2009-11-09

「いやし」か「リフレッシュ」か。

このあいだの「ためしてガッテン」
録画して今日見ました。
テーマは「疲労」でした


で、上のリンクで読んで頂けるといいのですが、
お風呂に入ったり、運動をしたり、そして、栄養ドリンクを飲んだりするのは
そういうことは、疲れを取るのではなくて、
疲れを「感じなくさせている」だけなのだということです。


つまり疲労を「いやしている」のではなくて、
気分を「リフレッシュ」して、疲れを感じなくしているだけと。


だから、そこで疲れが取れたと勘違いをして、
「リフレッシュ」したからがんばろうと、がんばってばかりいると、
疲れがたまって、倒れてしまう・・・と。


教会のあり方を考えさせれました。
「元気が出る」ことも大切なことです。
でも、それ以上に「疲れがいやされる」ということが本当に大切なんだと思わされました。


教会という場で、
疲れたのに、疲れを感じさせないように、カンフル剤を打って、
そして、「やるぞ~」と思わせて、疲れを感じさせないようにしていることがあるのではないかと思います。


疲れてもいいんですよね。
なんか、教会で疲れることの恐怖症みたいな、
疲れていることを認めることは敗北であるかのような、
そんなことがあるのかもしれません。


イエスは「疲れている者は私の元で休みなさい」と言われました。


私自身、主の御許で休むことができますように。
そして、見せかけの元気ではなくて、本当の元気を頂いて、
歩んでいくことができますように。




さて、あとすこしですが、
11月7日(土)の聖書。
ヤコブ3:13-18。


「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。」17節。

本当の知恵って何だろう?
上からの知恵。

でも、わたしたちは日常的に、
この上からの知恵ではなくて、地上の知恵、
世の知恵、神なき知恵、神を排除した知恵にどっぷりつかっている。

だから、わたしたちは気をつけていないと、
世の知恵を神様からの知恵と思い込んでしまって、
それにちょっと信仰のスパイスだか、ふりかけだか、フレーバーだかを、
足して、「上からの知恵」と呼んだりしていないだろうか?

本当にまるまま、主からの知恵に満たされて歩もう。
その知恵に動かされて歩もう。
主が与えて下さる知恵を待ち望もう。
祈っていこう、知恵を与えて下さい、と。

主よ、
私に、あなたからの知恵を与えて下さい。
その知恵をもって、人々に仕え、
それを通して、人々を導いていくことができますように。

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