるように。


オマケをもらうために「神の国と神の義」を求めるのではなくて、
本気で、神の支配を求めていく。


そのように求めていこうと思います。
そのように教会のメンバーの視点が主からずれないように導くのが牧師の使命であると思わされます。


さて、11月12日(木)の聖書。
エズラ記1章でした。


「そこで、ユダとベニヤミンの一族のかしらたち、祭司たち、レビ人たち、すなわち、神にその霊を奮い立たされた者はみな、エルサレムにある主の宮を建てるために上って行こうと立ち上がった。」5節。

やはり「主にその霊を奮い立たされる」と言うことが大切なんだと思う。
人の言葉ではなく、アジテーションではなく、
主がわたしたち一人一人の心に語ってくださって、
奮い立たせてくださる。
それがわたしたちの歩みを決めていくのだと思う。

だから、人間的な知恵に頼るのではなく、
神の知恵に頼っていきたい。

人間的な考えで、そして努力で、
何とか人を立ち上がらせようとするのではなく、
主が奮い立たせてくださるのを、見せて頂きたい。

人との会議ではなく、
主との会議を何よりも大切にして、
主が指揮者であることを信頼して、
一人一人に触れてくださるようにと、
一人一人を奮い立たせてくださるようにと、
祈らされる。

主よ、
どうか、今、私の霊を奮い立たせてください。
教会の一人一人の霊を奮い立たせてください。
あなたのみこころを見分ける目を与えてください。
あなたに御声を聞く耳を与えてください。

2009-11-16

子供たちの教育も楽しそう。

昨日、今日と暖かい日となりました。
でも、明日からは晩秋らしい涼しさになりそうです。
そして、来週後半からは冬になりそうですね。
サンクスギビングの頃には冷え込むものですが、
今年もそうなりそうです。


土曜日、ほぼ毎週弟子訓練のプログラムをもっているのですが、
おとといは本当に久しぶりに、一つのグループも持てずに、
時間ができました。


丁度、下の娘の日本語補習校の参観日と懇談会がありまして、
これは、「行ってこい!」という神様からの命令かと思って、
行って参りました。


先生と子供たちのやりとりを見ていて、
ちょっと羨ましくなりました。
やってみたいなあと思いました。


あちらこちらで、牧師さんが日本語補習校の先生をやっているという話を聞きます。
校長を頼まれた、なんて話も聞いたことがあります。
いろいろ苦労はあると思います。
楽しいだけではないと思います。
でも、楽しいだろうなあと思います。
今の自分の時間の使い方ではどうしても無理ですが、
そんな道も開かれないかと思い始めました・・・。


さて、だいぶたまってしまいましたが、
11月11日(水)の聖書。
ヤコブ5章13-20節。


「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。」16節。

これは交わりですよね。
交わりは「あそこの店が安い」とかそんなこともあるかも知れませんが、
本当は、罪を告白もできるような、
そういう者であるべきなんでしょう。
互いに、恥をも分かち合えるような空気。
そして、「私のために祈って欲しい」と言える勇気。

そう、日曜日の礼拝でもお話ししましたが、
「あの人のために祈りましょう」と言うことよりも、
「私のために祈ってください」と言うことの方が
数段難しいです。

自分を人の前に開かなければいけないからです。

自分の弱さを人の前に出さなければいけないからです。

弱さを見せたらつけ込まれる。
弱さを見せたら甘く見られる。
弱さを見せたら負け。

そんな社会に生きている私たちにとって、
とても勇気のいることだと思う。

でも、主は教会にそれを求められる。
私から始めて行こうと思う。

主よ、
本当の教会を築かせてください。
本当の教会を建て上げさせてください。
信仰を土台にした、
あなたを中心にした、
交わりを経験させてください。

2009-11-15

再び連敗中。

今年何回目かわかりませんが、
連敗中です。

元気でやっています。
でも、優先順位の問題で、
今夜ももう寝ます。

今週一週間が神様の守りの中に支えられた、
主のいやしに満ちた週になりますように。

2009-11-13

忍耐と信頼。

今日はNorth Carolina沖の低気圧の影響で、
風が強くて、時々雨の降る肌寒い一日でした。


この低気圧、元々はカリブ海からメキシコ湾へ進んできたハリケーン・アイダです。
フロリダに上陸した後、大西洋に抜けてから、停滞して、昨日は、NCから、バージニアにかけて、かなりひどい天気だったようです。


明日はだんだんこの低気圧が東に進んでいくので、天気はだんだん回復傾向だと思います。


今朝はまた祈りに導かれて、幸いな時を持ちましたが、
またその話はもう少しこの先展望が見えてきてから・・・。


さて、11/10(火)の聖書。
ヤコブ5:7-12。


「あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。」8節。

忍耐・・・本当に自分に必要なものだと思う。
でも、何で忍耐出来るかというと、信頼しているからなんだと思う。
人を信じているから。

でも、人の弱さも知っている。
「あの人が・・・どうして?」ということもしばしば経験してきた。
そのなかでそれでも忍耐出来るかというと、
それはもう神様しかいない。
神様を信頼するしかない。

というか、神様をもっともっと信頼したら、
もっともっと忍耐を持って歩めるのに・・・と思う。

ある友人は言った。
「人を信じるのではなくて、その人の中に注がれる神の恵みを信じる」と。

そして、「信じてよかった」という経験をしたと。

自分もそういう経験をしてきたのだと思う。
主の恵みをもっともっと信頼して、
その信頼故に、人を信頼して、
忍耐をもって歩んでいこうと思う。

無責任な信頼ではなくて、
信頼して無関心になってしまうのではなくて、
真剣に神の奇跡を祈って、求めて、
それ故に信じて忍耐していく、そのような者になりたい。

主よ、
あなたを信頼します。
でも、忍耐がないのは本当の意味で信頼していないのかも知れません。
信頼することを、その喜びを、そして、忍耐することの幸いを経験させてください。

2009-11-12

まだまだ知らないNY。

いやあ、昨日はVeterans Dayで図書館が休みで、
別にいくらでも生き延びる方法はあるんでしょうが、
いつもと違うのが、こんなに戸惑うことなのか、と思いました。


意外と(?)柔軟性がないんだと思わされました。


昨日の写真にあったように、
図書館の前の通りはパレード。


仕事が休みだった方々は少なかったと思うのですが、
たくさんの方々が沿道で声援を送っていました。


そして、昨日ある方から伺った、
NYの楽しみ方、一つ。


NYのオペラと言えば、メット。
昔は、スカラ座とメット、そして、ウィーンの国立歌劇場が世界を代表するオペラハウスだったとおもいますが、今はどうなんでしょう。


日本で公演をすると何万円もするんでしょうが、
20ドルで、オーケストラ席(1階席)が買えるというのです。
rush-ticketというプログラム
篤志家のお金持ちの方が、月曜日から木曜日まで、
一部の例外の日があるようですが、
200枚20ドルで買えるようにしてくださっているそうです。


実は、というか、もう何回も書いていますが、
高校時代はオペラを毎年やってました。(オケの方)


ですから、オペラは好きなんですが、
メットはこの15年でまだ1回。
でも、20ドルだったらちょくちょく行けそうですね。
問題は早い時間から並ばなければいけないことですが、
それでも、年に1回か、2回かは何とかなるかも・・・。


さて、昨日もある方とお話ししながら思わされました。
自分がどれほど神様に愛されているか。
それを覚えること、思い出すことが、どれほど自分に力を与えるか?


教会の人はもう暗唱出来るくらい聞いておられると思いますが、
リンクを貼っておきます。


証の
第8章
第9章
第10章


さて、11月9日(月)の聖書。
ヤコブ4:13-5:6。


「主のみこころなら・・・」4章15節。

わたしたちはいろいろ自分の考えで、計画を立てます。
でも、わたしたちの人生は主の支配の中にある。
ある時には神様がわたしたちの生活に介入されて、
本当の主人は誰なのか、わかるようにして下さる。

礼拝でもお話ししました。

無理矢理でも十字架を背負わされることがある。

それと共に、自分から「神こそ、私の人生の主である」と宣言することもできる。
宣言した生き方をすることもできる。

「主のみこころなら・・・」ということは、
それを宣言すること。それを認めてスタートすることです。

主が主であることを宣言すること。
信頼しているが故に、主を主として生きることです。

主よ、
あなたを主として歩んでいきます。
言葉だけで終わるのではなく、
あなたが私の主であることを、宣言する生き方をさせてください。

2009-11-11

久々の沈没

今日は図書館がしまっていたので、ちょっと疲れたかな。

おとなしく寝ます。

では。


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知らなかった。

今日は、ベテランズデー。
退役軍人の日。


NYで一日過ごしていますが、
図書館は休み。

定位置なんですなんですがね。

パレードやっていました。



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2009-11-10

求めることと受け入れること。

今日も暖かかったです。
でも天気は曇りがち。
雨が降ると言っていたのですが、
降らないですみそうですね。


この間の日曜日、
朝教会に行って、礼拝のために祈りながら、
「知恵のない者は、惜しまず与える神に祈りなさい」
という、ヤコブの手紙の1章の御言葉が心に響いてきました。


そこで、自分の「ないもの」を求めようと思いました。
その時に心に一番先に浮かんだのは、
「人の顔を覚えられない」というほとんど病気じゃないかとおもうほどの、
弱さです。
一番、自分でショックだったのは、
このドラマの主人公と、
このドラマの主人公が同一人物だとわからなかったこと。


「ピュア」の方を見ていたときに、
のんちに「絶対『夏子』と同じ人だよ」と言われても、
「いいや、あり得ない、全然違うじゃん!」と言い張っていたのですが、
キャストのテロップを見て、愕然。


髪型とか、変わるとホントにわからなくなってしまうんですよね。


時々、「何百人教会にメンバーがいても、名前と顔が一致する」という方の話や、
「赴任前に写真を見て、顔と名前を一致させて初めての日曜日に臨んだ」という話をお伺いすると、
自分はなんてダメなんだと落ち込みます。


JOYJOYキャンプの子供たちやご父兄の方々に
他のところで会うと、「えっと、お名前は・・・」なんて失態もあります。


で、ある意味、あきらめていました。
でも、「知恵の足りない者は祈って求めよ」という聖書の言葉を読んで、
求めようと思いました。
主が助けてくださいますように。


現状を「受け入れる」ことの大切さも思わされますが、
それ以上に「祈り求める」ことを大切にしていこうと思います。


さて、11月8日の聖書。
ヤコブ4:1-12。


「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。」2-3節。

本当に求めることの大切さを思います。
そう、日曜日、ここを読んで祈っていたので、
上に書いたようなことを思わされていました。

自分はちゃんと求めているんだろうか?
そして、何を求めているんだろうか、
どんな動機で求めているのだろうか、
心が探られるような思いでした。

「神の国と神の義とをまず求めなさい」
それを本当に生きる者でありたいです。

主よ、
あなたが与えてくださる祝福に感謝します。
もっともっと求めて、
あなたに豊かに与えられる者でありますように。

2009-11-09

「いやし」か「リフレッシュ」か。

このあいだの「ためしてガッテン」
録画して今日見ました。
テーマは「疲労」でした


で、上のリンクで読んで頂けるといいのですが、
お風呂に入ったり、運動をしたり、そして、栄養ドリンクを飲んだりするのは
そういうことは、疲れを取るのではなくて、
疲れを「感じなくさせている」だけなのだということです。


つまり疲労を「いやしている」のではなくて、
気分を「リフレッシュ」して、疲れを感じなくしているだけと。


だから、そこで疲れが取れたと勘違いをして、
「リフレッシュ」したからがんばろうと、がんばってばかりいると、
疲れがたまって、倒れてしまう・・・と。


教会のあり方を考えさせれました。
「元気が出る」ことも大切なことです。
でも、それ以上に「疲れがいやされる」ということが本当に大切なんだと思わされました。


教会という場で、
疲れたのに、疲れを感じさせないように、カンフル剤を打って、
そして、「やるぞ~」と思わせて、疲れを感じさせないようにしていることがあるのではないかと思います。


疲れてもいいんですよね。
なんか、教会で疲れることの恐怖症みたいな、
疲れていることを認めることは敗北であるかのような、
そんなことがあるのかもしれません。


イエスは「疲れている者は私の元で休みなさい」と言われました。


私自身、主の御許で休むことができますように。
そして、見せかけの元気ではなくて、本当の元気を頂いて、
歩んでいくことができますように。




さて、あとすこしですが、
11月7日(土)の聖書。
ヤコブ3:13-18。


「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」17節。

本当の知恵って何だろう?
上からの知恵。

でも、わたしたちは日常的に、
この上からの知恵ではなくて、地上の知恵、
世の知恵、神なき知恵、神を排除した知恵にどっぷりつかっている。

だから、わたしたちは気をつけていないと、
世の知恵を神様からの知恵と思い込んでしまって、
それにちょっと信仰のスパイスだか、ふりかけだか、フレーバーだかを、
足して、「上からの知恵」と呼んだりしていないだろうか?

本当にまるまま、主からの知恵に満たされて歩もう。
その知恵に動かされて歩もう。
主が与えて下さる知恵を待ち望もう。
祈っていこう、知恵を与えて下さい、と。

主よ、
私に、あなたからの知恵を与えて下さい。
その知恵をもって、人々に仕え、
それを通して、人々を導いていくことができますように。

これも情熱・・・かな。

月曜日は休日を頂いているので、
こういうのもたまにはいいでしょう。





すごいですね~このお店のおじさん。
めちゃくちゃいい味出しています。


でも、やっぱり半端じゃない情熱ですよね。
すごい情熱なんでしょうけど、
とぼけた雰囲気がすごい。


何事も情熱。


神様がわたしたちに注いでくださっている情熱。
ある時には熱く、ある時にはいい味出してくださっています。


そこに敏感に答える感性を持たせて頂きたいと思います。


さて、今日2回目の更新。
11/6(金)の聖書。
ヤコブの3:1-12。


「泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。」11節。

舌の問題、つまり口から出る言葉の問題を取り扱っているのですが、
やはり舌の問題は心の問題ですよね。
やっぱり、いざというときには本当のことが出てくる。

だから、「言葉だけ気をつけていよう」じゃないんです。

いったい、自分は自分の言葉の重さがわかっているだろうか?
そして、自分の取る態度の重さも。
そう、言葉よりも、言葉以外の表情だとか、仕草だとか、声色だとか、
そういうものによって伝わるもののほうが、圧倒的に多いと言います。

だから、私の心が守られますように、
そのように祈らないではいられません。

そして、また、教会の一人一人の心が守られますようにと。

主よ、
どうか、私の心がきよめられ、整えられ、
愛に満たされますように。
心からの愛に満たされますように。
そして、私の心と態度と行動が、あなたの愛を表すものとなりますように。

豊作

庭掃除をやりましたが、
今年はどんぐりが豊作です。
かくのも大変ですが、
放っておくと、春に芽を出して大変なことになります。






食べられればいいんですがね。


今日は本当に暖かくなりました。
20度を超えました。


明日も、今日ほどではないと思いますが、暖かいでしょう。

礼拝のメッセージを語らせていただいたあと、一人一人にどのように届いたか、気にかかるものです。何の反応もないと、心配になるものです。つたわらなかったのだろうか、と。


でも、昨日の夜、ある方からメールをいただいて、本当に励まされました。主が確かに御業を進めておられました。


伝えることの大切さ、つくづく思わされます。自分は決していいコミュニケーターではないのですが、そこに甘えず、だからこそ心がけてコミュニケーションを持っていこうと思います。

11月5日木曜日の聖書。
ヤコブの手紙2:14-26


「彼の信仰は彼の行いと共に働きいた」22節

信仰は、思いだけではない。
心だけの問題ではない。

行動にならないと、それは信仰ではない。いや、信仰なんてもともとなかったのだ。

気持ちがあればいいなんて欺瞞だ。

自分はどうだろうか?

行動が伴っているだろうか。
思っていても、一歩踏み出すことができないこともある。
でも、それって、やはり信仰がない、ということなんだと思う。

み言葉に従う者になろう。


主よ、
信じたように行動する信仰をお与えください。
勇気をお与え下さい。
愛をお与え下さい。

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2009-11-08

「聖徒の交わりを信ず。」

この言葉を毎週の礼拝で、告白します。
教会によっては、新しい方に配慮して、
信仰告白を礼拝に入れない教会もあると思います。


でも、私はどうしても礼拝には信仰告白を入れなければ・・・とこだわっています。
教会はこの信仰を中心にして集っているからです。


その中に、「聖徒の交わりを信ず」という言葉があります。


いろんな解釈があると思います。
いろんな意味があると思います。


タダ祈っていれば、神様を通して、全時代、全世界のクリスチャンとつながる、それが「聖徒の交わり」だという人もいますし、昔のカトリックでは、「聖人の功徳」の余った分をもらうのが「聖徒の交わり」だと言っていました。


そんな中で、この間の日本で参加したセミナーでも、そうですが、
もっと前からも、本当に心が触れあうような語り合いや祈り合いの大切さを思わされています。
心を開いて、語り合い、祈り合う、そのようなものを求める心の叫びを、
自分の中にも、また教会の方々にも、見ます。


神様から、人はそのように作られたと信じていますし、
またヨハネがいっているように、「互いに愛し合う中に、神がおいでになる」というのも本当だと思います。


わたしたちが信じている「聖徒の交わり」のリアリティーが、
教会の中に実現しますように。
そのようなところに導かれる方々が更に起こされますように。
そのような渇きを覚えている方々に、満たされる経験が与えられますように。


今朝は冷え込みがゆるんで、昼間は暖かくなりました。
夜になっても、7度くらいあります。


明日もう一日暖かいようです。
貴重な暖かな日ですね。


皆さんはこの週末、落ち葉かきで大変だったようですが、
週末に落葉かきができない私は明日が勝負です。


さて、11月4日(水)の聖書。
ヤコブ2:1-13。


「自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行いなさい。」12節。

「自由の律法」。
それは内側からあふれてくる神様の従う思い。
神様に従いたくなって、従う思い。
「愛」ということもできるかもしれない。

「日々のみことば」では、
「キリストの贖いを受けた者が真の自由から、これを行おうとするものです。」とあります。

本当に救われた喜び、
イエスの愛を知った喜び、
それによって動かされて、主に従う者とされる。
そういうことなんだと思う。

だったら、やっぱりもっともっと神様の愛を知らなければ・・・。

もっともっと神様の愛されている喜びに満たされなければ・・・。

主よ、
もっともっと喜んで主に仕え、
もっともっと喜んで主に従う者となれますように。
そのために、もっともっとあなたの愛に目が開かれますように。
もっともっと、あなたの素晴らしさがわかりますように。
あなたが共にいて下さることがわかりますように。

2009-11-07

バリ霜。

いやあ、今朝は家を出ようとしたら、
フロントガラスがバリバリに凍っていました。


初霜なんてもんじゃない。
って、別に初霜がバリバリでも何の不思議もないんですが。


ほんと、ガリガリに凍っていました。
で、今、最低気温を確認したら、
なんと-2.3度。
東京だったら、何年かに一回の冷え込みですよね。


今夜はそこまでは冷えないようです。


そして、明日は暖かくなるそうです。


昨日から読んでいる「舟から出て、水の上を歩いて・・・」から。


「私が成長する限り、恐れは決して、消え去らない」


成長するためには、恐れを感じないではいられないようなところに、
あえて、足を踏み出していくことが大切なんだということだと思う。
恐れなんてなくなるのでは・・・と思っていた。
でも、恐れは成長している限り、成長をする歩みをしている限り、
決して消え去らない・・・と。
そうなのか。では、恐れないで、恐れを感じるようなところに踏みだしていこう。


さて、11月3日(火)の聖書。
ヤコブ1:19-27


「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。」22節。

御言葉を実行する。
それはある意味、その御言葉に一日支配されることだ。
ずっと支配されることだ。

丁度鏡を見て、そこを離れたら、自分の顔を忘れてしまう人のように、
「あれ、今朝はどんなことを思わされたんだっけ?」
という風になってしまうのではなくて、
その御言葉が一日中自分の心を支配しているような状態。

そのように生かして頂きたいと思います。
今日も、そのように歩ませて頂きたい、
明日もそのように歩ませて頂きたい。
そして月曜日も・・・。

主よ、
御言葉を実行する者とならせてください。
あなたの御言葉に一日中支配されているような、
そのような歩みをさせてください。
あなたの愛が、今夜も、明日も、明日の夜も、
そして、月曜日も、支配し続けますように。

2009-11-06

絶対マイ初霜宣言。

自分でも何をこだわっているのかと思いますが、
今朝もマイ初霜はありませんでした。
朝は2.8度。
ちょっと風もあったので霜もおりませんでした。


霜は風があると降りません。
だから、お茶の産地など、春に遅霜が心配される時には、
巨大扇風機を回して風を送り、霜が降りないようにします。


どうしてか?どうして風が吹くと霜が降りないのか?
今朝みたいな温度だと、風が吹いていないと、地表の熱はどんどん奪われ、
地表あたりの温度だけぐっと下がるので、氷点下になるので霜が降りる。


では、真冬のように空気全体が氷点下の時はどうか?


やっぱり風があると霜はできにくい。
空気中の水蒸気が急激に冷やされて昇華して、氷の結晶を作るのが霜だから、
風があるとそれがなかなかできないんですよね。


そこら辺のメカニズムはちょっとわからなくなっていくので、
余りいい加減なことは書かないようにしておきますが、
とにかく、「風があると霜は降りにくい」です。


で、今夜は冷えて、風も弱まりますから、
明日の朝は、絶対マイ初霜です。


今は10時前ですが、既に1.3度まで下がっています。
もう、明日の朝はマイ初霜に加えて、マイ初氷も確実な勢いです!


昼間は晴れますが、気温は低いでしょう。


でも、日曜日からは暖かくなるみたいですよ。


日本での携帯電話の請求書、
今日インターネットで確認出来ました。
やはりデータ通信は「日割り」なんですね。
ですから、請求金額も半分くらいならば、
それに含まれるデータ通信の許容量も半分くらい。
結局50MBの契約を半月したことになるので、
27MBしか使っていないのに、ちょっとオーバーで、
15ドルくらい超過料金を払うことになりました。


そして、電話は、アメリカにかけるのも、
日本にかけるのも国際電話料金はかからないみたいです。
ただ、ローミング料金は1分$1.69かかるので、
ちりも積もれば・・・で、けっこうな金額になりました。


テキストだとローミングだと1本50セントで、一見そっちの方が安く感じますが、
これも、1会話で4回のやりとり、それがたとえば「OK」だけでも、
1回50セントで、全部で2ドルだとすると、それも決して得ではありませんからね。


さて、11月2日(月)の聖書。
月曜日はヤコブ1:12-18。


「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」12節。

またまた「忍耐」なんですよね。
本当に大切なことだと思う。

そして、本当に自分にとって必要なことだと思う。

堅く立っていく。
主が与えてくださっている試練の中で、
堅く立っていく。

我慢をするのではなくて、
下を向いてじっとしているのではなくて、
主を信頼して忍耐をしていく。

これは強いことなんだ、
これは勇気がいることなんだ、
そう思う。
でも、それと共に、とても楽なことなんだ、
とても、自由なことなんだ、
それも思う。

忍耐が自分の品性の一つになるほどまでに、
そこにこだわっていきたい。

主よ、
あなたのことを信頼します。
信頼して忍耐します。
どうか、あなたの守りの中で生かしてください。

2009-11-05

ここに導かれて。

今日は寒くなりました。
特に夕方ちょっと雨が降って、
その後ぐっと冷えています。
今、10時半で5度。
どんどん下がっているので、
明日の朝こそ、My初霜になりそうです。


明日は晴れますが、寒い一日でしょう。
土曜日も冷えて、暖かくなるのは日曜日。
これから暖かくなったり、冷え込んだりを繰り返して、
今月末には雪が降るようになると思います。
今年の冬は、ズバリ、寒い冬だと思います。


覚悟しておきましょう。


さて、今日は我が家での家庭集会の日。
聖書を読む前に、皆さんがアメリカに来ることになった時のこと、
そして、実際に来てからの歩み、
少しずつ伺いました。


今日の参加者の皆さんは割合、来たかった方々が多かったみたいで、
皆さん積極的な発言が多かったのですが、
私自身も来ることにはためらいもありましたが、
ここにいること、特にこのNJにいることの中に、
神様の特別なお計らいを感じます。


でも、今日は余り出てこなかった、
痛みの部分、「こんなはずじゃなかった」という部分も、
誰にでも必ずあるはず。
でも、それも、すべて主の御手の中で、
「神の御業があらわれるため」だということが、
見えてくるんだ、それがわたしたちの癒しだし、救いだと思います。


私も集会のために聖書を読んで準備しながら、
心にあるこだわりがまた少し溶かされていくのを感じました。


さて、11月1日(日)の聖書。
ヤコブの手紙1:1-11。


「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。」2-3節。

信仰が試されると忍耐を生じる。
忍耐が問われる場面がいろいろあると思わされます。

ヘブル人への手紙の10章にも、「あなた方に必要なのは忍耐だ」と言われています。

自分にもどれほど忍耐が必要だろうかと思います。
そのために主は試練に会わせてくださるのだと思います。
そしてもっと祈るようにと招いておられるのだと思います。

私のような人間はものごとがうまく進むと祈らなくなってしまうでしょう。
そして、祈らなくてもものごとが進んでいくように勘違いしてしまうでしょう。
背後にどれほどの祈りが積まれているのかも、気がつかないで・・・。

ですから、試練はやはり必要だし、ありがたいものだと思います。

もちろん、もっと厳しい試練がやってきた時に、
「ありがたいものだ」と言い続けることができるかどうかは、
また別ですが・・・。

「この上もない喜び」とまではなかなか行かなくても、
やはり試練は必要なんだと思います。

それが「この上もない喜び」になりますように。

主よ、
私が試練に出会う時に、
それを「この上もない喜び」と思うことができますように。
あなたが与えてくださるすべてのものを感謝して受け取ることができますように。
もっと厳しい試練がやってきた時にも、同じように、
「感謝します」と言うことができますように。






自立。

元気なので、もう一つ。
先日紹介した「Ministry」第3号から。


記事の中で懐かしい名前を見つけました。
太田和功一さん。
大学の時に、大学を超えたクリスチャンの集まりで
お世話になりました。
個人的にもいろいろお話をするチャンスをもらいました。


今は特に牧師のためにサポートをする働きをされているんですね。
太田和さんのような方がそのような働きをされているのは心強いです。
このような働きの深さを思うと、日本はいいなあと思います。
アメリカはもちろん、もっと進んでいるのでしょうが、
日本語でそのようなケアをしてもらえる場はまずありません。
書きながら、そのようなことの必要を感じている自分が立ち上がることが必要なのか、と思わされています。


とにかく、記事で紹介されている氏の言葉。


「寄りかかる甘えの『依存』ではなく、誰にも頼らない『独立』でもなく、それぞれが自分の責任を負うという意味での『自立』を互いに支え合う、相互依存の関係。」


教会は「キリストのからだ」。


今まで、「自分と神様のとの関係」という言葉のもとに、
信仰があまりに個人主義的になっていたのではないかと思います。
もっともっと心を開いて、支え合う関係が必要なんですよね。
それも、土足で人の心に上がり込むようなのではなくて、
互いの自立を尊重しながらの、信頼関係の中の自己開示の関係。
信頼関係の中で、心の中に「お茶でもどうぞ」と相手を迎える。
そんな関係の深みへと導いて頂きたいです。


さて、10月31日(土)の聖書。
ユダの手紙17-25節。


「 疑いを抱く人々をあわれみ、火の中からつかみ出して救い、またある人々を、恐れを感じながらあわれみ、肉によって汚されたその下着さえも忌みきらいなさい。」22-23節。

ある人々を「火の中から救い」
ある人々を「下着さえ忌み嫌う」
でも、どうやってそれを見極めるのでしょうか?

むずかしい・・・。

どちらをしても「これでよかったのだろうか?」と思うのではないだろうか?

ただただ、祈らされました。
見極める目を与えてくださいと。

事なかれ主義に陥ってしまうことがないようにと。

いずれに対しても「憐れみ」という言葉が出てきます。
いつもいつも愛を与えてくださいと。

主よ、
どうか、私に人を見る目を与えてください。
霊を見分ける賜物を与えてください。
そして、愛を持って、憐れみを持って、
人に接することができますように。
事なかれ主義や、逃げの姿勢に入ってしまうことがありませんように。
愛を持って真実を語ることができますように。


やったね!

日付は変わってしまいましたが、
Yankees勝ちましたね!
マツイは今日の活躍で、MVP。
ワールドシリーズの通算打率が6割以上ですから、
すごいですね。
特に昨日までの3試合は代打でしか出番がなくて、
でも、出たらきっちり仕事をする・・・。
たまたま調子がよい時と重なった、
という意地悪な言い方もあるかと思いますが、
でも、自分の役割をしっかりと知っていることの素晴らしさを感じました。


9年前を経験している何人かの選手達も、
初めて経験するたくさんの選手達もみんな嬉しそうでした。


さて、10月30日(金)の聖書。
ユダの手紙1-16でした。


「愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。」2節。

戦うこと。
主の与えてくださった信仰のために戦うこと、
その大切さを思います。

いい顔をしたくなったり、
波風が立つのを恐れたり、
そんなことがどれだけあるかと思います。

でも、戦うべき時に戦う。
大胆に戦う。
はっきりとした態度で戦う。
真剣に戦う。

戦う男達の真剣さを今日も見ましたが、
信仰の戦いを戦う自分たちはもっともっと真剣でなければと思います。

パウロが言ったように、
競技に出る者たちが勝つためにすべてを犠牲にするように、
いや、それ以上に、わたしたちは真剣に戦うのです。

そして、この間の礼拝で話したように、
祈りの中で力を頂いて戦う。

そう、この戦いは自分の力で勝てるようなものではない。
厳しい戦いだからこそ、
主の力を頂いて、戦う。

主よ、
戦わせてください。
そして、勝利を与えてください。
あなたによる勝利を経験させてください。
恐れを取り除き、真剣な愛を与えてください。

2009-11-04

棲んでた。

今日はマツイデーですね。
ここまで3打席で6打点。
明日の家庭集会のためにタマネギ炒めながら、しびれてました。

さて、今朝のMy初霜予告は見事に外れました。
最低気温は2.8度。霜を見ることはできませんでした。


でも、今朝は、朝が1時間遅くなって初めてスカッと晴れたので、
朝6時がここまで明るくなっていると初めて知りました。
薄暮って言うんでしょうか?
ん?「暮」っていうのは夕方?
・・・調べる・・・ですね。


では朝の薄明るくなってくるのは・・・
薄明?・・・あった。
でも、これは日没後にも使うんですね。
黎明?・・・これかな?


6時45分に教会を出る時にはすっかり朝になっています。


今夜はこれから少し雨が降るようですが・・・
どうなるでしょうか?


さて、昨日屋根裏で探した生物ですが、
やはり、リスでした。
今日、また「ガサゴソ」と音がしたので、
すかさず屋根裏に上って懐中電灯で照らしたら、
しっぽが見えました。
昨日、窓から中をのぞいていたリスかどうかは、
しっぽだけではわかりませんが、
昨日の表情からするときっとそうです。


メインの入り口の他にもう一つ、ここがあやしい・・・というところがあるので、
明日、外に出たのところを見計らって、そこもふさいでしまうことにします。


さて、10月29日(木)の聖書。
ピレモン17-25。


「私はあなたの従順を確信して、あなたにこの手紙を書きました。」21節。

「従順」ですね。
これは私もものすごい試されることです。
自分は大人になってから、「従順」に生きたことがあっただろうか、
それを具体的に実行したことがあっただろうかと、
思わされます。

神様に対して、また上の秩序に対して・・・。

神様に対する従順も難しい課題ですが、
人に対する従順は更に難しい課題です。

心から従うこと、
喜んで従うこと、
それを経験すると共に、
その時に与えられる恵みを経験したいです。

主よ、
私のために準備してある従順の訓練に、
正面からぶつかっていくことができますように。
あなたに従い、また権威に従う者でありますように。

2009-11-03

かきごおりのおっちゃん。

今、夜の10時ですが、よく晴れています。
月が冷たい空で凛としています。


外の気温は8.6度。
まだまだ高めですが、この2時間で2度下がりました。
明日の朝は霜の降りる寒さです。


日本で手に入れた雑誌に、
「Ministry」というのがあります。
今年の初め頃に創刊された、
教会のミニストリーのための雑誌です。
キリスト新聞社からだされている、
新鮮な切り口からのこれからの教会を考える記事が多く掲載されています。


ネット上、あちらこちらで話題になっていたので、
是非、創刊号から読んでみたいと思いました。
夫婦ではまっています。


季刊なので、最新号は第3号。
ここには、我らがコバ先生も大きく取り上げられています。
特集は「牧師館からのSOS」。
決して新しい話ではないですが、
燃え尽きてしまう牧師の問題を主に取り扱っているみたいです。
そんな中で、ミーハーな私が最初に読みたいと思ったのが、
売れっ子の精神科医・香山リカさんが編集長と対談している文章。


最近知ったのですが、この方、高校の先輩だったみたいで、
いえ、全く接点はないのですが、
ただ、それだけで、親しみを感じてしまいます。
クリスチャンではないのですが、子供の頃、教会学校に行っていたり、
今でも友人に誘われて、礼拝に出席したり。
そんな立場からの発言、おもしろかったり、つっこみたかったり・・・。


その中の言葉。
「町を歩いている時も、『先生』よりも、『おっちゃん』の方が楽じゃないですか、牧師ではない匿名の人として扱われることって、ある種の解放感を伴うと思うのですが・・・。」


はい、必ずしも「匿名」でなくてもいいのですが、というか、名前はいつも持っていたいのですが、「おっちゃん」になるのは好きです。


最近は余り言われないのですが、
子供が小さい頃は近所の子供たちに、
「ハジんちのおっちゃん」と呼ばれたこともありました。
それがとてもすわりがよくて、気に入っていました。


これからももっともっと「かきごおりのおっちゃん」になっていきたいと思います。


さて、今日2回目の更新。
10月28日(水)の聖書。


久しぶりの新約聖書で、ピレモンへの手紙1-16。


「彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。」15節。

神様はそういうこともなさる。
この「彼」つまりオネシモの行為は、
決して正当化されるものではない。

どんなにピレモンを傷つけ、苦しめ、怒らせたことだろうか。
その事実は決して変わらない。

でも、神様はその痛みの中で、
オネシモを悔い改めに導き、
それまでの「主人ー奴隷」という関係よりも、
もっともっと深い「主にある兄弟」という関係へと導かれようとしている。

引き離されることは痛い。
でも、それを通して、もっとよい意味で、
もっと長く、彼と共に歩むことができるようにしてくださった。

神様を信頼したくなる。
主を信頼して、じたばたしなくてよくなる。
主を信頼して、安心して歩める。
この聖書箇所が与えてくれた平安は大きい。

主よ、
あなたの御手の中にあっては、
悪も善に変えられます。
あなたにはそれがおできになるから、
安心して、あなたにゆだねます。
あなたが素晴らしいことをしてくださいますように。

何が棲みついているのか。

今朝は寒かったです。
最低気温は測っていませんが、
3度くらいだったでしょうか?


そして、昼間はまあまあ暖かかったのですが、
午後から風も出てきて、冷えてきました。
今夜は霜が降りると思います。
もうホントの初霜かどうかはわかりませんが、
My初霜になりそうです。


しばらく前から課題になっていたのですが、
家の屋根裏には何かが棲んでいます。
がさごそがさごそ音がします。
どうやら生き物みたいです。


で、今日、屋根裏に上りました。
昼間、たぶん外に出ていたので、もぬけの殻でした。


そして、屋根裏の壁に動物の入れそうな穴を発見。
周りには動物の毛が落ちているし、
周りを壊したような跡もあるし、
怪しい。
それで、とりあえずパテで穴を埋めて様子を見ることに・・・。


その後、ガサゴソ言わなくなってので、
どうやら作戦は成功だったようだ。
その後、鍵のかかったデッキの窓には、恨めしそうに家の中をのぞくリスの姿が。


・・・きっと犯人はコイツだと思う。


網戸に手を掛けたまま、こっちを見ています。
目が訴えているんですよね。
「僕の入り口、なくなちゃったんだよね・・・ここから入っちゃダメ?」って。
思わず、「いいよ、入りなよ」と言いたくなってしまいました。


でも、ここはぐっと心を鬼にして、
「君は新しい道を自分で切り開いて行かなきゃダメだよ」と
励まして送り出してあげました。


これでよかったんですよね・・・。きっと。


でも、ここら辺はもう、住宅地なんですが、
いろんな動物がいます。
前の牧師館には、
アライグマが棲みつきました。
ここでも、オポッサムやスカンクがわなにかかったことがあります。
野菜を荒らすグランドホッグは何匹捕まえたことか・・・。


鹿は何度か見ましたし、
熊が迷い込んできてニュースになったこともあります。


元々彼らの棲んでいたところに、
わたしたちが間借りしているんですよね。
謙虚でありたいと思います。


さて、10月27日(火)の聖書。
エレミヤ25:30-38。


「聞け。牧者たちの叫び、群れのあるじたちの泣き声を。」36節。

聖書全体から見ると、
やはりこの聖書の箇所は、
「イエスがおられなかったら、当然私にも与えられる裁き」を語っている。
本来、自分はこのように裁かれてもおかしくなかった。

こういう聖書箇所を読むとつらくなります。
どうして、こんなことが・・・と。
でも、本当はわたしたちはこの裁きを受けても何の文句も言えなかったはず。
いつの間にか、自分がこんな目に遭うはずがないと、
そこまで悪くないと、勝手に思い込んでいるのかもしれません。

いつの間にか、イエスを十字架から引き下ろし、
自分が神に認められる者だと、傲慢になっているのかもしれません。

主の憐れみをもう一度覚えたいと思います。

主よ、
あなたの憐れみによって生かされていることを、
もう一度教えてくださってありがとうございます。
あなたの恵みの中に生きる者でありますように。
恵みに感謝して生きる者でありますように。

2009-11-02

ここにも目を留められる主。

今日は休みの日だから、ちょっとは追いつけるかと思いましたが、
なんだかんだで、結局1日分。


今朝も、雲があったせいか、それほど冷え込まず、
7度くらいでした。
今夜は今10時半ですが、6.2度。
たぶん、明日の朝は今朝よりは冷えると思います。


そして、明日は曇りがちですが、
夜には晴れて冷え込んでくるようです。


書いている最中に、
ハジから電話。
「マフラー送って」だって。
アトランタがもっと暖かいと思っていたらしい。
あんなに言ったのに・・・。


そして、12月の帰省の相談。
あと1ヶ月半。もう半分以上来たんですね。
飛行機の予定を見ていたのですが、
どうしても「ニューアーク発」を探してしまいます。(笑)
素直に楽しみにしています。


さて、今日はすぐに聖書。
先週の月曜日、10月26日は、
エレミヤ25:15-29でした。


「主が私を遣わされたすべての国々・・・」17節。

この聖書の言葉は「すべての国々へのさばき」。
神様が全世界を治める主であることを覚えます。

私も主の支配の下に置かれていること、
今も、主は私にも目を留めておかれていることを、
畏れと共に喜びをもって、受け取らされます。

この大きな世界の中で、
この大きな宇宙の中で、私にも目を留めておられること、
本当に感謝します。

でも、襟を正させられるような気持ちもあります。
主の前に真実に歩むことができますように。

主よ、
あなたが私にも目を留めていてくださることに、
心から感謝します。
あなたがいてくださるから、
あなたが気にしていてくださるからありがとうございます。
私もあなたを忘れることがないように、守ってください。

2009-11-01

その1時間を・・・

今朝はそれほど冷え込みませんでしたが、
夕方からはだんだん寒くなってきました。
今は夜の10時ですが、6.6度まで下がっています。


明日からはだんだん晩秋らしい雰囲気になってくるでしょう。
今日からは夕方が暗いですからね。


昨日、更新をした後、「さあ休もう」と思ったのですが、
それと同時に「今夜は1時間長いんだよねえ」と思いながら、ベッドに入りました。


でも、正直なところ、
日曜日のメッセージのために何だか祈り足りないような気持ちがしていました。
それも、メッセージの結論は「イエスは祈りによって支えられていたのだ」という話。
その時、「その1時間を私と共に過ごさないか?」「その1時間を私にくれ」と神様に招かれたような気持ちがしました。
ちょうど、昨日の午前中、弟子訓練で兄弟達と「祈り」について語り合っていました。
その中で、「祈りは神の御手を動かすか?」という問いがありました。
私の答えは、「動かす」。
そのことを思い出しながら、
もしも、そのように信じているのなら、どうしてもっと祈らない?
もしも、私が祈ることによって、礼拝がもっと祝福されるなら、
礼拝で一人一人が更に豊かに取り扱われるならば、
祈りのリバイバルが起こるならば、
どうして、もっともっと主に求めない?と迫られたのです。


そして、悔い改めて、しばし、祈りの時を持ちました。
礼拝の祝福を祈りながら、
一人一人が礼拝に導かれることを祈りながら。


幸いな、楽しい、エキサイティングな一時でした。


さて、10月25日(日)の聖書。
エレミヤ25:1-14。


「わたしのしもべバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて・・・」9節。

バビロンの王も神の僕。
神を信じる者ではないと思うのですが、
それでも、本人は気がついていないとしても、
神の支配の中にある。

すべてのことが神の支配の中にあることを、
もう一度思い出させられました。

そうなんだなあと、
主の御手の中にあるんだなあと。
だから、信頼して歩んでいこうと思います。
主のなさる最善のことを信頼して歩んでいこうと思います。

この一週間も神様が素晴らしいことをしてくださる、
主が素晴らしいことを与えてくださる、
それを信頼して、進んでいこうと思いました。

神様、
あなたのなさる、素晴らしいことを信頼して歩んでいきます。
すべてがあなたのみ許しなしにはあり得ないことを、
あなたの御手の中にあることを信頼します。
不安や恐れに支配されることがありませんように。