2010-12-13

主に目を上げて。

夜の更新を封印していたんだけど、
そうすると、ほんとに更新できない・・・。
日曜日、自分一人帰るのが遅くなったので、
興奮して眠れないので、ちょっと掟破りの更新。


夜中の12時43分。
外の気温は7.5度C。
昨日の日曜日の昼間は10度以上あったから、
それに比べると温度は下がってきたけれども、
まだ本格的に下がるのは今日の午後くらいから。


車はちょっと長期入院中。
ディーラーも理由が今ひとつわからないみたい。
また今週部品を取り替えてみるらしい。
今度こそ、解決して欲しい。


先週、いろんなコトを思わされてきた。
特に祈りについて・・・。


一つは自分は神さまよりも、
周りの人、聞いている人に、心が向いていることが、
どれだけあるだろうか、ということ。


そして、自分の心にむけて祈っていることがどれだけあることだろうかと、
主に向かって祈っていこうと思った。
主に祈りをささげ続けようと思った。


もう一つはどこまで自分が神さまを信頼して祈っているか、ということ。
もちろん、神さまのみこころを求めて祈っているんだけれども、
「どうせ、神さまには神さまのお考えがあって・・・」とちょっとひねくれて、祈っていることがあるだろうかと。ちょっといじけ気味に、というか。


自分が子供に「一応お願いするけど、どうせ、お父さんは自分の好きなようにするんでしょ」と言われたら、すごい嫌だろうなあと思いつつ、自分ってそういうふうに祈っていることはないだろうかと。


ほんとうに、わたしに最善をして下さり、わたしの祈りを聞こうとしておられる主を、信頼して、たくさんたくさん、祈っていこうと思う。
真実に祈り続ける者でありたい。


さて、最近の「日々のみことば」から。
先週の後半からヘブル人への手紙を読んでいます。
「造られたもので、神の前に隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。」ヘブル4章13節。

神様の前にはすべて明らか。
でも、主は私たちに悔い改めを求められる。
告白を求められる。
それは、私たちが罪から解放されるため。

ただ、私たちを裁くために、私たちの罪を示すのではなくて、
私たちを自由にするために、
私たちをその罪から解放するために、
私たちに悔い改めを求められるのだ。

そう思うと、神さまにすべてさらけ出されている、って、
すごいことだなあと思う。
スゴイ安心感だなあと思う。

主よ、
あなたが全てを知っていてくださることに感謝します。
どうか、私たちを罪から解放し、痛みから自由にしてください。
あなたに見ていただいている幸いの中に、感謝しつつ歩む者でありますように。

2010-12-09

「サンタのこと」コメント感謝。

車、再々入院中。
原因がわかったら携帯に電話してくれ、
と頼んだけど、
その携帯、車の中に忘れてきた。(爆)


取りに行かなければ・・・。


昨日の記事に、2つコメントを頂いて、
コメント通知は届いているのですが、
なんでかわかりませんが、本体には反映されないので、
こちらでご紹介。


まずは、はちこさんから、


先生、サンタとプレゼントのこと、先生の「複雑な思い」、分かる気がします。

アメリカのクリスマスのギフト交換の習慣は、私もずっと複雑な思いで見てきました。まぁ、皆さん、「大切なのはもらうことではなく、与えること!」と言いながらギフトを用意するわけですが、結果として子供にはやっぱり、「もらうのが当然」の感覚を養っている気がしてなりません。
うちの子も、「もらうのが当然」の感覚を持ってしまっていると思います。せめて、自分がもらうだけでなく、ギフトを贈ることをもっと強調しようと、ワールドビジョンのギフトカタログを見て、何を贈るか一緒に考えたり、お世話になった方たちや日本のおじいちゃんおばあちゃん、兄弟間でのギフトなど、与えるほうの機会も作るようにしているのですが…
(ちなみに、我が家もサンタは来ません。)

Operation Santa Clausですが、確かに複雑ですね… その手紙を書いている子供たちは、周囲の子がたくさんのプレゼントをもらっているのを見て、自分も…という思いがあるのでしょうね。クレクレ・スピリットは助長したくないけれど、自分が稼いだわけではないギフトを、ただ贈る人の厚意によって無償でもらうことができた、という経験をさせてあげるのは良いことなのかなとも思ったり… ほんとに複雑です。先生がためらいつつも手紙をもらって来られたお気持ち、分かる気がします。

アメリカ人は、ある面、日本人には考えられないくらいgenerousで、本当に気前良く与える人たちだなと思います。ボランティアもよくするし。でも、時にはそのgenerosityが、受け取る人の「尊厳」や「生きる力」を奪うことにもつながっているんじゃないか…と感じることもあるのです… アメリカの大都市に行くと、beggerがやけに多いように感じるのは気のせいでしょうか。

ハイチの地震のときも、アメリカ人は援助団体だけでなく、個々の教会や個人も大勢援助に駆けつけたそうです。私の教会からもチームが行きました。でも、トニー・カンポロだか誰かが、そうやって出かけていって何でもやってあげてしまうことは、ハイチの人たちの益にならない、というようなことを言っていました。彼らに依存することを教えてしまう、と。

あー、なんだか話しが広がってしまいましたが、私自身、なんとなく似たようなことを考えていたので… 長くなってしまい、すみません。


そして、こちらは旧ジャージーさんから、



かきごおり先生
そちらよりは、暖かいと思いますが
すっかり、冬の暗い空になっています

サンタさん。。。
とっても悩ましい。。。
甥は、カトリックの幼稚園に通っていたんですが
クリスマス前になると
家にあるマリア像の前に正座して
「サンタさんが、○○を持って来てくれますように」と毎日祈るので
その祈りを聞いて、妹が買いに行くてなことをやっていました
ある年は、「黒いうさぎ」
「色まで指定で、参った」と言っていたことが懐かしいです

今年のクリスマスプレゼント。。。
五年来、交友のある楽友が
実は、クリスチャンだと月曜日に判明
霊的会話のできる友を主が身近に与えてくださったことに感謝です
(日本じゃ、なかなかクリスチャンに出会いませんから。。。)

先生からのプレゼントを受け取ったご家族に
主からの恵みと祝福が豊かにそそがれますように


コメントありがとうございます。
また、ちょっと時間を作って、お返事させてください。

2010-12-08

サンタのこと。

NYCからの更新です。


ちょっと考えるところがあり、
夜の更新はこれからはしないようにしようと思います。
Flex Timeの牧師の働き、
毎日とは行かなくても、
一日のうちで隙間を見つけて、
アップしようかと思います。


毎年のようにこの季節になると一言書かないではいられないサンタのこと。
私はちょっとこだわりがあり、うちの子供たちのところには来ないことになっています。
「サンタはお父さんやお母さんがプレゼントを買ってあげられない子たちのところに来るんだよ」と。


それはこちらにも書きました。


2006年12月14日の日記。


そして、4年越しの願いだった、Operation Santa Claus、今日、NYCの中央郵便局に行って、とうとう一つ手紙をもらってきました。


でも、いろいろ考えてしまいました。


1回に10通の手紙を渡されて、その中から、「ああ、この子の願いを聞いてあげたいなあ」という手紙を選んで持って帰って、プレゼントを準備するのですが、手紙を読んでいるとなんだか、「クレクレ・スピリット」を助長しているんじゃないか、と思わされて、悔しくて涙が溢れてきました。「XBoxが欲しい、このソフトをつけて。」とか、「あれも、これも、これも、これも、それからこれも・・・」といくつもいくつも列挙してあったりとか・・・。うちの子たちにも、そんなプレゼントをあげたことはありません。どうしても欲しければ、自分でがんばってお金を貯めて買って欲しい、そう思ってきました。


クリスマスはプレゼントを「もらう日」だと子供たちが思っているって、これ、どうなの?ってほんとに思うんです。


なんだか、とんでもなく複雑な思いがしてきて、やめようかな、とも思いました。自己満足みたいな気もしたり・・・。でも、せめて・・・と、「子供に、洋服とか、靴とか、そういうものを送ってくれませんか」というお母さんのお便りを持って帰りました。決して納得したわけではないのですが、きっと、きっと、ほんとに一年間、洋服とか、買ってあげられなくて、靴も穴があいていて、でも、クリスマスの時に、買ってあげるお金もなくて・・・ということだと信じて。


女の子向けなので、うちの子たちにも手伝ってもらって一緒に準備したいと思います。私の心も守られますように、そして、子供たちにとっても幸いな経験となりますように。




あ、あと、車、日帰り治療ができなくて、入院しましたが、一泊で退院許可がおりました。
でも、今日は多分迎えに行けないので、明日にでも迎えに行こうと思います。
・・・もう、これで終わりになってほしい・・・。




さて、最近の「日々のみことば」から。
月曜日はレビ記の27:16−24でした。
この日でレビ記は読了。


「牛や羊の十分の一については、牧者の杖の下を十番目ごとに通るものが、主の聖なるものとなる。その善い悪いを見てはならない。またそれを取り替えてはならない。」32−33節。

人間はさもしいですよね。
10匹目が神さまのものとしてささげられるとすると、
その10匹目に、「これは手放していいかな」というものが
来るようにと、心のなかで願うものなんでしょうね。

自分もそうだろうなと思います。

神さまが最高のものを与えてくださったのに、
自分は最高のものを持って行こうとしない。

どこまでも自己中心的な者だと思います。
だから、このようにハッキリと書いてある。

最高のものを主のところに、
大切なモノを主のところに、
だって、主がまず大切なモノを私たちに与えてくださっているのだから。

主よ、
クリスマスに、
あなたが大切な大切なひとりごを与えてくださったことに感謝します。
私たちに一番大切なものを下さったことに感謝します。
私もあなたに、また人々に、大切なモノを分かち合っていく、勇気を与えてください。
心に平安を与えてください。

2010-12-07

シフトロック初体験。

今日は一日小雪が舞っていた。
Thanksgiving Dayにも降っていたという証言もありますが、
自分は確認していないので、今日がMy初雪。


天気予報では、この週末にstormが東海岸にやってくるということです。
まあ、例によって、先のことなので、毎日変わる予報に振り回されることでしょう。


いまは夜中の12時で、外の気温は-0.6度。
明日の朝は-4度位の予報が出ています。


今日はデイオフで、豆腐の修行の日だったのですが、
昨日の夜に大豆を水につけておく、というのを忘れたので、
純粋におやすみ。


それに再修理に出す予定だった車、
予約が明日になったので、
今日はウチでおとなしくしておりました。


その修理の必要なのは、
第一がcheck engineランプの再点灯。
理由の解析だけで105ドルですからねえ。
修理の翌日に点灯ですから、
まあ、これは交渉してno chargeを狙います。


もう一つが下の写真。


シフトのレバーのところにもう一本、ドライバーが刺さっています。


なんでこんなことになっているかというと・・・。


あれは、土曜日の午後、突然、シフトがPから動かなくなったのです。


焦りましたねえ。Pから動かない、ということは、車が全く動かない、ということですから・・・。修理工場までも、レッカーしてもらわないといけません。


でも、きっと何か、方法があるはず。
しかし、中古で買ったこの車、
なぜか、マニュアルがついていません。


幸運にも出先でなかったので、
適当に「シフトロック解除」でぐぐったら、
車種によっていろいろな方法が出てくるのですが、
うちの車の場合、シフトレバーの横の小さなカバーを外して、
そこにドライバーを挿し込んで押す、と書いてありました。


たしかに、小さなカバーがあって、
外せるようになっています。
それをはずして、現れた穴にドライバーを挿し込んで、
恐る恐る、押してみました。


ちょっと勇気いりますね、これ。
いままで25年くらい車に乗ってきましたが、
シフトが動かなくなる、ってのは初めてでした。
でも、「シフトロック解除」という機能がどの車にも付いている、とすれば、
こういうこと、よくあるんでしょうね、きっと。


それから、今日まで、どうしても車が2台必要な場面では、
このドライバーを押しこんで、ギアをRに入れます。


こんなことでも、書いておけば、誰かの役に立つんじゃないかと思いつつ。




明日の修理がお安く上がりますように・・・(祈)


今週は、「心の王座をキリストに明け渡そう」ということを思いめぐらし、実践する一週間です。

今週のアドベント聖書日課(PDF文書)

イエスは、恐れではなくて、愛によって、私たちの心を支配してくださる。
脅かしではなくて、共に歩んでくださることによって、従いたい心を起こしてくださる。

自分も少しでもそのような者となりたい、そう思います。

主よ、
私の心の隅々までも、
あなたのものとさせてください。
すべてをあなたに明け渡した平安を、
私に与えてください。
そして、私も、人とともに歩むことを大切にする者でありますように。

2010-12-05

アドベント第2週。

昨日は余り寝ていなかったのですが、
今日はほんとうに元気でした。
忙しかったのが、よかったんだと思います。


でも、一日終わると、さすがに、
目がショボショボします。


ですから、あっさりと更新して、
明日に備えます。


うちの車、
Check Engineライトが点灯して、
先週金曜日にちょっとお金かけて直した車、
土曜日にはまたCheck Engineライトが再点灯、
+シフトロックが作動して、シフトがPから動かない。


「え〜、これはレッカーしてもらうしかないか?」と思ったのですが、
マニュアルに従って、シフトレバーの横の蓋を開けて、
ドライバーを突っ込んで走っています。


明日、また病院送りですね。


今日も寒いです。
明日もその後も、その後ずっと寒そうです。


いまは夜9時半で、−0.1度。


明日は曇りがちで小雪も舞う予報が出ています。


アドベント聖書日課第2週目、アップしました。

2010-12-03

神の愛の大きさ。

今朝はしっかり冷えて-2度。
昼間も5度Cくらい。


そして、今は夜の10時半。
すでに0.3度C。
明日の朝はまた同じくらい冷え込みそうです。


昨日は金星と共演していた三日月。
今朝も楽しみに起きたら、
今朝は月はまだ昇ったばかり。そして、薄っぺら。
金星とは大きく離れて、
明るさも金星の勝ちかな、と言う感じでした。
一日でずいぶん変わるんですね。


でも考えてみたら、月は28日で同じところに帰ってくるわけで、
一日で13度ずつ動いていくんですね。
明日の朝6時にはまだ地平線ギリギリみたいです。
(Sky Walkで調べられる・・・これスグレもの)


さて、今日の聖書。
今日はレビ記26:27−39。


「あなたがたは自分たちの息子の肉を食べ、自分たちの娘の肉を食べる」29節。

あり得ないでしょう。
恐ろしいですよね。
想像もできませんし、したくもありません。
自分の可愛い子供達を食べてしまうなんて。
極限状況になったら・・・ということは誰もわからないでしょうが、
でも、今の私の心ではどうしても想像できません。

そして、このような箇所を読むときに、

今まで、

「これは旧約聖書だから・・・」(こわいねえ、でも、新約の時代の自分たちは大丈夫なんだよ・・・)
「いつまでも悔い改めないと・・・」(神さまは憐れみをもって待っていてくださる。でも、いつまでも信じないと、こういう事になるよ・・・)

というメンタリティーで読んでいました。

「日々のみことば」誌の解説も、後者のように読んでいます。

でも、今朝、あたり前のことなんですが、
大切な事に気がつきました。

これは罪の結果なんだ。
イエスが私たちの罪をあの十字架の上で負ってくださったときに、
この罪の結果も、全世界の罪、全時代の罪を、たった一人で、
そして、たった6時間の間に凝縮して、負われたのだ。
私の罪も、本当ならば、このような結果になっているはずなのに、
それをイエスが代わりに負ってくださったのだ、と。

そうしたら、本当に恐ろしく思いました。
そして、その恐ろしい罪の呪いを一身に受けられたイエスが、
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」と言われたのが、本当にわかるように思いました。

ちょっとした心の中の革命のような出来事。
言葉にすると、なんだか、うまく表現的ないのですが、
旧約聖書の読み方が変わり、
イエスの十字架の過酷さ、
そして、そこまでしてくださったイエスの愛を感謝しました。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたがわたしのためにここまでして下ったこと、
この罪の呪いを、この恐ろしい結果を引き受けてくださって、
心から感謝します。
罪の深刻さを忘れてしまうことがないように、助けてください。
そして、あなたの愛の中で生きる喜びに歩ませてください。

2010-12-02

光は闇の中に輝いている。

昨日の嵐はすっかり晴れて、
今朝はこんな風景が。


下の光は街灯なんですが、
東の空に輝くのは・・・
ちょっと拡大すると、





右は月で、左は金星。
iPhoneのカメラなので、月が半月くらいに見えますが、
実際はもっと細いです。
Sky Walkによると下弦三日月(28%)。
その月と金星の競演。


本当に圧倒させられる光景でした。
今朝も聖書の言葉を思い出させられました。


「光は闇の中に輝いている。」


クリスマスの恵みに感謝。


今朝はちょうど0度。
昼間は5度くらいまでしか上がらず、
今、夜の11時過ぎですが、-0.1度Cまで下がってきています。
天気はいいのですが、寒い日が続きそうです。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記26:14-26。


「あなたがたの力を頼む高慢を打ち砕き・・・」19節。

自分の力を頼む高慢さ。
主はそれを打ち砕かれるという。

そう、人間の罪の本質はここにある。
神の前の小ささを認めないで、
自分の力を信頼しているところ。

主のもとにひざまずこう。

主よ、
自分の力を信頼するのではなくて、
あなたの前に自分のほんとうの姿を認めて、
あなたの力を信頼して歩むことができますように。

2010-12-01

闇はこれに勝たなかった。

いつもの自分だったら、
「勝たなかった」にはビックリマークでもつけたいかもしれない。
でも、ホントはいらないんだろうな、と、今日思っています。


静かに、静かに、でもたしかに、光は闇を照らしている。
「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。」ヨハネ1:5。


そこには派手な音楽も、センセーショナルなナレーションもいらない。


本当に静かに、しかし確信に満ちて、それを宣言すればいい。


1週間ほど前にはちこさんがTwitterで紹介してくださった、
パスター・ビルの言葉がずっと心に残っています。


Sitting in The Dirt (One Step at a Time)


英語のブログなので、自分の言葉でエッセンスを紹介すると、
悲しみの中にいるときに、
「信仰的な正解」で励まされることよりも、
「一緒に泥の中で座ってくれる」誰かの存在が、
どれほどありがたいか。
何をしたらいいかわからないけど、ただ、あなたと共にいたい、
そういう人の存在がどれほど助けになるか。
でも、それが最後ではない、それで終わりではない、
そのただ中に、復活の主がおられる。




今日も幾人かの痛みの中を通っておられる方々を思いながら、
何も出来ない自分を感じていました。


何の励ましの言葉も持ち合わせていない自分。


ただ、主に祈らされます。
イエスをよみがえらせた神の力が私のうちに働いていることだけが希望です。


今日はすごい嵐でした。
雨は大雨まではいきませんでしたが、
すごい風でした。
でも、たいした被害はないみたいです。


今、夜の11時半で、3.9度Cまで下がってきています。


明日の朝は0度くらい。
そして、その後、冬の走りのような寒さになりそうです。
でも、もう12月なんですね。当然か。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記の26:1-13。


「わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたは私の民となる。」12節。

神の祝福の中心はこれ。
神さまが私たちと共にいてくださること。
これをいつもいつも見失わないようにしていたい。

これは約束だから、私たちが気がつこうが気がつかまいが、
わたしたちが実感していようがいまいが、共にいてくださる。

私たちが忘れてしまっても、
主は決して忘れてしまわることはない。

共にいてくださる。

旧約のこのところでは、
「神の戒めを守るならば・・・」
でも、新約の約束は、
「イエスに於いて、私はいつもあなたがたと共にいる」
ということ。

条件抜きで、私たちが何かをする前から、
私たちと共にいてくださる。

主よ、
あなたが共にいてくださることが力です。
そのことを見失わないように守ってください。
闇が、私の歩みを、
そして、私が大切に思っているひとりひとりの歩みを、
覆ってしまうように思えるときにも、
あなたがそこにいてくださることを、思い出させてください。

2010-11-30

教会への神の思い。

今日は雨。
夕方からかと思っていたら、
午前中から降りだした。
一日雨だった。


明日は大雨です。
まだうちの前の通りも落ち葉集めに来てくれていません。
下水が詰まって、あふれるところもあるかもしれませんね。
お気をつけて。


その後、ちょっと冬っぽい、寒さが始まるようです。


さて、今年は12月24日(金)はキャンドルライトサービス。
そして、12月25日(土)はクリスマスですが、
その日は、中高生と大学生のクリスマス会。
そして、26日はいつもどおりに日曜礼拝。
その日の夕方にCAに飛んで、
翌日からはJCFNというクリスチャンの団体の、Equipper Conferenceという5泊6日の大会の講師の一角を担わせていただきます。


遅ればせながら、プロモーションビデオなどをご紹介。



で、準備はずっと前から進めているのですが、
あと4週間を切って、いよいよ追い込み。
皆さんに迷惑をかけないように・・・と思いながら、
もうかけてしまっています。


そんな準備をしながら、思わされるのは、
神さまの教会への思い。


神さまは私たちを育てる場として教会という存在を準備された。
いろいろ弱さも、欠けもあるけれども、
「キリストのからだ」として、愛してくださっている。


教会という場で、私たちは養われ、支えられ、
そして、砕かれ、整えられる。


順調なときはいい。教会が好きでたまらない時、気の合う仲間となんでも言い合えるとき、沢山の人達が加わって、エキサイトしているとき、そんな時はいいのだと思う。ああ、「これが教会なんだな〜」「これこそが、イエスが願われていた教会だ」「聖霊が働かれるときにこんなことが起こる」と。


でも、そうでないとき・・・。
そこが大切なんだと思う。


第一ヨハネ4章20節。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記の25章39−55節。


「あなたの神を恐れなさい」43節。

これは、同胞が落ちぶれてしまっても、奴隷にするな、という神の命令に続く言葉。

私たちは神を恐れているのか?
いったい、わたしはホントのところ、神を恐れているのか?
問われていることを思わされた。
自分の心に問いかけた。

いったい、じぶんは神を恐れているのか?

すべてをご覧になっている神を、
すべてを、わたしの心の奥にあるものさえもお見通しの神を、
自分は恐れているのだろうか?

いつの間にか、自分の都合や、自分の権利や
そのようなものばかり主張していないだろうか?

神の前に恐れ、神の前に歩み続ける者でありますように。

主よ、
あなたを恐れます。
あなたの前に、跪きます。
あなたを第一とすること、
それを本当に教えてください。

2010-11-29

職人への道。

今朝は結構冷えました。
最低気温は-3.8度C。


一日晴れました。
でも天気は下り坂。
明日の夜から、あさっての夜にかけて、
大雨の予報が出ています。
特にあさって水曜日は注意が必要です。

私は休日はThanksgiving Day一日だけで、今日やっと休み。一日ゆっくりさせていただきました。
そこで、豆腐作りに再度挑戦。
というのは、愛読者のお一人から、
四角い豆腐が作れるようにと、このようなものが、提供されたからでした。






なんと、絞り袋や、にがり、そして日本語での作り方の説明までついたセットです。


なんで、アメリカにいながら、こんなもの持ってるの?って感じですが、これで上手にできるようになったら、ご馳走してください、との励ましをいただいて、俄然やる気がでてきました。


こうなったら、唸らせるような美味な豆腐を作って、ご馳走しましょう!


で、こちらが今日の作品。


水の中では四角かったのですが、出したら、ぐずぐず。舌触りもまだまだ人に出せるようなものではありません。で、小さく切って、何とか、記念撮影。



豆腐職人への道、まだ始まったばかりです。


さて、ここ数日の聖書から。
レビ記の24−25章を読んでいます。


「目には目、歯には歯」

これは復讐の教えだと言われますが、
(「日々のみことば」誌にも、そのような記述がありましたが)
実際は文脈を見れば、「償い」の法律ですね。
やられたらやり返せ、と聖書が言っているなんて、
とんでもない誤解です。

「目を潰してしまったら、自分の目をさし出して償いなさい」という加害者に対する命令ないのです。

そのようにして、被害者の痛みを自分の痛みとすることを求めたのです。

本当はそれほどの事なんですよね。罪というのは。

なんだか、「赦される」ということばかりが強調されて、罪自体が軽く見られることが多いと思います。もちろん、赦さないでいることは、自分が辛いです。ですから、赦すべきです。でも、本当は罪というのは赦されるものではない。一生負っていくものであり、負いきれないはずのものです。どんなに悔い改めたところで、犯した罪は消えないのです。でも、ただ、イエス・キリストの十字架によってだけ、ただ、それがあるがゆえに、私たちは赦されるのです。

その恵みをもう一度思わされていました。

罪の深刻さを忘れてはいけない。

そして、そこから解放された喜びに生きようと。

神さま、
罪の深刻さを今日も思います。
でも、それも頭だけで、本当に心の底から、
それが分かっているのかと、思わされます。
どうか、罪の深みを忘れることがありませんように。
そして、そこから救われていることの幸いを感謝して歩む者としてください。
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2010-11-28

礼拝の本質。

今朝は-1.6度Cまで下がりました。
この秋最低更新。
そして、今夜は夜の10時ですでに-0.2度まで下がっています。
でも、先週の予報にあったような、一気に冬に突入、みたいな感じではなさそうです。
夜の最低も-2度程度、そして、昼間も10度くらいまで上がる、
そして、今週は、火、水、と温度が上がるようです。
後半は、ほどほどに寒くなる程度みたいです。


なんか、寂しいような、助かるような・・・。


今日の礼拝は、本当に礼拝の中心が主ご自身であることを思わされる礼拝でした。
やはり、私たちは「流れるような」とか「のめり込めるような」とか、
私たちの気持ちを大切にしますし、完璧な礼拝の流れを求めますが、
今日はいろいろ、手違いがあって(多分、私のミス)、
あれ〜?という部分がありましたが、
そんな事で私たちの心が乱れても、
びくともしない、主の臨在を覚えました。


私たちの礼拝は、どこまで行っても、神さまを崇めること、
それが中心であって、「私たちの気持ち」「雰囲気」に重きを置いてはいけないのだ、
そのことを反省させられる一時でした。


さてと、今日はこれで休みます。
みなさんの一週間が守られますように。

アドベント始まる。

今日からクリスマスを待ち望むアドベントに入りました。
日本はもう28日が終わるところですね。(あと10分)
取り急ぎ、アドベントの聖書日課、今週分をアップしました。
是非、毎日ご一緒に。

2010年JCCNJアドベント聖書日課第一週(PDF文書)。

こちらはこれから礼拝です。

2010-11-27

明日に備えて。

今朝は思ったほど冷えず、-1.0度。
この秋最低更新ならず、でした。
そして、今夜もどうなんでしょうか、
今、夜の10時40分ですが、2.8度。
夜は弱いし、明日に備えて今日はもう休みます。

良い日曜日を!

2010-11-26

旅人として。

今朝は冷え込みも緩んで、
というか、だんだん気温が上がっていたみたいで、
寝る前には5度くらいだったのが、
起きたら7度くらい。
ちょっと雨が降っていましたが、
朝からお店の前の行列に並ばれた皆さんにとっては、
救いだったのではないでしょうか。


今日は一日どんよりしていましたが、
夜になって、晴れて、冷えてきました。
今、夜の11時過ぎですが、2度くらい。
明日の朝は-2度くらいの予報が出ています。


今日は、ニュースレターの原稿と、
日曜日の準備。
もう一度アドベントの礼拝説教計画を再考して、
以下のように準備を始めました。

11月28日 クリスマスって12月25日じゃなかったの?・・・じゃあ、どうして?
12月5日 クリスマスを24日で終わらせるな!・・・じゃあ、いつまで?
12月12日 恋人たちのクリスマス?・・・愛を育む秘訣は?
12月19日 最高のプレゼントを準備しよう!・・・Rush and Shoveの街から。


クリスマスの商業主義化を嘆くよりも、
クリスマスがこんなに注目されていることを、
積極的に受け取って、何とか、一人でも多くの方々と、
イエスの誕生の喜びを分かち合いたいと思います。


あさってからはいよいよアドベント。


明日は礼拝の準備と、アドベント聖書黙想の準備、そして、中高生の集会です。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記の23:26−44でした。


「これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」43節。

この世での私たちの歩みは仮庵の中で住むような歩み、
そのことを忘れないようにと、主は仮庵の祭りを定められた。

そうなんですよね。

私たちはこの世では旅人。
天国に向かって旅を続ける旅人。

なのにいつの間にか、この世の歩みが全てであるかのように生きてしまう。
そんな先入観の中に閉じこめられてしまっている。

本当は私たちはこの世では旅人に過ぎない。
だから、荷物はできるだけ、軽いほうがいい。
簡素な方がいい。

荷物が増えないように、
持っているものに縛られないように、
神さまを見上げて、
眼に見える「物」ではなくて、
神様によって心満たされて、
歩んでいくことができますように。

主よ、
私がこの世では旅人に過ぎないこと、
旅には沢山の荷物は必要ないこと、
いや、それ以上にじゃまになること、
忘れることがありませんように。


今日も、もう一度思い出させてくださって、
ありがとうございます。

感謝。

日付が変わりました。
サンクスギビングが終わりましたが、
なんだか朝の準備から夜まで、楽しく過ごしました。

朝は、先日遠足(社会科見学)で、下の娘が、
Macy'sのパレードの準備の様子を見に行ったので、
朝からじっくりTVでパレードを見て、
その後、掃除と料理。

食事の後は、中高生たちとカードゲームをやったり、
iPadとMacBook Airのどちらがいいか、
WinとMacのどっちがいいか、
などで盛り上がったり、ちょっと久しぶりの感覚でした。

あんまり「牧師らしい」ことをすることはなかったのですが、
こういうのもいいな、という感じ。

フットボールでも
Paramus High vs. Ridgewood HighではParamusが勝ち、
NY Jets vs. Cincinnati BengalsではJetsが勝ち、
いい気分。

興奮しているのか、2時を回っても、
眠くなりません。

明日は日曜日の準備とニュースレターの準備。
主の助けを待ち望みながら。

2010-11-24

Happy Thanksgiving!

今朝はよく晴れた。
久しぶりに土星やスピカも見えた。
それから明るく輝いていたのは
うしかい座の0等星、アルクトゥルス。
振り返って西の空を見れば、
月明かりに負けまいと輝くのは
シリウス(-1.5等星)、ベテルギウス(0.5等星)、プロキオン(0.4等星)


はい、これら、すべてStar Walkのおかげです。
自分では全然わかりません。
ちょっとこれから勉強しようかな、です。


冬の晴れた朝は最高です。
そのまま、神さま素晴らしい!と賛美に入れます。ハイ。


今は夜の11時半で4度。
明日の朝は氷点下で、多分この秋最低を更新。
昼間も雨で肌寒そうです。


さて、明日はThanksgiving・・・
去年はいろいろ「感謝」考えていたんだなあと思いました。


今年はほんとうに心の思いが研ぎ澄まされて、
「あれが感謝」「これが感謝」を超えた世界にいます。
すべてが取り除かれた後に残る感謝ってなんだろうと、
そんな事を思わされながら、過ごしています。


去年はずいぶんたくさん集まって来られたThanksgivingですが、
今年はそこそこいろんなお宅にバラけたようで、
20人くらいでしょうか。
いい傾向・・・。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記23:1−14。


「六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。」3節。

ルターによって、労働の尊さが回復され、
「仕事も礼拝のうち」という考えが定着してきました。
間違いじゃないと思います。
私たちの生活のすべての側面が礼拝で、
神さまの栄光を表すときなのです。

でも、時計の振り子は反対側にふれてしまったようにも思います。
つまり、「仕事を休んで礼拝しなさい」という聖書の命令の意味を見失ってしまっているのではないかということです。

日曜日が都合がいいから礼拝をする、
これがもしも月曜日がよかったら、月曜日、
火曜日がいい人は火曜日、
夜がいい人は夜。
なんて感じでしょうか。

仕事が忙しい時には
「仕事だからしょうがないよね」となる。

「しょうがない」ではなくて、「仕事も礼拝のうちだから・・・」というのもある。

でも、毎日が礼拝なんだけれども、
そんな中で、神さまが決められた方法がある。
神さまを第一にするならば、神さまの方法に従うこと。
submissionだ。

もちろん、律法的に義務として守っていくこと、
それだけでは違うだろう。
でも、神さまが「こうしなさい」と言われたことに、
理屈を越えて従っていくこと、
自分の理屈にこだわらないで、
神さまの理屈を受け入れていくこと、
それは本当に大切な事だと思う。

人間って本質的に「わがまま」だと思うから。

主よ、
あなたを礼拝します。
あなたの方法を導いてください。
そして、そこに従っていくことができますように。

2010-11-23

愛すること。

今日も暖かくなりました。
朝は5度くらいでしたが昼間は18度くらいまで上がりました。
そして、夜になって寒冷前線が通過。
雨は殆ど降りませんでしたが、
これから冷えてくると思います。


今は夜の10時半で気温は11.3度ありますが、
明日の朝は2−3度の予想が出ています。


今日朝一番に目に飛び込んできたニュースが
朝鮮半島での砲撃。
ほんとうに心配です。


一日祈りつつ思いめぐらしていた中で、
子供の頃から、朝鮮半島にゆかりのある方々との出会いがたくさん与えられ、励まされ、支えられてきたことに気付かされました。


大学時代のゼミやクリスチャンのサークル、少しずつ。
そして、聖書学院の仲間たち、
EmoryやDrewの学友たち。
特にDrewの仲間たちは質・量共にパワフルでしたねえ。


こちらの教会で出会った皆さん。民団系の方も総連系の方も、半島出身の方も。


そして、今、特に思わされるのは地区の牧師会で共に歩んでいる先生方のこと。韓国教会に支えられている日系教会もいくつかあり、韓国からの宣教師の方々にも本当に力を貰っていると思います。


そして、なかなか直接お会いすることはできませんが、互いのブログで交流をしているハワイやカルフォルニアの聖書学院出身の先生方、奥様のご家族が半島におられたり、ご自身半島にルーツをお持ちだったり。


お一人ひとりの顔を思い出しながら、どんな思いで祈られているか、心を向けながら祈っています。




でも、そんなことを思いながら、
正直に感じたこと・・・。


自分はアフガニスタンやイラクの戦争のために、
コソボやアフリカ各地の紛争のために、
こんなに祈ったことがあっただろうか。


身近なところに、その地にゆかりのある方々を置いてくださって「祈れ」と主が招いてくださっているのだ、とはわかるのですが、自分の関心がいかにも自分の周りだけに、自分と関係のあるところだけに、なってしまっているのだろうかと思わされたのです。




それには伏線があって・・・。


昨日ご紹介した茂木氏ですが、
いつの頃からか、注目してきました。
考え方が違ったり、
不祥事でがっかりしたこともありますが、
心の底でやっぱり応援しています。


どうしてか、というと、
一つは、難しいことを分かりやすく説明できる人が尊敬できる、ということが一つ。
でも、もっともっと大きなことは、
面識とかないんですが、
同じ時代に同じ高校で過ごしているんですね。
1年先輩。


この心の動きってなんだろうと思っていました。


愛校心ていうか、それが一方的な仲間意識みたいになって・・・。
自分のアイデンティティーを作っている一部だから、
そこを共有しているのがうれしい、ってことでしょうか。


でも、同じ愛◯心で、
今、こんな紛争が起こるとき思わされるのが
「愛国心」。


オリンピックやW杯なんかでも感じますけど、
紛争の時に思うのは、「どうなのかな」という思い。


9-11直後のアメリカを席巻した愛国心。
違和感を感じながらも、それを口に出したときの人々の感情的な反応。
God Bless Americaばかりが流れて、
「アフガニスタンは神にとってどうでもいいのか?」と思ったこと。
空爆が始まったときにクリスチャンの施設の中で沸き起こった拍手への「なにそれ?」という思い。


いろんな思いがかけめぐっています。
ああ、また整理できない・・・。
整理できないままこんな表明していいのか・・・と思いつつ書いてしまっています。


近くにゆかりのある人がいるから、より具体的に祈ることができる、そうなんですよね、それはいいんです。でも、愛することは自分の領域から一歩外に出ることだと思うから・・・。


でも、いずれにせよ、今回祈りに招かれていることは間違いないです。
主が各国のリーダーたちの決断を守ってくださいますように。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記22:10−33でした。


「欠陥のあるものは、いっさいささげてはならない。」20節。

主へのささげ物に、自分としては余り大切ではないものをささげようという人がいたんだろうなあ。これは差別の問題とは全く無関係で、大切なモノを主に捧げることの意味を伝えた言葉。

果たして自分はどうだろうかと思う。

たいせつなものをささげるから、ささげ物の意味がある。

自分にとって大切なモノはなんだろうか?
神さまよりも大切にしているものはないだろうか?

それをささげなさい、と言われたときに、
主にささげたくないものがあるだろうか。

主を信頼して、最高のものを主のもとに持っていく、
そのような生き方をしたい。

そう、主は必要なものをすべて与えてくださる、と約束してくださったのだから。

神さま、
どうでもいいもの、余ったもの、役に立たなくなったもの、
そういうものではなくて、
最高のものをあなたのもとにお捧げすることができますように。
あなたのために最高のものを用いていただくことができますように。
それはまた、元々あなたからお預かりしたものなのですから。

2010-11-22

嫌われることを恐れない。

今朝は暖かかったですね。
まだ曇っていて星空は見えませんでしたが・・・。


でも、昼間は晴れてきて、小春日和。
本当に暖かくなりました。
18.5度まで上がりました。


今は夜の11時過ぎですが、まだ11度くらいあります。


明日は少し雨が降るかもしれませんが、
また暖かい一日のようです。


先日から、Twitterで、
脳科学者の茂木健一郎氏をフォローしているのですが、
ときどき、示唆に富んだ発言があります。


最近、目が開かれたのはこれ。


茂木健一郎 連続ツイート 「嫌い」

なるほどですね。
特に「嫌い」は「一種の自己防御反応である。今までの自分を揺るがすような新しいものを前に、自分を守ろうとする。防御の壁が壊れると、一気に好きになる。」というところ。


聖書の中でもパウロにはこんなことが起こっていたのでしょうか?
教会は、パウロにとっては「嫌い」。
なんでかというと、自己防御反応。
今までの自分の生き方が否定されるのが怖くて、自分を守ろうとした。


その壁がイエスとの出会いによって崩されて、
一気にイエスの福音のメッセンジャーになる。


で、最後の方の「嫌われると人は傷付く。しかし、嫌われることに慣れて、人は一人前になるのだろう。『嫌われて一人前』」という一文。


これもなるほどです。


自分も嫌われることを恐れて、失ってきたものがたくさんあるのではないかと思います。「嫌われることを恐れるな」・・・イエスの生き方そのものですね。


自分もどれだけ多くの方々を「みんなに好かれなくていい」「みんなに好かれるなんて、どうせあり得ないんだから、恐れるな」と励ましてきたかと思いますが、実際、自分自身が一番、嫌われることを恐れてきたんだろうな、と思い知らされました。


「嫌われることから逃げない!」


これは大切な宿題だな。


さて、昨日と今日の聖書。
昨日・今日はレビ記21章から22章9節。


「イスラエル人の聖なる者は、わたしのために聖別しなければならない」22:2。

このところはずっと祭司の聖別されるべきことが書かれています。
神と人との間に立つ祭司は、他のものとは分けられる、特別な存在であり、
それゆえに、厳しい基準が当てはめられていました。

新約時代、特にプロテスタントの伝統の中で新約聖書が読まれる場合には、「万人祭司」といって、誰かが神と人との間に立つ必要はない。イエスが大祭司であり、一人ひとりが直接イエスを通して神の前に出ることができ、また互いに互いの祭司として執り成しの祈りをするようにと招かれているのです。

ですから、私たちはみんな神様の前に特別に分けられて、
身をきよく保つところに招かれているのです。

聖とされたから聖なる歩みへと招かれている。

たくさん課題はありますが、一つ一つ、主に導いていただきたいです。
取り扱っていただき、主の前に整えていただきたいです。

主よ、
わたしをきよめてください。
祭司として招かれた私を、
祭司としての働きのために整えてください。
互いのためにとりなす働きをさせてください。

2010-11-21

三段階の感謝。

101・・・感謝すべきことを探してみよう。
201・・・神さまはすべてを最善にしてくださるから、感謝できないように思えることも感謝しよう。
301・・・神さまがおられるから、共におられるから感謝しよう。

今日の礼拝メッセージ。(音声ファイルです)

38分も話していたんですね。(笑)

今朝は0.1度。
今朝も夕方も薄曇りです。
Star Walk出番がありません。


今夜は曇っています。
そして、木曜日くらいまで、曇りがちで、そして、時々雨も降る天気みたいです。
そして、Thanksgiving明けからは寒くなります。


今日の礼拝と愛餐会には沢山の方々が来られて、
楽しい、幸いなひとときとなりました。


はい、例によってゲーム担当の中高生たちにはやられました。




観察力・記憶力共にプライドが打ち砕かれました。
ありがと。
君たちのおかげで謙虚になれる・・・。





2010-11-20

冬支度。

今朝の最低気温は-1.1度。
この秋最低をあっさり更新。
紅葉もすっかり終わり、
落ち葉の片付けが大仕事です。
明日はThanksgivingの礼拝。
神様の恵みのあふれる日でありますように。

2010-11-19

冷えてるよ〜。

はい、ビールの宣伝みたいな題ですが、
そうじゃなくて、天気の話です。
今日は夜の12時前に氷点下になっています。
明日の朝の最低気温予想が0〜2度ですが、
もうすでにそれを下回って、-0.1度(11時50分)。
はい、明日の朝は、この秋最低更新です。


明日も晴れて、秋らしい天気になりそうです。


今日は、朝の祈りの中で、
自分がいかに人の言葉に振り回されやすいか、
それを思い知らされて、
それはどうしてかなあと思ったら、
祈りの中で、神さまとの関係がもっともっとしっかりしないと、
いけないんだなあということを思わされ、
それで「もっとあなたとの関係が強められますように、今日も沢山の方々にお会いしますが、あなたとの関係の中で、確信と平安を持って、お話をしたり、お話を聞いたりできますように」という祈りに導かれました。


そんな平安の中で、今日の一日は幸いな一日でした。


朝も、夜も集会があったのですが、
平安が自分の心を守っている、という感覚がありました。


毎日の祈りが祝福されますように。


あ、でも、今朝の祈りの時には、伏線があって、
昨日の夜、10時半に就寝。
それも、風邪薬を飲んで(風邪じゃないけど)、
しっかり7時間寝た。
ホントは5時間後の3時半に目が覚めたんですが、
薬のおかげで、そのまま眠れた。
ちゃんと寝ることが、朝の祈りの時の祝福につながる。
ほんとそう思います。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記の20:1−16でした。


「あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。私があなたがたの神、主であるからだ。」7節。

自分の身を聖別する・・・
その後に続くのが性の問題。

自己の経験からしても、
本当に主の前に聖別が問われるのは
性の問題だと思う。

いや、それだけではないと思うけれども、
でもとても大きな問題だと思う。

主に守っていただきたいと思う。
若い時には「結婚すれば」「歳をとれば」解決すると思っていた。
でも、たしかに結婚前とは問題は違うし、若い時とは違うと思うが、
やはり闘いはある。

主に守っていただきたいと思うし、
主の前に、自分を清く守りたいと思う。
こころと体を守っていただきたいと思う。

主よ、
あなたが守ってください。
私の思いと体を清く守ってください。

2010-11-18

主へのささげもの。

今夜、何げなく読んでいた記事にこんなのを発見。



ミスコン候補の女子大生へのアンケート。
「返信に困る男性からの携帯メールの内容」



返信に困る男性のメールは、「自分撮りの写メを添付してくる」「とにかく長文」が1、2位で票を集めた。3位以下は「質問ばかりしてくる」「日常の報告をしてくる」「甘えてくる」「難解な話をしてくる」「天気の話をしてくる」など。


最後の一つが気になった。


「天気の話」だとぉ??


わりーか?と反発しつつ・・・


内心かな〜りショック。


別に自分の子供の年代の女子大生にモテたいとも思わないが、これって、結構普遍的な傾向かと思うと落ち込む。やっぱり「天気の話」はダメ?


自分的には一番盛り上がる話なんですがねえ。
まあ、自分が好きだからと勝手に盛り上がるのは最悪なんでしょうし。
それなりに読めない空気読んでやっていこうと思いますが・・・。(苦笑)






でも、どんな反応があろうとも、
読み飛ばされようとも、
はい、ここでは天気の話をします。(上を向いてキッパリ)






ということで、今、夜の10時前で、外の気温は7.8度。
ちょっと雨が降っているのかな。


明日の朝は2度くらい。
昼間は晴れても10度以下の11月らしい天気になりそうです。


中期的にはやはり来週の木曜日くらいを境に、米国東部「冬に突入」のようです。
その前にはちょっとした「小春日和」もあるかも。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記19:19−37でした。


「あなたがたが、かの地に入って、どんな果樹でも植えるとき、その実はまだ割礼のないものとみなさなければならない。三年の間、それはあなたがたにとって割礼のないものとなる。食べてはならない。四年目にはその実はすべて聖となり、主への賛美のささげ物となる。五年目には、あなたがたはその実を食べることができる。それはあなたがたの収穫を増すためである。」23−25節。


木の実がなっても、3年間はそれをとらないように、
多分それは、木の力を弱くしないためなんだろう。

そして、4年目。
待ちに待ったその年、
さあ、収穫できるぞ、という最初のものを、
主のもとに持って来なさい、という。

ゆとりがあるからではない。
自分が十分満たされているからではない。
たくさん食べた余りではない。

最初のものを主のもとに持っていく。

神さまを第一とすることの意味を思わされる。

すべての必要が神様から与えられるのだということを、
どこまで本気で信じているのかが、問われているのだと思う。

文字通り、そのような生き方をさせていただきたいと思った。

主よ、
私の必要をすべて満たすことができるのはあなたです。
この手ではありません。私の努力ではありません。
勤労ではありません。
あなたの恵みです。
そのことを本気で信じて、生きる者とならせてください。


あなたを第一とすることの意味を、そのまま生きる者とならせてください。

2010-11-17

隣人を愛しなさい、と。

今朝起きたら、すっかり雨は上がっていました。
そして、朝のうちにどんどん青空が広がって、
いい天気になりました。
風は強かったですが、私たちの住んでいるあたりは、
大きな被害はなかったようです。


夜になって、ちょっと冷えてきたかな。
でも、真夜中の12時頃で、9.9度。
明日の朝も4−5度ありそうです。


でも、来週に向けてだんだん冷えてきそうです。


さて、今日の聖書。
今日はレビ記の19章1−18節でした。


「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」18節。

これは新約聖書への引用で有名な言葉。
レビ記の中にあるんですよね。
意外かもしれないけど。

そして、イエスが「隣人だけではなくて、敵をも愛せ」と言われているから、このレビ記では「隣人」は「普通の周りの人」、または「なかよし」、のことだと思われている。

でも、前後を見ると、

人を中傷するな!
血を流すな!
心のなかで憎むな!
優しく戒めよ!
復讐するな!
恨みを抱くな!

・・・愛せよ。

となっている。

とすると、その隣人とは、「中傷したくなる相手」「仕返しをしたくなる相手」「つい、憎んでしまう相手」「戒める必要がある相手」「復讐したくなる相手」「恨みを抱いてしまう相手」なんですね。

イエスが言われたとおり。
自分に良くしてくれる人を愛するのは誰でもできる。
神の愛に捕らえられて、イエスの十字架によって救われて、
聖霊様に導かれている人は、

このような隣人をも愛することが求められている。
このような隣人をも愛そうと思う。
このような隣人をも愛する力が与えられる。
このような隣人をも愛する。

今、自分は「愛させてください」と祈るだけだ。

主よ、
あなたの愛を与えてください。
自分に良くする人だけではなく、そうではない人をも、
いや、そうでない人をこそ、愛することを教えてください。
愛する力を与えてください。
聖霊によって奇跡をなしてください。

2010-11-16

いのち。

今日は朝と夜に雨。
今は夜の10時過ぎですが、しとしと降っている音が聞こえます。


この後、雷雨になるかもしれないそうです。
雨の量は大したことがなくても、
落ち葉で排水口が詰まっていたり、
路面が滑りやすくなったり、
この時期特有のトラブルがあるかもしれません。


そして、この後、来週前半まで、「秋」みたいですが、
Thanksgivingあたりから、「冬」になりそうな予報が出始めています。


さて、先週末から計画はあったのですが、
今夜、初めて豆腐を作ってみました。


というのは、下の娘が日本語補習校で、
「大豆が原料の食べ物がいろいろある」と習ってきて、
じゃあ・・・ということで、ほんとに大豆から豆腐ができることを、
一緒に実験してみたわけです。


以前、アトランタにいた頃、納豆をつくってみたことがあったのですが、
豆腐は初めて。たまたま「にがり」を数年前に頂いていて、棚の中にあったので(液体のヤツだったんだけどきれいな結晶が出来ていた)、やってみたわけです。


で、やはり最後ににがりをうって、固めるあたりのにがりの量と豆乳の温度の調節が難しかったですが、温度を上げてにがりを増やしたら、かたまりました(邪道かもしれないけど)。


で、娘に「写真撮ってお天気何とかに載せないの?」と催促され、撮った写真がこれ。


あんまりうまそうに見えませんが、どうしてどうして、うまかったです。
にがり増量で水にさらす前はちょっとにがりの味を感じてしまいましたけどね。


これは楽しいし、できたてがうまいので、ちょっと研究しようかな、と思ってしまっています。平気で4時とかに目が覚める今日この頃、豆腐屋でも始めようかと・・・。


さて、日曜日の聖書。
日曜日の朝は、レビ記の17:1−16を読みました。


「いのちとしての贖いをするのは血である」11節。

今、私たちは「いのち」について考えなくていい生き方をしていると思います。
肉や魚を食べる時にも、その命をいただいている、という感覚を持たないことが多いです。

聖書の時代には、その血を注ぎ出して、命をいただいている、と受け取ったり、犠牲の動物も、文字通り、自分の身代わりだったわけです。

また、人の生き死にの場面に出会うことも少ないです。

たぶん、なるだけ、見えないところに追いやられてしまっているのだと思います。
肉を食べるために屠殺する場面も、人がその人生を終えて、旅立って行く時も、私たちに見えないところに押し出されてしまっているのです。

仕方が無いといえばそうですし、私もそのような場面をたくさん見るべきだと思っているわけではないです。でも、それゆえに、命の大切さや、ありがたさを見失っていないかと思うのです。

イエスの十字架もそうです。

私たちの命の回復のためには、イエスの血が流されなければならなかった。血は命そのものだから、贖うことができる。

それなのに、イエスの十字架の恐ろしさ、痛み、苦しみは、後ろに追いやられ、ほかのこと、充実した教会イベント、マネージメントのよさ、いい音楽、本音トークができること、それらが教会の中心になり、力になり、活力の元になっていないだろうか?

いつもいつも、いつまでも、この十字架の恵みが中心。
そのことを忘れないでいたいと思います。

主よ、
イエスの血が流されたから、
私たちが救われていること、
心から感謝します。


どうか、どこまでもどこまでも、十字架のもとに救いがあり、喜びがあり、力があることを、忘れることがないように、そのことをいつもいつも伝えていくことが出来るように、守り、導いてください。


2010-11-15

「苦行」ってあり?

今日は午前中は雨が降ったりしていましたが、
午後には回復して、落ち葉集めができるくらい。


今夜はまた雨みたいですね。
でも、その中心は明日の夜のようです。
今週前半は冷え込みも弱く、過ごしやすい日が続くようです。


さて、土曜日の聖書から。
土曜日はレビ記16:23−34でした。


「あなたがたは身を戒める。」31節。

この言葉ですが、どんなことかなあと思いますが、
新共同訳では「苦行をする」と訳されています。

「苦行」って何なんでしょうかね。
これは「贖罪の日」についての記述の中の言葉。
そこ深刻さ、罪赦されることの大きさを、表しているのかと思います。
軽々しく考えられないこと、それを表しているのかと思います。

新約聖書になって、
イエスが十字架にかかり、救いの道が開かれたのですが、
その十字架の恵みも、簡単に軽々しく受け取られてはいけないのかと思います。

本当にどれほど大きな犠牲が払われているのか、
それを忘れないでいたいと思います。

主よ、
あなたの十字架の重さを忘れないようにしてください。
安っぽいものにしてしまうことがありませんように。
どれほど大きな犠牲が払われているのか、
そこをおぼつつ、礼拝を守ることができますように。

12時半だからねえ。

元気なんですが、まあ、この時間なのでもう休みます。
でも、本当に聖書には教えられることが多いので、
またゆっくり書きます。

一つ一つの出来事に感謝。

あ、そう、最近、また「何時に寝ても5時間で目が覚める」日々が続いています。
昨日も11時に休んだので、今朝は4時に目が覚めた・・・。

今夜はちょうどいいかも。

ではでは。

2010-11-12

明けの明星。

今朝は、6時ごろに、東の空に、金星が明るく輝いていました。
さすがにiPhoneのカメラでは・・・と思いながら、撮ってみると、
・・・ハハハ、わかるかな。



ま、わからなくもない・・・というところでしょうか。
ゴミが付いたのかな?という程度。


でも、ちゃんと写るんですから、ほんとに明るいんですね。
マイナス4等星くらいだそうです。


冷えましたが、ぎりぎり氷点下にならず。0.5度。
昼間は暖かくなりました。
夜はそこそこ冷えて、今9時半前で5.5度。


この先、週末は暖かな日が続きそうです。


さて、今日は早速聖書。
今日はレビ記の16章1−22節。


「わたしが『贖いのふた』の上の雲の中に現れるからである。」2節。

「贖いのふた」とはイエスのことを予表するもの。
イエスの十字架を予表するもの。
そこにご自身が現れてくださる。

そう、神さまはいつも十字架の上にご自身をあらわされる。
その愛を知りたければ、十字架を見ればいい。
それなのに、いつの間にか、私たちは、
「物事の順調さ」に神を見ようとする。

たとえば、健康が与えられたり、
仕事が順調だったり、
子どもが願っていた学校に進めることの中に、
神様の祝福を見ようとする。

だから、うまくいかないと、
「神様の愛がわからない」となってしまう。

でも、聖書はそんなところに神の愛をさがすなよ、
と言っていると思う。

いかにも神さまが祝福してくださっている、
というところよりも、
神さまがおられるなら、どうして、というところにこそ、
私たちのちっぽけな頭で、一番「神さまらしからぬ」ところに、
ご自分をあらわされる。

十字架はその極致。

人々は「お前がそこから降りたら信じよう」とののしった。

そう、人間の常識では、
神だったら、神の子だったら、
そこから降りることができて当然だ、
いや、そこから降りるべきだ、
そんなところにイエスは行かれたのだ。

なのに、私たちはいつの間にか、
「トントン拍子に行く」
「うまく物事が進む」
ことのなかに、「神さま」を見ようとしていないだろうか?

十字架のもとに行こう。
そして、自分自身も十字架を負って歩み始めよう。
そこに神さまがおられるというのだから。

主よ、
あなたが、イエスの十字架に、ご自身を現しておられること、
そこに気がつかせてくださってありがとうございます。
あなたの十字架のもとにやすらい、
自分の十字架を背負って歩む者であることができますように。

2010-11-11

葉っぱのフレディを読む。

今日はまたいい天気でした。
朝から晩までスカっと晴れました。


夜、冷えてきています。
今は夜の11時ですが、すでに2.5度。
明日の朝は氷点下ですね。


この秋最低の−0.2度を下回る可能性もあり!


さて、今日はMaywoodのJOYJOYキッズクラブ。
楽しかったです。20人余りの子たちが来てくれました。
そのなかの7割くらいが男の子。


そんな中で、今日は久しぶりに私が絵本の読み聞かせを担当しました。
今月は秋らしく「葉っぱのフレディ」。
子供たちは一生懸命聞いてくれました。


日野原先生が紹介してくださったということもあり、
日本では、クリスチャンの間でもかなり受け入れられている本であり、
またアメリカでも、Cokesburyなど、クリスチャン系の本屋でも売られています。


でも、今回、もう一度読んでみて、
聖書の死生観とどこまで一致するのか、いろいろ考えさせられています。


まあ、一番簡単なのは「聖書とは違う」と一刀両断してしまうことなんですが、それもいいのかな・・・というところもあり。


でも、今回もう一度英語で読んでみて、
それから日本語訳も読んでみて、
ずいぶん印象が違うことが気になりました。


私にとって決定的に違うな、と思わされたのは、


原作の
"Will we return in the Spring?" (春になったら、僕たちはここに戻ってくるの?)
"We may not, but Life will"(多分違うな、でも、いのちは戻ってくる。)
というくだりが、日本語訳では全くなくなってしまっているところです。


"may"と柔らかにですが、「輪廻」が否定されているのが、
日本では受け入れられないと訳者は考えたのでしょうか。


生かされている意味(木の全体像は、フレディが落ちていく時に初めて見える・・・)、みんな違う存在なのだ、死は恐れなくていい、というメッセージなどは、そうだなあと思いますが、やはり神のもとに行くのだという聖書のメッセージがそこに込められているかというと、違うなあと思いました。


今日はその後に「わたしがよみがえりであり、命である」と言われたイエスのことを話してまとめましたが、ちょっとこの後もこのテーマ、考えていきたいと思います。

昨日、今日の聖書。
レビ記15章。


「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」創世記1:27。

聖書の言葉は、今日の箇所ではないけれども、レビ記15章の面倒な一つ一つの戒めを読みながら、なんで、神さまは人間を男と女とに造られたのか、いろいろおもいめぐらしていた。人間に男と女がいるから起こることがこの世にはたくさんある。

人間に男も女もなくて、ただ「人間」だけだったらどんなに楽だろうかと思ったりすることもある。

でも、男と女とに造られたことが、「神のかたちに造られた」ことの意味だという解釈もあるくらいだ。

一つ思わされたことがあった。
女性は子供を産むがゆえに、自分のお腹を痛めるがゆえに、9か月間その一部として共に生きる。でも父親は違う。それをともに歩むけれども、やはり自分の一部ではなく、自己の大切な存在である妻の中に、自分とつながりのある命が宿る。でも、やはり、母親のように、その存在が自分の一部であるということはない。だから、子供との距離感が違う。見方が違う。本当に母の愛は偉大だ。父親である私にはどうにも太刀打ちできないほどの深いものを感じる。脱帽だ。でも、また神はまた違った見方をする父親という存在をもおいておられる。

女性に男性がいることによって、神は違った視点で物を見ることを要求しているのだと思う。
逆もまた真だ。

違った視線で見る人の存在をそこに与えておられるのだと思う。

男と女が造られた神秘。
また一つ一つ知っていきたいと思う。

主よ、
私を男性として作って下ったことに感謝します。
男性として与えられていることを、
積極的に行うものとなれますように。
そして、足りないものを、主に求める者とならせてください。


また、女性がこの世に与えられていることに感謝します。
もっともっと愛し、敬うことを教えてください。

NYはこの季節がいい。

日付が変わって、昨日の事でしたが、ミッドタウンのBryant Parkを通ったら、スケートリンクがオープンしていました。まだまだ真冬の寒さには程遠いのですが、こういう風景が、この街には似合うんですねえ。

今夜は、もう遅くなったので、また、明日。

2010-11-10

バスに乗り遅れて電線に文句を言う。

NY行のバスの時間をミスして、バス停で待っていたら、
また、神様のプレゼント。携帯カメラで撮ってみるのだが、電線がジャマだと文句を言っている自分。いつもお世話になっているのにね。

かなりワガママ。

あっと、バスが来た。 BlogBooster-The most productive way for mobile blogging. BlogBooster is a multi-service blog editor for iPhone, Android, WebOs and your desktop

2010-11-09

朝の戦いは前の晩に勝負がついている。

ということで、
明日は朝から教会に行って、そのままNYに行く日なので、
今夜は早く休んでおきます。

いつだったかの学びの中で、
「次の日の朝の祈りの時のQualityは前の晩にもう勝負がついている」という文章を読みました。本当だなあと思います。

明日は朝7時半からNYのミッドタウンのマクドナルドで小さな祈り会を守ります。
Lexington Ave.の45th St.のところです。

多くの人々が生活しているマンハッタンの中で、
主の目がそこに注がれていることに感謝しながら。

2010-11-08

初sleet。

今朝は場所によっては雪も降り、
うっすら雪化粧したところもあったようですが、
こちらはほぼどんより曇り。
時々、雨が降ったり、時々「パチパチ」とsleetが降ったりしました。
このsleetというのは氷の粒で、雪よりも気温が高めでも降る場合が多いです。


明日からはしばらく暖かめの日が多いみたいです。
MY初雪はまだまだお預けのようです。


最近、こちらに滞在されて、教会に集っておられる方がおられるのですが、初めて来られたときに、「デンバーの修養会に先生が来たときに、私もそこに行っていたのです。」と言われて、「その時に初めてイエスの十字架の意味がわかったんです」と言われました。


それはうれしいですよねえ。今から9年前。まだサキがのんちのおなかの中にいた頃ですよ。
初めてJCFNに関わった修養会。
その時にお会いした方々の多くが日本に帰ったかな。
一緒にNYから行った人たちも誰が残っているだろう?
ん?もしかしたらみんな日本?
そして、天国に召されていった方もいる。


そこで時間を共有していたんですよね。
そして、一人の方がイエスの十字架の意味に目が開かれる。


それは確かに神さまのみ業。そう、人間業じゃあない。そこに関わることができたのは神様からのプレゼントだなあ、と思う。


これからも、たくさんの方々と「イエスの十字架の意味がはっきりと示された」という瞬間を共有させていただきたいと思う。


今夜はここで。

2010-11-07

S-Word

今日の朝はやはり霜が降りていて、
朝、車を出すときにカリカリ剥がした。

でも、まあ、気温は氷点下になっていなかったので、
楽でしたが・・・。

今日はいい天気でしたが、
明日は雨です。
東のほうから低気圧が西に進んできて、
もう、すでにボストンとかでは雨が降っていますが、
これが西に広がって来るようです。
そして、S-wordが天気予報に入っていました。
そう、午前中雨に雪が混じる可能性もあるようです。

でも、これからだんだん、「可能性」「混じる」から、
「雪だ!」という日が増えてくるんだと思います。

さて、今日の聖書。
今日は詩篇の98篇。

「主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。」3節。

この「真実」という言葉に目が留まりました。
ある英語の聖書ではindefatigable loveという言葉に訳されていました。
日本語にすると『疲れを知らない愛」。

神様の愛が疲れを知らない愛でよかった。
自分の愛は疲れることがある。

でも、この方の愛は疲れることを知らない。

この愛にどっぷりつかっていたいと思いました。
この愛の中に生かされている喜びを感じました。

主よ、
あなたの愛を感謝します。
あなたは私に対して疲れはててしまうことがない方であることに感謝します。
支えられます。励まされます。
あなたの愛の中に憩う者でありますように。