2009-11-08

「聖徒の交わりを信ず。」

この言葉を毎週の礼拝で、告白します。
教会によっては、新しい方に配慮して、
信仰告白を礼拝に入れない教会もあると思います。


でも、私はどうしても礼拝には信仰告白を入れなければ・・・とこだわっています。
教会はこの信仰を中心にして集っているからです。


その中に、「聖徒の交わりを信ず」という言葉があります。


いろんな解釈があると思います。
いろんな意味があると思います。


タダ祈っていれば、神様を通して、全時代、全世界のクリスチャンとつながる、それが「聖徒の交わり」だという人もいますし、昔のカトリックでは、「聖人の功徳」の余った分をもらうのが「聖徒の交わり」だと言っていました。


そんな中で、この間の日本で参加したセミナーでも、そうですが、
もっと前からも、本当に心が触れあうような語り合いや祈り合いの大切さを思わされています。
心を開いて、語り合い、祈り合う、そのようなものを求める心の叫びを、
自分の中にも、また教会の方々にも、見ます。


神様から、人はそのように作られたと信じていますし、
またヨハネがいっているように、「互いに愛し合う中に、神がおいでになる」というのも本当だと思います。


わたしたちが信じている「聖徒の交わり」のリアリティーが、
教会の中に実現しますように。
そのようなところに導かれる方々が更に起こされますように。
そのような渇きを覚えている方々に、満たされる経験が与えられますように。


今朝は冷え込みがゆるんで、昼間は暖かくなりました。
夜になっても、7度くらいあります。


明日もう一日暖かいようです。
貴重な暖かな日ですね。


皆さんはこの週末、落ち葉かきで大変だったようですが、
週末に落葉かきができない私は明日が勝負です。


さて、11月4日(水)の聖書。
ヤコブ2:1-13。


「自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行いなさい。」12節。

「自由の律法」。
それは内側からあふれてくる神様の従う思い。
神様に従いたくなって、従う思い。
「愛」ということもできるかもしれない。

「日々のみことば」では、
「キリストの贖いを受けた者が真の自由から、これを行おうとするものです。」とあります。

本当に救われた喜び、
イエスの愛を知った喜び、
それによって動かされて、主に従う者とされる。
そういうことなんだと思う。

だったら、やっぱりもっともっと神様の愛を知らなければ・・・。

もっともっと神様の愛されている喜びに満たされなければ・・・。

主よ、
もっともっと喜んで主に仕え、
もっともっと喜んで主に従う者となれますように。
そのために、もっともっとあなたの愛に目が開かれますように。
もっともっと、あなたの素晴らしさがわかりますように。
あなたが共にいて下さることがわかりますように。

2 comments:

  1. 旧ジャージー11/09/2009 08:42:00 AM

    かきごおり先生
    お久しぶりです
    この2ヶ月、牧師夫妻の一人娘の結婚式に
    教会挙げて取り組んでいました
    何もかも手作り
    食べるものから、会場の設営から全て手作り
    それぞれの賜物を神様が存分に用いて下さいました

    私が今行っている教会は
    「家の教会」そのものです
    教会員が少ないこともありますが
    それぞれが抱えている悩みや問題が
    ストレートに出されて
    それについて一人一人
    兄弟姉妹を助け支えていこうとします
    時として、重いときもありますが
    一つの家族なんだと思います
    愛餐も毎週あります

    月一回のスモールグループの集まりでも
    信者、未信者席をともにしますが
    それぞれが1ヶ月に感じたこと経験した事を
    ストレートに語り合います
    時には、皆で大笑いすることも涙を流すこともあります
    この会からこの秋お二人救われました

    毎週
    使徒信条を唱和する時
    「聖徒の交わり」のところは私は、
    「家の教会」をおぼえ唱和しています

    先月、夫の実家の近くの教会で
    1回聖日礼拝を守りましたが
    それぞれの教会に
    神様が無理のない範囲で
    働きをさせてくださっているんだと感じました

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  2. 旧ジャージーさん、

    ようこそ!
    教会の様子、教えてくださってありがとうございます。
    素晴らしいですね。

    わたしたちも今、
    神様が教会をますます「教会」にしようとしておられるところにいることができる、その場にいあわせることのできる幸いを感謝しています。

    よく「できあがった」教会(まあ、そんな風に言っていいかどうかはわかりませんが・・・)を見学に行くことがあります。そのようなところから学ぼうと思うことがあります。でも、本当は、「これから形成されていく教会」にいることこそが、一番エキサイティングなことなんですよね。

    更に旧ジャージーさんがそのキリストの体の一部として仕えておられる教会が、豊かに祝福されますように。

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